アン・ホワイトヘッド・ナグダ『ひげねずみくんへ』
『ひげねずみくんへ』
原題:DEAR WHISKERS by Ann Whitehead Nagda、2000
アン・ホワイトヘッド・ナグダ/著 高畠リサ/訳 井川ゆり子/絵
福音館書店
2005.06

版元語録:小学4年生のジェニーのクラスでは、授業でねずみになったつもりで2年生のクラスに手紙を書きます。ジェニーはこんなのばかげてる、と思ってちっとも乗り気じゃなかったのですが、返ってきたのはふしぎな手紙でした。ジェニーのペンパルには何か秘密がありそうです。言葉の通じない転校生との交流をあたたかく、そしてユーモラスに描いた傑作。

みっけ:ネットには、けっこうおもしろいと出ていたのですが、私は今ひとつピンときませんでした。後の方で、主人公の女の子がクッキーをつかって年下のクラスの子たちをひきつけていくところから関係がほぐれてくるのは、なるほどなと思いましたが、今ひとつこちらに迫ってこなかった。

ネズ:上級生と下級生が手紙を交換して、それによって国語の勉強をするというアイディアはおもしろいと思いました。主人公の4年生が手紙を出す相手がサウジアラビアからの移民という設定ですけど、上級生が一方的に下級生を指導するのではなく、後半になってサウジアラビアのことも学んでいくという姿勢も出てきたので、良かったと思いました。「移民の子」が、最近は日本でもめずらしくなくなり、小学校でも昔と違った問題が出てきたり、いろいろな取り組みをする学校が増えてきたんでしょうね。それがこの本を出版した動機でしょうか。
ただ、設定が非常にわかりにくく、最初の部分を何度も読みなおしました。4年生の子がネズミになって2年生の子に手紙を書き、2年生の子がそのネズミ宛に返事を出すんだけれど、4年生の子の名前、ネズミの名前、2年生の子の名前、さらに4年生の子の友だちが考えたネズミの名前、その手紙を受けとった2年生の子の名前……と、いろんな名前がごちゃごちゃになって、わけがわからなくなる。こういう作品の場合、原文になくても最初に設定がわかるように書いておくべきだと思いました。それから、とかくこういうテーマのものにありがちだけれど、移民の子の祖国について触れていても、アメリカと対等の国という意識というか、敬意が感じられない。どうしても、アメリカより劣った国から来た、かわいそうな子に親切にしてあげるという、保護者的な意識が鼻についてしまって……。
それから、翻訳がこなれていなくて、本にする前の段階という感じ。英語と日本語はまったく違った言語だから、国語としての英語の授業をそのまま日本語にしても、読者は混乱してしまうのでは? 手紙の書き方だって違うし。21ページのように、「スミアは虫のしみだから……」なんて言葉がポンと出てくるし、ラットとマウスが出てくるけれど、その違いを説明してもいない。「ペンパル」なんて言葉もいきなり出てくるし。いちばん違和感があったのが、挿絵。なんで絵のなかに英語が書いてあるのかしら? 最初は、原書の絵をそのまま使ったと思っていたけど。訳者の問題というより、編集者の問題かも……。

アカシア:最初の導入がもたもたしていて魅力的じゃないし、設定もわかりにくかったですね。小さい子どもの本って、最初でかなりひきつけないと読んでもらえないのに。19ページには「わたしの生徒は〜」と唐突に出てきますが、この子は教えているのかなと誤解してしまいました。「わたしの文通相手は」くらいにしないと、手紙を出した相手の2年生のことをさしているとは、すぐにわかりません。物語が自然に生まれたというより、わざと作っているという感じもあります。主人公は文通相手がスペリングも不十分だし文章も書けないという裏に事情があると察していいはずなのに、30ページに「サミーラにきらわれてしまった。〜」という表現が出てくるのも不自然。人物像にも厚みがなくて、スーザンといういかにも嫌みな優等生が出てくるのはステレオタイプ。日本でどうしてこの本を出すのかが、わかりませんでした。後半、ジェニーが工夫をしてコミュニケーションをとろうとする部分はいいと思いましたが、前半はいただけない。全体として不完全な本を読まされている感じがぬぐえませんでrした。

