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図書館がくれた宝物

『図書館がくれた宝物』表紙
『図書館がくれた宝物』
ケイト・アルバス/作 櫛田理絵/訳
徳間書店
2023.07

西山:すごくおもしろく一気に読んでしまいました。余談ですが、親戚の葬儀の行き帰りで読もうと持参していて、そこで初めて本を開いてびっくりしました。1行目が「お葬式の日なんてそもそも、楽しいものではない」って……。ちょうど「児童文学と子どもの権利」というテーマの研究会を控えているときだったので、戦争はなんと子どもの権利を侵害するものかとつくづく思いました。ただ、この作品は大前提として主人公兄弟にお金の心配がないので、そこの安定感がエンタメとして読んでしまっていい背景を保証しているように感じました。『小公女』もしっかり登場していましたが、それと重なる古典作品のようなテイストを感じながらの読書でした。イギリスの疎開というのも、リアルでシビアな現実だったと思うのですが、こういう風に伝えるのもありかなと思っています。

雪割草:私もおもしろく読みました。作者が本のもつ力を信じているのが伝わってきました。本がいくつも紹介されるので、読者が興味をもつきっかけになるかもしれないと思いました。ミュラーさんが差別を受けていたり、主人公らが疎開児童としていじめられたり、読者に考えさせるところは含みつつも、兄弟3人が仲が良いせいか、「戦争」という現実の厳しさはあまり感じられませんでした。途中から、これはきっとミュラーさんのところに落ち着くのだろうと予想できて、安心して読めました。月のたとえで、アンナとミュラーさんの発言が一致するのはやりすぎかな。『わたしがいどんだ戦い1939』や『わたしがいどんだ戦い1940』(どちらもキンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー著 大作道子訳 評論社)2019)のように、主人公が厳しい現実と向き合い、人に助けられながらそれを乗り越えていくといったことは描かれていないのは残念に思いました。

ニャニャンガ:ちょうど今読んでいる『アンナの戦争』(ヘレン・ピーターズ著 尾﨑愛子訳 偕成社)にもロンドンから疎開した子どもが登場するのですが、里親たちが預かる子どもを選んでいく様子はとてもシビアだと思いました。ただ、この子たちには資産があり、自分たちが信用できる保護者が見つかりさえすれば……という背景があるので、いわゆる疎開児童とは背景が少しちがいますね。作品全体としては、図書館のありがたみというかミュラーさんのありがたみをしみじみ感じました。そのミュラーさんは、夫がドイツ人であるために周囲から孤立している状況が『アンナの戦争』とも重なりよく伝わってきました。
ウィリアム、エドマンド、アンナの3兄弟がバランスよく、児童書の王道といった印象を受けました。本文とは関係ないのですが、作者のケイト・アルバスは謝辞を読むのが好きだとあとがきにあります。翻訳する側にとっては名前の読みを調べるのはたいへんなので、日本の読者も謝辞を読むのが好きなのか知りたくなりました。

オカリナ:謝辞は、人によっては取材の過程がわかっておもしろいのもありますが、関係者の名前だけが連ねてあるのは、日本の読者にとっては人物像もわからないので、つまらないですよね。ただ契約書ではそこも訳せとなっている場合もありますね。

ニャニャンガ:同じ綴りでも、出身によって読み方が違う場合もあるので判断が難しいです。

オカリナ:私も固有名詞発音辞典とかネットで固有名詞の発音を調べたりしますが、どうしてもわからないときは原著出版社とか著者に教えてもらいます。同じアルファベット表記の国の言葉に翻訳するときはそのままでいいのですが、日本語は発音を知らないとカタカナ表記ができないので不便ですよね。

アンヌ:ファンタジーっぽいのは、アメリカ人が書いたイギリスもののせいだろうかと、バーネットを頭に浮かベながら読みました。この主人公のきょうだいたちは莫大な資産を持つ大金持ちで、本当なら食費の心配などはしないでいいのがわかっているからです。エドマンドも菓子屋で買おうと思えばいくらでもお菓子を本当は買える身分なんだと思いながら読むと、この戦時下の苦労のリアリティが薄れてしまう気がしたのです。ただ、ウィリアムが最後に、自分はまだ12歳なんだと切れてしまうところ、長男はすべてに責任を持たされ弟たちは従うという典型的な描き方で終わらせなかったところはよかったと思います。とにかく疎開という親たちが過ごした時代の出来事を忘れてはならないと思いました。すべては戦争の一言で、繰り返されてしまうのですから。

きなこみみ:私はなかなか入り込めなくて、読むのに苦労していたんですけど、作品世界に名作たちの本の世界が重ねられているところを読んでいるうちに、だんだんおもしろくなって、途中から夢中で読みました。イギリスの戦争の物語としては、ウェストールがすごく好きなんです。ああいう厳しさからは遠いんですが、この作品はロンドンの都会育ちの子どもたちのお話なので、雰囲気は違って当たり前かと思います。冒頭でアンナが『メアリー・ポピンズ』を読んでいて、「アンナが今、そばにいてほしいのは、となりの長いすに座っている見知らぬおばあさんたちや、ほかのお客さんではなく、メアリー・ポピンズなのだった」というところを読んで、この作者が、本の力を信用しているのが伝わってきました。本読みとして、共感するところがとても多かった。疎開先でさんざんな目にあうのは、疎開物語はどうしてもそうなりますが、恐ろしいのはネズミ狩りのシーン。ネズミを次々に殺していく、ぞっとする残酷なところで、この物語には、直接的な戦争シーンはないんですが、ここは間接的にではありますが、戦争という暴力をちゃんと書こうとしているんだなと思ったんです。戦争の直接的な描写は、子どもたちにとっては怖すぎるので、こういうふうに戦争の恐ろしさを伝える工夫がされているんだな、と。この作品は小公女の世界が重ねあわされているので、最後はセーラみたいに、幸せになれるんだなと思って読めます。中学年の子たちが、安心感をもって読める。そこを、この作者は狙ってたんじゃないのかなと。ホッとするのは、物語として正解なんだと思うのです。
そして、血がつながってなくても、心でつながっている人たちが家族になる、というところがよかったです。ミュラーさんが村八分になって疎外されるのも、夫がドイツ人だから、という「血」の違いです。そして、最初に身を寄せた家も、おばさんは血の繋がった自分の子どもたちだけ、信用するんですね。いまの、イスラエルとパレスチナのことを考えても、血の違いや、人種の違いという属性で人間に線を引くのが、どんなに残酷で恐ろしいことを招くかがわかります。その属性を乗り越えるのが、「本」といいうものを通じて、というところが素敵です。「血」を信じている人たちと、ミュラーさんと3人の子どもたちのように、本と心でつながっている人たちの陣営、本を通じた世界へ子どもたちを招待する。そういう意味で素敵な作品だなと思います。

ANNE:物語はとてもおもしろく読ませていただきましたが、戦時中のエピソードとはいえネズミ退治の場面が苦しかったです。ミュラーさんのドイツ人の夫が音信不通になってしまった理由は書かれていませんが、きっと辛い状況があったのでしょうね。3人の子どもたちが幸せな結末を迎えることができて、ホッとしました。ミュラーさんが司書でよかった! 図書館は子どもたちに宝物をあげることができますね。

しじみ71個分:2時間くらいでサクサクと読めまして、とてもうまい物語だと思いました。図書館が背景に出てくる物語は、素晴らしい司書さんが登場することが多く、多少こそばゆいのですが、この物語のミュラーさんもとても魅力的な司書だと思います。また、ウィリアム、エドマンド、アンナのそれぞれのキャラクターが生き生きと、個性的に書き分けられていたところも魅力の一つで、ウィリアムが、厳しい疎開生活の中で弟妹の世話をするヤングケアラーとして苦労する姿にも共感できました。図書館の司書と、本が大好きな子どもたちが、心を通い合わせて、最後はハッピーエンドで家族になるという温かな展開にも安心感と安定感があります。
ただ、気になったのは、この子たちが遺産を持っているのを隠して、家族探しをしていた点です。もちろん、疎開が一番の目的ではありましたが、後見人が見つかりさえすれば遺産で不自由なく暮らせるというところに違和感を覚えました。この設定はどうしても必要だったのでしょうか。また、受入れ先の肉屋夫妻、寡婦のグリフィスさんの世帯では本を読む環境にはなく、本を読む、読めるというのは階級の問題かと思われたのも引っかかった点です。読書できるというのは、何かしらが恵まれているのかもしれないなと感じてしまいました。本や物語が辛いときにも心の支えになるというのは素晴らしいことで、それを推進する立場に私もあると思っていますが、物語を心の支えにできない人たちは苦しいままなんだろうかと、グリフィス家の描写を見て感じました。自分でもひねくれた読み方とは思いますが……。アンナが本を読んで、グリフィスさんの子どもたちがそれに聞き入る瞬間があったにも関わらず、結局本の価値がわからない子どもたちが本をビリビリに破ってしまいますが、そこに読める人と読めない人の間にギャップがあって、グリフィス一家が、本を読む教養がない人たちに見えてしまうのが悲しかったのかもしれません。
また、畑を荒らすネズミを駆除する仕事にウィリアムとエドマンドが出かけ、弟に辛い思いをさせないように、ウィリアムが頑張って2匹仕留めるという描写がありましたが、本当に困っている世帯は、どんなに嫌でも気持ちに蓋をして10匹、20匹取ってこないといけない状況に置かれているわけですよね。暴力、戦争についての考察もきちんとなされている箇所はとても優れていると思ったのですが、一方、そうせざるを得ない人たちが実際に存在していることについてどうとらえればいいのかがは、物語からはよく読み取れませんでした。なんというか、困難にある人たちとのギャップを埋める希望的な要素が見つからなかったのが、引っかかりのポイントかもしれません。あと、物語の中で良い物語を紹介したい作家の意図みたいなのも感じられて、図書館リストっぽいなと、思っちゃうところもありました……。
最後は、ミュラーさんに助けられるばかりではなく、エドワードの発案で学校に畑を作り、ミュラーさんと村の人たちの和解のきっかけをつくる場面が描かれますが、大人も子どもも助け合うという点で、作家の子どもたちの力への信頼が感じられてとてもよかったです。

