原題:NOW IS THE TIME FOR RUNNING by Michael Williams
マイケル・ウィリアムズ/著 さくまゆみこ/訳
岩波書店
2013.12
版元語録:デオは年のはなれた兄のイノセントとともに、故郷ジンバブエでの虐殺を生きのび、南アフリカを目指す。ところが苦難の果てに待っていたのは、外国人である自分たちに向けられる憎しみとおそれだった。過酷な運命に翻弄されながらも、デオはサッカーで人生を切り開いていく。
アンヌ:書評を読んだ記憶があるのに、このつらい国境を越える旅の終わりには、プロのサッカー選手となって活躍する結末が待っていると思い込んで読んでいました。そうじゃないと気が付いたのは、ようやく後半の主人公がシンナー中毒になりかかっている場面でした。ストリートサッカーについても知らなかったので、慌てて調べました。
ハリネズミ:日本のストリートサッカーのチームは野武士ジャパンというみたいですね。
アンヌ:一番気になったのはグリーンボンバーという少年兵に連れていかれるのを阻止するために、主人公が古来から伝わる歌を歌って、イノセントに何かの霊を憑依させるような場面。少年兵たちはもちろんその歌や現象を知っていて、怖がって逃げ去る。こういう文化も、戦争が起きると消えていくのだろうと思いながら読みました。国境の強盗団や違法移民を搾取する農場など、違法な移民が常態化すると、どちらの国も荒れていくということにも気づかされる物語でした。ストリートサッカーを通じて、スターになれなくても救われていく子どもたちがいる。読後感がよく、感動して何度も読み返しました。
パピルス:同じマイケルなので、この作品も著者はモーパーゴだと思って読んでしまいました。あとがきに、取材のために2ヶ月間、カフェで店員として働いたと書いてあったので、「モーパーゴってイメージと違ってフットワーク軽い!」ってびっくりしちゃいました(笑)。内容は面白かったです。人物描写も一人一人厚みがあってよく描けていて、ストーリーも無駄が無い。今まで読んできた小説の中には、ストーリーを繋ぐために登場人物を死なせたと思うような、無理のある描写のものもたくさんありました。しかしこの本は違います。イノセントが死ぬ場面は自然にストーリーの中にとけ込んでいました。終盤、イノセントの死をデオが告白する場面では、デオの気持ちに共感して、ミスドで読んでいたのですが店内で号泣してしまいました。
レジーナ:次々に場面が展開していきますが、主人公の気持ちに寄り添って読める作品です。イノセントの存在が光っていますね。ナチス政権下で最初に虐殺されたのは、障がいのある人たちでしたが、戦争で一番犠牲になるのは、イノセントであり、ポットンじいちゃんであり、子どもであり、弱い立場にある人なのだと改めて思いました。勤め先の中学校では、特に男の子が自ら手に取り、よく読んでいます。シリア難民のへの攻撃や、日本のヘイトスピーチのように、ゼノフォビアは今、実際に起きている問題なので、ぜひ多くの子どもに読んでほしいです。
ペレソッソ:モーパーゴが書いたのだったら、お父さんが出てきますかね(笑)。私もホロコーストを頭に浮かベながら読みました。ユダヤ人が自分たちの生活を圧迫していると考えることがエスカレートしていって一般市民の暴力行為に及ぶというのが。大きな問題として、ヘビーなのは読めないと言われることについて、改めて考えさせられています。私にも課題なんです。戦争児童文学は恐いから読みたくないと、子どもが避けてしまう、それをどうすればいいか、長年、学校の先生含め課題だと思います。そこで例えば、『ヒトラーのむすめ』(ジャッキー フレンチ著 さくまゆみこ訳 鈴木出版)のような手法が必要になってくるのではないかと、学習会なんかも重ねてきました。一方で、あまりにも戦争の現実がわかっていないということの危うさがあります。それは、残酷な描写をどう考えるか、ということにつながります。戦場ジャーナリストの方が、「戦争は、血であり、脳漿だ」と定義されたのですが、それが現実でも、それが描かれていると読まれない可能性が高くなる・・・・・・。「半袖がいいか、長袖がいいか」というシーンは、本当にわからない子どももいる。だからといって注を付けたりして明らかにすればいいという問題でもない。わからないけれど、なにか不穏なものは感じて、心に残り続けるということも大事だと思います。難しいです。
あと、やはり、イノセントの存在がうまい。極限状態のさらに極限が現れる。かといって、エンタメ的な起伏でひっぱるのではなく、あくまでも少年の心に寄り添って読むことになるので、真摯な読書体験が出来たと感じています。
マリンゴ:タイトルと装丁で、貧しいながらもサッカーを頑張って成長していく話だと思っていたので、こんな物語だったのか!とびっくりしました。でも、終盤、たたみかけるように練習と試合のシーンが続き、サッカーという競技そのものの躍動感と相まっていて、読み終わってみれば、間違いなく『路上のストライカー』でした。わたしのように、勘違いして、中高生たちが本を手に取ってくれたらいいな、と思います。ジンバブエのこと、南アフリカのこと、残像は頭に焼きつきますから。あと、チームメイトがそれぞれの身の上話を語るシーンが、効いていると思いました。地の文でひとりずつ紹介していくと散漫になるところが、緊迫した場面で一気に語られるので、読み応えがありました。余談になりますが、『水曜どうでしょう』というバラエティで、ケニアの自然保護区をドライブする様子が放送されていました。のん気に見ていたのですが、その保護区を、車ではなく自分で、しかも裸足で走り抜けるとなると、どれだけおそろしい思いをするのか、と。すさまじい緊張を感じるシーンでした。
ハリネズミ:日本の戦争児童文学だと「こんなにひどいことがあった」というのを押しつけて来る作品が多いように思います。そう迫られると、読者はひいちゃう。でも、この本は、冒険物語として読めるのがいいですね。読ませるストーリーのつくり方をしてます。最初から、人が死ぬけど。
ペレソッソ:原題と日本のタイトルが違いますね。
ハリネズミ:原題そのままだとなんだかわからないし、状況としては重たいので、未来に向けた面を強調したほうがいいと思ったんじゃないですか。
マリンゴ:タイトルとストーリーに、たしかに最初ギャップを感じますが、「だまされた」という感覚は決してありませんでした。ストーリーに引き込まれて、どんどん読み進めてしまいましたから。
ペレソッソ:松谷みよ子の作品などに、たとえば猫の描写にひかれて読み進んでいたら、いきなり重いものが出て来て、ああ、これは子どもにとってだまし討ちじゃないか、これでびっくりして引いちゃう子もいるんだろうなぁと思ったことがあります。その点、最初からヘビーな出来事で始まり、読み進める子はそれを承知で進んでいくのだから、これは、だまし討ちにならないと思います(笑)。
(「子どもの本で言いたい放題」2015年11月の記録)