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ラナと竜の方舟〜沙漠の空に歌え

砂漠の中で赤い目の竜らしきものに乗る黒い人影
『ラナと竜の方舟〜沙漠の空に歌え』
新藤悦子/著 佐竹美保/絵
理論社
2024.04

アンヌ:今回は残念ながら、このファンタジー世界の仕組みをうまく読み解けなかったので、疑問ばかりが残りました。竜の宿はおもしろいけれど、竜使いとはいったい何者なのか? このキャラバンは現実のものなのか? 命の水は外界に持ち出せるらしいけれど、ほしがる人間たちがやってきたりしないのだろうか? とかです。さらに、ラナは「オレンジの誓い」も思い出せなかったほどの心の傷を負っているから出て行けないのだとしても、ずっとここにいるというのは、本当にしたいことではないんじゃないかとか思えてきて、いろいろ答えを見いだせないまま読み終えました。

さららん:しばらく前に読んで、今回、再読しました。すごく魅力的な物語です。竜も、蜃気楼の町も、女の人の顔をした鳥「フーフー」も大好きです。中東の雰囲気や、伝承の存在を背景に、現実に追いつめられて故郷を離れる難民、という現代的な要素を盛り込んだファンタジーに仕立ててあり、見事だなあと思いました。はるかな世界に今の社会の問題が透けて見えるのですが、女の子には勉強が許されない場所からひとり逃げ出してきたラナにも、おばあちゃんの家に行きたいと言い続けるジャミルにも、その訴えに悲痛さがない。心の動きに薄い膜がかかっているように見えます。本来だったら、もっと切実に嘆き悲しんでいいのに。それはなぜなのか一緒に考えたいと思って、今日は参加しました。

ハル:とてもおもしろかったのですが、この「方舟」の存在をどうとらえていいのかなと、ちょっと迷う部分もあります。途中までは「方舟」にいるみんなは、もしかしたらもう現実の世界では生きていないのかなと思ったのですが、そういうことではないみたい。ラストまでラナの未来が定まらなかったのは、物語の着地点としては弱いようにも感じたけど、とても新鮮で、リアルだなと思いました。逃げた先で「あなたは何がしたい」「どうしたい」って言われても、平和な国の子どもたちのように、いまはただ1日、1日を静かに送りたい、休みたいっていうことだってありますよね。そう思うと、自分のことはわからなくても、ジャミルのため、誰かのためになら祈ることができる、というのがすごく心にしみてきました。あと、挿絵! うっとりします。特にジャミルの表情、立ち姿がいちいちかわいくて、心がなぐさめられるような思いでした。ジャミルは、幸せの象徴のようなおばあちゃんの家に、必ず行けます。と、思います。たとえ何もかもが思い描いていたままではなかったとしても。

花散里:日本の児童文学作品の中で、久しぶりに読み応えのあるフィクションに出合えたように感じながら、私はとてもおもしろく読みました。登場人物はみんな魅力的な良い人たちで、佐竹美保さんの絵も素晴らしく、ファンタジーの様子をうまく取り入れていて、子どもたちが楽しく読めるのではないかと思います。作者は学生時代から中近東に関心を持ち、80年代に遊学していたとのことで、よく研究されていて、本作品にも様々なことが上手に取り入れられているのではないかと感じました。日本の児童文学作品には「あとがき」がほとんどありませんが、本作では、難民や、戦火が続くウクライナやガザのこと、作者が伝えたいことが「あとがき」に記されていることにも感銘を受けました。世界の出来事を知っていくうえでも、本作のような上質なファンタジー作品を子どもたちに手渡していくことが大切ではないかと思いました。

雪割草:ユニークでおもしろかったです。いろんな背景をもった人たちが出てくるのもよくて、楽しく読みました。作者がもらった、砂漠の廃墟の絵である〈エンプティプレイス〉を題材にして描かれたんですね。新藤さんのバックグラウンドも知っているおとな目線では、たとえば難民の話であることはすぐに想像できますが、子どもが読むと少しわかりにくいかなという印象はもちました。避難民の人たちは、実際は避難して難民キャンプに行きますが、この蜃気楼の町のように心の余裕をもって過ごすことなどできません。だから、この蜃気楼の町は、大変な思いをして避難してきた人たちこそ、ゆっくり心と向き合う時間が必要なのだという新藤さんの願いから描かれたのだろうと思いました。そして、そこで過ごすうちに生まれる立て直していく力のような希望も感じられました。前回読んだ同じ作者の『アリババの猫がきいている』(ポプラ社)も言語の壁をこえたコミュニケーションが描かれていましたが、今回も違う言語を母語とする人たちが会話できるようにしていて、避難民の人にとって言葉がいかに大きな障壁であるかが新藤さんの念頭にはあるのだろうと思いました。

エーデルワイス:「さまよえる竜」「竜の方舟」「蜃気楼の町」美しい言葉がたくさん出てきます。人間の世界では姿が見えない竜が、命を落とす寸前の難民を救ってくれる。こんなことが現実にあったならどんなにいいだろうと思いました。挿絵がとてもいいです。p72の「水差し」については文章だけではよく分からなかったのですが、p98の挿絵で分かりました。エマの肌を「チョコレート色」と表現しているところに好感を持ちました。p68の6行目に「ナスのジャム」があります。食べてみたいです。皮を剥いて煮込むのでしょうか?中東でのナスの種類が違うかもしれない。竜使いのマジュヌーンの顔が、終盤の挿絵ではよく分かるようになっています。イケメンです! 水しか飲まず年をとらずに少年のままでいるマジュヌーンと、「竜の方舟」にしばらく残ることになったラナ。2人の関係が気になります。続編があるのでしょうか?

しじみ71個分:新藤さんの書かれるものはユニークでおもしろいです。前回読んだ『アリババの猫がきいている』もとても良かったですね。ファンタジーの物語の中で、中東文化が透けて見えて、物語の背景にあるものを知ることができるのも良かったと思います。今回の本ですが、私自身が、ファンタジー作品を読みなれていないために、どこに注目して読んだらよいか分からず、ちょっと感想がぼやけてしまっています。すみません。私も、ハルさんと同じで、竜の箱舟は死んだ人が運ばれていくところだと思って読んでいました。読んでいく過程で、死んだ人ではなく、戦乱で苦しむ人を竜が救っているのだ、と分かって、少しホッとしました。全員は救えない悲しみで竜が傷ついてしまうというくだりで、著者の切ない願いがそこにあるのだろうと思いました。そこはとても切なかったです。あとは、ただバランスの問題だと思うのですが、ウクライナから来た青年はあっという間に帰ってしまい、ジャミルが現実のおばあちゃんのところに帰りたいと一貫した意志を持っていて、最後は竜の方舟に残ることになりますが、ラナはどうしたいのかなかなか心が決まりません。ラナの気持ちが最後まで長く引っ張られたことも影響していると思いますが、ラナの気持ちがつかみにくいなと思うところはありました。難民の人のとしての心情が切迫して吐露されるような場面は多くなかったと思うので、この物語の中では、ファンタジー世界のおもしろさか、難民問題か、何に重きを置いて読んだらよいのかよくわかりませんでした。ですが、ラナのこの先も決まらないですし、竜使いのマジュヌーンのことも謎がまだたくさんあるので、エーデルワイスさんと同じで、これは、やはり続編があるんじゃないかなと思いました。続きがあるならそれはとても楽しみです。
イスラムをよく知る新藤さんならではの物語にこれからも期待しています! ちなみに、登場する人面鳥が気になって調べてみたのですが、フープという鳥は実在するんですね!ギリシャ神話に出てくる女人面鳥はハーピーと言って、とても不潔で下品な生物なんだそうで。おもしろいです。

ルパン:これは、はっきり言って失敗作なのでは? いろいろ伝えたいことがあるのだろうけれど、世界観も人物像も中途半端に終わっている。絵に助けられている部分も多々あるし。私は正直、あまりおもしろくなかったです。消化不良のまま最後までいってしまった感じ。この町も現実なのか非現実なのか、読み手が迷ってしまいます。はじめは人間が作ったふつうの町で、とちゅうから蜃気楼になる、という設定もわかりにくい。水しか飲まず、ずっと高いところにいる竜使いの男の子がいて、町が気に入ったから竜からおりるのだけど、人々に交わって生活しているわけでもない。いろいろな点で説明が不足していて、途中から難民問題やタリバンの女子教育のことなどがテーマなんだろうと気づいたけれど、ファンタジーにしては中東のイメージが強いし、そうなると仮想世界のイメージが薄れ、私は物語に入っていけませんでした。

シマリス:先日、この著者の『アリババの猫がきいている』を読みましたが、今回の作品はまたタッチが全然違って興味深いなと思いました。難民問題を、ファンタジックな形で取り上げていますね。狭い空間に取り残された感覚、何をしたらいいのかわからない、途方に暮れた感覚が、わかりやすく描かれています。そして登場人物たちは、やがて立ち上がり、前を向いていきます。物語の構築力がすごいなと思いました。ただ、ひとつだけ気になったことがあります。後半、“誰かが誰かに出会って、話を聞いた”というようなシーンが続きすぎているせいで、ちょっと飽きました。前の本も、中盤で緩慢に感じたので、この著者の作品とわたしの相性の問題かもしれません。

アカシア:私はおもしろく読みました。現実をもっと反映してほしいというような声もありましたが、これはファンタジーなので、ファンタジー世界のリアリティがきちんとできているかどうかを見ていく必要があります。
アンヌさんがラナは勉強しに行こうとしていたのに、ここにとどまることは解せないとおっしゃいましたが、ラナはここにとどまることにしたわけではないと思います。p188の5行目に「ラナは首をふりました」という文章があり、これをイエスととるかノーの意思表示ととるかで読み方が違ってくると思いますが、すぐ後に「決めたわけじゃないけど」という言葉があったり、「先のことはわかりません」とあったりするので、ここは首を横にふっているのだと思います。首を縦にふるときは、p176の後ろから6行目のように「ラナはこくんとうなずきました」という書き方をするのでは? それから、2日間の滞在の間は決まった食事しか出ないのに、長期滞在の場合はいろいろなものを食べているのが一貫性がないという声もありましたが、それはp51に、そういう仕組になっていることが説明されています。
この場所はオアシスのようにしばしの休息を得て元気を取り戻す場所なのですよね。ラナは自分のやりたいことをなかなか決められないのですが、ひどく抑圧された世界から、選択肢がいろいろある自由な空間に来ると、そう簡単には決められず、とまどうのが普通ではないかと思います。なので、私はそこもリアルだと感じました。
タイトルは「ラナと竜の方舟」のほかに「沙漠の空に歌え」というサブタイトルがあって、The Story of the Empty Placeという英語表記も裏表紙に書いてあります。違う趣の3つのタイトルが書いてあるのは不思議な感じですが、サブがついているところを見ると、新藤さんの中では、できたら続編を出したいというお気持ちがあるのかもしれません。
肌の色も服装も背景も、多様な人たちが登場している設定にも私は好感を持ちました。文化も言語も違うその人たちが、この場所でだけは、お互いの意思疎通ができるという設定を見ても、またいい人たちしか出てこないところを見ても、方舟はある意味ユートピアとして描かれているのだと思います。

