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ラナと竜の方舟〜沙漠の空に歌え

砂漠の中で赤い目の竜らしきものに乗る黒い人影
『ラナと竜の方舟〜沙漠の空に歌え』
新藤悦子/著 佐竹美保/絵
理論社
2024.04

アンヌ:今回は残念ながら、このファンタジー世界の仕組みをうまく読み解けなかったので、疑問ばかりが残りました。竜の宿はおもしろいけれど、竜使いとはいったい何者なのか? このキャラバンは現実のものなのか? 命の水は外界に持ち出せるらしいけれど、ほしがる人間たちがやってきたりしないのだろうか? とかです。さらに、ラナは「オレンジの誓い」も思い出せなかったほどの心の傷を負っているから出て行けないのだとしても、ずっとここにいるというのは、本当にしたいことではないんじゃないかとか思えてきて、いろいろ答えを見いだせないまま読み終えました。

さららん:しばらく前に読んで、今回、再読しました。すごく魅力的な物語です。竜も、蜃気楼の町も、女の人の顔をした鳥「フーフー」も大好きです。中東の雰囲気や、伝承の存在を背景に、現実に追いつめられて故郷を離れる難民、という現代的な要素を盛り込んだファンタジーに仕立ててあり、見事だなあと思いました。はるかな世界に今の社会の問題が透けて見えるのですが、女の子には勉強が許されない場所からひとり逃げ出してきたラナにも、おばあちゃんの家に行きたいと言い続けるジャミルにも、その訴えに悲痛さがない。心の動きに薄い膜がかかっているように見えます。本来だったら、もっと切実に嘆き悲しんでいいのに。それはなぜなのか一緒に考えたいと思って、今日は参加しました。

ハル:とてもおもしろかったのですが、この「方舟」の存在をどうとらえていいのかなと、ちょっと迷う部分もあります。途中までは「方舟」にいるみんなは、もしかしたらもう現実の世界では生きていないのかなと思ったのですが、そういうことではないみたい。ラストまでラナの未来が定まらなかったのは、物語の着地点としては弱いようにも感じたけど、とても新鮮で、リアルだなと思いました。逃げた先で「あなたは何がしたい」「どうしたい」って言われても、平和な国の子どもたちのように、いまはただ1日、1日を静かに送りたい、休みたいっていうことだってありますよね。そう思うと、自分のことはわからなくても、ジャミルのため、誰かのためになら祈ることができる、というのがすごく心にしみてきました。あと、挿絵! うっとりします。特にジャミルの表情、立ち姿がいちいちかわいくて、心がなぐさめられるような思いでした。ジャミルは、幸せの象徴のようなおばあちゃんの家に、必ず行けます。と、思います。たとえ何もかもが思い描いていたままではなかったとしても。

花散里:日本の児童文学作品の中で、久しぶりに読み応えのあるフィクションに出合えたように感じながら、私はとてもおもしろく読みました。登場人物はみんな魅力的な良い人たちで、佐竹美保さんの絵も素晴らしく、ファンタジーの様子をうまく取り入れていて、子どもたちが楽しく読めるのではないかと思います。作者は学生時代から中近東に関心を持ち、80年代に遊学していたとのことで、よく研究されていて、本作品にも様々なことが上手に取り入れられているのではないかと感じました。日本の児童文学作品には「あとがき」がほとんどありませんが、本作では、難民や、戦火が続くウクライナやガザのこと、作者が伝えたいことが「あとがき」に記されていることにも感銘を受けました。世界の出来事を知っていくうえでも、本作のような上質なファンタジー作品を子どもたちに手渡していくことが大切ではないかと思いました。

