カテゴリー: おすすめの児童書

フラダン


古内一絵/作
小峰書店
2016.09

『フラダン』をおすすめします。

男子高校生の主人公が、強引な勧誘を受けてしぶしぶのぞいてみたフラダンス愛好会は、なんと女子ばかり。

と、そこへ個性バラバラなほかの男子3人も入ってきて、「フラガールズ甲子園」に向けた特訓が始まってしまう。

笑いながらぐんぐん読める青春小説だが、福島を舞台に、多様な人々とのふれ合いや原発事故のその後をめぐる状況も描かれていて、味わいが深い。

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年7月28日掲載)

はなびのひ


たしろちさと/作・絵
佼成出版社
2018.06

『はなびのひ』をおすすめします。

子ダヌキのぽんきちは、今夜は花火職人の父親がでかい花火をあげるというので、朝からそわそわ。そのうち母親から、父親に握り飯を届けてくれと言われて、ぽんきちは勇んで出かける。

その後ろから、もう花火が始まるのかと勘違いした、ご近所さんがぞろぞろ。

動物たちで描く江戸の花火大会の絵本。

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年7月28日掲載)

ドリーム・プロジェクト


濱野京子/著
PHP研究所
2018.05

『ドリーム・プロジェクト』をおすすめします。

同居した祖父が寂しそうなのに気づいた中2の拓真は、友だちの知恵と協力も借りて、かつて祖父が住んでいた山間の家を地域の集会所にしようと、クラウドファンディングで古家の修理費を集めることに。

果たしてお金は集まるのか? どきどきしながら楽しく読めて、社会参加の仕方についても考えられる作品。

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年6月30日掲載)

青い月の石


トンケ・ドラフト/作 西村由実/訳
岩波書店(岩波少年文庫)
2018.02

『青い月の石』をおすすめします。

伝承遊び歌から始まる冒険物語。

少年ヨーストは、青い月の石を手に入れようと、いじめっ子のヤンと一緒に地下世界の王を追っていく。その途中で出会うイアン王子は、父王が地下世界の王と交わした約束を果たしにいくところだ。

3人は、地下世界の王の末娘ヒヤシンタに助けてもらい、それぞれの任務を遂行して無事に戻ってくるのだが、タブーをおかしたイアン王子は、最愛のヒヤシンタのことを忘れてしまう。そこで今度は少女フリーチェも加わり、王子に記憶を取り戻させるための次の冒険が始まる。

オランダ屈指のストーリーテラーが伝承物語のモチーフをふんだんに使い、豊かなイメージで現実とファンタジーの間に橋を架けた作品。

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年5月26日掲載)

イオマンテ〜めぐるいのちの贈り物


寮美千子/文 小林敏也/画
ロクリン社
2018.02

『イオマンテ〜めぐるいのちの贈り物』をおすすめします。

アイヌの熊送りの儀式をめぐる絵物語。

少年の家出は、父親が仕留めた母熊の子どもを神として大事に育てるが、やがて別れの日がやってくる。

詩的な文章と美しい絵が独特の世界をつくり、生命が軽視されることも多い今の時代に、「いのちのめぐみ」を受け取るとはどういうことかを伝えようとしている。

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年4月28日掲載)

熊とにんげん


ライナー・チムニク/作・絵 上田真而子/訳 
徳間書店
2018.01

『熊と人間』をおすすめします。

喜びと美しさと悲しみがたっぷりつまった絵物語。主人公は、踊る熊と、熊と一緒に旅をする「熊おじさん」。おじさんはお手玉の名手で、熊にお話を聞かせ、季節の変化を楽しみ、角笛で澄んだ音を奏でる。

心に響く名訳で、人間が生きるうえで必要なものは何かを考えさせてくれる。

(朝日新聞「子どもの本棚」2018年2月24日掲載)

フローラ


エミリー・バー/著 三辺律子/訳
小学館
2018.02

『フローラ』をおすすめします。

主人公のフローラは17歳。10歳の時に交通事故に遭い、それ以降の記憶は数時間しか保てなくなっている。そのフローラが恋をしたのは、親友ペイジの彼氏だったドレイク。このドレイクって男、見た目はいいけど、最初からどうもうさんくさい。フローラの記憶障害につけこんでいるふしがある。

でも、フローラは「ビーチでドレイクとキスした」ことを忘れないようにノートに書き、それを何度も見返し、ますます想像を膨らませて、ドレイクが引越した先のスヴァールバルへと出かけていく。

ところで、事故の際、車を運転していた母親は、この事故を自分のせいだと思い込み、娘のフローラを真綿でくるむようにして育て、常に精神安定剤や抗うつ剤を飲ませて、危険な目に遭わないように「守っている」。でも、フランスに住んでいる息子(フローラの異父兄)がガンで死にかけているというので、やむをえずフローラをペイジに託して夫と一緒に息子のもとへ駆けつける。ところが託された方のペイジは、フローラに彼氏を取られたと思い込み、付き添いを放棄してしまう。というわけで、家にだれもいなくなったすきに、フローラは旅に出るのだ。

こういう状態におかれたフローラが、自分ひとりで計画を練り、フライトや宿を予約し、旅の準備をするのは、ずいぶんと大変なことだ。でも、すべてメモを取って絶えずそれを確認しながら、なんとかやりとげていく。読者は、フローラの勇気に感心しながらも、不誠実らしいドレイクとはうまくいかないとだろうと予感して、ハラハラしながら物語を読み進めることになる。

甘いラブストーリーではない。スヴァールバルでフローラが出会った人が言う。「きみはここにドレイクを見つけにきたんじゃないと思うよ。自分自身を見つけにきたんだ」。そう、これは、母親が勝手に作ったイメージから脱け出して、本当の自分をさがそうとする、勇気ある女の子の物語でもある。

(「トーハン週報」2018年8月13・20日合併号掲載)

ヒトラーと暮らした少年


ジョン・ボイン/著 原田勝/訳
あすなろ書房
2018.02

『ヒトラーと暮らした少年』をおすすめします。

先日他界されたかこさとしさんは、子どもの視点をずっと持ち続けながら、何事もきとんち理論的に考える方だった。そのかこさんでさえ、子どもの頃は軍国少年で、15歳のときに図書館通いもやめる。文芸作品の読書などという軟弱なものは捨てて、軍人になる勉強をしなくては、と思ったからだ。しかし、視力が悪くなり軍人になることができずに命拾いをする。そして戦後、「誤った戦争をなぜ正義だと思い込んでしまったのか」と自問し、「私のような間違った判断をしないよう、真の賢さを身につけるお手伝いをしていこう」と考えて、子どもの本を書き始める。

本書は、主人公のピエロが7歳の時から始まる。ピエロはフランスに住んでいて、アンシェルという、耳の聞こえない親友がいる。ピエロの父はドイツ人で母はフランス人だが、二人ともやがて亡くなり、孤児となったピエロはドイツ人の叔母に引き取られ、ドイツ南部の山岳地帯にあるベルクホーフで暮らし始める。ベルクホーフはヒトラーの別荘で、ピエロはペーターと名前を変え、ここでヒトラーと出会い、かわいがられ、憧れ、ヒトラーの思想に染まっていく。そして、叔母さんたちのヒトラー暗殺計画を知ると、ヒトラーに知らせ、結果としておばさんは処刑されてしまう。ペーターは、自分の世話をしてくれたおばさんよりヒトラーの方を選び、ユダヤ人のアンシェルともぷっつり関係を絶つ。

先ほど、かこさん「でさえ」と書いた。もう一度ここで、多文化に親しんでいたはずのピエロ「でさえ」と書いてもいいかもしれない。子どもは、周囲の熱狂に左右されやすい。

オーストラリアのジャッキー・フレンチも、先生や親をはじめ周りがみんな間違った思想の持ち主だったら、子どもは簡単に染まってしまうかもしれないという危惧を持って、『ヒットラーのむすめ』(鈴木出版)を書いた。

子どもには、ゆかいな楽しい本も必要だ。でも、「真の賢さを身につける」助けになるような本も必要だと、私は最近つくづく思う。本書はそんな一冊。

(「トーハン週報」2018年6月11日号掲載)

チェコの十二カ月〜おとぎの国に暮らす


出久根育/著
理論社
2017.12

『チェコの十二カ月〜おとぎの国に暮らす』をおすすめします。

チェコ在住の日本人画家によるエッセイ集。理論社のウェブサイトに十一年間にわたって掲載されていたものに加筆し、新たにすてきな絵を入れてあります。

たとえば冒頭の「冬から春へーー緑の季節を迎える前の春の色はことさら美しく感じます。厳しい冬を乗り越えた喜びとともに目に映る色だからでしょうか。夏の緑、秋の黄色、冬の灰色、では春の色は何色でしょう。春の風景はすべての季節の色が、点描で幾重にも重なって、水でふんわりとにじんだ絵のようです」という文章からも、もう少し先の「膨らんだ芽から小さな若葉が、生まれて初めての空を早く見ようと、我先にと押し合います。やわらかくて瑞々しく、子どもの肌のような透明な若葉です」という文章からもわかるように、感受性豊かな画家としての目をあちこちに感じます。だからかもしれませんが、私は一度しか行ったことのないチェコの田舎の情景が目の前にうかんできて、わくわくしました。

南モラビアの氏を追い出すお祭りや、チェコの伝統的な復活祭の様子、魔女の人形や絵を燃やす行事、ぶどうの収穫祭、マソプストなど珍しい風習も、楽しい絵とともに紹介されています。

夜汽車に乗って体験した芝居の話や、ビロード革命を記念するデモのことや、チェコではクリスマスにどんなお祝いをするのか(だれもおいしいと思っていないらしいのに、みんなコイの料理を食べるんですって)、なんていう話も、おもしろい。

