作者別: sakuma

2018年09月 テーマ:私を変えた出会い

日付 2018年09月18日
参加者 アンヌ、オオバコ、カピバラ、コアラ、しじみ71個分、すあま、たぬき、西山、花散里、ハリネズミ、ハル、マリンゴ、レジーナ、ルパン、(エーデルワイス)
テーマ 私を変えた出会い

読んだ本:

茂木ちあき『空にむかってともだち宣言』(課題図書)
『空にむかってともだち宣言 』
茂木ちあき/作 ゆーちみえこ/絵   国土社   2016.03

<版元語録>ミャンマーから転校生がやってきた。あいりはすぐにうちとけてなかよくなるが、給食のときにちょっとした事件が起きて…。それをきっかけに、クラスみんなで「アジアのご近所さん」ミャンマーのことや、日本にくらす難民についても学び始める。


デボラ・エリス『九時の月』
『九時の月 』
デボラ・エリス/作 もりうちすみこ/訳   さ・え・ら書房   2017.07
MOON AT NINE by Deborah Ellis, 2014
<版元語録>LGBTとは、恋とは、愛とは。革命後のイランを舞台とした、愛し合う二人の少女たちの悲しい運命を描く実話を基にした物語。


ジョン・ボイン『ヒトラーと暮らした少年』
『ヒトラーと暮らした少年 』
ジョン・ボイン作 原田勝訳   あすなろ書房   2018.02
THE BOY AT THE TOP OF THE MOUNTAIN by John Boyne,2015
<版元語録>ドイツ人の父とフランス人の母との間に生まれた少年ピエロは、パリで暮らしていた。しかし、相次いで両親を亡くし、叔母のベアトリクスに引き取られることに。住み込みの家政婦をしているベアトリクスの勤め先はベルクホーフ。それは、ヒトラーの山荘だった。7歳の少年ピエロは、期せずして総統閣下と寝食を共にすることになる。ヒトラーにかわいがられたピエロは、その強いリーダーシップに惹かれ、彼を信じ、彼に認められることだけを夢見て、変わりはじめた・・・・・・

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ジョン・ボイン『ヒトラーと暮らした少年』

ヒトラーと暮らした少年

カピバラ:純粋で無垢な少年の心情、周りの人々の人物描写が巧みで、次々と場所が変わるけれど情景描写もうまく、まるで映画を見ているようにおもしろかったです。後半、次第にヒトラーに心酔していくのですが、どんなところに惹かれたのかという部分が描き切れていないと思い、そこは少し物足りませんでした。だから唐突に変わっちゃった気がしました。最後にアンシェルと再会するところに希望が感じられてほっとしました。最初にアンシェルとの仲良しぶりがほほえましく描かれているところが、伏線としてここで生きてきます。物語として納得のできる終わり方でした。ベルクホーフは本当に美しいところだったようで、絵本作家ベーメルマンスの伝記にも、少年時代に暮らしたこの土地の美しさが出てきます。時々山の家にヒトラーが来て、人々が興奮する様子もありました。美しい場所だけに、そこで行われていることの恐ろしさが際立っており、その対比もうまいと思いました。

ハリネズミ:『九時の月』を読んでいる時と違って、翻訳にいらだつことなく、すーっと物語の中に入っていけました。文学作品は、こんなふうにていねいに訳してほしいと思います。原作もいいのでしょうが訳もいいので、登場人物がそれぞれ特徴をもった存在として浮かびあがってきます。ヒトラーはそんなに魅力的な人物ではないかもしれないけれど、ピエロはついつい惹きつけられて、間違った判断をしてしまうんですね。その怖さがリアルです。ピエロは孤独で、名前も変え、アイデンティティも失っている。そんなときに、ちょっと親切にしてくれのがみんなが崇拝している強くて偉い人だと、すっと取り込まれてしまう。子どもは、周囲の熱狂に左右されやすい、とも言えるのかもしれません。最後は希望も見えて、展開もおもしろく、子どもに手渡したいなと思いました。

コアラ:今回のテーマを聞いた時には、漠然といい出会いをイメージしていましたが、これは悪い出会いというか、恐ろしい出会いでした。読み進むについれて、主人公のピエロが、横柄で権力的に変化していくのが怖くなりました。7歳という年齢で、ヒトラーという、権力を持つ圧倒的な存在に出会って影響を受けていく恐ろしさを感じましたね。主人公に共感しながら読むというよりは、主人公を一歩引いた目で見るというか、少年が変化していくのを大人の目で読んだという感じですが、この本の対象年齢は何歳くらいでしょうか。本のCコードは0097となっていて一般向けなので、YA扱いでしょうか。最後のほうで、この本を書いたのがアンシェルだという展開になりますが、p280の後ろから3行目の「だが、もちろん、すぐに彼だとわかった。」の行のところから、主語がアンシェルの一人称になるところは、劇的でしたね。いい終わり方だったけれど、p282で、この本のテーマを全部言ってしまっているのが、ちょっと残念でした。読み取り方をまとめてくれているから、わかりやすいといえばわかりやすくなっているけれど、読者の自由な読み取りに委ねてもいいのではないかと思いました。

花散里:原書のタイトルには「ヒトラー」とは書かれていない。この日本語のタイトルでは、読む前から少年が出会ったのがヒトラーだったと解ってしまう。第1部の第5章ぐらいから読み進んでいって、その人物が「ヒトラー」なのではないかと思えるような場面の緊張感が削がれてしまっているのではないかと感じました。第2部からのヒトラーと出会ったことで性格が変わって行く様子は恐ろしいほどで叔母さんの死などは特に壮絶で一気に読ませます。同じ著者の『縞模様のパジャマの少年』(千葉茂樹訳 岩波書店)は結末が衝撃的で印象深かったのですが、この作品ではピエロが〈ピエロ〉に戻るエピローグまでを読んで救われる思いでした。ヒトラー死後の戦後までを、子どもたちはどのように読むだろうかと思いました。

アンヌ:タイトルを見て、ヒトラーと向き合うことになるんだなと思うとなかなか手が出ませんでした。過酷な孤児院生活の後、状況もわからないまま叔母に引き取られ、あっという間にヒトラーに取り込まれて行ってしまう。まあ、理解はできるのだけれど、釈然としませんでした。愛情をもって引き取ってくれたはずの叔母さんが、使命を持った二重生活を送っているから、ピエロと本当に話し合えなかったせいでしょうか。とにかく、最後のエピローグでアンシェルが出てきて、ほっとしました。

たぬき:タイトルと袖文句で、どういう本かわかっていまいます。なぜヒトラーにひかれたのか、だからこそこわいという見方もあるけれど、もっと子どもにわかるように書いてもいいのかと思います。

しじみ71個分:非常におもしろく読みました。フランスで孤児となった少年のアイデンティティが、ベルクホーフのヒトラーの山荘で家政婦として働くおばさんに引き取られ、ヒトラーと出会ってしまったことにより変貌していくさまが痛々しく、胸に刺さりました。ピエロのアイデンティティの喪失が、ペーターとドイツ風に呼ばれるようになり、父母がつけてくれた名前を奪われることや、自分の物として唯一持っていったケストナーの『エーミールと探偵たち』がいつのまにかどこかに無くなってしまって、代わりに『わが闘争』を含むヒトラーの書斎の本を読むようになっていくなど、いろいろ細かく描きこまれて、読み応え十分でした。また、おばさんのベアトリクスとか、それぞれの登場人物のキャラクターも明確に描かれていて、それぞれの役割がわかりやすいですし、料理人のエマがいい味を出していて魅力的です。メイドのヘルタは、最初は運転手のエルンストに懸想するような、軽い人物として描かれているのが、ヒトラーの死後、山荘を去るときには、ピーターに重々しい台詞を残して行くところが、急にりっぱな人間になったようで、おかしかったですが、戦後のピエロの魂の彷徨のきっかけにもなっていて、重みがありました。
子どもでも戦争の加害者になり、重い十字架を抱えてしまうという姿が描かれていますが、このピエロは、最初は間違いなく、第一次世界大戦の被害者です。父親が大戦後に心を病み、事故死し、働きずくめになった母親も死んで孤児になってしまいます。誰でも加害者にも被害者にも、簡単になり得るわけで。少年が力もなく、身寄りもなく、経済的にも困窮し、何もないところで強大な力にあこがれ、ヒトラーに自己を同一化していきますが、そのヒトラーという力へのあこがれは、常に恐怖に裏打ちされてもいるわけで、恐怖による支配としても描かれていました。なぜ人が戦争犯罪に加担していくかを考えさせられましたし、本当に読むと痛くて、胸にせまる物語でした。

オオバコ:『縞模様のパジャマの少年』は、作者も言っているように寓話として書かれているから、雪崩をうつようにエンディングに落ちていく迫力がありましたが、この本はもっとじっくりと描かれていて、より大きな物語の世界を創っています。序章と終章が円環のように結ばれている構成も、見事だと思いました。大変な作家ですね。心優しい、ケストナーを読んでいた少年がどんどん変わっていく有り様が恐ろしい。メイルストロムの大渦巻みたいに大きな力に吸いこまれていく人たちと、それに必死にあらがっている人たち。そんな群像に、現在の日本にも通じるものを感じました。だって、文書をなによりも大事にしている官僚たちが、平気で国会に提出する書類を差しかえたり、偽造したりするのって、身震いするほど恐ろしいと思いませんか? それと、良い意味でショックを受けたのは「加害者としての子ども」を描いているところです。戦時下の子どもは戦地に赴いて人を殺すこともないし、自分から戦争をはじめたわけでもない被害者であり、文学のなかでもそういうふうにしか描けないと思っていました。日本の創作児童文学も、圧倒的に被害者としての子どもを描いたものが多いですよね。中国に赴いた少年兵が主人公の乙骨淑子『ぴいちゃあしゃん』はありますが。でも、これほどドラマチックでなくてもピエロのような少年は日本にもいただろうし、こういう形で子どもたちの戦争を描くこともできるかもしれないと思いました。その点も、とても新鮮でした。原田さんの訳はいつもそうですが、今回も翻訳の上手さに圧倒されました。特に会話の訳が見事で、登場人物のそれぞれがありありと目に浮かび、生き生きと動いている。「まいった、まいった!」という感じでした。

レジーナ:主人公がヒトラーにひかれたのは、父親的な存在を求める気持ちからでしょう。無垢な少年が変わっていったという意見もありましたが、私はそうは思いませんでした。ピエロが特別、無垢なわけではなく、ふつうの子どもの純粋さをもち、成長してもその部分は残っていて、だからこそヒトラーに影響されたように見えました。p198でカタリーナにさとされても、「今のやりとりを記憶の中からとりのぞき、頭の中の別の場所に入れなおした」ように、良心がわずかに痛む瞬間はあっても、気づかないふりをしてやりすごします。以前読んだ本で、ドイツ人が、収容所から生還したユダヤ人に、「そんなことが起きていたなんてまったく知らなかった」と言い、「わたしたちはみんな気づいていたのだから、知らなかったなんて、ぜったいに言ってはいけない」と、奥さんに言われる場面がありました。p261のペテロとヘルタの会話で、そのシーンを思いだしました。ナチスがユダヤ人のまえに殺したのは、障がいのある人たちなので、アンシェルの耳が聞こえないことにも深い意味がありますね。場の雰囲気に流されるうちに、アンシェルや伯母やエルンストを切り捨てていくピエロにも、草花を愛するような優しい人だったのに、戦争で心が傷つき、暴力をふるうようになる父親にも、人間としての弱さがあり、それは私たちだれもがもっている弱さなのだと思います。p172で、エーファとフロライン・ブラウンと、表記が分かれているのですが、なにか意味はあるのでしょうか。

オオバコ:YAだから、原作のままに訳してもいいんじゃないかしら?

ハル:これは、ピエロが引き取られた先にいたのがたまたまヒトラーだったというだけで、ヒトラーに魅力があったということではなく、たとえば村長さんとか、そういった戦争に関係ない人だったとしても、権力があって、こわくて、ときどき優しくて、なんていう人の前に突然立たされたら、誰だってなびいてしまうんじゃないかと思います。戦争に限らず、学校や社会やいろんな日常で、いつのまにか強い力に染まっていた、という危険はいつもあると思います。純粋無垢であればあるほど。そうならないためにはしっかり勉強をしなければいけない。でも、その教育がすでに毒されていたら…?と、恐ろしくなりました。戦争が終わって、ピエロも自分の犯した罪を背負い、償いの日々を生きていかなければなりません。でも、そこに希望を見つけたような思いがしました。戦争があった(または、たとえばいじめの加害者になってしまった)。最悪だった。許されない。で終わるのではなく、過ちを認め、罪を背負い、償いながら生き続けることで、次の世代か、いつかの希望につながっていくんだなと思いました。

西山:希望とか絶望とかは考えませんでしたね。取り返しのつかなさをつきつけられて呆然とする感じ。ピエロの変質は不自然とは思いません。「力」にひかれていく様子がとてもわかる。近くにいる人たちをぴりぴりさせ、まわりの人間の生殺与奪をにぎっている総統と一緒に出掛けている自分を「羨望のまなざしで見るだろう」(p198)という場面、汽車の中で自分をいたぶったヒトラーユーゲントがその場にいたらどんなに驚き、恐れるだろうかと考えているだろうと、ピエロの高揚感が想像できてしまいました。権力のそばにいて得意に思う快感を理解してしまった瞬間、私もピエロと同じ側に立っているわけで、そういう意味でも実に怖い読書でした。

ハリネズミ:ピエロは、取り返しのつかないことをしてきたのですが、ぐるっと回って振り返ったときに、そこに自分を理解してくれるかもしれない友だちが確かにいる、というのは希望だと私は思ったんです。

マリンゴ:前作の『縞模様のパジャマの少年』は、あまりに衝撃的でした。後半、かなり力技になるんですけど、それに気づいたときはもう物語に引きずり込まれているんですよね。なので、今回の作品も期待したのですが、こちらのほうが早い段階から力技な感じがしました。決して、物語に入れなかったわけではないのですが、少し距離を置いて読みました。主人公が変わらなくて、まわりの人間たちが変わっていくのを観察する、という物語はよくありますが、主人公が変わっていってしまう、という展開になっているのはすごいと思います。変わっていって、そして自分がやってしまったことに気づく。幅広い世代に読んでもらえたらいいですね。今の日本でも、ネットなどを見ていると、大きな声に引きずられがちなように感じることがあります。この物語を、自分に置き換えて読んでもらえるといいのではないでしょうか。

オオバコ:これから主人公は自分の罪に向き合って、贖罪の人生を送っていく。そこに魂の救いがある……というところに、ちょっとほっとしました。

西山:『九時の月』でも、解説で、モデルになった女性が生きのびたことがわかってほっとしました。これもまた、一つの希望のある終わり方だと思います。

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エーデルワイス(メール参加):p261の「でもあんたは若い。まだ16なんだから、関わった罪と折り合いをつけていく時間はこの先たっぷりある。でも自分にむかって、ぼくは知らなかったとは絶対に言っちゃいけない。・・・それ以上に重い罪はないんだから」というヘルタの言葉が印象的でした。レニ・リーフェンシュタールも登場しますが、自伝を読んだり展覧会に行ったりしたことを思い出しました。『縞模様のパジャマの少年』と同様に映画になりそうな気もしますね。8月にNHKBS3でヒトラーを題材にした映画『ブラジルから来た少年』(1978年アメリカ・イギリス製作)を観ました。グレゴリー・ペックがメンゲレ博士を、ローレンス・オリビエがナチハンターの役を演じていました。サスペンス調でおもしろく、現代に警鐘を鳴らしていて、古さを感じませんでした。当時、この映画を観た人はどのくらいいたのでしょう? 地方でも今はマイナーな映画も上映されるようになったけれど、当時は上映されていなかったように思います。

(2018年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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デボラ・エリス『九時の月』

九時の月

ルパン:読み終わって、おなかいっぱい、という感じでした。いろいろな意味で、濃かったです。まずはイランのことですが、15歳の子が死刑になるとか、それも、同性の子を好きになったから、というのは衝撃的でした。2代にわたって自分の子どもを見捨てる親の存在も。実在のモデルがいるとわかって、ほんとうにショッキングでした。イランの政情のことと同性愛の問題と、重いテーマがふたつあって、うまく絡み合っていると思いましたが、どちらが主軸のテーマなのだろうと考えながら読んでしまって、ちょっと感情移入しきれなかったところもありました。

アンヌ:革命後のイランについては漫画の『ペルセポリスI イランの少女マルジ』(マルジャン・サトラピ著 バジリコ)ぐらいしか読んだことがなくて、この作品で改めて革命防衛隊が学校や家庭の中にまで入り込んでくる生活に恐怖を感じました。空爆が行われている街で、王党派の人々を集めて毎日のようにパーティをする両親に反発する主人公。ユダヤ教のラビとも友人として語り合える学者の父親を持つサディーラ。普通なら反政府的な行動をとった娘の命を助けてもいいんじゃないかと思える両方の親がとる行動が衝撃的でした。宗教や社会が断罪する世界で、同性愛者が受ける過酷な状況には震え上がりました。冒頭のファリンが描く悪霊の物語が稚拙で入り込めない感じなのに、2人の恋の場面はとても繊細です。特に古都シーラーズで過ごす場面の描写はとても美しく、イランの古い文化の魅力を感じました。

花散里:ずっと読みたいと思っていた本で、読み終わったときには衝撃を受けました。ファリンがサディーラと出会ったことで変わるというストーリー展開は、まさに今回のテーマ通りですが、イランやイラクとの政治状勢、宗教のことなどがまだ充分に理解できていない世代の子どもたちは、どのように読むのでしょうか。爆撃が続き、死との隣り合わせのような日々の中で、親たちの開くパーティーを見つめる子どもなど、紛争が続く国で生きる人々のことを描いた作品を日本の子どもたちにも読んでほしいと思いました。

コアラ:原書の書誌情報(コピーライト)が入っていないですよね。2章以降は章タイトルがないのも変な感じがしました。章番号の下のデザインはペルシア文字のようで興味を引きました。ネットで調べたら、「章」という意味のペルシア語にこのような文字が入っていて、いいデザインだなと思いました。イランというあまり馴染みのない世界が舞台なので、知らない世界を知るという点ではおもしろかったけれど、内容としては、ちょっと冷めた目で読んでしまいました。障害があればあるほど愛は燃え上がるよね、とか。サディーラは理想化されすぎという気がします。ただ同性愛というだけで死刑になる国があるということには、驚きました。問題提起という面では意味があるけれど、子どもが読んで、特に同性愛の傾向のある子どもが読んで勇気付けられるかな、というと、ちょっと暗すぎる内容だと思います。あと、物語に著者の考え方が現れているようなところがあって、例えばp92の7行目など、ちょっとついていけない感じがしました。気になったところは、訳者あとがきのp285の2行目、「イギリスのM16」となっていますが、これは「イギリスのMI6(エムアイシックス)」ですよね。

ハリネズミ:私は、訳のせいか、ファリンにあまり共感できなかったんです。最初の方で、ファリンがパーゴルへの復讐に凝り固まっているように取れてしまい、またこの訳だとアーマドをさんざんに利用しているようにとれます。p37やp45の訳も、アーマドをバカにしたような無神経な発言に取れるので、結末についても自業自得感が出てきてしまいます。また原文はもっとリズムのいい文章なのだと思いますが、もう少していねいに、細やかに訳さないと、メッセージだけが前面に出てマンガ的になってしまい、物語の中に入り込みにくくなります。ファリンがサディーラをどれだけ深く思っているかとか、サディーラの魅力を読者にも納得できるようにもう少し表現してほしかったです。でないと、一時の熱に浮かされてヒステリックになっているだけのようにもとれてしまうので。悪霊ハンターの物語も、この訳だととてもつまらないですね。

カピバラ:1988年のイランという日本の読者には遠い状況でありながら、前半は居場所がないと感じている十代の少女らしい心情が描かれて共感できると思います。紙に好きな人の名前を書く、お互いの秘密を打ち明け合う、離れていても毎晩9時に月を見る、というような、好きな人への溢れる思いが描かれ、相手が同性でも異性でも同じと思わせる描写が多くありました。後半は死と隣り合わせの緊迫した状況に、読者も緊張を強いられ、苦しくなります。最後はあまりにも理不尽でむごいのですが、実話をもとにしているので、今の日本の読者にも知っておいてほしいと思います。また、当時のイランの富裕層の考え方がよくわかりました。70年代後半にイギリスに行ったとき、イランの金持ちの子弟が大勢留学していて、首からさげたロケットには国王の写真、家には国王一家の写真を飾っていたのを思い出しました。ファリンの母親と同じ世代かなと思います。

マリンゴ:ラストが衝撃的でした。脱出できて、サディーラとは会えないのだろうなとは思いつつ、みんなとの再会のシーンを想像していたので、その斜め上を行くエンディングにびっくりしました。でも、アーメドの態度が徐々に変わってくる様子がうまく描写されているため、リアリティを感じて、うまいなと思いました。ここで終わる?というところで放り出されるわりに、読後感が悪くなかったのは、そのリアリティのおかげかもしれません。p121「戦争によって得たものはかえさなければならない」という部分が印象に残りました。文章に矛盾を感じる箇所がありました。

たぬき:日常の雰囲気や生活感が伝わるのはいいと思いました。基礎知識がないと理解しに口と思うので、巻末に説明をいれるとか、子どもにやさしい設計にしたほうがいいのではないでしょうか。

西山:帯に「あたしたち、悪いことしてない。ただ一緒にいたいだけだよ! LGBTとは、恋とは、愛とは。」とあって、一見恋愛小説として押し出しています。それは、ひとつの作戦だけど、違和感がありました。明日をも知れぬという状況下で、そこから目をそらして享楽的に暮らすファリンの両親の感覚には共感できません。そういう革命前の支配階級に近い富裕層への反発が、革命を支持したのだろうということも理解できるとも思いましたが、圧倒的に理不尽な暴力が伴っている原理主義革命にはとうてい共感できない。書き割り的にならないで、複雑な状況を割り切れないまま突きつけられて、そこに小説のおもしろさを感じました。複雑な状況がからまりあう中で、いろんな登場人物を見せています。いちばんショックだったのは、サディーラのお父さんが変わってしまうところでした。サディーラの家でラビや娘たちとお茶を飲みながら穏やかに詩編の言葉などを語り合う場面は印象的で、すごく知的で、教養のある感じの良い父親の印象だったのに、サディーラとファリンのことを知ったあとで娘を完全に拒絶しますよね。そこまで同性愛は受けいれられないものなのかと、愕然としました。ドキュメンタリー風に作られたイラン映画『人生タクシー』で禁止されている英米の映画DVDなどが闇で流通する様子とかできてきたのを思い出しました。この映画はおもしろかったので、機会がありましたら、ぜひ。

ハル:恋愛小説の部分も味わいながら読みましたけど…どうしてこの(性格がきつい感じの)ファリンにサディーラは惹かれたのかなと思っていたのですが、翻訳で人物の印象が変わっていたのかもしれないですね。それ以外の面では、女の子たちが、学ぶことで自我に目覚め、それが破滅につながったのだとしたら、本当に恐ろしいこと、あってはならないことだと思います。実話を元にした物語だということですが、自分を偽ってでも、生きてほしかった。そうしたら、いつか…ということもあったかもしれません。信念のために死を選ぶことをすばらしいとせず、読者は自分だったらどう生きるかを、考えてほしいなと思いました。ショックな結末で、中高生などの若い読者にはどうなのかなという気もしましたが、いまだにこういう社会もあるんだと知ることも必要だと思います。

レジーナ:表紙画がすてきですね。p198の「あなたを選ぶってことは、わたし自身を選ぶってこと」という一文は胸に響きました。ファリンは、刑務所で、自分は成績がいいから助けてもらえるはずだと考えます。全体を通して考え方が幼いので、この主人公には共感できませんでした。p119の「おまえなんか、無だ」をはじめ、訳文に違和感があり、ところどころひっかかりました。

オオバコ:この作者は、実際に取材したことを何故ノンフィクションではなくフィクションで書くのかと疑問に思っていましたが、来日したときの講演を聞いたとき、ノンフィクションでは実際に取材した人たちに危険が及ぶのでフィクションで書くと聞いて、目を開かされる思いがしました。今まさに起こっている、それくらい深刻な、命にかかわる現実を書きつづけている作家なんですね。この作品もフィクションというよりノンフィクションとして読みました。ですから、登場人物の言動や、物語の結末を、こうしたほうが良かったのにとか、こう書いてほしかったというのは、ちょっと的外れのような気がします。わたしも西山さんと同じように、この本はLGBTをテーマとしているというより、多様性を認めない国家体制や社会の恐怖を描いていると思ったし、読者もそんなふうに読んでくれたらいいなと思いました。女子高のロッカールームの様子や、明日どうなるかわからない日々を過ごす金持ちの奥様方や、アフガン難民の運転手のことなど、とてもおもしろく読みました。ただ、主人公がちっとも好きになれない、軽薄な女の子で、感情移入できなかったのが残念。これは、翻訳のせいじゃないかな。級長のパーゴルの言葉づかいも乱暴で汚いから、かえって滑稽な感じがしたし。せっかくの重みのある、大切な作品なので、もっとていねいに訳してほしかったと思います。

しじみ71個分:私はこの本を読んでどう受けとめたらいいかわかりませんでした。テーマの重点が、戦争にあるのか、文化多様性や差異にあるのか、LGBTにあるのか、人権問題なのか…。そもそも、厳しい境遇にある強い、新しい女性を描くなら、主人公のファリンが人物として魅力的である必要があると思うのですが、彼女がノートに書き綴る悪霊ハンターの話が、非常に表層的で、アメリカずれした感があり、まったくおもしろくないので、主人公に感情移入することができず、彼女の心情にそってお話を読み進めることができませんでした。主人公が魅力的ではないので、恋の相手となるサディーラと恋に落ちるさまが簡単すぎるように思えたし、思春期にありがちな、恋と憧憬の誤解とか、のぼせ上がりにしか読めませんでしたので、命をかけるほどの恋になるのか?とつい思ってしまいました。本の中の登場人物の心のひだが深く描かれていないと、読み手の心がついていかないものですね。同性愛に厳しい国であることは十分分かっているはずだろうに、ふたりの逢い引きも不用意すぎてすぐに見つかって、つかまってしまうというのもなんだか軽薄な感じを受けました。それと、カナダの人が書いたということに、微妙にひっかかっています。訳のせいなのかもしれませんが、今の世の中全体が、西洋的な価値観で動いていると私は日頃感じているのですが、西洋的な視点から見た物語の中で、この本を読んだ子どもたちが、イランは悪い国、人権を無視する文化的に遅れた国みたいに、簡単に思ってしまうのではないかと心配になりました。1980年代の物語として書かれていますが、体制派反体制派の反目の中で密告が常態化していることや、同性愛で死刑になるというような社会を支持するわけではもちろんないですが、その国の文化の成り立ちや、歴史的背景等に思いを致さないでそういった点ばかり強調してしまうと、子どもたちは偏った印象を持ってしまわないか、という心配が残りました。日本でも死刑はありますし、ほかの国でも同性愛が禁じられている国はあります。一方、物語の中でも、詩を吟じ合う場面などは、とても美しく、ユダヤ教のラビとの交流も描かれていてとてもよい部分があったので、非常にもったいない気がしました。

すあま:私は、この作者の他の作品も読んでいますが、これは読後感がよくなかったです。児童文学として書くなら、やはりラストは救いがあるもの、明るいものでなければと思います。悪霊の話で終わってしまい、落ち着かない気持ちのままになってしまいました。最後の4分の1が捕まってからのことで、だれが密告したのかもわからないままでつらい場面が多く、長く感じました。友だちを作ってこなかったファリンにとって、初めての友だちであるサディーラに夢中になるのは共感できましたが、それが恋愛感情とは思えませんた。また、パーゴルの言葉づかいがあまりにも乱暴で、違和感がありました。

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エーデルワイス(メール参加):イランにアメリカ文化(映画ビデオ)が入っていたり、戦争で爆撃を受けながらも金持ちはパーディを開いていたりすることに、驚きました。主人公のファリンが、裕福な暮らしや親のことを疎ましく思いながらも、学校の成績が優秀なことや名門を誇りに思っているところなどがよくわかりません。運転手と結婚させられたファリンがその後どうなったのかをもっと知りたいと思いました。両親は、娘の命は助けても、見捨てたのですね。

(2018年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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茂木ちあき『空にむかってともだち宣言』(課題図書)

空にむかってともだち宣言

コアラ:読みやすかったです。内容がよくまとまっていて、ミャンマーのことも難民のことも子どもが読んでわかるようになっていますね。特に、難しい話になりがちな難民の説明について、男の子たちがナーミンをからかったという事件から急遽難民についての授業になるという展開は、うまいなと思いました。気になったところがいくつかあります。p14の8行目、「どおりで」は「どうりで」の間違いですよね。あとp36の挿絵で、あいりが男の子のように描かれていて、どの子があいりなのかパッと見てわかりませんでした。

花散里:こういう作品から外国のことを知ることができるので良いと思いました。今、日本のどこの地域の学校にも、外国から来た子どもたちが在籍しています。日本語がまだよく理解できていない子どもたちとのやり取り等が伝わってきますね。共感して読める子が多いのではないかと思います。

アンヌ:今の日本は実際に殆ど難民を受け入れていない状態なので、この一家がNGOのサポートを受けている難民だという設定が気になりました。給食の時の勇太のいじめは、あいりが暴力をふるいたくなるほどひどいので、この「難民を知る授業」で、どれほど理解できたのか疑問です。だから、先生がいうp72の「ありがとう、航平くん」は、皮肉に聞こえました。クラス全体でミャンマーの民族舞踊を踊るというところは、音楽や振りつけでその国を体で感じて子供たちも見ている親の方も楽しくミャンマーの文化を知ることができる、いい場面だと思います。少し疑問だったのはp117の「ハグとハイタッチ」。ハグはどれくらい日本語になっているんでしょう。

ルパン:さくっと読めました。ミャンマーのことをあまり知らなかったので勉強になりました。テーマありきという感じで、登場人物の子どもたちがそれに合わせて動かされている感はありましたが、あまり期待していなかったので、その割りには楽しめたということかもしれません。期待しなかった理由は、ひとえにタイトルです。読書会のテキストになっていなかったら、まずは手に取らなかっただろうと思います。子どもたちは手を出すんでしょうか…あ、課題図書だったんですか? なるほど。課題図書なら読むのかな。でも、これ、小学生が読んでおもしろいんでしょうか。

オオバコ:先日、「おもしろい……といわないと怒られそうな本がある」という発言を聞いて思わず笑ってしまいましたが、この本は「良い本……といわないと怒られそうな本」だと思いました。課題図書に選ばれたということですが、なぜ選ばれたのか、どんな感想文が出てくるのかすぐに分かってしまいそう。テーマだけで本を選んで感想文を書かせていいのかな? みなさんがおっしゃるとおり、小学生向けにサラッと書かれていて読みやすいけれど、物語としておもしろくない。社会科の、あるいは道徳の教科書みたいな書き方をしていますね。それでも、「難民」を取りあげているところに意味があるのかな・・・・・・と思って、ネットで作者のインタビュー記事を読んでみました。そうしたら「(ミャンマーから来て主人公のクラスに入った)ナーミンを、わたしは難民だとは書いていません」といっているのね。だから、作中で「難民とはなにか」を、主人公の母親の友だちが子どもたちに説明しているけれど、この本は「難民について書かれた物語」じゃないんですね。たしかに日本は難民申請をしてもほんの少数しか認められない、難民を受け入れないといっていい国。昨年も2万人申請したのに、認可されたのが20人だったと新聞に出ていました。そういう事情もあって、作者は前記のように述べたんでしょうけれど、そこのところをサラッと書き流してしまっていいものなの? それにミャンマーといえばロヒンギャを迫害して多くの難民がバングラデシュに流れこんでいるというニュースが海外のテレビ放送では毎日のように流されているし(日本ではほとんど報道されないけれど)、先日の朝日新聞の歌壇にも<アウンサンスーチーと今は呼びすてにしておこう・・・・・・>という歌が載っていたばかり。いったいナーミンのお父さんはアウンサンスーチーが政権を取ってから警察に捕まったの? それとも、軍政時代の話? サラッと書いてあるから、ますますモヤモヤしてきて、ひと言でいえば「みんな仲良し、みんな良い子」的な、のんきな物語だなというのが、率直な感想です。

レジーナ:日本で難民認定されるのは非常に難しく、この本でも、ナーミンの家族が難民だとは書いていなくて、それについてはぼかしてある感じがしました。p26で、ゴンさんも「いろいろと事情があるんだ」と言うだけで、あいりにきちんと説明しないですし。海外にルーツをもつ子どもは、言葉の問題を抱えているケースが多くあります。そんなにすぐに言葉もうまくならないそうです。p69で、ナーミンは自分の過去を流暢に語りだすのですが、たった数か月でこんなに話せるようになるのでしょうか。

ハル:たしかに、言葉の壁だったり、偏見だったり、実際にはこの本には描かれていないような苦労がもっとあるんだろうなとは思いましたが、物語全体をとおして、知らなかったこと、無知であることを攻めるのでははなく、知らなかったなら、これから学んで理解を深めようよ、と呼びかけるような、作者の姿勢に愛を感じました。給食の時間に男の子たちが悪ノリしてしまうシーンも「軽い気もちでいったいたずらが、思いがけず大さわぎになってしまい、とまどっているようにも見えた」(p61)り、先生も、二度とそういうことは言うな! とかその場で叱りつけそうなところを、そうせず、子どもたちに学ばせて考えさせる、そういう姿勢がよかったです。

西山:いま、みなさんが出している本を見てびっくりしたのですが、私、同じ作者の『お母さんの生まれた国』(新日本出版社)を読むんだと思い込んでました! 主人公の小学生が、カンボジア難民という母親の過去と向き合う物語ですが、こちらの方が、読みごたえはあります。『空に向かってともだち宣言』も出てすぐに読みましたが、申しわけないけれど、すっかり内容忘れています。移民や難民の問題を、小学生を読者対象として書いたことは意味のあることだと思っています。ノンフィクションとして書かず、フィクションにするからには、事実関係の伝達だけでなく、むしろ、当事者は、周りの子どもの感じ方や考え方を捕まえたいと思っているのでしょう。その点で、人物描写には課題もあるとは思います。

たぬき:課題図書としてこれが選ばれたということですが、二、三十年前の本としても通用しますね。これを選んだ人たちは低学年向けの難民ものを探していたんでしょうか? 難民だから給食いらないよね、っていうのはひどすぎますね。傷つけるつもりはないけど、そうしてしまうとか、いろいろな場合があったほうがリアル。この文字量で描こうとしたのはいいなあと思いました。非常にさわやかで、いい人がでてきて、さっと読めるんですが、ひっかかりがない。だから読んでも記憶に残らないのかもしれません。そこはもっと攻めてほしかったです。

マリンゴ:さらりと読めました。著者の、ミャンマーへの愛情が伝わってきます。テーマもいいと思います。ただ、先が気になって惹き込まれるタイプの物語ではないなと感じました。その理由の1つとして、ナーミンが控えめでいい子で、受け身すぎるキャラクターであることが挙げられるかも。こういう転校生なら、クラスに受け入れられて必ず好かれるよね、というタイプなので。最初はおとなしく見えても、徐々にユニークな発言をし始めたりしたら、目が離せなくなったと思うのですが。後半はミャンマーの文化紹介になってますね。そのせいか、なかよし大使に選ばれた場面でも「よかったね」とは思うのですが、カタルシスを得られるところまではいきませんでした。

カピバラ:今日話し合う本は3冊とも、大人がひきおこした政治情勢に翻弄される子どもが描かれています。日本の作品にはこういったテーマがまだ少ないので、そこにチャレンジする姿勢に好感をもちました。知らない外国で起こっている出来事ではなく、自分の身近なクラスメイトから考えるのは読者にもわかりやすいと思います。これからもこういう本がどんどん出るといいですね。でもやはり物語としての魅力はいまひとつなのが惜しい。タイトルや表紙の雰囲気も、もう少し考えてほしいです。

ハリネズミ:こういう本があってもいいとは思いますが、たとえば、このお父さんは日本ではジャーナリストになれないとか、子どもだってすぐには日本語が話せるようにならないだろう、とか、リアルな日常の中ではもっと葛藤があるはずなのに、それが書かれていないので、「よかったですね」としか言えないなあ。タイトルからして能天気な気がします。最後はめでたしめでたしですが、これを読んだ子どもたちは、本当に難民のことを考えるようになるんでしょうか? 疑問です。いい意味でも悪い意味でも、日本の作家が社会問題を扱うとこんなふうになりがちという一例だと思います。ドイツは申請した人の半数以上は受け入れているのに日本は申請数が少ない上に認定数は0.6%だそうです。そういうことを考えると、難民について、あるいは国を脱出した人について考えるにしては、これだけだと弱い気もします。p64に「難民は、世界中に1500万人以上いて、日本に避難してきている人も、1万人以上いるという」とありますが、いつの時点の話なんでしょう? 日本は、1978年から2005年末まではインドシナ難民をたくさん受け入れたのですが、今はごく少数です。また、ナーミンたちはどうして国を脱出せざるをえなくなったのでしょう? 現代のミャンマーから日本への難民は主にロヒンギャで、ロヒンギャはミャンマー語を話さないようです。また、この本の記述からは、ミャンマー人は箸を使わないように思えますが、ミャンマー人も麺類を食べるときは箸を使うそうです。ナーミンがただのかわいそうな女の子ではなく、生き生きとして能力もあり、まわりの人たちにも文化的な影響をあたえる存在として描かれているのはとてもいいと思ったので、身近なところにもこういう人がいるよと知らせる入り口としてはいい本なのかもしれないけど、もうすこし考え抜いたうえで書くと、さらによかったのに、と残念に思いました。

しじみ71個分:さらっと読みました。難民をテーマとして取り上げたことはとてもいいなと思います。うまくいきすぎだったり、周りの人々の理解がやたらあったり、日本語がうますぎたり、と教科書的に都合のいいところはたくさんあるのですが、こういうテーマを扱う本が増えていくことに意義があると思っています。どんどん増えていくうちに、内容も深化していくのではないでしょうか。とてもおもしろかったのですが、この本を図書館で借りたところ、ページの途中に、「あいりちゃん、すごい!」と、小学生らしい子どもの字で書いたメモがはさまっていて、この本の中身をちゃんと受け止めたんだなぁ、と感動してしまいました。大きなテーマを小さい子どもたちにどう伝えるかは一つの大きな課題だと思います。この本は中学年向けでしょうか、難しいテーマを難しく伝えると読むのを放棄して逃げだしちゃう子どももいるように思います。こういう教科書的な表現もひとつの子どもへのアプローチの仕方かと思いました。今後、バリエーションが出てくることに期待したいです。

すあま:すっかり難民の家族の話だと思いこんでいました。難民ではなくて日本にやってきた子どもの出てくる本は他にもあり、難民問題をテーマにするなら、ナーミンの家族はどちらなのかもう少しはっきり書いてもよかったんじゃないかな。巻末に解説があるといいのではないでしょうか。日本が国として難民に冷たいということなど、もっと書いてほしかった。ちょっと物足りなかったです。

花散里:日本の児童書は、巻末に解説のない作品が多いですね。難民のことを中学年くらいに伝えるには、この内容以上に盛り込むのは難しいと思うので、解説で補うしかないと思うんですけど。

ハリネズミ:日本の作家の本だけ読んでいても、世界のことはなかなかわかってこないような気がするのは、私だけでしょうか。日本の出版人は、子どもはまだ社会の問題に触れなくていいと思ってるんでしょうね。

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エーデルワイス(メール参加):読みやすくさわやかで、希望が持てます。授業で「難民地図」を示し、子どもたちに説明したところが印象的でした。以前、アウンサンスーチーの『ビルマからの手紙』を読んだことがあります。そのアウンサンスーチーが、今はロヒンギャ問題で批判されています。ミャンマーの民主化はまだ遠いのでしょうか?

(2018年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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日本児童文学者協会編『迷い家:古典から生まれた新しい物語・ふしぎな話』偕成社

迷い家

すあま:これは「古典から生まれた新しい物語」というアンソロジー・シリーズの1冊です。古典というので、いわゆる「古典」と呼ばれるものをイメージしていたら、昔話や国内外の名作もモチーフとなっていたのが意外でした。この『迷い家』でも、作家がかなり自由に発想しているので、読んだ後に元になっている原作を読みたいと思うのかどうかは疑問に思いました。短編としておもしろければよいのですが、物語の後に作者の説明があるものの、うまく古典への橋渡しになっているとは思えませんでした。

ヘレン:まだ読み終わっていないのですが、けっこうおもしろかった。『絵物語 古事記』(富安陽子文 山村浩二絵 偕成社)より読みやすかったです。オーストラリアの学生にも読ませることができるかも。古典というと日本のものかと思っていました。4編の中では「迷い家」がいちばん日本的でおもしろかった。別の話もおもしろかったです。

レジーナ:p106の「カチューシャ」の、名前の説明は不要では? 本の造りとしては、ほかの巻にはどんな作家が書いているか、わかったほうがいいと思いました。

ネズミ:住んでいる区の図書館にはなく、隣の区の図書館で借りました。100ページしかないのに、この束を出して、読んだ満足感を与えるような造本ですね。お話自体は、さらっとおもしろく読めるけれど、それほど印象には残りませんでした。「作者より」という形で、それぞれの作者が原作との関係を説明しているのは、もとの本を知っている大人が読めば、そう変えたかと、おもしろがりそうですが、子どもは、そこから元の作品に行くかというと、そうでもなさそうな気がします。大人と子どもでは、この本の楽しみ方が違うかもしれませんね。絵や文字組などは、読みやすそうでした。1か所気になったのは、p36のせりふのなかの「手も足も出せない」という言い方。「手も足も出ない」では?

須藤:その前に「手が出せない」とあるから、わざとかも。

さららん:慣用表現じゃなく、遊びで持ってきたのかもしれませんね。

マリンゴ:1つ1つのお話は、とてもおもしろく読みました。ただ、おもしろかったからといって、ネタ元の古典にまで遡ってみたいと考える子は少ないかもしれませんね。あと、児童書のアンソロジーについて常日頃気になっているのが、表紙に著者の名前を入れないという習慣です。一般書だと、もちろん入っているので、「この作家さんの作品があるから読もう」と、買うきっかけになります。でも、児童書では大半のアンソロジーが名前を載せない。表紙の文字が多くなって子どもが見づらいとか、子どもは作家の名前で本は選ばない、などの理由があるのでしょうか? この本の場合、出版社のホームページの書籍紹介にさえ著者名が出ていない。村上しいこさん、二宮由紀子さん、廣島玲子さん、小川糸さんに加えて宮川健郎さんの解説だったら、喜んで読みたい、と思う人は多いと思うのですが。この本は、地元の図書館にも近隣の図書館にも入っていなくて、結局買ったのですが、図書館に入ってない理由は、こういうところにもあるのかもしれません。

カピバラ:「古典から生まれた新しい物語」というのは、作家さんたちが書きやすいように一つのテーマを設けた企画だと思います。これをきっかけに古典に手をのばしてもらおうというよりは、ちょっとしゃれた短編集、軽く読める本という感じを受けました。有名な作家たちが手慣れた文章で書いていますが、それぞれの書きぶりは個性もあり、古典との取り組み方もそれぞれでおもしろく読めました。デザイン的な挿絵も好感を持ちましたが、本の造りはあまり子どもが手に取りやすいとは思えません。

アカシア:私は、古典に向かわせる本というより、これはこれで楽しむ本かなと思って読みました。村上さんの物語はとてもおもしろかったけど、あとはそんなに惹きつけられませんでした。「迷い家」は、もっとリアルな現実と接点を持たせて、なるほどと思わせてほしかったです。「三びきの熊」は昔話そのものの方がおもしろい。どうして蛇足みたいな続きをつけてるんでしょう、と、失礼ながら思ってしまいました。

花散里:住んでいる所の図書館には所蔵されていなかったので他の図書館から借りました。小学校の図書館に入れても、紹介しないと手に取らないだろうし、読まないのではないかと思いました。「迷い家」はおもしろいなと思ったけど、子どもたちに遠野物語のおもしろさが伝わるかどうかは疑問です。日本児童文学者協会は最近、アンソロジーを結構、続けて出しているようですね。

西山:アンソロジーはよく企画に上がってきます。

花散里:日本児童文学者協会の人たちと話をしたときに、外国の児童書を読んでない人が多いなと感じました。外国の作品も読んで、書かれているのかなと思っていたのですが・・・。

さららん:古典的なものを読んでないってこと?

花散里:最近の新しい作品もです。YAなど特に読んでないですね。よい作品がたくさんあるのに。

アカシア:べつに外国の作品を読んで書かなくてもいいんですけど、いろいろ読んでいる作家のほうが視野が広くて、国際的にも通用する作品になってくるんじゃないかな。

須藤:いま読んでいたのですが、「やねうらさま」はおもしろかったですね。あまりにサキっぽいから、サキの元ネタがあるのかと思ったけど、オリジナルらしい。解説で引かれている「開いた窓」はサキの有名作ですが、それとこの「やねうらさま」はストーリーとしてはまったく違う話なので、サキらしさをうまくつかんだ、ほんとうのオマージュになっている。

カピバラ:子どもは、パロディには興味持つかもしれませんね。

アカシア:私も「やねうらさま」がいちばんおもしろかったのですが、ほかはパロディとしてもイマイチのように思います。

マリンゴ: このシリーズは、テーマの縛りが二重になっているのですね。古典を元ネタに書く、というのと、「ふしぎな話」を書く、というのと。だから著者は、自由に書く場合に比べて、制約があって不自由ですね。

ネズミ:花散里さんが、これだと手に取らないとおっしゃったのは、どうしてですか? 表紙を見ても、小学生がおもしろそうと思わないということですか?

花散里:書架に並んでいるときに、この背表紙だけでは内容が分からないし、面出ししていても、この装丁では作家の名前も分からない。

カピバラ:「古典」を強調せず、「ふしぎな話」をもっとアピールしたほうがよかったですね。

マリンゴ:小学生も、作家の名前を見て、本を選びますか?

花散里:勤務していた学校図書館では児童書の書架は著者名順に配架していたので、富安陽子さんとか、好きな作家の棚の下に座り込んで選んでいる子もいました。シリーズ本などは次から次へと読んでいるようでした。

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アンヌ(メール参加):『遠野物語』は大好きで、時たま読み直しては、あれは本当はどうなんだろうと色々考えてしまいます。「迷い家」は、家そのものが意志を持つようで、無機質なものに対する恐怖と、その家について知っている人々がいて、後であれこれ言うというところに、村という共同体についての恐怖を感じます。今回は、家の主のおばあさんが出てきて説明してしまうので、わかりやすいけれど、家への恐怖が薄れてしまうのが残念な気がしました。けれど、その分、家の主と主人公のおばあさんへの恐怖が増して、おもしろい後口になっている気がします。

エーデルワイス(メール参加):4人の作家が古典を題材に自由に書いている感じがしました。どの作家も大好きなのですが、子ども向けの短編って難しいと思いました。なんだか中途半端な感じがしました。個人的に気に入ったのは「迷い家」で、すっきりと読めました。昔話だと残酷に思いませんが、現代版『迷い家』では、真に嫌な人間ではあるものの園子がこの世から消えてしまうのは、怖いと思いました。

(2018年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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ピウミーニ著 ケンタウロスのポロス

ケンタウロスのポロス

しじみ71個分:残念ながら手に入らず、途中まで図書館で読んで終わってしまいました。しかし、最初を読んだだけでも本当に格調高い翻訳で、お話自体もとてもおもしろくて、途中までになってしまったのは残念でした。これも、挿絵がついていますが、絵が気になることはまったくなく、逆に引き込まれるようでした。お話は素直に頭に入って来て読めました。

花散里:登場人物が多かったので、最初は「おもな登場人物」の紹介を何度も開いては確認していたのですが、読んでいったら気にならずどんどん読み進めました。小学校の図書館で「ギリシャ神話の本はありますか?」とよく聞かれたのですが、その「ギリシャ神話」が好きな子どもたちにこの本を薦めたかったです。善人と悪人がわかってしまうのはそれほど気になりませんでした。空想上の生き物ケンタウロス、神様と人間、半神半人と登場人物が不思議な話で、図書館に入れたら、特に男の子たちがおもしろがって読むんじゃないかなと思いました。

アカシア:私もとてもおもしろかった。男の子が旅に出て様々な研鑽を積んで、賢くなって帰ってくる、という定型ではあるけど、物語としてよくできていると思いました。ギリシア神話をある程度知っていると、ゼウスとかアルテミスとかヘラクレスなどなじみの神様が出てくるのに加えて、オリジナルなキャラクターが出てくる、そのバランスがおもしろい。欧米の子どもたちだと、そんな楽しみ方もあると思います。日本の、ギリシア神話を知らない子どもたちは、カタカナ名前が多すぎると思うかもしれないけどね。冒頭がケンタウロスの走っている場面で、最後も、違うシチュエーションではあるけど、やっぱりケンタウロスが走っている場面。そういうところも、おもしろいなと思いました。佐竹さんの絵もとてもいいですね。最後のところは、異類婚姻譚ですよね。上橋さんの『孤笛のかなた』(理論社/新潮文庫)を外国に紹介しようとしたとき、「西洋の人は、人間が非人間になることを選択するという結末は受け入れられないんじゃないか」と言われたんです。でも、これも、人間がケンタウロスになる道を選んでるじゃないですか。女の子が勇気をもってそういう道を選択するのも、『孤笛のかなた』と同じですね。

カピバラ:神話に出てくる神々は、荒くれ者だったり、怪力だったりと単純な性格づけで表されるけれど、ポロスは粗野で熱しやすく冷めやすいというケンタウロスのなかにあって、思慮深く深みのある人物像として描かれているところにまず惹きつけられます。数々の試練にあいながらどうやって生き延びるか、このポロスにぴったりくっついて先が知りたいという思いでページをめくりました。佐竹さんの絵もとても合っていて、大自然の中にケンタウロスを小さく描いているのがいいと思いました。「行きて帰りし物語」と書いてありますが、一昔前に多かった児童文学のように懐かしい感じもあり、久しぶりに読み始めたら止まらない読書ができました。

マリンゴ:すごくおもしろかったです。1つ1つの章がびっくりするほど短いのだけれど、それがとてもよくまとまっていて、次の話が魅力的に展開するので、小学校の“朝読”などにも向いているのではないでしょうか。わたしは、ときどきギリシャ神話をもう1度ちゃんと勉強しなきゃ、っていう病気にかかることがあるんですけど(笑)、この本はギリシャ神話を一味違う切り口から紹介してくれていて、勉強ではなく楽しく読めます。絵は、まるで原書に添えられているイラストのように、世界観に合っていますね。あと、地図があってよかった! キリキアからドドナってこんなに距離があるのか!とか、細い海峡ってこんな感じなのかとか、地図のおかげでよくわかりました。

西山:文体がおもしろいと思いました。例えば、以前ここでも読んだ『チポロ』(菅野雪虫著 講談社)はアイヌの神話はあくまでも素材で、ファンタジーを読んだという感触を得ます。けれども、これは、創作作品なのに神話を読んだという感触でした。ヘラクレスとか、「荒くれ」ぶりといい、そしてそのとんでもない展開が「・・・・・・した」「・・・・・・した」とぐいぐい進むのが、近代の小説的でない。あまり描写をしないせいでしょうか。ていねいに文体を分析したらおもしろそうだと思いました。

ネズミ:とてもよかったです。きびきびとした緊張感のある語りに惹きつけられました。ヘラクレスが襲ってきた男たちをいきなり殺してしまう場面など、ぎょっとしながら、どんどん先が読みたくなりました。ちょっと前に読んだのに内容をぜんぜん覚えていない本がときどきありますが、この本は途中でしばらく休んでも、前の内容をわすれていなくて、物語の力の強さを感じました。金の羊毛とかアマゾンとかをきっかけに、ギリシャ神話も読みたくなります。佐竹さんの絵はすばらしかったです。波乱万丈の物語のなかには、この辺でおもしろいことを出して読者を惹きつけようとばかりに山場が次々と用意されている作品がありますが、この物語は変化にもお話の必然が感じられて説得力がありました。

レジーナ:神話の登場人物を使いながら、それに負けない壮大な物語をつくりあげています。物語に勢いがあり、格調高い訳文です。神々もケンタウロスも人間くさくておもしろいですね。佐竹さんの絵は、楽しんで描いてるのが伝わってきました。賢者マウレテスのどことなくユーモラスな感じ、ポロスとネポスの戦いが、盾に映っているかのように丸く切りとられているのとか、魅力的な挿絵です。最後の場面は、ゼウスの視点で俯瞰しているかのように描かれています。このアングルで描こうと思ったのがすごいです!

さららん:よく知られているヘラクレスと、あまり知られていないポロスを最初に登場させるあたりに、作家の選択の巧みさを感じました。おなじみの神の名やふるまいで読者を惹きつけ、一方でポロスを主人公にさせたからこそ、自由にお話をつむげる。1つずつのエピソードで読者をはらはらさせながら大団円に向かっていく、お話創りが見事でした。一方で「神は、ひさしぶりに地上に降りる口実を見つけたことに満足していた」(p193)「ゼウスはこれまで、こんなに楽しい思いをしたことがなかった」(p195)という細かい表現を通して、ゼウスのいたずら心も十二分に伝わってくる。短い文章に、脇役としてのゼウス像もしっかり立ちあがってきます。ピウミーニを、無駄のない、ひきしまった翻訳で読むことができてよかったです。

すあま:ケンタウロスを主人公にしたというのがおもしろいと思います。ポロスが本当にギリシャ神話に登場するとわかり、もう一度読んでみようかと思いました。ポロスはケンタウロスというなじみのない存在ですが、馬扱いをされたり、様々な苦難を乗り越えていくところが共感を得られると思います。でも、「古事記」同様、やはり登場人物の名前が難しいですね。子ども時代の読書では、神話,伝説を好んで読む時期があるということなので、うまく手渡せるとよいと思います。挿絵については、一時期ファンタジーと言えば佐竹美保さん、という感じでしたが、この本ではまったく違うイメージで描かれ、しかも作品にとてもよく合っているのがすごいと思いました。ケンタウロスを大きく描いていないのも、読み手の想像を邪魔しないのでよいと思います。

さららん:裏表紙に、子ども時代のケンタウロスのポロスがいるのがかわいい。

須藤:これは佐竹さんによれば、ポロスとイリーネの子どものつもりだそうです。最後の場面の絵もすごい。ドローンで撮影しているみたいだと思いました。

西山:わあって女のケンタウロスの方に向かって行くところですよね。所詮ギリシャ神話って、女好きの神々の狼藉だらけだったよなとか思って、なんか笑ってしまいました。

アカシア:いかにもケンタウロスらしいし、あえて女の方を描いてないのもいいですね。

さららん:この左のほうのにじみは、ゼウスにも見えるけれど…。

カピバラ:あ、ほんと。顔のように見えますね。

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アンヌ(メール参加):ケンタウロスは思慮深い生き物だと思い込んでいたので、少しびっくりしました。悪役が少々卑小で、あまりスケールが大きい話ではないのが残念でした。

エーデルワイス(メール参加):ケンタウロスのポロスを主人公にした物語で、嫌みなくすっきりとおもしろく読めました。最後にイリーナと結ばれるところに好感が持てました。『絵物語 古事記』にも出てきますが、大事な時に心と体を清める「みそぎ」は古代から西洋東洋共通なのが興味深いですね。佐竹美保さんの挿絵は、とても合っていました。

(2018年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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富安陽子文 山村浩二絵 『絵物語 古事記』偕成社

絵物語 古事記

西山:諸般の事情で借りられずに買いましたが、山村浩二さんの絵の力で繰り返し読んでも楽しい本かなと思っています。子どものころ、今のように創作児童文学があふれている状況ではなかった時代、物語好きにとっては日本の神話やギリシャ神話はごく普通に親しむもので、神話や伝説をファンタジーとして楽しんでいました。でも、娘は日本神話とか多分、読んでないと思います。すっごく久しぶりでなんだかなつかしく楽しんだのですが、絵がなくてお話だけで伝わってほしかったなという気もしてしまう。なんだか、物語の記憶の仕方が絵や映像に主導されがちなことにうっすら抵抗を感じます。視覚的に思い浮かべるばかりが、物語を受け取る想像力ということでもないだろうと。例えば「内はホラホラ、外はスブスブ」という言葉自体がものすごく印象深く残っていて、妙に好きなのですが、これは、映像の記憶ではありません。あと、さらにプライベートに懐かしかったのは、私は、生まれが「天の岩戸」の岩戸で、アマテラスがこもったのはここで、神様たちが集まって騒いだのは狭いけどこことか、引っ越した先は高千穂の峰が近くて、小中学生のスケッチの題材だった高千穂の峰はまさにp188の挿絵の形だったとか、またまた引っ越した先は、鵜戸神宮が近くて「うがやふきあえずのみこと」が祭神で、その意味はp243で今回初めて知りましたが、なんか久しぶりと感慨深かったりでした。普遍性のまったくない思い出話ですみません。

ネズミ:「古事記」は恥ずかしながらこれまで手にとったことがありませんでしたが、富安さんの語りは読みやすく、すっと入れました。でも、だんだんと神様の名前が増えてくると、頭が飽和して混乱しながら追っていく感じ。そんなふうに物語にとりこまれていくのも神話の楽しさかなと思いました。毎ページ入っている絵は、ユーモラスだけれどグロテスクな面もあって、好みが分かれるかな。私は好きでした。話の展開に奇想天外なところも多くて、こんな世界だったのかと驚きました。最後まで楽しいと思って読みとおすか途中で離れてしまうかは、子どもの読書力によるでしょうか。岩波少年文庫の福永武彦の『古事記物語』と比べてみたいと思いました。

レジーナ:昔の人の豊かな想像力にふれ、神話という物語のおもしろさを堪能できる1冊です。絵の連続性は絵巻のようで、いきいきとしたイメージがひろがります。くさびで木に割れ目を入れ、そこにオオナムヂが入る場面など、言葉だけではイメージできないですよね。ページ数はありますが、半分は絵ですし、今の子どもたちが手にとりやすい形で出たと思います。勤め先の中学校でもよく借りられていますよ。

ヘレン:はじめは、オーストラリアの大学の学生に読ませようと思ったのですが、神様の名前が複雑で、漢字ではなくすべてカタカナなのはどうしてなんでしょう? 展開も予想できないので、日本語に慣れていない学生だと難しいかもしれません。

アカシア:原文はすべて漢字ですが、たとえばイザナミは伊邪那美で、音を漢字にしている部分もあるので、漢字で書くと逆にわかりにくくなるからじゃないでしょうか。

さららん:絵の魅力に補われて、お話が語られているのを強く感じました。文章だけではよくわからず、これはどういうことだろう?と思う部分を、絵の中に読みとることができました。空飛ぶ船の絵が出てきますが、これは自由な想像なのでしょうか? それとも調べこんだからこその絵なのか、どっちなんでしょうね。

レジーナ:最初上がってきたのは普通の船の形をしていたのが、もっと自由に描いてほしいと言われて、こうなったそうですよ。もしかしたら、そこで調べられたのかもしれないけど。普通、船を描いてと言われて、この形は出てきませんね。

さららん:なんか宇宙船みたいですね。海にもぐるのも、潜水艦みたいで。そういうのも、子どもにはおもしろいでしょうね。絵があるから、文章をこれだけシンプルに保てたのでしょう。子どものころは、稲羽の白うさぎのお話が大好きでした。昔読んだ本では、うさぎを助けたのはオオクニヌシノミコト。この本の中ではオオナムヂと書かれていて、同一神なのだけれど、出世魚のように神様の名前が変わっていく。それがおもしろくもあり、やや煩雑にも感じました。死んだ妻をさがしに黄泉の国にいったイザナギの話は、オルフェウスの話に通じるし、ヤマタノオロチの首は8本あるけれど、他の西洋の物語の竜の首と数が共通しておもしろいと思いました。ちなみに古事記の特にアマテラスのエピソードが大好きな友人が海外に何人かいるのですが、日本人の自分は古事記と聞くだけで、警戒する部分がありました。天皇制に利用された物語、という印象が刷り込まれているからですが、そのあたりを、みなさんはどう思って読んだのか伺いたいと思います。

アカシア:「古事記」は上中下と3巻あり、中と下は天皇の系譜につながる部分がたくさんありますが、これは上だけなので、物語としておもしろく読めるんじゃないですか。

しじみ71個分:「古事記」は、子どものころに、1つのお話ごとの絵本がうちにあって、昔話として慣れ親しんでいました。もう少し大きくなってからは神話物語として読むことがあって、学生時代は日本思想の分野の研究対象として読んだ経験があって、向き合い態度を変えながらずっと触れていたものでした。なので、子どもの読み物として改めて読むと、自分の持っていたイメージとずれてくることがあって、それはおもしろいと思いました。改めて読んでみると、基本的に、神話=神様の物語の形式となっていても、中身を読むとほとんどは部族間の戦争みたいなもので、部族戦争が神の物語として描かれているのかな、という印象を持ちました。「人間」の話だとしたら、神様といっても人間くさくて、怒ったりすねたり、プリミティブな感じの、人間らしい正直な気持ちや素朴、粗野な行動が書かれていても納得できるなと思いました。
「古事記」の物語世界は、何をどう頑張っても空想するしかない世界なので、いろいろな解釈もできると思います。ですが、こうして絵がついてしまうと、イメージは限定的になるかなと思いました。日本列島のつくり方とかは、私の頭の中ではまったく違っていたし、神様がこんな服を着ているのは事実なんだろうか?とか引っかかるところはありました。また、山村さんの絵は白黒だけなのに、相当にインパクトがあって、タッチにも臨場感があるので、ヤマタノオロチの血が川に流れ込むあたりは怖いくらいだし、逆にヤマタノオロチ自身はけばだった感じが自分のイメージと違うと思いました。絵の力があるだけに、これを真実と思い込むことはないのかな、という疑問を感じます。白うさぎに騙されてうさぎの皮をはぐのはワニかサメかという論争があったけれど、ここではサメを選択して絵で書いていますね。原文ではワニになっているので、どうなのでしょうか?いずれにしても、この本文では絵と本文でサメ説を採ったのだなぁと思いました。全体的には、この物語は内容も絵も本当に力強いので、改めて読むと、ただの昔話と思って読んでいたのより、とてもおもしろいと感じました。

花散里:絵がとても気にかかりました。小学校高学年からを対象に作られた本かなと思うけれど、p34の「黄泉の国」の絵など、絵のインパクトが全体的に強すぎると思います。学習指導要領に伝統的な言語文化に触れる学習指導が求められ、昔話、神話・伝承など、たくさんの本が出版されています。何故、今、富安さんが古事記を取りあげたのか、山村さんの絵はどうなのだろうかと考えてしまいました。古事記は、稲羽の白うさぎなど絵本でもいろいろな形で出ています。この本を子どもたちは、どう読んでいくのでしょうか。古事記は発達段階が進んで、もっとよく理解できるようになってから別の形で読んでもいいのではないかと思います。

さららん:もともと山村浩二さんはアニメーションで「古事記」を制作しています。そういう形で、映像から古事記に入る人もあるだろうし、漫画の『ぼおるぺん古事記』(こうの史代著 平凡社)から入る人もあるのが現状です。入り方はさまざまでいいんじゃないかな?

