ルパン:自分の娘と同じ学年の少女が主人公だったので、身近な感覚で読みました。ちょうど中学卒業のときに震災だったり。ただ、辞書を切り取るシーンから始まるところがちょっと……。辞書も本ですから、よほどのことがないと切ったりしないんじゃないかと思ったんですけど、たいした理由もなく家族全員分の辞書を切っちゃうところが、なんだか生理的にいやな感じがしました。あと、いかにも「作家が調べたことを登場人物に言わせている」というのが透けて見えるようなところが随所に見られるのが気になりました。『レガッタ!』よりはこちらのほうがいいですけれど。説明的なところが多いと、お話のわくわく感が止まっちゃってつまらなくなるのがもったいないところです。偉生はけっこう好きでした。キャラがしっかり立っていて。 

レジーナ:私たちの電力は原発に依存しているのではなく、原発は一度稼働すると止めるのが難しいという事実は、これまで知りませんでした。原発を地方に押しつけていることへの作者の強い問題意識が、全面的に押し出された作品ですね。頭で書いている印象を受けました。人物像にもう少し厚みがあり、生き生きと動いていたら、もっとよかったと思います。夏希の存在が、途中から急に薄くなります。原発の問題に気づいた登場人物の一人は弁護士を目指しますが、動機がよくわかりませんでした。これについては、主人公も理解できないと言っていますが……。 

レン:けっこうおもしろく読みました。翻訳だと、こういう文体にはなかなかもっていけないんですね。創作ならではの、中学生のリアルな空気感があって。主人公もほんとうに普通の子で、優等生でもなく、とりたてて取り柄もなく、そして、ふしぎ君の偉生君。こういう子っているよな、と。べったりせず、でも毎日学校で顔を合わせる中学生の感じが出ていると思いました。中学生の読者が読んだら、どう思うかな。何気なく手にとって、震災のことをふりかえって考えるんじゃないかな。いい印象で読みました。 

:日本の児童文学として、とてもおもしろかったです。今どきの文体で始まってありきたりかと思いきや、途中からどんどん引きこまれて。成熟した偉生がとっても好きになったので、死んじゃうのがショックでした。偉生と姉さん以外の子どもたちの関係も良かったですね。青春群像というか、集団の楽しさがあって、足を引っ張り合うでもなく、仲がいい。中学生の現状というのはよく知らないのですが、クラス全員の前で告白をしてもすぐに交際に発展することもなく、まわりも静かに見守っている感じが大人っぽいなあと思いました。キュンとしました。 

アンヌ:なんだか題材が並べられているだけのような気がして、もう一度書き直してもらいたいような気分になりました。辞書を切る気持ちとか、うまくつながっていかなかったです。主人公は、人から見たら面倒見のいい「姉さん」で、偉生から、こんなところやあんなところがいいと言われるのだけれど、どうも一致しない。少女漫画にして、外からこの主人公の魅力をもうひと描きしてくれたらいいんじゃないかと思いました。削られた部分があったのかもしれないとも思えました。偉生は何となく宮沢賢治を思わせる鉱物少年で、魅力的でした。 

ワトソン:今回の3冊の中では私はこれが一番読みやすかったです。文章がすんなりと入ってきました。登場人物の苗字から原発関連の話になるのかなという予想ができました。辞書から「希望」を切りとるところは、新しい版の辞書買うというラストへ結びつけるためのものという印象が残ってしまいました。あとがきから、1995年生まれの子の物語をという依頼だったようなので、この時代について残すという意味で書かれた話なのかなと思いました。そういう意味では意義ある作品と言えると思います。ただ、同じ年に生まれた娘にも感想を聞いたら、幸いこの話のように友達を亡くすというようなつらい体験もしなかったし、ゆとり世代といわれるけれど、世間が思うほど自分が生まれた年を意識することはないと言っていました。 

アカシア:おもしろかったです。2010年から11年という一年間の友だち関係の出来事に、チリの鉱山の落盤事故、ニュージーランドの地震、新燃岳噴火、はやぶさの帰還、タイガーマスクのランドセル寄贈なんていう折々の社会の出来事を織り交ぜて書いているのもいいですね。内側だけの心模様だけじゃなく外の出来事にも目を向けてほしい、という著者の気持ちが表れているのかもしれません。そしてもちろん地震と原発事故が3月には起こります。3.11の後、日本中が動揺していたことを、読みながら私もまざまざと思い出しました。欲を言えば、原発について話し合うところが、やっぱり硬い表現になってしまっているのが残念。やわらかい表現では話せないことだというのはわかりますが、もう少し技術用語を超えたものになっているとよかったかな。もっとも著者は意図的に日常になじまないことをわざと強調しているのかもしれませんが。それから、さっき他の方がおっしゃっていましたが、私も会話の文体のテンポのよさに、翻訳文学だとここまでできないなあと差を痛感しました。たとえば最初の方に「ねえよ、そんなの」という市子の独白があるのですが、翻訳だったら女の子の台詞はこうは訳せない。ここまでやれるとおもしろいですけどね。ちょっと疑問に思ったのは、会話の中では苗字で言い合っているのに、地の文では名前になっている。どうしてなんだろうな、と思いました。それと、辞書を破くというのは、この年代の子どもなら大いにあり得ると思います。 

ルパン:でも、切っちゃったページ、裏に大事な言葉が載っているかもしれないのに。 

アカシア:子どもって、大人の想像の範囲を軽々と超えていく存在だと思うんです。で、児童文学作家なら当然のことながら、そこを書きたいんじゃないかな。 

レン:はやぶさの帰還に「希望、感じるよね」という同級生に反発を感じるのは、わかりますよね。 

夏子:「希望」という歌が上手に使われていますよね。岸洋子さんという歌手は、上手なこともあって、ねっとりとせまってくる感じ。 

:薄っぺらい希望は切り取ったけど、震災や苦しみを越えた後に自分の希望は見える、ということでしょうか。 

アカシア:辞書も後で同じのを買うわけじゃないんですよ。切り取ったのは、岩波国語辞典第六版横組だけど、最後に自分のお小遣いで買ったのは同じ辞典の第七版普通版なんです。だから一歩前に進んでる。 

さらら:濱野さんの作品はもともと大好き。だから期待して読みました。原発事故や、その後に起きたことを書きたいという気持ちはよくわかり、意欲的な作品だと思いました。いっぽうで、冒頭で「希望」という字が出ている辞書のページを冒破った主人公が、最後に、辛いこともあったけれど、行方不明になった友人の「希望」を受け入れる決心をして新しい辞書を買うところに、計算が透けてみえて、やや残念でした。会話は生き生きしていて、軽妙です。なのに、どこかテーマにあわせて書かれたのでは、という意識が読み手の私の心にひっかかって、人物がしっかり動いてこなかった。特に、大震災の後の主人公の心理の動き、喪失からの立ち直りが、すこし早すぎるような気がしました。中学生や高校生が実際に読むと、違う感想を持つのかもしれません。でも大きな喪失、そこからの再生、その肝心のところがまだ十分に書けていない気がします。もともと連載だったので、しかたがない部分はありますが、作家のなかで人物像が完全に熟していないうちに、外に出してしまった印象を持ちました。このテーマで、もう一回書いてほしいな、濱野さんには。 

ワトソン:どうして「石を抱いた」なんでしょうね。

アカシア:「石」と「意志」は掛詞になっています。p178-179に「洋一、変なやつだった、っていわなかったな。洋一の思いが、今ごろになってじんわりと伝わってくるようだった。臆面もなく語る夢。気恥ずかしくなるような希望。/偉生は、意志を抱いていた」ってあります。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年9月の記録)