画家さんの中にも、何度でも読み返したくなるような味のある、とてもじょうずな文章を書く方がいます。出久根さんもその一人。

読んでみると、副題にある「おとぎの国」に紛れ込んだような気持ちになれます。しかも、この「おとぎの国」は現実に存在している。そこが、またいいんですよね。

(「トーハン週報」2018年4月9日号掲載)

セブン・レター・ワード〜7つの文字の謎


キム・スレイター/作 武富博子/訳
評論社
2017.10

『セブン・レター・ワード〜7つの文字の謎』をおすすめします。

スクラブルって知ってる? アルファベットの文字が書かれたコマをボードのマスに並べて単語をつくっていくゲームなんだけど、この作品ではそのスクラブルがモチーフとして使われている。まるで、『不思議の国のアリス』がトランプを『鏡の国のアリス』がチェスをモチーフにしてたみたいにね。

主人公のフィンレイはイギリスで暮らす14歳の男の子。母親が何もいわずに家を出ていって以来、吃音がひどくなっている。今は家の設備工事をする父親と二人で暮らしているのだが、学校でも家でも、言葉がなかなか出てこないので、だれかが先を越して言ってしまったり、からかわれたり、いじめられたりする。でも、フィンレイの頭の中には言葉がたくさんつまっていて、さらに新しい言葉をコレクションしているから、スクラブルはお手のものなのだ。たいていはオンラインで、会ったことのない相手と対戦している。実際に会話する必要がないので、気が楽だからね。

物語は、いくつかの謎をめぐって展開する。フィンレイの母親はどうして消えたのか? フィンレイがネット上で知り合ったアレックスとは何者なのか? 父親は何を隠しているのか?

その一方で、今のイギリスのティーンエージャーたちが直面しそうな日常的な出来事(異質な者へのいじめ、外国人へのヘイト、全国学校スクラブル選手権大会、勇気、信念)などについても、ていねいに描いていく。スクラブルというゲームのおもしろさや、技をみがく方法についても書いてある。

個人的にちょっとだけ物足りなかったのは、母親の描き方。著者の前作『スマート』もそうだったけど、主人公の母親は犯罪者を告発しようとはせず、妥協したり身を引いたり我慢したりしてしまう。まあ、だからこそ、脅しもハンデも乗り越えようとする主人公がより強い印象を残すのかもしれないけどね。

(「トーハン週報」2018年2月12日号掲載)

月夜のみみずく


ジェイン・ヨーレン/詩 ジョン・ショーエンヘール/絵 くどうなおこ/訳
偕成社
1989.03

『月夜のみみずく』をおすすめします。

みんなが寝静まった冬の夜更け、女の子が父親と一緒に雪を踏みしめながら森の中へと入っていく。そっと静かに耳をすませて。ミミズクに会うために。日常とは違う不思議な時間を父親と共有し、自然の驚異に触れたときの、胸のときめきが伝わってくる絵本。[小学校低学年から]

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年12月23日掲載)

わたしたちのたねまき〜たねをめぐるいのちたちのおはなし


キャスリン・O・ガルブレイス/作 ウェンディ・アンダスン・ハルパリン/絵 梨木香歩/訳
のら書店
2017.10

『わたしたちのたねまき〜たねをめぐるいのちたちのおはなし』をおすすめします。

春になったら芽を出す種。その種をまくのが人間だけじゃないって、知ってた? 風も小鳥も太陽も雨も川もウサギもキツネもリスも種まきをしてるんだって。どうやって? この絵本を見ると、わかってくるよ。見返しに様々な種の絵が描いてあるのも、おもしろいね。[小学校中学年から]

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年12月23日掲載 *テーマ「冬休みの本」)

森のおくから〜むかし、カナダであったほんとうのはなし


レベッカ・ボンド/作 もりうちすみこ/訳
ゴブリン書房
2017.09

『森のおくから〜むかし、カナダであったほんとうのはなし』をおすすめします。

先月他界した作者が残してくれた絵本。ホテルを経営する母や周りの大人を見ながら育つアントニオは、山火事で湖の中に避難したときに不思議な光景を目にする。祖父の実体験に基づき、様々な人間と様々な動物が共有した特別なひとときを描いている。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年9月30日掲載)

オオカミを森へ


キャサリン・ランデル/著 原田勝/訳
小峰書店
2017.09

『オオカミを森へ』をおすすめします。

舞台は20世紀初頭のロシア。貴族のペットだったオオカミを野生にもどす仕事をしていたマリーナは、暴君の将軍に従わず、逮捕監禁されてしまう。マリーナの娘のフェオは、兵士イリヤや革命家のアレクセイ、そして子どもたちやオオカミたちと共に、母を取り戻しに都へと向かう。くっきりしたイメージを追いながら楽しめる冒険物語。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年10月28日掲載)

文様えほん


谷山彩子/作
あすなろ書房
2017.09

『文様えほん』をおすすめします。

文様とは、「着るものや日用品、建物などを飾りつけるために描かれた模様」とのこと。日本でも、縄文時代からヘラや竹筒や貝殻や爪を使って土器や人形に描かれていたし、現代でもラーメン鉢や衣服に描かれている。モチーフは、植物、動物、天体や自然など様々だし、線や図形を組みあわせた幾何学文様もある。

本書は、そうした文様の種類を教えてくれるだけではない。地図で、世界各地の文様の違いや、伝播による変容を見せたり、四季折々の生活や町の風景の中にひそんでいる文様を示したりもする。巻末に用語集や豆知識もついたノンフィクション絵本だが、読んだあとの子どもたちには、身のまわりのあちこちに文様を発見していく楽しみが待っていそうだ。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年11月25日掲載)

シャクルトンの大漂流


ウィリアム・グリル/作 千葉茂樹/訳
岩波書店
2016.10

『シャクルトンの大漂流』をおすすめします。

アーネスト・シャクルトンはアイルランド生まれの探検家で、三度も南極探検に出かけた。一時はほかの著名な探検家の陰で忘れられていたが、最近は極限状況におけるリーダーとしてのシャクルトンに焦点を当てた本がいろいろ出ている。映画にもなった。

この本は、シャクルトンが三度目にエンデュアランス号で南極探検に出かけた時のことを描いている。といっても舞台は白い氷の世界だし、登場するのは探検隊の男たち。船も壊れるし、探検は成功したとは言えない。絵本にするには難しい題材だ。

しかし、百貨店ハロッズの広告イラストレーションを仕事にしていたグリルは、困難続きのこのサバイバル物語を見事におしゃれな絵本にしてみせた。そしてデビュー作のこの絵本で、イギリス最高の絵本にあたえられるグリナウェイ賞を受賞した。船に積み込んだ道具を細かく描いたり、コマ割り手法を使ったり、見開きいっぱいに大波にもまれる小さな船を描いたり・・・。レイアウトも斬新で、ビジュアル的な工夫があちこちに見られる。

最近の絵本は幼児や小さな子どものためのものとは限らない。この絵本も、かえって中高生が読んだほうがおもしろいのではないだろうか。そして絵本はあらゆるテーマの入門書ともなる。まずこの作品を手に取ってみて、興味を持ったら次に『エンデュアランス号大漂流』(E.C.キメル著 千葉茂樹訳 あすなろ書房)や『そして、奇跡は起こった!』(J.アームストロング著 評論社)なども読んでみてほしい。

(「トーハン週報」2017年2月13日号掲載)

紅のトキの空


ジル・ルイス/著 さくまゆみこ/訳
評論社
2016.12

『紅のトキの空』をおすすめします。

今回は書評用に送られて来た本の中に、自分がかかわった作品が入っていたので、それを紹介したい。

著者のジル・ルイスは獣医の資格を持つイギリスの女性作家で、『ミサゴのくる谷』『白いイルカの浜辺』(共にさくま訳 評論社)など、動物や鳥の登場する作品をたくさん書いている。この作品にも、ショウジョウトキという紅色の鳥(「何百何千もの群れが飛んできて、木にとまります。それは、暗い空にともる紅のランタンみたいに見えます」)やハトやワニが象徴的に登場してくる。

主人公の女の子スカーレットは中学1年生。家族は、精神を病む母親と、異父弟で発達の遅れているレッド。スカーレットは、自分がしっかりしないと、愛している家族がばらばらにされてしまうと思って、弟や母親の世話も洗濯も掃除も買い物も、そして勉強もがんばっている、どこから見てもけなげな少女だ。

ところがある日、母親のタバコの不始末が原因で、住んでいたアパートが火事になり、一家は焼け出されてしまう。それにより、母親は病院へ、弟は保護施設へ、そしてスカーレットは一時的な里親のもとへ。でも、レッドには自分がどうしても必要だと思っているスカーレットは、ひそかに弟を誘拐して一緒に暮らす計画を練る。そして、誘拐には成功するのだが・・・。

ジル・ルイスの人間を見る目が深い。そして、里親になったルネの一家や、傷ついた鳥を保護しているマダム・ポペスクなど、子どもを理解する大人が登場するのもいい。

子どもに寄り添って物語を紡ぎ出す著者は、スカーレットの「けなげさ」をそのままよしとするのではなく、最後にすてきな解決法を用意している。

(「トーハン週報」2017年4月10日号掲載)

理科準備室のヴィーナス


戸森しるこ/著
講談社
2017.08

『理科準備室のヴィーナス』をおすすめします。

戸森しるこは、これまで作品を3点出版しているが、どの作品でも、〈生きていくことや、心の動き方って、そう単純じゃないよね。でも、だからこそ楽しいしおもしろいんだよね〉ということを、伝えてくれている。

