2000年03月 テーマ:このごろ気になる本

日付 2000年3月23日
参加者 愁童、ねねこ、ウォンバット、ひるね、オカリナ
テーマ このごろ気になる本

読んだ本:

シンシア・ライラント『人魚の島で』
『人魚の島で』
原題:THE ISLANDER by Cynthia Reliant, 1999(アメリカ)
シンシア・ライラント/作 竹下文子/訳 ささめやゆき/絵
偕成社
1999.07

<版元語録>ぼくが人魚に会ったのは子どものときだ。浜べでひろった人魚のくしを手に待っていると、人魚はすぐそこまで近づいてきて、ぼくの名を呼んだ。「ダニエル。」島に暮らす孤独な少年は、人魚からもらった古い小さな鍵に守られて、大人になっていく。ニューベリー賞作家がおくる海の物語。
高楼方子『十一月の扉』
『十一月の扉』
高楼方子/作 
リブリオ出版
1999.09

<版元語録>北の街。季節は十一月。「十一月荘」で暮らし始めた爽子の二か月間を、「十一月荘」を取り巻く人々とのふれあいと、淡い恋を通して丹念に描くビルドゥングスロマン。一冊の魅力的なノートを手に入れた爽子は、その日々のなかで、「十一月荘」の人々に想を得た、『ドードー森の物語』を書き上げる。物語のなかのもう一つの物語―。それらの響きあいのなかで展開する、豊かな日常の世界。高楼方子長編読み物第三弾。小学校高学年から大人まで。 *産経児童出版文化賞フジテレビ賞
ロジャー・J・グリーン『スロットルペニー殺人事件』
『スロットルペニー殺人事件』
原題:THE THROTTLEPENNY MURDER by Roger J. Green, 1989(イギリス)
ロジャー・J.グリーン/著 宮下嶺夫/訳
評論社
1998.03

<版元語録>1885年のイギリス、雇主を殺した罪で13歳の少女ジェニーは死刑を宣告される。同級生の少年への愛だけを支えにした彼女は、有罪なのか。死刑の恐怖、罪の意味とは何かを問いかける、力強い物語。
阿川佐和子『ウメ子』
『ウメ子』
阿川佐和子/著
小学館
1999.01

*坪田譲治賞 <版元語録>彼女は変わっている、普通の子とちょっと違う。初めて会った日からそう思っていた。そんなウメ子の強烈な個性に惹かれていく、わたし…。少女のさわやかな友情と冒険をノスタルジックに描く。著者が自らの幼年時代の想いを重ねて綴る、初の小説。


人魚の島で

シンシア・ライラント『人魚の島で』
『人魚の島で』
原題:THE ISLANDER by Cynthia Reliant, 1999(アメリカ)
シンシア・ライラント/作 竹下文子/訳 ささめやゆき/絵
偕成社
1999.07

<版元語録>ぼくが人魚に会ったのは子どものときだ。浜べでひろった人魚のくしを手に待っていると、人魚はすぐそこまで近づいてきて、ぼくの名を呼んだ。「ダニエル。」島に暮らす孤独な少年は、人魚からもらった古い小さな鍵に守られて、大人になっていく。ニューベリー賞作家がおくる海の物語。

ひるね:美しい本ね。さびしい感じがするけど、読みおわったあとに幸福感がある。同じ著者の『ヴァン・ゴッホ・カフェ』(中村妙子訳 偕成社)も、お天気雨のような明るいさびしさが感じられて、幻想と現実のはざまにあるようなところが好きだった。この作品は訳も、すばらしいわね。竹下文子さんを訳者に選んだのは、大成功だと思う。「ライラントは、このごろ神の世界に近づいている」とか。最近の絵本も、天国にいく前にみんなが暮らす村を描いた話らしいけど、信仰が一種の明るさになってるのかしら。でも、私としてはあんまり神さまに近づいてほしくない。ただ明るいだけになっちゃったら、心配。

ねねこ:静かな時の流れを感じるいい文章よね。小品という感じで・・・ううん、悪くはないんだけど、すごーく惹かれるということもなくって。あんまり深読みしなくていい物語なのかな。ね、この話はつまるところ、アンナがダニエルを守ったってことなのかしら?

ひるね:考え方によっては、ダニエルが島から出ていかないようにしたっていうことにもなるわね。

ねねこ:新人賞の応募作品なんかに、こういう話ってよくあるよね。おじいさんと孫息子の二人暮らしで島に住んでて・・・とかね。大学生とか20代の女性が書くものに多いパターン。

ひるね:小道具に鍵が出てくるのとか、ひとつまちがえば陳腐になりそうだけど、そうなってないところが、いいわね。

オカリナ:全体がありそうなお話になってて、最後のところ、箱づめの犬が出てくるところだけ現実にはありえない出来事になってるのよね。いろいろ象徴的・寓意的に解釈できるんだろうけど、分析しはじめるとなんだかつまんないね。そのままにしといたほうがいい。

ねねこ:分析しないで、ただ味わっておけばいいんじゃない。安房直子の世界ではなくて、あまんきみこ的世界だと思う。感想が言いにくい。

愁童:好みの物語のはずなんだけど、あんまり心に残らなかった。なんでだろ? 文章が悪いわけじゃないけど、文脈から訴えるパワーが不足してるんじゃないかと考えたんだけど。翻訳がいまいちしっくりいってないんじゃないだろうか。だって、日本語がちょっとわかりにくいよね。「人魚の名前は知っているけれど、その謎は謎のままだろう」というとことか、意味がよくわかんない。雰囲気はいいんだけど、きれいなだけっていうかさ。アタマでは俺向きの話だぞ、それにウンポコさんも喜んだだろうななんて思ったんだけどさ……。

ひるね:愁童さんが求める水準まで到達してなかったということかしら?

ウォンバット:私は、こういうの好き。淡々としててロマンチックで、不思議な出来事がおこる物語。あんまり強烈な印象はないんだけど、ぽわっとあったかい感じ。『自分にあてた手紙』(フローレンス・セイヴォス著 末松氷海子訳 偕成社)みたい。小道具が素敵。人魚のくしとか、おでこに白いダイヤのもようがついたラッコとか俗っぽくなりそうだけど、そうならないようにうまくできてる。絵も好き。「人魚の名前は知ってるけど、謎は謎のまま」というあたりも、別に気にならなかった。たしかに日本語として、わからないといえば、わからないんだけど。この物語全体が、ダニエル自身本当にあったことなのかなと思うような夢みたいな出来事だし、どうして人魚が自分の前にあらわれたのかは、本当のところわからないわけだから、「謎のまま」でいいんじゃない? それから、嵐のあとたくさんの死を目撃して、その3年前の自分の両親の死をうけいれられるようになるというのも、納得できる。