アカシア:今は「古事記」ばやりなので、いろいろ本が出ていて、漫画やラノベにもなっています。復古的な意識のもあるし、そればかりじゃまずいと言うんで『松谷みよ子の日本の神話』(講談社)なんかもある。ちょっと前ですけどスズキコージさんの挿絵で『はじめての古事記』(竹中淑子+根岸貴子文 徳間書店)も出ています。そういう流れの中に、この本もあると考えたほうがいい。この本で最初におおっと思ったのは、イザナミとイザナキが夫婦になる場面なんですけど、原典では女神のイザナミが先に声を掛けると、女性が先に声を掛けるのはよくないとイザナキが言って、交わってもひるこが生まれる。高天原の偉い神様に相談すると、そこでも「女が先に行ったのが悪い」と言われる。そこでやり直して、イザナキが先に声を掛け、今度はうまくいく、ということになってるんですね。そこを読んだときは、ずいぶん女性差別的だなあ、と思ってたんです。でも、富安さんもそう思われたのかどうかはわかりませんが、この本では「女が先だったらだめ」という部分は省いてあるんです。ただ単にわかりやすくしてるだけじゃないんですね。
それからさっき神様の名前が多すぎるという声がありましたが、原典と比べると、マイナーな神様の名前はずいぶんと省かれています。そして、p97の「さて、これでひとまず、スサノオの話はおしまいとしよう」みたいに、途中で言葉を入れてわかりやすくしているのも富安さんの工夫だと思います。地獄に言ったら振り返っちゃダメとか、三枚のお札みたいな話とか、異界の食べ物を食べたら戻れないとか、世界の神話や昔話に共通するモチーフが、とてもわかりやすく語られているのも、いいですね。山村さんの絵ですが、私はこの本はグラフィックノベルだと思いました。ひどい絵の本もたくさんあるなかで、私はいい絵だと思いました。神様を人間っぽく描いていて、裸ん坊の姿も出てくる。あえてそう描いているのだと思うと、好感がもてます。

カピバラ:この本は5、6年生の子どもに読んでほしいと思って作られた本だと思うんですけど、「古事記」を今の子どもに楽しんでほしいという気持ちが表れていていいと思います。富安さんの文章はおもしろいし、全ページに絵をつけてあるので文章がページの半分しかないのも読みやすい。短編集のように、おもしろそうな話だけ読んだっていい。私たちが子どものころって、絵本などで「いなばの白うさぎ」「やまたのおろち」などの話を他の日本昔話と同じように知る機会は多かったのですが、今はそうでもないですから、「古事記」に触れる、という意味でこういう本を今出す意味をわたしは買います。もうちょっと大きくなってから、ちゃんとしたのを読むとっかかりになると思いますね。それと、私はこの表紙がとても好きです。何か変な人や、怪物みたいなのや、動物がちりばめられていて、ちょっとおもしろそうって子どもが手にとるんじゃないかな。

マリンゴ:最近の「古事記」ブームを私は知りませんでした。今、刊行数が増えてるのですね。私は「古事記」そのものにあまり馴染みがなくて、この本のおかげで、「やまたのおろち」や「いなばの白うさぎ」など、今まで断片的に記憶していたことが物語としてつながって、とてもよかったです。もともと山村さんの絵が好きなので、イラストが全ページに入って、しかも富安さんの文章なんて、奇跡のコラボみたいな本だなぁと思いました。絵のインパクトが残る子どもは多いでしょうけど、これで「古事記」に興味を持った子は、ほかの本も読むでしょうし、読まない子は、この本で「古事記」を知っておいてよかった、ということになるでしょうし、存在意義のある本だと感じました。

須藤:とてもよくできていると思いました。全ページにわたって絵が入って、そのため文章は短くかりこんでいるんですが、ちゃんとお話はまとまっているし、何よりおもしろい。いい本だなと思います。「古事記」自体は子どもの頃、赤塚不二夫のまんがで読んだっきりで、実はきちんと読んだことがあんまりなくて……。個々のエピソードがこういうふうにつながっていったのか、と改めて思いました。どぎついところはうまくごまかしたり削除されていたりして、それでいて神様がみんなめちゃくちゃなところはよく出ているし、子どもに「古事記」の世界を紹介したいときに、この本があるととてもいいんじゃないでしょうか。それから、途中から来たので前半聞けなかったのですが、絵については意見が出ていたんですか? ぼくはとても好きな絵でしたけど……。p202で、木花咲耶姫が燃えさかる産屋の中で赤ん坊を産む場面の、この迫力ある顔とか。

西山:絵の好きずきというより、物語に絵で触れることはどういうことなのか立ち止まって考えてみたいと、私は思ったんです。絵にしなくても物語は理解できるのに、視覚的「わかりやすさ」がそんなに大事かなと思います。入りやすいのは確かにそういう面はあるだろうけれど、物語の流動的なイメージ世界が限定されていかないか気になります。

しじみ71個分:好き嫌いというより、頭の中の造形と絵のイメージがちょっとずれるところはありますね。

西山:絵にしなくても、物語は理解できる。くまなく目に浮かばなくたっていいと思うんです。いつもいつも視覚的な理解が先立っているような気がします。

レジーナ:昔話は、絵にすると残酷だったり、絵では伝わらない要素があったりするので、絵本にするのは難しいという意見は昔からありますね。神話についても、同じように思われる方がいらっしゃるのかもしれません。私は、お話と絵の出会いが良い形であれば、それでいいように思います。「古事記」のお話を生で語れる人は、あまりいませんし。

しじみ71個分:おもしろいなと思うのは、ギリシア神話だと文字だけの本でも子どもが読んで、おもしろいって言うんですよね。特に男子でその傾向が強いような気が…。

花散里:今は歴史読物でも、織田信長がイケメン漫画の主人公のような表紙だったり、どうかと思うような児童書が出版されています。「古事記」も、登場人物がイケメンのような絵のものも出ている。学校図書館にもそういう本が入って行くのか、そういう出版の流れはどうなのかと思います。

しじみ71個分:最初のひる子流しの話は省かれていますよね。どろどろしたような話は省かれているのでしょうか。なので、個別のお話はある一定の方針で選ばれているんだなとは感じました。あの話は子どもの頃からいちばん気にかかっていた部分だったのですが。

須藤:絵のことでいうと、p169で事代主がのろいの逆手を打つ場面などはおもしろかったですよね。「手の甲と甲をうちあわせ」とあるけど、こうやって打つのか!って思いますよ。

アカシア:ここは絵がないとわからないですね。

しじみ71個分:だけど、これは本当にそうなんでしょうか?これも一つの解釈だと思うのですが…。

アカシア:調べてもわからないことはいっぱいあるかとは思いますが、監修の先生がついているので、今の説ではこうなっているという点は、おさえてあるのではないでしょうか。

すあま:「古事記」の話って、1つ1つ別々に知ることが多いですけど、この本ではすべての話がつながっているところがいいなと思いました。読みやすくてわかりやすかったです。絵については、第一印象ではあまりよいと思わなかったけれど、読んでいくうちに話の雰囲気に合っているように思えてきました。「絵物語」ということですが、大人だとある程度わかっているようなものも、子どもにはなかなかイメージしにくいことが多いので、全部注で説明するよりも絵でわかる方がよい、ということだと思いました。神様がとんでもなくてユーモラスなところもおもしろく読めます。でも、神様がいっぱい出てくるので、わからなくなってきました。人物の名前がおぼえられなくて海外文学が読めない、という人が多いようなので、登場する神様の紹介があるといいと思います。

アカシア:旧約聖書もそうですけど、系譜を長々と書いていくのは、そういう形式でリズムを作っているのかと思うので、いちいち紹介がなくてもいいように、私は思います。ちょっとわからなかったのは、私がコノハナサクヤヒメとおぼえていたのが、ここではコノハナサクヤビメとなっていて、他にもスセリビメというふうに「ビメ」があるかと思うと、クシナダヒメのように「ヒメ」もある、というところ。

しじみ71個分:Wikipediaで見ると、コノハナサクヤビメは木花之佐久夜毘売、スセリビメは須勢理毘売命・須世理毘売命、クシナダヒメは櫛名田比売となっているので、もとの漢字が違うのかもしれませんね。私も昔はみんなヒメと読んでいました。監修が入って厳密になっているのかもしれませんね。絵も物語も、神々が非常に人間くさく描かれていますが、もしかするとあえて、神性を否定的に描いているのかなとも思いました。

西山:原田留美という私の仲間が『古事記神話の幼年向け再話の研究』(おうふう 2017.12) https://honto.jp/netstore/pd-book_28883127.html というのを出してます。ワニかサメかについても、大変詳細に分析、考察されていますよ。

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アンヌ(メール参加):せっかく語り手が富安陽子さんなのに、最初の出だしがとても男性口調なのにはがっかりしました。古事記の語りは女性というイメージだったので(さくま:稗田阿礼については、一時期女性だという説が強かったのですが、今は男女両方の説があるようです)。絵については神々を極力美しく書かないで、身近な感じにしようとしたのかなと思いました。私は、伊藤彦造とか池田浩彰の挿絵で読んでいたので、神話の神々は美しく色っぽい神々という印象が残っています。

エーデルワイス(メール参加):絵物語ということで、全ページ挿絵があることに感心しました。読みやすかったです。ただ絵が大人好みなので、子どもが手に取るかな? 偶然ですが、こちらのグループで毎月『えほんの読書会』をしています。今月とりあげたのが山村浩二さんで、たくさんの絵本の絵を描いていて、有名なアニメーション作家であることも知りました。2002年『頭山』で国際アニメーショングランプリをとったことは記憶にありましたが。横道に逸れますが、山村浩二著『アニメーションの世界にようこそ』(岩波ジュニア新書)はおもしろかったですよ。

(2018年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2018年10月 テーマ:古典を今によみがえらせる

日付 2018年10月30日
参加者 アカシア、カピバラ、さららん、しじみ71個分、すあま、須藤、西山、ネズミ、花散里、ヘレン、マリンゴ、レジーナ、(アンヌ、エーデルワイス)
テーマ 古典を今によみがえらせる

読んだ本:

富安陽子文 山村浩二絵 『絵物語 古事記』偕成社
『絵物語 古事記 』
富安陽子/文 山村浩二/絵 三浦佑之/監修   偕成社   2017.11

<版元語録>『古事記』の上巻におさめられた神話が、富安陽子さんの息のかよった文章で生き生きとよみがえりました。全ページ、山村浩二さんによる挿し絵入りで、迫力のあるイメージが広がります。子どもから大人まで、初めて読む『古事記』の決定版です。


日本児童文学者協会編『迷い家:古典から生まれた新しい物語・ふしぎな話』偕成社
『迷い家 』
日本児童文学者協会/編 平尾直子/絵   偕成社   2017.03

◆村上しいこ 作「やねうらさま」、二宮由紀子 作「魚心あれば?」、廣嶋玲子 作「迷い家」、小川糸 作「三びきの熊」 <版元語録>古典をモチーフにした4つの物語を収録。不思議をテーマにしたそれぞれの作品の最後に著者メッセージ、巻末に古典への読書案内を掲載した。


ピウミーニ著 ケンタウロスのポロス
『ケンタウロスのポロス 』
ロベルト・ピウミーニ/作 長野徹/訳 佐竹美保/絵   岩波書店   2018.05
FOLO, IL CENTAURO by Roberto Piumini, 2015
<版元語録>舞台は古代ギリシア。若いケンタウロスのポロスは英雄ヘラクレスに出会い、英知を得るための旅に出た。ヘラクレスやアマゾン族に育てられた少女イリーネらの助けをかりて、ポロスは試練をつぎつぎに乗り越えるが、そのころ故郷では悪がはびこりつつあり……。イタリアの言葉の魔術師、ピウミーニによる「行きて帰りし物語」。

(さらに…)

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フラダン

『フラダン』をおすすめします。

男子高校生の主人公が、強引な勧誘を受けてしぶしぶのぞいてみたフラダンス愛好会は、なんと女子ばかり。

と、そこへ個性バラバラなほかの男子3人も入ってきて、「フラガールズ甲子園」に向けた特訓が始まってしまう。

笑いながらぐんぐん読める青春小説だが、福島を舞台に、多様な人々とのふれ合いや原発事故のその後をめぐる状況も描かれていて、味わいが深い。

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年7月28日掲載)

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たしろちさと作『はなびのひ』佼成出版社

はなびのひ

『はなびのひ』をおすすめします。

子ダヌキのぽんきちは、今夜は花火職人の父親がでかい花火をあげるというので、朝からそわそわ。そのうち母親から、父親に握り飯を届けてくれと言われて、ぽんきちは勇んで出かける。

その後ろから、もう花火が始まるのかと勘違いした、ご近所さんがぞろぞろ。

動物たちで描く江戸の花火大会の絵本。

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年7月28日掲載)

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濱野京子著『ドリーム・プロジェクト』PHP研究所

ドリーム・プロジェクト

『ドリーム・プロジェクト』をおすすめします。

同居した祖父が寂しそうなのに気づいた中2の拓真は、友だちの知恵と協力も借りて、かつて祖父が住んでいた山間の家を地域の集会所にしようと、クラウドファンディングで古家の修理費を集めることに。

果たしてお金は集まるのか? どきどきしながら楽しく読めて、社会参加の仕方についても考えられる作品。

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年6月30日掲載)

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トンケ・ドラフト作 西村由実訳『青い月の石』岩波少年文庫

青い月の石

『青い月の石』をおすすめします。

伝承遊び歌から始まる冒険物語。

少年ヨーストは、青い月の石を手に入れようと、いじめっ子のヤンと一緒に地下世界の王を追っていく。その途中で出会うイアン王子は、父王が地下世界の王と交わした約束を果たしにいくところだ。

3人は、地下世界の王の末娘ヒヤシンタに助けてもらい、それぞれの任務を遂行して無事に戻ってくるのだが、タブーをおかしたイアン王子は、最愛のヒヤシンタのことを忘れてしまう。そこで今度は少女フリーチェも加わり、王子に記憶を取り戻させるための次の冒険が始まる。

オランダ屈指のストーリーテラーが伝承物語のモチーフをふんだんに使い、豊かなイメージで現実とファンタジーの間に橋を架けた作品。

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年5月26日掲載)

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寮美千子文 小林敏也画『イオマンテ:めぐるいのちの贈り物』ロクリン社

イオマンテ〜めぐるいのちの贈り物

『イオマンテ〜めぐるいのちの贈り物』をおすすめします。

アイヌの熊送りの儀式をめぐる絵物語。

少年の家出は、父親が仕留めた母熊の子どもを神として大事に育てるが、やがて別れの日がやってくる。

詩的な文章と美しい絵が独特の世界をつくり、生命が軽視されることも多い今の時代に、「いのちのめぐみ」を受け取るとはどういうことかを伝えようとしている。

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年4月28日掲載)

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ライナー・チムニク作・絵 上田真而子訳『熊とにんげん』徳間書店

熊とにんげん

『熊と人間』をおすすめします。

喜びと美しさと悲しみがたっぷりつまった絵物語。主人公は、踊る熊と、熊と一緒に旅をする「熊おじさん」。おじさんはお手玉の名手で、熊にお話を聞かせ、季節の変化を楽しみ、角笛で澄んだ音を奏でる。

心に響く名訳で、人間が生きるうえで必要なものは何かを考えさせてくれる。

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年2月24日掲載)

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エミリー・バー『フローラ』

フローラ

『フローラ』をおすすめします。

主人公のフローラは17歳。10歳の時に交通事故に遭い、それ以降の記憶は数時間しか保てなくなっている。そのフローラが恋をしたのは、親友ペイジの彼氏だったドレイク。このドレイクって男、見た目はいいけど、最初からどうもうさんくさい。フローラの記憶障害につけこんでいるふしがある。

でも、フローラは「ビーチでドレイクとキスした」ことを忘れないようにノートに書き、それを何度も見返し、ますます想像を膨らませて、ドレイクが引越した先のスヴァールバルへと出かけていく。

ところで、事故の際、車を運転していた母親は、この事故を自分のせいだと思い込み、娘のフローラを真綿でくるむようにして育て、常に精神安定剤や抗うつ剤を飲ませて、危険な目に遭わないように「守っている」。でも、フランスに住んでいる息子(フローラの異父兄)がガンで死にかけているというので、やむをえずフローラをペイジに託して夫と一緒に息子のもとへ駆けつける。ところが託された方のペイジは、フローラに彼氏を取られたと思い込み、付き添いを放棄してしまう。というわけで、家にだれもいなくなったすきに、フローラは旅に出るのだ。

こういう状態におかれたフローラが、自分ひとりで計画を練り、フライトや宿を予約し、旅の準備をするのは、ずいぶんと大変なことだ。でも、すべてメモを取って絶えずそれを確認しながら、なんとかやりとげていく。読者は、フローラの勇気に感心しながらも、不誠実らしいドレイクとはうまくいかないとだろうと予感して、ハラハラしながら物語を読み進めることになる。

甘いラブストーリーではない。スヴァールバルでフローラが出会った人が言う。「きみはここにドレイクを見つけにきたんじゃないと思うよ。自分自身を見つけにきたんだ」。そう、これは、母親が勝手に作ったイメージから脱け出して、本当の自分をさがそうとする、勇気ある女の子の物語でもある。

(「トーハン週報」2018年8月13・20日合併号掲載)

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2018年07月 テーマ:子どもと花をめぐる物語

日付 2018年7月17日
参加者 アカシア、アンヌ、さららん、ととき、花散里、ハル、マリンゴ、
(エーデルワイス)
テーマ 子どもと花をめぐる物語

読んだ本:

中澤晶子『さくらのカルテ』
『さくらのカルテ 』
中澤晶子/作 ささめやゆき/絵   汐文社   2018.04

<版元語録>サクラハナ・ビラ先生は桜専門の精神科医。ストレスで病気になった桜の治療をしています。古都の桜はなぜ不眠症になったの? 福島の桜の悩みは? 時代も国も違う3つの桜の物語。2017年「毎日新聞西日本版」連載の単行本化。


エミリー・バー『フローラ』
『フローラ 』
エミリー・バー/著 三辺律子/訳   小学館   2018.02
THE ONE MEMORY OF FLORA BANKS by Emily Barr, 2017
<版元語録>記憶障害の少女フローラが唯一覚えていたのは、あこがれの彼と水辺でキスをしたことだった。絶対に忘れられないラブストーリー。


ジョン・デヴィッド・アンダーソン『カーネーション・デイ』
『カーネーション・デイ 』
ジョン・デヴィッド・アンダーソン/作 久保陽子/訳   ほるぷ出版   2018.04
MS. BIXBY'S LAST DAY by John David Anderson, 2016
<版元語録>12歳のトファー、スティーブ、ブランドの担任・ビクスビー先生は、一人ひとりをよく見て、さりげなくアドバイスしてくれる信頼できる先生だ。ところが先生がガンで入院し、突然会えなくなってしまう。どうしても伝えたい事がある3人は、学校をサボってお見舞いに行くことにしたが…病院までの道中で起こるアクシデントやケンカで、それぞれの悩みが見えてくるが…。3人の成長物語。

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ジョン・デヴィッド・アンダーソン『カーネーション・デイ』

カーネーション・デイ

さららん:たった半日の小さな大冒険ですが、最後まで読むと、3人の人間関係、悩みなどいろんなことがわかってきて、内容的には正道の児童文学だと思います。読み始めて、造語がうまいな、と思いました。どうしようもない人のことを「ナシメン」と名付けるとか、今っぽい。また主人公3人が、社会のいろんな層から出ているところもいい。ただ最初の方で、3人の語りというルールがよくわからなくて、ときどき混乱しました。3人の性格がわかってくると読み解けるのですが、トファーとスティーブの語り口が似ています。もうすこし文体の面や、小見出しを大きくするとか、子どもが入りやすい工夫が必要かも・・・。ダブルミーニングをちゃんとダブルで訳しているところはいいですが、訳がわかりにくいところもありました。ひとりひとりの子どもをよく見ていて、必要な言葉や手をさしのべるビクスビー先生は素敵。やっと会えた先生に、ブランドがどんな励ましの言葉をかけたか書いていないところが、逆に物語の世界の奥行を広げているなと思いました。

アンヌ:私はとても読みづらくて、最初のうちは3人の区別がうまくつかないまま話が進んでいく感じで苦労しました。『二十四の瞳』(壺井栄著 岩波文庫)みたいに苦労しながら先生を訪ねていく話なんだと了解してから、やっとすらすら読んでいけました。古本屋の場面とか、あきらめて帰ろうと乗ったバスにお酒を盗んだ男が乗ってくるとかは、うまい作りだなと思いました。でも、ケーキや音楽の謎がやっと解けるのがエピローグなので、全体としてはわからないままいろいろ進んでいく感じが強かったです。読み終わってみると、良い物語だったなと思えるのですが、先生が亡くなる話なのはつらいですね。

アカシア:この先生が魅力的に描かれているので、おもしろく読みました。世界には6種類の先生がいる、なんていうところも、なるほどと思ったりして。ただ残念なことに、最初の出だしにひっかかってしまった。「謎の菌」は、アメリカの子どもたちがよく使うcootieという普通名詞だと思いますが、「謎の菌」だとうまく伝わらないかも。「菌急事態」も、会話だと「緊急事態」と同じになってしまうので、もう一工夫あったほうがよかった。訳者が苦労されていることは伝わってきますが。それに、ほかの方もおっしゃっていましたが、前半部分、3人の少年が同じような口調で語るので、だれがだれだかわからなくなります。もう少し区別できるような工夫があるとよかったですね。P26の「レッド・ツェッペリンのリードは?」に対して「ツェッペリン飛行船が鉛(ルビ・リード)でできているわけないですよ」と返す部分。鉛の発音はリードじゃなくてレッドなので、変です。もう一つ気になったのは、少年たちが「最後の日に何をしたいか」という話を先生が授業でしたのをおぼえていて、それをそろえてお見舞いに行こうとします。この先生はまだ入院したばかりで、回復する可能性だってあるんじゃないかと、私は思ってしまいました。それなのに「最後の日」に食べたいといったケーキやポテトチップスを持って行ったりする。日本の子どもだったら、たぶんしないでしょうね。でも、前にこの会でとりあげた『クララ先生、さようなら』(ラフェル・ファン・コーイ作 石川素子訳 徳間書店)も、死を前にした先生に子どもたちが棺桶を送るという設定になっていました。だから、外国では、そんなに不思議なことではないのかもしれませんね。

マリンゴ:いい話だと思ったし、読後感もとてもよかったです。ただ、みなさんがおっしゃっているように、視点の切り替えが頻繁すぎて、特に序盤は誰目線なのかわからなくなりました。3人の感情表現が似ている上に、ゴールが一緒であるため、混同しやすくなるんじゃないかと思いました。みんな先生が大好き! なんですけど、たとえば1人は、先生に対して何か複雑な感情を抱いているとか、そういう違いがあれば、視点が変わっていく意味も大きくなったかもしれません。序盤の1人の視点を長めにするか、あるいは全体を三人称にしたほうが読みやすかったかも。著者には叱られるかもしれませんが、もしかしたらスティーブの視点固定でも一応成立は可能な物語だったかな、なんて考えながら読んでいました。あと、「すい管せんがん」と先生がはっきり病名を言うところは、日本ではなかなか考えられないシーンで、印象的でした。私はすい臓関係の病気、少しくわしいので、ラストの部分、「すい臓の病気で、フライドポテトそんなに食べたらあかんー!」と思わず悲鳴を上げたくなってしまいました。でも、自分が言ったことを、子どもたちが覚えてくれていた、というのは大きな喜びでしょうね。

ハル:私も、ブランドの節に入って、一人称が変わって、初めてそういう構成なんだと気づきました。見出しでページを変えるとか、本づくりにもう少し工夫があってもよかったのかなと思います。でも、物語自体はとても良いお話だと思いました。高価なケーキや未成年では買えないワインを一生懸命買おうとするのも、大人になった今だから「そんなのいいのに!早く会いに行って!」と思うけど、子どもたちにとったら一大事で、大冒険で、ゆずれないところですよね。全体的に、あからさまに書かないというか、まわりくどい書き方というか、大人っぽい書き方だなとは思いました。余談ですが、学校をさぼらなかった子たちにも、『指輪物語』の最終章、聞かせてあげたかったな。

西山:感想は、みなさんとまったく一緒! え、ちょっと待ってと立ち止まった場所もたぶん一緒です。最初は、ちょっと腹を立てながら読みました。自分がレポーターか何かなら、登場人物メモでも作りながら読むけれど、一読者としては、そんな手間をかけなくてもページをくっていけなければ読書は楽しめません。それど、彼らのうかつさは、リアルなんだとは思います。だから、子ども読者には共感を持って読まれるかとは思いますが、正直なところ、次々と繰り出される失敗は若干ストレスでした。いや、ケーキ背負って走ればぐちゃぐちゃだろ、とか。もう少し読みやすければよかったのに。原書もこういう作りなんですよね? だとすると、勝手に三人称にすることはできないし・・・。

アカシア:話者が替わるところで、ちょっとずつ違うそれぞれの男の子の似顔絵をつけるとか、それくらいはできるでしょうけど。

花散里:がんの宣告を受けた先生を思う3人の少年たちの物語で死を描いた作品として、人の死をしんみりと思わせてくれると紹介され、1回目は一気に読みました。2回目に読み返した時には、目次がないし、p89のスペイン語がそのまま書かれていたり、登場人物が区別しにくいなど、日本の子どもたちが読んだときにどうなのか、と、気になってきました。3人の少年たちにとって特別な1日であったというこの作品に、このタイトルでいいのか、と思ったり、表紙の絵や装丁にも引っかかりました。編集や翻訳の方も、日本の子どもたちが読むときのことをもっと考えてほしいな、と思います。私は、優れた海外の翻訳作品を日本の子どもたちに手渡したいといつも思っています。そのためには、こなれた日本語にする翻訳者の方、編集者の方の力が大きいのだと改めて思った作品でした。

アカシア:今おっしゃったp89のスペイン語は、日本の子ども向けだったらアルファベットで出しておく必要がないですよね?

花散里:そう、そういうことろは、編集者の人に目配りしてほしいですよね。日本の子どもたちがどういうふうに読むか、をちゃんと考えてほしいものです。読んで、すっとわかるようにしておいてほしいです。

さららん:翻訳物の場合、中身を全部わかるようにするのは難しいけれど、でもだからこそ、訳者と編集者が一丸となって、読みやすくする配慮が不可欠だということですね。

花散里:会話で文章が続いていくところは、とくに気になりました。「世界には6種類の先生がいる」と、先生のタイプをあげていくところなどはおもしろく読みましたが・・・。

(2018年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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エミリー・バー『フローラ』

フローラ

アンヌ:最初は苦手な設定だなと思っていたのですが途中から夢中になり、よくできた推理小説を読み終えたような気分になりました。恋をすると今まで使わなかった脳の部分が活性化するんだとどきどきしながら読んでいきましたが、でもそれは精神安定剤のような薬を飲まなかったせいで一種の躁状態になったからなんですね。少し、残念です。でも、記憶がなくても記録をすることで生きていけるという事がわかって、予感していたような嫌な話ではなく、親友のペイジと仲直りもできてほっとしました。

ととき:ミステリーとしてのおもしろさで、はらはらしながら最後まで一気に読みましたが、主人公があまり好きになれなくて・・・。フローラは、10歳までの記憶はあるんですよね。お兄さんが、自分をとてもかわいがってくれたことは覚えている。でも、重病で死ぬかもしれないお兄さんのところに行くより、キスしてくれた男の子のほうに行っちゃうんですよね。それがYAといえば、それまでだし、海外でよく売れている理由でもあるんでしょうけれど。なにかに突き動かされて書いたというより、こういう障がいのある主人公をこんな風に動かせばおもしろいものを書けるんじゃないかという作者の意図がまず先にあったような感じがして。まあ、エンタメというのは、そんなふうに書くものなのでしょうが・・・。小川洋子の『博士の愛した数式』(新潮社)は、おなじ障がいを扱っていても感動したし、大好きな作品ですが。

アカシア:フローラは、お兄さんがどこに住んでいるかはわかっていないんですね。キスしたことを覚えているのは、忘れないようにノートに書いて、それをいつも見ているからだと思います。それに、そこが自分が生きることにとってとても重要だと思ったから。私は、エンタメだからこの程度とは思わず、この作者はその辺まできちんと目配りをして書いていると思いました。

さららん:3部構成が、とてもわかりやすかったです。記憶を留めておけないフローラの語りが断片的で、でもその感じ方と一体化すると、自分とはまったく違うフローラの感覚で世界が紐解けてくる。そこがすごくいいですね。例えば心は10歳のままなのに体は大人、その違和感を伝える語りが実に巧みです。キスの記憶、タトゥーなど、記憶と体の関係を描いているところにも注目しました。後半で登場する兄ジェイコブの存在は、読者に(そしてフローラ自身にも)隠されている家族の秘密を解き明かすに重要な存在。でも、危篤のはずの兄から、フローラに届く手紙やメールの翻訳文体が元気だったので、私の中では兄の人物像がうまく結べませんでした。1部、2部で残された謎が、3部ですべて手紙を使って種明かしされる。フローラ自身のハンデを思うと、それしか読者に伝える方法がなかったのかもしれない。ただ1部、2部までの展開と盛り上がり、息をのむほどの面白さを考えると、これ以外に物語を終わらせる方法はなかったのかな、と思いました。

花散里:物語の展開にドキドキしながら衝撃を受け、精神的には怖いようにも感じながら読みました。「自分探しの物語」というYAの作品のおもしろさを充分に感じました。アスペルガーやディスレクシアなど障がいを持った主人公の作品が最近のYAには多いですが、記憶が短時間しかもたないという記憶障害を抱えた少女フローラの語りに引き込まれていきました。自分に記憶を与えてくれたドレイクを追って北極へと旅立つ第2部、妹を思う兄からの手紙で物語が大きく展開していく第3部へと、構成もうまいと思いました。わが子が可愛いばかりに、という母親の思いは複雑でしたが・・・。友人のペイジ、ノルウェーの人たちなど、フローラに関わる登場人物も魅力的に描かれていて印象に残りました。

西山:読み始めは、うわーまたこういう認知が独特な主人公の一人称で内面に付き合わされるのか、つらいなぁと思ったのですが、投げ出す前にぐんぐんおもしろくなりました。今回、テキストにしていただいて本当に良かったと思っています。『カッコーの巣の上で』を思い出しました。じつは、映画と芝居を見ただけで原作は読んでないんですけどね。結局、奇をてらった難病ラブロマンスではなく、思春期の親子関係の物語だったんですね。普遍的な物語だとわかって、とても共感しています。いつまでも、フローラを10歳のままで止めて庇護したい母と、17歳の思春期に入っている娘の確執。フローラが外に出ていくという展開がすごくおもしろかった。スヴァールバルの人たちの寛容さの中では障がいが障がいでなくなっている、その在り方も素敵でした。ドレイクのやったことは、障がい者に対する性加害を考えさせられました。相手が被害を告発する力がないと思うから、そういう行動を取る卑怯さといったら! 障がいの有無に限らず、セクシュアルハラスメントの構造ですね。

ハル:私は・・・こういった記憶障害の例は確かにあるんだと思いますが、なんだかちょっと言いにくいですけど、正直言って「子どもが考えそうな筋書きだな!」と思いました。ドレイクとの関係は恋愛ではありませんでしたよね。友達もそれをわかっているのに、そのドレイクとキスをしたことが「あなたは頭のいいかっこいい男の子とキスだってできる」とフローラに自信をもたせる理由になるのがわかりません。なんで?「頭のいいかっこいい男の子」って、だれが? これ〈ラブストーリー〉ではないですよね。なんで? なんで? と、イライラしながら、なんだかんだで結局一気に読みました(笑)。その、「一気に読ませる」力はすごいと思いました。

マリンゴ:同じことの繰り返しで読みづらいかなと最初は心配だったのですが、あまり苦にならず、むしろ惹き込まれて読んでしまいました。すごい筆力だなぁ、と思います。ドレイクのクズっぽさがいいですね。中途半端に改心せずに、最後までクズでいてくれてよかった気がします(笑)。物語の皺寄せが全部ジェイコブに行きすぎてるかなとは思いましたけど。事故で大やけどを負って、ゲイで生きづらくて、20歳そこそこで肝臓がんですものね。過酷すぎます。フローラのような高次脳機能障害というと、私は料理研究家のケンタロウさんを思い浮かべます。高速をバイクで走っていて6メートル下に転落して、奇跡的に命は助かったけれど、記憶障害になって・・・。でも、当時は寝たきりだったのが、今は車椅子で動けるようです。少しずつよくなるという希望があるのではないかと思います。この本と同じように。なお、北極の街として登場するロングイェールビーンですが、NHKの特集で見たことがあります。世界最北の街で、(スヴァールバル条約に加盟している国であれば)どこの国籍でも無条件で移住してきていい、自由に商売をしていい、という特別な地区で、活気があってみんなフレンドリーでした。だから、フローラにみんなが親切にするのは、ある意味、とてもリアリティがあるなと思いました。ただ、物語で唯一気になったのは、メールのアカウントをフローラが自分で作ったという件ですね。どうしても、そこもドレイクがやったのだと思いたい自分がいます。1~3時間の記憶しか持たない中でどうやってやれたんでしょうね。

アカシア:おもしろく読みました。私の感想は、ほぼ西山さんと同じです。最初は、困難を抱えた人の一人称はしんどいな、と思ってさまよいながら読んでいたんだけど、だんだん引き込まれて、フローラが手ひどい目にあうのかと心配になり、そのうちフローラが自立するのを応援したくなり・・・と、読みながら気持ちが変わっていきました。アマゾンには小学館からのセールス言葉で、「絶対忘れられないラブストーリー」と書いてありますが、それはこの本のテーマからはずれているし、内容とも違いますね。障がいを持っていながら自立していく少女の物語で、考えさせる要素をいっぱい含んでいます。この母親は客観的にはひどい親ですが、なぜこうなってしまったかが書かれているのでリアリティがあります。最初は怒っていたペイジが、フローラに「本当の自分」を取り戻させようとするようになるのも、納得できるようにリアルに描かれています。他の方たちが、リアルではないと疑問を投げかけた点は、私はすべて説明がつくように描かれていると思っています。でも、一つだけ疑問だったのは、この母親が、フローラを置いて夫とフランスに行くという設定です。最初はパスポートがないと言うので、ああそうか、と思っていましたが、パスポートは結局あったわけですよね。だとすると、フローラがこれまでにも2回家出をしていたこともあり、自分のそばに四六時中おいて監視しようとするほうが自然なんじゃないかと思いました。ネットで前向性健忘症についてチェックしてみましたが、何かのきっかけで直る場合もあるようですね。でも、抗うつ剤などを飲ませて不活発にしておいたらダメらしいですね。そういう意味では、この本の終わり方には希望が持てます。

 

エーデルワイス(メール参加):18歳で自立できるなんて、日本と比べて感心してしまいます。主人公フローラの未来を明るく見せているので、読後感がさわやかです。p273でお兄さんが、「もう精神安定剤を飲まされないようにしろ。おまえはおまえでいるんだ」と述べているのが心に残りました。

(2018年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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中澤晶子『さくらのカルテ』

さくらのカルテ

マリンゴ:とてもおもしろいアイデアで、魅力的だと思いました。桜を診察して治療する、というのがいいですよね。リアルな樹木医ではなくファンタジックな世界観なのも興味深かったです。それだけ思い入れを持って読んだぶん、ちょっと残念だなと思った部分がいくつかありました。p11で「ばかでかい鏡を立てた」「さくらの木の不眠症は、治りました」という事例が書かれていて、なるほどそういうパターンの物語が出てくるのね、と思いながら続く1つめのお話を読んだら、まったくこの事例そのまんまで・・・。なぜ先にネタバレしてしまうのか! オチを知らなかったら楽しく読めたのに。子どもには、概要をあらかじめ説明したほうがわかりやすいと考えたのかなぁ。あと、p20「池の端に立っているさくらならば、水面に映った自分を見ることができるのでしょうが、ここに池はないのです」という一文があることによって、あ、オチの部分、鏡を立てるより池を作るほうが、もっと風流なエンディングになったんじゃないか、と思ってしまいました。あとは、全体のバランスですね。1話目がほんわか昔話風なのに対して、2話目がベルリンで、3話目が福島。全部で5話くらいあって、2話がベルリンと福島ならバランスいいと思うのですが、3話だったら、うち2話がほんわか系のほうがよかったんじゃないかなぁ、と。

ハル:私は、1話目のようなお話をもっと読みたかったです。これが2話目、3話目から始まっていたら、そういう本なんだなと思ったんだと思いますが、1話目から読んでしまったのでそう思うんだと思います。きっと、2話目、3話目を書きたくて始まった企画なのだろうとは思いますが・・・教訓とか「人間とは」とか、そういう勉強のために読むのではない、読んで楽しい(だけでなくてももちろんいいですが)子どもの本をもっと読みたいと最近思います。

西山:再読する時間がなくて発売後すぐに読んだきりですが、一番印象が強いのは「太白」ですね。p21の5行目「自分の考えなど、たずねられたこともない小坊主」が「さくらの何がうつくしいと感じますかな」と問われて、ほおを「濃いさくら色」に上気させて答える場面が好きでした。何かがうつくしいと心奪われる、苦しいような切ないような感触が思い起こされます。でも、ベルリンと福島の物語が『こぶたものがたり』『3+6の夏』(ともに中澤晶子作、ささめやゆき絵)と同様に、中学年ぐらいで読めるコンパクトさで書かれていることは貴重だと思っています。歴史的、社会的テーマを扱った作品はどうしてもボリュームのある、高学年向き、YAとなりがちなので。

花散里:ささめやゆきさんの表紙絵から中学年ぐらいの子がこの本を手に取るのではと思いましたが、京都の太白のお話など、最初の展開から、もう少し上の学年の子でないと物語に入っていけないのではないかと感じました。作者が描きたかったのは、ベルリンや福島のことでは、と推測される「さくらの物語」だと思いますが、読者対象を選ぶのが難しいと思いました。福島のことや、「さくら」をテーマにしたブックトークの中で紹介するなど、子どもたちに手渡して行きたい作品だと思います。

さららん:「さくらのカルテ」というタイトルのつけかたといい、導入といい、全体的によくつくりこんだ本だと思いました。あとがきのかわりの「さくらノート」がとてもおもしろかった。この物語を書くきっかけになったのか、あとから調べてわかったことを付け足したのか・・・その両方かも。3つの物語が成立していく過程はそれぞれ違っていたはずで、想像する楽しみがさらに残ります。なにしろ第1話の「京都・太白」と、2話の「ベルリン・八重桜」の味わいが全然ちがっている。3話の「福島・染井吉野」まで読んで、あーこれが書きたくて前の2つも書いたのかな、と思いました。さくら専門の精神科医とその助手を狂言回しに登場させることで、味わいの違う3つをぴったりくっつけたかというと・・・そこはやや疑問ですね。意欲的な失敗作というと言いすぎかも。意欲作であることは確かです。

ととき:いい作品ですね。芭蕉の俳句「さまざまのこと思いだすさくらかな」を思いだしました。そういう桜に対する思いって、外国に紹介したとき分かってもらえるかな? みなさんがおっしゃるように、作者が書きたかったのは第3話の夜ノ森地区の桜の話だと思いました。第1話は、落語の『抜け雀』を思わせる展開でおもしろく読ませ、第2話の斎藤洋さんの『アルフレードの時計台』のような雰囲気の話で、ちょっとしっとりと考えさせて、第3話に続ける構成がいいなと思いました。小学生にはわからないのでは? ということですが、おもしろい物語だなと思って心に残っていけば、今はベルリンのことや福島のことが理解できなくても、やがて大きくなって「ああ、そうか!」と思うときが来るんじゃないかしら。私自身も、そういうことがよくありました。それもまた、本を読むことの素晴らしさだと思います。戦争を体験した世代が、いろんな形で戦争のことを書きつづけてきたように、福島のことも書きつづけて、次の世代へ、また次の世代へとつなげていってほしいと切に思います。それも、児童文学の使命のひとつなんじゃないかな。ただ、狂言回しのお医者さんと看護師さんのネーミングがいやだな。じつをいうと、最初にそこを読んだときにうんざりして、読むのをやめようかなと思いました。

アカシア:さっき花散里さんが、これだと背景が分からないから小学生には難しいとおっしゃっていましたが、難しいと読んでもらえないということですか?

花散里:さくら専門の精神科医「ビラ先生」とか、ネーミングはおもしろそう、と子どもは読んでいくのかもしれませんが、作者が伝えたいと思っているベルリンの八重桜や福島のお話に入っていけるのかなと感じたんです。

アンヌ:私も、マリンゴさんがおっしゃったように5話くらいあればと思いました。ベルリンと福島の桜の話が書きたかったというのは分かるのですが、私はもっと第1話の「京都・太白」のような物語をあと2つくらいは読みたかった。絵から抜け出る話はよくありますが、花びらがひらりと飛んでいくというのはとても美しく、錯覚としても起こりそうな感じです。こういう不思議な話の形でメッセージ性のある作品を書くのであれば、せめてもう1話ぐらい語り手にまつわる話とかがあってもよかった気がします。私はこの語り手の語り口にはとてもはまってしまい、ネーミングも好き、大好物が桜餅で2つ食べちゃうところも好きです。だから、「ベルリン・八重桜」でビラ先生が活躍していないのが物足りなくて残念でした。

ととき:あと2話あったら長すぎない?

アンヌ:確かに、5話入れるには最初の1話が長すぎますね。さくらふりかけさんが先に鏡の治療法を話してしまうのを削って、絵師が絵を描く話と治療の話に分けて最初と最後に入れるのはどうだろうかとか、いろいろ考えてしまいます。

アカシア:私は、この作家・画家のコンビによる『こぶたものがたり』(岩崎書店)がとても好きなので、それと同じような作品かと思って読み始めたのですが、あっちはチェルノブイリと福島の子ブタがそのまま出てきて、その2箇所を子どもの手紙が直接結ぶという設定だったと思います。こっちは、それができないので、サクラハナ・ビラ先生とか、助手のさくらふりかけ、といった狂言回しのような存在を出してきたんでしょうか。この狂言回しの2人は、時空を超える存在なので、いかにも人間というかっこうで出てきちゃっていいのかな、と思いました。もっとスーパーナチュラルな存在(たとえば妖精とか小人)として描いたほうがよかったのでは、と思ったのです。1つ1つの桜のお話はなかなかおもしろかったのですが。たぶん作者がいちばん書きたいと思われたのは、福島の桜なのかなと思いましたが、それぞれにテイストが違うので、ちょっとちぐはぐな感じがします。2番目のお話に出てくるエヴァは、ドイツ語だと普通はエーファあるいはイーファになるのでは?

西山:作者の経験から考えて、「エファ」の発音をご存じないはずはないと思います。日本の読者の耳なじみにあわせて、ということありますかね?

ととき:登場人物の名前の呼び方は、難しいですね。いろんな読み方があるときにも、作者の好みがあるし…。

アカシア:でも今はほとんどの本では現地音主義になっているように思っていたので。

 

エーデルワイス(メール参加):ささめやさんの絵が好きです。この表紙もインパクトがありますね。内容は、ささやかなようで壮大なテーマを扱っているようです。特に最後の「福島・染井吉野」は、作者の一番つたえたかったことでしょうか? この本のように、一見幼年童話のように見えて、中身は重厚な本が最近増えているように思います。

(2018年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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ジョナ&ジャネット・ウィンター作 さくまゆみこ訳 『この計画はひみつです』

この計画はひみつです

本の袖にはこう書いてあります。

ニューメキシコの砂漠の名もない町に科学者たちがやってきました。
ひみつの計画のために、政府にやとわれた科学者たちです。計画は極秘とされ、だれひとり情報をもらしません。
思いもよらないものが作られているにちがいありません。もうすぐ完成しそうです。
時計の針がチクタクと時を刻み・・・・・・

ちょっと怖い絵本です。子どもにどうなの? という方もいらっしゃいますが、今は、妖怪よりもお化けよりもバンパイアよりも怖いものが、子どものすぐ近くに存在しているように思います。あまり小さい子どもには何が何だかわからないかもしれませんが、小学校高学年くらいから大人まで、読んでもらえるとうれしいです。文章を書いたジョナ・ウィンターはジャネットの息子さんで、伝記絵本なども手掛けています。
(編集:高瀬めぐみさん 装丁:鳥井和昌さん)

◆◆◆

<作者あとがき>より

1943年3月、アメリカ合衆国政府は、科学者(原子物理学者や化学者や研究者)をニューメキシコ州のへんぴな砂漠地帯に集めて、ひみつの計画にとりかかりました。〈ガジェット〉とよばれるものをつくるためです。このへんぴな場所には、ちゃんとした地名がなく、アメリカ政府には「サイトY」という暗号でよばれていました(もともとは、ロスアラモス・ランチ校という私立のエリート男子校があったところです)。それは、サンタフェから車で45分の場所にあり、場所を示すものは、郵便を受けるための「私書箱1663」という数字だけでした。この計画のリーダーは、J・ロバート・オッペンハイマーという名高い科学者で、アメリカばかりでなく世界中から優秀な科学者を集めていました。その中には、ナチスドイツから亡命した科学者も、ノーベル賞受賞者もいました。その科学者たちのチームがつくりだしたのが、最初の「原子爆弾」です。完成すると、1945年の7月16日に、ニューメキシコ州南部の砂漠で、最初の核実験がおこなわれました。実験の場は「トリニティ・サイト」と名づけられ、ホワイトサンズ性能試験場(現在のホワイトサンズ・ミサイル実験場)の一角にありました。

実験で起こった爆発は、太陽の1万倍もの熱を放出し、250キロくらい離れたところでもその熱が感じられたといいます。また、200キロ近く離れている建物の窓が爆風で割れました。キノコ雲は、1万メートル以上の上空まで立ち上りました。火球におおわれた場所の砂は灰緑色のガラス状のつぶに変わり、放射線量が非常に高い「トリニタイト」という人工鉱物ができました。爆発地点から半径160キロの範囲では、植物にも動物にも土にも、危険なほど高いレベルの放射線を発するプルトニウムが見つかりました。ここの放射能は、2万4100年後まで消えないと科学者たちは推測しています。アメリカ政府は、ようやく2014年になって、核実験の時ニューメキシコ州に住んでいて高濃度の放射線をあびた人々が、ガンを発症したかどうかの調査を始めました。こうした調査は数十年早く行うべきだったと、多くの人が考えています。

「サイトY」で働くコックさんや事務の人たちの多くは、科学者たちが何を作ろうとしているのかをまったく知りませんでした。極秘にすることを誓った科学者たちの多くは、ニューメキシコにやってくる前に名前まで変えていました。うっかり〈ガジェット〉の情報がもれてしまわないように、またスパイがもぐりこまないように、郵便は政府機関がチェックしていました。

なぜ、そんなにひみつにしていたのでしょう? ここでの研究や発明の目的は、なんだったのでしょう? アメリカ合衆国は、ナチスドイツと日本を敵として、第二次世界大戦を戦っていました。ナチスが原子爆弾の開発にやっきになっているといううわさがあり、アメリカ政府は、アメリカ人を守り、戦争に勝つために、ナチスより先に原子爆弾を開発してしまおうと、いそいでいたのです。

トリニティ実験の3週間後、アメリカは二つの原子爆弾を日本に落としました。1945年の8月6日に最初の爆弾を広島に、1945年8月9日に次の爆弾を長崎に落としたのです。第二次世界大戦が終わったのは、その後です。この二つの原子爆弾の被害を受けて亡くなった人は、16万4千人から21万4千人だと言われています。そのほとんどが市民で、子どももたくさんいました。

広島と長崎以来、原子爆弾が人を殺すために使われたことはありません。今は、多くの国が、地上での核実験を禁止しています。自然環境や人間の健康に、大きな悪影響をあたえることがわかっているからです。また多くの国が、もっている核兵器を減らそうとがんばっています。それでも、2016年の時点で、世界には核兵器がまだ1万5700発も存在しています。

いつかその数がゼロになることをねがっています。

ジョナ・ウィンター

◆◆◆

<訳者あとがき>

アメリカの多くの子どもたちは、「広島と長崎への核爆弾投下は、戦争を終わらせるために仕方がなかった」と学校で習います。しかし最近は「原爆を落とさなくても戦争は終わっていたはずだ」「原爆ができたからには落としてみたいと思ったのではないか」という声が上がるようになりました。そのアメリカに住む絵本作家ジャネット・ウィンターが息子さんのジョナと一緒につくったのがこの絵本です。

日本の統計では、1945年8月6日に広島に落とされたウラン原爆(リトルボーイ)による直接の死者は約14万人、8月9日に長崎に落とされたプルトニウム原爆(ファットマン)よる直接の死者は約7万4千人とされています。負傷者は広島が約8万人、長崎が約7万5千人。しかし、核爆弾はもちろん投下された時だけではなく、その後も放射線による被害者を出し続けました。広島にも長崎にも核爆弾とそれに伴う被害を受けて亡くなった方たちの名簿があります。原爆死没者名簿といいます。毎年書き加えられ、2017年の名簿には、広島は30万3195人、長崎は17万5743人の方が載っています。

2017年度のノーベル平和賞を受賞したのは「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」という国際NGOでした。この団体は、スイスのジュネーブに本部があり、100か国以上から多くのNGOが参加して、各国の政府に対して核兵器を持つのはやめようと呼びかけています。ノーベル賞授賞式には日本の被爆者の方たちも出席しました。

さくまゆみこ

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2018年06月 テーマ:5年生いろいろ

日付 2018年6月22日
参加者 アカシア、アンヌ、オオバコ、カピバラ、コアラ、さららん、
須藤、西山、ネズミ、花散里、マリンゴ、ルパン、レジーナ、
(エーデルワイス)
テーマ 5年生いろいろ

読んだ本:

ゆき『ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ!』
『ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ! 』
ゆき/作 かわいみな/挿絵   朝日学生新聞社   2017.02

<版元語録>おっちょこちょいで、ひたむきで、そんなあいつがやってきた! 勉強はいまいち、運動もさっぱり。だけどてつじの周りには、いつも笑顔があふれてる! 折り紙つきの「へんなやつ」!? 5年生のてつじが仲間たちとくり広げる、ユーモアいっぱいの物語! 朝日小学生新聞の人気連載小説。朝日学生新聞社児童文学賞第7回受賞作。


ケイト・ビーズリー『ガーティのミッション世界一』
『ガーティのミッション世界一 』
ケイト・ビーズリー/作 井上里/訳   岩波書店   2018.02
GERTIE'S LEAP TO GREATNESS by Kate Beasley, 2016
<版元語録>ガーティは世界一の小学五年生を目指す、元気いっぱいの女の子。そのためにはなんでも一番になると心に決めた。ところが新学期早々、転校生のメアリー・スーがクラスの人気者の地位に躍り出てしまい……。けんめいに生きる子どもの苦闘と大そうどうの日々を、ユーモアあふれる筆づかいでつづる、注目のデビュー作。


小俣麦穂『ピアノをきかせて』
『ピアノをきかせて 』
小俣麦穂/作   講談社   2018.01

<版元語録>「千弦ちゃんのピアノはすごいけど、いっしょにうたったり踊ったりできない」響音は、姉の心をゆさぶるため、ふるさと文化祭に出場することになったのですが…。感性を信じて生きる姉妹が奏でる音楽小説。

(さらに…)

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小俣麦穂『ピアノをきかせて』

ピアノをきかせて

ルパン:主人公の響音は、ほかの2作の主人公とくらべて、ずいぶん大人びた5年生だな、と思いました。けなげというか、こんな子いるのかなあ、と・・・。ここにいる子どもたちはみな千弦のためにがんばるのですが、みんながそれほどまでに尽くす相手である、千弦の魅力がよくわからない。母親の関心も、初恋の相手であるシュウの関心も、みんな千弦に向けられているのに、妹である響音は、嫉妬はしないのでしょうか。音楽を文章で伝えるのはとても難しいことだと思います。よく挑戦したな、とは思いますが、あまり成功しているとは言えないと思いました。

さららん:物語は、響音の世界の描写、響音が色をどう感じ、音がどう聞こえるか、から始まり、響音はおねえちゃんの千弦の弾くピアノの音が精彩を欠いてきたことに気がついていて、心配しています。千弦も少し後に登場しますが、物語の中で、その千弦の影が薄いように感じました。響音や親友の美枝が憧れている秋生も、千弦に魅かれているようですが、読者にとってその理由がピアノの音だけでは納得できず、さほど魅力的な少女には感じられません。千弦に対して過干渉になっていたお母さんは、距離を置くことで自分の子育てを考える時間を得て、響音、千弦との関係を少しずつ立て直そうとします。大人の弱さ、頼りなさが正直に書かれているところは好感が持てました。発表会に向けての練習で、響音は自分の才能を踊ることに見出します。ダンスが大好きな女の子は、あこがれて読むのかもしれませんねい。全体として、ちょっと少女漫画的なお話だと思いました。

レジーナ:音楽が聞こえてくると、体が自然に動き、自分の世界に入ってしまう響音は、今の子どもにしては天真爛漫で、のびのびしていて、そこが気に入りました。みやこしさんの挿絵がすてきですね。千弦の心をとかそうとする響音をゲルダに重ねるのも、新しさはないのかもしれませんが、美しいイメージです。

ネズミ:私もさらっと読みました。でも、5年生の子どもが姉のピアノを聞いて「しずんだように、重い音」と感じるかなあというところにすごくひっかかりました。少女漫画のようだと感じたのは、登場人物に各自の役割以上のふくらみが感じられなかったかな。感じのよい作品ですが。

西山:表紙がきれい。グレーと赤がすてきです。全体的に好感をもって読みましたけれど・・・。あっという間に忘れるかも。ピアノにあわせて思わず踊るところ、異性への憧れ方など、読みはじめる前に思っていたほどYA寄りではなく、好感を持ちました。肝心の音楽劇の舞台があまり見えてこなかったのはちょっと残念。ピアノコンクールの演奏の様子は、言葉を尽くして描かれていると思いましたが。最後、終わらせられなくなっている感じがします。もっと早く切り上げてもいいんじゃないかな。

マリンゴ:冒頭、音楽の難しい話かと身構えたのですが、そんなことはなく、平易で分かりやすい物語でよかったです。ステージやコンクールの場面が細かく描かれているのもいいなと思いました。気になったのは、p51「ジャイアンみたい」。ジャイアンって『ドラえもん』のジャイアンのことですよね? 突然出てきますけど、日本人の一般教養として説明なしに出してかまわない単語なのかしら。あと、千弦の音が機械的であることを、美枝までもがうっすら気づく描写がありますが、美枝はちっとも気づかなくて、響音をはじめ分かる人だけが分かる、というふうにしたほうが、ハイレベルな音楽の物語なのだということが伝わるのかなと思いました。全体的に心理描写が丁寧ですが、丁寧すぎる気もします。たとえばラストの部分、p221の「おそろいのマグカップとお茶わんが秋空にかかげられた」で終わったほうが、余韻が残ったかもしれません。

カピバラ:音楽を文章で表すのは限界がありますね。いろいろな楽曲が出てくるけれど、作者の意図がどこまで読者に届くのか、難しいところです。お姉ちゃんのことは表面的にしか描かれていないので、そもそもなぜピアノが好きなったのか、なぜ今は重い音になっているのか、わかりにくかったです。たったふたりの姉妹の関係は、子どもとはいえいろいろ複雑で、妹は姉に辛辣だったりするけれど、この子はお姉ちゃんに文句をいったりせず、ぜんぶ受け入れているというのが珍しい。最近、辻村深月の『家族シアター』(講談社)を読んだのですが、その一編に出てくる姉妹の物語は、心理描写が非常によくできていました。だからなおさら、そのへんを物足りなく感じました。おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんの台詞が、ちょっとつくりすぎている感じがしました。

アカシア:音楽を文章であらわすのは難しいけど、この作家は、音楽の雰囲気を言葉であらわそうとしている、その努力は買いたいと思いました。ただ文章が、文学ではなく情報を伝える文章なので、お行儀はいいのですが、うねりみたいなものはないですね。それから、特に最後など、ひと昔前の青春ものみたいなところがあって、そこはどうなのかな、と思いました。

花散里:姉に対する思いなど、響音の描き方が5年生らしくないと思いました。逆に、表紙絵といい、p137の挿絵などは幼い子が描かれているのかと感じました。姉が妹を思っていくというのは分かるけれど、妹が姉に対して、こんなふうに思っていくだろうか、ということを感じながら読みました。叔母の燈子の人物設定にも無理があるように思いました。松本市で行われているコンサートなどが背景にあるのかと思いましたが、音楽についてあまり知識のない小学校高学年の子どもたちには入っていきづらい世界ではないかと感じました。後半から最後まで、読後感があまりよくなかった作品でした。

コアラ:「戦場のメリークリスマス」は大好きな曲でしたが、雪と結びつけたことはなかったので、曲を思い浮かべ、雪をイメージしながら読みました。作者は「あたたかい雪」と書いていたので、音楽を聞いて呼び覚まされるイメージというのは人それぞれだなと。ピアノコンクールの場面では、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』(幻冬社)を思い出しました。ただ、コンクールやステージでの発表という華やかな場面を描いているわりに、地味な作品というか、平坦な印象でした。「ふるさと文化祭」が終わって、「市民芸術祭」への出演依頼の話になったのが、最後まであと20ページくらいしかないところで、どんな風に盛り上がるんだろうと思ったら、あっさり終わってしまったし、どこでこの物語が閉じられるのだろうと心配になりました。終わり方があまりよくなかったかなと思います。

アンヌ:最初から主題がはっきりしていて、姉がピアノを楽しい音で弾ける日を取りもどすという目的が一瞬も揺らがないのが、ある意味単調でした。「戦場のメリークリスマス」のように映画のストーリーを背負った曲を使うのは、音楽を描く物語としてはまずいのではないかと思います。音楽についてより、色彩を描く記述のほうがうまい作品だと思いました。ストーリーとしては、家族関係の問題が実にあっさり解決されていて、物足りない感じがしました。

オオバコ:西山さんの言葉どおり、ちょっと前に読んだのに、すっかり忘れていました。たった1行でも1か所でも、心に響く言葉や場面があれば覚えていたのに。自分の音が出せなくなった演奏家(学習者でも、その道を目指しているのなら演奏家だと思います)が、いかにしてそれを取りもどすかというテーマはおもしろいと思うのですが、人物造形がはっきりしません。演奏家=千弦の内面を描かなければ書けないのでは? だいたい、音楽は感性の芸術だから、みなさんがおっしゃるように言葉で表すのはとても難しいことだと思います。それに、千弦が学んでいるのはクラシックですが、妹の響音が素晴らしいと何度も言っているのはポピュラーで、そこのところにも違和感がありました。p5に、どこからか流れてくる、たどたどしい弾き方の「エリーゼのために」を聞いた主人公が「つまらなそうな音でつっかえつっかえ弾くピアノに、ぼそりと文句をいう」場面で、「なんて嫌な子!」と思っちゃいました! 私の大好きな安西均さんの『冬の夕焼け』という詩に同じような場面が出てきて、どこかでモーツァルトのK311番を弾いている子が、いつも同じところでつっかえるのを「淡い神さまのようなお方が、忍びよってきて、なぜか指をつまづかせなさるのだ」と、見知らぬ家の子の、そんないぢらしい努力にふと涙ぐむ・・・。かたや老詩人、かたや小学5年生の女の子だけど、ずいぶん心根が違うなと・・・。

須藤:あまり物語に入り込むことができませんでした。登場人物が揃ったあたりで、だいたいどんなストーリーか予想できてしまうし、また何でもかんでも台詞で説明しすぎではないかと思います。たとえばp131で秋生が、主人公の姉の千弦を、アンデルセンの「雪の女王」に重ねながらこんなふうにいいます。「土屋さんのピアノをきいたとき、(中略)なんて楽しそうな音で弾くんだろうって。それがいつのまにか、つまらない音を出すようになっててさ。(中略)土屋さんは、カイなんだよ。(中略)カイの心をとかすのがゲルダのまごころなら、土屋さんの心をとかすのは、ぼくたちの音楽だ」これまでの流れとこれからの展開、全部説明してしまってますよね。正直、ここまでいちいち言わなくてはならんかと思います。それから、主人公の響音と、お姉さんの千弦がおじいちゃんの家にいるあいだに、両親の話し合いでいつのまにか問題が解決しているというのも、ちょっと納得できません。そもそも、この両親は、どんなふうに子どもに向き合っているのでしょうか。最初の方で、父親が「響音のことをちゃんと見ているか」とか母親にいう場面がありますが、ここは腹が立ちます。子どものことを「ちゃんと見る」のは父親の責任でもあるからです。後半で、母親が、響音にむかって「千弦に、すごく会いたいですって、伝えてね」という場面も釈然としません。いくらうまくいかない関係になっていて、おじいちゃんの家に一時的に預けている状態なのだとしても、こういう大切なメッセージを、もう一人の子どもに託して伝えようとする姿勢には、疑問を感じます。子どもに負担を与えないでほしい。こういう親たちなので、最後に子どもたち二人に向かって謝って話す場面も、私は白々しく感じました。

 

エーデルワイス(メール参加):コミックの小説版のようなイメージですね。ちょうどベストセラーが原作の映画「羊と鋼の森」(原作は宮下奈都著)を見たばかりなので印象がダブり、ピアノの音が頭の中で響いていました。「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲が何度も出てきます。この静かな反戦映画では、イギリス兵の捕虜役のデヴィッド・ボウイが、美しい歌声を持つ弟を学校内のいじめから助けることができなかった過去を長い間悔やんでいて、死ぬ間際に夢の中で、美しいイギリス田園の家で、弟と分かちあう場面が印象的でした。兄弟の心のつながりという視点で、この作者は「戦場のメリークリスマス」の曲を選んだのでしょうか。

(2018年06月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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ケイト・ビーズリー『ガーティのミッション世界一』

ガーティのミッション世界一

西山:スピード感のある文章がおもしろくて、出だしからノリでひきこまれました。ロビイストが出てきて驚いて、原発の問題と重なって・・・この場合ガーティは東電社員の子どものような立場で、どう展開していくのかとひやひやしながら読み進めたんだけど、結局、日常のいろんなことの、ひとつのエピソードとして流れていきましたね。そこを焦点化して注目してしまうと物足りなく感じたというのが正直なところだけれど、でも母親に認められたいというのがテーマだから、仕方ないかなとは思っています。あまりはしゃいだ文体は好きじゃないけれど、これはおもしろく読みました。例えば、「ローラースケートで歩道の継ぎ目の上を通るときに鳴る、かたん、という小気味いい音みたい」以下の比喩の畳みかけなど、嫌みじゃなくて、5年生の感覚のサイズ感が出ている気がしておもしろかったです。日本の作品と翻訳ものでは同じ5年生でもかなり違うだろうなと思っていたのですが、意外にも「おバカさ加減」はてつじと一緒でしたね。とはいえ、とにかく目立ちたい、それで一目置かれたいというメンタリティには、やはり日本とは違う価値観を感じました。

ネズミ:とてもおもしろかったです。ガーティの母親への想いや、メアリー・スーとのやりとりなど、どこもうまいなあと。脇役では、ジュニアがよかったです。普段は目立たないけれど、肝心なところでいつもガーティに寄り添って助けにきてくれる。ただ、ガーティは、さっきの本のてつじのように、時に突拍子もないことをやってしまうハチャメチャなキャラクターのようですが、人物像が少しとらえにくいというのか、はっきりしない感じがしました。それから、内容としては5年生が楽しめる本なのでしょうけれど、翻訳だとグレードが上がりますね。タイトルにもある「ミッション」という言葉や人物名など、カタカナ語がたくさん出てきて、日本の5年生が読むには読者を選ぶと思いました。

レジーナ:カエルを蘇生させる冒頭からひきこまれました。メアリー・スーを席どろぼうと呼んだり、p126で、パーティに潜入したジュニアを待つあいだ、小さなオードリーが、むしった葉っぱを埋葬していたり、女子にばかりいい役をあげると、いちいち文句を言うロイみたいな男の子がいたり、細かなディティールがおもしろかった。ガーティははりきっては空回りして、でも、その中で、人の注目は一時的だということ、世の中にはどちらが正しくて、どちらが間違っているとは言えない問題もあること、そして、どんなに願っても、手に入らないものもあるということなど、人生の真実に気づいていきます。p115で、ガーティを無条件に信じるレイおばさんなど、まわりの大人の描写もあたたかいですね。全体的にリアリティがあるのですが、チョコレートをシャツに入れる場面は気になりました。10歳にしては、ここだけちょっと子どもっぽいかな。

さららん:冒頭では、ガーティの一人称に近い三人称の視点でウシガエルを登場させ、最後ではウシガエルの視点でガーティの姿を描写するところが、合わせ鏡のようで、凝っていますね。まもなく町から引っ越ししてしまうお母さんの関心をひきたいがために、世界一の5年生になりたいと思うガーティの健気さ。最初は、ガーティの言動が大げさで、ちょっとやりすぎのように感じたけれど、内的な動機がわかってくると、お話が俄然おもしろくなってくる。ガーディの父さんや、「一発かましてやりな、ベイビー」を口癖にしているレイおばちゃん、家で面倒を見ているオードリーの存在が脇をかため、ガーディの持つ弱さや複雑さも十分に伝わってきました。作者独特のユーモアのセンスがあちこちで光っています。敵のメアリー・スーの髪を解かして和解する描写でも、「一回くらいはわざと髪をひっぱってやるかもしれない」というクールさがいいですね。ガーティの息遣いを感じさせる、勢いのあるリズムにのって読めれば、高学年の女の子や男の子が、おもしろく読めるお話。ただ、そのリズムにのるのに少し時間がかかるかもしれません。

ルパン:おもしろかったです。一番好きなキャラクターはレイおばさんです。p178~179で「あんたはいっつも、持ってないものを手に入れようとして、やっきになってる。でも、持ってるものにはろくに感謝しない」という言葉が印象的でした。また、p241「あたしは、あの人にとことん感謝しなきゃいけない。だって、あんたをあたしのところへ置いていってくれたんだから。あれは人生で一番幸福な日だった」とか、脇役のはずなのに、一番シビレるセリフを言うところが好きです。

オオバコ:今回の3冊のなかでは、いちばんおもしろい本でした。「てつじ」と同じに最初のうちは饒舌な文体になじめなかったのですが、ガーティのミッションがどういうものか分かってからは一気に読めました。ただ、そこにたどりつくまでに何ページも読まなければいけないので、小学生の読者には難しいのでは? 石油ステーションのところは、問題を安易な形で解決に導かずに終わっていますが、このほうがリアルなのでは? 最後の場面も、ガーティは必死にやりとげようとしていたミッションがどうでもよくなって、自分のなかで母親との問題を乗りこえている。状況は変わらなくても、自分の心のありようが変わることで乗りこえていくという、ジャクリーン・ウィルソンの作品にも通じる姿勢が素晴らしいと思いました。ちょっとテーマを盛りこみすぎ=張り切りすぎ・・・という感もなきにしもあらずだけれど、作者の第1作と聞いて、なるほどねと思いました。ガーティの友だちも、おばさんも、きっちり描けていますね。

アンヌ:私は、リンドグレーンの作品の中では『長くつ下のピッピ』が少々苦手で、似たような過剰さを感じました。次から次へと事件が起き、ジェットコースターに乗っているかのようなどきどきする展開がつらかった。お母さんとの関係や状況がわかってきて、ミッションの重要性は理解できましたが、自分のミッションに夢中で、友人にとって大切なものより優先するところや、オードリーを捨ててパーティに忍びこむところとか、やはり読むのがつらい場面が多い物語でした。でも最後にカエルが怒っていないらしいとわかるエピローグは好きで、救われた感じで本を閉じました。

コアラ:おもしろかったです。5年生らしさというか、5年生ってこういうことを思ったりしたりする年代だなと思いながら読みました。子どもらしさがよく表されていると思います。おもしろく描かれているけれど、設定は辛い。同じ町に母親が住んでいるのに会えないし、引っ越していってしまうという設定で、胸が苦しくなるように感じました。でも、たぶん子どもが読んだらあまり辛さは感じなくて、めげずに生きていくところに共感するのではないでしょうか。

アカシア:日本は子どもが同調圧力を過剰に感じてしまう国なので、そういうものに影響を受けない子どもの話として、好感をもちました。でも、5年生がこの長さの物語を読むかというと、難しいですね。その難しさの一つは、シリアスな作品として読ませたいのか、それともユーモアを楽しむものとして読ませたいのか、訳者のスタンスが決まっていないからかな、と思いました。後ろの宣伝のページに『マッティのうそとほんとの物語』とか、『落っこちた!』が載ってますけど、それと同じような書きぶりの作品なんじゃないかと思うんですね。そっちもなんですけど、これも自己中心的なガーティのドタバタをおもしろく読ませるには、もっとユーモア寄りの翻訳文体にしたら、日本の5年生にももっと読みやすくなったかもしれないと思いました。ほかの方もおっしゃっていたように、途中からこの子のミッションは、お母さんに自分を認めさせることなんだとわかりますが、そこまでは何を手がかりに読んでいったらいいのかがちょっとわかりにくい。一つの物語の中に、お母さんに自分はすごい子なんだということを見せつけたいという情熱と、学校でのいじめと、環境問題と、母親が果たして劇を見に来るのかというサスペンスなど、いっぱい要素が入っています。環境問題は、すぐに解決し得ないというのはその通りだとしても、「うつり気」という言葉で終わらせているのはどうなんでしょう? チョコレートを全部食べてしまうところは、5年生がここまでやるのかな、と思ったし、「さえない負け犬」だと思われている子たちのためにやったとガーティは言っていますが、それなら他の子にも分けたほうがよかったのでは? 最初の方がわかりにくかったのは、ガーティが「歯みがき粉」をつけて歯を磨いているところで、私は粉の歯磨きをつけているのかと思って、特殊なこだわりがあるんだなあと思ってしまったんです。

みんな:今は、チューブでも歯磨き粉って言うとか、どうしてそういうことになっているのかとかの議論になる。

アカシア:それからp117行目に「ただのウシガエルじゃない」も、最初読んだ時、おばさんは騒いでるけど「ただのウシガエルじゃないか」と言ってるのかな、と思ったら、意味が通じなくなりました。こういうところは「ただのウシガエルじゃないよ」などとしたほうが誤解されなくてすみますね。そのあと、ガーティが「いい」も、どういうニュアンスかつかみにくかった。5年生らしくない会話もところどころにありました。

カピバラ:おもしろく読みましたが、同じ5年生が読むとしたら、『ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ!』(ゆき作 朝日少年新聞社)のほうがずっと読みやすいのかなと思います。やはりカタカナの名前は、子どもにとっては、男女の区別もつかないし、どれがだれだか覚えにくいですよね。手がかりは表紙の絵だけで……。せっかくはたこうしろうさんの魅力的な表紙絵があるのだから、挿絵も入れてほしかったし、冒頭に人物紹介図があるとよかったですね。授業中に手をあげて、先生に一番にさしてほしいとか、ちょっとしたことで気分がころころと変わるところとか、5年生らしいところがうまく描けていると思いました。鼻持ちならないメアリー・スーと対決する図式もわかりやすい。ガーティは想像力豊かな子どもで、一生懸命なんだけどやることなすこと裏目に出る。ちょっと『がんばれヘンリーくん』(ベバリイ・クリアリー作 松岡享子訳 学習研究社)シリーズの女の子、ラモーナが大きくなったらこんな感じかな、なんて考えました。ヘンリーくんシリーズは今読んでもおもしろいんですが、やっぱり古めかしさは否めない。だから、ああいう本の現代版があるといいですよね。ガーティと友だちとのやりとりは子どもらしくて笑えるし、おばさんとのやりとりもおもしろい。一文一文が短いので、テンポよく読めるし、文章に勢いがあって良いと思いました。

マリンゴ:非常におもしろく読みました。3冊のうちこの本を最後にしていて、昨日から今日にかけて読んだのですが、ページを繰る手が止まらなかったので、焦ることもなく読了できました。いじめがスタートする場面では、ストーリーが一気に動き出す緊張感がありました。あと、p190で、ガーティがオードリーを邪魔者扱いしようとして、やっぱり事情をきちんと説明する場面がとてもよかったです。ラストが、あれ、ここで終わるんだ!?と、ちょっとびっくりしましたけれど。ウシガエルを挟んで、もう1章あるのかなと思っていたので。あと少し、続きを読みたかったです。訳者あとがきで、これは著者の大学院の卒業制作で、出版社5社が競合して版権を争った、と書いてあったことに驚きました。

 

エーデルワイス(メール参加):冒頭の「ウシガエルはちょうど半分死んでいた」に惹きつけられました。今を生きているガーティの心情がリアルです。実の母親とのシーンは少ないのですが、いろいろと考えさせられます。劇の主役を勝ち取ったにもかかわらず、降ろされ、ふたたび主役になれそうなときに宿敵メアリー・スーの真の姿を知って彼女を舞台に立たせるなんて・・・憎いぜ、ガーティ! と思ってしまいました。とてもおもしろかったし、はたこうしろうさんの表紙絵もいいですね。ガーティはお父さんとレイおばさんから愛情をたっぷり受けていますが、実の親に愛情をかけてもらえない子どもたちが、それに代わるたくさんの人の愛情に恵まれて健やかに育ちますようにと祈らずにはいられません。

 

(2018年06月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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ゆき『ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ!』

ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ!

