日付 2021年4月20日(オンライン)
参加者 アンヌ、エーデルワイス、カピバラ、サークルK、さららん、しじみ71個分、西山、ネズミ、ハリネズミ、ハル、マリンゴ、まめじか、ルパン、(鏡文字)
テーマ 人の痛みに思いを寄せる

読んだ本:

『ぼくたちがギュンターを殺そうとした日』表紙
『ぼくたちがギュンターを殺そうとした日』
原題:WARUM WIR GÜNTER UMBRINGEN WOLLTEN by Hermann Schulz, 2013
ヘルマン・シュルツ/作 渡辺広佐/訳
徳間書店
2020.03

〈版元語録〉第二次世界大戦終戦直後、混乱期のドイツの農村。十代前半の少年たちは、ある日ふとしたことから、難民の子ギュンターをいじめてしまう。ギュンターはそのことをだれにも訴えないが、大人にばれるのをおそれた仲間のリーダーは、「あいつを殺そう」と言い出す。表立って反対することができない主人公フレディは、隣家の年上の少女に助けを求めるが…? 子どもたちのあいだの同調圧力といじめ、大人が果たすべき役割…現代にも通じる問題を、戦争の影の下に描き出す一冊。人間を深く見つめる作者が、危機的状況におちいった少年たちを温かく見つめ、ヨーロッパで感動の渦を巻き起こした、ドイツ発の話題作。10代~
『ワタシゴト』表紙
『ワタシゴト〜 14歳のひろしま』
中澤晶子/作 ささめやゆき/絵
汐文社
2020.07

〈版元語録〉修学旅行で広島平和記念資料館を訪れた5人。それぞれに悩みを抱え、戦争とは遠い世界で暮らす14歳の胸の内は……。 登場人物に共感を覚えながら、物語に登場する被爆資料などを通して平和について深く考えていく作品です。


ぼくたちがギュンターを殺そうとした日

『ぼくたちがギュンターを殺そうとした日』表紙
『ぼくたちがギュンターを殺そうとした日』
原題:WARUM WIR GÜNTER UMBRINGEN WOLLTEN by Hermann Schulz, 2013
ヘルマン・シュルツ/作 渡辺広佐/訳
徳間書店
2020.03

〈版元語録〉第二次世界大戦終戦直後、混乱期のドイツの農村。十代前半の少年たちは、ある日ふとしたことから、難民の子ギュンターをいじめてしまう。ギュンターはそのことをだれにも訴えないが、大人にばれるのをおそれた仲間のリーダーは、「あいつを殺そう」と言い出す。表立って反対することができない主人公フレディは、隣家の年上の少女に助けを求めるが…? 子どもたちのあいだの同調圧力といじめ、大人が果たすべき役割…現代にも通じる問題を、戦争の影の下に描き出す一冊。人間を深く見つめる作者が、危機的状況におちいった少年たちを温かく見つめ、ヨーロッパで感動の渦を巻き起こした、ドイツ発の話題作。10代~

アンヌ:主人公のフレディが農家のおじさんの家で暮らしていた時の様子が、丁寧に描かれていると思いました。たとえばp135でレオンハルトの母親と黙々とジャガイモの選別をして、レオンハルトが出てきても、箒で泥をはいて最後まで仕事を終わらせるという描写に、フレディには、もう農家の仕事が身についているんだなと思いました。それにしても、村中の大人がこの子たちがギュンターをいじめたと知っているようなのに、なんでレオンハルトだけは、殺せばバレないと思いこんでいるのか不思議です。難民であるこの一家には、村の様子が入ってこなかったからでしょうか。大人たちも戦争で人を殺し、ユダヤ人を追放した迫害者でもあったのに、自分の村では正しい大人として子供を厳しく罰しようとする。この矛盾に、戦後すぐのドイツという国の葛藤を感じられる物語だと思いました。ただ、それがうまく書けているかと言うと、奇妙などっちつかず感がありました。フレディが物語の終わりごろから妙に傍観者的になったり、作者が大人の話者として顔を出したりするせいかもしれません。

