わたしのなかの子ども

シビル・ウェッタシンハ『わたしのなかの子ども』
『わたしのなかの子ども』
原題:CHILD IN ME by Sybil Wettasinghe, 1995
シビル・ウェッタシンハ/著 松岡享子/訳
福音館書店
2011.02

版元語録:スリランカを代表する絵本作家の著者が、緑に囲まれた小さな村で心豊かに過ごした子ども時代の記憶を鮮やかに描いた物語。60余点の挿絵が当時の様子を生き生きと語ります。

メリーさん:今回の3冊を読んで、子どもの本とは何かということをいろいろ考えました。この本はとてもいい本だと思うのですが、基本的に大人向けの本だと感じました。ただ、日本とはまったく違う風景を描いているのに、自然に共感できるところはとてもいいなと。壁に絵を描く場面などは、作者の原点だと思います。湯本香樹実さんが新聞にこの本の書評を書いていて記憶とは現在の一部だと言っています。子どもにはある程度の説明をしてあげないといけないとは思いますが、手にとってもらいたい1冊です。

レン:とてもおもしろかったです。今の日本の子どもとまったく違う生活ですが、大人の私はひきこまれました。特に、まわりの大人たちの輪郭がはっきりしているところがいい。おとなのひとりひとりが堂々と自分なりの生き方をしていて、そこから子どもがよいも悪いも学んでいるんだなと思いました。けれど、今回とりあげた本はどれも、子どもが読む本という感じがしませんでした。この本はルビもないので、もともと子どもに手わたすように作っていないのでは。

優李:ウェッタシンハさんの絵本は、図書室の定番でかなりそろえていますが、この本は小学生向けではなく、司書が読むものかなと思いました。

トム:その世界が遠い気がした。スリランカという国のイメージが感覚として自分のなかに描けないからかもしれません。においや、風など…。80年以上前の生活が、今、いろいろな世代の中で育つ子どもにどう受けとめられるんでしょう?

アカザ:善意の人々が出てくる、宝石箱のような物語ですね。80年以上も前のスリランカの暮らしを丁寧に描き、食べ物や自然の描写など楽しんで読みましたが、正直言って最後のほうになると少し飽きてきました。子どもの読者には、読みつづけるのが難しい話かもしれませんね。わたし自身はピエール・ロチの『お菊さん』を深い意味も分からずに愛読していたような子どもだったので、自分の知らない世界について淡々と描かれた本が好きな子どもは喜んで読むと思いますが、やっぱり大人向けの本ではないかしら。この時代、スリランカはイギリスの植民地で、著者はイギリス文化の影響を受けて、経済的に豊かな生活をしています。読み始めたときは『大草原の小さな家』に似ているかなとも思ったのですが、貧しさとか労働が出てこない点が決定的に違っています。民族に伝わる文化を伝えていくというのはとても大切なことですが、そういうものは経済的に豊かな人々のあいだに受け継がれていくものなのだろうかと、少々複雑な思いを抱きました。対照的な作品として今江祥智の『ひげがあろうがなかろうが』(解放出版社)を思いだしました。

ajian:たしかに、基本的にはとても恵まれている家族のお話ではないかと思いますが、スリランカの人々の生活についてはほとんど何も知らないし、まして子どもの視点から書かれたものを読むことはないので、とても貴重な本だと感じました。なんといっても絵が素晴らしいです。料理の仕方について書かれたところや、縄をなうくだりなど、生活のこまごまとしたところが描かれているのがじつに面白い。悪魔が登場するところは、子どもの頃、祖母から、早く寝ないと山の向こうから何かが僕を連れにやってくるよ、と言われたのを思い出しました。子どもにとっては、怪異なものってずっと身近に感じられるような気がしますが、スリランカの子どもも同じなのかと。ただ、こういう楽しみ方っていうのは、こちらがある程度大人になっているからで、そういう面では、子どもが読むのではなく、大人が読んでおもしろい本ではないかと思います。

優李:子どもの目から見た自分のまわりの世界が、生き生きと詳しく描かれていたので、とてもおもしろかった。かなり裕福な環境で、身近な大人によって「悪意」というものが遠ざけられ、護られていることがよくわかり、そのような環境で育てられることが、自分の個性を生かして自立することを促すのかなあ、などと考えさせられました。ただその一方で、当時のスリランカには大勢のもっと貧しい人々もいたはずなので、そういう人たちの生活はどうだったのだろう、と思いました。そのようなことを知る手がかりになるような資料も、あれば読んでみたい。ここに出てくる大人たちは、みんな素朴で個性豊か。自分の生き方を取り繕うことなどしないで、ありのままの感情を表現して生きている。子どもに対するお母さんの生き方もとても魅力的です。「物売り」の人たちが村にやってくる場面など、昔の日本にもあった「お楽しみ」が本当におもしろかったので、そういう意味でも大人が読むものかも、と思いました。