雪割草:ユニークでおもしろかったです。いろんな背景をもった人たちが出てくるのもよくて、楽しく読みました。作者がもらった、砂漠の廃墟の絵である〈エンプティプレイス〉を題材にして描かれたんですね。新藤さんのバックグラウンドも知っているおとな目線では、たとえば難民の話であることはすぐに想像できますが、子どもが読むと少しわかりにくいかなという印象はもちました。避難民の人たちは、実際は避難して難民キャンプに行きますが、この蜃気楼の町のように心の余裕をもって過ごすことなどできません。だから、この蜃気楼の町は、大変な思いをして避難してきた人たちこそ、ゆっくり心と向き合う時間が必要なのだという新藤さんの願いから描かれたのだろうと思いました。そして、そこで過ごすうちに生まれる立て直していく力のような希望も感じられました。前回読んだ同じ作者の『アリババの猫がきいている』(ポプラ社)も言語の壁をこえたコミュニケーションが描かれていましたが、今回も違う言語を母語とする人たちが会話できるようにしていて、避難民の人にとって言葉がいかに大きな障壁であるかが新藤さんの念頭にはあるのだろうと思いました。

エーデルワイス:「さまよえる竜」「竜の方舟」「蜃気楼の町」美しい言葉がたくさん出てきます。人間の世界では姿が見えない竜が、命を落とす寸前の難民を救ってくれる。こんなことが現実にあったならどんなにいいだろうと思いました。挿絵がとてもいいです。p72の「水差し」については文章だけではよく分からなかったのですが、p98の挿絵で分かりました。エマの肌を「チョコレート色」と表現しているところに好感を持ちました。p68の6行目に「ナスのジャム」があります。食べてみたいです。皮を剥いて煮込むのでしょうか?中東でのナスの種類が違うかもしれない。竜使いのマジュヌーンの顔が、終盤の挿絵ではよく分かるようになっています。イケメンです! 水しか飲まず年をとらずに少年のままでいるマジュヌーンと、「竜の方舟」にしばらく残ることになったラナ。2人の関係が気になります。続編があるのでしょうか?

しじみ71個分:新藤さんの書かれるものはユニークでおもしろいです。前回読んだ『アリババの猫がきいている』もとても良かったですね。ファンタジーの物語の中で、中東文化が透けて見えて、物語の背景にあるものを知ることができるのも良かったと思います。今回の本ですが、私自身が、ファンタジー作品を読みなれていないために、どこに注目して読んだらよいか分からず、ちょっと感想がぼやけてしまっています。すみません。私も、ハルさんと同じで、竜の箱舟は死んだ人が運ばれていくところだと思って読んでいました。読んでいく過程で、死んだ人ではなく、戦乱で苦しむ人を竜が救っているのだ、と分かって、少しホッとしました。全員は救えない悲しみで竜が傷ついてしまうというくだりで、著者の切ない願いがそこにあるのだろうと思いました。そこはとても切なかったです。あとは、ただバランスの問題だと思うのですが、ウクライナから来た青年はあっという間に帰ってしまい、ジャミルが現実のおばあちゃんのところに帰りたいと一貫した意志を持っていて、最後は竜の方舟に残ることになりますが、ラナはどうしたいのかなかなか心が決まりません。ラナの気持ちが最後まで長く引っ張られたことも影響していると思いますが、ラナの気持ちがつかみにくいなと思うところはありました。難民の人のとしての心情が切迫して吐露されるような場面は多くなかったと思うので、この物語の中では、ファンタジー世界のおもしろさか、難民問題か、何に重きを置いて読んだらよいのかよくわかりませんでした。ですが、ラナのこの先も決まらないですし、竜使いのマジュヌーンのことも謎がまだたくさんあるので、エーデルワイスさんと同じで、これは、やはり続編があるんじゃないかなと思いました。続きがあるならそれはとても楽しみです。
イスラムをよく知る新藤さんならではの物語にこれからも期待しています! ちなみに、登場する人面鳥が気になって調べてみたのですが、フープという鳥は実在するんですね!ギリシャ神話に出てくる女人面鳥はハーピーと言って、とても不潔で下品な生物なんだそうで。おもしろいです。

ルパン:これは、はっきり言って失敗作なのでは? いろいろ伝えたいことがあるのだろうけれど、世界観も人物像も中途半端に終わっている。絵に助けられている部分も多々あるし。私は正直、あまりおもしろくなかったです。消化不良のまま最後までいってしまった感じ。この町も現実なのか非現実なのか、読み手が迷ってしまいます。はじめは人間が作ったふつうの町で、とちゅうから蜃気楼になる、という設定もわかりにくい。水しか飲まず、ずっと高いところにいる竜使いの男の子がいて、町が気に入ったから竜からおりるのだけど、人々に交わって生活しているわけでもない。いろいろな点で説明が不足していて、途中から難民問題やタリバンの女子教育のことなどがテーマなんだろうと気づいたけれど、ファンタジーにしては中東のイメージが強いし、そうなると仮想世界のイメージが薄れ、私は物語に入っていけませんでした。