オカリナ:おじいさんも死んじゃったあと、ふだんつきあいのない村人たちが、いざとなったら助けてくれるところとか、あったかいよね。

ねねこ:そういえば、神の世界に近づいてるって言ってたけど、海も空も動物たちもみんな生命の循環を感じさせるものだね。

オカリナ:ところで、この本は、一体だれが読むんだろうね。読者対象は、何歳くらいなんだろう? だって小学生から読めるようにつくってるけど、小学生や中学生が対象ではないように思う。若い女の人や、おじさんたちが読むのかしら。ひとつの雰囲気を提出することを目的としてるのなら、それはうまくいってると思う。寓話みたいなことだと思うんだけど、淡々とロマンチックな世界そのものを描いているのよね。普通なら、まるっきり孤独な人生を送るはずだった少年の人生の扉が、広い世界にひらかれていくというところは、とてもおもしろいと思ったんだけど。

愁童:一つの雰囲気をとらえるのが目的というのであれば、これでいいと思うよ。

ねねこ:新人は、おおむね多弁すぎるのね。これだけささっと書けば、ボロはでない。

オカリナ:甘いだけじゃなくて、その先に何かあるんじゃないかと思うんだけど、書いてないからね。

ねねこ:立原えりかの世界を思い出した。彼女の世界にも、ちょっとわからないところがあるから。

ひるね:うまいといえば、うまい。

オカリナ:だけど、愁童さんが「もどかしい」というのも、わかる。

愁童:イメージが、いまひとつわいてこないんだよ。

ねねこ:挿絵はなくてもよかったんじゃない? ささめやさんの良さがあまり出てなかった。全体に軽すぎて。

オカリナ:愁童さんを「大人」としたら、大人にとってはこの絵はじゃまになるよね。

愁童:この作品を読んで、「童話とはこういうものだ」と思われたら、困るなあ。

 

(2000年3月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


十一月の扉

高楼方子『十一月の扉』
『十一月の扉』
高楼方子/作 
リブリオ出版
1999.09

<版元語録>北の街。季節は十一月。「十一月荘」で暮らし始めた爽子の二か月間を、「十一月荘」を取り巻く人々とのふれあいと、淡い恋を通して丹念に描くビルドゥングスロマン。一冊の魅力的なノートを手に入れた爽子は、その日々のなかで、「十一月荘」の人々に想を得た、『ドードー森の物語』を書き上げる。物語のなかのもう一つの物語―。それらの響きあいのなかで展開する、豊かな日常の世界。高楼方子長編読み物第三弾。小学校高学年から大人まで。 *産経児童出版文化賞フジテレビ賞

ひるね:これは、読むのに苦労した。後半は、もうとばしとばし。英国ファンタジー好きというか・・・。そういう人向けなのかしらね。需要があって供給があるわけだから、読む人がいるんだったらいいとも思うけど、ときどき文章がわからなくなるところがあるの。土曜日に始まったのに、知らないあいだに日曜日になっちゃってたり。文章を、もっと磨いてほしい。やさしい言葉とむずかしい言葉が無造作に出てくるんだもの。絵本や幼年童話はいいものを書いている作家なのに、長編となると、またちがうんだなと思ったわ。それに、登場人物がどうも好きになれなかったの。女の人ばかりなんだけど、みんな似てるし。描きわけようとしてるのは、わかるんだけどね。とくに嫌だったのは、主人公のお母さん。働きもせず、近所づきあいもせず、ビデオ三昧していたくせに、引っ越して、ちょっとインテリの女性と知り合ったとたんに豹変したりして、ヤな女! インターネットで、誰かが「10代の女の子が、大人の女の人もいろいろ考えているのを知って成長していく話」って書いているのを見たけど、「どこが?」と思っちゃった。

ねねこ:登場人物に、温度が感じられないのよね。女たちにリアリティがないの。頭の中で状況だけつくってて、生きている人たちの体温が伝わってこない。読んでいくうちに、だんだん嫌な気分になってきちゃった。主人公の爽子も気持ち悪い。15歳なのに、おばさんたちの自己肯定的な井戸端会議も嫌にならないなんてヘンじゃない? 気色わるいよ。どうしてみんなこの作品を褒めちぎるんだろ? 力作とかいって。

ひるね:力作っていうのは、厚さのことじゃないの?

ねねこ:たしかにボリュームはあるけど……(厚さ2.5センチ、336ページ)。爽子って、すごーく作りあげたいい子、数十年前の少女って感じ。

愁童:困りますね、こういう作品は。日本の児童文学の衰退の象徴! 「11月の扉をあけると、そこには荒涼たる児童文学の冬の世界がひろがっていた」ってなところかな。どうして、文章がうまいとは思えないのに、評判いいのかねえ。「何ということもない素振りで、電話のお礼を閑さんにのべて部屋に戻った爽子は」なんて出てくるんだけど、お礼をのべるって、何ということもない素振りでできるの?なんて、毒舌吐きたくなる。それに、爽子は中学生なのに「お礼をのべる」なんて表現されちゃっていいの?「こうべをたれる」とかさ、古い言葉が突然出てきたりして、新しい言葉と古い言葉が混在していて、バランスがとれていない。どうもこの作者、さわやかな人じゃなさそうな感じ。「学校をさぼったら、いい点をとっても、いい成績はもらえない」なんて発言、うちの近所のヤなおばさん連中みたいな物言い。日本語の問題点も多々あるよ。「ちょっと憮然とせずにはいられない」なんて出てくるんだけど、「憮然とする」って言葉、おわかりいただいてないんじゃない? それに「解放されてるなあ」なんて言うか? 「なにものかがやってくる」って「なにもの」って見てんじゃねーか? とか。耿介がノートを見つけてくれたいきさつだって、妙だよ。お母さんに自転車の乗り方を教えるなんて、健全な中学生男子のやることかあ? まったくシュークリームみたいな、つくりものなんだよ。もう気持ち悪い。じんましんが出るほど、気持ち悪い。

ひるね:地に足がついていないとか、体温が感じられないと批判されるのを予想しているのか、言い訳してるところもいっぱい出てくるわね。朝ごはんの場面とか。「今日は洋風だけど、和風のときもあるのよ」、なんて。「十一月の扉の向こうでは、みんな品よくみごとにふるまいました」となってるけど、私、実は登場人物がみんな死人でしたっていうオチかと思いながら読んでいたわ。

ウォンバット:「月刊こどもの本」(2000年4月号、児童図書出版協会)の「私の新刊」のコーナーで、高楼さんがこの本について語っているんだけど、なんだか言い訳と開き直りに思えちゃって。「結局、これは三十年前の中学生の物語だ。だが、マスコミがどんなに中学生の変貌ぶりを叫ぼうとも、こういう少女は常にいるものなのさとうそぶきながら、今の物語として書いてみた」なんて。

ねねこ:『時計坂の家』(リブリオ出版)のほうが、作家としての一所懸命さが感じられた。こういう作品が評判になるって、よくないよね。ちゃんと批評もしないと、作家のためにもならないんじゃないかな。

