カテゴリー: 子どもの本で言いたい放題

2018年09月 テーマ:私を変えた出会い

日付 2018年09月18日
参加者 アンヌ、オオバコ、カピバラ、コアラ、しじみ71個分、すあま、たぬき、西山、花散里、ハリネズミ、ハル、マリンゴ、レジーナ、ルパン、(エーデルワイス)
テーマ 私を変えた出会い

読んだ本:

茂木ちあき『空にむかってともだち宣言』(課題図書)
『空にむかってともだち宣言 』
茂木ちあき/作 ゆーちみえこ/絵   国土社   2016.03

<版元語録>ミャンマーから転校生がやってきた。あいりはすぐにうちとけてなかよくなるが、給食のときにちょっとした事件が起きて…。それをきっかけに、クラスみんなで「アジアのご近所さん」ミャンマーのことや、日本にくらす難民についても学び始める。


デボラ・エリス『九時の月』
『九時の月 』
デボラ・エリス/作 もりうちすみこ/訳   さ・え・ら書房   2017.07
MOON AT NINE by Deborah Ellis, 2014
<版元語録>LGBTとは、恋とは、愛とは。革命後のイランを舞台とした、愛し合う二人の少女たちの悲しい運命を描く実話を基にした物語。


ジョン・ボイン『ヒトラーと暮らした少年』
『ヒトラーと暮らした少年 』
ジョン・ボイン作 原田勝訳   あすなろ書房   2018.02
THE BOY AT THE TOP OF THE MOUNTAIN by John Boyne,2015
<版元語録>ドイツ人の父とフランス人の母との間に生まれた少年ピエロは、パリで暮らしていた。しかし、相次いで両親を亡くし、叔母のベアトリクスに引き取られることに。住み込みの家政婦をしているベアトリクスの勤め先はベルクホーフ。それは、ヒトラーの山荘だった。7歳の少年ピエロは、期せずして総統閣下と寝食を共にすることになる。ヒトラーにかわいがられたピエロは、その強いリーダーシップに惹かれ、彼を信じ、彼に認められることだけを夢見て、変わりはじめた・・・・・・

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ジョン・ボイン『ヒトラーと暮らした少年』

ヒトラーと暮らした少年

カピバラ:純粋で無垢な少年の心情、周りの人々の人物描写が巧みで、次々と場所が変わるけれど情景描写もうまく、まるで映画を見ているようにおもしろかったです。後半、次第にヒトラーに心酔していくのですが、どんなところに惹かれたのかという部分が描き切れていないと思い、そこは少し物足りませんでした。だから唐突に変わっちゃった気がしました。最後にアンシェルと再会するところに希望が感じられてほっとしました。最初にアンシェルとの仲良しぶりがほほえましく描かれているところが、伏線としてここで生きてきます。物語として納得のできる終わり方でした。ベルクホーフは本当に美しいところだったようで、絵本作家ベーメルマンスの伝記にも、少年時代に暮らしたこの土地の美しさが出てきます。時々山の家にヒトラーが来て、人々が興奮する様子もありました。美しい場所だけに、そこで行われていることの恐ろしさが際立っており、その対比もうまいと思いました。

ハリネズミ:『九時の月』を読んでいる時と違って、翻訳にいらだつことなく、すーっと物語の中に入っていけました。文学作品は、こんなふうにていねいに訳してほしいと思います。原作もいいのでしょうが訳もいいので、登場人物がそれぞれ特徴をもった存在として浮かびあがってきます。ヒトラーはそんなに魅力的な人物ではないかもしれないけれど、ピエロはついつい惹きつけられて、間違った判断をしてしまうんですね。その怖さがリアルです。ピエロは孤独で、名前も変え、アイデンティティも失っている。そんなときに、ちょっと親切にしてくれのがみんなが崇拝している強くて偉い人だと、すっと取り込まれてしまう。子どもは、周囲の熱狂に左右されやすい、とも言えるのかもしれません。最後は希望も見えて、展開もおもしろく、子どもに手渡したいなと思いました。

コアラ:今回のテーマを聞いた時には、漠然といい出会いをイメージしていましたが、これは悪い出会いというか、恐ろしい出会いでした。読み進むについれて、主人公のピエロが、横柄で権力的に変化していくのが怖くなりました。7歳という年齢で、ヒトラーという、権力を持つ圧倒的な存在に出会って影響を受けていく恐ろしさを感じましたね。主人公に共感しながら読むというよりは、主人公を一歩引いた目で見るというか、少年が変化していくのを大人の目で読んだという感じですが、この本の対象年齢は何歳くらいでしょうか。本のCコードは0097となっていて一般向けなので、YA扱いでしょうか。最後のほうで、この本を書いたのがアンシェルだという展開になりますが、p280の後ろから3行目の「だが、もちろん、すぐに彼だとわかった。」の行のところから、主語がアンシェルの一人称になるところは、劇的でしたね。いい終わり方だったけれど、p282で、この本のテーマを全部言ってしまっているのが、ちょっと残念でした。読み取り方をまとめてくれているから、わかりやすいといえばわかりやすくなっているけれど、読者の自由な読み取りに委ねてもいいのではないかと思いました。

花散里:原書のタイトルには「ヒトラー」とは書かれていない。この日本語のタイトルでは、読む前から少年が出会ったのがヒトラーだったと解ってしまう。第1部の第5章ぐらいから読み進んでいって、その人物が「ヒトラー」なのではないかと思えるような場面の緊張感が削がれてしまっているのではないかと感じました。第2部からのヒトラーと出会ったことで性格が変わって行く様子は恐ろしいほどで叔母さんの死などは特に壮絶で一気に読ませます。同じ著者の『縞模様のパジャマの少年』(千葉茂樹訳 岩波書店)は結末が衝撃的で印象深かったのですが、この作品ではピエロが〈ピエロ〉に戻るエピローグまでを読んで救われる思いでした。ヒトラー死後の戦後までを、子どもたちはどのように読むだろうかと思いました。

アンヌ:タイトルを見て、ヒトラーと向き合うことになるんだなと思うとなかなか手が出ませんでした。過酷な孤児院生活の後、状況もわからないまま叔母に引き取られ、あっという間にヒトラーに取り込まれて行ってしまう。まあ、理解はできるのだけれど、釈然としませんでした。愛情をもって引き取ってくれたはずの叔母さんが、使命を持った二重生活を送っているから、ピエロと本当に話し合えなかったせいでしょうか。とにかく、最後のエピローグでアンシェルが出てきて、ほっとしました。

たぬき:タイトルと袖文句で、どういう本かわかっていまいます。なぜヒトラーにひかれたのか、だからこそこわいという見方もあるけれど、もっと子どもにわかるように書いてもいいのかと思います。

しじみ71個分:非常におもしろく読みました。フランスで孤児となった少年のアイデンティティが、ベルクホーフのヒトラーの山荘で家政婦として働くおばさんに引き取られ、ヒトラーと出会ってしまったことにより変貌していくさまが痛々しく、胸に刺さりました。ピエロのアイデンティティの喪失が、ペーターとドイツ風に呼ばれるようになり、父母がつけてくれた名前を奪われることや、自分の物として唯一持っていったケストナーの『エーミールと探偵たち』がいつのまにかどこかに無くなってしまって、代わりに『わが闘争』を含むヒトラーの書斎の本を読むようになっていくなど、いろいろ細かく描きこまれて、読み応え十分でした。また、おばさんのベアトリクスとか、それぞれの登場人物のキャラクターも明確に描かれていて、それぞれの役割がわかりやすいですし、料理人のエマがいい味を出していて魅力的です。メイドのヘルタは、最初は運転手のエルンストに懸想するような、軽い人物として描かれているのが、ヒトラーの死後、山荘を去るときには、ピーターに重々しい台詞を残して行くところが、急にりっぱな人間になったようで、おかしかったですが、戦後のピエロの魂の彷徨のきっかけにもなっていて、重みがありました。
子どもでも戦争の加害者になり、重い十字架を抱えてしまうという姿が描かれていますが、このピエロは、最初は間違いなく、第一次世界大戦の被害者です。父親が大戦後に心を病み、事故死し、働きずくめになった母親も死んで孤児になってしまいます。誰でも加害者にも被害者にも、簡単になり得るわけで。少年が力もなく、身寄りもなく、経済的にも困窮し、何もないところで強大な力にあこがれ、ヒトラーに自己を同一化していきますが、そのヒトラーという力へのあこがれは、常に恐怖に裏打ちされてもいるわけで、恐怖による支配としても描かれていました。なぜ人が戦争犯罪に加担していくかを考えさせられましたし、本当に読むと痛くて、胸にせまる物語でした。

オオバコ:『縞模様のパジャマの少年』は、作者も言っているように寓話として書かれているから、雪崩をうつようにエンディングに落ちていく迫力がありましたが、この本はもっとじっくりと描かれていて、より大きな物語の世界を創っています。序章と終章が円環のように結ばれている構成も、見事だと思いました。大変な作家ですね。心優しい、ケストナーを読んでいた少年がどんどん変わっていく有り様が恐ろしい。メイルストロムの大渦巻みたいに大きな力に吸いこまれていく人たちと、それに必死にあらがっている人たち。そんな群像に、現在の日本にも通じるものを感じました。だって、文書をなによりも大事にしている官僚たちが、平気で国会に提出する書類を差しかえたり、偽造したりするのって、身震いするほど恐ろしいと思いませんか? それと、良い意味でショックを受けたのは「加害者としての子ども」を描いているところです。戦時下の子どもは戦地に赴いて人を殺すこともないし、自分から戦争をはじめたわけでもない被害者であり、文学のなかでもそういうふうにしか描けないと思っていました。日本の創作児童文学も、圧倒的に被害者としての子どもを描いたものが多いですよね。中国に赴いた少年兵が主人公の乙骨淑子『ぴいちゃあしゃん』はありますが。でも、これほどドラマチックでなくてもピエロのような少年は日本にもいただろうし、こういう形で子どもたちの戦争を描くこともできるかもしれないと思いました。その点も、とても新鮮でした。原田さんの訳はいつもそうですが、今回も翻訳の上手さに圧倒されました。特に会話の訳が見事で、登場人物のそれぞれがありありと目に浮かび、生き生きと動いている。「まいった、まいった!」という感じでした。

レジーナ:主人公がヒトラーにひかれたのは、父親的な存在を求める気持ちからでしょう。無垢な少年が変わっていったという意見もありましたが、私はそうは思いませんでした。ピエロが特別、無垢なわけではなく、ふつうの子どもの純粋さをもち、成長してもその部分は残っていて、だからこそヒトラーに影響されたように見えました。p198でカタリーナにさとされても、「今のやりとりを記憶の中からとりのぞき、頭の中の別の場所に入れなおした」ように、良心がわずかに痛む瞬間はあっても、気づかないふりをしてやりすごします。以前読んだ本で、ドイツ人が、収容所から生還したユダヤ人に、「そんなことが起きていたなんてまったく知らなかった」と言い、「わたしたちはみんな気づいていたのだから、知らなかったなんて、ぜったいに言ってはいけない」と、奥さんに言われる場面がありました。p261のペテロとヘルタの会話で、そのシーンを思いだしました。ナチスがユダヤ人のまえに殺したのは、障がいのある人たちなので、アンシェルの耳が聞こえないことにも深い意味がありますね。場の雰囲気に流されるうちに、アンシェルや伯母やエルンストを切り捨てていくピエロにも、草花を愛するような優しい人だったのに、戦争で心が傷つき、暴力をふるうようになる父親にも、人間としての弱さがあり、それは私たちだれもがもっている弱さなのだと思います。p172で、エーファとフロライン・ブラウンと、表記が分かれているのですが、なにか意味はあるのでしょうか。

オオバコ:YAだから、原作のままに訳してもいいんじゃないかしら?

ハル:これは、ピエロが引き取られた先にいたのがたまたまヒトラーだったというだけで、ヒトラーに魅力があったということではなく、たとえば村長さんとか、そういった戦争に関係ない人だったとしても、権力があって、こわくて、ときどき優しくて、なんていう人の前に突然立たされたら、誰だってなびいてしまうんじゃないかと思います。戦争に限らず、学校や社会やいろんな日常で、いつのまにか強い力に染まっていた、という危険はいつもあると思います。純粋無垢であればあるほど。そうならないためにはしっかり勉強をしなければいけない。でも、その教育がすでに毒されていたら…?と、恐ろしくなりました。戦争が終わって、ピエロも自分の犯した罪を背負い、償いの日々を生きていかなければなりません。でも、そこに希望を見つけたような思いがしました。戦争があった(または、たとえばいじめの加害者になってしまった)。最悪だった。許されない。で終わるのではなく、過ちを認め、罪を背負い、償いながら生き続けることで、次の世代か、いつかの希望につながっていくんだなと思いました。

西山:希望とか絶望とかは考えませんでしたね。取り返しのつかなさをつきつけられて呆然とする感じ。ピエロの変質は不自然とは思いません。「力」にひかれていく様子がとてもわかる。近くにいる人たちをぴりぴりさせ、まわりの人間の生殺与奪をにぎっている総統と一緒に出掛けている自分を「羨望のまなざしで見るだろう」(p198)という場面、汽車の中で自分をいたぶったヒトラーユーゲントがその場にいたらどんなに驚き、恐れるだろうかと考えているだろうと、ピエロの高揚感が想像できてしまいました。権力のそばにいて得意に思う快感を理解してしまった瞬間、私もピエロと同じ側に立っているわけで、そういう意味でも実に怖い読書でした。

ハリネズミ:ピエロは、取り返しのつかないことをしてきたのですが、ぐるっと回って振り返ったときに、そこに自分を理解してくれるかもしれない友だちが確かにいる、というのは希望だと私は思ったんです。

マリンゴ:前作の『縞模様のパジャマの少年』は、あまりに衝撃的でした。後半、かなり力技になるんですけど、それに気づいたときはもう物語に引きずり込まれているんですよね。なので、今回の作品も期待したのですが、こちらのほうが早い段階から力技な感じがしました。決して、物語に入れなかったわけではないのですが、少し距離を置いて読みました。主人公が変わらなくて、まわりの人間たちが変わっていくのを観察する、という物語はよくありますが、主人公が変わっていってしまう、という展開になっているのはすごいと思います。変わっていって、そして自分がやってしまったことに気づく。幅広い世代に読んでもらえたらいいですね。今の日本でも、ネットなどを見ていると、大きな声に引きずられがちなように感じることがあります。この物語を、自分に置き換えて読んでもらえるといいのではないでしょうか。

オオバコ:これから主人公は自分の罪に向き合って、贖罪の人生を送っていく。そこに魂の救いがある……というところに、ちょっとほっとしました。

西山:『九時の月』でも、解説で、モデルになった女性が生きのびたことがわかってほっとしました。これもまた、一つの希望のある終わり方だと思います。

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エーデルワイス(メール参加):p261の「でもあんたは若い。まだ16なんだから、関わった罪と折り合いをつけていく時間はこの先たっぷりある。でも自分にむかって、ぼくは知らなかったとは絶対に言っちゃいけない。・・・それ以上に重い罪はないんだから」というヘルタの言葉が印象的でした。レニ・リーフェンシュタールも登場しますが、自伝を読んだり展覧会に行ったりしたことを思い出しました。『縞模様のパジャマの少年』と同様に映画になりそうな気もしますね。8月にNHKBS3でヒトラーを題材にした映画『ブラジルから来た少年』(1978年アメリカ・イギリス製作)を観ました。グレゴリー・ペックがメンゲレ博士を、ローレンス・オリビエがナチハンターの役を演じていました。サスペンス調でおもしろく、現代に警鐘を鳴らしていて、古さを感じませんでした。当時、この映画を観た人はどのくらいいたのでしょう? 地方でも今はマイナーな映画も上映されるようになったけれど、当時は上映されていなかったように思います。

(2018年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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デボラ・エリス『九時の月』

九時の月

ルパン:読み終わって、おなかいっぱい、という感じでした。いろいろな意味で、濃かったです。まずはイランのことですが、15歳の子が死刑になるとか、それも、同性の子を好きになったから、というのは衝撃的でした。2代にわたって自分の子どもを見捨てる親の存在も。実在のモデルがいるとわかって、ほんとうにショッキングでした。イランの政情のことと同性愛の問題と、重いテーマがふたつあって、うまく絡み合っていると思いましたが、どちらが主軸のテーマなのだろうと考えながら読んでしまって、ちょっと感情移入しきれなかったところもありました。

アンヌ:革命後のイランについては漫画の『ペルセポリスI イランの少女マルジ』(マルジャン・サトラピ著 バジリコ)ぐらいしか読んだことがなくて、この作品で改めて革命防衛隊が学校や家庭の中にまで入り込んでくる生活に恐怖を感じました。空爆が行われている街で、王党派の人々を集めて毎日のようにパーティをする両親に反発する主人公。ユダヤ教のラビとも友人として語り合える学者の父親を持つサディーラ。普通なら反政府的な行動をとった娘の命を助けてもいいんじゃないかと思える両方の親がとる行動が衝撃的でした。宗教や社会が断罪する世界で、同性愛者が受ける過酷な状況には震え上がりました。冒頭のファリンが描く悪霊の物語が稚拙で入り込めない感じなのに、2人の恋の場面はとても繊細です。特に古都シーラーズで過ごす場面の描写はとても美しく、イランの古い文化の魅力を感じました。

花散里:ずっと読みたいと思っていた本で、読み終わったときには衝撃を受けました。ファリンがサディーラと出会ったことで変わるというストーリー展開は、まさに今回のテーマ通りですが、イランやイラクとの政治状勢、宗教のことなどがまだ充分に理解できていない世代の子どもたちは、どのように読むのでしょうか。爆撃が続き、死との隣り合わせのような日々の中で、親たちの開くパーティーを見つめる子どもなど、紛争が続く国で生きる人々のことを描いた作品を日本の子どもたちにも読んでほしいと思いました。

コアラ:原書の書誌情報(コピーライト)が入っていないですよね。2章以降は章タイトルがないのも変な感じがしました。章番号の下のデザインはペルシア文字のようで興味を引きました。ネットで調べたら、「章」という意味のペルシア語にこのような文字が入っていて、いいデザインだなと思いました。イランというあまり馴染みのない世界が舞台なので、知らない世界を知るという点ではおもしろかったけれど、内容としては、ちょっと冷めた目で読んでしまいました。障害があればあるほど愛は燃え上がるよね、とか。サディーラは理想化されすぎという気がします。ただ同性愛というだけで死刑になる国があるということには、驚きました。問題提起という面では意味があるけれど、子どもが読んで、特に同性愛の傾向のある子どもが読んで勇気付けられるかな、というと、ちょっと暗すぎる内容だと思います。あと、物語に著者の考え方が現れているようなところがあって、例えばp92の7行目など、ちょっとついていけない感じがしました。気になったところは、訳者あとがきのp285の2行目、「イギリスのM16」となっていますが、これは「イギリスのMI6(エムアイシックス)」ですよね。

ハリネズミ:私は、訳のせいか、ファリンにあまり共感できなかったんです。最初の方で、ファリンがパーゴルへの復讐に凝り固まっているように取れてしまい、またこの訳だとアーマドをさんざんに利用しているようにとれます。p37やp45の訳も、アーマドをバカにしたような無神経な発言に取れるので、結末についても自業自得感が出てきてしまいます。また原文はもっとリズムのいい文章なのだと思いますが、もう少していねいに、細やかに訳さないと、メッセージだけが前面に出てマンガ的になってしまい、物語の中に入り込みにくくなります。ファリンがサディーラをどれだけ深く思っているかとか、サディーラの魅力を読者にも納得できるようにもう少し表現してほしかったです。でないと、一時の熱に浮かされてヒステリックになっているだけのようにもとれてしまうので。悪霊ハンターの物語も、この訳だととてもつまらないですね。

カピバラ:1988年のイランという日本の読者には遠い状況でありながら、前半は居場所がないと感じている十代の少女らしい心情が描かれて共感できると思います。紙に好きな人の名前を書く、お互いの秘密を打ち明け合う、離れていても毎晩9時に月を見る、というような、好きな人への溢れる思いが描かれ、相手が同性でも異性でも同じと思わせる描写が多くありました。後半は死と隣り合わせの緊迫した状況に、読者も緊張を強いられ、苦しくなります。最後はあまりにも理不尽でむごいのですが、実話をもとにしているので、今の日本の読者にも知っておいてほしいと思います。また、当時のイランの富裕層の考え方がよくわかりました。70年代後半にイギリスに行ったとき、イランの金持ちの子弟が大勢留学していて、首からさげたロケットには国王の写真、家には国王一家の写真を飾っていたのを思い出しました。ファリンの母親と同じ世代かなと思います。

マリンゴ:ラストが衝撃的でした。脱出できて、サディーラとは会えないのだろうなとは思いつつ、みんなとの再会のシーンを想像していたので、その斜め上を行くエンディングにびっくりしました。でも、アーメドの態度が徐々に変わってくる様子がうまく描写されているため、リアリティを感じて、うまいなと思いました。ここで終わる?というところで放り出されるわりに、読後感が悪くなかったのは、そのリアリティのおかげかもしれません。p121「戦争によって得たものはかえさなければならない」という部分が印象に残りました。文章に矛盾を感じる箇所がありました。

たぬき:日常の雰囲気や生活感が伝わるのはいいと思いました。基礎知識がないと理解しに口と思うので、巻末に説明をいれるとか、子どもにやさしい設計にしたほうがいいのではないでしょうか。

西山:帯に「あたしたち、悪いことしてない。ただ一緒にいたいだけだよ! LGBTとは、恋とは、愛とは。」とあって、一見恋愛小説として押し出しています。それは、ひとつの作戦だけど、違和感がありました。明日をも知れぬという状況下で、そこから目をそらして享楽的に暮らすファリンの両親の感覚には共感できません。そういう革命前の支配階級に近い富裕層への反発が、革命を支持したのだろうということも理解できるとも思いましたが、圧倒的に理不尽な暴力が伴っている原理主義革命にはとうてい共感できない。書き割り的にならないで、複雑な状況を割り切れないまま突きつけられて、そこに小説のおもしろさを感じました。複雑な状況がからまりあう中で、いろんな登場人物を見せています。いちばんショックだったのは、サディーラのお父さんが変わってしまうところでした。サディーラの家でラビや娘たちとお茶を飲みながら穏やかに詩編の言葉などを語り合う場面は印象的で、すごく知的で、教養のある感じの良い父親の印象だったのに、サディーラとファリンのことを知ったあとで娘を完全に拒絶しますよね。そこまで同性愛は受けいれられないものなのかと、愕然としました。ドキュメンタリー風に作られたイラン映画『人生タクシー』で禁止されている英米の映画DVDなどが闇で流通する様子とかできてきたのを思い出しました。この映画はおもしろかったので、機会がありましたら、ぜひ。

ハル:恋愛小説の部分も味わいながら読みましたけど…どうしてこの(性格がきつい感じの)ファリンにサディーラは惹かれたのかなと思っていたのですが、翻訳で人物の印象が変わっていたのかもしれないですね。それ以外の面では、女の子たちが、学ぶことで自我に目覚め、それが破滅につながったのだとしたら、本当に恐ろしいこと、あってはならないことだと思います。実話を元にした物語だということですが、自分を偽ってでも、生きてほしかった。そうしたら、いつか…ということもあったかもしれません。信念のために死を選ぶことをすばらしいとせず、読者は自分だったらどう生きるかを、考えてほしいなと思いました。ショックな結末で、中高生などの若い読者にはどうなのかなという気もしましたが、いまだにこういう社会もあるんだと知ることも必要だと思います。

レジーナ:表紙画がすてきですね。p198の「あなたを選ぶってことは、わたし自身を選ぶってこと」という一文は胸に響きました。ファリンは、刑務所で、自分は成績がいいから助けてもらえるはずだと考えます。全体を通して考え方が幼いので、この主人公には共感できませんでした。p119の「おまえなんか、無だ」をはじめ、訳文に違和感があり、ところどころひっかかりました。

オオバコ:この作者は、実際に取材したことを何故ノンフィクションではなくフィクションで書くのかと疑問に思っていましたが、来日したときの講演を聞いたとき、ノンフィクションでは実際に取材した人たちに危険が及ぶのでフィクションで書くと聞いて、目を開かされる思いがしました。今まさに起こっている、それくらい深刻な、命にかかわる現実を書きつづけている作家なんですね。この作品もフィクションというよりノンフィクションとして読みました。ですから、登場人物の言動や、物語の結末を、こうしたほうが良かったのにとか、こう書いてほしかったというのは、ちょっと的外れのような気がします。わたしも西山さんと同じように、この本はLGBTをテーマとしているというより、多様性を認めない国家体制や社会の恐怖を描いていると思ったし、読者もそんなふうに読んでくれたらいいなと思いました。女子高のロッカールームの様子や、明日どうなるかわからない日々を過ごす金持ちの奥様方や、アフガン難民の運転手のことなど、とてもおもしろく読みました。ただ、主人公がちっとも好きになれない、軽薄な女の子で、感情移入できなかったのが残念。これは、翻訳のせいじゃないかな。級長のパーゴルの言葉づかいも乱暴で汚いから、かえって滑稽な感じがしたし。せっかくの重みのある、大切な作品なので、もっとていねいに訳してほしかったと思います。