wind24:お話がおもしろく、私も短時間で読めました。いろいろな出来事があっても引っかかりを持たずに読みましが、3人がいつも一緒にいられるのが良かったです。おばあさんの存在がちょっと謎で、ただただ子どもが嫌いで冷たい人なのか、自分が亡き後3人で生きていくために、わざと冷たくして自立心を身に付けさせようとしているのか、文面からは読み取れませんでした。この物語では、「図書館」の果たす役割が大きいです。戦時下のささくれた子どもたちの心を本との出会いで慰めるための場所であり、本を手渡す素敵な大人(ここではミュラーさん)がいる場所でもあります。
子どもたちは居場所を転々としていきますが、最初の肉屋の夫婦は慈善的な気持ちで預かるものの、実の子たちの意地悪がまるで絵にかいたように際立っています。しかしそれを知ってか知らずか、自分の子には盲目的です。貧しいグリフィスさんはお金ほしさに3人を預かりますが、自分の子たちの面倒を見させるだけでご飯もろくに与えません。そして、大好きな図書館のミュラーさんに引き取られることになり、ようやく幸せが訪れます。それまでモノクロの世界だったのが一気に色彩あふれる豊かな生活になっていきます。その後は多分養母になってくれるミュラーさんとの幸せな生活が待っていることでしょう。

オカリナ:古き良きイギリスの物語の伝統をくむ作品で、とてもおもしろかったです。私がいいなと思ったのは、3人きょうだいそれぞれの特徴や性格がうまく書かれているところです。長男はしっかり者、次男はきかん坊、末っ子の女の子はあまったれ、という点はステレオタイプに見えますけど、それぞれもっと人間が立ち上がってくるように描かれています。また意地悪な双子がいる肉屋さんですけど、お父さんのほうはp195などを読むと、おまけをしてくれたり、声をひそめて「この前のこと、本当にすまなかったな」と言ったりするので、かなりものがわかった人のよう。そういう細かい書き方にも好感が持てました。
この作家はアメリカ人ですけど、少し古い文体で書いたのではないかと推測します。たとえばp301には「読者のなかには、くつ下なんて、ずいぶん、ぱっとしない贈り物だと思う人もいるかもしれない」という文章がありますが、こんなふうに作者が顔を出したりするのも、一昔前の作品の特徴のように思います。また日本の読者が読むと、本が好きな人たちと、本を破ってトイレの紙に使ってしまう人に分かれるように思えるかもしれませんが、先程から出ているようにイギリスなので、階級がからんでくるかと思います。ピアーズ家は中流階級に属していて、この子たちを預かってくれるフォレスターさんやグリフィスさんはもっと貧しくて、特に戦時中は生活するだけで精一杯の労働者階級なのかと思います。グリフィスさんの家庭の描写は、ディケンズの作品を思い出させます。双子の意地悪も、「お高く留まりやがって」という中流以上の子に対する気持ちの表れでもあるのでしょう。ネズミ狩りの場面は中流階級の子供にとっては目の前で行われる大きな暴力ですが、日常的にネズミに食糧を荒らされて困っている貧しい人たちにとっては、退治するかしないかは死活問題でもあるわけです。
先程、この子たちはお金があるのだから何でも買えばいいじゃないか、という意見もありましたが、おそらく管理は保護者がすることになっていて、成人するまでは勝手に使うことはできない決まりになっているのかと思います。また中流以上の人たちは、子育てを乳母や家庭教師に任せることもあり、子どもや孫に対する自然な愛情も持たないで過ごす人もいます。なので、3人のおばあさんが愛情を持っていないのも、十分ありうることでしょう。

ネズミ:オカリナさんのお話をきいて、英文学に詳しい読書好きの人には、楽しめる点ところがたくさんあるのだなと、わかりました。登場人物の性格がみなはっきりしているので、読みやすさがありましたし、装画からも、幸せな結末が予想されて、安心して読めました。好きだったのは、最後に学校で菜園をつくることになるところです。ドイツ人の夫からミュラーさんが伝授されてきたことが生かされ、子どもたちもこの土地で受け入れていかれることを象徴する出来事をうまく描いていると思いました。

エーデルワイス:心がほかほかしてくるような物語でした。作者が絶賛していたイラストレーターのジェイン・ニューランドのカバーイラストが日本語版でも使われているのですね。図書館をテーマにした良いお話です。きょうだい3人、親がいなくて生きていくのは、戦争中でも現代であっても大変なことと思います。長男ウィリアムの重責を思うと切なくなります。優しいミュラーさんに出会い幸せになりますが、ミュラーさんが長い年月どんなに孤独だったかと想像します。
私が小学校低学年の時、『赤毛のアン』『小公女』など子ども向けに意訳された本を読んでいました。ウィリアムたちは原作どおりの文を読んでいたのでしょうか? だとしたらすごい!と思いました。特に9歳のアンナが読みこなしたとは! この物語に登場する本は名作ばかりですが、現在の子どもたちは読むのでしょうか? p181で、アンナがグリフィスさんの幼い子どもたち3人に『くまのプーさん』を読んであげる場面は、本の力を大いに感じることができます。本に接することのなかった子どもたちが、アンナの声から物語を感じ取り静かに聞き入り、ウィリアムとエドマンドも物語に浸るのですから。

ルパン:評判の良い本だし、実際とてもおもしろく読みました。3人のきょうだいが逆境にあっても助け合って生きていくところがとてもいいと思いました。ただ、日本の子どもが読んでどこまで状況を理解できるのかな、とは思いました。イギリスの階級社会のことやドイツを敵視する感情などが分からないと、どうしてミュラーさんの家に落ち着くまでにこんなに遠回りしなければならないんだろう、と不思議に思うかもしれません。

ハル:子どもの頃に読んだクラシカルな物語のような、ハラハラドキドキ感もあって、引き込まれて読みました。欲を言えば、急に視点が変わったり、人物の立ち位置が変わった?というところもあったり、ちょっとしたつまずきはありましたし、ミュラーさんの家は自給自足ができるように工夫されていたとはいえ、あまりにも素敵な暮らしで、少し出来過ぎな感じはしました。また、ミュラーさんの夫は、どうして手紙を返してくれなくなったのかも、はっきりとはしません。戦争でそれどころではなくなっただけなのか、何か意志があってのことなのか、気になりますが、ある意味リアルというか、実際、たとえ戦争がなくても、気持ちや時間のすれ違いって、そういうものだろうとも思います。とにかく、お兄ちゃんのウィリアムが健気で、ネズミ狩りの場面なんてほんとに泣けてしまいます。日本の子ども読者たちに、この子たちの健気さを読んでほしいという気持ちはないですが、物語を読みたくなる本、という意味で、ぜひこの本を読んでほしいなぁと思いました。

アカシア:エーデルワイスさんが、この子たちはダイジェスト版ではなく原作をそのまま読んでいるのかと疑問に思われていましたが、原作を読んでいると思います。日本でも私が子どものころは、小学館とか講談社から少年少女世界文学全集が出ていて、小さい活字のうえに2段組になっていてページ数も多かった。それを考えると、日本の子どもも今よりずっと多くの活字を読んでいたかもしれません。

(2023年10月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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戦場の秘密図書館〜シリアに残された希望

『戦場の秘密図書館』表紙
『戦場の秘密図書館〜シリアに残された希望』
マイク・トムソン/著 小国綾子/訳
文溪堂
2019

『戦場の秘密図書館』(NF)をおすすめします。

内戦下のシリア南部にあるダラヤは、政府軍に完全封鎖されて激しい空爆を受け、食料や物資が不足していた。そのなかで、若者たちは破壊された家や瓦礫のなかから本を集めて地下に秘密図書館を作り、人びとの心に希望の灯を点していく。英国人ジャーナリストによるドキュメンタリーを、毎日新聞の記者が子ども向けに編集し訳している。内戦下にあるシリアの状況がリアルに伝わるだけでなく、本や図書館の本質的な役割とはなにかを考えさせてくれる。「頭や心にだって栄養が必要」という言葉がひびく。

原作:イギリス/8歳から/シリア 図書館 内戦 本

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

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希望の図書館

『希望の図書館』表紙
『希望の図書館』
リサ・クライン・ランサム/作 松浦直美/訳
ポプラ社
2019

『希望の図書館』(読み物)をおすすめします。

舞台は1946年のアメリカ。母親が死去した後、父親と南部のアラバマから北部のシカゴへ引っ越してきたアフリカ系の少年ラングストンは、学校では「南部のいなかもん」とバカにされ、いじめにもあう。そんなとき、誰もが自由に入れる公共図書館を見つけ、そこで自分と同名のアフリカ系の詩人ラングストン・ヒューズの作品に出会い、その生き方にも触れる。本を窓にして世界を知り、しだいに自分の居場所や心のよりどころを見つけていく少年の姿が生き生きと描かれている。随所でヒューズの詩が紹介されているのもいい。