3作目のこの作品の主人公は、中学1年生の結城瞳。友達からのけ者にされたりもしている。

この年齢って、自分探しもし始めるけど、他者の多様性をそのまま均並みに受け入れるよりは、自分が魅力的だと思う存在に限りなく濃密に惹かれていく時期かもしれない。今回瞳がどうしようもなく惹かれてしまったのは、「理科準備室のヴィーナス」つまり、第二理科準備室で授業のない過ごすことの多い理科担当の人見先生。顔がヴィーナスに似ている。年齢は31というから瞳よりはずっと大人で、シングルマザーらしい。学校の規則など気にしないところも、生徒を前にして一人でお菓子を食べるところなんかも、魅力的。「誰より美しく、誰よりやさしくて、そしてとても危険な人」だ。

でも、瞳は、もう一人、別の角度から人見先生をじっと見ている男子がいるのに気づく。それが正木くん。これは、人見先生に憧れてしまった繊細にして大胆な二人の中学生の物語。瞳と正木君は、同じように先生を想っているようでいて、少し違う。性別が違うから、微妙なバランスの上で揺れる三角関係だ。

後になってから、瞳は考える。「放課後の理科準備室で、私たちはたしかに同志だった。手の届かないものに近づくために、いなくちゃならない存在だった」と。

この作品は、ストーリーだけを追っていたら味わえない。一つ一つの描写や言葉に意味が潜んでいるから。でも、たまにはこういうのも読んでみない? よくわからないところが残ってもいいからさ。

(「トーハン週報」2017年10月9日号掲載)

わたしがいどんだ戦い 1939年


キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー/著 大作道子/訳
評論社
2017

舞台は第二次世界大戦下のイギリス。内反足のエイダは、「奇形の子は恥だから隠さなくては」と考える無知な母親によって、ロンドンにある家の中に閉じ込められ、学校へも行くことができず、母親の暴力にさらされながら家事奴隷にされている。そのうち、近隣の子どもたちが疎開することになり、エイダも弟のジェイミーと一緒に家を離れたいと強く思い、ひそかに歩く練習を始める。

母親の留守中にうまく疎開児童の群れに紛れ込めたところまではよかったのだが、疎開先では最後まで引き取り手がなく、エイダとジェイミーの世話は、疎開児童を受け入れるつもりがなかったスーザンに押しつけられてしまう。

これまで世間のことは何も知らないエイダが、この環境の中でどう成長していくかが、本書のテーマだ。第二次大戦も影を落としてはいるが、そればかりではなくエイダは、母親の無理解と愛の不在、子どもが苦手なスーザン、なじみのない疎開先の環境、すぐパニックに陥ってしまう自分や自分の中の人間不信とも懸命に戦わなくてはならない。子どもにとっては、こっちのほうが戦争より大きな戦いと言えるだろう。

同じ時代の疎開児童を取り上げた『おやすみなさい、トムさん』(ミシェル・マゴリアン著 中村妙子訳 評論社)も、母親に虐待される子どもと、偏屈でつき合いの悪い引き取り手の出会いを描いていた。この二冊には共通するところがたくさんあるが、本書の著者は自分も虐待の経験者であることから、ちょっとしたことが引き金になってエイダがパニックに陥ってしまうところなど、本書ならではのリアルな描写も登場する。

長い作品だが、最後は明るいので、安心してどきどきはらはらしてみてほしい。

(「トーハン週報」2017年12月11日号掲載)

ゾウと旅した戦争の冬


マイケル・モーパーゴ/著 杉田七重/訳
徳間書店
2013.12

『ゾウと旅した戦争の冬』をおすすめします。

本書の構造は二重になっています。老人介護施設にいるリジーというおばあさんが、昔のことを思い出して語る話を、「わたし」とその息子のカールが聞く、という外枠の物語がまずあります。そして、その枠の中で、リジーの若き日と今を結ぶ物語が展開していきます。

枠の中の物語は、書名からもわかるように戦争ものではありますが、ほかの戦争ものと違う本書の特徴は、子どものゾウが出てくるところ。このゾウが、悲惨さや息苦しさをうまく中和させる役割を果たしています。

作者はイギリス人ですが、舞台はドイツ。ドレスデンで暮らしていた母親と子ども二人の家族が、大空襲を受けて、動物園から預かっていた子ゾウといっしょに避難しなくてはいけなくなります。とりあえず親戚の家に身を寄せようとしますが、そこで出会ったのは、なんと敵である英国空軍のカナダ人兵士。この兵士ペーター(ピーター)は、父親がスイス人でドイツ語も話せるのですが、氷の池に落ちたリジーの弟の命を救ったことから、この家族やゾウといっしょに避難の旅を続けることになります。

著者のモーパーゴは、社会的な問題をリアルに取り上げながら、人間の心理をとてもうまく描くことのできる作家です。でも本書には、ありそうだけど「出来過ぎ」と思えなくもない設定がいくつか登場します。大体ゾウにこんな旅ができるのでしょうか? でもね、二度目に読んでみて、モーパーゴの物語づくりのうまさに、私はうなってしまいました。

このお話ってもしかすると……と思う読者もいると、著者は最初から考えていたのだと思います。うまくできています。危険、恋、裏切り、再会……極上のストーリーテリングです。

(「トーハン週報」2014年4月14日号掲載)

キツネとねがいごと


カトリーン・シェーラー/作 松永美穂/訳
西村書店
2017.05.24

『キツネとねがいごと』をおすすめします。

今回は哲学的な絵本を。作者は、言語障碍の子どもたちに美術を教えながら、イラストレーターとしても活躍しているスイス人のカトリーン・シェーラー。年老いたキツネ(この作者の絵本には、キツネやネズミを主人公にした作品が多い)が、朝目をさますと、鼻先にはリンゴのにおいがただよい、耳にはツグミの鳴き声が聞こえてくる。はっとして外に飛び出てみると、木に実った大事なリンゴをツグミがつついている。ウサギやネズミもやってきて、だれも年寄りキツネなど怖がらず、どんどんリンゴの実を食べてしまう。

キツネには体力も敏捷性もないものの知恵があった。罠をしかけると、イタチがかかる。なんとこのイタチは魔法が使えるというので、逃がすかわりに、リンゴの木に触れた者はみんな木にくっつくという魔法をかけてもらう。やがてリンゴの木にはだれも近づかなくなり、キツネはリンゴをひとりじめ。と、ここまでは普通の絵本なのだが、ここから先がちょっと違う。

ある日、死神がキツネを迎えにきた。ところでこの死神、キツネの顔をしている。ふーん、そりゃそうだよね。人間やウサギの顔じゃおかしいものね。で、まだ死にたくないキツネが、最後に食べたいからリンゴをとってくれと死神を木に登らせると、案の定、死神は木にくっついて降りてこられなくなる。

さあ、これでキツネは永遠に生きることができるようになった。でも、それって、ほんとに幸せなの? 死神が困った顔をするどころか、ほほえんでいるのはなぜ?

原書名には「死」という言葉が入っているから「死」がテーマではあるのだが、この絵本から受け取るものは読者の年齢によって違うかもしれない。別紙に描いたものを切り抜いてコラージュした絵は、時とともにキツネの表情が変わっていくのをうまく表現している。

(「トーハン週報」2017年8月14/21日号掲載)

みずまき


木葉井悦子/作・絵
講談社
2003.06

『みずまき』をおすすめします。

かんかん照りの暑い日には水まきがいちばん。女の子がホースで勢いよく水をまくと、あっちからもこっちからも小さな生き物が顔を出す。
この分じゃ、この女の子もびしょぬれだな、と思っていると、最後にはちゃんと浴衣を着せてもらって涼しそう。
命の豊かさが感じられる絵本。品切れ中なので図書館で見てね。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年7月29日掲載)

靴屋のタスケさん


角野栄子/作 森環/絵 
偕成社
2017.06.27

『靴屋のタスケさん』をおすすめします

「わたし」は、靴屋のタスケさんの手仕事に興味しんしん。金づちでトントンたたいたり、火で何かをあぶったり……。

作者の子ども時代が背景にあるので戦争も影を落としているけれど、タスケさんの職人技に見とれる体験は楽しい。

夏休みはプロの仕事を見るいいチャンス。絵も赤が印象的。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年7月29日掲載)

アルバートさんと赤ちゃんアザラシ


ジュディス・カー/作・絵 三原泉/訳
徳間書店
2017.05

『アルバートさんと赤ちゃんアザラシ』をおすすめします

店を売って生きがいをなくしていたアルバートさんが、海で、親を亡くしたアザラシの赤ちゃんに出会う。このままでは死んでしまうと連れ帰ることに。
でも、アパートはペット禁止で、うるさい管理人もいる。動物園で飼ってもらうもくろみもはずれ、さあ困った。
作者の父親の実体験をもとにしたお話で、絵も楽しい。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年6月24日掲載)

円周率の謎を追う〜江戸の天才数学者・関孝和の挑戦


鳴海風/著 伊野孝行/挿絵 
くもん出版
2016.11

『円周率の謎を追う:江戸の天才数学者・関孝和の挑戦』をおすすめします

関孝和という名前は知っていても、どんな人かを私は知らなかった。江戸時代の和算の達人ということを知っていただけである。本書はその関孝和を、血の通った人間として描き出そうとしている。数学が好きで儒学や剣術にはなかなか身が入らなかったこと、数学の師匠の娘である香奈と励まし合って学んだこと、数学好きのライバルたちと切磋琢磨したこと、けれども勤め(御用)をおろそかにできず数学だけを専門にするわけにはいかなかったことなどが、読みやすいストーリーとして語られているので、興味をもって読める。

後書きには、関孝和という人は、天才的な業績を残したにもかかわらず、いつどこで生まれたのかもわからず、その人生には謎が多いと書かれている。つまり、子どもの頃のことや折々に出会った人との会話などは、著者が想像して描いたフィクションとも言える。でも様々な文献に当たったうえでの想像であるからか、何かに一途になって心の中に消えない炎を持ち続けていた人だということが、無理なくしっかりと浮かび上がってくる。