しじみ71個分:私はこの本を読んでどう受けとめたらいいかわかりませんでした。テーマの重点が、戦争にあるのか、文化多様性や差異にあるのか、LGBTにあるのか、人権問題なのか…。そもそも、厳しい境遇にある強い、新しい女性を描くなら、主人公のファリンが人物として魅力的である必要があると思うのですが、彼女がノートに書き綴る悪霊ハンターの話が、非常に表層的で、アメリカずれした感があり、まったくおもしろくないので、主人公に感情移入することができず、彼女の心情にそってお話を読み進めることができませんでした。主人公が魅力的ではないので、恋の相手となるサディーラと恋に落ちるさまが簡単すぎるように思えたし、思春期にありがちな、恋と憧憬の誤解とか、のぼせ上がりにしか読めませんでしたので、命をかけるほどの恋になるのか?とつい思ってしまいました。本の中の登場人物の心のひだが深く描かれていないと、読み手の心がついていかないものですね。同性愛に厳しい国であることは十分分かっているはずだろうに、ふたりの逢い引きも不用意すぎてすぐに見つかって、つかまってしまうというのもなんだか軽薄な感じを受けました。それと、カナダの人が書いたということに、微妙にひっかかっています。訳のせいなのかもしれませんが、今の世の中全体が、西洋的な価値観で動いていると私は日頃感じているのですが、西洋的な視点から見た物語の中で、この本を読んだ子どもたちが、イランは悪い国、人権を無視する文化的に遅れた国みたいに、簡単に思ってしまうのではないかと心配になりました。1980年代の物語として書かれていますが、体制派反体制派の反目の中で密告が常態化していることや、同性愛で死刑になるというような社会を支持するわけではもちろんないですが、その国の文化の成り立ちや、歴史的背景等に思いを致さないでそういった点ばかり強調してしまうと、子どもたちは偏った印象を持ってしまわないか、という心配が残りました。日本でも死刑はありますし、ほかの国でも同性愛が禁じられている国はあります。一方、物語の中でも、詩を吟じ合う場面などは、とても美しく、ユダヤ教のラビとの交流も描かれていてとてもよい部分があったので、非常にもったいない気がしました。

すあま:私は、この作者の他の作品も読んでいますが、これは読後感がよくなかったです。児童文学として書くなら、やはりラストは救いがあるもの、明るいものでなければと思います。悪霊の話で終わってしまい、落ち着かない気持ちのままになってしまいました。最後の4分の1が捕まってからのことで、だれが密告したのかもわからないままでつらい場面が多く、長く感じました。友だちを作ってこなかったファリンにとって、初めての友だちであるサディーラに夢中になるのは共感できましたが、それが恋愛感情とは思えませんた。また、パーゴルの言葉づかいがあまりにも乱暴で、違和感がありました。

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エーデルワイス(メール参加):イランにアメリカ文化(映画ビデオ)が入っていたり、戦争で爆撃を受けながらも金持ちはパーディを開いていたりすることに、驚きました。主人公のファリンが、裕福な暮らしや親のことを疎ましく思いながらも、学校の成績が優秀なことや名門を誇りに思っているところなどがよくわかりません。運転手と結婚させられたファリンがその後どうなったのかをもっと知りたいと思いました。両親は、娘の命は助けても、見捨てたのですね。

(2018年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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茂木ちあき『空にむかってともだち宣言』(課題図書)

空にむかってともだち宣言

コアラ:読みやすかったです。内容がよくまとまっていて、ミャンマーのことも難民のことも子どもが読んでわかるようになっていますね。特に、難しい話になりがちな難民の説明について、男の子たちがナーミンをからかったという事件から急遽難民についての授業になるという展開は、うまいなと思いました。気になったところがいくつかあります。p14の8行目、「どおりで」は「どうりで」の間違いですよね。あとp36の挿絵で、あいりが男の子のように描かれていて、どの子があいりなのかパッと見てわかりませんでした。

花散里:こういう作品から外国のことを知ることができるので良いと思いました。今、日本のどこの地域の学校にも、外国から来た子どもたちが在籍しています。日本語がまだよく理解できていない子どもたちとのやり取り等が伝わってきますね。共感して読める子が多いのではないかと思います。

アンヌ:今の日本は実際に殆ど難民を受け入れていない状態なので、この一家がNGOのサポートを受けている難民だという設定が気になりました。給食の時の勇太のいじめは、あいりが暴力をふるいたくなるほどひどいので、この「難民を知る授業」で、どれほど理解できたのか疑問です。だから、先生がいうp72の「ありがとう、航平くん」は、皮肉に聞こえました。クラス全体でミャンマーの民族舞踊を踊るというところは、音楽や振りつけでその国を体で感じて子供たちも見ている親の方も楽しくミャンマーの文化を知ることができる、いい場面だと思います。少し疑問だったのはp117の「ハグとハイタッチ」。ハグはどれくらい日本語になっているんでしょう。

ルパン:さくっと読めました。ミャンマーのことをあまり知らなかったので勉強になりました。テーマありきという感じで、登場人物の子どもたちがそれに合わせて動かされている感はありましたが、あまり期待していなかったので、その割りには楽しめたということかもしれません。期待しなかった理由は、ひとえにタイトルです。読書会のテキストになっていなかったら、まずは手に取らなかっただろうと思います。子どもたちは手を出すんでしょうか…あ、課題図書だったんですか? なるほど。課題図書なら読むのかな。でも、これ、小学生が読んでおもしろいんでしょうか。

オオバコ:先日、「おもしろい……といわないと怒られそうな本がある」という発言を聞いて思わず笑ってしまいましたが、この本は「良い本……といわないと怒られそうな本」だと思いました。課題図書に選ばれたということですが、なぜ選ばれたのか、どんな感想文が出てくるのかすぐに分かってしまいそう。テーマだけで本を選んで感想文を書かせていいのかな? みなさんがおっしゃるとおり、小学生向けにサラッと書かれていて読みやすいけれど、物語としておもしろくない。社会科の、あるいは道徳の教科書みたいな書き方をしていますね。それでも、「難民」を取りあげているところに意味があるのかな・・・・・・と思って、ネットで作者のインタビュー記事を読んでみました。そうしたら「(ミャンマーから来て主人公のクラスに入った)ナーミンを、わたしは難民だとは書いていません」といっているのね。だから、作中で「難民とはなにか」を、主人公の母親の友だちが子どもたちに説明しているけれど、この本は「難民について書かれた物語」じゃないんですね。たしかに日本は難民申請をしてもほんの少数しか認められない、難民を受け入れないといっていい国。昨年も2万人申請したのに、認可されたのが20人だったと新聞に出ていました。そういう事情もあって、作者は前記のように述べたんでしょうけれど、そこのところをサラッと書き流してしまっていいものなの? それにミャンマーといえばロヒンギャを迫害して多くの難民がバングラデシュに流れこんでいるというニュースが海外のテレビ放送では毎日のように流されているし(日本ではほとんど報道されないけれど)、先日の朝日新聞の歌壇にも<アウンサンスーチーと今は呼びすてにしておこう・・・・・・>という歌が載っていたばかり。いったいナーミンのお父さんはアウンサンスーチーが政権を取ってから警察に捕まったの? それとも、軍政時代の話? サラッと書いてあるから、ますますモヤモヤしてきて、ひと言でいえば「みんな仲良し、みんな良い子」的な、のんきな物語だなというのが、率直な感想です。

レジーナ:日本で難民認定されるのは非常に難しく、この本でも、ナーミンの家族が難民だとは書いていなくて、それについてはぼかしてある感じがしました。p26で、ゴンさんも「いろいろと事情があるんだ」と言うだけで、あいりにきちんと説明しないですし。海外にルーツをもつ子どもは、言葉の問題を抱えているケースが多くあります。そんなにすぐに言葉もうまくならないそうです。p69で、ナーミンは自分の過去を流暢に語りだすのですが、たった数か月でこんなに話せるようになるのでしょうか。

ハル:たしかに、言葉の壁だったり、偏見だったり、実際にはこの本には描かれていないような苦労がもっとあるんだろうなとは思いましたが、物語全体をとおして、知らなかったこと、無知であることを攻めるのでははなく、知らなかったなら、これから学んで理解を深めようよ、と呼びかけるような、作者の姿勢に愛を感じました。給食の時間に男の子たちが悪ノリしてしまうシーンも「軽い気もちでいったいたずらが、思いがけず大さわぎになってしまい、とまどっているようにも見えた」(p61)り、先生も、二度とそういうことは言うな! とかその場で叱りつけそうなところを、そうせず、子どもたちに学ばせて考えさせる、そういう姿勢がよかったです。

西山:いま、みなさんが出している本を見てびっくりしたのですが、私、同じ作者の『お母さんの生まれた国』(新日本出版社)を読むんだと思い込んでました! 主人公の小学生が、カンボジア難民という母親の過去と向き合う物語ですが、こちらの方が、読みごたえはあります。『空に向かってともだち宣言』も出てすぐに読みましたが、申しわけないけれど、すっかり内容忘れています。移民や難民の問題を、小学生を読者対象として書いたことは意味のあることだと思っています。ノンフィクションとして書かず、フィクションにするからには、事実関係の伝達だけでなく、むしろ、当事者は、周りの子どもの感じ方や考え方を捕まえたいと思っているのでしょう。その点で、人物描写には課題もあるとは思います。

たぬき:課題図書としてこれが選ばれたということですが、二、三十年前の本としても通用しますね。これを選んだ人たちは低学年向けの難民ものを探していたんでしょうか? 難民だから給食いらないよね、っていうのはひどすぎますね。傷つけるつもりはないけど、そうしてしまうとか、いろいろな場合があったほうがリアル。この文字量で描こうとしたのはいいなあと思いました。非常にさわやかで、いい人がでてきて、さっと読めるんですが、ひっかかりがない。だから読んでも記憶に残らないのかもしれません。そこはもっと攻めてほしかったです。

マリンゴ:さらりと読めました。著者の、ミャンマーへの愛情が伝わってきます。テーマもいいと思います。ただ、先が気になって惹き込まれるタイプの物語ではないなと感じました。その理由の1つとして、ナーミンが控えめでいい子で、受け身すぎるキャラクターであることが挙げられるかも。こういう転校生なら、クラスに受け入れられて必ず好かれるよね、というタイプなので。最初はおとなしく見えても、徐々にユニークな発言をし始めたりしたら、目が離せなくなったと思うのですが。後半はミャンマーの文化紹介になってますね。そのせいか、なかよし大使に選ばれた場面でも「よかったね」とは思うのですが、カタルシスを得られるところまではいきませんでした。

カピバラ:今日話し合う本は3冊とも、大人がひきおこした政治情勢に翻弄される子どもが描かれています。日本の作品にはこういったテーマがまだ少ないので、そこにチャレンジする姿勢に好感をもちました。知らない外国で起こっている出来事ではなく、自分の身近なクラスメイトから考えるのは読者にもわかりやすいと思います。これからもこういう本がどんどん出るといいですね。でもやはり物語としての魅力はいまひとつなのが惜しい。タイトルや表紙の雰囲気も、もう少し考えてほしいです。

ハリネズミ:こういう本があってもいいとは思いますが、たとえば、このお父さんは日本ではジャーナリストになれないとか、子どもだってすぐには日本語が話せるようにならないだろう、とか、リアルな日常の中ではもっと葛藤があるはずなのに、それが書かれていないので、「よかったですね」としか言えないなあ。タイトルからして能天気な気がします。最後はめでたしめでたしですが、これを読んだ子どもたちは、本当に難民のことを考えるようになるんでしょうか? 疑問です。いい意味でも悪い意味でも、日本の作家が社会問題を扱うとこんなふうになりがちという一例だと思います。ドイツは申請した人の半数以上は受け入れているのに日本は申請数が少ない上に認定数は0.6%だそうです。そういうことを考えると、難民について、あるいは国を脱出した人について考えるにしては、これだけだと弱い気もします。p64に「難民は、世界中に1500万人以上いて、日本に避難してきている人も、1万人以上いるという」とありますが、いつの時点の話なんでしょう? 日本は、1978年から2005年末まではインドシナ難民をたくさん受け入れたのですが、今はごく少数です。また、ナーミンたちはどうして国を脱出せざるをえなくなったのでしょう? 現代のミャンマーから日本への難民は主にロヒンギャで、ロヒンギャはミャンマー語を話さないようです。また、この本の記述からは、ミャンマー人は箸を使わないように思えますが、ミャンマー人も麺類を食べるときは箸を使うそうです。ナーミンがただのかわいそうな女の子ではなく、生き生きとして能力もあり、まわりの人たちにも文化的な影響をあたえる存在として描かれているのはとてもいいと思ったので、身近なところにもこういう人がいるよと知らせる入り口としてはいい本なのかもしれないけど、もうすこし考え抜いたうえで書くと、さらによかったのに、と残念に思いました。

しじみ71個分:さらっと読みました。難民をテーマとして取り上げたことはとてもいいなと思います。うまくいきすぎだったり、周りの人々の理解がやたらあったり、日本語がうますぎたり、と教科書的に都合のいいところはたくさんあるのですが、こういうテーマを扱う本が増えていくことに意義があると思っています。どんどん増えていくうちに、内容も深化していくのではないでしょうか。とてもおもしろかったのですが、この本を図書館で借りたところ、ページの途中に、「あいりちゃん、すごい!」と、小学生らしい子どもの字で書いたメモがはさまっていて、この本の中身をちゃんと受け止めたんだなぁ、と感動してしまいました。大きなテーマを小さい子どもたちにどう伝えるかは一つの大きな課題だと思います。この本は中学年向けでしょうか、難しいテーマを難しく伝えると読むのを放棄して逃げだしちゃう子どももいるように思います。こういう教科書的な表現もひとつの子どもへのアプローチの仕方かと思いました。今後、バリエーションが出てくることに期待したいです。

すあま:すっかり難民の家族の話だと思いこんでいました。難民ではなくて日本にやってきた子どもの出てくる本は他にもあり、難民問題をテーマにするなら、ナーミンの家族はどちらなのかもう少しはっきり書いてもよかったんじゃないかな。巻末に解説があるといいのではないでしょうか。日本が国として難民に冷たいということなど、もっと書いてほしかった。ちょっと物足りなかったです。

花散里:日本の児童書は、巻末に解説のない作品が多いですね。難民のことを中学年くらいに伝えるには、この内容以上に盛り込むのは難しいと思うので、解説で補うしかないと思うんですけど。

ハリネズミ:日本の作家の本だけ読んでいても、世界のことはなかなかわかってこないような気がするのは、私だけでしょうか。日本の出版人は、子どもはまだ社会の問題に触れなくていいと思ってるんでしょうね。

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エーデルワイス(メール参加):読みやすくさわやかで、希望が持てます。授業で「難民地図」を示し、子どもたちに説明したところが印象的でした。以前、アウンサンスーチーの『ビルマからの手紙』を読んだことがあります。そのアウンサンスーチーが、今はロヒンギャ問題で批判されています。ミャンマーの民主化はまだ遠いのでしょうか?

(2018年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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日本児童文学者協会編『迷い家:古典から生まれた新しい物語・ふしぎな話』偕成社

迷い家

すあま:これは「古典から生まれた新しい物語」というアンソロジー・シリーズの1冊です。古典というので、いわゆる「古典」と呼ばれるものをイメージしていたら、昔話や国内外の名作もモチーフとなっていたのが意外でした。この『迷い家』でも、作家がかなり自由に発想しているので、読んだ後に元になっている原作を読みたいと思うのかどうかは疑問に思いました。短編としておもしろければよいのですが、物語の後に作者の説明があるものの、うまく古典への橋渡しになっているとは思えませんでした。

ヘレン:まだ読み終わっていないのですが、けっこうおもしろかった。『絵物語 古事記』(富安陽子文 山村浩二絵 偕成社)より読みやすかったです。オーストラリアの学生にも読ませることができるかも。古典というと日本のものかと思っていました。4編の中では「迷い家」がいちばん日本的でおもしろかった。別の話もおもしろかったです。

レジーナ:p106の「カチューシャ」の、名前の説明は不要では? 本の造りとしては、ほかの巻にはどんな作家が書いているか、わかったほうがいいと思いました。

ネズミ:住んでいる区の図書館にはなく、隣の区の図書館で借りました。100ページしかないのに、この束を出して、読んだ満足感を与えるような造本ですね。お話自体は、さらっとおもしろく読めるけれど、それほど印象には残りませんでした。「作者より」という形で、それぞれの作者が原作との関係を説明しているのは、もとの本を知っている大人が読めば、そう変えたかと、おもしろがりそうですが、子どもは、そこから元の作品に行くかというと、そうでもなさそうな気がします。大人と子どもでは、この本の楽しみ方が違うかもしれませんね。絵や文字組などは、読みやすそうでした。1か所気になったのは、p36のせりふのなかの「手も足も出せない」という言い方。「手も足も出ない」では?

須藤:その前に「手が出せない」とあるから、わざとかも。

さららん:慣用表現じゃなく、遊びで持ってきたのかもしれませんね。

マリンゴ:1つ1つのお話は、とてもおもしろく読みました。ただ、おもしろかったからといって、ネタ元の古典にまで遡ってみたいと考える子は少ないかもしれませんね。あと、児童書のアンソロジーについて常日頃気になっているのが、表紙に著者の名前を入れないという習慣です。一般書だと、もちろん入っているので、「この作家さんの作品があるから読もう」と、買うきっかけになります。でも、児童書では大半のアンソロジーが名前を載せない。表紙の文字が多くなって子どもが見づらいとか、子どもは作家の名前で本は選ばない、などの理由があるのでしょうか? この本の場合、出版社のホームページの書籍紹介にさえ著者名が出ていない。村上しいこさん、二宮由紀子さん、廣島玲子さん、小川糸さんに加えて宮川健郎さんの解説だったら、喜んで読みたい、と思う人は多いと思うのですが。この本は、地元の図書館にも近隣の図書館にも入っていなくて、結局買ったのですが、図書館に入ってない理由は、こういうところにもあるのかもしれません。

カピバラ:「古典から生まれた新しい物語」というのは、作家さんたちが書きやすいように一つのテーマを設けた企画だと思います。これをきっかけに古典に手をのばしてもらおうというよりは、ちょっとしゃれた短編集、軽く読める本という感じを受けました。有名な作家たちが手慣れた文章で書いていますが、それぞれの書きぶりは個性もあり、古典との取り組み方もそれぞれでおもしろく読めました。デザイン的な挿絵も好感を持ちましたが、本の造りはあまり子どもが手に取りやすいとは思えません。

アカシア:私は、古典に向かわせる本というより、これはこれで楽しむ本かなと思って読みました。村上さんの物語はとてもおもしろかったけど、あとはそんなに惹きつけられませんでした。「迷い家」は、もっとリアルな現実と接点を持たせて、なるほどと思わせてほしかったです。「三びきの熊」は昔話そのものの方がおもしろい。どうして蛇足みたいな続きをつけてるんでしょう、と、失礼ながら思ってしまいました。

花散里:住んでいる所の図書館には所蔵されていなかったので他の図書館から借りました。小学校の図書館に入れても、紹介しないと手に取らないだろうし、読まないのではないかと思いました。「迷い家」はおもしろいなと思ったけど、子どもたちに遠野物語のおもしろさが伝わるかどうかは疑問です。日本児童文学者協会は最近、アンソロジーを結構、続けて出しているようですね。

西山:アンソロジーはよく企画に上がってきます。

花散里:日本児童文学者協会の人たちと話をしたときに、外国の児童書を読んでない人が多いなと感じました。外国の作品も読んで、書かれているのかなと思っていたのですが・・・。

さららん:古典的なものを読んでないってこと?

花散里:最近の新しい作品もです。YAなど特に読んでないですね。よい作品がたくさんあるのに。

アカシア:べつに外国の作品を読んで書かなくてもいいんですけど、いろいろ読んでいる作家のほうが視野が広くて、国際的にも通用する作品になってくるんじゃないかな。

須藤:いま読んでいたのですが、「やねうらさま」はおもしろかったですね。あまりにサキっぽいから、サキの元ネタがあるのかと思ったけど、オリジナルらしい。解説で引かれている「開いた窓」はサキの有名作ですが、それとこの「やねうらさま」はストーリーとしてはまったく違う話なので、サキらしさをうまくつかんだ、ほんとうのオマージュになっている。

カピバラ:子どもは、パロディには興味持つかもしれませんね。

アカシア:私も「やねうらさま」がいちばんおもしろかったのですが、ほかはパロディとしてもイマイチのように思います。

マリンゴ: このシリーズは、テーマの縛りが二重になっているのですね。古典を元ネタに書く、というのと、「ふしぎな話」を書く、というのと。だから著者は、自由に書く場合に比べて、制約があって不自由ですね。

ネズミ:花散里さんが、これだと手に取らないとおっしゃったのは、どうしてですか? 表紙を見ても、小学生がおもしろそうと思わないということですか?

花散里:書架に並んでいるときに、この背表紙だけでは内容が分からないし、面出ししていても、この装丁では作家の名前も分からない。

カピバラ:「古典」を強調せず、「ふしぎな話」をもっとアピールしたほうがよかったですね。

マリンゴ:小学生も、作家の名前を見て、本を選びますか?