原作:アメリカ/10歳から/図書館 名前 詩 いじめ

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

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この本をかくして

『この本をかくして』表紙
『この本をかくして』
マーガレット・ワイルド/文 フレヤ・ブラックウッド/絵 アーサー・ビナード/訳
岩崎書店
2017

『この本をかくして』(絵本)をおすすめします。

町が空爆されて避難する途中で、ピーターが死ぬ間際の父親から託されたのは1冊の本。それは破壊された図書館から借りていた本で「金や銀より大事な宝だ」という。鉄の箱に入った本は重たくて、抱えて高い山を登るのは無理だ。ピーターはやがてその本を大木の根元に埋めて隠し、さらに先へと進む。移住先で大人になったピーターは、戦争が終わると大木の根元から本を掘り出し、故郷の町に戻って、新しく建てられた図書館にその本を置く。本や図書館について考えさせられる作品。

原作:オーストラリア/6歳から/本 図書館 戦争

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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ぼくのアフリカ

イングリッド・メンネン&ニキ・ダリー文 ニコラース・マリッツ絵『ぼくのアフリカ』
『ぼくのアフリカ』
イングリッド・メンネン& ニキ・ダリー/文 ニコラース・マリッツ/絵 わたなべしげお/訳
冨山房
1993.01

南アフリカの反アパルトヘイト出版社の出した絵本の翻訳。男の子が自分の住んでいる街を紹介する。力強い絵が素晴しい。 (日本児童図書出版協会)

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2021年02月 テーマ:みんなの空間からわたしの空間へ 図書館がくれた心の冒険

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『2021年02月 テーマ:みんなの空間からわたしの空間へ 図書館がくれた心の冒険』
日付 2021年02月16日(オンライン)
参加者 アンヌ、エーデルワイス、カピバラ、木の葉、サークルK、さららん、サンザシ、しじみ21個分、たんぽぽ、西山、ネズミ、花散里、ハル、まめじか、ルパン
テーマ みんなの空間からわたしの空間へ 図書館がくれた心の冒険

読んだ本:

しずかな魔女の表紙
『しずかな魔女』
市川朔久子/著
岩崎書店
2019.06

<版元語録>中一の草子は、学校に行けなくなってしまい、 今は図書館に通う日々を送っている。ある日ふとしたことをきっかけに、初めてレファレンスを希望する。やがて司書の深津さんから渡されたのは「しずかな魔女」というタイトルの白い紙の束。ふたりの少女の、まぶしい、ひと夏の物語だった。 物語を読み終えた草子の胸に、新しい何かが芽生える。それは小さな希望であり、明日を生きる力だった。
『希望の図書館』表紙
『希望の図書館』
原題:FINDING LANGSTON by Lesa Cline-Ransome, 2020.07
リサ・クライン・ランサム/作 松浦直美/訳
ポプラ社
2019.11

<版元語録>一九四六年、アメリカ。「黒人は、図書館に入れない」とラングストンの母親は言っていた。しかし、新しく越してきたシカゴの町で、ラングストンは、だれもが自由に入れる図書館を見つける。そこで、自分と同じ名前の詩人が書いた本と出会い、母親の「秘密」にふれることになる…。読書の喜びを通じて、小さな自信と生きる勇気を手に入れていく少年の物語。

(さらに…)

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希望の図書館

『希望の図書館』表紙
『希望の図書館』
リサ・クライン・ランサム/作 松浦直美/訳
ポプラ社
2019.11

たんぽぽ:おもしろかったです。最初は、差別を描いた本かなと思いましたが、違っていました。主人公に、心なごむ場、図書館があり、本当に良かったと思いました。個人的には、お母さんが好きな詩の作者の名前を自分につけてくれたことを、お父さんにも話し、心ゆくまで語り合ってほしかったです。

マリンゴ:非常に落ち着いた静かな筆致で、素敵な作品だと思いました。母が詩人ラングストン・ヒューズをとても好きだったことを主人公は知って、でもそれを父には言えない、というくだり。「本」に出会って、世界の見え方が変わってくる象徴的な場面で印象的でした。ほぼパーフェクトな本ですが、少し気になったのは、終盤まで、ラングストンが小学中学年くらいにしか思えない点でした。たとえば、階段を上がるフルトンさんのおしりを見るシーンが、幼い子の反応のように思えたりして。クレムと話すようになって、ライモンと対決するあたりで、急に中学生らしくなる印象がありました。

まめじか:ラングストンは11歳ですね。

マリンゴ:なるほど。11歳だと、小学中学年とは誤差の範囲内と言えますね。うーん、やはり幼い気はしちゃいますけども。あと、最後の7行くらいが、物語を総括しすぎていて、ないほうが余韻が残ったかもしれないとは思いました。

サークルK:原題は“Finding Langston”(ラングストンをさがして)というものですが、邦題は読者にわかりやすいように、主人公にとって図書館が希望そのものになっていくテーマそのものを表現していて良かったと思います。実在する詩人のラングストン・ヒューズの詩を知識として知っていたら、さらに重層的に楽しめるのだろうと思われました。フィクションの中に、このような形でノンフィクションをうまく取り込んでいるところがうまいと思います。母・妻を亡くして田舎から都会へ引っ越してきて、息子と父親がすれ違ってしまうのかと思いきや、徐々にまた歩み寄っていく描写や、フルトンさん(パール)が単なる隣人ではなくなっていく描写も行き届いていて、しみじみとさせられました。

カピバラ:まず、なんて素敵なタイトルでしょう。日本の読者はタイトルに「ラングストン」という名前があってもピンとこないでしょうから、変えたのだと思いますが、良いタイトルだと思います。本を読むのが好きな子どもが、はじめて図書館に行ったときの気持ちは想像しただけでワクワクするものがありますが、ラングストンは、帰り道がわからなくなったので聞こうと思って、偶然に図書館を見つけるわけですね。その場面の描写がとてもリアルで印象に残りました。閲覧室に通され、「図書館の空気を吸いこむと、古い紙や糊のにおいと、木のにおいがした。母さんがよく作ってくれた、ピーチパイよりいいにおいだ。ここにある何もかもが新しくみえ、ぼくのくたびれたくつが、もっとくたびれてみえた」(p46)と、目に入ったことと、においを描写しているのがリアルで良かったです。いちばん好きなところは、その後の「ぼくは本棚に近づいて片手ですうっとなで、帰り道をきくことなんてすっかり忘れていた」というところと、「どれでも好きな本を、借りられますよ」と司書に言われ、「どれでも好きな本」と、誰に言うともなくささやいた、という描写。気持ちが手に取るようにわかり感動しました。お父さんや亡くなったお母さんの描写もとてもうまく、どんな人なのか、息子とどんな関係性だったのか、よくわかりました。特にお父さんは、妻を失った悲しみが大きく、働くことにいっぱいいっぱいで、息子への愛情をうまく伝えられない。でも父と子は、たった2人の暮らしの中で、少しずつ理解しあっていくのがうれしかったです。ラングストンは、ラングストン・ヒューズの詩に大きな共感をおぼえ、勇気づけられていくのですが、優れた詩、あるいは文学には、どれほど子どもの背中を押す力があるのかがわかり、印象に残りました。2020年に読んだ本の中でいちばん好きな1冊でした。

木の葉:出版からほどなくして読んだのですが、今回再読する時間がとれず、あまり内容は覚えていません。ただ、とても読後感がよかったことだけは、よく覚えています。今回、パラパラと本をめくって、フルトンさんも素敵だったな、と思ったり。それから、ラングストン・ヒューズの詩をちゃんと読んでみたくなりました。本のサイズと形はどうなのでしょうか。私は広げて読むのに、ちょっと持ちづらいなと思いました。

さららん:私もp46の図書館に入ったときの描写、「図書館の空気を吸い込むと・・・ピーチパイよりいいにおいだ」というところが、いいなあと思いました。そこに至るまで、アラバマから父さんと2人でシカゴに来た主人公ラングストンの、暗い日々の描写が続いただけに、図書館で初めて解放された主人公の心情に、強く揺さぶられたんだと思います。リサ・クライン・ランサムはすごくいい作家だ、と感心しながら読み進めました。ラングストンが詩の中に見つけた母さんの秘密を、父さんにあえて明かさないところが、父さんと息子の関係に奥行きを与えています。そして物語全体を通して、言葉の力を信じる気持ちが強く伝わってきます。p136でフルトンさんの朗読を聞いたあと、ラングストンが「今夜はぼくの頭の中の〈声〉がぎこちなく詩を読むのをききたくはなかった」という一文がありましたね。フルトンさんの声をしみじみ味わっていたかったと感じる主人公は、そこで音の芸術としての本物の詩に出会ったんでしょう。司書のクックさんもふくめて、未知の大人との出会いにより、知らない世界に目を開かれ成長していく主人公を描き、その主人公が今度は父さんをも変えていくところに惹かれます。

まめじか:スコット・オデール賞を受賞したときから気になっていた本です。そのとき調べたので、11歳だということがわかった上で翻訳を読むことができましたが、たしかにラングストンの年齢はわかりにくいですね。言葉づかいも少し幼く感じました。p183で、なぜ詩が好きなのかときかれたラングストンは、「だれかがぼくだけに話しかけている感じがする」「ぼく以外のだれかが、ぼくのことをわかっていてくれている感じがする」と言いますが、これはまさに詩の本質ですよね。自分の心に直接語りかけてくるような親密さというか。北部への黒人の移住とか、ポートシカゴの事件とか、アメリカの歴史を背景に、南部にくらべてにぎやかすぎて寝つけないとか、ラングストンが五感で感じたことがしっかり描かれています。