きなこみみ:新藤さんの「祈り」を強く感じる1冊でした。ラナとジャミルがどこから来たのか、どうしても考えてしまいます。毎日ガザの子どもたちが殺され、飢えている報道を目にします。こんな竜の方舟があって、傷ついた子どもたちがたどり着く場所があればどんなにかよいだろうと、心に染み入るように読みました。爆撃から逃げて逃げてたどりついてしまった、もう逃げ場のないガザの海岸で「方舟」をあてどなく待っている方々の記事を読んだので、ますます、そう思うのかもしれません。
命を救う冷たくて豊かな水に、美味しい食べ物、鴨肉とクルミのザクロ煮や、エマが作ってくれるチーズパイなどもとても美味しそうで、心に残ります。でも、なんといってもいちばん素敵だと思うのは。ジャミルのおばあちゃんの家の庭です。オリーブの風がふきわたって、一族の人たちが、老いも若きも、子どもたちもみんなが集まって、土の恵みそのもののような食事をする。この庭の風景は、民族や家族が大切にしてきた歴史や文化そのもののようにも思います。そして、こんな場所があることは、それがどの国であっても、子どもたちにとって大切な幸せなことです。そんな、ジャミルのおばあちゃんの家が、はたしてまだあるのか。そこにジャミルがたどり着けますようにと、やはりラナと共に、祈りを捧げずにはいられませんでした。
一心に家族のもとに帰りたいジャミルとは違って、ラナは自分で国を出てくることを選んだこともあって、家族の元にも帰りたいと言えず、ここからどうすればよいのかわからないんですが、イスラム圏の女性が自由に生きることへの難しさがラナの悩みにも感じられて、胸に沁みます。今、金井真紀さんの『テヘランのすてきな女』(金井真紀/文と絵、晶文社)を読んでいますが、そこに出てくるたくさんの女性たちのことを思いながら本書も読みました。
中東が直面している問題を、日本人は把握しにくいのですが、こんな物語を通じて、子どもたちが理解する糸口にしてくれたらいいなと思います。そして、さっきも触れましたが、はたして、ジャミルのおばあちゃんの庭がまだあるんだろうかと思うと、とてもつらいんですが、現実として、今、世界にたくさんいるジャミルとラナの苦しみを、私たちは手をこまねいてみているだけなのかという葛藤がいつもあります。p163の、何かを創り出すことについての言葉、「なにか作ってる人を見てるだけで、人っていいな、って思えてくるんだ。そうやってわたしの心が元気になれば、ここから竜に力を送ることができる。はなれたところで人を助けようとしている竜にも、気力がわいてくる。そうなることを、もしかしたら、竜も望んでいるんじゃないかな……」というところが染みました。現実には竜はいないけれど、今、苦しみのなかにいる人、そこにいる人たちの役にたちたいと思っている人、手を差しのべようとする人たちに、物語から力を送る。この物語に出てくる人たちは、皆いい人で、優しい。たとえきれいごとと言われても、文学が、特に子どもの文学が出来ることのひとつが描かれているように思います。

西山:私もまったく同じ感想です!ずっとせつなくて、祈りの書だと思いました。悲観的すぎるかもしれないけれど、この国が死者の国のようにも思えて仕方がなく、鎮魂の書だとも感じました。新藤悦子さんのほかの作品ときちんと比較まではできていないのですが、香辛料やお料理の香りや、たくさんの人のにぎやかなざわめきとかに包まれる感じがなくて、もちろんおいしそうなお料理も出てくるのですが、ずっと透明で静かな印象を受けました。マジュヌーンが、みんなから隔絶したところにいて、そこから見下ろしているという視線や「さまよえる」「蜃気楼」「風の宮殿」といった言葉が、なんだか寂しい印象を作っているのかもしれません。人を助けたいけれど助けられなくて傷つく竜なんて、せつなくて……。新藤さんがこの作品を書くことが、そして、私たちが読むことが竜に力を与えることなのだろうなと、そうあればよいと祈るように思いました。今回『モノクロの街の夜明けに』(ルータ・セペティス著 野沢佳織訳 岩波書店)とあわせて読むことで、p90の刺繡について語っている「口に出していえないことも、布にしゃべらせて発散できたのさ。それで心が整っていったんだよ」という言葉が、クリスティアンのノートと重なりました。

レジーナ:竜の方舟の町は現実から切り離された安全な場所で、難民の人たちもしばし休息のときをもつことができます。そういう場所がほんとうにあったらいいという、作者の祈りのような強い思いが、作品全体から感じられます。それは、救いたくても全員は救えずに心を痛める竜や、砂漠で歌うことしかできないマジュヌーンの姿にも、よくあらわれていますね。難民の人たちの置かれている困難な状況にだけスポットを当てるのではなく、ジャミルのおばあちゃんの家のすばらしい朝食など、その文化の豊かさが魅力的に描かれているのもいいな、と思いました。

(2024年08月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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アリババの猫がきいている

世界の民芸品に囲まれたペルシアネコ
『アリババの猫がきいている』
新藤悦子/作 佐竹美保/絵
ポプラ社
2020

エーデルワイス:おもしろく読みました。「難民」がテーマなんですけど、「難民とは」と声高に言わなくて、その内容に好感を持ちました。ペルシャ猫のシャイフと世界の民芸品との会話など自然で新鮮でした。p37の8行目に、「かしこい猫は人の心をかんたんにつかんでしまいます。」とか、p63の3行目「人間は言葉で遊ぶくせがあります。」、p64の6行目、「…猫も人間もわがままでなくちゃ」など、心に染みてくる言葉がたくさんあります。「ひらけごま」の亭主石塚さんのレモネードがよくでてきますが、先日香川産の有機レモンで作ったレモネードを友人にごちそうになりました。とっても美味しくて、厚切りのレモンの皮をバリバリ食べました。その味を思い出しました。「こどもの本」(024年6月号 日本児童出版協会)掲載の三辺律子さんのエッセイに引用されていた東京大学教授の梶谷真司氏の哲学対話についての言葉「理論だけで考えていると、平等や対等になろう、差別をなくそう、異質なものを受け入れよう、相互理解や相互承認、寛容さが大事だ、そのため対話が必要だ、など、いろんなことが言われます。けれども、それらは単なるお題目ですが、具体的にどうすればそういうことができるのか分からないままです。それでみんなで努力したり我慢して、結局うまくいかないことが多い。でも哲学対話をしていると、なぜそういうことができないのか、どうすればそれができるのか実感としてよく分かるようになります」が、本書の物語と重なりました。

アンヌ:以前読書会で別の本を読んだときに「移民の物語にはいい人しか出てこない」という指摘がありましたが、最初に読んだときは、いい人ばかりで生ぬるい物語だなと思いました。でもp25で石塚さんが集めてきたおしゃべりする物たちが、「モノ」とカタカナで書かれているのに気づいて、この物語は、人間ではなく物が語る方が主な主題なのだと思って読み直しました。伝統工芸品の中にあるその国の歴史と文化、そして戦争や政治的状況などがモノたちの言葉で語られるファンタジーというのは珍しくておもしろいと思います。ただ、最後のあとがきに出てきた地図が、とても簡略な絵だったのが残念です。読者の子どもたちも、最初にしっかりした地図があれば、このモノたちが生まれ、やってきたいろいろな国への知識が深められたと思います。

きなこみみ:登場する猫も、人も、タイルばあやや、ひも姉さんというモノたちも、とても魅力的です。佐竹美保さんの挿画の力もあるんだと思いますが、キャラクターの姿が明確に頭に浮かんできます。イラン・イラク戦争が1980年からなので、アリババはその頃に亡命したのかな、とか、その時のことをいろいろ想像しながら読みました。猫のシャイフと、どこか飄々とした店主の石塚さんが世界中から持ってきたモノたちとがおしゃべりするのを聞くのがとても楽しい。楽しみながら、自然にイラン、アフガニスタン、ペルーなどの文化と人の物語に触れていく試みがとてもいいなと思います。旅から旅に、あまり物を持たず、ひとりを貫いてきたアリババさんが、なぜそうしてこなければならなかったのかを思うと切ないんですが、石塚さんが集めてくるものたちは、そんなふうに否応なしに故郷との繋がりを断たれてしまう人たちの思いを語っているようです。
私は民博(国立民族学博物館)の近くに住んでいて、ときどき展示を見にいったりして長い時間を過ごしてしまうのですが、その時間とおなじような厚みを、この物語にも感じました。日系ペルー人のタケルと、イランからきたナグメという、日本以外の国のルーツをもつ子どもたちが出てきたのも、良いと思います。「外国にルーツをもつ子どもたちの『ルーツ』とは、『ルーツ』(roots)と『ルート』(routes)の両側面がある」(「超多様性を生きる子どもたち(特集 〈子ども〉を考える)」原めぐみ『現代思想』52巻5号/2024年4月)という考え方を最近知ったのですが、共通の歴史や祖先を持つという過去と、変遷を経てここにたどりつき、そしてこれからたどっていく子どもたちの未来という、ふたつの道筋が、この物語にはあるなと思うのです。これは、子どもの本のすてきなところだと思います。
少し気になったのは。p156のナスリーンのエピソード。「あたし、ブルカおばけになりたくない」というセリフに、考えこんでしまいました。女性への時代遅れな蔑視や自由の制限、学問の自由を奪う、という政策は確かに非難されるべきことではありますが、一方でブルカはイスラムの女性たちにとって、ひとつのアイデンティティという一面もあるのではないかなと。女性にたいする圧政をブルカに象徴させてしまうことで、ブルカやイスラムへの一元的な嫌悪などに繋がらないかと少し心配になりました。アフガンで水路を開いた中村哲氏が、敬意をもって、イスラムの教会も作っていたことを思い出します。でも、好きなところもたくさんあって、p147の「ジャングルの子どもは自分の考えをちゃんと先生に伝えて、先生はちがう考えをちゃんと認めた。すごいことです」というところ、p181で、野良猫の三毛が、シャイフに「あなたのこと、中庭の外にも出られなくて気の毒に思ってたけど、それなら、ちっとも気の毒じゃないわ」「ここにいながらにして世界旅行をしてるようなもの」というところが、とても好きです。ここではない扉をひらいて、違うことを認め合って、どんな遠くにも時間と空間を超えてとんでゆけるという物語の醍醐味がつまっているからです。