さららん:語りに特徴がある文体で、主人公のてつじはおもしろい子。そのことを自分でも自覚している。「……だな」「……もんだよ」という語尾や、自分で自分につっこんだり、ぼけたりしながら、読者にむかって話をつむいでいくところに落語の文体を感じました。事実、「ありがとよ」の章には落語家のおじいちゃんが出てくるし、「なぞかけごっこ」の章でも笑点でおなじみのなぞかけを、クラスのみんなが楽しんでいる。好き好きはあると思いますが、この独特の文体で物語を進行していくところが、今の児童文学ではめずらしい。ただ、てつじの行動や言動には少し古くさいところ・・・たとえば「まったく男というやつは、どうしようもないもんさ」(p72)・・・もあり、また五年生なのに「うらない」(p205)という言葉を知らないなど、リアリティに疑問を感じる部分も残ります。とはいえこの作品には、てつじと友だちの妹のひとみちゃんの関係をはじめ、こうだったらいいな、というような、無欲で風通しのいい人間関係がありますね。この本に出てくる大人の多くが、てつじに代表される子どもの「おもしろさ」や「突拍子のないところ」を受け入れていて、そこも落語の世界に似ています。つっこみどころはいろいろあるが、現実というよりひとつのフィクションとして、子どもと子ども、子どもと大人のゆったりした関係を、読者の子どもたちは楽しむのではないかと思います。

レジーナ:おもしろく読みました。話の展開や装丁は、ひと昔前の雰囲気ですね。今の子は、ひとりだけ目立つのがこわいと思っているようですが、てつじは、あたたかな人たちに囲まれて、生き生きと楽しそうにしています。今の時代を写しとっているというよりは、本当にこうだったらいいのにな、と思いながら読みました。

ネズミ:同じ5年生でも、今回とりあげたほかの作品とはずいぶん違うなと思いました。先月読んだ『金魚たちの放課後』(河合二湖著 小学館)とも、全然違います。話し言葉で、楽しく読めるようにしたのだと思いますが、このユーモアを小学生がおもしろいと思うのか、私はよくわかりませんでした。たとえばp8に、強く思い続けると、どんなことでもそのとおりになると本に書いてあるからと、髪の毛が短くなるように念じるというのがありますが、こんなことをする5年生はいないかなと。みゆき先生とぬまちゃんのキャラクターも、実際の学校にいそうにないし。現実離れしているけれど、子どもはすっと受け入れられるのでしょうか。

西山:5年生もいろいろ。その違いを感じてみたいと思って、登場人物の年齢でそろえるテーマを提案しました。特に、この本のテイストは、この読書会とは結構違っている気がするので、みなさんがどうお読みになるか、ものすごく興味があります。去年の日本の新人作品の中で、この本のノリはなんだか異次元で、安心できる人間関係と全体を覆っている緩くあったかい感じが結構好みなんです。たとえば、「どっかーん」をやってみせろと6年生から言われても、「するもんか」(p34)と拒否する。軽いノリのいい奴というのではなく、てつじにはてつじの道義というか、芯が通っている。そういう子ども像に好感を持ちました。あと、「こぐまのポン吉」がキュート。あの、やんちゃなひとみちゃんは魅力的な女の子です。かなり多動な子ですけれど、てつじがしっかり受け入れている。古風ではあるけれど、現実になさそうだからこそ、こういう子どもたちが書かれているのは愉快です。

マリンゴ:「ゆき」という著者名から、20代の作家さんかと思ったら、違っていて驚きました。タイトルと表紙の印象から、自分で積極的に手に取るタイプの本ではなかったので、今回の選書に入れていただいてよかったです。楽しんで読みました。文章力があって、勢いがあって、テンポよく読み進められました。ストーリーの盛り上がりがさほどなくて、小さな出来事の積み重ねなのですが、そういう本って意外と最近見ない気がして、逆に新鮮でした。てつじとポン吉の関係性など、温かみがあってよかったです。

カピバラ:このような5、6年生対象の物語は、YAとちがって、大人として読むとあまりおもしろいとは思わないかもしれませんが、その年齢の子どもたちがどう感じるか、どう読むかを考えることが大切ですね。これは新聞の連載なので、各章が短く、ちょっとした小話的にまとまっているので、おもしろく読めると思います。でも、一人称の語りですべてを説明しているので、饒舌になりすぎて、うるさく感じてしまいます。てつじは、正直に自分の気持ちを出していく子なので、好感はもてるのですが。タイトルも表紙の絵も、子どもはおもしろそう、と興味をひかれると思います。ところが表紙をめくると、冒頭に「たとえばこの ちいさなものがたり そのどこかから あなたのもとへ ひとつのいのりが しずかに しずかに とどきますように」と書いてあり、「は? こういうタイプのお話だったの?」と、妙な違和感がありました。内容とは全く合わないし、この部分は不要だと思います。1か所、よくわからないところがありました。林間学校のお寺で縦笛を鼻で吹くと、別の笛の音が聞こえ、それを吹いたのは、林間学校に来ていない子だったとわかる。ここだけいきなりファンタジーって、変じゃないですか?

何人か:そこは私も変だなと、思った。

アカシア:翻訳は、どうしても情報を伝えるための文章になりがちなので、もう少し文体を工夫できるといいのにな、といつも思っています。そういう意味では、この文体は軽快でおもしろかったんです。リアリティからは離れるけど、新聞連載だから、みんながおもしろく読んで、次も読みたいと思って待つんだろうな、と。最初の「たとえば〜」はとばして読んでいたけど、もう一度見てたら、これが目に入って、私も「なに、これ?」と思いました。著者が書いているのか、出版社が売ろうと思って書いているのか? この作家はこんなことを思って書いてるわけ? と思ったら気持ち悪くなりました。ただ、これがなければ、エピソード的な短いお話がまとめられているので、あまり本が好きじゃない子も楽しく読めるんじゃないかと思います。それに、さっき西山さんがおっしゃったように、ただおもしろがらせるだけじゃなくて、てつじが魅力的なキャラに描かれているのがいい。金魚を川に逃がすところは、金魚にも環境にも悪いと思われているので、ちょっとまずいんじゃないかな。マンガ的な表紙や挿絵は、あまりじょうずだと思えませんでした。私も子どもだったら、この作品をおもしろく読んだと思いました。

コアラ:おもしろく読みました。p135に「てつじくんはいっぱい物語を持ってるのね」というセリフがあって印象に残りました。一つの章が短いので、細切れの時間でも読めて、読みやすくていいと思います。てつじもいい子だけど、ひとみのキャラクターがとてもいいですね。主人公は小学5年生ですが、本のつくり、特に文字の大きさは、中学年向きといってもいいくらいで、本を読み慣れていない子にも読みやすいと思いました。

アンヌ:古風なユ―モア小説を読んでいる気がしました。誰も嫌な人が出てこなくて、強面の先生もすぐ別の顔が現れるし、困ったこともすぐ解決する。連載だからでしょうが。ウエディングドレスをなぜ着せられるのかとか、金魚を川に流したら、すぐ釣られるのは都合がよすぎるとか、突っ込みどころが山ほどあるけれど楽しい。ただ、何度も読み返したいかというと、そうでもない。昔読んだのは何だったっけと思って調べたら、佐々木邦の『いたずら小僧日記』(「少年少女世界の名作文学」 小学館)でした。同じように主人公は、なぜ人が驚いたり困ったりするのかわからないという設定ですが、この物語のてつじは、人の心がわかる子です。ゆきさんと仲良くなり、不思議な縁をつなぐところが新鮮でした。ぬまちゃんがコマの職人のところに修行に行くというのも安易な感じで、ここも、少々突っ込みをいれたいところです。

オオバコ:昔からよくあるワンパクもので、古くさいなと思いました。佐々木邦が訳したオールドリッチの『わんぱく少年』(講談社)とか。子どもは、くすぐるとついつい笑ってしまうからおもしろい本だなと思うかもしれないけれど、もっと上手にくすぐってほしいなと思いました。ひとみとの関係はうまく書けていたけれど、笑わせよう、笑わせようとしているところが鼻につきました。自分ってこんなにおもしろいんだぞっていっているみたいな……。一人称で書いてあるせいでしょうか。三人称だったら、てつじについて周囲の人たちがどう思っているかも書くことができたのでは? おじいさんの噺家の落語を聞いて、みんなが泣く場面があるけれど、なんで泣いてるの? 何に感激しているのか、分からなかったけれど……。子どもの読者も、なんで泣いてるのかなって思うんじゃないの?

アカシア:ここは笑い泣きですよね。おじいちゃんが行っちゃったと思ったら、おもしろい話をしてくれたから。

カピバラ:ぽろぽろと泣いている、というのは、悲しんでいる表現だから、読者はどうしてかな、って思うでしょうね。

オオバコ:こういう外向的な語り手が前へ、前へと出てくると、ほかの人物に深みが出なくなるんじゃないかな。こういうエンタメの作品に深みなんていらないよっていわれれば、それまでだけど。

須藤:やんちゃな男の子の語りで圧倒的に読みやすいですね。ただ日常の出来事をスケッチしていくような感じで、通して読んだ時に今ひとつ全体的に起伏がないというか、物足りなさを感じます。同じように少年の日常を切り取った感じの本で、台湾に『少年大頭春的生活日記』っていう作品があるんですが、これは同じように少年の日記というか、日々の出来事の記録が描かれているようにみえて、じつはその時々の世相とか、少年の目から見た台湾がさまざまな角度で挿入されているんですよね。だから、もちろん日常のスケッチふうな作品があってもいいのですが、その場合でも描かれている中身にバリエーションがちょっとほしいなと感じてしまいました。
 あと、何人かの方が指摘されていますが、モチーフがレトロというか、ちょっと昭和っぽい感じがします。パープーって音がする自転車の警笛とか、林間学校だとか縁日だとか。この子どもたちは、たとえばスマホなんて持っていなさそうです。総理大臣になりたいという設定も、いかにも昔風ですね。もちろん物語の中でも珍しがられてるんですが、いま総理大臣といえばあの男なので、あれに憧れる小学生などいるのか疑問に思ってしまいました(笑)。いや冗談でもなくて、物語の名かでも総理大臣が登場して、主人公の学校にやってくるでしょ。どうしたって安倍のことを連想してしまうので、いろいろ考えてしまうんですが、とくに意味がなくて・・・・・・もうちょっと時代というものを考えてほしいです。主人公の男の子と小さい女の子ひとみとの関係性や、やりとりなどがおかしくて、そういうところには魅力がある作品だと思いました。

ルパン:私は、これ、すごくおもしろかったです。電車の中で読んで吹き出しそうになるくらい。『ピアノをきかせて』の子どもたちより、こっちのほうがずっと実際の5年生に近いと思います。鼻でリコーダーを吹いて、浮いちゃうところとか、想像したらおかしくて。その一方で、「おとうさんとおかあさんがなかよくなりますように」という七夕の短冊を読んでしんみりしてしまうところとかもいいし。あまり深く考えずに、一気に読んでしまいました。

エーデルワイス(メール参加):一見やんちゃで、独創的で奇抜なようなてつじですが、気持ちは繊細で誰よりも人の気持ちを思い、気を遣っているように思います。こんな子はたいていクラスから浮き、いじめられるのですが、クラスメートも教師も理解があり、生き生き暮らす・・・。子どもの目線で書いているようですが、こうあらねば、こうなってほしいというある種の大人の理想願望を感じてしまいました。

(2018年06月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2018年05月 テーマ:生きものと私

日付 2018年05月31日
参加者 アンヌ、カピバラ、シア、西山、ネズミ、ハリネズミ、ハル、マリンゴ、レジーナ、
(エーデルワイス、ルパン)
テーマ 生きものと私

読んだ本:

河合二湖『金魚たちの放課後』
『金魚たちの放課後 』
河合二湖/作   小学館   2016.09

<版元語録>三度目の転校でできた友だちに案内された不思議な場所は、金魚の畑だった。金魚の街で出会った少年少女たちの友情と成長の物語。


マイケル・モーパーゴ『図書館にいたユニコーン』
『図書館にいたユニコーン 』
マイケル・モーパーゴ/作 ゲーリー・プライズ/絵 おびかゆうこ/訳   徳間書店   2017.11
I BELIEVE IN UNICORNS by Michael Morpurgo, 2015
<版元語録>主人公のトマスは、山に囲まれた村で育った。山や森の自然のなかで遊ぶのが大好きなトマスは、本を読むのなんか大きらい。ところが、お母さんに無理やり連れて行かれた図書館で、素晴らしい司書と木でできたユニコーンに出会う! 先生のおかげで本が好きになったトマスの日常に、やがて戦争がやってきて…。本の力にみせられ、戦火から本を守りぬき、復興した村人たちの姿を、幻想的なユニコーンとともにドラマチックに描いた感動作!


サラ・ペニーパッカー『キツネのパックス』
『キツネのパックス〜愛をさがして 』
サラ・ペニーパッカー/作 ジョン・クラッセン/絵 佐藤見果夢/訳   評論社   2018.01
PAX by Sara Pennypacker, 2016
<版元語録>ピーターは、死にかけていた子ギツネを助ける。それ以来、パックスと名づけられたキツネとピーターは、ずっといっしょに生きてきた。でも、別れなければならなくなり…。運命に立ち向かうことの大切さを教える、胸を打つ感動の物語。

(さらに…)

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サラ・ペニーパッカー『キツネのパックス』

キツネのパックス〜愛をさがして

カピバラ:擬人化されていない動物物語って私はとっても好きなんです。これは冒頭がパックスの立場からの話なので、最初からぐっとひきこまれる感じがありました。ピーターの側の描写と交互に出てくるので、重層的に考えられておもしろかったです。情景描写や行動がわかりやすい描写で細かく書かれているので、頭の中で思い描きながら読んでいきやすい書き方だなと思いました。離れ離れになってしまうところから始まるんだけど、きっと最後には再会するんだなとうすうす分かりながら読んでいけて、ほんとに最後に再会の場面があって満足感がありました。クラッセンの挿絵はそんなにリアルな絵ではないところがよくて、ほのぼのとした感じを醸し出していて好感がもてました。表紙の絵も魅力的で、読みたい気持ちになりました。映画化されるんですね。サブタイトルの「愛をさがして」って、どうなの? ないほうがよかったですよね。

シア:ニューヨークタイムズベストセラーに48週連続ランクインし、紹介文には感動的と書いてあります。でも、読んでみるとひたすらピーターが犠牲になったなと思って、途中で読むのが嫌になってしまいました。骨折までして飼いギツネに手をかまれても、ピーターだけが報われません。後日談などがないと救われないと思いました。戦争は全てを壊してしまいます。野生動物だけでなく人間すらも。戦争が2人の絆や運命を引き裂いた、と言いたいのでしょうか。基本的に引き裂いたのは父親なんですけど。サカゲやスエッコやハイイロは確かにわかりやすい犠牲者ですし、彼らは人間を許す必要ないんですが、パックスはピーターと過ごした時間をもっと信じてほしかったなと思います。信じないと永遠に反目しあうだけですよね。人間がいつも悪いんですけど、でも個人としてのピーターは違うので、そこをもう一歩踏み込んで、戦争に飲み込まれない絆を描いてほしかったなと思います。切っても切れない絆というには切れたなと。本能に負けたなと。ピーター目線だとp334でサカゲは明るい毛と書いてありますけど、パックス目線だとp42で輝く毛になっているし。この本の根本的な話として、パックスを野生に返さなきゃいけないということが漠然としている。p18の「そろそろ野生に返す頃合」というくらいしか作中では触れていませんが、野生に返すということが自然であるというなら、それを見越した育て方というのもあるはずだし、施設もあるし、その辺りのケアをしていないのに、簡単に野生には返せないと思います。そこを描かないと、野生動物に手を出して、殺してしまう人間が読者にも増えてしまう気がするんです。犬猫と同じではないのです。そこがパックスとデュークの差であり、この本の独特なポイントだと思うんです。そこを掘り下げてほしかったなと。それだとこの本のテーマがぼやけてしまいますが。パックスにとって何が一番の幸せなのかがわかりません。野生動物は野生で暮らすことが一番というメッセージ性の強い作品でもないし、中途半端な「ラスカル反戦物語」みたいです。お父さんと飼い犬の話が盛大な前振りかと思ったら、別にお父さんはその件については改心もしないし、おじいちゃんは空気だし。ヴォラもいろいろ助けてくれたし、今後のやり取りも見えるけど、それにしても大人がみんな頼りにならなくて、戦争のせいだというのは本当に救いがありません。モーパーゴと違い救いがなく、暗い気持ちになる本でした。「ににふに」って日常使わないし大人でも聞かないなと思いました。他の訳はなかったんでしょうか。

ハリネズミ:訳者はわざとこの言葉を使っていると思います。p229に、ピーターも「どういう意味かわからない」と言っていて、それに答えての説明もありますよ。

アンヌ:最初のほうをぱらぱらめくりながら、野生動物との別れの物語なんだろうなあ、読むのは辛いなあとか、あ、最初に頑固爺さんが出て来る、いやだなとか思っていたのですが、読み始めると意外な展開で夢中になりました。主人公はおじいさんの家を2日目には家出してしまうし、怪我して出会うのが退役軍人の女性で、仙人っぽい人なのかと思ったらそうでもない。このPTSDを抱えたヴォラとピーターが、意外なくらい早くお互いを理解しあう。ピーターが母の死後カウンセリングを受けた経験が生かされている感じでしたが、優しい言葉で大人の女性と語りあえるのは意外でした。また、ピーターの語りとパックスの語りとに時間差があったり、パックスが空腹で動けなくなるまで3日間かかったりしているところ等に、人間の時間と狐の時間の違いというリアリティを感じました。けれど、ふと、この戦争って、いつのことで、どこの国のことかが気になりました。テレビがあるし、ピースサインをしたりするから第二次世界大戦ではなく近未来なのかとか、場所はアメリカのようだけれど、古狐にも戦争の記憶があるからアメリカ本土ではないなとか。どこと戦っているのかもわかりません。現実世界の設定の方にSFのような奇妙な曖昧さがありました。

ハリネズミ:三人称語りですけど、キツネの視点とピーターの視点が交互に登場するのがおもしろいですね。各章の数字が、男の子かキツネの影絵になっているのもよかったです。さっきカピバラさんは「擬人化されていない」とおっしゃったけど、生まれてすぐに人間に養われることになったキツネが、どれだけ本能でキツネの社会で生きていけるのか、と考えると、やっぱりフィクションが入って擬人化もされているんだろうと思います。キツネが「南」「戦争病」と言ったりする部分も、当然擬人化されているフィクションでしょう。ただし、後書きで、自然の生態のままに書いている部分と、物語の組み立てを優先させたがために生態にそぐわないところもあると著者が言っているので、それはそれでいいのかと思いました。p109でヴォラが「人間が飼いならしたキツネを野生に返したら生きてはいけないってこと、わかるだろう」と言い、それに対してピーターが「わかります。ぼくのせいです」と言っているので、作家がそこをちゃんとおさえて書いていることがわかり、このケースが例外なのだということが逆に読者にも理解できるように思います。パックスがどうやって自然の中で生きのびたかについては、スエッコに卵を3個ももらったり、人間の食料をくすねたりして生きのびるという設定も、それなりに納得できるように書かれているのではないでしょうか。
 さっき、ピーターに救いがないという意見も出ましたが、それまで孤独だったピーターはヴォラと出会ったことで確実に成長していき、世界も広がっているんだと私は思います。p281でヴォラがピーターに、「ポーチのドア、いつでもあけておくからね」と言うんですが、これは「あなたの人生はあなたの人生だけど、いつでも訪ねてきていいんだよ」と言っているんだと思います。p339ではピーターがパックスに「おまえは行きなさい。うちのポーチの戸はいつでもあけておくから」と、同じセリフを言っています。作者はここで、絆が全く切れてしまったわけではないと言っているんじゃないでしょうか。
 よくわからなかったのは、ピーターのお父さんは「ケーブルの敷設をしている」とありますが、実際には何のために何をしていたのかが、私にはよくわかりませんでした。触れると何かが爆発して、ハイイロが死んだりスエッコも大けがをしたりするのですが、ケーブルだから地雷ではないですよね? 翻訳は細かいところがちょっと気になりました。p200「足をひきずりやってくる」は「足をひきずりながら〜」だと思うし、p267の「お父さんは知ってたんだ」も、何を知っていたのでしょう? p336「黒い鼻先がつき出す」は「〜つき出る」じゃないかな?

マリンゴ:過酷な物語ですよねえ。ピーターもパックスもつらすぎる状況が続いて、読んでいるうち、しんどくなりました。でも、目線が頻繁に切り替わるおかげで読み進めることができました。ピーターが、何がなんでもパックスを探しにいこうとあまりに一途でブレないので、物語の構成上そうしたのかな、とちょっと違和感がありました。でも、最後まで読むとその違和感も解消できました。パックスに執着することが、彼の生きる目的でもあったわけですね。最後、パックスと離れることを決断できました。つまりこれはピーターの成長を描いているわけですよね。この物語の終わりとして、満足感がありました。なお、先ほどカピバラさんがおっしゃったように、わたしもサブタイトルはないほうがいいと思います。

ハル:とてもおもしろかったです。コヨーテの声におびえながら眠る、とか、夜の庭でホタルに囲まれて桃をかじるとか、自分が体験できない世界を追体験させてくれる、本の力を痛感しました。戦争で殺した兵士のポケットから愛読書が出てきたというシーンもそう。戦争ってそういうことなんだと身に沁みました。ピーターとの出会いで、ヴォラも救われていくところもよかったです。p246「昔どんなに悪いことがあって、挫折したとしても、不死鳥みたいにやり直すことができるって」というピーターのセリフに胸を打たれました。ですが、キツネの生態ってこうなのかな?と疑問に思うところもありながら読んでいたら、「あとがき」に“物語を優先して実際のキツネの生態とは変えている部分もある”といった説明があり、実写映画を見るような気持ちで読んでいた私としては、それってありなのかなぁと思いました。

西山:キツネの言葉を人間の言葉に翻訳しているという趣向が「謝辞」の追記でで書いてありますが、成功とは言えなかったのではないでしょうか。けっこうひっかかってしまって読みにくかったです。今出ていた、「南」や「戦争病」もそうですし、p2で「涙」の概念がないらしいということは分かるけれど、「目から塩からい水」と言いつつ、次の行では「涙」という単語を使っている(使うしかないと思いますが)とか、なかなか読みにくかった。p44の「サカゲ」の呼び名が出るところも、え? どこで女狐は「サカゲ」と言ったとか、記述あったかしらと戻ってしまった。あくまでも人間の都合で、呼び名が必要だから、呼び名を付けているだけでしょうかね。とにかく、キツネの章は、とまどいながら読む部分が多かったです。何より気になったのは、どの大陸のいつの時代のどの戦争なのかわからなくて、それが一番気になって仕方なかったです。地雷が埋められていることを知らずに、ピーターが山道を進むので、クライマックスの危機が、コヨーテとの戦いだったことに拍子抜けしました。

ハリネズミ:コヨーテとの戦いをなしにすると、ピーターとパックスが暮らす、という結末にしないとおかしいのでは?

西山:そっか。パックスは人間界に決別して、自然界に戻るから? なるほど。でも、いろいろ不満を述べましたが、読んでよかったと思ってます。戦場で足を失い、それよりなにより人を殺したという罪の意識がPTSDとなっているヴォラの存在が本当に印象深く、魅力的でした。兵士がどのように心を壊されるか、自分が好きだった食べ物すら思い出せないという状態から、少しずつ自分を取り戻していったというヴォラの話が身にせまりました。シンドバッドの人形も本当に素敵。ヴォラの胸中を思うと切なく、そして、どんなにすばらしい人形か見たい、と思いました。映画化されるなら、これはすごく興味深いです。

ネズミ:おもしろく読みました。きびきびした文章で、章はじめの影絵のカットを見ながら先へ先へと読ませられました。戦争が一番のテーマなのだなと思います。キツネの名前がパックスだし。戦争病にかかって、正義の名のもとに殺し合いをする人間と、自然の営みとしてのみ他者を殺す動物というのが対比されているのかなと。だから、最後は仮にコヨーテに殺されてしまってもいいのかも。私も最初、戦争の実態がはっきりしないなと思っていたのですが、あとから、わざとそんなふうにあいまいに書くにとどめたのかもと思いました。寓話的な戦争として。保護した野生のキツネをピーターが12歳まで飼うというのは長いなと思いましたが、強い意志力や理解力があって、世間ずれしすぎておらず、いざとなれば生きる力があるためには、主人公は12歳じゃなきゃいけなかったかもしれません。ヴォラが魅力的だし、いろいろ考えさせられます。エージェントや編集者がサポートして、よくつくりこまれた作品なのかな。

ハリネズミ:お父さんは、妻を亡くしてそれがトラウマになって、息子にも暴力をふるっている。近未来なら、ピーターがいなくなったことも携帯かなんかで聞いているでしょうし、ドローンか何かで行方をつきとめるでしょうから、近未来とも言えないように思います。p326ではじめて父親は息子を抱きしめます。p327の描写も、お父さんのピーターに対する態度が変わったことを書いています。p330に「月日を経て弱まったお父さんの悲しみ」とあるので、お父さんの悲しみをパックスが感じたのはここがはじめてなんですね。「月日を経て」だから、妻のことを言ってるんですよね? お父さんも妻を失った悲しみを初めてここで表現することができて、今後変わっていくことを示唆しています。すごくうまくできている物語だと思いますが、私も最初読んだときはそこまで読み取れませんでした。深いところまで読み取るには、私の場合は2度読まなくてはなりませんでした。

ネズミ:いろんなところに伏線がありますね。

ハリネズミ:日本語版の編集者にはもっとがんばってほしかった。たとえばp8に1行だけ「パックス」とあります。ここは敢えて強調するためにしているのかと思ったけど、ほかにも最後のページに1行だけというのがいくつもある。普通の編集者だったら、前のページに追い込んで見栄えをよくし、ページ数をなるべく少なくします。p34も。ほかに、言葉のおかしいところもそのままになっているので、目配りをもう少ししてもらえれば、さらにいい本になったのに、と思いました。

ネズミ:p52も。あ、p177もですね。

レジーナ:とてもおもしろく読みました。ピーターは、母親を亡くしたあと、パックスを見つけ、心を通わせます。でも、父親に言われて山に放してしまい、それを深く悔やんで、迎えにいこうとするのですが、その心の動きが細やかに描かれています。ヴォラが、ピーターの無謀な計画を止めるのではなく、だまって松葉杖を作る場面は、武骨で温かな人柄がよく表れていますね。ヴォラは、戦争からもどってきたあとは、自分がどういう人間で、何をしたいかもわからなくなるほど、心に傷を負っています。ピーターがヴォラに不死鳥の話をしたり、人形劇をしたりして、それでもやりなおせると伝える場面は、胸に迫りました。ピーターはヴォラに助けられ、ヴォラもまた、ピーターに救われたのですね。p131で、ヴォラはピーターに、あんたは野生なのか、それとも飼われているのか、と問うのですが、これはピーターとパックスの関係に重なります。結末は、別れてからも、お互いに愛情をもちつづけ、ゆるやかにつながっていくあり方が示されているようで、希望を感じました。p256ですが、父親は、このキツネがパックスだとわかったのでしょうか。

ハリネズミ:お父さんは、パックスだってわかったんじゃないですか。ほかのキツネだったら、このお父さんだからけとばしてると思う。ここは「けるまね」だもの。

レジーナ:パックスのことを思いだし、一瞬、心がゆるんで、蹴らなかったのかと思ったのですが。

ハリネズミ:一緒に暮らしてたら、パックスの癖とかわかってるんじゃないかな。

レジーナ:ピーターならそうかもしれませんが、父親はパックスをかわいがっていたわけではないので、そうとも言えないのでは。

ハリネズミ:お父さんはよくこのしぐさを使ったからパックスにはわかったって、書いてありますよ。お父さんは通じると思ってやっているんだと思うけど。

ハル:お父さんは「ぎこちなく笑った」とも書いてありますね。パックスだとわかったんだと思って読みました。

レジーナ:そうすると、この再会は、ちょっとできすぎではないでしょうか。飼っていたキツネに、戦場で偶然会うなんて。

ハリネズミ:普通のキツネだったら、あまり意味のない描写になってしまいますよ。

ルパン(メール参加):おもしろかったです。ピーターとパックスが、突然の別れによってそれぞれ成長し、そのうえできちんとお別れするために再会するプロセスが丁寧に描かれているとおもいました。さいご、ピーターが兵隊人形を投げるシーンは泣けました。ただ、ヴォラの操り人形がちょっと唐突な気がしました。ヴォラも成長しますが、そこにピーターとパックスの関わりが絡んでいないので、なんだかそこだけ違和感がありました。ピーターがヴォラのところに戻るのかどうかも気になりました。

エーデルワイス(メール参加):この物語も戦争ですね。主人公のピーターとキツネのパックスの章が交互にあらわれ、最後再会して別れていくシーンは感動的です。ヴォラの再生には希望が持てました。ここにも図書館が出て来て、その司書を通じて、人形劇を一式寄付します。心に残る言葉がいっぱいありました。

(2018年5月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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マイケル・モーパーゴ『図書館にいたユニコーン』

図書館にいたユニコーン

ネズミ:ツボを押さえた「鉄板」の物語だなと思いました。本や図書館をめぐる物語というのも魅力的です。モーパーゴはうまいなと思ったポイントが2つあって、1つは子どもの気持ちをとてもうまくすくいあげているところ。たとえばp22の「ぼくは、のろのろと、せいいっぱい、ふてくされて歩いた」から数行の表現など、子どもの心情が生き生きと伝わってきます。2つめは、主な読者層にうまく伝わる表現で書いていること。シンプルな言葉でわかりやすいけれど、ある程度格調も高い。原文のそういう点を、翻訳もうまく再現しているのでしょう。中学年向けの物語として、とても感じがいいと思いました。

西山:絵がきれいですね。モーパーゴというのは、こういう作家なのかなぁ。安心して手渡せる戦争もの。深刻にしない。結構ひやひやさせても、最悪の事態は回避される。中学年くらいの心のキャパはこれくらいで、受け入れるにはほどよいのかもなあとは思いつつ、どうしても私は甘く感じてしまいます。冒頭は『日ざかり村に戦争がくる』(ファン・ファリアス著 宇野和美訳 福音館書店)を思いだしたのですが、展開は対照的でした。中学年くらいの心理に決定的な傷を負わせない、このくらいの戦争ものも必要なのかなぁと、読者を考えると、これでいいのかとも思うけれど・・・・・・という感じです。くり返しちゃいますけど。

ハル:この作家で、このテーマなのに、感動しませんでした・・・とは言いにくいような感じもしますが、正直なところ、いまひとつぴんときませんでした。このお話から、そこまで「本の力」というものは感じなかったし、お父さんが先頭に立って図書館から本を運び出すシーンも、どうしてここでお父さんなんだろう?と不思議でした。でも、みなさんのお話を聞いていて、誰に向けて書いている本なのか、対象となる読者のことも考えながら読まなくちゃいけないなと反省しました。もう1回、読み直してみたいです。

マリンゴ:今回「生きものと私」というテーマで3冊選書したのですが、この本に出てくる木彫りのユニコーンは生き物じゃないということで、いったん外しました。が、まあいいんじゃないかということで復活させてもらいました(笑)。 モーパーゴの作品、比較的長めのものを多く読んできましたが、こんなに少ない文字数でも、中学年向けに戦争の物語をしっかり伝えているのが、すごいな、と。たくさんの描写を重ねなくても、小さい子どもに届く書き方をしていますね。同じモーパーゴの『最後のオオカミ』(はらるい訳 文研出版)は、今年の夏の課題図書になりましたね。そちらのほうがよりドラマチックだけど、オオカミの生態に関して本当にそうなのかな?と、ひっかかるところがありました。それに対して、この本は、自然な流れで読めるので、私としてはこちらのほうが好きです。

ハリネズミ:さっきもちょっと出てきたんですが、子どもの心理描写がうまいですね。この子はちゃんと愛されてはいるけど、嘘はすべて見抜きます。また学校に行けとか、牛乳を飲めとかうるさく言うお母さんと、この子の関係をうかがわせる箇所が、さっきの場所以外に、p53にも「そうかんたんにお母さんを喜ばすつもりはなかった」とあります。1回ならず出てくるこの言葉で、母と子の関係をうまく浮き上がらせています。気になったのは、p90の文章「さいごのさいごに、先生とお父さんがユニコーンをかかえて出てきたのだ」とあるけれど、絵を見ると、まだ本を抱えた人たちが出てきている。文と絵にズレがあるんですけど、子どもが見たら疑問に思うんじゃないかな。それからお話にはまったく関係ないんですが、挿絵を見てもユニコーンの角がとがっています。で、子どもが来る図書館にこれを置いたら危険なんじゃないか、と心配になりました。
 イラク戦争の時に図書館の蔵書を守った司書さんの話は『バスラの図書館員』(ジャネット・ウィンター作 長田弘訳 晶文社)などで英語圏では有名なので、この物語もそれも下敷きにしているのかもしれません。でも、これは架空の場所だし、名前もいろいろで、舞台が特定できないようにわざと設定しているところとか、作者が顔を出して20年前のことを思い出して書くとか、「私も今はその図書館に行って時々お話をしまう」などという仕掛けにしているのは、モーパーゴならではのうまさですね。まあ、でもうますぎて、つるっとして印象が薄くなるという点もあるかもしれません。あと、モーパーゴにしては、メッセージが生の形で出てきているように感じました。ユニコーン先生が、いかにもみたいなメッセージを生の形で伝えてしまっています。ただ3,4年だと、生のメッセージも好きなので、これでもいいのでしょうか。大人が読むとちょっと物足りないですが。

アンヌ:以前に1度読んでいて、その時、さらりと読めるけれど何か物足りないと感じました。読み直してみても、主人公が夢中になっている山の生活の描写が魅力的だったぶん、図書館で本にひかれていくところが、もうひとつ納得がいきませんでした。お父さんがなぜ、火の中に飛び込んでいってまで本を救おうとしたのかも疑問です。たぶん、初めて声に出して家で本を読んだときに、両親ともすごく感動したというところに関係すると思うのですが……。一角獣の神話のところも、もう少しひねってあればおもしろいのにと思いました。

シア:マイケル・モーパーゴなので安心して読み始めました。読後感の良い作品で、さすがモーパーゴ、良くも悪くもできあがっている感じです。もう児童文学界のディズニーだなと! 絵も叙情的で合っていると思いました。学校図書館では、こういう厚さだといろいろな年齢層に読んでもらえますね。『カイト』なども置いていますが、手軽なので人気があります。モーパーゴはあまり多くをつめこまないから、基本的に厚みのない本になりますが、その分読者に考えさせると言うか訴えかけると思います。彼は表現というか、やり場のない苦しみは残さない感じがします。前向きさを感じます。反戦の話でも、悲惨さを強調するのではなく事実として捉えつつ、人の思いの強さを描いています。逆に悲惨な描写があることで、人々の良い行いが押し付けがましくなく自然な流れとなっていて、子どもにも善と悪のわかりやすい対比になっていると思います。本がちゃんと回収されて図書館が立派に再建されたりしていますからね。p49のユニコーンは現代ではイッカクになっているというくだりはおもしろいと感じました。実際、昔はイッカクの角がユニコーンの角として売られていたそうだし、角と歯という差はありますが、夢があって良いと思います。ユニコーン先生みたいな先生には憧れますね。子どもに本の良さを伝える意義深さを改めて感じます。こうやって本嫌いが治っていくのを見るのはうらやましいですね。小さい子への働きかけは大事ですよね。それがなかった子たちへの対応は本当にもう残念としか言いようがなく……。しかし、先生だけでなく子どもたちもみんなの前で話していくようになるのは海外では普通のことなんでしょうが、日本とは異なります。これが今後の日本の目指す教育のあり方なんだなと思ってしまいました。p14で、お父さんは、トマスをかばっているときは学校なんか行っても役に立たないとか言っていたけれど、トマスが読むようになって泣くほど喜んでくれたのには驚きました。p59の物語や詩を読むと夢を持ちたくなる、というのはすごくわかります。こういうのを知らない人はかわいそうだし、知らない人代表の冒頭のトマス少年は完全に未開人だったので、お母さんとユニコーン先生のおかげで文明人に成長できて、しかも小説家にまでなれて本当に良かったと思います。本嫌いは文化的な生活において致命的だということがわかりました。

カピバラ:モーパーゴということで期待して読みました。元図書館員としては、このタイトルは何て素敵!と思いました。モーパーゴは書きたいことがはっきりあって、それを上手に構成して物語として差し出す作家だと思います。私たちがなぜこんな読書会をしているかというと、それはひとえに、子どもに本の楽しさを伝えたい、と思っているからですよね。だから、全く本を読まない子が本の世界に目覚めるというところは、とにかく嬉しかったです。お母さんに無理やり引っ張られて図書館に入ってみたら、ユニコーンがいる! そしてきれいな女の人がいる! ちょっと司書が美化されていて偶像みたいになっているのはどうなのかと思いましたが、こういうところから本に導かれるというのも、この年齢の子どもならあるのかな。この文章量なので詳しくは書いていないけれど、さすがうまくまとまっていると思いました。本を読まずに野山をかけまわっていた子どもが、図書館の存在意義を知る。それだけでもよかったと思います。戦火の中で命がけで本を守った人々の実話はいろいろ伝わっており、本にもなっているので特に目新しくはないけれど、ドラマチックに盛り上げて希望をもって終わるところは、中学年向きのお話として良いと思います。

ネズミ:ユニコーンや司書のことですが、その前のp25にまず、ほかの子たちが前に行こうと、押し合いへし合いしているのを見て、「見たがっているものは、いったい、なんだろう?」と主人公が興味をひかれるシーンがあるので、私は美化されすぎているとは感じませんでした。

レジーナ:このテーマを、この分量で書くのは難しいと思うのですが、さすがモーパーゴですね。しぶしぶ親についていくときに、わざとゆっくり歩く場面は、私も子どものとき、同じようなことがあったのを思いだしました。子ども時代の記憶を持ちつづけ、作品にできるのはすごいですね。この子は学校が好きではなかったようですが、何か問題を抱えていたのでしょうか。さきほど、西山さんが、読者に決定的な傷を負わせない戦争ものだとおっしゃっていましたが、ユニコーンとか、本とか、そういう美しいものが失われていくのが戦争で、この本はそれを描きたかったのだと思います。時代も場所もはっきりとは明かされず、どこででも起こりうる話として描かれていますね。

西山:この子がかかえている問題ですけど、p65に、「カ行やタ行の音がだめで」と声を出して読むのが苦手だったというのが書いてありますね。

ハリネズミ:ちょっと吃音とかあったのかもしれませんね。

アンヌ:さすがモーパーゴ、仕掛けはあったんですね。読み落としていました。

 

ルパン(メール参加):聖書のアレンジなのでしょうか? ユニコーン先生のお話をそれほどおもしいと思わなかったので、どうしてそんなに任期になるのかわかりませんでした。図書館に引きずっていったのはお母さんなのに、本を命がけで守ったのはお父さんだったのも、びっくりしました。

エーデルワイス(メール参加):モーパーゴは大好きな作家です。この本は戦争がテーマですね。本のユニコーンにすわって絵本を読むのはすてきです。小さな村なのに図書館があって、司書がいて、子どもたちのためのお話会があるなんてすばらしい。図書館の充実がうらやましいです。

 

(2018年5月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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河合二湖『金魚たちの放課後』

金魚たちの放課後

アンヌ:転校生が来ると同級生の男の子たちが金魚畑に連れていくという始まりはとても楽しくて、何が起きるのだろうと期待したのですが、金魚がうまく飼えない悩みで、ちょっとがっかりしました。動植物を死なしてしまう「死の指」の持ち主なんて悩む割には、それほどのこともなく曖昧な現実を受け入れて終わるという感じです。2編目の「さよならシンドローム」の方がまとまっていますが、主人公の語り口が中学生というより30過ぎの女の人のようでした。あまり感情の波がなくて、金魚との別れについても淡々と終わる。2編とも、こんな話かなという予想を裏切られる意外な終わり方ではあったけれど、少し残念でした。

カピバラ:何か月か前に読んで、そのときはおもしろいと思ったんですけど、今思い返したらあまり覚えてなくて……印象に残るところが少なかったように思います。ペットを飼う話は多いですが、金魚というのはおもしろいと思いました。現代っ子らしい生活が描かれていると思います。

レジーナ:美しい装丁の本ですね。金魚畑という言葉は、おもしろいと思いました。ただ、盛り上がる場面が特にないので、全体的にぼんやりしているというか、あまり印象に残る本ではありませんでした。

ネズミ:金魚畑というのがおもしろいと思いました。さいしょの話は、お父さんは描けない漫画家、お母さんは夜家をあけることの多い看護師、お姉さんもかなりぶっとんでいて、家族設定にも新しさがありました。でも、さらっと読めて、今の子どもが読むと、うん、うんって思うのかもしれないけど、全体的になんとなくこぢんまりした感じがしました。なんでそう思うのかなと考えてみると、主人公が自力で動いて発見していくのではないからでしょうか。後の話も、主人公が金魚を連れていこうとするときに、案外人まかせで解決したり、友だちとの関係をとらえなおすきっかけが、母親の会話だったり。子どもたちを応援しようという作家の姿勢は感じましたが。

ハル:言いづらいですが……この本に出会って最初に思ったのは「仲間がいた!」ということです。確かに私も子どもの頃、金魚を飼ってはすぐに死なせていました。でも、恥ずかしいし「死なせてしまった」と考えると怖いし、私はそこに気づかないふりで通してきましたが、主人公はこのことを真剣にとらえている。さらに転校生の遠藤さんは「たくさん経験してみないとわからないんだから、何回でも金魚を飼ってみろ」と言う。優しいようでいて、なかなかドライな発言だと思います。金魚のふわふわしたかわいらしさと、どこかひんやりとした怖さというか、グロテスクさというか、そんなイメージが、思春期の少年少女の気持ちとからまっていくようで、とてもおもしろかったです。同じように「仲間がいた」と思う読者も、実は多いんじゃないかと思います。

マリンゴ:最初に読んだとき、これはすばらしいな、いい本だなと思いました。特に前半が印象的でした。物語に死の匂いがたちこめているのに、どこかさわやか。金魚というテーマだからこそだと思います。次々死んでいっても、金魚だと凄惨な感じがしませんし。多くの子どもが金魚を飼った経験、あると思うんですよね。なので共感しやすい。私も昔、職場で飼っていたグッピーの水を換えたら、一気に大量に死んだことがありました。ちゃんと一晩汲み置きしたんですけど……。そういう記憶をよみがえらせてくれる力が、この作品にはありました。後半、女の子が外国まで金魚を連れていこうという場面には驚きましたけれど。自分だったら、こんなに執着しないでさっさと誰かにあげてしまうかな。あと前半の主人公の男の子が、自分の指は死を呼ぶんじゃないかと、不安にかられているところがいいなと思いました。根拠のない不安感って、あると思うんです。何をやっても死なせない友だちをうらやむ感情。そういう心の描き方がうまくて、とても気に入った作品だったので、みなさんはどう読まれるか、感想をお聞きしたいなと思って。とても参考になっています。

ハリネズミ:金魚を飼うって、小学生くらいでほとんどの子が体験するように思います。だから、そのくらいの子が読むと、おもしろくて共感をもつのかも。でも、私はあまり文章にひきこまれませんでした。転校生の遠藤さんの言葉ですが、p100に「わたし、しょっちゅう転校ばっかりしてるような気がするけど、冷静に考えたらまだ二回しかしてないし、学校だって三か所しか知らない。もっともっとたくさん……せめて百回くらいは転校しないと、法則とか傾向なんて見つけられないのかもなって、最近思ってる」とあるんですが、ませた感じの女の子だとしても、小学生らしくないなと思ってしまいました。第1部と第2部の間に、3年が経過してますけど、子どもがあまり成長していないのも気になりました。金魚畑はおもしろいけど、それ意外にもオリジナリティや新鮮みがあるとさらによくなるように思います。たとえば家族は従来型だし、インド人の同級生がせっかく出てきても、カレーを食べてるというだけ。私はそういうところが物足りなかったのかもしれません。p138の「女の子は、かわいくてきれいなものが好きなはずなのに」もステレオタイプ。この作者は何歳くらいの方ですか?

レジーナ:77年生まれのようです。

ハリネズミ:それにしては、ちょっと古い感じがしてしまいました。自分では書けないのにこう言っては失礼ですが、さらにもう少しがんばっていただけるといいな、と。

シア:私は金魚が好きなのでワクワクしながら手にしました。表紙もとても可愛くて。でも、2話収録で意外と少なく、淡白な1冊でした。この方、『バターサンドの夜』(講談社)の作者ですよね、前作もそんな感じの印象を受けたんですよね。内容が軽くて、まるでメレンゲみたいにふわふわしています。YAなので「迷い」みたいなのがテーマになるのはわかりますが、続きのないシリーズもののような感覚に陥ります。答えがなくてはっきりしないので座りが悪い印象です。主人公の灰原くんも遠藤さんも目立って反抗するわけでもなく淡白。生きていても死んでいても静かな金魚が題材なせいなんでしょうか、淡々としています。「死神の指」という表現の仕方とか、灰原君のお姉さんは深刻な感じで、おもしろくなりそうな感じだったんですが。いじめられる子は自分に原因があると思ってしまうけど、そうではないんですよね。今は偶然でターゲットが決まる世の中。そこはうまく掬えていると思います。ただ、この子たちは私とは反応が違いますね。みんなそうだと思いますが、私もいろいろ飼ってもすぐ死んでいました。オタマジャクシを飼っていましたが、日々どんどん数が減っていきました。なんだろうと思ったら共食いしてたんですね。人間が寝ている間に、彼らは壮絶なバトルロイヤルしていました。最後に勝ち残った1匹は、足や手は出たが巨大になってカエルになりませんでした。なぜ、と調べたらヨウ素が足りなかったことがわかりました。私は原因を追及しながら自分のせいなど思わずに飼っていたので、灰原君の反応とは違いました。この作者って、窮屈な世代の子どもたちを扱って、窮屈な日常を切り取るのはとてもうまいと思います。中高生が読んで私もつらいなと共感するにはいいのではないかと思います。

西山:おもしろく読みましたが……。収録2作の間に3年たっているんですね。「サヨナラ・シンドローム」の冒頭で「期末テスト」「数学」とあって、誤植か、姉が主人公になるんだか、なんだ?と思って立ち止まったのですが、まさか、3年後の話だとは……。小学5年生と中学生の関心事はちがう。なにが切実なのかは大きく変わる時期ですよね。どちらの読者に読んでほしいのでしょう。後半でアメリカに金魚を送れるかどうかで、検疫だのなんだの調べたりするして、村上しいこの『こんとんじいちゃんの裏庭』(小学館)を思いだして、子どもが自分でいろいろ調べていくおもしろさ、情報の具体性がおもしろかったのですが、でも最終的に、思春期の心のほうにウェイトがいってしまうのっで、調べるワクワクを追求していく方は二の次になってしまう。そこが作品の個性になると思うのに。だから部分部分はおもしろかったけれど、あいまいな印象になってしまう。転校ものとしても興味深く読めたけれど、そこも主軸ではないんですよね。これ、という像を結ばないので、おもしろく読んだのに記憶から消えやすい、そういう作品の一つのように思います。

レジーナ:今の母娘は距離が近いので、友人関係の悩みも話すのでしょうね。それをこういう形で物語に入れて、読者がおもしろいと思うかはわかりませんが、リアルなのだと思います。

ルパン(メール参加):おもしろかったです。「水色の指」と「さよなら・シンドローム」、語り手が交替するパターンはよくありますが、これは時間がずれているのでおもしろいと思いました。「水色の指」は、私も生き物を育てたり死なせたりと、いろいろあったので、灰原くんの気持ちがよくわかりました。

エーデルワイス(メール参加):水色の涼しげな地にユーモラスな金魚の絵の表紙ですが、ほのぼのとした内容ではありません。前半は灰原慎、後半は遠藤蓮実と、2人に絞った展開がすっきりしています。金魚を取り上げているところがユニークだと思いました。飼った体験がある子は、確かに金魚の死や埋めたことなどに共感すると思います。金魚を外国に送ることなど知らないことばかりで興味を持ちました。慎は、なんでもそつなくできる子なのに、生き物を上手に育てることができません。家がバラバラゆえの心の不安定が影響しているかもしれないことにもどこかで気づいています。蓮実との交流で生き物に接する何かが変わっていくところがいいですね。慎とは違い家族は安定しているけれど転校をくり返す蓮実。学校での居場所や友人関係などは、社会の荒波にもまれているような大変さを感じます。本当の友だちとは、と投げかけている気がします。

 

(2018年5月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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ジョン・ボイン『ヒトラーと暮らした少年』

ヒトラーと暮らした少年

『ヒトラーと暮らした少年』をおすすめします。

先日他界されたかこさとしさんは、子どもの視点をずっと持ち続けながら、何事もきとんち理論的に考える方だった。そのかこさんでさえ、子どもの頃は軍国少年で、15歳のときに図書館通いもやめる。文芸作品の読書などという軟弱なものは捨てて、軍人になる勉強をしなくては、と思ったからだ。しかし、視力が悪くなり軍人になることができずに命拾いをする。そして戦後、「誤った戦争をなぜ正義だと思い込んでしまったのか」と自問し、「私のような間違った判断をしないよう、真の賢さを身につけるお手伝いをしていこう」と考えて、子どもの本を書き始める。

本書は、主人公のピエロが7歳の時から始まる。ピエロはフランスに住んでいて、アンシェルという、耳の聞こえない親友がいる。ピエロの父はドイツ人で母はフランス人だが、二人ともやがて亡くなり、孤児となったピエロはドイツ人の叔母に引き取られ、ドイツ南部の山岳地帯にあるベルクホーフで暮らし始める。ベルクホーフはヒトラーの別荘で、ピエロはペーターと名前を変え、ここでヒトラーと出会い、かわいがられ、憧れ、ヒトラーの思想に染まっていく。そして、叔母さんたちのヒトラー暗殺計画を知ると、ヒトラーに知らせ、結果としておばさんは処刑されてしまう。ペーターは、自分の世話をしてくれたおばさんよりヒトラーの方を選び、ユダヤ人のアンシェルともぷっつり関係を絶つ。

先ほど、かこさん「でさえ」と書いた。もう一度ここで、多文化に親しんでいたはずのピエロ「でさえ」と書いてもいいかもしれない。子どもは、周囲の熱狂に左右されやすい。

オーストラリアのジャッキー・フレンチも、先生や親をはじめ周りがみんな間違った思想の持ち主だったら、子どもは簡単に染まってしまうかもしれないという危惧を持って、『ヒットラーのむすめ』(鈴木出版)を書いた。

子どもには、ゆかいな楽しい本も必要だ。でも、「真の賢さを身につける」助けになるような本も必要だと、私は最近つくづく思う。本書はそんな一冊。

(「トーハン週報」2018年6月11日号掲載)

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出久根育『チェコの十二ヵ月』

チェコの十二カ月〜おとぎの国に暮らす

『チェコの十二カ月〜おとぎの国に暮らす』をおすすめします。

チェコ在住の日本人画家によるエッセイ集。理論社のウェブサイトに十一年間にわたって掲載されていたものに加筆し、新たにすてきな絵を入れてあります。

たとえば冒頭の「冬から春へーー緑の季節を迎える前の春の色はことさら美しく感じます。厳しい冬を乗り越えた喜びとともに目に映る色だからでしょうか。夏の緑、秋の黄色、冬の灰色、では春の色は何色でしょう。春の風景はすべての季節の色が、点描で幾重にも重なって、水でふんわりとにじんだ絵のようです」という文章からも、もう少し先の「膨らんだ芽から小さな若葉が、生まれて初めての空を早く見ようと、我先にと押し合います。やわらかくて瑞々しく、子どもの肌のような透明な若葉です」という文章からもわかるように、感受性豊かな画家としての目をあちこちに感じます。だからかもしれませんが、私は一度しか行ったことのないチェコの田舎の情景が目の前にうかんできて、わくわくしました。

南モラビアの氏を追い出すお祭りや、チェコの伝統的な復活祭の様子、魔女の人形や絵を燃やす行事、ぶどうの収穫祭、マソプストなど珍しい風習も、楽しい絵とともに紹介されています。

夜汽車に乗って体験した芝居の話や、ビロード革命を記念するデモのことや、チェコではクリスマスにどんなお祝いをするのか(だれもおいしいと思っていないらしいのに、みんなコイの料理を食べるんですって)、なんていう話も、おもしろい。

画家さんの中にも、何度でも読み返したくなるような味のある、とてもじょうずな文章を書く方がいます。出久根さんもその一人。

読んでみると、副題にある「おとぎの国」に紛れ込んだような気持ちになれます。しかも、この「おとぎの国」は現実に存在している。そこが、またいいんですよね。

(「トーハン週報」2018年4月9日号掲載)

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TOTO BONA LOKUA

TOTO BONA LOKUA(トト ボナ ロクア)

アーティスト:Richard Bona, Lokua Kanza, Gerald Toto
レーベル:Sunny Side

 

 

 

リチャード・ボナはカメルーン出身(ベーシストとしても有名)、ロクア・カンザはザイール(コンゴ出身)、ジェラルド・トトは西インド系のフランス人(生まれたのは、マルティニクという説とパリという説があります)。

この3人はふだん別々に音楽活動をしているのですが、ここではユニットを組んで、一緒に歌ったり演奏したりハモったりしています。それぞれの母語で歌っている曲は、私には意味がわからないのですが、英語で歌っている曲もあります。

小鳥の声や口笛や子どもの声が入っていたりして、うっとうしい季節に聞くと、さわやかになれます。

この3人がLugano Jazz Festivalに出演したときの映像が、以下にあります。

 

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Rough Guide to African Lullabies

Rough Guide to African Lullabies
(アフリカの子守唄入門)

アーティスト:Various
レーベル:World Music Network

 

前に紹介したAfrican Lullabyは、アフリカ各地の伝統的に子守唄を取り上げていましたが、こちらは、アフリカ各地の多彩なミュージシャンや楽器を紹介するのがメインの目的で、夜聞くのにふさわしい落ち着いた曲を集めてあります。

1曲目は南アフリカの男性アカペラ・グループのレディスミス・ブラック・マンバーゾ、3曲目はベナンのアンジェリック・キジョー、4曲目はマリのグリオの家系でンゴニを弾くバセク・クヤテ、5曲目はマリの二人の巨匠、ギタリストのアリ・ファルカ・トゥーレとコラ奏者のトゥマニ・ジャバテ、15曲目は南アフリカのミリアム・マケバと有名なアーティストを入れています。

国で言うと、南アフリカ、コンゴ、ベナン、マリ、モザンビーク、カーボベルデ、ソマリア、エチオピア、ガーナ、ジンバブウェ、セネガル、ギニア、タンザニアとこちらも多様だし、聞ける楽器も、本来はグリオの楽器だったンゴニやコラ、ギター、シンセサイザー、セプレワ(古いガーナの弦楽器)、ンビラ(親指ピアノ)、バラフォンなど様々です。歌が入っている曲もあるし、楽器だけの曲もあります。

私は個人的には、African Lullabyの方が好きなのですが、こちらも夜などにボリュームをおさえて聞くと、なかなかいいのです。最後は、タンザニアの歌「マライカ」を南アフリカ出身のミリアム・マケバが歌っています。

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2018年04月 テーマ:好きなものがある子どもたちの話

日付 2018年04月20日
参加者 アカシア、アンヌ、カピバラ、コアラ、さららん、西山、ネズミ、ハル、マリンゴ、ルパン、
レジーナ、(エーデルワイス)
テーマ 好きなものがある子どもたちの話

読んだ本:

ジョー・コットリル『レモンの図書室』
『レモンの図書室 』
ジョー・コットリル/作 杉田七重/訳   小学館   2018.01
A LIBRARY OF LEMONS by Jo Cotterill, 2016
<版元語録>カリプソは、本が大好き。いつもひとりでいるカリプソにとって、本はたったひとつの心のよりどころだった。「わたしはだいじょうぶ」何があっても、カリプソは、自分に言い聞かせる。そんなカリプソの心を開いたのは?


