2019年02月 テーマ:母と娘、そのややこしき関係

日付 2019年2月26日
参加者 彬夜、アンヌ、カピバラ、アカシア、マリンゴ、ケロリン、西山、ネズミ、ハル、まめじか、ルパン、ツチノコ、(エーデルワイス)
テーマ 母と娘、そのややこしき関係

読んだ本:

安東みきえ『満月の娘たち』講談社
『満月の娘たち』
安東みきえ/著 ヒグチユウコ/装画
講談社
2017.12

<版元語録>どこにでもいる標準的見た目の中学生の私と、オカルトマニアで女子力の高い美月ちゃんは保育園からの幼なじみでママ同士も友だちだ。ある日、美月ちゃんの頼みでクラスで人気の男子、日比野を誘い、3人で近所の幽霊屋敷へ肝だめしに行ったのだが……。
魚住直子『いいたいことがあります!』
『いいたいことがあります!』
魚住直子/著 西村ツチカ/絵
偕成社
2018.10

<版元語録>小学6年生の陽菜子は、お母さんから家事も勉強もちゃんとするようにいわれている。洗濯物をたたみ、食器は洗い、料理のお手伝いもする。でも、お兄ちゃんはいそがしいから、家事はしなくていいらしい。納得できない気持ちをかかえるある日、陽菜子はふしぎな女の子と出会い、手帳をひろう。いろいろいいたいことがある、女の子のための物語。
リタ・ウィリアムズ=ガルシア『クレイジー・サマー』鈴木出版
『クレイジー・サマー』
原題:ONE CRAZY SUMMER by by Rita Williams-Garcia, 2010
リタ・ウィリアムズ=ガルシア/作 代田亜香子/訳
鈴木出版
2013.01

<版元語録>目立ちたがりでおませな次女ヴォネッタ。いざとなると勇敢な末っ子のファーン。そして、11歳の長女デルフィーンは妹たちのめんどうをみることを最優先するしっかり者。キング牧師が暗殺された年。母とくらしたことのない黒人の三姉妹がカリフォルニア州オークランドにむかう。ひと夏を母とすごすために。ひとつの願いを胸に秘めて。


満月の娘たち

安東みきえ『満月の娘たち』講談社
『満月の娘たち』
安東みきえ/著 ヒグチユウコ/装画
講談社
2017.12

<版元語録>どこにでもいる標準的見た目の中学生の私と、オカルトマニアで女子力の高い美月ちゃんは保育園からの幼なじみでママ同士も友だちだ。ある日、美月ちゃんの頼みでクラスで人気の男子、日比野を誘い、3人で近所の幽霊屋敷へ肝だめしに行ったのだが……。

彬夜:安東さんの作品は、ほとんど読んでいて、これも再読です。3組の母娘が出てきますが、基本的に繭の物語かなという気がしました。安東さんは比喩表現なども巧みで、とても文章が上手。たとえば、「プリンが崩れたみたいに、てれっと笑った」(p10)とか、「(サバが)アメリカンショートヘアーみたいな模様」(p142)とか。私は動物に詳しくないので知らなかったけれど、ネットでアメリカンショートヘアーを検索して、とても納得しました。随所にまだまだおもしろい表現があります。繭の物語と感じてしまったのは、一番深刻そうだからで、語り手=主人公である志保は、ある意味、母とけんかできる時点で健全だなと感じてしまったからでしょうか。志保はすごく冷静な子だと感じました。達観しているというか、冷めた目で世の中を見ているな、と。それから、ちょっと書きすぎ感があるかな、という気もしないではありませんでした。野間児童文芸賞の受賞作だし、おもしろく読みましたけれど、私はやはり、安東さんの短編作品の方が好きです。

アンヌ:うちの家族が珍しく表紙を見て「わあ、ヒグチユウコだ。おもしろい?」と訊いてきて、若者に人気のあるイラストレーターなんだと改めて思いました。私は、残念ながら前半のおもしろそうなやりとりに乗りそびれてしまったようです。そこに繭さんが出てきて、釈然としない人物だなと思っているところに、幽霊らしきものが出てくる。それなのに、助けたのかあの世に引きずり込もうとしたのかわからない、という展開では、幽霊も出てきた甲斐がなく、この親子の問題は曖昧なままで役割を終えた感じです。前半部については、p112の祥吉への恋心を書いておいて、ふと外すところとか、p153の月の話とか、いい場面や言葉がたくさん山あって附箋だらけなんですが、全体については、楽しめませんでした。

カピバラ:中学1年生の志保と美月と祥吉は保育園からの幼なじみで母親同士もよく知っている。3人の会話がテンポよく描かれており、時にアハハと笑いながら読めてドラマでも見ているようでした。幽霊屋敷を探検するというのも中学生にはおもしろいストーリーだし、ちょっとホラーっぽい、謎めいた独特の雰囲気があって、読ませる作家だと思います。でも繭さんの描き方は不自然なところもあり、実在する人のリアルな感じがしませんでした。作者が伝えたかったことは結局何なのか。母親のたった一言の呪縛から逃れられずに苦しむ娘の葛藤? 娘を愛しすぎるために娘を束縛する母の葛藤? 問題提起はいくつかありますが、解決するところまでは行っていないので物足りなさを感じました。タイトルや表紙デザインは魅力的でよかったけれど、男子をシャットアウトしているのが残念。

アカシア:私も安東さんの短編は好きですが、うますぎて子どもにはわかりにくい作品もあると思っていました。この作品のほうが子どもにもわかりやすいんじゃないでしょうか。幽霊話で引っ張っていくので一気に読めるし、ユーモアもあるし。私は、繭さんのことよりいろんな親子関係があるっていうことを書きたいのかと思いました。中心にいる3人は、それぞれ何かしら問題を抱えています。志保と美月は、母親としっくり行っていない。祥吉のお母さんはちゃんとしていて、祥吉は反発も感じていないし家の中に居場所がないとも感じていませんが、お父さんがそばにいません。私は、この本から、「家族はいろいろだ」し、「母親を全面的に正しいと思わなくてもいい」というメッセージを受け取りました。最近は、親子が無条件に絆で結ばれているわけではないと子どもの本でも言っていますが、ひと昔前までは、親子は愛の絆で結ばれているのが当たり前という書き方でした。そうでないのは、たとえばルナールの『にんじん』のように、とても稀な例外だった。だから私は、子どもの頃にこの本を読みたかったと思いました。こういう本がもしあったら、私は救われていたと思うんです。今だって、救われる子はいっぱいいると思います。最後の場面ですが、繭のお母さんが娘を守ろうとしたのか、それとも自分がいる死の方へ引っ張ろうとしたのかわからない、という意見がありましたが、私はわからないからこそいいんだと思います。どっちかに結論づけていたら、月並みになるか、オカルト物語かどっちかになる。わからないからこそ、割り切れない母子関係が立ち現れるんじゃないかな。私にとっては、好感度がとても高い作品でした。

マリンゴ: 素敵な作品でした。娘と母親を描く小説って、2人が向き合うタイプのものが大半だと思うのですが、この小説のなかには「月」という、象徴的なものが1つ加わるので、母娘関係を客観的に描くことができているのだと思います。とても余韻が残ったし、自分自身、母とのことを少し思い出したりもしました。先ほどの話にも出ましたが、私は「解決しない」のがいいと思いました。読者にはそれぞれ違う母娘関係があるから、何かピシッと結論を出されると、「自分とは違う・・・・・・」と感じてしまう人も多いのではないでしょうか。唯一、物語で気になったのは“匂わせ”部分。たとえばp19「でも、笑っているこの時には気づかなかったのだ。残り一パーセントの可能性ともうひとつ、怖いのは幽霊だけではないことに」を読んで、異世界に飛んで行ってしまうなど、よほど恐ろしいことが起きるのだと思ってしまいました。だから、警察署に連れていかれるという実際の展開も、本当ならじゅうぶんショッキングなのですが、自分の想像が激しすぎたので、なーんだそういうことか、と少しがっかりしてしまったのです。こういうふうに先を匂わせなくても、じゅうぶん怪しげな雰囲気は漂っているので、ないほうがかえって読者には親切かなと思いました。

ケロリン:母と娘とは、永遠のテーマなんでしょうね。反抗期からまだ抜け出ていない娘を持つ身としては、胸がイタタタとなりながら読みました。特に、繭さんをなぐさめるつもりで言った、「もしも私なら、最後に大嫌いって言われたってどうってことないわ。子どものついた悪態なんてなんでもない。覚えてもいないわ!」というセリフですが、母親ならなんてこともなく受け止めてるよ、という意味にも取れるのに、美月と志保には、子どもの言ったことを覚えてもいないなんて、勝手だと言われてしまう。母と娘ってこんなことの繰り返しなんでしょうね、とさらにアイタタタとなりました。しかし、今はフルタイムで働く母親も多く、本当に覚えてなかったりするのかも、と思うと、母と娘の関係も、少し前とずいぶん違ってきているのかもしれません。

ツチノコ:かなり好きなお話でした。文章のディティールや、表現で、いいなと思うところがたくさんありました。ヒグチユウコさんの表紙イラストや装丁の色遣いも素敵ですよね。幽霊の描写が中途半端だったり、作中に登場するいくつもの親子関係がどれも似通っているような気がしたり、なんだかしっくりこない部分もありましたが、最後の急展開で吹き飛びました。ラストシーンでは「サスペリア」という古い怪奇映画を思い出しました。館の崩壊と共に母娘関係の呪縛も解けたかのような不思議な爽快感、カタルシスがあります。繭さんがミニチュア作家というのも箱庭療法のようで象徴的ですよね。オビにある、「まるで神話のようだ。新しい時代の母娘の。」という梨木香歩さんのコメントが印象的でした。