アカシア:私もきなこみみさんと同じで、ブルカは女性を束縛するものときめつけてしまっていいものか、タリバン=悪と決めつけてしまっていいものか、と疑問を持ちました。
全体としては、世界の民芸品に話をさせ、猫がそれを聞くという設定はこれまで見たことがなかったので、おもしろかったです。タイルばあやの話の中に出てきたアリぼうやが、アリババだったと最後にわかる(おとなの読者はすぐに推測できるかもしれませんが)など、物語に工夫もされています。最後にハチの巣として実際に使われたらよかったのに、とそこはちょっと残念でした。
物語の随所に、作者の考え方や、文化の多様性の視点が登場しているのにも、好感をもちました。p30の「イスラム教を重んじるバザール商人は、お金はためるものではなく流れるもの、と考えています。水がたまるとよどむように、お金がひとところにたまると世の中がよどむ、というのです」とか、p119の「人間が大変なのは、言葉だけじゃありません。たとえば、ひも姉さんが話していた国境線。なにもないところに線引きして、こっちからあっちへ勝手にいってはいけないことにするなんて、わざわざ世界を不便にしているとしか思えません」なんていうところですね。そして、民芸品が語る来歴から、それを作ったり、そこに思いをこめた人たちの物語が伝わるのも、すてきです。あとがきにもあるように、難民とか戦争を正面から取り上げるのではなく、物語を聞いて想像を広げていくことによって世界とつながれるようになっているのですね。年齢も状況も多様な人たちが登場しているのも、とてもよかったです。

ニャニャンガ:とても好きになった作品ですが、手にした時のずっしり感と、タイトルにあまり惹かれず、すぐ読む気にはなれませんでした。もうひとつ残念な点としては、世界地図はあとがきではなく、できれば登場人物紹介のあたりにあると読む手助けになると思いました。私もなのですが、本文を読みながら民芸品がやってきた場所がわかっていた方が物語により入りこめた気がします。とはいえ読み始めたとたん、世界情勢や民芸品がやってきた理由が詳しく書かれていて読みでがありました。民芸品たちが希望したとおりの幸せになるために、猫のシャイフが導いてあげる設定や、登場人物の物語もよかったです。佐竹さんの絵がとても物語に合っていて、読む楽しさが増えました。とくにピラフの場面はおいしそうでした!

アオジ:とてもおもしろい物語で、楽しく読みました。アリババと千夜一夜物語をかけているんですね。日本に渡ってきた、高価な品物ではない日常の道具に語らせるという趣向がいいですね。ラクダの頭飾りにするひもの話が、特に印象に残りました。近所のじゅうたんのお店に、探しにいってみようかしら。
移民や難民の話というと、とかくつらくて悲惨なものになりがちですが、この本なら子どもたちがすっと物語に入りやすく、最後まで読めるのではないかと思います。クラスにいる外国から来た友だちを、日本とは異なった、豊かな文化のなかで育ってきた存在とあらためて見つめなおし、もっと知りたい、もっと理解したいという気持ちが芽生えれば、難民に門戸を閉ざしがちの日本も少しずつ変わっていくのではないかと思いました。私自身、知らなかったことがたくさん出てきて、わくわくしながら読みました。
ブルカについては、私もちょっとひっかかりました。あくまでも強制するのが悪いのであって、ブルカそのものは、見かけではなく内側から神と向き会わなければいけないというイスラム教の教えにもとづいているのと同時に、砂や、きびしい日光から身を守るという実用的な側面もあり、大切にしている人たちもいるということを忘れてはいけないと思います。
ちなみに、アマゾンの古代魚ピラルクは、靴べらにできるほど大きな鱗をしていて、ピラルクの皮のハンドバッグが人気なんだとか。もちろん、ワシントン条約で捕獲が規制されているそうだけど。それから、p73の7行目にある「青いタイルくん」は「青いグラスくん」の間違いですね。(第2刷では訂正されています)

雪割草:最初は、おじさんが主人公?と思いましたが、さまざまなモノが登場し、「ひらけごま」には世代もいろいろな人が集まり、難民をテーマにしながら、楽しく読める作品だと思いました。モノの語りはそれぞれユニークで、たとえばヘラートグラスはその美しさだけでなく、戦争で奪われたものについても語っていて、子どもたちにぜひ伝えたいと思いました。中東地域は行ったことがないのですが、バザールの空気感もよく伝わってきました。モノの語りがメインですが、もう少し人のバックグラウンドの大変な面が語られてもよかったかなと思います。先ほど、地図が詳しく書かれていなくてわかりにくいという話がありましてが、もしかしたら意図的に国境を引いていないのかもと思いました。

ハル:視野が広くて、愛にあふれていて、とってもおもしろかったです。どのページか忘れてしまいましたが「幸運には運び手がいる」というのも印象に残りました。せっかくおもしろいので、子どもたちにたくさん読んでほしいと思うと、ちょっと長いでしょうか。あと、余計なお世話ですが、タイトルがちょっと凝りすぎでしょうか。それぞれの物たちの身の上話こそ読ませどころなんだと思うのですが、そこが逆に長いと感じてしまいました。ところで、p15には、シャリフは人間でいうと7歳といった記述がありましたが、この、動物の年齢を「人間でいうと」というのがよくわからないんです。どうして人間の年齢に換算するんでしょう。それから、これはもちろん、それぞれの考え方でいいのであって、否定するものではないのですが、「国境はいらない」というのは確かに素敵に聞こえますが、社会を形成する上ではやっぱり国境は必要で、国境があることが問題なんじゃなくて、諍いを起こすことが問題なんだと私は思います。動物だって群れをつくりますし、猫も、自然のままだったら、縄張りはあったんじゃないかなぁ。
それから、きなこみみさんがおっしゃった「ブルカおばけ」のところは、わたしもちょっとひっかかりました。外から見たら問題があるように見えますし、宗教を選択する自由がないことも恐ろしいですが、「おばけ」と言っていいのかどうかはなんとも……。

ANNE:もともとファンタジーは大好きなので、とても楽しく読みました。ところどころ現代の子どもたちに通じるかしら?という言い回しが出てきて、たとえばp26の7行目、「イキなのかヤワなのか」というところなど、私のような年代のものにはそれも魅力的でした。
また、p63の3行目からの「人間は言葉で遊ぶくせがあります。言葉をおもちゃにして、なにが楽しいのでしょう」という文章に、ドキッとしました。佐竹美保さんのイラストも含め、随所に印象的な言葉がちりばめられたすてきな物語です。ぜひ、子どもたちに手に取ってほしいと思います。

コアラ:今回私は選書係だったのですが、ずっと読みたいと思っていたこの本を、さららんさんの推薦でやっと読むことができました。おもしろかったです。アリババとか「ひらけごま」とか、異国的で不思議なことが起こりそうなネーミングがいいなと思いました。モノたちの物語が、とても具体的で目に浮かぶようで、行ったこともないのに異国を旅したような気分になりました。タイルばあやの願いを伝えたアリぼうやが、実はアリババだったとか、伏線が回収されるのもおもしろかったです。モノが語るこの形式だと続編もありそうだと思いました。この本を読んだあとでペルシャ猫を見たら、シャイフだと思ってしまいそうです。ぺぺとるりの結婚のお祝いのごちそうで出てくる「ひらけごま」のピラフは、サプライズ感があっておもしろいと思いました。あと、佐竹美保さんの絵も、p17の絵はユーモラスだし、よかったです。

しじみ71個分:タイトルから、中東を舞台にした歴史ファンタジーのような作品かと思い、なかなか手が伸ばせなかったのですが、読んだら日本の現代物でした。タイトルが内容より重々しくて損をしているかもしれないですね。読んでみたらとてもおもしろかったです。バザール商人の考え方として紹介されている、お金はためるのではなく流れるものとか、貧しい人に与えよ、お金も情報も物も流れて、世の中が活気づくというイスラム教の教えや、アラブの地方の暮らしや文化がさらりと紹介されていて、興味深かったです。イスラム教というと、どうも9.11以降、テロや何かと結び付けられたこともあって、日本では良くないイメージでとらえられているような気もしますが、この本はアラブ世界の深くて豊かな文化があることを伝えてくれて、固まりがちな思い込みを易しい語り口でほぐしてくれるところがとても良いと思いました。
アリババの猫のシャイフは、1週間のあいだ、世界の民芸品を売る石塚さんのところに預けられますが、夜な夜なモノが語ります。モノに言葉を与えてしゃべらせるのは、当事者をそのまま描くのではなく、モノを間に挟んで少し距離感のある第三者の視点で語られるので、物語として穏やかに伝わるような気がします。夜に語るというと、『千夜一夜物語』や、シリア出身のラフィク・シャミの『夜の語り部』(松永美穂訳 西村書店)を思い出しますが、夜に詩や物語を語る文化があるのでしょうね。登場人物もほぼみな優しくて、温かくて、読後感がとても良いです。異文化に対する興味をやさしく喚起する新藤さんは、とてもうまい書き手ですね。
「青いガラスくんのはなし」でブルカが否定的に描かれている点については、私は逆に新藤さんがアフガンから逃げてきた人に実際に話を聞いていり、インタビューしたりしたのに基づいているのではないかと思いました。タリバン政権下で少しずつ女性たちの生活が締め付けられて行く当事者の受け止め方がよく分かると思いました。当事者に話を聞いたらこうなるのかなと思ったので。いちばん、かわいそうなのはアリババさんかなと。最初と最後にだけ登場してきて、ひとりで寂しく出張に行って来て、その間、シャイフはモノや人と交流していて。アリぼうやがアリババだとわかって話の深い伏線が回収されますが、その間は出番がなくて寂しかっただろうなと思います。アリババさんの詳細はこれから掘ればまだたくさん出て来そうなので、もしや続編があるのかなと気になりました。あと、「タイルばあや」の言葉はちょっと気になりました。「ばあや」という言葉は、働いてくれる使用人のおばあさんを、世話される子どもが呼ぶときに使う言葉のような気がしたので…… なぜ「ばあさん」「おばあさん」ではなく「ばあや」にしたのかちょっと不思議に思いました。