花散里:勤務していた学校図書館では児童書の書架は著者名順に配架していたので、富安陽子さんとか、好きな作家の棚の下に座り込んで選んでいる子もいました。シリーズ本などは次から次へと読んでいるようでした。

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アンヌ(メール参加):『遠野物語』は大好きで、時たま読み直しては、あれは本当はどうなんだろうと色々考えてしまいます。「迷い家」は、家そのものが意志を持つようで、無機質なものに対する恐怖と、その家について知っている人々がいて、後であれこれ言うというところに、村という共同体についての恐怖を感じます。今回は、家の主のおばあさんが出てきて説明してしまうので、わかりやすいけれど、家への恐怖が薄れてしまうのが残念な気がしました。けれど、その分、家の主と主人公のおばあさんへの恐怖が増して、おもしろい後口になっている気がします。

エーデルワイス(メール参加):4人の作家が古典を題材に自由に書いている感じがしました。どの作家も大好きなのですが、子ども向けの短編って難しいと思いました。なんだか中途半端な感じがしました。個人的に気に入ったのは「迷い家」で、すっきりと読めました。昔話だと残酷に思いませんが、現代版『迷い家』では、真に嫌な人間ではあるものの園子がこの世から消えてしまうのは、怖いと思いました。

(2018年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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ピウミーニ著 ケンタウロスのポロス

ケンタウロスのポロス

しじみ71個分:残念ながら手に入らず、途中まで図書館で読んで終わってしまいました。しかし、最初を読んだだけでも本当に格調高い翻訳で、お話自体もとてもおもしろくて、途中までになってしまったのは残念でした。これも、挿絵がついていますが、絵が気になることはまったくなく、逆に引き込まれるようでした。お話は素直に頭に入って来て読めました。

花散里:登場人物が多かったので、最初は「おもな登場人物」の紹介を何度も開いては確認していたのですが、読んでいったら気にならずどんどん読み進めました。小学校の図書館で「ギリシャ神話の本はありますか?」とよく聞かれたのですが、その「ギリシャ神話」が好きな子どもたちにこの本を薦めたかったです。善人と悪人がわかってしまうのはそれほど気になりませんでした。空想上の生き物ケンタウロス、神様と人間、半神半人と登場人物が不思議な話で、図書館に入れたら、特に男の子たちがおもしろがって読むんじゃないかなと思いました。

アカシア:私もとてもおもしろかった。男の子が旅に出て様々な研鑽を積んで、賢くなって帰ってくる、という定型ではあるけど、物語としてよくできていると思いました。ギリシア神話をある程度知っていると、ゼウスとかアルテミスとかヘラクレスなどなじみの神様が出てくるのに加えて、オリジナルなキャラクターが出てくる、そのバランスがおもしろい。欧米の子どもたちだと、そんな楽しみ方もあると思います。日本の、ギリシア神話を知らない子どもたちは、カタカナ名前が多すぎると思うかもしれないけどね。冒頭がケンタウロスの走っている場面で、最後も、違うシチュエーションではあるけど、やっぱりケンタウロスが走っている場面。そういうところも、おもしろいなと思いました。佐竹さんの絵もとてもいいですね。最後のところは、異類婚姻譚ですよね。上橋さんの『孤笛のかなた』(理論社/新潮文庫)を外国に紹介しようとしたとき、「西洋の人は、人間が非人間になることを選択するという結末は受け入れられないんじゃないか」と言われたんです。でも、これも、人間がケンタウロスになる道を選んでるじゃないですか。女の子が勇気をもってそういう道を選択するのも、『孤笛のかなた』と同じですね。

カピバラ:神話に出てくる神々は、荒くれ者だったり、怪力だったりと単純な性格づけで表されるけれど、ポロスは粗野で熱しやすく冷めやすいというケンタウロスのなかにあって、思慮深く深みのある人物像として描かれているところにまず惹きつけられます。数々の試練にあいながらどうやって生き延びるか、このポロスにぴったりくっついて先が知りたいという思いでページをめくりました。佐竹さんの絵もとても合っていて、大自然の中にケンタウロスを小さく描いているのがいいと思いました。「行きて帰りし物語」と書いてありますが、一昔前に多かった児童文学のように懐かしい感じもあり、久しぶりに読み始めたら止まらない読書ができました。

マリンゴ:すごくおもしろかったです。1つ1つの章がびっくりするほど短いのだけれど、それがとてもよくまとまっていて、次の話が魅力的に展開するので、小学校の“朝読”などにも向いているのではないでしょうか。わたしは、ときどきギリシャ神話をもう1度ちゃんと勉強しなきゃ、っていう病気にかかることがあるんですけど(笑)、この本はギリシャ神話を一味違う切り口から紹介してくれていて、勉強ではなく楽しく読めます。絵は、まるで原書に添えられているイラストのように、世界観に合っていますね。あと、地図があってよかった! キリキアからドドナってこんなに距離があるのか!とか、細い海峡ってこんな感じなのかとか、地図のおかげでよくわかりました。

西山:文体がおもしろいと思いました。例えば、以前ここでも読んだ『チポロ』(菅野雪虫著 講談社)はアイヌの神話はあくまでも素材で、ファンタジーを読んだという感触を得ます。けれども、これは、創作作品なのに神話を読んだという感触でした。ヘラクレスとか、「荒くれ」ぶりといい、そしてそのとんでもない展開が「・・・・・・した」「・・・・・・した」とぐいぐい進むのが、近代の小説的でない。あまり描写をしないせいでしょうか。ていねいに文体を分析したらおもしろそうだと思いました。

ネズミ:とてもよかったです。きびきびとした緊張感のある語りに惹きつけられました。ヘラクレスが襲ってきた男たちをいきなり殺してしまう場面など、ぎょっとしながら、どんどん先が読みたくなりました。ちょっと前に読んだのに内容をぜんぜん覚えていない本がときどきありますが、この本は途中でしばらく休んでも、前の内容をわすれていなくて、物語の力の強さを感じました。金の羊毛とかアマゾンとかをきっかけに、ギリシャ神話も読みたくなります。佐竹さんの絵はすばらしかったです。波乱万丈の物語のなかには、この辺でおもしろいことを出して読者を惹きつけようとばかりに山場が次々と用意されている作品がありますが、この物語は変化にもお話の必然が感じられて説得力がありました。

レジーナ:神話の登場人物を使いながら、それに負けない壮大な物語をつくりあげています。物語に勢いがあり、格調高い訳文です。神々もケンタウロスも人間くさくておもしろいですね。佐竹さんの絵は、楽しんで描いてるのが伝わってきました。賢者マウレテスのどことなくユーモラスな感じ、ポロスとネポスの戦いが、盾に映っているかのように丸く切りとられているのとか、魅力的な挿絵です。最後の場面は、ゼウスの視点で俯瞰しているかのように描かれています。このアングルで描こうと思ったのがすごいです!

さららん:よく知られているヘラクレスと、あまり知られていないポロスを最初に登場させるあたりに、作家の選択の巧みさを感じました。おなじみの神の名やふるまいで読者を惹きつけ、一方でポロスを主人公にさせたからこそ、自由にお話をつむげる。1つずつのエピソードで読者をはらはらさせながら大団円に向かっていく、お話創りが見事でした。一方で「神は、ひさしぶりに地上に降りる口実を見つけたことに満足していた」(p193)「ゼウスはこれまで、こんなに楽しい思いをしたことがなかった」(p195)という細かい表現を通して、ゼウスのいたずら心も十二分に伝わってくる。短い文章に、脇役としてのゼウス像もしっかり立ちあがってきます。ピウミーニを、無駄のない、ひきしまった翻訳で読むことができてよかったです。

すあま:ケンタウロスを主人公にしたというのがおもしろいと思います。ポロスが本当にギリシャ神話に登場するとわかり、もう一度読んでみようかと思いました。ポロスはケンタウロスというなじみのない存在ですが、馬扱いをされたり、様々な苦難を乗り越えていくところが共感を得られると思います。でも、「古事記」同様、やはり登場人物の名前が難しいですね。子ども時代の読書では、神話,伝説を好んで読む時期があるということなので、うまく手渡せるとよいと思います。挿絵については、一時期ファンタジーと言えば佐竹美保さん、という感じでしたが、この本ではまったく違うイメージで描かれ、しかも作品にとてもよく合っているのがすごいと思いました。ケンタウロスを大きく描いていないのも、読み手の想像を邪魔しないのでよいと思います。

さららん:裏表紙に、子ども時代のケンタウロスのポロスがいるのがかわいい。

須藤:これは佐竹さんによれば、ポロスとイリーネの子どものつもりだそうです。最後の場面の絵もすごい。ドローンで撮影しているみたいだと思いました。

西山:わあって女のケンタウロスの方に向かって行くところですよね。所詮ギリシャ神話って、女好きの神々の狼藉だらけだったよなとか思って、なんか笑ってしまいました。

アカシア:いかにもケンタウロスらしいし、あえて女の方を描いてないのもいいですね。

さららん:この左のほうのにじみは、ゼウスにも見えるけれど…。

カピバラ:あ、ほんと。顔のように見えますね。

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アンヌ(メール参加):ケンタウロスは思慮深い生き物だと思い込んでいたので、少しびっくりしました。悪役が少々卑小で、あまりスケールが大きい話ではないのが残念でした。

エーデルワイス(メール参加):ケンタウロスのポロスを主人公にした物語で、嫌みなくすっきりとおもしろく読めました。最後にイリーナと結ばれるところに好感が持てました。『絵物語 古事記』にも出てきますが、大事な時に心と体を清める「みそぎ」は古代から西洋東洋共通なのが興味深いですね。佐竹美保さんの挿絵は、とても合っていました。

(2018年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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富安陽子文 山村浩二絵 『絵物語 古事記』偕成社

絵物語 古事記

西山:諸般の事情で借りられずに買いましたが、山村浩二さんの絵の力で繰り返し読んでも楽しい本かなと思っています。子どものころ、今のように創作児童文学があふれている状況ではなかった時代、物語好きにとっては日本の神話やギリシャ神話はごく普通に親しむもので、神話や伝説をファンタジーとして楽しんでいました。でも、娘は日本神話とか多分、読んでないと思います。すっごく久しぶりでなんだかなつかしく楽しんだのですが、絵がなくてお話だけで伝わってほしかったなという気もしてしまう。なんだか、物語の記憶の仕方が絵や映像に主導されがちなことにうっすら抵抗を感じます。視覚的に思い浮かべるばかりが、物語を受け取る想像力ということでもないだろうと。例えば「内はホラホラ、外はスブスブ」という言葉自体がものすごく印象深く残っていて、妙に好きなのですが、これは、映像の記憶ではありません。あと、さらにプライベートに懐かしかったのは、私は、生まれが「天の岩戸」の岩戸で、アマテラスがこもったのはここで、神様たちが集まって騒いだのは狭いけどこことか、引っ越した先は高千穂の峰が近くて、小中学生のスケッチの題材だった高千穂の峰はまさにp188の挿絵の形だったとか、またまた引っ越した先は、鵜戸神宮が近くて「うがやふきあえずのみこと」が祭神で、その意味はp243で今回初めて知りましたが、なんか久しぶりと感慨深かったりでした。普遍性のまったくない思い出話ですみません。

ネズミ:「古事記」は恥ずかしながらこれまで手にとったことがありませんでしたが、富安さんの語りは読みやすく、すっと入れました。でも、だんだんと神様の名前が増えてくると、頭が飽和して混乱しながら追っていく感じ。そんなふうに物語にとりこまれていくのも神話の楽しさかなと思いました。毎ページ入っている絵は、ユーモラスだけれどグロテスクな面もあって、好みが分かれるかな。私は好きでした。話の展開に奇想天外なところも多くて、こんな世界だったのかと驚きました。最後まで楽しいと思って読みとおすか途中で離れてしまうかは、子どもの読書力によるでしょうか。岩波少年文庫の福永武彦の『古事記物語』と比べてみたいと思いました。

レジーナ:昔の人の豊かな想像力にふれ、神話という物語のおもしろさを堪能できる1冊です。絵の連続性は絵巻のようで、いきいきとしたイメージがひろがります。くさびで木に割れ目を入れ、そこにオオナムヂが入る場面など、言葉だけではイメージできないですよね。ページ数はありますが、半分は絵ですし、今の子どもたちが手にとりやすい形で出たと思います。勤め先の中学校でもよく借りられていますよ。

ヘレン:はじめは、オーストラリアの大学の学生に読ませようと思ったのですが、神様の名前が複雑で、漢字ではなくすべてカタカナなのはどうしてなんでしょう? 展開も予想できないので、日本語に慣れていない学生だと難しいかもしれません。

アカシア:原文はすべて漢字ですが、たとえばイザナミは伊邪那美で、音を漢字にしている部分もあるので、漢字で書くと逆にわかりにくくなるからじゃないでしょうか。

さららん:絵の魅力に補われて、お話が語られているのを強く感じました。文章だけではよくわからず、これはどういうことだろう?と思う部分を、絵の中に読みとることができました。空飛ぶ船の絵が出てきますが、これは自由な想像なのでしょうか? それとも調べこんだからこその絵なのか、どっちなんでしょうね。

レジーナ:最初上がってきたのは普通の船の形をしていたのが、もっと自由に描いてほしいと言われて、こうなったそうですよ。もしかしたら、そこで調べられたのかもしれないけど。普通、船を描いてと言われて、この形は出てきませんね。

さららん:なんか宇宙船みたいですね。海にもぐるのも、潜水艦みたいで。そういうのも、子どもにはおもしろいでしょうね。絵があるから、文章をこれだけシンプルに保てたのでしょう。子どものころは、稲羽の白うさぎのお話が大好きでした。昔読んだ本では、うさぎを助けたのはオオクニヌシノミコト。この本の中ではオオナムヂと書かれていて、同一神なのだけれど、出世魚のように神様の名前が変わっていく。それがおもしろくもあり、やや煩雑にも感じました。死んだ妻をさがしに黄泉の国にいったイザナギの話は、オルフェウスの話に通じるし、ヤマタノオロチの首は8本あるけれど、他の西洋の物語の竜の首と数が共通しておもしろいと思いました。ちなみに古事記の特にアマテラスのエピソードが大好きな友人が海外に何人かいるのですが、日本人の自分は古事記と聞くだけで、警戒する部分がありました。天皇制に利用された物語、という印象が刷り込まれているからですが、そのあたりを、みなさんはどう思って読んだのか伺いたいと思います。

アカシア:「古事記」は上中下と3巻あり、中と下は天皇の系譜につながる部分がたくさんありますが、これは上だけなので、物語としておもしろく読めるんじゃないですか。

しじみ71個分:「古事記」は、子どものころに、1つのお話ごとの絵本がうちにあって、昔話として慣れ親しんでいました。もう少し大きくなってからは神話物語として読むことがあって、学生時代は日本思想の分野の研究対象として読んだ経験があって、向き合い態度を変えながらずっと触れていたものでした。なので、子どもの読み物として改めて読むと、自分の持っていたイメージとずれてくることがあって、それはおもしろいと思いました。改めて読んでみると、基本的に、神話=神様の物語の形式となっていても、中身を読むとほとんどは部族間の戦争みたいなもので、部族戦争が神の物語として描かれているのかな、という印象を持ちました。「人間」の話だとしたら、神様といっても人間くさくて、怒ったりすねたり、プリミティブな感じの、人間らしい正直な気持ちや素朴、粗野な行動が書かれていても納得できるなと思いました。
「古事記」の物語世界は、何をどう頑張っても空想するしかない世界なので、いろいろな解釈もできると思います。ですが、こうして絵がついてしまうと、イメージは限定的になるかなと思いました。日本列島のつくり方とかは、私の頭の中ではまったく違っていたし、神様がこんな服を着ているのは事実なんだろうか?とか引っかかるところはありました。また、山村さんの絵は白黒だけなのに、相当にインパクトがあって、タッチにも臨場感があるので、ヤマタノオロチの血が川に流れ込むあたりは怖いくらいだし、逆にヤマタノオロチ自身はけばだった感じが自分のイメージと違うと思いました。絵の力があるだけに、これを真実と思い込むことはないのかな、という疑問を感じます。白うさぎに騙されてうさぎの皮をはぐのはワニかサメかという論争があったけれど、ここではサメを選択して絵で書いていますね。原文ではワニになっているので、どうなのでしょうか?いずれにしても、この本文では絵と本文でサメ説を採ったのだなぁと思いました。全体的には、この物語は内容も絵も本当に力強いので、改めて読むと、ただの昔話と思って読んでいたのより、とてもおもしろいと感じました。

花散里:絵がとても気にかかりました。小学校高学年からを対象に作られた本かなと思うけれど、p34の「黄泉の国」の絵など、絵のインパクトが全体的に強すぎると思います。学習指導要領に伝統的な言語文化に触れる学習指導が求められ、昔話、神話・伝承など、たくさんの本が出版されています。何故、今、富安さんが古事記を取りあげたのか、山村さんの絵はどうなのだろうかと考えてしまいました。古事記は、稲羽の白うさぎなど絵本でもいろいろな形で出ています。この本を子どもたちは、どう読んでいくのでしょうか。古事記は発達段階が進んで、もっとよく理解できるようになってから別の形で読んでもいいのではないかと思います。

さららん:もともと山村浩二さんはアニメーションで「古事記」を制作しています。そういう形で、映像から古事記に入る人もあるだろうし、漫画の『ぼおるぺん古事記』(こうの史代著 平凡社)から入る人もあるのが現状です。入り方はさまざまでいいんじゃないかな?

アカシア:今は「古事記」ばやりなので、いろいろ本が出ていて、漫画やラノベにもなっています。復古的な意識のもあるし、そればかりじゃまずいと言うんで『松谷みよ子の日本の神話』(講談社)なんかもある。ちょっと前ですけどスズキコージさんの挿絵で『はじめての古事記』(竹中淑子+根岸貴子文 徳間書店)も出ています。そういう流れの中に、この本もあると考えたほうがいい。この本で最初におおっと思ったのは、イザナミとイザナキが夫婦になる場面なんですけど、原典では女神のイザナミが先に声を掛けると、女性が先に声を掛けるのはよくないとイザナキが言って、交わってもひるこが生まれる。高天原の偉い神様に相談すると、そこでも「女が先に行ったのが悪い」と言われる。そこでやり直して、イザナキが先に声を掛け、今度はうまくいく、ということになってるんですね。そこを読んだときは、ずいぶん女性差別的だなあ、と思ってたんです。でも、富安さんもそう思われたのかどうかはわかりませんが、この本では「女が先だったらだめ」という部分は省いてあるんです。ただ単にわかりやすくしてるだけじゃないんですね。
それからさっき神様の名前が多すぎるという声がありましたが、原典と比べると、マイナーな神様の名前はずいぶんと省かれています。そして、p97の「さて、これでひとまず、スサノオの話はおしまいとしよう」みたいに、途中で言葉を入れてわかりやすくしているのも富安さんの工夫だと思います。地獄に言ったら振り返っちゃダメとか、三枚のお札みたいな話とか、異界の食べ物を食べたら戻れないとか、世界の神話や昔話に共通するモチーフが、とてもわかりやすく語られているのも、いいですね。山村さんの絵ですが、私はこの本はグラフィックノベルだと思いました。ひどい絵の本もたくさんあるなかで、私はいい絵だと思いました。神様を人間っぽく描いていて、裸ん坊の姿も出てくる。あえてそう描いているのだと思うと、好感がもてます。

カピバラ:この本は5、6年生の子どもに読んでほしいと思って作られた本だと思うんですけど、「古事記」を今の子どもに楽しんでほしいという気持ちが表れていていいと思います。富安さんの文章はおもしろいし、全ページに絵をつけてあるので文章がページの半分しかないのも読みやすい。短編集のように、おもしろそうな話だけ読んだっていい。私たちが子どものころって、絵本などで「いなばの白うさぎ」「やまたのおろち」などの話を他の日本昔話と同じように知る機会は多かったのですが、今はそうでもないですから、「古事記」に触れる、という意味でこういう本を今出す意味をわたしは買います。もうちょっと大きくなってから、ちゃんとしたのを読むとっかかりになると思いますね。それと、私はこの表紙がとても好きです。何か変な人や、怪物みたいなのや、動物がちりばめられていて、ちょっとおもしろそうって子どもが手にとるんじゃないかな。

マリンゴ:最近の「古事記」ブームを私は知りませんでした。今、刊行数が増えてるのですね。私は「古事記」そのものにあまり馴染みがなくて、この本のおかげで、「やまたのおろち」や「いなばの白うさぎ」など、今まで断片的に記憶していたことが物語としてつながって、とてもよかったです。もともと山村さんの絵が好きなので、イラストが全ページに入って、しかも富安さんの文章なんて、奇跡のコラボみたいな本だなぁと思いました。絵のインパクトが残る子どもは多いでしょうけど、これで「古事記」に興味を持った子は、ほかの本も読むでしょうし、読まない子は、この本で「古事記」を知っておいてよかった、ということになるでしょうし、存在意義のある本だと感じました。

須藤:とてもよくできていると思いました。全ページにわたって絵が入って、そのため文章は短くかりこんでいるんですが、ちゃんとお話はまとまっているし、何よりおもしろい。いい本だなと思います。「古事記」自体は子どもの頃、赤塚不二夫のまんがで読んだっきりで、実はきちんと読んだことがあんまりなくて……。個々のエピソードがこういうふうにつながっていったのか、と改めて思いました。どぎついところはうまくごまかしたり削除されていたりして、それでいて神様がみんなめちゃくちゃなところはよく出ているし、子どもに「古事記」の世界を紹介したいときに、この本があるととてもいいんじゃないでしょうか。それから、途中から来たので前半聞けなかったのですが、絵については意見が出ていたんですか? ぼくはとても好きな絵でしたけど……。p202で、木花咲耶姫が燃えさかる産屋の中で赤ん坊を産む場面の、この迫力ある顔とか。

西山:絵の好きずきというより、物語に絵で触れることはどういうことなのか立ち止まって考えてみたいと、私は思ったんです。絵にしなくても物語は理解できるのに、視覚的「わかりやすさ」がそんなに大事かなと思います。入りやすいのは確かにそういう面はあるだろうけれど、物語の流動的なイメージ世界が限定されていかないか気になります。

しじみ71個分:好き嫌いというより、頭の中の造形と絵のイメージがちょっとずれるところはありますね。

西山:絵にしなくても、物語は理解できる。くまなく目に浮かばなくたっていいと思うんです。いつもいつも視覚的な理解が先立っているような気がします。

レジーナ:昔話は、絵にすると残酷だったり、絵では伝わらない要素があったりするので、絵本にするのは難しいという意見は昔からありますね。神話についても、同じように思われる方がいらっしゃるのかもしれません。私は、お話と絵の出会いが良い形であれば、それでいいように思います。「古事記」のお話を生で語れる人は、あまりいませんし。

しじみ71個分:おもしろいなと思うのは、ギリシア神話だと文字だけの本でも子どもが読んで、おもしろいって言うんですよね。特に男子でその傾向が強いような気が…。

花散里:今は歴史読物でも、織田信長がイケメン漫画の主人公のような表紙だったり、どうかと思うような児童書が出版されています。「古事記」も、登場人物がイケメンのような絵のものも出ている。学校図書館にもそういう本が入って行くのか、そういう出版の流れはどうなのかと思います。

しじみ71個分:最初のひる子流しの話は省かれていますよね。どろどろしたような話は省かれているのでしょうか。なので、個別のお話はある一定の方針で選ばれているんだなとは感じました。あの話は子どもの頃からいちばん気にかかっていた部分だったのですが。

須藤:絵のことでいうと、p169で事代主がのろいの逆手を打つ場面などはおもしろかったですよね。「手の甲と甲をうちあわせ」とあるけど、こうやって打つのか!って思いますよ。

アカシア:ここは絵がないとわからないですね。

しじみ71個分:だけど、これは本当にそうなんでしょうか?これも一つの解釈だと思うのですが…。

アカシア:調べてもわからないことはいっぱいあるかとは思いますが、監修の先生がついているので、今の説ではこうなっているという点は、おさえてあるのではないでしょうか。

すあま:「古事記」の話って、1つ1つ別々に知ることが多いですけど、この本ではすべての話がつながっているところがいいなと思いました。読みやすくてわかりやすかったです。絵については、第一印象ではあまりよいと思わなかったけれど、読んでいくうちに話の雰囲気に合っているように思えてきました。「絵物語」ということですが、大人だとある程度わかっているようなものも、子どもにはなかなかイメージしにくいことが多いので、全部注で説明するよりも絵でわかる方がよい、ということだと思いました。神様がとんでもなくてユーモラスなところもおもしろく読めます。でも、神様がいっぱい出てくるので、わからなくなってきました。人物の名前がおぼえられなくて海外文学が読めない、という人が多いようなので、登場する神様の紹介があるといいと思います。

アカシア:旧約聖書もそうですけど、系譜を長々と書いていくのは、そういう形式でリズムを作っているのかと思うので、いちいち紹介がなくてもいいように、私は思います。ちょっとわからなかったのは、私がコノハナサクヤヒメとおぼえていたのが、ここではコノハナサクヤビメとなっていて、他にもスセリビメというふうに「ビメ」があるかと思うと、クシナダヒメのように「ヒメ」もある、というところ。

しじみ71個分:Wikipediaで見ると、コノハナサクヤビメは木花之佐久夜毘売、スセリビメは須勢理毘売命・須世理毘売命、クシナダヒメは櫛名田比売となっているので、もとの漢字が違うのかもしれませんね。私も昔はみんなヒメと読んでいました。監修が入って厳密になっているのかもしれませんね。絵も物語も、神々が非常に人間くさく描かれていますが、もしかするとあえて、神性を否定的に描いているのかなとも思いました。

西山:原田留美という私の仲間が『古事記神話の幼年向け再話の研究』(おうふう 2017.12) https://honto.jp/netstore/pd-book_28883127.html というのを出してます。ワニかサメかについても、大変詳細に分析、考察されていますよ。

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アンヌ(メール参加):せっかく語り手が富安陽子さんなのに、最初の出だしがとても男性口調なのにはがっかりしました。古事記の語りは女性というイメージだったので(さくま:稗田阿礼については、一時期女性だという説が強かったのですが、今は男女両方の説があるようです)。絵については神々を極力美しく書かないで、身近な感じにしようとしたのかなと思いました。私は、伊藤彦造とか池田浩彰の挿絵で読んでいたので、神話の神々は美しく色っぽい神々という印象が残っています。

エーデルワイス(メール参加):絵物語ということで、全ページ挿絵があることに感心しました。読みやすかったです。ただ絵が大人好みなので、子どもが手に取るかな? 偶然ですが、こちらのグループで毎月『えほんの読書会』をしています。今月とりあげたのが山村浩二さんで、たくさんの絵本の絵を描いていて、有名なアニメーション作家であることも知りました。2002年『頭山』で国際アニメーショングランプリをとったことは記憶にありましたが。横道に逸れますが、山村浩二著『アニメーションの世界にようこそ』(岩波ジュニア新書)はおもしろかったですよ。

(2018年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2018年10月 テーマ:古典を今によみがえらせる

日付 2018年10月30日
参加者 アカシア、カピバラ、さららん、しじみ71個分、すあま、須藤、西山、ネズミ、花散里、ヘレン、マリンゴ、レジーナ、(アンヌ、エーデルワイス)
テーマ 古典を今によみがえらせる

読んだ本:

富安陽子文 山村浩二絵 『絵物語 古事記』偕成社
『絵物語 古事記 』
富安陽子/文 山村浩二/絵 三浦佑之/監修   偕成社   2017.11

<版元語録>『古事記』の上巻におさめられた神話が、富安陽子さんの息のかよった文章で生き生きとよみがえりました。全ページ、山村浩二さんによる挿し絵入りで、迫力のあるイメージが広がります。子どもから大人まで、初めて読む『古事記』の決定版です。


