瀬尾まいこ/著
ちくま文庫
2009
版元語録:思い描いていた未来をあきらめて赴任した高校で、驚いたことに“私”は文芸部の顧問になった。……「垣内君って、どうして文芸部なの?」「文学が好きだからです」「まさか」!……清く正しくまっすぐな青春を送ってきた“私“には、思いがけないことばかり。不思議な出会いから、傷ついた心を回復していく再生の物語。
きゃべつ:瀬尾さんは好きな作家です。瀬尾さんの作品では、いつも主人公が、自殺したくなったり、恋人が死んでしまったり、どん底の状況になることが多いですよね。でも、生老病死は避けられないけれど、だからといって救いがないわけではないということを、いつも全力で言っていて、そういうところが児童書らしいなと思います。この作品でも、最後のところで、救われる場所や人はちゃんといる、ということを書いていますよね。作品の根が明るいところが、森絵都さんの作品に通じている気がします。
オカリナ:私、この本のよい読者ではなく、身につまされるところがあってそこを中心に読んでしまいました。この主人公は本嫌いなんですね。で、私も今、本嫌いの人たちと付き合わなければならない立場にいるのです。だから本嫌いの人って、そうか、こんなふうに思うのか、こんな反応をするのか、だったら、こっちはどうすればいいのかな、なんて考えながら読んでしまいました。
きゃべつ:瀬尾さんは、たしか司書さんでいらっしゃいますものね。もしかしたら、そういった読書嫌いの子と日々向かい合っているのかも知れません。
オカリナ:読後感のいい小説ですね。
アンヌ:頭痛を逃れるためにスポーツに打ち込むという設定には、じんましんの痒さを逃れるためにスポーツを始めたと言っていた人がいたので、リアリティを感じました。ただ、ここまで本を読まない国語の先生なんているはずがないと思ったのですが。
一同:いっぱいいるんじゃないでしょうか。
アンヌ:垣内君が、高校生にしてはできすぎているようで。夜中に電話をしても怒らないし、なんだか主人公のことを、呆れながらも見守ってくれている老紳士のようでした。弟も心配して5年間毎週のように様子を見に来てくれているし、3人の男性に守られて時間とともに更生していく話と感じました。ただ、夏目漱石の『夢十夜』をとても怖がりながら読んだり、授業で生徒たちと語り合ったり、生徒の書く物語を読む場面は好きでした。先生には、こんな楽しみもあるんだなと思いました。
ジラフ:この作家は好きで、わりとよく読んでます。自殺未遂だとか、この作品もそうですけど、何かつらいことがあって、水の中でじっと息を潜めているみたいにやり過ごしている時間のことがよく書かれていて、読み終わった後にある種のカタルシス、清々しさを感じます。淡々としていて、地味な作品が多いのに、この読後感にもっていけるのは、作者に力があるんだと思います。主人公が恢復していく場所が、この作品では図書室で、ここで「袖振り合う」というくらいの淡い出会いがあって、でも、たがいに必要以上に深くは踏み込まないで、また別れていく。そのあっさり加減がいいんです。でも、「袖振り合うも多生の縁」で、やっぱりそれはかけがえのない、再生に不可欠な、ひとつの出会いのかたちなんだと思います。
レジーナ:さらっと読みました。主人公はバレーに一生懸命で、正論を語りますが、正しさというのはひとりよがりになることがあるし、人を追い詰めることもありますね。特に悩みを抱えた人は、正しさを求めているわけではなく、自分の気持ちを受け止めてもらいたいだけだったりしますよね。でも高校時代の主人公には、それがわからなかった。不倫についても、相手に嘘をついてないから裏切ってないかというと、そうではないように、人間関係や人生には白黒つけられない部分があって、この作品はそこを描いているのだと思いました。浅見さんは自分の教え方に問題があるから、生徒が料理教室をやめていくことにも気づいていません。子どものような大人ですね。魅力が感じられませんでした。主人公と垣内君が、日本十進法から教科別に、本の並びを変える場面があります。一時、赤木かん子さんの提唱で、すべての本を内容別に並べる学校が増えました。しかし非常に使いにくく、今、困っている学校がたくさんあります。特定の主題にくくれる本ばかりではないですし、ひとりの担当者の考えでその本の主題を決めても、どう分類したのか、後から配属された人にはわかりません。p122(※単行本)に、10年以上寝たきりだったおばあさんがサナトリウムに入ったとありますが、ホスピスではないでしょうか。今の時代、結核患者のサナトリウムはあまり見かけませんが。
レン:さらっと読みました。大人の童話だなと思いました。高校生も読んでると思うけれど、大人が懐かしんでいる感じがして。主人公は社会人になってもまだ自分探しをしていて、大人になりきれない大人が、中高校生に寄りかかる。そういうのを私は、積極的に中高校生にあまり勧めたくないなあと。親が子に不満をぶつけるとか、高校生に頼ってしまうという状況がいやなんです。
紙魚:私も大いにそう思います!
