日付 2024年07月31日
参加者 エーデルワイス、きなこみみ、雪割草、西山、アリグモ、花散里、アンヌ、雪割草、ハル、しじみ71個分、アカシア
テーマ スポーツと家族

読んだ本:

双子が登場するバスケットボールの1シーン
『クロスオーバー』 STAMP BOOKS

原題:THE CROSSOVER by Kwame Alexander, 2014
クワミ・アレグザンダー/作 原田勝/訳
岩波書店
2023

〈版元語録〉ジョシュとJBは12歳の双子。元プロ選手の父親のもと、中学のバスケチームでは息の合ったプレーで敵を圧倒し、郡大会を勝ち進む。そんな中、父さんの体調に異変が――。ジョシュの語りが詩となって、家族の物語を紡ぐ。ジャズやヒップホップのリズムが生きる文体で詩の可能性を若い読者に示し、米国で絶大な支持を得た作品。
跳び箱に挑戦する子どもたち
『体育がある』
村中李衣/作 長野ヒデ子/絵
文研出版
2021

4年生のあこは体育が苦手。ママの熱心すぎるサポートも負担だ。そんなとき、ありのままのあこを受け入れてくれるばあばがやってきて――。体育をめぐって自分にむきあい成長していく少女を、ユーモアたっぷりに描いた物語。


クロスオーバー

双子が登場するバスケットボールの1シーン
『クロスオーバー』 STAMP BOOKS

原題:THE CROSSOVER by Kwame Alexander, 2014
クワミ・アレグザンダー/作 原田勝/訳
岩波書店
2023

〈版元語録〉ジョシュとJBは12歳の双子。元プロ選手の父親のもと、中学のバスケチームでは息の合ったプレーで敵を圧倒し、郡大会を勝ち進む。そんな中、父さんの体調に異変が――。ジョシュの語りが詩となって、家族の物語を紡ぐ。ジャズやヒップホップのリズムが生きる文体で詩の可能性を若い読者に示し、米国で絶大な支持を得た作品。

エーデルワイス:『タフィー』(サラ・クロッサン著 三辺律子訳 岩波書店)以来、横書きにも大分慣れた気がします。詩なので時々声に出して読んでみました。12歳双子の一人ジョシュ・ベルの苦悩や葛藤が痛いほど伝わってきました。バスケットの世界ですから最近話題の「スラムダンク」の映画を観ておけばよかったと思いました。近日再上映がありますので観たいと思います。生活を支えている中学校の教頭先生をしているお母さんが、成績、品行方正、良質な食べ物について言うことに対し、元バスケット花形選手だったお父さんは日常がすべてバスケットのこと。ジョシュとJB(ジョーダン・ベル)はなかなか大変と思いました。お父さんが現役時代に膝蓋腱炎の治療をせず引退。さらに心臓が悪いのに病院に行こうとしないことがどうしても理解できませんでした。

きなこみみ:私もバスケ気分を盛り上げようと、「スラムダンク」をネットで見たりしました。弾けて躍動する体のリズムやスポーツを表現するのに、「詩」はちょうどいいジャンルなのかもしれません。翻訳も手が込んでいて、原田勝さんはさすがだなと思いました。これまで、双子として不動のタッグを組んでいた兄弟の間に、ふとしたことでヒビが入って、片方に彼女ができたりして、溝が深くなっていくんですよね。その微妙な心の機微が、バスケシーンの躍動感とともに味わえるのは、アニメやなんかの映像作品に比べて視覚的には弱い文学としての強みだなあと思います。
兄弟の間にひびが入るきっかけである、ジョシュのドレッドヘアが切られてしまうシーンは胸が痛みました。ジョシュが髪を大事にしているのも知っているはずなのに、ドレッドヘアを切ってしまったり、テスト中にメモを回して、カンニングと思われてジョシュが怒られてしまうところとか、密に繋がっていた二人が離れていく、思春期の兄弟ならではの複雑なところ、家族の中で孤独を感じるところが自分の痛みのようで刺さりました。あと、あんなにお父さんの病気が悪化しているフラグが立っているのに、なんで病院に行けなかったのかというのが、最後まで疑問で……。意識を失ったところで、救急車とか呼ばないのかな、とか。アメリカの医療事情もあるのかもしれないですが、なんだかやきもきしました。頑として病院に行かないお父さんの意識の裏には、自分が強いといつも思いたいマッチョな思考があるのかもしれないとも思いますが。
でも、この躍動感のある作品が、バスケが国技のようなアメリカで、ブレイクしたのはわかる気がします。

