ベン・マイケルセン『ピーティ』
『ピーティ』
原題:PETEY by Ben Mikaelsen, 1998
ベン・マイケルセン/作 千葉茂樹/訳
鈴木出版
2010.05

版元語録:生まれながらに脳性まひがあったため、周囲から知的障害と誤解され、人生のほとんどを施設ですこすことになってしまったピーティ。過酷な生活のなかでも豊かな心を失わず、ひとつひとつの出逢い、目にするもの、耳にするものによろこびとおどろきを味わい、自分の人生を生ききったピーティの、光あふれる物語。

くもっち:障碍を持つ人が主人公の話っていうのは、はじめてではなかったのですけど、脳性まひの人に知的障碍があるわけではないというくだりをびっくりしながら読みました。自分の認識不足を改めて教えてもらいました。この作品は、真ん中で2つの物語に分かれていますよね。ピーティの一生を追いかけていく第1部と、ピーティが70歳近くなって、一人の少年と出会ってからの第2部。最初、2部がメインなら、バランスが悪いのではないか、と心配しながら読んでいたのですが、1部で出てくる記憶の断片や思い出の品、親しかった人との再会などがちりばめられていて、2部がとても生きてくる。男の子の両親の描き方が少し雑な気がしたけれど、それすら補うものがあるので、バランスが悪いと思った印象は、撤回しました。トレバーがすごくいい子で積極的なので、こんなに性格のいい子にどうして友だちができないんだろう、というところも不思議に思いましたが、トレバーが抱えている孤独感と、ピーティの生涯がシンクロしていく様子がとてもうまく描かれていると感動しました。ピーティのような人物の心の中でどんなことが起きているのか、そういうことも具体的に場面の中で知っていくことができておもしろかったです。今朝の満員電車の中で最後のシーンを読んでしまったので、目からも鼻からもダーっとなって、大変でした〜。(笑)

レン:引きこまれて読みました。とても興味深い作品でした。まずお話としては、物語の視点がおもしろかったです。ピーティの視点でいろんなものを見ていくんですね。普段の自分とは違うところから見る書き方がうまいなと。また、すべての登場人物たちが、ピーティと関わることで変わっていく。見方や生き方が変わっていくというのがよかったです。そこにピーティの生命力や、希望が感じられました。あと驚かされたのが、この事実。脳性まひだと、何も考える力がないと思われて施設に入れられていたのが、時代とともにだんだんに理解されていく。人権が確立されてから、アメリカでもまだ100年もたっていないとわかって、テーマとしても興味深かったです。ぐいぐい読ませる力があるので、小学生の高学年にも手渡していきたい作品だと思いました。

チェーホフ:脳性まひの人や周りの人々に向けて書かれたものだと思いました。泣かせようという意図は見えず、淡々と続いた日常という感じです。光景が目に浮かびましたし、描写が上手いのだと思いました。後半は環境が変わって社会的に受け入れようという舞台になっているのですが、社会的に生きていくための訓練などはしていない、日木流奈さんの『ひとが否定されないルール』(講談社)という本を読んだことがあるのですが、そっちは訓練プログラムを行っている様子などを写真や文章でご本人が説明していました。脳障碍を負っている方の自伝です。訓練を行っていることで生活感を生々しく感じましたが、多分『ピーティ』ではこのような事があった歴史として書いているのだと思います。それが現状だったのだなと悲しかったです。問題提起を投げかけていると思います。作中でも知らないからピーティを恐れたりしますね、知る、知ろうとすることで自分の世界の見方というのも変わっていくと思いました。

優李:とてもいい本だと思いました。思わず泣けました。子どもたちにも、ぜひ手渡せるように紹介していきたいと思います。6年生は、いろいろな世界の人を知ろう、という学習をするので、いつもそれに合わせてブックトークをするのですが、そのようなときにも取り上げたいと思いました。私が小学生だったとき、仲良しの友だちの弟が脳性まひでした。この本には、脳性まひだからといって知的障碍があるわけではない、と書かれていますが、この部分を読んではっとさせられました。友だちの家族も、もちろん私も、知的障碍があると思って接していたと思います。それと、ピーティの場合、親は彼を施設に預けてしまったら、その後まったく出てきませんね。そのあたりのシステムがどうなっているのか知りたいと思いました。身近に友だちの弟がいた私ですが、ピーティの顔のねじれているぐあいとか、障碍の様子が、文章からだけだとよく思い描けなかった。子どもたちもそうだろうと思うので、なにか、補足の資料があるといいと思います。「人権」ということがきびしく言われている時代なので、表立っては言わないけれど、学校で先生とうまくいかない児童が、陰でその先生のことを「障碍者」と呼んでいることがあります。この本で、子どもたちにとっての「障碍者」へのまなざしが変わるといいなと思います。

酉三:この作品は好感がもてました。冒頭のところで、1920年代を象徴するように車が登場して、その疾走が近現代の疾走を暗示し、そういう新しい時代がやってきたところで、障碍者切り捨てということが行われる。うまいと思いました。ちょっと気になったのは、わが子を施設に入れたにせよ、その後にピーティの親たちがまったく見舞いにもこない、というのには疑問を感じました。

