日付 2015年9月17日
参加者 アカシア、レン、アンヌ、レジーナ、ルパン
テーマ 子どもと出会う不思議な生きもの

読んだ本:

『大江戸妖怪かわら版1、2〜異界から落ち来る者あり 』
香月日輪/著   講談社   2011

版元語録:三ツ目や化け狐たちが平和に暮らす、おだやかな魔都「大江戸」。かわら版屋の少年・雀は、この町に住むたったひとりの人間だ。面白話を求めて奔り回る雀のところに「人間を拾った」との一報が。おかっぱ頭の童女が、人間の住む異界から落ちてきたというのだ―。朗らかな妖怪たちの姿を鮮やかに描いた、優しい人情噺。


『あまねく神竜住まう国 』
荻原規子/著   徳間書店   2015.02

版元語録:伊豆に流され命もねらわれている頼朝は、笛の名手、草十郎や舞姫の糸世達の助けをえて、土地神である神竜と対峙し、呪いを断ち切る中で伊豆の地に根を下ろしている。「風神秘抄」続編。


『緑の精にまた会う日 』
リンダ・ニューベリー/著 野の水生/訳 平澤朋子/挿絵   徳間書店   2012.10
LOB by Linda Newbery, 2010
版元語録:英国の自然の象徴「グリーンマン」の伝説と民間伝承の妖精「炉端のロブ」をもとに、神秘的な存在と、都会に住む少女のふしぎなめぐりあいを描く物語。ガーディアン、カーネギー両賞のノミネート作。小学校高学年~。


『大江戸妖怪かわら版1、2〜異界から落ち来る者あり』

香月日輪/著
講談社
2011

アンヌ:1巻ではこの世界の仕組みが破たんしていて、2巻でそれを補っているので、余力のある方は、2巻を読んでくださいと提案しました。私自身は、おもしろくて7巻まで読んでしまいました。主人公のかわら版屋の雀という少年が、この不思議な世界のおもしろさや美しさを言葉で描いて見せるという物語で、この作者特有の食べ物についての場面も多数あり、主人公が夢中になって食事をとり、活き活きと生きていく糧とするところなど、好感を持って読みました。ただ、主人公の年齢設定が気になりました。15歳で、現実世界ではそれなりのワルだったという設定。それにしては、幼すぎる気がしました。それなのに、江戸時代からこの異界に落ちてきた人間の女の子の場面では、あまり勉強もしてこなかったような現代人の雀が、江戸時代の商家のお店事情を知っている。その他の登場人物も、外来語や現代語を何の疑問もなく理解している。少しご都合主義的だと思いました。雀が、妖怪や魔人等の異形の者に出会った時の恐怖も、2巻にならないと書かれていないので、読者にとっては1巻だけでは、この世界を想像しにくいと思います。

レジーナ:私の勤め先の中学校の生徒にもよく読まれています。若い読者がさっと読むのにはおもしろいのかもしれませんが、台詞が多いエンタメで、児童文学として読むと、何度もひっかかりました。15歳の雀が妙に幼く、お小枝の言葉づかいも不自然です。6歳の子どもが「ありがとう、桜丸。嬉しい!」と言ったり、鰻を食べて「うん、ふかふか! お口でとろけそう」なんて言ったりするでしょうか。口から紙を出すキュー太をはじめ、登場人物はマンガっぽいですね。百雷がゲームのキャラのようだと、雀が言う場面がありますが、まさにその通りで、たとえば雪坊主という登場人物についても、詳しい説明がないのでイメージできない。カフェがあり、魔人や化け鳥がいる江戸という場所についても、はっきりと心に描けない。虹のような蜃気楼も、よくわからなかった。百雷が地虫を捕まえる場面で、百雷が追っていた事件は、結局何だったのでしょうか? 江戸ならではの言葉遊びがあり、子どもが読んでわかるのだろうかと思っていたら、巻末に用語解説がありました。私が読んだのは講談社文庫の初版ですが、2巻の用語解説も1巻と同じになっています。

