佐和みずえ/作 かんべあやこ/挿絵
フレーベル館
2017.07
<版元語録>お母さんにひどい言葉を投げつけたまま、ひとりやってきた九州のじいじの家。そこは、昔ながらの活版印刷所「文海堂」。数えきれないほどの活字の海のなかで、ゆなのわすれられない夏休みがはじまります。
鏡文字:この作者の『パオズになったおひなさま』(くもん出版)には問題が多いと思っていたので、それよりはよかったかな、とは思いました。ただ、活版印刷ということを除けば、ありがちの話のようにも感じました。その活版印刷のことがどのくらいわかって書いているのかはちょっと疑問で、仕事の様子が今一つ伝わってきませんでした。活版印刷の工程を縷々説明していますが、抜けている作業があります。家内工業の印刷屋さんなのに、1日じゅう、がっちゃんがっちゃんと印刷機の音がずっとするというのも不自然。それから、活字を投げるところ、気になりました。そんなことしますか? あれは、活字を大切に扱わなくては、と告げるために無理に作ったシーンだな、と。ということで、決められた筋に則って引っ張っていくという感じがして、私はあまり楽しめませんでした。活版印刷をはさみこむなのど、本作りの工夫は感じたんですけどね。
レジーナ:活版印刷や職場体験など、テーマありきの印象をうけました。p28で「妹なんかいらない」と言ったゆなに、お父さんは、「そんなことしかいえないのか、なさけない!」と言いますが、やりとりが紋切型で、血肉のかよった登場人物には感じられませんでした。
ネズミ:私はそれほど批判的には読みませんでした。小学校中学年くらいに親しみやすい本だなと。ゆなが、思っていることをうまく表現できず、行ったり来たりする感じ、はりきっているのに空回りしてしまう感じがよく伝わってきて、小学生は共感をおぼえるのではないでしょうか。実際にお手紙がはさみこんであるのもいいなあと思いました。ただ、感情を表現した部分で、しっくりこないところがありました。p65「六年生のお兄さんとお姉さんが、まぶしくてたまりませんでした」は、そのあとに説明的な文で補足してあるので、どこかとってつけたような感じがしましたし、p70の「ぱあっと顔を赤らめて」の「ぱあっと」も、わかるようでわからない。個人の語感の問題かもしれませんが、そういう、ちょっとひっかかるところが、ちらほらとはありました。でも、全体としてはいい作品だと思いました。
西山:私は冒頭からひっかかってしまったんですよねぇ。「暑い……」とあるから、空港の建物から外に出たと思っていたのに、通路のガラス窓に飛行機の翼と夕焼け空が広がっているというし、「通路は冷房がきいていますが」と続くので、今どこにいるの?! となってしまった。出だしからひっかかったせいか、九州のラーメン=とんこつなので、わざわざ看板に「とんこつラーメン」とは書かないだろうとか(大分県は違うのかもしれませんが、未調査)、小さなことまでちょこちょこひっかかってしまいました。内容的に抵抗を感じるのは、お父さんやお母さんのあり方です。子どもに相談もなく祖父母の所へ行かせるのは、この作品に限らずよく見かけます。だから常々感じているのですが、児童文学も、子どもの権利にめざめてほしい。子どもを困難に直面させるための設定として人を動かしているように見えると楽しめません。せっかく中学年向きに、ていねいな本作りをしているのに、人間の描き方がていねいじゃないと感じました。
ネズミ:祖父母の家に行くのは、別に無理やりじゃなくてもいいかもしれませんよね。
西山:孫がいるのに、何年も行き来していないなんて、よほどの確執があるのかと思いましたよ。帰省が経済的に厳しい家とは思えませんから。なにしろ、お父さんは自らゆなを大分空港に送ってとんぼ返りするのですから。子どものひとり旅サービスを使うでもなく。
ケロリン:うーん、違和感はあるものの、描ききれていないということについては、ちょっと反論。小学校中学年向きの本は書くのも選ぶのも難しいと言われます。テーマもそうですが、文章量の問題もありますね。何を書いて何を書かないか、高学年向けの本よりも気を使うところかもしれません。お父さんやお母さんの描き方は、祖父母との関係に軸足を置くために、ここまでしか書かなかったということなんでしょうね。でも、お父さんが、最初はゆなとがんばろうとするけれど、やっぱり危険だと感じていくところは、けっしてゆなを責めるのではなく、自分へのいらだちも含めて、とてもわかりやすいシーンとして描かれていると思いました。とんこつラーメンは最後のシーンの伏線ですね。活版についてもどこまで書くかですが、このあたりでちょうどいいんじゃないでしょうか。よくある祖父母のもとに行って成長する話かと思いきや、ステロタイプの流れではなく、おばあちゃんが自分の人生のなかで後悔をしていることを話したりするところや、後悔を「穴ぼこ」と表現するところなどは、おもしろいと思って読みました。
マリンゴ: 冒頭を読んだ時点では、古いタイプの物語なのかなと思いました。お母さんの出産前に、よそに預けられる。行った先には、とてもやさしげなおじいちゃん、おばあちゃん。ちょっとステレオタイプかな、と。でも、そこから活版印刷の話に集約されていくので、そっちか!と興味深く読みました。作者の、活字に対する愛情が伝わってきました。おじいちゃんの後悔、おばあちゃんの後悔に、ゆなの後悔を重ねる、という描き方がとてもいいと思います。読んでいる子どもにとって、わかりやすい。何か後悔していることがある子は、ここに自分を重ねられるのではないでしょうか。