さららん:ギュンターへのいじめからまずいことになり、リーダーのレオンハルトの、「あいつを殺そう」という言葉にフレディは反対できません。力の強いものに弱いものが徐々に支配されていく恐ろしさは、ほかの児童書でも読んだことがありますが、この本の背景、戦後すぐのドイツに東プロイセンから難民が押し寄せた時代のことは知らず、その点だけでも自分にとって新しい1冊でした。親類も復員してきて、フレディのまわりにはナチスのSSだった青年たちがいます。その1人のヴィリーにフレディたちは救われ、グスタフにもフレディは変わらぬ好意を持ち続けることが最終頁(p149)でわかりますが、そこで複雑な思いにとらわれました。SSというだけで偏見の目で見られる時代が続いたのかと思う一方、少年の素朴な感情の中でSSの行為を許して、それですむのかという疑問です。ドイツはホロコーストだけではなく、こういうふうに同国人を受け入れ直してきたのか、という発見がありました。ギュンターはなにかの障がいがあるようですが、最後まで謎の少年で、欲を言えば、もう少し彼の内面を知りたかったです。

マリンゴ: ヒリヒリし過ぎる物語で、途中で何度、本を閉じて深呼吸したかわかりません。普段はそんなことしないんですけど、後ろのほうをめくって、ギュンター死なないよね?と確認してから読み進めました。子どもたちの非常に短絡的な、浅はかな考え方、計画、そういうものがリアルです。大人たちは既にじゅうぶん疑っていて殺したら即犯人はわかるのに、逃げ切れると思いこんでいる視野の狭さが表現されています。そして時代性。大人たちだって殺し合いをしてきたんだから、自分たちがひとり殺したっていいだろう、と子どもが思ってしまう・・・。大人は「戦争は別だ」と考えますが、その理屈が「正しい」わけでもないんですよね。これを読んで思い出した作品があります。まったくタイプが違う小説なのですが、去年末の「このミステリーがすごい!」で1位を取った辻真先さんの『たかが殺人じゃないか』(東京創元社)です。根底に流れる感情が似ていると思いました。これからお読みになる方のためにネタバレは避けますが、御年89歳の作家が書いた昭和24年の物語です。戦争の頃、たくさん人が殺し合った記憶が鮮明で、だからタイトルの『たかが殺人じゃないか』という考え方が生まれるわけなのでした。

しじみ71個分:自分が少年時代に実際にあったことを描いている、と作者の後書きにありますが、第二次世界大戦直後のドイツの雰囲気が大変に理解しやすく、その中で子どもたちの心理をヒリヒリと描きだしているのがすばらしいと思いました。東プロイセンからの難民や、お父さんを亡くした子などが、疲弊と貧困の中で労働させられ、大人から体罰を受けるなど困難を抱えるなかで、行き場のない怒りをいじめとしてぶつけてしまい、それがエスカレートしていく様子にはドキドキさせられました。ギュンターを寄ってたかっていじめたことは、周囲の大人たちにはみんなバレているにもかかわらず、子どもたちは近視眼的になって、ギュンターを殺すことでいじめの事件を隠蔽しようとします。それは家を追い出されてしまうかもしれないなどという不安からでしたが、こういった子どものときの卑怯な気持ちは自分の中にもあったと思い出され、それをえぐり出されるような気分でした。でも、作者は、いじめや同調圧力や、戦争と殺人の境界線など、複雑な難しい問題を大きなあたたかい目で見ていると感じます。大人が戦争で殺した殺人は殺人ではないのかという問いは、決して解決しません。SSにいた従兄のグスタフもいい家庭人であるにもかかわらず、ユダヤの人たちに残酷なことをしてしまったという事実を透明な視線で見ているようです。普通の人が殺戮を行えるという、その細い境界線をいかに考えるか・・・。今にも通じる重要な作品だと思いました。

ハル:原書は2013年発表ということで、最近の本というわけでは決してないのですが、とても新しいものを感じました。こういうふうに戦争を伝えていく必要があるんだな、というか、これからはこういう形で戦争を伝えていくようになるんだろうな、と思いました。戦争を過去のひどく恐ろしい出来事として認識させるのではなく、自分の心の中にもあるものとしてとらえさせ、自分のことに置き換えて想像させ、より身近な問題に落としこんでくれる作品です。ぜひ、主人公たちと同じくらいの年頃の子にも、その子たちを取り巻く親世代の人にもおすすめしたいです。でもひとつだけ・・・注釈は、なければないで不親切だし、あればあったで煩わしいし。特に最初のほうは、注釈で気が散ってなかなか集中できませんでした。巻末とか章末にあるのがいいような? でも、うーん、難しい! 注釈は悩ましい問題です。