愁童:幸せですよね。文章にはひっかかるけど、お話はつまずくところが全然なくて、すいすい進んじゃって。

ウォンバット:私は乙女チック好きから抜け出せない質だから、すてきな洋館とかね、設定はいいなと思うところが、あったの。しかーし! 中に出てくるお話は許せん! ないほうがよかったと思う。だってまるっきり真似でしょう。『たのしい川べ』(ケネス・グレーアム著、岩波書店)や『クマのプーさん』(A.A.ミルン著、岩波書店)の影響を受けているというのはいいけれど、そこで自分を瀘過して、新しい世界を構築しなくちゃだめだと思う。真似だったら、オリジナルを読んだほうがいいでしょ。とくにロビンソンの手紙は、ひどい。「ち」と「さ」をまちがえてる手紙なんだけど、これ「ぼくてす。こぷたてす」のパロディでしょ。これは「プーさん」に対する冒涜だわ。このあたりで、もう心底嫌になって「ドードー森の話」は飛ばして読んでしまった。

オカリナ:高楼さんの作品は好きなのも結構あるし、この作品も世の評判はとてもいいんですけど、私は楽しめませんでした。不幸なというか、作者にとって不本意な形で出版されちゃった本なのかな。改行の処理もばらばらだったりするから、編集の人がちゃんと見たりしてないのかも。「週刊新刊全点案内」(1998.1.6日号〜1999.3.30日号、図書館流通センター)に連載していたのをまとめたものなんでしょ。毎回締切に追われて書いていて、手を入れるひまもなく1冊にされちゃったとか。この「ドードー森の話」は自分が小さい頃に書いた話なのかしら? もしそうなら、高楼さんのファンの人には、ああ、この作家は、こういうところからスタートしたのかっていう興味はわくと思うんだけど、肝腎の物語自体はあまりおもしろくない。もう一つ気になったのは、恋愛の部分なんだけど、耿介との疑似恋愛はまったく外側のかっこよさを問題にしてるだけ。『スロットルペニー殺人事件』の舞台になっている100年前の時代ならいざ知らず、こんなんでいいのかな。

ねねこ:この作品自体が、高楼さんにとっての「ドードー森ノート」なんじゃないの?

オカリナ:作家が「人間」と向き合ってないように思います。耿介にかぎらず、登場人物みんなに言えることだけど、おたがいのつき合い方が表面的なのね。「共生」を描くというのなら『レモネードを作ろう』(バージニア・ユウワー・ウルフ著 こだまともこ訳 徳間書店)みたいに、ちゃんと衝突して、それからつき合い方を探っていったりするところを書いてほしかった。

ひるね:ファンのためだけに書いてるって感じ。

ねねこ:「品がいい」をやたら強調してるのがハナにつく。

オカリナ&ひるね:登場人物が生きている人として感じられない。死んだ人はみんないい人っていうけど、死人じゃないかぎり、こんなのありえないな!

愁童:大人が、いかにこの世代、中学生に無関心かってことだよ。

オカリナ:現実は、もっともっとキビシイものなのに。

愁童:『ビート・キッズ』(風野潮著、講談社)のほうがずっと健康的。

ねねこ:『ことしの秋』(伊沢由美子著、講談社)の対極かも。

ひるね:でも、『十一月の扉』のほうが好きっていう子もきっといるわよ。大人の本なら葛藤がありそうな設定なのに、なあんにもないのよね。

ねねこ:理想の世界を描いたんじゃないの? 葛藤の部分は何ひとつ描かれてないんだけど、葛藤がなければ成長もないよ。

ひるね:キロコちゃんの話もどうかと思ったけど。どっちもリアリティがない。絵本には、けっこういいものがあるのにね。

オカリナ:やっぱり、ぶつかりあいを描いてこそ、作家だと思うけどな。

ねねこ:『ココの詩』(リブリオ出版)のときも思ったことだけど、形でいく人なのかな。

愁童:このごろの児童文学作家は、趣味的な世界に走る人が多いね。梨木香歩とかさ。

ねねこ:しかも、ちょっとかたよってる。柏葉幸子は「プーさん」や「マザーグース」や宮沢賢治や、いろんなものを読んでいて、それが自分の土着のものとうまくミックスされて、独自の雰囲気をかもし出していると思うけど。

愁童:そんな中で、森絵都は今の時代を意識してて、そこでチャレンジしていこうという心意気が感じられる。ちょっと違うよ。

ひるね:この作品を読んで「児童文学とはこういうものか」と思われたら、嫌だな。

愁童:登場人物をもっときちんと描いてほしい。

オカリナ:おままごとの世界みたい。でも、そこがいいんでしょうか。

(2000年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


スロットルペニー殺人事件

ロジャー・J・グリーン『スロットルペニー殺人事件』
『スロットルペニー殺人事件』
原題:THE THROTTLEPENNY MURDER by Roger J. Green, 1989(イギリス)
ロジャー・J.グリーン/著 宮下嶺夫/訳
評論社
1998.03

<版元語録>1885年のイギリス、雇主を殺した罪で13歳の少女ジェニーは死刑を宣告される。同級生の少年への愛だけを支えにした彼女は、有罪なのか。死刑の恐怖、罪の意味とは何かを問いかける、力強い物語。

ウォンバット:私はものすごく怖かった。前半は表現がくどくどしてて、盛り上げようとしすぎの観アリだけど、でもひたひたと迫りくる恐怖を感じた。ジェシーがスロットルペニーの罪をノートに書きつけているところ、彼女はそうしなくては耐えられないくらい苛酷な毎日を送ってたんだと思うんだけど、私も同じような秘密のノートを書いているから、どうも他人とは思えなくて、もうジェシーの気持ちになりきって読んだのね。「罪の本」は、私にとっては、このうえなく恐ろしい小道具。ふとんの中で本を読むのが私の至福の時間なんだけど、この本を眠る前に読んでたら、怖い夢を見てしまった。それからは、電車の中で読むようにしたの。

ひるね:私も、読んだあと怖い夢をみた! 自分が殺人を犯す夢、昔からよくみるんだけど……。

ウォンバット:犯人は、エマ・ブリッドンが手を洗うところですぐわかったから、あとはもうジョンが助けに来るのか来ないのかだけが心配で……。ジェシーへの愛というより「良心が勝つのか」「自分かわいさが勝つのか」ということだと思うんだけど、もうどきどきしちゃった。

愁童:重苦しい雰囲気がよく描けている。重苦しい時代の雰囲気というのかな。登場人物も、くどいくらいにしっかり描きこんでいるし。謎ときは、途中でわかっちゃうんだけど、犯人を推理することに主眼をおいてるわけではないんだよね。