雪割草:引き込まれて一気に読みました。子どもの頃、兄がバスケが好きで「スラムダンク」の全巻を持っていたので、それを読んだのを思い出しました。構成も、作品を一つの試合に見立てていて、おもしろいと思いました。詩の形式であることで、想像の余地があって余韻が感じられ、胸に迫ってくるような切なさが伝わってきました。作品全体を通じ、父の存在の大きさが描かれています。クロスオーバーの名手であった父。「クロスオーバー」という言葉は、タイトルでもあり、バスケの技の名前でもあり、なにかを超えていくという意味として、主人公ジョシュの成長も伝えていると思いました。

ハル:余韻の残るいい話でした。バスケットは全然わからないので、最初は「わー、これは困った」と注釈を読みながらなんとか読み繋いでいく感じで、ちょっときつかったのですが、だんだん絵が浮かぶようになってきて、後半になると試合の描写にもハラハラできました。バスケットに全然興味ない、という子でも、最初の何ページかを乗り越えて、ぜひ読み切ってほしいです。詩の形態の物語はこの数年で何冊か読みましたが、小説に比べたらまだまだなじみがないので、やっぱり抵抗は残るものの、躍動感やスピード感、主人公の不器用な心情を語るのにも、「詩」の形態の可塑性というか、いろんなことができ
るんだなぁという、それこそ「可能性」を感じました。最後のJBのフリースローは決まったのか決まらなかったのか、にくい終わり方です。

アカシア:私は原書を先に見ていたのですが、ラップとかヒップホップのノリを感じて、私にはとても翻訳は無理だと思っていました。なので、原田さんのすばらしい訳を見ても、最初は違和感がありました。また原書の本文のレイアウトはきれいにリズムを作っているのですが、日本語で見ると、違うリズムが聞こえてきてしまって、正直あまりきれいだとも思えませんでした。つまり、日本語版を作るのが、とても難しい本なのですね。ただ、ある時期まではとても仲が良くていつも一緒に行動していた双子のあいだに亀裂が生じ、それぞれの個性もくっきり現れるようになり、そのうち口もきかない状態になり、時間を経てまた仲直りしていく、という状況は、とてもよくわかりました。
アメリカでは映画化もされているようですね。アメリカでは賞もたくさんとり、よく売れた本で、本好きではない男の子も夢中になって読んでいると聞きますが、日本では年齢対象も上がってしまい、そのあたりはなかなか難しいですね。

西山:原書では、本文のレイアウトはどうなっているんですか?

アカシア:違和感のないデザインで、きれいなんです。

アリグモ:以前1回読んで、今回が再読になります。でも、内容をいろいろ忘れていました。最後に主人公が12歳だと知って、前回も多分びっくりしたと思うのですが、今回もまたびっくりしました。中学生とは書いてあるけれど、恋愛関係の部分のせいか、16~17歳くらいをイメージしてしまっていました。さて、本文ですが、詩を巧みに使った物語で、魅力的です。ある言葉の説明にまるごと詩を一つ使ったり、お母さんからのメールを並べる章があったり、いろいろな使い方をしています。気になったのは、病気の部分。お父さんは息子とバスケをやってダンクの瞬間に倒れて、結果的に亡くなる、というストーリーが先に決まっていて、説得力のある病気を探したのかなぁ、などと穿って考えてしまいました。伏線として、高血圧症で、おじいちゃんも同じ病気だった、などと説明はありますけれど、それにしても、プロのアスリートが心筋梗塞で39歳で亡くなるというのは、かなりレアケースのような…。ただ、そう感じるのは日本の医療の感覚で考えているからで、アメリカではそうとは限らないのかもしれませんが。