さららん:今回、この本を選ぶにあたり、もう1度読み直してみました。楽しい物語だった、新藤さんは上手な書き手だ、という以前の印象が漠然と残っていたのですが、主人公のアリババがシャイフを見たとたん、「記憶の封印が解かれ」(p10)、シャイフのおかげで具体的な記憶を取り戻す物語(p212-213)だったと気がつきました。枠物語の構造をもう少し鮮明にして、感動を盛り上げることもできたとは思うのですが、このさりげなさが作家の持ち味なんだと思います。私の知り合いに、ベトナム戦争後、フランス人家族に引き取られたベトナム人の姉妹がいて、「家庭の中ではベトナム語は禁止」といわれたそうです。その子たちがベトナム語を使えたら、過去とのつながりを保てただろうに……と、思い出すたび切なくなります。「両親につれられて外国にいったアリぼうやは、知らない人たち、きいたこともない言葉の中で、いつもあの猫に会いたかった」(p11)という一文から察するに、アリババも自分の故郷とその言葉を奪われた人物で、そう思うと、やはり少し切なくなります。
そして、この物語の重要なテーマは「コミュニケーションの復活」ではないのかと思うのです。シャイフと出会うことで、アリババは失われた故郷とのつながりを思い出す。モノと人のコミュケーションは阻まれているけれど、聞き手のシャイフが登場したことで、モノの見てきたことや気持ちが読者に伝わる。そのシャイフの働きで、石塚さんたちも、モノたちの願いを結果的にかなえることになる。阻まれていたコミュニケーションを復活させる役割を持たされたシャイフの存在が、私には興味深かったです。作家はシャイフを通して、モノと人のつながりや幸せを、少しでもよみがえらせたかったのでしょう。モノの声は私たちには聞こえないし、見ただけではわからない。声を聞くには、その物が生まれた背景や歴史を知る必要があります。作家は、「タイルばあや」や「ひも姉さん」の由来を知り、歴史を調べ、聞こえない声に耳を傾けるおもしろさに自分でも夢中になって、空想を広げ、物語に仕立てていったのかもしれません。ふだんなら聞こえない声を聞くことで、この世界が全く変わって見える。単に言語が伝わる、伝わらないだけではない、本質的なコミュニケーションの喜びは、実はそんなところにあるような気がします。手触りのあるモノを通して、イスラム世界やアマゾンの日常を重層的に感じてもらえる本です。難民という言葉で括られる人たちの暮らしに思いを馳せる意味でも、子どもたちに今読んでもらえたら、と思います。

スーパーマリオ:以前、『イスタンブルで猫さがし』(新藤悦子著 丹地陽子絵 ポプラ社)を読んだことを思い出しながら、読了しました。中東に強い新藤悦子さんならではの作品で、すてきだなと思いました。人間の少年少女が主人公ではないところもおもしろいですし、冒頭、「東京のタワマン」に住む「アリババ」という「学者」など、意外な組み合わせの連続に引き込まれました。ラクダのひもとかミツバチの巣箱のふたとか、日本の日常にないものが、生い立ちを語っていくところにも惹き込まれました。ただ、中盤あたりから終盤まで、ちょっと中だるみしてしまったようにも思います。モノが語る物語は、哀しみとかやるせなさとかが薄いせいでしょうか。人間だったら大変な旅なわけですが、淡白に感じてしまった部分もありました。あと、冒頭ですけれど、時間が立て続けに2回遡ります。現在から3ヶ月前、そこからさらに、「忘れていた遠いむかし」へ。小学生向けの児童書では、時間があまり遡らないほうが読みやすいと以前聞いたことがあるので、せめて遡るのは1回にして、構成をうまく組み替えることで読みやすくできないかなぁ、などと考えました。アリババと再会したときに、ネコが必ずしも喜んでくれない、キゲンが悪い感じなのは、ネコ好きとしてはリアルに感じられておもしろかったです。

(2024年05月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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ティーカップ

『ティーカップ』表紙
『ティーカップ』
レベッカ・ヤング/文 マット・オットリー/絵 さくまゆみこ/訳
化学同人
2023.09

オーストラリアの絵本で、移民・難民をテーマにしています。最後の文がないところがいちばん大事なところなので、そこをちゃんと見てもらえるとうれしいです。移民・難民の人たちは自分が生まれ育った場所の文化をもって新たな天地にやってくるということが象徴的に表現されています。移民が多く多様な文化を受容してきたオーストラリアならではの絵本でもあり、今の世界が直面している問題についても語っていると思います。

IBBYのオナーリストにオーストラリアから推薦されて掲載されていた絵本で、絵がとてもいいのです。ただ原著はマットコート紙なのに、日本語版は上質紙なので、ちょっとそこがもったいなかったかな。

(編集:田村由記子さん 装丁:神波みさとさん)

『ティーカップ』本文絵

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ガリバーのむすこ

『ガリバーのむすこ』表紙
『ガリバーのむすこ』
マイケル・モーパーゴ/作 杉田七重/訳
小学館
2022.12

『ガリバーのむすこ』をおすすめします。

戦場となったアフガニスタンを出て難民になった少年オマールは、嵐の海でボートから投げ出され、意識を失う。やがてオマールは、自分は砂浜に寝ていて、まわりを小人たちが取り囲んでいることに気づく。そこは、かつてガリバーが訪れたリリパット国だった。オマールは「ガリバーのむすこ」と呼ばれ、小人たちと友だちになってお互いの言葉や文化を学びあい、愚かな戦争をやめさせる。巧みな語り口に引っ張られて一気に読めるし、考えるきっかけも提供してくれる。小学校高学年から(さくま)

(朝日新聞「子どもの本棚」2023年1月28日掲載)

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シリアからきたバレリーナ

『シリアからきたバレリーナ』表紙
『シリアからきたバレリーナ』
キャサリン・ブルートン/著 尾崎愛子/訳 平澤朋子/絵
偕成社
2022.02

コアラ:難民の少女が主人公ですが、明るさと美しさのある物語という印象でした。美しさがあるのは、やっぱりバレエを扱っているからだと思います。カバーのイラストがアラベスクのポーズだと思いますが、物語に出てくるバレエのポーズや踊りを想像しながら読みました。バレエのポーズなどの専門用語の注が、そのページか見開きの最後に書かれてあって、読みやすかったし、言葉で説明するのが難しい用語であっても簡潔に説明されていて、うまいなと思いました。明るさについては、特に後半から、住むところが提供されたり、オーディションにみんな受かったり、いじわるなキアラと最後に友達になれたり、家族でイギリスに住み続けられるようになったりと、何もかもうまくいくようになっていて、ありえない、という感じでしたが、私はこういう物語もあっていいと思いました。というのも、p 272の6行目にあるように、親切や寛大さというのがこの物語のテーマになっています。シリアの内戦や難民についてのひどい状況をそのまま伝えるノンフィクションも必要だけれど、一方で、親切が繰り返されることによって、世界がよりよくなっていく、希望のある未来につながっていく、というような本があってもいいと思いました。フィクションだからこそ、希望のある読書体験ができると思いました。あとがきやキーワードが最後に付いているのも、背景について理解を深められるようになっていていいと思います。あと、途中に挟まっている、ゴシック体の回想部分について。なんだか胸騒ぎのするような怖さがあって、内容的に、この後恐ろしい未来が待っているのが分かっているからかなと思いながら読んでいましたが、実はページの上に、グレーのグラデーションが入っています。それが胸騒ぎのする怖さを醸し出していたと気がつきました。

すあま:読んでよかったと思いました。現代の戦争と過去の戦争が入れ子のように語られるところが、『パンに書かれた言葉』(朽木祥著 小学館)と共通していました。厳しい状況の中で、子どもだけががんばるのではなく、大人たちが助け合っていくところがよかったです。アーヤと友達になるドッティが魅力的。恵まれた家庭環境でアーヤとは対照的だけど、彼女は彼女なりに悩んでいることがわかってくる。また、アーヤがイギリスにたどり着くまでに何があったのか、読み進むうちに徐々に明らかになってくるのも、謎が解けていくようで読むのがやめられなくなりました。大変なことがたくさん起こってハッピーエンドとなりますが、子どもの本なので読後感がいいのは大事だと思います。ウクライナの問題が起きている今、子どもたちがシリアで起きていること、過去に世界で起きたことに関心をもってくれるといいと思います。本を読みながら、登場人物と一緒に体験をして、いろんな知識が得られたり、興味が深まったりするような本が好きです。

雪割草:とてもいい作品でした。フィクションこそ、現実を伝える力があることをあらわしていると思います。エディンバラに留学していたときに、シリアから避難してきた難民の家族にインタビューして、証言の翻訳について研究していたことがあったので、シリア難民のことを伝える作品を紹介したいと探していましたが、なかなかいい作品が見つからないままでした。この作品は、難民になるというのはどういうことなのか、戦争の体験やその影響による心の傷など、それぞれがよく描かれています。そして、主人公がミス・ヘレナと出会い、前に進んでいくことができるように、人との出会いが大きいことも伝わってきました。p. 261にもあるように、心の痛みをダンスで表現することを通し、「心の痛みに価値をあたえる」、その過程が美しく、リアルに、等身大で描かれていると思いました。

西山:『明日をさがす旅』(アラン・グラッツ作 さくまゆみこ訳 福音館書店)を思い出しながら読みました。ミス・ヘレナと主人公の背景も、『明日をさがす旅』と重なっているということは、多くのシリア難民に共通する体験なのだろうと思います。以前、シリアの難民支援をしている方が、内戦がはじまる前のアレッポの写真を見せて下さったのを思い出しました。都内の通りかと思うような町並みなんですよね。そういう近代的な町が破壊される。最初からがれきの街なのではないということはとても大事な認識だと思います。p.69に「あたしは難民として生まれたわけじゃない」という言葉もあるように、この作品は、内戦の前の日常も回想されて、最初から戦場や難民が存在するわけではないというあたりまえの基本をきちんと腑に落としてくれる。それに、クラシックバレエという切り口も、「難民」を貧しくて、文化的に劣っているイメージで捉える偏見を砕くのにとても効果的だったと思います。そして何と言ってもドッティがいい! おしゃべりで、よく失敗すると自覚しながら、アーヤに対してはらはらするほど率直に話しかけていく。例えば、p.195でドッティの豪邸に招いたとき「アーヤの家って、どんなだった?」なんて聞いてしまうのは、「ここでそれ聞く? 難民の子に?」と思ってしまいますが、ドッティのこの率直さがアーヤと対等な関係を拓いています。これは、日本のティーンエイジャーにとって、とても素敵なお手本になると思います。出会えてよかったです!