ハリネズミ:私もそこは気になったんです。あれだけピーティに心をくだき、お金もかけて世話をしてきたお母さんが、それっきりになってしまうのが不思議でした。それで関係者にきいてみたんですが、当時は、もうきっぱりと縁を切ってしまうのが普通だったみたいです。

酉三:障碍者の状況ということを考えると、アメリカは日本なんかよりもずっとがんばっていると思っていたが、それでもかつてはこんなことがあったんですね。ということは、逆に言うと、日本だっていずれは展望が開ける可能性があるな、と思いました。

ajian:今朝電車のなかで読み終わって、やはり涙を止めるのに苦労しました。いい本でした。脳性まひの人が身近にいないと、その人がどんなことを感じることが出来るのか、どれぐらいコミュニケーションできるのか、全然知らずに過ぎてしまうと思う。この本は、ピーティの内面をつぶさに描いているのがとてもいい。それから、釣りの場面や、外を歩く場面では、ピーティの感動を、ピーティの身になって味わえます。ああ、こんなふうに感じているかも知れないんだ、と思いました。ただ風を感じるだけのことが、本来はどれほど豊かな体験なのだろうと。また、ショッピングモールの場面は、そもそも「買い物」という行為を知らずに生きてしまう現実がある、ということに、改めて気づかされました。同じ社会に生きていても、同じ場所にいても、全く違うことを感じている人たちがいて、『ピーティ』はそんな一人の人間に焦点をあてていて、とてもいいと思います。

ダンテス:とてもいい本でした。少人数だけどその時代その時代にピーティのことを理解してくれる人が登場してきます。後になってまた出てくるのかなと思っていたら、全員ではなくてオーエンさんが、後で出てきました。後半、引っ越しばかりしている少年が孤独を背負っていて、ピーティのお世話をしながら孤独感からも抜けられ、またそのおかげで女の子と出会うというのもいいのではないかと思いました。1990年代、アメリカで新聞記事に訴えて寄付を募るということもよく目にしました。後半は少年の成長物語として読んでもいいのでしょう。それにしてもピーティという人物を魅力的に描いています。

プルメリア:ピーティの様子がきちんとえがかれている。カルビンとの仲のいい様子もとてもいい。2部ではトレバーによって、再会の機会が作られたり、新しい体験もたくさんできる。終わり方もいいですね。ピーティの家族については、話を聞いてわかりました。今は障碍者という言葉は使わず、「体の不自由な人」といいます。学校では交流する機会もつくっています。子どもたちは最初は「こわい」という印象なんですが、慣れてくると一緒に楽しく遊べます。いろいろな人がいる社会。こういう作品は映画になると広く知られるようになって、いいのでは。周りが受け入れてくれないととても狭い世界にとじこめられるようになるので、たくさんの人に理解してもらうことが大切だと思います。

ハリネズミ:この作品では、『殺人者の涙』のパオロと同じような役割をピーティが果たしているんですね。いるだけで、まわりの人たちに何かプラスの作用を起こすことができる存在。それに、今回の課題本は3作とも、血のつながった家族より血のつながらない家族が重要な意味をもってますね。この著者には「かわいそう」という視点がまったくないので、そのおかげで、ピーティやカルビンの心の機微が読者にもストレートに伝わってきます。最初は、キャシーがピーティに「ハンサムだ」と言ったりする場面に残酷な感じも持ったのですが、よく読んでみたら、キャシーが本当にピーティを愛していたことがわかりました。またピーティとカルビンの友情にしても、図式的ではなく、時にはピーティがうんざりしたり、カルビンにマッシュポテトを顔にぬりたくられてピーティが悔しがったりする場面もちゃんと書かれています。著者のホームページを見ると、ピーティのモデルになった人と親密なつき合いをしていたということなので、実体験から来る重みのあるリアリティなんだなと納得しました。同じ著者の『スピリットベアにふれた島』(原田勝訳 鈴木出版)にも、クマと暮らしていた著者ならではのリアルな描写があります。去年読んだ翻訳作品のなかでは、これがいちばんおもしろかった本です。

ボー:非常におもしろく読んで、感動的しました。前半と後半での落差がとても大きかったです。前半は、後半をより説得力もって伝えるためにあるように感じました。物語は、後半になって動き始め、おもしろくなります。前半を読みはじめたときに、障碍者の話なので子どもにはとっつきにくいかなと思ったり、これだと子どもは最後まで読み続けられるかなと、ちょっと心配しました。読んでほしい子どもたちは、小学校4年生くらいから上でしょうか? 文体を考えても、読者対象は、そのくらいかと思いますが、その年齢の子たちに読んでもらうことを考えると、この前半は、もっと短くするとか、構成を変えるとか、工夫が必要だと思いました。

ハリネズミ:ネズミが食べこぼしを目がけてやってくるところとか、ネズミを殺させないためにピーティががんばるところなんかは、子どもが読んでもじゅうぶんおもしろいと思うけど。

ボー:でも、全体にもう少し短いといいなと思います。子どもの読解力や、読者対象を考えると、小学校高学年くらいを考えて書いていると思うんですね。YAといっても、高校生には、文体がちょっと幼いと思うんです。