私たちが約3.14と学校で習う円周率も、関が学び始めた頃は3.16とされていた。それに疑問を感じて関が追求しようとする過程や、漢文から思いついて数式を表現する方法を編み出すところなどが、スリルに富んだ推理小説のように描かれていて、おもしろい。出世やお金儲けには関係なくても、情熱を注げるものを持っていた人の楽しさが伝わってくる。

次は、「わたし、女数学者になります」と宣言して(ここもフィクションかもしれないが)、関を励ましつづけた香奈についても、もっと知りたくなった。

(「トーハン週報」2017年6月12日号)

いろいろいっぱい〜ちきゅうのさまざまないきもの


ニコラ・デイビス/文 エミリー・サットン/絵 越智典子 訳
ゴブリン書房
2017.03

『いろいろいっぱい:ちきゅうのさまざまないきもの』をおすすめします

都会に暮らしていると、この地球は人間が治めているという錯覚に陥ってしまう。でも、実際は違う。この惑星には数え切れないほど多様な生き物が暮らしていて、それぞれがたがいにつながって一つの美しい模様をつくっているのだ。

だから、ある生き物が絶滅するということは、そこにつながっている生物にとっても問題だということ。人間もその美しい模様の一部なのだから、壊さないで大事にしていかないとね。

シンプルな絵本だが、読み進むうちにそんなことが伝わってくる。なにより絵がすばらしいし、文字が大小二種類あるので、小さい子になら、大きい文字だけ読んであげてもいい。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年4月29日掲載)

あからん


西村繁男/作 
福音館書店
2017.02

『ことばさがし絵本 あからん』をおすすめします

「あ」から「ん」まで、それぞれの文字で始まることばをさがす楽しいあいうえおの絵本。

たとえば「た」だと、「たこあげする たぬきに たこ たいあたりする」というゆかいな文に出てくるものだけでなく、ほかに9個の「た」で始まるものが描かれています。さあ、何かな?

「ん」もおもしろいよ。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年3月25日掲載)

ソフィアのとってもすてきなぼうし


ミシェル・エドワーズ/作 G・ブライアン・カラス/絵 石津ちひろ/訳
ビーエル出版
2016.12

『ソフィアのとってもすてきなぼうし』をおすすめします

ソフィアは、おとなりのおばちゃまと仲良し。おばちゃまは毛糸で帽子を編んでみんなにあげるのが好きだけど、自分は帽子がなくて寒そう。ソフィアは作ってあげようとするけれど、できたのは穴だらけのおばけみたいな帽子。どうしたらいい? 他者に心を向けることで、自分もあたたかくなる終わり方がすてきだ。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年2月25日掲載)

ジョージと秘密のメリッサ


アレックス・ジーノ/作 島村浩子 訳
偕成社
2016.12

『ジョージと秘密のメリッサ』をおすすめします

4年生のジョージは、体は男の子でも自分は女の子(メリッサ)なのだと感じている。しかし、学校でも家でもそのことは秘密にしている。学年で『シャーロットのおくりもの』の劇を上演することになっても、ジョージがやりたいシャーロットの役は、女子の役という理由でやらせてもらえない。

でも、やがて親友のケリーが、あるがままのジョージを受け入れて、午後の部の役をひそかに代わってくれたり、女の子同士の楽しい時間を設けたりしてくれる。家族も徐々にジョージを理解するようになる。

自らもトランスジェンダーである作家が書いただけに、「男の子のふりをするのは、ほんとうに苦しいんだ」というジョージの叫びも心理描写もリアルだ。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年1月28日掲載)

レイン〜雨を抱きしめて


アン・M・マーティン/作 西本かおる/訳
小峰書店
2016.10

『レイン〜雨を抱きしめて』をおすすめします

父親と暮らす5年生のローズは、高機能自閉症と診断され、周囲にうまく適応できない。拾ってきた犬のレインが友だちだが、ハリケーンで行方不明に。必死の捜索で見つかった後のローズの行動が、周りの状況を変えていく。

自分がほかの大勢とはどこか違うと感じている子どもたちに、元気をくれる本。

(朝日新聞「子どもの本棚」2016年12月24日掲載)

おばあちゃんとバスにのって


マット・デ・ラ・ペーニャ/作 クリスチャン・ロビンソン/絵 石津ちひろ/訳
すずき出版
2016.10

『おばあちゃんとバスにのって』をおすすめします

この絵本のおばあちゃんは、お金や効率よりも人とのふれあいを大切にしています。行き先は、困っている人にごはんを出す食堂。ぼくも手伝って奪った食事をみんなが笑顔で食べてくれると、心もあったかに。

(朝日新聞「子どもの本棚」2016年11月26日掲載 *テーマ「ぬくもり」)


『おばあちゃんとバスにのって』をおすすめします。

どんなときにも人生を楽しめるって、いいよね。でも、それにはちょっとしたコツが必要。

この絵本のおばあちゃんは、人生を楽しむ達人。髪は白いけど、黒い服に赤い傘、緑色のネックレスにピアスのおしゃれさん。孫息子のジェイが「なんでバスを待たなきゃいけないの?」と不満げにたずねても、「だって、バスの方が楽しいんじゃない?」なんて答えてすましている。

おばあちゃんとジェイが乗ったバスには、チョウを入れたビンを抱えたおばさんも、スキンヘッドにタトゥーのこわもて男も、ギターをつま弾く帽子の男も乗っている。盲導犬を連れた人も乗ってくる。おばあちゃんはみんなにあいさつし、鼻歌をうたう。にこにこ顔がまわりにも広がり、帽子の男の演奏と歌にみんなが聞きほれる。

バスが終点で停まると、そこはジェイが「汚くていやだなあ」と感じるような街だ。道はがたがたで、家のドアは壊れ、あちこちに落書きもしてある。でも、おばあちゃんは「ここでもちゃんと美しいものは見つけられるのよ」と言って、空にかかった虹に、いち早く目をとめる。

二人が向かったのは、ボランティア食堂。英語だとスープキッチン。無料で、あるいはとても安い料金で食事ができるところだ。日本で言うと、おとなも来られる子ども食堂みたいな感じかな。おばあちゃんはエプロンをかけて、次々とやってくる人たちに食べ物をよそっていく。ジェイも手伝う。そこは、人と人が触れあうことのできる場だ。ひとり暮らしの人も、友だちに会える。こういうところなら、お腹だけじゃなくて心も満たされるはず。食堂に来るのは恵まれない人たちだけど、貧しいとかかわいそうという視点はまったくなくて、だれもが楽しそうだ。原書は、アメリカでニューベリー賞とコルデコット賞銀賞を受賞した。

(「トーハン週報」2016年12月12日号)

おふろだいすき


松岡享子/作 林明子/絵
福音館書店
1982.04

『おふろだいすき』をおすすめします。

寒くなると、おふろがうれしいですね。しかも、このおふろには不思議がいっぱい。もわもわの湯気の中から、カメやらペンギンやらカバやら、なんとクジラまで出てきます。想像がふくらむ絵本です。最後におふろから上がって、お母さんが差し出すタオルにくるまれる男の子が、ほっかほかでなんとも幸せそう。

(朝日新聞「子どもの本棚」2016年11月26日掲載 *テーマ「ぬくもり」)

ペーパーボーイ


ヴィンス・ヴォーター/作 原田勝/訳
岩波書店
2016.07

『ペーパーボーイ』をおすすめします。

主人公のヴィクターは、ケガをさせた友だちへの罪滅ぼしのため、夏休みの1か月間自分がかわって新聞配達をすると申し出る。ヴィクターは何か言おうとするとどもるので、文節と文節の間にssss・・・を挟んだり、もっと簡単に言える言葉をさがしたり、時には緊張のあまり気絶してしまったりする。

時代は1959年。現代的な言語療法の研究が始まったばかりという時期で、人種差別もまだ激しかった。場所はテネシー州のメンフィス。自分も吃音をもっている著者が、故郷を舞台に回想を織り交ぜながら書いている。

吃音は、「ちょうど世界がひらけて広がる時期に、その人を孤立させ、周囲を困惑させる存在にしてしまう」(作者覚え書より)が、ヴィクターは配達先で否応なくさまざまな人たちと知り合う。美人だけど不幸を背負っていそうな奥さん、本がたくさんある家に住んでいて難しい言葉が好きなおじいさん、いつ行ってもテレビの前にかじりついている少年・・・。通りでクズ拾いをしているR・Tや、芝刈りを仕事にしている巨体のビッグ・サック、そしてだれよりも知恵がありそうなマームというメイドさんからも、ヴィクターは人生について多くのことを学んでいく。そして、見聞きしたこと、考えたことをイプライターで記録していく。

彼が書く文章には、カンマがない。カンマは息継ぎの印だとわかっていても、しゃべる時にたくさん息継ぎをしてしまうヴィクターは、書く時は息継ぎなしにすらすら表現したいのだ。翻訳も、読点なしだが読みやすい日本語になっている。

世界がひらけてヴィクターが成長していく物語の途中には、ヴィクターが父親とは血がつながっていないとわかる事件や、ヴィクターのナイフやお金を盗んだR・Tに、取り返しにいったマームが殺されそうになったり、ビッグ・サックが駆けつけて急場を救ったりという事件も入ってきて、読者をぐんぐん引っ張っていく。

(「トーハン週報」2016年10月10日号掲載)

アイヌのむかしばなし ひまなこなべ


萱野茂/文 どいかや/絵 
あすなろ書房
2016.08

『アイヌのむかしばなし ひまなこなべ』をおすすめします。

心根のいいアイヌに仕留められたクマの神様は、その魂を天の国へ送る宴で目にした若者の素晴らしい踊りが忘れられません。クマの姿で何度も地上にやって来ては同じアイヌの矢に当たり、宴で若者の正体をつきとめようとします。このアイヌは、クマの肉や毛糸をたくさんもらって裕福に。さて「暇な小鍋」とは?