オカリナ:この話は犯人捜しではなくて、サスペンスなのね。

愁童:今のイギリスにも残ってる労働者階級と上流階級の差を単純化して、わかりやすくしてる。よく考えられていると思うね。でもさ、これハンサム・ジャックも冤罪だったわけでしょ。走っていった牧師も刑の執行には間に合わなくて、結局証拠の手紙を破るんだけど、読者はこれをどう解釈するか、問われてると思う。まあジェシーが助かったからいいような気もして、破って捨てられちゃっても、ぼくはそんなにくやしくなかったんだけどさ。読者に対する挑戦かな。死刑廃止を訴えているとも、とれるよね。

オカリナ:この作家は死刑反対を訴えてるかどうかは定かでないけど、死刑に疑いをもってることは、たしかだよね。

愁童:それとも、人が人を裁くのは、簡単なことではないという暗喩なのか。

オカリナ:現世で人が一人もう死んでるわけだから、それで十分だっていうことじゃない? 牧師だからさ。

ウォンバット:死刑になったのは一人だけど、みんな罪の意識に苛まれて苦しむでしょ。ジェシーもジョンもエマ・ブリッドンも。ハンサム・ジャックだって酔って暴れたりしてて、もし死刑にならなかったとしても、この先以前のように戻れるとは思えない。だからみんな責めは負ってるんじゃない?

ひるね:みんな気の毒よね、たいへんな思いして。スロットルペニーは、最初に死んじゃって一番楽だったかも。

愁童:考えはじめると、アタマが痛くなるよ。でもさ、真犯人がわかるようにちゃんと計算されてるところがすごいよね。

ひるね:少年少女も容赦なく死刑にされる19世紀ならではの物語。とてもおもしろかった! 設定も登場人物もしっかりできてる。私は、死刑廃止を訴えたのではなくて、純粋にエンターテイメントとして書いたんだと思うな。でも、これだけのものを読めるなんて、イギリスの子はいいわね。でもどうして訳文を「ですます調」にしたのかしら。読んでて、かったるかった。原文は19世紀調の迫力あるものだったでしょうに。基本的に小学校高学年以上のものは、「ですます調」でないほうが、いいと思う。途中から自分で「だ調」に翻訳しながら読むようにしたら、すごくよくなった。The Times Educational Supplementには「時代の雰囲気をよく伝えている。働いて働いて、それでも貧しさや苦しみから逃れられないという当時の子どもたちの暮らしを、今の子どもたちも知ることができる。この本の教訓は『大人は頼りにならない』ということ。11〜15歳くらいの子どもたちの共感を得ることができるだろう」と書いてある。それにしても、冤罪で死刑になるジャックは気の毒ね。後味が悪い。最後は子どもが助かるっていうところが、やっぱり児童文学。

オカリナ:この本、表紙がこわい。この表紙では自分から手にとることはなかったと思う。こういう機会でもなければ読まなかった本だけど、読んで本当によかった。なんといっても、人物像がしっかり描けている。私は、上流階級と労働者階級という区別とは思わなかったんだけど。上流階級の中にもいろんな人がいて、たとえば自分の名誉のために裁判を利用しようとする人なんかも出てくるでしょ。そういう個々をきちんと描いていると思うから。「良心がささやく」というのは、宗教がある国だからこそよね。日本では成立しにくいテーマ。ジャックの死も、逆にリアル。あの看守のミセス・サッグも、すごいよね。「たぶん、いまから百年後、1985年には、少女たちは、少年たちの言うことを、いまほどは信用しなくなっているだろう・・・」って、ジョンをにらみつけたりしてるの。『十一月の扉』とは、なんたる違い! 百年後の物語であるはずの『十一月の扉』の女の子は、いまだに夢のような疑似恋愛なんてしてるんだもん。人物の描き方の対比という意味で、『十一月の扉』と一緒に読む価値あったね。

(2000年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


ウメ子

阿川佐和子『ウメ子』
『ウメ子』
阿川佐和子/著
小学館
1999.01

*坪田譲治賞 <版元語録>彼女は変わっている、普通の子とちょっと違う。初めて会った日からそう思っていた。そんなウメ子の強烈な個性に惹かれていく、わたし…。少女のさわやかな友情と冒険をノスタルジックに描く。著者が自らの幼年時代の想いを重ねて綴る、初の小説。

ねねこ:のどかな幼年時代を回顧的に描くってジャンル、あるよねえ。今村葦子の『かがりちゃん』(講談社)とかさ。そういうものをだれに向けて書き、そしてだれに読ませるべきか悩むなあ。これもその一種だと思うけど、後半がおもしろくない。予定調和的で。今年の坪田譲治賞がこの作品かと思うとね……大人と子どもとが共有できる、という選考基準の坪田賞も苦しんでるんだなと思う。

ウォンバット:おもしろい話だけど、大人向けだね。ちょっとうすっぺらで非現実的。だって幼稚園児が、こんな手紙書ける? ひとりで1時間も読書できる?

ひるね:たしかに幼稚園の子どもでは、ありえないわね。手紙や本もそうだけど、なんといっても、意識の持続が小学校3〜4年生のものでしょう、これは。不自然さを感じる。

ウォンバット:そうね。能力は大人のまま回顧して、幼稚園児を演じてるって感じ。物足りなさは否めない。でも阿川佐和子って2世だし、タレントみたいな人かと思ってたんだけど、案外ちゃんとしてるから、見直しちゃった。「ちびまる子ちゃん」みたいなおもしろさがある。きょうだいの関係なんて、とてもよく描けていると思う。手を引っ張ってもらったあとは、お返しに水くんであげたり、背中をさすってあげたり、やさしくしてあげないといけない、とかね。こういうきょうだいの機微ってあるよね。でも、ちょっと変わった転入生であるウメ子が、サーカスの家の子だったって設定は古い。昔「悪いことすると、サーカスに売られちゃうよ」っていわれてた世代の人らしい設定。

ひるね:ノスタルジーを描きたいっていうのは、わかるんだけど。同世代の人のノスタルジーをそそる本なんだろうね。

ねねこ:でも、時代がちょっとよくわからない。テレビはあんまり出てこないでしょ。紙芝居がもう珍しくなってる時代なのに。わざとぼかしてるのかしら。ノスタルジー本はノスタルジー本として、成立する意味はあるのかな?

ひるね:読みたいって人がいて売れるから、いいんじゃないの?

