『愛の旅だち〜フランバーズ屋敷の人びと1』 (フランバーズ屋敷の人びと1)

原題:FLAMBARDS 1 by K.M.Peyton
K.M.ペイトン/著 掛川恭子/訳 *改訳で再版
岩波少年文庫
2009

版元語録:フランバーズ屋敷にひきとられた少女クリスチナと、彼女をとりまく男たちとが、第1次世界大戦下のイギリスを舞台に織りなす愛と憎しみを、ドラマチックに描く。シリーズ第1作。

タビラコ:40年近く前に読んだのですが、今でも生き生きとおぼえています。主人公がそれぞれ個性的で、特にラッセルさんが怖い夢に出てきそうなくらい強烈でした。今回、読みなおしてみても、いかにも英国文学らしい、くっきりした個性を持った登場人物たちが印象的でした。クリスチナ自身の内面の成長と、周囲の社会の変容がからみあって、ぐいぐいと読者をひっぱっていく。力強い作品だと思います。イギリスの読者が読むと、1つの「時代」を感じさせて、より感動的なのではと思いますが、日本の子どもたちも「ある家族の歴史」として、おもしろく読めるのでは?

げた:物語は1908年から始まっています。20世紀なんだけど中世の領主が支配しているようなフランバーズ家に関わる人々の人間模様が描かれているんですね。時代の境目に生きている、古い人たちと新しい人の葛藤がクリスチナの成長物語と合わせて展開していきます。ウィリアムの飛行機や自動車とラッセルの馬が象徴的なものとしてとりあげられているんだと思います。クリスチナは両親を亡くしておばさんのところを渡り歩いて、とんでもないおじさんのところに行かされちゃったんですが、それでも健気に生き抜いていくんですね。今回とりあげたのが第1巻で、新訳では5巻まで、これからどういう生き方をしていくか楽しみだなと思いますし、最後まで読んでいきたいと思わせる。屋敷で働いているディックがクリスチナに馬術を教えるんですけど、ディックは主人であるラッセルにあまりにもひどい扱いを受ける。こんなことが20世紀にもあったんですね。イギリスっていうのは、個人の力では乗り越えられない階級社会の伝統があるところなんだなと改めて感じました。

レン:私は今回はじめて読みました。昔ながらのオーソドックスな児童文学だなと。人物描写や情景描写がていねいなので、読んでいるうちにこの世界に入っているような気持ちになりました。香りや手触りまで伝わってくるような感じ。今の日本の児童文学には、こういう書き方の作品はほとんどないのではないかしら。ラッセルさんの言動や、ディックがマークをぼこぼこにするのをまわりの人々がただ見守っているような極端な場面も、今の作品だとあまり出てきそうにない部分。フィクションのおもしろさを味わわせてくれる作品だと思いますが、今の子どもたちが手にとるかどうか。

ハマグリ:この本を読んだのは、最初に出版された1973年でした。今回は読み返す時間がなかったんですけど、当時の読書メモを見ると、まず主人公が強く生きる姿勢に共感をおぼえる、ウィリアムへの気持ち、マークへの気持ち、ディックへの気持ちが細かく描かれている、馬と飛行機という対照的なものを描いているけれどどちらもスピード感が実にみごとに描かれている、映画的な手法が用いられている、と書いてありました。当時はこういう作品はとても新しい感じがしたのを覚えています。70年代は、YAという言葉が日本で使われはじめた頃なんですね。そのころ読んでいた児童文学は、動物や小さい子どもたちが主人公の話や、ファンタジーが中心でしたから、思春期から大人になっていく年代を等身大に描いた物語はあまりなかったんです。そういう意味で新鮮だったし、印象に残っているんだと思います。YA文学というのはこういうものだということを知った作品といってもいいですね。最初は3部作として出て、しばらくして4冊目が出ました。ペイトンの作品は『バラの構図』(掛川恭子訳 岩波書店)も『卒業の夏』(久保田輝男訳 学研/福武文庫)もおもしろく読み、印象に残っています。この作品も、文庫になったから今の子どもたちにも手にとってもらえるといいですね。今のYAというのは主人公のある状況を切り取ったようなのが多いので、こういう長編を読む楽しみも味わってほしいなと思います。主人公とともに一歩一歩人生を歩んでいくという長編の醍醐味を味わってもらえる作品ですよね。