ニャニャンガ:イギリスに来てからの話と、シリアから逃れてきたときの話が交互に書かれているので、読者をひきつけるいい形式だと思いました。また、シリアからイギリスにたどりつくまでのページでは上部が黒くなっているのは象徴的に感じました。難民申請についての説明がていねいで勉強になりました。読んでいるうちに、アーヤを応援する気持ちになりましたし、読後感がとてもよかったです。バレエ教室の先生のミス・ヘレナ自身が経験して受けた苦悩が、アーヤのものと重なり、力になったことで前に進むきっかけとなり、安心しました。ただ、表紙がかわいらしくて内容とかみあわず読者を逃している気がします。また、一文に読点が多すぎる箇所があり読みにくさを感じました。

オカピ:とても好きな作品でした。英語圏でも難民をテーマにした本はたくさん出ていますが、読んでいてつらくなるような本も多いです。でも、この本が現実の厳しさを描きつつも、暗くなりすぎないのは、アーヤにはバレエという、すごく好きなものがあって、それに救われているからだと思うし、またドッティや年少クラスのちびっこの描写など、ところどころにユーモアがあるからでは。あと、「わたしたちは、誇りをもって傷をまとう」(p. 87)というミス・ヘレナのせりふもありましたが、難民をけして、一方的に助けられるだけのかわいそうな人たちというふうに描いてないのがよかった。バレエで自分の物語を語るというのが、ストーリーの中ですごく効果的に使われていますね。アーヤはたくさんの喪失を越えて、悲しみや痛みを力に変えます。そして新たな出会いの中で、自分の居場所を見つけていきます。ミス・ヘレナが「この世を去った人たちや、いまだに苦しみつづけている人たちとの約束をやぶることなく、生きていく方法はある」「約束を守る方法は、最初に思ったよりもたくさんある」(p. 262)と語るところなど、読んでいて胸がつまるような場面がいくつもありました。

ハリネズミ:とてもおもしろかったし、難民のことを身近に感じられるいい本だと思います。回想部分と、現在の部分でページの作り方を変えてありますね。回想部分では、アレッポでの中流階級の楽しい暮らしとそれが変わってしまった困難な状況が描かれ、現在進行中の部分では、ボランティアに頼っての英国の難民対応の問題や、バレエに心を向けることによって困難を乗り越えようとするアーヤの心情が描かれています。その2つが交互に出て来ることによって、物語が立体的に感じられます。でも、ごちゃごちゃにならないように工夫してあるんですね。それと、かわいそうにという同情や憐れみが、どんなに人を傷つけるかも書かれているのもリアルで、この作品の骨格がしっかりしていることを物語っています。ほかに日本とは違うなあと思ったのは、有名なバレエスクールのオーディションを控えた子どもたちが結構くつろいでいたり、ほかの企画を立てたりしているところ。ちょっと惜しいと思ったのは、最後がうまくおさまりすぎだと思えた点です。いじめていたキアラと和解し、三人とも入学が許可され、しかもドッティは新設のミュージカルコースに行けることになった(コース設置が決まっているのに知らなかったなんてあり得る?)うえに、パパまで現れる(これは空想かもしれないのですが)? もう一つ、ジェンダー的にちょっとひっかかったのは、p.91の「やっぱり女の子たちの得意技は、ペナルティーキックではなくビルエットだった」という箇所で、「女の子たち」一般ではなく「この女の子たち」だったらよかったのに、と思いました。訳の問題かもしれませんが。

アンヌ:最初は読むのがつらく何度も本を置きました。果てしなく待たされる難民支援センターで、主人公の少女に課せられた弟の面倒や母の通訳と看病等々を見て行くのは、つらくて。けれども、バレエ教室にふと足を踏み入れ、ドッティという友人もできるあたりから、ルーマ・ゴッテンの『バレエダンサー』(渡辺南都子訳 偕成社)や『トウシューズ』(渡辺南都子訳、偕成社)を読んできた身としては、どんなことがあろうともこの子は踊り続けるだろうと思えて読んでいけました。園内にシカのいるバレエ学校ってところは、絶対、ルーマ・ゴッテンへのオマージュですよね? それにしても主人公のたどってきた過酷な道程の記憶が、バレエの道が切り開かれていくにつれ、よみがえって来るというこの物語の仕組みは見事ですが、きつい。読みながら、今、難民として日本に辿り着いた人々も様々な道程を経てきているということを肝に命じておかなくてはならないなと思いました。最後にあっさりパパに会えたとしなかった作者の思いを、読者はあれこれ考えていく終わり方で、それも心に残って忘れさせない仕組みだなと思いました。

ハル:特にラストで胸を打たれて、この本に出合えてよかったなぁと思いますが、この本を子どもたちがラストまで読むには、これだけいろいろ工夫がされていてもなお、ハードルが高いかもしれないなぁと思いました。物語としては、ずっと意地悪だったキアラの心を「不安だったんだ」と気づかせてくれたところもとても良かったです。やはり、文化の違うところから来た人たちとか、難民への偏見をなくすには、まずは知ること、知ろうとすることが大事だったんだと気づかせてくれます。ふと、もしもアーヤが、真剣は真剣でもバレエの才能はまったくなかったら、ここまで道は開かれなかったのだろうかとか、ブロンテ・ブキャナンもアーヤが娘と一緒にレッスンを受けることを認めただろうかと思ってしまいました。その場合は、芸術の道は同情では開けないというお話になったのかな……それは、それで、別のテーマになるか。

エーデルワイス:総合芸術と言われるバレエをテーマにしたのは、世界中の人が同時に共感感動できるからなのですね。作者自身バレエが好きでバレエを習ったことがあるので、バレエレッスンなどの描写がよく伝わってきました。表紙、イラストには好みがあると思いますが、この表紙に惹きつけられて手に取った子どもたちが最後まで読み進めてほしいと願います。シリアのアレッポからコンテナ列車、トルコのイズミル、地中海を渡りキオス島、難民キャンプ・・・ロンドンに辿り着くまでの気の遠くなる程の長い道のり。その間主人公のアーヤはバレエのレッスンをしていなかったのにも拘らずバレエの才能を発揮するのですね。
昨年東京はじめ日本各地でウクライナのキエフ(キーウ)バレエ団のガラコンサートが開催されました。私は盛岡で観劇しました。前の列にはウクライナ人と思われる若い女性が数人ウクライナの国旗を掲げて応援していました。このガラコンサートはリハーサルをバレエ教室に所属している子どもたちに無料で招待して交流を図っていました。最近のニュースで知りましたが、コロナ禍で3年ほど延期されていたロシアバレエ団の東京公演開催には賛否両論があったそうです。芸術には罪はありませんが、ウクライナに侵攻攻撃しているロシアに対してはバレエ公演でも複雑な気持ちになります。

花散里:ドイツ、キューバ、シリアの難民の子どもたちが、それぞれの故郷を追われ、旅立った姿を描いた『明日をさがす旅』でも、日本の子どもたちに読み易いように工夫され編集されたことをお聞きしましたが、本書も〈注〉の付け方や回想の部分のページを工夫しているので小学校高学年の子どもが読むときに読みやすいのではと感じました。挿絵が助けになるのではないかとも思います。表紙裏の地図も難民として主人公が辿った道のりが伝わってきて、とても良いと感じました。
フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが8月20日の朝日新聞・読書欄の「ひもとく」、「戦争と平和3」に『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著 三浦 みどり訳 岩波現代文庫)などとともに本書を取り上げていて、一般書を読む人たちにも知ってもらえたのが良いと思いました。病弱な母親や小さな弟の面倒を見るヤングケアラーのようなアーヤが、バレエをするときに弟を預かってもらって、ほっとする場面など、心の機微が伝わってくるところも心に残りました。

エーデルワイス:作中に出てくるシリア出身のバレエダンサー『アハマド・ジュデ』の動画を観たんですけど、瓦礫の中で踊ってました。彼は、お母さんがシリア人で、お父さんがパレスチナ人なんですね。お父さんにバレエを反対されながらも意思を貫いて踊り続け、現在はオランダ国籍を取得しているそうです。

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しじみ71個分(メール参加):とても胸を打つ物語でした。どうしても「難民」という言葉で、戦争などでひどい目にあって、故郷を追われた「かわいそうな」人々というイメージを想起してしまいがちですが、この物語を読んで、「難民」という一つの言葉で人々をくくってしまうことがいかに乱暴なことなのかに気付かされました。「難民」という言葉は、ただ置かれた環境を指すだけなんだなぁと。母国からの過酷な逃避行の前には、温かな家庭や友だちとの楽しい時間、充実した学校や職業生活などが普通の人生があったんだ、という当たり前で、とても大事なことを思い出させてくれましたし、穏やかな日常や生命を暴力で奪い去る戦争がどれほど非人道的なものなのかを改めて実感しました。バレエを愛するアーヤがイギリスでバレエと再び出会い、第二次世界大戦でナチスの迫害を逃れてプラハからイギリスにやってきたバレエの先生、ミス・ヘレナと出会ったことにより、住む家を得て、難民申請もかない、バレエ学校にも入学でき、そしてパパを失った悲しみとも向き合いながら、生きる希望を見つけていくという物語展開に、読む人も希望を感じられます。アーヤと友だちになるドッティの存在もとてもよかったです。ドッティは明るく、物おじせず、「難民」だからという型にはまった考え方をせずに、アーヤに向き合い、友だちになろうとする姿がとてもさわやかでした。過酷な環境にある人を、腫れ物に触るようにしてアンタッチャブルな存在にしてしまうより、ときどきコミュニケーションに失敗しても、率直に突っ込んでいく方がいいんじゃないかとも思わされました。アーヤのトラウマやパニックの苦しさや、ドッティのミュージカル俳優になりたい思いと、有名なバレエダンサーの母の期待との間での苦悩など、少女たちのそれぞれの苦悩もとてもていねいに描かれていて、共感できました。尾崎愛子さんの翻訳は華美ではないのに、やさしく、ナチュラルで、胸にすとんと落ちる感じでした。原文は分からないですが、ミス・ヘレナの「わたしたちは誇りをもって傷をまとうの」という言葉がぐっと胸に迫りました。美しい言葉だと思います。こういう物語を読むと、日本の難民認定の率の非常な低さや、入管での痛ましい事件なども思い出されて胸が痛みます。

(2022年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

 

 

 

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せんそうがやってきた日

『せんそうがやってきた日』表紙
『せんそうがやってきた日』
ニコラ・デイビス/作 レベッカ・コッブ/絵 長友恵子/訳
鈴木出版
2020

『せんそうがやってきた日』(絵本)をおすすめします。

おだやかな日常の暮らしのなかに、戦争がやってきた。女の子はひとりで逃げる。そしてようやく難民キャンプにたどりつくが、そこにも戦争が追いかけてきて、女の子の心を占領してしまう。ふと窓の向こうを見るとそこは学校。女の子は入ろうとするが、いすがないと先生に拒絶されてしまう。ところが女の子が小屋で寝ていると、学校にいた子どもたちがいすを持ってきて、一緒に学校へ行こうと誘ってくれた。オリジナリティのある視点で、戦争が子どもの心身をむしばむ様子と、子どもたちが助け合う姿を伝えている。

原作:イギリス/7歳から/戦争、難民、学校、 友だち

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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私はどこで生きていけばいいの?