サンシャイン:こういう作品は、あんまり日本語に訳す意味がないかもしれません。ニューカマーズが苦労してアメリカの偉大な文化に包まれて英語ができるようになるという、アメリカ礼賛の物語。うちの子も、ESLにお世話になったので、そういうこともあったねとは読めるけど、日本の子どもが読んでもあまりピンとこないでしょう。アメリカで子どもを育てている日本人が対象の本でしょうか。翻訳者もそういった経験があるのかもしれません。37ページにカギ括弧がぬけているところがありましたね。福音館の本ですが。

ネズ:アメリカと日本では、読まれ方がまったく違うでしょうね。

げた:そうか……。確かに、出だしがわかりにくかったんですね。ただ、今回読んでみて、読後感としては、幸せそうな子どもたちや周りのあたたかい大人たち。それぞれ穏やかでやさしいお友達の顔がうかんできてよかったなと思いました。だから、以前図書館の選書で目を通した時より、案外いいかなと思ったんですね。2年生と4年生の文通による国語教育というのもおもしろいと思うし。子どもたちが、自分たちにもこういう機会があったらいいかなと思えるかもしれない。でも、今、皆さんのお話をきいて、確かに問題があるかもしれないと思ったところです。

mari777:予想通りの展開だけれど、私はわりとおもしろく読みました。小学校国語の「書くこと」の分野で、目的をもって書くということが重視されているということもあって、「なりきり作文」って、日本でも最近はよく行われている学習活動なんです。高学年の子どもと低学年の子どもが文通するという活動も、最近の日本の国語教育では、わりとありがち。あまり新味は感じません。この年ごろの子でもによくある、ちょっと背のびしたいような気分や、学校の課題に対してちょっとひいちゃうような、しらけた気分は、よく書けていたと思います。ただ、ラストはありきたり。教訓的な感じで残念。

ジーナ:私も、中途半端な感じを持ちました。さっきもどなたかおっしゃったけれど、日本でも日本語がぜんぜんわからない外国の子どもが入ってくるという状況はよくあるから、テーマはよいと思ったんですけど、学校のようすが日本とすごく違うでしょ? 下級生と文通はあるかなと思ったけれど、手紙が来なかったときに、教室に行ったり、クッキーを持ってきていきなり食べちゃったり。日本の子は、いいなあと思って読むのか、違和感を持つのか、わかりませんでした。あと、絵ですけど、サウジアラビアの子どもに見えないと思いました。私が知っているアフガニスタンやモロッコ出身のイスラム教徒の家の女の子は、ズボンをはいて、肌をむきだしにしないようにしているので。

ネズ:難しいですよね、小さな子どもの本は。文化や、教育のしかたや、様々な面でギャップが大きいから、訳すときにどれくらいつけたしたらいいか、いつも考えなくては。この本の場合、「文」、「文章」「行」が混在していたり、罫線という意味で「行」と書いているのかなと思ったり……。大きく意味がわかればいいという考えなのかもしれないけれど、ちょっと大雑把だなと思います。

ジーナ:「形容詞は助ける言葉」というのも、わかりにくい。編集の人が、注意しそうなものですけど。

ネズ:71ページで、先生が『スチュアート・リトル』のことを、「これは、ファンタジーです」って生徒に説明しているけれど、読者にわかるのかしら? ねずみレターのことをファンタジーと言ってるんだと思うかもしれない。それに、この本は翻訳が出ているんですから、邦題を書いておいたほうが親切です。

ジーナ:まあ、わからないところは、わからないなりに、子どもは読んじゃうんでしょうけれどね。

ネズ:43ページの「今朝はサミーラがはっぱの〜」って文章なんて、読点がまったくないのよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年12月の記録)