エーデルワイス:ショッキングな題なので、覚悟して読みましたが、とてもおもしろかった。作者の実体験に基づいていることに興味を抱きました。宣教師の父親とは何があったのでしょうか? 戦争が背景にありますが、時代を超えた青少年の危うさを描いていると思います。異質なものを排除するいじめの問題、親から子どもへの暴力の連鎖。この本のおかげで同作者の、『川の上で』『ふたりきりの戦争』(どちらも徳間書店)も読んでみました。また同時代、第二次世界大戦末期のドイツと旧ソ連の国境が背景の『片手の郵便配達人』(グードルン・パウゼヴァング/著 高田ゆみ子/訳 みすず書房)、『神さまの貨物』(ジャン=クロード・グランベール/著 河野万里子/訳 ポプラ社)も読みました。

カピバラ:この著者の『川の上で』を前に読んだのですが、とてもおもしろくて力強い本で、今でも印象深く残っています。今回の本も重厚な作品でした。たくさん子どもたちが出てくるんですけど、どの子もやり場のない不安をかかえ、不安と隣り合わせに生きている。だから自分よりも弱い者が目障りで、いじめてしまう。それがどんどんエスカレートして、後戻りできないところまで行ってしまう怖さがよく描かれていました。大人たちも疲れ果てていて、子どもを虐待したり、理不尽に押さえつけたりしようとする。大人たちも戦争で多くの人を殺しているんだから、ギュンターを殺したぐらいで大騒ぎしないだろう、と少年たちが思ってしまうところは背筋が凍りました。でもそれが戦争の真実なのでしょう。しかしこれは戦争中の異常な空気の中でだけ起こることではなく、今の社会でも起きているので、それが怖いと思いました。私も、殺さないんだよね、殺さないんだよね、殺しちゃったらどうしようと常に緊張しながら読んでいきました。ちょっとホッとしたのは、ギュンターが馬のことに詳しいとわかって、フレディがちょっと見方を変えるところと、ルイーゼという元気な女の子の存在です。戦争の時代の事実をもとにした話として、貴重な本だと思うんだけど、今、日本の子どもたちにどんなふうにすすめたらいいのか、難しいところだと思いました。

まめじか:戦争といじめを重ね、組織的に行われる暴力を描いた作品で、とてもおもしろく読みました。子どもは戦争でひどいことをした大人に不信感を抱き、また家庭によっては体罰や脅しで子どもを押さえつけようとし、そんななかで暴力が連鎖していく。同調圧力から抜け出せない人間の弱さ、フレディが自分の目で見て判断しようとする過程がよくとらえられています。チェコやポーランドの旧ドイツ領だった地域で暮らしていた住人が戦後、土地を追われたことは、ドイツの他の児童文学や絵本でも見たことがありますね。

サークルK:迫害されていたのはユダヤ人だけではないことがわかるので、子どもたちが『アンネの日記』などを読んでナチスに迫害されたのはユダヤ人だけだ、というように思いこんでいるとしたら、ことはそんなに単純ではないのだと気づくことにもなり、新しい想像力の目をひらかれると思いました。ただ、タイトルがショッキングなので、こわいもの見たさに手に取った子どもがどんな衝撃を受けるのかは心配になりました。映画で言うと『スタンド・バイ・ミー』の世界を彷彿とさせるのですが、この物語はみんなが協力してひどいことをしそうになる、その過程で大人になっていくという物語だと思います。最後に「日本の読者のみなさんへ」の中で、作者は物語のフレディなのだと告白しています。日本の、と書いてあるので、原作では語られていないのかもしれませんが。一般的には、一人称の「私」語りであっても、それを作者そのものと重ねて読むことをよしとしないこともありますが、子どもの本の場合、このようなカミングアウトは作品そのものの評価にはあまり影響がないのかしら、ということも気になりました。