アイヌ文化の継承に力を尽くした萱野が採集したこのお話には、道具には魂が宿ると考え、カムイ(神)として敬ってきたアイヌの人たちの考え方がよくあらわれています。人間は他の生命をいただいて生きている、ということの重みも伝わります。独特の文様を取り入れた絵も子どもにわかりやすくて楽しい絵本に仕上がっています。

(「朝日新聞 子どもの本棚」2016年9月24日掲載)

アポリア〜あしたの風


いとうみく/著 宍戸清孝/写真
童心社
2016.05

『アポリア〜あしたの風』をおすすめします。

2011年の東北大震災に関連する本は、これまでにもいろいろ出ている。この作品も、その系列に入るが、なんと舞台は東京近辺で、時代は近未来に設定されている。

主人公は中2の一弥。ふとしたきっかけから同級生に殺意をいだいた自分が恐ろしく、人間と付き合うことを絶って不登校になり、自分の部屋に閉じこもっている。ある日、突然大地が大きく揺れ、津波が襲ってくる。母子家庭の一弥は、なんとかして母親を助けようとするが、そばを通りかかったタクシー運転手の片桐に腕をつかまれ、無理やり避難させられる。一弥は片桐を恨み、避難先でも最初はだれにも心を開かない。

震災というのは、大きな悲しみや苦しみをもたらす一方で、これまでの社会では出会わなかった年齢も職業も背景も異なる人たちが生身の人間として出会うきっかけにもなりうる。

この作品の縦糸は、そうした出会いを通して少しずつ変わっていく一弥の物語である。子どもとおとなの中間にある中2という年齢だからこその揺れも、うまく描かれている。

また横糸となっているのは、一弥が出会う人々がそれぞれに背負っている物語である。片桐以外にも、一弥の叔父である健介、無理心中を図った祖父と一緒に避難している4歳の草太、自分の欲に負ける一方で他人を偽善者とののしる元看護師の中西、ネコと一緒に助けられた中3の瑠奈などが登場し、それぞれが生身の人間としてぶつかり合いながら、死を目の当たりにしてたじろぎ、いのちについて思いをめぐらせ、やがてそれぞれに生へ向かう道を歩み始める様子が描写されていく。限られたページ数の中で多様な人々それぞれの物語を描ききるのは至難の技だが、一人一人の人間を描こうとした著者の努力によって、骨太の作品として立ち上がっている。

ちなみに「アポリア」とは、ギリシア語で「道がないこと」を意味しているという。

(「トーハン週報」2016年8月8日号掲載)

14歳からの戦争のリアル


雨宮処凜/著
河出書房新社
2015.07

『14歳からの戦争のリアル』をおすすめします。

戦争って、これまでは無関心でも生きてこられたけど、もうそういうわけにはいかなくなってきた。そう私は感じている。愚かな政治家と、私を含めだまされやすい民のせいで、「戦争をしない」という先人の決断がペケにされようとしているからだ。

戦争はいけないと呪文のように言われて育ってきたものの、「学校で習う『戦争』の話は、ひたすらに暗く、怖く、そして時に説教臭かった。『平和な時代』に生まれたことを、なんだか責められているような気になった」と著者は書く。

でも、戦争って、ほんとうはどんなものなのか? 誰が死んで誰が得をするのか? 著者は「戦争」に深くかかわった人たちにインタビューして疑問をぶつけ、リアルに迫ろうとする。

インタビューに登場するのは、イラク戦争に米海兵隊員として従軍したロス・カプーティさん、太平洋戦争でトラック島に攻め込んだ金子兜太さん、イラクでボランティアを続ける高遠菜穂子さん、戦争解決請負人と呼ばれる伊勢崎賢治さん、戦場出稼ぎ労働者からジャーナリストになった安田純平さん(今シリアで拘束されていますね)、徴兵拒否してフランスに亡命した韓国人のイ・イェダさん、元自衛官の泥憲和さん、女優として戦地を慰問した体験を持つ赤木春恵さんの8人。最前線で戦争を体験したこの8人の話からは、図式的ではないそれぞれの戦争現場でのリアルが浮かび上がってくる。

先日私はフォト・ジャーナリストとして世界各地の戦場を経験している高橋邦典さんの話を聞いた。彼も、「戦場の死体の匂いは、いったん知ると遠くにいても風向きしだいでわかるようになってしまう。戦争はぜったいに嫌だと思うようになる」と語っていた。

政治家や学者とは違って、生身で戦争のリアルと向き合い、そしてなんとか生き残った(安田さんにも生きて帰ってきてほしい)人たちの話は、ふだんメディアには流れない。とんでもないことになってしまう前に、読んで考えてみない?

(「トーハン週報」2016.06.13 掲載)

宮沢賢治「旭川。」より


あべ弘士 文・画
BL出版
2015.02

『宮沢賢治「旭川。」より』をおすすめします。

宮沢賢治の「旭川」という詩を基にして、そのエッセンスを活かしながら、言葉を紡ぎ、絵で表現した絵本。

賢治の詩が内包するさわやかさや軽やかさを、みごとに表現している。動物中心の絵本を数多く出してきた作者だが、この絵本の主人公は、帽子をかぶって馬車に乗る賢治。しかし、その周囲には動物も登場し、馬ばかりでなく大きな蝶やフクロウやオオジシギが随所に登場している。

中でも原詩には出てこないオオジシギを、作者は、「天に思いを届け、天の声を聞いて返ってくる使者のようだ」として、三見開きを使って、大きく扱っている。この鳥に、賢治を象徴させているのだろうか。

画面ごとの構成や、余白の使い方、流れや変化のつけ方もすばらしく、この作者がこの絵本で新たな境地を切りひらいたことを思わせる。

(産経新聞児童出版文化賞講評2016.05.05掲載)

いもうとガイドブック


ポーラ・メトカーフ/文 スザンヌ・バートン/絵 福本友美子訳
少年少女新聞社
2015.05

『いもうとガイドブック』をおすすめします。

姉から見た妹を描いた絵本。兄弟や姉妹について描いた絵本はたくさんあるが、その多くは年上の子どもが年下の子どもに親をとられたように感じて複雑な気持ちを抱く様子を表現している。この絵本にもその要素はあるが、それだけではないのがおもしろいところ。

絵も軽妙でゆかいだが、それ以上にユーモアにあふれた文章が楽しく、クスッと笑わせてくれる。

このくらいの年齢の姉妹なら似たような経験をしたことがあるはずで、それぞれの体験と重ね合わせて読めば、実際の兄弟姉妹関係にも余裕が生まれるのではないだろうか。

あたたかいユーモアを短い言葉でうまく訳すのはとても難しいものだが、翻訳はそのユーモアを、細かいニュアンスまで含めてみごとに日本語に移しかえている。そのおかげで、日本の子どもにも十分に楽しめる絵本になった。

(産経新聞児童出版文化賞講評2016.05.05掲載)

今すぐ読みたい! 10代のためのYAブックガイド150!


金原瑞人&ひこ・田中/監修
ポプラ社
2015.11

『今すぐ読みたい! 10代のためのYAブックガイド150!』

近頃の中高生はあまり本を読まないという。小学生は、読書推進ボランティアが読み聞かせをしたり、ブックトークをしたり、朝読なども盛んだったりするので、まだ読むのだが、中高生になるとほかに面白いことも、塾や部活など忙しいことも出てくるから、本なんか読んでらんないということらしい。

それに町の本屋さんに行っても、近頃は味のある本はあまり置いてない。まして児童書などは少しでもあればいいほうだ。私の近所でも、駅前の本屋さんがつぶれてしまった。というわけで、本は中高生の目になかなか触れなくなってもきている。この年齢だと、学校の先生がおすすめする本への猜疑心も強いだろう。だからこそ当コラムを役立ててもらうといいとは私も思っているのだが、たまには1冊ずつのおすすめじゃなくて、たくさんのおすすめの中から選びたいと思う生徒もいるだろう。

そこで、今回はこのブックガイド。中は (1)10代の「今」を感じる本 (2)社会を知る、未来を考える本 (3)見知らぬ世界を旅する本 (4)言葉をまるごと味わう本 (5)現実を見つめる本、と5つの章に分かれている。そして各章が、たとえば1章だったら、「学校のリアル」「部活へGO!」「自分って何者?」「友情、恋、冒険、青春!」なんていうふうにまた分類されているので、自分が気に入ったジャンルで本をさがしやすい。執筆者は、評論家、書店員、作家(森絵都、佐藤多佳子、那須田淳も書いている)、研究者、司書、編集者など25人。それぞれの人が気に入った作品について、おすすめのポイントを熱っぽく語っているのがうれしい。

ちょっと時間ができたけど、何を読んでいいかわからないな、という人たちは、ぜひこれをパラパラとめくってみてほしい。軽妙なエンタメから重厚な社会派までよりどりみどりだ。

(「トーハン週報」2016.04.11 掲載)

ワンダー


R.J. パラシオ/著 中井はるの/訳
ほるぷ出版
2015.07

『ワンダー』をおすすめします。

初めてだれかに会ったとき、最初に意識するのはその人の顔だろう。私たちはお互いに顔を見てコミュニケーションをする生物なのだから。でも、その顔の造作やバランスがほかの人のそれとは大きく違っていたら、私たちはどんな反応をするだろうか? 凝視する? 目をそらす? それとも顔の奥にあるその人の心をのぞこうとする?