西山:基本的にスポーツは全方向的に興味がなくて、当然ルールも知りません。スポーツ物の作品はおもしろく読みますけれど、詩の形は、私は読むのはしんどいです。巻末の「訳者あとがき」で「文字で埋まった分厚い本を読むのが苦手な読者にも受け入れられ」とありますし、実際、多く読まれているとのことですが、余白を想像するのは結構難しい読書だと私は思うのですけれど……。でも、原文を声に出せばラップみたいでかっこいいのかな。ラジオドラマならかっこいいのかもなと思いました。遺伝性の病気を気遣ってお母さんが食べさせるヘルシー志向のメニューとかおもしろかったです。ジョシュの出場停止処分で、これは、学校が下した処分ではなかったと思いますが、これまで読んだアメリカの翻訳物で暴力行為やいじめに対する処分が結構厳しいなと感じたことを思い出しました。

アンヌ:スポーツは苦手だし、最初の1ページ目を見て果たしてこれを読めるだろうかと心配したのですが、気がつくと一気読みでした。詩ではあるけれど、読みやすかったしおもしろい試みの連続でした。言葉の例題を出したり、心の中の実況中継をしたりすることで主人公の気持ちや葛藤がわかっていくし、バスケットの規則や見所も理解できるようになるのはすごいと思いました。私は双子の物語で兄弟が同じ女の子を好きになるというパターンが嫌いなのですが、それ以前に二人の違いとかが書かれていたので、JBの恋も思春期での道が分かれる過程として読めました。だから、父親の死を前にした二人の行動の違いを周りも自然に受け入れていて、誰もその態度を責めない。日本のスポーツものなら兄弟一丸となってと書きそうなところですよね。父親が病院になぜ行かないかというお話が出ましたが、家が貧しかったり、日本のように自治体による健康診断がとかなかったりしたせいで医療に縁がなかったのかもしれません。救急車も有料だそうです。でも、スポーツ心臓と遺伝性の高血圧だとしても、もっと早く病院に行ってほしかったと思います。原文がラップ調だというのが反映していないことやp219の短歌が逆に整えられていないのはなぜだろうとか、詩を翻訳する難しさを感じますが、それでも、詩という形式が読む邪魔をせず、言葉が好きな主人公の独特の語りとして読める、とても魅力的な作品だと思います。

しじみ71個分:2014年刊の原書がニューベリー賞を受賞したというニュースを2015年くらいに読み、それ以来ずっと読みたいと思っていた本でした。受賞の評に、詩で書かれた物語という言葉があり、詩の形式で書かれた物語の存在を認識したのがその時だったと思います。バスケで詩ならラップ、リズムはヒップホップだろうと思ったのですが、いったいどんな本なのか、翻訳できるのかな、など思いを巡らせていましたが、ニュースから9年越しで、やっと読むことができました。訳者の原田さんに心からありがとうと言いたいですし、今回みなさんと一緒に読めてうれしいです。
で、読んでみた感想ですが、普通に詩を翻訳すること自体がとても難しいのに、英語のラップ、ヒップホップのリズムを日本語で表すのは難しいのかなぁと、まず思いました。訳文からリズムが聞こえてくるかというと、そこはちょっと期待と違ったかもしれない……。ですが、本のテーマになっている思春期の心や家族の問題という内容が生々しく迫ってきて、とてもおもしろくて一気に読んでしまいました。ジョシュは勉強もできるし、バスケの将来を嘱望されるような男の子なのに、どこか幼稚でバスケのことしか考えていなくて、でも双子の兄のJBに彼女ができてうらやましいし、JBがバスケより女の子に夢中なのも許せないし、やっかみやら何やらグチャグチャ、モヤモヤが高まっていく様子にはハラハラしました。高まったイライラが爆発して、とうとう危険なパスでJBに怪我をさせてしまう場面は読んで胸が苦しくなりました。加えて、尊敬するダ・マン(ただ一人の男という意味でいいんでしょうか?)と称されるほどのバスケ選手だった父親が病に倒れ、遂には亡くなってしまうことで砕けるジョシュの心模様は、読んでいて本当につらかったし、読み応えがありました。感情に迫るというのは詩の真骨頂というところでしょうか、胸に刺さりました。
それと、とても作者がうまいなぁと思うのは、普通の会話だけでブラックカルチャーが浮かび上がってきたところ。息子はカニエ・ウェスト、父はコルトレーンやらマイルス・デイビスなんて具合に自然に触れられていて、心憎い演出だと思いました。待って、読めて本当によかったです。原書はいったいどんな感じなのか見てみたいです~。
蛇足ですが、ネットでアメリカの中学生バスケの映像を見てみましたが、これは中学生ですか?という感じでした。それから、本の表紙ですが、私は原書のちょっと重い感じの絵がよかったなぁと思っています。最後に、「クロスオーバー」というタイトルですが、ディフェンスを左右に揺さぶるバスケの技の名称でもあり、向こう側へ越えていくなどの意味もあり、ちょっと奥深そうで気になります。続編も楽しみです。