ねねこ:これは、やっぱり阿川佐和子で成立してる本なんだろうね。無名の人がこれを書いても、本にはならないでしょ。

ひるね:まあ、いい気持ちで読めるけど。群ようこの『膝小僧の神様』(新潮社)なんかは、もっとぴりっとしてたわね。『ウメ子』は、書きたいものがあって書いたって感じがしない。「これを書きたいのよ!」ってものが、感じられないのよ。ウメ子のお父さんが家を出た理由なんかも、うそっぽい。大人の体臭が感じられない。

(2000年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

2000年03月 テーマ:このごろ気になる本

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『2000年03月 テーマ:このごろ気になる本』
日付 2000年3月23日
参加者 愁童、ねねこ、ウォンバット、ひるね、オカリナ
テーマ このごろ気になる本

読んだ本:

シンシア・ライラント『人魚の島で』
『人魚の島で』
原題:THE ISLANDER by Cynthia Reliant, 1999(アメリカ)
シンシア・ライラント/作 竹下文子/訳 ささめやゆき/絵
偕成社
1999.07

<版元語録>ぼくが人魚に会ったのは子どものときだ。浜べでひろった人魚のくしを手に待っていると、人魚はすぐそこまで近づいてきて、ぼくの名を呼んだ。「ダニエル。」島に暮らす孤独な少年は、人魚からもらった古い小さな鍵に守られて、大人になっていく。ニューベリー賞作家がおくる海の物語。
高楼方子『十一月の扉』
『十一月の扉』
高楼方子/作 
リブリオ出版
1999.09

<版元語録>北の街。季節は十一月。「十一月荘」で暮らし始めた爽子の二か月間を、「十一月荘」を取り巻く人々とのふれあいと、淡い恋を通して丹念に描くビルドゥングスロマン。一冊の魅力的なノートを手に入れた爽子は、その日々のなかで、「十一月荘」の人々に想を得た、『ドードー森の物語』を書き上げる。物語のなかのもう一つの物語―。それらの響きあいのなかで展開する、豊かな日常の世界。高楼方子長編読み物第三弾。小学校高学年から大人まで。 *産経児童出版文化賞フジテレビ賞
ロジャー・J・グリーン『スロットルペニー殺人事件』
『スロットルペニー殺人事件』
原題:THE THROTTLEPENNY MURDER by Roger J. Green, 1989(イギリス)
ロジャー・J.グリーン/著 宮下嶺夫/訳
評論社
1998.03

<版元語録>1885年のイギリス、雇主を殺した罪で13歳の少女ジェニーは死刑を宣告される。同級生の少年への愛だけを支えにした彼女は、有罪なのか。死刑の恐怖、罪の意味とは何かを問いかける、力強い物語。
阿川佐和子『ウメ子』
『ウメ子』
阿川佐和子/著
小学館
1999.01

*坪田譲治賞 <版元語録>彼女は変わっている、普通の子とちょっと違う。初めて会った日からそう思っていた。そんなウメ子の強烈な個性に惹かれていく、わたし…。少女のさわやかな友情と冒険をノスタルジックに描く。著者が自らの幼年時代の想いを重ねて綴る、初の小説。


人魚の島で

シンシア・ライラント『人魚の島で』
『人魚の島で』
原題:THE ISLANDER by Cynthia Reliant, 1999(アメリカ)
シンシア・ライラント/作 竹下文子/訳 ささめやゆき/絵
偕成社
1999.07

<版元語録>ぼくが人魚に会ったのは子どものときだ。浜べでひろった人魚のくしを手に待っていると、人魚はすぐそこまで近づいてきて、ぼくの名を呼んだ。「ダニエル。」島に暮らす孤独な少年は、人魚からもらった古い小さな鍵に守られて、大人になっていく。ニューベリー賞作家がおくる海の物語。

ひるね:美しい本ね。さびしい感じがするけど、読みおわったあとに幸福感がある。同じ著者の『ヴァン・ゴッホ・カフェ』(中村妙子訳 偕成社)も、お天気雨のような明るいさびしさが感じられて、幻想と現実のはざまにあるようなところが好きだった。この作品は訳も、すばらしいわね。竹下文子さんを訳者に選んだのは、大成功だと思う。「ライラントは、このごろ神の世界に近づいている」とか。最近の絵本も、天国にいく前にみんなが暮らす村を描いた話らしいけど、信仰が一種の明るさになってるのかしら。でも、私としてはあんまり神さまに近づいてほしくない。ただ明るいだけになっちゃったら、心配。

ねねこ:静かな時の流れを感じるいい文章よね。小品という感じで・・・ううん、悪くはないんだけど、すごーく惹かれるということもなくって。あんまり深読みしなくていい物語なのかな。ね、この話はつまるところ、アンナがダニエルを守ったってことなのかしら?

ひるね:考え方によっては、ダニエルが島から出ていかないようにしたっていうことにもなるわね。

ねねこ:新人賞の応募作品なんかに、こういう話ってよくあるよね。おじいさんと孫息子の二人暮らしで島に住んでて・・・とかね。大学生とか20代の女性が書くものに多いパターン。

ひるね:小道具に鍵が出てくるのとか、ひとつまちがえば陳腐になりそうだけど、そうなってないところが、いいわね。

オカリナ:全体がありそうなお話になってて、最後のところ、箱づめの犬が出てくるところだけ現実にはありえない出来事になってるのよね。いろいろ象徴的・寓意的に解釈できるんだろうけど、分析しはじめるとなんだかつまんないね。そのままにしといたほうがいい。

ねねこ:分析しないで、ただ味わっておけばいいんじゃない。安房直子の世界ではなくて、あまんきみこ的世界だと思う。感想が言いにくい。

愁童:好みの物語のはずなんだけど、あんまり心に残らなかった。なんでだろ? 文章が悪いわけじゃないけど、文脈から訴えるパワーが不足してるんじゃないかと考えたんだけど。翻訳がいまいちしっくりいってないんじゃないだろうか。だって、日本語がちょっとわかりにくいよね。「人魚の名前は知っているけれど、その謎は謎のままだろう」というとことか、意味がよくわかんない。雰囲気はいいんだけど、きれいなだけっていうかさ。アタマでは俺向きの話だぞ、それにウンポコさんも喜んだだろうななんて思ったんだけどさ……。

ひるね:愁童さんが求める水準まで到達してなかったということかしら?

ウォンバット:私は、こういうの好き。淡々としててロマンチックで、不思議な出来事がおこる物語。あんまり強烈な印象はないんだけど、ぽわっとあったかい感じ。『自分にあてた手紙』(フローレンス・セイヴォス著 末松氷海子訳 偕成社)みたい。小道具が素敵。人魚のくしとか、おでこに白いダイヤのもようがついたラッコとか俗っぽくなりそうだけど、そうならないようにうまくできてる。絵も好き。「人魚の名前は知ってるけど、謎は謎のまま」というあたりも、別に気にならなかった。たしかに日本語として、わからないといえば、わからないんだけど。この物語全体が、ダニエル自身本当にあったことなのかなと思うような夢みたいな出来事だし、どうして人魚が自分の前にあらわれたのかは、本当のところわからないわけだから、「謎のまま」でいいんじゃない? それから、嵐のあとたくさんの死を目撃して、その3年前の自分の両親の死をうけいれられるようになるというのも、納得できる。