日本児童文学者協会編『迷い家:古典から生まれた新しい物語・ふしぎな話』偕成社
『迷い家 』
日本児童文学者協会/編 平尾直子/絵   偕成社   2017.03

◆村上しいこ 作「やねうらさま」、二宮由紀子 作「魚心あれば?」、廣嶋玲子 作「迷い家」、小川糸 作「三びきの熊」 <版元語録>古典をモチーフにした4つの物語を収録。不思議をテーマにしたそれぞれの作品の最後に著者メッセージ、巻末に古典への読書案内を掲載した。


ピウミーニ著 ケンタウロスのポロス
『ケンタウロスのポロス 』
ロベルト・ピウミーニ/作 長野徹/訳 佐竹美保/絵   岩波書店   2018.05
FOLO, IL CENTAURO by Roberto Piumini, 2015
<版元語録>舞台は古代ギリシア。若いケンタウロスのポロスは英雄ヘラクレスに出会い、英知を得るための旅に出た。ヘラクレスやアマゾン族に育てられた少女イリーネらの助けをかりて、ポロスは試練をつぎつぎに乗り越えるが、そのころ故郷では悪がはびこりつつあり……。イタリアの言葉の魔術師、ピウミーニによる「行きて帰りし物語」。

(さらに…)

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2018年07月 テーマ:子どもと花をめぐる物語

日付 2018年7月17日
参加者 アカシア、アンヌ、さららん、ととき、花散里、ハル、マリンゴ、
(エーデルワイス)
テーマ 子どもと花をめぐる物語

読んだ本:

中澤晶子『さくらのカルテ』
『さくらのカルテ 』
中澤晶子/作 ささめやゆき/絵   汐文社   2018.04

<版元語録>サクラハナ・ビラ先生は桜専門の精神科医。ストレスで病気になった桜の治療をしています。古都の桜はなぜ不眠症になったの? 福島の桜の悩みは? 時代も国も違う3つの桜の物語。2017年「毎日新聞西日本版」連載の単行本化。


エミリー・バー『フローラ』
『フローラ 』
エミリー・バー/著 三辺律子/訳   小学館   2018.02
THE ONE MEMORY OF FLORA BANKS by Emily Barr, 2017
<版元語録>記憶障害の少女フローラが唯一覚えていたのは、あこがれの彼と水辺でキスをしたことだった。絶対に忘れられないラブストーリー。


ジョン・デヴィッド・アンダーソン『カーネーション・デイ』
『カーネーション・デイ 』
ジョン・デヴィッド・アンダーソン/作 久保陽子/訳   ほるぷ出版   2018.04
MS. BIXBY'S LAST DAY by John David Anderson, 2016
<版元語録>12歳のトファー、スティーブ、ブランドの担任・ビクスビー先生は、一人ひとりをよく見て、さりげなくアドバイスしてくれる信頼できる先生だ。ところが先生がガンで入院し、突然会えなくなってしまう。どうしても伝えたい事がある3人は、学校をサボってお見舞いに行くことにしたが…病院までの道中で起こるアクシデントやケンカで、それぞれの悩みが見えてくるが…。3人の成長物語。

(さらに…)

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ジョン・デヴィッド・アンダーソン『カーネーション・デイ』

カーネーション・デイ

さららん:たった半日の小さな大冒険ですが、最後まで読むと、3人の人間関係、悩みなどいろんなことがわかってきて、内容的には正道の児童文学だと思います。読み始めて、造語がうまいな、と思いました。どうしようもない人のことを「ナシメン」と名付けるとか、今っぽい。また主人公3人が、社会のいろんな層から出ているところもいい。ただ最初の方で、3人の語りというルールがよくわからなくて、ときどき混乱しました。3人の性格がわかってくると読み解けるのですが、トファーとスティーブの語り口が似ています。もうすこし文体の面や、小見出しを大きくするとか、子どもが入りやすい工夫が必要かも・・・。ダブルミーニングをちゃんとダブルで訳しているところはいいですが、訳がわかりにくいところもありました。ひとりひとりの子どもをよく見ていて、必要な言葉や手をさしのべるビクスビー先生は素敵。やっと会えた先生に、ブランドがどんな励ましの言葉をかけたか書いていないところが、逆に物語の世界の奥行を広げているなと思いました。

アンヌ:私はとても読みづらくて、最初のうちは3人の区別がうまくつかないまま話が進んでいく感じで苦労しました。『二十四の瞳』(壺井栄著 岩波文庫)みたいに苦労しながら先生を訪ねていく話なんだと了解してから、やっとすらすら読んでいけました。古本屋の場面とか、あきらめて帰ろうと乗ったバスにお酒を盗んだ男が乗ってくるとかは、うまい作りだなと思いました。でも、ケーキや音楽の謎がやっと解けるのがエピローグなので、全体としてはわからないままいろいろ進んでいく感じが強かったです。読み終わってみると、良い物語だったなと思えるのですが、先生が亡くなる話なのはつらいですね。

アカシア:この先生が魅力的に描かれているので、おもしろく読みました。世界には6種類の先生がいる、なんていうところも、なるほどと思ったりして。ただ残念なことに、最初の出だしにひっかかってしまった。「謎の菌」は、アメリカの子どもたちがよく使うcootieという普通名詞だと思いますが、「謎の菌」だとうまく伝わらないかも。「菌急事態」も、会話だと「緊急事態」と同じになってしまうので、もう一工夫あったほうがよかった。訳者が苦労されていることは伝わってきますが。それに、ほかの方もおっしゃっていましたが、前半部分、3人の少年が同じような口調で語るので、だれがだれだかわからなくなります。もう少し区別できるような工夫があるとよかったですね。P26の「レッド・ツェッペリンのリードは?」に対して「ツェッペリン飛行船が鉛(ルビ・リード)でできているわけないですよ」と返す部分。鉛の発音はリードじゃなくてレッドなので、変です。もう一つ気になったのは、少年たちが「最後の日に何をしたいか」という話を先生が授業でしたのをおぼえていて、それをそろえてお見舞いに行こうとします。この先生はまだ入院したばかりで、回復する可能性だってあるんじゃないかと、私は思ってしまいました。それなのに「最後の日」に食べたいといったケーキやポテトチップスを持って行ったりする。日本の子どもだったら、たぶんしないでしょうね。でも、前にこの会でとりあげた『クララ先生、さようなら』(ラフェル・ファン・コーイ作 石川素子訳 徳間書店)も、死を前にした先生に子どもたちが棺桶を送るという設定になっていました。だから、外国では、そんなに不思議なことではないのかもしれませんね。

マリンゴ:いい話だと思ったし、読後感もとてもよかったです。ただ、みなさんがおっしゃっているように、視点の切り替えが頻繁すぎて、特に序盤は誰目線なのかわからなくなりました。3人の感情表現が似ている上に、ゴールが一緒であるため、混同しやすくなるんじゃないかと思いました。みんな先生が大好き! なんですけど、たとえば1人は、先生に対して何か複雑な感情を抱いているとか、そういう違いがあれば、視点が変わっていく意味も大きくなったかもしれません。序盤の1人の視点を長めにするか、あるいは全体を三人称にしたほうが読みやすかったかも。著者には叱られるかもしれませんが、もしかしたらスティーブの視点固定でも一応成立は可能な物語だったかな、なんて考えながら読んでいました。あと、「すい管せんがん」と先生がはっきり病名を言うところは、日本ではなかなか考えられないシーンで、印象的でした。私はすい臓関係の病気、少しくわしいので、ラストの部分、「すい臓の病気で、フライドポテトそんなに食べたらあかんー!」と思わず悲鳴を上げたくなってしまいました。でも、自分が言ったことを、子どもたちが覚えてくれていた、というのは大きな喜びでしょうね。

ハル:私も、ブランドの節に入って、一人称が変わって、初めてそういう構成なんだと気づきました。見出しでページを変えるとか、本づくりにもう少し工夫があってもよかったのかなと思います。でも、物語自体はとても良いお話だと思いました。高価なケーキや未成年では買えないワインを一生懸命買おうとするのも、大人になった今だから「そんなのいいのに!早く会いに行って!」と思うけど、子どもたちにとったら一大事で、大冒険で、ゆずれないところですよね。全体的に、あからさまに書かないというか、まわりくどい書き方というか、大人っぽい書き方だなとは思いました。余談ですが、学校をさぼらなかった子たちにも、『指輪物語』の最終章、聞かせてあげたかったな。

西山:感想は、みなさんとまったく一緒! え、ちょっと待ってと立ち止まった場所もたぶん一緒です。最初は、ちょっと腹を立てながら読みました。自分がレポーターか何かなら、登場人物メモでも作りながら読むけれど、一読者としては、そんな手間をかけなくてもページをくっていけなければ読書は楽しめません。それど、彼らのうかつさは、リアルなんだとは思います。だから、子ども読者には共感を持って読まれるかとは思いますが、正直なところ、次々と繰り出される失敗は若干ストレスでした。いや、ケーキ背負って走ればぐちゃぐちゃだろ、とか。もう少し読みやすければよかったのに。原書もこういう作りなんですよね? だとすると、勝手に三人称にすることはできないし・・・。

アカシア:話者が替わるところで、ちょっとずつ違うそれぞれの男の子の似顔絵をつけるとか、それくらいはできるでしょうけど。

花散里:がんの宣告を受けた先生を思う3人の少年たちの物語で死を描いた作品として、人の死をしんみりと思わせてくれると紹介され、1回目は一気に読みました。2回目に読み返した時には、目次がないし、p89のスペイン語がそのまま書かれていたり、登場人物が区別しにくいなど、日本の子どもたちが読んだときにどうなのか、と、気になってきました。3人の少年たちにとって特別な1日であったというこの作品に、このタイトルでいいのか、と思ったり、表紙の絵や装丁にも引っかかりました。編集や翻訳の方も、日本の子どもたちが読むときのことをもっと考えてほしいな、と思います。私は、優れた海外の翻訳作品を日本の子どもたちに手渡したいといつも思っています。そのためには、こなれた日本語にする翻訳者の方、編集者の方の力が大きいのだと改めて思った作品でした。

アカシア:今おっしゃったp89のスペイン語は、日本の子ども向けだったらアルファベットで出しておく必要がないですよね?

花散里:そう、そういうことろは、編集者の人に目配りしてほしいですよね。日本の子どもたちがどういうふうに読むか、をちゃんと考えてほしいものです。読んで、すっとわかるようにしておいてほしいです。

さららん:翻訳物の場合、中身を全部わかるようにするのは難しいけれど、でもだからこそ、訳者と編集者が一丸となって、読みやすくする配慮が不可欠だということですね。

花散里:会話で文章が続いていくところは、とくに気になりました。「世界には6種類の先生がいる」と、先生のタイプをあげていくところなどはおもしろく読みましたが・・・。

(2018年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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エミリー・バー『フローラ』

フローラ

アンヌ:最初は苦手な設定だなと思っていたのですが途中から夢中になり、よくできた推理小説を読み終えたような気分になりました。恋をすると今まで使わなかった脳の部分が活性化するんだとどきどきしながら読んでいきましたが、でもそれは精神安定剤のような薬を飲まなかったせいで一種の躁状態になったからなんですね。少し、残念です。でも、記憶がなくても記録をすることで生きていけるという事がわかって、予感していたような嫌な話ではなく、親友のペイジと仲直りもできてほっとしました。

ととき:ミステリーとしてのおもしろさで、はらはらしながら最後まで一気に読みましたが、主人公があまり好きになれなくて・・・。フローラは、10歳までの記憶はあるんですよね。お兄さんが、自分をとてもかわいがってくれたことは覚えている。でも、重病で死ぬかもしれないお兄さんのところに行くより、キスしてくれた男の子のほうに行っちゃうんですよね。それがYAといえば、それまでだし、海外でよく売れている理由でもあるんでしょうけれど。なにかに突き動かされて書いたというより、こういう障がいのある主人公をこんな風に動かせばおもしろいものを書けるんじゃないかという作者の意図がまず先にあったような感じがして。まあ、エンタメというのは、そんなふうに書くものなのでしょうが・・・。小川洋子の『博士の愛した数式』(新潮社)は、おなじ障がいを扱っていても感動したし、大好きな作品ですが。

アカシア:フローラは、お兄さんがどこに住んでいるかはわかっていないんですね。キスしたことを覚えているのは、忘れないようにノートに書いて、それをいつも見ているからだと思います。それに、そこが自分が生きることにとってとても重要だと思ったから。私は、エンタメだからこの程度とは思わず、この作者はその辺まできちんと目配りをして書いていると思いました。

さららん:3部構成が、とてもわかりやすかったです。記憶を留めておけないフローラの語りが断片的で、でもその感じ方と一体化すると、自分とはまったく違うフローラの感覚で世界が紐解けてくる。そこがすごくいいですね。例えば心は10歳のままなのに体は大人、その違和感を伝える語りが実に巧みです。キスの記憶、タトゥーなど、記憶と体の関係を描いているところにも注目しました。後半で登場する兄ジェイコブの存在は、読者に(そしてフローラ自身にも)隠されている家族の秘密を解き明かすに重要な存在。でも、危篤のはずの兄から、フローラに届く手紙やメールの翻訳文体が元気だったので、私の中では兄の人物像がうまく結べませんでした。1部、2部で残された謎が、3部ですべて手紙を使って種明かしされる。フローラ自身のハンデを思うと、それしか読者に伝える方法がなかったのかもしれない。ただ1部、2部までの展開と盛り上がり、息をのむほどの面白さを考えると、これ以外に物語を終わらせる方法はなかったのかな、と思いました。

花散里:物語の展開にドキドキしながら衝撃を受け、精神的には怖いようにも感じながら読みました。「自分探しの物語」というYAの作品のおもしろさを充分に感じました。アスペルガーやディスレクシアなど障がいを持った主人公の作品が最近のYAには多いですが、記憶が短時間しかもたないという記憶障害を抱えた少女フローラの語りに引き込まれていきました。自分に記憶を与えてくれたドレイクを追って北極へと旅立つ第2部、妹を思う兄からの手紙で物語が大きく展開していく第3部へと、構成もうまいと思いました。わが子が可愛いばかりに、という母親の思いは複雑でしたが・・・。友人のペイジ、ノルウェーの人たちなど、フローラに関わる登場人物も魅力的に描かれていて印象に残りました。

西山:読み始めは、うわーまたこういう認知が独特な主人公の一人称で内面に付き合わされるのか、つらいなぁと思ったのですが、投げ出す前にぐんぐんおもしろくなりました。今回、テキストにしていただいて本当に良かったと思っています。『カッコーの巣の上で』を思い出しました。じつは、映画と芝居を見ただけで原作は読んでないんですけどね。結局、奇をてらった難病ラブロマンスではなく、思春期の親子関係の物語だったんですね。普遍的な物語だとわかって、とても共感しています。いつまでも、フローラを10歳のままで止めて庇護したい母と、17歳の思春期に入っている娘の確執。フローラが外に出ていくという展開がすごくおもしろかった。スヴァールバルの人たちの寛容さの中では障がいが障がいでなくなっている、その在り方も素敵でした。ドレイクのやったことは、障がい者に対する性加害を考えさせられました。相手が被害を告発する力がないと思うから、そういう行動を取る卑怯さといったら! 障がいの有無に限らず、セクシュアルハラスメントの構造ですね。

ハル:私は・・・こういった記憶障害の例は確かにあるんだと思いますが、なんだかちょっと言いにくいですけど、正直言って「子どもが考えそうな筋書きだな!」と思いました。ドレイクとの関係は恋愛ではありませんでしたよね。友達もそれをわかっているのに、そのドレイクとキスをしたことが「あなたは頭のいいかっこいい男の子とキスだってできる」とフローラに自信をもたせる理由になるのがわかりません。なんで?「頭のいいかっこいい男の子」って、だれが? これ〈ラブストーリー〉ではないですよね。なんで? なんで? と、イライラしながら、なんだかんだで結局一気に読みました(笑)。その、「一気に読ませる」力はすごいと思いました。

マリンゴ:同じことの繰り返しで読みづらいかなと最初は心配だったのですが、あまり苦にならず、むしろ惹き込まれて読んでしまいました。すごい筆力だなぁ、と思います。ドレイクのクズっぽさがいいですね。中途半端に改心せずに、最後までクズでいてくれてよかった気がします(笑)。物語の皺寄せが全部ジェイコブに行きすぎてるかなとは思いましたけど。事故で大やけどを負って、ゲイで生きづらくて、20歳そこそこで肝臓がんですものね。過酷すぎます。フローラのような高次脳機能障害というと、私は料理研究家のケンタロウさんを思い浮かべます。高速をバイクで走っていて6メートル下に転落して、奇跡的に命は助かったけれど、記憶障害になって・・・。でも、当時は寝たきりだったのが、今は車椅子で動けるようです。少しずつよくなるという希望があるのではないかと思います。この本と同じように。なお、北極の街として登場するロングイェールビーンですが、NHKの特集で見たことがあります。世界最北の街で、(スヴァールバル条約に加盟している国であれば)どこの国籍でも無条件で移住してきていい、自由に商売をしていい、という特別な地区で、活気があってみんなフレンドリーでした。だから、フローラにみんなが親切にするのは、ある意味、とてもリアリティがあるなと思いました。ただ、物語で唯一気になったのは、メールのアカウントをフローラが自分で作ったという件ですね。どうしても、そこもドレイクがやったのだと思いたい自分がいます。1~3時間の記憶しか持たない中でどうやってやれたんでしょうね。

アカシア:おもしろく読みました。私の感想は、ほぼ西山さんと同じです。最初は、困難を抱えた人の一人称はしんどいな、と思ってさまよいながら読んでいたんだけど、だんだん引き込まれて、フローラが手ひどい目にあうのかと心配になり、そのうちフローラが自立するのを応援したくなり・・・と、読みながら気持ちが変わっていきました。アマゾンには小学館からのセールス言葉で、「絶対忘れられないラブストーリー」と書いてありますが、それはこの本のテーマからはずれているし、内容とも違いますね。障がいを持っていながら自立していく少女の物語で、考えさせる要素をいっぱい含んでいます。この母親は客観的にはひどい親ですが、なぜこうなってしまったかが書かれているのでリアリティがあります。最初は怒っていたペイジが、フローラに「本当の自分」を取り戻させようとするようになるのも、納得できるようにリアルに描かれています。他の方たちが、リアルではないと疑問を投げかけた点は、私はすべて説明がつくように描かれていると思っています。でも、一つだけ疑問だったのは、この母親が、フローラを置いて夫とフランスに行くという設定です。最初はパスポートがないと言うので、ああそうか、と思っていましたが、パスポートは結局あったわけですよね。だとすると、フローラがこれまでにも2回家出をしていたこともあり、自分のそばに四六時中おいて監視しようとするほうが自然なんじゃないかと思いました。ネットで前向性健忘症についてチェックしてみましたが、何かのきっかけで直る場合もあるようですね。でも、抗うつ剤などを飲ませて不活発にしておいたらダメらしいですね。そういう意味では、この本の終わり方には希望が持てます。

 

エーデルワイス(メール参加):18歳で自立できるなんて、日本と比べて感心してしまいます。主人公フローラの未来を明るく見せているので、読後感がさわやかです。p273でお兄さんが、「もう精神安定剤を飲まされないようにしろ。おまえはおまえでいるんだ」と述べているのが心に残りました。

(2018年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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中澤晶子『さくらのカルテ』

さくらのカルテ

マリンゴ:とてもおもしろいアイデアで、魅力的だと思いました。桜を診察して治療する、というのがいいですよね。リアルな樹木医ではなくファンタジックな世界観なのも興味深かったです。それだけ思い入れを持って読んだぶん、ちょっと残念だなと思った部分がいくつかありました。p11で「ばかでかい鏡を立てた」「さくらの木の不眠症は、治りました」という事例が書かれていて、なるほどそういうパターンの物語が出てくるのね、と思いながら続く1つめのお話を読んだら、まったくこの事例そのまんまで・・・。なぜ先にネタバレしてしまうのか! オチを知らなかったら楽しく読めたのに。子どもには、概要をあらかじめ説明したほうがわかりやすいと考えたのかなぁ。あと、p20「池の端に立っているさくらならば、水面に映った自分を見ることができるのでしょうが、ここに池はないのです」という一文があることによって、あ、オチの部分、鏡を立てるより池を作るほうが、もっと風流なエンディングになったんじゃないか、と思ってしまいました。あとは、全体のバランスですね。1話目がほんわか昔話風なのに対して、2話目がベルリンで、3話目が福島。全部で5話くらいあって、2話がベルリンと福島ならバランスいいと思うのですが、3話だったら、うち2話がほんわか系のほうがよかったんじゃないかなぁ、と。

ハル:私は、1話目のようなお話をもっと読みたかったです。これが2話目、3話目から始まっていたら、そういう本なんだなと思ったんだと思いますが、1話目から読んでしまったのでそう思うんだと思います。きっと、2話目、3話目を書きたくて始まった企画なのだろうとは思いますが・・・教訓とか「人間とは」とか、そういう勉強のために読むのではない、読んで楽しい(だけでなくてももちろんいいですが)子どもの本をもっと読みたいと最近思います。

西山:再読する時間がなくて発売後すぐに読んだきりですが、一番印象が強いのは「太白」ですね。p21の5行目「自分の考えなど、たずねられたこともない小坊主」が「さくらの何がうつくしいと感じますかな」と問われて、ほおを「濃いさくら色」に上気させて答える場面が好きでした。何かがうつくしいと心奪われる、苦しいような切ないような感触が思い起こされます。でも、ベルリンと福島の物語が『こぶたものがたり』『3+6の夏』(ともに中澤晶子作、ささめやゆき絵)と同様に、中学年ぐらいで読めるコンパクトさで書かれていることは貴重だと思っています。歴史的、社会的テーマを扱った作品はどうしてもボリュームのある、高学年向き、YAとなりがちなので。

花散里:ささめやゆきさんの表紙絵から中学年ぐらいの子がこの本を手に取るのではと思いましたが、京都の太白のお話など、最初の展開から、もう少し上の学年の子でないと物語に入っていけないのではないかと感じました。作者が描きたかったのは、ベルリンや福島のことでは、と推測される「さくらの物語」だと思いますが、読者対象を選ぶのが難しいと思いました。福島のことや、「さくら」をテーマにしたブックトークの中で紹介するなど、子どもたちに手渡して行きたい作品だと思います。

さららん:「さくらのカルテ」というタイトルのつけかたといい、導入といい、全体的によくつくりこんだ本だと思いました。あとがきのかわりの「さくらノート」がとてもおもしろかった。この物語を書くきっかけになったのか、あとから調べてわかったことを付け足したのか・・・その両方かも。3つの物語が成立していく過程はそれぞれ違っていたはずで、想像する楽しみがさらに残ります。なにしろ第1話の「京都・太白」と、2話の「ベルリン・八重桜」の味わいが全然ちがっている。3話の「福島・染井吉野」まで読んで、あーこれが書きたくて前の2つも書いたのかな、と思いました。さくら専門の精神科医とその助手を狂言回しに登場させることで、味わいの違う3つをぴったりくっつけたかというと・・・そこはやや疑問ですね。意欲的な失敗作というと言いすぎかも。意欲作であることは確かです。

ととき:いい作品ですね。芭蕉の俳句「さまざまのこと思いだすさくらかな」を思いだしました。そういう桜に対する思いって、外国に紹介したとき分かってもらえるかな? みなさんがおっしゃるように、作者が書きたかったのは第3話の夜ノ森地区の桜の話だと思いました。第1話は、落語の『抜け雀』を思わせる展開でおもしろく読ませ、第2話の斎藤洋さんの『アルフレードの時計台』のような雰囲気の話で、ちょっとしっとりと考えさせて、第3話に続ける構成がいいなと思いました。小学生にはわからないのでは? ということですが、おもしろい物語だなと思って心に残っていけば、今はベルリンのことや福島のことが理解できなくても、やがて大きくなって「ああ、そうか!」と思うときが来るんじゃないかしら。私自身も、そういうことがよくありました。それもまた、本を読むことの素晴らしさだと思います。戦争を体験した世代が、いろんな形で戦争のことを書きつづけてきたように、福島のことも書きつづけて、次の世代へ、また次の世代へとつなげていってほしいと切に思います。それも、児童文学の使命のひとつなんじゃないかな。ただ、狂言回しのお医者さんと看護師さんのネーミングがいやだな。じつをいうと、最初にそこを読んだときにうんざりして、読むのをやめようかなと思いました。

アカシア:さっき花散里さんが、これだと背景が分からないから小学生には難しいとおっしゃっていましたが、難しいと読んでもらえないということですか?