三輪裕子『ぼくらは鉄道に乗って』
『ぼくらは鉄道に乗って 』
三輪裕子/作 佐藤真紀子/挿絵   小峰書店   2016.12

<版元語録>小学4年の悠太は、電車が大好きな鉄道少年。ひょんなことから同じアパートに越してきた同じ年の理子を、互いの親には内緒で千葉県の大原まで連れて行くことに。不安がいっぱい! ぼくと理子の鉄道の旅がはじまる。


佐藤まどか『一〇五度』
『一〇五度 』
佐藤まどか/作   あすなろ書房   2017.10

<版元語録>都内の中高一貫校に、編入した真は中学3年生。スラックスをはいた女子梨々と出会い、極秘で「全国学生チェアデザインコンペ」に挑戦することに…! 中学生としては前代未聞の、この勝負の行方は? 椅子デザイナーをめざす少年の、熱い夏の物語。

(さらに…)

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佐藤まどか『一〇五度』

一〇五度

さららん:「椅子をつくる」というテーマを新しく感じました。モックアップ(原寸模型)など専門用語がいっぱい並び、覚えきれないほどでしたね。主人公の真と出会い、椅子づくりの同士となるのは、スラックスをはいて登校する女の子梨々。梨々の造形が理知的でさわやかでした。真はというと、「LC4」という歴史的な椅子に座って、その良さと悪さを自分の頭と体を通して考えます。大好きな椅子であっても、そうした分析的な目がクールでいいな、と思いました。でも一方で、二人ともお金持ちの通う私立の学校に通っていて、真は勉強もできるし、椅子のデザインまでできる。真の強権的な父親以外、まわりがほぼみんな二人に協力的で、フィクションとはいえ恵まれすぎた環境のようにも思えます。椅子職人だった真のおじいちゃんが、まっこうから父親とぶつかる真に、そのときどきに必要な言葉を(「オヤジをだましときゃいい」などと、ときにはどきっとするような言葉も)発してくれるのがうれしかったです。

アカシア:著者がプロダクトデザイナーだけあって、イスがどのように考えられて作られているかがわかったり、現場での工程がわかったりする部分は、とてもおもしろかったです。一〇五度が少しリラックスしてすわるイスの背もたれの角度だとわかって、なるほどと思いました。真の祖父はそれに加えて、人間もおたがいに軽くよりかかるのがいいと言ったりして、象徴的な角度としても使われているんですね。できる子の真と、できない子の力という兄弟の対比が描かれ、できる子だって「なんでもできるんじゃなくて、無理してるんだよ。がんばっても認められない。それでまた無理をする。ストレスがたまる。この悪循環から抜け出せないんだ」と、そのつらさを書いています。そのあたりもいいな、と思いました。できる子の真は、勉強もがんばる、イスのコンクールでも高評価を得る、弟や梨々の勉強の面倒もみる、と「できすぎ」少年ですが、これだけ出来過ぎだとリアリティがなくなってエンタメになるかも。出来過ぎくらいにしておかないと、成立しない物語なんでしょうか?

コアラ:おもしろく読みました。椅子のことがかなり詳しく書かれていて、こういう世界があるのかと、知らない世界を知る楽しさがありました。ただ、主人公が中学生で、確かに中学生でも職人的なものに興味を持って詳しい人もいると思いますが、レベルが高校生くらいのような気もします。p134の7行目「結局女ってヒステリーだよな」という言葉は気になりました。p220で偏見を自覚する場面があるので残しているのかもしれませんが、p134では無自覚に言っていて誰も注意をしていません。そのほか、ご都合主義なところもいくつかあって気になりました。例えばp139で梨々の家に行こうとしていた真の前にちょうどおじいさんの早川宗二朗さんが現れるところとか。梨々についても、できすぎな女の子のように思いました。それから、タイトルになっている一〇五度という関係について、ちょっと寄りかかったほうがいい、というのは大人の関係かなという気がします。椅子の製作の過程はいいのですが、弟や父親との関係は、ストーリーにあまりなじんでいないというか荒っぽい感じがして、勢いで書いているようにも思えました。

アカシア:p134のところは、この子がそういうことを言うのはふつうじゃない、とそこでおじいさんが気づくというストーリーの運びになっているので、あえて言わせているのだと思います。それと、梨々ですが、私は女の子のオタクとして登場させているんだと思いました。ふつう、オタクは男の子がほとんどなので。

アンヌ:大人でも知らない、「プロの椅子づくりの世界」が描かれているのが楽しくて、モデラーという仕事や、工具や材料の名前などに漢字にカタカナのふり仮名をふってあるところとか、ある意味SFを読むときのように、わからなくてもどんどん読める感じがおもしろかった。主人公が15歳だとすると、お父さんは40代。おじいさんは70代かな。少し、おじいさんが年寄りに書かれすぎているかもしれません。真がまっすぐすぎて、勉強まで頑張って上位に入るなど、葛藤がなくて納得がいかない気もします。友人に失敗話をさせようとしたり、コンペで賞を取っても喜ばないお父さんというのは、あまりリアリティがない。親も未熟なんだろうなというのは大人にはわかりますが。少し一面的に感じました。

ルパン:「105度」については、なるほど!と思いました。でも、椅子を作るシーンは……空間図形に弱いせいか、イメージがわかず、あまり物語に入り込めませんでした。恵まれた環境にいる中学生が、大人の手を借りてやっている、という感覚がぬぐえず、等身大の共感は得られないと思いました。

アカシア:大人の手はできるだけ借りないようにして、この二人はがんばってた、というふうに私は理解しましたけど。

ルパン:それから、p251で真の父親が「将来は飢え死にする覚悟でやれ。茨の道を自分で選ぶ以上、泣き言を言うな」というところ、あれ、椅子づくりの道を選ぶことを許したのかな、と思ったのですが、次のページではどうやらそうではないような感じで、よくわからないまま終わってすっきりしないものが残りました。

アカシア:このお父さんは、一見子どものためを思ってアドバイスしているかのようですが、本当の真のことは、何も見ていないですね。真や、弟の力が、今何をおもしろがり、何に情熱を注いでいるかはまったく見ていない。賞をもらっても、まだ気づかない。だから真はがっかりするのだと思いますが、でもそれでもやろうと最後には思う、という終わり方なんじゃないでしょうか。

ルパン:ラストシーンで父親に「途中で放り投げても、助けてやるつもりはないぞ!」といわれた真は、「よし、放り投げずにやってやる!」ではなく、「ワクワクしていた気分が一気に萎えてくる」といっています。なんだか、助けてほしかったのかな、と思ってしまうシーンです。

アカシア:そこは、それでもこの子はやろうとしている、というところを浮き彫りにするための布石だと思います。

ハル:特に同世代の読者が読んだら、好きなものがあるってかっこいい! オタクってかっこいい!と思うでしょうし、自分も何か見つけてみたいと思わせてくれる本だと思いました。失敗しながら学んでいく姿にも、父親の反対を押し切って突き進んでいこうとする姿にも、読者は勇気づけられるだろうと思います。ただ、なぜか、登場人物の会話が無機質というか、血が通っていないような印象を全体的に受けました。いかにもせりふっぽいというか。そこが私は気になりました。

レジーナ:美大の工業デザイン学科に入学した友人の、初めての課題が椅子でした。4本の脚で体重を支えなきゃいけないから、椅子は難しいと言っていましたね。この本は、専門知識に基づく描写を通して、ものづくりのおもしろさが伝わってきました。家族の描き方は少し物足りなかったです。子どもを理解しない父親、そっと応援するおじいちゃん、というふうに、大人の描写が一面的で、生身の人間に感じられなかったからかな。

ネズミ:職業小説や部活ものというのでしょうか。『鉄のしぶきがはねる』(まはら三桃作 講談社)を思い出しました。椅子にのめりこんでいくのはとてもおもしろいけれど、こんなに成績にしばられている中学生や、ここまで子どもに期待する親がいる家庭って実際には1割もないんじゃないでしょうか。とすると、この主人公にどれだけの中学生が気持ちを寄せて読むのだろうと思ってしまいました。個性があるゆえに肩身の狭い思いをしている子どもは共感できるのかな。

西山:すごくおもしろく読みました。生身の子っぽくないのは、たしかにそうだけど、それは中学生らしくなかったということでは?と思ってます。高校生っぽい。進路の問題としては、中学生という設定が必要だったのでしょうけれど。中学生らしい「おバカさん」さがなくて、生身な感じを欠いている気がします。p47のスラックスをはく理由を語る梨々のせりふは、中学生としてはなじまないかもしれないけれど、「権利を行使した」と書いてくれたのは気持ちよかったです。なにより、物語が椅子にまっすぐ進んでいくのがすがすがしかったです。冒頭のからかいとか、梨々のスラックス姿とか、学校の友人関係のぐちゃぐちゃに展開するかと思いきや、すぱっと見切って、椅子づくりに進む潔さが新鮮な印象でした。病弱で、親から溺愛される弟への屈折が出てきて、あさのあつこの『バッテリー』を思いだしもしましたが、真と対照的な存在として、うまく書かれていたのか、最終的に二番煎じ感は消えていました。賞もとったのに、じゃあやっていい、と最後まで言わない父親も新鮮な気がしました。好きなもので食べていけるわけじゃない、ということを子どもにつきつけているシビアさが新鮮。昨今「子どもの夢を応援」する物わかりのよい親像が、実際はどうかは別として、建前としては主流のように私が感じているからでしょう。でも、真は負けていない。そこが、児童文学としての、作者の子どもへのエールかもしれない。あと、なにしろ、本がきれい! カバーをはずすと地模様が方眼紙だし、見返し遊び紙や扉がなんか上等だし、おしゃれな造本だなぁと愛でました。

ネズミ:お父さんの昔の友だちが死んでしまうというエピソードは、そこまで言うかなと思いましたが。

西山:それでも好きなことをやる方を選ぶんですよね。

マリンゴ:今回の3冊のなかで一番好きでした。佐藤さんの『リジェクション 心臓と死体と時速200km』(講談社)には、いまいちハマれなかったのですが、これはとても好きです。登場人物たちが高校生レベルなので中学生の読者が共感できるのか、といった話が先ほど出ていましたが、私はこれは、自分に重ねるのではなく、突き抜けたものとして読めばいいのだと思います。ここに出てくる中学生たちのことは、要するに藤井聡太六段だと思えばいいのです(笑)。椅子界の藤井聡太。読者は、そのエネルギーに引っ張られて、自分も何か打ち込めるものを見つけたいと思うのではないでしょうか。ただ、唯一、気になったのは、最後のコンテストの場面。エンタテインメントとしての盛り上がりを期待したんですけど、ライバルの描写が少ないんですよね。p240「繊細なラインで、ひと目見てすわりたくなるイスだ。斬新なアイディアはとくにないけど、細部まで気を抜かずに徹底して計算されてデザインされている」。具体的な描写がないので、どんな椅子かわかりません。ライバルの人物造形もない。敵が強く、ちゃんとイメージが湧くほうが、盛り上がるのに……とそこは残念でした。いずれにしろ、全体的に読みごたえがあるので、これが夏の課題図書として、たくさんの中学生たちに読まれるのはいいなと思います。

エーデルワイス(メール参加):「105度」ってなんだろう?と思っていたら椅子の角度だったのですね。新鮮です。椅子のデザイナーを目指す主人公は新しい視点。作者がプロテクトデザイナーらしいからその道を描いたのでしょうか。椅子に関するエピソードは興味深いです。父と息子の対立や、その父と祖父の関係も描かれてはいますが、この二人は対話を避けて逃げている感じです。もうちょっと深く描かれたら、もう少し納得できる感じがします。ところで、「スラカワ」こと早川梨々は女子ながらいつもスラックスをはいて目立っている設定ですが、私の中高生時代、あたりまえに制服の下に女子がスラックスをはいていました。ただの寒冷地ということかもしれませんが。

(2018年4月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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三輪裕子『ぼくらは鉄道に乗って』

ぼくらは鉄道に乗って

さららん:ちょっと昔っぽい印象を受けたけれど、物語自体は好感が持てました。昔っぽいのは、時刻表を使うという理由だけでなく、人物造形のせいかもしれません。ともあれ、時刻表を具体的に使って、子どもたちが自分の頭と足で歩こうとしているところはいいですね。悠太の近所に引っ越してきた理子が、なぜ時刻表を見ていたのか、その謎が後半で解けます。離れ離れになった弟に会いに行きたい理子。親の都合で、がまんを重ねている子どもはいっぱいいますよね。子どもだって、自分で動いていい。心理の描き方は地味かもしれないけれど、次の電車に乗り遅れないように主人公の悠太がじっと待つところなど、よく理解できました。

レジーナ:インターネットで調べる場面を見て、鉄男もそういうのを活用するんだなと思いました。弟に会わせてもらえなくて、会いにいくというのは、ひと昔前の児童文学にありそうですね。

ネズミ:時刻表や図書館がきっかけになるのがおもしろいなと思いましたが、お話自体、とりたてて驚きや感動はありませんでした。理子は、案外活発で面倒見のよさそうな女の子なのに、弟に会ったあとに泣き崩れるというのが、ピンとこなくて、登場人物にもっと魅力があればいいのになと思いました。

マリンゴ: かわいらしい話で、好感を持ちました。好きなものがある子たち同士で惹かれあう……そういう人間関係の広がりが、いいなと思いました。読んでいると、電車に乗りたくなります。青森に行ったとき、気になっていたローカル線に乗らなかったことが今さら悔やまれたりして。ただ、小道具の時刻表ですけど、見ている時間が長すぎるのではないかと思いました。引っ越し当日、つまり冬休み最後の日に見ていて、春になって学年が上がってもまだ見ている。そんな何か月も時刻表を見てたら、さすがに千葉への行き方、わかるのでは?とツッコミを入れてしまいました(笑)。それはともかくとして、読書をする子はやっぱり女子が多いので、この本のように、男子に向けて書かれた本はとてもいいと思いました。この本をきっかけに読書好きになる男の子もいるかもしれませんよね。

カピバラ:今回のテーマ「好きなものがある子どもたちの話」っていいですよね。物語の設定として魅力があると思います。悠太は日本の児童文学に良く出てくるタイプの男の子。主人公がどういう子かというのは、物語を読んでいくうちにその子の行動や言葉を通して少しずつ見えてくるのがおもしろいのに、冒頭でぜんぶ説明しているのはつまらないですね。鉄道ファンにとって時刻表はとても魅力あるものだけど、その魅力があまり伝わってこないのが残念でした。鉄一のことを1歳しか違わないのに「鉄一センパイ」と呼ぶのはどうかと思いました。理子は自分のことをしゃべる子じゃないのに、p110では自分の境遇を聞かれもしないのにぺらぺらしゃべっているのがとても不自然でした。会話でぜんぶ説明しようとするとリアリティに欠けてしまいますね。

アカシア:私も時刻表などのおもしろさがもっと書かれているといいな、と思いました。それから、物語世界のリアリティをもう少し考えてほしいと思いました。鉄男の二人が、理子の弟に会いに行こうとするのも不自然だと私は思ってしまったし、保育園の先生が知らない子どもから受け取ったものを園児に渡すなんて、現実にはありえません。

コアラ:鉄道が好きな子どもの心理がうまく描かれていると思いました。例えばp39の「古い車両の列車が、夜じゅうかけて遠い町まで走り続けていくって想像すると、心がときめくっていうのかな」という隼人のせりふ、好きな気持ちがこちらにも伝染して、確かにいいよね、と思います。気になった場面は、p139からp141あたりの、保育園で悠太がヨッチに理子からのプレゼントを渡して、写真も撮るところ。ヨッチにとって悠太は知らない人なわけで、知らない人から物をもらって写真を撮られる、というのは危険だと思いました。それから、p55で悠太が「鉄道ファン」付録のメモカレンダーの2月のところに、隼人の名前と電話番号を書くところも気になりました。「鉄道ファン」は自分では買わずに図書館で読んでいますよね。誕生日に買ってもらったのは8月なので、その号には2月のメモカレンダーは付いていないはず。いつ買ったのかなと思いました。全体としてはおもしろかったです。

アンヌ:私は、鉄な従弟がいて、時刻表の魅力や乘った電車について語り合った事があるのですが、鉄は一日中でも時刻表を見ていられるそうです。もう少し、時刻表を見る楽しみなど書いてあると、その後の理子を鉄子と間違えたあたりがスムーズに展開したと思います。今回、そんな鉄の心を打つ名場面をあげますと、p20のパソコンの乗り換え検索と時刻表で「これで日本中どこでも旅ができるんだ」と思う場面、p38からp39の寝台車とローカル線という隼人と悠太のそれぞれの趣味を語り合う場面、p44からp47にかけての、大曲まで行くルートについて話すところ等があげられると思います。また、もはやない寝台電車での幻の旅を語り合うところも素敵です。気になったのは、理子についての描き方です。しっかりしているようなのに後半泣いてばかりいて、家族関係なども古風だと感じました。その他には、子どもにとって、鉄道博物館に行く在来線のルートもドキドキするものだという事が描かれているところも、うまく後半の大原行につながっています。ここは、東京以外に住んでいる子にとってもおもしろいかもしれません。隼人も悠太も何か事故があった時の対処法とかを考えていて、電車の道は一本ではないという事が書き込んであるところもいいなと思えました。

ルパン:おもしろく読みました。私は全然鉄道に興味がないのに、ワクワク感を共有できました。一番好きなシーンは、p25で理子の家が千葉の大原から越してきたと聞いた瞬間、それまでふてくされて黙っていた悠太が、「大原? いすみ鉄道が通ってる?」と反応するところです。こういう、何かひとつのことにマニアックに精通している小学生とかって、すごくおもしろい。今回のテーマにもある「好きなもののある子ども」の、魅力全開シーンだと思います。

ハル:私はもうちょっとワクワクしたかったなと思いました。鉄道博物館に行ったところとか、時刻表のこととか、鉄道好きじゃない読者も巻き込むほどのインパクトはなかったかなと思いましたが、鉄道好きな子が読むとまた全然違うでしょうか。理子の弟が登場したシーンはぐっときました。結局解決はしていないけど、線路でつながっているというところが、鉄道のロマンなのかな……。

カピバラ:目次の章見出しを読むだけで筋が全部わかってしまいますね。もっと工夫してほしいです。目次ページは右と左でフォントの大きさが違っています。それからもう一つ気になったのは、悠太が新幹線を見たことがないという点。これだけ鉄道が好きな子どもなら、お父さんと見に行ったりするんじゃないかな。

エーデルワイス(メール参加):私の文庫にこの本を入れたら、鉄道大好きな小6の男の子が借りていきました。挿絵もよかったのでしょう。家庭の抱える深刻な問題も、『鉄道』というフレーズで暗くならずにすんでいます。鉄道が大好きで乗り継いで目的地までゆくドキドキ、ワクワク感が出ています。東京の新宿の圧倒的な人混みを、子どもだけでよく頑張りましたね。小学生の頃、電車というより汽車に乗り一人で祖父母の家に行ったことを思い出しました。一日がかりだったように思います。冒険感でいっぱいでした。

(2018年4月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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ジョー・コットリル『レモンの図書室』

レモンの図書室

さららん:本だけが友だちのカリプソが主人公です。お母さんの死後、お父さんとの二人暮らしが始まり、カリプソはお父さんに暮らしの面倒を見てもらえません。でもメイという本好きの友だちが現れて、物語の世界を通して、カリプソの心の扉が開きます。レモンの研究書の執筆に打ち込むお父さんが、非常に子どもっぽいと感じましたね。現実を逃避するお父さんの心の問題が次第に明るみに出て、閉ざされた家庭に外からのケアが入ります。イギリスには、大人の世話をする子どもの会があることを初めて知って、新鮮でした。p188に「正常か異常か、その判断は人によってちがうんじゃない」とメイが言います。そんな言葉がこの物語を単純なものにせず、救っていますよね。幸せの形を自分で探すカリプソの物語になっています。ただ、いいところもたくさんあるけれど、わかりにくいところもありました。私にはお父さんが謎の人で、共感を抱けず、血の通う人間としての像が結べませんでした。子どもが大人をここまで理解し、包容する必要があるのかと、疑問も感じました。なお本文に出てくる本のタイトルが巻末にリストで出ているのは、とても親切ですね。でも文中には「未邦訳」の注をつけなくてもよいと思いました。それを見たとたん作品の世界の外に、放り出されてしまいます。

アンヌ:とても魅力的な表紙で、レモンの背景の地色の灰色がかったベージュの色に不安が表わされているようで見入ってしまいました。二人が出会う場面で、メイがカリプソの名前を木で組む場面とか、授業で、言葉を知っていることに尊敬の念を抱くところとか、古典的な児童文学について二人が夢中で話すところとかに、とても惹かれました。でも、カリプソはいつも空腹で、食事だけではなく洗濯も自分でしなくてはならない状況で、読んでいてつらく、父親への怒りを感じました。物語の後半は、あまりうまく描かれていない気がします。父親の状況を、父親とカリプソが交互に物語を書き合う事で説明してしまうところや、大人の面倒を見ている子供たちを支援する組織が妙に無力だったりするところとか。そして、これだけいろいろあったのに、最後はカリプソも父親と家庭を作るという結論には、なんだか昔『ケティ物語』(クーリッジ作、小学館)のラストを読んだ時のように、がっかりしてしまいました。気になった言葉がp10『少女ポリアンナ』(エレナー・ポーター作 角川文庫)の「よかったさがし」。本の内容を知っていても違和感のある感じがしました。村岡花子版では「喜びの遊び」「喜び探し」だったので、最近の訳はどうなんだろうと調べたら「幸せゲーム」「幸せさがし」などの訳があり、確かに「よかったさがし」としている本もありました。

ネズミ:p10のせりふだけ見ると、「よかった探し」と『少女ポリアンナ』は結びつかないですね。

コアラ:主人公は10歳ですが、本のつくりは大人っぽいと思いました。カリプソが赤毛でメイが黒髪で、物語の中でも『赤毛のアン』(モンゴメリー作 講談社他)が出てきますが、他にも『赤毛のアン』を思い出させるところがありました。例えばカリプソが学校を休んでメイがさびしがるところや、p239からの部分で大切なことに気付くところとか。それから、物語の中で本がたくさん出てくる割には、あまりワクワク感がありませんでした。やっぱりp10の「未邦訳」で気持ちが削がれたのかもしれません。それでもカリプソが本を大切にするところとか、共感できる部分もありました。巻末の「読書案内」は親切だと思いました。

アカシア:原文は、よく練られた美しい文章だったのですが、訳はかなりはずんだ元気な調子になっていますね。訳文の文体に私はちょっと違和感がありました。お話はおもしろく読んだのですが、いくつか引っかかる点がありました。一つは、この父親の状態ですが、大人なら想像がつきますが、子どもに理解できるのかな? 母親の本を全部外に出して、書棚にレモンを並べていたところも、父親が母親の思い出と訣別したかったのか、それとも単に精神が錯乱しているのか、そのあたりもよくわかりません。二つ目は、ダメ親と子どもの関係なのですが、現実では子どもが、「親がダメなのは自分のせいか」と思ったり、「自分がしっかりしないと家庭が崩壊する」と思ったりして、がんじがらめにされてしまうことも多いのではないでしょうか。たいていの児童文学では、作家はそうした子どもの側に立って、「もっと自分のことを考えてもいいんだよ」というメッセージを送りますが、この作者は逆に父親の側に立って愛情をもっと注ぐことを娘に奨励しているように見えます。そこに引っかかりました。表紙やカットの入れ方はいいですね。

カピバラ:10歳の子どもらしい感覚が描かれていると思いました。対象年齢がYAよりちょっと下に思えたのは、弾んだ訳文のせいかもしれません。子どもの気持ちや、パパやメイの描写は、ありきたりではなくおもしろかったです。例えばp198、パパの様子を「つかまるとわかって、身をかたくするハムスターみたい」という表現とか。自分にとってメイがどんなに大切な存在かと気づくことによって、パパには自分が必要なんだと気づくところが、すっと理解できました。ゲームに夢中になる子ども、パソコンから目が離せない大人など、今の子どもを取りまく現実がよく描かれ、その中にいながらカリプソは紙の本の価値を信じている昔ながらの子というのがほほえましかったです。知っている本のタイトルがたくさん出てくるのも読者にはうれしいと思います。

マリンゴ: 非常によかったです。冒頭で実在のいろんな本が紹介されていたので、図書室で子どもたちがさまざまな本を読む話かと思っていました。こんな物語だったとは! 親が大変な状況にあって、子どもが苦労する……こういうことは日本でも身近にあると思います。この子自身も相当個性的なのですが、そういうキャラクター、そして親との関係性を、一人称なのによく描けているなあと感じました。三人称のほうがきっと書きやすいはずですけど……。先ほど話題になっていましたが、「レモン」の解釈が日本と欧米で違って、ネガティブな意味があるところも、おもしろいですね。あと、余談ですけど、メイのお母さんのアイコって日本人ですよね。ステレオタイプな東洋人ではない描かれ方をしているのが、ちょっとうれしかったです。

ネズミ:母親が亡くなってから立ち直れない父親や、子どもの面倒を見られない親は、『さよなら、スパイダーマン』(アナベル・ピッチャー作 偕成社)や『紅のトキの空』(ジル・ルイス作 評論社)、『神隠しの教室』(山本悦子作 童心社)にも出てきますね。子どもがそれぞれの環境でそれぞれに親と向き合って生き延びていくというのは難しいテーマだけど、必要だと思うし、おもしろく読みました。ですが、この主人公は10歳で、感じ方など小学生が読んで、うんうんと思いそうなところがいっぱいあるのに、本のつくりが大人っぽくて、小学生が手に取るかどうかが疑問です。一人称の語りが、せりふの部分はいいけれど、地の文ではしっくりこなくて、三人称のほうがすっと入れたのではという気もしました。作者はこの子の目線を大事にしたかったのでしょうか。それと、結局、カウンセリングのゆくえがよくわからないですよね。リアルなのかもしれないけれど。日本だとマンガ『Papa told me』(榛野なな恵作 集英社)が1988年に出て、新しい親子像が描かれてきたけれど、この本のような父親は今もよくいるということなのかな。

カピバラ:カウンセリングは、与える側と受ける側にずれがあるところをうまく描いていると思います。受ける側は、なんとかしてほしい、と思って行くんですけどね。

レジーナ:とてもきれいな表紙です。YAにしても、大人っぽいつくりだと思いました。「大人を世話する子どもの会」というのはおもしろいですね。せりふはところどころ、しっくりこなかったです。p24「だめだめ! いえない!」「読んでる本の先をバラされるって、すっごく頭にくるよね。ほんとうにごめん! お願い、ゆるして!」、p133「もちろん知ってたよ! ここには本なんて一冊もないの。ふざけてみただけ! 怒らないで!」など、感嘆符が多いのは原書のままなのかもしれませんが、日本語で読んでいると、浮くというか、大げさに聞こえて。本棚のレモンを投げる描写もヒステリックで、読者はついていけるのか……。父親も、そういうのが嫌いなのはわかりますけど、カリプソがハロウィーンのお菓子をもらいに行きたがっているのに、頑なに反対します。いくら精神が不安定だとしても、自分の本をだれかが買ってくれたと喜んでいるカリプソに対して、ひどい態度をとるし。一人称は、その人の目に映る世界なので、すべてを描けないとしても、描写によっては、立体的な人物像になると思うのですが。

アカシア:このお父さんは出版業界にいるんですよね。だから、新人の原稿がそうそう採用されないのは知っているはず。なのに、送った原稿がある社から採用されなかっただけで、こんなに落ちこむなんて。リアリティという点でどうなんでしょう?

ハル:すごくきれいな装丁で、しっとりとしたお話かと思って読み始めたら、予想外の展開で。そのためか、お父さんは「おかしい」人なのか、ただ「心を閉ざしている」人なのか、どっちを意図して書かれているんだろうと少し戸惑いました。本を捨てていたことがおかしいのであって、レモンの歴史をまとめることや、レモンを棚に並べていたこと自体は「異常」ではないですよね? 絵面は衝撃的ですけど、レモンを研究していたわけですから。……でもやっぱりおかしいのかな。よくわかりません。でも、こういう、子どもが自分のことに集中できず、家のことや親の面倒を見なくてはいけないというような問題は確かにあるんだと思うし、このお話よりもっと切迫した状態の家庭もあるということも、この本を読んで想像することができました。主人公の女の子はとても大人びたところもあり、年相応に幼いところもあるので、読者には主人公の考え方や答えを丸のみにしないで、自分だったらどうするだろう、友達だったらどうしてあげることができるだろうと考えながら読んでほしいなと思いました。

ルパン:私はのめりこむようにして読みました。父親が書棚いっぱいにレモンを並べているシーンは、まるで本当に目に飛び込んできたように残像が残りました。強烈なシーンだったので、よほど書き込まれていたのかと思いましたが、あとで見返したらほんの半ページほどの出来事なんですね。それだけでリアルに壮絶さを見せる筆力はすごいと思いました。ところで、お父さんがここまで壊れてしまう原因はお母さん、つまり奥さんの死にあるわけですが、このお母さんも有名な画家で、ふつうの主婦ではないですよね。どんな女性だったんだろうと興味がわきました。それから、メイがとてもいい子ですね。カリプソに寄り添うメイの姿にとても共感がもてました。見守るメイのお母さんにも。p222にあるように、星を「濃紺の空にピンで刺したような穴が五つほど点々と光っていた」と表現するように、うまいなあ、と思えるところが何箇所もありました。救いがあるけれどご都合主義が鼻につくことはなく、後味も悪くなくて好感が持てる本でした。

カピバラ:p182の4行目の改行位置は、間違いではないでしょうか。カットの上ではないのに短く改行されています。

エーデルワイス(メール参加):親が心の病気で、その子どもが親を世話をする「ヤングケアラー」がいるんですね。そそれで「大人を世話する子どもの会」をつくっている。イギリスは進んでいるのか深刻なのか。日本も同じです。子どもは衣類を洗濯もしてもらえず食事も作ってもらえない。子ども時代を安心して過ごすことができない子が増えていることに怒りを覚えます。カリプソのように父親に対し憤りを覚えながら自分がなんとかしなければならないと頑張ってしまうことが本当に切ない。レモンに「欠陥品」「困難」という意味があることは初めて知りました。すっぱいからかな? カリプソは親友のメイとその家族の温かさに触れ、幸せになる・・・。良き人間同士の触れ合いが大事とのメッセージでしょうか。

(2018年4月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2018年03月 テーマ:学ぶということ

 

日付 2018年3月15日
参加者 アザミ、アンヌ、オオバコ、コアラ、さららん、西山、ネズミ、ハル、レジーナ、ルパン、
(エーデルワイス、しじみ71個分)
テーマ 学ぶということ

読んだ本:

リンダ・マラリー・ハント『木の中の魚』
『木の中の魚 』
リンダ・マラリー・ハント/作 中井はるの/訳   講談社   2017.11
FISH IN A TREE by Lynda Mullaly Hunt, 2015
<版元語録>アリーは6年生の女の子。読み書きができないことを隠すために、わざと変な行動をとってしまう。自分に自信がなく、学校では頭も行いも悪い子だと思われている。友達もなく、いつもいじめられがちだった。ところが産休をとる先生の代わりにやってきたダニエルズ先生は、アリーの特別な才能にすぐに気がつき、特別な勉強法を試そうとアリーに提案する。またアリーは同じクラスのマイノリティだった天真爛漫な黒人の少女と変わり者の天才少年とある事件を通じて仲良くなり、型破りな3人組はいじめにも立ち向かう。シュナイダー・ファミリー・ブック・アワード受賞!


さとうまきこ『魔法学校へようこそ』
『魔法学校へようこそ 』
さとうまきこ/作 高橋由為子/挿絵   偕成社   2017.12

<版元語録>ゆううつな気持ちだった小学4年生の圭太の目の前にあらわれた、動く矢印。追いかけた先にあったのは、なんと魔法学校! 圭太は、ほかに生徒として選ばれたリッチと紅子とともに魔法を学ぶことになったが……。魔法使いのおばあさんが教えてくれるのは、「9秒間、時を止める魔法」「物体を9センチ、持ち上げる魔法」……こんな魔法が一体何の役に立つのだろう。そして、圭太たち3人が、魔法学校の生徒に選ばれた理由とは? ちょっと不思議な魔法が使えるようになった4年生の男の子の視点で描く、ハートフルファンタジー。


今村夏子『こちらあみ子』
『『こちらあみ子』より「こちらあみ子」 』
今村夏子/著   筑摩書房   2011.01

<版元語録>風変わりな少女、あみ子の目に映る世界を鮮やかに描き、小川洋子、三浦しをん、荒川洋治の絶賛を受けた第26回太宰治賞受賞作。

(さらに…)

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今村夏子『こちらあみ子』

『こちらあみ子』より「こちらあみ子」

さららん:一人称の物語なので、すみれの花を一生懸命掘って小学校の女の子にあげようとしている冒頭の場面、これだけの描写ができることができる主人公は、十分に考えることができる人物だと感じました。しかし読み進むうちに、あみ子のイメージが変わっていきます。周囲からは、どこか障害のある子どもといった見方をされていることがだんだんにわかってきました。あみ子には、義理の母さんの悲しみも、父さんや兄さんの気持ちも理解できない。長い間、慕っていたのり君に、ついに思いきり殴られたあみ子は、けがをして歯も抜けてしまう。しかしその歯をあえて直さず、歯茎に触るたびにのり君のことを思い出すあみ子の感覚に、唸らされました。だれかが初めて本気で、人間としてのあみ子に丸ごとぶつかってくれたことは、あみ子にとっては喜びなのです。たとえ完全な否定であれ、憎しみであれ、その瞬間生まれて初めて、「こちらあみ子……」と発信しつづけていたあみ子は、だれかと本当の意味でコミュニケーションできたのだと思います。淡々とあみ子に話しかける別のクラスメイトの少年がいることが、この話の救いになっています。児童文学ではなく、大人が読む本だけれど、人間の生きる矛盾、切なさ、その奥にある輝きを感じました。

レジーナ:発達障害か、何かそうしたものを抱えている子を主人公にして、その目に映る世界を描いているのはおもしろいと思いましたが……。子どもに向けて書いているわけではないですし、これは大人の本ですよね? 坊主頭の少年はあみ子のことを気にかけているようですが、全体としては救いがなく、目の前の子どもに手渡したいとは思いませんでした。

ネズミ:すべてを言葉で表していく『木の中の魚』(リンダ・マラリー・ハント作 講談社)と比べると、情景を切り取って、人物の心情をそれとなく浮き彫りにする、とても日本的でこまやかな作品だと思いました。何を考えているか状況もわからず、登場人物たちの動きを追っていくうちに、だんだんと全体像が見えてくるというのは、文学としてはおもしろいけれども、子どもに手渡したいとは思わないな。どうしようもないコミュニケーション不全が根底にあって、父親は存在感が薄く、継母も精神を病んでしまうわけだし……。高校生ぐらいだったら、他者と理解し合うことを考えるきっかけになるかもしれないけれど、それでも非常に読者を選ぶ作品なのでは?

ハル:今回の選書係として、この読書会の趣旨に添わず「子どもの本」ではない本を選んでしまいました。申し訳ありませんでした。あみ子は変わっているし、勉強もできないし、何も学習していないようにみえるけれど、じゃあ、みんなとどこがちがうだろうと言われると、案外、みんな似たようなところがあるんじゃないかと思うのではないでしょうか。本当ならあみ子に応答してくれそうな坊主頭のクラスメイトのことは名前すら覚えず、助けも求めない。あみ子はあみ子のまま、ありのままであるからこそ、人の心をざわつかせ、隠していた嫌な気持ちを引き出してしまう。 暴力はいけないけれど、殴りたくなるのり君の気持ちもわかります。それでも、読後振り返ってみると、あみ子はあみ子なりに確実に成長しているんだなとわかります。「子どもの本」ではないですね。

アザミ:子どもの本と大人の本の違いを考えてみるには、いい本だと思います。あみ子は、15歳になっても周りの状況がまったく把握できないので、今なら発達障碍とかコミュニケーション障碍などと言われるのだと思います。この本は、そのあみ子からは、周りがどう見えるのかを書いているのがおもしろい。ただ、子どもがもし読んでも、あみ子になかなか共感できないと思います。共感するのは、大人ですよね。継母は、あみ子が「弟の墓」を見せた時点で神経を病んでしまうけど、一緒に住んでいるのだから、あみ子が普通とは違う感覚を持っているとわかっているはずなので、リアルに考えると解せない気がします。それに、父親は仕事で子どもをまったく顧みず、兄は暴走族で、あみ子はドロップアウト。こういう状況が他者の介在もなくずっと続くのは実際にはあまりないと思うので、ある意味寓話的な設定と考えてもいいのかもしれません。

コアラ:大人向けの小説だと思いました。主人公は子どもで、母親が自宅で開いている書道教室をのぞいたり、チョコレートクッキーの表面のチョコだけなめとったりと、子どもがやりそうなことはよくわかっている作者だなと思います。ただ、あみ子がなめとったあとのクッキーをのり君が知らずに食べた場面は、ぞっとしました。全体としてどう読んでいいかよくわからなかったというのが正直なところです。

ルパン:なんか、衝撃的でした。せつなすぎるし……どう表現すればいいのか、読了してしばらく絶句でした。成長があって、救いがあって、希望があって、という児童文学に浸りすぎていたのか?と思ったほどに。ただただ、あみ子の姿が哀れで、読後感は「つらい」という感じでした。最終的にあみ子は家族と離れておばあちゃんのところへ行くことになりますが、おばあちゃんはあみ子の良き理解者なのでしょうか。そうだとしても、あみ子よりずっと先に死ぬだろうし、今の唯一の友だちらしき「さきちゃん」も、いずれ大きくなればあみ子を相手にしなくなるであろうことも想像がつきます。救いといえば、あみ子に親切だった「坊主頭の男の子」の存在があったけれど、あみ子のほうでは彼に興味がなく、もう忘れてしまっているし……。それでもあみ子は傷つかないのに、まわりにいる人々は父も、継母も、兄も、のり君も、みなあみ子のせいで傷ついてしまう……そのことが悲しすぎて、やはり子どもたちに読ませたいとは思わないです。いろいろなハンデを背負った人がいることは、いつかは知ってもらいたいけれど、いきなりこれを渡すことはできない。やはり児童文学とはいえないのでは、と思います。

オオバコ:私は、児童文学とはまったく思わないで読みました。児童文学は最後に希望があったり、もう少し生きていこうと そういうのを伝えたいというのがあるから、これは違いますよね。学習障害のある子どもの物語としても読まなかったな。もっと普遍的な、人と人とのコミュニケーションの物語として、身につまされるような思いで最後まで読みました。善意で、ピュアな気持ちを伝えたつもりが、不幸な結果になる。たいていの人は、少しずつ学んで世俗的な知恵を身につけていくのに、あみ子はまったくそうならない。読んでいくうちに、なにか天晴れというか、聖女のような存在に思われてきました。トランシーバーが、じつに効果的に使われていて切ないですね。暴走族になってしまったお兄ちゃんが、窓の外の鳥の巣をぶんなげるところも目に見えるようだし、あみ子にまともに話をしてくる隣りの席の男の子や坊主頭の子(このふたりは同一人物?)、いい子だなあと胸が熱くなりました。竹馬で近づいてくる子ども、なんの暗喩なんでしょうね? 最後の一節、ぞくっとしました。

アザミ:児童文学は最後に希望があったり、それでも生きていこうと思わせるというのは、ひと昔前の言い方のように思います。YAだと今は希望がない終わり方作品がけっこうあります。私は、大人の文学と子どもの文学の違いは視点だと思っていますが、この作品はあみ子の視点のように思えて、じつはもっと複雑なのだと思います。

エーデルワイス(メール参加):優れた小説だと思いました。文章に魅せられました。書かれていないところに、なんともいえない余韻があります。あみ子が「発達障がい」らしいことがだんだん分かり、あみ子自身の思考が伝ってきます。家族が崩壊してしまうのだけれど、あみ子自身がちっとも失望していないで、前をみている。中学校の同級生の坊主頭が、「おれだけのひみつじゃ」「卒業しても忘れんなよ」と言うのが温かい。きちんとあみ子と向き合ったのは彼だけかもしれない。

しじみ71個分(メール参加):非常に残酷なストーリーで、読んで苦しくなりました。大人を描いた本であれば、大概、どんな残酷なことが書かれていても割と平気で読めるのですが、子どものことになると、誰かに助けてほしい気持ちでいっぱいになってしまい、これも読んでいて非常に辛くなる物語でした。あみ子本人は辛くもなく、不幸でもなく、いつでも純粋な愛情や欲求のままに行動しているだけで、何で周りがうまくいかなくなるのかが分からないけれど、周りはあみ子のために傷つきどんどん壊れていくさまを、ぎりぎりと追い込んで書けるのは大変な作家の力量だと思いました。また、お兄さんと保健の先生、名前すら覚えてもらえない隣の席の男子などの造形は物語の中で救いになって、読んで少し息がつけるところでした。隣の男子があみ子の問いに真摯に向き合う一瞬も非常に深い余韻を残しました。また、ライオンのような金髪のお兄さんが鳥の巣を放り投げ、巣が壊れていく場面は非常に映像的で美しく、見事にそれまでのあみ子と家族の物語が昇華され、クライマックスとなった感があり、読み応えがありました。しかし、他の2篇も読みましたが、やっぱり今村夏子は怖いです…読んでいて苦しくてたまりませんでした…。

 

(2018年3月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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さとうまきこ『魔法学校へようこそ』

魔法学校へようこそ

ネズミ:うーん、子どもたちに読ませたくないことはないけれど、積極的に読ませたいとも思わなかったというのが正直なところです。ため息をついていた3人の子どもが魔法使いのおばあさんに出会って、その後どうなるのかと読み進めました。おばあさんが時を9秒止める、9センチ物を持ちあげる魔法を教えるというのは、少しのことで人生は変わるということの象徴なのでしょうか。おばあさんが最後に3人に言葉ですべて説明してしまうのが残念でした。物語のなかで気づかせてくれるといいのになあと。

西山:ネズミさんはこの言葉を避けておっしゃってた気がしますが、言っちゃいますね。あまりおもしろくなかった。魔法を使って、もっと楽しめばいいのに。にょろにょろした矢印はおもしろいのに、と。いぬいとみこが『子どもと文学』(福音館書店)で、小川未明の幼年童話「なんでもはいります」に対して、「ポケットにはなんでもはいります、という『発見』をしたところから、何か事件がはじまるべきなのです」(p31)と批判していたのを思い出しました。『子どもと文学』の主張を全面的に支持するわけではありませんが、これは中学年向きに作られていると思うので、そのぐらいの子どもにとっては9秒時間を止められる、9センチ物を浮かすことができる魔法で、どきどきわくわくすることこそ大事なのだと思います。作家の主張がストレートに書かれてもいいけれど、それと同じだけ、というか、それ以上に、読者の心を自由に遊ばせることはおざなりになってはいけないと思います。

ハル:書き手の「伝えたい!!」という熱意が前面に出ている感じがしました。物語の始まりはわくわくするし、魔法が妙に限定的なところもおもしろいと思いましたが、メッセージがわかりやすすぎるので、読者も「あ、これはおもしろい本と思わせて、お説教しようとしているな?」と気づくと思うんです。「だまされないぞ!」という気持ちにならないでしょうか。読書感想文は書きやすいかもしれませんけど。

アザミ:私もあまりおもしろく読めませんでした。昔の時代劇みたいに、リアリティから遠い感じがしてしまって。現実には、三人の異質でこれまでほとんど話もしたことのない主人公が、おばあさんにちょっとくらい魔法を習ったからって、すんなり仲良くなったりしないでしょ。作者には、もう少し真剣に子どもと向き合ってほしいと思いました。紅子の口調が「〜だわ」というのも、現代の子どもにしては不自然です。

コアラ:さらっと読んで楽しむ本だと思いました。舞台となっている千歳船橋は、よく行く場所なので、駅前を思い出しながら読んだりして個人的にはおもしろかったです。

アンヌ:主人公にまったく個性がなくて、普通の子という設定なんでしょうが、なんだか人間像が浮かび上がってきません。物語自体はかわいくておもしろいけれど、お説教くさい。魔法も9という数字がおもしろいのに、最後にどうなるかというところで、全然違っていて拍子抜けする感じです。魅力的な要素があるのになぜか退屈な感じにおさまっています。それでも、もし動く矢印がいたらどうするかと問われたら、追いかけますと答えます。嫌いな世界ではないけれど、物足りない感じですね。

ルパン:とりあえず最後までさらっと読みました。いちばん気になったのは、子どもたちを名前でなく特徴で呼ぶことです。「背の高い少年」とか。ほかにもたくさんいるうちのひとりのような、十把ひとからげの呼び方ではなく、ちゃんと名前で呼んでもらいたいです。良かったのは、クラスで相手にされていない紅子と男の子たちがだんだん仲良くなるところ。はじめのうち、「学校では口をききたくない」と言っていた子たちが、堂々と仲良くするようになるまでのプロセスは好感がもてました。ただ、ストーリーがありきたりすぎて、結局あまりおもしろくない。時間が止まる魔法も、ほかの人の動きが止まってその間に何かするとか……発想が古いなあ、と思います。

オオバコ:図書館にある本をかたっぱしから読むような、とにかく読むのが好きな子が、するするっと読むような本だと思いました。作者は、みみっちい魔法を書きたかったのかしら? それだったら、みみっちさに徹すれば良かったのに、終わりのほうでなんだか壮大な話になってしまった。魔法使いのおばあさんの長い演説ですが、こういうのは演説で書かないで物語で書かなきゃね。まあ私も、小さいころは、けっこうこういう演説が好きだったけど……。

アザミ:私は大人が何らかの意図をもって猫なで声で迫って来るような作品は大嫌いでした。

さららん:私もするするっと読みきりました。最後に魔法使いのおばあさんの家が空にむかって発射されるところは、ひと昔前に書かれた児童文学、例えば1953年に書かれた『アーベルチェの冒険』(アニー・M・G・シュミット作 岩波少年文庫)や、1963年の『ガラスのエレベーター 宇宙にとびだす』(ロアルド・ダール 評論社)を思い出しました。おばあさんが3人の子どもたちの名前を覚えないのは、どうしてでしょう。紅子のことを「顔をかくした少女」と呼ぶのには意味がありそうだけれど。ちょっとした悩みのある、どこにでもいる子、ということを強く打ち出し、そんな3人を主人公にすることで、読者に身近な物語にしたかったのかもしれません。

アザミ:どうしてこの子たちは、おばあさんに呼び出されたんでしょうか?

オオバコ:わたしも、この3人がどうして選ばれたのかなと思いました。特に「ぼく」なんて、なんの悩みもないような子なのに。

アザミ:特に問題がない子どもたちを呼んだのだとすると、このおばあさんは問題がある子がたくさんいて忙しいわけだから、物語世界が破綻するのでは?

レジーナ:同じ作者の『9月0日大冒険』(偕成社)はおもしろく読みましたが、この本は、登場人物もステレオタイプですし、絵もクラシカルで、ひと昔前の本を読んでいるような……。

エーデルワイス(メール参加):ユーモラスな絵が、シリアスな内容の物語を助けていると思いました。ちょっとお説教臭いかな?

 

(2018年3月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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リンダ・マラリー・ハント『木の中の魚』

木の中の魚

アンヌ:アリーが自分は字が読めないということを言い出せるまでに、すごく時間がかかっているのが印象的でした。お兄さんも同じ難読症だとすると、2人そろって学校でそのことを指摘されないのは奇妙なので、そのことが不自然ではないように、7回も転校するという設定にしたのだろうと思いました。最初に校長室で読めなかったポスターの内容が「人に助けを求める勇気」で、最後にはアリーが自分でその字を何とか読もうとして、さらに絵が示すようにお兄さんに手を差し伸べるまでになる。1つの物語の中で、問題をすべて回収して見せているのは見事だと思いました。最初のうちジェシカがシェイにあまりに従うので、シェイは男の子なんだと思っていました。翻訳の作品では名前だけでは性別が分かりません。子どもたちの会話が『ちびまる子ちゃん』(さくらももこ作 集英社)風なおばあさんっぽい言い方に聞こえたり、アルバートのけんかの場面のせりふが逐語訳的で、はきはきしていなかったりするのが気になりました。p241の「たより」のしゃれのように、苦労して翻訳したのだろうけれど、通じるかなと疑問に思うところもあります。『レイン〜雨を抱きしめて』(アン・M・マーティン作 小峰書店)や『モッキンバード』(キャスリン・アースキン作 明石書店)を思い浮かべたのですが、あの2冊の本を読んだときには、過酷な状況を描きながらも未来に進む子どもへの信頼が感じられて、海外の作品の構造はすごいなと思ったのですが、ちょっと、この作品には物足りなさがありました。もう少し、どのように難読症を克服していったかの描写がほしかったと思います。難読症へのサポートを知る人は少なく、例えば高校受験の際のiPadの持ち込みは、まだ2県でしか認められていないそうです。難読症が、もっといろいろな人に知られる手掛かりが、註とか「あとがき」にあればいいのにと思いました。

オオバコ:おもしろく読みました。主人公のアリーが、難読症に悩みながらも矜持を保ちつつ生きているところが、とても良いと思いました。でも、アリーのお母さんは、どうして子どもが難読症だって大きくなるまで気づかなかったのかしら? お母さん自身にも、なにか問題があったのかな。7回転校したという話だけど、教師もここに至るまでなんで気づかなかったんでしょうね。内容については以上のほかにはあまりないのですが、本作りに関しては「どうしてだろう?」と思うところが多々ありました。タイトルがおもしろいので原題はなんていうのかと思って調べたんだけれど、クレジットというのかしら、原題、著者名、原出版社などが、どこにも書いてない。また、作者自身が難読症だったのか、あるいはそういう子どもに接した経験があるのか知りたかったけれど、「あとがき」もない。ふつう、こういう本って、専門家に訳文をチェックしてもらったり、難読症がどういうものかという説明があったりするのだけれど、なぜなんでしょう? 日本語の場合と、英語の場合の難読症のあらわれ方の違いなど知りたいと思いました。良いテーマの本なので、特別の事情があって超特急で作ったのなら、もったいない話ですよね。タイトルの『木の中の魚』のもとになった言葉も、アインシュタインが言ったと広く信じられている言葉で(本当はそうではないという話ですが)、アメリカの読者は、タイトルを見たときになんの話かすぐに分かるのかもしれないけれど、日本の読者にはちょっとピンとこないのでは? あと、良い悪いの問題ではなく、単純におもしろいと思ったのは、アリーの父親が軍隊の戦車隊の隊長と知った男の子が「マジ? すごいや!」と言うところ。アメリカの作品だなあ!と、つくづく思いました。日本やイギリスの作家だったら、こんな風にさらっと、呑気な書き方はできないんじゃないかな。

レジーナ:日本語は1文字1音なので、読みの困難があっても、なんとか読めてしまう場合があるのに対し、英語は音韻の変化が複雑です。だから、英語圏ではディスレクシアが表面化しやすく、周囲の大人が気づくという話を聞いたことがあります。アリーは2年生のとき、先生の前で、自分の名前が読めなかったようですが、それでもディスレクシアだと気づかれなかったのでしょうか。今は学校現場でも、理解が進んでいるのではないかと。ディスレクシアだけでなく、多動の傾向の少年など、いろんな子どもが出てくるのは良かったです。でも、p89の「ばっちい」や、p128の「おっかない」など、読んでいてひっかかる箇所がありました。今の子どもは、こういう言い方はしないですよ。全体の文体は今風なのに、そこだけ浮いているような……。すぐに意味がとれない箇所も、ところどころにありました。たとえば、p102の「『バカ』と『赤ちゃん』って言葉なんかを考えて、やっぱりアルバートはまちがってるよ」ですが、これは、字が読めない自分は赤ちゃんかバカみたいなものだと、アリーが思っているということでしょうか? p146の詩は、そんなにいい詩ではないので、それで賞をもらうのには違和感があります。p110の「一週間に一度までしか」は、「一度しか」では?

ネズミ:日本の作品にはあまりない良さだと思ったのは、主人公のディスレクシアの少女だけでなく、クラス内にいろいろな子どもが出てくるところです。アルバートとキーシャのことも含めて、先が知りたくなる展開でした。ただし、「難読症」を扱っているので、テーマ的にとりあげられやすい本だと思いますが、この本の登場人物と年齢が重なる5、6年生が読むのは厳しいのではないかと思いました。会話が多用されていますが、表現の仕方が日本人とかなり違います。違っているからおもしろい部分もあるのですが、もともとの文章の問題か訳文の問題か、どういう意味かすぐにわからず、前後を読み返すことが何度もありました。たとえば、p115の5行目からの「あのね……五年生で」で始まるせりふ。チーズクラッカーをだれが持ってきたのか、なかなかわかりませんでした。描かれている内容からすると、中学生よりも5、6年生に近い感じがしますが。難読症に関しては、本の上にスリット状の補助器具をのせて、1行か2行だけ見えるようにすると読みやすくなるという話を聞いたことがあります。難読症の子どもがそれとなく使えるように、「集中して読みたい人へ」のような表示をして常備している学校図書館もあるそうです。そういった日本の難読症の事情をあとがきなどで説明するとよかったと思います。章ごとの改ページも、目次もあとがきもないというのは、ページ数を抑えようとしたのでしょうか。

西山:たいへんおもしろく、学生と一緒に読んでもいいかなと思っていたんですけど、今のご指摘を聞いていると、ちょっと立ち止まってしまうかなぁ。でも、難読症の人がどんな困難をかかえているかは示してくれる気がして、そこは意味があるかなと思います。それと、アリーが浮いてないでみんなと一緒のようにしたいと思うのは、若い人には近しい感覚で、共感できるところが結構ある気がします。『ツー・ステップス!』(梨屋アリエ作 岩崎書店)のサヨちゃんを思い出しました。空気が読めないと疎まれる子が、何も感じていないのではなくて、本人も苦しんでるんだということ。それを、この作品も伝えてくれるかな。箱の中のものをあててごらんとか、ちょっとワークショップでやってみたくなるような材料もたくさんありますし。難もあるけど、やっぱり捨てがたいかなぁ……。学生に勧める場合は、最初は、次々人名が出てきて、しかもそれぞれに病名がつきそうな子どもたちでわかりにくいけれど、とりあえず、何ページかがまんして読みすすめるよう声かけしたいなと思います。解説がほしかったというのは、確かにそう思います。詩のところはやっぱりまずいかな。すばらしい詩だとはまったく思えなかったので、同情で賞をあげたのかと読む子ども読者も出てくると思います。個性的でいい詩じゃないと成立しませんよね。学生も、とまどうかなぁ……。難しいですね。

ハル:難読症という、特に日本ではあまり知られないハンディについての理解を深めるだけでなく、他人は自分のものさしでははかれない、さまざまな困難や大事なものを抱えているものだ、という発見を読者に与える、そして助けを求める勇気についても気づかせてくれる、良いお話だと思います。ただ、難読症だから天才で才能豊か、ということではないですよね。そこを誤解してしまうと、難読症でなくても勉強が苦手だったり、ほかの不得手なものを抱えている読者からしたら、救いが半減してしまうのではないかと気になりました。あんまり先生が「アリーはすごい、アリーはすごい」と言いすぎるのもちょっと心配。天才じゃなくてもいいじゃないですか。みんながみんなと同じように可能性をもっているということだと思うんです。アリーが、自分だけじゃなくてみんなも何かしら重石を抱えていることに気づく場面がありましたが、そこが大事だと思います。シェイの今後も心配です。そして、全体的になんだか読みにくいのは、子供たちの独特な言い回しやユーモアを含んだ会話が続くからかなと思っていましたが、皆さんの意見を聞いていると、もう少し、翻訳で努力できるところもあったのかなと思えてきました。

アザミ:なんだか余裕のない本づくりだな、と私も思いました。この訳者は、「グレッグのダメ日記」シリーズも訳している方ですよね。口調が同じようなので、作家は違うのにイメージがダブってしまいました。難読症を主人公にした本は、アメリカやイギリスではたくさん出ていますね。しかも、難読症の子どもも読めるように書体や配列が工夫してあります。私は、障碍を持った子どもや特別な状況におかれた子どもの本に「かわいそう」という言葉が出て来るのは好きじゃないのですが、この本にはいっぱい出てきますね。アルバートが不良をやっつける場面は、ご都合主義的な感じがしましたし、女性を守らなきゃという発想に、マッチョ的な思想がにじみ出ているようにも思いました。詩で賞をもらう場面は、意外な展開になるのでおもしろいところですが、肝心の詩をもっと日本の子どもでもなるほどと思うように訳してほしかったです。翻訳については、p48の「水だって? マジ? それだけ?」というシェイのセリフは、意地悪というより驚いているようにしか感じられないし、p79の「靴の上をはじいた」は?でしたし、p194でアリーがアルバートの面前でアルバートについて「食べ物がないんでしょ。冷蔵庫にも。おなかがすいても食べられないなんて、かわいそうだよ。それに、アルバートは恥ずかしいでしょ。たぶん。きっとそうだと思うんだ。でしょ」と言っているのは、自分も差別されてつらい思いをしているアリーのセリフにしてはあまりにも無神経で、ひっかかりました。作り方、訳し方しだいでは、もっとみんなに読まれる本になったのではないかと、ちょっと残念です。

コアラ:最後の方は感動的でした。ダニエルズ先生は理解のあるいい先生だし、キーシャもアルバートもいい友達として描かれています。ただ、この本のあちこちにちりばめられているたとえや表現が、ユーモラスにも思えますが、私にはあまりピンとこないというか、おもしろく感じられなくて、読み始めてしばらく慣れるまでに時間がかかりました。あとは、タイトルが少し地味かな、と思いました。

さららん:アルバートにもキーシャにも主人公のアリーにも、いいところはいっぱいある。テーマや展開も悪くない。ただ表現面で少しひっかかりを覚えました。まずは献辞。「ヒーロー」という表現は確かに海外の本でよく使われますが、「あなた方はヒーローです」で日本の読者に受けいれられるのか? またトラヴィス兄ちゃんの「おれのお気に入りの妹は元気か?」という言葉も、日本語として固い。翻訳のとき、どうしても日本語にならない言葉は、「トゲ」として固い表現のまま残すこともあると聞いていますが、「お気に入り」を生かす意味があるのかどうか、わかりませんでした。

オオバコ:「ヒーロー」は単に「中心人物」っていう意味でも使いますよね。

さららん:例えば「ヒーロー」を使わず、「あなたがたの勇気をたたえます」など別の表現があったかも。全体にバタ臭さの残る本だと思いました。

ルパン:ディスレクシアの友人がいるので、だいたいどういうものか知っているつもりでいましたが、これを読んで、「ああ、本人はそういうふうに見えているのか」と認識を新たにしました。この本にあるアリーの描写が医学的にも正しいのであれば、多くの子どもたちや学校の先生に読んでもらいたいと思います。実際、この作者かあるいは家族がディスレクシアなのか、それとも調べて書いたのか、知りたい気がします。先生が理想的すぎる気がしましたが、逆にひとつの理想像というものがあって、これを読んだ教師がそれをめざす、というのであれば良いと思います。

エーデルワイス(メール参加):ダニエル先生の授業が魅力的です。「ひとり」と「ひとりぼっち」の違いについて質問したり。「難読症(ディスレクシア)」の文字の学び方が視覚的に進むところも興味深いですね。「IM  POSSIBLE」 不と可能も、何度も発音してしてみました。スペルは同じですが、Ally=アリー Ally=仲間も素敵です。いじめは世界中にあるのだと思うと乗り越えるのは並大抵ではないですが、アリーはきっと素晴らしい芸術家になるだろうし、アルバートは科学者に、キーシャは料理家になるだろうし、アリーのお兄ちゃんもディスレクシアを克服するだろうと思わせて、読後感がよかったです。余談ですが、友人の息子さん(27歳)がADHD(注意欠陥、多動性障がい)で、最近2回にわたって、自分のことをみんなの前で話されました。同じ症状をもつ小学生や中学生もきて熱心に話を聴いていました。一人の勇気がみんなに伝わった瞬間を目の当たりにしました。

(2018年3月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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児童書は読書の土台です!

「読書推進運動」(読書推進運動協議会刊)2018年4月15日号に「児童書は読書の土台です!」という記事を書きました。JBBYの活動について、みなさんにも知っていただきたいと思いました。

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子どもの読書週間によせて
JBBY会長 さくまゆみこ

 

私は、昨年からJBBY会長という役目をおおせつかっている。子どもが本を読まなくなったという声は、ずいぶん昔から耳にタコができるほど聞いていたし、最近は、まったく本を読まない大学生さえ多いという。そんななかで何ができるのか、報酬なしのボランティアではありながら、大変チャレンジングな役目である。

出版不況に関しては、大人の本と比べると子どもの本はまだいい、という声も聞かれるが、多くの新聞では大人の本の紹介・書評欄は毎週あるが、児童書の場合はだいたいが月に1回だったりする。なので、多くの人が子どもにどんな本を買ったらいいのかわからず、書店で山積みになっている本に手を出してしまう。

売れる本イコール子どもの心に種をまける本ではないので、そうした本を与えられた子どもは、本や読書の本当のおもしろさに気づくことなく、大人になってしまう場合も多いのではないだろうか。読書離れを嘆くなら、読書の土台をつくる児童書にももっと焦点を当てて、子どもの視野を広げ心に響く本を紹介したほうがいいのではないだろうか?