レン:大人に守られるべき18歳以下の子にもたれるというのは逆だろうと。
オカリナ:この主人公は浅見さんには寄りかかっているけど、垣内君には寄りかかってないと思う。不満をぶつけたり、悩みを打ち明けたりはしていないから。
レン: 最終的に主人公は救いを見いだすし、読者も希望を抱けるのかなと、みなさんの話を聞いているうちに少し思えてきたけれど、それでも、大人の童話かな。
オカリナ:いや、この主人公もまだ大人にはなってないんじゃないかな。20歳で自動的に大人になれるわけじゃないから。垣内君は、何か問題を抱えていそうな主人公にやさしいけど、それだけで、別に負担に感じたりはしていない。一定の距離をおいて対応しているんだと思うな。
紙魚:物語の印象が非常に軽やかでふわふわしていて、やや頼りない文体、あいまいな人物設定には、個人的には信頼しがたいなと感じてしまいました。自殺とか、不倫とか、病とか、通常、ごくごく気をつけて扱うべき事柄を、あっさりと書いてしまうことにも、ちょっと違和感を持ちます。でも、もしかしたらそれも、作者の意図なのかもしれません。というのも、この小説には、深刻さの押し売りがなかったなと。読み進めるにしたがってだんだんと、登場人物の事情がちらっと見えてきたり、人がどう本から影響を受け変わっていくかということが伝わってきたり。人間関係はすごくやっかいでめんどくさいことは、もちろん作者だって承知のうえで、でもそれを最初から書かず、解像度が低い景色から、だんだんと識別可能な精密さへ持っていこうとしているのかなとも思います。ただ、正直なところ、この主人公はあんまり好きになれなかったです。大人とは思えなくて。
オカリナ:主人公は垣内君に頼ってはいないですよね。
紙魚:確かに、頼っているわけではないんですよね。このような大人と少年の関係性は、山田詠美の初期の作品などにもちょっと似ている感じがあります。
きゃべつ:先ほど、森絵都さんの『ラン』(角川文庫)と作品が似ているという指摘がありましたが、たしかに『ラン』の主人公も22歳で、児童書の主人公になる年齢ではないし、子どもでいていい年齢でもないと思います。ただ、肌感覚として、社会人1、2年目って、ほんとうにぐらぐらしていて子どもだし、森さんにしても、瀬尾さんにしても、大人として描いていないのではないでしょうか。このお話のユニークなところは、文芸部の顧問と生徒だったら、顧問が詳しくて、生徒がやる気ないのがふつうだけれど、それが真逆なところですよね。立場が逆転しているからこそ、先生と生徒という関係性でも、対等でいられるのではないのかなと。だから、精神的に依存しているわけではないのだと思います。たしかにその軽重を理解せずに、安易に生老病死を扱ってはいけないですよね。そのことは、新人賞の選考会でもよく話題になりますが、瀬尾さんの場合は、その重みはよくよく分かっていて、わざと問題そのものを真っ正面から描かず、回復していく心に焦点をあてているのではないかなと思います。生老病死に苦しむ気持ちは読者の内側にあるから、それを借景にして、そこから先を書く、というような……。
パピルス:読みやすくてパッと読むことができましたが、特におもしろいとは思いませんでした。人物描写が薄っぺらいというか、例えば、最初に不倫相手が出てきたときの会話では、「不倫相手」(男性)と会話してるというのがわかりませんでした。同性との会話か、ファンタジーみたいに人間じゃない生き物と会話をしてるのかな? って思ってしまいました。主人公は過去に傷があり、再生していく物語であると帯で謳われていました。その傷というのが同級生の自殺でした。傷を表現するためにとってつけたように死を持ってきたような印象を受けました。
ルパン:これ、半分くらい読んだところで、ようやく「前にも読んだことある!」って気がつきました。
オカリナ:印象が薄い本なのかしら。
ルパン:エンタメとして読んじゃいました。同級生の死に責任を感じている、っていう設定なのに、いまひとつ「重さ」が伝わってきません。国語の教師が、高校生に触発されて本を読み出す、というのも、まじめに考えたらちょっと……。とりあえずおもしろかったけど、マンガみたいな感じでさらっと読んじゃったからだろうな、と思います。
(「子どもの本で言いたい放題」2014年12月の記録)