シマリス:先日、この著者の『アリババの猫がきいている』を読みましたが、今回の作品はまたタッチが全然違って興味深いなと思いました。難民問題を、ファンタジックな形で取り上げていますね。狭い空間に取り残された感覚、何をしたらいいのかわからない、途方に暮れた感覚が、わかりやすく描かれています。そして登場人物たちは、やがて立ち上がり、前を向いていきます。物語の構築力がすごいなと思いました。ただ、ひとつだけ気になったことがあります。後半、“誰かが誰かに出会って、話を聞いた”というようなシーンが続きすぎているせいで、ちょっと飽きました。前の本も、中盤で緩慢に感じたので、この著者の作品とわたしの相性の問題かもしれません。

アカシア:私はおもしろく読みました。現実をもっと反映してほしいというような声もありましたが、これはファンタジーなので、ファンタジー世界のリアリティがきちんとできているかどうかを見ていく必要があります。
アンヌさんがラナは勉強しに行こうとしていたのに、ここにとどまることは解せないとおっしゃいましたが、ラナはここにとどまることにしたわけではないと思います。p188の5行目に「ラナは首をふりました」という文章があり、これをイエスととるかノーの意思表示ととるかで読み方が違ってくると思いますが、すぐ後に「決めたわけじゃないけど」という言葉があったり、「先のことはわかりません」とあったりするので、ここは首を横にふっているのだと思います。首を縦にふるときは、p176の後ろから6行目のように「ラナはこくんとうなずきました」という書き方をするのでは? それから、2日間の滞在の間は決まった食事しか出ないのに、長期滞在の場合はいろいろなものを食べているのが一貫性がないという声もありましたが、それはp51に、そういう仕組になっていることが説明されています。
この場所はオアシスのようにしばしの休息を得て元気を取り戻す場所なのですよね。ラナは自分のやりたいことをなかなか決められないのですが、ひどく抑圧された世界から、選択肢がいろいろある自由な空間に来ると、そう簡単には決められず、とまどうのが普通ではないかと思います。なので、私はそこもリアルだと感じました。
タイトルは「ラナと竜の方舟」のほかに「沙漠の空に歌え」というサブタイトルがあって、The Story of the Empty Placeという英語表記も裏表紙に書いてあります。違う趣の3つのタイトルが書いてあるのは不思議な感じですが、サブがついているところを見ると、新藤さんの中では、できたら続編を出したいというお気持ちがあるのかもしれません。
肌の色も服装も背景も、多様な人たちが登場している設定にも私は好感を持ちました。文化も言語も違うその人たちが、この場所でだけは、お互いの意思疎通ができるという設定を見ても、またいい人たちしか出てこないところを見ても、方舟はある意味ユートピアとして描かれているのだと思います。