『私はどこで生きていけばいいの?』表紙
『私はどこで生きていけばいいの?』
ローズマリー・マカーニー/文 西田佳子/訳
西村書店
2018

『私はどこで生きていけばいいの?』(NF写真絵本)をおすすめします。

世界の難民や避難民の子どもたちの望みや不安を、写真と簡潔な文章で紹介する絵本。写真は、国連難民高等弁務官事務所が提供するもので、クロアチア、ハンガリー、ルワンダ、レバノン、イラク、南スーダン、ヨルダン、ギリシャ、ミャンマー、ニジェールなどで撮影されている。「『こんにちは。ここで安心して暮らしてね』と、笑顔でむかえてくれる人がいますように。あなたもそのひとりでありますように。」という、最後の場面に添えられた言葉に、本書の意図が集約されている。

原作:カナダ/8歳から/難民 子ども 旅

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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ようこそ、難民!〜100万人の難民がやってきたドイツで起こったこと

『ようこそ、難民』表紙
『ようこそ、難民!〜100万人の難民がやってきたドイツで起こったこと』
今泉みね子/著
合同出版
2018

『ようこそ、難民!』(NF)をおすすめします。

本書は厳密には事実に基づく創作だが、事実の部分が多いのでここ(NF)に入れた。ドイツに永住した著者が、難民とはどのような人たちで、なぜ自分の国を逃げ出さなくてはならなくなったのか、ドイツはなぜ難民を多く受け入れたのか、感情や理想だけでは進まないという事実、文化の違いから来る誤解、イスラム教徒もそれぞれに違うこと、難民がドイツになじむために行われている教育などについてもわかってくる。多様な視点が登場するのがいい。

11歳から/難民 ドイツ 多文化共生

 

Refugees, Welcome!

―When a Million Refugees Arrived in Germany

This book is not non-fiction in the strictest sense, but much of it is real, which is why it is included here. The author, a Japanese woman in Freiburg, discusses refugees. What sort of people are refugees and why did they have to flee their countries? Why did Germany recently accept so many refugees? What actions were taken by German people against them? Why can’t reality be sustained by emotions and ideals alone? What misunderstandings arose from cultural differences? What are the differences between the various adherents of Islam, and what was done to help the refugees learn German? She tackles the issue from various perspectives, giving readers the opportunity to think for themselves. (Sakuma)

  • Imaizumi, Mineko
  • Godo Shuppan
  • 2018
  • 176 pages
  • 22×16
  • ISBN 978-4-7726-1339-2
  • Age 11 +

Refugees, Germany, Multicultural society

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2019」より)

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シリアからきたバレリーナ

『シリアからきたバレリーナ』表紙
『シリアからきたバレリーナ』
キャサリン・ブルートン/作 尾﨑愛子/訳 平澤朋子/訳
偕成社
2022.01

『シリアからきたバレリーナ』をおすすめします。

11歳の少女アーヤは、内戦で故郷のシリアを離れ命からがら避難する途中、父親が行方不明になり母親は心身が衰弱してしまう。たどりついたイギリスでは、幼い弟の世話をしながら難民申請のために支援センターに通う日々。ある日音楽を耳にして吸い寄せられるように歩いていくと、そこはバレエ教室だった。アーヤは故郷でも夢中になっていたバレエをよりどころに、かつて難民だった先生にも支えられ、自分の居場所を見いだしていく。難民の少女の視点で紡がれた物語。
小学校高学年から

(朝日新聞「子どもの本棚」2022年02年26日掲載)

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明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち

アラン・グラッツ『明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち』表紙
『明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち』
アラン・グラッツ/作 さくまゆみこ/訳
福音館書店
2019.09

花散里:時代も場所もちがう3人の登場人物が、交互に語っていく物語ですが、各ページ上の柱に場所と年代が記されているのが、読んでいくときの助けになりました。ホロコーストの話は過酷で、この物語のヨーゼフの話も、読んでいていたたまれない思いでした。カストロ政権下のキューバから逃れる少女イサベル、内戦中のシリアで爆撃を受けて難民となりヨーロッパを目指すマフムード。それぞれ故郷を追われ、海路、陸路で困難に立ち向かいながら、やがて最後につながっていく構成の上手さに圧倒されて読みました。難民のことを取り上げている作品が多い中でも、特に印象深く感じました。日本の難民受け入れ問題を取り上げた『となりの難民』(織田朝日/著 旬報社)や、空爆が続くシリアの町で瓦礫の中から本を救い出し図書館を作った『戦場の秘密図書館』(マイク・トムソン/著 小国綾子/編・訳 文渓堂)などとともにブックトークなどで紹介して、ぜひ、日本の子どもたちにも読んでほしいと思いました。

サークルK:3人の主人公たちの置かれた立場、年代、環境は全然ちがうのに困難にあることだけは同じで、この次の展開はどうなるのだろう、と思うところで次の子どものエピソードにつながっていき、よく言えばリズミカルに、別言するとあわただしい感じがしました。後ろの地図をたどって、こんなに移動をしなければならなかったのか、家を追われて故郷を捨てなければならなかったのか、と納得できました。現代の読者は、2015年のスマホを持っているマフムードに共感しやすいように思いますが、彼を入り口にして、単なる年号と出来事でしかなかった歴史が共時的につながっていることを実感できると思います。2度と繰り返してはいけない戦争、ということをうまく伝えているなあ、と心を動かされました。

さららん:3人のエピソードが、ひとつずつ順番に終わるたび、私も展開がすごく気になりました。ヨーゼフ、イサベル、マフムードの話をつなげて、飛ばし読みしようと思ったけれど、作者の意図を尊重して我慢しました。3つの話は時間も場所もばらばらで、いったいどう絡み合うのか? という期待が最後まで続きます。どこが史実で、どこがフィクションか、迷いながら読み通したけれど、編集部による断り書き(p386)と「著者あとがき」を読んで納得しました。難民受け入れを拒むハンガリーの兵士は催涙弾を撃ち、沿岸警備艇はボートに乗ってマイアミ直前まで来た人々を捕らえて、キューバに送り返そうとする。今起きている現実は強く心に響き、よくぞ書いたと思いました。ストーリーを時系列に進めながら、主人公に過去の思い出を語らせる難民の物語はワンパターンになりがちだけれど、この本の、刻々と3つの「今」を伝える重層的な作品づくりはお見事。それが現在につながって山場を迎えるところに、物語の醍醐味を感じました。

木の葉:本自体も内容も重い本でした。ドイツ、キューバ、シリアの異なる場所の異なる時代の物語ですが、ベルリンに始まってベルリンで物語を閉じます。構成的にとてもよくできていると思いました。少し前に読んだ『三つ編み』(レティシア・コロンバニ/著 齋藤可津子/訳 早川書房)を思い出しました。同時代ですが、インド、イタリア、カナダの女性の視点で交互に物語が進みます。視点が変わることで、いいところ(悪いところ?)で次の視点に移ります。狙いはわかるのですが、少しストレスでした。銃口をつきつけられたところで章が切り替わっても、このあとも物語は続くので大丈夫、というのが前提で読んではいても、ちょっとあざといな、という気がしました。いろいろ考えさせられる物語でした。2015年は、ヨーロッパで難民が大きくクローズアップされた年で、そのことを思い出しました。ホロコーストをひきおこしたドイツがいちばん難民を受け入れています。どうしても、では日本は? と思ってしまいますが、あとがきの訳注でさりげなく日本の状況についての情報がフォローされています。日本の入国管理局の問題なども、作品化できないものだろうか、などと思うのですが・・・。ただ、若い頃にキューバ革命を熱い目で見ていたことのある立場からすると、ナチス、シリアと並列的に語られることが、なんだ切なく感じました。革命家と為政者とは違う、ということなのでしょうか。

ルパン:すみません、まだ3分の1くらいまでしか読めていないんです。でも、ここまでのところでいちばん印象に残ったのは、p92です。「どっちの側だ」と聞かれ、答え方をまちがえたら殺される、という緊迫した状況で、子どもが「爆弾を落とす人たちには反対です」と声をあげて、一家が救われる、というところ。場所と年代の違う3つの物語が交互に語られ、時系列が行ったりきたりするので読みにくいなあ、と思っていましたが、さっき花散里さんが「ページの上に場所と年代が書いてある」とおっしゃったので、「あ、ほんとだ!」と思いました。ここから先は読みやすくなりそうです。

まめじか:安住の地にたどりつけなかったヨーゼフがいて、友人を失い、祖父を残して上陸したイサベルがいて、妹と生き別れたマフムードがいて、その3人の人生がつながる構成です。現実に起きたこと、起きていることの厳しさがきちんと書かれていますが、ひとり助かったヨーゼフの妹が、何十年もたってからマフムードの家族を助けるなど、結末に希望があり、とても好きな作品でした。イサベルは新しい土地で、ずっと探していたキューバのリズムを見つけ、これからも故郷とつながっていくのでしょう。平澤さんの装画もすてきで、物語にぴったり。ただ、いかにも社会的なテーマを扱ったという感じの、お行儀のいい装丁なので、もう少しポップなほうが、子どもは手にとりやすいのでは? と思います。