西山:子どもたちのぽんぽんとしたやりとりがおもしろくて、ところどころ吹き出しました。例えば、p25の「孤独死」の勘違いなんておかしいし、はっとさせられる新鮮さもあります。p62後から4行目の「美月ちゃんのおばちゃんとうちのママは仲がいいけれど、意見の割れることも多いみたいだ」というくだりなんかも、母親たちの描写として新鮮に思いました。そうやっておもしろく読んでいたのですが、どうも繭さんが出てきたあたりから、つまらなくなってしまった。「お茶飲む? っていうみたいに、『ネコ、だく?』」(p73)と言う繭さん、これはまたおもしろい人が登場したぞと思ったのですが、彼女が危うくなってくるにつれて冷めてしまった。森絵都の『つきのふね』(講談社、角川文庫)と構図が似ているな、と思って。中学生の女の子ふたりと男の子ひとりが、心が壊れはじめた大人をなんとかしようとじたばたする、月が象徴的なモチーフ、クライマックスは火事だし・・・・・・と、そういう構図の類似性を興味深く思って読んでいる段階で、もう作品自体からはちょっと引いた読書になっていたんだと思います。美月ちゃんと志保が再会してせっかく仲良くしていたけれどぎくしゃくするといった、月並みな展開でなかったことなど全体的に好感は持っているのですが、私は、子どもたちが中心のドラマが読みたかったのかなと思います。

まめじか:母娘の複雑な関係性を繊細に描いた作品ですね。さきほど、表紙が女の子向けだという話がありましたが、私は、この本は女の子が読めばいいんじゃないかと。p245の、美月の母親の台詞は、パトリック・ネスの『怪物はささやく』(シヴォーン・ダウド原案 池田真紀子訳 あすなろ書房)を思いだしました。状況はまったく違いますが、『怪物はささやく』では、母親が死を迎えつつある現実を受けとめられず、怒りをぶつける子どもに、あなたの気持ちはぜんぶわかっていると、母親が言うシーンがありました。「子どもが自分のことをどう思ってるかなんて、気にしてらんないの。そんなひまはないのよ。きっとあんたのおかあさんも娘の言葉に傷ついたりしてないと思うわ。だからだいじょうぶ。なんにも悲しむことなんてない」(p245)という美月の母親の台詞は、どんなにわかりあえなくても結局母親の愛は絶対だという前提ですよね……?

彬夜:親の側から見ると、そう感じるということなんじゃないですか?

まめじか:子どもの気持ちがあって、それとは別に親の想いがあるのはわかるんですけど。母親は子どもを愛するものだという前提にこの本が立っているとして、でも、そうじゃない家庭も現実にはありますよね。子どもを愛せない親もいるし。それを書かなきゃいけないということではなくて、思ったのは、その前提は日本的だなと。血縁重視というか。いいとか悪いとかじゃなく。

西山:現役の中学生がどう読むのかとても興味深いですね。私たち大人が気にも留めないところに反応するのかもしれない。親世代子世代混ざって読書会をしたらおもしろそう。

ネズミ: 100ページまでしか読めてません。でも、まだ物語が本格的に始まっていないんですよね。会話のテンポはいいんですけど、『いいたいことがあります!』(魚住直子著 偕成社)と比べると、主人公に特徴があまりなく、読者をひっぱっていく機動力にやや欠ける感じもしました。あまり強引じゃないというのか。でも、日本の作家だからできる技だと思ったのは、美月を関西弁にして、主人公の会話と区別させているところ。こういうのは、翻訳だとできません。

アカシア:しかも中途半端な関西弁と断っているので、ちょっと変でも大丈夫なんですね。

ハル:はじめて読んだときは、「いいなぁ」と思いながらも、読後はどこかほんのり、古いというと語弊があるかもしれませんが、懐かしい感じもあって、少し前に出ていた本かな?と思った記憶があります。今回改めて読み直してみたら、会話もとてもおもしろく、生き生きとしていて、「古い感じ」という印象は抱かなかったのですが、強いていえば、繭さんというキャラクターが、ちょっと昔懐かしい感じがするのかなと思います。母親は母親で、これが親のつとめだと思っているし、娘は娘で、こんなに繊細なのかと思うほど、母親の何気ない一言に傷ついて、親子の関係って、どこの家も似たりよったりで、ずっと模索し続けていくものなのかなと思いました。

彬夜:ラスト近くの、繭の母親が引きずりこもうとしてるんじゃないかというシーン、怖いですね。結果的には、救うことになる。そこがおもしろいです。意図はわからなくていいと思います。ちなみに、安東さんはあるインタビューで「親は完全じゃない。不手際も、失敗も、言っちゃいけないことも言います。子供がそれを全くわからないまま『毒親』だと子供に言ってほしくない」と語っています。親から見る、という視点はかなりあったかと思います。

ルパン(みんなの話が終わってから参加):正直、あまり感動できませんでした。私には、志保とママとの確執があまりピンと来なかったんです。よその家の子に生まれたかったと思うほどの深刻な問題が見えてきませんでした。また、キーパーソンとなるべき繭さんの魅力があまり見えてきませんでした。繭さんが母親の呪縛にどう立ち向かってどう戦ってどう勝ったか、というプロセスがきちんと描かれていないと思ったんです。結局、母親や熊井さんがいないと生きていかれないことを露呈しただけのような。さらに、その繭さんを救うひとことになるはずだったと思われる美月ちゃんのお母さんのp245の言葉も、結果的に美月や志保を傷つけて終わったという、なにかとんちんかんなエピソードに思えてしまいました。さいごに志保はママに抱きしめてもらってよかった、というあっけない結末も、志保がそこまでママを嫌っていたことと結びつかず、拍子抜けしてしまいました。それに、繭さんや美月ちゃんはこれからどうなっていくのか、という疑問が残り、不完全燃焼的な読後感でした。

アカシア:志保のお母さんは管理的なので、感受性のするどい子どもにとっては嫌だと思います。客観的に見るとそうでなくても、子どもにとっては翼をもがれたみたいな気がするんじゃないかな。私にはその確執はリアルでしたが、そのあたりの感じ方は読者によって違うかもしれませんね。

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エーデルワイス(メール参加):会話がスマートで、どんどん読み進められました。印象に残った新鮮な文章がたくさんあり、すぐれた作家だと思います。表紙もいいですね。

(2019年02月の「子どもの本で言いたい放題」)


いいたいことがあります!

魚住直子『いいたいことがあります!』
『いいたいことがあります!』
魚住直子/著 西村ツチカ/絵
偕成社
2018.10

<版元語録>小学6年生の陽菜子は、お母さんから家事も勉強もちゃんとするようにいわれている。洗濯物をたたみ、食器は洗い、料理のお手伝いもする。でも、お兄ちゃんはいそがしいから、家事はしなくていいらしい。納得できない気持ちをかかえるある日、陽菜子はふしぎな女の子と出会い、手帳をひろう。いろいろいいたいことがある、女の子のための物語。

ツチノコ:読みやすくてメッセージも分かりやすく、おもしろかったです。自分が子どもの頃にこの本を読んでいたら、すごく感銘を受けたと思う! 子どもの頃は自分の親を一人の人間として客観的に見ることが難しいから、母親の悩みや過去に思いをはせることで何か気づきがあるかもしれない。家事分担や将来、友人関係についても絶妙なリアルさで描かれていて、読者が身近な問題を考え直すヒントになりそうだと感じました。

ケロリン:この作者は、女の子が主人公のお話が上手ですね。ハシモとのやり取りとか。スージーが出てきたとき、すぐに正体はわかったけれど、とても上手につないでいると思います。いつの世も、母親は自分の失敗を繰り返してほしくなかったりもして、いろいろアドバイスをするけど、うっとうしがられる。そんな気はちゃんちゃらないつもりでも、どこかで自分の付属物のように思ってしまっているのかもしれません。

マリンゴ:すっと頭に入ってくる物語で、とても読みやすかったです。魚住さんはほんと、女性と女性が関わりあう物語が特におもしろいなぁと思います。『Two Trains―とぅーとれいんず』(学研プラス)もそうですね。仲良くなったお姉さんが、実は昔のお母さんで、自分と今のお母さんをつないでくれる存在になる、という構造がとても効いているなぁと思いました。

アカシア:母親と娘の日常がリアル。リアリスティック・フィクションですが、ファンタジーの要素も入っている作品。そういうのは、うまくまとめるのが難しいと思いますが、これはとてもよくまとまっています。それに、子どもの側からだけじゃなくて、母親の視点もちゃんと描かれている。とてもおもしろく読みました。陽菜子は最後に自分の道を見つけたわけですが、それが具体的には塾にちゃんと通うだけというのはちょっと寂しいけど、主人公が成長したことは伝わってきますね。家事の分担に焦点をあてた書評もいくつか見ましたが、もっといろんなことを扱っている作品じゃないでしょうか。

カピバラ:子どもを思い通りにしたい母と、反発しながらも直接ぶつかれず、塾をさぼってしまう娘。6年生は母親に対していろいろ疑問を持つ年頃で、モヤモヤした気持ちを自分でももてあましている感じがよく描かれ、共感するところが多いと思います。スージーがお母さんの分身とはすぐにわかるけど、今のお母さんとはあまり結びつかないですね。スージーがお母さんだというのが、妹である恵おばちゃんの話でわかるわけですが、陽菜子自身がちょっとずつ「もしかしたら?」と気づいていくほうがおもしろかったんじゃないかな。気づく伏線がもっとあったらよかったのに。お兄ちゃんには家事をさせない、専業主婦を選んだ母親の、夫へのなんとなくの負い目など、男女差について読者に問いかけている部分がありますが、それがこの作品の主眼ではないですよね。6年生女子の微妙な友だち関係はうまく描けていると思いました。p 22 に、スージーが紺色のポロシャツを着ているとありますが、挿絵はどう見ても紺色には見えません。文と絵を合わせてほしかったです。

アンヌ:「あのさ、ごはんってだれでもたべるよね」(p179)で始まる言葉が、この物語を通しての陽菜子の成長のあかしだと私は感じました。家事は母親の仕事だと兄が言うのに対して、家事は生きていくための能力であり平等に誰もが身につけなくてはいけないものだと気づいて口にすることができたのは、よかった。陽菜子が日々感じてきた不満や不平等感が、母だけの責任ではないこと、男女間の不平等の問題に気づいたのだと思います。でも、兄にはその言葉が届かずただ怒っているように書かれているので、これでは母と娘だけの物語で終わってしまっていますよね。兄がこうでお父さんも同じだったら離婚かな?なんて心配しながら読み終りました。

