| 日付 | 2024年1月16日 |
| 参加者 | きなこみみ、エーデルワイス、西山、ハル、ルパン、アンヌ、かはやぎ、花散里、ANNE、アカシア、しじみ71個分、キマリテ |
| テーマ | 「こわい」の先にあるもの |
読んだ本:
原題:THE LIBERATION OF GABRIEL KING by K.L.Going, 2005
K・L・ゴーイング/作 久保陽子/訳 早川世詩男/絵
徳間書店
2021.07
〈版元語録〉「こわいものをひとつずつ克服していけば、強くなれるはず」って言われたけど…。1976年、アメリカを舞台に、偏見や人種差別の問題にふれつつ、苦手を克服する子どもたちの成長を描いた物語。 *第68回読書感想文全国コンクールの課題図書
富安陽子/作 山村浩二/絵
小学館
2023.04
〈版元語録〉子どもたちが帰った小学校で、どこからかポロンとピアノの音が聞こえてきた。先生が、今は使われていない古い音楽室の戸を開けると、そこにいたのは…。「ピアノ」をはじめ、こわい話・あやしい話・ふしぎな話、全8話を収録。
ぼくの弱虫をなおすには
原題:THE LIBERATION OF GABRIEL KING by K.L.Going, 2005
K・L・ゴーイング/作 久保陽子/訳 早川世詩男/絵
徳間書店
2021.07
〈版元語録〉「こわいものをひとつずつ克服していけば、強くなれるはず」って言われたけど…。1976年、アメリカを舞台に、偏見や人種差別の問題にふれつつ、苦手を克服する子どもたちの成長を描いた物語。 *第68回読書感想文全国コンクールの課題図書
きなこみみ:恐ろしいいじめっ子と同じ校舎になるのが怖くて、5年生になりたくない弱虫の男の子の話で、同じようにものすごく弱虫だった私は非常に共感しながら読んでいったんですけど、どんどん深い人種差別の話になっていって、いい意味で思いがけない読書になりました。設定が1976年なんですね。ベトナム戦争が終結して、アメリカの敗戦が決まった年で、ある意味、アメリカが、富と強さに満ち溢れていた時代の曲がり角。「強さ」への絶対的な信頼の曲がり角、ともいえるのかもしれないと思いながら読みました。
ゲイブリエルは、ありとあらゆるものが怖くって、フリータのことを、とても強い子だと思っているのだけれど、白人なので、黒人であるフリータが抱えている恐怖には気づかないんですね。でも、物語が進んでいくうちに、フリータの抱えている恐怖のほうが巨大で、ちょっとやそっとで覆らないものだとわかってくるんです。印象的なのはp125の、ゲイブリエルが、恐怖で勢いあまってムカデを踏みにじって殺してしまうところ。軍事力の強化が、どこまで行っても終わらない、イタチごっこになるように、強さというものって、弱さとか恐怖と深く結びついていて、それが人間の古い脳が起こす反応とも結びつく、厄介なものなんだなと思ったりしました。はじめは怖がっていたクモには、名前をつけて飼っているうちに、エサになるコオロギなんかもつかまえてやったりするシーンがあるように、怖くなくなっていくんです。苦手だったフリータのお兄ちゃんのテランスも、遊んでもらったり、言葉を交わすようになったりして、怖くなくなります。「知る」ということと恐怖には強い関係があるんですね。ゲイブリエルは、差別のことを知るたびに、自分の弱さと向き合えるようになります。強さとは誰かを屈服させることではなくて、パパとフリーダのお父さんのように、お互いの弱さや不安を共有して、ネットワークを構築していくしなやかさのことなんだということが、とてもよく伝わってきて読後感も爽やかでした。
エーデルワイス:表紙の絵が好きです。そのイメージで読み進めていくといい意味で裏切られました。主人公のゲイブリエルの弱さ克服、いじめからの脱却のお話かと思っていると、ガブリエルが頼りにしている、いつも助けてくれる親友の女の子フリータの黒人差別の話になっていくところが見事です。p112、11行目のフリータのママの台詞「何やっているのかしら。知らない方がよさそうね」とありますが、二人のことを見守るフリータのママが素敵です。同様にガブリエルのママも素敵。フリータは人の善意を信じ、いじめっ子のデュークの父親に会いに行きますが、差別主義者の大人が子どもに対して「KKK」(クー・クラックス・クラン)で脅かすシーンには胸が痛くなります。人間同士が理解し合えないことや、大の大人が子どもをいともたやすく傷つけることにいったいどうしたら良いのだろうと。p243でガブリエルが「デュークとフランキーのことを考えた。二人のことはもうこわくないし、おこる気持ちにもならない。それに、かわいそうだとも思わない」と、言い切るところがよくて、読後感がいいです。