ハル:まず、構成が見事だなと思います。最初に1938年のユダヤの少年の話からはじまり、すぐ2章に移ったかと思ったら、1994年のキューバの少女に飛ぶ。そこでハッとさせられ、さらにすぐ3章に移ると、今度は2015年のシリアの少年へ。ああ、第二次世界大戦で終わったと思っているような出来事、子どもが、もちろん大人もですが、故郷で安心して暮らせないような出来事が、今もまだ続いているんだと、一気に身近な問題として胸に迫り、終始、他人事ではないような思いで読みました。そしてやっぱり、子どもたちのたくましさ。難民たちの行進が始まる場面は、思い出しても胸が熱くなります。「著者あとがき」で、著者が〈あなたにもできること〉を提案してくれているところもありがたいです。「自分は何をどうしたいだろう」と考えるきっかけになります。内容も、ボリュームも、重たい本だけど、主人公たちと同じ世代の読者にもぜひ読んでもらいたいです。

西山:親切な本作りだなと思いました。目次を見て、一瞬混乱しないかと心配になったのですが、ページ上部の柱を見れば、すぐに「だれ・どこ・いつ」が分かるようになっている。気になったら、巻末の地図も見られる。ストレスなく読み進めました。キューバのイサベルのおじいさん「リート」が、ヨーゼフたちの船に関わっていたらしいということがだんだんと分かってきますが、だからといって、劇的な安っぽい再会にしなかったのに厳粛さを感じて好感を持ちました。シリアのマフムードのパートがあることで、現在進行形の今の問題なのだとより身につまされました。p30で、「あの子を助けないと」とつぶやいたマフムードは結局自分の身を守るために「見えない存在」になってその場を去ります。爆撃による破壊や、本当に生きるか死ぬかの危険性はもちろんだけれど、日々魂がそがれていくこういう傷つき方があるのだということが、胸に刺さり、また、今の日本に生きている子ども読者にとってもそれは知っている感覚で受け止めるのではないかと思いました。やめろって言えてこそ、健やかに生きていけるのだと思います。この、マフムードが、見える存在になる決意をしていきますね。「シリアでは、目立たない存在になることで生きのびてきたからだ。でも、マフードは今、ヨーロッパで見えない存在になると、それは自分にとっても家族にとっても死を意味するのではないかと思いはじめていた」(p262)と。それが、国境を越えようと歩く子たちの群像の表紙とひびきあって、今の世界への問題提起となっていると思いました。また、p130で物事は「変わっていくんだから」「待ってるほうがよかったんだ」と言っていたリートがp339で「世界が変わってくれるのを待っている間は、チャベラ、何も変わらないんだ。わたしが、変えようとしなかったからだ。もう同じまちがいは、二度としないぞ」と海へ飛び込む。ここに強いメッセージを受け取ります。

マリンゴ:さっき電車のなかで読み終わって、最後の章で泣いて鼻をぐずぐずさせていたので、時節柄、周りのひとに「こいつ風邪か?」という目でにらまれてしまいました(笑)。3つの強力な物語が折り重なってくるお話ですね。章の最後でたいてい何か悪いことが起きるので、だんだん章末に近づくのが不安になりました(笑)。3作が同時進行するので、登場人物が多いのが若干ややこしいですね。本の3分の1まで行ったあたりで、「リート」って誰だっけ、と最初までさかのぼって確認しました。でも、このリートが一番印象的な人物になりました。キューバでは傍観者だったのが、時を経て当事者になってしまう・・・読者も、これは他人の物語ではなくて、自分もいつか関わる物語なのかもしれないと考えながら読めると思います。帯に、この3作がひとつにつながることがにおわされているので、冒頭からいろいろ想像しちゃいました。最後みんなマイアミにたどりつくのかな、とか。そんなシンプルな形じゃなくてよかったです。ユダヤ人を迫害したドイツの人が、贖罪の気持ちもあって、シリアからの難民を受け入れる、という構図をなんとなく想像していたので、ラストで「ああユダヤ人に救われたのか」と意外に思ったりもしました。長いあとがきが素晴らしいですね。細かいところまで事実をすくい上げるおもしろさが伝わってきます。3つが絡まりあっているので、フィクション度が高いのだと思い込んでいました。あと、無気力になった人たちが何人も出てくるのが、印象的でした。精力的に立ち向かえる人ばかりではない。それがリアルさを感じさせました。

トマト:交互につづられる3つの物語が、それぞれ強い力を持っています。でも、どの話も危機一髪のイイところで中断されてしまうので、読んでいてかなりイライラしました。次にくる物語を飛ばして、同じ主人公の話だけを一気に続けて読んでしまおうかと思ったくらい。その気持ちを抑えるのが大変でした。いじわるな本ですよ。でも、しばらくすると、気にならずに読めるようになったのが不思議です。結局、読み終えてみると、この構成で良かったのかなあと思うけれど、ひとつの物語に一気に入り込める構成ではないので、よほど本が好きな子でないと途中でいやになってしまうのではないかと・・・。また、日本の多くの若い人は、ホロコーストのことは知っていても、キューバのことは知らないと思うので、知識不足と3つの物語が混在する複雑さが加わって、読み終えることが出来ないのではないかと。そこがいちばん気にかかります。表紙は、悪くない。いいと思います。

カピバラ:3つの時代、3つの国を舞台に、3人の話が入れかわり立ちかわり出てくるのが最初は読みにくかったけれど、同時進行で進む構成は、緊迫感を出すのにとても効果的だし、描写が具体的で目に見えるように書かれているので、臨場感もありました。最初から緊迫した状況が続き、つらいことがあまりに多く読むのをやめたくなるほどだったので、これを翻訳した訳者はさぞやつらい思いだったろうと推察します。それが最後にきて、3つの物語が決して別々のものではなく、すべてがつながっているとわかり、衝撃を受けました。そこで一気に、難民問題は現在進行形であることを感じさせる、うまい構成だと思います。いろんな人が出てくるけど、ひとりひとりの小さな決断が積み重なって、大きく歴史を変えていく不思議さ。ドラマチックなおもしろさも感じました。読者は高校生以上でしょうか。日本の子どもにぜひ読んでほしいけれど読書力が必要だと思います。

さくま難しいという声もあったのですが、原書の読者対象は9歳からで、アメリカではベストセラーになっています。日本ではこのページ数があるだけで小学生向きにはなりませんよね。日本語版は読者にわかりやすくという工夫を編集部でもいろいろしてくださっています。原書には挿画もないし、柱やカットもないのですが、多くの子どもたちが読んでいるようです。中学年の子がみんな読めるとは思いませんが、高学年や中学生だったら十分読めるのかと思います。そう考えると、日本の子どもがいかに長いものを読めなくなっているのか、ということでもあるような気がしています。
私も最初に読んだ時は、次々にこれでもか、これでもか、とつらい状況が出てくるなあと思いました。セントルイス号の話に出てくる警官がキューバから脱出する話に出てくるおじいさんだということもちゃんと意識できていませんでした。それがセントルイスという名前でつながるということがわかり、ルーティとマフムードがつながるということもわかって、感動して、翻訳したいと思ったのです。難民という共通項を持った3人の物語が並列されているだけかと思ったら、そうじゃなかったんですね。固有名詞はそれぞれの地域の専門家にカタカナ表記の仕方をうかがいました。訳すときはまず最初はこのとおりの順番で訳し、見直すときはそれぞれの人物の話に沿って流れを見ていきました。難民を、どこか別のところで起こっている出来事としてではなく、自分にもう少し近い存在として日本の子どもにも意識してもらえるような本があればと考えていたので、それには長いけどこの本はいいのではないかと思ったのです。
1つの章がはらはらどきどきさせるクリフハンガーの状態で終わり、別の人物の章に変わるというのはどうなのかと思ったのですが、訳しているうちに全体を通していくつかのキーワードがあるのもわかりました。たとえばマフムードは「見えない存在」になりたいというのがp30に出てきますが、次のヨーゼフの章でも「見えない存在」になったみたいだというのが出てきたりします。あと章から章への音のつながりみたいなものも感じました。
原文を読んでいて細かいところで疑問に思ったところもありました。たとえばヨーゼフがユダヤ人であることを示す紙の腕章をつけていたというところですが、紙の腕章というのは聞いたことがなかったので、ホロコースト教育資料センターの石岡さんにうかがってみたりしました。石岡さんがドイツの専門家にきいてくださって、この時代はまだ腕章は一般的ではなかったし、紙の腕章が絶対になかったとは言えないけれど今のところ聞いたことがないと言われました。最終的に著者に問い合わせたところ、「多くの資料にあたって書いたのだが、今はほかの作品を書いているので、どの資料だったのかということは今すぐ言えない。しかるべき団体に問い合わせて疑問があるなら「紙の」という部分を取ってもかまわない」と言われました。ユニセフについても、数字がちょっと違うと思ったので、日本のユニセフに問い合わせて少し変えたりもしました。それからキューバがとても悪く書かれているところは少し気になりましたが、お父さんが逮捕されそうになっているのを子どもの視点で見ているので、そこはそのままにしました。家族の問題にしろ、家が破壊されたにしろ、社会の抑圧があったにしろ、子どもは翻弄されてしまうんだと思いました。何か疑問やおかしいところがあったら、直しますので教えてください。

西山:p47の3行目「見ててくれたといいんだけど」は、ひっかかりました。あと、p173ほか何か所かで、おぼれないように「足をける」という表現が使われていますが、私は違和感を覚えます。どういう動作かはちゃんとわかりますが。「水をける」という表現も使われているので、使い分けがされているのかとは思いますけれど。

さくま:ありがとうございます。考えてみます。

花散里:イザベルの物語の中でパピ(お父さん)、リート(おじいちゃん)というのが、最初に記されている(p21)だけだったので、その後、読み進みながら、パピは名前? リートは? と、何度か前のページをめくり返しました。セニョール・カスティージョ、セニョーラ・カスティージョというのも、ページが進むと、父親とか、お母さんの、とか記されていなくて、子どもにはわかりにくいのでは、と感じました。

さくま:なるほど。

トマト:この作品は、アメリカでは中学年以上向きに出版され、売れているんですか! 日本の子どもは、移民問題を身近に感じていないから読めないのでしょうか。

さくまテーマが何にしろ、日本では300ページ超えると出版がむずかしいと言われます。アメリカとかドイツとかだと小学校高学年向きくらいから、この本に限らず厚い本がたくさん出てるんですけどね。漢字の難しさもありますが、日本の子どもの読解力、読み取って考える力も落ちているかと思います。