花散里:STAMP BOOKSは出版されると読んでみたいと思う作品が多いのですが、この作品を手にしたとき、バスケットボールのことがまったく分からない上に、ジャズやラップなどの音楽についても余り知識がないので読みにくいと思いました。そして韻を踏んだ横書きの詩物語であること、活字の字体、字の大きさが大から小に変わったり、斜めだったりするのも読みにくいと感じました。「訳者あとがき」で「分厚い本を読むのが苦手な読者にも受け入れられ」っと、記されていることには、果たしてそうだろうかと疑問に感じました。
もうすぐ13歳の双子の兄弟の生活、女の子のことや両親について、日常のことなども、日本の中学生よりも年上のように感じられました。後半、父親が亡くなる場面、兄弟間の確執が解消されていくところは惹きつけられように読めましたが、日本のヤングアダルト世代に手渡すのには難しい作品かなと思いました。

アカシア:先ほど、原書のイメージはどうなのかというご質問がありましたが、かなり違うんですよね(原書の1ページを見せる)。

参加者:うわぁ、原書のイメージはやっぱり全然違いますね。レイアウトも似せているのに、ひらがなと漢字で表すとなんだか見た目が違ってしまいますね。うーん、普通の文章のレイアウトでよかったのかもしれないですね……
参加者:“moving & grooving” “popping and rocking”とか、sizzling、drizzlingとか、かなり韻を踏んでいますね。これで文にリズムが出るんでしょうね。すごいな。これは日本語にできないような気がします……

(2024年07月の「子どもの本で言いたい放題」より


体育がある

跳び箱に挑戦する子どもたち
『体育がある』
村中李衣/作 長野ヒデ子/絵
文研出版
2021

4年生のあこは体育が苦手。ママの熱心すぎるサポートも負担だ。そんなとき、ありのままのあこを受け入れてくれるばあばがやってきて――。体育をめぐって自分にむきあい成長していく少女を、ユーモアたっぷりに描いた物語。

花散里:まず、タイトルがおもしろいと感じました。 主人公の気持ち、母親の描かれ方など、村中李衣さんの文章がうまいし、どのページにも長野ヒデ子さんの絵があるのがとてもいいですね。私自身、運動神経が鈍くて、小学生の時の跳び箱、鉄棒、徒競走など、いつも苦手だったので共感しながら読みました。自分のことを思い返しながら、弟が、運動神経が良いということに対しての主人公の気持ちなどにも、きっと共感して読む子がいるのではと思いました。給食が食べられなくてポケットに入れて、母親に怒られるという場面なども印象的で、低学年の子どもたちが、どんどん読み進らめる作品ではないかと感じました。

アリグモ:とてもユーモラスな本で楽しく読みました。主人公はいろいろ大変なんだけれども、後半、少しずつ光が見えてきているのがよかったです。お母さんが、主人公にとっての一つの大きな“壁”になっています。悪気はないけれど熱心過ぎて圧力をかけてしまう親。この部分には共感する子どもも多いのではないかと。だから、そういう子どもの読者は、主人公がそれを解決できるのか、できるとしたらどうやって解決するのか、というところに注目すると思うのですが、この本では「おばあちゃんのおかげ」になっています。結局、お母さんよりもさらに目上の大人しか解決できないのか、というふうに子どもが読み取りかねないですよね。そういう意味でちょっと閉塞感が残るかなとも思いました。

