原題:A LIBRARY OF LEMONS by Jo Cotterill, 2016
ジョー・コットリル/作 杉田七重/訳
小学館
2018.01
<版元語録>カリプソは、本が大好き。いつもひとりでいるカリプソにとって、本はたったひとつの心のよりどころだった。「わたしはだいじょうぶ」何があっても、カリプソは、自分に言い聞かせる。そんなカリプソの心を開いたのは?
さららん:本だけが友だちのカリプソが主人公です。お母さんの死後、お父さんとの二人暮らしが始まり、カリプソはお父さんに暮らしの面倒を見てもらえません。でもメイという本好きの友だちが現れて、物語の世界を通して、カリプソの心の扉が開きます。レモンの研究書の執筆に打ち込むお父さんが、非常に子どもっぽいと感じましたね。現実を逃避するお父さんの心の問題が次第に明るみに出て、閉ざされた家庭に外からのケアが入ります。イギリスには、大人の世話をする子どもの会があることを初めて知って、新鮮でした。p188に「正常か異常か、その判断は人によってちがうんじゃない」とメイが言います。そんな言葉がこの物語を単純なものにせず、救っていますよね。幸せの形を自分で探すカリプソの物語になっています。ただ、いいところもたくさんあるけれど、わかりにくいところもありました。私にはお父さんが謎の人で、共感を抱けず、血の通う人間としての像が結べませんでした。子どもが大人をここまで理解し、包容する必要があるのかと、疑問も感じました。なお本文に出てくる本のタイトルが巻末にリストで出ているのは、とても親切ですね。でも文中には「未邦訳」の注をつけなくてもよいと思いました。それを見たとたん作品の世界の外に、放り出されてしまいます。
アンヌ:とても魅力的な表紙で、レモンの背景の地色の灰色がかったベージュの色に不安が表わされているようで見入ってしまいました。二人が出会う場面で、メイがカリプソの名前を木で組む場面とか、授業で、言葉を知っていることに尊敬の念を抱くところとか、古典的な児童文学について二人が夢中で話すところとかに、とても惹かれました。でも、カリプソはいつも空腹で、食事だけではなく洗濯も自分でしなくてはならない状況で、読んでいてつらく、父親への怒りを感じました。物語の後半は、あまりうまく描かれていない気がします。父親の状況を、父親とカリプソが交互に物語を書き合う事で説明してしまうところや、大人の面倒を見ている子供たちを支援する組織が妙に無力だったりするところとか。そして、これだけいろいろあったのに、最後はカリプソも父親と家庭を作るという結論には、なんだか昔『ケティ物語』(クーリッジ作、小学館)のラストを読んだ時のように、がっかりしてしまいました。気になった言葉がp10『少女ポリアンナ』(エレナー・ポーター作 角川文庫)の「よかったさがし」。本の内容を知っていても違和感のある感じがしました。村岡花子版では「喜びの遊び」「喜び探し」だったので、最近の訳はどうなんだろうと調べたら「幸せゲーム」「幸せさがし」などの訳があり、確かに「よかったさがし」としている本もありました。
ネズミ:p10のせりふだけ見ると、「よかった探し」と『少女ポリアンナ』は結びつかないですね。
コアラ:主人公は10歳ですが、本のつくりは大人っぽいと思いました。カリプソが赤毛でメイが黒髪で、物語の中でも『赤毛のアン』(モンゴメリー作 講談社他)が出てきますが、他にも『赤毛のアン』を思い出させるところがありました。例えばカリプソが学校を休んでメイがさびしがるところや、p239からの部分で大切なことに気付くところとか。それから、物語の中で本がたくさん出てくる割には、あまりワクワク感がありませんでした。やっぱりp10の「未邦訳」で気持ちが削がれたのかもしれません。それでもカリプソが本を大切にするところとか、共感できる部分もありました。巻末の「読書案内」は親切だと思いました。
アカシア:原文は、よく練られた美しい文章だったのですが、訳はかなりはずんだ元気な調子になっていますね。訳文の文体に私はちょっと違和感がありました。お話はおもしろく読んだのですが、いくつか引っかかる点がありました。一つは、この父親の状態ですが、大人なら想像がつきますが、子どもに理解できるのかな? 母親の本を全部外に出して、書棚にレモンを並べていたところも、父親が母親の思い出と訣別したかったのか、それとも単に精神が錯乱しているのか、そのあたりもよくわかりません。二つ目は、ダメ親と子どもの関係なのですが、現実では子どもが、「親がダメなのは自分のせいか」と思ったり、「自分がしっかりしないと家庭が崩壊する」と思ったりして、がんじがらめにされてしまうことも多いのではないでしょうか。たいていの児童文学では、作家はそうした子どもの側に立って、「もっと自分のことを考えてもいいんだよ」というメッセージを送りますが、この作者は逆に父親の側に立って愛情をもっと注ぐことを娘に奨励しているように見えます。そこに引っかかりました。表紙やカットの入れ方はいいですね。