しじみ21個分:コロナで読書会が延期になる前に読んで、今回読み直しましたが、ますますこの本いいなあと思いました。ラングストンの視点にずっと寄り添ってお話を読むことができました。また、表現が非常に体感的でリアルだったので、図書館の中に初めて足を踏み入れたときの感覚、中を見回す感触、図書館の請求記号がわからなかったり、図書館で知らない言葉をおぼえていくときの頭の中の動きの感じだったりとか、ラングストンの感覚を追体験することができ、映像が眼前に広がりました。また、息子から見たお父さんの姿っていうのもリアルで、田舎から大都会シカゴに出てきて働き詰めで、不器用で、不愛想で息子への愛情もうまく表現できないという人物像もしみじみと胸にしみてきました。アメリカと日本とで文化的な背景が異なるなと感じたのは、詩の描かれ方で、アメリカでは詩や詩人がより高く評価され、浸透していると感じました。ラングストン・ヒューズの詩も多く引用されていましたが、自分が好んで聞いていたブルースから受ける印象と全く同じで、物語の後ろにブルースが聞こえているような感じを受けました。図書館司書の描かれ方も親密すぎず、でもきちんと利用者のニーズに応えているという点がリアルで好感が持てました。また、フルトンさんが読んだ詩を思い出し、つっかえつっかえになった自分の声を思い出さないようにするというのもいじらしくて、胸にぐっときたところでした。

アンヌ:私はラングストン・ヒューズの詩を知らなかったのですが、以前読んだ『リフカの旅』(カレン・ヘス/作 伊藤比呂美+西更/訳 理論社)と同じく、児童書の中で詩と出会うと主人公になって詩を読めるので、この物語のおかげで国も言葉の違いも関係なく詩と出会うことができてうれしいです。引用されている詩を調べようとしている途中なのですが、元の詩の省略されている部分とかを知ると、なるほどこういうふうに作者は物語の中に生かそうとしたのだなと仕組みがわかってきてさらに楽しめます。図書館に行くと偶然手に取った本に運命を感じることがあるのですが、この主人公も図書館で詩に出会い、その中に自分に語りかけてくれる言葉を見つけることができたし、母の秘密を知ったりもするし、父や周囲の人と会話できるようにもなる。そんな図書館と詩の魅力が詰まった読み応えのある本でした。

エーデルワイス:『ソロモンの白いキツネ』(ジャッキー・モリス/著 千葉茂樹/訳 あすなろ書房)の設定によく似ているなと思いました。主人公の男の子が母親を亡くし、父親と都会に出て、学校でいじめられ、居場所がないという。この本の主人公ラングストンは図書館に居場所を見つけました。酒井駒子の絵の表紙が素敵で好きなのですが、原書にも元々の表紙があると思います。日本人に合わせて表紙を変えているのでしょうか?そこのところを教えて頂きたいです。都会にいる黒人が田舎から来た黒人を差別することもあるのですね。黒人を蔑視する言葉に、北部の「ニグロ」に対し、南部の「カラード」の言葉があるということも今回初めて知りました。ショックでした。あと、詩が日常的に、家庭でも暗唱、朗読されるというのが素敵でした。p152~153、p163、p164など印象に残っています。

サンザシ:原書のFinding Langstonの表紙には、日本語版と同じような服装のアフリカ系の少年が大都会のビルの狭間で立ち尽くしているところが描いてありますね。それだと図書館や本とのつながりがわからないから、酒井さんに依頼したのでしょうね。判型も小学校高学年から手にとってもらいたいということで、敢えてYAとは違えているんでしょう。ただ主人公のラングストンは、最初は寂しいんですけどかなりのエネルギーを持った子どもなんで、この表紙絵とはちょっとイメージが違うように私は思いました。それから当時のアメリカ南部と北部はずいぶん違ったのですね。南部のアラバマでは、黒人が図書館を利用できなかったことは、初めて知りました。それから、黒人の貧しい少年にとって、自分と同じような境遇の作家が書いた作品を読むと、そこに自分がいるような気になるし、主人公といっしょになって本の世界が体験でき、そこから次の一歩が踏み出せるようになるということが、よくわかりました。p183でクレムが「詩のどんなところがいいの?」ときいたのに対して、ラングストンが「そうだな……だれかがぼくだけに話しかけている感じがするのが好きだ。それに、ぼく以外のだれかが、ぼくのことをわかってくれている感じがする……ぼくの気持ちを」と言っているのですが、ここはとても重要だと思いました。p10に「まるで立派な住まいみたいに〈アパート〉って呼ぶけど」とありますが、日本のアパートのイメージとアメリカのアパートメントとは違うので、ちょっと違和感がありました。それから、ラングストンが親の手紙をこっそり読む場面で、p116「読めない部分もあるけど、読みたくない言葉もあった。〈ヘンリー〉とか、〈愛してる〉とか、〈ティーナ〉とか」とありますが、どうして読みたくないのかがよくわかりませんでした。

まめじか:自分の両親がストレートに愛情を示し合っているのが気恥ずかしかったんじゃないですか?

サンザシ:日本人ならそうでしょうが、アメリカ人だし、母親が亡くなっていて、2人が愛し合っていたということがわかるのはうれしいんじゃないかな、と思ったんですけど。

しじみ21個分:父と母との秘密、2人の心の奥底、に踏み込みたくはなかったということですかね?

サンザシ:主人公の年齢は、私も中学生かと思っていました。

アンヌ:p130に、「あと二年したら、ぼくも高校生になる」とあります。

サンザシ:私も中1だと思って、それにしては幼いなと思っていました。特に前半部分は小学校中学年くらいのイメージですよね。アメリカの学校制度は地域によっても違うのですね。この本だと中1だと思って読む読者が多いかもしれないので、もう少し工夫してもよかったかもしれませんね。

すあまラングストンに共感して読み進めることができました。自分が初めて大きな図書館に連れて行ってもらったときのうれしかった気持ちを思い出しました。そして、ラングストンが図書館で手にした本が物語ではなくて詩なのがよかったと思います。詩であったことで、ブルースの好きなお父さんにもわかってもらえたのでは。そして、一緒に図書館に行くというラストもいいなと思いました。フルトンさんは、最初はいやなおばさん、という印象だったのが、ラングストンの目を通してだんだん素敵な女性に思えてきました。表紙の絵の印象で、幼い男の子の話なのだと思って、これまで手にとっていませんでした。実際に読んでみたら、もっと男同士の親子の話で、ラングストンも体格がよくて、いい意味でイメージが違いました。それから、物語には出てこなかったけれど、ラングストンがいつか詩人のラングストンと図書館で会えるといいなと思いました。

花散里:この本が出版されたときにすぐ読んで、とても良い本だったという印象が今も強く残っています。今回、読み返して、やはりとても良い作品だと思いました。酒井駒子さんの絵はあまり好きではないので表紙画は気にかかりました。この作品に登場してくる図書館司書は良いと思いました。シカゴ公共図書館ジョージ・クリーブランド・ホール分館についても作者あとがきで知ることが出来て良かったです。ラングストンという名前を付けたお母さんのことは最初、読んだ時から印象に残っていましたが、今回、読み返して、お父さんがとても印象に残りました。フルトンさんも最初に登場した時の印象が段々と変わり、ラングストンに詩を読んでくれるときのフルトンさんの様子がとても良いと思いました。ラングストン・ヒューズの詩を読み返したりしたいと思い、本を購入しました。絵本『川のうた』(E.B.ルイス/絵 さくまゆみこ/訳 光村教育図書)も読み返しました。詩を読んでいくことなど、この作品を子どもにどうやって手渡すのかは難しいと感じていますが、読んでほしい作品だと思います。

ルパン:こちらは先ほどの作品と反対に「おもしろかった」ということしか覚えていないくらいです。最初から最後まで夢中で読みました。いちばん印象に残っているのは、フルトンさんのお尻が揺れる描写。インパクトありすぎて、なんかすごいおばさんというイメージだったので、お父さんと再婚する可能性があるとわかってびっくりしたことです。

シア:すごくいい本で、丁寧で心情豊かな描写で、文句の付けようがありません。話の軸もぶれていないですし、内容も素晴らしい。フィクションですがリアリティがすごいです。アメリカの当時の文化や歴史について理解しやすいし、興味がわいてきます。背景描写まで細かく書き込まれています。お母さんはかわいそうな設定ですが、「すきっぱ(透きっ歯)」という表現がされているので、幸せであることがわかります。「すきっぱ」はアメリカでは幸せを運んでくると言われていて、人気があるんです。そういうところが細かいなと。この本は図書館というものが古くから地道に社会に与えてきたものや及ぼす影響など、その偉大さについて伝えてくれます。最近の図書館は指定管理者制などが取り入れられ方向性を見失ってきているので、ぜひ、みなさんに読んでいただきたいと思います。図書館が連綿と守ってきたものを今一度教えてくれる1冊です。