ハリネズミ:日本の子どもたちにも共通するテーマが描かれていると思いました。主人公のフレディは、みんなでギュンターをいじめた後気分が悪くなる、お姉さんに相談の手紙を書こうとするけれど実行できない、ギュンターが学校を休んでいるのを知って様子を見に出かけて行くと同じく様子を見に来ていたレオンハルトに遭遇するなど、心のもやもやを抱えて右往左往する過程がとてもリアルに描かれていると思います。いとこがたくさん出てくるので、あれ、いとこの名前が違うじゃないと、最初ちょっと混乱しました。いじめがばれないように殺人を考えるというのは極端な気がしますが、著者の実体験だと知って、戦争が影を落としているこの時代には本当にあったことなのだと怖くなりました。そういう意味では後書きがものを言っていると思います。

西山:ナチスの時代を描いた作品はいろいろと読んできましたが、ドイツの戦後の時期を描いているのを新鮮に受けとめました。あれだけのことを起こし、モラルが崩壊して、それがその後の人生や子どもに影響を及ぼしていないわけがないのに、ハッとさせられたという感じです。隠しているつもりの行動がおとなたちにバレバレとか、子どもらしい迂闊さ?は普遍的で、でもやっていることの桁が違って、怖さひとしおという感じでした。障がい児をいじめて、それを隠すために嘘をつき口裏合わせをする「歯型」を書いた丘修三さんに、読んでみるようすすめたいと思いました。津久井やまゆり園の事件も思い出しました。

ネズミ:物語に入りこむまでに、ちょっと時間がかかりましたが、事件が起こってからは一気に読みました。当時の農村部の暮らしぶりの描写に、『アコーディオン弾きの息子』(ベルナルド・アチャガ/著 金子奈美/訳 新潮社)を思いだしました。ちょうど時代も同じくらいで、人々が手仕事で暮らしている様子が似ています。生活の手触りが伝わってきて。『アコーディオン弾きの息子』では、フランコ側の思想を持つ父親が内戦中に人殺しに関わっているのではということで、主人公は苦しむのですが、大人のやっていることが子どもに反映するというのも同じです。それから、この大人たちの子どもへの接し方は考えさせられました。何が起きたか勘づいているのに口を出さないんですよね。なかなかこういうことはできそうにないので。内容とは関係ありませんが、もう少し字組みがゆるいと読みやすいかなと思いました。

ハリネズミ:ルドルフおじさんが脱走兵だということを、村の人たちは知っているわけですが、密告したりしないんですね。日本だと逃亡兵だとか義務を遂行しない者に対して厳しく糾弾たり密告したりということもあったと聞いていますが、ここにはもっと大らかな人間関係が存在しています。ある意味、村人のその大らかな目は、ナチスに荷担したりSSだった者たちを無条件に許していることにもなるわけですけど。そういう大らかで普通の「いい人」たちが、戦争となると否応なく殺人あるいは殺戮へとつながる行為をしてしまう。そのことをこの作品は浮き彫りにしていると思います。

アンヌ:村の人たちは、だれがナチスの親衛隊だったとか、あの人はダッハウにいたとかも知っているんですよね。でも、駐留軍に密告されたりしないで村で暮らしていける。

しじみ71個分:この本を読んで、先日、JBBYのノンフィクションの学習会で取り上げた『命のうた~ぼくは路上で生きた 十歳の戦争孤児~』(竹内早希子/著 石井勉/絵 童心社)という本を思い出しました。その本の中にも終戦直後の困難を抱える子どもたちの姿が描かれており、それと共通する点を感じました。戦争直後の姿というのは、あまり読んだ経験がなかったので、重く受け止めました。

さららん: p22に、男の子が着るのに恥ずかしいものとして、「股割れズボン」がでてきますが、どういうものか知りませんでした。できれば、注が欲しかったです。

ハリネズミ:私は中国の保育園で子どもたちが股割れズボンをはいているのを見たことがあります。寒い地方や季節だとズボンを脱がなくてもトイレができるので便利なのかな。でもヨーロッパにもあったのは知りませんでした。まあ文字を見ればどういうものかは想像がつきますが。