彬夜:中表紙の紙が好き。これも再読でした。母子対立はあっても、重くなく、さらっとおもしろく読みました。ゆるやかにリアルという感じでしょうか。責められる子が出てこない。母子の対立を含みながらも、疲れている時でも読める本かもしれないですね。嫌な子は出てこないし。ご指摘のとおり、スージーはすぐにお母さんだとわかるけれど、それでいいと思いました。徐々にわかるほうがいいというカピバラさんのご意見には、なるほどと思いましたけど。おもしろい言い回しだなと思ったのが、「難しい大学」という言葉と、単身赴任の父を指して、「家族のレギュラーじゃない」という言葉です。

ハル:子どもの立場としては、一度くらいは親の子どもの頃を見てみたいと思うことはあると思います。「お母さん(お父さん)だって子どもの頃があったくせに、どうして子どもの気持ちがわからないんだ!」って。このお話は、ファンタジーとしてその願いを叶えてくれています。本を読むことの醍醐味だなと思います。手帳に書かれていた言葉は、自分にも確かにこういう時代があったなと思い出させてくれる、リアルさと力強さがありました。同世代の読者ならなおさら、「そうだ! そうだ!」と勇気づけられるだろうと思います。

ネズミ:おもしろく読みました。私もこんなふうに思われていたことがあったんだろうなって思いました。娘はずいぶん煙たがっていただろうなって。この本は、絶対的な権力者だった親が、ひとりの「人」になるときの感じを、とてもうまく表現していると思いました。スージーがお母さんだというのは、最初から読者にわかるように書いているのだろうと私も思ったんですけど、p141の、物置の屋根にあがって二階の窓から入った、というところで結びつくのがうまいなと思いました。登場人物の中で、陽菜子だけが、ここで「あっ」と思うでしょう。お兄ちゃんだけ甘やかしてという母親の行動は、私もちょっと古い感じがしましたが、友だちの描かれ方は好きでした。友だちに誘われて遊びにいくけど、実はその子たちには別の意図があったというところや、ハシモが絵をほめてくれるところ、心の機微が現れています。よかったです。

まめじか:この年頃は、親だって間違えるのだと気づきはじめ、少しずつ自立に向かう時期です。親に一方的な正しさを押しつけられれば、反発もします。親子といっても、別の人間なのだから、自然にわかりあえるわけではない。主人公の心の動きがていねいに描かれていて、感じのいい作品だと思いました。手帳にスージーが書いた言葉も、ストレートに胸に届きました。中学2年生で、ここまで自分の意見を整理して、言語化できるのかな、とは思いましたが。この子はしっかりしているので、できたのでしょうね。

西山:さらっと読めてしまったのだけど、変な言い方ですが、たぶんすごく上手。深い謎で引っ張っていくというわけでもないし、妙にとんがったところがなくて、でもそれを物足りないとは思いませんでした。多分すごく上手というのは、あのスージーの手帳の文章が、手書き風にフォントを変えて何度も出てきますよね。それが、そのたびに、ちゃんと読まされたように感じてはっとしたんです。コピぺに思えたら、中身は知っているわけですから飛ばし読みもできたはずなんですけど、その都度改めて読めて、腑に落ちていった気がします。これは絶妙な繰り返しなのじゃないか。作為を感じさせないけれど、そうとう練り上げられているのかもと思った次第です。お兄ちゃんにだけは、いらつきましたね。ドラマにはよく出てくるけれど、今更なパターンに思えてしまいました。

アカシア:母親がそういうふうにしむけているわけですよね。確かに古いですが、まだまだ実際はこういう家庭も多いんじゃないかな。じゃなかったら、日本はもっとよくなってるはずだもの。

西山:お父さんの描き方も絶妙ですね。p97で陽菜子がわかってくれるかどうか迷うけど、電話してみると案の定だったとか。それと、p132の挿絵があるところと、p153で、スージー/母親は両方とも丸い椅子に座っているんですよ。さらっと読めちゃうけど、細かい所までちゃんと考えられてるんですね。

ケロリン:ぜんぜん関係ないんですけど、スージーが最初に出てきたとき、とてもやせている絵だったので、やせていたので「スージー」っているあだ名になったというオチでは!?と思って読んでいました。(笑)

アカシア:この本には悪い子が出て来ないってところですけど、悪い子を書くと、悪いってだけで終わらなくなります。今は、なんで悪いのかを書かなきゃいけなくなるからね。『ワンダー』(R.J.パラシオ著 中井はるの訳 ほるぷ出版)だって、1巻目ではいじめっ子でしかなかったジュリアンから見た物語を2巻目の『それぞれのワンダー』で描かなきゃいけなくなる。悪い子を登場っせないのは、もちろん作家の「こうあってほしい」という願望もあるでしょうけどね。

西山:ひと昔、ふた昔前は、もっと陰湿でどろどろに展開するいじめ物語も多かったけれど、この本では「地元の中学に行く子をふやそうキャンペーン」(p114)だなんて、言葉選びもうまい。陽菜子に塾をサボらせた子たちも、それを伝えてくれたここちゃんも、不信感をこじらせて引っ張らない展開も、どれも私は好感を持って読みました。

ルパン(終わってから参加):今日話し合う3冊の中では一番おもしろかった作品です。主人公の陽菜子と昔のお母さんが出会う、という設定もいいと思います。ただ、息子には何もさせなくて、娘には家事をたくさんやらせる母親って、ちょっと古いかな、とは思いました。あと、陽菜子は行きたくなかった塾にまた行くようになりますが、ここちゃんの告白がなかったらどうなっていたかな、とも思いました。どちらかというと、小学生より保護者に読んでもらいたい作品かな。無意識に自分の思いを子どもに押し付けている親は今でもたくさんいると思うので。自戒もこめて。

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エーデルワイス(メール参加):これも、従来からある手法を使っていますが、読ませますね。p240の「子守歌をいつやめたらいいのか、つなぐ手をいつ離したらいいのかそれがわからない」など印象的な言葉も多いし。あれもこれもできないといけない女の子って大変ですね。流されない自分をもつことの大切さを感じました。

(2019年02月の「子どもの本で言いたい放題」)

 


クレイジー・サマー

リタ・ウィリアムズ=ガルシア『クレイジー・サマー』鈴木出版
『クレイジー・サマー』
原題:ONE CRAZY SUMMER by by Rita Williams-Garcia, 2010
リタ・ウィリアムズ=ガルシア/作 代田亜香子/訳
鈴木出版
2013.01

<版元語録>目立ちたがりでおませな次女ヴォネッタ。いざとなると勇敢な末っ子のファーン。そして、11歳の長女デルフィーンは妹たちのめんどうをみることを最優先するしっかり者。キング牧師が暗殺された年。母とくらしたことのない黒人の三姉妹がカリフォルニア州オークランドにむかう。ひと夏を母とすごすために。ひとつの願いを胸に秘めて。

アンヌ:知らないことばかりで驚きながら読んで行きました。ブラックパンサーがこんな風に人民センターを運営し、食事やサマーキャンププログラムで夏休みの子どもたちの世話をしていたんですね。いろいろと調べながら読まなくちゃと思っていたんですが、それにしても、なぜここまで注をつけないんでしょう。セシルはなぜ子供たちに来させたんだろうと読んでる間中思っていました。水一杯飲ませるのに、ここまで子供を怖がらせるとか、理解できないことが多すぎて。例えばp144でセシルが言う「わたしたちはつながりを切ろうとしているんだよ」の私たちは誰なのか?とか。勝手につながろうとするなと言いながら、デルフィーンにもっとわがままを言ってもいいと言うのはなぜなのかとか。セシルの言葉の中に、手掛かりを探していました。セシルの生い立ちを知っても、すっとわかるというわけでもなく、いまだ釈然としません。物語としてはおもしろく、とてもパワーがあってどきどきしながら読めました。ただ、時代についてもセシルについても本当にわかりにくく読みづらい本でした。

彬夜:物語そのものはおもしろく読みました。3姉妹のキャラもいいし、前半、ちょっと読むのがきついけど母親像もおもしろい。ラストもいい感じです。ただ、いまの日本の子どもが読んでわかるのかが疑問でした。主人公は11歳ですが、かなり大人びています。読者も高校生ぐらいなら、読めるんでしょうか。薄手の紙を使ったのか、見た目よりページ数も多く、けっこう長い物語です。いきなりカシアス・クレイが出てきて、まず、今の子知らないよ! と思ってたら、少し経つと、50年前の話であることがわかってくる。でも、公民権運動についての説明もないし、これ予備知識なしに、理解するのはハードル高いんじゃないでしょうか。私が読んでも、「世界の反対側」という表現には戸惑ったし、「有色人種」と「黒人」という言葉に、当時どういう意味を持たせていたのか、わかりません。注釈も少なく、読者を選ぶというか、あまり親切な作りになってないと感じました。こなれてない訳文も散見しました。日系のヒロヒト・ウッズという少年が出てくるんだけど、どういう考えがあって、ヒロヒトと名づけたんでしょうね? この少年の描写もちょっとひっかかりました。p147の「そんなに目が細くて~」というところ。そして、当時の職業観といえばそれまででしょうが、ジェンダーバイアスたっぷり(158p)で、やっぱり、今読む子への配慮がほしいな、と。
あとがきの文章を読むと、ワシントン大行進より先にケネディ暗殺があったような印象を与えてしまいます。それから、訳者は「ユーモアがあって」と解説していますが、そのユーモアは感じ取れなかったです。好きなところは、p173の「公園に名前をつけてもらうより、自分が公園にいたかったんじゃないの?」という言葉です。

ルパン:これは読むのが難しかったです。読んでいるときは、この母親がどうして子どもたちにこんな態度でいられるのか、そもそもどうして家庭を捨てたのか、というところがさっぱりわからなくて。全部読み終わってから、「きっとセシルは、白人に頭を下げて生きていくような姑や夫の生き方がいやだった…んだろうな」とか「子どもには、民族の誇りを表すような名前をつけたかったのに、ちがう名前をつけられていやだった…んだろうな」とか「父親はセシルの生き方を一度見せておこうと思ってわざわざ会いに行かせた…んだろうな」とか、「セシルは政治活動にかかわっているから、子どもに累が及ばないようにと思って冷たくした…んだろうな」とか、いろんなことを一生懸命考えたんですけど、それが合っているのかどうかもわからず、フラストレーションがたまりました。そもそも、これ、小学生が読んでわかるんでしょうか。せめてあとがきに「アフア」という名前のこととか時代背景のこととかを含めてもっとわかりやすい物語解説を書いてもらえたらよかったと思うのですが。さらに、あとがきに「全編がユーモアと愛とさりげない感動に満ちて」いるとありましたが、そうかなあ…? 少なくともユーモアはあんまり感じられませんでした。訳し方の問題かな? ネイティブが原語で読めばユーモラスに思えるのでしょうか?