カピバラ:10歳の子どもらしい感覚が描かれていると思いました。対象年齢がYAよりちょっと下に思えたのは、弾んだ訳文のせいかもしれません。子どもの気持ちや、パパやメイの描写は、ありきたりではなくおもしろかったです。例えばp198、パパの様子を「つかまるとわかって、身をかたくするハムスターみたい」という表現とか。自分にとってメイがどんなに大切な存在かと気づくことによって、パパには自分が必要なんだと気づくところが、すっと理解できました。ゲームに夢中になる子ども、パソコンから目が離せない大人など、今の子どもを取りまく現実がよく描かれ、その中にいながらカリプソは紙の本の価値を信じている昔ながらの子というのがほほえましかったです。知っている本のタイトルがたくさん出てくるのも読者にはうれしいと思います。
マリンゴ: 非常によかったです。冒頭で実在のいろんな本が紹介されていたので、図書室で子どもたちがさまざまな本を読む話かと思っていました。こんな物語だったとは! 親が大変な状況にあって、子どもが苦労する……こういうことは日本でも身近にあると思います。この子自身も相当個性的なのですが、そういうキャラクター、そして親との関係性を、一人称なのによく描けているなあと感じました。三人称のほうがきっと書きやすいはずですけど……。先ほど話題になっていましたが、「レモン」の解釈が日本と欧米で違って、ネガティブな意味があるところも、おもしろいですね。あと、余談ですけど、メイのお母さんのアイコって日本人ですよね。ステレオタイプな東洋人ではない描かれ方をしているのが、ちょっとうれしかったです。
ネズミ:母親が亡くなってから立ち直れない父親や、子どもの面倒を見られない親は、『さよなら、スパイダーマン』(アナベル・ピッチャー作 偕成社)や『紅のトキの空』(ジル・ルイス作 評論社)、『神隠しの教室』(山本悦子作 童心社)にも出てきますね。子どもがそれぞれの環境でそれぞれに親と向き合って生き延びていくというのは難しいテーマだけど、必要だと思うし、おもしろく読みました。ですが、この主人公は10歳で、感じ方など小学生が読んで、うんうんと思いそうなところがいっぱいあるのに、本のつくりが大人っぽくて、小学生が手に取るかどうかが疑問です。一人称の語りが、せりふの部分はいいけれど、地の文ではしっくりこなくて、三人称のほうがすっと入れたのではという気もしました。作者はこの子の目線を大事にしたかったのでしょうか。それと、結局、カウンセリングのゆくえがよくわからないですよね。リアルなのかもしれないけれど。日本だとマンガ『Papa told me』(榛野なな恵作 集英社)が1988年に出て、新しい親子像が描かれてきたけれど、この本のような父親は今もよくいるということなのかな。
カピバラ:カウンセリングは、与える側と受ける側にずれがあるところをうまく描いていると思います。受ける側は、なんとかしてほしい、と思って行くんですけどね。
レジーナ:とてもきれいな表紙です。YAにしても、大人っぽいつくりだと思いました。「大人を世話する子どもの会」というのはおもしろいですね。せりふはところどころ、しっくりこなかったです。p24「だめだめ! いえない!」「読んでる本の先をバラされるって、すっごく頭にくるよね。ほんとうにごめん! お願い、ゆるして!」、p133「もちろん知ってたよ! ここには本なんて一冊もないの。ふざけてみただけ! 怒らないで!」など、感嘆符が多いのは原書のままなのかもしれませんが、日本語で読んでいると、浮くというか、大げさに聞こえて。本棚のレモンを投げる描写もヒステリックで、読者はついていけるのか……。父親も、そういうのが嫌いなのはわかりますけど、カリプソがハロウィーンのお菓子をもらいに行きたがっているのに、頑なに反対します。いくら精神が不安定だとしても、自分の本をだれかが買ってくれたと喜んでいるカリプソに対して、ひどい態度をとるし。一人称は、その人の目に映る世界なので、すべてを描けないとしても、描写によっては、立体的な人物像になると思うのですが。
アカシア:このお父さんは出版業界にいるんですよね。だから、新人の原稿がそうそう採用されないのは知っているはず。なのに、送った原稿がある社から採用されなかっただけで、こんなに落ちこむなんて。リアリティという点でどうなんでしょう?
