原題:DEAF CHILD CROSSING by Marlee Matlin, 2002
マーリー・マトリン/作 日当陽子/訳 矢島眞澄/絵
フレーベル館
2007-08
版元語録:アカデミー賞主演女優賞史上最年少受賞女優の、自伝的小説。耳が聞こえない少女ミーガンと、聞こえる少女シンディが交互に語る手法で、ふたりの心の成長をいきいきと鮮やかに描きます。
ハリネズミ:シチュエーションはおもしろいし、ミーガンという耳の聞こえない子と、となりに引っ越してきたシンディとの気持の交流もよく書けている。ただ、一番大事なキャラクターのミーガンがあまり魅力的に描かれてないのね。心の起伏はあって当然だし、いい子である必要もないんだけど、魅力的に書かれていないと、子どもの読者は入り込みにくい。ストーリー的にも、話の山場がなんなのか、どこがクライマックスでどこが解決点なのか、もっとはっきりしてる方がよかったかな。そして、もう少し翻訳を工夫してもらうとよくなる点もありました。たとえば地の文ですけど、基本的には三人称で書いてあるのに、一人称も頻出します。それが整理されてないので、小さい子が読むとわかりにくい。それと、会話体にもミーガンとシンディの差があまりないので、よけいどっちがどっちだかわからなくなっちゃう。細かいところではp130《「大きな声でうたって、シンディ。あたしたち、耳が聞こえないとでもいうの?」ミーガンがいうと、みんな笑った。》がピンときません。p145には、リジーがミーガンに、シンディへの手話の通訳をたのんでいますが、シンディは一応手話がわかるという設定ですから、何かの間違いかな。
メリーさん:とても読みやすくて一気に読みました。障害を持った子どもの物語というと、日本の創作の場合、暗くなったり、不自然にシリアスになりがちなのですが、この本は主人公がとにかく明るい。自分のほうから「私、耳が聞こえないんだよ」と言って、友だちにアプローチするというところがおもしろいなと思いました。途中で訳文の主語がはっきりせずに、どちらがどちらの言葉かわからなくなるのは、ちょっと問題だなとは思いましたが……。キャンプのシーンで、シンディが、自分は耳の聞こえない子のグループに入るのか、健常者のグループに入るのか悩むところがありますが、あの場面はもっと盛り上がってもいい。もう少し彼女のゆれる心情を書き込んでもいいのではないかと思いました。
ウグイス:女の子2人の友情物語っていうのはよくあるけれど、このシチュエーションは珍しい。障碍も1つの個性であるっていう視点で書かれているのは好感が持てるわね。けれども、ハリネズミさんも言ってたけど、書き方にわかりにくいところがあるの。かぎカッコで書かれた会話部分と、地の文の中に一人称で書かれた部分があり、読みにくいんです。ミーガンの側から書いている部分とシンディの側から書いている部分が交互なんだけど、それが同じ調子なので、区別がつかないんですよね。もっと個性の差が出ていれば読みやすいんだけど。会話がこれだけ多いと、翻訳の文体に左右されちゃうと思うんですよね。しゃべり方に性格が表れるから。それに、明るい感じはいいけど、ミーガンの性格としゃべっている言葉に違和感がありましたね。ミーガンに今ひとつ魅力が感じられないのは、言葉づかいからくるのかもしれません。手話で会話しているところがたくさん出てくるんだけど、活字で書いてあるのを手話でやっていると想像するのも、ちょっとわかりにくいかな。
カプチーノ:私は5年生を担任しています。この本は高学年課題図書の1冊です。「読んでみない」と子どもたちに勧めたところ、子どもたちは順番を決めて喜んで手にしていましたが、「先生、なんかわかりにくい。」「絵はいいのに、読みにくい。」と不評でした。「話がおもしろくないの?」と聞くと「むずかしい。」「言葉がわからない。」「だれが言っているかわからないから……。」私も読んでみたところ、子どもたちが言っていたことがわかりました。主人公のことが書いてあると思ってたら、友だちの方から見て書いてあったりするから、わかりにくかったのでしょうね。主人公が前向きな明るい女の子だというところには、好感をもちました。手話が太字でわかりやすいです。書名と内容の関係も、よくわかりませんでした。そういえば『耳がきこえないエイミーのねがい』(ルー・アン・ウォーカー/著 マイケル・エイブラムソン/写真 偕成社)という本もありましたね。この本を読んでいて思い出しました。表紙の絵がいいと思います。
ネズ:課題本の3冊のうちで、この本だけタイトルを知っていて期待して読んだのですが……。実は、最初の何ページかを読んでやめてしまったんです。とにかくつまらなくて! 他の2冊を読んでから、もう一度トライして、最後まで読みましたけどね。みなさんがおっしゃるように、大人が読んでもミーガンとシンディのどっちが耳が聞こえないのか、わからなくなっちゃうんですよね。翻訳に問題があると思いました。こういう内容だったら、ですます調でわかりやすく訳しても、よかったんじゃないかしら。それに、1章ごとにミーガンの視点、シンディの視点と代わりばんこになっているでしょう? そのへんで何か編集の工夫はできなかったのかしら。テーマや内容はとても良いのに、残念です。課題図書になったという話ですけど、先生に「読め、読め」とプレッシャーをかけられる子どもたちもいると思うと気の毒。もっとも、読みにくいものを頑張って読むと、読む力がつくかも!