ハル:日本の本にはなかなか登場しない母親像だなと思いましたが、とても難しかったです。時代背景のこともですが、母親が娘を置いて家を出た理由も、わかるような、わからないような……。自分の思想、信念を守るためにこういう選択をしたのかなとは思いますが。いつもなら「こんな難しい本じゃ伝わらない」とばっさりいくところ、この本に関しては、先ほどの「日本の本にはなかなか登場しない」母娘関係という意味で、わからないながらも読んでみて、世界にはこういう母娘もいるんだろうかと想像してみるのも良いのかなと思いました。とはいえ、末の娘の名前のところは、どうしてその名前にこだわったのかが、少なくとも日本語版からはまったくわからなかったので、そこはわかりたかったです。

ネズミ:お話として、とてもおもしろかったです。とても濃い。すべてを言語化しようとしていくところは、日本の作品にはないものですね。サンフランシスコに遊びにいくところ以外、舞台はほとんど変わらず、大きな山場のないストーリーなのに、この子がどうなるのか、読まずにいられなくなってくるところがすごい。我慢強いお姉さんのデルフィーン。感受性が豊かで、思いを外に出さず、どんどんひとりでためこんで、手のつけられない妹たちと一生懸命生きていて、いったいどうなるんだろうって。印象に残ったところがいくつもありました。たとえば、p100の6行目の「妹たちとわたしが話をするときは、いつもかわりばんこだ。……デルフィーン、ヴォネッタ、ファーン、デルフィーン、ヴォネッタ、ファーン」とか、p116の8行目「だれの心にも、ラララがある」とか。でも、訳文が不親切だと感じるところもぱらぱらありました。小学校高学年から中学生くらいの読者なら、もっとドメスティケーションしてよかったんじゃないかと思います。訳語だけ出されても、わからないところなどは。

まめじか:日本の作家は書かないテーマですし、骨太の作品だと思いました。でも、わからない部分がところどころあって。p84で、ブラックパンサー党の人が「この絵がどうかしたか」ときくんですけど、Tシャツの絵のことですよね? そのあと、主人公が、答えはわかってるというのは、どういう意味でしょう。この3姉妹は、かわりばんこに、歌をうたうみたいに話すと書かれていて、だから、原文でもそうなのかもしれませんが、p80やp170は、だれの言葉かわかりませんでした。子どもの本だったら、だれのせりふかわかるようにしたほうがいいかと。あと、母親の口調が乱暴なのが気になりました。品がないだけの人のように感じられて。p73「いいから、おまえ、さっさと飲みな。一滴も残すんじゃないよ」とか。男っぽい服を着て、詩人で、ほかのお母さんとは違うにしても、この言葉づかいでいいのかな・・・。

ツチノコ:当時の文化や固有名詞があまり分からないなりに、独特の空気感を楽しみました。公民権運動が盛んな時代のオークランドでのひと夏を疑似体験した気分で読書しました。社会背景を知らないと理解しづらい部分があるので、注や説明が少ないのは不親切だと思います。黒人だから誇り高くきちんとしないといけない、万引き犯に間違えられないように堂々としないといけない、といった自制心が痛々しくも健気で、11歳の女の子にここまで考えさせる社会の空気や人種差別の根深さが伝わってきました。一生懸命に健気に生きるデルフィーンたち3姉妹の姿がまぶしいです。この本でブラックパンサー党やハリエット・タブマンについて初めて知り、少し調べてみました。人種問題に興味を持つきっかけとしても、いい本だと思います。

ケロリン:昔の話だと思わずに読みはじめ、あ、昔なんだな、と思い軌道修正しながら読む感じでした。アメリカの1960年代でさらに黒人問題となると、子どもの読者には、物語に入っていくのに、かなりハードルが高そうだと思いました。しかし、大人の読者だと、緊張感を強いられながら生活している様子など、当時の状況を知ることができておもしろいと思いました。ただ、わからないのがセシルの気持ち。ここまで子どもたちに冷たく当たる理由を、文章から読み取ることができなかったです。特にデルフィーンは、母の行動にいちいち深く傷ついていく。だから最後に、娘たちが詩を朗読したり、犯人を見つけたりして大喝采を浴びたあと、娘たちと別れるシーンで娘たちをハグするシーンが、ちょっと嫌な感じに思えてしまいました。うまくやったから娘たちをハグしたように思えて・・・。物語がよく読み取れなかったのかもしれません。でも、日本の作品だったら、これだけわからないところがあると、けちょんけちょんに言われるのに、翻訳だと「わからないけど雰囲気はいい」みたいに言われたりするんですよね。それが、下駄履かされてるみたいで、嫌です。翻訳物って、もともと自分がわからない世界だから、想像で補って成立するところはあるんだけど、このお母さんのことは、もっとちゃんと知りたかったですね。

ネズミ:でも、p145の「デルフィーン、もっとわがままをいっても死にはしないよ」って声をかけるところなど、お母さんの変化が感じられますよね。

マリンゴ:なぜだか読みづらかったです。終盤、引き込まれていって、盛り上がってよかったなとは思うのですけれど。文体の問題なのかどうなのか、お母さんのセリフにも馴染めないものがあって、中盤までスムーズに読めなくて、しんどい読書体験でした。描かれている社会背景は興味深かったです。キング牧師やマルコムXについてはそこそこ知っているつもりでしたが、ブラックパンサー党の具体的な活動や人民センターの様子など、初めて知ることもたくさんあり、勉強になりました。

アカシア:クレイジーって言葉ですが、タイトルだけじゃなくて、お母さんもクレイジーだし、クレイジー・ケルヴィンも出て来るし、原書ではそれで全体の雰囲気もかもしだしているんでしょうね。ただ日本語にするのが難しい言葉なので、訳文ではそのまま「クレイジー」だったり「どうかしている」だったり「頭のおかしな」だったり、いろんな訳し方がされています。私も、お母さんがなぜ家を捨てたのか、なぜ3人の娘に会っても冷淡なのかというのは、最後まで読んでもわからないままでした。
この作品は、ニューベリー賞オナー、全米図書賞ファイナリスト、コレッタ・スコット・キング賞、スコット・オデール賞などすごくたくさん賞をとっているんですね。続編もあと2冊あって、そっちも賞をとっている。だから、もっとおもしろい作品のはずなんです。それが、日本語で読むとそれほどおもしろくない。その理由の一つはもちろん、アフリカ系の人たちの歴史や文化が日本ではあまり知られていないからだと思います。でも、もう一つの理由は、翻訳なのかなと思いました。原文の一部がアマゾンで読めるんで、読んでみたら、けっこうニュアンス違うなあとか、訳をもう少していねいにしてもらえれば、と思うところがありました。たとえば、p3の「自分と妹たちを力いっぱいシートに押さえつけて」は日本語として変だし、p5の「(父親が)自分もいっしょにくるわけじゃない」だと、父親も母親も娘たちに冷淡なようにとれますが、原文では「私たちを行かせたいわけじゃなかった」となっているので、父親はもっと思慮深いイメージです。全文を比較したわけではないので、この先は単なる想像ですが、もしかしたらセシルについても、原文ではちゃんと理解できるように書かれているんじゃないでしょうか。この訳者の方は、うまいなあと思う作品もいっぱいあるのですが、この作品は相性が悪かったのかな。セシルの口調も荒っぽく訳されているせいか、考えの足りない人のように思えて、最後のハグも、ケロリンさんのおっしゃるように自分で想像力を思いきり膨らませないかぎり、とってつけたように思えてしまう。残念でした。
あと、ブラックパンサー党が政治活動だけじゃなくて、貧しい人たちのための活動をいろいろとしてたことは伝わってきますね。ただ、英語だとpeopleだけど日本語だと「人民」と固い語になってしまいますね。

ネズミ:注があまりないと思いました。入れない方針だったんでしょうか。

アンヌ:固有名詞については、前半のp6、p7、p9、p63、p91等に、かっこで注が入っているものもありますね。でも、例えば「赤い中国」(p103)などの歴史的事実について、どこかに注があればもっと読みやすかったと思います。

カピバラ:わからないところはいろいろ、たくさんありましたけど、デルフィーンがあまりにも健気なので、この子が最後に幸せになるところを見たい一心で、深く考えずに先を急いで読んでしまいました。今回の課題3冊は、主人公が同年齢ですが、日本の2冊とは外の世界に対する気持ちのはりめぐらし方、緊張感の度合いに雲泥の差があります。日本の主人公たちには、デルフィーンに比べたら、あなたたちの悩みなんて何ほどのものでもないよ、と言いたくなるほどでした。私も最後がいちばんわからなくて、ハグさえしてもらえば、それでよかったのかな、と疑問に思いました。細かいところでは、情景をわかりやすくするために固有名詞を使った比喩がふんだんに使ってあるのですが、スニーカーを「原始家族フリントストーン」のフレッドみたいに引きずってピタッと止まった。(p202)、マイクをダイアナ・ロスみたいに握ると(p254)、ハリウッドの黒いシャーリー・テンプルだといわれたみたいに舞い上がった(p262)など、日本の読者にはかえってわかりにくくなってしまっています。

彬夜:読者対象はどうなんでしょうね?

カピバラ:5、6年から中学生を対象にしていると思いますが、中学生でも難しいんじゃないでしょうか。

ケロリン:ルビの付け方を見ると、中学生向けのようです。

カピバラ:サラ・ヴォーンとかスプリームスとか言われても全くわからないでしょうからね。それに、スプリームスって、シュープリームスですよね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

エーデルワイス(メール参加):主人公のデルフィーンがとても健気だし魅力的ですね。まだまだ黒人差別がはっきりある時代に、毅然として態度をとり続けるのは並大抵のことではないのだと思いました。最初はセシル(ンジラ)のことを何様?と思っていましたが、だんだん素敵に思えてきました。幼い娘三人を残してなぜ家を出たのか、ジュニアに理解できるのかな?