西山:跳び箱も鉄棒も走るのも、もう、ほんとに体育がつらかったのを生々しく思い出しました。この作品は、できないことのつらさ、恥ずかしさを書いているけれど、最終的には、がんばるのかぁとちょっとがっかりするような気持ちにもなりました。でも、できなくてもいいんだよ、がんばらなくてもいいんだよ、と寄り添うより、現在進行形の子どもにとっては、こちらの方が希望で励ましなのかもしれませんね。
みなさんおっしゃるように長野ヒデ子さんの絵も楽しくてどんどん読めるのだけど、相当ネガティブなものを孕んでいる作品ですよね。「こいつ勉強ばっかして体育はできないんだぞって、みんなかげで笑ってるにきまってるし……」(p14)と思ったり、久しぶりにやってきたばあばが「どうだい? かあちゃんは、ヒステリー出しよらんか?」(p100)と言うことから、ママのあまりのバイタリティーが単純に笑えるものではないこともはっきりします。明るくテンポよく展開して、子ども読者に負担をかけないけれど、複雑でやっかいなものを抱えていて、一筋縄ではいかない作品だな、ちゃんと読み込まねば、と思っています。

アカシア:長野さんの絵がいいですね。私は長野さんの絵の中でも、これは出色の出来栄えなんじゃないかと思います。これがあるから、シリアスにならずに読むことができます。体育が苦手な子の心情が、とてもうまく描かれています。でも、p38では、[「むちゃくちゃおそいよ。わたし、体育ぜえんぶだめだもん」って笑いながら答えた。/わたし、なんで笑ってるんだろ。口の横をふにゃふにゃさせて笑うなんて、ばっかじゃないの。こういうときの自分が、いやでいやでたまらない。]とあって、この子が自分の内面もちゃんと見つめることのできる子だということがわかります。作者の村中さんも、こういうお子さんだったのでしょうか? このお母さんについては、私もウザいなあと思いながら読んでいたのですが、今どきのお母さんの中には、こういう場合、スポーツ家庭教師を雇ったりしそうです。そう考えると、この人は自分で時間と労力を使って教えているし、おばあちゃんに叱られたらすぐ態度をあらためるわけですから、勘違いしていただけで、本当はいいお母さんなんですね。

ハル:ああ、いい本読んだなぁと思って。わたしも体育が苦手な子だったので(どうでもいいでしょうけど、走るのは早かったです!)、体育の時間のこのなんとも言えない寂しい気持ち、わかるなーと深く共感しながらも、読んでいて決していやな気持ちにはならない。ママがせっせと練習させてくるのも、あこにとったらつらかったと思いますが、読み手の私は、共感こそすれ「ママはひどい」とはならず、むしろ、ママのたくましさにほれぼれするし(ジャングルジムからもジャンプできるし、海水浴も教えられる!)、ああ、体育って、生きてく上で必要な授業だよなぁとまで思えてきました。あこが「わたし、だれにもバカにされてなんかいないよ」(p117)とはっきり言うところも、いいなぁと思います。体育って本来そういうもので、苦手な子がかわいそうとか、恥ずかしいとか、そういう次元じゃないんだなーと気づかされました。物語全体に愛があるし、表現も豊かで読んでいて楽しい。ばあばのメッセージも心にしみました。親にだって、言いたいことは言わなくちゃって、小さい読者の心にも届いてほしいです。