トマト:母国語が英語ではない家庭が多いニューメキシコ州で、school librarianをしている友人を訪ねたときのこと。そのときはブッシュ政権だったのですが、学校が国の要請を受け、英語が苦手な子ども向けの読書指導をしていました。朝や放課後に、教師全員がそれぞれ少人数の班を受け持ち、絵本を読み合う授業なのですが、そのプロジェクトに取り組む学校には、学校図書館用にかなりの額の予算をつけてくれると言っていました。その結果、学校全体で読書指導を活発に行えるというわけです。国が、学校教育の中で、読書の授業を大切にしているという点が、日本と違うと感じました。

さくま:それと日本では国語の教科書に載っているのは短い文で、先生が独自に1冊の本を選んで生徒たちみんなで読み合うなんてことも、ふつうは出来ない。だから長い本を丸ごと読むことなしに大人になる場合もあるわけです。でも、アメリカとかドイツでは、長い本をクラスで読んで、それについて討論するということをやっていますよね。文学は正解を追い求めなくて住むので、多様な意見を受け入れることにつながっていくから、日本でもやればいいと思うんですけどね。

木の葉:「今の子どもは」、と思いすぎのような気もします。小学生でも、読む子は読むと思いたいです。思い切って手渡してみてもいいのかも。読み通せたら自信になるのではないでしょうか。

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エーデルワイス(メール参加):緊張感あふれる内容ですがとても読みやすかった。国も年代も違う3人の主人公とその家族が過酷な旅をしますが、読んでいて移動を一緒に体験しているように思えました。つらい場面が多く、どうなるかとハラハラしながら最後まで読み通しました。イラストも効果的で、多くの人に読んでほしいと思います。ドイツ兵が、ヨーゼフとルーティのどちらかを選べと母親に迫るところでは、映画「ソフィーの選択」を思い出しました。シリアからドイツに逃れたマフムードが年をとったルーティと会う場面は感動的でした。

(2020年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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しあわせなときの地図

『しあわせなときの地図』表紙
『しあわせなときの地図』
フラン・ヌニョ/文 ズザンナ・セレイ/絵 宇野和美/訳
ほるぷ出版
2020.10

『しあわせなときの地図』をおすすめします。

戦争のせいで生まれ育った町を離れ、知らない国に逃げて行かなくてはならなくなった少女ソエは、地図を開き、楽しい時をくれた場所を一つ一つ思い起こしては、そこにしるしをつけていく。幸せな思い出が、生きていく力をあたえてくれることを伝えるスペインの絵本。コロナ禍にある今だからこそ、さまざまな状況の子どもたちに思いを馳せてみたい。(小学校低学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年11月28日掲載)


暮らしていた町を戦争で破壊され、外国に逃げなくてはいけなくなった少女ソエは、机に町の地図を広げて、楽しい思い出がある場所に印をつけていく。自分の家、祖父母の家、楽しかった学校、わくわくしながら想像力をふくらませていた図書館や本屋、いっぱい遊んだ公園、魔法のスクリーンがある映画館、川や橋……。楽しかった体験を、これから避難していく場所での力にしようとする少女の心の内を、やさしいタッチの絵で表現している。最初の見開きと最後の見開きの対比が多くを伝えている。

原作:スペイン/9歳から/戦争、難民、思い出

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

 

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わたしは女の子だから〜世界を変える夢をあきらめない子どもたち

『わたしは女の子だから』表紙
『わたしは女の子だから〜世界を変える夢をあきらめない子どもたち』
ローズマリー・マカーニー、ジェン・オールバー、国際NGOプラン・インターナショナル/文 西田佳子/訳
西村書店
2019.03

『わたしは女の子だから〜世界を変える夢をあきらめない子どもたち』をおすすめします。

私は、教科書的に教えようとする本はあまり好きではないので、この本も最初は敬遠していたのだが、読んでみたらなかなかよかったので紹介したい。

ネパール、ジンバブエ、パキスタン、フィリピン、南スーダン、ウガンダ、ペルー、カナダと、世界のさまざまな国で暮らす女の子たちが、自分が抱えている問題をそれぞれに語っていく。

例えばネパールのアヌーパは、貧困な家庭に生まれ親が借金をしていたので学校に行けず、7歳で奴隷のようなカムラリになる。そして8年間家事労働を毎日させられたあげく、解放されて国際NGOの支援を受け、起業家になる勉強をして、動物用医薬品店を経営している。南スーダンで生まれたキャスリンは、両親が留守の間に近所で銃撃戦が始まり、弟たちを連れて200キロも歩いて国境を越え、ウガンダにある難民キャンプまで逃げる。今はそこで弟たちの面倒をみながら、両親と再会できる日を夢見ている。

ここに出て来る国際NGOとは、プラン・インターナショナルという団体で、世界の女の子たちが、十分な食事をあたえられずに家事労働をさせられ、10代で結婚・出産させられ、収入も発言権もない状態におかれている現状を変えようとしている。

ちなみに2018年の男女平等ランキングを見ると、日本は149か国中110位で、世界平均よりはるかに下だ。この本に登場する国をこのランキングで調べても、日本より下にあるのは、148位のパキスタンだけである(南スーダンはこのランキングに含まれていないが、あとは8位のフィリピンから105位のネパールまですべて日本より上)。つまり私たちの国は、衛生面や教育面ではましかもしれないが、女の子たちが不自由な概念や労働条件などに縛られているという点では、この本に登場する少女たちと共通する問題も抱えている。

ところで、本書は原書のレイアウトをそのまま使っているらしく、横書きの文章がずっと続く。私は日本語は縦書きのほうが読みやすいとおもっているのだが、若い世代は横書きの長い文章にも抵抗はないのだろうか。

(トーハン週報「Monthly YA」2019年6月10日号掲載)

キーワード:少女、貧困、難民

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故郷の味は海をこえて〜『難民』として日本に生きる

『故郷の味は海をこえて』表紙
『故郷の味は海をこえて〜『難民』として日本に生きる』
安田菜津紀/著・写真
ポプラ社
2019.11

『故郷の味は海をこえて〜「難民」として日本に生きる』をおすすめします。

日本は難民受け入れ数がとても少ない。それでも、戦争や人権侵害によって命が危うくなり、日本に逃げて来る人はいる。その人たちを、同じ人間として迎えるにはどうすればいい? 著者は、シリア、ミャンマー、バングラデシュ、ネパール、カメルーンなどから逃げて来た人に会い、彼らの故郷の味をふるまってもらいながら、どうして日本にやって来たのか、どんな苦労があるのかなどを聞き出していく。子どもにも親しめる料理や飲み物を入り口にして、難民について考えることのできるノンフィクション。(小学校高学年から)

(朝日新聞「子どもの本棚」2020年1月25日掲載)

キーワード:難民、多様性、食べ物、ノンフィクション

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明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち

アラン・グラッツ『明日をさがす旅』(さくまゆみこ訳 福音館書店)表紙
『明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち』
アラン・グラッツ/著 さくまゆみこ/訳
福音館書店
2019.11

この本の主人公は3人。ヨーゼフと、イサベルと、マフムード。ドイツのベルリンに住んでいたユダヤ系のヨーゼフは、ナチの迫害を受けて、1939年にハンブルク港からキューバ行きのセントルイス号に乗り込む。キューバのハバナ郊外に住んでいたイサベルは、政権に反抗する父親が逮捕されそうになり、1994年にボートでアメリカを目指す。シリアのアレッポに住んでいたマフムードは、2015年に空爆で家が破壊され、難民を受け入れてくれるはずのヨーロッパに向かう。

時代も場所も異なる3人の難民の子どもたちの物語ですが、やがて彼らの運命の糸が思いがけなくも結びついていきます。私たちの想像を超えた危険や迫害にさらされ、恐怖に脅えながらも、子どもたちは、明日への希望を失わず、居場所をさがし、成長していきます。歴史的事実を踏まえたフィクションです。

時間・空間が交錯するのですが、グラッツのストーリーテラーとしての腕がすばらしい。読ませます。

(編集:水越里香さん 装画:平澤朋子さん 装丁:森枝雄司さん)

 

***

<紹介記事>

・「朝日新聞」(子どもの本棚)2019年12月28日掲載

今、地球上にはふるさとを追われ命の危険も覚悟で国外へ移り住まなくてはならない人たちが大勢いる。この物語には、そういう状況にありながらも希望を失わずに生きていく子どもたちの姿が描かれている。ナチスの迫害からのがれるユダヤ人の少年。カストロ政権下のキューバからアメリカに向かう少女。内戦中のシリアからヨーロッパを目指す少年。同時進行でつづられる三つの物語が最後のほうでつながるところが圧巻である。難民問題を考えるきっかけにしたい1冊。(アラン・グラッツ作、さくまゆみこ訳、福音館書店、税抜き2200円、小学校高学年から)【ちいさいおうち書店店長 越高一夫さん】

 

日本にも続く「難民の道」

(ふくふく本棚:福音館書店)

安田菜津紀さんエッセイ「難民』

 

 

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風がはこんだ物語

ジル・ルイス『風がはこんだ物語』さくまゆみこ訳 あすなろ書房
『風がはこんだ物語』
ジル・ルイス/著 ジョー・ウィーヴァー/絵 さくまゆみこ/訳
あすなろ書房
2018.09

小さなボートでふるさとを脱出する難民たちの物語。その難民のひとりラミがバイオリンを弾きながら語る「白い馬」の話が中に入っています。「白い馬」というのは、モンゴルの昔話、あの『スーホの白い馬』に出てくる馬です。馬頭琴の由来を語るあの物語が、難民たちに勇気をあたえ、希望の灯をもちつづける力になってくれます。

ジル・ルイスは獣医さんでもあります。どこかで知った馬頭琴の物語に心を動かされて、この作品を生み出したのでしょう。私も、今から十数年以上前に、当時外語大でモンゴル語を教えていらっしゃった蓮見治雄先生に会いに行き、もとになったモンゴルの伝承物語について教えていただいたことがあります。その時日本ではスーホとされている名前は言語の発音ではスヘに近いとうかがいました。ジル・ルイスの原文ではSukeになっています。この本では、みなさんが知っている「スーホ」を訳語としました。

じつは、私も赤羽末吉さんの絵に慣れ親しんでいたので、原書の絵には違和感があり、文章の権利だけ購入してはいかがでしょうか、とあすなろさんには申し上げたのですが、画家さんもこの本の絵で受賞なさっているのでそれはできないとのことでした。こうして出来上がってみると、これはこれでいいのかな、と思えたりもします。
(編集:山浦真一さん 装丁:城所潤さん+大谷浩介さん)

 

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