森島 いずみ/著 丹地 陽子/挿絵
偕成社
2015.10
版元語録:5年生の透子は母が入院したので若狭の祖父母の家に行く。離れに自閉症のぱんちゃんが住む。彼が飼っていたチャボが野良猫に殺され、透子は宇宙人にお願いするが…。
マリンゴ: まず装丁がすばらしいですね。丹地さんのイラストも美しいし。本文は、描写がとてもきれいで、風景を想像しながら読みました。だからとても印象はいいのですが、少しだけ違和感を覚えたのは、一人称だというところ。主人公の女の子は、今の発達障碍の区分だとボーダーラインにある子かと思うので、見えている風景がもう少し違うのではないかと感じました。何かが目についたら、そのことしか考えられない、とか。非常に整った抑制された描写なので、少し気になって……。物語の途中で、ああ、これは大人になってから振り返ったものなのだ、とわかるので、なるほどとは思うのですけれど。
スナフキン:このおばあちゃんや自然がいきいきと色彩豊かに描いているのが魅力。おばあちゃんの声を、せんべいに例えていておもしろいと思いました。思い込みがはげしい透子がお母さんのことを祈る場面は切なかった。とてもおもしろく読みました。透子はぱんちゃんを気に入ってるけど、なぜ気に入ったのかをもっと書いた方がいいのでは。
西山:マリンゴさんがおっしゃったのと、全く同じことを言おうと思ってました。初めて読んだ時から、こういう子は、こういう風に考えてこういう風に話すのかな、と思ってしまったんです。長崎に連れて行ってしまうのはひどい。ぱんちゃんのような人をサポートしてきた人が、そんなに簡単に環境を変えるかな。ドラマを盛り上げるためだとしたら、作中に理不尽なことを持ち込むのは違うと思う。美しくしちゃっているところがひっかかってます。
レン:若狭の海辺の町の情景に引き込まれて一気に読みました。人それぞれの人生があるんだな、自分とは違うけど、それぞれに苦しみつつなんとかかんとか生きているんだな、というのを最後に感じられるのがいい。ぱんちゃんみたいな人のことは、身近にそのような人がいないと知る機会がないから、こんなふうに作品の中で出会うのは大切だと思いました。
レジーナ:発達障碍の傾向のある主人公が、友だちとトラブルになったり、周囲になじめなかったりするところにリアリティがあります。風景の描写もきれいですね。私がいちばん気になったのは、ぱんちゃんの描き方です。知的障碍のあるぱんちゃんは、無垢で純粋な存在として描かれているのですが、人間にはもっといろんな面があるし、欠点もあってこそ人間の魅力だと思うんですよね。しかも最後で、唐突に死んでしまうので、主人公の成長にとって必要なだけの存在になってしまっているように感じました。でも気になるところはあっても、どこか心に残る本です。一人称で描くことの難しさについては、自分では気づかなかったので、なるほどと思いました。
花散里:高学年の子どもたちが読むときに、チャボが生き返ったように書かれていたりして、リアルな箇所と空想的な部分が混在しているようで分かりにくいように感じました。父親との関係も、祖父母に預けることになった経緯は分かりますが、父親の会話などが気にかかりました。主人公や家族が障碍を持った人を描いた作品が、昨年も多く出ましたが、この作品には腑に落ちない点も多く、どのように子どもたちに薦めていったら良いのかと感じました。
アカザ:私は、発達障碍がある子どもの話とは、まったく考えずに読みました。だから、目くばせしている友だちを、いきなりビート板でなぐったりするのは嫌だなあと思ったし、おばあちゃんがそんな孫のことを、おまえは悪くないという場面も、そんなに甘やかしていいのかと不愉快になりました。読み方、まちがっていたのかな? ぱんちゃんも、どうして死ななきゃいけないのかしら? うまく言えないけれど、物語の展開のために、特にこういう障碍のある人たちを死なせてしまう話って、あまり好感が持てないんですよね。今回のほかの2冊は1度読んだだけで「いいな!」と思ったのですが、この本はよくわからなくて、読み返したんです。でも、やっぱり何をいいたかったのか分からない。回想の中の風景を、抒情的に書きたかっただけじゃないのかと……。
ルパン:私は、これは傑作だと思いました。一人称がすごく効いています。一人称でなければ、宇宙人を呼ぶシーンなどリアリティが出せないと思います。おこづかいでチャボを買ってあげる友だちも、それを生き返ったのだと信じる主人公もいとしく感じました。ぱんちゃんが死んだところもせつなく読みました。父親は、「ぱんちゃんは生き返らない」と言ってやったとき、初めて父親らしいことをしたのだな、と思いました。ハッピーエンドではないけれど、とても心に残る物語でした。