ハル:先ほど話題に出たp116の「読みたくない言葉」(~読みたくない言葉もあった。〈ヘンリー〉とか、〈愛してる〉とか、〈ティーナ〉とか。)のところですが、私なんて一瞬「やだ、お父さん不倫?」とか勘違いしてしまいました(笑)。こんな人は少ないと思いますけど、やっぱり「読みたくない」は、もうちょっと気を使った表現でもよかったのかなと思いました。全体として、ラングストン少年の目で見た景色や感覚、なつかしいアラバマの描写も美しくて、引用されている詩もとても効果的で、良い本に出合えたなあという気持ちになりました。私はあまり「詩」にはなじんでこなかったので、私もこの本で、「詩」というものに出合えたような気がします。ただ、邦題の『希望の図書館』はちょっと違う話を連想させるような・・・。「希望の~」って、ちょっとテーマと違うんじゃないかな・・・と違和感を覚えました。でも、このタイトルで、この判型で、この装丁で、いかにも名書!という感じでまとまっていて。これも読者の手に届けるための工夫なんだろうなぁと、勉強になりました。

ネズミ:とてもよかったです。アメリカという国で図書館がとても大事にされているということを痛感しました。知というのか、知識に誰もがアクセスできるという、図書館の精神や理念というものがしっかりあるんだなと。私は、お父さんがラングストンと話すときに、妻のことは「お前の母さん」とか「母さん」と呼んでいるのに、自分のことを「おれ」と言っているのが、ちょっと気になったのですが、みなさんは気になりませんでしたか? 子どもと話すとき、自分のことを「父さん」と呼ぶかなと。全体にラングストンが幼い印象だったからかもしれませんが、なんか、ちょっと突き放した感じがして。

サンザシ:そこは日本人になじみやすい表現を使うか、文化を伝える方を前面に出すかで違ってくると思います。アメリカ人なら、日常会話の中で自分のことをyour fatherとは言わずやっぱりIを使いますよね。そういう文化だということを伝えるのも大事だと私は思います。PTAなどでも「○○の母です」と言う人が多いですが、欧米ではたいていファーストネームでやりとりしてますよね。○○の母、○○の父、○○の夫という規定の仕方がいいのかどうか、そこも考える必要があるのではないでしょうか。翻訳者の悩みどころの一つですね。それからこの本はシリーズになっていて、ライモンが主人公のとクレムが主人公のが出ています。あとの2冊も読みたいな。

(2021年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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しずかな魔女

しずかな魔女の表紙
『しずかな魔女』
市川朔久子/著
岩崎書店
2019.06

ネズミとてもおもしろく読みました。こういう図書館はないだろうと思いましたが、子どもを受け入れる場所としての図書館、ひとつの居場所というのが提示されていて、いいなあと思いました。魔女の修行の中で、ところどころに印象的な言葉がありました。たとえばp142の「魔法にはね、ひとつだけやってはいけないことがあるの」「それはね─人を操ること」というセリフ。生きることを後押しする、こういう部分にひかれました。それに、文章がとてもきれいでした。

ハル子どものころは特に、おとなしいことをネガティブにとらえがちなので、どちらかというと控えめなタイプの子は読んで励まされるでしょうし、ひかり側に共感できるような元気のいいタイプの子にとっても、新しいものの見方を示してくれる1冊なのではないかと思いました。構成やストーリーそのものも、決して目新しいものではないかもしれないし、時々ふと、そういえばこれは司書の深津さんが書いた小説(の体裁)なんだったな、と思い出すと、若干「いま、わたしは何を読んでるんだっけ?」という気持ちにもなりましたが、表現の豊かさによって、作品として成立しているのかなと思いました。みずみずしい描写で、刺激を受けました。子どもにとって夏休みがどれだけ特別か、「夏休み」の大きさをしみじみ感じます。

シア不登校の話で始まったので、またこの手の話かと思って読み始めました。市川さん、よく不登校の話を書いているなという印象です。『西の魔女が死んだ』(梨木果歩/著 楡出版ほか)を思い出しました。でも、作中の物語はすごくおもしろくてのめりこみました。肝心の主人公のことはすっかり忘れてしまっていました。蛇足だったかと思うくらい。キラキラなエンディングを迎えたのに、野枝ちゃんの将来が冴えなくてがっかりしました。しかし、レファレンスの回答として出典が明らかにされていない自分の小説を渡すというのはちょっと乱暴すぎではないでしょうか。それから、「図書館は静かな場所」というステレオタイプな考え方が、今の時代に合っていなくて古いと感じました。まるで『希望の図書館』(リサ・クライン・ランサム/著 松浦直美/訳 ポプラ社)と同じ時代みたい。

ルパン半年くらい前に読んだんですけど、「おもしろくなかった」ということしか覚えていませんでした。このたび読み返したら前よりは印象がよかったのですが・・・不登校の子の話が中途半端で不完全燃焼としか言いようがないです。作中の物語では「ひかりちゃん」のキャラクターがすご過ぎて、私はついて行けませんでした。

花散里私は図書館司書をしていますが、読んでいて、この設定はあり得ないと思うことが多く、いろいろと気にかかりました。司書が登場してくる作品としては『雨あがりのメデジン』(アルフレッド・ゴメス=セルダ/作 宇野和美/訳 鈴木出版)が大好きで、あの本の中の図書館司書が理想だと思っています。作中の物語も構成が弱いと感じました。ユキノさんの存在もわかりにくいと思いました。友達の両親が離婚してしまうかもしれないというときに手紙を書くということもあり得ないのではないでしょうか。読後感があまりよくない作品でした。

すあま市川さんの物語では、主人公を家族ではない大人が見守って助けてくれる。この本でも、司書の深津さん、ユキノさんがそういう大人です。物語としては、作中の物語が終わったところで今度は外側の話を忘れていました。中の物語はおもしろかったし、登場人物も魅力的だったけど、この話だけだったら物足りないかもしれませんね。中学生の草子が小学4年生の物語を読む、ということなんですが、実際に中学生が小学4年生に共感しておもしろく読めるのかな、と思いました。物語全体で、いい人ばかりが出てくるので読後感は悪くならないのですが、この著者の他の作品と比べると何か足りない気がしました。

サンザシ:不登校の草子に寄り添って読み始めたら、間に野枝とひかりの話が入っていてそっちの方が長いんですね。私には、間のこの物語を読めば草子が元気になるとは思えなくて、ずっと草子が心配でした。市川さんは文章がいいので、それにひかれてどんどん読み進められるし、間に入っている話にも共感はできるんですけどね。私は『小やぎのかんむり』(市川朔久子/著 講談社)がとても好きだし、あれは第一級の作品だと思っているのですが、それに比べると、この作品はちょっと小ぶりの佳作でしょうか。それから、p166の「あざやかな色のリュック」の若い男は、p15で「館長」に「ここの机って、勉強とかダメですかね? レポートちゃっちゃっと終わらせて、ついでに試験勉強もやりたいんスけど」とたずねる男だと思うのですが、ということは、この「館長」が自分の息子に一般利用者を装わせて、草子の前でたずねさせた、ということ? そこまで行ったらやりすぎじゃないかな。

エーデルワイス作者の市川朔久子さんは、この先、大人向けの小説家になってしまうような気がします。p144の9行目から12行目にある、「ひとつだけやってはいけないこと、人を操ること・・・」や、p145の13行目の「じぶんの心はじぶんだけのものですからね」のように煌く言葉がたくさんありますね。でも、ストーリーが凝り過ぎている感じもしました。

アンヌ初めは主人公の草子に興味が持てず、つらい場面も多くてなかなか読み進められなかったけれど、作中の物語が始まると楽しくて、ユキノさんをはじめとしたお年寄りの生き生きとした様子も魅力的で、近所に昔あった古い団地を思いだしました。洋服の色彩について鋭い感覚を持つリサちゃんについても、家族が「美大出身の友人は雷が鳴るとまず稲妻の色を見たがる。世界の見方が違うね」と話していたので、そんな風に様々な視点で世界を「見る人」がいるということが描けていて良かったと思います。1か所いらないかなと思ったのが、館長と息子の小芝居の場面。p15はともかく、それがバレるp165は、必要はあるのかなと。ただ、不登校の子がコロナ下のネットの授業は参加できたのに、対面授業になったら出られなくなったという話を聞いているので、草子がこんなふうに守られているのはよかったなと思いました。

しじみ21個分やさしい表現の、とても好もしい作品だと思いました。まず、図書館で働く者として、図書館が子どもたちにとって居心地のいい場所として肯定的に描かれているのはうれしいです。不登校の子が図書館で過ごすという描写は、やはり、鎌倉市立の図書館が夏休み明け前の8月に発信した「つらかったら図書館においで」というメッセージを踏まえているのかなとも思いました。ただ、p12に、図書館の司書は静かな人と描かれています。それはいかにもステレオタイプで、静かじゃない図書館員もいるしなぁ、とちょっと固定的な捉え方だとは思いました。見た目としても、物語の中に白いページがはさまっていて、目次もあって、さあ、これから物語が始まるというぞ、という工夫もおもしろかったですし、物語の入れ子構成も凝っていました。作中の物語も2人の女の子の理想的な夏休みが描かれていて、とても好ましいのだけど、正直好ましいというだけで終わってしまったかなという感じです。なんというか全般にリアリティがなくて・・・。図書館の可能性が表されているのはとてもありがたいし、ユキノさんという理想的な大人像も素敵で、こういう風に子どもに接したいとは思うのですが・・・。それから1点引っかかったのが、図書館でおばあさんに「学校はどうしたの?」と問われて、心の中で「くそばばあ」という言葉が浮かんだにもかかわらず、それを小学校のときの同級生の男の子の言葉にすり替えてしまっているところです。それはちょっと主人公がいい子すぎてずるいと思いました。自分の言葉で「くそばばあ」と心の中で言ってほしかった。作中の物語に任せてしまうのではなく、本編の物語で主人公の心の中の葛藤みたいなのがもっと深堀りされてもよかったんじゃないかなと思ったというところです。

