原題:THE VIEW FROM SATURDAY by E.L. Konigsburg, 1996(アメリカ)
E.L.カニグズバーグ/作 小島希里/訳
岩波書店
2000-06
<版元語録>6年生のノア、ナディア、イーサン、ジュリアンは大の仲良し。複雑な家庭の事情を抱えている子どもたちの生活を描きながら、どうやって4人が親友になったか、その謎を語る。ニューベリー賞受賞作品。
オカリナ:この本はどうも読んでらいれなくて、途中で放り投げたくなりましたね。出版されてすぐ読みかけて放りだし、もう1度挑戦して放りだし、今回みんなで読もうということになって、やっとのことで最後まで読みました。まず、最初に「博学競技会」という言葉で、えっと思ったの。どうしてこんな訳語にするのかな? 物知りコンテストとか、物知りコンクールでいいじゃない。もともと物語の構造が複雑だから、さらっとは読めないんだとは思うんだけど、この翻訳では、おもしろさがまったく伝わってない。ニューベリー賞を獲得した作品とはとても思えなかった。原文は、もっとおもしろいのかもしれないね。
ねむりねずみ:前から気になっていた本で、原文を読みたいなとは思っていました。やっぱりカニグズバーグだし。訳に関する要素を除くと、ノアにしてもナディアにしても、出てくるキャラクターはやっぱりカニグズバーグという感じ。都会的でセンスもあって、子どものキャラクター作りはとってもおもしろいと思った。 でも、訳がいまいちなんですよね。最初のノアのところで、「実は」「実は」のくりかえしにうんざりしてしまった。ノアの口癖なんだろうけど、もうちょっとなんとかならないかなって気になってしまって。短編集『ほんとうはひとつの話』みたいなのかな、と思って読んでいくと、うねうねとつながっていくスタイルだったので、途中でへえっと思い、最後の娘さんのあとがきを読んで納得しました。やっぱりうまいなと思ったし、著者の冒険心みたいなのがおもしろかった。でも、訳には悩まされました。p233のロープの輪っかが出てくるところなんか、どういう状況なのかよくわからなかった。凝った構成なのに、ディテールがきちんと伝わってこなくて、途中でやたらとひっかかった。
オカリナ:身体障害者の先生が出てくるじゃない。この先生像がいまいち見えてこないのよね。やっぱり訳のせいなのかな。うまく訳せば、もっと人物像がうかびあがるはずだと思うんだけど。先生の人柄がうかびあがらないから、この「競技会」に関しても、ただ知識を競わせている嫌な先生のようにしか思えなくて、魅力が伝わらなかった。
ねむりねずみ:『エリコの丘から』(カニグズバーグ 岩波書店)にも似ている感じがしました。物語全体が謎めいているところなんかが。何度かあっちこっちひっくりかえして、やっと全体の話がつながったんだけど、本当は1度でつながらなくちゃいけない。シンさんが時々亡霊みたいに出てきて先生と会話しているところなんかが、よくわからなかった。それと、翻訳がなぜこのタイトルになったかもわからない。p13の、弟のジョイが「祖父母のところに・・・行かされた」っていうくだりも、きっと原書で作者はいろいろ考えて言葉を探しているだろうに、訳が荒っぽい感じ。
裕:私も、わりと何でも普段は義務感で読みとおすのに、途中で挫折しちゃった。翻訳のせいだとは思わなかったんだけど。
トチ:これって、4人の子どもの話と1人の大人の話が、それぞれ色の違う糸のようにからまって、ついには美しいタペストリーを織り上げていく・・・そういう構成の物語よね。ところが、訳のせいでそれぞれの糸の色分けができていない。だから、さっぱりタペストリーが見えてこない。本当に残念なできあがりになっている。それから、「ジャック・スプラットは脂身がだめ、奥さんは赤身がだめ・・・」というの、有名なマザーグースの唄よね。訳は「童話」となってるけど、原文でも「童話」とは書いてないんじゃないかしら。それから、マーガレットのトレーナーの色が「青緑でとても派手」というようなことを書いているんだけれど、「青緑」だったら日本ではちっとも派手な色じゃないから、「どうしてなの?」と思ってしまった。きっと原文はturquoiseとなっているのでは? ターコイズは日本の辞書では確かに「青緑」となっているけれど、けっして「青緑」ではない。トルコ石の青だから、空色や水色に近い色よね。これなら派手といってもおかしくはない。重箱の隅をつつくようだけど、そういう細かいところが気になりだすと、物語の世界に浸れなくなるのよね。
オカリナ:筋でどんどんひっぱっていく話ならともかく、こういう凝った構成になっている作品は、翻訳には特に気をつけたいわね。