きなこみみ:新藤さんの「祈り」を強く感じる1冊でした。ラナとジャミルがどこから来たのか、どうしても考えてしまいます。毎日ガザの子どもたちが殺され、飢えている報道を目にします。こんな竜の方舟があって、傷ついた子どもたちがたどり着く場所があればどんなにかよいだろうと、心に染み入るように読みました。爆撃から逃げて逃げてたどりついてしまった、もう逃げ場のないガザの海岸で「方舟」をあてどなく待っている方々の記事を読んだので、ますます、そう思うのかもしれません。
命を救う冷たくて豊かな水に、美味しい食べ物、鴨肉とクルミのザクロ煮や、エマが作ってくれるチーズパイなどもとても美味しそうで、心に残ります。でも、なんといってもいちばん素敵だと思うのは。ジャミルのおばあちゃんの家の庭です。オリーブの風がふきわたって、一族の人たちが、老いも若きも、子どもたちもみんなが集まって、土の恵みそのもののような食事をする。この庭の風景は、民族や家族が大切にしてきた歴史や文化そのもののようにも思います。そして、こんな場所があることは、それがどの国であっても、子どもたちにとって大切な幸せなことです。そんな、ジャミルのおばあちゃんの家が、はたしてまだあるのか。そこにジャミルがたどり着けますようにと、やはりラナと共に、祈りを捧げずにはいられませんでした。
一心に家族のもとに帰りたいジャミルとは違って、ラナは自分で国を出てくることを選んだこともあって、家族の元にも帰りたいと言えず、ここからどうすればよいのかわからないんですが、イスラム圏の女性が自由に生きることへの難しさがラナの悩みにも感じられて、胸に沁みます。今、金井真紀さんの『テヘランのすてきな女』(金井真紀/文と絵、晶文社)を読んでいますが、そこに出てくるたくさんの女性たちのことを思いながら本書も読みました。
中東が直面している問題を、日本人は把握しにくいのですが、こんな物語を通じて、子どもたちが理解する糸口にしてくれたらいいなと思います。そして、さっきも触れましたが、はたして、ジャミルのおばあちゃんの庭がまだあるんだろうかと思うと、とてもつらいんですが、現実として、今、世界にたくさんいるジャミルとラナの苦しみを、私たちは手をこまねいてみているだけなのかという葛藤がいつもあります。p163の、何かを創り出すことについての言葉、「なにか作ってる人を見てるだけで、人っていいな、って思えてくるんだ。そうやってわたしの心が元気になれば、ここから竜に力を送ることができる。はなれたところで人を助けようとしている竜にも、気力がわいてくる。そうなることを、もしかしたら、竜も望んでいるんじゃないかな……」というところが染みました。現実には竜はいないけれど、今、苦しみのなかにいる人、そこにいる人たちの役にたちたいと思っている人、手を差しのべようとする人たちに、物語から力を送る。この物語に出てくる人たちは、皆いい人で、優しい。たとえきれいごとと言われても、文学が、特に子どもの文学が出来ることのひとつが描かれているように思います。

西山:私もまったく同じ感想です!ずっとせつなくて、祈りの書だと思いました。悲観的すぎるかもしれないけれど、この国が死者の国のようにも思えて仕方がなく、鎮魂の書だとも感じました。新藤悦子さんのほかの作品ときちんと比較まではできていないのですが、香辛料やお料理の香りや、たくさんの人のにぎやかなざわめきとかに包まれる感じがなくて、もちろんおいしそうなお料理も出てくるのですが、ずっと透明で静かな印象を受けました。マジュヌーンが、みんなから隔絶したところにいて、そこから見下ろしているという視線や「さまよえる」「蜃気楼」「風の宮殿」といった言葉が、なんだか寂しい印象を作っているのかもしれません。人を助けたいけれど助けられなくて傷つく竜なんて、せつなくて……。新藤さんがこの作品を書くことが、そして、私たちが読むことが竜に力を与えることなのだろうなと、そうあればよいと祈るように思いました。今回『モノクロの街の夜明けに』(ルータ・セペティス著 野沢佳織訳 岩波書店)とあわせて読むことで、p90の刺繡について語っている「口に出していえないことも、布にしゃべらせて発散できたのさ。それで心が整っていったんだよ」という言葉が、クリスティアンのノートと重なりました。

レジーナ:竜の方舟の町は現実から切り離された安全な場所で、難民の人たちもしばし休息のときをもつことができます。そういう場所がほんとうにあったらいいという、作者の祈りのような強い思いが、作品全体から感じられます。それは、救いたくても全員は救えずに心を痛める竜や、砂漠で歌うことしかできないマジュヌーンの姿にも、よくあらわれていますね。難民の人たちの置かれている困難な状況にだけスポットを当てるのではなく、ジャミルのおばあちゃんの家のすばらしい朝食など、その文化の豊かさが魅力的に描かれているのもいいな、と思いました。

(2024年08月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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あまねく神竜住まう国

『あまねく神竜住まう国』表紙
『あまねく神竜住まう国』
荻原規子/作
徳間書店
2015.02

『あまねく神竜住まう国』をおすすめします。

学校で習う歴史は何年に何があったという事実が中心で、そこに生きていた人物がなかなか浮かび上がってきません。そういう意味では、歴史上の人物を主人公にした文学作品を読むのはおもしろいものです。どこまでが事実で、どこからがフィクションなのかはもちろんあいまいだとしても、作者もいろいろ調べたうえで書いているので、その作者なりに思い描く歴史上の人物が立体的に立ち現れてきます。