うさこ:主人公が6歳の記憶を鮮明に描いた記録集。エッセイとはちょっと違うかな。章のタイトルの入れ方が、一編の詩のような感じがして、このあたりの「作り」がおもしろいなあ、と。その家の独特な暮らしとか独特の儀式がとてもおもしろかった。文章はわりと単調だったが、いろいろな想像が膨らんで興味深く読めた。幼い頃は住んでいるところがその子の世界のすべて。その場所や時間を離れて、時間がたって振り返ってみると、その時の日常はまるで別世界のできごとに思える。そこがあって今の自分がある。当時の記憶をここまで鮮明に覚えているのかともちょっと疑問だったが、これはこの人の「作品」として読めばいいんだと思った。

アカシア:小さいときに本当に守られていた子どもの物語ですね。まわりには、守られていない子どももいっぱいいたのでしょうけど、そういう子とは違う。守られていた子どもこそ感受性が強くなり、物語が書けるようになるのかもしれませんね。私はこの作家の『かさどろぼう』(猪熊葉子訳 徳間書店)がとても好きなんですけど、ああした絵本と違ってこの本の挿絵は、リアルなものと漫画風のものが混在していますね。209ページの絵なんか、ひとりだけブタさんみたいな鼻の人がいますよ。そういう部分をふくめておもしろいことはおもしろいんですが、山あり谷ありのストーリーではないから、普通の子どもは読まないかもしれません。好きな子どもは読むでしょうけど。

レン:そうですね。守られているけれど、管理されているわけではな。今の子どもたちの守られ方と違うんですよね。

アカシア:今の過保護な子どもたちは守られているとはいわないでしょう。

レン:スリランカは長く内戦で、たいへんな時代があったから、作者はこういうものを書いたのかもしれませんね。

アカザ:子どもの本はこうあるべき、ということで書いたのかな。身分の差はあったのかもしれないけど、この子の身のまわりには見えなかったのかもしれません。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年6月の記録)

わたしのなかの子ども

シビル・ウェッタシンハ『わたしのなかの子ども』
『わたしのなかの子ども』
原題:CHILD IN ME by Sybil Wettasinghe, 1995
シビル・ウェッタシンハ/著 松岡享子/訳
福音館書店
2011.02

メリーさん:今回の3冊を読んで、子どもの本とは何かということをいろいろ考えました。この本はとてもいい本だと思うのですが、基本的に大人向けの本だと感じました。ただ、日本とはまったく違う風景を描いているのに、自然に共感できるところはとてもいいなと。壁に絵を描く場面などは、作者の原点だと思います。湯本香樹実さんが新聞にこの本の書評を書いていて記憶とは現在の一部だと言っています。子どもにはある程度の説明をしてあげないといけないとは思いますが、手にとってもらいたい1冊です。

レン:とてもおもしろかったです。今の日本の子どもとまったく違う生活ですが、大人の私はひきこまれました。特に、まわりの大人たちの輪郭がはっきりしているところがいい。おとなのひとりひとりが堂々と自分なりの生き方をしていて、そこから子どもがよいも悪いも学んでいるんだなと思いました。けれど、今回とりあげた本はどれも、子どもが読む本という感じがしませんでした。この本はルビもないので、もともと子どもに手わたすように作っていないのでは。

優李:ウェッタシンハさんの絵本は、図書室の定番でかなりそろえていますが、この本は小学生向けではなく、司書が読むものかなと思いました。

トム:その世界が遠い気がした。スリランカという国のイメージが感覚として自分のなかに描けないからかもしれません。においや、風など…。80年以上前の生活が、今、いろいろな世代の中で育つ子どもにどう受けとめられるんでしょう?