(2019年02月の「子どもの本で言いたい放題」)

 

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2019年02月 テーマ:母と娘、そのややこしき関係

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『2019年02月 テーマ:母と娘、そのややこしき関係』
日付 2019年2月26日
参加者 彬夜、アンヌ、カピバラ、アカシア、マリンゴ、ケロリン、西山、ネズミ、ハル、まめじか、ルパン、ツチノコ、(エーデルワイス)
テーマ 母と娘、そのややこしき関係

読んだ本:

安東みきえ『満月の娘たち』講談社
『満月の娘たち』
安東みきえ/著 ヒグチユウコ/装画
講談社
2017.12

<版元語録>どこにでもいる標準的見た目の中学生の私と、オカルトマニアで女子力の高い美月ちゃんは保育園からの幼なじみでママ同士も友だちだ。ある日、美月ちゃんの頼みでクラスで人気の男子、日比野を誘い、3人で近所の幽霊屋敷へ肝だめしに行ったのだが……。
魚住直子『いいたいことがあります!』
『いいたいことがあります!』
魚住直子/著 西村ツチカ/絵
偕成社
2018.10

<版元語録>小学6年生の陽菜子は、お母さんから家事も勉強もちゃんとするようにいわれている。洗濯物をたたみ、食器は洗い、料理のお手伝いもする。でも、お兄ちゃんはいそがしいから、家事はしなくていいらしい。納得できない気持ちをかかえるある日、陽菜子はふしぎな女の子と出会い、手帳をひろう。いろいろいいたいことがある、女の子のための物語。
リタ・ウィリアムズ=ガルシア『クレイジー・サマー』鈴木出版
『クレイジー・サマー』
原題:ONE CRAZY SUMMER by by Rita Williams-Garcia, 2010
リタ・ウィリアムズ=ガルシア/作 代田亜香子/訳
鈴木出版
2013.01

<版元語録>目立ちたがりでおませな次女ヴォネッタ。いざとなると勇敢な末っ子のファーン。そして、11歳の長女デルフィーンは妹たちのめんどうをみることを最優先するしっかり者。キング牧師が暗殺された年。母とくらしたことのない黒人の三姉妹がカリフォルニア州オークランドにむかう。ひと夏を母とすごすために。ひとつの願いを胸に秘めて。


満月の娘たち

安東みきえ『満月の娘たち』講談社
『満月の娘たち』
安東みきえ/著 ヒグチユウコ/装画
講談社
2017.12

<版元語録>どこにでもいる標準的見た目の中学生の私と、オカルトマニアで女子力の高い美月ちゃんは保育園からの幼なじみでママ同士も友だちだ。ある日、美月ちゃんの頼みでクラスで人気の男子、日比野を誘い、3人で近所の幽霊屋敷へ肝だめしに行ったのだが……。

彬夜:安東さんの作品は、ほとんど読んでいて、これも再読です。3組の母娘が出てきますが、基本的に繭の物語かなという気がしました。安東さんは比喩表現なども巧みで、とても文章が上手。たとえば、「プリンが崩れたみたいに、てれっと笑った」(p10)とか、「(サバが)アメリカンショートヘアーみたいな模様」(p142)とか。私は動物に詳しくないので知らなかったけれど、ネットでアメリカンショートヘアーを検索して、とても納得しました。随所にまだまだおもしろい表現があります。繭の物語と感じてしまったのは、一番深刻そうだからで、語り手=主人公である志保は、ある意味、母とけんかできる時点で健全だなと感じてしまったからでしょうか。志保はすごく冷静な子だと感じました。達観しているというか、冷めた目で世の中を見ているな、と。それから、ちょっと書きすぎ感があるかな、という気もしないではありませんでした。野間児童文芸賞の受賞作だし、おもしろく読みましたけれど、私はやはり、安東さんの短編作品の方が好きです。

アンヌ:うちの家族が珍しく表紙を見て「わあ、ヒグチユウコだ。おもしろい?」と訊いてきて、若者に人気のあるイラストレーターなんだと改めて思いました。私は、残念ながら前半のおもしろそうなやりとりに乗りそびれてしまったようです。そこに繭さんが出てきて、釈然としない人物だなと思っているところに、幽霊らしきものが出てくる。それなのに、助けたのかあの世に引きずり込もうとしたのかわからない、という展開では、幽霊も出てきた甲斐がなく、この親子の問題は曖昧なままで役割を終えた感じです。前半部については、p112の祥吉への恋心を書いておいて、ふと外すところとか、p153の月の話とか、いい場面や言葉がたくさん山あって附箋だらけなんですが、全体については、楽しめませんでした。

カピバラ:中学1年生の志保と美月と祥吉は保育園からの幼なじみで母親同士もよく知っている。3人の会話がテンポよく描かれており、時にアハハと笑いながら読めてドラマでも見ているようでした。幽霊屋敷を探検するというのも中学生にはおもしろいストーリーだし、ちょっとホラーっぽい、謎めいた独特の雰囲気があって、読ませる作家だと思います。でも繭さんの描き方は不自然なところもあり、実在する人のリアルな感じがしませんでした。作者が伝えたかったことは結局何なのか。母親のたった一言の呪縛から逃れられずに苦しむ娘の葛藤? 娘を愛しすぎるために娘を束縛する母の葛藤? 問題提起はいくつかありますが、解決するところまでは行っていないので物足りなさを感じました。タイトルや表紙デザインは魅力的でよかったけれど、男子をシャットアウトしているのが残念。

アカシア:私も安東さんの短編は好きですが、うますぎて子どもにはわかりにくい作品もあると思っていました。この作品のほうが子どもにもわかりやすいんじゃないでしょうか。幽霊話で引っ張っていくので一気に読めるし、ユーモアもあるし。私は、繭さんのことよりいろんな親子関係があるっていうことを書きたいのかと思いました。中心にいる3人は、それぞれ何かしら問題を抱えています。志保と美月は、母親としっくり行っていない。祥吉のお母さんはちゃんとしていて、祥吉は反発も感じていないし家の中に居場所がないとも感じていませんが、お父さんがそばにいません。私は、この本から、「家族はいろいろだ」し、「母親を全面的に正しいと思わなくてもいい」というメッセージを受け取りました。最近は、親子が無条件に絆で結ばれているわけではないと子どもの本でも言っていますが、ひと昔前までは、親子は愛の絆で結ばれているのが当たり前という書き方でした。そうでないのは、たとえばルナールの『にんじん』のように、とても稀な例外だった。だから私は、子どもの頃にこの本を読みたかったと思いました。こういう本がもしあったら、私は救われていたと思うんです。今だって、救われる子はいっぱいいると思います。最後の場面ですが、繭のお母さんが娘を守ろうとしたのか、それとも自分がいる死の方へ引っ張ろうとしたのかわからない、という意見がありましたが、私はわからないからこそいいんだと思います。どっちかに結論づけていたら、月並みになるか、オカルト物語かどっちかになる。わからないからこそ、割り切れない母子関係が立ち現れるんじゃないかな。私にとっては、好感度がとても高い作品でした。

マリンゴ: 素敵な作品でした。娘と母親を描く小説って、2人が向き合うタイプのものが大半だと思うのですが、この小説のなかには「月」という、象徴的なものが1つ加わるので、母娘関係を客観的に描くことができているのだと思います。とても余韻が残ったし、自分自身、母とのことを少し思い出したりもしました。先ほどの話にも出ましたが、私は「解決しない」のがいいと思いました。読者にはそれぞれ違う母娘関係があるから、何かピシッと結論を出されると、「自分とは違う・・・・・・」と感じてしまう人も多いのではないでしょうか。唯一、物語で気になったのは“匂わせ”部分。たとえばp19「でも、笑っているこの時には気づかなかったのだ。残り一パーセントの可能性ともうひとつ、怖いのは幽霊だけではないことに」を読んで、異世界に飛んで行ってしまうなど、よほど恐ろしいことが起きるのだと思ってしまいました。だから、警察署に連れていかれるという実際の展開も、本当ならじゅうぶんショッキングなのですが、自分の想像が激しすぎたので、なーんだそういうことか、と少しがっかりしてしまったのです。こういうふうに先を匂わせなくても、じゅうぶん怪しげな雰囲気は漂っているので、ないほうがかえって読者には親切かなと思いました。

ケロリン:母と娘とは、永遠のテーマなんでしょうね。反抗期からまだ抜け出ていない娘を持つ身としては、胸がイタタタとなりながら読みました。特に、繭さんをなぐさめるつもりで言った、「もしも私なら、最後に大嫌いって言われたってどうってことないわ。子どものついた悪態なんてなんでもない。覚えてもいないわ!」というセリフですが、母親ならなんてこともなく受け止めてるよ、という意味にも取れるのに、美月と志保には、子どもの言ったことを覚えてもいないなんて、勝手だと言われてしまう。母と娘ってこんなことの繰り返しなんでしょうね、とさらにアイタタタとなりました。しかし、今はフルタイムで働く母親も多く、本当に覚えてなかったりするのかも、と思うと、母と娘の関係も、少し前とずいぶん違ってきているのかもしれません。

ツチノコ:かなり好きなお話でした。文章のディティールや、表現で、いいなと思うところがたくさんありました。ヒグチユウコさんの表紙イラストや装丁の色遣いも素敵ですよね。幽霊の描写が中途半端だったり、作中に登場するいくつもの親子関係がどれも似通っているような気がしたり、なんだかしっくりこない部分もありましたが、最後の急展開で吹き飛びました。ラストシーンでは「サスペリア」という古い怪奇映画を思い出しました。館の崩壊と共に母娘関係の呪縛も解けたかのような不思議な爽快感、カタルシスがあります。繭さんがミニチュア作家というのも箱庭療法のようで象徴的ですよね。オビにある、「まるで神話のようだ。新しい時代の母娘の。」という梨木香歩さんのコメントが印象的でした。