ルパン:ハラハラしながら読みました。タイトルが「殺そうとした」だから、きっと殺さないんだろう、とわかっていても、やっぱりドキドキしました。どう解決するのか、ギリギリまで引っ張ってくれましたが、私としては大人が出てきて収めてしまうのはちょっと拍子抜けでした。ここで女の子が銃をぶっぱなしてくれたらもっとよかった。せっかくフレディが一生懸命考えたことだから。とてもおもしろくて一気読みだったのですが、登場人物が多すぎてちょっと混乱しました。

西山:子どもはそういうことをするという面がありますよね。昔、元教員から聞いた話です。川で遊んでいて、一人がおぼれてしまった。でも、一緒にいた子どもたちは、禁止されている場所で遊んでいたことを叱られると思って、おぼれた子をそのままにしてしまったというのです。とんでもないけれど、でも、子どもの一面ではある。

しじみ71個分:いじめの果てに殺してしまうのは今の世の中にもありますね。生死の境界、やっていいことと悪いことに関する認識がとても薄く、感情が育っていなくて、結果として殺してしまうというようなことが今でも起こっているのを思うと、本当に難しい問題だと思います。

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鏡文字(メール参加):薄い本だったのですぐ読めるかと思ったのですが、予想以上に時間がかかりました。固有名詞も多く、特に前半は読みづらかったです。イジメの発覚を怖れて殺してしまおうという発想に驚かされますが、事実に基づいた物語とのこと。第二次世界大戦終結直後という、多くの大人たちが人を殺すことに手を染めた時代背景ゆえのことなのかもしれません。父の不在や難民の存在が当たり前という社会状況にあって、だれもが傷を負っており、良きロールモデルもなかなか見出せない子どもたちの姿が痛ましく感じました。終盤ははらはらしながら一気に読めました。おそらく自身も心の闇を抱えつつ、軌道修正を提示するヴィリーが印象に残ります。少年たちのその後を知りたくなりました。

(2021年04月の「子どもの本で言いたい放題」より)


ワタシゴト〜 14歳のひろしま

『ワタシゴト』表紙
『ワタシゴト〜 14歳のひろしま』
中澤晶子/作 ささめやゆき/絵
汐文社
2020.07

〈版元語録〉修学旅行で広島平和記念資料館を訪れた5人。それぞれに悩みを抱え、戦争とは遠い世界で暮らす14歳の胸の内は……。 登場人物に共感を覚えながら、物語に登場する被爆資料などを通して平和について深く考えていく作品です。

ネズミ:前に同じ作者の『3+6の夏』(汐文社)を読んで、これも意欲的な作品だとは思ったのですが、私はうまく入れませんでした。それぞれの物語で、今の現実の中でいろんな問題を抱えている子どもが中心になって展開するのですが、現実の問題は解決されないまま。どれもがハードで重い問題なので、苦しくなったのかもしれません。あえてこういう描き方をしているとは思ったのですが。

サークルK:本の扉を開けると、タイトルについて掛詞(私のこと、記憶を手渡すこと)になっているという説明がなされ、手に取った子どもたち、まさに14歳くらいの人たちが読むときには、大きなヒントになることが書いてあるのだろうと思いました。1つ1つ読み進めるごとに、パズルがはまっていくように登場人物と彼らをめぐる出来事が明かされ、よく練られたお話だなと思いました。とくに「ワンピース」は、展示されているワンピースからの声がみさきだけに聞こえてきますが、その声がすべてひらがなで、句点もない独白になっているところ、そしてその内容が素朴で温かくて、最も心を打たれました。ただし、全体に思春期の子どもが抱えている問題がてんこもりのように詰めこまれている感じなので、よく言えばすべて装備されているけれど、すきがないというか、かっちりしすぎている印象があって。いいお話の連作だとは思ったけれども、もうちょっと遊びがあって、読者が想像できる余地を残しておいてくれてもいいのかなというふうに読みました。