花散里:さくら専門の精神科医「ビラ先生」とか、ネーミングはおもしろそう、と子どもは読んでいくのかもしれませんが、作者が伝えたいと思っているベルリンの八重桜や福島のお話に入っていけるのかなと感じたんです。

アンヌ:私も、マリンゴさんがおっしゃったように5話くらいあればと思いました。ベルリンと福島の桜の話が書きたかったというのは分かるのですが、私はもっと第1話の「京都・太白」のような物語をあと2つくらいは読みたかった。絵から抜け出る話はよくありますが、花びらがひらりと飛んでいくというのはとても美しく、錯覚としても起こりそうな感じです。こういう不思議な話の形でメッセージ性のある作品を書くのであれば、せめてもう1話ぐらい語り手にまつわる話とかがあってもよかった気がします。私はこの語り手の語り口にはとてもはまってしまい、ネーミングも好き、大好物が桜餅で2つ食べちゃうところも好きです。だから、「ベルリン・八重桜」でビラ先生が活躍していないのが物足りなくて残念でした。

ととき:あと2話あったら長すぎない?

アンヌ:確かに、5話入れるには最初の1話が長すぎますね。さくらふりかけさんが先に鏡の治療法を話してしまうのを削って、絵師が絵を描く話と治療の話に分けて最初と最後に入れるのはどうだろうかとか、いろいろ考えてしまいます。

アカシア:私は、この作家・画家のコンビによる『こぶたものがたり』(岩崎書店)がとても好きなので、それと同じような作品かと思って読み始めたのですが、あっちはチェルノブイリと福島の子ブタがそのまま出てきて、その2箇所を子どもの手紙が直接結ぶという設定だったと思います。こっちは、それができないので、サクラハナ・ビラ先生とか、助手のさくらふりかけ、といった狂言回しのような存在を出してきたんでしょうか。この狂言回しの2人は、時空を超える存在なので、いかにも人間というかっこうで出てきちゃっていいのかな、と思いました。もっとスーパーナチュラルな存在(たとえば妖精とか小人)として描いたほうがよかったのでは、と思ったのです。1つ1つの桜のお話はなかなかおもしろかったのですが。たぶん作者がいちばん書きたいと思われたのは、福島の桜なのかなと思いましたが、それぞれにテイストが違うので、ちょっとちぐはぐな感じがします。2番目のお話に出てくるエヴァは、ドイツ語だと普通はエーファあるいはイーファになるのでは?

西山:作者の経験から考えて、「エファ」の発音をご存じないはずはないと思います。日本の読者の耳なじみにあわせて、ということありますかね?

ととき:登場人物の名前の呼び方は、難しいですね。いろんな読み方があるときにも、作者の好みがあるし…。

アカシア:でも今はほとんどの本では現地音主義になっているように思っていたので。

 

エーデルワイス(メール参加):ささめやさんの絵が好きです。この表紙もインパクトがありますね。内容は、ささやかなようで壮大なテーマを扱っているようです。特に最後の「福島・染井吉野」は、作者の一番つたえたかったことでしょうか? この本のように、一見幼年童話のように見えて、中身は重厚な本が最近増えているように思います。

(2018年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2018年06月 テーマ:5年生いろいろ

日付 2018年6月22日
参加者 アカシア、アンヌ、オオバコ、カピバラ、コアラ、さららん、
須藤、西山、ネズミ、花散里、マリンゴ、ルパン、レジーナ、
(エーデルワイス)
テーマ 5年生いろいろ

読んだ本:

ゆき『ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ!』
『ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ! 』
ゆき/作 かわいみな/挿絵   朝日学生新聞社   2017.02

<版元語録>おっちょこちょいで、ひたむきで、そんなあいつがやってきた! 勉強はいまいち、運動もさっぱり。だけどてつじの周りには、いつも笑顔があふれてる! 折り紙つきの「へんなやつ」!? 5年生のてつじが仲間たちとくり広げる、ユーモアいっぱいの物語! 朝日小学生新聞の人気連載小説。朝日学生新聞社児童文学賞第7回受賞作。


ケイト・ビーズリー『ガーティのミッション世界一』
『ガーティのミッション世界一 』
ケイト・ビーズリー/作 井上里/訳   岩波書店   2018.02
GERTIE'S LEAP TO GREATNESS by Kate Beasley, 2016
<版元語録>ガーティは世界一の小学五年生を目指す、元気いっぱいの女の子。そのためにはなんでも一番になると心に決めた。ところが新学期早々、転校生のメアリー・スーがクラスの人気者の地位に躍り出てしまい……。けんめいに生きる子どもの苦闘と大そうどうの日々を、ユーモアあふれる筆づかいでつづる、注目のデビュー作。


小俣麦穂『ピアノをきかせて』
『ピアノをきかせて 』
小俣麦穂/作   講談社   2018.01

<版元語録>「千弦ちゃんのピアノはすごいけど、いっしょにうたったり踊ったりできない」響音は、姉の心をゆさぶるため、ふるさと文化祭に出場することになったのですが…。感性を信じて生きる姉妹が奏でる音楽小説。

(さらに…)

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小俣麦穂『ピアノをきかせて』

ピアノをきかせて

ルパン:主人公の響音は、ほかの2作の主人公とくらべて、ずいぶん大人びた5年生だな、と思いました。けなげというか、こんな子いるのかなあ、と・・・。ここにいる子どもたちはみな千弦のためにがんばるのですが、みんながそれほどまでに尽くす相手である、千弦の魅力がよくわからない。母親の関心も、初恋の相手であるシュウの関心も、みんな千弦に向けられているのに、妹である響音は、嫉妬はしないのでしょうか。音楽を文章で伝えるのはとても難しいことだと思います。よく挑戦したな、とは思いますが、あまり成功しているとは言えないと思いました。

さららん:物語は、響音の世界の描写、響音が色をどう感じ、音がどう聞こえるか、から始まり、響音はおねえちゃんの千弦の弾くピアノの音が精彩を欠いてきたことに気がついていて、心配しています。千弦も少し後に登場しますが、物語の中で、その千弦の影が薄いように感じました。響音や親友の美枝が憧れている秋生も、千弦に魅かれているようですが、読者にとってその理由がピアノの音だけでは納得できず、さほど魅力的な少女には感じられません。千弦に対して過干渉になっていたお母さんは、距離を置くことで自分の子育てを考える時間を得て、響音、千弦との関係を少しずつ立て直そうとします。大人の弱さ、頼りなさが正直に書かれているところは好感が持てました。発表会に向けての練習で、響音は自分の才能を踊ることに見出します。ダンスが大好きな女の子は、あこがれて読むのかもしれませんねい。全体として、ちょっと少女漫画的なお話だと思いました。

レジーナ:音楽が聞こえてくると、体が自然に動き、自分の世界に入ってしまう響音は、今の子どもにしては天真爛漫で、のびのびしていて、そこが気に入りました。みやこしさんの挿絵がすてきですね。千弦の心をとかそうとする響音をゲルダに重ねるのも、新しさはないのかもしれませんが、美しいイメージです。

ネズミ:私もさらっと読みました。でも、5年生の子どもが姉のピアノを聞いて「しずんだように、重い音」と感じるかなあというところにすごくひっかかりました。少女漫画のようだと感じたのは、登場人物に各自の役割以上のふくらみが感じられなかったかな。感じのよい作品ですが。

西山:表紙がきれい。グレーと赤がすてきです。全体的に好感をもって読みましたけれど・・・。あっという間に忘れるかも。ピアノにあわせて思わず踊るところ、異性への憧れ方など、読みはじめる前に思っていたほどYA寄りではなく、好感を持ちました。肝心の音楽劇の舞台があまり見えてこなかったのはちょっと残念。ピアノコンクールの演奏の様子は、言葉を尽くして描かれていると思いましたが。最後、終わらせられなくなっている感じがします。もっと早く切り上げてもいいんじゃないかな。

マリンゴ:冒頭、音楽の難しい話かと身構えたのですが、そんなことはなく、平易で分かりやすい物語でよかったです。ステージやコンクールの場面が細かく描かれているのもいいなと思いました。気になったのは、p51「ジャイアンみたい」。ジャイアンって『ドラえもん』のジャイアンのことですよね? 突然出てきますけど、日本人の一般教養として説明なしに出してかまわない単語なのかしら。あと、千弦の音が機械的であることを、美枝までもがうっすら気づく描写がありますが、美枝はちっとも気づかなくて、響音をはじめ分かる人だけが分かる、というふうにしたほうが、ハイレベルな音楽の物語なのだということが伝わるのかなと思いました。全体的に心理描写が丁寧ですが、丁寧すぎる気もします。たとえばラストの部分、p221の「おそろいのマグカップとお茶わんが秋空にかかげられた」で終わったほうが、余韻が残ったかもしれません。

カピバラ:音楽を文章で表すのは限界がありますね。いろいろな楽曲が出てくるけれど、作者の意図がどこまで読者に届くのか、難しいところです。お姉ちゃんのことは表面的にしか描かれていないので、そもそもなぜピアノが好きなったのか、なぜ今は重い音になっているのか、わかりにくかったです。たったふたりの姉妹の関係は、子どもとはいえいろいろ複雑で、妹は姉に辛辣だったりするけれど、この子はお姉ちゃんに文句をいったりせず、ぜんぶ受け入れているというのが珍しい。最近、辻村深月の『家族シアター』(講談社)を読んだのですが、その一編に出てくる姉妹の物語は、心理描写が非常によくできていました。だからなおさら、そのへんを物足りなく感じました。おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんの台詞が、ちょっとつくりすぎている感じがしました。

アカシア:音楽を文章であらわすのは難しいけど、この作家は、音楽の雰囲気を言葉であらわそうとしている、その努力は買いたいと思いました。ただ文章が、文学ではなく情報を伝える文章なので、お行儀はいいのですが、うねりみたいなものはないですね。それから、特に最後など、ひと昔前の青春ものみたいなところがあって、そこはどうなのかな、と思いました。

花散里:姉に対する思いなど、響音の描き方が5年生らしくないと思いました。逆に、表紙絵といい、p137の挿絵などは幼い子が描かれているのかと感じました。姉が妹を思っていくというのは分かるけれど、妹が姉に対して、こんなふうに思っていくだろうか、ということを感じながら読みました。叔母の燈子の人物設定にも無理があるように思いました。松本市で行われているコンサートなどが背景にあるのかと思いましたが、音楽についてあまり知識のない小学校高学年の子どもたちには入っていきづらい世界ではないかと感じました。後半から最後まで、読後感があまりよくなかった作品でした。

コアラ:「戦場のメリークリスマス」は大好きな曲でしたが、雪と結びつけたことはなかったので、曲を思い浮かべ、雪をイメージしながら読みました。作者は「あたたかい雪」と書いていたので、音楽を聞いて呼び覚まされるイメージというのは人それぞれだなと。ピアノコンクールの場面では、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』(幻冬社)を思い出しました。ただ、コンクールやステージでの発表という華やかな場面を描いているわりに、地味な作品というか、平坦な印象でした。「ふるさと文化祭」が終わって、「市民芸術祭」への出演依頼の話になったのが、最後まであと20ページくらいしかないところで、どんな風に盛り上がるんだろうと思ったら、あっさり終わってしまったし、どこでこの物語が閉じられるのだろうと心配になりました。終わり方があまりよくなかったかなと思います。

アンヌ:最初から主題がはっきりしていて、姉がピアノを楽しい音で弾ける日を取りもどすという目的が一瞬も揺らがないのが、ある意味単調でした。「戦場のメリークリスマス」のように映画のストーリーを背負った曲を使うのは、音楽を描く物語としてはまずいのではないかと思います。音楽についてより、色彩を描く記述のほうがうまい作品だと思いました。ストーリーとしては、家族関係の問題が実にあっさり解決されていて、物足りない感じがしました。

オオバコ:西山さんの言葉どおり、ちょっと前に読んだのに、すっかり忘れていました。たった1行でも1か所でも、心に響く言葉や場面があれば覚えていたのに。自分の音が出せなくなった演奏家(学習者でも、その道を目指しているのなら演奏家だと思います)が、いかにしてそれを取りもどすかというテーマはおもしろいと思うのですが、人物造形がはっきりしません。演奏家=千弦の内面を描かなければ書けないのでは? だいたい、音楽は感性の芸術だから、みなさんがおっしゃるように言葉で表すのはとても難しいことだと思います。それに、千弦が学んでいるのはクラシックですが、妹の響音が素晴らしいと何度も言っているのはポピュラーで、そこのところにも違和感がありました。p5に、どこからか流れてくる、たどたどしい弾き方の「エリーゼのために」を聞いた主人公が「つまらなそうな音でつっかえつっかえ弾くピアノに、ぼそりと文句をいう」場面で、「なんて嫌な子!」と思っちゃいました! 私の大好きな安西均さんの『冬の夕焼け』という詩に同じような場面が出てきて、どこかでモーツァルトのK311番を弾いている子が、いつも同じところでつっかえるのを「淡い神さまのようなお方が、忍びよってきて、なぜか指をつまづかせなさるのだ」と、見知らぬ家の子の、そんないぢらしい努力にふと涙ぐむ・・・。かたや老詩人、かたや小学5年生の女の子だけど、ずいぶん心根が違うなと・・・。

須藤:あまり物語に入り込むことができませんでした。登場人物が揃ったあたりで、だいたいどんなストーリーか予想できてしまうし、また何でもかんでも台詞で説明しすぎではないかと思います。たとえばp131で秋生が、主人公の姉の千弦を、アンデルセンの「雪の女王」に重ねながらこんなふうにいいます。「土屋さんのピアノをきいたとき、(中略)なんて楽しそうな音で弾くんだろうって。それがいつのまにか、つまらない音を出すようになっててさ。(中略)土屋さんは、カイなんだよ。(中略)カイの心をとかすのがゲルダのまごころなら、土屋さんの心をとかすのは、ぼくたちの音楽だ」これまでの流れとこれからの展開、全部説明してしまってますよね。正直、ここまでいちいち言わなくてはならんかと思います。それから、主人公の響音と、お姉さんの千弦がおじいちゃんの家にいるあいだに、両親の話し合いでいつのまにか問題が解決しているというのも、ちょっと納得できません。そもそも、この両親は、どんなふうに子どもに向き合っているのでしょうか。最初の方で、父親が「響音のことをちゃんと見ているか」とか母親にいう場面がありますが、ここは腹が立ちます。子どものことを「ちゃんと見る」のは父親の責任でもあるからです。後半で、母親が、響音にむかって「千弦に、すごく会いたいですって、伝えてね」という場面も釈然としません。いくらうまくいかない関係になっていて、おじいちゃんの家に一時的に預けている状態なのだとしても、こういう大切なメッセージを、もう一人の子どもに託して伝えようとする姿勢には、疑問を感じます。子どもに負担を与えないでほしい。こういう親たちなので、最後に子どもたち二人に向かって謝って話す場面も、私は白々しく感じました。

 

エーデルワイス(メール参加):コミックの小説版のようなイメージですね。ちょうどベストセラーが原作の映画「羊と鋼の森」(原作は宮下奈都著)を見たばかりなので印象がダブり、ピアノの音が頭の中で響いていました。「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲が何度も出てきます。この静かな反戦映画では、イギリス兵の捕虜役のデヴィッド・ボウイが、美しい歌声を持つ弟を学校内のいじめから助けることができなかった過去を長い間悔やんでいて、死ぬ間際に夢の中で、美しいイギリス田園の家で、弟と分かちあう場面が印象的でした。兄弟の心のつながりという視点で、この作者は「戦場のメリークリスマス」の曲を選んだのでしょうか。

(2018年06月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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ケイト・ビーズリー『ガーティのミッション世界一』

ガーティのミッション世界一

西山:スピード感のある文章がおもしろくて、出だしからノリでひきこまれました。ロビイストが出てきて驚いて、原発の問題と重なって・・・この場合ガーティは東電社員の子どものような立場で、どう展開していくのかとひやひやしながら読み進めたんだけど、結局、日常のいろんなことの、ひとつのエピソードとして流れていきましたね。そこを焦点化して注目してしまうと物足りなく感じたというのが正直なところだけれど、でも母親に認められたいというのがテーマだから、仕方ないかなとは思っています。あまりはしゃいだ文体は好きじゃないけれど、これはおもしろく読みました。例えば、「ローラースケートで歩道の継ぎ目の上を通るときに鳴る、かたん、という小気味いい音みたい」以下の比喩の畳みかけなど、嫌みじゃなくて、5年生の感覚のサイズ感が出ている気がしておもしろかったです。日本の作品と翻訳ものでは同じ5年生でもかなり違うだろうなと思っていたのですが、意外にも「おバカさ加減」はてつじと一緒でしたね。とはいえ、とにかく目立ちたい、それで一目置かれたいというメンタリティには、やはり日本とは違う価値観を感じました。

ネズミ:とてもおもしろかったです。ガーティの母親への想いや、メアリー・スーとのやりとりなど、どこもうまいなあと。脇役では、ジュニアがよかったです。普段は目立たないけれど、肝心なところでいつもガーティに寄り添って助けにきてくれる。ただ、ガーティは、さっきの本のてつじのように、時に突拍子もないことをやってしまうハチャメチャなキャラクターのようですが、人物像が少しとらえにくいというのか、はっきりしない感じがしました。それから、内容としては5年生が楽しめる本なのでしょうけれど、翻訳だとグレードが上がりますね。タイトルにもある「ミッション」という言葉や人物名など、カタカナ語がたくさん出てきて、日本の5年生が読むには読者を選ぶと思いました。

レジーナ:カエルを蘇生させる冒頭からひきこまれました。メアリー・スーを席どろぼうと呼んだり、p126で、パーティに潜入したジュニアを待つあいだ、小さなオードリーが、むしった葉っぱを埋葬していたり、女子にばかりいい役をあげると、いちいち文句を言うロイみたいな男の子がいたり、細かなディティールがおもしろかった。ガーティははりきっては空回りして、でも、その中で、人の注目は一時的だということ、世の中にはどちらが正しくて、どちらが間違っているとは言えない問題もあること、そして、どんなに願っても、手に入らないものもあるということなど、人生の真実に気づいていきます。p115で、ガーティを無条件に信じるレイおばさんなど、まわりの大人の描写もあたたかいですね。全体的にリアリティがあるのですが、チョコレートをシャツに入れる場面は気になりました。10歳にしては、ここだけちょっと子どもっぽいかな。

さららん:冒頭では、ガーティの一人称に近い三人称の視点でウシガエルを登場させ、最後ではウシガエルの視点でガーティの姿を描写するところが、合わせ鏡のようで、凝っていますね。まもなく町から引っ越ししてしまうお母さんの関心をひきたいがために、世界一の5年生になりたいと思うガーティの健気さ。最初は、ガーティの言動が大げさで、ちょっとやりすぎのように感じたけれど、内的な動機がわかってくると、お話が俄然おもしろくなってくる。ガーディの父さんや、「一発かましてやりな、ベイビー」を口癖にしているレイおばちゃん、家で面倒を見ているオードリーの存在が脇をかため、ガーディの持つ弱さや複雑さも十分に伝わってきました。作者独特のユーモアのセンスがあちこちで光っています。敵のメアリー・スーの髪を解かして和解する描写でも、「一回くらいはわざと髪をひっぱってやるかもしれない」というクールさがいいですね。ガーティの息遣いを感じさせる、勢いのあるリズムにのって読めれば、高学年の女の子や男の子が、おもしろく読めるお話。ただ、そのリズムにのるのに少し時間がかかるかもしれません。

ルパン:おもしろかったです。一番好きなキャラクターはレイおばさんです。p178~179で「あんたはいっつも、持ってないものを手に入れようとして、やっきになってる。でも、持ってるものにはろくに感謝しない」という言葉が印象的でした。また、p241「あたしは、あの人にとことん感謝しなきゃいけない。だって、あんたをあたしのところへ置いていってくれたんだから。あれは人生で一番幸福な日だった」とか、脇役のはずなのに、一番シビレるセリフを言うところが好きです。

オオバコ:今回の3冊のなかでは、いちばんおもしろい本でした。「てつじ」と同じに最初のうちは饒舌な文体になじめなかったのですが、ガーティのミッションがどういうものか分かってからは一気に読めました。ただ、そこにたどりつくまでに何ページも読まなければいけないので、小学生の読者には難しいのでは? 石油ステーションのところは、問題を安易な形で解決に導かずに終わっていますが、このほうがリアルなのでは? 最後の場面も、ガーティは必死にやりとげようとしていたミッションがどうでもよくなって、自分のなかで母親との問題を乗りこえている。状況は変わらなくても、自分の心のありようが変わることで乗りこえていくという、ジャクリーン・ウィルソンの作品にも通じる姿勢が素晴らしいと思いました。ちょっとテーマを盛りこみすぎ=張り切りすぎ・・・という感もなきにしもあらずだけれど、作者の第1作と聞いて、なるほどねと思いました。ガーティの友だちも、おばさんも、きっちり描けていますね。

アンヌ:私は、リンドグレーンの作品の中では『長くつ下のピッピ』が少々苦手で、似たような過剰さを感じました。次から次へと事件が起き、ジェットコースターに乗っているかのようなどきどきする展開がつらかった。お母さんとの関係や状況がわかってきて、ミッションの重要性は理解できましたが、自分のミッションに夢中で、友人にとって大切なものより優先するところや、オードリーを捨ててパーティに忍びこむところとか、やはり読むのがつらい場面が多い物語でした。でも最後にカエルが怒っていないらしいとわかるエピローグは好きで、救われた感じで本を閉じました。

コアラ:おもしろかったです。5年生らしさというか、5年生ってこういうことを思ったりしたりする年代だなと思いながら読みました。子どもらしさがよく表されていると思います。おもしろく描かれているけれど、設定は辛い。同じ町に母親が住んでいるのに会えないし、引っ越していってしまうという設定で、胸が苦しくなるように感じました。でも、たぶん子どもが読んだらあまり辛さは感じなくて、めげずに生きていくところに共感するのではないでしょうか。

アカシア:日本は子どもが同調圧力を過剰に感じてしまう国なので、そういうものに影響を受けない子どもの話として、好感をもちました。でも、5年生がこの長さの物語を読むかというと、難しいですね。その難しさの一つは、シリアスな作品として読ませたいのか、それともユーモアを楽しむものとして読ませたいのか、訳者のスタンスが決まっていないからかな、と思いました。後ろの宣伝のページに『マッティのうそとほんとの物語』とか、『落っこちた!』が載ってますけど、それと同じような書きぶりの作品なんじゃないかと思うんですね。そっちもなんですけど、これも自己中心的なガーティのドタバタをおもしろく読ませるには、もっとユーモア寄りの翻訳文体にしたら、日本の5年生にももっと読みやすくなったかもしれないと思いました。ほかの方もおっしゃっていたように、途中からこの子のミッションは、お母さんに自分を認めさせることなんだとわかりますが、そこまでは何を手がかりに読んでいったらいいのかがちょっとわかりにくい。一つの物語の中に、お母さんに自分はすごい子なんだということを見せつけたいという情熱と、学校でのいじめと、環境問題と、母親が果たして劇を見に来るのかというサスペンスなど、いっぱい要素が入っています。環境問題は、すぐに解決し得ないというのはその通りだとしても、「うつり気」という言葉で終わらせているのはどうなんでしょう? チョコレートを全部食べてしまうところは、5年生がここまでやるのかな、と思ったし、「さえない負け犬」だと思われている子たちのためにやったとガーティは言っていますが、それなら他の子にも分けたほうがよかったのでは? 最初の方がわかりにくかったのは、ガーティが「歯みがき粉」をつけて歯を磨いているところで、私は粉の歯磨きをつけているのかと思って、特殊なこだわりがあるんだなあと思ってしまったんです。

みんな:今は、チューブでも歯磨き粉って言うとか、どうしてそういうことになっているのかとかの議論になる。

アカシア:それからp117行目に「ただのウシガエルじゃない」も、最初読んだ時、おばさんは騒いでるけど「ただのウシガエルじゃないか」と言ってるのかな、と思ったら、意味が通じなくなりました。こういうところは「ただのウシガエルじゃないよ」などとしたほうが誤解されなくてすみますね。そのあと、ガーティが「いい」も、どういうニュアンスかつかみにくかった。5年生らしくない会話もところどころにありました。

カピバラ:おもしろく読みましたが、同じ5年生が読むとしたら、『ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ!』(ゆき作 朝日少年新聞社)のほうがずっと読みやすいのかなと思います。やはりカタカナの名前は、子どもにとっては、男女の区別もつかないし、どれがだれだか覚えにくいですよね。手がかりは表紙の絵だけで……。せっかくはたこうしろうさんの魅力的な表紙絵があるのだから、挿絵も入れてほしかったし、冒頭に人物紹介図があるとよかったですね。授業中に手をあげて、先生に一番にさしてほしいとか、ちょっとしたことで気分がころころと変わるところとか、5年生らしいところがうまく描けていると思いました。鼻持ちならないメアリー・スーと対決する図式もわかりやすい。ガーティは想像力豊かな子どもで、一生懸命なんだけどやることなすこと裏目に出る。ちょっと『がんばれヘンリーくん』(ベバリイ・クリアリー作 松岡享子訳 学習研究社)シリーズの女の子、ラモーナが大きくなったらこんな感じかな、なんて考えました。ヘンリーくんシリーズは今読んでもおもしろいんですが、やっぱり古めかしさは否めない。だから、ああいう本の現代版があるといいですよね。ガーティと友だちとのやりとりは子どもらしくて笑えるし、おばさんとのやりとりもおもしろい。一文一文が短いので、テンポよく読めるし、文章に勢いがあって良いと思いました。

マリンゴ:非常におもしろく読みました。3冊のうちこの本を最後にしていて、昨日から今日にかけて読んだのですが、ページを繰る手が止まらなかったので、焦ることもなく読了できました。いじめがスタートする場面では、ストーリーが一気に動き出す緊張感がありました。あと、p190で、ガーティがオードリーを邪魔者扱いしようとして、やっぱり事情をきちんと説明する場面がとてもよかったです。ラストが、あれ、ここで終わるんだ!?と、ちょっとびっくりしましたけれど。ウシガエルを挟んで、もう1章あるのかなと思っていたので。あと少し、続きを読みたかったです。訳者あとがきで、これは著者の大学院の卒業制作で、出版社5社が競合して版権を争った、と書いてあったことに驚きました。

 

エーデルワイス(メール参加):冒頭の「ウシガエルはちょうど半分死んでいた」に惹きつけられました。今を生きているガーティの心情がリアルです。実の母親とのシーンは少ないのですが、いろいろと考えさせられます。劇の主役を勝ち取ったにもかかわらず、降ろされ、ふたたび主役になれそうなときに宿敵メアリー・スーの真の姿を知って彼女を舞台に立たせるなんて・・・憎いぜ、ガーティ! と思ってしまいました。とてもおもしろかったし、はたこうしろうさんの表紙絵もいいですね。ガーティはお父さんとレイおばさんから愛情をたっぷり受けていますが、実の親に愛情をかけてもらえない子どもたちが、それに代わるたくさんの人の愛情に恵まれて健やかに育ちますようにと祈らずにはいられません。

 

(2018年06月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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ゆき『ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ!』

ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ!