レン:今月の課題の本でなかったら手にとらなかったと思います。この手の本は慣れていなくて。「ふーん、こんなふうに書くのか」と珍しがって読みましたが、どう判断したらよいのかわからない感じでした。中学生は、こういうのだと手にとる気になるのかなあ。文体として、台詞が多いですね。台詞で物語が進んでいくところがマンガみたいでした。地の文は必要最小限で、マンガの絵で表されている部分を文字化しているような感じ。長音の使い方など、文字づかいも漫画的。体現どめが多くて、案外漢字が多いですね。最初は、江戸時代の話かなと思っていたら、読んでいるうちに違う世界の話だとわかって、変だと思うところもあるけど、この手のエンタメはこういうものかと思って読みました。先日ある編集者が「1000冊読むと、子どもの本が分かる」と先輩に言われたという話を聞きましたが、もっと幅広く読まないといけないと思いました。翻訳の講座で、関西出身の人に、「絵本を標準語で訳すのに違和感がある」と言われたことがあるけれど、この作者は和歌山の方。関西人なのに江戸の言葉で書くというのは、本当にこの世界が好きなんだなと思いました。自分の世界があるというのはいいことですね。

アンヌ:江戸言葉は、落語や時代劇、歌舞伎などで、音として残っているから、作りやすかったと思います。

アカシア:ひと昔前はテレビでも時代劇をしょっちゅうやっていたから、この作者の年代だとそういうものを見ていて、なじみがあったのかもしれませんね。それに今、エンタメ界は江戸ブームなので、結構読み慣れているのかもしれません。

ルパン:『妖怪アパート』を読んだことがあるのですが、そのときは児童文学とは思いませんでした。この作品も、エンタメとしてはよくできていると思います。挿絵がないけど、情景が浮かんでくるし。なにか、台本っぽい感じもしますね。短く、ポンポンせりふが進んで、テンポがいいと思いました。スピーディーで、畳み掛けるようで、江戸っ子っぽさが出ています。もったいなかったのは、6歳の子らしくないせりふとか。まあ、エンタメだと思って、リアリティは気にしなかったんですけど。子どもらしくなくて、作者の顔がかいま見えちゃうところが残念でした。

アカシア:雀は、幼いかと思うと老成している部分もあって、キャラとしてちょっと不安定ですね。

ルパン:「子どもは〜」と言っているのは誰なんだろう、とか…ところどころ違和感がありましたね。でも、「妖怪の目から見たら人間が異端」という着想はおもしろいと思いました。

アカシア:いろんな妖怪が登場しますけど、百鬼夜行絵巻とか鳥山石燕の妖怪の絵とか、小松和彦監修の『日本怪異妖怪大事典』(東京堂出版)なんか見ると、もっとおもしろいのがいっぱいありますよね。妖怪ならではのおもしろさのディテールがもっと伝わってくるといいのにな、って思いました。そういう意味では物足りなかった。それから、2巻目では1巻目より前の雀の過去が語られて、それから1巻目が終わった後になるわけですが、どこが境目なのかよくわかりませんでした。また、雀の過去がいったいどういうものなのか、あんまりよくわからない。だから後書きで「雀の成長」って言われても、とってつけたような感じがしました。それと、この作品では雀は現代の人間世界から江戸時代の妖怪世界に移動し、小さい女の子は江戸時代の人間世界から江戸時代の妖怪世界に移動してますけど、この物語の中のきまりごとってどうなってるんでしょうね。もっと後の巻を読むとわかるんでしょうか? 日本語としても「相撲をとったり甲羅干しをしている」(p40)など、気になるところがありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年9月の記録)


『あまねく神竜住まう国』

荻原規子/著
徳間書店
2015.02

アンヌ:この本を読んで、自分はなんて、頼朝について知らないのだろうと思いました。『風神秘抄』(徳間書店)の続きなのだと知り、そちらも読んでみました。ストーリーとしては、伊東で捕虜生活を送る少年頼朝が、土地神の人身御供になる運命を逃れて、鎌倉幕府を作る青年となっていく、というもので、明るさのある終わり方や、途中で村娘や白拍子に化けて、舞台で鼓を打つ羽目になるところなど、ユーモアのある冒険談はとてもおもしろく読めました。けれども、肝心のファンタジーの仕組みの部分が、もう一つ釈然としませんでした。2匹の龍と、2匹の蛇というこの物語の根底にあるファンタジー要素がうまくかみ合っていない気がします。もう少し、龍の踊りの意味を頼朝自身が言葉にして語ってくれたら、読者もわかりやすいのじゃないでしょうか? 蛇との闘いについても、万寿姫が変化した方と闘うのは、本当は草十郎の仕事なんじゃないか、いいのか頼朝?と、思ってしまったので。『梁塵秘抄』の選び方は、わかりやすくて、うまいと思いました。こういう物語の中で、読者が、少し古典の詩歌に触れて、調べたり、心の片隅に歌が残っていったりするというのは、いいなと思います。