オカリナ:おじいさんも死んじゃったあと、ふだんつきあいのない村人たちが、いざとなったら助けてくれるところとか、あったかいよね。

ねねこ:そういえば、神の世界に近づいてるって言ってたけど、海も空も動物たちもみんな生命の循環を感じさせるものだね。

オカリナ:ところで、この本は、一体だれが読むんだろうね。読者対象は、何歳くらいなんだろう? だって小学生から読めるようにつくってるけど、小学生や中学生が対象ではないように思う。若い女の人や、おじさんたちが読むのかしら。ひとつの雰囲気を提出することを目的としてるのなら、それはうまくいってると思う。寓話みたいなことだと思うんだけど、淡々とロマンチックな世界そのものを描いているのよね。普通なら、まるっきり孤独な人生を送るはずだった少年の人生の扉が、広い世界にひらかれていくというところは、とてもおもしろいと思ったんだけど。

愁童:一つの雰囲気をとらえるのが目的というのであれば、これでいいと思うよ。

ねねこ:新人は、おおむね多弁すぎるのね。これだけささっと書けば、ボロはでない。

オカリナ:甘いだけじゃなくて、その先に何かあるんじゃないかと思うんだけど、書いてないからね。

ねねこ:立原えりかの世界を思い出した。彼女の世界にも、ちょっとわからないところがあるから。

ひるね:うまいといえば、うまい。

オカリナ:だけど、愁童さんが「もどかしい」というのも、わかる。

愁童:イメージが、いまひとつわいてこないんだよ。

ねねこ:挿絵はなくてもよかったんじゃない? ささめやさんの良さがあまり出てなかった。全体に軽すぎて。

オカリナ:愁童さんを「大人」としたら、大人にとってはこの絵はじゃまになるよね。

愁童:この作品を読んで、「童話とはこういうものだ」と思われたら、困るなあ。

 

(2000年3月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


十一月の扉

高楼方子『十一月の扉』
『十一月の扉』
高楼方子/作 
リブリオ出版
1999.09

<版元語録>北の街。季節は十一月。「十一月荘」で暮らし始めた爽子の二か月間を、「十一月荘」を取り巻く人々とのふれあいと、淡い恋を通して丹念に描くビルドゥングスロマン。一冊の魅力的なノートを手に入れた爽子は、その日々のなかで、「十一月荘」の人々に想を得た、『ドードー森の物語』を書き上げる。物語のなかのもう一つの物語―。それらの響きあいのなかで展開する、豊かな日常の世界。高楼方子長編読み物第三弾。小学校高学年から大人まで。 *産経児童出版文化賞フジテレビ賞

ひるね:これは、読むのに苦労した。後半は、もうとばしとばし。英国ファンタジー好きというか・・・。そういう人向けなのかしらね。需要があって供給があるわけだから、読む人がいるんだったらいいとも思うけど、ときどき文章がわからなくなるところがあるの。土曜日に始まったのに、知らないあいだに日曜日になっちゃってたり。文章を、もっと磨いてほしい。やさしい言葉とむずかしい言葉が無造作に出てくるんだもの。絵本や幼年童話はいいものを書いている作家なのに、長編となると、またちがうんだなと思ったわ。それに、登場人物がどうも好きになれなかったの。女の人ばかりなんだけど、みんな似てるし。描きわけようとしてるのは、わかるんだけどね。とくに嫌だったのは、主人公のお母さん。働きもせず、近所づきあいもせず、ビデオ三昧していたくせに、引っ越して、ちょっとインテリの女性と知り合ったとたんに豹変したりして、ヤな女! インターネットで、誰かが「10代の女の子が、大人の女の人もいろいろ考えているのを知って成長していく話」って書いているのを見たけど、「どこが?」と思っちゃった。

ねねこ:登場人物に、温度が感じられないのよね。女たちにリアリティがないの。頭の中で状況だけつくってて、生きている人たちの体温が伝わってこない。読んでいくうちに、だんだん嫌な気分になってきちゃった。主人公の爽子も気持ち悪い。15歳なのに、おばさんたちの自己肯定的な井戸端会議も嫌にならないなんてヘンじゃない? 気色わるいよ。どうしてみんなこの作品を褒めちぎるんだろ? 力作とかいって。

ひるね:力作っていうのは、厚さのことじゃないの?

ねねこ:たしかにボリュームはあるけど……(厚さ2.5センチ、336ページ)。爽子って、すごーく作りあげたいい子、数十年前の少女って感じ。

愁童:困りますね、こういう作品は。日本の児童文学の衰退の象徴! 「11月の扉をあけると、そこには荒涼たる児童文学の冬の世界がひろがっていた」ってなところかな。どうして、文章がうまいとは思えないのに、評判いいのかねえ。「何ということもない素振りで、電話のお礼を閑さんにのべて部屋に戻った爽子は」なんて出てくるんだけど、お礼をのべるって、何ということもない素振りでできるの?なんて、毒舌吐きたくなる。それに、爽子は中学生なのに「お礼をのべる」なんて表現されちゃっていいの?「こうべをたれる」とかさ、古い言葉が突然出てきたりして、新しい言葉と古い言葉が混在していて、バランスがとれていない。どうもこの作者、さわやかな人じゃなさそうな感じ。「学校をさぼったら、いい点をとっても、いい成績はもらえない」なんて発言、うちの近所のヤなおばさん連中みたいな物言い。日本語の問題点も多々あるよ。「ちょっと憮然とせずにはいられない」なんて出てくるんだけど、「憮然とする」って言葉、おわかりいただいてないんじゃない? それに「解放されてるなあ」なんて言うか? 「なにものかがやってくる」って「なにもの」って見てんじゃねーか? とか。耿介がノートを見つけてくれたいきさつだって、妙だよ。お母さんに自転車の乗り方を教えるなんて、健全な中学生男子のやることかあ? まったくシュークリームみたいな、つくりものなんだよ。もう気持ち悪い。じんましんが出るほど、気持ち悪い。

ひるね:地に足がついていないとか、体温が感じられないと批判されるのを予想しているのか、言い訳してるところもいっぱい出てくるわね。朝ごはんの場面とか。「今日は洋風だけど、和風のときもあるのよ」、なんて。「十一月の扉の向こうでは、みんな品よくみごとにふるまいました」となってるけど、私、実は登場人物がみんな死人でしたっていうオチかと思いながら読んでいたわ。

ウォンバット:「月刊こどもの本」(2000年4月号、児童図書出版協会)の「私の新刊」のコーナーで、高楼さんがこの本について語っているんだけど、なんだか言い訳と開き直りに思えちゃって。「結局、これは三十年前の中学生の物語だ。だが、マスコミがどんなに中学生の変貌ぶりを叫ぼうとも、こういう少女は常にいるものなのさとうそぶきながら、今の物語として書いてみた」なんて。