雪割草:楽しく読みました。タイトルもおもしろいですが、それぞれの章の小見出しも良くて、目次を眺めているだけで、主人公あこがどんなふうに成長していったのかが感じられました。
それから、長野さんの絵がとても味があって見入ってしまいました。挿絵ではなく、長野さんが語られることを自分の中に入れて、ご自身として表現されているのがよく分かりました。たとえば、p29の主人公あこのウォンウォン泣く姿や、p31の怪獣になったお母さん、それからp146から147の見開きで、あこがひよこから成長していく様子など、挙げればたくさんあります。p141の「息を吸ったり吐いたりするたびに、からだが新しくなる」という表現も、少しずつ前向きになるあこがよく描けていると思いました。「ぽいたろう」という名前もおもしろいですね。でも、あえて言えば、マット運動や跳び箱など、あこが不得意なことができない子はほかにもいるだろうと思うので、気持ちは分かりますが、ひとりぼっちでもないのではないかとは思いました。

きなこみみ:私も体育が嫌いで、跳び箱も、マット運動も、鉄棒も、水泳も、ダメでした。あこがママに言われてジャングルジムに登って泣くシーンがありますが、私もジャングルジムが怖くて怖くてしょうがなかった、その気持ちが生々しくよみがえって胸が苦しくなりました。村中さんの文章は独特のリズムがあって、切ないあこの内面が伝わってくるのに、同時に俯瞰して自分を見ているユーモアがあって、どんどん読めます。p29のそのジャングルジムのシーンで「できません、できません、できません。/ジャングルのどまんなかで泣いてみた/うぉ~、うぉ~。/ほえつづけるしかない。もう永久にこのジャングルで」とあこが泣くんですが、ジャングルジムの「ジャングル」という言葉から動物が連想されてのおもしろさと、ひとり恐怖で立ちすくんでいる感じが、長野さんの挿絵と一緒にとっても伝わってきます。文章が視覚的なんですよね。p41の走っても走ってもうまく進めないシーンで「そのうちもっともっと苦しくなって、からだがずんと重くなって、あぁこれ以上はムリ、と心がむこう側をあきらめちゃう」というところ、単に諦める、じゃなくて、「むこう側」という具体的な場所を表す言葉が入って、体で感じる実感がぐっと身近になります。この一言があるから、最後に、あこが毎朝走るようになって、絵美ちゃんに「空を見る」という秘訣も教えてもらって、「ようこそ、ようこそ、と雲といっしょに広がってる」(p147)世界に、むこう側に、ちょっと近づくというのが、素直に胸に入ってきます。とてもよく考え抜かれた文章だなと思いました。
それにしても、日本の体育の授業って楽しくないですねえ。子どもの頃はあんなに苦手だった体育も、大人になったら楽しさが分かるようになったんですが、子どもの頃はほんとに苦痛でしかなかったです。懲罰的というか、できる、できない、がみんなに分かってしまう。あこを追い込んでしまうママが、ばあばに怒られて、p115で「わたしがしっかりして、子どもたちをだれにもバカにされない子にちゃんと育てなきゃ」と心情を話すんですけど、この思いってママだけじゃなくって、私たちの社会全体に、遍く、広く、深く浸透して、多くの人を縛っている気がします。子どもたちにも、とても共感できる物語なので読んでほしいですけど、いろんな価値観に縛られてる大人にも読んでほしいなと思いました。

エーデルワイス:感想をお聞きしていると、本に関係のある人は体育が苦手なのかしら。うれしくなってきます。
私も体育が苦手です。跳び箱が跳べない。ドッジボールの球を受け取れない。ゴム跳びができない……。暗い小学生時代でした。体育も勉強もできる子がいて、スーパーな子と仰ぎ見たものです。長野ヒデ子さんのイラストがとてもいいです。わざと子どものような絵に崩しています。ところどころページ数が書いていないのはわざとでしょうか。p116の10行目、ばあばに言われてママが自分の思いを吐露して泣くところがいいです。あこちゃんをありのままに受け入れてくれるばあばの存在は嬉しいです。小学生だった頃の自分を思い出しながら、あこちゃんは賢い!と、楽しく読めました。

アカシア:あ、一般化されるとまずいのであえていいますが、私は体育苦手じゃなかったです。体を動かすのは好きでしたよー。それに、小学校の時、鉄棒でクラスでただ一人大車輪ができた同級生は、後に哲学を学んで、某大学の学長になりました。本が好き=スポーツが苦手とは言えないと思うけど。