カピバラ:活版印刷のよさを伝えたい、という熱い思いからつくった本ですね。職人さんの心意気や手仕事のすばらしさはよく伝わってくるんですが、物語の設定はそれを説明するために作ったという感じがします。中学年向きだからとはいえ、描写が説明的なのが気になりました。さっきも出てきたp65の「……ゆなには、六年生のお兄さんとお姉さんが、まぶしくてたまりませんでした」ですが、お兄さん、お姉さんらしさをもっと仕草や素振りで伝えていれば、「まぶしい」と言わなくても、ゆなが「まぶしい」と思う気持ちが読者にも感じられる。そういう残念なところがすごく多いと思いました。また私も冒頭は読みにくかったです。読者は最初からゆなの目線で読みはじめるのに、p4に、「遠い九州までつれてこられたという緊張もあってか、ゆなのせなかは、汗でじっとりとしめっています」というナレーター目線の描写が出てくるのは違和感がありました。ノンフィクションではないので活版印刷のしくみはそんなにくわしく書かなくてもいいと思いますが、p72、p73の図解はわかりにくいです。印刷機がどうなっているのか、よくわかりませんでした。実際に活版印刷をした紙をはさんでいるのは、よかったと思います。最後に親子3人で赤ちゃんの名前の活字を拾う部分、ゆなが「あった!」と声をあげるのですが、一体どの活字だったのか、どんな名前なのか書いてほしかった。なんとなく美しげに終わらせているけど、不満が残る終わり方でした。それと、表紙の絵はどう見ても幼稚園児にしか見えず、心理描写も4年生にしては幼すぎるように思いました。
アカシア:今カピバラさんがおっしゃった夢の部分ですが、私もひっかかりました。「三人は目をこらして、文字の海を見つめています。/『あった!』/ゆなが声をあげました。/そして、うまれたばかりの赤ちゃんの名前の活字を、そっと拾いあげたのです」ってあるんですね。ここまで具体的な行為を書くのなら、やっぱりなんの字を拾いあげたのかを読者は知りたくなります。まだ赤ちゃんは生まれていませんが、それならゆなは、こういう名前がいいと思ったくらいのことは書いておかないと、この文章が宙に浮いてしまうように感じました。それから西山さんと同じように、冒頭の「暑い」と繰り返されるところですが、機体の中や空港は時として寒いと感じるくらい空調がきいてますよね。普通は空港から外へ出たときに暑さをはじめて感じるので、私も違和感がありました。私がいちばん気になったのは、あとがきの「言葉は、ときに人の心につきささるトゲとなることもあります。どうしてでしょうか。それは、真剣に言葉を選んでいないからかもしれません」という文章でした。ゆながお母さんに、「妹なんていらない」と言ってしまったことに対してこの文章が向けられているとしたら、とても残酷だなあと思ったんです。子どもは、自分より力がある存在に対して、トゲのような言葉をぶつけるしかないこともあるじゃないですか。それを「真剣に言葉を選んでいない」なんてお説教されても、子どもの心はすくいとることができないんじゃないでしょうか。活版印刷については、その魅力が伝わってくると思いました。私は、活版印刷はもうなくなったと聞いていたので、この本をきっかけに調べてみて、まだあちこちに残っているのがわかったのは収穫でした。活版で印刷したハガキがはさみこまれているのもいいなあ、と思いました。でも、これって、実際のハガキサイズの紙じゃ小さすぎてだめだったんでしょうか? 技術的に難しいのかな? あと「拝啓」ってずいぶん固い言葉ですが、手紙はこの言葉で始めるって学校で習うのかしら?
鏡文字:この作者は一卵性双生児だそうですが、二人で書いているので、決められた設定ありきになってしまうんでしょうか。
アカシア:物語が自然に生まれてきて、登場人物が動き出すというより、最初からきっちり流れを決めておいたうえで、分担して書いていくんですね?
マリンゴ:コンビで1つの作品を書かれるといえば、たとえば岡嶋二人さんもそうでしたね。
ルパン(みんなが言い終わってから参加):なにかの職業について調べて書く話としては、よくできていると思いました。が、主人公の葛藤や後悔が活版印刷とどう結びついているのか,私にはよくわかりませんでした。おじいちゃんが昔ながらのやり方にこだわっている理由もはっきりわからなかったし。ゆなが職人の手作業を見ることによって成長をとげる物語であるのなら、おじいちゃんの技術もほかの人にはできない特別なものでなくてはならないと思うし、ゆなの気持ちを変えるきっかけも活版印刷でなければ成り立たないものでないと、読者の共感が得られないと思いました。文字が反転することとか、紙に凹凸ができることとか、手で文字を組むこととか、活版印刷ならではのものがストーリーのカギになって何かが起こることを期待して読んでいたので、最後は拍子抜けでした。これならべつに活版印刷でなくてもいい話ではないかと思ってしまいました。ただ、ゆなが作った活版印刷の紙がはさまれているのはいいと思いました。これを読んだ子はきっとさわってみるでしょうし、図書館で古い本に出会ったときに活版の手ざわりを確かめるようになるかもしれません。
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エーデルワイス(メール参加):素直に読めました。挿絵がかわいすぎて、文章と合ってないような気がします。印象が深刻にならないように敢えてそうしたのでしょうか? 活版印刷にスポットを充てたのが新鮮でした。結菜の葉書が、活版印刷とはっきりわかるとよかったのに。私には違いがよく分かりませんでした。
(2019年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)