ねねこ:『時計坂の家』(リブリオ出版)のほうが、作家としての一所懸命さが感じられた。こういう作品が評判になるって、よくないよね。ちゃんと批評もしないと、作家のためにもならないんじゃないかな。

愁童:幸せですよね。文章にはひっかかるけど、お話はつまずくところが全然なくて、すいすい進んじゃって。

ウォンバット:私は乙女チック好きから抜け出せない質だから、すてきな洋館とかね、設定はいいなと思うところが、あったの。しかーし! 中に出てくるお話は許せん! ないほうがよかったと思う。だってまるっきり真似でしょう。『たのしい川べ』(ケネス・グレーアム著、岩波書店)や『クマのプーさん』(A.A.ミルン著、岩波書店)の影響を受けているというのはいいけれど、そこで自分を瀘過して、新しい世界を構築しなくちゃだめだと思う。真似だったら、オリジナルを読んだほうがいいでしょ。とくにロビンソンの手紙は、ひどい。「ち」と「さ」をまちがえてる手紙なんだけど、これ「ぼくてす。こぷたてす」のパロディでしょ。これは「プーさん」に対する冒涜だわ。このあたりで、もう心底嫌になって「ドードー森の話」は飛ばして読んでしまった。

オカリナ:高楼さんの作品は好きなのも結構あるし、この作品も世の評判はとてもいいんですけど、私は楽しめませんでした。不幸なというか、作者にとって不本意な形で出版されちゃった本なのかな。改行の処理もばらばらだったりするから、編集の人がちゃんと見たりしてないのかも。「週刊新刊全点案内」(1998.1.6日号〜1999.3.30日号、図書館流通センター)に連載していたのをまとめたものなんでしょ。毎回締切に追われて書いていて、手を入れるひまもなく1冊にされちゃったとか。この「ドードー森の話」は自分が小さい頃に書いた話なのかしら? もしそうなら、高楼さんのファンの人には、ああ、この作家は、こういうところからスタートしたのかっていう興味はわくと思うんだけど、肝腎の物語自体はあまりおもしろくない。もう一つ気になったのは、恋愛の部分なんだけど、耿介との疑似恋愛はまったく外側のかっこよさを問題にしてるだけ。『スロットルペニー殺人事件』の舞台になっている100年前の時代ならいざ知らず、こんなんでいいのかな。

ねねこ:この作品自体が、高楼さんにとっての「ドードー森ノート」なんじゃないの?

オカリナ:作家が「人間」と向き合ってないように思います。耿介にかぎらず、登場人物みんなに言えることだけど、おたがいのつき合い方が表面的なのね。「共生」を描くというのなら『レモネードを作ろう』(バージニア・ユウワー・ウルフ著 こだまともこ訳 徳間書店)みたいに、ちゃんと衝突して、それからつき合い方を探っていったりするところを書いてほしかった。

ひるね:ファンのためだけに書いてるって感じ。

ねねこ:「品がいい」をやたら強調してるのがハナにつく。

オカリナ&ひるね:登場人物が生きている人として感じられない。死んだ人はみんないい人っていうけど、死人じゃないかぎり、こんなのありえないな!

愁童:大人が、いかにこの世代、中学生に無関心かってことだよ。

オカリナ:現実は、もっともっとキビシイものなのに。

愁童:『ビート・キッズ』(風野潮著、講談社)のほうがずっと健康的。

ねねこ:『ことしの秋』(伊沢由美子著、講談社)の対極かも。

ひるね:でも、『十一月の扉』のほうが好きっていう子もきっといるわよ。大人の本なら葛藤がありそうな設定なのに、なあんにもないのよね。

ねねこ:理想の世界を描いたんじゃないの? 葛藤の部分は何ひとつ描かれてないんだけど、葛藤がなければ成長もないよ。

ひるね:キロコちゃんの話もどうかと思ったけど。どっちもリアリティがない。絵本には、けっこういいものがあるのにね。

オカリナ:やっぱり、ぶつかりあいを描いてこそ、作家だと思うけどな。

ねねこ:『ココの詩』(リブリオ出版)のときも思ったことだけど、形でいく人なのかな。

愁童:このごろの児童文学作家は、趣味的な世界に走る人が多いね。梨木香歩とかさ。

ねねこ:しかも、ちょっとかたよってる。柏葉幸子は「プーさん」や「マザーグース」や宮沢賢治や、いろんなものを読んでいて、それが自分の土着のものとうまくミックスされて、独自の雰囲気をかもし出していると思うけど。

愁童:そんな中で、森絵都は今の時代を意識してて、そこでチャレンジしていこうという心意気が感じられる。ちょっと違うよ。

ひるね:この作品を読んで「児童文学とはこういうものか」と思われたら、嫌だな。

愁童:登場人物をもっときちんと描いてほしい。

オカリナ:おままごとの世界みたい。でも、そこがいいんでしょうか。

(2000年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


スロットルペニー殺人事件

ロジャー・J・グリーン『スロットルペニー殺人事件』
『スロットルペニー殺人事件』
原題:THE THROTTLEPENNY MURDER by Roger J. Green, 1989(イギリス)
ロジャー・J.グリーン/著 宮下嶺夫/訳
評論社
1998.03

<版元語録>1885年のイギリス、雇主を殺した罪で13歳の少女ジェニーは死刑を宣告される。同級生の少年への愛だけを支えにした彼女は、有罪なのか。死刑の恐怖、罪の意味とは何かを問いかける、力強い物語。

ウォンバット:私はものすごく怖かった。前半は表現がくどくどしてて、盛り上げようとしすぎの観アリだけど、でもひたひたと迫りくる恐怖を感じた。ジェシーがスロットルペニーの罪をノートに書きつけているところ、彼女はそうしなくては耐えられないくらい苛酷な毎日を送ってたんだと思うんだけど、私も同じような秘密のノートを書いているから、どうも他人とは思えなくて、もうジェシーの気持ちになりきって読んだのね。「罪の本」は、私にとっては、このうえなく恐ろしい小道具。ふとんの中で本を読むのが私の至福の時間なんだけど、この本を眠る前に読んでたら、怖い夢を見てしまった。それからは、電車の中で読むようにしたの。

ひるね:私も、読んだあと怖い夢をみた! 自分が殺人を犯す夢、昔からよくみるんだけど……。

ウォンバット:犯人は、エマ・ブリッドンが手を洗うところですぐわかったから、あとはもうジョンが助けに来るのか来ないのかだけが心配で……。ジェシーへの愛というより「良心が勝つのか」「自分かわいさが勝つのか」ということだと思うんだけど、もうどきどきしちゃった。

愁童:重苦しい雰囲気がよく描けている。重苦しい時代の雰囲気というのかな。登場人物も、くどいくらいにしっかり描きこんでいるし。謎ときは、途中でわかっちゃうんだけど、犯人を推理することに主眼をおいてるわけではないんだよね。