西山:ゲイブリエルが幼すぎるように感じて最初は乗れなかったのですが、まさか、黒人差別がこのように出てくるとは、びっくりしました。読めてよかった1冊でした。ゲイブリエルが「ぼくがテランスと話してみたみたいに、フリータもデュークのお父さんと話してみたほうがいいんじゃないかな。」(p174)という提案には、二重の意味でひやひやしました。話してみることの危険性と、もし「話してみればわかり合える」という展開になったら甘くていやだなと……。パトリシア・ポラッコの『ふたりママの家で』(中川亜紀子 訳 サウザンブックス社)にも、決して理解を示さない隣人が出てきますが、KKKでは次元が違うとは言え、わかりあえない他者の存在を突きつけたるところはすごいと思っています。p206の「わたしがこれまでに学んだのは、人はだれも立ち向かってこないとわかると、どんなことでもするようになるということです。しかし相手が束になって立ち向かってきたら、何もできなくなるんですよ」というフリータのお父さんのことばなど、心に留めたい大事なメッセージだと思います。ところで、「みみずをくわせる」いじめが、以前も何かで出てきましたよね。また出てびっくりです。翻訳作品で、生徒間の暴力などいじめに対する処罰の厳しさに日本との違いを感じたことが何度かあるのですが、これは1976年という時代もあるのでしょうか。
ハル:最近読んだ、人種差別を考えさせてくれる本の中で、いちばんストレートにおもしろかったです。どれだけ差別が怖いか、悲しいかを素直に想像できました。と、前置きした上で。最初は、こわいものリストを作って、頼もしい親友の力を借りながら克服していこうという、ひと夏の大冒険がはじまる予感にわくわくしたのですが、途中まではどうも目がすべりがちでした。どうして1976年の設定にしたんだろう、どうして1976年の話をいま読ませたいんだろう、最近のことのようでいて50年近く前の話なので、家のつくりとか文化のこととか、わかるようなわからないようなところも多くて、ちょっとつっかえちゃうんだよなーと思いながら読み進め、後半になったら合点がいったという感じでした。たとえば出だしに「これはぼくの子どものころの話で」とか、ちょっと回想風にしてくれたら、時代のことも気にならずに入れたのかなぁ? ちょっともったいない感じがしました。
ルパン:一気に読みました。実在の政治家や政党の名まえが出てくるところがすごいなと思います。日本の児童文学作品ではまずありえないだろう、と。ただ、ジミー・カーターのことを書きたかったのかもしれませんが、なぜ1970年代の話にしてしまったんだろう、というところが惜しまれます。KKKの恐ろしさなども、あとがきには「今もいる」とありますが、この作品だけ読んだ子は「これは50年前の話で、今のことではない」と思うのではないでしょうか。せっかくここまで書き込むのであれば、舞台を現代にして、もっと身近な問題としてとらえられたほうがよかったのではないか、と、もったいなく思います。このお話のなかで、いちばんよかったのは、ゲイブリエルの「こわいもの」のひとつであったフリータのお兄さんのテランスが、「自分で台無しにするなよ」と、フリータの「わたしがこわいもの」リストをゲイブリエルに渡すシーンです。
アンヌ:なかなかつらい年の始まりの中、ここ以外のどこかに行ける海外文学を読むのはとても楽しいことでした。この物語には、いかにもアメリカ南部らしい楽しさがあります。例えば、p58の「どんな暑さにもへこたれないオクラの実」というたとえ方。オクラは南部料理のガンボには欠かせない野菜ですよね。p100の木に登ってペカンの実を割るところも、なっている実をそのまま食べられるとは知らなかったので、うらやましい。p104やp155のフリータのママが作る南部料理も想像するだけでおいしそうだけれど、作者がメニュウをゲイブリエルの家だと3品、フリータの家だと10品と書いていて、二つの家の経済的格差を示しているのには少々喉に詰まる思いもしました。そして、注も豊富でわかりやすい。例えばp177のチェリーパイ。これが独立記念日の定番デザートなのを初めて知りました。怖い物リストに「ワニ」があるところや、「サルオガセモドキ」なんて植物が出てくるところも、アメリカ南部らしい情景だなと楽しめました。子どもたちもp114で、アメリカでは6月1日にはもう夏休みが始まっているのだということを知って驚くだろうと思いました。ゲイブリエルの両親は貧しいけれど愛し合っているし、父親は図鑑を持っていたりして向上心がある人で、「ニガー」発言に対してきちんと意見を言う。変わりつつある時代というのは、こういう一般市民が増えていったからなのだと思えました。