さららん:語りに特徴がある文体で、主人公のてつじはおもしろい子。そのことを自分でも自覚している。「……だな」「……もんだよ」という語尾や、自分で自分につっこんだり、ぼけたりしながら、読者にむかって話をつむいでいくところに落語の文体を感じました。事実、「ありがとよ」の章には落語家のおじいちゃんが出てくるし、「なぞかけごっこ」の章でも笑点でおなじみのなぞかけを、クラスのみんなが楽しんでいる。好き好きはあると思いますが、この独特の文体で物語を進行していくところが、今の児童文学ではめずらしい。ただ、てつじの行動や言動には少し古くさいところ・・・たとえば「まったく男というやつは、どうしようもないもんさ」(p72)・・・もあり、また五年生なのに「うらない」(p205)という言葉を知らないなど、リアリティに疑問を感じる部分も残ります。とはいえこの作品には、てつじと友だちの妹のひとみちゃんの関係をはじめ、こうだったらいいな、というような、無欲で風通しのいい人間関係がありますね。この本に出てくる大人の多くが、てつじに代表される子どもの「おもしろさ」や「突拍子のないところ」を受け入れていて、そこも落語の世界に似ています。つっこみどころはいろいろあるが、現実というよりひとつのフィクションとして、子どもと子ども、子どもと大人のゆったりした関係を、読者の子どもたちは楽しむのではないかと思います。

レジーナ:おもしろく読みました。話の展開や装丁は、ひと昔前の雰囲気ですね。今の子は、ひとりだけ目立つのがこわいと思っているようですが、てつじは、あたたかな人たちに囲まれて、生き生きと楽しそうにしています。今の時代を写しとっているというよりは、本当にこうだったらいいのにな、と思いながら読みました。

ネズミ:同じ5年生でも、今回とりあげたほかの作品とはずいぶん違うなと思いました。先月読んだ『金魚たちの放課後』(河合二湖著 小学館)とも、全然違います。話し言葉で、楽しく読めるようにしたのだと思いますが、このユーモアを小学生がおもしろいと思うのか、私はよくわかりませんでした。たとえばp8に、強く思い続けると、どんなことでもそのとおりになると本に書いてあるからと、髪の毛が短くなるように念じるというのがありますが、こんなことをする5年生はいないかなと。みゆき先生とぬまちゃんのキャラクターも、実際の学校にいそうにないし。現実離れしているけれど、子どもはすっと受け入れられるのでしょうか。

西山:5年生もいろいろ。その違いを感じてみたいと思って、登場人物の年齢でそろえるテーマを提案しました。特に、この本のテイストは、この読書会とは結構違っている気がするので、みなさんがどうお読みになるか、ものすごく興味があります。去年の日本の新人作品の中で、この本のノリはなんだか異次元で、安心できる人間関係と全体を覆っている緩くあったかい感じが結構好みなんです。たとえば、「どっかーん」をやってみせろと6年生から言われても、「するもんか」(p34)と拒否する。軽いノリのいい奴というのではなく、てつじにはてつじの道義というか、芯が通っている。そういう子ども像に好感を持ちました。あと、「こぐまのポン吉」がキュート。あの、やんちゃなひとみちゃんは魅力的な女の子です。かなり多動な子ですけれど、てつじがしっかり受け入れている。古風ではあるけれど、現実になさそうだからこそ、こういう子どもたちが書かれているのは愉快です。

マリンゴ:「ゆき」という著者名から、20代の作家さんかと思ったら、違っていて驚きました。タイトルと表紙の印象から、自分で積極的に手に取るタイプの本ではなかったので、今回の選書に入れていただいてよかったです。楽しんで読みました。文章力があって、勢いがあって、テンポよく読み進められました。ストーリーの盛り上がりがさほどなくて、小さな出来事の積み重ねなのですが、そういう本って意外と最近見ない気がして、逆に新鮮でした。てつじとポン吉の関係性など、温かみがあってよかったです。

カピバラ:このような5、6年生対象の物語は、YAとちがって、大人として読むとあまりおもしろいとは思わないかもしれませんが、その年齢の子どもたちがどう感じるか、どう読むかを考えることが大切ですね。これは新聞の連載なので、各章が短く、ちょっとした小話的にまとまっているので、おもしろく読めると思います。でも、一人称の語りですべてを説明しているので、饒舌になりすぎて、うるさく感じてしまいます。てつじは、正直に自分の気持ちを出していく子なので、好感はもてるのですが。タイトルも表紙の絵も、子どもはおもしろそう、と興味をひかれると思います。ところが表紙をめくると、冒頭に「たとえばこの ちいさなものがたり そのどこかから あなたのもとへ ひとつのいのりが しずかに しずかに とどきますように」と書いてあり、「は? こういうタイプのお話だったの?」と、妙な違和感がありました。内容とは全く合わないし、この部分は不要だと思います。1か所、よくわからないところがありました。林間学校のお寺で縦笛を鼻で吹くと、別の笛の音が聞こえ、それを吹いたのは、林間学校に来ていない子だったとわかる。ここだけいきなりファンタジーって、変じゃないですか?

何人か:そこは私も変だなと、思った。

アカシア:翻訳は、どうしても情報を伝えるための文章になりがちなので、もう少し文体を工夫できるといいのにな、といつも思っています。そういう意味では、この文体は軽快でおもしろかったんです。リアリティからは離れるけど、新聞連載だから、みんながおもしろく読んで、次も読みたいと思って待つんだろうな、と。最初の「たとえば〜」はとばして読んでいたけど、もう一度見てたら、これが目に入って、私も「なに、これ?」と思いました。著者が書いているのか、出版社が売ろうと思って書いているのか? この作家はこんなことを思って書いてるわけ? と思ったら気持ち悪くなりました。ただ、これがなければ、エピソード的な短いお話がまとめられているので、あまり本が好きじゃない子も楽しく読めるんじゃないかと思います。それに、さっき西山さんがおっしゃったように、ただおもしろがらせるだけじゃなくて、てつじが魅力的なキャラに描かれているのがいい。金魚を川に逃がすところは、金魚にも環境にも悪いと思われているので、ちょっとまずいんじゃないかな。マンガ的な表紙や挿絵は、あまりじょうずだと思えませんでした。私も子どもだったら、この作品をおもしろく読んだと思いました。

コアラ:おもしろく読みました。p135に「てつじくんはいっぱい物語を持ってるのね」というセリフがあって印象に残りました。一つの章が短いので、細切れの時間でも読めて、読みやすくていいと思います。てつじもいい子だけど、ひとみのキャラクターがとてもいいですね。主人公は小学5年生ですが、本のつくり、特に文字の大きさは、中学年向きといってもいいくらいで、本を読み慣れていない子にも読みやすいと思いました。

アンヌ:古風なユ―モア小説を読んでいる気がしました。誰も嫌な人が出てこなくて、強面の先生もすぐ別の顔が現れるし、困ったこともすぐ解決する。連載だからでしょうが。ウエディングドレスをなぜ着せられるのかとか、金魚を川に流したら、すぐ釣られるのは都合がよすぎるとか、突っ込みどころが山ほどあるけれど楽しい。ただ、何度も読み返したいかというと、そうでもない。昔読んだのは何だったっけと思って調べたら、佐々木邦の『いたずら小僧日記』(「少年少女世界の名作文学」 小学館)でした。同じように主人公は、なぜ人が驚いたり困ったりするのかわからないという設定ですが、この物語のてつじは、人の心がわかる子です。ゆきさんと仲良くなり、不思議な縁をつなぐところが新鮮でした。ぬまちゃんがコマの職人のところに修行に行くというのも安易な感じで、ここも、少々突っ込みをいれたいところです。

オオバコ:昔からよくあるワンパクもので、古くさいなと思いました。佐々木邦が訳したオールドリッチの『わんぱく少年』(講談社)とか。子どもは、くすぐるとついつい笑ってしまうからおもしろい本だなと思うかもしれないけれど、もっと上手にくすぐってほしいなと思いました。ひとみとの関係はうまく書けていたけれど、笑わせよう、笑わせようとしているところが鼻につきました。自分ってこんなにおもしろいんだぞっていっているみたいな……。一人称で書いてあるせいでしょうか。三人称だったら、てつじについて周囲の人たちがどう思っているかも書くことができたのでは? おじいさんの噺家の落語を聞いて、みんなが泣く場面があるけれど、なんで泣いてるの? 何に感激しているのか、分からなかったけれど……。子どもの読者も、なんで泣いてるのかなって思うんじゃないの?

アカシア:ここは笑い泣きですよね。おじいちゃんが行っちゃったと思ったら、おもしろい話をしてくれたから。

カピバラ:ぽろぽろと泣いている、というのは、悲しんでいる表現だから、読者はどうしてかな、って思うでしょうね。

オオバコ:こういう外向的な語り手が前へ、前へと出てくると、ほかの人物に深みが出なくなるんじゃないかな。こういうエンタメの作品に深みなんていらないよっていわれれば、それまでだけど。

須藤:やんちゃな男の子の語りで圧倒的に読みやすいですね。ただ日常の出来事をスケッチしていくような感じで、通して読んだ時に今ひとつ全体的に起伏がないというか、物足りなさを感じます。同じように少年の日常を切り取った感じの本で、台湾に『少年大頭春的生活日記』っていう作品があるんですが、これは同じように少年の日記というか、日々の出来事の記録が描かれているようにみえて、じつはその時々の世相とか、少年の目から見た台湾がさまざまな角度で挿入されているんですよね。だから、もちろん日常のスケッチふうな作品があってもいいのですが、その場合でも描かれている中身にバリエーションがちょっとほしいなと感じてしまいました。
 あと、何人かの方が指摘されていますが、モチーフがレトロというか、ちょっと昭和っぽい感じがします。パープーって音がする自転車の警笛とか、林間学校だとか縁日だとか。この子どもたちは、たとえばスマホなんて持っていなさそうです。総理大臣になりたいという設定も、いかにも昔風ですね。もちろん物語の中でも珍しがられてるんですが、いま総理大臣といえばあの男なので、あれに憧れる小学生などいるのか疑問に思ってしまいました(笑)。いや冗談でもなくて、物語の名かでも総理大臣が登場して、主人公の学校にやってくるでしょ。どうしたって安倍のことを連想してしまうので、いろいろ考えてしまうんですが、とくに意味がなくて・・・・・・もうちょっと時代というものを考えてほしいです。主人公の男の子と小さい女の子ひとみとの関係性や、やりとりなどがおかしくて、そういうところには魅力がある作品だと思いました。

ルパン:私は、これ、すごくおもしろかったです。電車の中で読んで吹き出しそうになるくらい。『ピアノをきかせて』の子どもたちより、こっちのほうがずっと実際の5年生に近いと思います。鼻でリコーダーを吹いて、浮いちゃうところとか、想像したらおかしくて。その一方で、「おとうさんとおかあさんがなかよくなりますように」という七夕の短冊を読んでしんみりしてしまうところとかもいいし。あまり深く考えずに、一気に読んでしまいました。

エーデルワイス(メール参加):一見やんちゃで、独創的で奇抜なようなてつじですが、気持ちは繊細で誰よりも人の気持ちを思い、気を遣っているように思います。こんな子はたいていクラスから浮き、いじめられるのですが、クラスメートも教師も理解があり、生き生き暮らす・・・。子どもの目線で書いているようですが、こうあらねば、こうなってほしいというある種の大人の理想願望を感じてしまいました。

(2018年06月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2018年05月 テーマ:生きものと私

日付 2018年05月31日
参加者 アンヌ、カピバラ、シア、西山、ネズミ、ハリネズミ、ハル、マリンゴ、レジーナ、
(エーデルワイス、ルパン)
テーマ 生きものと私

読んだ本:

河合二湖『金魚たちの放課後』
『金魚たちの放課後 』
河合二湖/作   小学館   2016.09

<版元語録>三度目の転校でできた友だちに案内された不思議な場所は、金魚の畑だった。金魚の街で出会った少年少女たちの友情と成長の物語。


マイケル・モーパーゴ『図書館にいたユニコーン』
『図書館にいたユニコーン 』
マイケル・モーパーゴ/作 ゲーリー・プライズ/絵 おびかゆうこ/訳   徳間書店   2017.11
I BELIEVE IN UNICORNS by Michael Morpurgo, 2015
<版元語録>主人公のトマスは、山に囲まれた村で育った。山や森の自然のなかで遊ぶのが大好きなトマスは、本を読むのなんか大きらい。ところが、お母さんに無理やり連れて行かれた図書館で、素晴らしい司書と木でできたユニコーンに出会う! 先生のおかげで本が好きになったトマスの日常に、やがて戦争がやってきて…。本の力にみせられ、戦火から本を守りぬき、復興した村人たちの姿を、幻想的なユニコーンとともにドラマチックに描いた感動作!


サラ・ペニーパッカー『キツネのパックス』
『キツネのパックス〜愛をさがして 』
サラ・ペニーパッカー/作 ジョン・クラッセン/絵 佐藤見果夢/訳   評論社   2018.01
PAX by Sara Pennypacker, 2016
<版元語録>ピーターは、死にかけていた子ギツネを助ける。それ以来、パックスと名づけられたキツネとピーターは、ずっといっしょに生きてきた。でも、別れなければならなくなり…。運命に立ち向かうことの大切さを教える、胸を打つ感動の物語。

(さらに…)

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サラ・ペニーパッカー『キツネのパックス』

キツネのパックス〜愛をさがして

カピバラ:擬人化されていない動物物語って私はとっても好きなんです。これは冒頭がパックスの立場からの話なので、最初からぐっとひきこまれる感じがありました。ピーターの側の描写と交互に出てくるので、重層的に考えられておもしろかったです。情景描写や行動がわかりやすい描写で細かく書かれているので、頭の中で思い描きながら読んでいきやすい書き方だなと思いました。離れ離れになってしまうところから始まるんだけど、きっと最後には再会するんだなとうすうす分かりながら読んでいけて、ほんとに最後に再会の場面があって満足感がありました。クラッセンの挿絵はそんなにリアルな絵ではないところがよくて、ほのぼのとした感じを醸し出していて好感がもてました。表紙の絵も魅力的で、読みたい気持ちになりました。映画化されるんですね。サブタイトルの「愛をさがして」って、どうなの? ないほうがよかったですよね。

シア:ニューヨークタイムズベストセラーに48週連続ランクインし、紹介文には感動的と書いてあります。でも、読んでみるとひたすらピーターが犠牲になったなと思って、途中で読むのが嫌になってしまいました。骨折までして飼いギツネに手をかまれても、ピーターだけが報われません。後日談などがないと救われないと思いました。戦争は全てを壊してしまいます。野生動物だけでなく人間すらも。戦争が2人の絆や運命を引き裂いた、と言いたいのでしょうか。基本的に引き裂いたのは父親なんですけど。サカゲやスエッコやハイイロは確かにわかりやすい犠牲者ですし、彼らは人間を許す必要ないんですが、パックスはピーターと過ごした時間をもっと信じてほしかったなと思います。信じないと永遠に反目しあうだけですよね。人間がいつも悪いんですけど、でも個人としてのピーターは違うので、そこをもう一歩踏み込んで、戦争に飲み込まれない絆を描いてほしかったなと思います。切っても切れない絆というには切れたなと。本能に負けたなと。ピーター目線だとp334でサカゲは明るい毛と書いてありますけど、パックス目線だとp42で輝く毛になっているし。この本の根本的な話として、パックスを野生に返さなきゃいけないということが漠然としている。p18の「そろそろ野生に返す頃合」というくらいしか作中では触れていませんが、野生に返すということが自然であるというなら、それを見越した育て方というのもあるはずだし、施設もあるし、その辺りのケアをしていないのに、簡単に野生には返せないと思います。そこを描かないと、野生動物に手を出して、殺してしまう人間が読者にも増えてしまう気がするんです。犬猫と同じではないのです。そこがパックスとデュークの差であり、この本の独特なポイントだと思うんです。そこを掘り下げてほしかったなと。それだとこの本のテーマがぼやけてしまいますが。パックスにとって何が一番の幸せなのかがわかりません。野生動物は野生で暮らすことが一番というメッセージ性の強い作品でもないし、中途半端な「ラスカル反戦物語」みたいです。お父さんと飼い犬の話が盛大な前振りかと思ったら、別にお父さんはその件については改心もしないし、おじいちゃんは空気だし。ヴォラもいろいろ助けてくれたし、今後のやり取りも見えるけど、それにしても大人がみんな頼りにならなくて、戦争のせいだというのは本当に救いがありません。モーパーゴと違い救いがなく、暗い気持ちになる本でした。「ににふに」って日常使わないし大人でも聞かないなと思いました。他の訳はなかったんでしょうか。

ハリネズミ:訳者はわざとこの言葉を使っていると思います。p229に、ピーターも「どういう意味かわからない」と言っていて、それに答えての説明もありますよ。

アンヌ:最初のほうをぱらぱらめくりながら、野生動物との別れの物語なんだろうなあ、読むのは辛いなあとか、あ、最初に頑固爺さんが出て来る、いやだなとか思っていたのですが、読み始めると意外な展開で夢中になりました。主人公はおじいさんの家を2日目には家出してしまうし、怪我して出会うのが退役軍人の女性で、仙人っぽい人なのかと思ったらそうでもない。このPTSDを抱えたヴォラとピーターが、意外なくらい早くお互いを理解しあう。ピーターが母の死後カウンセリングを受けた経験が生かされている感じでしたが、優しい言葉で大人の女性と語りあえるのは意外でした。また、ピーターの語りとパックスの語りとに時間差があったり、パックスが空腹で動けなくなるまで3日間かかったりしているところ等に、人間の時間と狐の時間の違いというリアリティを感じました。けれど、ふと、この戦争って、いつのことで、どこの国のことかが気になりました。テレビがあるし、ピースサインをしたりするから第二次世界大戦ではなく近未来なのかとか、場所はアメリカのようだけれど、古狐にも戦争の記憶があるからアメリカ本土ではないなとか。どこと戦っているのかもわかりません。現実世界の設定の方にSFのような奇妙な曖昧さがありました。

ハリネズミ:三人称語りですけど、キツネの視点とピーターの視点が交互に登場するのがおもしろいですね。各章の数字が、男の子かキツネの影絵になっているのもよかったです。さっきカピバラさんは「擬人化されていない」とおっしゃったけど、生まれてすぐに人間に養われることになったキツネが、どれだけ本能でキツネの社会で生きていけるのか、と考えると、やっぱりフィクションが入って擬人化もされているんだろうと思います。キツネが「南」「戦争病」と言ったりする部分も、当然擬人化されているフィクションでしょう。ただし、後書きで、自然の生態のままに書いている部分と、物語の組み立てを優先させたがために生態にそぐわないところもあると著者が言っているので、それはそれでいいのかと思いました。p109でヴォラが「人間が飼いならしたキツネを野生に返したら生きてはいけないってこと、わかるだろう」と言い、それに対してピーターが「わかります。ぼくのせいです」と言っているので、作家がそこをちゃんとおさえて書いていることがわかり、このケースが例外なのだということが逆に読者にも理解できるように思います。パックスがどうやって自然の中で生きのびたかについては、スエッコに卵を3個ももらったり、人間の食料をくすねたりして生きのびるという設定も、それなりに納得できるように書かれているのではないでしょうか。
 さっき、ピーターに救いがないという意見も出ましたが、それまで孤独だったピーターはヴォラと出会ったことで確実に成長していき、世界も広がっているんだと私は思います。p281でヴォラがピーターに、「ポーチのドア、いつでもあけておくからね」と言うんですが、これは「あなたの人生はあなたの人生だけど、いつでも訪ねてきていいんだよ」と言っているんだと思います。p339ではピーターがパックスに「おまえは行きなさい。うちのポーチの戸はいつでもあけておくから」と、同じセリフを言っています。作者はここで、絆が全く切れてしまったわけではないと言っているんじゃないでしょうか。
 よくわからなかったのは、ピーターのお父さんは「ケーブルの敷設をしている」とありますが、実際には何のために何をしていたのかが、私にはよくわかりませんでした。触れると何かが爆発して、ハイイロが死んだりスエッコも大けがをしたりするのですが、ケーブルだから地雷ではないですよね? 翻訳は細かいところがちょっと気になりました。p200「足をひきずりやってくる」は「足をひきずりながら〜」だと思うし、p267の「お父さんは知ってたんだ」も、何を知っていたのでしょう? p336「黒い鼻先がつき出す」は「〜つき出る」じゃないかな?

マリンゴ:過酷な物語ですよねえ。ピーターもパックスもつらすぎる状況が続いて、読んでいるうち、しんどくなりました。でも、目線が頻繁に切り替わるおかげで読み進めることができました。ピーターが、何がなんでもパックスを探しにいこうとあまりに一途でブレないので、物語の構成上そうしたのかな、とちょっと違和感がありました。でも、最後まで読むとその違和感も解消できました。パックスに執着することが、彼の生きる目的でもあったわけですね。最後、パックスと離れることを決断できました。つまりこれはピーターの成長を描いているわけですよね。この物語の終わりとして、満足感がありました。なお、先ほどカピバラさんがおっしゃったように、わたしもサブタイトルはないほうがいいと思います。

ハル:とてもおもしろかったです。コヨーテの声におびえながら眠る、とか、夜の庭でホタルに囲まれて桃をかじるとか、自分が体験できない世界を追体験させてくれる、本の力を痛感しました。戦争で殺した兵士のポケットから愛読書が出てきたというシーンもそう。戦争ってそういうことなんだと身に沁みました。ピーターとの出会いで、ヴォラも救われていくところもよかったです。p246「昔どんなに悪いことがあって、挫折したとしても、不死鳥みたいにやり直すことができるって」というピーターのセリフに胸を打たれました。ですが、キツネの生態ってこうなのかな?と疑問に思うところもありながら読んでいたら、「あとがき」に“物語を優先して実際のキツネの生態とは変えている部分もある”といった説明があり、実写映画を見るような気持ちで読んでいた私としては、それってありなのかなぁと思いました。

西山:キツネの言葉を人間の言葉に翻訳しているという趣向が「謝辞」の追記でで書いてありますが、成功とは言えなかったのではないでしょうか。けっこうひっかかってしまって読みにくかったです。今出ていた、「南」や「戦争病」もそうですし、p2で「涙」の概念がないらしいということは分かるけれど、「目から塩からい水」と言いつつ、次の行では「涙」という単語を使っている(使うしかないと思いますが)とか、なかなか読みにくかった。p44の「サカゲ」の呼び名が出るところも、え? どこで女狐は「サカゲ」と言ったとか、記述あったかしらと戻ってしまった。あくまでも人間の都合で、呼び名が必要だから、呼び名を付けているだけでしょうかね。とにかく、キツネの章は、とまどいながら読む部分が多かったです。何より気になったのは、どの大陸のいつの時代のどの戦争なのかわからなくて、それが一番気になって仕方なかったです。地雷が埋められていることを知らずに、ピーターが山道を進むので、クライマックスの危機が、コヨーテとの戦いだったことに拍子抜けしました。

ハリネズミ:コヨーテとの戦いをなしにすると、ピーターとパックスが暮らす、という結末にしないとおかしいのでは?