オカリナ:この話は犯人捜しではなくて、サスペンスなのね。

愁童:今のイギリスにも残ってる労働者階級と上流階級の差を単純化して、わかりやすくしてる。よく考えられていると思うね。でもさ、これハンサム・ジャックも冤罪だったわけでしょ。走っていった牧師も刑の執行には間に合わなくて、結局証拠の手紙を破るんだけど、読者はこれをどう解釈するか、問われてると思う。まあジェシーが助かったからいいような気もして、破って捨てられちゃっても、ぼくはそんなにくやしくなかったんだけどさ。読者に対する挑戦かな。死刑廃止を訴えているとも、とれるよね。

オカリナ:この作家は死刑反対を訴えてるかどうかは定かでないけど、死刑に疑いをもってることは、たしかだよね。

愁童:それとも、人が人を裁くのは、簡単なことではないという暗喩なのか。

オカリナ:現世で人が一人もう死んでるわけだから、それで十分だっていうことじゃない? 牧師だからさ。

ウォンバット:死刑になったのは一人だけど、みんな罪の意識に苛まれて苦しむでしょ。ジェシーもジョンもエマ・ブリッドンも。ハンサム・ジャックだって酔って暴れたりしてて、もし死刑にならなかったとしても、この先以前のように戻れるとは思えない。だからみんな責めは負ってるんじゃない?

ひるね:みんな気の毒よね、たいへんな思いして。スロットルペニーは、最初に死んじゃって一番楽だったかも。

愁童:考えはじめると、アタマが痛くなるよ。でもさ、真犯人がわかるようにちゃんと計算されてるところがすごいよね。

ひるね:少年少女も容赦なく死刑にされる19世紀ならではの物語。とてもおもしろかった! 設定も登場人物もしっかりできてる。私は、死刑廃止を訴えたのではなくて、純粋にエンターテイメントとして書いたんだと思うな。でも、これだけのものを読めるなんて、イギリスの子はいいわね。でもどうして訳文を「ですます調」にしたのかしら。読んでて、かったるかった。原文は19世紀調の迫力あるものだったでしょうに。基本的に小学校高学年以上のものは、「ですます調」でないほうが、いいと思う。途中から自分で「だ調」に翻訳しながら読むようにしたら、すごくよくなった。The Times Educational Supplementには「時代の雰囲気をよく伝えている。働いて働いて、それでも貧しさや苦しみから逃れられないという当時の子どもたちの暮らしを、今の子どもたちも知ることができる。この本の教訓は『大人は頼りにならない』ということ。11〜15歳くらいの子どもたちの共感を得ることができるだろう」と書いてある。それにしても、冤罪で死刑になるジャックは気の毒ね。後味が悪い。最後は子どもが助かるっていうところが、やっぱり児童文学。

オカリナ:この本、表紙がこわい。この表紙では自分から手にとることはなかったと思う。こういう機会でもなければ読まなかった本だけど、読んで本当によかった。なんといっても、人物像がしっかり描けている。私は、上流階級と労働者階級という区別とは思わなかったんだけど。上流階級の中にもいろんな人がいて、たとえば自分の名誉のために裁判を利用しようとする人なんかも出てくるでしょ。そういう個々をきちんと描いていると思うから。「良心がささやく」というのは、宗教がある国だからこそよね。日本では成立しにくいテーマ。ジャックの死も、逆にリアル。あの看守のミセス・サッグも、すごいよね。「たぶん、いまから百年後、1985年には、少女たちは、少年たちの言うことを、いまほどは信用しなくなっているだろう・・・」って、ジョンをにらみつけたりしてるの。『十一月の扉』とは、なんたる違い! 百年後の物語であるはずの『十一月の扉』の女の子は、いまだに夢のような疑似恋愛なんてしてるんだもん。人物の描き方の対比という意味で、『十一月の扉』と一緒に読む価値あったね。

(2000年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


ウメ子

阿川佐和子『ウメ子』
『ウメ子』
阿川佐和子/著
小学館
1999.01

*坪田譲治賞 <版元語録>彼女は変わっている、普通の子とちょっと違う。初めて会った日からそう思っていた。そんなウメ子の強烈な個性に惹かれていく、わたし…。少女のさわやかな友情と冒険をノスタルジックに描く。著者が自らの幼年時代の想いを重ねて綴る、初の小説。

ねねこ:のどかな幼年時代を回顧的に描くってジャンル、あるよねえ。今村葦子の『かがりちゃん』(講談社)とかさ。そういうものをだれに向けて書き、そしてだれに読ませるべきか悩むなあ。これもその一種だと思うけど、後半がおもしろくない。予定調和的で。今年の坪田譲治賞がこの作品かと思うとね……大人と子どもとが共有できる、という選考基準の坪田賞も苦しんでるんだなと思う。

ウォンバット:おもしろい話だけど、大人向けだね。ちょっとうすっぺらで非現実的。だって幼稚園児が、こんな手紙書ける? ひとりで1時間も読書できる?

ひるね:たしかに幼稚園の子どもでは、ありえないわね。手紙や本もそうだけど、なんといっても、意識の持続が小学校3〜4年生のものでしょう、これは。不自然さを感じる。

ウォンバット:そうね。能力は大人のまま回顧して、幼稚園児を演じてるって感じ。物足りなさは否めない。でも阿川佐和子って2世だし、タレントみたいな人かと思ってたんだけど、案外ちゃんとしてるから、見直しちゃった。「ちびまる子ちゃん」みたいなおもしろさがある。きょうだいの関係なんて、とてもよく描けていると思う。手を引っ張ってもらったあとは、お返しに水くんであげたり、背中をさすってあげたり、やさしくしてあげないといけない、とかね。こういうきょうだいの機微ってあるよね。でも、ちょっと変わった転入生であるウメ子が、サーカスの家の子だったって設定は古い。昔「悪いことすると、サーカスに売られちゃうよ」っていわれてた世代の人らしい設定。

ひるね:ノスタルジーを描きたいっていうのは、わかるんだけど。同世代の人のノスタルジーをそそる本なんだろうね。

ねねこ:でも、時代がちょっとよくわからない。テレビはあんまり出てこないでしょ。紙芝居がもう珍しくなってる時代なのに。わざとぼかしてるのかしら。ノスタルジー本はノスタルジー本として、成立する意味はあるのかな?

ひるね:読みたいって人がいて売れるから、いいんじゃないの?

ねねこ:これは、やっぱり阿川佐和子で成立してる本なんだろうね。無名の人がこれを書いても、本にはならないでしょ。

ひるね:まあ、いい気持ちで読めるけど。群ようこの『膝小僧の神様』(新潮社)なんかは、もっとぴりっとしてたわね。『ウメ子』は、書きたいものがあって書いたって感じがしない。「これを書きたいのよ!」ってものが、感じられないのよ。ウメ子のお父さんが家を出た理由なんかも、うそっぽい。大人の体臭が感じられない。

(2000年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)