西山:まずは、タイトルに、なんと絶妙な!と感心した作品です。戦争に限らず、体験者と非体験者をどうつなぐか─それが大きなテーマだと思うのですが、それが「ワタシゴト」という言葉で、要点を押さえている。5話のうち最初の3話は、今までもあった構造だと思うんです。現代の子どもの今の生活や抱えている問題が、何らかの物やことを通して、戦争体験と重なってつながるという構造。後ろの2話は新しいと思いました。感情的に迫っていくという仕立て方じゃなく、石に対する知的好奇心で被爆瓦にせまっていく。教師たちも一緒に動いていくし、風通しの良い刺激的な作品でした。最終話は、わかっていない子どもにわかっている大人が伝える、という関係に一石を投じていて新鮮でした。子どもの方がよっぽどわかっている場合があるとか、辛すぎて向き合えないことがあるとかいったことは、「伝えたい大人」は頭の隅に置いておいた方がよいと思っています。

ハリネズミ:とてもおもしろかったです。戦争や原爆を伝える児童書として、これまでの作品とはひと味違うと感じました。子どもたちが頭で知るのではなく、自分の実感を通して追体験するというコンセプトがいいなあ、と。現実の問題が解決しないという声もありましたが、そこがテーマじゃないですよね。たとえば最初の「弁当箱」だと、母親が嫌味を言いながら渡した弁当箱を俊介が払いのけると、弁当箱は下に落ちてしまう。その俊介が被爆資料の黒こげの弁当箱を見て、時間がたってまっ黒にアリがたかっていた自分の弁当箱とその黒こげの弁当箱の両方を頭に思い浮かべる。よくあるタイプの日本の児童文学だと、そこで母親をババア呼ばわりして弁当を無駄にしたことを俊介が反省したりするわけですよね。でも、この作品はそうじゃない。「くそっ、あの日、弁当箱を抱いて骨になったあいつは、どんなやつだった?」(p27)とそっちへ想像をもっていく。そっちへ視野が広がる。ここがすごいところじゃないでしょうか。アーサー・ビナードが『さがしています』(岡倉禎志/写真 童心社)という絵本でやろうとしたことを、これは物語でやろうとしている。戦争や原爆を今の子どもに伝えるのに教訓や説教や脅しじゃなく、とてもいいバランスでこの物語はできている。それに、先生たちがちゃんと大人に描かれているのにも好感を持ちました。赤田さんの後書きに「『ひろしま』には絶望や悲しみだけでなく、人を惹きつける力のようなものがあると、私はこのとき思いました。学校の日常生活ではけっして掬いあげることのできないものが、『ひろしま』にはあるのだなあと思ったのです」(p121)とありますが、私はこの後書きが物語を裏から支えていると思いました。

ルパン:これは、傑作だと思いました。そして、どのお話にもそれぞれにドキッとする言葉がありました。たとえば石のところでは、「あの熱で人も焼かれたのよ」とか、ワンピースのところでは「レースがやけなくてよかった」とか、靴のところでは、「口うるさい妹へのおみやげゲット」とか。中学生の心情が自然体で書かれていると思いました。こういうテーマの作品だと、まじめすぎてひいちゃうことがあるんですけど、これはそれぞれ物語として独立しているので、子どもたちにも自然に手渡せると思います。原爆を目撃していない作家が、新しい形で語り部になっていくんじゃないかと思いました。あと、赤田先生のあとがきは、私はけっこう好きです。「花買って来いよ」と言った男子中学生のエピソードとか、ぐっときました。

まめじか:今の子どもたちの内面と過去の戦争を、原爆の遺品をとおしてつなげる手法がすばらしいと思いました。資料館に入った俊介が「腹を立てながらも、前に進むしかなかった。ここを出るためには、ともかく前へ」と思いながら歩くのを、つらい環境の家を出たい気持ちと重ね、お弁当がなくてカレーパンを食べているのをからかわれたときの思いを「怒りはカレーの味がした」と表すなど、描写が見事です。亡くなった人たちがたしかに存在していたのを感じ、戦争や原爆を自分の問題としてとらえられるようになる過程がよく表されています。黒田先生が「考えていることがみんな同じなんて、ありえない。正解なんて、どこにもない」と思うのも、ひとりひとり受け止め方やその深度が違うことを認めているようで好感がもてました。高校のとき、平和記念公園の慰霊碑の前ではしゃいで写真を撮るクラスメイトを見て、「たくさんの人が亡くなった場所なのに」と言って怒っていた友人がいて、そのときはその気持ちが十分に理解できなかったのをふと思い出しました。中澤さんと赤田さんとの出会いがあって、このような作品が生まれたのはわかるのですが、最後の「私のひろしま修学旅行」は作品の中で浮いているというか・・・。内容はいいのですけど、新聞記事か副読本を読んでいるみたいで。知らない先生が突然出てきた印象です。赤田さんについては、中澤さんがあとがきの中で書けばよかったのではないかと。