ところでJBBYでは3年前から毎年、日本で創作された児童書を海外向けに英文で紹介するブックレットJapanese Children’s Booksを発行してきた。選考委員たちは、かなり突っこんだ論議を交わしながら選書をし、選ばれた本について原稿を書き、ネイティブのすばらしい翻訳者たちに英文にしてもらって、絵本、読み物、ノンフィクションに分けて合計約一〇〇点を紹介している。

これを日本語でも読みたいと言う声が多く寄せられたので、昨年度からは、その日本語版「おすすめ! 日本の子どもの本」も出版することになった。また今年度からは、翻訳の児童書のなかからおもしろい作品を選んで紹介するブックレット「おすすめ! 世界の子どもの本」も出版する予定で、現在選書を進めている。翻訳作品についてもブックレットを出そうと思ったのは、翻訳書でしか得られない多様な価値観や多様な文化を知ることも、今の日本の子どもにとっては重要だと思うからである。

また、昨年度からは「国際アンデルセン賞講座」として、日本から候補として推薦していた角野栄子さんと田島征三さんについて、学んだり話しあったりする連続講座も開き、最終回にはおふたりの講演会も開いた。こうした活動やブックレットが、角野さんのアンデルセン賞受賞にささやかなりともつながったのであれば、うれしいことである。

毎年好評の「JBBY新編集者講座」では新たな趣向を考えているし、さらに昨年度からは、日本にいる困難を抱えた子どもたちについて考え、本で支援する「希望プロジェクト」も発足させた。学びの会を開いたり、子ども食堂や南相馬の子どもたちに本を届けたりの地道な活動を今年度も続けていくつもりだ。

出版・教育関係者のみなさまにも、子どもの読書に関して様々な試みをしているJBBYの活動をさらに知っていただけるよう努力していきたいと思っている。

 

 

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ジャッキー・フレンチ『ヒットラーのむすめ』新装版 さくまゆみこ訳

ヒットラーのむすめ(新装版)

オーストラリアのフィクション。ある雨の日スクールバスを待っているときに、アンナは「ヒットラーには娘がいて……」というお話を始めます。マークは、アンナの作り話だと思いながらも、だんだんその話に引き込まれ、「もし自分のお父さんがヒットラーみたいに悪い人だったら……」「みんなが正しいと思っていることなのに、自分は間違っていると思ったら……」などと、いろいろと考え始めます。物語としてとてもうまくできています。現代の子どもが、戦争について考えるきっかけになるのではないかと思います。
(装丁:鈴木みのりさん 編集:今西大さん)

*オーストラリア児童図書賞・最優秀賞
*産経児童出版文化賞JR賞(準大賞)

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<新装版へのあとがき>

この本の著者ジャッキー・フレンチは14歳のころ、ドイツ語の宿題を手伝ってくれた人から少年時代の話を聞きました。その人は、ナチス支配下のドイツで育ったのですが、家族も教師も周囲の人もみんなヒットラーの信奉者だったので、自分も一切疑いを持たず、障害を持った人やユダヤ人やロマ人や同性愛者、そしてヒットラーの方針に反対する人々は、根絶やしにしなくてはいけないと思い込んでいたそうです。そしてその人は強制収容所の守衛になったものの、戦争が終わると戦犯として非難され、密出国してオーストラリアに渡ってきたとのことでした。「周囲が正気を失っているとき、子どもや若者はどうやったら正しいことと間違っていることの区別がつけられる?」と、その人は語っていたと言います。

作者のフレンチは、長い間そのことは忘れていました。でもある日家族で「キャバレー」の舞台を見に行った時、息子さんが、ウェイター役が美声で歌う「明日は我がもの」に共感し、その後にそのウェイターや周囲の人々がナチスの制服を着ているのに気づいてショックを受け、「自分もあの時代に生きていたら、ナチスに加わっていたかもしれない」とつぶやいたのだそうです。息子さんは当時14歳。それで、フレンチは自分が14歳のときに聞いた話を思い出し、この本を書かなくてはと思ったのでした。

本書がすばらしいのは、子どもが自分と世界の出来事を関連させて考えたり想像したりしていくところだと思います。今、戦争を子どもに伝えるのは、そう簡単ではありません。体験者の多くがもうあの世へ行ってしまって直接的な出来事として聞く機会は少なくなりました。それに、暗い物語は敬遠され、軽いものがもてはやされる時代です。そんななか、子どもへの伝え方を工夫して書かれたこの物語が、今の日本でも多くの人々に読み継がれているところに、わたしは一筋の光が見えているような気がしています。

さくまゆみこ

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キム・スレイター『セブン・レター・ワード』

セブン・レター・ワード〜7つの文字の謎

『セブン・レター・ワード〜7つの文字の謎』をおすすめします。

スクラブルって知ってる? アルファベットの文字が書かれたコマをボードのマスに並べて単語をつくっていくゲームなんだけど、この作品ではそのスクラブルがモチーフとして使われている。まるで、『不思議の国のアリス』がトランプを『鏡の国のアリス』がチェスをモチーフにしてたみたいにね。

主人公のフィンレイはイギリスで暮らす14歳の男の子。母親が何もいわずに家を出ていって以来、吃音がひどくなっている。今は家の設備工事をする父親と二人で暮らしているのだが、学校でも家でも、言葉がなかなか出てこないので、だれかが先を越して言ってしまったり、からかわれたり、いじめられたりする。でも、フィンレイの頭の中には言葉がたくさんつまっていて、さらに新しい言葉をコレクションしているから、スクラブルはお手のものなのだ。たいていはオンラインで、会ったことのない相手と対戦している。実際に会話する必要がないので、気が楽だからね。

物語は、いくつかの謎をめぐって展開する。フィンレイの母親はどうして消えたのか? フィンレイがネット上で知り合ったアレックスとは何者なのか? 父親は何を隠しているのか?

その一方で、今のイギリスのティーンエージャーたちが直面しそうな日常的な出来事(異質な者へのいじめ、外国人へのヘイト、全国学校スクラブル選手権大会、勇気、信念)などについても、ていねいに描いていく。スクラブルというゲームのおもしろさや、技をみがく方法についても書いてある。

個人的にちょっとだけ物足りなかったのは、母親の描き方。著者の前作『スマート』もそうだったけど、主人公の母親は犯罪者を告発しようとはせず、妥協したり身を引いたり我慢したりしてしまう。まあ、だからこそ、脅しもハンデも乗り越えようとする主人公がより強い印象を残すのかもしれないけどね。

(「トーハン週報」2018年2月12日号掲載)

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2018年02月 テーマ:困難からの脱出

日付 2018年2月23日
参加者 アンヌ、オオバコ、コアラ、さららん、しじみ71個分、西山、
ピラカンサ、マリンゴ、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス)
テーマ 困難からの脱出

読んだ本:

栗沢まり『15歳、ぬけがら』
『15歳、ぬけがら 』
栗沢まり/作   講談社   2017.06

<版元語録>母子家庭で育つ中学三年生の麻美は、「いちばんボロい」といわれる市営住宅に住んでいる。家はゴミ屋敷。この春から心療内科に通う母は、一日中、なにもしないでただ寝ているだけ。食事は給食が頼りなのに、そんな現状を先生は知りもしない。夏休みに入って、夜の仲間が、万引き、出会い系と非行に手を染めていくなか、麻美は同じ住宅に住む同級生がきっかけで、学習支援塾『まなび~』に出会う。『まなび~』が与えてくれたのは、おいしいごはんと、頼りになる大人だった。泥沼のような貧困を生きぬく少女を描いた講談社児童文学新人賞佳作!


中川なをみ『ひかり舞う』
『ひかり舞う 』
中川なをみ/作 スカイエマ/絵   ポプラ社   2017.12

<版元語録>「男の針子やなんて、はじめてやわ。あんた、子どもみたいやけど、いくつなん?」仕事のたびに、平史郎は歳をきかれた。明智光秀の家臣だった父は討ち死に、幼い妹は亡くなり、戦場で首洗いをする母とも別れて、七歳にして独り立ちの道をえらんだ平史郎。雑賀の鉄砲衆タツ、絵描きの周二、そして朝鮮からつれてこられた少女おたあ。「縫い物師」平史郎をとりまく色あざやかな人物たち―。激動の時代を生きぬいた人々の人生模様を描く!!


ジェイムズ・ハウ『ただ、見つめていた』
『ただ、見つめていた 』
ジェイムズ・ハウ/作 野沢佳織/訳   徳間書店   2017.07
THE WATCHER by James Howe, 1997
<版元語録>あるリゾート地の浜辺で、階段にすわっている少女がいた。少女が見つめているのは、仲のよい家族連れで、幼い妹の相手をしている14,5歳の兄。もう一人は、金髪のライフガードの青年。ふたりは。少女の視線に気づいてはいたが、それぞれの悩みに気をとられ、少女にかかわろうとはしない。けれどもある日、少女の家庭の事情を知ることになり…? 離婚、死んだ兄の影、虐待という問題に苦しむ若者たちの心理を繊細かつミステリアスに描くYA文学。

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ジェイムズ・ハウ『ただ、見つめていた』

ただ、見つめていた

しじみ71個分:とても沈鬱なストーリーだという印象です。でも、作者がからみ合わない視線をテーマにして書いたのはとてもおもしろいと思いました。全くからみ合わないで互いに見ているだけの存在の3人の視線で描かれていて、からみ合わないがゆえに互いにさまざまな妄想を抱いたりするわけだけれども、それが父親から虐待されている女の子の精神が追い詰められ、幸せそうに見えた男の子の家に思わず入って物を取ってしまい、その取られた物が見つかるところから急激にぐぐっと、からまなかった視線の三角形が急に縮まっていき、その3つの視線がぶつかり、集まった点になった地点が、女の子が父親に殺されそうになるぎりぎり寸前のところで助けに入るという構造になっていて、それはとてもスリリングでおもしろいと思いました。でも、家族から虐待されている女の子が、現実逃避で空想の物語をつくるところで、テンポがクッと変わってしまうので、そこはちょっと読んでいてつまずくところがありました。ミステリーっぽいしかけはどうなるのか、興味をひかれました。いろいろなところで、伏線が効いています。また、最後のクライマックスで、父親に殺されかけているところで、幽体離脱みたいに苦しい思いをしている自分を客観視するというシーンは、リアリティがあると思いました。虐待を受けている自分を客観視することで、今苦しめられているのは自分じゃないと思おうとして、切り抜けようとするところは非常に切実ですね。主な登場人物は、女の子を除いて、それぞれアイデンティティの獲得とか、家族の問題とか、あれこれ困難を抱えていて、そのどこがどのようにその後からんでくるのか、わかりませんでしたが、そこが最後につながったのがとてもおもしろいと思いました。

アンヌ:この本はどうとらえていいかわかりませんでした。それぞれが語っていくところが、まるで映画の予告編を見せられ続けている感じで、最後にマーガレットの父親が出てきて、ああ、そういうわけだったのという感じでした。

ルパン:ところどころに別の物語がはさまっているのが、読みにくかったです。最後まで行ってからもう一度読み返してみれば、マーガレットの空想物語のところだけ活字がちがう、ということがわかるのですが、初めのほうにクリスの想像物語もぽん、と入れられているので、何がなんだかわからなくなります。しかも、活字がちがう挿入物語部分も、それがマーガレットの空想だということは伏せられているのですから、ますます混乱を招きます。最後のほうまでわけがわからないまま読み続け、これは最初から読み直さないとだめだ、と思ったあたりで、突然衝撃のシーンと種明かしがあって、ようやくなるほど、と合点がいったのですが・・・果たして子どもはこれを最後まで読めるのかな、と、はなはだ疑問に思います。ラストでどんでんがえし、みたいなものを狙ったのでしょうが、狙いすぎて流れがぎくしゃくしています。子どもでなくても、中高生でも理解しにくいストーリーだと思います。苦境にいる若者の内面世界を描きたかったのかもしれませんが、私の文庫で薦めたいとは思いませんでした。

オオバコ:マーガレットが盗みに入るところから、やっと物語が動いてきますね。そこからは、とてもおもしろくて一気に読みましたが、それまでがおもしろくない。特に、章の初めにあるおとぎばなし風の物語がわけがわからなくて、つまらなくて、途中で飛ばして読みました。読み終わったあとで読めば、なんのことかわかるけれど・・・。大人の私でもそうだから、子どもの読者は肝心の事件までたどりつけるかどうか。心より頭で書いた物語という気がしました。

コアラ:最後が思いがけない展開でした。ミステリアスで不思議な雰囲気だと思いながら読み進めましたが、マーガレットが他人の家に忍び込んだところで、気持ち悪くなって・・・。見つめていた段階から一線を越えてしまったという気がしました。最後はマーガレットにとっても解決になったし、クリスにとっても人助けができたので、とらわれていたものから解放されたし、エヴァンも、妹が悪い夢を見ていてオペラが流れていた家がここだとわかって解決とも言える。ラストで一応3人それぞれの解決になったと思いました。

レジーナ:同じ作者の『なぞのうさぎバニキュラ』(久慈美貴訳 福武書店)は子ども時代の愛読書で、何度も読みました。p119で、母親は、父親との不和について語ろうとしません。アメリカだったら、エヴァンくらいの年齢の子には説明すると思うのですが。

ピラカンサ:そこは、自分たちもはっきりわかっていないからでは?

レジーナ:この両親がどういう状況にあるのか、最後まで明かされないので、しっくりこないのかも。p28で、クリスは「願ってもしょうがない」とつぶやくのですが、台詞として唐突ですし、十代の子はこういう言い方をしないのではないでしょうか。p13の「けだもの」も、虐待している親を指しているので、「けもの」ではなく「けだもの」としたのでしょうが、はじめて読む人にはそれがわかりません。選ぶ言葉がうまくはまっていないように感じました。

西山:またこの形か、と私は思いました。視点人物を変えながら、謎を明かしていく。日本の創作だけじゃないんですね。この形の利点もおもしろさもあることはわかりますが、視点人物の年齢も違うとき、どの年齢の読者に寄り添って読んでほしいのかわからない。7,8歳のコーリーの不安、そこから生まれる虚言。14歳のエヴァン。18歳のクリス。それぞれにおもしろいところはあります。例えば、p52の真ん中あたりで、シェーンのひざを見て、「何度もサーフボードから落ちたりしたんだろうな・・・そう思うと、自分のことがひどく恥ずかしくなった」なんていう思春期の自意識にははっとさせられます。マーガレットの物語の隠喩がわかると、呪いをかけられた人形というのが母親なのもおもしろいと思いました。でも、全体としては満足の読書にはなりませんでしたね。

マリンゴ:抒情的ですけれど、わかりづらさに途中までイラッとする内容でした。3冊のなかでは最後に読んだのですが、正直苦手ですね。前に一度読みかけていて、途中で挫折してやめたこと、中盤になってようやく気づきました。ただ、伝わってきたテーマ自体はいいなぁ、と。「ただ見つめているだけ」でも、人間関係は知らないうちに生まれている。見つめられている側が気づいていたり、第三者が見守っていたり。自分はひとりぼっちだと思っていてもひとりきりじゃない。しかも、そこから一歩踏み出せば、さらに周りの人間とつながれる。そんなメッセージが伝わってきたように思いました。ただ、だからといって感動はできなかったんですけど(笑)

ピラカンサ:私がいいなと思ったのは、人間は見た目と内実が違うというところをさまざまな人間を通して描いているところです。幸せそうに見える家族とか、なんの不足もないように見える若者だって、いろいろな葛藤を抱えているということがわかってきます。ただ、視点が3つあり、しかもマーガレットが書いている物語と、クリスが思い描く昔話風の物語まで出てくるので、物語の構造が複雑で、子どもの読者は戸惑うのではないかと私も思います。p134あたりの描写も、なぜそんなことをしているのか最後まで読まないとわからないので、ストーカーみたいで不気味です。マーガレットが書く物語も最後まで読むとなるほどと思いますが、そこがわからないとあまりおもしろくありません。主人公の3人は、おたがいに見ているだけで親しいわけではないのに、マーガレットが虐待されているのを窓からのぞいたエヴァンがクリスを呼んできて一緒に助ける。そこは、物語のリアリティとしてどうなんでしょう? また、この父親ならマーガレットへの虐待は長く続いていたのかと思いますが、町のだれもそれには気づいていないというのも、どうなんでしょう? 物語世界のリアリティがもう少しあるといいな、と思いました。

エーデルワイス(メール参加):衝撃のラストでした。クリスとエヴァンとマーガレットの3人の様子が坦々と綴られていて、確かに3人はそれぞれ悩みがありそう。最後にこうくるか!という感じでした。本筋の間に出てくる架空の物語は、マーガレットが父親に秘密にしていたノートに書いていたものだったことも分かりました。マーガレットは無言で助けを求めていたのが、その無言ゆえにクリスとエヴァンに伝わったのでしょうか。マーガレットは救われましたが、クリスとエヴァンその後はどうなったのでしょうか。彼らの心も救われたのでしょうか。マーガレットの母親は自分夫が娘を虐待することを止めることができない。ただ音楽を鳴らし部屋に閉じこもるだけ。それがとてもやりきれない。母親も被害者と言えるのだけれど、本当にやりきれない。娘を救うことができないことが。原作は20年前に書かれているのですね。これも映画になりそうと、思いました。

(2018年2月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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中川なをみ『ひかり舞う』

ひかり舞う

ピラカンサ:場所が点々と移って、様々な人に出会っていくので、細切れに読むとよくわからなくなりますね。一気に読むと、おもしろかったです。特にいいなと思ったのは、男の子が女の仕事をしようとするというところ。逆のケースはいろいろ書かれていますが、こういうのは少ないですね。物語の中のリアリティに関しては、武士の妻である主人公のお母さんが、子連れで出ていって、洗濯だの料理だのをしてお金を稼げるのかな、とか、おたあを引き取ることにする場面で、身分の低い縫い物師が主人のいる前で、そんなことを言い出すのはありなのか、とか、疑問に思いました。p229の6行目にここだけ「彼女」という言葉が出て来ますが、浮いているように思いました。

マリンゴ:おもしろく読みました。最初は、女性の仕事をする男の子の、お仕事成長物語なのかと思っていました。でも仕事の話が中心ではなく、住む場所がどんどん変わり、物語もいろいろなところに飛ぶので、ラスト30ページになってもどうやって終わるのか想像がつきませんでした。小西行長だけでなく、この女の子・おたあも実在の人物をモデルにしていると、あとがきで知って驚きました。あと、最後のほうは、キリスト教の思想がたくさん語られていますが、小学生がこれをどう読むのか、興味深いです。私自身、小学生の頃に『赤毛のアン』を読んで、ストーリーはわかるのだけど、いたるところに出てくる聖句の意味がさっぱり理解できなくて・・・。キリスト教系の学校に入学してから、ああなるほど、と意味を知ることができたので。小学生はこの文章の意味がわかるのか、あるいはわからないなりに読了するのか、単純な興味として気になりました。なお、知り合いに歴史小説を書いている作家さんがいるのですが、作品を発表すると、郷土史研究家はじめ、たくさんのマニアから時代考証について突っ込まれ、その戦いが大変だと聞きました。その点、この作品は、私の推察ですけれど、児童書だからということで自由に書いているのかな、というふうに感じました。もちろんそれはそれでよくて、おもしろかったです。

西山:まず、男の子のお針子がおもしろいというのがありました。吉橋通夫の『風の海峡』(講談社)を思いだして読みました。同じ時代で対馬に焦点を当てて、小西行長が出てきて、雑賀衆が魅力的で・・・複数の作品で、その時代に親しみが出てきたり、立体的に見えてきたりということがあるなぁと改めて思います。(追記:「望郷」の節では、村田喜代子の『龍秘御天歌』(文藝春秋)、『百年佳約』(講談社)も思いだしました。言いそびれましたが、これ、おすすめです。朝鮮から連れてこられた陶工たちのコミュニティの悲喜こもごもが、悲壮感でなくおおらかに物語られていてものすごく新鮮だった記憶があります。)
時代考証的にはちょこちょこ気になるところがあったのですが、当時「日本国」と言っていたのでしょうか。p187に「日本国は、この戦で人も金もつかいきってしまったんだ」という言葉があるのですが、「いま」がぽんと顔を出した気がしてひっかかりました。布や食べ物は丁寧に描写されるのに、父親が死んでもけろっと話が進む。妙に潔いというか・・・。そういうところに、いちいち立ち止まらないから、平史郎7歳から37歳までを駆け抜けられるのか、賛否わかれる気がします。また、別のことですが、p331の「五万ものそがれた鼻が塩づけされ、後日、京都にある耳塚に埋葬された」とありますが、確かに「鼻塚」とは聞かないから、そうなんでしょうけれど、読者は「鼻なのに耳?」となるのではないでしょうか。あと、捕らわれた朝鮮人が連行されるところで、p185では「人々の泣きさけぶ声が大きくなってくる」とあるのに、p186では「多くは押しだまって目だけをぎらつかせていた」と書いてあると、え?となってしまう。捕らわれた同郷人に胸を痛めて身を投げるおたあ(p208)とp248の「こづかれたりどなられたりしながら働いている子どもたち」を「笑って見ている」「貴族のむすめ」の感覚が矛盾するように思います。編集担当者はひっかからなかったのかなぁ……。

レジーナ:男性の縫い物師という設定はおもしろいのですが、それが歴史の動きとからむわけではなく、私はあまり入りこめませんでした。タツとの再会や、周二との出会いはうまくいきすぎていて、ご都合主義な印象を受けました。

西山:私は結構最後の方まで、お母さんに再会するのかと思ってました。出て来ませんでしたね。

コアラ:話がサクサク進むのがよかったです。ただ、いろいろなところで粗いというのは私も思いました。歴史的に調べていない気がします。でも、縫い物で身を立てるのはおもしろいと思います。今の時代、縫い物や編み物が好きな男の子もいますが、好きなことをしていいんだよと背中を押してくれているようにも思えます。気になったのが、p57に「慈しめよ」という言葉が出てきますが、唐突かなと。わかりにくい言葉だと思います。ただ、読み進めていくと、キリシタンが異質な者として描かれていて、この言葉もキリシタンの異質さと重なるようになっているのかなと思いました。全体的にはおもしろく読みました。

ピラカンサ:この「慈しめよ」は、主人公もわからなくて、そのうちだんだんわかっていく、という設定なので、これでいいんじゃないかな。

さららん:自分自身、子どもだった頃に、道で配られていたパンフレットでキリスト教に触れ、その教えをどう理解したらよいか、すごく悩んだ時期があります。教会に通う勇気もなかったので、文学の中で出会うさまざまな登場人物を通して、理解を深めてきました。もともと「百万人の福音」誌に連載された『ひかり舞う』には、キリシタンの生き様も背景に描かれ、「神はわれわれに最善を尽くしてくれていると信じるしかない」とストレートな表現も出てきます。歴史物語という枠組みのなかで、こんな言葉が子どもに届けられてもいいんじゃないかと思います。主人公は父親を早くに亡くしていて、どんな人物だったかよく覚えていない。でも母から伝えられた「慈しめよ」という言葉、そして成長のなかでキリスト教に触れることで、もしや父も信者だったのではと次第に気づいていく。父親捜しの物語も用意されていたんだと、発見がありました。描き方は深くはないかもしれないけれど、大きな枠の中で、こういうことがあったと子どもに伝える本であり、縫い物師の少年の目を借りて、小西行長を描いた試みとしてもおもしろかったですね。

オオバコ:最後までおもしろく読みましたが、「おたあ」を主人公にして書いたら、もっとよかったのにと思いました。朝鮮との交流や、侵略、迫害の歴史を児童書で書くのは、とても意味のある、素晴らしいことだと思います。ただ、周二が出てくるところまでは、あらすじだけを書いているみたいな淡々とした書きっぷりなので、途中で読むのを止めたくなりました。かぎ括弧の中の言葉遣いも「?」と思う個所がいくつかありましたね。ひとつ疑問なのは、男の縫物師が、当時それほど侮蔑されていたのかどうか・・・。これは、ちゃんとした着物の仕立てではなく、繕い物をしていたからなのか・・・。縫い物をしていたからこそ、お城の奥まで入りこめるし、いろいろな事柄を知ることができるので、そこはおもしろい工夫だと思いましたが。みなさんがおっしゃるように、歴史的な事柄に破たんがあるとしたら、もったいないなと思いました。

ルパン:飽きずに最後まで読みましたが、男が縫い物師であるという設定が、ほとんど生きていないように思いました。平史郎が針子であったがために物語が大きく動く、ということがないんです。しかも、盛りだくさんすぎて、作者が何を描きたいのかがよくわかりませんでした。明智光秀の衣裳係だった父、あっけなく死んでしまう妹、武家の妻なのに首洗いをして生きていこうとする母、そこまでして息子を守ろうとしている母から離れてしまう平史郎。さらに、男の針子として珍しがられたこと、雑賀の鉄砲衆のこと、小西行長のこと、朝鮮のこと、キリスト教のことなど、どれひとつとっても、それだけで一冊の本になりそうなものを詰め込みすぎて、結局どれも中途半端なのでは? そして、後半、おたあが主人公だっけ?と思うほど、おたあへの愛情はこと細かに描かれているのに、最後は突然現れたるいと幸せになります、で終わってしまう。読み終わってきょとんとしてしまった、というのが正直な感想です。

アンヌ:とにかく私は絵描きの周二が魅力的で好きです。主人公と二人で同じ海の夕焼けの赤に見とれている出会いの場面、一緒に組んで京都に出て店を開き周二がモテモテになる場面、周二がこの時代の風俗図のもとになるような人々の姿をスケッチしていくところなど、生き生きと描かれています。どんな絵を描いたのだろうと思い、美術史の本を見たりしました。そこにあった南蛮人渡来図などを見て、天鵞絨のマントや金糸の飾りをつけたズボンなどを見た日本人は驚いただろうなと思い、布地の魅力というものにはまった主人公の気持ちがわかる気がしました。専門職の仕立て屋というのは昔から男性もいたように思うのですが、とにかく主人公が女の仕事とされてきた繕い物から仕立てを覚えていくのが、独特の筋立てです。そして、時代を描いていく。歴史でキリシタン迫害のことを習っても、なかなか、こんなにキリシタンの人が沢山いたこととか、その人々の思いとかを知ることがありません。物語として描かれる意味を感じます。朝鮮への侵略戦争やその後の外交の復興と朝鮮通信使の魅力的な様子までが描かれていて、そこも、いいなと思えました。ただ、主人公がキリスト教にどう惹かれていったかはもうひとつはっきりしませんでした。朝鮮から連れて来られたおたあへの気持ちも、よくわからない。キリスト者として生きるおたあは孤独ではないですよね。だから、それでいいのかとか、もやもやした気持ちが残ります。

しじみ71個分:私は一気に、おもしろく読みました。これは、出会っては別れ、出会っては別れ、という男の一代記になっていますね。楽とは言えない人生の中で、出会う人がみんな魅力的で、その中でいろいろな気づきを得て成長していくというところはよかったと思いました。わたしも周二という人物はとても魅力的で好きなキャラクターでした。キリスト教系の雑誌に連載されていたと今日教えていただき、納得がいきました。キリスト教にはこだわって書かれていて、平史郎が当初はおたあなどキリシタンの考え方を理解できずにいたのが、おたあからクルスをもらって、最後にやっとはじめて理解でき、そこでキリスト教に対する共感や信仰が生まれているという心情の流れは、宗教に対する人の心の動きとしておもしろいと思って読みました。情景描写がとても美しいところが数か所あって、時々、うるっとなったところもありました。例えば、おたあを連れて、山に登り、海の向こう側に釜山が見えたというところなど、ところどころにキラッとする情景描写がありました。また、おたあを守ってるつもりで、実はそれが自分のためだったと気づいたり、など、主人公が自分の心と対話しながら考えていく内省的な表現はおもしろかったです。

エーデルワイス(メール参加):明智光秀、織田信長、豊臣秀吉、小西行長、キリシタン、雑賀の鉄砲衆、二十六聖人・・・盛りだくさんの歴史読み物でした。琵琶湖、近江、京、対馬、壱岐、長崎、釜山と西日本縦断というスケールです。主人公は平四郎で武士で男でありながら針子として苦難の道を生きるのですが、様々盛り込み過ぎて、主人公の魅力が不足のような気がしました。父に死なれ、自分の責任のように妹を死なせてしまい、母と別れ、様々の人と出会い助けられ成長するのですがステレオタイプ。豊臣秀吉の朝鮮出兵と朝鮮の人々の悲劇、キリシタンのことを描きたかったら、いっそ「おたあ」を主人公にして、運命的に平四郎に出会う設定にしたらよかったのでは・・・と、思いました。

(2018年2月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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栗沢まり『15歳、ぬけがら』

15歳、ぬけがら

アンヌ:いろいろなことがぶちまけられたまま終わった感じがして、あまり読後感がよくありませんでした。けれども、ところどころに胸を打つ言葉がありますね。例えば、p92からp102にかけてのマイナスの掛け算をどう考えるかのところ。主人公の「理解したい」という気持ちを見事にひろいあげていくところは、素晴らしいと思います。ただ、母親や優香さんのおこなっている出会い系の疑似恋愛じみた売春や、裏に暴力団の存在が見える中学生の援助交際や、それに絡む中高校生男子の中間搾取やカツアゲとか、これからも主人公の周りにある暗い淵は変わらないままで終わるこの物語を、誰にどう手渡せばいいのかと思う気持ちがあります。

ルパン:最後まですーっと読んでしまいました。あまり良くない前評判を聞いていたので身構えていたのですが、読み始めてみたら不快感はなく、こういう状態はきついだろうなあ、と、むしろ共感をもって読みました。ただ、ここに出てくる大人たちがなんとも情けなくて・・・主人公の麻美は一応成長して終わるのですが、ダメな大人はダメなまま。麻美をいじめる女子三人組とも、交流はないまま。そういった、ちょっとした口の中のえぐみのようなものは残りました。麻美が、部屋も制服や靴が汚れたままでいて、そのことに嫌気がさしているのに、自分で何とかしようとはしないところなど、イラっとさせられる部分もあるのですが、やはり自分でやる気を出すまでには時間が必要だったのだろうとも思いました。救われない部分が残るところが、リアリティを出しているのでしょう。読後感は悪くはありませんでした。

さららん:テーマを知らないまま、表紙には好感がもてず、タイトルもなんなんだろう?と読み始めましたが、一気に最後まで読み通してしまいました。自分が断片的に知っていた子どもの貧困の問題が、主人公の麻美を取り巻く状況の中に、これでもかというほど詰めこまれていましたね。麻美の立場なら、お腹もすくし、夜、町にも出たくなるだろうし、気持ちを重ねることができました。ときどき情景描写に心理を映し出す象徴的な表現がでてきて、それが強く印象に残りました。例えば学習支援の塾で食べた久しぶりのハンバーグ。フライパンを洗うとき、主人公はぐるぐる回る水を見つめながら、自分の整理のつかない感情をそこに重ねますよね。タイトルになっている「ぬけがら」もそうで、「声を出すその日まで、セミはこの体で、この形で生きていたんだ。ぬけがらに生き方が刻まれてるって、たしかに言えるかもしれない」と、「強いぬけがら」の象徴するものをきちんと言葉にしています。こんがらがった心のなかで、だれかのために何かすることの喜びを主人公は知っていき、そのための勇気もふるう。貧困の中の少女の成長物語として、道筋が見えている感じはするけれど、読んで嫌だという印象はありませんでした。

コアラ:強烈な印象を受けました。以前『神隠しの教室』(山本悦子著 童心社)を読んだときにも、貧困家庭の男の子が出てきて、給食を目当てに学校に行くような感じでびっくりしましたが、これは全編貧困が描かれていて本当に強烈でしたし、いろんな人に知ってもらいたい作品だと思いました。目次が全部食べ物になっていて、空腹だと食べることしか考えられなくなるんだなと思いました。麻美が、お腹をすかせた和馬を見てもお弁当を譲らず、自分ひとりで食べてしまって自己嫌悪に陥っていることに対して、p198で塾長が、「自分が全部食べることで、それをエネルギーに変えることもできるんだよね」「もっとたくさんの食料を手に入れて友達に提供できたら、こんなにすごいことはないんじゃないかな」と言っていて、塾長、いいこと言うなあと思いました。後半で麻美が「強いぬけがらになる」と言ったことについて、p185で男子学生が「ふつう、そういうふうには使わないんじゃないかなぁ」「マイナスの意味で使うんだよ」と言ったり、p218で優香さんが「『強いぬけらがになりたい』っていいな、と思ってさ」「『ぬけがらの意地』みたいな感じ?」と言ったりして、かなり説明されていて、タイトルの意味がわかるように書かれていると感じました。そういうぬけがらの話も、p169の、ぬけがらについての塾長の話、「ぬけがらって、そのセミの生き方そのもの、って気がするんだよね」という言葉で生きてくると思いました。装丁は好ましいとは思えませんが、力強い作品で、書く力のある人だなと思いました。問題が解決されているわけではないけれど、希望のある終わり方もいいですね。

西山:今回読むのは3回目になるのですが、失礼な言い方になるかもしれないけれど,再読して、評価が上がりました。どうも最初は、子どもの貧困にまつわるさまざまな情報のパッチワーク的な感じがしてしまって、このエピソードは聞いたことがある、とかあまり素直な読者になれていなかった気がします。物心つくときからこの状況というわけではないのに、こんなにものを知らないものかと、違和感を覚えてしまったり・・・。でも、今回、時間がない中どんどんページを繰ったのがよかったのか、でこぼこを感じずに読めました。どうしようもない汗臭さなど、生理的な感触と、あと、これは、学生と読んで気づかされたのですが、目次からして食べ物の話—−空腹と食欲の話として、一貫しているということで、作品としての背骨が通っていてよかったと思います。

マリンゴ:日常的な貧困をテーマにしたこの作品は、著者のデビュー作ですよね。これから、どんなテーマを取り上げていくのか、とても気になります。楽しみです。タイトルの「ぬけがら」がいいと思いました。ネガティブな意味で使われがちですが、ポジティブな意味も含めている。そういう発想の変換がよかったです。ただ・・・タイトルに「15歳」とあるので、15歳15歳、と自分に言い聞かせながら読んでいたのですけれど、どうしても12歳くらいの子の物語に思えてしまいました。例えばp60。お母さんが汚し放題で片付けをしないことへの不満が書かれていますが、「じゃあ、あなたがやれば」と読者はツッコミを入れるのではないかなぁ、と。15歳だったら、「出ていく」ことを考えるか、あるいは「自分でやる」ことを考えるか。何かリアクションがある気がしたのです。あと、余談になりますが、セミのぬけがらってたしかに美味しそうだなと思いました(笑)。調べたら、去年の夏、ラジオ番組で小学生が「セミのぬけがらは食べられますか」と質問したそうで、大阪の有名な昆虫館の方が回答しているのですが、「ぬけがらは、ワックスのような、油のようなものでコーティングされているので、生のままでは食べないほうがいい」とのことです(笑)

ピラカンサ:私は出てすぐに読んだのですが、家の中を探しても本がなかなか見つかりませんでした。それで、図書館で借りようと思ったのですが、私が住んでいる区の図書館はすべて貸し出し中。よく読まれているんですね。読み返すことができなかったので、最初に読んだ時の感想のメモですが、私はこの主人公があまり好きになれませんでした。私も、15歳なんだから、被害者意識ばかりもつのでなく、出ていくなり、自分で掃除やご飯づくりをしたりしたらいいのに、と思ってしまったんです。日本の状況だけを見ていれば共感する部分もありますが、海外にはもっとひどい状況のなかで生きている子もいるから。それに、貧困のリアリティも外から描いている感じがして、敬遠したくなってしまいました。

しじみ71個分:あまりひっかかるところなく、すっと読み通しました。年齢よりも幼く見えたり、何でも人のせいにしてしまったりすることに私は逆にリアリティを感じましたね。以前、医療系のシンポジウムで医師のお話を伺った際、貧困は、何をしても無駄、という諦めが続くことから、後天的な無能感、無力感が植え付けられるということを知りました。貧困の非常に難しい問題はそこにあるように思います。例えば、子ども食堂に関わって聞くところによると、フードバンクにお米があっても、家に炊飯器がないからお米が炊けない。家で調理しなくてもいいものでないと、なかなかもらわれていかないそうです。鍋と水があればご飯は炊けるし、ご飯じゃなくてもおかゆでも食べられるのに、調理方法を知らないからそれができないし、学ぼうという意欲もなかなか出てこないということがあります。生活保護の申請も、やればできるのに、それに気づけないし、何か言われるのが嫌で申請をする気も起きないということが実際にあるようです。なので、学習塾の支援があって、人との関わりの中で気づきが生まれてよかった、ダメなまま終わらなくてよかったと思いました。
貧困によって困難な状況にいる子、お金持ちの家の子なのに、親からの愛情を注がれず生活が崩れて困難な状況にいる子が、社会のはきだめみたいなところに寄せ集まって、互いに傷つけ合いながら、その中で互助、自助で生きていく様は理解できました。

ピラカンサ:私はこういう社会問題を扱った作品こそ、状況がわかるだけじゃなくて、だれもが読みたいと思えるように書いてほしいと思っているので、ちょっと点が辛いのかもしれません。

しじみ71個分:今、思いましたが、もし貧困ということを全く知らない子どもがこれを読んで、例えば同じクラスに、外見的にそう見える子がいたら、どう思うだろうかなと気になりました。あえて、経済的に困難な子を探したり、ことさらに意識したりという逆効果が生まれる恐れというのはないのでしょうか? 貧困という現象を、背景まで深く考えて想像できるかどうかどうかわからないかもしれませんね。大人であれば、社会現象として、こういうこともあるよな、と理解できるかもしれませんが。子どもが貧困ということを理解するのに、この本がどれぐらい助けになるかと考えています。

オオバコ:子どもの貧困というテーマを取り上げたのは、意欲的でよいことだと思いましたが、p14まで読んだところで「こういう展開で、こうなるだろうな・・・」と予想がつきました。戦後まもなく、セツルメント活動が盛んなときがあって、そういう活動をしている学生たちのなかから児童文学を書きはじめた人たちも大勢いたように思います。わたしが関わっていた児童文学の同人誌の同人にも、そういう方がいらっしゃいました。子どもの貧困は、ある意味、日本の児童文学の出発点のひとつだったような気がします。でも、日本全体が貧しかった当時の貧困と、いまの貧困は、ちがうんじゃないかな? 現在の子どもの貧困は、もっと構造的なものなのではないでしょうか? 村上しいこさんの『こんとんじいちゃんの裏庭』(小学館)には、多少とも現実の社会とのつながりがありましたが、この作品には、そういう社会的な広がりが見えないのが物足りなかった。塾長の描き方も曖昧ですし……。「お金持ち」の意地悪をする子たちの書き方もステレオタイプだと思いました。

しじみ71個分:作者は学習支援にも携わっていたということなので、子どもの困難をあれもこれも知らせなければと、現象を詰め込みすぎてしまったのでしょうか?

ピラカンサ:作者に、書かなきゃという意識が強すぎたのかもしれませんね。状況だけではなくて、もっと個を書いてほしかったと思いました。

ルパン:貧困の中にある人たちだけで閉じてしまっているような閉塞感があるんでしょうか。

しじみ71個分:自分の身近な例だと、母子家庭でどんなに経済的に苦しくて、働きづめで疲れていても、子ども食堂に来ないし、あまりつながりたくないようなんですね。子ども食堂なんて頼ったら終わりと言われたらしく、人に頼りたくないという意地もあるようで、そういうのは理解できます。閉塞といえば、それは実態として閉塞しているんじゃないかなと思います。

エーデルワイス(メール参加):作者が現在の子どもたちと関わったことがベースになっているのか、リアリティがありました。育児放棄しているだらしのない心の病気の母親。空腹の描写は本当に辛いですが、最低限の料理も掃除も教えられないとできないのですよね。かったるい様子の主人公15歳の少女の表紙と「ぬけがら」の文字は、マイナスイメージでしたが、実は前向きのメッセージがこめられていました。最後まで読まないと分かりませんね。いわゆる「子ども食堂」が児童読み物に登場したのですね。
こちらにも「こども食堂」が定期的に開かれています。一度お手伝いにいきました。
その日に集まった食材を、その日に集まった初対面のお手伝いボランティアで黙々と手際よく料理を作るのです。前もって献立が決まっていることは易しいですが、その場で決めるのは並大抵ではないと思いました。小学生、中学生が大学生に勉強を教わったりお喋りして楽しそうでした。自分の居場所があるのは本当に大切と思います。定期的に文庫の本を貸し出して、子どもたちに見てもらっています。

(2018年2月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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アティヌーケ文 ブルックスバンク絵『チトくんとにぎやかないちば』さくまゆみこ訳

チトくんと にぎやかないちば

西アフリカの市場を舞台にした楽しい絵本です。チトくんは、お母さんにおんぶされて市場に出かけていきます。チトがきょろきょろしていると、市場のバナナ売りのアデさんが小さなバナナを6本くれます。チトはバナナを1本食べると、残りはお母さんが頭にのせているかごに、ぽいっと入れてしまいます。フェミさんからオレンジを5個もらうと、1個だけちゅうちゅうして、残りはお母さんのかごへ。こうして、お母さんのカゴの中に、揚げ菓子や、焼きトウモロコシや、ココナッツと、いろいろなものが入っていきます。

お母さんは値段の交渉に夢中で、ちっとも気づいていなかったのですが、やがてかごをおろしてみてびっくり! そして、最後のページがまたおもしろい。

文章を書いたアティヌーケはナイジェリア生まれの児童文学作家。絵を描いたブルックスバンクも西アフリカで育ちました。二人が大好きな西アフリカの市場のようすが、生き生きと伝わってきます。私もナイジェリアではいくつかの市場を訪ねたことがありますが、この絵本からは活気にあふれたざわめきまで聞こえてくるようです。
(編集:高尾健士さん 装丁:森枝雄司さん)

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2018年01月 テーマ:魂の記録が残したものは

 

日付 2018年1月26日
参加者 アンヌ、コアラ、サンザシ、しじみ71個分、須藤、西山、ネズミ、花散
里、マリンゴ、レジーナ、ルパン、(エーデルワイス)
テーマ 魂の記録が残したものは

読んだ本:

フランシーヌ・クリストフ『いのちは贈りもの』
『いのちは贈りもの〜ホロコーストを生きのびて 』
フランシーヌ・クリストフ/著 河野万里子/訳   岩崎書店   2017.07
UNE PETITE FILLE PRIVILÉGIÉE by Francine Christophe L’Harmattan, 1996
<版元語録>第二次世界大戦中、6歳でナチスのホロコーストを体験したフランス人女性の手記。アンネ・フランクと同じ収容所に移送された少女の見た風景が、人間のあり方を問う話題作。


朽木祥『八月の光』
『八月の光〜失われた声に耳をすませて 』
朽木祥/著   小学館   2017.07

<版元語録>あの日、あの時、一瞬にして世界が変わった。そこに確かに存在した人々の物語。あなたに彼らの声が聞こえますか? ヒロシマに祈りをこめて。失われた声を一つ一つ拾い上げた朽木祥、渾身の短編連作。


ルータ・セペティス『凍てつく海のむこうに』
『凍てつく海のむこうに 』
ルータ・セペティス/著 野沢佳織/訳    岩波書店   2017.10
SALT TO THE SEA by Ruta Sepetys, 2016
<版元語録>1945年1月、第二次世界大戦末期。ソ連軍の侵攻がはじまるなか、ナチス・ドイツ政府は孤立した東プロイセンから、バルト海を経由して住民を避難させる“ハンニバル作戦”を敢行した。戦火をのがれようとした人びとのなかには、それぞれに秘密をかかえた四人の若者がいた。海運史上最大の惨事ともよばれる“ヴィルヘルム・グストロフ”号の悲劇を描く、傑作歴史フィクション。知られざる歴史の悲劇をひもとき、運命に翻弄された若者たちの姿を鮮明に描く、カーネギー賞受賞作。

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ルータ・セペティス『凍てつく海のむこうに』

凍てつく海のむこうに

しじみ71個分:本屋で表紙を見たときからおもしろそうだと思っていましたが、本当におもしろかったです。まず、東プロイセンに取り残された人々を海路でドイツ本国へ住民を避難させる「ハンニバル作戦」があったということを全く知りませんで、その知識を得たことは有益でした。お話は、登場人物が代わる代わる語る形式で、全員が何か秘密を抱えており、各人のストーリーが結末に向かって集約されていくという構成で、スリルとサスペンスでずんずんと読んでしまいました。それぞれの秘密は、各国の美術品の略奪の補助をしていたところから美術品を持って逃げだしたことや、迫害されていたポーランドから逃れてきたこと、従妹を死に追いやる原因を作ったことなど、それぞれに重く、読んでいてドキドキしました。お話の中では悪役のアルフレッドの描き方も秀逸でした。手に赤く湿疹ができていて、ぼりぼりとかきむしるという描写に象徴される気持ち悪さ、不気味さが何ともいえませんでした。ヒトラーを狂信し、夢想と現実とのバランスを失いかけていて、精神の不均衡の象徴的存在で、手紙の中で好きだという隣家の少女もユダヤ人として告発したということが少しずつ分かってくるのもおもしろかった。この人物によっていつ、どんな破綻が起きるのか、ドキドキさせられて・・・。非常に大事なキーマンで、その暗黒さで話をおもしろく引き締めていたと思います。エミリアと筏に乗ったところで、ポーランド人のエミリアを殺そうとし、結局自滅して死んでいくことで、ここでカタルシス効果があるように思います。さまざまな人々が人種、国籍、体の特徴、性的指向等個人でどうにもならないことを迫害の理由とすることは今となっては理解しがたいですが、アルフレッドのような不気味さで、復活して来ないとも限らないという恐ろしさも感じました。

アンヌ:とてもおもしろくテンポもいい小説ですが、ある意味映画のように一瞬一瞬がくっきり照らされて、説明不足のまま進んで行ってしまうところを感じました。ナチスの美術品強奪に対してフローリアンが何をしたかったのかとかいうことも、もう一つはっきりしない感じです。ただ、ヨアーナのようにドイツ人とみなされて働かされた人々や様々な民族へのドイツやソ連の迫害等については知らなかったので、これからいろいろと調べて行きたいと思いました。

サンザシ:この本は出版されてすぐに読みました。長い小説ですが、人間がちゃんと書けているので、とても読み応えがあります。様々な人生が出会って、その交流からまたそれぞれの人が力をもらって生きていく様子も描かれています。冷たい海で命を落としたエミリアは哀れですが、最後の章に、おだやかに幸せ感あふれる描写が出てくるのは、悲しいし美しいですね。ドイツ人のアルフレッド(正しくはアルフレートでしょうね?)だけが極めつけのどうしようもない存在に描かれていますが、それでも、手をかきむしるなど、どこかに無理が出ているのですね。

マリンゴ:非常におもしろく読みました。知らないこともたくさん書かれていて、勉強になりました。4人の登場人物の一人称なので、緊張感が途切れることなく、話が展開していきます。たとえとして正解かわかりませんが、ドラマ「24」を見ている感覚に少し近かったです。エミリアの出産に関するミスリードについても、他の人の一人称がうまく使われています。真相が明らかになったとき、登場人物たちも驚くので、「だまされた」という不快感がなく読めました。そのあたり、とても巧みだと思います。よかったところをいくつか挙げていくと……。まず67ページの「ポーランドの家庭では、コウノトリに巣をつくってほしいと思うと、高いさおのてっぺんに荷馬車の車輪を打ちつけておく」。非常に印象的で、なるほど、そうやってコウノトリといっしょに生活しているのか、と。すると、後ろのページでも「コウノトリ」が登場し、最後、エミリアが死ぬ前に見た夢(?)のなかにも出てきて、効いてるなぁ、と思いました。166ページの、混乱のなかでドイツ人が整然と列をつくるシーンは、国民性が現れていて、絵が浮かんでくるようでした。288ページで、靴職人が赤ちゃんにも「靴を見つけてやらんとな」というシーンも、登場人物の個性が端的に表れていていいと思いました。もっとも、擬声語が2か所、気になりまして……。冒頭の銃声の「バンッ」、船が沈没するシーンの「ドンッ」。この2つの多用は、せっかくの作品を幼いイメージに見せている気がしました。なお、最後の参考図書一覧は、著者が参考にした本、ではないのですよね? 翻訳の方、編集の方が使われた文献なのかしら。

須藤:作者のルータ・セペティスさんがあとがきに書かれているように、この本をきっかけにして、歴史に興味を持ってもらえたらうれしいので、訳者の方と相談して、参考になる本を紹介するつもりで入れました。

しじみ71個分:擬音は私も気になりました。最初の方の章で、銃声が場面転換のきっかけになっている箇所がありますが、カタカナで「バンッ!」と書くと少々野暮ったく、映画などであれば、少し乾いた「パン!」(再現不能)という音になるのではないかと思うのですけど、頭の中の銃声と字面が一致しなくて、少し引っ掛かってしまいました。擬音は表現が難しいですね。

西山:私は同じ作者の『灰色の地平線のかなたに』(野沢佳織訳 岩波書店)がすごく好きなんです。それで、読まなくてはと思いつつまだだったので、今回とても楽しみでした。で、長かろうが、絶対読み始めたら一息に読めるだろうからと、最後に取っておいたんです。そうしたら、まぁ、期待とは全然違って、どんどん読めなくて・・・・・・読み終わらなかったのを作品のせいにするのは、身勝手だとは思いますが、まぁ、敢えて言ってしまえば、私の期待した作品ではなかった、と。言葉は悪いですが、一人称の4人の切り替えが思わせぶりというか、あざといというか、凝りすぎと感じてしまった。『灰色の地平線のかなたに』は、ソ連のリトアニア支配、シベリアへの強制連行という、私は知らなかった出来事、舞台でしたけど、時間も空間も単線だったんですね(もちろん、多少の回想部分もありますが)。ぐいぐい読めた。中身がひっぱっていく作品でした。造り=語り方で引き回すのでなく。(補足:この後、最後まで読みましたが、皆さんの話をうかがったうえでも、この時点で抱いてしまった不満は払拭されませんでした。うまい作品を読ませてもらったという感触は、『灰色の地平線のかなたに』で、出来事とリナたちの姿を突きつけられてしまった、そこに投げ込まれ圧倒されたという感触ととても違っています。今回は、作品が最後まで「本」だった。いっそ、歴史ミステリーと割り切って読めば素直に楽しめたのかもしれません。この辺は、一人称の語りの功罪とあわせていずれじっくり考えてみたいと思います。)
真実を隠した話者たちの切り替えは、こういう史実に基づく重い事実を伝えるうまいやり方でもあるとは思います。同時に、その造りがかえって「むずかしい」にもなりはしないかと思ってしまう。素直な造りの『灰色の地平線のかなたに』の方が案外、読みやすいとう面もあると思います。

サンザシ:この作品は、さまざまな一人称でしか書けませんよね。それに今は英米ではこういう複数の視点で書いた作品はいっぱいあるので、凝った造りとは言えないと思います。私は読みやすかったな。

西山:3分の1ほどしか読み終わってませんけど、アルフレッドは密告したのだろうなと思っていたら当たりましたね。嫌な人がちゃんと描けるのが、この作者の魅力の一つだと思っています。『灰色の地平線のかなたに』のスターラスさんが何しろすごいと思っているので、それに準じるのが、「悪いけどエヴァ」でしたね。アルフレッドは新しい怖さでした。

ルパン:私は一気読みでした。冒頭だけは、入りこむまでに時間がかかりましたが。やはり、エミリアが一番せつなかったです。いとこの代わりに犠牲になり、レイプされて妊娠し、思いを寄せたアウグストからもフローリアンからも女性としては愛されないまま死んでしまうなんて。ただ、エミリアは、死んだあとは、自分の子どもが、憧れの「騎士」フローリアンの娘として愛されて育てられ、オリンピックの選手になるし、自分のなきがらも見知らぬ土地で手厚く葬られるという救いがあります。救いのないのはアルフレッド。だれからも愛されず、理解されず、嫌われ、さげすまれたまま冷たい海に落ちて死んでいくのですから。デフォルメされているけれど、こういう人はきっといる、というリアリティがあって、それだけに読んでいて苦しい気持ちにさせられました。脇役では、靴職人と少年がいいですね。ただ、「少年」は名前で出したほうが、よかったのでは。盲目の少女イングリッドは名前で出てくるので、とちゅうで亡くなってもインパクトがありました。「少年」はこのグループを和ませる存在でもあり、のちにヨアーナとフローリアンの子どもにもなるのに、ずっと「少年」と呼ばれたままなので、存在感が薄くなっていたと思います。

サンザシ:こういう船で避難する人たちは、おそらくいろいろな背景を背負っているので、すべての人に名前を聞くということはもともとしなかったのでは?

ネズミ:おもしろく読みました。『リフカの旅』(カレン・ヘス著 伊藤比呂美・西更訳 理論社)もそうでしたが、自分の親や親族の過去の体験を聞いて、若い作家がこれだけの作品に昇華させているというのに感服します。構成が巧みですね。『いのちは贈りもの』がひとりの視点で描かれているのに対し、この本は複数の声でいろいろな角度から物事を見えてきます。緊張感を保ったまま、最後までぐいぐい読ませられました。アルフレッドは極端ですが、このような人物を出してこないとナチスの宣伝文句を言わせられなかったのかなと、複雑な思いがしました。たいしたことではないのですが疑問に思ったのは、エミリアが船で赤ん坊を産む何日も前、106ページに「陣痛が始まっていて」という言葉が出てきます。陣痛って産む直前の痛みなのでは?(他の参加者から、「前駆陣痛」というのがあるから問題ないという声あり)。

レジーナ:昨年カーネギー賞をとったときから気になっていた作品です。歴史の中に埋もれた人たちに声を与えたいという作者の想いが、全編を通して感じられます。みんなが必死になって乗船許可証を手に入れようとする姿は、現代の難民の人たちに重なりますね。アルフレッドは一面的に描かれていますが、人間の悪の部分を表しているのだと思ったので、気になりませんでした。アルフレッドがはじめ、エミリアをアーリア人種だと思う場面からは、人種という枠組みがいかに表面的で、あてにならないかがよく伝わってきます。緊迫した状況が続きますが、乳母車にヤギをのせ、たくましく生き抜こうとする「ヤギ母さん」など、ちょっとほっとできるユーモアがあるのもいいですね。

花散里:私も『灰色の地平線のかなたに』が好きで、作者のルータ・セペティスさんが来日された折に、講演会でお話を聞かせてもらいました。過去にあった出来事を伝えたいという思いを表現され、丁寧に語られる姿も印象的な方だったので心に残っていて、この本が出るのをとても楽しみにしていました。

エーデルワイス(メール参加):4人が入れ替わり一人称で語りながら展開していく物語なので、まるで映画のシナリオのようですね。いつか映画化されるのではないでしょうか。ヴィルヘルム・グストロフ号沈没のことは全く知りませんでした。その沈没に向かう展開の物語を読んでいると緊張感でいっぱいになり、酸欠状態のようになりました。4人の一人称での文章はこの物語には必要だと思いましたが、私には読みにくくて、なかなか読み進めませんでした。ソ連兵に乱暴され妊娠したエミリアが、妄想で恋人を作り出し、その子どもを宿したと自分に思い込ませたところでは、人は生きるために「物語」が必要なのだと思いました。

(2018年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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朽木祥『八月の光』

八月の光〜失われた声に耳をすませて

アンヌ:「石の記憶」を読んで本当によかったと思っています。実は小学校の林間学校で原爆のニュース映像を見させられて「核戦争が始まったら、自分はただの黒い影になって永遠に焼き付けられてしまうんだ」と恐怖を感じたのと同時に、その年齢なりの虚無感に襲われたのですが、その時の自分にこの物語を手渡したいです。主人公が黒い影に温かみを感じて寄り添う場面を読むと、生きていくことも死んでいくことも、空しいものではないと思えました。

コアラ:私は「石の記憶」では泣いてしまいました。「水の緘黙」でも泣いてしまいました。朽木さんの本は初めて読みましたが、ひどいことが書かれてあっても、しっとりとして後味は悪くないと思いました。特に言葉が美しいと思います。174ページの「あの日を知らない人たちが、私たちの記憶を自分のものとして分かち持てるように」という言葉が印象に残りました。戦争や原爆の本はたくさんあって、きっかけがないと手に取らない本かもしれませんが、なるべく多くの人に読んでほしいと思いました。

サンザシ:この著者は、広島のことを書くと心に決めて、原爆で亡くなった方たちを一人一人生き返らそうとしているように感じます。言葉や表現が立っていますね。被害者意識だけにとらわれることなく、ある日とつぜん人生が奪われるということはどういうことかを考え、つきつめていっているように思えます。そこからまた生を見つめ直すことも始まるのかと思います。偕成社版は「雛の顔」「石の記憶」「水の緘黙」の3点のみだったのですが、この本ではエピソードが増えて、より立体的になったと思います。どの短編にも喪失の哀しみが通奏低音のように流れていますが、そこにおさえた怒りがあるのも感じます。ただ重苦しいだけじゃないのは、明るい陽射しを感じるような情景が差ししはさんであるかと思いますが、それに加えて広島弁がやわらかくてあたたかいリズムを作っているように思いました。最後の短編は、「あなた」を外国人と想定していますが、なぜでしょうか? 日本の子どもには向けられていないのでしょうか?

マリンゴ: まず装丁ですが、子どもが親しみやすいものに仕上がっていて、とてもいいと思いました。偕成社版(『八月の光』)と小学館文庫版(『八月の光・あとかた』)は、格調高い装丁ではあるのですが、子どもがちょっと手に取りづらいのかなという印象があったので。内容については、朽木さんの他の本でも感じますが、広島についての想いがとても伝わってきました。で、先ほど話題にあがっていた「カンナ あなたへの手紙」ですが、わたしは、翻訳されることを前提に書かれたのではないかと、勝手に想像しています。海外の読者、そして日本の子どもたちのなかにも、広島の原爆がどういうものか、知識のない子は多いと思います。そういう子どもに向けて、広島の説明をていねいにしている章というのは、非常に効果的であると思いました。ただ、1つだけ疑問があって……。222ページに「私の国では、夏はとても暑くて、花はあまり咲きません。それなのに、不思議に赤い花だけがたくさん咲きます」という部分。私はこれを読んで、へえ、どこの国の話なんだろう!と、興味を持ったんですけが、え、日本の話?と驚いたのでした。日本の夏は、ピンクの葛の花や芙蓉、紫のルリマツリ、白いオシロイバナなど、さまざまな色の花が咲き乱れるイメージがあるので……。著者の体感として、夏にそういうイメージがあるのか、あるいはカンナの花を際立たせるために意図的にこのような描写にしたのかなぁ、と。

西山:今回、新しく加わった作品も含めて収録順も変わっているとは聞いていたので、どう変わったか楽しみにしていました。「雛の顔」と「銀杏の重」が並んでいるのもとても腑に落ちて、しっくりきました。色のある表紙になったことについては、装丁の中嶋香織さんのお話を伺う機会があって、表紙の桜が、裏ではカンナになる。桜もカンナもこの1冊の中で象徴的な花ですし、よく考えられているなと、改めて感心しました。いつもそう思うんですが、言葉がおいしい! それぞれの語り出しや、かなり息の長い一文が好き。「雛の顔」の冒頭なんて、繰り返し口の中で転がして味わってしまいます。広島弁が全体を和らげている。それぞれの一文が流れるようで、息づかいが感じられます。その点では、「カンナ」は、広島弁が生かされていなくて、ちょっと物足りない。「水の緘黙」は詩のようで、わからなくてもかまわない話かなと思っています。「カンナ」はちがって、伝達性を重視している気がします。どこかで辛い思いをしている人と連帯したいと思っているのでは、と思って読みました。「三つ目の橋」がちょっと異質かな。

サンザシ:私は異質だとは思わなかったんだけど、どういう意味で異質?

西山:「三つ目の橋」がつなぎになっているのかもしれません。最初のほうの短編は詩のよう。そこに生きた人たちのことを、土地の言葉で語って立ち現せている。それに対して、「三つ目の橋」から、情報を伝えようとしていると感じます。

しじみ71個分:短篇の編成は、概ね時系列になっているのではないでしょうか。原爆投下のその日までと直後を描く作品から、「水の緘黙」「三つ目の橋」も戦後の物語へとつながっていくように見えます。「八重ねえちゃん」は、途中までは子ども時代の当時の視点で描かれていますが、終わり近くで視点が変わっていて、現代の地点から振り返るという表現になっているので、そこで雰囲気が変わっています。2回目の改版で、新たに途中で現代の視点に移行する「八重ねえちゃん」と、孫の世代から見た「カンナ」が加わったわけですが、それには著者の必然性があることなのだろうと思います。

ルパン:ひたすら、「すごいなあ」と思いながら読みました。現実に自分が見ていないものを、こういうふうに伝えられるんだ、という筆力に驚きました。「カンナ」の冒頭は私もひっかかりました。夏に赤い花しか咲かない国ってどこ?って。私の中では、夏の花といえばひまわりだし。ところで、広島弁ってやわらかいですか? 私はあんまりそうは思わないのですが。

ネズミ:すごく好きな本です。普通の人の暮らしぶりが語られる一方で、原爆後の地獄絵のような場面が繰り返し執拗に描かれています。作者自身は見ていないのに、おそろしさがずんと伝わってくる描写で、これを描かなければという作者の強い意志が感じられました。前の出版社のものが絶版になったあと文庫本で出たけれど、子どもに手渡したいというので今回この版で出たと聞きました。原爆を描いた本として、ぜひ海外に紹介したい1冊です。でも、方言も用いたこの文体は、訳すのがたいへんでしょうね。文学的な書き言葉の物語で、読書慣れしていない子どもにはややハードルが高いかもしれないけれども、少し読んで聞かせたら読みたくなるのでは。子どもたちに手渡していきたい短編集です。

サンザシ:「石の緘黙」は原爆投下から4年後で、「三つ目の橋」は3年後ですから、時系列的に並んでいるわけではありませんね。

西山:被曝者がてのひらを上に向けて歩いてくる、という描写に今回はっとしました。大抵幽霊のような手の形で書かれ、描かれていた気がしてました。あるいは、勝手にそう思い描いていたのかも。

レジーナ:広島の記憶を文学として昇華させた、すばらしい作品だと思います。広島弁の会話がいいですね。あの日一瞬で消えていったひとつひとつの生に、くっきりした輪郭を与えています。不器用だったり、身びいきなところがあったりもする登場人物が、生き生きと描かれていますよね。ふつうの暮らしが失われることが戦争なのだと、あらためて思いました。「いとけないもんから……こまいもんから、痛い目におうてしまう」という八重ねえちゃんの台詞は、戦争の本質を鋭くついています。わたしも高校の時に原爆資料館に行き、「原爆は自分の上に落ちていたのかもしれない」と思って衝撃を受けたのを、「カンナ」を読んで思いだしました。

花散里:今回のテーマで、日本の作品を考えた時に、すぐに思い浮かんだのが本書でした。『八月の光』(偕成社)は2012年に刊行されたときに読んだ3編がとても衝撃的でした。特に「雛の顔」の真知子の印象が強く心に残りました。今回の本書、全7編を改めて読んで、「失われた声」を丁寧に描いた朽木さんの文学が、戦争被害者の心の奥深くまでを表現していて、いろいろな思いを伝えたいということが胸に迫ってくるような印象を受けました。『八月の光』とともに『光のうつしえ』(講談社)も印象に残る作品で、子どもたちにどのように手渡していったら良いのか、記憶をつないでいくということの大切さを改めて感じました。「カンナ あなたへの手紙」など新しい作品が加わり、表紙の装丁もカンナが描かれていて、新たに伝わってくるものがあり、多くの人に読んでほしいと思う作品でした。

サンザシ:読むのは、小学生だと難しいですか?