西山:そっか。パックスは人間界に決別して、自然界に戻るから? なるほど。でも、いろいろ不満を述べましたが、読んでよかったと思ってます。戦場で足を失い、それよりなにより人を殺したという罪の意識がPTSDとなっているヴォラの存在が本当に印象深く、魅力的でした。兵士がどのように心を壊されるか、自分が好きだった食べ物すら思い出せないという状態から、少しずつ自分を取り戻していったというヴォラの話が身にせまりました。シンドバッドの人形も本当に素敵。ヴォラの胸中を思うと切なく、そして、どんなにすばらしい人形か見たい、と思いました。映画化されるなら、これはすごく興味深いです。

ネズミ:おもしろく読みました。きびきびした文章で、章はじめの影絵のカットを見ながら先へ先へと読ませられました。戦争が一番のテーマなのだなと思います。キツネの名前がパックスだし。戦争病にかかって、正義の名のもとに殺し合いをする人間と、自然の営みとしてのみ他者を殺す動物というのが対比されているのかなと。だから、最後は仮にコヨーテに殺されてしまってもいいのかも。私も最初、戦争の実態がはっきりしないなと思っていたのですが、あとから、わざとそんなふうにあいまいに書くにとどめたのかもと思いました。寓話的な戦争として。保護した野生のキツネをピーターが12歳まで飼うというのは長いなと思いましたが、強い意志力や理解力があって、世間ずれしすぎておらず、いざとなれば生きる力があるためには、主人公は12歳じゃなきゃいけなかったかもしれません。ヴォラが魅力的だし、いろいろ考えさせられます。エージェントや編集者がサポートして、よくつくりこまれた作品なのかな。

ハリネズミ:お父さんは、妻を亡くしてそれがトラウマになって、息子にも暴力をふるっている。近未来なら、ピーターがいなくなったことも携帯かなんかで聞いているでしょうし、ドローンか何かで行方をつきとめるでしょうから、近未来とも言えないように思います。p326ではじめて父親は息子を抱きしめます。p327の描写も、お父さんのピーターに対する態度が変わったことを書いています。p330に「月日を経て弱まったお父さんの悲しみ」とあるので、お父さんの悲しみをパックスが感じたのはここがはじめてなんですね。「月日を経て」だから、妻のことを言ってるんですよね? お父さんも妻を失った悲しみを初めてここで表現することができて、今後変わっていくことを示唆しています。すごくうまくできている物語だと思いますが、私も最初読んだときはそこまで読み取れませんでした。深いところまで読み取るには、私の場合は2度読まなくてはなりませんでした。

ネズミ:いろんなところに伏線がありますね。

ハリネズミ:日本語版の編集者にはもっとがんばってほしかった。たとえばp8に1行だけ「パックス」とあります。ここは敢えて強調するためにしているのかと思ったけど、ほかにも最後のページに1行だけというのがいくつもある。普通の編集者だったら、前のページに追い込んで見栄えをよくし、ページ数をなるべく少なくします。p34も。ほかに、言葉のおかしいところもそのままになっているので、目配りをもう少ししてもらえれば、さらにいい本になったのに、と思いました。

ネズミ:p52も。あ、p177もですね。

レジーナ:とてもおもしろく読みました。ピーターは、母親を亡くしたあと、パックスを見つけ、心を通わせます。でも、父親に言われて山に放してしまい、それを深く悔やんで、迎えにいこうとするのですが、その心の動きが細やかに描かれています。ヴォラが、ピーターの無謀な計画を止めるのではなく、だまって松葉杖を作る場面は、武骨で温かな人柄がよく表れていますね。ヴォラは、戦争からもどってきたあとは、自分がどういう人間で、何をしたいかもわからなくなるほど、心に傷を負っています。ピーターがヴォラに不死鳥の話をしたり、人形劇をしたりして、それでもやりなおせると伝える場面は、胸に迫りました。ピーターはヴォラに助けられ、ヴォラもまた、ピーターに救われたのですね。p131で、ヴォラはピーターに、あんたは野生なのか、それとも飼われているのか、と問うのですが、これはピーターとパックスの関係に重なります。結末は、別れてからも、お互いに愛情をもちつづけ、ゆるやかにつながっていくあり方が示されているようで、希望を感じました。p256ですが、父親は、このキツネがパックスだとわかったのでしょうか。

ハリネズミ:お父さんは、パックスだってわかったんじゃないですか。ほかのキツネだったら、このお父さんだからけとばしてると思う。ここは「けるまね」だもの。

レジーナ:パックスのことを思いだし、一瞬、心がゆるんで、蹴らなかったのかと思ったのですが。

ハリネズミ:一緒に暮らしてたら、パックスの癖とかわかってるんじゃないかな。

レジーナ:ピーターならそうかもしれませんが、父親はパックスをかわいがっていたわけではないので、そうとも言えないのでは。

ハリネズミ:お父さんはよくこのしぐさを使ったからパックスにはわかったって、書いてありますよ。お父さんは通じると思ってやっているんだと思うけど。

ハル:お父さんは「ぎこちなく笑った」とも書いてありますね。パックスだとわかったんだと思って読みました。

レジーナ:そうすると、この再会は、ちょっとできすぎではないでしょうか。飼っていたキツネに、戦場で偶然会うなんて。

ハリネズミ:普通のキツネだったら、あまり意味のない描写になってしまいますよ。

ルパン(メール参加):おもしろかったです。ピーターとパックスが、突然の別れによってそれぞれ成長し、そのうえできちんとお別れするために再会するプロセスが丁寧に描かれているとおもいました。さいご、ピーターが兵隊人形を投げるシーンは泣けました。ただ、ヴォラの操り人形がちょっと唐突な気がしました。ヴォラも成長しますが、そこにピーターとパックスの関わりが絡んでいないので、なんだかそこだけ違和感がありました。ピーターがヴォラのところに戻るのかどうかも気になりました。

エーデルワイス(メール参加):この物語も戦争ですね。主人公のピーターとキツネのパックスの章が交互にあらわれ、最後再会して別れていくシーンは感動的です。ヴォラの再生には希望が持てました。ここにも図書館が出て来て、その司書を通じて、人形劇を一式寄付します。心に残る言葉がいっぱいありました。

(2018年5月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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マイケル・モーパーゴ『図書館にいたユニコーン』

図書館にいたユニコーン

ネズミ:ツボを押さえた「鉄板」の物語だなと思いました。本や図書館をめぐる物語というのも魅力的です。モーパーゴはうまいなと思ったポイントが2つあって、1つは子どもの気持ちをとてもうまくすくいあげているところ。たとえばp22の「ぼくは、のろのろと、せいいっぱい、ふてくされて歩いた」から数行の表現など、子どもの心情が生き生きと伝わってきます。2つめは、主な読者層にうまく伝わる表現で書いていること。シンプルな言葉でわかりやすいけれど、ある程度格調も高い。原文のそういう点を、翻訳もうまく再現しているのでしょう。中学年向けの物語として、とても感じがいいと思いました。

西山:絵がきれいですね。モーパーゴというのは、こういう作家なのかなぁ。安心して手渡せる戦争もの。深刻にしない。結構ひやひやさせても、最悪の事態は回避される。中学年くらいの心のキャパはこれくらいで、受け入れるにはほどよいのかもなあとは思いつつ、どうしても私は甘く感じてしまいます。冒頭は『日ざかり村に戦争がくる』(ファン・ファリアス著 宇野和美訳 福音館書店)を思いだしたのですが、展開は対照的でした。中学年くらいの心理に決定的な傷を負わせない、このくらいの戦争ものも必要なのかなぁと、読者を考えると、これでいいのかとも思うけれど・・・・・・という感じです。くり返しちゃいますけど。

ハル:この作家で、このテーマなのに、感動しませんでした・・・とは言いにくいような感じもしますが、正直なところ、いまひとつぴんときませんでした。このお話から、そこまで「本の力」というものは感じなかったし、お父さんが先頭に立って図書館から本を運び出すシーンも、どうしてここでお父さんなんだろう?と不思議でした。でも、みなさんのお話を聞いていて、誰に向けて書いている本なのか、対象となる読者のことも考えながら読まなくちゃいけないなと反省しました。もう1回、読み直してみたいです。

マリンゴ:今回「生きものと私」というテーマで3冊選書したのですが、この本に出てくる木彫りのユニコーンは生き物じゃないということで、いったん外しました。が、まあいいんじゃないかということで復活させてもらいました(笑)。 モーパーゴの作品、比較的長めのものを多く読んできましたが、こんなに少ない文字数でも、中学年向けに戦争の物語をしっかり伝えているのが、すごいな、と。たくさんの描写を重ねなくても、小さい子どもに届く書き方をしていますね。同じモーパーゴの『最後のオオカミ』(はらるい訳 文研出版)は、今年の夏の課題図書になりましたね。そちらのほうがよりドラマチックだけど、オオカミの生態に関して本当にそうなのかな?と、ひっかかるところがありました。それに対して、この本は、自然な流れで読めるので、私としてはこちらのほうが好きです。

ハリネズミ:さっきもちょっと出てきたんですが、子どもの心理描写がうまいですね。この子はちゃんと愛されてはいるけど、嘘はすべて見抜きます。また学校に行けとか、牛乳を飲めとかうるさく言うお母さんと、この子の関係をうかがわせる箇所が、さっきの場所以外に、p53にも「そうかんたんにお母さんを喜ばすつもりはなかった」とあります。1回ならず出てくるこの言葉で、母と子の関係をうまく浮き上がらせています。気になったのは、p90の文章「さいごのさいごに、先生とお父さんがユニコーンをかかえて出てきたのだ」とあるけれど、絵を見ると、まだ本を抱えた人たちが出てきている。文と絵にズレがあるんですけど、子どもが見たら疑問に思うんじゃないかな。それからお話にはまったく関係ないんですが、挿絵を見てもユニコーンの角がとがっています。で、子どもが来る図書館にこれを置いたら危険なんじゃないか、と心配になりました。
 イラク戦争の時に図書館の蔵書を守った司書さんの話は『バスラの図書館員』(ジャネット・ウィンター作 長田弘訳 晶文社)などで英語圏では有名なので、この物語もそれも下敷きにしているのかもしれません。でも、これは架空の場所だし、名前もいろいろで、舞台が特定できないようにわざと設定しているところとか、作者が顔を出して20年前のことを思い出して書くとか、「私も今はその図書館に行って時々お話をしまう」などという仕掛けにしているのは、モーパーゴならではのうまさですね。まあ、でもうますぎて、つるっとして印象が薄くなるという点もあるかもしれません。あと、モーパーゴにしては、メッセージが生の形で出てきているように感じました。ユニコーン先生が、いかにもみたいなメッセージを生の形で伝えてしまっています。ただ3,4年だと、生のメッセージも好きなので、これでもいいのでしょうか。大人が読むとちょっと物足りないですが。

アンヌ:以前に1度読んでいて、その時、さらりと読めるけれど何か物足りないと感じました。読み直してみても、主人公が夢中になっている山の生活の描写が魅力的だったぶん、図書館で本にひかれていくところが、もうひとつ納得がいきませんでした。お父さんがなぜ、火の中に飛び込んでいってまで本を救おうとしたのかも疑問です。たぶん、初めて声に出して家で本を読んだときに、両親ともすごく感動したというところに関係すると思うのですが……。一角獣の神話のところも、もう少しひねってあればおもしろいのにと思いました。

シア:マイケル・モーパーゴなので安心して読み始めました。読後感の良い作品で、さすがモーパーゴ、良くも悪くもできあがっている感じです。もう児童文学界のディズニーだなと! 絵も叙情的で合っていると思いました。学校図書館では、こういう厚さだといろいろな年齢層に読んでもらえますね。『カイト』なども置いていますが、手軽なので人気があります。モーパーゴはあまり多くをつめこまないから、基本的に厚みのない本になりますが、その分読者に考えさせると言うか訴えかけると思います。彼は表現というか、やり場のない苦しみは残さない感じがします。前向きさを感じます。反戦の話でも、悲惨さを強調するのではなく事実として捉えつつ、人の思いの強さを描いています。逆に悲惨な描写があることで、人々の良い行いが押し付けがましくなく自然な流れとなっていて、子どもにも善と悪のわかりやすい対比になっていると思います。本がちゃんと回収されて図書館が立派に再建されたりしていますからね。p49のユニコーンは現代ではイッカクになっているというくだりはおもしろいと感じました。実際、昔はイッカクの角がユニコーンの角として売られていたそうだし、角と歯という差はありますが、夢があって良いと思います。ユニコーン先生みたいな先生には憧れますね。子どもに本の良さを伝える意義深さを改めて感じます。こうやって本嫌いが治っていくのを見るのはうらやましいですね。小さい子への働きかけは大事ですよね。それがなかった子たちへの対応は本当にもう残念としか言いようがなく……。しかし、先生だけでなく子どもたちもみんなの前で話していくようになるのは海外では普通のことなんでしょうが、日本とは異なります。これが今後の日本の目指す教育のあり方なんだなと思ってしまいました。p14で、お父さんは、トマスをかばっているときは学校なんか行っても役に立たないとか言っていたけれど、トマスが読むようになって泣くほど喜んでくれたのには驚きました。p59の物語や詩を読むと夢を持ちたくなる、というのはすごくわかります。こういうのを知らない人はかわいそうだし、知らない人代表の冒頭のトマス少年は完全に未開人だったので、お母さんとユニコーン先生のおかげで文明人に成長できて、しかも小説家にまでなれて本当に良かったと思います。本嫌いは文化的な生活において致命的だということがわかりました。

カピバラ:モーパーゴということで期待して読みました。元図書館員としては、このタイトルは何て素敵!と思いました。モーパーゴは書きたいことがはっきりあって、それを上手に構成して物語として差し出す作家だと思います。私たちがなぜこんな読書会をしているかというと、それはひとえに、子どもに本の楽しさを伝えたい、と思っているからですよね。だから、全く本を読まない子が本の世界に目覚めるというところは、とにかく嬉しかったです。お母さんに無理やり引っ張られて図書館に入ってみたら、ユニコーンがいる! そしてきれいな女の人がいる! ちょっと司書が美化されていて偶像みたいになっているのはどうなのかと思いましたが、こういうところから本に導かれるというのも、この年齢の子どもならあるのかな。この文章量なので詳しくは書いていないけれど、さすがうまくまとまっていると思いました。本を読まずに野山をかけまわっていた子どもが、図書館の存在意義を知る。それだけでもよかったと思います。戦火の中で命がけで本を守った人々の実話はいろいろ伝わっており、本にもなっているので特に目新しくはないけれど、ドラマチックに盛り上げて希望をもって終わるところは、中学年向きのお話として良いと思います。

ネズミ:ユニコーンや司書のことですが、その前のp25にまず、ほかの子たちが前に行こうと、押し合いへし合いしているのを見て、「見たがっているものは、いったい、なんだろう?」と主人公が興味をひかれるシーンがあるので、私は美化されすぎているとは感じませんでした。

レジーナ:このテーマを、この分量で書くのは難しいと思うのですが、さすがモーパーゴですね。しぶしぶ親についていくときに、わざとゆっくり歩く場面は、私も子どものとき、同じようなことがあったのを思いだしました。子ども時代の記憶を持ちつづけ、作品にできるのはすごいですね。この子は学校が好きではなかったようですが、何か問題を抱えていたのでしょうか。さきほど、西山さんが、読者に決定的な傷を負わせない戦争ものだとおっしゃっていましたが、ユニコーンとか、本とか、そういう美しいものが失われていくのが戦争で、この本はそれを描きたかったのだと思います。時代も場所もはっきりとは明かされず、どこででも起こりうる話として描かれていますね。

西山:この子がかかえている問題ですけど、p65に、「カ行やタ行の音がだめで」と声を出して読むのが苦手だったというのが書いてありますね。

ハリネズミ:ちょっと吃音とかあったのかもしれませんね。

アンヌ:さすがモーパーゴ、仕掛けはあったんですね。読み落としていました。

 

ルパン(メール参加):聖書のアレンジなのでしょうか? ユニコーン先生のお話をそれほどおもしいと思わなかったので、どうしてそんなに任期になるのかわかりませんでした。図書館に引きずっていったのはお母さんなのに、本を命がけで守ったのはお父さんだったのも、びっくりしました。

エーデルワイス(メール参加):モーパーゴは大好きな作家です。この本は戦争がテーマですね。本のユニコーンにすわって絵本を読むのはすてきです。小さな村なのに図書館があって、司書がいて、子どもたちのためのお話会があるなんてすばらしい。図書館の充実がうらやましいです。

 

(2018年5月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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河合二湖『金魚たちの放課後』

金魚たちの放課後

アンヌ:転校生が来ると同級生の男の子たちが金魚畑に連れていくという始まりはとても楽しくて、何が起きるのだろうと期待したのですが、金魚がうまく飼えない悩みで、ちょっとがっかりしました。動植物を死なしてしまう「死の指」の持ち主なんて悩む割には、それほどのこともなく曖昧な現実を受け入れて終わるという感じです。2編目の「さよならシンドローム」の方がまとまっていますが、主人公の語り口が中学生というより30過ぎの女の人のようでした。あまり感情の波がなくて、金魚との別れについても淡々と終わる。2編とも、こんな話かなという予想を裏切られる意外な終わり方ではあったけれど、少し残念でした。

カピバラ:何か月か前に読んで、そのときはおもしろいと思ったんですけど、今思い返したらあまり覚えてなくて……印象に残るところが少なかったように思います。ペットを飼う話は多いですが、金魚というのはおもしろいと思いました。現代っ子らしい生活が描かれていると思います。

レジーナ:美しい装丁の本ですね。金魚畑という言葉は、おもしろいと思いました。ただ、盛り上がる場面が特にないので、全体的にぼんやりしているというか、あまり印象に残る本ではありませんでした。

ネズミ:金魚畑というのがおもしろいと思いました。さいしょの話は、お父さんは描けない漫画家、お母さんは夜家をあけることの多い看護師、お姉さんもかなりぶっとんでいて、家族設定にも新しさがありました。でも、さらっと読めて、今の子どもが読むと、うん、うんって思うのかもしれないけど、全体的になんとなくこぢんまりした感じがしました。なんでそう思うのかなと考えてみると、主人公が自力で動いて発見していくのではないからでしょうか。後の話も、主人公が金魚を連れていこうとするときに、案外人まかせで解決したり、友だちとの関係をとらえなおすきっかけが、母親の会話だったり。子どもたちを応援しようという作家の姿勢は感じましたが。

ハル:言いづらいですが……この本に出会って最初に思ったのは「仲間がいた!」ということです。確かに私も子どもの頃、金魚を飼ってはすぐに死なせていました。でも、恥ずかしいし「死なせてしまった」と考えると怖いし、私はそこに気づかないふりで通してきましたが、主人公はこのことを真剣にとらえている。さらに転校生の遠藤さんは「たくさん経験してみないとわからないんだから、何回でも金魚を飼ってみろ」と言う。優しいようでいて、なかなかドライな発言だと思います。金魚のふわふわしたかわいらしさと、どこかひんやりとした怖さというか、グロテスクさというか、そんなイメージが、思春期の少年少女の気持ちとからまっていくようで、とてもおもしろかったです。同じように「仲間がいた」と思う読者も、実は多いんじゃないかと思います。

マリンゴ:最初に読んだとき、これはすばらしいな、いい本だなと思いました。特に前半が印象的でした。物語に死の匂いがたちこめているのに、どこかさわやか。金魚というテーマだからこそだと思います。次々死んでいっても、金魚だと凄惨な感じがしませんし。多くの子どもが金魚を飼った経験、あると思うんですよね。なので共感しやすい。私も昔、職場で飼っていたグッピーの水を換えたら、一気に大量に死んだことがありました。ちゃんと一晩汲み置きしたんですけど……。そういう記憶をよみがえらせてくれる力が、この作品にはありました。後半、女の子が外国まで金魚を連れていこうという場面には驚きましたけれど。自分だったら、こんなに執着しないでさっさと誰かにあげてしまうかな。あと前半の主人公の男の子が、自分の指は死を呼ぶんじゃないかと、不安にかられているところがいいなと思いました。根拠のない不安感って、あると思うんです。何をやっても死なせない友だちをうらやむ感情。そういう心の描き方がうまくて、とても気に入った作品だったので、みなさんはどう読まれるか、感想をお聞きしたいなと思って。とても参考になっています。

ハリネズミ:金魚を飼うって、小学生くらいでほとんどの子が体験するように思います。だから、そのくらいの子が読むと、おもしろくて共感をもつのかも。でも、私はあまり文章にひきこまれませんでした。転校生の遠藤さんの言葉ですが、p100に「わたし、しょっちゅう転校ばっかりしてるような気がするけど、冷静に考えたらまだ二回しかしてないし、学校だって三か所しか知らない。もっともっとたくさん……せめて百回くらいは転校しないと、法則とか傾向なんて見つけられないのかもなって、最近思ってる」とあるんですが、ませた感じの女の子だとしても、小学生らしくないなと思ってしまいました。第1部と第2部の間に、3年が経過してますけど、子どもがあまり成長していないのも気になりました。金魚畑はおもしろいけど、それ意外にもオリジナリティや新鮮みがあるとさらによくなるように思います。たとえば家族は従来型だし、インド人の同級生がせっかく出てきても、カレーを食べてるというだけ。私はそういうところが物足りなかったのかもしれません。p138の「女の子は、かわいくてきれいなものが好きなはずなのに」もステレオタイプ。この作者は何歳くらいの方ですか?