西山:子どもたちのぽんぽんとしたやりとりがおもしろくて、ところどころ吹き出しました。例えば、p25の「孤独死」の勘違いなんておかしいし、はっとさせられる新鮮さもあります。p62後から4行目の「美月ちゃんのおばちゃんとうちのママは仲がいいけれど、意見の割れることも多いみたいだ」というくだりなんかも、母親たちの描写として新鮮に思いました。そうやっておもしろく読んでいたのですが、どうも繭さんが出てきたあたりから、つまらなくなってしまった。「お茶飲む? っていうみたいに、『ネコ、だく?』」(p73)と言う繭さん、これはまたおもしろい人が登場したぞと思ったのですが、彼女が危うくなってくるにつれて冷めてしまった。森絵都の『つきのふね』(講談社、角川文庫)と構図が似ているな、と思って。中学生の女の子ふたりと男の子ひとりが、心が壊れはじめた大人をなんとかしようとじたばたする、月が象徴的なモチーフ、クライマックスは火事だし・・・・・・と、そういう構図の類似性を興味深く思って読んでいる段階で、もう作品自体からはちょっと引いた読書になっていたんだと思います。美月ちゃんと志保が再会してせっかく仲良くしていたけれどぎくしゃくするといった、月並みな展開でなかったことなど全体的に好感は持っているのですが、私は、子どもたちが中心のドラマが読みたかったのかなと思います。

まめじか:母娘の複雑な関係性を繊細に描いた作品ですね。さきほど、表紙が女の子向けだという話がありましたが、私は、この本は女の子が読めばいいんじゃないかと。p245の、美月の母親の台詞は、パトリック・ネスの『怪物はささやく』(シヴォーン・ダウド原案 池田真紀子訳 あすなろ書房)を思いだしました。状況はまったく違いますが、『怪物はささやく』では、母親が死を迎えつつある現実を受けとめられず、怒りをぶつける子どもに、あなたの気持ちはぜんぶわかっていると、母親が言うシーンがありました。「子どもが自分のことをどう思ってるかなんて、気にしてらんないの。そんなひまはないのよ。きっとあんたのおかあさんも娘の言葉に傷ついたりしてないと思うわ。だからだいじょうぶ。なんにも悲しむことなんてない」(p245)という美月の母親の台詞は、どんなにわかりあえなくても結局母親の愛は絶対だという前提ですよね……?

彬夜:親の側から見ると、そう感じるということなんじゃないですか?

まめじか:子どもの気持ちがあって、それとは別に親の想いがあるのはわかるんですけど。母親は子どもを愛するものだという前提にこの本が立っているとして、でも、そうじゃない家庭も現実にはありますよね。子どもを愛せない親もいるし。それを書かなきゃいけないということではなくて、思ったのは、その前提は日本的だなと。血縁重視というか。いいとか悪いとかじゃなく。

西山:現役の中学生がどう読むのかとても興味深いですね。私たち大人が気にも留めないところに反応するのかもしれない。親世代子世代混ざって読書会をしたらおもしろそう。

ネズミ: 100ページまでしか読めてません。でも、まだ物語が本格的に始まっていないんですよね。会話のテンポはいいんですけど、『いいたいことがあります!』(魚住直子著 偕成社)と比べると、主人公に特徴があまりなく、読者をひっぱっていく機動力にやや欠ける感じもしました。あまり強引じゃないというのか。でも、日本の作家だからできる技だと思ったのは、美月を関西弁にして、主人公の会話と区別させているところ。こういうのは、翻訳だとできません。

アカシア:しかも中途半端な関西弁と断っているので、ちょっと変でも大丈夫なんですね。

ハル:はじめて読んだときは、「いいなぁ」と思いながらも、読後はどこかほんのり、古いというと語弊があるかもしれませんが、懐かしい感じもあって、少し前に出ていた本かな?と思った記憶があります。今回改めて読み直してみたら、会話もとてもおもしろく、生き生きとしていて、「古い感じ」という印象は抱かなかったのですが、強いていえば、繭さんというキャラクターが、ちょっと昔懐かしい感じがするのかなと思います。母親は母親で、これが親のつとめだと思っているし、娘は娘で、こんなに繊細なのかと思うほど、母親の何気ない一言に傷ついて、親子の関係って、どこの家も似たりよったりで、ずっと模索し続けていくものなのかなと思いました。

彬夜:ラスト近くの、繭の母親が引きずりこもうとしてるんじゃないかというシーン、怖いですね。結果的には、救うことになる。そこがおもしろいです。意図はわからなくていいと思います。ちなみに、安東さんはあるインタビューで「親は完全じゃない。不手際も、失敗も、言っちゃいけないことも言います。子供がそれを全くわからないまま『毒親』だと子供に言ってほしくない」と語っています。親から見る、という視点はかなりあったかと思います。

ルパン(みんなの話が終わってから参加):正直、あまり感動できませんでした。私には、志保とママとの確執があまりピンと来なかったんです。よその家の子に生まれたかったと思うほどの深刻な問題が見えてきませんでした。また、キーパーソンとなるべき繭さんの魅力があまり見えてきませんでした。繭さんが母親の呪縛にどう立ち向かってどう戦ってどう勝ったか、というプロセスがきちんと描かれていないと思ったんです。結局、母親や熊井さんがいないと生きていかれないことを露呈しただけのような。さらに、その繭さんを救うひとことになるはずだったと思われる美月ちゃんのお母さんのp245の言葉も、結果的に美月や志保を傷つけて終わったという、なにかとんちんかんなエピソードに思えてしまいました。さいごに志保はママに抱きしめてもらってよかった、というあっけない結末も、志保がそこまでママを嫌っていたことと結びつかず、拍子抜けしてしまいました。それに、繭さんや美月ちゃんはこれからどうなっていくのか、という疑問が残り、不完全燃焼的な読後感でした。

アカシア:志保のお母さんは管理的なので、感受性のするどい子どもにとっては嫌だと思います。客観的に見るとそうでなくても、子どもにとっては翼をもがれたみたいな気がするんじゃないかな。私にはその確執はリアルでしたが、そのあたりの感じ方は読者によって違うかもしれませんね。

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エーデルワイス(メール参加):会話がスマートで、どんどん読み進められました。印象に残った新鮮な文章がたくさんあり、すぐれた作家だと思います。表紙もいいですね。

(2019年02月の「子どもの本で言いたい放題」)


いいたいことがあります!

魚住直子『いいたいことがあります!』
『いいたいことがあります!』
魚住直子/著 西村ツチカ/絵
偕成社
2018.10

<版元語録>小学6年生の陽菜子は、お母さんから家事も勉強もちゃんとするようにいわれている。洗濯物をたたみ、食器は洗い、料理のお手伝いもする。でも、お兄ちゃんはいそがしいから、家事はしなくていいらしい。納得できない気持ちをかかえるある日、陽菜子はふしぎな女の子と出会い、手帳をひろう。いろいろいいたいことがある、女の子のための物語。

ツチノコ:読みやすくてメッセージも分かりやすく、おもしろかったです。自分が子どもの頃にこの本を読んでいたら、すごく感銘を受けたと思う! 子どもの頃は自分の親を一人の人間として客観的に見ることが難しいから、母親の悩みや過去に思いをはせることで何か気づきがあるかもしれない。家事分担や将来、友人関係についても絶妙なリアルさで描かれていて、読者が身近な問題を考え直すヒントになりそうだと感じました。

ケロリン:この作者は、女の子が主人公のお話が上手ですね。ハシモとのやり取りとか。スージーが出てきたとき、すぐに正体はわかったけれど、とても上手につないでいると思います。いつの世も、母親は自分の失敗を繰り返してほしくなかったりもして、いろいろアドバイスをするけど、うっとうしがられる。そんな気はちゃんちゃらないつもりでも、どこかで自分の付属物のように思ってしまっているのかもしれません。

マリンゴ:すっと頭に入ってくる物語で、とても読みやすかったです。魚住さんはほんと、女性と女性が関わりあう物語が特におもしろいなぁと思います。『Two Trains―とぅーとれいんず』(学研プラス)もそうですね。仲良くなったお姉さんが、実は昔のお母さんで、自分と今のお母さんをつないでくれる存在になる、という構造がとても効いているなぁと思いました。

アカシア:母親と娘の日常がリアル。リアリスティック・フィクションですが、ファンタジーの要素も入っている作品。そういうのは、うまくまとめるのが難しいと思いますが、これはとてもよくまとまっています。それに、子どもの側からだけじゃなくて、母親の視点もちゃんと描かれている。とてもおもしろく読みました。陽菜子は最後に自分の道を見つけたわけですが、それが具体的には塾にちゃんと通うだけというのはちょっと寂しいけど、主人公が成長したことは伝わってきますね。家事の分担に焦点をあてた書評もいくつか見ましたが、もっといろんなことを扱っている作品じゃないでしょうか。

カピバラ:子どもを思い通りにしたい母と、反発しながらも直接ぶつかれず、塾をさぼってしまう娘。6年生は母親に対していろいろ疑問を持つ年頃で、モヤモヤした気持ちを自分でももてあましている感じがよく描かれ、共感するところが多いと思います。スージーがお母さんの分身とはすぐにわかるけど、今のお母さんとはあまり結びつかないですね。スージーがお母さんだというのが、妹である恵おばちゃんの話でわかるわけですが、陽菜子自身がちょっとずつ「もしかしたら?」と気づいていくほうがおもしろかったんじゃないかな。気づく伏線がもっとあったらよかったのに。お兄ちゃんには家事をさせない、専業主婦を選んだ母親の、夫へのなんとなくの負い目など、男女差について読者に問いかけている部分がありますが、それがこの作品の主眼ではないですよね。6年生女子の微妙な友だち関係はうまく描けていると思いました。p 22 に、スージーが紺色のポロシャツを着ているとありますが、挿絵はどう見ても紺色には見えません。文と絵を合わせてほしかったです。

アンヌ:「あのさ、ごはんってだれでもたべるよね」(p179)で始まる言葉が、この物語を通しての陽菜子の成長のあかしだと私は感じました。家事は母親の仕事だと兄が言うのに対して、家事は生きていくための能力であり平等に誰もが身につけなくてはいけないものだと気づいて口にすることができたのは、よかった。陽菜子が日々感じてきた不満や不平等感が、母だけの責任ではないこと、男女間の不平等の問題に気づいたのだと思います。でも、兄にはその言葉が届かずただ怒っているように書かれているので、これでは母と娘だけの物語で終わってしまっていますよね。兄がこうでお父さんも同じだったら離婚かな?なんて心配しながら読み終りました。