この物語の主人公はオーガスト(オギー)。「外見については説明しない。きみがどう想像したって、きっとそれよりひどいから」と自分で述べているのだが、先天的に顔に障碍があり、生まれてから27回も手術を繰り返していた。そして学校には行かずに、母親から勉強を教わってきた。

ところがオーガストは、中学にあがる年齢(アメリカの話なので、5年生から中学生なのだが)になって、初めて学校というものに行くことになる。当然のことながら、オーガストは緊張と不安に押しつぶされそうになっている。懸念は的中し、オーガストは学校で、奇形児とかゾンビっ子とかペスト菌などと呼ばれることになる。この世界は、オーガストのような存在には決してやさしくないのだ。

語り手は、オーガストばかりでなく、姉のヴィア、いつもオーガストと一緒にお昼を食べているサマー、親友だけど途中でぎくしゃくしてしまうジャック、ヴィアのボーイフレンドのジャスティン、ヴィアの以前の親友ミランダ、と次々変わっていく。複数の視点を通して、立体的に状況が浮かび上がる。オーガストの存在を鏡にして、周囲の人たちの人となりも浮かび上がる。

障碍を持った人には親切にしなくてはならないとお題目を唱える本ではない。理想的なあるべき姿を提示する本でもない。リアルである。けれど、そう甘くはないこの世界にも、はかない者、弱い者を守ろうとする人たちが存在することを、この作品はきちんと描いていく。「かわいそう」という視点がないのが、何よりいい。

(「トーハン週報」2016.02.08号掲載)

走れ、風のように


マイケル・モーパーゴ著 佐藤見果夢/訳
評論社
2015.09

『走れ、風のように』をおすすめします。

世の中には旬の作家というのが確かにいる。マイケル・モーパーゴは今がまさに旬。日本でも次々に翻訳出版されているのだが、最近のモーパーゴは、テーマは違っても、それも粒ぞろいでおもしろい。

この作品の主人公は、犬のグレイハウンド。生まれて間もなく川に捨てられて溺れそうになっていたところを、少年パトリックに救われる。そしてベストフレンドと名づけられ、とても大事に飼われている。しかしある日、走るスピードに目をつけられ、誘拐されて売り飛ばされ、ドッグレース用の犬に仕立てられる。飼い主は金儲けしか考えず、勝てない犬は容赦なく殺処分にするという男である。犬の運命はどうなるのかと、はらはらさせられるが、今度はベッキーという少女に助けられる。

ベッキーは、ブライトアイズと名づけたこの犬を連れて家出をするのだが、子どもの家出というのは、残念ながらたいていはうまくいかない。そこで主人公の犬は、今度はジョーという、妻を亡くしたおじいさんに引き取られて、パディワックと名づけられる。

『戦火の馬』でも、モーパーゴは馬を主人公にしてさまざまな人間模様を描いていたが、この作品でも、犬を主人公にしながら、パトリックとベッキーとジョーの心の有りようを、実にうまく描き出している。ストーリーの作り方もうまい。そういえば、本書と同じ頃に翻訳が出た『月にハミング』も、ストーリー作りのうまさが際だっていた。

モーパーゴは、ドッグレースを引退したグレイハウンドが銃殺されているという新聞記事を読んで、この物語を書いたという。新聞記事一つから、これだけおもしろくて社会的な視点もあるストーリーが書けるなんて、旬の作家ならではのことかもしれない。

(「トーハン週報」2015.12.14 掲載)

白いイルカの浜辺


ジル・ルイス/作 さくまゆみこ訳 平澤朋子/挿絵
評論社
2015.07

『白いイルカの浜辺』をおすすめします

今回は、私がかかわった本を紹介したい。

主人公は、難読症もあって学校でもいじめられている少女カラ。海洋生物学者の母親は、野生のイルカを調査している時に行方不明となってしまったが、カラはいつか帰ってくるものと信じている。カラの父親は、妻が行方不明になったショックや、自分も難読症を抱えているせいもあって、娘との生活をなかなか立て直せないでいる。カラと父親は、ベヴおばさんのもとに身を寄せているが、おばさんには近々赤ちゃんが生まれることになっており、カラたちは住む場所もさがさなくてはならない。

そんな時、カラの学校に転校生フィリクスがやってきた。裕福な家庭に生まれたフィリクスは、脳性麻痺で手足が不自由だが、人一倍の自信家でもあり、ITオタクでもある。

カラとフィリクスは育ちも興味も違う、いわば異文化的な存在なので最初は反発しあうのだが、お互いの異文化性を理解してからは仲間になっていく。

カラにとってはおなじみの、ヨットで海に出る楽しさをフィリクスも知ったことから、二人はお互いを再発見し、ケガをしたアルビノの子イルカの命を助けようとする気持ちが二人の結びつきを強める。

本書は、ハラハラどきどきの冒険物語(特に最後のあたり)であり、親と子の葛藤の物語でもあり、地域や政治とのかかわりの物語でもあり、大自然とITを対比する物語でもあり、そして何より動物について深く知ることのできる物語でもある。前作の『ミサゴのくる谷』同様、動物や自然についての描写は的確でウソがない。

子どもたちが、海の美しさを守りたいという気持ちから環境破壊に異議を唱え、底引き網漁を解禁しようとする利権社会やおとなの意識を崩していくあたりも、おもしろい。

平澤朋子さんの絵がまたとってもすてき。

(「トーハン週報」2015年10月12日号掲載)

もしも、詩があったら


アーサー・ビナード/著
光文社新書
2015.05

『もしも、詩があったら』をおすすめします。

アーサー・ビナードはこんなふうに始める。

「もしも」と言っただけで、まわりの世界が、ちょっと違って見える。
「もしも」から出発して、想像をめぐらしてみると、新天地に到達することがある。
「もしものとき」にそなえて、ぼくらは生きのびようとする。
詩が生まれるきっかけになるのも、この「もしも」だ。

そう、確かに。
もしも、と仮定してみただけで、今とは違った世界が見えてくる。

本書は、シェークスピアだのウィリアム・ブレイクだのジャック・プレヴェールだのから、ボブ・ディランやまど・みちおや吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」まで、「もしも」にまつわる古今東西の詩を取り上げている。

取り上げるといっても、これは教科書ではないし、ただ単に詩を紹介する本でもない。アーサーの生きてきた道の途上にあったあれこれのエピソードや、それぞれの詩に触発された思索が書かれているので、奥行きがある。

アーサーの日本語の言い回しには時にはっとさせられるし(これは、ほかのエッセイの本でもだけど)、「日本語だと鳥の翼も〈羽〉だし羽毛も〈羽〉だけど、英語ではこの二つを同一視することはありえない」(アーサーは、同音異義語と言ってるけど、これもその範疇なのかな?)なんていう豆知識も手に入る。たいていの場合、英語の詩と、それを日本語に訳したものとが載っているので、比べてみて、あーだのこーだの言うこともできる。ところどころに入っているアーサーのイラストも、なかなか趣があっていい。つまり、いろんな楽しみ方ができる本だ。

最後に載っているアーサー自身の詩「ねむらないですむのなら」は、ほかのどの詩よりも辛辣なので、心して読んでほしい。

(「トーハン週報」2015年 8月10日号掲載)

戦場


亀山亮/著
晶文社
2015.01

『戦場』をおすすめします。

「戦場カメラマン」と呼ばれる人たちも、いろいろです。生と死の間をかいくぐる体験を積んでいるうちに刹那的になる人もいれば、逆に哲学的になる人もいます。その体験をくぐり抜けて自分のやりたいことを見つける人もいるし、その体験を売り物にしてバラエティ番組で稼ぐ人もいます。

本書は、そんな戦場カメラマンの一人であり、戦場で片目を失った著者が、「若い頭と心」で見聞きした戦場と、戦争にさらされた人たちを写真と文章で描いています。取り上げられているのは最初がパレスチナで、あとは主にアフリカの国々。恐怖やとまどい、迷いや悩みも書かれているので、若い読者たちも、身近なものとして読めるかもしれません。

多くの戦場カメラマンたちは、日本ののんびりした日常と、戦場の緊迫感の間でとまどい、どちらが本当の現実か考えたりいらだったりし始めます。そのあたりも、あえて整理せず迷うままに書かれているのがリアルです。それと同時にこの著者は、戦争は憎しみや差別が引き起こすものというより、経済・政治のシステムが引き起こすものではないかということに気づいています。たとえばこんな文章。「爆撃で人が死ねば死ぬほど莫大な利益を得てほくそ笑む人間たちが存在する。巨大な経済システムがうごめいて、知らないあいだに人々は殺す側と殺される側に隔てられていく」。

そう、戦争をとめようと思ったら、「戦争をさせている力」について考えてみることが必要なんですね。この国の政治家が言っていることを鵜呑みにしていたのでは、ますます戦争に近づいていきます。総理大臣が唱える「積極的平和主義」にちょっとでも疑問を持った人には、特におすすめです。

(「トーハン週報」2015年4月13日号掲載)

空へ


いとうみく/作
小峰書店
2014.09

『空へ』をおすすめします。

短編集のようでもありますが、読んでいくうちに、1冊まるごと物語がつながっていることがわかります。

主人公は小学校6年生から中学生になった佐々木陽介。「とうちゃん」はくも膜下出血に脳梗塞を併発して亡くなり、「かあちゃん」と幼い妹の陽菜(ひな)の3人家族になりました。単親家庭になってすぐに「かあちゃん」は電池が切れたようになったこともあり、陽介は自分ががんばらなくては、強くならなくては、とひたすら思っています。でも、まだ子どもなので、知らないこともいっぱいあり、そうそううまくはいかないのですね。