けれど同時に、KKK団という今に続く差別し暴力を振るう人々もいて、さらに、ブラックパンサーのように彼らと戦う人々がいることも書かれています。KKKの白頭巾のように、顔を隠すことで恐怖を与えるヘイト行為の卑怯さを、暴力ではなく集会という形で表にさらしていく行動には希望を感じました。また、p162の「抑圧」という言葉が語られる章では、ゲイブリエルは最初その言葉の意味を軽いものだと思っていたんです。でも、「抑圧」とは、「だれかを無理やりおさえつけることだ」と聞いて、自分の父親から聞いた、ジミー・カーターが白人市民会議に、人種差別を続ける仲間に入れ、そうでないと倒産させると脅された話を、思い出すんです。そして、ジミー・カーターの辛さを、フリータたち黒人の側から置き換える、「まわりは敵だらけでどんな気持ちだったんだろう」という想像をして、その言葉の真の意味を捉えて、フリータの家族との連帯感が生まれます。ここで、この物語はゲイブリエルが怖さを克服するだけではなく、人間として成長していく話なんだと感じることができました。ちょっと愛という言葉で最後をまとめすぎたのは、いかにもアメリカ文学という感じで答えを言い過ぎ的な感じもしなくはないけれど、これはこれでいい物語だと思いました。
かはやぎ:最初は、弱虫をなおすために怖いものリストを作るという読者に身近な話題から入って、だんだん深くて重い、現実の怖い話に導いていくという構成が見事だと思いました。早川世詩男さんの明るい表紙も、「おもしろそうな話だな」と手に取りやすくて、とてもいいですね。ジミー・カーターなど実名をあげて、それほど遠くない、現実に起こったことを書いているところに、ある意味ショックを受けました。今の日本には、とてもここまで掘りさげた作品はないのでは? 出版社の意向や、身近なことを書きたいという作家の方たちの考え方もあるのかもしれませんが、ひとつには、日本が歴史を大切にしない国だから、児童文学として思いきってかけないのでは? 関東大震災のときの朝鮮人虐殺についても、官房長官は公文書が無いから事実かどうかわからないという趣旨のことをいうし、ジャーナリストたちが日米関係のことについて調べるときに、日本に資料がないからアメリカの公文書館で調べるというような情けない話も聞くし……。
表紙もふくめたイラストや丁寧な訳注など、とても神経の行き届いた編集だと感心しました。大人の私も、あらためて勉強させてもらいました。
花散里:黒人問題を取り上げた本としては『オール★アメリカン★ボーイズ』(ジェイソン・レノルズとブレンダン・カイリー著 中野怜奈訳 偕成社)など良いYA作品がありますが、この本は黒人問題や人種差別、アメリカの政治についてなど、文中に注がしっかりと入っていて小学生にも理解ができるように書かれているので、小学校高学年から読めると思いました。
主人公ゲイブリエルが受けるいじめ、いじめっ子の上級生デュークの父親が、親友の黒人の女の子フリータを「ニガー」と呼ぶなど、黒人差別について、そしてトレーラーハウスが集合する地域での生活についてなど、貧困、経済格差や、社会的背景も描かれていて、特にデュークの住むトレーラーなど、日本の子どもたちが知らない世界なのではないかと思いました。外国文学を読んで異文化を知るということにも繋がっていくように感じます。いじめを取り上げている章では、フリータの関り方などに希望が感じられて、読後感が良かったです。表紙はどうかと思いましたが、本文中の挿絵が良いと思いました。いろいろな問題を克服していく成長が描かれていて、子どもたちに薦めたい本だと思いました。
ANNE:主人公が住んでいるトレーラーハウスというものに馴染みがないので、うまくイメージできませんでした。キャンピングカーのように実際に走るものではないのでしょうか? ゲイブリエルがずっと5年生にならないと言い張っていて、本当に進級しないという選択肢があるような書き方だったので、アメリカでは本人の意思で留年するなんてこともありなのかしらと思いましたが、そんなことはないですよね? ゲイブリエルが受けるいじめの情景がさらっと描かれていますが、ミミズを食べさせられるなど本当にひどい目にあわされていて、心が苦しくなりました。ゲイブリエルを含め周囲の登場人物も成長しているので、「ぼく」だけではなく、みんなの弱虫がなおっていくようなイメージも持ちました。
早川さんの挿絵が本当にお上手で、物語とは別に楽しんで拝見しました。中でもニクソン元大統領の絵が、ちょっと笑ってしまうくらいそっくりでした。