彬夜:中表紙の紙が好き。これも再読でした。母子対立はあっても、重くなく、さらっとおもしろく読みました。ゆるやかにリアルという感じでしょうか。責められる子が出てこない。母子の対立を含みながらも、疲れている時でも読める本かもしれないですね。嫌な子は出てこないし。ご指摘のとおり、スージーはすぐにお母さんだとわかるけれど、それでいいと思いました。徐々にわかるほうがいいというカピバラさんのご意見には、なるほどと思いましたけど。おもしろい言い回しだなと思ったのが、「難しい大学」という言葉と、単身赴任の父を指して、「家族のレギュラーじゃない」という言葉です。

ハル:子どもの立場としては、一度くらいは親の子どもの頃を見てみたいと思うことはあると思います。「お母さん(お父さん)だって子どもの頃があったくせに、どうして子どもの気持ちがわからないんだ!」って。このお話は、ファンタジーとしてその願いを叶えてくれています。本を読むことの醍醐味だなと思います。手帳に書かれていた言葉は、自分にも確かにこういう時代があったなと思い出させてくれる、リアルさと力強さがありました。同世代の読者ならなおさら、「そうだ! そうだ!」と勇気づけられるだろうと思います。

ネズミ:おもしろく読みました。私もこんなふうに思われていたことがあったんだろうなって思いました。娘はずいぶん煙たがっていただろうなって。この本は、絶対的な権力者だった親が、ひとりの「人」になるときの感じを、とてもうまく表現していると思いました。スージーがお母さんだというのは、最初から読者にわかるように書いているのだろうと私も思ったんですけど、p141の、物置の屋根にあがって二階の窓から入った、というところで結びつくのがうまいなと思いました。登場人物の中で、陽菜子だけが、ここで「あっ」と思うでしょう。お兄ちゃんだけ甘やかしてという母親の行動は、私もちょっと古い感じがしましたが、友だちの描かれ方は好きでした。友だちに誘われて遊びにいくけど、実はその子たちには別の意図があったというところや、ハシモが絵をほめてくれるところ、心の機微が現れています。よかったです。

まめじか:この年頃は、親だって間違えるのだと気づきはじめ、少しずつ自立に向かう時期です。親に一方的な正しさを押しつけられれば、反発もします。親子といっても、別の人間なのだから、自然にわかりあえるわけではない。主人公の心の動きがていねいに描かれていて、感じのいい作品だと思いました。手帳にスージーが書いた言葉も、ストレートに胸に届きました。中学2年生で、ここまで自分の意見を整理して、言語化できるのかな、とは思いましたが。この子はしっかりしているので、できたのでしょうね。

西山:さらっと読めてしまったのだけど、変な言い方ですが、たぶんすごく上手。深い謎で引っ張っていくというわけでもないし、妙にとんがったところがなくて、でもそれを物足りないとは思いませんでした。多分すごく上手というのは、あのスージーの手帳の文章が、手書き風にフォントを変えて何度も出てきますよね。それが、そのたびに、ちゃんと読まされたように感じてはっとしたんです。コピぺに思えたら、中身は知っているわけですから飛ばし読みもできたはずなんですけど、その都度改めて読めて、腑に落ちていった気がします。これは絶妙な繰り返しなのじゃないか。作為を感じさせないけれど、そうとう練り上げられているのかもと思った次第です。お兄ちゃんにだけは、いらつきましたね。ドラマにはよく出てくるけれど、今更なパターンに思えてしまいました。

アカシア:母親がそういうふうにしむけているわけですよね。確かに古いですが、まだまだ実際はこういう家庭も多いんじゃないかな。じゃなかったら、日本はもっとよくなってるはずだもの。

西山:お父さんの描き方も絶妙ですね。p97で陽菜子がわかってくれるかどうか迷うけど、電話してみると案の定だったとか。それと、p132の挿絵があるところと、p153で、スージー/母親は両方とも丸い椅子に座っているんですよ。さらっと読めちゃうけど、細かい所までちゃんと考えられてるんですね。

ケロリン:ぜんぜん関係ないんですけど、スージーが最初に出てきたとき、とてもやせている絵だったので、やせていたので「スージー」っているあだ名になったというオチでは!?と思って読んでいました。(笑)

アカシア:この本には悪い子が出て来ないってところですけど、悪い子を書くと、悪いってだけで終わらなくなります。今は、なんで悪いのかを書かなきゃいけなくなるからね。『ワンダー』(R.J.パラシオ著 中井はるの訳 ほるぷ出版)だって、1巻目ではいじめっ子でしかなかったジュリアンから見た物語を2巻目の『それぞれのワンダー』で描かなきゃいけなくなる。悪い子を登場っせないのは、もちろん作家の「こうあってほしい」という願望もあるでしょうけどね。

西山:ひと昔、ふた昔前は、もっと陰湿でどろどろに展開するいじめ物語も多かったけれど、この本では「地元の中学に行く子をふやそうキャンペーン」(p114)だなんて、言葉選びもうまい。陽菜子に塾をサボらせた子たちも、それを伝えてくれたここちゃんも、不信感をこじらせて引っ張らない展開も、どれも私は好感を持って読みました。

ルパン(終わってから参加):今日話し合う3冊の中では一番おもしろかった作品です。主人公の陽菜子と昔のお母さんが出会う、という設定もいいと思います。ただ、息子には何もさせなくて、娘には家事をたくさんやらせる母親って、ちょっと古いかな、とは思いました。あと、陽菜子は行きたくなかった塾にまた行くようになりますが、ここちゃんの告白がなかったらどうなっていたかな、とも思いました。どちらかというと、小学生より保護者に読んでもらいたい作品かな。無意識に自分の思いを子どもに押し付けている親は今でもたくさんいると思うので。自戒もこめて。

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エーデルワイス(メール参加):これも、従来からある手法を使っていますが、読ませますね。p240の「子守歌をいつやめたらいいのか、つなぐ手をいつ離したらいいのかそれがわからない」など印象的な言葉も多いし。あれもこれもできないといけない女の子って大変ですね。流されない自分をもつことの大切さを感じました。

(2019年02月の「子どもの本で言いたい放題」)

 


クレイジー・サマー

リタ・ウィリアムズ=ガルシア『クレイジー・サマー』鈴木出版
『クレイジー・サマー』
原題:ONE CRAZY SUMMER by by Rita Williams-Garcia, 2010
リタ・ウィリアムズ=ガルシア/作 代田亜香子/訳
鈴木出版
2013.01

<版元語録>目立ちたがりでおませな次女ヴォネッタ。いざとなると勇敢な末っ子のファーン。そして、11歳の長女デルフィーンは妹たちのめんどうをみることを最優先するしっかり者。キング牧師が暗殺された年。母とくらしたことのない黒人の三姉妹がカリフォルニア州オークランドにむかう。ひと夏を母とすごすために。ひとつの願いを胸に秘めて。

アンヌ:知らないことばかりで驚きながら読んで行きました。ブラックパンサーがこんな風に人民センターを運営し、食事やサマーキャンププログラムで夏休みの子どもたちの世話をしていたんですね。いろいろと調べながら読まなくちゃと思っていたんですが、それにしても、なぜここまで注をつけないんでしょう。セシルはなぜ子供たちに来させたんだろうと読んでる間中思っていました。水一杯飲ませるのに、ここまで子供を怖がらせるとか、理解できないことが多すぎて。例えばp144でセシルが言う「わたしたちはつながりを切ろうとしているんだよ」の私たちは誰なのか?とか。勝手につながろうとするなと言いながら、デルフィーンにもっとわがままを言ってもいいと言うのはなぜなのかとか。セシルの言葉の中に、手掛かりを探していました。セシルの生い立ちを知っても、すっとわかるというわけでもなく、いまだ釈然としません。物語としてはおもしろく、とてもパワーがあってどきどきしながら読めました。ただ、時代についてもセシルについても本当にわかりにくく読みづらい本でした。

彬夜:物語そのものはおもしろく読みました。3姉妹のキャラもいいし、前半、ちょっと読むのがきついけど母親像もおもしろい。ラストもいい感じです。ただ、いまの日本の子どもが読んでわかるのかが疑問でした。主人公は11歳ですが、かなり大人びています。読者も高校生ぐらいなら、読めるんでしょうか。薄手の紙を使ったのか、見た目よりページ数も多く、けっこう長い物語です。いきなりカシアス・クレイが出てきて、まず、今の子知らないよ! と思ってたら、少し経つと、50年前の話であることがわかってくる。でも、公民権運動についての説明もないし、これ予備知識なしに、理解するのはハードル高いんじゃないでしょうか。私が読んでも、「世界の反対側」という表現には戸惑ったし、「有色人種」と「黒人」という言葉に、当時どういう意味を持たせていたのか、わかりません。注釈も少なく、読者を選ぶというか、あまり親切な作りになってないと感じました。こなれてない訳文も散見しました。日系のヒロヒト・ウッズという少年が出てくるんだけど、どういう考えがあって、ヒロヒトと名づけたんでしょうね? この少年の描写もちょっとひっかかりました。p147の「そんなに目が細くて~」というところ。そして、当時の職業観といえばそれまででしょうが、ジェンダーバイアスたっぷり(158p)で、やっぱり、今読む子への配慮がほしいな、と。
あとがきの文章を読むと、ワシントン大行進より先にケネディ暗殺があったような印象を与えてしまいます。それから、訳者は「ユーモアがあって」と解説していますが、そのユーモアは感じ取れなかったです。好きなところは、p173の「公園に名前をつけてもらうより、自分が公園にいたかったんじゃないの?」という言葉です。

ルパン:これは読むのが難しかったです。読んでいるときは、この母親がどうして子どもたちにこんな態度でいられるのか、そもそもどうして家庭を捨てたのか、というところがさっぱりわからなくて。全部読み終わってから、「きっとセシルは、白人に頭を下げて生きていくような姑や夫の生き方がいやだった…んだろうな」とか「子どもには、民族の誇りを表すような名前をつけたかったのに、ちがう名前をつけられていやだった…んだろうな」とか「父親はセシルの生き方を一度見せておこうと思ってわざわざ会いに行かせた…んだろうな」とか、「セシルは政治活動にかかわっているから、子どもに累が及ばないようにと思って冷たくした…んだろうな」とか、いろんなことを一生懸命考えたんですけど、それが合っているのかどうかもわからず、フラストレーションがたまりました。そもそも、これ、小学生が読んでわかるんでしょうか。せめてあとがきに「アフア」という名前のこととか時代背景のこととかを含めてもっとわかりやすい物語解説を書いてもらえたらよかったと思うのですが。さらに、あとがきに「全編がユーモアと愛とさりげない感動に満ちて」いるとありましたが、そうかなあ…? 少なくともユーモアはあんまり感じられませんでした。訳し方の問題かな? ネイティブが原語で読めばユーモラスに思えるのでしょうか?