まめじか草子は幼稚園の運動会で転んでしまったとき、大人の目を気にして自分と一緒に走りだした先生の欺瞞に拒否感を示していますが、深津さんや館長やユキノさんはそれとは対照的な存在として描かれていますね。おもしろく読んだのですけど、おばあちゃんとの魔女の修行というのが『西の魔女が死んだ』に重なり、あまり新しさは感じませんでした。視点を変えると新しいものが見えてくるとか、日々を丁寧に生きる生活の豊かさとか。中学生は子ども時代を思い出し、ノスタルジーを感じながら読むのでは。中学の1年1年ってとても大きくて、自分がガラッと変わってしまったように感じますよね。私はそうだったな。

西山市川さんの作品は、まず言葉が好きです。p57の「いいないいなあ」など、ほんのちょっとしたところでひかりの体温の高い感じが伝わってきたり、読むことの「快」を感じます。ベースとしては、草子の、学校という場に合わないというメンタルな部分ですが、お話の中で2人が迷子になるまでずんずん歩いたり、アリを見たり、ツリーハウスもどきを作ったり・・・この、中身だけでいいと私は思ってしまいました。読者対象の年齢によって違うのでしょうけれど、魔女修行が結局は心の持ち方を変えさせるという着地点は、本気で魔女になりたい子には肩透かしになるなあと思いました。自分が小学生の頃、吉田としの『小説の書き方』(あかね書房)にがっかりした経験を思い出してしまいました。入れ子構造が活かされた装丁もきれいだけど、どうなんでしょう?『コロボックル』シリーズ(佐藤さとる/著)とか、過去にいくつか例がありますが、全体を入れ子にしたことで、疎外される印象を受けたのを思い出しました。作り込んだフィクションのおもしろさも好きなのですが、この作品では、私は作中の物語だけの方がよかったかな。子どもが減った団地の有り様は、それとなく見まもる「小さなおばあさん」の存在含め、とても興味深かったです。

さららん前に読んだ時には悪い印象をもたなかったのに、あとから中身をよく思い出せませんでした。読み返してみて、文章の美しさを再認識。おいしいお菓子を食べているような気がしました。先ほども指摘があったけれど、草子の幼稚園の運動会のときのエピソードの出し方が見事で、それひとつで、大人のぶしつけな行動に耐えられない草子という子どもが見えてきました。中の物語も、子ども時代のきらめきにあふれていて、楽しかった。ただ、入れ子の外と中が組み合わさったときの感動が薄く、それが印象の薄さにつながったのかもしれません。中の物語では、最後に野枝がひかりの両親宛てに手紙を書いたことが功を奏して、ひかりが団地にもどってきてくれます。2人の時間のきらめきは、その時間の喪失を描くことでいっそう際立ち、読者の心に残ると思うので、2人が10年後に再会してもよかったかなーと思いましたが、でもそれでは大事な「魔法」の意味が描けなくなりますね。ひかりのすこし芝居がかった言葉遣いがほほえましく、赤毛のアンの姿が重なりました。また、子どもたちの体温の高さという点では、森絵都さんの本を思いだしました。

木の葉市川さんの文章が心地よくて、このまま草子さんの話としてずっと読んでいたかったです。作中の物語はアイテムとしても定番というか、割と平凡な印象でした。「しずかな子は魔女にむいてる」という言葉はとても素敵ですが、それが生かされているかというと、微妙です。入れ子にしたために、どちらも中途半端となってしまったような気もします。『西の魔女が死んだ』は、私も連想したのですが、あのおばあさんが苦手だったことを思い出しました。それから、野枝という名前は、私はどうしても伊藤野枝を連想してしまうので、少し違和感がありました。私も市川さんの『小やぎのかんむり』は好きな作品で、あちらの方がいいと思います。

カピバラ:2015年に鎌倉市中央図書館が「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい」というツイートを出し、大きな反響を呼んだ、ということを思い出しました。これには賛否両論ありましたが、図書館側では、図書館はそういう子の居場所になれるんだという意識が生まれた、ということを聞きました。あくまでも見守るという姿勢は変えず、平日に毎日来る子がいたらなんとなく気にかけるようになったそうです。図書館はそういう場所であってほしいという思いが、著者にもあったのではないかと思います。深津さんは、まさにそういう子どもを見守る存在ですが、現実にこんな司書がいるのかな、とは思いました。やはり自分の水筒を貸すのはありえないし、図書館は出版物を扱う場所なので、いくら自分が書いたものだからといって、出版されていないものを渡すことはありません。でも、図書館はこうあってほしい、という意識が現れているのかな、と思いました。入れ子になった物語がある形式は、2つの物語がどういうつながりがあるのか、謎解きのおもしろさもあって魅力的です。「しずかな子は、魔女に向いてる」というのはすてきな言葉で、きっと著者はこの言葉がとても気に入っているのでしょうが、言葉の魅力が先に立って、それがどういうことなのか、という点は意外とあっさりしていたかなと思います。野枝とひかりのように正反対の子どもが仲良くなれるのか、という意見がありましたが、私は、ひかりのように屈託がなく、思ったことをすぐに言葉にできる子に野枝が惹かれるのはよくわかりました。

サークルK書き出しが柔らかい感じで表現が美しいので、読み出しやすかったです。表紙も本の森のページに入っていく感じがして、挿絵もかわいらしいですし。優しく詩的な日本語に触れられる作品だと思います。p163の「絶海の孤島に来ています」という司書さんの草子への手紙でストーリーを終わらせても良かったのではないかとは思いました。そのあと、「館長さん」とその息子とのやり取りや、司書さんとのやり取りなどは冗長に感じました。すべてに落としどころをつけようとしすぎている感じがして、もったいないと思いました。

マリンゴとても魅力的な物語でした。本編が実は、長い長い序章で、別の物語がすっぽり入り込み、最後にまた本編に戻るという構造が、わたしは非常にうまく機能していると思いました。自分の気持ちを伝えられるのは自分だけなのだ、というメッセージもとてもよかったです。あと、行こうと思えば世界のどこにでも行けるし、誰とでも会えるのだ、と不登校の子に、世界を広げるメッセージを伝えているのもよかったのではないかと。唯一、私が引っかかったのは司書さんですね。不登校のひとりぼっちの女の子に、実話と思われる2人の女子のかけがえのない友情の物語を読ませる司書さんって、デリカシーがどうなんだろう、と。とてもデリカシーある人として描かれているだけに、ちょっと気になりました。

たんぽぽ表現がきれいだなと、思いました。ラストは、「ああ、こういうことだったのだ」と、すっきりしましたが、そこにたどりり着くまで、ちょっと長かったです。「しずかな子は魔女にむいてる」という言葉が、少しイメージしにくかったです。

木の葉図書館を舞台にした作品は結構あって、私も、図書館の存在によって救われる物語は好きです。とはいえ、「図書館=いい場所」という描かれ方が前提となっているようで、そのことには少し疑問も感じています。すべての図書館がすばらしいわけではないですし、現実に問題や矛盾はあるはず。職員の待遇面もどうなのか、なども。本好きは本にまつわることをつい善的に捉えてしまいがちであることにも、注意が必要かな、という気がしています。

(2021年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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貸出禁止の本をすくえ!

アラン・グラッツ『貸出禁止の本をすくえ』表紙
『貸出禁止の本をすくえ!』
アラン・グラッツ/著 ないとうふみこ/訳
ほるぷ出版
2019.07

西山:ほんっとにおもしろかったです! 架空の作品も混ぜているのかと思っていたので、最後に驚きました。アメリカの図書館で「異議申し立て申請」という制度が日常的に活用されていること、貸し出し禁止措置が取られることがあるということへの新鮮な驚きがあります。日本の図書館のことも、私は知らないことだらけだと思うので、いろいろうかがいたいです。図書館の蔵書に対して「異議申し立て」という発想自体が私には無かったので、ギョッとするような申し立てもできるシステムがあって、それに反論なりしながら、図書館の自由を守るというのは、鍛え続けられる人権意識だなと思いました。あいトリ「表現の不自由展」への、見もしないで行われた攻撃、『はじめてのはたらくくるま』(講談社ビーシー)への異議申し立てを出版社相手に行ったこと、堂々と売られ続け棚に並び続ける『かわいそうなぞう』(土家由岐雄作 金の星社)、『ママがおばけになっちゃった』(のぶみ作 講談社)批判、少し前の『はだしのゲン』(中沢啓治作 汐文社)閉架措置問題など、いろいろ思い出しながら読みました。「異議申し立て」が「貸し出し禁止」(ひいては発行禁止)に及ぶのではなく、中身への論理的批判が無いところに、「配慮」や「忖度」による、議論抜きの決定事項としての「禁止」が来るのではないかと思いつきましたが、どうでしょう。作品から離れた事ばかり考えさせられたというのではなく、もちろん、どきどきひやひやワクワクしながら読みました。エイミー・アンの家の騒々しさには、読んでいてこっちまで「わーっ」となりそうでしたし、多分、ものすごく表情を変えながらのめり込んで読んでいたと思います。『クローディアの秘密』(E.L.カニグズバーグ作 岩波書店)を「今は、冒険みたいにわくわくするところが気に入っている」(p321)と、同じ作品でも読み手の経験やその時々で変わってくるという、読書とはどういう行為なのかということを語っているところ、共感しながら読みました。一つだけひっかかるのは、この本を読んでいいとかいけないとか言う権利が保護者にはあるのかということです。それで行くとマービンは『スーパーヒーロー・パンツマン』(デイブ・ピルキー作 徳間書店)その他を読めないことになります。「子どもの権利」という観点からどうなのだろう。「憲法修正第一条」は成人の成人のみを対象にするということになるのでしょうか。あと「行儀のいい女に、歴史はつくれない」(p298)という名文句が、オリジナルのフレーズなのか、そういう慣用句があるのか、ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。