アカザ:善意の人々が出てくる、宝石箱のような物語ですね。80年以上も前のスリランカの暮らしを丁寧に描き、食べ物や自然の描写など楽しんで読みましたが、正直言って最後のほうになると少し飽きてきました。子どもの読者には、読みつづけるのが難しい話かもしれませんね。わたし自身はピエール・ロチの『お菊さん』を深い意味も分からずに愛読していたような子どもだったので、自分の知らない世界について淡々と描かれた本が好きな子どもは喜んで読むと思いますが、やっぱり大人向けの本ではないかしら。この時代、スリランカはイギリスの植民地で、著者はイギリス文化の影響を受けて、経済的に豊かな生活をしています。読み始めたときは『大草原の小さな家』に似ているかなとも思ったのですが、貧しさとか労働が出てこない点が決定的に違っています。民族に伝わる文化を伝えていくというのはとても大切なことですが、そういうものは経済的に豊かな人々のあいだに受け継がれていくものなのだろうかと、少々複雑な思いを抱きました。対照的な作品として今江祥智の『ひげがあろうがなかろうが』(解放出版社)を思いだしました。

ajian:たしかに、基本的にはとても恵まれている家族のお話ではないかと思いますが、スリランカの人々の生活についてはほとんど何も知らないし、まして子どもの視点から書かれたものを読むことはないので、とても貴重な本だと感じました。なんといっても絵が素晴らしいです。料理の仕方について書かれたところや、縄をなうくだりなど、生活のこまごまとしたところが描かれているのがじつに面白い。悪魔が登場するところは、子どもの頃、祖母から、早く寝ないと山の向こうから何かが僕を連れにやってくるよ、と言われたのを思い出しました。子どもにとっては、怪異なものってずっと身近に感じられるような気がしますが、スリランカの子どもも同じなのかと。ただ、こういう楽しみ方っていうのは、こちらがある程度大人になっているからで、そういう面では、子どもが読むのではなく、大人が読んでおもしろい本ではないかと思います。

優李:子どもの目から見た自分のまわりの世界が、生き生きと詳しく描かれていたので、とてもおもしろかった。かなり裕福な環境で、身近な大人によって「悪意」というものが遠ざけられ、護られていることがよくわかり、そのような環境で育てられることが、自分の個性を生かして自立することを促すのかなあ、などと考えさせられました。ただその一方で、当時のスリランカには大勢のもっと貧しい人々もいたはずなので、そういう人たちの生活はどうだったのだろう、と思いました。そのようなことを知る手がかりになるような資料も、あれば読んでみたい。ここに出てくる大人たちは、みんな素朴で個性豊か。自分の生き方を取り繕うことなどしないで、ありのままの感情を表現して生きている。子どもに対するお母さんの生き方もとても魅力的です。「物売り」の人たちが村にやってくる場面など、昔の日本にもあった「お楽しみ」が本当におもしろかったので、そういう意味でも大人が読むものかも、と思いました。

うさこ:主人公が6歳の記憶を鮮明に描いた記録集。エッセイとはちょっと違うかな。章のタイトルの入れ方が、一編の詩のような感じがして、このあたりの「作り」がおもしろいなあ、と。その家の独特な暮らしとか独特の儀式がとてもおもしろかった。文章はわりと単調だったが、いろいろな想像が膨らんで興味深く読めた。幼い頃は住んでいるところがその子の世界のすべて。その場所や時間を離れて、時間がたって振り返ってみると、その時の日常はまるで別世界のできごとに思える。そこがあって今の自分がある。当時の記憶をここまで鮮明に覚えているのかともちょっと疑問だったが、これはこの人の「作品」として読めばいいんだと思った。

アカシア:小さいときに本当に守られていた子どもの物語ですね。まわりには、守られていない子どももいっぱいいたのでしょうけど、そういう子とは違う。守られていた子どもこそ感受性が強くなり、物語が書けるようになるのかもしれませんね。私はこの作家の『かさどろぼう』(猪熊葉子訳 徳間書店)がとても好きなんですけど、ああした絵本と違ってこの本の挿絵は、リアルなものと漫画風のものが混在していますね。209ページの絵なんか、ひとりだけブタさんみたいな鼻の人がいますよ。そういう部分をふくめておもしろいことはおもしろいんですが、山あり谷ありのストーリーではないから、普通の子どもは読まないかもしれません。好きな子どもは読むでしょうけど。

レン:そうですね。守られているけれど、管理されているわけではな。今の子どもたちの守られ方と違うんですよね。

アカシア:今の過保護な子どもたちは守られているとはいわないでしょう。

レン:スリランカは長く内戦で、たいへんな時代があったから、作者はこういうものを書いたのかもしれませんね。

アカザ:子どもの本はこうあるべき、ということで書いたのかな。身分の差はあったのかもしれないけど、この子の身のまわりには見えなかったのかもしれません。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年6月の記録)