トチ:物語のほうでは、カニグズバーグって、どうしてこんなに頭のいい子が好きなんだろうと思ってしまった。知力で大人と対等にわたりあえて、しかも意志がしっかりしている。こういうのも一種のアメリカン・ヒーローなのかしら。私は、黒板にいたずら書きするハムみたいな子のほうに共感をおぼえるけど。
オカリナ:ハムという子は、物語の中ではあっさり切り捨てられてるのよね。
ウェンディ:「博学競技会」で華々しい勝利をおさめつつあるところ、そろそろ終わるのかなあと思うのに、次々と7、8年生に勝ち進んでいくのは、冗長な気もしましたね。訳文が読みにくいのは私だけかと思ってました。カニグズバーグだし。構成的には興味深く読んで、読み終わってから娘さんの解説でモーツァルトの構成を取り込んだ、と知って、なるほど、と思いました。4つの短篇小説といってもいいようなプロットが、最後に一つのうねりに収束していくところが、もっとうまく描かれていれば、もっとおもしろかっただろうな。でも、これも訳の問題なのかもしれませんね。これだけあれもこれもと要素を盛り込みながら、破綻なくまとめあげられるのは、さすがにうまい人だなと思いましたね。アリスが象徴的に使われていたりする点も、親しみがわくし。ただ、訳は、英語が苦手な私でも、原語が想像できてしまうようなところがある。特に、プロットごとにあえて語り手を替えることによって、織り成す物語だと思うので、やっぱり訳でも語り口をかえてほしかった。ただ、昔だったら何とか日本語にしていただろう言葉でも、今はあえてカタカナのままでいいんだなと再確認できる部分もあって、翻訳の仕方も変わってきたんだな、と参考になりました。
愁童:ぼくも読みにくくて挫折寸前だった。カニグズバーグは大好きなんで、自分の感性を責めてたんだけど、皆さんの翻訳論を聞いてて溜飲が下がりました。最初の結婚式の模様も、どたばた調で、饒舌な割りにわかりにくい。あそこを抜け出るのにエライ苦労しちゃった。
紙魚:この本って、対象が小学5、6年以上となってますよね。その年齢ではもちろんですが、その年代より少しは読解力はがついたのではないかと思う今の私が読んでも、読みにくかったです。構成を把握しながら読むって相当の力を要すると思うんです。やっぱり自分におきかえてもそうですが、子どものときって、大局的にとらえるのって不得手でした。そのかわり細部には目を光らせてるんですけど。小学生の自分だったら、この構成が「モーツァルトの交響曲」と言われてもよくわからなかったと思います。でも、もっと読みやすくて、その組曲みたいな構成がわかれば、読書のおもしろさをもっと味わえて、読書を広げるきっかけになるだろうに。これを読んだゆえに、ほかの本へとの興味もなくなってしまうとしたら、とっても残念。これだけおしゃれな構成のおもしろさを、ぜひ子どもにも知ってもらいたかったな、とは思います。細部だけでなく、大枠の構成がおもしろいなんて感じ方をしてもらえたらいいのに。私が編集を手がけるときは、そうなってもらえるように、ぜひ気をつけたいと思います。こういうのって、わからないところがわかったときがすごくおもしろくて、新しいステージを知ったように世界が広がるから。
トチ:こういう構成の物語は、道しるべというか、キーになる言葉がとても重要だと思うの。それがうまく訳されていなかったり、間違ったりしていたら物語そのものも理解できなくなってしまうと思うわ。
紙魚:うーん、モーツァルトの曲だって、技量があって曲を理解しているピアニストが弾いてこそですよね。
ウェンディ:まず、どこにメロディラインが隠れているかがわからないと、弾きこなせませんものね。
オカリナ:翻訳者が伏線を伏線と意識していないと、読者にも伝わらないから、難しいですよね。
トチ:会話の部分でもノアとイーサンが区別できない。二人の性格の違いも見えてこないわ。
愁童:カタカナで「キョウイクシャ」と書いて、作者がこめた皮肉っぽさを、 今の子どもたちに伝えられるのかな。訳者は、本当にカニグズバーグの言葉を伝えてくれてるのかなっていう不安を感じたな。 『Tバック戦争』(カニグズバーグ)なんかは、実にいいなって思ったのに。
オカリナ:『Tバック戦争』は筋があって、わかりやすかったんじゃない。それでも翻訳はひっかかったけど。そういう意味では、『ティーパーティーの謎』はもっと翻訳が難しい作品ね。
ねむりねずみ:原文の英語はきっとこういうふうに書いてたんだろうなと思わせるところが多々あって、英語にひっぱられてる感じ。英語だと通る言い回しでも、日本語になると変だったりする。
オカリナ:岩波はせっかくカニグズバーグの秀作は全部出そうとしてくれているのだから、もっとていねいに本をつくってほしいな。お願いしますよ、ほんとに。
(2001年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)