ハリネズミ:私は、前半も長いとは思わず、はらはらドキドキしながら読みました。ピーティに一体化して読めば、中学生ならだいじょうぶなんじゃないかな。文字の大きさや長さからして小学生向きに作られた本ではないでしょう。プロットだけじゃなくて、ディテールでも読ませて、しかも読者の世界を広げることができる作家って、なかなか日本にはいませんね。

ハマグリ:私もネズミのところは目に見えるように書かれていて、ユーモアもあって楽しいところだなと思いました。みなさんが言ってないことを言うとすると、ピーティと関わる人がたくさん出てくるんだけど、その人たちもみんな貧しかったり移民だったり、過酷な状況を懸命に生きている人ばかり。そういう人たちが、自分よりもっと過酷な状況下にあって、自分が世話をしなければ生きることができない無力なピーティから、逆に生きる力や愛情を受け取るというところに感動しました。ピーティの境遇は悲惨なんだけれど、冒頭で両親がこの子をとても愛していたということが書かれている。愛しているけれど財力もなく仕方なく手放すわけですが、無償の愛情をそそいでいた。だからピーティが洗礼のときにもらったことばを額にいれて、手放すときにずっとこの子を守ってくれるようにと祈りをこめて持たせるわけですね。もちろんピーティはそのことを知る由もないけれど、読者はそれを知っていることで気持ちが救われるんです。みなさんが言ったように、ボーズマンに戻ったところで、私もまた両親との接点があるのかな、と思いました。ピーティが男の子と女の子と遊んでいる夢を見る場面がありますが、私はこれはお兄さんとお姉さんなのかな、と思いました。だからボーズマンにもどったとき、両親はもういないかもしれないけど、お兄さんとお姉さんが出てくるかと期待してしまった。トレバーの登場では、この子はお兄さんかお姉さんの孫なんじゃないか、なんて考えちゃった。何の関係もなかったのはちょっと残念。トレバーの両親が急にいい人になってしまうっていうところ、私はちょっとホッとしました。子どものことを理解できなかったのは生活が忙しかったからであって、子どもの姿をまのあたりにするとちゃんとわかる人たちだったんだな、って思えたのはうれしかったです。

みっけ:とてもおもしろい本でしたし、つくづくじょうずな人だなあと思いました。私は、前半の長さはやはり必要だったと思います。ピーティにとって、いい人が現れては、自分が好きになる頃にはまたいなくなってしまうということが延々と繰り返される。そのつらさや、それによっていっそもうこの先は心を閉ざそうという気持ちになるあたりがきちんとこちらに伝わっているからこそ、後半のトレバーとの出会いやそこに賭けたピーティの気持ちが重みを持って心に迫ってくるんだと思います。しかもこの作者は、エピソードを上手に選んで、読者が繰り返しに飽きないように、工夫して読ませている。だから前半を読み終わった段階で、自分からはほとんどアクションを起こせずに、ただ去っていく人たちを見送るしかないというピーティの不自由さ、不自由な体に閉じ込められた人のじれったさが、読者にも共有できる。それと、刈り込み方が上手な作家ですね。伝えたいことをきちんと伝えるために、自分が選んだ題材のどこにどういうふうに刈り込んでいけばいいのかをちゃんと把握していて、それに沿ったエピソードを選び、物語を構成している。作者自身も言っておられるようだけれど、これがフィクションだというのは、そういう意味なのだと思います。それに、これだけ強烈な題材だと、ついつい対象の心の動きなども、あれこれ想像をふくらませて書き込みたくなるけれど、この人はいっさいよけいなことを書いてない。その点では非常にストイックだなあと思いました。だからこそ、読む人にも脳性まひの人はきっとこう感じているに違いないと思え、物語にリアリティがある。この本を読み終わると、ここにいるのは、体が不自由なだけでなく、おもちゃの拳銃で遊んだり、映画は西部劇だ大好きだったり、ときにはいたずらをすることもある、いろんな面を持っていて、いろいろなことを感じているひとりの人間なんだなあ、とつくづく感じる。それがこの物語の力なんでしょうね。トレバーの親のことがあまり書かれていないのは、後半でトレバーとピーティの関係にぐっと焦点を絞った結果、この程度の書き方になったのかな、と思うし、それでいいような気がします。

すあま:この本は人から紹介されて読んで、こういう人生ってどういう感じなんだろうってずっと考えていました。生まれたときからこの状態だったわけで、彼にとってはそれが普通であり、まわりの人が思うのと本人の感じは違うのではないかと。それから、この物語は1部と2部に分かれているのがいいなと思いました。子どもが読むとしても、1部はピーティに、2部はトレバーに気持ちをおいて読めるので、共感できるのではないかと思います。1部が読みにくいというなら、2部を先に読んでみてもいいかな、とも思いました。まあ、最初から読んだ方がよいわけですけどね。ピーティは最後に亡くなってしまい、読んでいる方もつらい気持ちになるけれども、読み終わったときに温かい気持ちになれるいい本だと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年2月の記録)