ハル:おもしろかったです。私は子どもの頃、両親に漫画を禁止されていましたし、私の家だけでなく、大人が下品だと思う本やテレビ番組が禁止されるというのはよくあったことで、また禁止されると余計に興味がわくものです。隠れてこっそり読んだり見たりしていました。なので、もしかしたら日本の子には、ある本が学校の図書館で貸出禁止になったところで、ここまで大問題に思うかどうか、新鮮に感じるかもしれないなぁと思いました。p39で司書のジョーンズさんが「教育者としてのわたしたちのつとめは、子どもたちにできるかぎり多様な本、多様な視点にふれさせることです。~~」と、語ってしまうのですが、これは読者の子どもがあとから知ればいいことで、先に明かさなくてもいいんじゃないかと思いました。でも、今回この本を読んで、私もついつい「こんなことを子供が読んで真似したら危ないんじゃないか」と臆病になってしまうところがあるなぁと反省しました。もっと子どもを信頼しないといけませんよね。

マリンゴ:とても読み応えのある本で、ほぼ突っ込みどころがなかったです。子どもにこんなことを伝えたいと、与える側は思うけれど、子どもがどう受け止めるかは全くの自由で、それこそが読書の醍醐味なのだと改めて感じさせられる作品でした。主人公は家で、やっかいな妹たちのこととかで大変なんですけど、それが絶妙な匙加減で、「ユーモラス」と「かわいそう」の境目にあるため、深刻になりすぎないのがよかったと思います。それと、『スーパーヒーロー・パンツマン』の作者のデイブ・ビルキーさんが実名で登場する、その仕掛けが興味深かったです。実際に作者同士、知り合いなのでしょうか? 主人公が、この作者を別に好きじゃないというスタンスなのがおもしろかったです。普通、こうやって作品に登場してもらうからには、もう少し配慮して、主人公が大ファンという設定でもおかしくないと思うので。

カピバラ:主人公は、たくさんの本を読んでいるだけじゃなくて、気に入った本は何度も読みます。こんな子がいるって、なんてうれしいんでしょう! しかも実在の書名がたくさんでてくるので、その本を読んだことのある読者はうれしくなりますよね。例えばp197「本の山は、宝の山。わたしはきゅうに、自分が『ホビットの冒険』(J.R.R.トールキン作 岩波書店)に出てくる竜のスマウグになって、金や宝石の山の上にすわりこみ、ホビットやドワーフたちに宝をとりかえされないよう、必死にまもっているような気がしてきた」という引用など、感じがよくわかるし、同じ本を読んでいればこその楽しみがあります。読書好きの子にとってはたまらない1冊でしょうね。逆に読んだことのない本ならば、これをきっかけに手にとってくれればいいですね。『クローディアの秘密』なんて、おもしろそうだな、って思うんじゃないでしょうか。主人公はとても感受性が豊かで、いろんなことを考えているけれど、それを口には出さないんですね。頭の中でいろいろ妄想するところは子どもらしい発想でおもしろかったです。読者の共感をよぶと思います。また、大人が子どもから遠ざけたいと思う理由のくだらなさも皮肉です。西山さんがおっしゃった「貸出禁止の権利があるのは保護者だけ」というのは、ジョーンズさんが言っていることなのでは?

ハリネズミ:私はおもしろくずんずん読んだんですが、メール参加のアンヌさんの意見をさっきちらっと見たら、「これは設定が変だ」って書いてあったんですね。それで、ああなるほど、と思ったりはしました。最初からちゃんとした手続きをしてもらえばよかったのに、となると、子どもの活躍はなくなってしまうんですよね。多作の作家は、あまり緻密じゃない部分もあるのかもしれません。それと、エイミー・アンが、いろいろなことが言えるように変化するのはすてきだけど、最後は「理不尽なことには抗議するけど、親の言うことは聞く」というふうになるので、だとすると道徳の教科書みたいで、予定調和的。そこはちょっと物足りなく思いました。それから、アメリカは学校図書館や公共図書館に「こんな本を置いておいていいのか」と抗議ができるようになっていて、抗議が多かった本については、書棚から引っこめるというのを州単位で決めるんですね。そのリストは毎年発表されるんですが、それを見るとみなさんびっくりすると思います。マヤ・アンジェロウもだめだし、ハック・フィンもだめになっていたりする。信心深い人は、「ハリー・ポッター」は子どもが魔法を信じるようになるのでダメとか、性的な言葉が出てきたり、汚い言葉が出て来たりするのもダメになったりします。でも、逆に、そういう本を読みましょうという運動もあったりするのがおもしろいところですね。

コアラ:タイトルで、おもしろそう!と期待して読みました。期待に違わず、おもしろく読んだのですが、途中で、教育的なニオイがするなあとも思いました。p57で、作者はレベッカに「(貸出禁止になった本は)おもしろいに決まってるじゃない」「だから大人が、貸出禁止なんかにするんだよ」と言わせていますが、“本はおもしろいから読め読め”という作者の意図を感じるというか、作者が子どもに本を読ませたいから、そう書いているんでしょ、と思えてしまいました。権利章典について調べる学習も、それで権利や自由を学ばせるのね、子どもにその視点を持たせたいのね、と思えてしまって、押し付けがましさを感じました。それでも、クライマックスの教育委員会の会議での、レベッカやエイミー・アンの発言は、痛快でした。自由を侵されたら、異議を申し立てる、自由を守るために戦う、というアメリカ精神が前面に出ている本だと思います。後ろに本のリストがありますが、この本から別の本に手を伸ばしていけるといいと思いました。日本では、貸出禁止問題はどうなっているのでしょうか。

すあま:久々におもしろい本を読んだという感想です。最初からいきなり衝撃的な事件が起こり、大人に対抗して子どもが団結するという話で、おもしろく読めました。この物語の中で貸出禁止になる本は、長く読み継がれてきたもので、禁止した大人も子ども時代に読んだ本。実際の本が登場するので、この本をきっかけに読んでくれるといいと思います。禁止になった本を子どもたちがこっそり読んでいるのは、禁止されると読みたくなる、ということで、本を読んでもらうために禁止したのでは、とすら思えてしまいました。解決策に図書カードの貸出記録を使ったところは気になりましたが、学校司書がフォローしていたのでちょっと安心しました。この本は、大人が子どもの読む本を制限するということだけでなく、言いたいことが言えなかった子が、言いたいことをちゃんと言えるようになる様子を描いているのがよいと思いました。

ルパン:p275で、エイミー・アンが家族への不満をぶちまけるところで、泣けて泣けて。ちょうど電車の中で読んでいたのですが、「これはまずい」と思えるほど涙があふれてしまいました。ただ、荷物をまとめて家を出て行くところまでは拍手喝采だったのだけど、ママが追いかけてきたとたんにすぐにあやまってしまうところで、ものわかりよすぎるなあ、と、ちょっと拍子抜けでした。この両親にはもうちょっとわからせてやらなければならない、と。しかも、結局エイミーは自分の部屋をもらうんですが、もともと客間だのトレーニングルームだのがあったことに驚きです。妹のひとりは個室をもっていたのだから、この子ももっと早く自分の部屋をもらえてもよかったのに。貸出し禁止をやめさせるアイデアはスカッとしました。大人の論理を逆手にとって、たいした逆転劇でした。スペンサーさんの読書記録を晒さずに、これだけで勝ちにもっていったらもっとよかった。たとえば、ネットや本で簡単に調べられるような、有名人や偉人の読書経験などを引き合いに出すだけでも、この論理で行けたはずなので。

彬夜:これは、今回の3冊の中でいちばんおもしろかったです。大人に対峙して、子どもたちだけで工夫をしながら抗うのが痛快です。エンタメ作品で子どもが活躍するというのはいくらでもあるでしょうが、暴力的な反抗などでなく、子どもたちだけで大人に一泡吹かせるというか、刃向かっていく、という物語は、あまり日本で見ないような気がします。それをリードするのが、言いたいことが言えないエイミー・アンという子であるのが、またいいですね。家族の中での立ち位置についても、特に読み手が長女だったら、共感できる子が多いのではないでしょうか。物語の方向はある程度見えてしまって、まあ、予想通りのハッピーエンドと成長が語られるわけですが、それでも、読後がよかったです。保護者が子どもの読む本を禁止できるというのは、私もちょっとひっかかりました。あと、校長のリアクションが書いてなかったので、そこもちょっと知りたかったです。

まめじか:「本は宝の山」と言う主人公が、本を大切に思う気持ちが伝わってきました。主人公は最後に、「本でおそわったからやったんじゃない。本を貸出禁止にされたから、うそをついたり、ぬすんだり、大人にさからったりしたんだ」と言っています。ブラジルの画家のホジェル・メロさんは国際アンデルセン賞を受賞したとき、かつて軍事政権が本を禁じるのを見て、「彼らが恐れるほどの力が本にあるのを知った」と語っていました。自分が好きではない本も守るのが、多様な意見や表現の自由につながりますし、図書館は知る権利を守る場ですよね。アメリカには毎年、禁書週間があって、撤去要望の多かった本を展示するキャンペーンを書店や図書館が行っています。あと物語について言えば、あたたかな家庭なのに居場所のない感じがリアルでした。p229「だれも、わたしのことを、いわれたとおりにするいい子だって、思ってくれない」という文を読んだときは心配になりましたが、そのあとp246「なにも意見をいわず、問題もおこさないエイミー・アンがいい子? それとも教育委員会のまちがいをだまって受けいれず、それを正すために行動をおこすのがいい子なの?」とちゃんと言わせているのもいいですね。