花散里:『光のうつしえ』(講談社)も、難しいかなと思います。

須藤:またこういう形で刊行されることになって本当によかったなと思います。私はまず朽木さんの書く文章が好きで、作品中に描かれている人間にもいつも好感を持ってしまうのですが……。ちょっと余談ですが、古い小説を読んでいると、同じ日本語を話していても、生きている時代によって人間というのはこうも変わるのかと思うことがあるんですよね。そして、過去のことを今の作家が書くと、登場人物が今の人間になってしまいがちなんですが、この短編集はちがう感じがして。いろいろな資料を読みこんで、またご自身の体験もあって書いているからでしょうか。教養や豊かさにささえられた品のよさのようなものを、朽木さんの書く人間からはいつも感じます。作品の感想を一つあげると、「八重ねえちゃん」が私は心に残りました。周りからはちょっとトロいと思われているけれど、おかしいものをおかしいと言える人。大人の理屈に染まっていない人というか。大人はすぐにわかったような理屈をつけてしまうんですが、そこに対抗する子どもの倫理観、「いけないものはいけない」という倫理観に、いまやっぱり立ち返ってみるべきなんじゃないかと思うんですよね。

しじみ71個分:『八月の光・あとかた』(小学館文庫)を読んだとき、これは本当に子ども向けなのかしら?と思いつつ、泣きながら読みました。言葉が非常に美しいです。本当に丁寧に、広島の市井の人々の暮らしが描かれていて、生きていた人、ひとりひとりの人生にリアリティを感じます。言葉一つ一つに文学的なきらめきがあるとでも言えばよいのか、本当にすごい文章力だと心から思います。描写が本当に繊細で、皮膚の裏を針でつつくような、チクチクした切ない痛みのある文章で、たとえば「銀杏の重」の、長女の嫁入り支度をする親戚のおばちゃんたちの場面など、ああ、いかにもおばちゃんたちが集まったらこんな話をするだろうなぁという自然なおばちゃんトークが描かれ、短く詰めた疋田絞りの着物の袖を婚礼用にほどく際、母がしぼをつぶさないで上手に上げてある手際に感嘆したりする、そんなセリフ一つ一つで人々がどれほど丁寧に暮らしていたことなどがよく分かり、心にズンと響いてきます。一発の爆弾が落ちて、それが一瞬で失われてしまう、というその酷さ、非人道性が、つつましくも温もりある生活の描写との対比でありありと表されるように思います。戦争は人の命だけでなくて、暮らしの文化みたいなものも奪ったのだなという感慨もわきました。
 被爆した人々の表現も凄まじく、手のひらを上に向けて、焼けた皮膚が垂れ下がる腕を持ち上げて歩くさまが繰り返し描かれるところや、48ページにある、被爆した人がやかんを拾って歩くけれど、ぽとんと落とし、それを後ろの人がまた拾う、というような表現など、朽木さんがその場にいたのかと思うような凄まじい表現です。個人的に言えば、「水の緘黙」がいちばん好きです。記憶をなくした人の頭に、イメージが断片的に浮かんで、夢幻を漂うような感じはとても美しくあり悲しくもあります。「三つ目の橋」は、被爆経験がスティグマとなって生き残った人にのしかかるさまが淡々と描かれ、切なさが胸に迫ります。あと、「八重ねえちゃん」についていえば、184ページの子犬の表現は確かにとても素敵なのですが、全般を通して他の作品と比較してみると、割と表現が大雑把なように感じました。短いからそういう印象になるのでしょうか。最後の、「帰ってきてほしい。」という切実な叫びに全てが集約されていると思いますし、それは理解できるのですが、展開が急がれているような、何か少々物足りない感じを受けました。189ページから言葉が変わっていて、190から193ページまでを通して、「今も」とか「今なら」とか現在の視点から振り返っていることを明示していて、時間が経過した後だから言えることが書いてあります。その点が少し他の章と異質なように感じました。「カンナ」は表現がとても説明的ですが、今の子どもたちや外国の人々に向けて書くという意図がはっきりとしている作品だと思うので、そのように理解して読みました。いずれにしても、広島にこだわり続ける覚悟をもって、これだけの筆力で書き続けられるということは本当に素晴らしいことだと思います。

ルパン:私は「三つ目の橋」が好きです。同時代に生きていても戦争体験を共有できない人がいる、という現実は悲しいけれど、そういうことも伝えていかなければならないのだと思いました。

しじみ71個分:お付き合いしていた人との別れ話の場面の表現などは本当に秀逸です。袖口を伸ばしたところの折線がくっきりと見え、地が赤茶けた服を着て恋人の親に会いに行ったりしなくて良かった、と諦めようとする辺りの描写がとても繊細で、本当に切ないです。

サンザシ:朽木さんは被曝二世と敢えてはっきりおっしゃっていますが、差別を心配してなかなか言えない方も多いのかと思います。福島も同じですけど。前に原爆資料館の館長さんにお会いしたことがあるのですが、館長の仕事につくまでは被曝したことをずっと隠していたとおっしゃっていました。「三つ目の橋」の主人公は「親のない娘はもらわれん。まして妹つきでは」と言って婚約破棄されて身投げも考えるけど、いつも妹の久子が待つ家に帰ってくる。その妹が、死んだお母さんと同じように、夜玄関に走り出て、戦死した父親が帰ってきた音がした、と言うようになる。そこで終わったら、悲しいだけのお話ですが、その後、主人公は「私はしゃがんで久子を抱きよせました。父も母も逝ってしまったけれど、幼い久子のなかに、父のあとかたも母の声も残っているのだと思いました」と言って、次の休みには妹とよもぎを摘みにいく約束をする。そして、よもぎ団子をつくって「お父ちゃんおかえりなさい、って言うてあげよう」という方向へ持って行く。そのあたりなど、文章だけでなく構成もほんとにうまいですね。

西山:236ページの「今は〜」は、「その頃は」が正しいように思ったのですが、急に時制をひきもどされた感じがして、立ち止まりました。多分、故意にやってらっしゃるのでしょう。ふつうじゃなくしている効果があるのかな。

エーデルワイス(メール参加):地元の図書館には偕成社版しかなかったのですが、無駄のない美しい文章で、すぐに読み終えました。読後になんともいえない余韻が残ります。

(2018年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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フランシーヌ・クリストフ『いのちは贈りもの』

いのちは贈りもの〜ホロコーストを生きのびて

アンヌ:たいへん内容が重く、戦争の現実に打ちのめされた思いがして読み返すことができなかったのですが、文章が詩的で美しい本だと思いました。ジュネーヴ条約のおかげで捕虜の家族である主人公母子がユダヤ人であっても、人質として最初のうちはフランスに留め置かれたという事実に驚きました。日本の兵士や家族でこの条約を知る人はいたのでしょうか。ここに書いてあるソ連兵と同じように、日本人も捕虜になることが許されなかったことを思うと暗澹としてしまいました。

コアラ:この状況をよく生き延びたと思いました。子どもの視点で、子どもが追体験できるように書かれていると思います。私も子どもの視点で読んでいったので、後半、列車に乗って母親が食べ物を探しに行って戻ってこなかった場面、胸が苦しくなるような恐怖を覚えました。ホロコーストの全体像はこれ1冊を読んで分かるものではないと思いますが、現実の子どもにとってどうだったのか、ということが生々しく書いてあるので、ホロコーストを知らない子どもにとっても、リアリティを感じながら読むことができるのではとないか思いました。

サンザシ:とても読みやすい訳で、多くの子どもに読んでもらいたいけど、もう少し編集の目が行き届くとさらにいいなあ、と思いました。お母さんは精神に異常をきたすのですが、p289の注を見ると、1974年にはお父さんとお母さんの共著で本を出しているようなので、回復したのでしょうか? そのあたりのことも、子どもの読者だと気になると思うので、後書きにでも書いてあるとよかったと思います。p99のユダヤ教についての注も「世界でいちばん古い宗教」とありますが、もっと古い宗教ってありますよね。それから、解放されたあとトレビッツに行って、村の人たちを追い出して家を占拠し、勝手に飲み食いするのですが、「自分たちがひどい目にあったのだから当然だ」というドイツ人全員を敵視している視線を感じました。少女時代にそう思ったというのは十分あり得ることですが、この本は後になってから書いているので、大人の視線としてはどうなのでしょうか? ユダヤ人が迫害された事実は、本当にひどいと思いますが、「だから何をしてもいい」ということにはならない。この著者はそうは言っていませんが、ちょっと今のイスラエルがパレスチナに対してやっていることとつながっている気がして、個人的にはぞっとしました。

マリンゴ: 少女の一人称で書かれていますけれど、最初は漠然とした表現が多くて、少し物足りない気がしました。でも、中盤からどんどんリアルになってきました。年齢を重ねたから記憶が鮮明になってきたのか、あるいは大変なできごとだから特に記憶に残っているのか……とにかくそのコントラストがくっきりしていて、かえって臨場感につながりました。これだけひどい状況なのに、「自分は恵まれている」と少女が思っているところが、重い読後感につながっています。先ほどのお話、わたしはさらっと読んでしまったのですが、たしかに言われてみると、カーテンで洋服を作って、持ち主の家族に逆ギレしているシーンは、小さな違和感を覚えました。

西山:つい最近、今ドイツで親ナチの人の発言がふえている、という記事を見た記憶があります。(「論説室から 寛容をむしばむ毒」『東京新聞』2018年1月24日5面)難しいなと。そういう視点は、巻末の解説なりでフォローすることもできるのかなと思います。この本自体は、非常に興味深く読みました。特に子どもの目線で覚えていたことを書いているというので、新鮮さがありました。今回とにかく衝撃だったし読んでよかったと思ったのは、56ページで「丸刈りにされた男の人がひとり、折りたたみ式のポケットナイフが地面に落ちているのを見つけ、ふと立ちあがってひろうと、のびた爪をそれで切った」という場面。非人間的な扱いを受けて、爪どころではない状況に投げ込まれているのに、人は、爪を切る……。なんだか、とてつもない真実を突きつけられたようで、くらっとしました。子どもならではの問いも、例えば、55ページの「ママ、小さな子たちにあんなにひどいことをする人たちも、自分の子どもたちには、やさしい笑顔でキスするの?」なんて、ドキッとする。作家が、こういうのにはっとしてフィクションを書くと、作品の陰影を深くするかもしれない。そういう生な素材として(ということ語弊があるかもしれませんが)興味深い1冊だと思いました。

ネズミ:最初はおもしろく読み始めたのですが、同じようなトーンで続いていくからか、途中で疲れてしまいました。ユダヤ人の少女の視点で書かれているので、ただ一方的にユダヤ人はかわいそうと読まれてしまうのでは、という懸念も。語りつがれるべきテーマだとは思いますが。

レジーナ:子どものときの記憶をたどっているので、ぼんやりした記述もありますが、母親が他の囚人たちを送りだしながら罪悪感をもつ場面など、真に迫る場面がたくさんありました。これは、大人になってから、当時を思い出して書いた本ですよね。子どもの言葉づかいの中に、たとえば282ページ「老いてしまった気がするけれど、子どもです」など、大人っぽい言い方が混じるのが少し気になりました。

マリンゴ:フィクションだと、何歳の視点から書いた物語なのか、あるいは大人になってから振り返って書いた物語なのか、厳密に設定を決めます。でも、この作品の場合は著者も最初に書いているとおり、著者の体験を小説のかたちでまとめたものなので、そこが混ざっていてもいいのではないかと思いました。

花散里:今回の選書担当で、テーマ「魂の記録が残したものは」を考えているときに取りあげたいと思ったのが本書でした。フランス国籍でユダヤ人の少女が9歳から11歳までの間、収容所を転々とし生きのびた「魂の記録」であり、著者自身の伝記で、冒頭に「『文学』というものではありません」と記されていますが、子どもに手渡したい1冊として本書をあげたいと思いました。訳者の方から、もとは大人向けに書かれていた本で、子どもに手渡す本として、地図や年表を入れたり、章立てにしたとお聞きしました。ドイツやポーランド、東欧を舞台にして書かれたホロコーストの作品はたくさんありますが、著者がフランス国内のユダヤ人収容所を転々と移動させられたことが地図などで、分かりやすく描かれていると思います。訳注について先程、いくつか指摘がありましたが、読んでいるときは、訳注が参考になり、子どもたちにも内容を理解する助けになると感じていました。著者や母親は戦争捕虜の妻子として国際条約に守られ、収容所でも離れることなくいられたれたこと、父親の存在が、生きる希望に繋がっていたことなどが、強く印象に残りました。差別や戦争が人間の尊厳を傷つけ、大切な人生をいかに奪ってきたかを、小学校の高学年くらいから理解するのによい本ではないかと思い、「伝えていく」という意味を感じながら読みました。

須藤:大前提として、こういう経験をした人が、自分の記憶を書き残すのは、とても大事なことだと思っています。ホロコーストに限らずですが……。第二次世界大戦のことも、遠くなってきているじゃないですか。ある非常に大きな出来事があった場合に、それを経験した一人一人の視点を残しておいて、参照できるようにしておくのは、とても意義があることだと思います。その意味で貴重な記録だと思いますが、今回児童書の読書会だという趣旨に沿っていうならば、これは子どもの視点で書かれているけれど、子どもが読んでわかりやすい本ではないですよね。収容所を転々とするので、どんどん場面が変わっていきますし……、注釈も子どもが読むには難しいです。それから子どもが読むとした場合に、ちょっと気になったのは、「ドイツ人はきっちりしている」とか、この方の、ある種ステレオタイプな思い込みが、そのまま書かれていることですね。さまざま経験を経た上で、そんなふうに思われるようになったと思うので、別にそう思われること自体は否定したくないですけど、予備知識がない読者が読んでそうなんだと思われると困るというか。194ページで、各収容所にいた人たちが一つの場所に集められる場面があって、そこで一口にユダヤ人といっても実に多種多様な人がいる、という事実に実感として気づくのですが、そこはとても興味深かったです。

しじみ71個分:子どものときに書いた日記を、大人になってから書き直したとありますが、そのとおり子どもの視点から書かれているため、記述は断片的で、戦争の全体像は見えないと思いました。ただ、同時に、戦争を俯瞰で表現できるのは、大人の著者の後知恵であるんだなとも感じました。なので、はじめは違和感というか、読みにくさがあったのですが、後半に向かうに連れて、人の生き死にが切実になってくる中で、表現がどんどんリアルに立体的になってくるのがすごかったです。ドイツにいたユダヤ人への迫害というイメージが強かったのですが、フランスにいたユダヤ人の迫害について知れたのは大きな収穫だった。著者は戦争捕虜の家族ということで特別な地位にあったということですが、戦争捕虜が優遇されていたことなども初めて得た知識でした。それでも、あれほどまでの過酷な環境に投げ込まれたという事実は本当に痛いものでした。後半の描写は本当に臨場感あふれるもので、みんながおなかをすかせているのに、子どもの傍若無人な本能とでも言うのか、お母さんに「おなかがすいた」と言い募るあたり、お母さんの立場を思うと本当に切ないし、絶望的な気持ちがしたと思うけれど、子どもの側からしか書いていないあたり、リアルに子どもの無邪気な残酷さがそのまま描かれていると思いました。お母さんが食べ物をくれない、変な顔をして私を見ている、と言って逆恨みを感じる辺りなども同様です。
虐殺された人々の苦しみも想像を絶しますが、生き残ることさえ本当に大変だったことも良く分かります。シラミがわいて、チフスになるとか、列車の中に排泄物がたまるとか詳細に書かれているので、一つ一つの描写が体感的に突き刺さってきました。また、戦後の様子が描かれているのも画期的だと思いました。強制収容所の地獄を体験して、大きな心の傷、喪失を味わってしまったために、故国フランスの同年代の友だちが幼稚に見えて、全くなじめなくなってしまい、その深い苦悩が何十年も続いたこと、そして年老いてベルゲン・ベルゼン強制収容所に戻ったとき、生き残り、家族を作り、子孫を残し、命の贈り物をつないだことで、やっと勝利したと宣言するという記述から、戦争が人の命を奪うだけでなく、生き残った人にも心身の大きな傷を残し、その後の人生を奪い取ってしまうのだということを知りました。これは私にとっては新しい気づきであり、読んでよかったと思いました。

ルパン:真実の迫力だなあ、と思いました。衝撃的と言っていいほどリアルな描写が続き、感情移入してしまって胸が苦しくなるほどでした。訳は、読みにくいと思いました。ところどころ表現に引っかかったり、原文が透けて見えるような無生物主語の訳文があったり。それでもやはり私は文庫の子どもに薦めたいと思いました。多少の読みづらさを超える力強さがありますから。先ほどから話題になっている注ですが、私は注があるのが懐かしいと思いました。昔の本は注がいっぱいあったなあ、と。私自身は子どものころ注を読むのが好きでしたし、今でもそうです。

(2018年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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ヨーレン詩 ショーエンヘール絵『月夜のみみずく』

月夜のみみずく

『月夜のみみずく』をおすすめします。

みんなが寝静まった冬の夜更け、女の子が父親と一緒に雪を踏みしめながら森の中へと入っていく。そっと静かに耳をすませて。ミミズクに会うために。日常とは違う不思議な時間を父親と共有し、自然の驚異に触れたときの、胸のときめきが伝わってくる絵本。[小学校低学年から]

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年12月23日掲載)

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ガルブレイス文 ハルバリン絵『わたしたちのたねまき』

わたしたちのたねまき〜たねをめぐるいのちたちのおはなし

『わたしたちのたねまき〜たねをめぐるいのちたちのおはなし』をおすすめします。

春になったら芽を出す種。その種をまくのが人間だけじゃないって、知ってた? 風も小鳥も太陽も雨も川もウサギもキツネもリスも種まきをしてるんだって。どうやって? この絵本を見ると、わかってくるよ。見返しに様々な種の絵が描いてあるのも、おもしろいね。[小学校中学年から]

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年12月23日掲載 *テーマ「冬休みの本」)

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レベッカ・ボンド『森のおくから』

森のおくから〜むかし、カナダであったほんとうのはなし

『森のおくから〜むかし、カナダであったほんとうのはなし』をおすすめします。

先月他界した作者が残してくれた絵本。ホテルを経営する母や周りの大人を見ながら育つアントニオは、山火事で湖の中に避難したときに不思議な光景を目にする。祖父の実体験に基づき、様々な人間と様々な動物が共有した特別なひとときを描いている。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年9月30日掲載)

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キャサリン・ランデル『オオカミを森へ』

オオカミを森へ

『オオカミを森へ』をおすすめします。

舞台は20世紀初頭のロシア。貴族のペットだったオオカミを野生にもどす仕事をしていたマリーナは、暴君の将軍に従わず、逮捕監禁されてしまう。マリーナの娘のフェオは、兵士イリヤや革命家のアレクセイ、そして子どもたちやオオカミたちと共に、母を取り戻しに都へと向かう。くっきりしたイメージを追いながら楽しめる冒険物語。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年10月28日掲載)

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谷山彩子『文様えほん』

文様えほん

『文様えほん』をおすすめします。

文様とは、「着るものや日用品、建物などを飾りつけるために描かれた模様」とのこと。日本でも、縄文時代からヘラや竹筒や貝殻や爪を使って土器や人形に描かれていたし、現代でもラーメン鉢や衣服に描かれている。モチーフは、植物、動物、天体や自然など様々だし、線や図形を組みあわせた幾何学文様もある。

本書は、そうした文様の種類を教えてくれるだけではない。地図で、世界各地の文様の違いや、伝播による変容を見せたり、四季折々の生活や町の風景の中にひそんでいる文様を示したりもする。巻末に用語集や豆知識もついたノンフィクション絵本だが、読んだあとの子どもたちには、身のまわりのあちこちに文様を発見していく楽しみが待っていそうだ。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年11月25日掲載)

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ウィリアム・グリル『シャクルトンの大漂流』

シャクルトンの大漂流

『シャクルトンの大漂流』をおすすめします。

アーネスト・シャクルトンはアイルランド生まれの探検家で、三度も南極探検に出かけた。一時はほかの著名な探検家の陰で忘れられていたが、最近は極限状況におけるリーダーとしてのシャクルトンに焦点を当てた本がいろいろ出ている。映画にもなった。

この本は、シャクルトンが三度目にエンデュアランス号で南極探検に出かけた時のことを描いている。といっても舞台は白い氷の世界だし、登場するのは探検隊の男たち。船も壊れるし、探検は成功したとは言えない。絵本にするには難しい題材だ。

しかし、百貨店ハロッズの広告イラストレーションを仕事にしていたグリルは、困難続きのこのサバイバル物語を見事におしゃれな絵本にしてみせた。そしてデビュー作のこの絵本で、イギリス最高の絵本にあたえられるグリナウェイ賞を受賞した。船に積み込んだ道具を細かく描いたり、コマ割り手法を使ったり、見開きいっぱいに大波にもまれる小さな船を描いたり・・・。レイアウトも斬新で、ビジュアル的な工夫があちこちに見られる。

最近の絵本は幼児や小さな子どものためのものとは限らない。この絵本も、かえって中高生が読んだほうがおもしろいのではないだろうか。そして絵本はあらゆるテーマの入門書ともなる。まずこの作品を手に取ってみて、興味を持ったら次に『エンデュアランス号大漂流』(E.C.キメル著 千葉茂樹訳 あすなろ書房)や『そして、奇跡は起こった!』(J.アームストロング著 評論社)なども読んでみてほしい。

(「トーハン週報」2017年2月13日号掲載)

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ジル・ルイス『紅のトキの空』さくまゆみこ訳

紅のトキの空

『紅のトキの空』をおすすめします。

今回は書評用に送られて来た本の中に、自分がかかわった作品が入っていたので、それを紹介したい。

著者のジル・ルイスは獣医の資格を持つイギリスの女性作家で、『ミサゴのくる谷』『白いイルカの浜辺』(共にさくま訳 評論社)など、動物や鳥の登場する作品をたくさん書いている。この作品にも、ショウジョウトキという紅色の鳥(「何百何千もの群れが飛んできて、木にとまります。それは、暗い空にともる紅のランタンみたいに見えます」)やハトやワニが象徴的に登場してくる。

主人公の女の子スカーレットは中学1年生。家族は、精神を病む母親と、異父弟で発達の遅れているレッド。スカーレットは、自分がしっかりしないと、愛している家族がばらばらにされてしまうと思って、弟や母親の世話も洗濯も掃除も買い物も、そして勉強もがんばっている、どこから見てもけなげな少女だ。

ところがある日、母親のタバコの不始末が原因で、住んでいたアパートが火事になり、一家は焼け出されてしまう。それにより、母親は病院へ、弟は保護施設へ、そしてスカーレットは一時的な里親のもとへ。でも、レッドには自分がどうしても必要だと思っているスカーレットは、ひそかに弟を誘拐して一緒に暮らす計画を練る。そして、誘拐には成功するのだが・・・。

ジル・ルイスの人間を見る目が深い。そして、里親になったルネの一家や、傷ついた鳥を保護しているマダム・ポペスクなど、子どもを理解する大人が登場するのもいい。

子どもに寄り添って物語を紡ぎ出す著者は、スカーレットの「けなげさ」をそのままよしとするのではなく、最後にすてきな解決法を用意している。

(「トーハン週報」2017年4月10日号掲載)

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戸森しるこ『理科準備室のヴィーナス』

理科準備室のヴィーナス

『理科準備室のヴィーナス』をおすすめします。

戸森しるこは、これまで作品を3点出版しているが、どの作品でも、〈生きていくことや、心の動き方って、そう単純じゃないよね。でも、だからこそ楽しいしおもしろいんだよね〉ということを、伝えてくれている。

3作目のこの作品の主人公は、中学1年生の結城瞳。友達からのけ者にされたりもしている。

この年齢って、自分探しもし始めるけど、他者の多様性をそのまま均並みに受け入れるよりは、自分が魅力的だと思う存在に限りなく濃密に惹かれていく時期かもしれない。今回瞳がどうしようもなく惹かれてしまったのは、「理科準備室のヴィーナス」つまり、第二理科準備室で授業のない過ごすことの多い理科担当の人見先生。顔がヴィーナスに似ている。年齢は31というから瞳よりはずっと大人で、シングルマザーらしい。学校の規則など気にしないところも、生徒を前にして一人でお菓子を食べるところなんかも、魅力的。「誰より美しく、誰よりやさしくて、そしてとても危険な人」だ。

でも、瞳は、もう一人、別の角度から人見先生をじっと見ている男子がいるのに気づく。それが正木くん。これは、人見先生に憧れてしまった繊細にして大胆な二人の中学生の物語。瞳と正木君は、同じように先生を想っているようでいて、少し違う。性別が違うから、微妙なバランスの上で揺れる三角関係だ。

後になってから、瞳は考える。「放課後の理科準備室で、私たちはたしかに同志だった。手の届かないものに近づくために、いなくちゃならない存在だった」と。

この作品は、ストーリーだけを追っていたら味わえない。一つ一つの描写や言葉に意味が潜んでいるから。でも、たまにはこういうのも読んでみない? よくわからないところが残ってもいいからさ。

(「トーハン週報」2017年10月9日号掲載)

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2017年12月 テーマ:動物と人間

日付 2017年12月22日
参加者 アカシア、コアラ、アンヌ、冬青、花散里、レジーナ、西山、しじみ
71個分 、(エーデルワイス)
テーマ 動物と人間

読んだ本:

上橋菜穂子『鹿の王』
『鹿の王(上/生き残った者 下/還って行く者) 』
上橋菜穂子/著   角川書店   2014

版元語録:感染から生き残った父子と、命を救うため奔走する医師。過酷な運命に立ち向かう人々の〝絆〝の物語。 *本屋大賞受賞


キャサリン・ランデル『オオカミを森へ』
『オオカミを森へ 』
キャサリン・ランデル/著 ジュルレヴ・オンビーコ/画 原田勝/訳   小峰書店   2017.09
THE WOLF WILDER by Katherine Rundell & Gelrev Ongbico, 2015
版元語録: ロシアの森深く、母親とオオカミたちと暮らす少女フェオ。ある日、残忍なラーコフ将軍が現れ、オオカミを保護した罪で母を連れ去ってしまう。少女はオオカミを連れ、元兵士の少年と共に、母を取り戻すため旅に出る。

(さらに…)

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キャサリン・ランデル『オオカミを森へ』

オオカミを森へ

コアラ:おもしろく読みました。日本とは全然違う世界で、引き込まれました。深い雪や「極みの寒さ」という吹雪など、寒さの描写が印象的でした。翻訳も読みやすくて、かなりの分量なのにすらすらと読めました。「オオカミ預かり人」というのは架空の職業だそうですが、オオカミとの触れあいはとても生き生きと描かれていたと思います。

アンヌ:とにかく表紙も挿し絵も素晴らしくて、楽しみながら読み進めました。オオカミとの生活にリアリティがあって引き込まれましたし、イリヤという兵士が突然現れてオオカミに魅了されて共に行動し、最後には彼の目指しているものもわかって行くというところも、おもしろく読みました。革命の場面で、演説に賛同するのも刑務所に一緒に行くのもまずは尼僧たち。作者はロシア革命の発端である女工たちのデモを踏まえて、この場面を書きたかったのではないかと思います。疑問に思ったのは、刑務所の中にもオオカミを連れた男たちがいるという場面。番犬替わりなのでしょうか? 少し説明がほしかったところです。ラストのエピローグはもっと民話的な語り口にするとか、違う形にしてほしかった。物語と地続きな語りのまま終わるという感じは、少しあっさりしすぎている気がしました。

西山:最後も敬体にすれば、入れ子で昔話のようになったのかな。

アカシア:一応、全体を昔話風にしているんじゃないですか。

冬青:導入部が敬体で始まっていて、最後も昔話のような語り口で終わっているので、敬体のほうが良かったかもね。

アカシア:でも、そうすると、ドラマチックな場面の緊迫感やスピード感に欠けるから、これでいいんじゃないかな。

しじみ71個分:とてもおもしろく読みました。ワイルドな女の子という設定は好物です。前半の展開はスピード感があって、とても気持ちがいいし、敵のラーコフの描き方もとてもいい。これでもか、というほどの極悪人に描かれていてメリハリが効いています。オオカミとの触れあいは胸に迫りますし、脱走少年兵のイリヤがバレエが好きで最後には願いが叶うという点も好もしいし、少年少女の革命というのも、現実味はないけれど、作者からの子どもたちへの激励として受け止めました。

冬青:こういう才能にあふれた若い作家が彗星のように現れるなんて、イギリスの児童文学会はすごいと思いました。“Rooftoppers”もおもしろそうだし。まず最初に「オオカミ預かり人」という仕事を思いついたところが素晴らしい。飼いならされたオオカミを侍らせているロシア貴族の邸宅なんて、ぞくぞくしますね。登場人物が大勢出てくるけれど、それぞれが個性豊かに描かれているので、まったくごちゃごちゃにならずに読めました。ラーコフの憎たらしさがちょっとマンガ的だけれど、これくらいに書かないとドラマチックにならないのかもね。フェオのしゃべり方が、森の中で暮らしているにしては女の子っぽいけれど、これはお母さんが貴族の出だから? 世にも美しいお母さんの背景が知りたいと思いました。

花散里:この本を手にしたとき、表紙画や装丁から絶対におもしろそうだと思って読みはじめました。「野生動物を救う」というテーマで4冊の本を取り上げて紹介(科学技術館メールマガジン)した時に、上橋菜穂子さんと獣医師、齊藤慶輔さんの『命の意味 命のしるし』(講談社)を読みました。齊藤さんは「野のものは、野に帰してやりたい」という思いで猛禽類を野生に帰すために取り組んでいて、上橋さんは「リアル『獣の奏者』」に会いに行くために北海道を訪ねています。この本では、オオカミを野生に帰すという設定にかなり無理があるのでは、と思いながら読みました。91ページのオオカミが仲良く寝ている挿画は、「これがオオカミ?」と気になりましたし、オオカミはもっと獰猛で獣っぽいのではないかと、全体を通して感じました。『鹿の王』で上橋さんは飛鹿とトナカイの違いや、狼に似た黒い犬の怖さとか、よく調べた上で書かれていると思いました。後半、革命扇動者のアレクセイが登場し、子ども達が革命を動かしていくような行動を起こしたり、フェオが演説する場面になると、「オオカミ預かり人」としての前半のストーリー展開から違ってしまったような印象で、読後感はあまり良くなかったです。

冬青:革命にしては、ちっちゃいけどね。

レジーナ:きれいな装丁の本ですね。極寒の地の静謐な美しさや自然の厳しさ、オオカミの息づかいが感じられるような本です。43ページ「家の周囲の森は命の気配にふるえ、輝いている。森を通る人たちは、どこまで行っても変わらない雪景色を嘆くが、フェオに言わせれば、そういう人たちは読み書きのできない人たちだった。森の読み方を知らないのだ。積もった雪は吹雪や鳥たちのことをうわさし、それとなく教えてくれている。朝が来るたびに新しい物語を語っている」、177ページ「雪景色は見わたすかぎり足あとひとつなく、まだ若い木々があちこちで雪に埋もれ、祈りを捧げる北極グマのように見える」など、ところどころに詩的な文章があるのもよかったです。フランスの革命では、何度も覆されてようやく民衆が力を得ます。これはハッピーエンドで終わっていますが、実際にはロシアの革命でも多くの血が流れたのでしょうね。一か所気になったのは、45ページ「今いるオオカミたちのうちの二頭は、人間で言えばちょうど自分と同い年くらいの女の子」です。同じページに「ハイイロは、フェオより数か月だけ早く生まれた雌」とあります。犬は人間の6~7倍はやく年をとるので、オオカミもだいたいそうだと思うのですが、そうだとすると、「人間で言えば同い年くらい」にはならないのでは。

ヒイラギ:「人間で言えば」の部分がちょっとちがうかもしれませんね。

西山:大変おもしろく読みました。いろんな意味ではじめての世界でした。題材も、ちょっとした描写もとても新鮮で。気に入ったポイントがいくつもあるんですが、まず、随所に笑える箇所があるのがいい。例えば、8ページ、5行目から、「オオカミのいる家には幸運がやってくる」として、列挙しているのが、「男の子は鼻水をたらさず、女の子にはニキビができない」という思いもよらない次元で、始まって2ページ足らずのこの段階で「これはおもしろい!」となりました。168ページ「オオカミのところはわからないけど、あとはわかる」とか、全体としてはシリアスで、張りつめていて、血のにおいもするけれど、クスッとさせるところがちょこちょこ出てくる。それを読む楽しさがありました。子どもたちの革命は魅力的だけど、後ろの方は急に軽くなる気はしました。ユーモアを味わいつつも、戯画的には読んでいなかったので、子どもたちが殺されても不思議はないと思っていたから、ホッとするけれど、分裂したイメージになってしまった気はします。アジテーションも浮いてるかもしれない。
カバー折り返しのところに引用された一節「世界でいちばん勇敢で賢いオオカミが死んだ。だからわたしは…」の一節は、自身を奮いたたせるための言葉だと思って、いつ出てくるかいつ出てくるかと思いながら読んでいたので、演説の一節だったことは、少々不満ではありました。軽くなったようで。それでも、演説は魅力的で音読したら気持ちよさそうと思ってしまった。あと、新鮮だった表現、48、49ページ「唇に凍りついた鼻水をかみくだいて吐き出すと」とか。182ページで感情が表れやすい「眉や鼻の穴、口や額がぴくりとも動かないから「表情が読めない」なんて、目以外で心を読もうとするのが新鮮でした。296ページの「罪を犯す覚悟を決めた美しい子どもたちの一団」なんて表現も好き。唯一引っかかったのは、307ページ、「三十分後〜」のところ。時制があれ?と。オオカミを感じさせるシルエットなど、私はイラストにも魅力を感じました。全体に厳しい寒さが感じられるのもいい。訳者おぼえがきで、どこが創作なのかが書いてあるのも親切。満足の一冊でした。

ヒイラギ:さっき花散里さんがオオカミは挿絵とはちがってもっと獰猛なイメージなのではないかとおっしゃったのですが、私はオオカミが好きなので動画や画像もいっぱい見たことがあるのですが、そんなことないです。安心している時はかわいい表情やのんびりした表情を見せるものです。それに、このオオカミたちは人間に飼われていた歴史をもつ者たちですからね。挿絵もぴったりだと思って見ていました。ただ、野鳥を自然に帰す活動をなさっている齋藤先生の本は私も何冊か読みましたが、この本の場合は、生まれてすぐに人間に飼われたオオカミだから、私もリアリティを考えれば野生にかえすのは無理なのではないかと思います。
私はおもしろい冒険物語として読んだので、そういうリアリティとの齟齬はあまり気になりませんでした。これは楽しく読ませる作品なので、これでいいじゃないか、と。原題にもなっているwolf wilderは直訳すると「オオカミを野生に返す仕事をしている人」というくらいの意味でしょうが、訳者の原田さんもそのあたりも含めて考えられたのでしょうか、「オオカミ預かり人」という訳になさっている。リアリティという点でいえば、革命家と言われるアレクセイは15歳で、そのほかの子どもたちはみんなそれより年下です。だから、この子たちが革命を起こすというところにもリアリティはあまりないかもしれない。私は、じつはリアリティにはかなりこだわる方なのですが、この作品ではあまり矛盾を感じませんでした。たぶんこの作品なりの世界がうまくできていて、訳者もうまくそれに沿って訳されているからだと思います。舞台は100年ほど前ですが、今描かれている物語なので、ジェンダー的にもきちんと配慮されていますね。主人公のフェオはおしとやかとはほど遠い嵐のような少女だし、兵士のイリヤはじつは踊るのが好きでバレエダンサーをめざしているなんて。

西山:たしかに女の子が強く描かれているのもいいですよね。

アンヌ:実は読み始めた時はもっとロシアの幻想文学的な物語だと思っていました。特にお母さんについては、とても高貴な顔をして威厳があるというので最初は魔女なのかなと思いました。お母さんについての謎解きもしてもらいたい気がします。

冬青:続編があるのかも。

西山:少年兵のイリヤが、オオカミの出産を見たがるところ。子どもにもどる様子がきゅんとするほどよかった。

アカシア:あの場面があるから、イリヤが兵士の身分を投げ捨てて将軍にたちむかうことを決意する場面も納得できるんですよね。

西山:32ページの真ん中あたり、「さげすむような目でにらんだ。少なくとも、そのつもりでにらんだ。本で読んだだけなので、どういう顔をすればいいのか、じつはよくわかっていない」という、ここもハッとさせられ、すごくおもしろく読みました。読書体験と実生活での体験にこういうベクトルがあることを端的に示してくれたことは意義深いと思います。

エーデルワイス(メール参加):好きですね、めちゃくちゃ。わくわくしました。ロシア皇帝時代オオカミをペットにしていたなんて。なんということをしていたのでしょう。マリーナとフェオの親子が魅力的で、フェオがかっこいい! 作者はまだ若い方で、アフリカジンバブエで幼少期を過ごしている。こんな物語を生み出したのですね。今後も期待したいです。訳もとても読みやすくてよかったです

(「子どもの本で言いたい放題」2017年12月の記録)

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上橋菜穂子『鹿の王』

鹿の王(上/生き残った者 下/還って行く者)

西山:出てすぐに買って読みました。それっきりで、今回読み返す時間がなかったので、その時の印象だけでごめんなさい。もちろん、おもしろかったけど、期待ほどではなく、少しずつ冷静に読んだという感じでした。先が気になってしょうがない、というほどのめり込まず、淡々と少しずつ読み進めたという感じ。冒頭は、なにが起きるんだろうと、とてもドキドキしながら読んだんです。坑内の描写はすごいと。でも物語が進むと、説明的な世界になってしまった。下巻303ページ、真ん中あたりの「ひとりひとり、まったく違うの。どの命も」といった上橋菜穂子の基本的価値観に共感しつつ読んだけど……という感じです。アンデルセン賞受賞直後で派手な帯とか、テレビで騒いでたりとか、何を今更、上橋菜穂子はずっと前からおもしろいわい!と、拗ねていたせいかもしれませんが、上橋作品の中では、私にとっては評価はあまり高くないんです。

レジーナ:謎解きのおもしろさの中に、なぜ死ぬ者と生きのびる者がいるのか、病や死を得ながら生きるのはなぜか、という大きな問題を扱っています。民族間の対立や抑圧は、上橋さんのほかの作品に通じるテーマですね。この本の世界には、混血のトマのように、混じり合いながら血をつなげていく人がいる一方で、火馬の民のように、国を奪われた痛みを忘れられない人たちがいます。オタワルのように、自分の国を失ったあと、知識や技術を活かして国の中枢に入りこみ、したたかに生きのびる人々もいます。国や民族の複雑な関係性を、人の体に広がる宇宙に重ねているのは、ユニークでおもしろい視点ですね。自然を支配しようとする人間の傲慢さ、人知を超えた自然のしくみについても考えさせられます。本のつくりですが、いろんな種族が出てくるので、地図があるとよかったです。

花散里:出版されて、すぐに読みました。自分が大人だからかもしれませんが、主人公のヴァンがとても魅力的に描かれていると思いました。岩塩鉱で出会ったユナを助け、育てる姿は印象的で、ユナを見守る眼差しなどが目に浮かぶようでした。医術師ホッサルが懸命に治療法を探す様子や、愛する人々を救うために奔走していくヴァンの生き方など、下巻の後半がおもしろかったです。謎の病の恐ろしさなどが、とても上手に描かれていると思いながら、惹きつけられるように読みました。『ゲド戦記』(アーシュラ・K.ル=グウィン作 清水真砂子訳 岩波書店)の4巻目が出たときもそう思いましたが、これはYA以上の、むしろ大人の本ではないかと思います。「守り人」シリーズや『獣の奏者』は小学校の図書館でも、とても良く読まれていて子どもたちに人気があります。

冬青:くりかえし読んでも、その度に発見があって面白い本ですね。大人向けのエンタメ本でもエピデミックものは沢山出ていますが、わたしが読んだかぎりでは、たいてい近未来の世界や現代を舞台にしています。でも、この作品はいかにも上橋さんらしい世界を舞台にしているので、魅力があります。自然の描写も美しくて緑の空気をいっぱい吸ったような気になるし、飛鹿を柵の中に入れるところの描写など、実際に動物をどう飼いならすかを見てきた人でなければ書けないような箇所があちこちにあっておもしろかった。でも、地図を見返しにでも入れてくれれば、もっと分かりやすかったのに。病気や免疫についての記述は必要な部分だと思うけれど、ちょっと退屈でした。冒頭は衝撃的で、印象的な場面ですが、それがどういうことか分かるまでがちょっと長くて、年若い読者には辛いのでは?

ヒイラギ:ルビの振り方は、一般書ではなくYAですね。

アンヌ:人の名前が難しいので、今回は読み直しながら、登場人物のページに人物関係表を作って書き込んで行きました。1回目に読んだ時は謎解き中心で読んで行ったので、2回目の今回の方がずっと楽しめました。とにかく私はファンタジー世界を作者が戦争で壊してしまうというのが嫌いで、この作品では戦いはあるものの全面戦争はないので、世界の隅々まで楽しめたという感じです。家族を失っている主人公のヴァンが、一人の幼女を助けたことによって、すんなりと移住民の家族の中に入って行くことができ、その家族は結婚によって別の民族とつながっている。様々な形で家族が形成され、新しい世界が出来上がっていく可能性を示しています。支配層の王たちが、それぞれの妥協点を常に探っているという感じもよかった。もう一人の主人公のホッサルが中心の医学の場面も、推理小説のようにおもしろく読めました。病に抗体がある者はトナカイの乳でできた食品を食べていて、トナカイは地衣類を食べていて、その地衣類でできた薬は、超能力を得たユナの目には光って見えると描かれているところは、ファンタジーならではのとても美しい謎とき場面だと思います。気にかかるのは、後追い狩人サエです。すぐれた能力がある女性なのに、子どもができなくて婚家から身を引いていたり、「あれは寂しい女だから気を付けろ」なんてホッサルに言われたり、やたら顔を赤らめる場面があったりして、かなり女らしく描かれています。封建主義の国の物語だから仕方ないとしても、少し物足りない気がしました。

コアラ:物語の世界に浸っておもしろく読みました。下巻の438ページから440ページくらいで、〈鹿の王〉とは何かという話があるのですが、英雄的な話を否定して、残酷さや哀しみを語る父親のセリフ、仲間を救うのは出来る者がすればいい、ひよっこは生き延びるために全力を尽くせ、という話は、まさに若者たちへの大人からの言葉だなと思いました。それから、音と漢字のあてはめ方がいいですよね。「飛ぶ鹿」と書いて「ピュイカ」と読ませるのは、いかにもピュンピュン飛ぶように駆ける鹿を思わせて、うまいなと思いました。ただ、上下巻の大作のわりには少し印象の薄い物語でした。

しじみ71個分:長編で、世界も人物も複雑な構成になっているのに破綻がない。これだけの世界を構築できる筆の力がまずすごいと思います。ローズマリー・サトクリフのローマ帝国時代のブリテンの物語シリーズを思い出しました。あとがきに、上橋さんはご両親の介護や、ご自身の更年期障害といった、命、生死、病といった問題の中で向きあう中で生まれた物語だと書かれていましたが、上橋さんの思いがよく伝わる作品だと思います。柳澤桂子さんの著書にも言及しておられましたが、私も『われわれはなぜ死ぬのか : 死の生命科学』(柳澤桂子著 草思社 1997)を読んで生物の生死について考えたこともあったので、自分の関心に重なるところの多い作品でした。人の手の水かきが出来ては消えていくように、個体の中で生滅、生まれては死ぬことを繰り返しているという命の不思議さを描くことに挑んだ上橋さんの思いに強く共感します。政治的な面でも、あの国がモデルかしら、とか想像できるのもおもしろいポイントでした。いぶし銀の大人のラブストーリーとしても読めるし、医療、政治、家族等多面的な読み方ができる作品ですし、いろんな知識がもりこまれていておもしろかったです。想定する読み手は高校生以上くらいでしょうか?

ヒイラギ:最初に読んだときは、医学の部分や政治の部分は難しいなと思って、いい加減に飛ばし読みしてしまいました。登場人物がたくさんいて関係も複雑だし、政治の部分も、最初読んだときは私自身の頭の中がうまく整理できなくて、表面的なおもしろさだけを追ってしまったんです。でも今回は、自分で地図も人物関係リストも作りながら読んでいったら、前よりずっと頭に入ってきて、おもしろさも深まりました。構成もよく考えられていて、医学や政治の部分の理屈や説明が続く後にはユナのかわいい言葉や自然の描写があって、うまく調和がとれているんですね。そのあたり、すごくうまいと思います。動物と人間の結びつきもおもしろくて、そのあたりもじっくり考えて書かれているように思います。
ユナが子どもの実像と少し違う、という意見も聞いたことがありますが、この本の中ではこれでいいじゃないかな。知らない親族のところで暮らしたり、ホッサルのところに行ったり、がまんしているところはわずかしか描かれていませんが、ユナが主人公ではないからね。生物の死については「病の種を身に潜ませて生きている。身に抱いているそいつに負けなければ生きていられるが、負ければ死ぬ」というふうに書いてあったりするところで、1回目に読み飛ばしていたのが、今回はああ、なるほどと思ったりもしました。非血縁の人たちが家族をつくっていくというところもおもしろいなあ、と思って読みました。

アンヌ:文庫版には地図がついているようですよ。

しじみ71個分:私は科学的な硬い記述と、ソフトなストーリー部分が交錯することによって、読み方にリズムができるので、それがおもしろいと思いました。ユナについては、ウィルスに感染した生き残りなので、突然変異して新しい人類となってもっと活躍したりするのかと期待したけれど、そこはそうではなかったですね。

アンヌ:たしか親戚の伯母に預けられたとき、ユナは頑固に誰にもなつかないで家を抜け出してばかりいると描かれていますよね。

レジーナ:ユナの舌足らずなしゃべり方は、ところどころ幼すぎるというか、ちょっと不自然に感じるときがありました。

ヒイラギ:私はそれは引っかかりませんでした。この異世界にはいろいろな言語や方言があるのかもしれないし、様々な種族の中で育っているので、最初からすらすらとはしゃべれないんじゃないでしょうか?

冬青:ユナは、リアルな人間の子どもというより、少しばかり神性を持った存在として描かれているような気がしたけど……。

しじみ71個分:確かに、ユナのしゃべり方はその年齢の実際の子どもとはちょっと違った感じは受けました。大人が見た小さい子ども像的な印象。そういえば、私は、描写からユナの絵柄が思い浮かんでこなかったですね。

エーデルワイス(メール参加):以前読んでから読み返していません。文庫でも人気で、予約が続きました。読み応え充分で、浸りたい作品です。日本でもないヨーロッパでもない、架空の時代と世界がなんともたまりません。ただし、私はNHKで放送中の「守り人」を見る気になれません。上橋さんの世界観を出すのには、テレビドラマではむずかしいのかな? ところで、『鹿』ですが、日本中増え過ぎてこまっています。岩手でも問題になっていて、駆除されつつあります。11月下旬に処理されたシカ肉がよそから我が家に届きました。夫がシチューにしてくれましたが、山での姿が思い出されると夫は口にしませんでした。私は「鹿の王」など忘れペロリと食べました。牛肉のようで美味しかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年12月の記録)

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2017年11月 テーマ:外から来た家族

日付 2017年11月23日
参加者 ハリネズミ、ルパン、よもぎ、アンヌ、レジーナ、西山、マリンゴ、ネズ
ミ、ヘレン、(エーデルワイス)
テーマ 外から来た子ども

読んだ本:

岩瀬成子『春くんのいる家』
『春くんのいる家 』
岩瀬成子/作 坪谷令子/絵   文溪堂   2017

<版元語録>「家族」って,なんだろう? 小学4年生の日向は,両親が離婚した後,母といっしょに祖父母の家でくらしていた。そこに「いとこ」の春が,祖父母の養子になって加わることになった。「祖父母,母,春,日向」で『家族』だと祖父は言う。でも,日向は「この家,好きになった?」と聞かれても「わかんない」としか答えられない。そんなある日…。


キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー『わたしがいどんだ戦い1939年』
『わたしがいどんだ戦い1939年 』
キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー/作 大作道子/訳   評論社   2016
THE WAR THAT SAVED MY LIFE by Kimberly Brubaker Bradley, 2015
<版元語録>1939年。第二次世界大戦さなかのロンドン。足の悪いエイダは、けんめいに歩く練習をしていた。歩けさえすれば弟といっしょに疎開できる!――自分らしく生きるために戦う少女と、彼女をあたたかく包む村の人たちを描く。2016年ニューベリー賞次点作。


アンナレーナ・ヘードマン『のんびり村は大さわぎ!』
『のんびり村は大さわぎ! 』
アンナレーナ・ヘードマン/作 菱木晃子/訳 杉原知子/絵   徳間書店   2016.05
MIN FÖRSTA VÄRLDSSENSATION by Annalen Hedman
<版元語録>十歳の女の子アッベは、ママとふたりで豪華客船クルーズに出ているところ。でも退屈なので、去年の夏のすごいできごとを、ママの携帯電話に吹きこむことにした。なんとアッベは、おじいちゃんおばあちゃんが住んでいる「のんびり村」で、友だちと一緒に「ギネス世界記録」に挑戦したのだ! スウェーデンの小さな村を舞台にした、ゆかいでさわやかな夏の物語。

(さらに…)

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キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー『わたしがいどんだ戦い1939年』

わたしがいどんだ戦い1939年

西山:これだけのかたくなさは、なかなかない、というのが一番の印象です。ひどい扱いを受けている子が描かれている作品は読んできましたが、「丸太をなだめているようだ」という表現があったと思いますが、心も体もここまで硬直している登場人物というのは、私はちょっと記憶にありません。幼児期に当たり前に面倒を見られない、それどころか、暴力も振るわれていたわけですが、それが、知識が足りないという次元ではなくて、自分が何を感じているのか感情自体が自分のものでないようなことになるのだと衝撃を受けました。例えば、p266の中ほど、「スーザンへの怒り(略)母さんへの怒り(略)フレッドへの怒り(略)」何事にも怒りとしてしか出てこない。未分化な感情に混乱するばかりの様子が繰り返し出てきて、圧倒されながら読みました。そういうエイダの内面もそうだけれども、どうなるか、どうなるかと先が気になって読み進めるタイプの本ですね。イギリスの戦時中の感じが、灯火管制とか、人を見たらスパイと思えとか日本と同じだなと思う部分と、それでもクリスマスを祝う様子とか、やはりまるで違う部分とか興味深かったです。

マリンゴ: 全体的に、すばらしい作品だなと思いました。引き込まれて、一気に読了しました。もっとも、穏やかな気分で読み終える直前に家が焼けちゃって、ええっ、ここで終わるの!?というショックはありましたが。あとがきを読んだら、続編が出るとのことで、それなら納得です。続編を早く読めたらいいなと思います。あと、1か所だけ気になったのは、2度目に会ったときの母親の態度。前半とあまりにも変わらないので、どうなんだろう、と。娘の変化と息子の成長を脅威に感じて、辛く当たるにしろ、もう少し態度が変わるのではないのかな、とちょっとだけ気になりました。

ハリネズミ:同じ時期のイギリスの子どもの疎開を書いて、同じように虐待されている子どもが、偏屈なつき合いの悪い大人と心を通わせていくという作品に『おやすみなさい、トムさん』(ミシェル・マゴリアン著 中村妙子訳 評論社)がありますね。最初に『おやすみなさい〜』を読んだときは、こんな母親がいるのだろうかといぶかったのですが、これを読んで、ああ、やっぱりいるんだな、と思ったりしました。また『おやすみなさい〜』は物語が直線的に進んでいきますが、こちらはやっといい方向にむかったと思うと、またパニックになったりして、とんとんとはいきません。後書きを見ると、著者はご自身も虐待を経験しているとのことなので、こちらのほうが、よりリアルなのかもしれませんね。それから、イギリスは階級社会ですから、労働者階級のエイダと中流階級のスーザンとは、日本語版で読む以上に隔たりがあるんだと思うんです。日本語に訳してしまうと、そのあたりはよくわからなくなってしまいますけどね。さっき、『春くんのいる家』(岩瀬成子著 文溪堂)の日向は大人っぽいという声がありましたが、この作品のエイダはもっと大人ですね。おかれた状況から、早く大人にならざるを得ないということがあるのかもしれません。

アンヌ:私はこの本に夢中になってしまい文字通り一気読みしました。列車の中から馬に乗った女の子を見るところから始まる、馬に乗り自由に走れることへの憧れや、馬との一体感がとてもうまく描かれていて、K.M.ペイトンの作品、例えば『駆けぬけて、テッサ』(山内智恵子訳 徳間書店)などを思い浮かべ、どんどん読みすすんで行きました。はっきり書かれていませんが、スーザンは多分レズビアンの恋人を失い、その関係性ゆえに村人や父親から疎外されたと感じているのだと思います。その喪失感から鬱状態になっていたところに、エイダたちが来て、だんだん立ち直っていく。子供たちの世話をしながら時々ひどいことを口にしてしまうのも、そのせいだと感じました。エイダは母親の虐待にひどく傷ついている子どもで、何度も何度も拒絶されたときの思いが甦って、相手を信じることができません。無知で人と会うこともなく育っているので、他人を拒絶する言葉をつい言ってしまいます。そんな彼女が変わったのが第36章のダンケルクです。自分が他者に対して何かできると知った時変わることができるのだと作者は言いたかったのだと思います。そうでなければ、ロンドンでもパニックになり立ち直れなかっただろうと思います。この本はとても心に残るので、ついつい続きを考えてしまって、早く続編が出ないと心が安まらない気がしています。

ルパン:たいへんおもしろく、夢中になって読みました。いちばん気に入っている場面は、エイダが警察官に向かって「足は悪いけれど、頭は悪くありません」と啖呵を切るところです。主人公に早く幸せになってもらいたい、という一心で読んだので、お茶の招待になかなか応じないところでは、「早く行け~」と心の中でさけんでいました。

よもぎ:とても読みごたえのある、いい本でした。冒頭の母親があまりにもすさまじくて、ディケンズの小説を読んでいるような……。こういう貧困家庭に育った子どもたちが、ミドルクラスの家に預けられるということがあったんですね。激しい虐待にあってもエイダが心の底に持っていた清らかな魂というか、それは弟に対する愛情によって辛うじて保たれていたものだと思いますが、その魂が馬や、スーザンや、村の人々によって、やがてほぐれて育っていく様子に感動しました。日本の学童疎開にも、いろいろなドラマがあったに違いないのですが、このごろはあまりテーマとして取り上げられないですよね?

ヘレン:この本も『春くんのいる家』のように、子どもの気持ちがよく感じられますね。

レジーナ:私も『おやすみなさい、トムさん』を思いだしながら読みました。p110に「わたしたち、暴風雨にもてあそばれてるね」とありますが、主人公は、戦争や家庭環境など、自分の力ではどうしようもないことに翻弄されます。でもp103に、自由とは「自分のことを自分で決める権利」とあるように、最後には自分で人生を選びとっていくんですね。それまでスミスさんと呼んでいたのが、p184ページからはスーザンと呼ぶようになります。主人公の気持ちが変わる重要な場面だと思いますが、どうしてここでそうなるのか、気持ちの変化についていけなくて、ちょっと唐突な印象を受けました。

何人か:そこは、それでいいんじゃないかな。

ネズミ:ひきこまれてぐいぐい読みました。エイダがどんなふうに成長していくか、目が離せない。「外国の小説」という感じがしました。日本の作品だと、相手はこう思うだろうと思いながらも、人と人があまり直接的に思いをぶつけあわないけれども、この作品の場合、エイダとスーザンが、面と向かって言葉で伝えていく場面が多いですよね。人間関係の作り方の違い、関係性の違いなのでしょうね。そういう違いがおもしろくもありますが、時には息苦しくなるほど。英米の作品に慣れている子どもじゃないと入りにくいかなと思いました。

ヒイラギ:疎開を取り上げた日本の作品は、いじめとか空腹などがテーマで、こんなふうに、それを機会に成長するとか、新しい出会いがあるなんていうのは少ないですね。角野栄子さんの『トンネルの森 1945』(KADOKAWA)はちょっと色合いが違いましたが。

よもぎ:『谷間の底から』(柴田道子作 岩波書店)は、疎開児童が初めて書いた作品として出版当時は話題になりましたが、今でも読まれているのかしら?

ネズミ:この本の表紙はすてきですが、中身のイメージと違うかな。飛行機乗りみたいで。

エーデルワイス(メール参加):読み応えがあって、一気に読みました。まるで昔話の継母のような、主人公エイダに対する実母の仕打ちは、無知なる生い立ちのせいでしょうか。最近いとうみく作の『カーネーション』を読んだばかりですが、母親に愛されないというところは、なんともいえない切なさがありますね。エイダが、虐待による後遺症で、呼吸困難になったり、人に触られる恐怖を感じるところは、具体的でリアルでした。弟のジェイミーが環境の変化でおねしょをする場面では、どんな母親でも恋しいのだろうと思わされました。里親のスーザン・スミスは最初は頼りないように思えましたたが、毎晩エイダとジェイミーに本を読んでくれたり、ジェイミーが学校の担任に左手を矯正されるのに対し毅然とした態度で言い負かすところに惚れ惚れしました。ラストは感動的。続編はどのような展開になるのでしょうか?

(「子どもの本で言いたい放題」2017年11月の記録)

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岩瀬成子『春くんのいる家』

春くんのいる家

ルパン:おもしろかったです。岩瀬成子さんの作品はどれも好きなので、期待していました。複雑な人間関係や心の綾はとてもよく書けていて、さすがだと思いました。ただ、もう少し春くんの魅力が伝わってもよかったのかな、と思います。おもしろかったけれど、印象が薄いというか・・・。

アンヌ:なんだかまるで詩を読んだように感じました。特に心に残ったのは、春くんが夕方まで自転車を乗り回し、日向もまねをするところです。この子たちの孤独と自由と未来への不安が感じられました。ネコを拾ってきた場面では、家族の会話が開かれていく予感がとてもうまく描かれています。でも、こんな風に分析していかないほうが、読んだ後に、ふんわりとしたひとつの世界を感じ続けられるような気がしています。

ヒイラギ:大きな事件は起こりませんが、日向は親が離婚したために母親と一緒に祖父母の家で暮らすことになるし、春くんは父親が病死して母親が再婚し、祖父に請われて「跡継ぎ」として祖父母の家にやってくる。みんなが新しい環境の中で最初はぎくしゃくしているんですが、だんだんにそれぞれがそれなりの居場所を見つけて行く過程が、とてもうまく書けていると思いました。たとえばp34「お客さんみたいだ、わたしと春くんは。いいのに、いいのに、とわたしは思う。親切にされると、親切にされている自分が特別な子になったみたいな気がする」と日向が思うところとか、p46で春が「自転車で走っているとね、なんか、自分が軽くなる感じがするんだよねえ。たとえば、名前とかさ、どんな学校にいってるかとかさ、たとえば家族とか、そんなもんがだんだん消えていって、かわりに体に空気がはいって軽くなるような、そんな気がね、する。それが、たぶん気もちいい」と言うところなんか、うまいなあ、と思いました。日向の母親が離婚の原因を子どもに言わないで何となくごまかすことろは日本的ですが、でもこの母親も家族の今をよく見ていて、「うちは今、なんていうか、たいへんなときじゃないの。今までべつべつに生活していた人間がこうやってあつまって、なんとか家族になろうとしているのよ。つまり、たいへんなときであるわけよ。でしょう? この際だから、ね、ネコも飼いましょう。みんなでいっしょに家族になればいいんじゃないのかな」なんて言ったりするのも、いいですね。最後に、日向がなんだか笑えるような気持ちになって安心するという場面も、言葉で状況を説明してはいないのですが、読者も一緒に明るい気持ちになれますね。

マリンゴ: 岩瀬さんの作品は、小学高学年以上向けのものは何冊も読んでいるのですが、中学年向けは初めてでした。言葉にしづらい感情を言葉にするのが岩瀬さんならではの作風だと思いますが、それを中学年に対してもできてしまうところがすごいと思います。どの年齢の子にも言葉にできない感情はあるでしょうけど、学年が下がるほど、ボキャブラリーが少ないために表現できない気持ちが増えると思うんですね。そういう子たちが、本作を読んで「それってこういう気持ちなのか」と、ハッとすることもあるのではないか、と。また、会話の文体ですが、普通は小学生同士の会話って、くだけた現代的な方向に行きがちですが、この作品では、佐伯さんが丁寧語でしゃべってたりして、そこがとてもユニークだと思いました。

西山:文学だなあ、と思います。岩瀬成子の作品は、筋は忘れちゃうんです。というか、説明しろと言われても、筋が浮かぶわけではない。でも、読みはじめると、岩瀬成子の世界だ!と思う。たとえばp21の「わたしは春くんの青いソックスを見た。春くんとなにか話したいのに、でも、なんのことを、どんなふうに、話せばいいのか、わからない。」「春くんは、わたしが春くんの足を見ているのに気づいて、青いソックスの指先をぴくぴくと動かした。」こういうところ、理屈で説明できない、これ以上でもこれ以下でもない描写に、岩瀬成子だなぁと思ってしまいます。こういう一つ一つが、子どもの心をいい方向に複雑にしてくれる、その複雑さはもやもやを抱えた子どもの救いになるんだろうと思います。佐伯さんの丁寧語も独特の味を出していて、p27の「猛然と腹が立った」とか「それはね、思い過ごしでしょう」とか、こういう話し言葉は、岩瀬成子の世界を作っていると思います。子ども読者がそういう言い回しに出会うことはとても良いことだと思いますし、こういうのはおもしろがると思う。そこここに散りばめられたユーモアも好きですね。「おばあさんになったら、だれでもネックレスを好きになるんじゃないのかな」(p29)なんて、笑ってしまった。刺身を応接間の高そうな壺の中に隠してた思い出話のところもおもしろい。p49の「おれら、悪い子だなあ」「うん、悪い」「わたしは急にうれしい気もちになった。もっと、ずっと悪い子になれそうな気がしてきた。不良とかになろうと思えば、なれるかも、と思った。そしたら、おじいちゃん、きっとすごく怒るだろうなあ。/くふ、くふ。わたしは笑った。」なんて、おもしろくてたまらない。独特で、硬直した子どもにまつわる問題意識みたいなのをゆるめてくれる気がする。一言一言がおいしい1冊でした。

ネズミ:とてもおもしろく読みました。大きな事件が起こらないのに、物語が成り立っているのがすごいなと。だれが何をしたという筋を楽しむ物語と、岩瀬さんはまったく違うアプローチなんですね。行ったり来たりする思いや細やかな気持ちを見せてくれる作品。p36の「ほんとは気もちがごちゃごちゃしたのだけれど、ごちゃごちゃする気持ちをうまく伝えることなんて、できそうになかったから。」と、p61の「おじいちゃんのなかにも、いろんな気もちがごちゃごちゃとあって、怒りたいとか、心配だとか、もっとべつの気もちもあって、そのいちいちが、すんなりでてこないんだ。」、こういうのを読むと、言葉にできないこともすべてひっくるめて表されていてすばらしいなと思いました。一人称で書いているのに、この子の世界や家族のひとりひとりのようすが自然に伝わってくるのもうまい。大きな事件が起こるのを求めている読み手はとまどうかもしれないけれど、手渡せば好きな子はいるだろうなと思います。「しっかりしろよ、娘」とお父さんが言う父娘の関係が今風で、ステレオタイプな人が出てこないのがおもしろいな。

レジーナ:祖父母といっしょに暮らすようになって、そこに従兄もくわわって、どこかぎくしゃくしていた関係性が、猫を飼いはじめたことで少しずつ変わっていきます。子どもの心を繊細にとらえて、くっきりと描いていますね。

ヘレン:すごくやさしくてわかりやすい話です。子どもの感じとか大人の感じが描写されていて。はっきりした筋があるというより、雰囲気を大事にしている作品です。日向ちゃんは大人のことをよくわかってくれていますね。

よもぎ:わたしも、西山さんとおなじに「文学を読んだ」という感動をおぼえました。悲しいとか、辛いとか、嬉しいとか……そういう感情の底というか、とっても薄い幕の向こうに透けてみえる心の動きを掬いとるのがうまいなと、いつも思います。わたしがいちばん好きなのは、春くんが夕日の沈む瞬間を見たというところ。最後に、日向ちゃんといっしょに朝日を見ようというところと呼応していて、見事だと思いました。それにp85の日向ちゃんの「だってしょうがないじゃん」という台詞。10歳の子に、こういうことをさらっと言わせるなんて、すごい! わたしは常々、ひとりひとりの人間が描けていれば、たいした筋がなくても、それだけで文学として成立すると思っていますが、この作品でも同じことを感じました。日向ちゃんの家族はもちろんのこと、友だちの佐伯さんや合田くんも、ページからくっきりと立ち上がるように描けている。会話が上手いってことでしょうね。佐伯さんの「なめとこ山の熊」の話、とってもおもしろかった。筋がないという話が出ましたが、実は、ゆったりとした、大きなストーリーが流れているんじゃないかな。

エーデルワイス(メール参加):小四のひなたと中二の春くんは、大人の事情で翻弄されているように思いました。それでも子どもは、自分の居場所を見つけていくのですね。淡々と生きて行く春くんと、それを見つめるひなた。悲劇になってもおかしくない物語ですが、明るい方へもっていきましたね。佐伯さんの「なめとこ山のくま」の話がおかしかった。岩瀬さんは賢治がお好きなのでしょうか?