アカシア:同じ著者の『ビッグTと呼んでくれ』(浅尾敦則訳 徳間書店)を読んだ時に、なんとなく男性が書いている本だと思いこんでいました。なので、長靴下のピッピタイプのフリータという少女が出てきたとき、男性の作家が女の子をエンパワーする本を書いているのは珍しいな、と思ったんです。でも、じつは女性作家でしたね。フリータが最初に登場する場面では、黒人だと定義するのではなく、顔についたチョコクッキーのくずが目立たない、という表現をしてるんですね。そこもいいなあ、と思いました。アフリカ系の強くてたくましくて大柄な女の子と、弱々しい白人のいじめられっこの男の子が親友になるという設定は、日常生活の中ではそうそうないのかと思いますが、それを敢えて出しているところにステレオタイプを壊そうという作者の意図を感じます。ゲイブリエルは、いじめの終わらせ方が分からなくて、「世界中のお金を集めて二人にわたすくらいしかないよ」と最初は正面から立ち向かう気がまったくないんですね。それが、フリータとの交流の中でどんどん視野が広がっていくのが面白かったです。なぜこの時代を舞台にしたのかというと、ジミー・カーターを登場させるためかもしれません。語り手のゲイブリエルも、人種差別に反対するスピーチをしようとどきどきしているお父さんも白人で、著者も白人だとすると、人種差別的な「白人市民会議」に町でただ一人入らなかったカーターは、勇気をくれる存在として欠かせない人物かと思いました。結果として白人の中の多様性を描いていることにもなります。
ゲイブリエルのお父さんはブルーカラーで貧しい人ですが、子どもにわかりやすく政治の話をしていることに感銘を受けました。日本の出版社の中には政治は児童文学でとりあげないように新人作家を指導している社もありますが、それって、政治に無関心な人が多くなる一つの要因かもしれません。英語圏ではいろいろな形で作品の中に政治あるいは政治への関与が出てきます。要は書き方だと思うんですよね。このお父さんの人柄は、KKKを引き合いに出して脅されたフリータを抱きしめて涙を流しながら「いい子、いい子」とささやき続けるんですね。すてきな人ですよね。
フリータが、いじめっこの住むトレーラーハウスを覗きに行くところなど、勇気があるとも言えますが、危険じゃないのかな、と心配にもなりました。前回のこの会で話に出たエメット・ティルより時代は後ですが、黒人が理不尽に殺される事件はその後も次々に起こっているので。フリータのお兄さんが自分の身を守るためにボクシングの練習をしたり、ブラック・パンサーに憧れたりするのはよくわかります。先ほどトレーラーハウスについての疑問が出ましたが、英語圏のほかの作品にも比較的貧しい人たちが住む家としてよく登場してきます。表紙の絵ではタイヤを外しています(裏表紙にタイヤが描かれている)が、タイヤをつければ移動もできるのかと思います。
しじみ71個分:第一印象では、早川さんの表紙の絵がとてもいいなと思いました。この本には、友情や家族の問題が、とても温かな視点で、やさしいことばで書かれているので、アメリカの歴史を知らない子でも、中学年くらいであれば届くのではないかなと思いました。先月の読書会で取り上げた『ゴースト・ボーイズ』(ジュエル・パーカー・ローズ 著 武富博子 訳 評論社)では、いまだになくならない人種差別の問題を、1955年に起きたエメット・ティル殺害事件から説き起こした、非常につらい物語でしたが、あの事件をきっかけにアメリカ社会が変わり始めたわけで、その変わり目の1970年代が社会背景として描かれている点に、とても興味を持ちました。白人、黒人の別なく、差別に違和感を持つ人がいる時代になったということで、ジミー・カーターの存在が大きく関わっていたということも全く知らなかったので、大きな学びがありました。差別の問題はさまざまな形で伝えなければならない問題であって、子どもたちのハートにどう落とし込むかは極めて難しいことだと思うのですが、この本は少年が恐怖を乗り越えるという自分事を解決していくなかで、友だちのこと、社会のことに気付いていくという構成になっていて、非常に巧みでいい本だと思いました。黒人のフリータの家は裕福で、白人のゲイブリエルの家は貧しいというように、経済的な面では過去と比較して、逆転構造で描かれていますが、フリータは人種差別によって苦しめられるという設定も効果的だと思います。フリータとの友情や家族の愛情に励まされて、ゲイブリエルが実態を知っていくことで怖い物への対処を知り、恐怖を乗り越えて変わっていくというこの展開は、恐怖をどう理解するか、乗り越えていくかを子どもに伝えるのにとてもいいなと思いました。子どもの成長をストレートに喜ぶ、子どもへの応援の物語だと思います。教科書的かもしれないと思わないでもないですが、「正しい」物語、正論を正論としてきちんと伝えていくというアメリカの姿勢が感じられて、好きです。こういった正論の物語を踏まえて、次の複雑なステップに踏み出していけるのではないかなと思いました。