本書は、10代半ばの源頼朝を主人公にすえた作品です。調べてみると、伊豆に流されていた頃の頼朝についての史実はほとんどわかっていないらしいので、大部分がフィクションということになるのでしょう。大多数の日本人には義経の敵として人気の低い頼朝を敢えて取り上げていることに、まず興味がわきます。そしてその頼朝にからむのが、『風神秘抄』の主人公である草十郎と糸世です。

冒頭に登場する頼朝は、ひ弱で死の予感につぶされそうになっています。(「元服をしてもまだ幼顔を残しており、体も発育途上の細さだった。(中略)その上、伊豆では見かけないような色白の肌であり、『ひ弱な若様』と言い落とされるのも無理はなかった」)。糸世の勧めで敵の目を欺くために女装しても、だれにも怪しまれないほど線が細いのです。しかし、走湯権現に参詣した際、真っ暗闇の回廊にひとりで入りこみ、権現の真の姿と言われる神竜を心眼で見ます。このあたりは、アフリカなどでは今も行われている成人儀礼を思い起こさせる記述ですね。頼朝はその頃から自分の立場を客観的に見たり、自分の意志をはっきり持ったりするようになり、やがて死んだ姉・万寿姫の化身である大蛇とも対峙することができるようになります。

謎めいた存在である草十郎に興味を持った人は、小学館児童出版文化賞、産経児童出版文化賞、日本児童文学者協会賞など様々な賞を受賞している『風神秘抄』もぜひ読んでみてください。

(トーハン週報「Monthly YA」2015年6月8日号掲載)

キーワード:源頼朝、歴史、竜

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月の光を飲んだ少女

『月の光を飲んだ少女』表紙
『月の光を飲んだ少女』
ケリー・バーンヒル/著 佐藤見果夢/訳
評論社
2019.05

『月の光を飲んだ少女』をおすすめします。

魔法を扱いながら、現代にコミットする物語。舞台は中世的な異世界で、そこではシスター長イグナチアが恐怖と悲しみをもって、従順で信じやすい民を支配している。イグナチア配下の長老会は、魔女への生贄として毎年赤ん坊を1人ずつ森の中に捨てさせるのだが、ある年捨てられたルナは、善き魔女ザンに拾われて育ち、やがて恐怖の世界をひっくり返して新たな世界を作り出そうとする。協力するのは、自然の象徴とも思える沼坊主グラーク、竜のフィリアン、ついに出会えた生母、正直でやさしい若者アンテイン、自分の頭で考える勇敢なエサイン。おもしろく読めて、生と死、支配と被支配、魔法と自然の力などについて思いをめぐらせることができる。(中学生から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2019年8月31日掲載)

キーワード:魔法、竜、家族、生と死、自然

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ローワンと魔法の地図

エミリー・ロッダ『ローワンと魔法の地図』さくまゆみこ訳
『ローワンと魔法の地図』 (リンの谷のローワン1)

エミリー・ロッダ著 さくまゆみこ訳 佐竹美保挿絵
あすなろ書房
2000.08

オーストラリアのバイロンベイに行ったときに何軒かの本屋さんを回って、今子どもが夢中で読んでいる本を教えてもらいました。その中から探し出した本です。本嫌いな子どもでも読書の楽しみを味わえるのではないかと思いました。
ローワンはバクシャーという家畜の世話をする少年。あるとき、村に水が流れてこなくなり、勇者をつのって水源である山に登って原因を確かめることになります。ローワンは勇者とはほど遠い臆病な少年なのですが、魔法の地図が読めるのがなぜかローワン一人だったため一緒に行くことになってしまいます。最後には竜も出て来て冒険とスリルに満ちています。
小学校高学年なら読めるように訳したつもりでしたが、課題図書の対象は中学生でした。全5巻のシリーズもので、どの巻でも弱虫のローワン君は、いつのまにか冒険にまきこまれてしまいます。個人的には、ハリー・ポッターよりこっちのシリーズの方がおもしろいのではないかと思っています。子どもたちから手紙がくるのが何よりうれしい。
(装丁:丸尾靖子さん 編集:山浦真一さん)