ネズミ:すごくおもしろかったです。主人公が、人に言えないけれど、心の中でああでもない、こうでもないと考えているところ、大人がすることに対しても、それでいいのかと、いろんな方向から考え、立ち向かっていくところがとてもよかったです。ロッカー図書館がだめになったり、大事な紙をシュレッダーにかけられてしまったり、困難にぶつかりながらも、それでくじけないところは、子どもに勇気を与えてくれそう。「三つ編みをしゃぶる」など、深刻にならず、ユーモラスに感情が表現されているのもいい。長いけれど、読んでほしい本だと思いました。

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しじみ71個分(メール参加):以前、中野怜奈さんが子どもの読書の制限に関するニュースを国際子ども図書館のサイトで紹介してくださったのですが、「差別的表現」「暴力的な場面」「薬物・飲酒・喫煙」「同性愛」「性描写」「対象とする読者の年齢に合わない」「宗教上ふさわしくない」等が理由で、学校等で利用制限が要望された本のトップ10をALA(米国図書館協会)が4月に発表しているとか、子どもたちの読んだ本を保護者に公開している、というような事例が実際に米国であるということを情報として得、子どもの読書の権利について以前から問題意識があったので、とても興味深く読みました。
話の筋としては、思ったことを口に出して言えない女の子が貸出禁止の本を貸すロッカー図書館を始めたことで、大事なことを言えるように成長すること、本や読書への愛情、本の中で子どもがさまざまな事柄を体験し、時には閉ざした心を揺らし、動かすといった、本が子どもに与える影響などが描かれていて、おもしろく読みましたが、図書館員としてどうしてもこれはダメだと思うのは、スペンサーさんの読書歴をエイミー・アンが暴露することです。図書館の自由に関する宣言では、図書館活動に従事するすべての人は、利用者の読書の事実を守らなければならないと述べています。なので、多くの図書館では、貸出記録が利用者の目に触れる方式はもう採用していないと思います。読んでいる最中で、エイミー・アンが重要証拠としてスペンサーさんの貸出記録のあるカードを見つけて、それを逆転劇の場面で使うことは容易に想像できてしまいました。この利用者の読書の秘密を保持する件については、教育委員会での演説のあと、司書のジョーンズさんがエイミー・アンに読書の秘密を守ることについて一言述べるだけに留まっているのにはどうしても大きな違和を感じます。また、ジョーンズさんが繰り返し、子どもの読書について制限していいのは保護者だけ、と言い、エイミー・アンもそれについて納得しており、最後の場面では親から子の本は早すぎる、と言われて抵抗しないのもちょっと納得がいきません。国際子ども図書館の同僚間でも、子どもは未熟な存在だから大人が導き、優れた本を紹介するのだ、という議論が定着していて、そのような発言を聞いて、子どもの読書の権利をどう考えるべきか、ずっと疑問に感じていました。子どもたちは大人の薦める良書のみを読まねばならないのだとしたら、それはどうなのか、と今でも悩んでいます。大人からしたら悪書でも読みたいときがあるのではないかと思います。
展開もスピーディーでハラハラ、ドキドキもあり、お姉ちゃんの我慢とか家族の問題もあり、主人公の成長もありで、物語自体はおもしろく読めたのですが、図書館の自由と子どもの読む権利の2点において、とても大きな引っ掛かりを覚えた本でした。

アンヌ(メール参加)本好きにはたまらなくおもしろい本だと思うのだが、少々疑問点がある。まず大前提である、「本を貸出禁止にする仕組み」を、なぜ教育委員会が無視したかということだ。スペンサーさんが独走することを、校長を含め、なぜ教師たちが許したのかがわからないまま話が進む。結局、もともとの規則に従おうということで終わるのだから、教育委員会という名のPTAの暴走への戦いの物語なのだろうか。まあ、それはそれとしてとてもおもしろかった。本以外に行き場のない主人公、クラスでも家庭でも言いたいことを胸にためたまま、人の言うなりに過ごしてきた少女が、唯一の居場所である図書館と、心のよりどころである本を取り上げられたら、それは変身するしかないだろうと納得がいく。それにしても主人公は注意深いというか、一概に人を決めつけるところがないのがいい。私は特に、偽の表紙と題名をつける場面が好きだ。聞いたことがあるようなでたらめな題名がおもしろいし、p204の『17番目のお姫様』の表紙にあったお話を作る場面を読みながら、 私なら『おれの指をかげ』をどんな話にするかと考えて楽しんだ。 そうしていたら、耳は聞こえず目も見えない愛犬の起こし方というネットの動画が流れてきて、そっと鼻先に指を出して、匂いをかがせて起こすというのがあって、 これで感動的な物語ができるなと思った。
二度目の教育委員会の会議で、「禁止本を読んでいた」と、スペンサーさんを指摘するところで終わらず、 でもいい人に育ったというところは、
いいような悪いような落ちつきのない気分にさせられた。うまく丸くまとめたという感じがする。でも、そこで終わらず、主人公の家庭内での関係も変わったのだから、いいことにしようというめでたしめでたしの物語で終わったので、まあよかったと言えるかもしれない。

(2019年12月の「子どもの本で言いたい放題」)

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ほんをひらいて

トニ・モリスン&スレイド・モリスン文 シャドラ・ストリックランド絵『ほんをひらいて』さくまゆみこ訳
『ほんをひらいて』
トニ・モリスン&スレイド・モリスン文 シャドラ・ストリックランド絵 さくまゆみこ訳
ほるぷ出版
2014.10

アメリカの絵本。主人公は下町に暮らす東洋系らしき少女ルイーズで、雨宿りをするために図書館に入ります。ルイーズにはこわいものがいっぱいあって、不安を強く感じる子どものようです。でも、本を開くと、広い世界が見えてくる。お話を読めば、つらいことも忘れられる。そう、ひと味違った、本の世界の楽しさ を伝える絵本です。

トニ・モリスンはノーベル文学賞に輝くアフリカ系アメリカ人。スレイド・モリスンは、トニの息子です。スレイドは、この作品を母といっしょにつくった後亡くなっています。膵臓癌で亡くなったようですが、そこには何か事情もあるようで、原出版社からスレイドの死については著者紹介に書かないでほしい、と言われました。
(編集:石原野恵さん 装幀:森枝雄司さん)

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<紹介記事>

・「読売KODOMO新聞」2014年12月4日

 

・「新日本海新聞」2014年11月30日

 

・「読売新聞」2014年12月13日夕刊

 

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どうしてアフリカ? どうして図書館?

『どうしてアフリカ? どうして図書館?』
さくまゆみこ/著 沢田としき/絵
あかね書房
2010.06

ローワンやクロ千の訳者として私を知ってくださっている方には、「どうしてアフリカのものも訳してるの?」とよくきかれます。またアフリカにかかわるNGO活動もしているのを知ってくださっている方には、「どうして(医療や食料などの援助ではなく)図書館をつくったり、図書展をしたりしているの?」とよくきかれます。その答を子どもたちに向けて書こうと思いました。中・高の同窓生だった編集者の重政さん(私よりずっと若いですが)に何か書けといわれたのが、きっかけでできた本です。絵を描いてくれた沢田さんの最後の仕事になりました。
(編集:重政ゆかりさん)

*SLA夏休みの本(緑陰図書)選定


ローズの小さな図書館

キンバリー・ウィリス・ホルト『ローズの小さな図書館』
『ローズの小さな図書館』
キンバリー・ウィリス・ホルト/著 谷口由美子/訳
徳間書店
2013.07

『ローズの小さな図書館』をおすすめします。

最初に登場するのは、父親が蒸発して貧しくなった家庭のローズ。家計を助けるために年齢を偽り、14歳で移動図書館車のドライバーとして働き始めます。1939-40年のことです。でも、この本の主人公はローズだけではありません。第二部はローズの息子のマール・ヘンリー(時代は1958-59年)、第三部はマール・ヘンリーの娘のアナベス(1973年)、第四部はアナベスの息子のカイル(2004年)が主人公になっています。

四部構成になったどの物語も図書館が舞台というわけではなく、主人公の中には本嫌いもいます。内容も、不注意でわなに愛犬がかかってしまった話、恋といじめの話、アルバイトで子どもの劇を手伝う話など、様々です。とはいえ、だれもが、なんらかのかたちで本や図書館にかかわっています。

この作品には、4世代にわたるアメリカの10代の日常の変遷を生き生きとたどれるおもしろさがあります。人によって本の読み方も、本に求めるものもいろいろだということも、よくわかります。21世紀に入ると、アメリカでもホームレスの人たちが図書館を昼の居場所にして、ハリー・ポッターなどを読んでいる、なんてこともわかります。ただし、カタカナ名前がたくさん出てくるので、本の最初のほうに載っている家系図を見ながら読み進めるといいでしょう。

そして最後の第五部には、ひいおばあちゃんになったローズがもう一度登場します。79歳のローズはこれまでの体験を本に書いてとうとう出版したのです。お祝いの場に、ここまでの物語に登場してきた人物が勢揃いする(亡くなった人は別ですが)のも、おもしろいところです。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年2月10日号掲載)