キマリテ: アメリカの人種差別をテーマにした小説って、マーティン・ルーサー・キングの時代、もしくはそれ以前、あるいは逆にごく最近の年代のものが多いと思うのですが、この話は70年代で新鮮でした。ジミー・カーターは、子どもの頃、漠然と好感を持っていた大統領だったので懐かしかったです。KKKがどんな残虐なことをやったか、具体的な表現はないのに、恐ろしさがよく伝わってきて、秀逸だと思いました。また、人種差別ということを別にしても、苦手なもの、怖いものがある子どもに、親近感を持って読まれる小説ではないでしょうか? 序盤にリストの38項目の一覧が表示されないことが不満で、もしかしてラストにあるのかもしれない、と期待していたらそのとおりになって嬉しかったです。また、クモのジミーにエサをあげる場面がないので、ちゃんと世話をしているのか、生きている虫をあげるなんてことが弱虫のゲイブリエルくんにできるのか?と思ったら、p223で「ジミーの夕飯用にコオロギをさがしていた」と出ていて、安心しました(笑)。敢えて言えば、物語の終盤、ゲイブリエルがどんどんたくましくなってきている気がしたので、p214あたりでやっぱり5年生にならないと主張しているところで若干ずっこけたというか、もう少し本人がそう感じる背景を説明してほしかったかな、と思いました。
アカシア:訳ではp205に「うちの主人」という言葉が出てきます。たぶん多くの翻訳者が今は「うちの夫」と訳すと思うんですけどね。もちろんhusbandをすべて夫と置き換えることはできませんが、ここはできるんじゃないかな。訳語も、やっぱりどんな社会にしていきたいのかということも考えながら選んだほうがいいと思うんですよね。それから、さっきp243の「愛してくれる人がいれば、何もこわくない」というところをお定まりの結論とおっしゃった方がありましたが、これは小学生のゲイブリエルの思いであって、おとなのお父さんはp203で「KKKの存在を消すことはできない。人が恐怖を感じるものの中には、克服できない、打つ手のないものもあるんじゃないでしょうか」と言ったりもしていて、もっと胸中は複雑なんだと思います。社会制度と関わる部分もあるし。だとすると、訳者あとがきでp250「人種をはじめとした、おたがいの『ちがい』によるわだかまりは、心のもちようで、なくしていけると言えるのではないでしょうか」という訳者のあとがきは、すばらしいけどちょっと安易で気になりました。
しじみ71個分:私も最後にひとこと付けたしたいです。たしかに簡単に克服できない問題もありますが、投げ出さずに考え続けることが大事ということが伝わればいいのではないかなと思います。文中に、投げ出さないのがぼくの誠実さだという、ゲイブリエルのことばがありますが、私はこのセリフが好きです。難しい物事への向き合い方をとてもよく言い表していて、本当に大事なことだと思いました。
(2024年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)
ふしぎ草紙〜あやしくもふしぎな八つの物語
富安陽子/作 山村浩二/絵
小学館
2023.04
〈版元語録〉子どもたちが帰った小学校で、どこからかポロンとピアノの音が聞こえてきた。先生が、今は使われていない古い音楽室の戸を開けると、そこにいたのは…。「ピアノ」をはじめ、こわい話・あやしい話・ふしぎな話、全8話を収録。
キマリテ: 最初の2つのお話にあまり引き込まれなくて、よくある物語のパロディーな感じがして大丈夫かなと思ったら、残りの6つが面白かったのでホッとしました。順番、これでよかったのか、あるいは、大して怖くない話が序盤にあるのがいいのかしら? 小学2年生の女の子が主人公のお話がある一方で、大人の物語もあって、バリエーション豊かなのが面白かったです。漢字が多めですが、ターゲットは中学年以上という感じでしょうか? 全体的に自然への畏怖や他の生きものとのかかわりのお話が多くて、余韻が残りました。ひとつ気になったのが、p116「ごくりと息をのみました」という表現です。ごくりとつばを飲むか、ハッと息をのむ、ならわかるのですが、これはわざとなのか、見落としなのかどちらなんでしょうね。
ANNE:あまり読んだことがない毛色の変わったお話が並んでいました。アンソロジーは好きなので楽しめました。恥ずかしながら不勉強で「草紙」と「草子」のちがいを知りませんでしたので、「草紙」をまずイメージしてしまいました。ストーリーに関係ないのですが、スズカケノキやすずかけ台という地名がいくつかの作品に登場して、あまんきみこさんの「すずかけ通り三丁目」(『車のいろは空のいろ』 ポプラ社所収)を思い出しました。挿絵の山村浩二さんは絵本作家としても著名な方ですが、この物語の雰囲気にぴったり合ったイラストで、ぞわぞわっとした恐怖感が増してくるように思いました。