*オーストラリア児童図書賞・最優秀賞受賞
*毎日新聞青少年読書感想文全国コンクール課題図書

◇◇◇

〈訳者あとがき〉

この作品に最初に出会ったのは、オーストラリアのバイロン・ベイという海辺の町でした。岬からイルカやクジラが泳いでいるのが見えるその町で、本屋さんに入っていった私は、店員さんに、今、子どもたちが夢中になって読んでいる本があったら教えてほしいとたのみました。その店員さんが出してきてくれたのが、このローワン少年の出てくるシリーズでした。店員さんは、「このシリーズは、仕入れてもすぐ売れてしまうんです」と言って、その時には、二巻目は店にありませんでした。とりあえず一巻目と三巻目を買って帰って読んでみると、これがおもしろいのです。日本に帰ってから二巻目も取り寄せて、一気に読みました。

その後、このシリーズについて調べてみると、一巻目の本書はオーストラリア児童図書協会が選ぶ年間最優秀児童図書賞を受賞していることがわかりました。そして三巻目も同じ賞の優秀賞に選ばれていました。

この本には、竜、洞窟、クモ、底なし沼、魔法をかけられた地図など、ファンタジーの読者におなじみのものが登場し、読者をどきどき、わくわくさせるストーリーが展開していきます。そればかりか、この作品は、これまでのファンタジーにはない新しい魅力ももっています。その魅力の一つは、主人公が、内気で臆病で、いかにも冒険には不向きな男の子だという点です。これまでのファンタジー作品の主人公のほとんどが、最初から勇気があったり、修業が好きだったり、好奇心や冒険心に富んでいる者だったことを考えると、この点は異色だと思います。ローワンは、運命のいたずらで仕方なく山にでかけていき、途中でも怖い怖いと思いながら、それでもとうとう最後には、村人も家畜も竜も救うことになるのです。

もう一つの新しさは、ジェンダーをこえた男女差のない社会が描かれているという点です。はじめのほうに、リンの谷の村の最長老で村長の役割をしているランという人物が出てきますが、すっと読んだだけではランが男性なのか女性なのかわかりません。よく読んでみると、原文ではshe(彼女)という代名詞が出てきて、ランが女性であったことがわかります。また魔の山に出かけていく勇者たちは、ローワンを除くと男性三人、女性三人です。体格はストロング・ジョンが一番大きいらしいということはわかりますが、力や勇気や知恵の点では、男性も女性も同じように描かれています。つまり、従来の「男の役割」「女の役割」「男らしさ」「女らしさ」にとらわれず、それぞれの個人がその人にふさわしい役割を果たしていく社会が、作者の一つの理想として描かれているのです。

作者のエミリー・ロッダは、本名をジェニファー・ロウと言い、一九四八年にシドニーに生まれました。シドニー大学で英文学の修士号を取ったのち、出版社に職を得て、編集者になります。子どもの本を書くきっかけは、娘のケイトに、自分で作ったお話を聞かせたことでした。ケイトがこのお話をとても気に入ったので、出版を思い立ち、きちんとタイプして自分が勤めていた出版社に売り込んだのですが、そのときにペンネームとして祖母の名エミリー・ロッダを使いました。この初めての作品『とくべつなお話』は、一九八五年にオーストラリア児童図書最優秀賞を獲得しました。二作目の『ふしぎの国のレイチェル』も一九八七年の同じ最優秀賞に選ばれます。エミリー・ロッダは、その後もオーストラリアで最高の児童図書にあたえられるこの賞を、合計五回も受賞しています。パトリシア・ライトソンやアイヴァン・サウスオールなど何回か受賞した作家はほかにもいますが、五回も受賞したのは、エミリー・ロッダだけです。昨年末には、ローワンシリーズの四巻目が出版されましたが、これも、オーストラリアの子どもたちにはすでに大人気を博し、今年の最優秀児童図書賞の有力な候補となっています。

二〇〇〇年五月

さくまゆみこ