(「子どもの本で言いたい放題2017年11月の記録)

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ユリ・シュルヴィッツ『ぼくとくまさん』さくまゆみこ訳

ぼくとくまさん

『ゆき』や『よあけ』で有名なシュルヴィッツのデビュー作です。今の画風とはだいぶん趣が違いますが、デザインや空間に対するとぎすまされた感覚は共通しています。24歳でアメリカにやってきたシュルヴィッツは、自分の絵を持って出版社をまわりました。イラストレーションの仕事がほしかったからです。そして苦労してこの作品をつくりあげました。
(編集:山浦真一さん 装丁:桂川潤さん)

その時のことが『シュルヴィッツの絵本論』(未訳)に書いてあるのでちょっとご紹介しておきますね。

◆◆◆

 最初に出会った編集者は、幸運なことにスーザン・ハーシュマン(当時はハーパー・アンド・ロウ社勤務)だった。出版社を訪れたのは挿絵の仕事をもらえないかと思ってのことだった。彼女は私の作品を見て気に入ってくれたが、絵をつけるべき原稿は持ち合わせないので、自分で文章も書いて絵本をつくったらどうかと提案してくれた。私はふるえあがった。
自分で物語を書く? そんなことできるはずがない。私は画家で、作家ではない。やってみたいことはいろいろあったが、文章を書くなどという大それたことは考えてもいなかった。文章を書くということは、言葉の魔術師にこそふさわしい神秘的な行為だと思っていた。私にとって言葉を用いるということは、野生のトラを調教するようなものだった。
「どう書いていいか、わかりません」と、私は言った。
「やってみれば?」と、彼女は言う。
「でも」と私は言って、乗り越えがたい障害を思った。「私は英語を話すようになってから、まだ4年もたっていないのです」
「心配ないわ。変なところがあったら直せるから」と、彼女は請け合った。
そうまで言われれば、試みるしかない。私は何度も書いてみては、へたな文章をスーザン・ハーシュマンに見せにいく、ということを何ヶ月もつづけた。彼女の批評や提案を得て修行し、何度も失敗したあげく私はついに1冊の絵本をつくりだした。わずかな変更ののち、最初の絵本『ぼくとくまさん』The Moon in My Roomが生まれた。試行錯誤の繰り返しがなかったら、きっとつくれなかった絵本だと思う。

 

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フィリス・レイノルズ・ネイラー著 さくまゆみこ訳 『シャイローがきた夏』

シャイローがきた夏

 アメリカのフィクション。アメリカでは長く読みつがれている作品です。山の村に住む少年マーティがビーグル犬に出会い、最初に出会った場所の名前をもらってシャイローと名づけます。ところがこのビーグル犬には持ち主がいて、自分の飼っている猟犬たちを虐待しているのでした。マーティは、シャイローを虐待している飼い主からなんとか救い出そうとします。このあたりは、ひと昔前のよきアメリカが反映されているかもしれません。少年とシャイローの間に通い合う気持ちが生き生きとフレッシュに表現されているのが、私は気に入っています。前は別の出版社から別のタイトルで出ていた作品ですが、新たに訳し直しました。うちにもビーグル犬がいるので、ずっと気になっていた作品です。3部作なので続編もあるのですが、3作とも映画になっていて、DVDで見ることができます。

*ニューベリー賞

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フィリパ・ピアス作 ヘレン・クレイグ絵『消えた犬と野原の魔法』さくまゆみこ訳

消えた犬と野原の魔法

 イギリスの絵物語。フィリパ・ピアスが最後に残した原稿に、共通の孫をもつヘレン・クレイグ(ピアスの娘のサリーと、クレイグの息子のベンはパートナーで、間にナットとウィルという二人の息子がいます)が絵をつけました。本ができあがる前にピアスは亡くなってしまったのですが、文章にも、クレイグの絵にも、ピアスが愛した風景や人々がたくさん登場しています。
 イギリスに行ったとき、近くのルーシー・ボストンの家までは訪ねていった(この時はもうボストンは亡くなっていて、息子のピーターさんとその妻ダイアンさんにお目にかかりました)のに、ピアスをお訪ねすることはしませんでした。ファンというだけでお訪ねするのはいかがなものか、と変な遠慮が働いてしまったのです。もともと私は、作家にサインをもらったり一緒に写真を撮ったりするのも苦手なほうです。
 本書は、表紙の左下に出ている少年ティルが、行方不明になった犬(表紙のまん中に出ていますね)を、右下の不思議なおじいさんの助けを借り、野原の家に住む二人のおばあさんたち(ピアスとクレイグがモデルのようです)にも手伝ってもらって捜すというストーリーです。今はやりの、展開が早く刺激の多い作品とは違いますが、味わいの深い作品になっています。ピアスは、人間の心理をとてもじょうずに、しかもユーモアとあた たかさをこめて書く作家で、私が大好きな作家の一人です。編集者としてもかかわらせてもらいましたが、今度は翻訳者としてかかわったことになります。
(編集:上村令さん 装丁:森枝雄司さん)

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ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』さくまゆみこ訳

白いイルカの浜辺

イギリスのフィクション。主人公の少女カラは、難読症で学校でいじめにあっています。自然保護活動をしている母親は、野生のイルカを調査中に行方不明ですが、カラはいつか帰ってきてくれるものと信じています。やはり難読症の父親は、細々とエビ漁を続けながらひたすら途方に暮れています。ある日、カラの学校に転校生フィリクスがやってきました。フィリクスは、脳性麻痺で手足が不自由ですが、人一倍の自信家でもあり、ITオタクでもあります。
カラたちの暮らす漁村は、今のところ底引き網漁が禁止されていますが、もうすぐその禁止が解かれることになっていて、カラは、沿岸の海の自然が生物もろとも根こそぎ破壊されてしまうと心配しています。
そんなある日、カラは浜辺にのりあげている白い子イルカを見つけます。白いイルカはプラスチックの網にからまって大けがをしているのです。カラは、まわりの人たちの力を借りて、白いイルカのいのちを助けようと奮闘し、やがてクラスメートや地域の人も巻きこんで、底引き網漁に反対する活動を始めます。
ハラハラどきどきの冒険物語でもあり、親と子の物語でもあり、地域や政治とのかかわりの物語でもあり、大自然とITを対比する物語でもあり、そして何より動物について深く知ることのできる物語です。著者のジル・ルイスは獣医さんでもあるので、動物や自然についての描写は的確でウソがありません。おもしろいです。
(編集:岡本稚歩美さん 装画:平澤朋子さん 装丁:中嶋香織さん)

***

<紹介記事>

・「子どもの本棚」(日本子どもの本研究会)2016年2月号

 

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ルーシー&スティーヴン・ホーキング『宇宙の法則 解けない暗号』さくまゆみこ訳

宇宙の法則〜解けない暗号

 ホーキングさんのシリーズは、『宇宙への秘密の鍵』『宇宙に秘められた謎』『宇宙の誕生』の3冊で完結したと思っていた方も多いと思いますが(私もです)、また出ました。今度は、宇宙や天体のことというより、数学やコンピュータにまつわる話に焦点が当たっています。
 ある日、地球上のコンピュータがあっちでもこっちでも故障して、インフラは破壊され、交通はマヒし、物流はストップしてしまいます。アニーのお父さん(ホーキング博士がモデルですね)は、対策を打つために首相に呼び出されて出かけ、その間にジョージとアニーは不思議なコンピュータのコスモスを使って宇宙に飛び出していきます。コスモスがいつもと違うのも気がかりですが、やがて二人は、世界を支配する欲望にとりつかれた奇妙な男が量子コンピュータを使って事件を引き起こしていたことを知ります。
 ホーキングさんのシリーズは、空想と理論やファクツがうまく結びつき、科学を身近なものに感じられるところがいいな、と思っているのですが、なにせ私は数学が大の苦手なのです。量子コンピュータのことなんて、さっぱりわからないし、普通のコンピュータの原理だって理解しているとは言い難いのです。なので、今回は、佐藤勝彦先生(自然科学研究所長)だけでなく、平木敬先生(東京大学情報理工学系研究科教授)にも、わからないところを教えていただきました。自分なりには、一応ひととおりわかったうえで、訳したつもりです。翻訳をやっていておもしろいと思えることの一つは、未知の分野のことが少しはわかるようになる、というところです。
(監修:佐藤勝彦先生+平木敬先生 編集:板谷ひさ子さん 装画:牧野千穂さん 装丁:坂川栄治さん+坂川朱音さん)

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ジル・ルイス『紅のトキの空』さくまゆみこ訳

紅のトキの空

 イギリスの児童文学。『ミサゴのくる谷』や『白いイルカの浜辺』でおなじみのジル・ルイスの作品です。ルイスは獣医でもあるので動物の描写が正確だし、困難な状況を抱えた子どもたちに寄り添おうとする気持ちが、この作品にも反映されています。
 この作品に象徴的に登場するのは、ショウジョウトキ(スカーレット・アイビス)。トリニダード・トバゴに生息する真っ赤なトキです。そこから名前をつけられたスカーレットは12歳で、褐色の肌(写真でしか知らない父親がトリニダード・トバゴの人だったのです)。精神的な問題を抱えた母親と、発達が遅れている白い肌(父親が違うということですね)の弟との3人暮らし。毎日の生活をなんとか回しているのはスカーレットなのですが、なにせ12歳なのでそれにも限界があります。
 スカーレットは母を心配し、弟を守ろうと懸命なのですが、住んでいるアパートが火事になったことから、これまでの暮らしとは違う世界に投げ出されてしまいます。果たしてスカーレットたちは、自分の居場所を見つけることができるでしょうか?この作品にも、傷ついた鳥や捨てられた鳥の世話をしているマダム・ポペスクという魅力的なおばあさんが登場します。
 ジル・ルイスは後書きで、主人公スカーレットのような、家族の責任を自分が背負わなくてはいけないと思っている子どもが、英国にはたくさんいると書いています。また、「家」や子どもの居場所について考えて書いた本だとも述べています。
(装画:平澤朋子さん 装丁:中嶋香織さん 編集:岡本稚歩美さん)

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<紹介記事>

・「子どもと読書」(親子読書・地域文庫全国連絡会)2017年5〜6月号

 

・「こどもとしょかん」(東京子ども図書館)2017年春号

 

・「子どもの本棚」(日本子どもの本研究会)2018年1月号

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ルーシー&スティーヴン・ホーキング『宇宙の生命 青い星の秘密』さくまゆみこ訳

宇宙の生命〜青い星の秘密

 おなじみの宇宙アドベンチャー物語です。この巻では、アニーとジョージが火星に行く宇宙飛行士を養成するための訓練を受けることになります。でも、その裏にはとんでもない事実が!
 ハラハラ、ドキドキのそうした物語の合間合間で本書は、地球の水は、どこから来たの? 火星やエウロパ(木星の衛星)には生命体がいるの? 火星で生活するのはどんな感じ? 火山って何? 自動運転車は間もなく実現する? 化学元素って? 周期表はどうやってできたの? 人工冬眠は何の役に立つの? 量子トランスポーテーションって何? などという疑問に答えてくれます。無重力飛行やVRも登場します。
 このシリーズには最新の科学知識が出てくるので、翻訳は大変です。でも、私が素人だからこそ、監修の先生方に疑問を何度もぶつけて、自分なりに納得したところで訳しています。
(日本語版監修:佐藤勝彦先生 装画・挿画:牧野千穂さん 編集:板谷ひさ子さん 装丁:坂川栄治+鳴田小夜子さん)

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モリー・バング&ペニー・チザム『海のひかり』さくまゆみこ訳

海のひかり

アメリカのノンフィクション絵本。モリー・バングの『わたしのひかり』『いきているひかり』に続く「ひかり」シリーズの3作目です。今度は水の中にいる植物プランクトンがテーマです。海の生物も、陸の生物と同じように、太陽光のエネルギーが大事なのだということがよくわかります。光の届かない深海にまでその影響は及んでいるのです。

私たちが吸う酸素の半分は、水の中をただよう植物プランクトンがはき出したものだって、知ってました? そうだとすると、福島の汚染だって、空気や土のことしか考えていないのでは、まずいんじゃないのかな? 海の食物連鎖も心配だな・・・などと、いろいろなことを考えながら訳しました。

バングはこの絵本シリーズによほど力を入れているのだと思います。科学の絵本にしては珍しく、図鑑風ではない美しい絵がついています。2巻目からはMITでエコロジーを教えるチザムと組んでの仕事なので、科学的にもより正確になりました。

こういう絵本や、ホーキング博士のシリーズなどは、翻訳するときに丹念に調べなくてはなりません。でも、調べるのは嫌いじゃありません。知らなかったことが、いろいろわかってきますからね。
(編集:岡本稚歩美さん)

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スティーヴン・サヴェッジ『ちいさなタグはおおいそがし』さくまゆみこ訳

ちいさなタグはおおいそがし

アメリカの絵本。小さなタグボートが主人公です。タグボートというのは、港でほかの船を引いたり押したりして助ける船です。めだつ船ではありませんが、小回りがきき、強力なエンジンをもっています。

タグは大忙しで活躍していますが、夜になるとさすがにつかれてきます。そうすると、こんどは仲間の船がやさしくいたわってくれます。

作者のサヴェッジさんは、この絵本について、「自分に子どもが生まれて生活が変化したころ、アトリエから港を見おろしているうちにアイデアがうかんだのです」と語っています。

私はタグボートの絵本をもう1冊訳しています。『さあ、ひっぱるぞ!』(ケイト・マクマラン&ジム・マクマラン作 評論社)です。タグボートは小さいわりには力持ちなので、子どもに好かれるのかもしれません。
(編集:小川淳子さん 装丁:田中久子さん)

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ポリー・アラキジャ『トビのめんどり』さくまゆみこ訳

トビのめんどり

西アフリカのナイジェリアを舞台にした絵本。主人公はトビという名前の男の子。友だちのアデが飼っている雌牛は月曜日に1匹赤ちゃんをうみ、トゥンデが飼っている羊は火曜日に2匹赤ちゃんをうみ、ビシが飼っているヤギは水曜日に3匹赤ちゃんをうみ…というふうに、村の子どもたちが飼っている動物には、次々に子どもが生まれていくのに、トビはずっと待っています。でも、3週間たつと、とうとう卵がかえって、ヒヨコが誕生!

村の人々の暮らしぶりを伝えながら、曜日や数についてもわかるように考えられた絵本です。最後の見開きには、「ぜんぶで なんば いるのかな?」と、たくさん描いてあるニワトリを数えてみる楽しさがあります。

作者はイギリスに生まれて、ナイジェリア人と結婚し、長年ナイジェリアに住んでいた画家です。作品が紹介されているホームページはここにあります。
http://www.pollyalakija.com/

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トニ・モリスン&スレイド・モリスン文 シャドラ・ストリックランド絵『ほんをひらいて』さくまゆみこ訳

ほんをひらいて

アメリカの絵本。主人公は下町に暮らす東洋系らしき少女ルイーズで、雨宿りをするために図書館に入ります。ルイーズにはこわいものがいっぱいあって、不安を強く感じる子どものようです。でも、本を開くと、広い世界が見えてくる。お話を読めば、つらいことも忘れられる。そう、ひと味違った、本の世界の楽しさ を伝える絵本です。

トニ・モリスンはノーベル文学賞に輝くアフリカ系アメリカ人。スレイド・モリスンは、トニの息子です。スレイドは、この作品を母といっしょにつくった後亡くなっています。膵臓癌で亡くなったようですが、そこには何か事情もあるようで、原出版社からスレイドの死については著者紹介に書かないでほしい、と言われました。
(編集:石原野恵さん 装幀:森枝雄司さん)

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<紹介記事>

・「読売KODOMO新聞」2014年12月4日

 

・「新日本海新聞」2014年11月30日

 

・「読売新聞」2014年12月13日夕刊

 

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ユリ・シュルヴィッツ『ゆうぐれ』さくまゆみこ訳

ゆうぐれ

アメリカの絵本。『ゆき』に出て来た男の子と犬がここでも登場します。この絵本では、男の子が黒ひげのおじいさんと犬を連れて散歩に出かけます。あたりはだんだん暗くなり、さびしくなってきます。でも、人々はあっちへ行ったりこっちへ行ったり忙しそう。そのうち、ぽつんと明かりがともります。そして明かりはだんだんに増えていき、通りも、お店のウィンドウも、広場も、まばゆいイルミネーションで飾られます。

クリスマスの街を描いた絵本です。あちこちにクリスマスツリーが登場し、本屋さんもおもちゃ屋さんも、マザーグース劇場も明るく楽しそうに見えます。空が暗いので、よけいに街のイルミネーションがきれいに映えるのですね。
(編集:山浦真一さん 装丁:城所潤さん+岡本三恵さん)

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<紹介記事>
・11月26日の毎日新聞です。「本はともだち」コーナーの「クリスマスには絵本の贈り物を」という記事で、書いてくださったのは木村葉子さんです。

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名作絵本「よあけ」で知られる作者の最新作。クリスマスの夕暮れどき、おじいさんと散歩に出かけた男の子は、川面に沈む夕日を見る。薄暗くなった街に戻ると、人々は忙しそうに行き交っていた。自然の光が消えると、街の明かりが次々とともる。静かな中にも華やいだクリスマスが感じられる一冊。

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ヘレン・スティーヴンズ『おばあちゃんからライオンをかくすには』さくまゆみこ訳

おばあちゃんからライオンをかくすには

イギリスの絵本。前作『ライオンをかくすには』では、迷い込んできたライオンを両親から隠そうと必死になったアイリスですが、今度は、両親の留守におばあちゃんがやってくるというので、大変。なんとかしておばあちゃんからライオンを隠そうとします。

でも、大きな衣装箱を運び込んだおばあちゃんにも、何か秘密がありそうです。だって、おばあちゃんは「ねるまえのおやつ」を山のように用意するし、夜中におばあちゃんの寝室から変な物音が聞こえてくるのですから。

それにしても、ゆかいな家族です。アイリスは、このおばあちゃんの遺伝子をしっかり受け継いでいるのでしょう。怖いことは何も起こらない、あったかいストーリーとあったかい絵が魅力。くすくすっと笑えるユーモアもあります。
(装丁:伊藤紗欧里さん 編集:若月眞知子さん)

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トルーディ・ラドウィッグ文 パトリス・バートン絵『みんなからみえないブライアン』さくまゆみこ訳

みんなからみえないブライアン

アメリカの絵本。目立たない子どもを主人公にしています。私が前に訳した『ひとりひとりのやさしさ』(ジャクリーン・ウッドソン文 E.B.ルイス絵 BL出版)には、転校生をわざと無視したり、あざけったりするいじめが出てきました。いじめは、子どもをめぐる大きな問題なので、子どもの本でも取り上げられることの多いテーマです。でも、この絵本のブライアンは積極的ないじめを受けているというより、目立たないために、みんなからついつい忘れられてしまうのです。友だちから忘れられるだけではありません。ほかに手のかかる生徒を抱えていれば、先生までその子がいることになかなか気づきません。

でも、そんな体験をたくさんしてきたせいか、ブライアンは人の痛みがわかる子どもです。なので、転校してきたジャスティンがからかわれた時に、得意な絵をつけた手紙を書かずにはいられなかったのでしょう。それをきっかけにして、友だちの輪が広がっていくのがすてきです。

この絵本は、どうぞ後ろの見返しまで見てくださいね。
(装丁:森枝雄司さん 編集:宮本友紀子さん)

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<紹介記事>

・「公明新聞」2015年11月28日

・「AERA with Kids」2015年9月号

 

・「朝日小学生新聞」2015年11月号

 

・「教育家庭新聞」2015年7月20日

 

・「教育新聞」2015年6月25日

 

 

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ダニエル・ビーティー文 ブライアン・コリアー絵『ノックノック:みらいをひらくドア』さくまゆみこ訳

ノックノック〜みらいをひらくドア

アフリカ系アメリカ人の男の子を主人公にしたアメリカの絵本です。「ぼく」とパパは、毎朝「ノックノック」のゲームをしています。パパがドアをたたくと、ぼくは寝たふり。そしてパパがベッドまで来るとぼくはパパにとびついて「おはよう」と言うのです。

ところがある朝以来、ノックノックの音が聞こえなくなってしまいました。ぼくは、パパが恋しくて、手紙を書きます。「パパ、かえってきて。ぼくは パパみたいに なりたいんだ。でも、パパが どんなだったか、わすれてしまいそう」と。ぼくの手紙は机の上に置かれたまま月日がたつのですが、とうとうある日、パパからの返事が机の上にのっていました。「すまないが、わたしは かえれない」で始まる返事の手紙が。父親の愛情にあふれるこの手紙がすてきです。

この絵本は、作者ビーディーの実体験を元に書かれています。ノックノックの遊びをしていたビーディーの父親も、家族から引き離されて投獄されたのでした。ビーティーは後書きでこう言っています。「後に小さな子どもたちを教える立場になった私は、多くの子どもたちが投獄、離婚、死などの理由で父親の不在と向き合っていることを知りました。こうした体験に後押しされ、子どもの視点から描いたこの絵本ができあがりました。この絵本はまた、父親をなくした子どもであっても、すばらしい人生を歩むことができるという希望も語っています」
(装丁:城所潤さん 編集:相馬徹さん)

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<紹介記事>

・「産経新聞」2015年8月16日

 

・「子どもの本棚」(日本子どもの本研究会)2016年12月号

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モーリス・センダック『バンブルアーディ』さくまゆみこ訳

バンブルアーディ

アメリカの絵本。センダック最後の絵本です。主人公は子ブタちゃんのバンブルアーディ。生まれてからこのかた一度も誕生日のお祝いをしてもらったことがありません。でもそのうち、パパもママもあの世へ行ってしまい(「とうとう ブタにくに されちゃった」)、アデリーンおばさんに引き取られます。そして9歳のバンブルアーディは、初めてアデリーンおばさん誕生日のお祝いをしてもらうことになります。

でも、うれしくてたまらないバンブルアーディは、おばさんが仕事に出たすきに、友だちをたくさん呼んでどんちゃん騒ぎ(この大騒ぎが盛り上がる場面は、『かいじゅうたちのいるところ』と同じように3見開きを文章なしに絵だけで見せています)。そこへおばさんが戻ってきて・・・。おばさんが 怒り狂う(「きえろ、うせろ、たちされ、でていけー!」)場面も迫力あります。最後は、すてきなアデリーンおばさんが、「もうぜったい10さいにならないから」と謝るバンブルアーディを、また受け入れてくれます。私はこのところ児童文学や絵本にみる新しい家族像について考えているのですが、これも「子どものないおばさんの養子になった男の子」を描いている絵本と見ることもできそうです。おばさんがバンブルアーディの試し行動でカッとなった後で関係を再構築していく過程と見ても、おもしろいかもしれません。

80歳を過ぎたセンダックがつくったとは思えないようなエネルギーが感じられる絵本です。

書き文字は、わざと子どもが書いたみたいな文字にしてくださっているようです。私はもっときれいな文字の方がしっくりくるのではないかと思ったのですが、センダック関係者のほうは、これがいいと気に入ってくれたとのこと。
(装丁:城所潤さん 編集・広松健児さん)

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<紹介記事>

・「産経新聞」2016年5月24日

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サラ・M・ウォーカー文 ジョナサン・D・ヴォス絵『ウィニー:「プーさん」になったクマ」さくまゆみこ訳

ウィニー〜「プーさん」になったクマ

ノンフィクション絵本。表紙が「原作」となっているのはちょっと解せないので問い合わせたところ、単なる間違いでした。リライトなどは一切せず、原文に忠実に訳しています。

『クマのプーさん』のぬいぐるみは、ウィニー・ザ・プーという名前ですが、ウィニーという名前がついたいきさつを、この絵本では子どもにわかるように語っています。クリストファー・ロビンは、ロンドン動物園でウィニーという名前のクマに出会い、それが印象に強く残っていたのですね。そしてウィニーは赤ちゃんの時に、鉄道の駅で、カナダ陸軍の獣医だったハリー・コルボーンに引き取られたクマだったのです。どうしてそのクマがカナダからロンドン動物園までたどりついたのか、ウィニーはどんなクマだったのか、という実話に基づいた絵本です。

同じ実話に基づいて、評論社からも『プーさんと であった日』というのが出ています。評論社の絵本の文を書いたのは、コルボーンのひ孫のリンジー・マティックさんで、そちらはコルデコット賞をとっています。

こちらの『ウィニー』は、動物園に来た後のことまで描かれているので、両方見比べてみると、おもしろいかも。
(装丁:稲垣結子さん 編集:仙波敦子さん+堀江悠子さん)

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デミ『フローレンス・ナイチンゲール』さくまゆみこ訳

フローレンス・ナイチンゲール

ノンフィクション絵本。ナイチンゲールの本は日本でもたくさん出ていますが、この作品は、なによりデミが描いている絵を見ていただきたい。

私は、ナイチンゲールという人はずっと現場で看護の仕事をしていたのかと思っていましたが、じつは違いました。35歳の時に熱病にかかり、その後は主にベッドで研究したり執筆したりしていたのですね。ナイチンゲールが状況を改善するまでは、当時の病院は、排泄物があちこちにあったり、ネズミがかけずり回っていたりして、相当不衛生だったようです。デミも、そういう場面を描いているのですが、彼女の絵は汚くならないのですね。

原書は金色が使ってあるのですが、日本語版は金が使えなかったので、森枝さんが、題字に細工をして、かがやいているようにデザインしてくださいました。森枝さんは、いつもすてきな工夫をしてくださいます。こういう科学・知識の絵本は、文章をただ訳すだけでなく、原書の記述が正しいかどうかも私は調べて確かめます。そうでないと、安心して日本語にすることができないので。
(装丁:森枝雄司さん 編集:鈴木真紀さん)

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ジョン・キラカ『ごちそうの木』さくまゆみこ訳

ごちそうの木〜タンザニアのむかしばなし

最初はスイスで出た絵本です。ドイツ語で出たのですが、キラカさんはもともと英語でテキストを作られていたので、英語版を中心にして訳しました。

キラカさんがご自分で村人から聞き取った昔話を絵本にしています。キラカさんの最初の絵本『チンパンジーとさかなどろぼう』(若林ひとみ訳 岩波書店)には、伝統的な衣装を着た動物たちが登場しますが、この絵本に登場する動物たちは、現代風の衣装を着ています。「なぜ?」とたずねてみると、今はタンザニアの田舎でも伝統的な衣装を着る人が少なくなり、子どもたちに絵本を見せると、「どうしてこんな変わった服を着ているの?」と言われるからだと、おっしゃっていました。

キラカさんは来日の際、この絵本のストーリーテリングをあちこちでしてくださいました。ご覧になったみなさんは、アフリカのストーリーテリングが パフォーマンスだということを目の当たりにして、その楽しさを充分味わうことができたのではないかと思います。

この昔話の基本形はアフリカ各地にあり、たとえば光村教育図書から出た『ふしぎなボジャビのき』(ダイアン・ホフマイアー文 ピート・フローブラー絵 さくま訳)も、とても似た昔話を絵本にしたものです。ほそえさちよさんのご尽力で、西村書店が2017年夏のキラカさんの来日に間に合うように出してくださいました。
(書き文字デザイン:ほんまちひろさん 編集:植村志保理さん)

◆◆◆

<訳者あとがき>
 アフリカには、まだ農業が天気に左右されているせいで、日照りがつづくと飢える人が出てしまう地域があります。それを考えると、この絵本にあるような「ごちそうの木」の存在は夢であり、あこがれをもってくり返し語られてきたのもうなずけます。これはタンザニアの昔話ですが、類話はアフリカ各地にあって、南アフリカの作家と画家による絵本『ふしぎなボジャビの木』(光村教育図書)も、同じテーマをあつかっています。
 アフリカの多くの地域は文字をもたず、歴史や叙事詩や物語は口伝えで語りつがれてきました。そういう社会では、きちんと記憶することが生死にかかわるくらい重要だったのかもしれません。
 またここにも、アフリカ各地の昔話に姿を見せるノウサギが登場しています。英語の原書では「ウサギ」となっていましたが、作者に確認したうえで「ノウサギ」と訳しました。ノウサギは、体は小さいのに知恵のある存在で、大きな動物をぎゃふんといわせるトリックスターでもあります。
 おとなたち(とくに祖父母)が1日の仕事が終わった夜、子どもたちに昔話を語って聞かせ、そのなかで社会の決まりや価値観や歴史を伝えていくという文化が、アフリカにはあります。こうしたお話の時間は、歌や踊りが入ることもある楽しいひとときです。しかし、近代化の波におされて、今はその文化も消えていこうとしています。そのため、学者だけでなくキラカさんのような方も、故郷の昔話や伝説を集め、語りの楽しさもふくめて子どもたちに伝えていこうと努力しているのです。
 ところで、「ン」で始まる言葉や人名が、アフリカにはあります。「ントゥングル・メンゲニェ」は、「びっくりするほどすばらしいもの」という意味で、こうした語りのなかでだけ使われる言葉だそうです。

さくまゆみこ

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ニコラ・デイビス文 ローラ・カーリン絵『空の王さま』さくまゆみこ訳

空の王さま

イギリスの絵本。見知らぬ国にやってきて、知り合いもなく、言葉もわからず、自分をよそ者だと感じている少年が主人公です。この少年がとなりにすむ足の不自由なおじいさんと知り合いになり、おじいさんが飼っているレース用のハトに自分の気持ちを託します。デイビスの献辞も「新たな土地で居場所を見つけなくてはならないすべての子どもたちに」となっています。

2015年にBIBグランプリにかがやいたローラ・カーリンの絵がすばらしい! 先日絵本の会で、ひとりの画家が今年度のベスト絵本に挙げてくださり、画家の目から見るとどこがすごいかを話してくださいました。その話を伺って私もなるほどと思いました。

本当の絵本とは、文が語っていないことを絵が語っている作品だと、私はシュルヴィッツの絵本論から学びましたが、この絵本はまさにそれです。絵が、文章にはない多くのことを語っているので、文字だけを追っていたのではもったいない。少年の孤独、少年のとまどい、少年の疑い、そして少年の喜びを絵からも感じとってください。
(装丁:安東由紀さん 編集:江口和子さん)

*ニューヨークタイムズ・ベストイラスト賞受賞
*ケイト・グリナウェイ賞ショートリスト

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イヴ・バンティング文 ローレン・カスティーヨ絵『わたしのおひっこし』さくまゆみこ訳

わたしのおひっこし

 イギリスの絵本です。コーリーという女の子の家の庭に、家具や本や電気製品など、いろいろなものが置いてあります。これまでコーリーの家族が使っていたものをずらっと並べて、セールをしているのです。一家が、何らかの経済的な理由があって、一軒家から小さなアパートへ引っ越すことになったからです。
 なじみ親しんできたものや友だちとの別れは悲しいし、さみしい。けど、セールが終わったときには、愛し合っている家族の結びつきはこれまで以上に強くなったようです。
 途中で、コーリーの愛読書が『おやすみなさい、おつきさま』だということもわかったりして、味わい深い作品です。
(装丁:城所潤さん+岡本三恵さん 編集:相馬徹さん)

 

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<紹介記事>

・毎日新聞北陸版 2018年2月5日

 

・小学図書館ニュース第1126号

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ジョイス・シドマン文 ベス・クロムス絵『あさがくるまえに』さくまゆみこ訳

あさがくるまえに

アメリカの絵本。絵が多くのことを物語っています。背景は冬の街、テーマは、願いと言葉の力。私は、ベス・クロムスの絵が大好きで、いつか翻訳を手掛けられたらいいな、と思っていたのですが、今回それが実現しました。描かれているのは、子どもの素朴な願いですが、この絵本をきっかけに、言葉の力、願いの言葉について思いをめぐらせてもらえるとうれしいです。

飛行機の操縦士をしているお母さん、疲れたお母さんのためにお茶のしたくをするお父さん、なんていう家族がそれとなく描かれているのもいいですよ。家にはネコも犬もいます。

とてもいい紙を使って印刷してくださったので、原書よりテカらなくて、おちついた感じに仕上がっています。
(編集:須藤建さん)

◆◆◆

<作者あとがき>より

あなたのねがいはなんですか? そのねがいをあらわすのにぴったりの言葉をみつけて、声にだしてみましょう。そうしたら、つつみこむような暗い夜の底にも、雪のかけらが、ひらひらとまいおりてくるかもしれませんよ。

ジョイス・シドマン

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<紹介記事>

・MOE 1928年3月号

 

・読売新聞 「本こども堂」2018年3月20日

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モーリス・プレジャー『しろくまポリー』さくまゆみこ訳

しろくまポリー

イギリスの仕掛け絵本。シロクマのポリーがうとうとしていると、鼻にぴしゃっと水がかかります。ポリーは、雪の上の足跡を追って、いたずらっ子をさがしに出かけます。どの見開きにも仕掛けがあって、何よりとっても絵がきれいです。共同出版だととかく印刷や製本が心配ですが、これはとてもていねいに作られていました。
(編集:林千里さん)

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さくまゆみこ他『明日の平和をさがす本:戦争と平和を考える 絵本からYAまで300』

明日の平和をさがす本〜戦争と平和を考える 絵本からYAまで

この国は、深慮なしの政治家のせいで、だんだん戦争に近寄って行っている気がします。そんな不安を抱えている私たちが相談して、この本を出しました。これは、戦争や平和を考えるための子どもの本のブックガイドです。

子どもの本は、すべての学びの入口でもあるので、子どもに手渡すだけでなく、大人にも読んでほしいと思っています。

1ページ1冊の割合で作品が紹介されているだけでなく、ところどころにコラムがあって、まとめて考えることができる仕掛けになっています。編著者だけでなく、三宅興子さん、落合恵子さん、ひこ・田中さん、中島京子さん、安保関連法に反対するママの会の方、SEALDsメンバーだった方たちなど、何人かの方たちにも原稿を書いていただきました。

読んでおもしろいブックガイドになったかと思います。表紙の絵やカットは、いとうひろしさんが描いてくださいました。私はブックトークなどで戦争の本を取り上げるときのヒントもコラムで書いています。

野上さんが書いた前書きと私が書いた後書きを載せておきます。ぜひ、手に取ってみてください。

<はじめに>
日本は、1945年8月15日に、アメリカやイギリスなどの連合国を敵に回した戦争に負けて以来、一度も戦争をしていません。310万人ともいわれる、尊い犠牲者を出した反省から、憲法で戦争をしないと決めたからです。その後、世界の国々と友好関係を築き、平和が続いてきたことで経済も発展し、戦後の荒廃から立ち直り豊かな暮らしを実現できました。
ところが、それから70年以上もたつと、戦争の悲惨な記憶がうすれ、近隣の国々を侵略したことへの反省もなく、憲法の精神をないがしろにして、戦争ができる国に変えようとする力が強まってきています。世界の各地で、いまも戦争や紛争が起こっていますから、いつまた日本がそれに関わらないとも限りません。
子どもの本に関わる私たちは、将来にわたって戦争の悲劇を子どもたちに味わわせることを断じて避けたいと願います。そこで、全体を8章に分けて戦争と平和を考える本を300冊以上紹介しました。これまでも戦争と平和をテーマにしたブックリストはたくさんありましたが、この本では、コラムを除き2000年以降に発行された比較的新しい本を精選しています。この本をもとに、戦争のない平和な世界を作るには、どうすればいいか考えてもらうとうれしいです。(野上暁)

<おわりに>
戦争を描いた本なんて読みたくない、と思う方もたくさんいると思います。だって、暗くて、重苦しくて、子どもが笑ってくれないからね、という声も聞こえてきそうです。朝の読書の時間に、戦争が出てくる本はふさわしくないよね、とおっしゃる方がいるのも知っています。
「だけどね」と、私たち編集委員の五人は思いました。「だけど、戦争が出てくる本も読んでみようよ」と。とりわけ日本の国が戦争に向かおうとしているように思える今、読んでおく必要があるとも思いました。
それで、戦争と平和に関する子どもの本のブックリストを作ることにしました。私たちは集まって話し合い、どの本を取り上げるかを決めていきました。ほそえさちよさんに編集をお願いすることも決めました。そのうち、「一つのテーマで何点かの本を概観できるようなコラムも必要だね」、「今この本を戦争に向かわせないために、頑張っている仲間たちにも参加してもらおうよ」ということにもなりました。
今はまだこの日本には、小鳥の声で目を覚ます人もいるかもしれません。働きに行く前に犬を連れて林の中を散歩する人もいるかもしれません。友だちや仲間と楽しくおしゃべりしながらお昼ご飯を食べる人もいるかもしれません。子どもたちと水辺や牧場や公園で遊んでいる人もいるかもしれません。でも、戦争はそういうものの一切を徹底的に壊してしまいます。
私たちはこのブックガイドをつくりながら、こんな発見をしました。

・ほんとうの戦争って、ゲームとは全然違うということ
・戦争で儲ける人がいる以上、起こしたくなる人もいるということ
・戦争って、一度始まるとなかなか終わらせることができないということ
・戦争で死ぬのは、ほとんどが市民や子どもだということ
・戦争は、殺した方も大きな傷を負わなくてはならないということ
・このブックガイドに取り上げた本には、戦争や平和だけでなく、人間の奥深さが描かれているということ

ちょっと世界を見わたしてみてください。私たちには見えにくいけど、世界のあちこちに戦争や紛争で日常のくらしを壊されてしまった人たちがいます。生まれてからこの方ずっと戦争しか知らない子どもたちもいます。その人たち、その子どもたちは、私たちとは関係ないのでしょうか? 見ないですますことができれば、関係ないと言えるのかもしれません。でも、私たちの国でつくられた兵器がその人たちを殺してはいないでしょうか? 私たちが選んだはずの政治家が、その人たちの命を奪う手伝いをしてはいないでしょうか? そんなことにも目を向けていったほうがいいと私たちは考えました。
このブックガイドには、ここに載っている300冊の本の作家・画家たちだけでなく、紹介文を書いたみんなの気持ちもつまっています。そのうえに、読んでくださるみなさんの気持ちものせていただければ幸いです。
おもしろそうだなと思ったら、このブックガイドで取り上げた作品そのものを手に入れて読んでみてください。本屋さんになければ図書館でさがしてみてください。ブックトークの時に、取り上げてみてください。子どもが手に取れるようにしておいてください。そこから、何かが少しずつかわっていくかもしれません。(さくまゆみこ)

(編集:ほそえさちよさん 装画:いとうひろしさん デザイン:鷹觜麻衣子さん)

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<紹介記事>
・「岩手日報」2016年11月27日

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さくまゆみこ文 沢田としき絵『エンザロ村のかまど』

エンザロ村のかまど

「たくさんのふしぎ」2004年2月号のノンフィクション絵本が、ハードカバーになりました。「アフリカ子どもの本プロジェクト」が生まれたきっかけになった本です。アフリカというと、野生動物、飢餓、内戦なんていうイメージが強いですが、沢田さんが丹念に描いた絵は、普通の人たちの暮らしをきちんと伝えています。お金とハコモノだけでは人と人がつながる国際協力はできません。この本が、その辺を考えるきっかけになれば、うれしいです。
(編集:福井恵樹さん)

*厚労省児童福祉文化財選定/SLA夏休みの本(緑陰図書)選定

この本には英語版とスワヒリ語版もあって、「アフリカ子どもの本プロジェクト」で取り扱っています。

 

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キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー『わたしがいどんだ戦い1939年』

わたしがいどんだ戦い 1939年

舞台は第二次世界大戦下のイギリス。内反足のエイダは、「奇形の子は恥だから隠さなくては」と考える無知な母親によって、ロンドンにある家の中に閉じ込められ、学校へも行くことができず、母親の暴力にさらされながら家事奴隷にされている。そのうち、近隣の子どもたちが疎開することになり、エイダも弟のジェイミーと一緒に家を離れたいと強く思い、ひそかに歩く練習を始める。

母親の留守中にうまく疎開児童の群れに紛れ込めたところまではよかったのだが、疎開先では最後まで引き取り手がなく、エイダとジェイミーの世話は、疎開児童を受け入れるつもりがなかったスーザンに押しつけられてしまう。

これまで世間のことは何も知らないエイダが、この環境の中でどう成長していくかが、本書のテーマだ。第二次大戦も影を落としてはいるが、そればかりではなくエイダは、母親の無理解と愛の不在、子どもが苦手なスーザン、なじみのない疎開先の環境、すぐパニックに陥ってしまう自分や自分の中の人間不信とも懸命に戦わなくてはならない。子どもにとっては、こっちのほうが戦争より大きな戦いと言えるだろう。

同じ時代の疎開児童を取り上げた『おやすみなさい、トムさん』(ミシェル・マゴリアン著 中村妙子訳 評論社)も、母親に虐待される子どもと、偏屈でつき合いの悪い引き取り手の出会いを描いていた。この二冊には共通するところがたくさんあるが、本書の著者は自分も虐待の経験者であることから、ちょっとしたことが引き金になってエイダがパニックに陥ってしまうところなど、本書ならではのリアルな描写も登場する。

長い作品だが、最後は明るいので、安心してどきどきはらはらしてみてほしい。

(「トーハン週報」2017年12月11日号掲載)


ゾウと旅した戦争の冬

『ゾウと旅した戦争の冬』をおすすめします。

本書の構造は二重になっています。老人介護施設にいるリジーというおばあさんが、昔のことを思い出して語る話を、「わたし」とその息子のカールが聞く、という外枠の物語がまずあります。そして、その枠の中で、リジーの若き日と今を結ぶ物語が展開していきます。

枠の中の物語は、書名からもわかるように戦争ものではありますが、ほかの戦争ものと違う本書の特徴は、子どものゾウが出てくるところ。このゾウが、悲惨さや息苦しさをうまく中和させる役割を果たしています。

作者はイギリス人ですが、舞台はドイツ。ドレスデンで暮らしていた母親と子ども二人の家族が、大空襲を受けて、動物園から預かっていた子ゾウといっしょに避難しなくてはいけなくなります。とりあえず親戚の家に身を寄せようとしますが、そこで出会ったのは、なんと敵である英国空軍のカナダ人兵士。この兵士ペーター(ピーター)は、父親がスイス人でドイツ語も話せるのですが、氷の池に落ちたリジーの弟の命を救ったことから、この家族やゾウといっしょに避難の旅を続けることになります。

著者のモーパーゴは、社会的な問題をリアルに取り上げながら、人間の心理をとてもうまく描くことのできる作家です。でも本書には、ありそうだけど「出来過ぎ」と思えなくもない設定がいくつか登場します。大体ゾウにこんな旅ができるのでしょうか? でもね、二度目に読んでみて、モーパーゴの物語づくりのうまさに、私はうなってしまいました。

このお話ってもしかすると……と思う読者もいると、著者は最初から考えていたのだと思います。うまくできています。危険、恋、裏切り、再会……極上のストーリーテリングです。

(「トーハン週報」2014年4月14日号掲載)


童話学がわかる

原稿書きました


さくまゆみこ『イギリス 7つのファンタジーをめぐる旅』

イギリス 7つのファンタジーをめぐる旅

「ピーター・ラビット」「ふしぎの国のアリス」「クマのプーさん」「ピーター・パン」「クリスマス・キャロル」「たのしい川ベ」「グリーン・ノウの子どもたち」の作品と作家、そして作品の生まれた舞台を紹介しています。旅の部分は実用的で役に立ちます。
(装丁:寺井恵司さん 編集:林千里さん)


ファンタジービジネスのしかけかた

「ハリー・ポッターをはじめとするネオ・ファンタジーがなぜこんなに売れるのか」を追求した本です。最初は情報を提供すればいいということだったのが、結局いっぱい書いてしまいました。正統派ファンタジーとネオ・ファンタジーの違い、ゲームとネオ・ファンタジーの関係など面白い視点が出ていると思います。
(装丁:鈴木成一デザイン室 編集:金沢千秋さん、小鮒由起子さん)


さくまゆみこ『子どもを本好きにする50の方法』

子どもを本好きにする50の方法+おすすめ本300冊

私は子どもの本が好き。だから、みなさんも一緒に楽しみましょうよ、というのがコンセプトです。子どもに良書を押しつけようというつもりはありません。版元の意向でこういうタイトルになってしまいましたが・・・。一つ一つの項目が短いので、時間のない人もちょっとお手すきの時に読んでみてください。後半のリストは、それぞれの子どもの興味から入れるように、入り口を工夫したつもりです。
(編集:松浦聖子さん ブックデザイン:中野岳人さん 装画:大高郁子さん)


エンザロ村のかまど(たくさんのふしぎ)

「たくさんのふしぎ」という、小学校中学年向けのノンフィクション月刊絵本の2004年2月号です。ケニアの小さな村エンザロと岩手県の遠野を結ぶノンフィクション絵物語です。沢田さんが実際に現地を見てから絵を描いてくださったので、風景も、人々の物腰も身振りもリアルで生き生きしています。背景を詳しく知りたい方は、「こどもの本」に載せたエッセイを見てください。
(編集:福井恵樹さん)


みんなちきゅうのなかまたち


なまくらトック


がちょうのペチューニア


ながすねふとはらがんりき


ついでにペロリ


ペチューニアごようじん


だめといわれてひっこむな


ヴァイノと白鳥ひめ


ペチューニアのだいりょこう


さくまゆみこ文 斎藤隆夫画『クモのつな』(こどものとも)

クモのつな〜西アフリカ・シエラレオネの昔話

シエラレオネの昔話を絵本にしました。日照りになってみんなが困っているのに、クモだけは元気です。不思議に思ったノウサギがクモにきいてみると、クモはどこに食べ物があるかを内緒で教えてくれます。ところがノウサギがほかのみんなにも教えてしまったので、さあ大変。ユーモラスなお話です。


ヤノッシュ『くまのサーカス ザンパーノ』さくまゆみこ訳

くまのサーカス ザンパーノ

ドイツの絵本。私は1975年の夏にミュンヘンでヤノッシュに会って、インタビューしたことがあります。それで、この絵本を知って訳そうと思いました。
熊使いのザンパーノおじさんは、恐ろしい熊にさまざまな芸当をさせて、自分の方が強いところをみんなに見せていました。ところがある日ハエがぶんぶん飛んできて、熊は手をぐるぐる振り回し、熊をつないでいた綱を持っていたおじさんは宙にういてしまいます。そのまま綱が切れて、おじさんは・・・人間社会を批判的に見ていたヤノッシュらしい絵本です。


アンティエ・フォーゲル『小さな庭師のための大きな本』さくまゆみこ訳

小さな庭師のための大きな本

ドイツの実用的な絵本。アボカド、ラディッシュ、ミニトマト、ハーブ、パイナップル、桃などおいしいものや、お誕生日の木など記念になるもの、そして四つ葉のクローバーなどプレゼントにできるものを、鉢植えや地植えで楽しむための実用的な絵本です。食べた後の残りの部分で楽しもうというページもあります。


ヴィエラ・プロヴァズニコヴァー文  ヨゼフ・ラダ絵『森と牧場のものがたり』さくまゆみこ訳

森と牧場のものがたり

私はラダの絵が大好きです。ゆかいなラダの絵を使って、動物たちの物語が展開する絵物語です。


ユッタ・クルツ『小さなコックさんのための大きな本』さくまゆみこ訳

小さなコックさんのための大きな本

子どものためのお料理の本。卵、肉、ソーセージ、じゃがいもとスパゲッティ、トースト、サラダ、お菓子に別れていて、楽しい絵がついています。どれも作ってみましたが、おいしかったですよ。


ウィルソン文 市川里美絵『メリークリスマス』さくまゆみこ訳 冨山房

メリークリスマス〜世界の子どものクリスマス

イギリスの絵本。市川里美さんの絵がとっても楽しいクリスマス絵本です。最初にクリスマスとはどういうものか、という由来のお話があり、続いて、イギリス、アメリカ、ドイツ、オランダ、ポーランド、チェコ、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、ソ連、フランス、イタリア、ギリシア、メキシコ、インド、日本、オーストラリアでは、どんなふうにクリスマスのお祝いが行われているかを紹介しています。「きよしこのよる」「ひいらぎかざろう」などのクリスマスキャロルや、クリスマス飾りやショウガクッキーなどの作り方も載っています。
この絵本は、よんどころない事情があって、ひとりで編集と翻訳をおこないました。これ以降、やっぱりひとり二役はしないほうがいいと考え、どちらかに徹することにしています。
(編集:作間由美子)


ミラ・ギンズバーグ文 アルエーゴ&デューイ絵『そらにかえれたおひさま』さくまゆみこ訳

そらにかえれたおひさま

アメリカの絵本。大きな雲が空をおおって、三日間もお日さまが見えなくなってしまいます。さあ、たいへん。ひよこたちは、お日さまをさがして旅に出ることにしました。


アロナ・フランケル『すやすやおやすみ』さくまゆみこ訳

すやすやおやすみ

イスラエルの絵本。幼い子どもの眠りがテーマです。「まあくんは、どこで ねむるの? いぬごやの なかかな?」「いいえ、いぬごやの なかで ねむるのは、いぬさん」と、なんとなくユーモラスな言葉が続きます。おもしろいのは、まあくんは夢のカードを持っていて、見たい夢のカードを枕の下に入れておくというところ。悪い夢を見そうなときは、悪い夢を見ないための魔法のカードも持っているのです。


アロナ・フランケル『うんちがぽとん』さくまゆみこ訳

うんちがぽとん

イスラエルの絵本。シリーズの中では、これだけまだ現役です。おむつにバイバイすることがテーマです。まあくんはある日、お母さんからプレゼントをもらいました。箱をあけてみると、そこには、おまるが入っていました。日本のおまるとはちょっと違う形ですが、トイレトレーニングはどこも同じようですね。ちゃんとおまるにウンチができたときの、まあくんの喜びが伝わってきます。


アロナ・フランケル『ことりのいのち』さくまゆみこ訳

ことりのいのち

生と死をテーマにした絵本です。死んだ小鳥を見つけた男の子が、お母さんと一緒にそっとバラの木の下に埋めます。するとある日、バラの花の間から小さな声が聞こえてきたので、のぞいてみると、小鳥の巣があってその中に三羽の赤ちゃんが・・・


アロナ・フランケル『ぱくぱくぺろり』さくまゆみこ訳

ぱくぱくぺろり

食べ物をテーマにした絵本です。好き嫌いしないでなんでも食べようね、いろいろなものを食べると、それが体の栄養になってどんどん大きくなれるからね、と語りかけています。


アロナ・フランケル『ぞうのまあくん』さくまゆみこ訳

ぞうのまあくん

イスラエルの絵本。下の子が生まれたときの上の子の葛藤をテーマにした絵本です。ゾウの一家が登場します。赤ちゃんは自分では何もできないので、お父さんもお母さんも赤ちゃんの世話で大忙し。まだ小さいお兄ちゃんのまあくんは、ちっともおもしろくないので、赤ちゃん返りをしたり、文句を言ったりします。最後はお父さんとお母さんが、まあくんの気持ちもわかってくれるので、ホッと安心できます。


人間

環境について考えるイギリスのノンフィクション絵本。著者は動物園や大英博物館に勤務したあと、BBCで科学番組の制作をしていた人です。世界のあちこちで生きている人間が、環境破壊や環境汚染のせいで、危機に瀕していることを伝えています。私たちに今何ができるか、という情報も入っています。


野生生物

環境について考えるイギリスのノンフィクション絵本。著者は動物園や大英博物館に勤務したあと、BBCで科学番組の制作をしていた人です。環境破壊、環境汚染などで絶滅してしまう生物やについて述べたあと、それを食い止めようとする試みも紹介しています。


ちきゅうのえほん『土』さくまゆみこ訳

環境について考えるイギリスのノンフィクション絵本。著者は動物園や大英博物館に勤務したあと、BBCで科学番組の制作をしていた人です。土はどんなふうにつくられているのか、ダムの害、農薬や化学肥料の害、土地の砂漠化を防ぐ方法などについて述べられています。巻末に用語解説がついています。


ちきゅうのえほん『水』さくまゆみこ訳

環境について考えるイギリスのノンフィクション絵本。著者は動物園や大英博物館に勤務したあと、BBCで科学番組の制作をしていた人です。水道の水はどんなふうにできているのか、水はどんなふうに循環しているのか、なぜ水が汚染されてしまうのか、海が汚染されてしまうのか、魚の乱獲の問題、水をじょうずに使うためにはどうすればいいのか、私たちには何ができるのか、などを伝えています。


ちきゅうのえほん『森林』さくまゆみこ訳

森林

環境について考えるイギリスのノンフィクション絵本。著者は動物園や大英博物館に勤務したあと、BBCで科学番組の制作をしていた人です。森林の構造、木のいのち、木はどんなふうに役立っているのか、破壊される熱帯林、森林を破壊するとどうなるのか、森林を守るためにはどうすればいいのか、私たちにできること、などを伝えています。


ちきゅうのえほん『空気』さくまゆみこ訳

空気

イギリスの環境について考えるノンフィクション絵本。著者は動物園や大英博物館に勤務したあと、BBCで科学番組の制作をしていた人です。空気とは何か、大気汚染はいるから始まったのか、排気ガスによる汚染、地球温暖化について、破壊されるオゾン層、酸性雨、原発の危険性、大気汚染をはかる方法などについて伝えています。


マリー・アニエス・ゴドラ文 ティエリー・クルタン絵『はじめてのABCのえほん』さくまゆみこ訳

はじめてのABCのえほん

アルファベットについてのフランスの絵本。「おおきな A、あしを ひらいて たっている」「ちいさな a、まあるい まどが あいてるよ」というふうに、AaからZzまでを紹介しています。


フランソワーズ・オードリー=イルジック文 ティエリー・クルタン絵『はじめてのかずのえほん』さくまゆみこ訳

はじめてのかずのえほん

数についてのフランスの絵本。0から10までの数字を紹介し、日常のくらしの中で、それぞれの数を楽しんでいきます。


ジュリアス・レスター文 ジェリー・ピンクニー絵『おしゃれなサムとバターになったトラ』さくまゆみこ訳

おしゃれなサムとバターになったトラ

アメリカの絵本。『ちびくろさんぼ』に違和感を持っていたアフリカ系作家のジュリアス・レスターとアフリカ系画家のジェリー・ピンクニーが作った絵本です。お話のおもしろさはそのままに、アフリカ系の子どもたちが誇りを持てるように考えられています。ピンクニーも、そのような点を意識して絵を描いています。


ユリ・シュルヴィッツ『ゆき』さくまゆみこ訳

ゆき

アメリカの絵本。男の子がいちはやく雪が降っているのを見つけますが、大人は大したことがないと取り合いません。でも、そのうち町はいちめんの雪景色に。マザーグースやハンプティダンプティも飛び出してきます。シュルヴィッツの絵本論を読んでいたので、翻訳したいと思った一冊です。子どもにアピールする楽しいところと、大人にアピールするスパイス入りのところが重層的に存在して、含蓄のある絵本。雪国の友だちが、「ほんとにこうなのよねえ」と言ってくれてます。
(装丁:辻村益朗さん 編集:山浦真一さん)

*日本絵本賞翻訳絵本賞受賞。SLA「よい絵本」選定。


レイモンド・ブリッグズ『サンタのなつやすみ』さくまゆみこ訳

サンタのなつやすみ

イギリスの絵本。サンタは夏には何をしているのかな? 以前ほかの出版社で出ていて絶版になっていたのを、山浦さんが探し出してきて出し直すことになりました。以前のは少し訳も違っていたので、全く新たに訳し直しました。『さむがりやのサンタ』の続編です。原著では、このサンタさんはイギリスの労働者階級の言葉を話しているんですよ。サンタがフランスに出かけたり、そりをキャンピングカーに改造したり、プールサイドでのんびりしたり・・・大人が読んでも楽しめます。
(編集:山浦真一さん)


レイモンド・ブリッグズ『風が吹くとき』さくまゆみこ訳

風が吹くとき

これは、もともとイギリスで1982年に出版された作品で、日本語訳は以前別の出版社で出ていましたが、今回翻訳をし直してあらたに出版することになりました。出版当時から、漫画のコマ割りの手法を使ってシリアスな問題を描いた、絵本の常識をくつがえす作品として、大きな評判を呼んだ作品です。それから15年以上たった今、ソ連は崩壊し、米ソ2大国が国際政治を大きく左右していた時代は去って、世界の情勢はもっと複雑になってきているように思えます。しかし、最近のインドやパキスタンの核実験で明らかになったように、核兵器をパワーゲームの切り札とみなす風潮はまだまだ盛んです。そういう意味では、核戦争の脅威は去ったわけではありません。まだ、核は使用しなくても、ジムやヒルダのようなふつうの人たちが犠牲になる戦争は、世界各地で多発しています。レイモンド・ブリッグズがこの絵本で描こうとした状況は、表向きの形は変わっても、今でも存在しているのです。この絵本が、親子いっしょに、もう一度核の問題、そして戦争の問題を考えるきっかけになってくれれば幸いです。
(編集:山浦真一さん)


モーリス・プレジャー『ねずみのモーリー』さくまゆみこ訳

ねずみのモーリー

イギリスの仕掛け絵本。小さなカヤネズミのモーリーは、新しいおうちにしようとあっちこっちを探しますが、いいと思ったところには、みんなほかの生き物がすんでいます。どの見開きにも仕掛けがあって、何よりとっても絵がきれいです。共同出版だととかく印刷や製本が心配ですが、これはとてもていねいに作られていました。
(編集:林千里さん)


モーリス・プレジャー『こうさぎビリー』さくまゆみこ訳

こうさぎビリー

イギリスの仕掛け絵本。元気なこうさぎのビリーが、ちょうちょをさがして、あっちこっちをさがしまわります。どの見開きにも仕掛けがあって、何よりとっても絵がきれいです。共同出版だととかく印刷や製本が心配ですが、これはとてもていねいに作られていました。
(編集:林千里さん)


ワンダ・ガアグ『スニッピーとスナッピー』さくまゆみこ訳

スニッピーとスナッピー

アメリカの絵本。2匹の子ネズミ(スニッピーとスナッピー)が毛糸玉で遊んでいると、その玉が転がってしまい、2匹は追いかけていきます。その先には、大冒険が。この絵本は、以前渡辺茂男さんの訳で他の出版社から出ていました。私は編集者として翻訳者である渡辺茂男さんと出会い、渡辺さんに誘われて、ミネソタ大学のカーラン・コレクション(絵本原画のコレクション)や、ガアグの暮らしていた家を見に行ったことがあります。福本友美子さん、広松由希子さん、竹迫祐子さん、白井澄子さん、谷口由美子さんたちと一緒の、とても楽しい旅でした。そんな渡辺さんが訳されたものを新たに訳すことになり、とても緊張しました。既訳を見たら左右されてしまうと思って、敢えてまったく見ないで訳しました。
(装丁:田辺卓さん 編集:山浦真一さん)


ウェンディ・ハートマン文 ニコラース・マリッツ絵『ひとつ、アフリカにのぼるたいよう』さくまゆみこ訳

ひとつ、アフリカにのぼるたいよう

南アフリカのユニークな数え歌の絵本。1は太陽、2から10まではサバンナの動物、そして太陽が沈んで月が出ます。それからまた10、9、8……と数が下がっていき、最後にまたアフリカの太陽が登場します。
(編集:飯田静さん)

エネルギーのかたまりみたいなマリッツの作品はほかに、『ぼくのアフリカ』という絵本があります。そちらは冨山房の編集者だったとき、渡辺茂夫さんに訳していただいて、私が編集した本です。


イフェオマ・オニェフル『おばあちゃんにおみやげを:アフリカの数のお話』さくまゆみこ訳

おばあちゃんにおみやげを〜アフリカの数のお話

ナイジェリアの文化を伝える写真絵本。数の絵本にもなっています。著者はナイジェリアで生まれ育った女性フォトグラファー。アフリカというと「動物がたくさんいる」とか「貧しい」とか「内戦でたいへん」というイメージばかりが伝わっていますが、広いアフリカ大陸には元気な子どももたくさんいます。これは、そんな元気な男の子がおばあちゃんの家に遊びにいきます。西アフリカ・ナイジェリアの人々の日常生活を生き生きと伝える数の絵本です。
(編集:西野谷敬子さん)


エズラ・ジャック・キーツ&パット・シェール『ぼくのいぬがまいごです!』さくまゆみこ訳

ぼくのいぬがまいごです

アメリカの絵本。プエルトリコからニューヨークにやってきたばかりの少年ホワニートが、いなくなった犬をさがして、街に出ていきます。ホワニートは英語が話せません。でも、肌の色もまちまちな、様々な子どもたちが手を差し伸べ、犬をさがすのを手伝ってくれます。もともとはスペイン語と英語のバイリンガル絵本でした。キーツがどの部分をどこまで担当したのか、調べたけどわかりませんでした。
(編集:星野博美さん)


クレア・ターレー・ニューベリー『サリーとライオン』さくまゆみこ訳

サリーとライオン

アメリカの絵本。小さな女の子のサリーの親友は、なんと本物のライオンのハーバート! でも、ハーバートはやがて大きくなってみんなが怖がるようになり、山の牧場に連れて行かれてしまいます。ハーバートとサリーの友情の深さを思い知った両親の決心がすてきです。ニューベリーのデビュー作。90年近くも前の作品とは思えない斬新なデザインの絵が魅力です。よけいな情報かもしれませんが、ニューベリー賞のジョン・ニューベリーはイギリス人で18世紀の人。こっちのニューベリーは20世紀のアメリカ女性で「猫の画家」として有名になった人です。
(装丁:桂川潤さん 編集:轟雅彦さん 鈴木真紀さん)


ジョン・ラングスタッフ文 ロジャンコフスキー絵『おおきなのはら』さくまゆみこ訳

おおきなのはら

アメリカの絵本。野原にいるいろいろな動物たちが登場してきます。数の絵本にもなっています。光村さんで絵本を出し始めるというので、いろいろ相談した中から生まれてきた絵本です。オリジナル版は1957年。2色刷の見開きと4色刷の見開きが交互にあらわれます。ロジャンコフスキーの絵がすばらしい! 動物や鳥のお母さんと子どものやりとりが楽しいし、見返しがまたとってもいいですよ。
(装丁:桂川潤さん 編集:轟雅彦さん 鈴木真紀さん)


ケイト・バンクス文 ゲオルク・ハレンスレーベン絵『おつきさまはきっと』さくまゆみこ訳

おつきさまはきっと

おやすみなさいの絵本。ホーンブックの書評でピンときて取り寄せてもらいました。その後ホーンブックで最優秀絵本に選ばれたので、わたしの目も節穴ではなかったと自慢してます。窓→お月様→世界という広がりがあります。力強い絵を描くこの画家には注目!
(編集:鳴瀬奈美子さん)

*「ニューヨークタイムズ」最優秀絵本選定、ホーンブック賞受賞


ジョン・ラングスタッフ文 ロジャンコフスキー絵『かえるだんなのけっこんしき』さくまゆみこ訳

かえるだんなの けっこんしき

アメリカの絵本。1956年にコルデコット賞を受賞した作品です。もとになっているのは有名な物語唄(もともとは400年前のスコットランドの唄のようです)で、ボブ・ディランやピート・シーガーも録音しています。コルデコット賞の絵本は、日本でもたいてい翻訳されているのですが、これは、韻を踏んでいる唄なので翻訳が難しいため、これまで出ていなかったのだと思います。ロジャンコフスキーはいいですよ。
(装丁:桂川潤さん 編集:鈴木真紀さん)

*コルデコット賞受賞、産経児童出版文化賞受賞


カレン・ヘス文 ジョン・J・ミュース絵『ふれ、ふれ、あめ!』さくまゆみこ訳

ふれ、ふれ、あめ

ニューベリー賞を受賞したヘスの詩的な文章と、緑と光と熱気と雨の表現がすばらしいミュースの絵。暑い暑い夏にぴったりの絵本です。恵みと豊かさをもたらす雨が降ってみんなの気持ちがほどけ、さまざまな肌の色の家族がみんな笑顔になっていく様子がよく表現されています。
(装丁:鈴木康彦さん 編集:河本祐里さん)


イフェオマ・オニェフル『AはアフリカのA:アルファベットでたどるアフリカのくらし』さくまゆみこ訳

AはアフリカのA〜アルファベットでたどるアフリカのくらし

「AはアフリカのA アフリカ大陸には、たくさんの国があって、おおぜいの人がくらしています。着ているものや、話すことばはちがっても、アフリカ大陸は、みんなのふるさとです」「BはビーズのB 女の子は、頭や耳や首をビーズでかざります。・・・」「CはカヌーのC カヌーは、魚をとったり、売るものを市場にはこんだりするのに、つかわれます・・・」AからZまでの文字の一つ一つと共に、アフリカの文化のさまざまな側面が紹介されていきます。作者は、西アフリカのナイジェリア生まれの女性フォトグラファーです。
(編集:西野谷敬子さん)

*産経児童出版文化賞推薦


e.e.カミングズ文 クリス・ラシュカ絵『クリスマスのちいさな木』さくまゆみこ訳

クリスマスのちいさな木

クリスマスの絵本。e.e.カミングズのクリスマスの詩をもとにしています。森の中の小さな木が、都会に出てクリスマス・ツリーになる夢を見ていると、ある日、その夢がかなって、小さな家の小さな家族にクリスマス・ツリーとして迎えられます。ラシュカの独特な絵が、あたたかい雰囲気をかもしだしています。
(装丁:桂川潤さん 編集:鈴木真紀さん)


レベッカ・ボンド『あかちゃんのゆりかご』さくまゆみこ訳

あかちゃんのゆりかご

 赤ちゃんが生まれてくるのを知って大喜びの家族。お父さんは、海で静かに揺れる船や、巣の中で静かに揺れる小鳥たちのことを考えながら、ゆりかごをつくります。おじいちゃんは、同じ地球に暮らすほかの動物たちのことを考えながら、ゆりかごに魚や動物の絵を描きます。おばあちゃんは、家族や親戚のことを一人一人思い出しながら、端切れを縫ってベッドカバーを作ります。お兄ちゃんは、早くいっしょに遊びたいなと思いながら、ベッドにつけるモビールをつくります。そして、お母さんはそのゆりかごを、窓辺に持って行って「そとを みながら、やわらかな つきのひかりや すがすがしい あさひのことを かんがえました。よぞらのほしや ひんやりした よるのくうきのことも かんがえました」。
 やがて生まれてきた赤ちゃんが大泣きしても、だいじょうぶ。家族のそれぞれが思いをこめながら完成させたゆりかごに寝かせると、赤ちゃんは安心して、すやすや眠るのです。どの見開きにも、黒い犬が登場しています。犬も見守っているのですね。
(装丁:渋川育由さん 編集:和田知子さん)


おかあさんともりへ

舞台はアフリカ。ヒヒの赤ちゃんが、お母さんと一緒に森に出かけ、いろいろな動物と出会います。そしてヒヒの赤ちゃんは、この世界がさまざまな特徴をもっていることを知るのです。『おつきさまはきっと』で好評のハレンスレーベンの絵本。
(装丁:田中久子さん 編集:塩見亮さん)


サバンナのともだち

アフリカのサバンナでジョゼフ少年と金色のたてがみのライオンが友だちになります。けれどジョゼフはライオンをお父さんが商人に売り渡すのではないかと心配に。 広いサバンナと星空と、村の風景が美しく表現されています。
(装丁:渋川育由さん 編集:鈴木真紀さん)


ジェイムズ・マーシャル文 モーリス・センダック絵『おいしそうなバレエ』さくまゆみこ訳

おいしそうなバレエ

さえないオオカミがブタの街に迷いこみました。見ると劇場があって、看板には、おいしそうなころころ太ったブタが! しめしめ、とオオカミは劇場に入っていきますが、見ているうちにバレエの素晴らしさにすっかり魅せられてしまいます。親友だったマーシャル亡きあと、残された原稿にセンダックが絵を描きました。とにかく笑えるし、二人の友情にもホロリとさせられます。
(装丁&描き文字:森枝雄司さん 編集:米田佳代子さん)

*SLA「よい絵本」選定


バーバラ・クーニー絵『北の魔女ロウヒ』さくまゆみこ訳

北の魔女ロウヒ

フィンランドに伝わる民族叙事詩カレワラを下敷きにした絵本です。東京の洋書屋さんで見かけて、クーニーの絵にほれこみました。文章は、クーニーの絵を見ながら、カレワラを参考にして書き直しました。ロウヒが太陽を山の奥深くに閉じ込めたため、あたりは真っ暗に。また太陽が空に上がるまでの、天照大神の話にも似た物語です。とにかく絵がすてき。
(装丁:桂川潤さん 編集:山浦真一さん)


ロイス・レンスキー『いまはあき』さくまゆみこ訳

いまはあき

風に舞う木の葉、落ち葉のじゅうたん、りんごの収穫、木の実拾い、渡り鳥、ハロウィーン……レンスキーが秋の楽しさを描いたかわいい絵本です。サイズも、持ち歩きにちょうどいい大きさ(148ミリX 126ミリ)。もう何年も前にアメリカに行ったときに見つけた絵本です。
(装丁:桂川潤さん 編集:山浦真一さん、草野浩子さん)


ロイス・レンスキー『ふゆがすき』さくまゆみこ訳

ふゆがすき

そりすべり、雪だるまに雪合戦、アイススケート、クリスマスとサンタクロース、バレンタイン……と、寒いけど冬は楽しい季節。「ふゆが すき。ゆきが すき。つめたい かぜも なんのその。ひらひら ゆきが まいおりて あたり いちめん ぎんせかい」歌の楽譜もついています。
(装丁:桂川潤さん 編集:山浦真一さん、草野浩子さん)


ポージー・シモンズ『せかいいちゆうかんなうさぎラベンダー』さくまゆみこ訳

せかいいちゆうかんなうさぎラベンダー

ラベンダーは内気でおとなしい慎重派。お兄さんやお姉さんが危なっかしい遊びをするので、いつもハラハラしています。ピザやドーナツが好きな町のキツネが遊びにやってきても、用心して近寄りません。「よわむし!」「おくびょうもの!」と言われたラベンダーが、どうやって世界一勇敢なウサギと言われるようになったのか……まあ、読んでみてください。
(装丁:桂川潤さん 編集:山浦真一さん)


ジョン・ウォレス文 ハリー・ホース絵『なんだってしてあげるよ』さくまゆみこ訳

なんだってしてあげるよ

小さなクマのチャーリーと大きなクマのジンジャーが登場する愛の物語。原書では両方ともheですが、この2匹はどういう関係なのでしょう。お父さんと息子? それともおじいちゃんと孫かな? それとも年の離れた友だち? もしかするとチャーリーはみなしご? いろいろに想像できます。おやすみなさいの絵本でもあります。
(装丁:田辺卓さん 編集:山浦真一さん)


オスカーとフー

オランダ生まれのアニメーション作家とフランス生まれのテレビ番組制作者がつくった絵本。砂漠で迷子になった男の子オスカーが小さな雲フーと出会って、友情をはぐくむ物語。この夏、来日した二人に会いました。とてもいい人たちでした。(編集:竹下純子さん)


いのり〜聖なる場所

ノンフィクション絵本。イスタンブールのブルーモスク、ガンジス川の水あび場、フランスのシャルトル大聖堂・・・世界各地にある28箇所の「聖なる場所」を精巧なペーパークラフトで再現した美しい絵本です。キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンズー教について、そして祈りについて、宗教にまつわるさまざまなことを考えさせてくれます。
(装丁:桂川潤さん 編集:鈴木真紀さん)


オスカーとフー いつまでも

2004年に出た『オスカーとフー』の続編です。少年オスカーについてきた雲のフーが、ホームシックになります。オスカーは自分の夢の中にフーを連れていき、そこでフーは雲の家族と再会します。誰かの夢の中に入るって、『トムは真夜中の庭で』みたいですね。色がきれいです。
(編集:吉村弘幸さん)


ゆきがふったら

『あかちゃんのゆりかご』の作者による新しい作品です。雪が降って除雪車が大きな山をつくったのを見て、子どもたちは大喜び。その雪の山にトンネルを掘り、滑り台や地下室もつくり…。作者自身の子ども時代の体験を描いた絵本で、楽しさが伝わってきます。(装丁:渋川育由さん 編集:和田知子さん)


ロイス・レンスキー『はるがきた』さくまゆみこ訳

はるがきた

「はなの かおりを はこぶ かぜ。あっちも こっちも はるの いろ。」レンスキーの四季の絵本の春バージョン。春の風にのって、小鳥や子どもたちの歌が聞こえてくるような、春色の絵本です。もともとのオリジナルは1945年刊。その頃は、花粉症もなかったんですよね。
(装丁:桂川潤さん 編集:山浦真一さん+草野浩子さん)


アンソニー・ブラウン『かわっちゃうの?』さくまゆみこ訳

かわっちゃうの?