花散里:富安さんはやはり上手だなあ~と思いながら、読みました。最初の章から、どんどん引き込まれて「えっ!象?」っと、いう感じで…。「あやしくもふしぎな」8つの章、どれも物語の展開が巧みで、次の章は、どんな怖いストーリーが、っと、ぞくぞくしながらも、先が読みたくなるようでした。怖い話が好きな子どもたちだけでなく、どの子どもたちにも読みやすい作品なのではないかと思いました。表紙も、挿絵も、山村さんの絵がいいですね。
かはやぎ:最初は、ちょっとゾクッとするお話なのに、どんどん怖いお話になっていきますね。最初のピアノのお話は、哀しさの漂う、いい物語で、学校を舞台にしていることから読者がすっとこの本に入っていける、見事な構成になっていると思いました。「注文の多い料理店」を思わせる「猫谷」など、名作へのオマージュのような話もいくつかありますね。
月影を掬うおばあちゃんの話を読んで、エイキンの「からしつぼのなかの月光」(『心の宝箱にしまう15のファンタジー』所収 ジョーン・エイキン 著 三辺律子 訳 竹書房)の月夜に孫娘と不思議な問答をするおばあちゃんを思いだしました。私がいちばん怖かったは「魔女の家」で、特に人形のイラストが恐ろしい。「その人形、ずっと持っていないほうがいいよ!」と、思わず主人公に言いたくなりました。恐ろしい反面、認知症のお年寄りの心のなかに入っていくところがユニークだし、作者の温かい心を感じられてよかったです。
この本を手にとる読者は、いままで起承転結のある、きちっとした物語に親しんできたと思いますが、オープンエンデッドというか「めでたし、めでたし」で終わらない物語の形を学校の怪談みたいな安手な話でなく、こういう上質な文学で知るのはとても良いことだと思います。詩人の長田弘さんが『読書からはじまる』(ちくま文庫)のなかで述べているように、本が培ってきた文化は、書かれていないことを想像する力ですから。
アンヌ:怪談や幻想文学というものは、推理小説のように大抵いったん謎の解き明かしがあるけれど、読者が主人公のその後について悩んだり、つい続きを考えたり、あれ変だなという不安感を覚えるものだと思っています。だから、この短編集も最初はホッとできる感じで始まって、だんだん怖くなっていくのだろうなと思いながら読みました。例えば最初の「ピアノ」は、怪談のお決まりの不穏な音で始まるのだけれど、美しい音楽が出てくることで恐怖が薄まります。ましてや、象が調律してほしい音を引いているという謎解きで、ますます解決したような気になってしまう。けれど、象牙の鍵盤という残酷な仕組みを考えると、象は、歯痛のような痛みを感じていたのではないかと想像してしまいます。「霧の町」は、百鬼夜行に出会う話だけれど、ちょっと怪談になりきらない。ボールも戻ってくるし。でも、霧の怖さと魅力を感じます。「猫谷」になるとちょっと怪談度が進む感じで、読者は危ないよ危ないよと異常性に気づいているのに、主人公は気にせずどんどん進んでいくところなど、先ほどかはやぎさんもおっしゃったように『注文の多い料理店』を思い浮かべました。でも、どちらかというと異界のものを食べてはいけないという、ローマ神話のプロセルピナのザクロや、日本神話の 黄泉竈食(よもつへぐい)のような感じですね。ホットケーキの描写が見事で、添えられたジャムの正体を知っても、後味が悪いどころか実においしそうでした。「月の音」は実にきれいな話でした。月をすくった池には月がいなくなるというところが、不思議な出来事にリアリティーを与えている感じがします。都会を離れて一度は月の音を聞いてみたいと思いました。「魚玉」は、少し物足りない。荘子の「胡蝶の夢」(『荘子 全現代語訳(上)』所収 講談社学術文庫)のような感じの魚バージョンですが、魚の吐き出すものというところがグロテスクで、今後、焼き魚の目玉を見るたびに思い出してしまいそうで、ゾクッとします。「魔女の家」は後半の謎解きがなんというか切ない物語だけれど、人形をもらっちゃって大丈夫なのかと読者が読後悩む仕組みが、いかにも、怪談という感じになってきています。「よろず池」は、天女かもしれないお母さんとか、天女の子かもしれないコースケがちっともこの世ならぬ感じに書かれていないのが物足りないというか残念。コースケを女の子にしたらもう少し切ない感じになったかもなどと思いました。「藤棚」はもう、まさしく怪談という感じです。