しじみ71個分:私の小学校時代を追体験するような物語でした。私も体育が大の苦手で、本当に苦痛でした。なので、あこの体育がつらいという気持ちが本当にリアルに伝わってきました。自分も逆上がりもできなかったし、跳び箱もマット運動も、走るのも全部だめで、体育の時間はとても恥ずかしい、情けない気持ちがしたもので、その気持ち、よくわかるよーと、ずっとあこに寄り添って読み進めました。村中さんが子どもの気持ちを丹念に描いているので、あこの心の動きが手に取るようにわかります。あこの体育に対する葛藤には、お母さんとの関係も大きく影響しているのがつらいところですが、日頃から人の心をよくよく観察されている村中さんだからこその物語だと思いました。子どもの気持ちを受け止めないで強引に引っ張っていこうとするお母さんの姿には、自分にもこういうところがあったなぁと反省されられましたが、お母さんもがんばらなきゃいけない、子どもにもがんばらせないといけないと思っていたのは、考えると気の毒な、切ないことですよね。ばあばの登場によってお母さんがばあばの子どもに返って泣く場面では、大人も未熟な人間なんだ、子どもと一緒に成長途中だというメッセージが聞こえるようでぐっと来ました。「大人もだめじゃん」と公然と子どもに示すのはとても公平なことで、本当に村中さん、すごいと思います。
うちの母も体操部だかなんかで、小学生の頃は布団を敷いて、逆立ちやらでんぐり返しやら練習したこともあって、うわぁ、本当に自分のことみたいとずっと思って読んでいましたが、最後にあこちゃんが走るのが好きと分かって、「なんだ、走れるんじゃん」と置いてけぼりを食らった気がして少し寂しくなりましたが(笑)、新しい考え方ややり方を見つけることで、自分の苦手なこと、苦しいこと、つらいことを乗り越えていく可能性を示した終わりは本当に清々しく、開放感がありました。走ることではないけれど誰にも、違う何かの転換ポイントがあって、少しずつ成長していくのだろうと思えました。50m走ることそのものより、苦手意識のせいで走ることの手前で向こう側への到達を諦めてしまうという、あこの心の分析がありましたが、それを乗り越えていけるだろうという期待を、明るく自然に提示してくれています。本当に児童文学はすてきだと思える本でした。読めてよかったです!

アンヌ:久々に小説を読んだという気がして、見事な構成だと思いました。私も体育は不得意な上に、スポーツ万能な若い叔父や叔母に囲まれて育ったせいで、できないことがわかってもらえない状況が主人公とかぶりました。スポーツマンの人には、お母さんがジャングルジムから飛ぶように、怖いがスリルに変わる成功体験があり、できない子どもの恐怖が理解できないんだろうなと思いました。読んでいて、失敗して跳び箱に乗っかってしまった瞬間の感覚とか、鉄棒の匂いとかまざまざとよみがえってきました。物語の中の時間がゆっくりしていて、転校生の主人公がだんだんと周りの子と話すようになって、その中で疑問を持っていくという展開もいいなと思います。唐揚げを入れるポケットとか、犬に追いかけさせて50メートル走のタイムをあげるとか、笑ってしまう場面もあり、挿絵も楽しくて、読者が主人公と一緒にひたすら悲しくならないのもいい感じでした。海の場面での水に浮く感覚が違うとか、遠泳の後の疲労感とかの描かれかたも見事で、だからこそ家族に主人公の話を聞いてやってよと叫びたくなりました。
怪我の場面はつい親の気分で読んでしまっておばあさんの言葉が響きました。弟も役目としてうまく機能していると思います。自分はできる、だからできない人のことはわからない、わかってあげる必要もない、と思っていいのは幼い子どもだけなんだというのがよくわかります。主人公は走るようにはなるけれど、この物語の中ではまだ跳び箱も鉄棒もできないままで、問題を解決したとは書かれていません。だからこそ、今体育でつらい思いをしている子供たちにも手渡せるいい物語だと思います。

(2024年07月の「子どもの本で言いたい放題」より)