アンヌ:とても魅力的な作品で、何度も読み返してしまいました。表紙も、挿絵も素晴らしく、特にp23。一瞬の驚きと恐怖と音がうまく描かれていると思いました。主人公の繊細な感覚や世界に感じている違和感が、てんぷらの皮やおそばのだしの濃さで描かれていて、食べ物の描写の場面がとても好きです。主人公が、誰もが好きな賑やかで砂がくっつく砂浜が嫌いだけれど、水と戯れられる磯遊びは好きと描かれていて、夏の魅力とともに主人公の感覚がわかっていく感じも素晴らしいと思いました。暴力に走る場面でも、心の中にあるスイッチが入り暴力を振るう、その瞬間の喜びが見事に描かれています。けれども、暴力を受けた側については描かれていない。主人公が落ち込んだ姿はあっても相手への思いやりがないので、この主人公への共感が生まれにくいと感じました。主人公は、最終的に、学校へ通えないまま成長していき、おばあさんの言うように「人の心をいやすため」ではなく、自分のために絵を描き続けています。作者は、こういう主人公を描くことによって、普通の人間でなくても、それでも生きて行っていいのだと伝えたいのではないかと思います。
ハリネズミ:私は、一人称で書いていいんじゃないかと思いました。一人称だから、主人公が発達障碍だったとしても、それをはっきりさせなくてすむし。でも私はこの子が発達障碍だとは思いませんでした。このくらいの年齢って、普通でも感情の揺れによってこれくらいのことはあると思います。それに、ぱんちゃんが添え物だとも思いませんでした。愛される存在として書かれていますからね。ただ見守りが必要なのに一人で長崎に行くことになったところは、あれっと思いましたけどね。おばあちゃんは普段一緒に住んでいないし、この子のことを心配しているのでかばう気持ちが強いのは仕方がないです。いちばん気になったのは、チャボの替え玉にぱんちゃんもとこちゃんも気づかないところです。特にぱんちゃんは、とても気に入ってかわいがっているんだから、違う鳥だってわかるでしょうに。とこちゃんだって、これだけ感受性が強い子だったら、わかるはず。そこはリアリティがないな、と思いました。
花散里:チャボが生き返ったと子どもが信じているような表現は、私もどうかと思いました。
レン:この年齢で、死んだ生き物が生き返るとは普通は思っていないだろうから、これは「信じたい」ということなんだろうと、私は読みました。
ハリネズミ:だったら、一人称なんだから、信じたいという気持ちを書けばいいんじゃないかな。
ハル:一人称か三人称か、どっちがよかったということではないんですが、読んでいる途中で「あれ、最初から一人称だっけ?」とちょっとつっかかったので、気にはなりました。回想なので仕方ないんですけど、当時のとこちゃんとの精神年齢的な乖離があるからでしょうか。装丁も表現も、風景や色の「とうめいみどり」とか、とてもきれいで、美しい本だなぁと思いました。でも、やっぱり、ぱんちゃんを死なせないでほしかった。長崎に連れていかれたところでも、いつの時代の話?とは思いましたけど、あそこでとこちゃんと別れさせただけじゃだめだったのかな。でも、とこちゃんに「大丈夫や」って、「だからもう、呼びもどさんでもええのや」って言わせなきゃいけないから、この設定は仕方ないのかなとも思いますが……。
花散里:おばあさんの手紙も気にかかりました。児童文学はそのように終わらせなくても良いのではないかと感じました。
レン:でも、回想で書いていることで、希望があるのでは? 今は平坦ではない道も、いつかは切り拓いていけるという。ぱんちゃんが来るのは、この子が来る前から決まっていたことだから、そんなに不自然な感じはしませんでした。
西山:回想形式に私はもともと懐疑的です。叙情と切り離した回想はあまりない。どんなに大変なことも、回想の額縁の中で語れば、喉元過ぎればすべてよしとなってしまう。重松清がそう。どんなに凄惨な暴力を書いても、なんでもオッケーにしてしまう。この作者の持っている叙情性がどうも気にかかります。好みの問題と言ってしまえばそれまでですが。口の感覚の鋭敏さとか、一人称で書くしかないとは思うのですが……。
アンヌ:回想として語ってはいますが、主人公は「今」でも人との関係を築けるようにはなっていません。まだ、何も解決しているわけではないけれど、この子は世界に美しさを感じ、絵を描き、生きている。そのことが重要な気がします。この本を必要とする人の手に、ぜひ手渡してほしい本だと思います。
(2016年6月の言いたい放題)