不思議な尼さんが現れて「お母さんの命がつきないようにしてあげますよ」というのを読んでよかったと思いつつ、つきない命って危険じゃないかなと思いながら読み進むと、「話してはいけない」という禁忌を掛けられているのにお父さんは話してしまっているんだと読者は気づく。そこで、むすめが「誰にもしゃべっちゃだめ……」というので、娘に猫か尼が憑依したんだとぞっとする感じを受けて物語が終わる。さらに最後に「お母さん」であるおばあちゃんの死が描かれて、よかったなとホッとすると同時に、いやいいのかと愕然とするという二重の仕組みになっていて見事です。でも、もしいちばん好きなのは何かと聞かれたら「月の音」です。次の日、水をまいた畑から月のかけらを拾ってにっこり微笑むおばあさんの顔が見えてくるような気がします。
ハル:うー。ちょっと申し上げにくいのですが、私は、すごく面白かったかというとそうでもなく、ちょっと入り込めなかったです。なんででしょう。どこがというわけではないのですが、読点の位置が気になったり……あ、ここに点を打つんだな、みたいなのとか、ん? とつっかかるところもあったりして、これは読解力の問題かもしれませんが、目がすべってしまいました。「こうきたか」という斜め上の展開もあって、民話や昔話とは異なる厚みは感じましたが、なんというか、心をつかまれるものがなかったなと、私は思いました。挿し絵はとても素敵でした。
西山:さらぁっと読んでしまいました。私も「月の音」がいちばん好きでした。視覚的にも聴覚的にも、清澄なイメージがとても素敵でした。「よらず池」、たんすの引き出しにぼんやり光る布が見つかったとき、ああ天女の羽衣、と思いましたけれど、今の子はどのぐらい羽衣伝説を知っているのかなと思いました。最近、昔話や神話、伝説などをあまり知らないという学生も多いようだと気づくこともあって、今回の作品に限らず、さまざまなファンタジー作品を味わう土台としても、幼少期にたくさんの伝承文芸に触れたほうがいいんじゃないかという気がしています。
エーデルワイス:この本は絵本ではありませんが、挿絵が多くて絵も重要な役割を担っていると思いました。印象に残った言葉は、「魚玉」のp101で「…うそは、自分のためにつくもの。ホラは、人を楽しませるために吹くものだからね」とか、「魔女の家」のp144で「魔女は、町の子どもをカラスに変えていたのではなくて、このお人形を人間の子どもに変える魔法をかけていたんだな…」です。ユタカ、アリサ(人形)、トオル、コースケと、子どもの名前がカタカナなのはなぜでしょう? 「よろず池」は、羽衣伝説を思わせますが、コースケのお母さんは羽衣伝説に思わせて、実は失踪したのではと、深読みしてしまいました。コースケも良い男の子とは思えませんでした。
アカシア:どの短編も作品世界のリアリティがしっかりできていますね。私は、この作品は怪談話ではないと思っているのですが、怖くしようと思えばいくらでも怖くできるところを あえてセーブして不思議を残す作品にしているのだ思いました。
「ピアノ」で象が出てくるところで、大人の本だったらここは象じゃないな、と思いました。この象の登場で恐怖がマイルドになっています。「霧の町」 もホラーではなく、ちょっと怖いけど不思議な物語です。日常の隙間に垣間見える不思議を描いているところが、マーガレット・マーヒーの『魔法使いのチョコレートケーキ』(石井桃子訳 福音館書店)を思い出しました。「猫谷」では、私も『注文の多い料理店』を思い出しました。でも矢島さんは猫梨を食べたのに猫に変わらずにすんだのはなぜ? 「月の音」は、きれいなイメージの奥に、都会の明るさは想像力にはマイナスになることを匂わせています。「魚玉」だけは、第三者から聞いた話になっています。その話をしているのもホラ吹きと呼ばれているおじさんなので、虚実の境があいまいになっている。「魔女の家」は、ちょっと恐ろしくて、p123で「さ、こっちへおいで」というところでヘンゼルとグレーテルを思い出して怖くなりました。「よらず池」は羽衣伝説を下敷きにしているとは思いますが、伝説を知らなくても、p175からp176にかけてかなりていねいな説明があるので、子どもにもわかると思います。読者の子どもは、お母さんが蒸発したのか、それとも天に帰ったのかわからずに、逆に想像力をふくらますことができるようにも思います。「藤棚」は、猫が自分の娘なのか、という怖さと、秘密を話してしまったので死を迎えるという怖さの両方がありました。
子ども時代の私は、こういうちょっと怖い話とか不思議な話がいつまでも心に残り、そこからいろいろな想像をめぐらせていたものでした。なので、ただ怖がらせるための物語ではなく、こういう作品がもっとあるといいな、と思っています。