ルパン:古典ファンタジーって、食わず嫌いで今まで読んだことがありませんでしたが、楽しく読めました。ただ、あとがきに行き着くまで、独立した話だと思っていました。終わり方が唐突で、あれ?と思ったのですが、前作を読んだ人にはわかるのでしょうか。単発の話として読むと、なぜ頼朝が主人公なのか、よくわかりませんでした。頼朝って、ダーティなイメージのはずですし。

アンヌ:『風神秘抄』では、頼朝は早々に草十郎とはぐれてしまって、物語の中に出てきませんでした。同じ登場人物が出てくるわりに、こちらの物語では『風神秘抄』の烏の王国のようなファンタジー要素や、はっきりした展開のおもしろさがありませんでした。曖昧模糊とした頼朝の意識のせいでしょうか。

レジーナ:いとうひろしさんの表紙画は、物語の雰囲気によく合っていますね。上下に2本延びた赤い線も、大蛇を表しているようで、センスを感じます。荻原さんは、伊豆という土地や、そこにまつわる歴史をよく調べた上で、矛盾なく丁寧に書いていらっしゃいます。ただ全体的にぼんやりした印象です。闇の中で竜と対峙する場面は物語の中で重要な部分ですが、少し盛り上がりに欠けます。自分のせいで周りの人が不幸になると思っている頼朝は、ぼんやりした性格で、あまり印象的な主人公ではありませんでした。

レン:つくりとして、袖にも「続き」とは書いていませんよね。読者には、わざと言わないようにしているんですね。途中までしか読んでこられませんでしたが、いつもながら端正な文章に魅せられました。

アカシア:作家ってどの方もそうなのかもしれませんけど、書けば書くほど文章がどんどんうまくなっていく気がします。私はじつは、他の人から「期待してたけどイマイチだった」と聞いていたので、逆に期待せずに読みました。なので、とてもおもしろかった。歴史上の人物って、教科書に出てくるだけだと無味乾燥でつまらないんですね。だから、こんなふうに生き生き書いてもらうと、イメージがいろいろ湧いてきていいなって思うんです。義経のほうはいろいろな形で物語になってみんながよく知っているけど、それに比べて頼朝は人間としてつまらないキャラ。それを敢えて取り上げ、しかも資料があまりない伊豆に流されていた頃を、想像力をふくらませながら書いてます。冒頭に登場する頼朝は、肉体的にも精神的にもとてもひ弱ですが、最後には自分を客観視し、意志をはっきりもち、死んだ姉の万寿姫の化身である大蛇とも対峙できるようになっていく。そういう意味ではおもしろい成長物語になっていると思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年9月の記録)


『緑の精にまた会う日』

リンダ・ニューベリー/著 野の水生/訳 平澤朋子/挿絵
徳間書店
2012.10

アンヌ:妖精も妖怪も、その土地に根差したものとして考えられているのに、この物語のロブさんは、野菜畑が潰されると、道に出て歩き出します。こんな風に、新しい場所へ出かけて行く妖怪は、宮沢賢治の『ざしき童子のはなし』(宮沢賢治全集8 ちくま文庫 他)くらいしかないなと思いながら読みました。道中の冒険談も、捕まえて利用しようとする人が現れたり、川に投げ捨てられたり、なかなかハラハラさせられておもしろかった。ルーシーがロブさんを待ちわびて、その存在を否定したり、ロブさんの美しいコラージュを作り上げていくところなど、失恋が人を詩人にしたり芸術家にするという作用のようで、作者はとても魅力的に書いているなと思いました。ロブさんがまっすぐルーシーのもとに現れるのではなく、市民農園のお隣さんのところにいるという結末もさりげなくて、いい感じでした。死と再生を繰り返すこの地球という場所で、妖精と共存する魅力を伝えた物語だと思いました。