ハル:日本の本にはなかなか登場しない母親像だなと思いましたが、とても難しかったです。時代背景のこともですが、母親が娘を置いて家を出た理由も、わかるような、わからないような……。自分の思想、信念を守るためにこういう選択をしたのかなとは思いますが。いつもなら「こんな難しい本じゃ伝わらない」とばっさりいくところ、この本に関しては、先ほどの「日本の本にはなかなか登場しない」母娘関係という意味で、わからないながらも読んでみて、世界にはこういう母娘もいるんだろうかと想像してみるのも良いのかなと思いました。とはいえ、末の娘の名前のところは、どうしてその名前にこだわったのかが、少なくとも日本語版からはまったくわからなかったので、そこはわかりたかったです。

ネズミ:お話として、とてもおもしろかったです。とても濃い。すべてを言語化しようとしていくところは、日本の作品にはないものですね。サンフランシスコに遊びにいくところ以外、舞台はほとんど変わらず、大きな山場のないストーリーなのに、この子がどうなるのか、読まずにいられなくなってくるところがすごい。我慢強いお姉さんのデルフィーン。感受性が豊かで、思いを外に出さず、どんどんひとりでためこんで、手のつけられない妹たちと一生懸命生きていて、いったいどうなるんだろうって。印象に残ったところがいくつもありました。たとえば、p100の6行目の「妹たちとわたしが話をするときは、いつもかわりばんこだ。……デルフィーン、ヴォネッタ、ファーン、デルフィーン、ヴォネッタ、ファーン」とか、p116の8行目「だれの心にも、ラララがある」とか。でも、訳文が不親切だと感じるところもぱらぱらありました。小学校高学年から中学生くらいの読者なら、もっとドメスティケーションしてよかったんじゃないかと思います。訳語だけ出されても、わからないところなどは。

まめじか:日本の作家は書かないテーマですし、骨太の作品だと思いました。でも、わからない部分がところどころあって。p84で、ブラックパンサー党の人が「この絵がどうかしたか」ときくんですけど、Tシャツの絵のことですよね? そのあと、主人公が、答えはわかってるというのは、どういう意味でしょう。この3姉妹は、かわりばんこに、歌をうたうみたいに話すと書かれていて、だから、原文でもそうなのかもしれませんが、p80やp170は、だれの言葉かわかりませんでした。子どもの本だったら、だれのせりふかわかるようにしたほうがいいかと。あと、母親の口調が乱暴なのが気になりました。品がないだけの人のように感じられて。p73「いいから、おまえ、さっさと飲みな。一滴も残すんじゃないよ」とか。男っぽい服を着て、詩人で、ほかのお母さんとは違うにしても、この言葉づかいでいいのかな・・・。

ツチノコ:当時の文化や固有名詞があまり分からないなりに、独特の空気感を楽しみました。公民権運動が盛んな時代のオークランドでのひと夏を疑似体験した気分で読書しました。社会背景を知らないと理解しづらい部分があるので、注や説明が少ないのは不親切だと思います。黒人だから誇り高くきちんとしないといけない、万引き犯に間違えられないように堂々としないといけない、といった自制心が痛々しくも健気で、11歳の女の子にここまで考えさせる社会の空気や人種差別の根深さが伝わってきました。一生懸命に健気に生きるデルフィーンたち3姉妹の姿がまぶしいです。この本でブラックパンサー党やハリエット・タブマンについて初めて知り、少し調べてみました。人種問題に興味を持つきっかけとしても、いい本だと思います。

ケロリン:昔の話だと思わずに読みはじめ、あ、昔なんだな、と思い軌道修正しながら読む感じでした。アメリカの1960年代でさらに黒人問題となると、子どもの読者には、物語に入っていくのに、かなりハードルが高そうだと思いました。しかし、大人の読者だと、緊張感を強いられながら生活している様子など、当時の状況を知ることができておもしろいと思いました。ただ、わからないのがセシルの気持ち。ここまで子どもたちに冷たく当たる理由を、文章から読み取ることができなかったです。特にデルフィーンは、母の行動にいちいち深く傷ついていく。だから最後に、娘たちが詩を朗読したり、犯人を見つけたりして大喝采を浴びたあと、娘たちと別れるシーンで娘たちをハグするシーンが、ちょっと嫌な感じに思えてしまいました。うまくやったから娘たちをハグしたように思えて・・・。物語がよく読み取れなかったのかもしれません。でも、日本の作品だったら、これだけわからないところがあると、けちょんけちょんに言われるのに、翻訳だと「わからないけど雰囲気はいい」みたいに言われたりするんですよね。それが、下駄履かされてるみたいで、嫌です。翻訳物って、もともと自分がわからない世界だから、想像で補って成立するところはあるんだけど、このお母さんのことは、もっとちゃんと知りたかったですね。

ネズミ:でも、p145の「デルフィーン、もっとわがままをいっても死にはしないよ」って声をかけるところなど、お母さんの変化が感じられますよね。

マリンゴ:なぜだか読みづらかったです。終盤、引き込まれていって、盛り上がってよかったなとは思うのですけれど。文体の問題なのかどうなのか、お母さんのセリフにも馴染めないものがあって、中盤までスムーズに読めなくて、しんどい読書体験でした。描かれている社会背景は興味深かったです。キング牧師やマルコムXについてはそこそこ知っているつもりでしたが、ブラックパンサー党の具体的な活動や人民センターの様子など、初めて知ることもたくさんあり、勉強になりました。

アカシア:クレイジーって言葉ですが、タイトルだけじゃなくて、お母さんもクレイジーだし、クレイジー・ケルヴィンも出て来るし、原書ではそれで全体の雰囲気もかもしだしているんでしょうね。ただ日本語にするのが難しい言葉なので、訳文ではそのまま「クレイジー」だったり「どうかしている」だったり「頭のおかしな」だったり、いろんな訳し方がされています。私も、お母さんがなぜ家を捨てたのか、なぜ3人の娘に会っても冷淡なのかというのは、最後まで読んでもわからないままでした。
この作品は、ニューベリー賞オナー、全米図書賞ファイナリスト、コレッタ・スコット・キング賞、スコット・オデール賞などすごくたくさん賞をとっているんですね。続編もあと2冊あって、そっちも賞をとっている。だから、もっとおもしろい作品のはずなんです。それが、日本語で読むとそれほどおもしろくない。その理由の一つはもちろん、アフリカ系の人たちの歴史や文化が日本ではあまり知られていないからだと思います。でも、もう一つの理由は、翻訳なのかなと思いました。原文の一部がアマゾンで読めるんで、読んでみたら、けっこうニュアンス違うなあとか、訳をもう少していねいにしてもらえれば、と思うところがありました。たとえば、p3の「自分と妹たちを力いっぱいシートに押さえつけて」は日本語として変だし、p5の「(父親が)自分もいっしょにくるわけじゃない」だと、父親も母親も娘たちに冷淡なようにとれますが、原文では「私たちを行かせたいわけじゃなかった」となっているので、父親はもっと思慮深いイメージです。全文を比較したわけではないので、この先は単なる想像ですが、もしかしたらセシルについても、原文ではちゃんと理解できるように書かれているんじゃないでしょうか。この訳者の方は、うまいなあと思う作品もいっぱいあるのですが、この作品は相性が悪かったのかな。セシルの口調も荒っぽく訳されているせいか、考えの足りない人のように思えて、最後のハグも、ケロリンさんのおっしゃるように自分で想像力を思いきり膨らませないかぎり、とってつけたように思えてしまう。残念でした。
あと、ブラックパンサー党が政治活動だけじゃなくて、貧しい人たちのための活動をいろいろとしてたことは伝わってきますね。ただ、英語だとpeopleだけど日本語だと「人民」と固い語になってしまいますね。

ネズミ:注があまりないと思いました。入れない方針だったんでしょうか。

アンヌ:固有名詞については、前半のp6、p7、p9、p63、p91等に、かっこで注が入っているものもありますね。でも、例えば「赤い中国」(p103)などの歴史的事実について、どこかに注があればもっと読みやすかったと思います。

カピバラ:わからないところはいろいろ、たくさんありましたけど、デルフィーンがあまりにも健気なので、この子が最後に幸せになるところを見たい一心で、深く考えずに先を急いで読んでしまいました。今回の課題3冊は、主人公が同年齢ですが、日本の2冊とは外の世界に対する気持ちのはりめぐらし方、緊張感の度合いに雲泥の差があります。日本の主人公たちには、デルフィーンに比べたら、あなたたちの悩みなんて何ほどのものでもないよ、と言いたくなるほどでした。私も最後がいちばんわからなくて、ハグさえしてもらえば、それでよかったのかな、と疑問に思いました。細かいところでは、情景をわかりやすくするために固有名詞を使った比喩がふんだんに使ってあるのですが、スニーカーを「原始家族フリントストーン」のフレッドみたいに引きずってピタッと止まった。(p202)、マイクをダイアナ・ロスみたいに握ると(p254)、ハリウッドの黒いシャーリー・テンプルだといわれたみたいに舞い上がった(p262)など、日本の読者にはかえってわかりにくくなってしまっています。

彬夜:読者対象はどうなんでしょうね?

カピバラ:5、6年から中学生を対象にしていると思いますが、中学生でも難しいんじゃないでしょうか。

ケロリン:ルビの付け方を見ると、中学生向けのようです。

カピバラ:サラ・ヴォーンとかスプリームスとか言われても全くわからないでしょうからね。それに、スプリームスって、シュープリームスですよね。

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エーデルワイス(メール参加):主人公のデルフィーンがとても健気だし魅力的ですね。まだまだ黒人差別がはっきりある時代に、毅然として態度をとり続けるのは並大抵のことではないのだと思いました。最初はセシル(ンジラ)のことを何様?と思っていましたが、だんだん素敵に思えてきました。幼い娘三人を残してなぜ家を出たのか、ジュニアに理解できるのかな?

(2019年02月の「子どもの本で言いたい放題」)

 

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