カピバラ:原爆資料館に展示された遺品を見たことで、今の中学生が自分の抱えている問題とつなげて考えるという構造がうまいと思いました。過去の出来事と切り離すのではなくて、当時の同世代の子どもが何を感じたかを今につなげることで、何かが生まれることを期待する、著者の希望が伝わってきます。まさに、追体験ですよね。1話ずつがとても短いけれど、会話をうまく使って印象に残る光景を切り取っていく書き方は印象的なのですが、短いだけにちょっと乱暴な描き方だと思うところもありました。短編連作は読みやすいし、今の子どもたちには、どの話かに共感できる部分があるだろうと思います。

エーデルワイス:『ワタシゴト』のタイトルが新鮮で、ささめやゆきのイラスト、表紙、背表紙、タイトル文字がおしゃれでセンスがよく、好きです。この本の出版社の汐文社は『はだしのゲン』(中沢啓治/著)のように、平和を考える本を出しているのですね。5話のうち、「いし」「ごめんなさい」は共感できました。他の話は、子どもの抱える問題と戦争を考えることを無理やり押しこめた感じが否めないように私には思えました。子どもの本は目に見えるところで解決策を提示してほしいと思っています。

ハル:この本も、タイトルどおり、戦争を自分のこととしてとらえさせてくれる作品です。もう少し幼い子に向けた本なのかなと思って読みはじめたら、1話目の出だしからなかなか衝撃的で、ぐっと心をつかまれました。5つある物語は、中には私の中で少し消化不良というか、共感までいかないものもありましたが、「いし」がいちばん好きでした。平和記念資料館をつくった長岡省吾さんのことを彷彿とさせるようなお話で(長岡省吾さんについて書かれたノンフィクション『ヒロシマをのこす』佐藤真澄著/汐文社 もおすすめです)。最後の「わかっています」の重みが、ずんと心に響きます。人それぞれの感じ方、表現の仕方があってよくて、この子はこの子なりに「わかっている」んですよね。小説はここで終わっていますが、きっと、その場にいた子どもたちも本当に絶句するほど、重みをもって響いた一言だったんだと信じたいです。1話、1話、とても余韻の残る作品だったので、巻末の「後付」があれこれあって、ちょっと、饒舌すぎたかなぁ、もうちょっと余韻を味わいたかったなぁという感じもしました。

しじみ71個分:私はたくさん読んだ中から選ぶということができないので、選書担当として、タイトルから当たりをつけて読むしかないのですが、この本は薄いし、『ワタシゴト』というタイトルは、人の痛みを自分事として考えることだろうから、分かりやすすぎるかなと思ったものの、ささめやゆきさんの表紙絵で手に取って読んでみました。読んで「すっごい本だな!!」と思いました。全て、修学旅行で中学生たちが広島の平和記念資料館で亡くなった人たちの遺品を見て、その人たちに思いを寄せ、痛みを感じ、自分にフィードバックして考えるという内容になっている短編集です。短編はシーンをどれだけ鮮やかに切り取るかが命だと思うのですが、すべてが鮮やかでした。すっごくおもしろいなと思ったのは、児童文学の役割そのものを書いているということです。子どもの体験に言葉を与え、誰かが書いた言葉を通して子どもたちが追体験するのが児童文学の一つの機能だと思うのですが、子どもたちが広島の遺品で故人の思いや痛みを追体験したのを、さらに追体験するという構造で書いているところに新鮮なおもしろさを感じました。遺品のバックグラウンドを想像し、自分の中にある言葉にできないもやもやとしたものと照らし合わせて考えるという営みといいましょうか。また、「いし」の章はとくにおもしろかったです。恐らくアスペルガー等の障がいのために、人とのコミュニケーションが苦手な子が、瓦を焼く実験を行い、瓦が溶けるのを見て、どれくらいの高温で人々が焼かれたのかを理解するというアプローチには、斬新さを感じました。追体験させ、語り継ぐという児童文学の役割を正面から考え、書かれた作品だと思いました。でも、何人かがおっしゃったように、たしかに巻末の先生の文章はそんなに長くなくてもよかったかなという気はしました。