ルパン:私はロブさんの設定がよくわかりませんでした。見える人には見えるけど、見えない人には見えない…?おじいちゃんとルーシーにだけ見えるんですよね。あと、ロブは素早く移動したり消えたりできるのに、閉じ込められたり、ちょっとつじつまが合わない気がしました。あと、「グリーンマン」というものがよくわかりませんでした。

アカシア:グリーンっていうのは、イギリスでは妖精の色なんですよね。で、妖精っていうのは、いると信じている人にしか見えないんじゃないですか。

レン:私もそこでひっかかりました。神出鬼没だから、どこでも通れるのかと思ったら、ふたが閉められていると出られないんですよね。物質的に存在するってことですか? 体積がある、ということですよね。

ルパン:服も着ていますよね。フランキーが心配しているように、転んだりするし。でも、不死身。見えないだけで普通の人と変わらないとすると、矛盾する点がたくさんあります。

アカシア:旅をしていなくなったから、見えないのでは。

ルパン:「見える者」と「見えない者」の線引きががはっきりしないんです。

アカシア:『妖精事典』(キャサリン・ブリッグズ著 冨山房)を見ると、ロブはブラウニーの一種だって書いてあります。だから場所は移動するんでしょうね。イギリス人は妖精が好きで文学にもよく登場するし、妖精を撮った写真がまことしやかに出回ったりもしますよね。ここでは、いい人間だけに見えるわけじゃなくて、存在を信じている人になら見えるっていう設定になってるんだと思います。

レジーナ:以前、作者のホームページを見て、気になっていた作品です。日本語版は平澤さんの表紙画で、子どもが手に取りたくなるような表紙ですね。フラワーショーの場面は、女王様と庭という要素が、いかにもイギリスらしいですね。話の筋はシンプルで、絵本にもなりそうです。ストーリーがシンプルな割に、小さい子どもが読むには長めなので、大人が読み聞かせてあげるといいのではないでしょうか。

レン:表紙からして、最初に手に取りそうな本ですが、ちょっと物足りなかったです。ルーシーがおじいちゃんをなくし、おじいちゃんが住んでいた家もなくなったあと、ロブさんのことを思いつづけて、最後に市民農園で再会するというのは、よかったなと思いました。でも、ルーシーが喪失感をのりこえていったり、成長するところがが描かれるていると期待して読んだんですが、出会ってそこでおしまいという感じ。喪失感はどう決着がつくのだろうと、ちょっと期待はずれで残念でした。ネイティブの読者には、グリーンマンが歩くという冒険だけでも、おもしろいのかもしれませんが。

アンヌ:いろいろな人が、見たり、匂いを感じたり、声を聞いたりして、様々な感覚で、この妖精の存在を感じるところもおもしろいと思いました。

アカシア:妖精っていうとティンカーベルを思い浮かべる人が多いけど、さっきの『妖精事典』を見ると、日本なら妖怪の類に入りそうなものもたくさん出てきますね。自然の中にいるものはむしろ、かわいらしくはないかも。
 おじいさんが亡くなった後、ルーシーのところにすぐ行くのかなと思ったら、そうじゃなくて、星の王子さまみたいに、いろいろな種類の人間と出会って旅をする。そこが私はおもしろかったです。いつルーシーに会えるんだろうと、やきもきしながら読みました。ルーシーはロブさんに会いたいとずっと思っているけど、ロブさんのほうは妖精だから、なんとなくそっちの方には向かうけど、べつに会いたいわけでもない。そこもおもしろいと思いました。結局ロブさんは、ルーシーのもとへ行くのではなく、市民農園の、目の見えないアフリカ系のコーネリアスさんのところに落ち着く。えっ、ルーシーには会えないで終わるのかな、と思うと、最後の最後でうまく会えるように持って行く。その流れもうまいと思いました。私は子どもが読んでもおもしろいと思いましたが、妖精が両義的でとらえがたい存在だということを知らない日本の子どもには、わかりにくいでしょうか?

レン:タイトルはネタばれですね。

アカシア:だけど、会えると思わせておいて最後の最後になるまで会えないから、これでいいんじゃないかな?

アンヌ:ロブさんが歩き出すのは、ロブさんの本能と同時に、自分を求めるルーシーの声を聞いたからだと思えます。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年9月の記録)