ハル:すごくきれいな装丁で、しっとりとしたお話かと思って読み始めたら、予想外の展開で。そのためか、お父さんは「おかしい」人なのか、ただ「心を閉ざしている」人なのか、どっちを意図して書かれているんだろうと少し戸惑いました。本を捨てていたことがおかしいのであって、レモンの歴史をまとめることや、レモンを棚に並べていたこと自体は「異常」ではないですよね? 絵面は衝撃的ですけど、レモンを研究していたわけですから。……でもやっぱりおかしいのかな。よくわかりません。でも、こういう、子どもが自分のことに集中できず、家のことや親の面倒を見なくてはいけないというような問題は確かにあるんだと思うし、このお話よりもっと切迫した状態の家庭もあるということも、この本を読んで想像することができました。主人公の女の子はとても大人びたところもあり、年相応に幼いところもあるので、読者には主人公の考え方や答えを丸のみにしないで、自分だったらどうするだろう、友達だったらどうしてあげることができるだろうと考えながら読んでほしいなと思いました。
ルパン:私はのめりこむようにして読みました。父親が書棚いっぱいにレモンを並べているシーンは、まるで本当に目に飛び込んできたように残像が残りました。強烈なシーンだったので、よほど書き込まれていたのかと思いましたが、あとで見返したらほんの半ページほどの出来事なんですね。それだけでリアルに壮絶さを見せる筆力はすごいと思いました。ところで、お父さんがここまで壊れてしまう原因はお母さん、つまり奥さんの死にあるわけですが、このお母さんも有名な画家で、ふつうの主婦ではないですよね。どんな女性だったんだろうと興味がわきました。それから、メイがとてもいい子ですね。カリプソに寄り添うメイの姿にとても共感がもてました。見守るメイのお母さんにも。p222にあるように、星を「濃紺の空にピンで刺したような穴が五つほど点々と光っていた」と表現するように、うまいなあ、と思えるところが何箇所もありました。救いがあるけれどご都合主義が鼻につくことはなく、後味も悪くなくて好感が持てる本でした。
カピバラ:p182の4行目の改行位置は、間違いではないでしょうか。カットの上ではないのに短く改行されています。
エーデルワイス(メール参加):親が心の病気で、その子どもが親を世話をする「ヤングケアラー」がいるんですね。そそれで「大人を世話する子どもの会」をつくっている。イギリスは進んでいるのか深刻なのか。日本も同じです。子どもは衣類を洗濯もしてもらえず食事も作ってもらえない。子ども時代を安心して過ごすことができない子が増えていることに怒りを覚えます。カリプソのように父親に対し憤りを覚えながら自分がなんとかしなければならないと頑張ってしまうことが本当に切ない。レモンに「欠陥品」「困難」という意味があることは初めて知りました。すっぱいからかな? カリプソは親友のメイとその家族の温かさに触れ、幸せになる・・・。良き人間同士の触れ合いが大事とのメッセージでしょうか。
(2018年4月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)