しじみ71個分:これは職場でも選書の候補になったのですが、怪談にしてはゾッとしない、何か中途半端な印象ということで購入しないことになった本でした。でも、タイトルは『あやしくもふしぎな物語』なので、別に怖くなくてもいいのにと思ったので、みなさんのご意見を聞きたいと思って選書させてもらいました。短編集の形になっていますが、どの話も、日常の中に見えるちょっとした怖さ、あれっ?と普段の生活の中からエアポケットに入ってしまったような、ふだん見えないものが見えてしまったようなゾクッとする感覚を描いていて、とても面白かったです。短編集ということで、『夜叉神川』(安東みきえ 著 講談社)をつい思い出して比較してしまいますが、『夜叉神川』で日常の中でふと垣間見えたのが人の悪意であるという点が違っていると思いました。あっちは、読んでいて、実は怖くて怖くてたまりませんでした。ですが、この『ふしぎ草子』は、不思議さの先に優しさや温かみが感じられました。象の幽霊が音楽室でピアノを弾くというのは大変シュールですが、象が鼻でピアノをポロンポロンと鳴らす姿に、かわいらしさや愛おしさを感じました。「月の音」では、おばあちゃんと一緒にした不思議な体験が描かれていますし、「魚玉」では、おじさんに聞いた話 というようになっていて、富安さんご自身が子どもの頃に、おばあちゃんや親戚のおじさんに、ちょっと怖い話を聞いた体験が反映されているのではないかと思いました。「人をだますのがうそ、人を楽しませるのがホラ」という茶目っ気も感じられるような気もします。盤石な日常に、非日常がちょっと顔を出したときの怖さというのは、ある意味、誰しもが感じることなのではないかなと思いました。「魔女の家」は人形が仲介する物語で、認知症のおばあちゃんの世界に入ってしまうのですが、これは出られなくなっちゃったらどうしようと思って、ちょっと怖くなりました。視点を変えるとゾクッとするかもしれない、日常をひっくり返してみるような感覚が全編から伝わって面白かったです。「よらず池」は少年たちが光る布を見つけたあと、友だちのお母さんが失踪する話ですが、羽衣を見つけられたお母さんが、天女に戻って天に帰ったのかもしれないし、実は昔キャバクラとかで働いていたときのきらびやかな服が出てきて、お父さんとは嫌々結婚したので、いいきっかけになって、とうとう家を出たのかもしれないですし、真実はまったく分からないわけで、どうとでも読み取れますよね。理由や原因が分からないことが起きるというのはままあることと思います。そういった日常の怖さを、奥底に人の温かさやユーモアをしのばせて書いてあるのが本当に面白くて、素晴らしいと思いました。
ルパン:わたしは正直言ってこの本はおもしろくなかったです。でも、みなさんの楽しい感想が聞けたので、今日参加してよかったなと思いました。 ところで、p33に2か所出てくる「見回わす」、p51に2か所出てくる「回わったり」の「わ」は要らないのではないでしょうか?
きなこみみ:自分のすぐ背後にあるような、不思議な怪しい世界。こういうのを書かせたら、富安さんほど上手い人はいないんじゃないか。五感に訴えてくる文章の構成がすごいなあと思います。デジャブのような、誰しも体験があることを手掛かりに、ふっと物語に引きずり込んでいく。例えば、「猫谷」。ナビにぽつんと表示される温泉って、いかにもありそう。そこで出されるホットケーキの、これまた美味しそうな音に触感。うっとりしたところに、「猫梨」なんていう、不協和音がぽおんと放り込まれて、気が付いたら食べてしまって引き返せない。
その次の「月の音」も、たらいに月を掬い取る、という、これ、多分、月を、たらいに水を張ったのに映して和歌を詠んだりしたことがベースになっていると思うんですが、月をひしゃくでぱりぱりと割る、というのが非常に五感に訴えてくるんですね。また、それを畑にまく。ジブリのトトロのシーンなんかも連想させます。そういう、馴染みがあったり、国民的な記憶から、うまく物語を引っ張り出して、自分のものにしている感じが、まさに自分の隣にある怪しさ、という不思議な快感、なつかしさも感じさせる面白さに繋がっているんだと思います。ぞくっとするんだけれど、この恐怖は、人間が作り出す恐怖とはずいぶん肌合いが違って、人間の傲慢とか、やりすぎとか、思い上がりを制御してくれるような、優しさにも思えてくる。それは、今の世界があまりに恐ろしすぎるからでしょうか。自分の立っている足元って、そんなに確かなものですか?この世界のもろさを、知ってますか?って、そっと背中をひっぱるように教えてくれているようです。
(2024年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)