ジーナ 私は飽きることなく、けっこうおもしろく読みました。ミーガンとシンディが、お互い内心いやだと思うことをうまく伝えられなくてぎくしゃくしてしまうところがおもしろかったです。ひっかかったのは、「クール」とか「セクシー」という言葉。どちらも日本の小学生には意味が伝わらないんじゃないかしら。
ウグイス:「こうまんちき」っていうのも最近使わないわよね。
みっけ:私は、かなり元気のよい話でおもしろいな、と思いました。確かに途中でどっちがどっちかわからなくなる、と思いましたが。後ろの作者紹介を見ると、作者自身が聾であるということで、なるほどなあ、と思わせられるところがいろいろありました。たとえば、キャンプでみんなが笑っているんだけれど、自分はなぜみんなが笑っているのかがわからなくて疎外感を感じ、ついつい疑心暗鬼になってしまうとか、そういった細かい実感があちこちに埋め込んであるのがいいなあ、と。聾の子どもが聾同士で固まってしまいがちだ、という話を聞いたことがあるんですが、そうなるのも無理はないなあとか、けっこう発見がありました。それと、冒頭がミーガンから始まっているのが、おもしろい。今までに私が読んだ本では、障碍がある子の友達の視点から書かれているものが圧倒的に多かったんだけれど、この本は耳が聞こえない子の視点から入っていくんですよね。そこでちょっとドキッとする。そういうふうにいろいろと魅力的なところがあるんだけれど、物語としての印象がなんとなく散漫なのは、エピソードを盛り込みすぎているからかもしれませんね。さらにふくらませればおもしろくなりそうなエピソードがいくつもあるのに、全部駆け足で紹介している感じで、ちょっとあわただしい。もったいない気がしました。ただ、ミーガン自身のキャラクターについていえば、元気が余って乱暴、みたいに描かれているのを読んでいて、『リバウンド』(エリック・ウォルターズ、福音館書店)に登場する車いすの転校生デーヴィッドを思い出しました。まあ、デーヴィッドほど鬱屈してはいないにしても、やはり、とんがるぐらいにがんばっていないと、押しつぶされそうになるのでしょうし、ミーガンがそれほど魅力がない子どもだとは思いませんでした。たとえば、電話が大嫌いだというエピソード一つとっても、耳が聞こえる人たちに囲まれて暮らしていると、自分が感じていることをわかってもらえずに、いらだつ場面はたくさんありそうだから。
ハリネズミ:大人は作者自身が聾者だとわかって共感するかもしれないけど、子どもにはおもしろくないと。そうじゃないと、「聾者のことをわかってあげなさい」というメッセージばかりが全面に出てしまうと思うのよね。
ウグイス:主人公が9歳だから、中学年向きの本だけど、読みにくかったら致命的。読みなれている子なら、薦められれば読めるかもしれないけど、このくらいの年の子が読むもので読みにくかったら、本を閉じてしまうでしょうね。
(「子どもの本で言いたい放題」2008年12月の記録)