けれど、そういう立場だからこそ、見えてくることもたくさんあるのです。そして、そういう状況だからこそ、まわりの人とつながれるチャンスもめぐってくるのです。

何が何でもただがんばる、という根性ものではありません。悲しい、つらいというお涙ちょうだいの物語でもありません。

この本に収められた6つの小さな物語は、陽介の日常とその時々の気持ちを描きながら、彼をとりまくさまざまな人間模様もうかびあがらせていきます。しかも、同年代だけではない、世代の違う人たちの人間模様も。

最初の物語「おかゆ」は、陽介が陽菜をお医者さんに連れてきたところから始まり、どうしてそういう羽目になったのかを説明する過程で、「とうちゃん」の死と一家の事情が明かされています。そして最後の物語「神輿」は、町内の祭りで神輿をかつぐのが大好きだった「とうちゃん」の代わりに陽介が神輿をかつぐシーンで終わっています。

いろいろな思いを抱きながらもまっすぐに進んでいこうとする陽介を、ついつい応援したくなる、さわやかな読み心地です。

いとうみくさんは、『糸子の体重計』で児童文学者協会の新人賞をとり、『かあちゃん取扱説明書』でも話題になった、これからがとても楽しみな作家です。

(「トーハン週報」2014年12月8日号掲載)

希望の海へ


マイケル・モーパーゴ/作 佐藤見果夢/訳
評論社
2014.08

『希望の海へ』をおすすめします。

社会的な視点をもちながらストーリーテラーの腕も抜群というマイケル・モーパーゴが、本書で扱うのは、最近になってわかってきた児童移民の問題です。イギリスから「孤児」(本当の孤児はわずか)たちがオーストラリア、カナダ、南アフリカなどへ送られ、第二次大戦後にはその人数もピークに達したと言われています。

第一部を語るのは、アーサー・ホブハウス。まだ幼いうちに船に乗せられイギリスからオーストラリアにやって来たものの、引き取られた先の農場で奴隷としてこき使われます。さんざん我慢を重ねた後にアーサーは年上の友と一緒に逃げ出し、黒い肌の人たち(先住民ですね)に助けられ、「ノアの方舟」と呼ばれる場所でようやく愛を注いでくれる人に出会います。でも、そこでずっと幸せに暮らしたわけではありません。まだまだ山あり谷ありの人生が彼を待ち受けていました。アーサーがその波瀾万丈の人生の中で持ち続けていた唯一のものは、小さな鍵です。それは姉のキティをさがす鍵でもありました。

そして第二部を語るのは、アーサーの娘のアリーです。父親のかわりにまだ見ぬ伯母キティに会うためひとりでヨットに乗り、数々の困難を乗りこえてイギリスまで航海します。複数の文化を背負った(母親はギリシア人)女の子アリーが単独で冒険するという設定がなかなかいいうえに、航海についてくるアホウドリ、アリーと宇宙飛行士との交信、そして父親から手渡された鍵の謎など、第二部にもさまざまな仕掛けがつまっています。果たしてアリーは、伯母のキティを捜し当て、鍵で何かをあけることができたでしょうか?

わくわくしながら読めます。

(「トーハン週報」2014年10月13日号掲載)

戦場のオレンジ


エリザベス・レアード/作 石谷尚子/訳
評論社
2014.04

『戦場のオレンジ』をおすすめします。

いい作品を書いているのはわかるけれど、なぜか心の奥底まで響かない作家がいます。私にとってエリザベス・レアードはそんな作家の一人でした。きっと読者である私との相性の問題なのでしょう。

なので今回も、この作品を取り上げようと即決したわけではありませんでした。でも、迷っているとき、雨宮処凜さんの「若い女性に戦争の現実味を伝えるには、服が汚れる、おしゃれが出来なくなると説明するのがいちばん響く」という言葉が目にとびこんできました。

爆撃される、殺されるというのは、今やバーチャル世界の出来事となり、実感が持てないのだと思います。服が汚れるなんていうのは、日常世界でも体験することなので、逆にリアリティをもって迫ってくるのでしょう。

それならと、今回はこの本を取り上げることにしました。これを読めば、もう少しリアルなイメージが持てるようになるかもしれないと思ったからです。

本書の舞台は内戦下のベイルートで、敵と味方の間にグリーンラインと呼ばれる境界線が走っています。主人公は10歳のアイーシャ。父親は外国に出稼ぎに行き、母親は家に爆弾が落ちてから行方不明で、アイーシャを頭に3人の子どもがおばあさんと暮らしています。そのおばあさんが生きていくのに必要な薬を手に入れるため、アイーシャはグリーンラインを越えて敵の領域まで侵入し、お医者さんを訪ねます。

物語の中には、このお医者さんをはじめ、やわらかい心を持った人たちが登場してきます。でも、戦争という状況は、そのやわらかい心がのびやかに息づくのを許してはくれません。そのあたりのことがとてもよく書かれています。

(「トーハン週報」2014年8月11日号掲載)

「死」の百科事典


デボラ・ノイス/著 千葉茂樹/訳 荒俣宏/監修
あすなろ書房
2014.04

『「死」の百科事典』をおすすめします。

若い時って、大人になってから以上になぜか「死」が気になるものです。私は、中学生・高校生の頃、北村透谷とか有島武郎とか芥川龍之介とか太宰治とかヘミングウェイとか、自分が読んだ本の作家の自殺が気になって仕方がありませんでした。

で、この本です。まず扉をあけると「死ぬのって、きっとすごい冒険なんだろうな」というピーター・パンのかなり挑発的な言葉が目にとびこんできます。そう言えば『影との戦い』(ゲド戦記1)の冒頭にも、「光は闇に/生は死の中にこそあるものなれ」という言葉がありましたっけ。生と死は背中合わせだとすると、生が冒険だった人は死も冒険なのかもしれないし、よりよい生き方をした人にはよりよい死(ぽっくり逝くとか)も待っているのかな、なんて思ったりします。

で、もう一度この本です。開いて見ると、「連続殺人犯」、「黒魔術」、「死体泥棒」、「生贄の未亡人」、「アンデッド」(これは吸血鬼やゾンビやバンパイアなんかのことですね)なんて、おどろおどろしげな項目もあります。「死神」という項目があるかと思うと、「死神をだます」という項目もあります。興味をひく図版もたくさん入っています。でも、出版社と翻訳者を見ればわかるとおり、センセーショナルに売ろうとする本ではなく、これはまじめな本なのです。「自殺」という項目を読んでみたら、国連の世界保健機関によれば、年間の自殺者は世界で100万人といわれ、戦争と殺人による死者の数を上回っている、なんてことも書いてありました。

エッセイ風の文章を拾い読みしてみても、逆に「生」を考えるきっかけになりそうです。

(「トーハン週報」2014年6月9日号掲載)

さわるめいろ


村山純子/著・デザイン 点字つき絵本の出版と普及を考える会&岩田美津子/協力
小学館
2013.02

『さわるめいろ』をおすすめします。

目の不自由な子どももそうでない子どもも、一緒に楽しめる絵本。

いくつかの出版社から出ている「てんじつきさわるえほん」の1冊で、シリーズのほかの絵本はロングセラー絵本の点訳化だが、本書は内容もオリジナル。市販の点字絵本はこれまで、印刷・製本上のさまざまな問題から、かなり高額な値段をつけざるをえず、だれもが買えるようなものとはなっていなかった。

今回のこのシリーズは、平成14年から出版社、印刷会社、作家、画家、デザイナー、点訳ボランティア、研究者などが定期的に集まって話し合いを重ねたなかから生まれたもので、絵に重ねて樹脂インクで盛り上げ印刷をし、蛇腹式の製本を取り入れてコストを抑えている。

本書は、日本の伝統模様などを使い、そこに樹脂の点々をのせているが、実際に目の見える子と不自由な子が一緒に遊ぶと、見える子が教わるという場合も多い。

このような試みが今後も続いていくことを願いたい。

(「第61回産経児童出版文化賞大賞 選評」産経新聞 2014年5月5日掲載)

ローズの小さな図書館


キンバリー・ウィリス・ホルト/著 谷口由美子/訳
徳間書店
2013.07

『ローズの小さな図書館』をおすすめします。

最初に登場するのは、父親が蒸発して貧しくなった家庭のローズ。家計を助けるために年齢を偽り、14歳で移動図書館車のドライバーとして働き始めます。1939-40年のことです。でも、この本の主人公はローズだけではありません。第二部はローズの息子のマール・ヘンリー(時代は1958-59年)、第三部はマール・ヘンリーの娘のアナベス(1973年)、第四部はアナベスの息子のカイル(2004年)が主人公になっています。

四部構成になったどの物語も図書館が舞台というわけではなく、主人公の中には本嫌いもいます。内容も、不注意でわなに愛犬がかかってしまった話、恋といじめの話、アルバイトで子どもの劇を手伝う話など、様々です。とはいえ、だれもが、なんらかのかたちで本や図書館にかかわっています。

この作品には、4世代にわたるアメリカの10代の日常の変遷を生き生きとたどれるおもしろさがあります。人によって本の読み方も、本に求めるものもいろいろだということも、よくわかります。21世紀に入ると、アメリカでもホームレスの人たちが図書館を昼の居場所にして、ハリー・ポッターなどを読んでいる、なんてこともわかります。ただし、カタカナ名前がたくさん出てくるので、本の最初のほうに載っている家系図を見ながら読み進めるといいでしょう。

そして最後の第五部には、ひいおばあちゃんになったローズがもう一度登場します。79歳のローズはこれまでの体験を本に書いてとうとう出版したのです。お祝いの場に、ここまでの物語に登場してきた人物が勢揃いする(亡くなった人は別ですが)のも、おもしろいところです。

(「トーハン週報」2014年2月10日号掲載)