プルメリア:主人公のクリスチナを囲む人間関係がとてもおもしろいなと思いました。馬に人生の喜びをかけている叔父ラッセル、相反するマークとウィリアムの兄弟関係、ディックとの関係が物語の中で動いていくのがわかりました。クリスチナと叔父ラッセル、マークの馬に対する愛情のかけかたの違い、馬と自動車、飛行機に夢をかける先駆者たちの姿、古いものから新しい時代へと歴史が動き出し急激に生活スタイルが変わって行くイギリス社会が描かれていて、私も映画の場面を思い描きながら読みました。これからディックがどんなふうに物語にかかわってくるかも次の作品を読む楽しみの1つです。今から約30年ほど前に出版されていますが、今読んでもいい作品だなと思いました。名作はいつまでたっても心に残る感動させる作品なんだなと、あらためて思いました。階級社会の構図が変わっていく時代の境目が描かれていて躍動感がありますね。

シア:はじめて読んで、1しかまだ読んでません。後の巻で、ディックと何かあるのかなんて空想してしまいます。20世紀初頭のイギリスっていうことで、身分社会とか上層の生活とかそういうものが見えるような雰囲気がいいし、情景描写がとっても生き生きとしていたと思います。古風な家族と新しい若者との対比もあるし。ただ、最近のものを読みすぎてしまっているせいか、古典的な少女マンガみたいな(いがらしゆみこさんとか)展開に少し辟易しました。ウィリアムの大事な本をよりにもよってラッセル叔父に渡してしまうような短慮な部分や、やたら惚れやすいところ、そういう主人公に呆れて。でも半分以降くらいからぐっとおもしろくなり、続きを読みたくなりました。読み終わったときいい作品だなと思ったんですけど、これを今の中学生にどうやって読ませていけばいいかというのが問題で。小学校気分が抜けない中学生くらいのほうが、逆に読むのかな。手当たり次第に読む子がまだ多いですからね。薦めるときは、半分くらいまでがまんして読めって言えばいいかしら。高校生はジャケ買い(ジャケ借り)とかになるんですよね。

レン:ちなみに女子校では、今日の3冊ではどれが好まれそうですか?

シア:表紙だと『バターサンドの夜』ですかね。パステルカラーでおしゃれ小物みたいなのが好きですね。

ひいらぎ:小学生はどうですか?

プルメリア:図書室で子どもたちを見ていると、まず本を開いてみて、字が小さいと書架に戻します。「この本は無理って感じ」ですね。『大海の光』は絵がわかりやすいので高学年の女子は手に取ると思います。『バターサンドの夜』は、手にとらないでしょうね。表紙の絵で手に取る作品とらない作品に大きく別れます。

げた:これはラジオの書評番組の中で一般向けとして薦められていたんです。大人が読んでもおもしろいですよって。

ひいらぎ:私はイギリス社会のいろいろな面がわかる本だなと思いましたね。馬とか犬を上流階級の人がどんなに大事にしているかとか、階級が違うと暮らしがぜんぜん違うとか、ダーモットさんみたいにそれからはずれている人もいるとか。最初はクリスチナがどうなるかなと思って読んだんですけど。これだけ情景描写や心理描写をていねいに描きこんだ本は、今は少ないですよね。でも、今や大学生でもよほど本好きでないかぎり、全巻続けて読んでいくのは難しいんじゃないでしょうか。「ゲド戦記」(アーシュラ・K・ル=グィン著 清水眞砂子訳 岩波書店)だってなかなか読み通せないですよ。

ハマグリ:「ゲド戦記」よりこっちのほうが読みやすいんじゃないかな。

げた:クリスチナがどんなふうに成長していくかと思って読んでいけますからね。

ひいらぎ:それにしても、ヴァイオレットの書き方はひどいですね。兄妹でもディックは馬っていう自分の専門分野を持っているけど、教育もない貧しい女性は小間使いしかなれないから、世界が広がっていかないんでしょうか。狭いところに閉じこもったきりですよね。それと、普通の上流階級の子だと、施しをすればいいという考えですけど、クリスチナは施しをするのにも良心の呵責を感じるところがあって、そういうところはペイトンがよく見てるんだなって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年4月の記録)