イギリスの絵本。「これからは、いろんなことがかわるんだよ」とお父さんがジョーゼフに言い置いて出かけていきます。一体、何が変わるの? どんなふうに変わるの? 自分の下に赤ちゃんが生まれることになった男の子の不安をこれほど見事に描いた絵本はないと、私は思っています。ページを追うごとに何かが変わっていきますが、何が変わっていくのかを発見する楽しみもあります。アンソニー・ブラウンの作品にしては、人間もリアルに描けています。ゴリラの絵はもちろん秀逸です。
私はこの表紙ではなく、もっと魅力的なペーパーバックの表紙を日本語版では使ってほしいとお願いしたのですが、なぜかハードカバーの原書の表紙がそのまま使われてしまっていました。
(編集:吉村弘幸さん)


ロイス・レンスキー『たのしいなつ』さくまゆみこ訳

たのしいなつ

レンスキーの四季の絵本は、この巻で4冊(ほかに『はるがきた』『いまはあき』『ふゆがすき』)そろいました。ままごと、探検ごっご、汽車ごっこ、プール遊びなど、夏のあいだの子どもたちの遊びが楽しく紹介されています。歌もついていますよ。
(編集:山浦真一さん、草野浩子さん 装丁:桂川潤さん)


ローズマリー・ウェルズ『マックスとたんじょうびケーキ』さくまゆみこ訳

マックスとたんじょうびケーキ

アメリカの絵本。うさぎの姉弟ルビーとマックスが活躍します。おばあちゃんのお誕生日にあげるケーキをつくっているルビーは、弟が邪魔ばかりするのでキッチンから閉め出してしまいます。でも弟のマックスは、とってもすてきなケーキを自分でもつくるのです。二つのケーキをもらったおばあちゃんの反応がすばらしい!
(装丁・描き文字:森枝雄司さん 編集:鈴木真紀さん)


ウォン・ディ・ペイ他『ほーら・これでいい!:リベリア民話』さくまゆみこ訳

ほーら、これでいい〜リベリア民話

アフリカの昔話絵本。西アフリカのリベリア北部にくらすダンの人々に昔から伝わる物語。ばらばらに存在していた頭、腕、足、胴体が出会い、合体していく愉快なストーリーを通して、社会の中でもひとりひとりが大事なのだということを子どもたちに教えていたそうです。アートンのアフリカ絵本シリーズ4作目。
(装丁:長友啓典さん+徐仁珠さん 編集:細江幸世さん+佐川祥子さん+米倉ミチルさん)

◆◆◆

<訳者あとがき>

西アフリカにあるリベリアは、解放された奴隷の人たちがつくった国です。つまり、アメリカに連れていかれて奴隷として働かされていた人たちが解放後アフリカにもどって19世紀にリベリアという国をつくったのです。リベリアという名前も「自由の国」という意味です。しかし、1980年代からリベリアでは政治が不安定になり、内戦が始まり、多くの人が亡くなったり、難民になったりしました。またこの内戦は、子どもの兵士が大勢使われたことでも知られています。

今は、民主的選挙で選ばれたアフリカ初の女性大統領エレン・ジョンソン=サーリーフさんが国の立て直しや学校教育に力を注いだ結果、外国に逃げていた難民たちも戻り、平和な日々がふたたび訪れようとしています。ただし内戦で荒れ果てた国土や経済をもとにもどすには、まだまだ時間がかかるようです。

この絵本の文章を書いたウォン=ディ・ペイさんは、リベリア北東部のタビタに暮らす語り部の一家に生まれました。ダンの人々に伝わる物語は、おばあさんから教わったそうですが、それだけでなく太鼓をたたいたり、楽器をつくったり、踊ったり、仮面をつくったり、木彫りをしたり、布を染めたり、壁に絵を描いたりすることなども家族から学びました。

今ペイさんはアメリカに住んで、絵本をつくるだけでなく、主に子どもたちのために楽器を演奏しながらリベリアの昔話を語ったり、リベリアのダンスを教えたり、仮面ダンスの公演を行ったりしています。

物語の中にサクラが出て来ます。サクラというと日本の木というイメージが強いかもしれませんが、リベリアの熱帯雨林には野生のサクラの木がたくさん生えていると、ペイさんが教えてくださいました。野生のサクラだと、サクランボも日本のお店で売っているのよりは小さくてかわいい実なのでしょうね(後で調べてみると、アフリカのチェリーは、日本のとまた少しちがうようです)。

この絵本の絵は、ガーナのファンティの人々の間に伝わる「アサフォの旗」からインスピレーションを得て描かれたといいます。アサフォというのは民兵という意味で、地域を守る組織ですが、それぞれの組織が独特の絵柄をアップリケや刺繍で表現した旗を持っているのです。そのデザインや色がおもしろいので、「アサフォの旗」は、今は美術工芸品としても評価されています。

さくまゆみこ


E.B.ホワイト『いつだってそばに』さくまゆみこ訳

いつだってそばに〜Wit & Wisdom from シャーロットのおくりもの

『シャーロットのおくりもの』の中から、おもしろい言葉と絵を選んで1冊にまとめた本です。シャーロットの人間観察、テンプルトンの生き方、農場の四季の移り変わりや、納屋のようすなどが、こうして読んでみると、あらためて心に残ります。
(装丁:森枝雄司さん 編集:猪八重みち子さん)


映画版シャーロットのおくりもの

映画『シャーロットのおくりもの』の脚本をもとにした絵本です。出版社に依頼されて徹夜で訳しました。映画を楽しんでくれた人は、この絵本を経てから、最終的には原作を読んでもらいたいと思っています。じつは映画の字幕は、著作権の関係で原作本とは違う言葉が使ってあります。この絵本は、字幕に沿って訳してあります。
(装丁:田辺卓さん 編集:山浦真一さん)


ジーニー・ベイカー『ひみつのもり』さくまゆみこ訳

ひみつのもり

海の中に存在する神秘的な森を、美しいコラージュで表現しました。最初は小さな魚の死など気にしなかった少年が、その森の神秘にふれることによって、変わっていきます。海辺や海の中の表現がとてもすてきです。

ジーニー・ベイカーは、イギリスに生まれますが、オーストラリアに移住してから自然や環境問題をテーマに、精巧なコラージュを使った絵本をたくさん出しています。どれも、私は大好きです。最近の作品は、環境だけでなく社会全体に目を向けて作品をつくっているように思います。
(装丁:則武 弥さん 編集:相馬 徹さん)

オーストラリア原生自然保護協会賞受賞


イフェオマ・オニェフル『おとうとは青がすき:アフリカの色のお話』さくまゆみこ訳

おとうとは青がすき〜アフリカの色のお話

写真絵本。赤は大おじさんの帽子の色、緑はヤシの葉っぱの色、金色はお母さんのネックレスの色…..。お姉さんのンネカが、「青がすき」という小さな弟のチディに、ほかにもすてきな色があるんだよ、と教えてあげます。ページをめくるたびに鮮やかな色が目に飛びこんできて、楽しみながらアフリカの文化に親しむことができます。ナイジェリア出身の著者がアフリカの暮らしや文化を楽しく伝える写真絵本シリーズの1冊。
(編集:和田知子さん)

 

 


ジョン・キラカ『いちばんのなかよし:タンザニアのおはなし』さくまゆみこ訳

いちばんのなかよし〜タンザニアのおはなし

タンザニアのティンガティンガ派の画家による、楽しい絵本です。親友だったゾウとネズミ(ずいぶんと体の大きさが違うのに!)が、とっても愉快な絵を通して、本当の友情について教えてくれます。ボローニャ国際児童図書展ラガッツィ賞受賞作品。(装丁:長友啓典さん+徐仁珠さん 編集:細江幸世さん+佐川祥子さん)

ボローニャ国際児童図書展ラガッツィ賞受賞

◆◆◆

<訳者あとがき>

ボローニャ国際児童図書展でラガッツィ賞を受賞したこの絵本は、タンザニアの絵本作家ジョン・キラカが出版した2冊目の絵本です。この独特な趣のあるゆかいな絵は、ティンガティンガ派とよばれるタンザニアの画家たちの流れから生まれました。

この流派の始祖はエドワード・サイディ・ティンガティンガという1932年生まれのユニークな人で、農夫、庭師、八百屋、刺繡屋、ペンキ屋、ミュージシャンなどの仕事をしながら、絵も描いていました。最初は自転車にぬるペンキで、合板に描いていたといいます。タンザニアの動物や自然や人々の暮らしを描くその絵は、しだいに評判になり、観光客にも人気が出て売れるようになったため、ティンガティンガは親戚や友人の若者たちに教えるようになります。こうして画家のグループができたのですが、彼自身は1972年に友人たちと乗っていた車が盗難車とまちがえられて(あるいはティンガティンガが知っていたかどうかは別として、実際に盗難車だったという説もあります)パトカーに追跡され、警官に撃たれて不慮の死をとげました。

しかしティンガティンガの死後も弟子たちは活動をつづけ、今は画家たちがたがいに技をみがきあったり助け合ったりしています。ティンガティンガ派の画家の中には、観光客向けのきまりきった絵を描く人もいますが、この絵本の作者ジョン・キラカのように、豊かな独創性をもって新たな世界を切りひらいていく画家も生まれてきています。

タンザニアだけでなくアフリカ大陸はおもしろい昔話の宝庫で、動物を主人公にした昔話もたくさんあります。人間を主人公にすると、自分の悪口をいっているのではないかと勘ぐる人も出てきます。社会に波風が立つことにもなりかねないので、動物を主人公にして語ることが多いのです。

この物語は、そうした豊かな昔話にもとづいてそこにオリジナルな味わいをつけくわえたものだと思われますが、最初に本にしたのはスイスの出版社でした。私は、キラカさんが書いた英語の文章と、スイスで出版されたドイツ語の文章の両方を参照しながら、日本語に翻訳しました。

この絵本の舞台になっているタンザニアは、東アフリカにあります。赤道が近いので、季節が日本のように四つあるのではなく、雨季と乾季に分かれています。農業は今でも天候に左右される部分が大きく、雨がふるはずの雨季に日照りがつづくと、この絵本にあるように、みんなが食べるものに困るということになります。

絵本の中でバッファローやサイやシマウマが身につけているのは、カンガというきれいな布です。カンガは、巻きスカートにしたり、赤ちゃんをおぶうのに使ったり、テーブルクロスに使われたりと、暮らしの中でさまざまに用いられています。

また21ページには、果物や木の実を入れておくかご、土を焼いてつくるつぼ、ヒョウタンでつくったひしゃくなど生活の道具が描かれていますし、23ページには、板にくぼみを彫って、そこに小石や豆などを入れてあそぶバオとよばれるゲーム盤が描かれています。絵本に登場するのは動物たちですが、タンザニアの人々の暮らしぶりがわかる絵になっているのですね。

さくまゆみこ


ミリアム・モス文 エイドリアン・ケナウェイ絵『アフリカの大きな木バオバブ』さくまゆみこ訳

アフリカの大きな木 バオバブ

ノンフィクション絵本。アフリカの大地にどっしりと根をおろし、空に向かって枝をひろげ、何千年も生きつづけるバオバブ。バオバブという木のふしぎと、サバンナに生きる動物たちの生き生きとした表情が楽しめる科学絵本です。アートンのアフリカの絵本第2弾!
(装丁:長友啓典さん+徐仁珠さん 編集:細江幸世さん+佐川祥子さん+船渡川由夏さん)

◆◆◆

<訳者あとがき>

私が最初にバオバブという木があることを知ったのは、サン=テグジュペリの『星の王子さま』を読んだときでした。バオバブという言葉のひびきがとてもおもしろくて記憶に残ったのですが、同時にこの物語には、バオバブはとても悪い木だと書かれていました。毒気を発してはびこり、しまいには星を破裂させるというのです。だから芽が出ているのを見つけしだいひっこ抜かなければいけないのだ、と。

その後私は、ナイジェリアの北部でバオバブの木を実際に見る機会にめぐまれました。そのときは乾季だったので、バオバブはすっかり葉を落としていました。ちょっと見ただけでは枯れているように見えるのですが、近づいて見ると太い幹からはしっかりとした生命力が感じられ、ふしぎな思いに打たれたものです。

東アフリカに行ったときには、バオバブの繊維でつくったバッグを手に入れ、もっといろいろ知りたくなって調べてみると、バオバブは悪い木であるどころか、とても役に立つすばらあしい木だということがわかってきました。バオバブには年輪がないので樹齢を調べるのはむずかしいのですが、2000年以上生きていると信じられている木もあるようです。この絵本を見ていただけばわかりますが、どっしりと立って、まわりの人間や動物に憩いの場や、子育ての場や、住まいを提供し、食べ物や生活の道具をもたらしてくれる木、それがバオバブだったのです。とくにバオバブの巨樹は、神聖な木とみなされたり、村人たちの集会の場となったりしています。西アフリカのセネガルのように、バオバブを国の木と制定して大事にしている国もあります。

バオバブは世界に10種類以上あって、アフリカ大陸のほかにマダガスカル島やオーストラリアにも自生していますが、この絵本に描かれているのはアフリカ大陸に育つバオバブ(学名でいうとアダンソニア・ディギタータ)です。

さくまゆみこ


マヤ・アンジェロウ文 マーガレット・コートニー=クラーク写真『ぼくはまほうつかい』さくまゆみこ訳

ぼくはまほうつかい

写真絵本。主人公はガーナのアシャンティ地方(アナンシの話で有名なところですよ)にくらす少年コフィ。コフィが日々の暮らしや機織りの仕事や市場のようすなどを案内してくれます。アンジェロウはアフリカ系アメリカ人で有名な詩人で、ガーナで暮らしていたことがあります。アートンのアフリカの絵本第3弾。
文章を書いたマヤ・アンジェロウはアフリカ系アメリカ人の著名な詩人で、ガーナに住んでいたことがあります。写真を撮ったコートニー=クラークはナミビアに生まれたフォトジャーナリストで、「ンデベレ基金」を創設して、南アフリカの女性や子どものアートを支援する活動も行っています。この絵本をつくるにあたっては、ガーナ各地を取材したそうです。
アートンが今はないので、図書館で見てください。
(装丁:長友啓典さん+久万美那子さん 編集:細江幸世さん+佐川祥子さん+堀さやかさん)

◆◆◆

<訳者あとがき>

この絵本の舞台になっているガーナは、金やカカオ(チョコレートやココアの原料)の輸出国として世界的に有名です。日本では、野口英世が黄熱病の研究をした国としても知られています。

ガーナの首都は、南部の大西洋に面したところにあるアクラ。第二の都市はアシャンティ地方にあるクマシ。コフィ君がくらすボンウィレ村は、このクマシから北東に20キロばかり行ったところにあります。ボンウィレは、この絵本にもあるように、ケンテという布の産地としてとても有名な村です。

ケンテは、複雑なデザインをもつ色あざやかな手織りの布で、追われる模様にはどれも意味があると言われています。細く織った布を縫ってつなぎ、大きな布にしていくのですが、手間のかかる豪華な布なので、ガーナの人は、普通は儀式や特別なときに身にまといます。この絵本では、コフィ君が旅に出る時も、海に行く時も誇らしげに胸を張ってケンテを身にまとっていますが、実際は普段着や旅行着ではなく、晴れ着です。また日本だと機織りは伝統的には女性の仕事を思われていますが、ガーナでは男性の織り手のほうがずっと多いようです。

次に「金の腰掛け」の伝説についてご紹介しておきましょう。17世紀にお生・トゥトゥという王様がアシャンティ一帯の小王国をまとめて統一し、ここに大きな王国をつくりました。このとき、空に黄金の腰掛けがどこからともなくあらわれ、オセイ・トゥトゥ王の膝の上に降りてきたという伝説があります。この金の腰掛けはアシャンティ王国のシンボルとなり、新たに即位しようとする王様は、今でも非公開の即位の儀式のときにはその上にすわるそうです。現在のガーナは共和国で王様が治めているわけではありませんが、王様は昔ながらの儀式などをとりおこなっています。

この絵本の表紙で、コフィ君が頭の上にのせているのは、金ならぬ木製の腰掛けです。アシャンティの人たちは、こういう腰掛けにすわってご飯を食べたり、お洗濯をしたり、おしゃべりをしたりするのです。

アフリカの昔話の世界では、「クモのアナンシ」が有名ですが、知恵のまわるいたずら者アナンシも、ガーナのアシャンティ生まれだということをつけ加えておきたいと思います。

最後になりましたが、この絵本を翻訳するにあたっては駐日ガーナ大使のバフォ・アジェバゥワ閣下に貴重なアドバイスをいただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

さくまゆみこ


ユリ・シュルヴィッツ『ねむいねむいおはなし』さくまゆみこ訳

ねむいねむいおはなし

アメリカの絵本。ねむいねむい夜が来て、ベッドの中の男の子もねむくなりました。部屋の中のテーブルや椅子も、壁にかかった絵も、窓のカーテンも、みんなねむそうです。ところが、どこからともなくノリのいい音楽が聞こえてきたから、みんなパッチリ目をさまし……でも最後にはまた眠りの世界へと入っていきます。
(装丁:桂川潤さん 編集:山浦真一さん)


ジャック・フォアマン文 マイケル・フォアマン絵『あ、そ、ぼ』さくまゆみこ訳

あ、そ、ぼ

イギリスの著名な絵本作家マイケル・フォアマンが息子と一緒につくった絵本。息子ジャックは、小さいときにいじめられ、仲間外れにされた体験を詩に書いていました。この絵本はその詩に基づいてつくられています。お父さんがつけた、色の少ない、余白の多い絵が、それだけよけいに多くのことを語ってくれているように思います。
(装丁:田辺卓さん 編集:桑原勝明さん)


レイモンド・ブリッグズ『エセルとアーネスト:ほんとうの物語』さくまゆみこ訳

エセルとアーネスト〜ほんとうの物語

イギリスの絵本。牛乳配達だった父のアーネストと、メイドだった母のエセルとの出会いからはじまり、息子レイモンドの誕生や、第二次世界大戦中の困難な暮らし、そして両親の病と死をドキュメンタリー風に描いています。つましいながら精いっぱい生きた労働者階級の両親と、有名な絵本画家になった息子の間に確かな愛情が通っているのが感じられて、いい絵本だな、としみじみ思います。
(装丁:田辺卓さん 編集:桑原勝明さん)


ディウフ文 エヴァンズ絵『おしゃれがしたいビントゥ』さくまゆみこ訳

おしゃれがしたいビントゥ

アートンのアフリカの絵本シリーズの5作目。西アフリカの女性たちは、みんなおしゃれが大好き、着るものや装飾品だけでなく、ヘアスタイルにもこだわります。主人公の女の子ビントゥは、自分の髪をおしゃれな三つ編みにして、金色のコインやきれいな貝殻をつけたいのですが、おばあちゃんは「まだ早い」と言います。三つ編みをしなくても、すてきな女の子になれるかな? セネガルの村の暮らしが生き生きと描かれています。伝統的なアフリカ社会では、おばあちゃんの言葉に大きな重みがあったこともわかります。
アートンという会社がなくなってしまったので、図書館で見てください。
(装丁:長友啓典さん+徐仁珠さん 編集:細江幸世さん+佐川祥子さん+米倉ミチルさん)

◆◆◆

訳者あとがき

この絵本の舞台は、西アフリカの大西洋に面した国セネガルです。セネガルは、アフリカ大陸の中でも政情が安定している国の一つで、首都ダカールは、パリ・ダカール・ラリーのゴール地点としても有名です。

このあたりには、13世紀から15世紀にかけてマリ王国という国があり、サハラ砂漠を越えてくるラクダの隊商を使って地中海諸国と交易して発展していました。その後、ジョロフ王国などができましたが、1815年にフランスの植民地となり、1960年にフランスから独立しました。初代大統領は、詩人で文学者のレオポルド・セダール・サンゴールですが、サンゴールはまた、ノウサギを主人公にした昔話を子どものために出版しています。

セネガルはイスラム教の人たちが人口の9割以上を占めます。この絵本に出てくる赤ちゃんの名付けの儀式にも、イスラム教のお坊さんが出てきましたね。

またセネガルは、ジェンベなどの太鼓、木琴のようなバラフォン、ヒョウタンに皮を張った弦楽器のコラなどという楽器が国歌にも登場するほど音楽がさかんな国で、昔から音楽と歌を職業とするグリオ(吟遊詩人)が社会で大事な役目を果たしていましたし、ワールド・ミュージックの世界でも、ユッスー・ンドゥールやイスマエル・ローをはじめとするミュージシャンたちが活躍しています。

この絵本の主人公ビントゥは、お姉さんや大人の女の人と同じように、髪を長い三つ編みにしたくてたまりません。アフリカの女性にはおしゃれな人が多いので、ビントゥもおしゃれをしたいのです。この三つ編みは、日本でいうお下げとはちがって、髪の毛をほんの少しずつ手にとって、ぎゅうぎゅう引っ張りながら編んでいくのです。同じ三つ編みでも、無数につくるので、時間もかかります。実際にやってもらった人にきくと、3,4時間はゆうにかかるそうです。カラフルな付け毛を編み込んだり、編んだ髪をおもしろい形に束ねている人もいます。アフリカの多くの国では、美容院や床屋さんの店先に、ヘアスタイルの絵を描いたゆかいな看板が出ていて、それを見て歩くだけでも楽しいものです。

西アフリカの女性はまた、着るものにもこだわります。この絵本に登場する女の人たちも、大胆な柄のカラフルな衣装を着ていますね。スケイエおばあちゃんの青いドレスについているのは、タカラガイのもようです。昔は貨幣としても使われていたタカラガイは豊かさの象徴で、今でも装直品などによく使われています。

さくまゆみこ


イフェオマ・オニェフル『たのしいおまつり:ナイジェリアのクリスマス』さくまゆみこ訳

たのしいおまつり〜ナイジェリアのクリスマス

写真絵本。西アフリカのナイジェリアに住むアファムは、クリスマスを楽しみにしています。でも、ナイジェリアのクリスマスは、日本のクリスマスとはちょっと違います。「モー」という精霊があらわれて、おどりながらあたりを練り歩くし、珍しいごちそうが出てきます。表紙は精一杯クリスマスのおしゃれをした子どもたち。
作者はナイジェリアで生まれ育った女性フォトグラファーです。ナイジェリア人の知人パトリックが、この絵本に出て来るジョロフライスを作ってくれたことがありますが、とてもおいsかったですよ。
(編集:和田知子さん)


クリスチャン・エパンニャ『おじさんのブッシュタクシー』さくまゆみこ訳

おじさんのブッシュタクシー

アフリカの絵本シリーズの6作目。カメルーン人の画家が西アフリカのセネガルに出かけてつくった絵本です。ブッシュタクシーというのは、同じ行き先なら知らない人同士でも乗る小型バスのようなもの。ぼく(セネという男の子です)のおじさんはそのブッシュタクシーの運転手。おじさんは車をいつもきれいにして整備もしているので、乗客もたくさん乗ってきます。セネガル相撲の勝者を乗せてお祭りに行ったり、結婚式に使われたり、時には車の中で赤ちゃんが生まれてしまったり、また時には亡くなった人の棺を載せることも。セネガルの人々の日常生活がていねいに描かれ、熱気とにおいと音が伝わってくる作品です。
アートンという会社がなくなってしまったので、図書館で見てください。
そういえば、私の仕事場にやってきた方がアートンのこのシリーズをまた出したいとおっしゃったことがあります。ISに捕まって殺されてしまった後藤健二さんでした。後藤さんは、子どもたちが多文化を理解することがとても大事だと思っていらっしゃったのだと思います。
(装丁:長友啓典さん+徐仁珠さん 編集:細江幸世さん+佐川祥子さん+堀さやかさん)

 

◆◆◆

<訳者あとがき>

この絵本に登場するブッシュタクシーは、日本のタクシーとはちょっとちがいます。日本のタクシーは、自分一人で、あるいは知り合いがいっしょに乗りますが、アフリカのブッシュタクシーは、知らない人同士もいっしょに乗ります。そういう意味では、小さい乗合バスといってもいいかもしれません。ただし日本の乗合バスとちがって、ブッシュタクシーはほとんどが個人経営です。

ブッシュタクシーには、たいてい行き先表示がないので、運転手さんが「これは○○行きだよ」「△△行きはこっち!」などと大声を出しているのを聞いて乗り込みます。運転手さんが呼ばわっていないときは、ひとつひとつどこ行きかを確かめないといけないので、ちょっとやっかいです。

ブッシュタクシーのなかには、ちゃんと整備されていないので途中で動かなくなってしまったり、スピードを出しすぎて横転したりするのもあるのですが、この絵本のブッシュタクシーは、安全をちゃんと考えていつも整備されているようですね。おじさんの笑顔だけではなく、きちんと手入れや整備がされていることも、大勢のお客さんを獲得できた理由ではないでしょうか。

結婚式の日に花むこさんと花よめさんを載せた場面には、ほめ歌をうたう人が登場します。これは、グリオとかジャリとかジェリとか呼ばれて、語りや歌を職業としている人です。お祝いの時などに、ほめ歌をうたうばかりでなく、本来は民族の歴史や英雄の叙事詩など、いろいろな歌をおぼえていて、頼まれればそれを披露します。もともとアフリカでは文字をもたない民族が多かったので、こういう語り部の人たちが大きな役割を果たしていました。この絵本のグリオの人が持っているのはコラという楽器です。大きな丸いヒョウタンを半分に切って、ヤギの皮や牛の皮を張り、そこにネックや弦をつけています。

セネガルは、イスラム教の人たちが95%を占める国です。この絵本の2ページには丸屋根のモスク(寺院)が描かれているし、15ページにはイスラム教の聖職者マラブー(セネガルではとても大きな権力をもっている偉い人たちです)が登場します。また19ページには中国人の人たちが棺を運ぶ場面もありますが、首都ダカールは国際都市なので中国系の移民の人たちも暮らしているのです。

それからこの絵本には、セネガルずもうの力士たちも登場しますね。セネガルの力士たちは、悪霊から身を守るお守りをつけ、太鼓の音に合わせて踊りながら入場し、試合では相手の背中を土につければ勝ちだそうです。サッカーやバスケットボールなど、外国から輸入されたスポーツもさかんになってきましたが、伝統的なセネガルずもうも、まだまだ根強い人気をもっているようです。

さくまゆみこ


イフェオマ・オニェフル『いっしょにあそぼう:アフリカの子どものあそび』さくまゆみこ訳

いっしょにあそぼう〜アフリカの子どものあそび

写真絵本。アフリカの子どもたちは、どんな遊びをしているのでしょう? この写真絵本にはセネガルやナイジェリアの子どもたちの遊びがたくさん登場します。ゲーム機器は一切登場しませんが、子どもたちはビンのふたや、小石や、植物の種や、ひもや、自分の手足を使って楽しく遊んでいます。あやとりや、ハンカチ落としみたいな遊びもありますよ。作者は、ナイジェリアで生まれ育った女性フォトグラファーです。
(絵:川口澄子さん 編集:和田知子さん)


ニッキ・ジョヴァンニ文 ブライアン・コリアー絵『ローザ』さくまゆみこ訳

ローザ

アメリカのノンフィクション絵本。ローザとは、公民権運動の母とも言われるローザ・パークスのこと。ある日、ローザはバスの中で「白人に席をゆずりなさい」と言われて「ノー」と答えました。それをきっかけに多くの人があきらめるのをやめて立ち上がり、キング牧師たちの公民権運動につながっていきました。文章を書いたニッキ・ジョヴァンニは、ラングストン・ヒューズ賞も受けた女性詩人で、大学教授でもあります。絵を描いたブライアン・コリアーは、現在第一線で活躍するアフリカ系の男性。絵本の中のローザの後ろには金色の光がかがやいていますが、それはコリアーのローザ・パークスへのオマージュです。
いつも日本の子どもにあまりなじみのないテーマの作品を訳すときは、日本の子どもとどこでつながるかを考えます。この絵本は、それまでだまって我慢をしてきたローザが「ノー」と声をあげるところだと思いました。訳もそこに焦点があたるようにしました。
(装丁:則武弥さん 編集:相馬徹さん)

*コレッタ・スコット・キング賞受賞、コルデコット賞銀賞受賞、SLA「よい絵本」選定


ジェシカ・ミザーヴ『ちいさいちゃん』さくまゆみこ訳

ちいさいちゃん

イギリスの絵本。ちいさいちゃんは、何をやってもおおきいちゃんにはかないません。存在はいつもおおきいちゃんの影に隠れてしまっています。ある日、いじわるをされた仕返しに、ちいさいちゃんはとんでもないことをしてしまいます。本気で悲しんでいるおおきいちゃんを見て、ちいさいちゃんはどうしたでしょう?
原書では、SmallとBigというこの二人の登場人物を、私は「ちいさいちゃん」と「おおきいちゃん」というふうに訳しました。
(装丁:藤田知子さん 編集:浜本律子さん)


ウルフ&サヴィッツ文 オドリオゾーラ絵『おはなしのもうふ』さくまゆみこ訳

おはなしのもうふ

イギリスの絵本。「ゆきに おおわれた やまの おくに、ちいさな むらが ありました。このむらの こどもたちは、おおきな《おはなしのもうふ》に こしを おろして、ザラおばあちゃんの おはなしを きくのが だいすきでした。」
ザラおばあちゃんは、子どもたちや村人たちの様子をよく見ていて、毛糸で靴下やマフラーや手袋やショールや赤ちゃんのおくるみなどを、どんどん編んでプレゼントしていきます。子どもたちにお話をして聞かせるやさしいザラおばあちゃんと、村人たちの心あたたまるストーリー。寒い冬に心のこもったあったかいプレゼントと、《おはなしのもうふ》との関係は? それを知っているのは子どもたちです。
(装丁:城所潤さん 編集:吉崎麻有子さん)


ローレンス・アンホルト『わすれられたもり』さくまゆみこ訳

わすれられたもり

昔は国じゅうに広がっていた森は、だんだんに小さくなり、まわりは都会になっていきます。忘れられた森で遊ぶのは子どもだけ。ある日、そこで工事が始まることになって、子どもたちはびっくり。このままでは森がなくなってしまう、と思ったとき、自然を大事にする心を取り戻した人たちが・・・。
(装丁:森枝雄司さん 編集:筒井彩子さん)


ニキ・ダリー『かわいいサルマ:アフリカのあかずきんちゃん』さくまゆみこ訳

かわいいサルマ〜アフリカのあかずきんちゃん

南アフリカで生まれ育った作者が描いたゆかいな絵本です。サルマは、おばあちゃんに頼まれて市場にお買い物に行った帰りに、犬にだまされて、買ったものを入れたかごも、サンダルも、ンタマ(腰に巻く布)も、スカーフやビーズも、みんな取り上げられてしまいます。サルマはおじいちゃんに助けを求めます。おじいちゃんは、クモのアナンシのかっこうをして、子どもたちに昔話を語っている最中でした。おじいちゃんとサルマは、仮面をかぶり、楽器をたたいて、犬に食べられそうになっていたおばあちゃんを、助け出します。アフリカの息吹が伝わってきます。
(装丁:城所潤さん 編集:相馬徹さん)


レオ・レオーニ『チコときんいろのつばさ』さくまゆみこ訳

チコときんいろのつばさ

1964年のレオーニの作品で、ちょっと不思議な趣があります。翼のない小鳥のチコが、魔法の鳥に金色の翼をあたえられるのはいいのですが、今度は仲間の妬みをかってしまいます。チコは困っている人たちに金色の羽を少しずつあげていき、最後に何かを悟ります。
(装丁:桂川潤さん 編集:山浦真一さん)


宇宙船プロキシマ号の伝説

40兆キロメートル離れた星に、知的生命体が発見されたというニュースを聞いて、宇宙船プロキシマ号は地球を出発し、5世代をかけて旅を続けていきます。物語はSFで、ブラックホールの周辺では何が起こっているかが明らかになります。見開きごとに星雲や銀河などの美しい写真が使われていますが、どれもNASA及びハッブル宇宙望遠鏡による神秘的な宇宙の画像です。地球の写真もすばらしい! 原書は大型版で画像もよく見えなかったのですが、許可を得て小型に。画像も日本語版の方がずっときれいです。(装丁:桂川潤さん 編集:山浦真一さん)


ジャクリーン・ウッドソン『かあさんをまつふゆ』さくまゆみこ訳

かあさんをまつふゆ

アメリカの絵本。戦争中お金をかせぐため、大好きな母さんはシカゴに出稼ぎにいってしまう。少女エイダ=ルースはおばあちゃんとお留守番。雪が降った日、小さな黒い子ネコが迷い込んでくる。おばあちゃんは飼ってはいけないと行ったけれど、エイダ=ルースはそっと中にいれてあげる。母さんからの手紙を待っていても、郵便屋さんはいつも通り過ぎ、手紙もお金も届かない・・・。母親の帰りを待つ少女の思いを詩情あふれる言葉と絵で描いた絵本です。
(装丁:則武 弥さん 編集:相馬徹さん)

*コルデコット賞銀賞受賞


ブルンディバール

アメリカの絵本。第二次大戦中、チェコ北部テレジンにあったナチスの強制収容所で、子どもたちが上演していたオペラをもとに描かれた絵本です。オペラを作曲したハンス・クラーサもユダヤ人で、テレジンに収容され、後にアウシュビッツで亡くなりました。この絵本は、ユダヤ系アメリカ人のセンダックが初めて正面からユダヤ人の歴史に取り組んだ作品といっていいと思います。子どもたちが力を合わせて悪者を追い払うというストーリーに、センダックの思いがあらわれているのではないでしょうか。
(装丁:森枝雄司さん 編集:上村令さん)

「ニューヨーク・タイムズ」ベストテン絵本に選定

◆◆◆

<この絵本について>

この絵本は、アドルフ・ホフマイステルが台本を書き、ハンス・クラーサが作曲して1938年に完成したオペラにもとづいてつくられました。このオペラは、チェコのプラハにあったユダヤ人の孤児院で1942年に初演され、そのあと、チェコ北部のテレジンにあったナチスの強制収容所で、子どもたちが55回にわたって上演しました。子どもが演じたオペラなので、絵本の中のブルンディバールも子どもの姿をしています。

第二次世界大戦のとき、ナチス・ドイツはユダヤ人、政治犯、知的障碍者、外国人捕虜などを強制収容所に入れ、じゅうぶんな食べ物をあたえずに働かせたり、ガス室に送って殺したり、とてもひどい扱いをしました。テレジンの強制収容所にはガス室はなく、芸術活動も行われていました。収容されていた子どもたちが描いた絵もたくさん残っていて、子どものオペラも盛んに上演されていました。

絵本の中で300人の子どもたちが助けにくる場面では、中央にドイツ語でARBEIT MACHT FREIと書いてあります。「働けば自由になる」という意味で、この言葉はナチスの強制収容所のスローガンになっていました。しかし、ガス室のない収容所であっても、じっさいは自由になるどころか、無理に働かされて病気になり死んでいった人もたくさんいました。テレジンに収容されていた子どもたちも、多くがそこで亡くなったり、あるいはアウシュビッツなど別の強制収容所に送られて殺されたりして、生き残った子どもは15000人中132人だけでした。このオペラを作曲したクラーサも、テレジンに収容されていましたが、1944年にアウシュビッツで亡くなりました。また、絵の中に出てくる六角の星はユダヤ民族の象徴で、「ダビデの星」と呼ばれています。当時ナチスはユダヤ人すべてに「ダビデの星」を衣服にぬいつけることを強制していました。

この絵本は、2003年にアメリカの「ニューヨーク・タイムズ」という新聞が選ぶベストテン絵本に選ばれています。また、モーリス・センダックは2003年にこのオペラを演出し、2005年には舞台美術も手がけています。

なお、「ブルンディバール」というのは、チェコ語の方言で「マルハナバチ」のことだそうです。

さくまゆみこ


ジョナサン・ビーン『よぞらをみあげて』さくまゆみこ訳

よぞらをみあげて

アメリカの絵本。女の子が夜の風にさそわれて、ふとんや枕をかかえて屋上に出ていきます。頭上にはひろびろとした空が広がり、女の子はお月様を見上げながら眠りの世界に入っていきます。女の子をそっと見守るお母さんがすてき。
原書は主人公の女の子がsheという三人称でしか出てこなかったのですが、いくら日本語では主語が省略できるといっても、まったく出さないわけにはいきません。子どもの本では「彼女」は使えないので、「この子」?「女の子」?といろいろ考えたのですが、sheと比べると音数も多いし、どうしても硬い感じになってしまいます。そこで作者といろいろ相談して、最終的には許可をいただき一人称で訳しました。
(装丁:羽島一希さん 編集:小山侑希子さん)

ボストングローブ・ホーンブック賞受賞


レベッカ・ボンド『ドーナツだいこうしん』さくまゆみこ訳

ドーナツだいこうしん

ビリーが、おやつのドーナツをベルトからつるして歩いていると、後ろからニワトリがついてきて、猫がついてきて、犬がついてきて、女の子がついてきて、しまいには町中の人たちばかりか、空想の世界の住民までついてきて、なんとも楽しい大パレードに。静から動、そしてまた静へと移っていく構成がみごとです。
(装丁:渋川育由さん 編集:和田知子さん)


リンカーンとダグラス

アメリカの絵本。奴隷解放宣言を出した米国大統領のエイブラハム・リンカーンと、奴隷から身を起こして黒人や女性の地位向上のために闘ったフレデリック・ダグラスの、肌の色を越えた友情の物語。『ローザ』のコンビの新作です。巻末に年表もついているので、大人がアメリカの歴史を学ぶにも役立つかもしれません。
(装丁:則武 弥さん 編集:相馬 徹さん)


ユリ・シュルヴィッツ『おとうさんのちず』さくまゆみこ訳

おとうさんのちず

アメリカの絵本。絵本作家シュルヴィッツが自分の子ども時代のことを描いた絵本です。ポーランドのワルシャワで生まれたシュルヴィッツは、4歳のとき大空襲で家を焼かれ、家族とともにトルキスタンに逃げます。そこでは毎日の食べ物にも困るかつかつの暮らしをしていました。ある日、市場に出かけたお父さんは、パンを買うはずだったのに大きな地図を買ってきました。あまりのひもじさに、お父さんを恨む「ぼく」……。でもその地図は、魔法の時間をもってきてくれたのです。巻末には、トルキスタンにいた頃の少年シュルヴィッツの写真と、10歳のシュルヴィッツが便せんの裏に描いた地図と、13歳のシュルヴィッツがトルキスタンの中央市場を思い出して描いたマンガ風の絵も載っています。
(装丁:桂川 潤さん 編集:山浦真一さん)

コルデコット賞銀賞受賞、日本絵本賞翻訳絵本賞、SLA夏休みの本(緑陰図書)選定


ジュリアス・レスター文 カレン・バーバー絵『ぼくのものがたり あなたのものがたり』さくまゆみこ訳

ぼくのものがたり あなたのものがたり〜人種についてかんがえよう

アメリカのノンフィクション絵本。肌の色だけを見て人を判断しないようにしよう。人種で人を差別しないようにしよう。だれにでも、たくさんの物語を持っているのだから、その物語に耳を傾けよう。そう語りかけるのは、アフリカ系アメリカ人のジュリアス・レスター。ジュリアス・レスターは子どもの頃、まだ差別が色濃く残っていた時代に少年時代を過ごしたので、「こことは別の世界があるということを本をとおして知らなかったら、生きていくことができなかっただろう」と語っている人です。色あざやかな力強い絵がついています。
(編集:檀上聖子さん、板谷ひさ子さん)

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<紹介記事>

・「西日本新聞」2009年8月28日


デミ『1つぶのおこめ:さんすうのむかしばなし』さくまゆみこ訳

1つぶのおこめ〜さんすうのむかしばなし

昔話と数の絵本。王様にお米を取り上げられて困っていた村を、知恵のある女の子ラーニが救います。数の絵本にもなっていて、牛やラクダやゾウが、お米を運んでくる場面がすばらしい! 絵を見ただけで、お米が次々に倍になっていくようすや、大きな数を実感することができます。金色を使ってインドの細密画風に描かれた、デミの絵がユニークです。
(装丁:辻村益朗さん 編集:鈴木真紀さん)

厚労省児童福祉文化財選定


ケイト・マクマラン&ジム・マクマラン『さあ、たべてやる!』さくまゆみこ訳

さあ、たべてやる!

アメリカの絵本。働く車が主人公の、ちょっと変わった絵本です。この車は、みんなが捨てたもの、いらなくなったものを食べてくれます。町や広場を、ゴミの山また山にしないために。そう、これはゴミ収集車の絵本なんです。「ばっちいシチュー」は、いかにもばっちいんですけど、子どもたちは喜んでくれるのかな?
(編集:吉村弘幸さん)


ジャクリーン・ウッドソン文 E.B.ホワイト絵『むこうがわのあのこ』さくまゆみこ訳

むこうがわのあのこ

アメリカの絵本。こっち側とむこう側の境目には長くつづく高い柵があります。こっち側にはアフリカ系の人たちがくらし、むこう側には白人が住んでいます。こっち側の子どもたちは、むこう側の人たちとつきあってはいけないと、親たちに言われています。ある日、柵のむこうに白人の女の子があらわれて、じっとこっちを見ています。でも、こっち側の女の子たちは無視します。だけど、いつもぽつんとひとりでこっちを見ているあの女の子のことは、気になります。そのうち、こっち側の子どもとあっち側の子どもの距離がだんだん縮まって、とうとう女の子たちは、その境目を文字どおり乗りこえていくのです。おかげで未来も変わっていきそうです。
(装丁:則武 弥さん 編集:相馬徹さん)

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<紹介記事>

・「教育新聞」2010年12月17日


ジェリー・ピンクニー『ライオンとねずみ』さくまゆみこ訳

ライオンとねずみ

アメリカの絵本。イソップ物語の中の有名なお話を、アフリカ系の画家ピンクニーが東アフリカのセレンゲティ国立公園を舞台に描きました。ライオンの背中をうっかり駆け上がったねずみが、命を助けてもらったお礼に密猟者につかまったライオンを助けます。力強い絵で、なんといってもライオンの表情、ねずみの表情がすばらしい。絵が中心の絵本で訳すところはあまりなかったのですが、それなりに工夫はしました。
(装丁:森枝雄司さん 編集:鈴木真紀さん)

コルデコット賞受賞


ケイト&ジム・マクマラン『さあ、ひっぱるぞ!』さくまゆみこ訳

さあ、ひっぱるぞ!

体は小さいながら、大きな港で毎日大活躍するタグボートを主人公にしたゆかいな絵本です。『さあ、食べてやる!』で、目立たないけどなくてはならないゴミ収集車の絵本を出版したコンビが、今度は目立たないけどなくてはならない船を主人公にしました。
(編集:吉村弘幸さん)


アンソニー・ブラウンとこどもたち『くまさんのまほうのえんぴつ』さくまゆみこ訳

くまさんのまほうのえんぴつ

イギリスの絵本。栄えあるチルドレンズ・ローリエトのアンソニー・ブラウンが、子どもたちと一緒に作り上げた絵本です。子どもらしい発想に満ちています。絶滅しそうな動物たちも、魔法の鉛筆でなんとか助けられるといいな。そういえばアンソニー・ブラウンが大好きなゴリラも絶滅危惧種ですね。この絵本にも登場していますよ。
(編集:渡邉侑子さん)


ラングストン・ヒューズ詩 E.B.ルイス絵『川のうた』さくまゆみこ訳

川のうた

アメリカの絵本。ラングストン・ヒューズのジャズの本や詩の本を、私は学生時代によく読んでいました。ヒューズは今でもアフリカ系の人たちの尊敬を集めているのですね。この詩は、いろいろな先輩が訳されているので自分なりの訳にするのに深く考えなくてはなりませんでした。絵もただ美しいだけではなく、そこからいろいろな思いが伝わってきます。
(装丁:城所潤さん 編集:相馬徹さん)

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<紹介記事>

・「子どもの本棚」2012年6月号


まちのいぬ と いなかのかえる

春・夏・秋・冬のそれぞれの美しい風景を舞台に、町の犬といなかのカエルの友情と喪失と再生の物語が展開していきます。ミュースのどことなく素人っぽい絵が、私はけっこう好きです。うちの犬とよく似た犬(うちのコナツはもっと小さいし、足が短いですが)が登場しています。(編集:須藤 建さん)


おはよう

装丁家・桂川さんの息子さんであり「歩く会」の仲間でもあるリョウ君が、子どものときに好きだった絵本です。くまのぬいぐるみテディのなにげない一日が、クラシックな絵とともに語られていきます。青短のクリスチャンの先生が、だれよりも早く「広告見ましたよ!」と言ってくださいました。(装丁:桂川 潤さん 編集:土肥研一さん)


マーガレット・ワイズ・ブラウン文 スティーヴン・サヴェッジ絵『おとうさん おかえり』さくまゆみこ訳

おとうさん おかえり

 夜になると、お父さんたちが帰ってきます。魚のお父さんも、テントウムシのお父さんも、ウサギのお父さんも、クモのお父さんも、犬のお父さんも、小鳥のお父さんも、カタツムリのお父さんも、ブタのお父さんも。ライオンのお父さんは、ちょっと別ですけどね。そして、「ふなのりの おとうさんは、うみから あがり、おとこのこの ところに かえってきます。」「おとうさん おかえり!」
 マーガレット・ワイズ・ブラウンが、この絵本の文章を書いたのは1940年代初頭で、戦争からお父さんたちが帰ってくる時代でした。サヴェッジは父親の自分が仕事を終えて娘のもとへ帰っていくことをイメージして、2年間かけて絵を書きました。原画は、リノリウム板を使った版画です。
(装丁:坂川事務所 編集:沖本敦子さん)


ごめんなさい

ぬいぐるみのクマさんが主人公の「くまのテディ」シリーズの2作目です。ふきげんでまわりのみんなに当たり散らしてしまったテディは、鏡を見てびっくり! 怖い顔になっていたからです。みんなにあやまって許してもらったときの気持ちはまた格別です。(装丁:桂川 潤さん 編集:土肥研一さん)


おやすみなさい

「くまのテディ」シリーズの3作目。自分の部屋でひとりで寝ようとしても、いろいろなものが怖くなって、テディはなかなか眠りにつけません。でも、だいじょうぶ。安心しておやすみなさい。夜の間も守ってもらっているのですよ。(装丁:桂川 潤さん 編集:土肥研一さん)


モリー・バング『わたしのひかり』さくまゆみこ訳

わたしのひかり

モリー・バングの『ソフィーはとってもおこったの!』は、女の子の日常を描いた絵本でしたが、これは詩的に描かれた科学絵本です。「わたし」と言っているのは太陽です。ソーラー・パワーについて、エネルギーや伝記のことを考えるのにちょうどいい絵本だと思います。とっても絵がいいんです。これまでの科学絵本や知識の絵本の多くは、説明的な絵がついていましたが、これは違います。絵だけ見ていても楽しいんです。モリー・バングは絵本の視覚的効果についての理論書(”Picture This: How Picture Work”)も書いていますよ。
カバーには窓があいていて、そこから表紙の絵がのぞいています。
(編集:吉村弘幸さん)

第58回青少年読書感想文全国コンクール課題図書選定
*SLA「よい絵本」選定

◆◆◆

<モリー・バングの後書きより>

長いあいだ、わたしは、電気にあまり興味をもっていませんでした。電気というものが電線を流れ、モーターを動かし、光をともすことは知っていましたが、そこでとどまっていました。
でも、わが家にソーラーパネルをつけると、がぜん興味がわいてきたのです。ソーラーパネルのガラスにうめこまれた小さな太陽電池は、いったいどうやって日光をとらえ、それをわが家のレンジや、温水器や、せんたく機や、コンピュータや、テレビや、照明で使われるエネルギーに変えているのでしょうか? この絵本にかかれているのは、わたしがさぐりだしたことの一部です。


バラク・オバマ文 ローレン・ロング絵『きみたちにおくるうた:むすめたちへの手紙』さくまゆみこ訳

きみたちにおくるうた〜むすめたちへの手紙

アメリカのオバマ大統領が文章を書いた絵本で、子どもたちを励ますメッセージがいっぱい。ただ原著出版社が「何もつけ加えてはならぬ。ちょっとした変更もならぬ。とにかく直訳しろ」の一点張りだったので、翻訳は苦労しました。明石書店は被災地の子どもたちにも読んでもらいたいと、この絵本をたくさん寄贈してくださいました。オーストラリアのラッド前首相も犬と猫を主人公にして絵本を書いていますが、日本の首相と絵本はとうてい結びつきませんね。
(装丁:桂川潤さん 編集:赤瀬智彦さん)

◆◆◆

<この絵本に登場する人たち>

ジョージア・オキーフ(大きな花や骨の絵で知られる画家)
アルバート・アインシュタイン(相対性理論を唱えた物理学者)
ジャッキー・ロビンソン(メジャーリーグ初のアフリカ系選手)
シッティング・ブル(北米先住民スー族の大戦士)
ビリー・ホリデイ(多くの名曲・名唱で知られるジャズ歌手)
ヘレン・ケラー(視覚と聴覚を失いながら活動した社会福祉事業家)
マヤ・リン(ベトナム戦争戦没者慰霊碑を設計した中国系の建築家)
ジェーン・アダムズ(貧困をなくすために努力した社会事業家)
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(公民権運動の指導者)
ニール・アームストロング(月面を初めて歩いた宇宙飛行士)
シーザー・チャべス(農場労働者の人権を守ったメキシコ系の運動家)
エイブラハム・リンカーン(奴隷解放宣言に署名した大統領)
ジョージ・ワシントン(アメリカ独立戦争を戦った初代大統領)

◆◆◆

<日本のみなさんへ>

オバマ大統領はこの絵本をとおして、世界中の子どもたちに語りかけているのだと思います。力や才能はだれにでもあると、彼は語っています。だれでも、ヘレン・ケラーやジャッキー・ロビンソンのように、大きな困難を乗りこえていくことができると、語っているのです。私の絵が示そうとしているのは、こうした偉人たちもみんな同じように、かつては子どもだったということです。

この絵本が国境をこえて、日本の子どもたちにもなぐさめや勇気やはげましや希望をあたえることを私は願っています。そして日本の子どもたちも、困難を乗りこえる力や、すばらしい生き方をするための力が、自分の中にもあると気づいてくれるよう願っています。

ローレン・ロング


風をつかまえたウィリアム

舞台はアフリカのマラウィ。飢饉になり授業料が払えないので学校へ行けなくなったウィリアムは、近くの図書館にあった本で風車をつくる方法を研究し、ゴミ捨て場で材料を集めて自分の家に電灯を灯すことに成功します。文藝春秋社で出た『風をつかまえた少年』の絵本版。コートジボワール生まれの画家が絵をつけています。カムクワンバ君の物語は、ずいぶん前にアメリカ人の友人から教えてもらってTEDの講演記録(今は日本語もあります)を見て以来、ずっと気になっていました。第46回夏休みの本に選定。(装丁:桂川潤さん)


イライジャの天使 ハヌカとクリスマスの物語

ユダヤ教徒の少年ととキリスト教徒のおじいさんの友情の物語。この絵本が取り上げているのは、実在のアフリカ系アメリカ人イライジャ・ピアース。文章を書いたローゼン(イギリス人のマイケル・ローゼンとは別人です)も、絵を描いたロビンソンも、小さいときにイライジャが大好きでした。床屋さんをしていたイライジャの木彫りはナイーブアートの一種だと思いますが、素朴で心のこもった本当にすてきなもので、一部は▶︎http://foundationstart.org/artists/elijah-pierce/▷ここ│や▶︎http://www.kenygalleries.com/images/af-pierce/pierce-bio.html▷ここ│で見ることができます。(編集:松井智さん、松木近司さん)


エイミー・ヘスト文 ヘレン・オクセンバリー絵『チャーリーのはじめてのよる』さくまゆみこ訳

チャーリーのはじめてのよる

小さな男の子ヘンリーが、小さな子犬をもらってきて、チャーリーという名前をつけます。見慣れない環境にひとりで寝かされて不安になる子犬と、その子犬を全存在をかけて愛し、守ろうとしている小さな男の子の思いが、びんびん伝わってくる絵本。子犬と子どものしぐさの一つ一つに、オクセンバリーのうまさが光っています。うちの犬が幼かった時のことを思い出しました。
(装丁:中嶋香織さん 編集:河本祐里さん)


つぼつくりのデイヴ

奴隷には読み書きが許されていなかった時代に、自分がこしらえたすばらしい壺に詩や名前を書いていた奴隷がいました。それがデイヴです。巻末には壺の写真も載っているので、ぜひ見てください。職人としての誇りを持っていたデイヴの焼き物は、実用的でしっかりしていて、しかも美しいのです。
(装丁:則武弥さん 編集:相馬徹さん)

コルデコット賞銀賞、コレッタ・スコット・キング賞受賞

***

<紹介記事>

・「2012年に出た子どもの本」(教文館)

 


モリー・バング&ペニー・チザム『いきているひかり』さくまゆみこ訳

いきているひかり

太陽の光や植物の役割と、私たちが生きていることの関係を、ときあかしてくれる絵本です。『わたしのひかり』の姉妹編ですが、こちらもすてきな楽しい絵がついています。ほんとにいい絵なので、ながめているだけでも楽しい。普通の科学絵本や知識絵本とは、そこが違います。ペニー・チザムさんは、長年エコロジーについて教えてきたマサチューセッツ工科大学の教授です。
(編集:岡本稚歩美さん)


シェーン・W・エヴァンズ『じゆうをめざして』さくまゆみこ訳

じゆうをめざして

アメリカに奴隷制がしかれていた時代、南部の奴隷たちを北部やカナダに逃がす秘密のルートがありました。「自由への地下鉄道」です。アフリカ系の人たちだけでなく白人も先住民もこの地下鉄道にかかわっていました。彼らは自らの命の危険を覚悟して、奴隷たちをかくまったり、食べ物や必要品をあたえたり、道案内をしたりしていたのです。自由の地にたどりついたとき、赤ちゃんも生まれるんですよ。
(装丁:石倉昌樹さん 編集:木村美津穂さん)

*コレッタ・スコット・キング賞受賞


アンソニー・ブラウン『くまさんのおたすけえんぴつ』さくまゆみこ訳

くまさんのおたすけえんぴつ

先に出た『くまさんのまほうのえんぴつ』は、これを下敷きにして作られました。以前は田村隆一さん訳で評論社から『クマくんのふしぎ