ふるさとにかえりたい〜リミヨおばあちゃんとヒバクの島


島田興生/写真 羽生田有紀/文
子どもの未来社
2014.02

『ふるさとにかえりたい 〜リミヨおばあちゃんとヒバクの島〜』をおすすめします。

語り手は73歳のリミヨおばあちゃん。おばあちゃんの生まれ故郷はロンゲラップ島。太平洋のマーシャル諸島共和国にあります。おばあちゃんは13歳の時(1954年)ヒバクしました。となりのビキニ環礁で水爆実験が行われたからです。この時の核爆弾は、広島型原爆の1000倍の爆発力をもつ水素爆弾で、ブラボー(なんという名前!)と呼ばれていました。アメリカは3年後に安全宣言をして、避難していたロンゲラップ島民の帰還を促したのですが、帰還した島民の多くが甲状腺に腫瘍ができ、子どもの多くが白血病で死亡したそうです。

この本はそうした事実を、もう一度今の時代に生きる私たちに知らせるだけではなく、ロンゲラップでヒバクし、マジュロ島に避難し、それから60年たった今も故郷に帰れずに毎日の暮らしを営んでいる一人の普通のおばあちゃんの、生きた証言です。ロンゲラップに帰島して小学校の先生になったとき、子どもたちの体が日に日に弱っていくのを目撃したこと、再避難が必要になってNGOのグリンピースが来てくれたこと(アメリカは再避難を認めなかったうえ、表土の除染さえ44年後まで行わなかったのです)、そして今考えていること、今感じていることが写真と文字で語られています。

私は、このリミヨおばあちゃんの話を読むまでは、ビキニの核実験が60年後の今でもなお島民の暮らしに大きな影を落としていることを知りませんでした。どうしても福島と重ねて考えてしまいます。

象にささやく男


ローレンス・アンソニー&グレアム・スペンス/著 中嶋寛/訳
築地書館
2014. 2

『象にささやく男』をおすすめします。

これは厳密に言うと、児童書ではありません。一般書です。ルビもありません。でも、高校生くらいからなら、ずんずん引き込まれて、とてもおもしろく読めるノンフィクションです。

舞台は南アフリカの私立野生動物保護区トゥラ・トゥラ。別の保護区から脱走をくりかえし、処分されそうになっていたゾウの群れを著者がひきとることから物語が始まります。でも、このゾウたちは群れのリーダーと子どもを撃ち殺されて人間不信の固まりになっています。だから当然一筋縄ではいかないのですね。でも、時には命がけで、著者はこのゾウたちの信頼を勝ち取ろうと努力します。

この著者は、こんなふうに考える人です。「そもそも群れを引き取ったとき、ゾウはそのまま薮(ブッシュ=荒野)に放つつもりだった。彼らとつながりを持とうなどとは考えていなかったのである。私は、すべての野生動物はそうあるべきだと思う。すなわち、野生ということである。脱走劇や再定住の苦しみ、兄弟の処分などといった事情で、私はしぶしぶ介入せざるを得なくなったまでである。家長のナナに人間を少なくとも一人信用してもらって、人間全体に対する恨みを少しでも和らげてほしかったのである。それが実現し、彼女にも群れがもういじめられないことが分かった。これで、私の使命は終わったのだ。人間と接触しすぎると原野で必要とされる彼らの野生が損なわれることを、私は強く意識していた。」

著者の創意工夫と忍耐強さのおかげで、ゾウたちはトゥラ・トゥラが安心できる場所だということを理解し、徐々に穏やかさを取り戻していきます。そしてゾウはゾウ、人間は人間としてくらせるようになるのですが、著者とゾウの間にある強い結びつきはずっと消えなかったようで、不思議なことに著者が外国へ行って帰ってくる日には、ゾウたちがちゃんとわかっていていつも門のところで出迎えたそうです。赤ちゃんが生まれれば必ず見せにきたし、著者が亡くなった日も、ゾウの群れが家まで弔いにやってきたそうです。

ゾウだけではなく、密猟者、山火事、ライオン、サイ、水牛なども登場し、ハラハラ、ドキドキのとてもおもしろい本に仕上がっています。エンタメでもありながら考えさせられる種をちゃんともっている、そんな一冊です。

この著者はとても正義感の強い人らしく、2003年にはイラク戦争の開戦直後のバグダッドに行って、飢え死にしそうになっていた動物たちを救うという活動もしています。とくにアフリカの自然がどんどん破壊されていくことを憂い、野生生物が自由に生きられる場所をつくろうとしていました。亡くなられたのが本当に残念です。

翻訳者は、英語とフランス語のすばらしい同時通訳者、中嶋さんです。

鳥よめ


あまんきみこ/作 山内ふじ江/絵 
ポプラ社
2014.12

『鳥よめ』をおすすめします。

今回は絵本をとりあげます。

日本の灯台は、今やすべて無人化されていますが、かつては灯台守と言われる職員が常駐して、灯をともしたり消したり、レンズをみがいたり、故障の修理をしたりして航路の安全を守っていました。この絵本はその灯台守の仕事をしている周平さんが主人公で、民話風に語られています。

「灯台のあかりを消すと、周平さんは、らせん階段をゆっくりおりていきました。右の足を、少しひきずっています」

日本が戦争をしていた時代、周平さんは、子どもの時のけがが原因で右ひざが曲がらず兵隊になれなかったので、苦労の多い灯台の仕事を自ら選んで引き受けています。

ある朝、周平さんの前にほっそりした娘があらわれます。この娘は、以前助けたカモメなのですが、海の神のところにいって人間に姿を変えてもらったのです(ここはちょっとアンデルセンの人魚姫みたいですね)。周平さんと娘は夫婦になりますが、娘は背中にたたんだ翼を一日一回広げて鳥に戻り、空を飛ばないと死んでしまいます。しかも、その時に人に見られてはならないというのです。

娘を大事に思っていた周平さんは、鳥よめに空を飛ぶ時間を保証してやり、その姿を見ることは決してせずに、二人で仲良く暮らしていました。

ところがある日、灯台の守備を任された兵隊が六人もやってきたことから悲劇が始まります。周平さんたちの貧しいながらも幸せな暮らしや、細やかな愛する心の通い合いは、「戦争」という大義名分に踏みつけにされてしまうのです。二人の深い悲しみが、切々と伝わってきます。

子ども時代に太平洋戦争を体験したあまんさんの文章に、山内さんの味わい深い絵がついています。漢字にルビが振ってありますが、小学生より、中学生、高校生に読んでもらいたい絵本です。

(「トーハン週報」2014年2月掲載)

小さなかがやき


長倉洋海/写真 谷川俊太郎/詩
偕成社
2013.12

『小さなかがやき』をおすすめします。

長倉さんが、エルサルバドル、アフガニスタン、ブラジル、ウィグル、南アフリカ、コソボ、ベネズエラ、レバノンなど世界各地で撮った子どもの写真に、谷川さんの詩がついています。写真も詩も、他の本で見たことがあるのと、初めて見るのとがあります。どこかで見たものでも、古い感じはしません。また心に届きます。写真と詩の組み合わせがいいからでしょう。

たとえば、エルサルバドルの戦争避難民の子どもたちが新生児を囲んで笑っている写真には、「生まれたよ ぼく」という詩がついています。

「生まれたよ ぼく
やっとここにやってきた
まだ眼は開いてないけど
まだ耳も聞こえないけど
ぼくは知っている
ここがどんなにすばらしいところか
だから邪魔しないでください
ぼくが笑うのを ぼくが泣くのを
ぼくが誰かを好きになるのを

いつかぼくが
ここから出ていくときのために
いまからぼくは遺言する
山はいつまでも高くそびえていてほしい
海はいつまでも深くたたえていてほしい
空はいつまでも青く澄んでいてほしい
そして人はここにやってきた日のことを
忘れずにいてほしい」

私は長倉さんが子どもを撮った写真がとても好きなのですが、この本は写真をより深く味わうために詩があり、詩をより深く味わうために写真がある、という有機的な構成になっているのがいいなあ、と思いました。
自分に最初の子どもが生まれたとき、私はその子はもちろんですが、それだけでなく世界中の子どもがいとおしくなりました。その時のことを思い出しました。

オビには「写真家と詩人がとらえた無垢なまなざしの光」とあります。このオビを書いた人は子ども=無垢と思ったのでしょうか? 谷川さんは、「赤んぼのまっさらなタマシイは おとなの薄汚れたタマシイよりも上等だ」と書いています。上等=無垢? 生まれたての赤ちゃんはともかく、子ども=無垢ととらえると、子どもの本質を見誤るかもしれないと、私自身は思っています。でも、子どもたちは大きな可能性と大きな力を秘めています。それをつぶしているのが、私たちおとなです。

あさになったので まどをあけますよ


荒井良二/作 
偕成社
2011.12

『あさになったので まどをあけますよ』をおすすめします。

朝になったら窓をあける。何気ない日常のしぐさだが、窓をあければそこには緑の自然があり、さわやかな風が吹き、海がきらめき、人々が会話をしている。

この絵本に描かれている「窓をあける」は、一日一日を新たに迎えたことを喜び、まわりのものをていねいに感じていく行為なのではないだろうか。またそれは、自分の心を開くことにもつながっているかもしれない。

2つの見開きを1つのまとまりにした場面展開には変化があり、どの風景も世界の広がりを感じさせる。

途中で2度繰り返される「きみのまちは はれてるかな?」という言葉も、読者に自分の周囲にも目を向けるように促すことによって、この絵本にもう一つの広がりを持たせている。

2011年の大震災後、日常の当たり前は、当たり前でなくなってしまった。この絵本は、被災地の人たちとのワークショップを何度も行ったことから生まれたとのこと。作者はそうした体験をベタに表現するのではなく、見事に自分の中で昇華して完成度の高い作品に仕上げている。

(2012年5月5日 産経児童出版文化賞「大賞」選評)