マリンゴ: 人よりも「モノ」を切り口に、戦争に対して自分なりの共感、共鳴をしていくところが、非常に新鮮でした。とはいえ、第1話は人物造形がつかみづらくて、読むのに苦戦しました。この主人公の男の子の友だちが出てこないので、それなりに友だちがいるタイプの子なのか、孤高の子なのか、あるいは男子にも疎んじられているような子なのか、そのあたりがよくわかりませんでした。第2話でようやく、この物語の魅力に気づいた次第です。なお、1、2、3話は、自分の持ち物の記憶と、現地で見たものの記憶を照らし合わせるという同じ構造になっているので、違うアプローチの作品を挟みこんでもいいのに、と思いました。タイトルの『ワタシゴト』はとてもいいと思います。戦争を、現代の自分のことに結び付けて考えられるお話はなかなかないのですが、それが伝わるタイトルだと思いました。

さららん:私も『さがしています』を思い出しました。原爆と修学旅行に行った子どもたちを結びつける物の印象が、とにかく鮮明でした。たとえば「くつ」の章で、雪人は優等生の印象を壊そうと、ハイカットのカラフルのスニーカーを履きます。それが黒づくめのおばあさんに「その靴はええね。千羽鶴の柄は、ここを歩くのにぴったりじゃ。やさしく歩くのに、ちょうどええ」と言われたり。思春期にある子どもたちの反抗心や悩みと、広島で見る物、触れる物がどの話でも意外な結びつきを見せるのがおもしろかったです。「ワンピース」の中の、えんじ色のレースの襟のエピソードは、それが声として聞こえてきたりします。物語のそれぞれに埋めこまれた場面の印象が強く残れば、その「塊」を頼りにストーリーを思い出せるんじゃないかと思うのです。五感を通して、子どもたちの記憶に残りやすい物語じゃないでしょうか。新しい取り組みの1冊って感じがします。

アンヌ:私はこの物語の現代と過去がうまくつながらなくて、みなさんがどう読んだのかを聞いて、なるほどなと思っているところです。最初の「弁当箱」で、凛子たちがお弁当の中身を再現した話とその味わいから、作った母親の気持ちにまで至るというところと、俊介が投げ捨てたお弁当に自分の嫌いなおかず以外の何かが入っていたのではないかと思うところには感じ入ったのですが、間の凛子の母親のエピソード等が多すぎて、物語の行方がすぐにわからなくなったのかも。「いし」はおもしろかったのですが、最後の一言にどれほど真実味があるのかと思ってしまったり、「弁当箱」の俊介が最後の赤田圭亮さんのH君のように思えたり、変な読み方をしてしまったようです。

ハリネズミ:さっきから何人かの方が「問題が解決しない」とおっしゃっていることについてです。第一話には、ふだんはお弁当を作ってくれないネグレクト気味のお母さんが出て来ます。14歳だと、客観的にどうなのかは別としてこのお母さんが主観的に唾棄すべきものとして巨大な存在になっている。それ以外考えられないという状態になっているかもしれない。そういう場合、一歩引いたところから状況が見られるようになると、気持ちの上では楽になることもある。たぶんひどいお母さんなんでしょうけど、そこはなかなか変わらない。でもちょっと引いて少し距離をおくと、自分の人生をもう少し広い視野でみられるようになってくる。そうしたら、気持ちが楽になるかもしれない。実体験を通して他者にふれた子どもたちは、日常は変わらなくても別の視点を獲得して生きやすくなっていくんじゃないかな。だとすると、ある意味ではこの作品も、視点を変えるとか視野を広げるという解決策を提示しているのかもしれません。

しじみ71個分:私は解決しないままでいいと思いました。解決したらきっとお話がもっと軽くなってしまっていたのではないかと思います。

(2021年04月の「子どもの本で言いたい放題」より)