レジーナ:77年生まれのようです。

ハリネズミ:それにしては、ちょっと古い感じがしてしまいました。自分では書けないのにこう言っては失礼ですが、さらにもう少しがんばっていただけるといいな、と。

シア:私は金魚が好きなのでワクワクしながら手にしました。表紙もとても可愛くて。でも、2話収録で意外と少なく、淡白な1冊でした。この方、『バターサンドの夜』(講談社)の作者ですよね、前作もそんな感じの印象を受けたんですよね。内容が軽くて、まるでメレンゲみたいにふわふわしています。YAなので「迷い」みたいなのがテーマになるのはわかりますが、続きのないシリーズもののような感覚に陥ります。答えがなくてはっきりしないので座りが悪い印象です。主人公の灰原くんも遠藤さんも目立って反抗するわけでもなく淡白。生きていても死んでいても静かな金魚が題材なせいなんでしょうか、淡々としています。「死神の指」という表現の仕方とか、灰原君のお姉さんは深刻な感じで、おもしろくなりそうな感じだったんですが。いじめられる子は自分に原因があると思ってしまうけど、そうではないんですよね。今は偶然でターゲットが決まる世の中。そこはうまく掬えていると思います。ただ、この子たちは私とは反応が違いますね。みんなそうだと思いますが、私もいろいろ飼ってもすぐ死んでいました。オタマジャクシを飼っていましたが、日々どんどん数が減っていきました。なんだろうと思ったら共食いしてたんですね。人間が寝ている間に、彼らは壮絶なバトルロイヤルしていました。最後に勝ち残った1匹は、足や手は出たが巨大になってカエルになりませんでした。なぜ、と調べたらヨウ素が足りなかったことがわかりました。私は原因を追及しながら自分のせいなど思わずに飼っていたので、灰原君の反応とは違いました。この作者って、窮屈な世代の子どもたちを扱って、窮屈な日常を切り取るのはとてもうまいと思います。中高生が読んで私もつらいなと共感するにはいいのではないかと思います。

西山:おもしろく読みましたが……。収録2作の間に3年たっているんですね。「サヨナラ・シンドローム」の冒頭で「期末テスト」「数学」とあって、誤植か、姉が主人公になるんだか、なんだ?と思って立ち止まったのですが、まさか、3年後の話だとは……。小学5年生と中学生の関心事はちがう。なにが切実なのかは大きく変わる時期ですよね。どちらの読者に読んでほしいのでしょう。後半でアメリカに金魚を送れるかどうかで、検疫だのなんだの調べたりするして、村上しいこの『こんとんじいちゃんの裏庭』(小学館)を思いだして、子どもが自分でいろいろ調べていくおもしろさ、情報の具体性がおもしろかったのですが、でも最終的に、思春期の心のほうにウェイトがいってしまうのっで、調べるワクワクを追求していく方は二の次になってしまう。そこが作品の個性になると思うのに。だから部分部分はおもしろかったけれど、あいまいな印象になってしまう。転校ものとしても興味深く読めたけれど、そこも主軸ではないんですよね。これ、という像を結ばないので、おもしろく読んだのに記憶から消えやすい、そういう作品の一つのように思います。

レジーナ:今の母娘は距離が近いので、友人関係の悩みも話すのでしょうね。それをこういう形で物語に入れて、読者がおもしろいと思うかはわかりませんが、リアルなのだと思います。

ルパン(メール参加):おもしろかったです。「水色の指」と「さよなら・シンドローム」、語り手が交替するパターンはよくありますが、これは時間がずれているのでおもしろいと思いました。「水色の指」は、私も生き物を育てたり死なせたりと、いろいろあったので、灰原くんの気持ちがよくわかりました。

エーデルワイス(メール参加):水色の涼しげな地にユーモラスな金魚の絵の表紙ですが、ほのぼのとした内容ではありません。前半は灰原慎、後半は遠藤蓮実と、2人に絞った展開がすっきりしています。金魚を取り上げているところがユニークだと思いました。飼った体験がある子は、確かに金魚の死や埋めたことなどに共感すると思います。金魚を外国に送ることなど知らないことばかりで興味を持ちました。慎は、なんでもそつなくできる子なのに、生き物を上手に育てることができません。家がバラバラゆえの心の不安定が影響しているかもしれないことにもどこかで気づいています。蓮実との交流で生き物に接する何かが変わっていくところがいいですね。慎とは違い家族は安定しているけれど転校をくり返す蓮実。学校での居場所や友人関係などは、社会の荒波にもまれているような大変さを感じます。本当の友だちとは、と投げかけている気がします。

 

(2018年5月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2018年04月 テーマ:好きなものがある子どもたちの話

日付 2018年04月20日
参加者 アカシア、アンヌ、カピバラ、コアラ、さららん、西山、ネズミ、ハル、マリンゴ、ルパン、
レジーナ、(エーデルワイス)
テーマ 好きなものがある子どもたちの話

読んだ本:

ジョー・コットリル『レモンの図書室』
『レモンの図書室 』
ジョー・コットリル/作 杉田七重/訳   小学館   2018.01
A LIBRARY OF LEMONS by Jo Cotterill, 2016
<版元語録>カリプソは、本が大好き。いつもひとりでいるカリプソにとって、本はたったひとつの心のよりどころだった。「わたしはだいじょうぶ」何があっても、カリプソは、自分に言い聞かせる。そんなカリプソの心を開いたのは?


三輪裕子『ぼくらは鉄道に乗って』
『ぼくらは鉄道に乗って 』
三輪裕子/作 佐藤真紀子/挿絵   小峰書店   2016.12

<版元語録>小学4年の悠太は、電車が大好きな鉄道少年。ひょんなことから同じアパートに越してきた同じ年の理子を、互いの親には内緒で千葉県の大原まで連れて行くことに。不安がいっぱい! ぼくと理子の鉄道の旅がはじまる。


佐藤まどか『一〇五度』
『一〇五度 』
佐藤まどか/作   あすなろ書房   2017.10

<版元語録>都内の中高一貫校に、編入した真は中学3年生。スラックスをはいた女子梨々と出会い、極秘で「全国学生チェアデザインコンペ」に挑戦することに…! 中学生としては前代未聞の、この勝負の行方は? 椅子デザイナーをめざす少年の、熱い夏の物語。

(さらに…)

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佐藤まどか『一〇五度』

一〇五度

さららん:「椅子をつくる」というテーマを新しく感じました。モックアップ(原寸模型)など専門用語がいっぱい並び、覚えきれないほどでしたね。主人公の真と出会い、椅子づくりの同士となるのは、スラックスをはいて登校する女の子梨々。梨々の造形が理知的でさわやかでした。真はというと、「LC4」という歴史的な椅子に座って、その良さと悪さを自分の頭と体を通して考えます。大好きな椅子であっても、そうした分析的な目がクールでいいな、と思いました。でも一方で、二人ともお金持ちの通う私立の学校に通っていて、真は勉強もできるし、椅子のデザインまでできる。真の強権的な父親以外、まわりがほぼみんな二人に協力的で、フィクションとはいえ恵まれすぎた環境のようにも思えます。椅子職人だった真のおじいちゃんが、まっこうから父親とぶつかる真に、そのときどきに必要な言葉を(「オヤジをだましときゃいい」などと、ときにはどきっとするような言葉も)発してくれるのがうれしかったです。

アカシア:著者がプロダクトデザイナーだけあって、イスがどのように考えられて作られているかがわかったり、現場での工程がわかったりする部分は、とてもおもしろかったです。一〇五度が少しリラックスしてすわるイスの背もたれの角度だとわかって、なるほどと思いました。真の祖父はそれに加えて、人間もおたがいに軽くよりかかるのがいいと言ったりして、象徴的な角度としても使われているんですね。できる子の真と、できない子の力という兄弟の対比が描かれ、できる子だって「なんでもできるんじゃなくて、無理してるんだよ。がんばっても認められない。それでまた無理をする。ストレスがたまる。この悪循環から抜け出せないんだ」と、そのつらさを書いています。そのあたりもいいな、と思いました。できる子の真は、勉強もがんばる、イスのコンクールでも高評価を得る、弟や梨々の勉強の面倒もみる、と「できすぎ」少年ですが、これだけ出来過ぎだとリアリティがなくなってエンタメになるかも。出来過ぎくらいにしておかないと、成立しない物語なんでしょうか?

コアラ:おもしろく読みました。椅子のことがかなり詳しく書かれていて、こういう世界があるのかと、知らない世界を知る楽しさがありました。ただ、主人公が中学生で、確かに中学生でも職人的なものに興味を持って詳しい人もいると思いますが、レベルが高校生くらいのような気もします。p134の7行目「結局女ってヒステリーだよな」という言葉は気になりました。p220で偏見を自覚する場面があるので残しているのかもしれませんが、p134では無自覚に言っていて誰も注意をしていません。そのほか、ご都合主義なところもいくつかあって気になりました。例えばp139で梨々の家に行こうとしていた真の前にちょうどおじいさんの早川宗二朗さんが現れるところとか。梨々についても、できすぎな女の子のように思いました。それから、タイトルになっている一〇五度という関係について、ちょっと寄りかかったほうがいい、というのは大人の関係かなという気がします。椅子の製作の過程はいいのですが、弟や父親との関係は、ストーリーにあまりなじんでいないというか荒っぽい感じがして、勢いで書いているようにも思えました。

アカシア:p134のところは、この子がそういうことを言うのはふつうじゃない、とそこでおじいさんが気づくというストーリーの運びになっているので、あえて言わせているのだと思います。それと、梨々ですが、私は女の子のオタクとして登場させているんだと思いました。ふつう、オタクは男の子がほとんどなので。

アンヌ:大人でも知らない、「プロの椅子づくりの世界」が描かれているのが楽しくて、モデラーという仕事や、工具や材料の名前などに漢字にカタカナのふり仮名をふってあるところとか、ある意味SFを読むときのように、わからなくてもどんどん読める感じがおもしろかった。主人公が15歳だとすると、お父さんは40代。おじいさんは70代かな。少し、おじいさんが年寄りに書かれすぎているかもしれません。真がまっすぐすぎて、勉強まで頑張って上位に入るなど、葛藤がなくて納得がいかない気もします。友人に失敗話をさせようとしたり、コンペで賞を取っても喜ばないお父さんというのは、あまりリアリティがない。親も未熟なんだろうなというのは大人にはわかりますが。少し一面的に感じました。

ルパン:「105度」については、なるほど!と思いました。でも、椅子を作るシーンは……空間図形に弱いせいか、イメージがわかず、あまり物語に入り込めませんでした。恵まれた環境にいる中学生が、大人の手を借りてやっている、という感覚がぬぐえず、等身大の共感は得られないと思いました。

アカシア:大人の手はできるだけ借りないようにして、この二人はがんばってた、というふうに私は理解しましたけど。

ルパン:それから、p251で真の父親が「将来は飢え死にする覚悟でやれ。茨の道を自分で選ぶ以上、泣き言を言うな」というところ、あれ、椅子づくりの道を選ぶことを許したのかな、と思ったのですが、次のページではどうやらそうではないような感じで、よくわからないまま終わってすっきりしないものが残りました。

アカシア:このお父さんは、一見子どものためを思ってアドバイスしているかのようですが、本当の真のことは、何も見ていないですね。真や、弟の力が、今何をおもしろがり、何に情熱を注いでいるかはまったく見ていない。賞をもらっても、まだ気づかない。だから真はがっかりするのだと思いますが、でもそれでもやろうと最後には思う、という終わり方なんじゃないでしょうか。

ルパン:ラストシーンで父親に「途中で放り投げても、助けてやるつもりはないぞ!」といわれた真は、「よし、放り投げずにやってやる!」ではなく、「ワクワクしていた気分が一気に萎えてくる」といっています。なんだか、助けてほしかったのかな、と思ってしまうシーンです。

アカシア:そこは、それでもこの子はやろうとしている、というところを浮き彫りにするための布石だと思います。

ハル:特に同世代の読者が読んだら、好きなものがあるってかっこいい! オタクってかっこいい!と思うでしょうし、自分も何か見つけてみたいと思わせてくれる本だと思いました。失敗しながら学んでいく姿にも、父親の反対を押し切って突き進んでいこうとする姿にも、読者は勇気づけられるだろうと思います。ただ、なぜか、登場人物の会話が無機質というか、血が通っていないような印象を全体的に受けました。いかにもせりふっぽいというか。そこが私は気になりました。

レジーナ:美大の工業デザイン学科に入学した友人の、初めての課題が椅子でした。4本の脚で体重を支えなきゃいけないから、椅子は難しいと言っていましたね。この本は、専門知識に基づく描写を通して、ものづくりのおもしろさが伝わってきました。家族の描き方は少し物足りなかったです。子どもを理解しない父親、そっと応援するおじいちゃん、というふうに、大人の描写が一面的で、生身の人間に感じられなかったからかな。

ネズミ:職業小説や部活ものというのでしょうか。『鉄のしぶきがはねる』(まはら三桃作 講談社)を思い出しました。椅子にのめりこんでいくのはとてもおもしろいけれど、こんなに成績にしばられている中学生や、ここまで子どもに期待する親がいる家庭って実際には1割もないんじゃないでしょうか。とすると、この主人公にどれだけの中学生が気持ちを寄せて読むのだろうと思ってしまいました。個性があるゆえに肩身の狭い思いをしている子どもは共感できるのかな。

西山:すごくおもしろく読みました。生身の子っぽくないのは、たしかにそうだけど、それは中学生らしくなかったということでは?と思ってます。高校生っぽい。進路の問題としては、中学生という設定が必要だったのでしょうけれど。中学生らしい「おバカさん」さがなくて、生身な感じを欠いている気がします。p47のスラックスをはく理由を語る梨々のせりふは、中学生としてはなじまないかもしれないけれど、「権利を行使した」と書いてくれたのは気持ちよかったです。なにより、物語が椅子にまっすぐ進んでいくのがすがすがしかったです。冒頭のからかいとか、梨々のスラックス姿とか、学校の友人関係のぐちゃぐちゃに展開するかと思いきや、すぱっと見切って、椅子づくりに進む潔さが新鮮な印象でした。病弱で、親から溺愛される弟への屈折が出てきて、あさのあつこの『バッテリー』を思いだしもしましたが、真と対照的な存在として、うまく書かれていたのか、最終的に二番煎じ感は消えていました。賞もとったのに、じゃあやっていい、と最後まで言わない父親も新鮮な気がしました。好きなもので食べていけるわけじゃない、ということを子どもにつきつけているシビアさが新鮮。昨今「子どもの夢を応援」する物わかりのよい親像が、実際はどうかは別として、建前としては主流のように私が感じているからでしょう。でも、真は負けていない。そこが、児童文学としての、作者の子どもへのエールかもしれない。あと、なにしろ、本がきれい! カバーをはずすと地模様が方眼紙だし、見返し遊び紙や扉がなんか上等だし、おしゃれな造本だなぁと愛でました。

ネズミ:お父さんの昔の友だちが死んでしまうというエピソードは、そこまで言うかなと思いましたが。

西山:それでも好きなことをやる方を選ぶんですよね。

マリンゴ:今回の3冊のなかで一番好きでした。佐藤さんの『リジェクション 心臓と死体と時速200km』(講談社)には、いまいちハマれなかったのですが、これはとても好きです。登場人物たちが高校生レベルなので中学生の読者が共感できるのか、といった話が先ほど出ていましたが、私はこれは、自分に重ねるのではなく、突き抜けたものとして読めばいいのだと思います。ここに出てくる中学生たちのことは、要するに藤井聡太六段だと思えばいいのです(笑)。椅子界の藤井聡太。読者は、そのエネルギーに引っ張られて、自分も何か打ち込めるものを見つけたいと思うのではないでしょうか。ただ、唯一、気になったのは、最後のコンテストの場面。エンタテインメントとしての盛り上がりを期待したんですけど、ライバルの描写が少ないんですよね。p240「繊細なラインで、ひと目見てすわりたくなるイスだ。斬新なアイディアはとくにないけど、細部まで気を抜かずに徹底して計算されてデザインされている」。具体的な描写がないので、どんな椅子かわかりません。ライバルの人物造形もない。敵が強く、ちゃんとイメージが湧くほうが、盛り上がるのに……とそこは残念でした。いずれにしろ、全体的に読みごたえがあるので、これが夏の課題図書として、たくさんの中学生たちに読まれるのはいいなと思います。

エーデルワイス(メール参加):「105度」ってなんだろう?と思っていたら椅子の角度だったのですね。新鮮です。椅子のデザイナーを目指す主人公は新しい視点。作者がプロテクトデザイナーらしいからその道を描いたのでしょうか。椅子に関するエピソードは興味深いです。父と息子の対立や、その父と祖父の関係も描かれてはいますが、この二人は対話を避けて逃げている感じです。もうちょっと深く描かれたら、もう少し納得できる感じがします。ところで、「スラカワ」こと早川梨々は女子ながらいつもスラックスをはいて目立っている設定ですが、私の中高生時代、あたりまえに制服の下に女子がスラックスをはいていました。ただの寒冷地ということかもしれませんが。

(2018年4月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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三輪裕子『ぼくらは鉄道に乗って』

ぼくらは鉄道に乗って

さららん:ちょっと昔っぽい印象を受けたけれど、物語自体は好感が持てました。昔っぽいのは、時刻表を使うという理由だけでなく、人物造形のせいかもしれません。ともあれ、時刻表を具体的に使って、子どもたちが自分の頭と足で歩こうとしているところはいいですね。悠太の近所に引っ越してきた理子が、なぜ時刻表を見ていたのか、その謎が後半で解けます。離れ離れになった弟に会いに行きたい理子。親の都合で、がまんを重ねている子どもはいっぱいいますよね。子どもだって、自分で動いていい。心理の描き方は地味かもしれないけれど、次の電車に乗り遅れないように主人公の悠太がじっと待つところなど、よく理解できました。

レジーナ:インターネットで調べる場面を見て、鉄男もそういうのを活用するんだなと思いました。弟に会わせてもらえなくて、会いにいくというのは、ひと昔前の児童文学にありそうですね。

ネズミ:時刻表や図書館がきっかけになるのがおもしろいなと思いましたが、お話自体、とりたてて驚きや感動はありませんでした。理子は、案外活発で面倒見のよさそうな女の子なのに、弟に会ったあとに泣き崩れるというのが、ピンとこなくて、登場人物にもっと魅力があればいいのになと思いました。

マリンゴ: かわいらしい話で、好感を持ちました。好きなものがある子たち同士で惹かれあう……そういう人間関係の広がりが、いいなと思いました。読んでいると、電車に乗りたくなります。青森に行ったとき、気になっていたローカル線に乗らなかったことが今さら悔やまれたりして。ただ、小道具の時刻表ですけど、見ている時間が長すぎるのではないかと思いました。引っ越し当日、つまり冬休み最後の日に見ていて、春になって学年が上がってもまだ見ている。そんな何か月も時刻表を見てたら、さすがに千葉への行き方、わかるのでは?とツッコミを入れてしまいました(笑)。それはともかくとして、読書をする子はやっぱり女子が多いので、この本のように、男子に向けて書かれた本はとてもいいと思いました。この本をきっかけに読書好きになる男の子もいるかもしれませんよね。

カピバラ:今回のテーマ「好きなものがある子どもたちの話」っていいですよね。物語の設定として魅力があると思います。悠太は日本の児童文学に良く出てくるタイプの男の子。主人公がどういう子かというのは、物語を読んでいくうちにその子の行動や言葉を通して少しずつ見えてくるのがおもしろいのに、冒頭でぜんぶ説明しているのはつまらないですね。鉄道ファンにとって時刻表はとても魅力あるものだけど、その魅力があまり伝わってこないのが残念でした。鉄一のことを1歳しか違わないのに「鉄一センパイ」と呼ぶのはどうかと思いました。理子は自分のことをしゃべる子じゃないのに、p110では自分の境遇を聞かれもしないのにぺらぺらしゃべっているのがとても不自然でした。会話でぜんぶ説明しようとするとリアリティに欠けてしまいますね。

アカシア:私も時刻表などのおもしろさがもっと書かれているといいな、と思いました。それから、物語世界のリアリティをもう少し考えてほしいと思いました。鉄男の二人が、理子の弟に会いに行こうとするのも不自然だと私は思ってしまったし、保育園の先生が知らない子どもから受け取ったものを園児に渡すなんて、現実にはありえません。

コアラ:鉄道が好きな子どもの心理がうまく描かれていると思いました。例えばp39の「古い車両の列車が、夜じゅうかけて遠い町まで走り続けていくって想像すると、心がときめくっていうのかな」という隼人のせりふ、好きな気持ちがこちらにも伝染して、確かにいいよね、と思います。気になった場面は、p139からp141あたりの、保育園で悠太がヨッチに理子からのプレゼントを渡して、写真も撮るところ。ヨッチにとって悠太は知らない人なわけで、知らない人から物をもらって写真を撮られる、というのは危険だと思いました。それから、p55で悠太が「鉄道ファン」付録のメモカレンダーの2月のところに、隼人の名前と電話番号を書くところも気になりました。「鉄道ファン」は自分では買わずに図書館で読んでいますよね。誕生日に買ってもらったのは8月なので、その号には2月のメモカレンダーは付いていないはず。いつ買ったのかなと思いました。全体としてはおもしろかったです。

アンヌ:私は、鉄な従弟がいて、時刻表の魅力や乘った電車について語り合った事があるのですが、鉄は一日中でも時刻表を見ていられるそうです。もう少し、時刻表を見る楽しみなど書いてあると、その後の理子を鉄子と間違えたあたりがスムーズに展開したと思います。今回、そんな鉄の心を打つ名場面をあげますと、p20のパソコンの乗り換え検索と時刻表で「これで日本中どこでも旅ができるんだ」と思う場面、p38からp39の寝台車とローカル線という隼人と悠太のそれぞれの趣味を語り合う場面、p44からp47にかけての、大曲まで行くルートについて話すところ等があげられると思います。また、もはやない寝台電車での幻の旅を語り合うところも素敵です。気になったのは、理子についての描き方です。しっかりしているようなのに後半泣いてばかりいて、家族関係なども古風だと感じました。その他には、子どもにとって、鉄道博物館に行く在来線のルートもドキドキするものだという事が描かれているところも、うまく後半の大原行につながっています。ここは、東京以外に住んでいる子にとってもおもしろいかもしれません。隼人も悠太も何か事故があった時の対処法とかを考えていて、電車の道は一本ではないという事が書き込んであるところもいいなと思えました。

ルパン:おもしろく読みました。私は全然鉄道に興味がないのに、ワクワク感を共有できました。一番好きなシーンは、p25で理子の家が千葉の大原から越してきたと聞いた瞬間、それまでふてくされて黙っていた悠太が、「大原? いすみ鉄道が通ってる?」と反応するところです。こういう、何かひとつのことにマニアックに精通している小学生とかって、すごくおもしろい。今回のテーマにもある「好きなもののある子ども」の、魅力全開シーンだと思います。

ハル:私はもうちょっとワクワクしたかったなと思いました。鉄道博物館に行ったところとか、時刻表のこととか、鉄道好きじゃない読者も巻き込むほどのインパクトはなかったかなと思いましたが、鉄道好きな子が読むとまた全然違うでしょうか。理子の弟が登場したシーンはぐっときました。結局解決はしていないけど、線路でつながっているというところが、鉄道のロマンなのかな……。

カピバラ:目次の章見出しを読むだけで筋が全部わかってしまいますね。もっと工夫してほしいです。目次ページは右と左でフォントの大きさが違っています。それからもう一つ気になったのは、悠太が新幹線を見たことがないという点。これだけ鉄道が好きな子どもなら、お父さんと見に行ったりするんじゃないかな。

エーデルワイス(メール参加):私の文庫にこの本を入れたら、鉄道大好きな小6の男の子が借りていきました。挿絵もよかったのでしょう。家庭の抱える深刻な問題も、『鉄道』というフレーズで暗くならずにすんでいます。鉄道が大好きで乗り継いで目的地までゆくドキドキ、ワクワク感が出ています。東京の新宿の圧倒的な人混みを、子どもだけでよく頑張りましたね。小学生の頃、電車というより汽車に乗り一人で祖父母の家に行ったことを思い出しました。一日がかりだったように思います。冒険感でいっぱいでした。

(2018年4月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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ジョー・コットリル『レモンの図書室』

レモンの図書室

さららん:本だけが友だちのカリプソが主人公です。お母さんの死後、お父さんとの二人暮らしが始まり、カリプソはお父さんに暮らしの面倒を見てもらえません。でもメイという本好きの友だちが現れて、物語の世界を通して、カリプソの心の扉が開きます。レモンの研究書の執筆に打ち込むお父さんが、非常に子どもっぽいと感じましたね。現実を逃避するお父さんの心の問題が次第に明るみに出て、閉ざされた家庭に外からのケアが入ります。イギリスには、大人の世話をする子どもの会があることを初めて知って、新鮮でした。p188に「正常か異常か、その判断は人によってちがうんじゃない」とメイが言います。そんな言葉がこの物語を単純なものにせず、救っていますよね。幸せの形を自分で探すカリプソの物語になっています。ただ、いいところもたくさんあるけれど、わかりにくいところもありました。私にはお父さんが謎の人で、共感を抱けず、血の通う人間としての像が結べませんでした。子どもが大人をここまで理解し、包容する必要があるのかと、疑問も感じました。なお本文に出てくる本のタイトルが巻末にリストで出ているのは、とても親切ですね。でも文中には「未邦訳」の注をつけなくてもよいと思いました。それを見たとたん作品の世界の外に、放り出されてしまいます。

アンヌ:とても魅力的な表紙で、レモンの背景の地色の灰色がかったベージュの色に不安が表わされているようで見入ってしまいました。二人が出会う場面で、メイがカリプソの名前を木で組む場面とか、授業で、言葉を知っていることに尊敬の念を抱くところとか、古典的な児童文学について二人が夢中で話すところとかに、とても惹かれました。でも、カリプソはいつも空腹で、食事だけではなく洗濯も自分でしなくてはならない状況で、読んでいてつらく、父親への怒りを感じました。物語の後半は、あまりうまく描かれていない気がします。父親の状況を、父親とカリプソが交互に物語を書き合う事で説明してしまうところや、大人の面倒を見ている子供たちを支援する組織が妙に無力だったりするところとか。そして、これだけいろいろあったのに、最後はカリプソも父親と家庭を作るという結論には、なんだか昔『ケティ物語』(クーリッジ作、小学館)のラストを読んだ時のように、がっかりしてしまいました。気になった言葉がp10『少女ポリアンナ』(エレナー・ポーター作 角川文庫)の「よかったさがし」。本の内容を知っていても違和感のある感じがしました。村岡花子版では「喜びの遊び」「喜び探し」だったので、最近の訳はどうなんだろうと調べたら「幸せゲーム」「幸せさがし」などの訳があり、確かに「よかったさがし」としている本もありました。

ネズミ:p10のせりふだけ見ると、「よかった探し」と『少女ポリアンナ』は結びつかないですね。

コアラ:主人公は10歳ですが、本のつくりは大人っぽいと思いました。カリプソが赤毛でメイが黒髪で、物語の中でも『赤毛のアン』(モンゴメリー作 講談社他)が出てきますが、他にも『赤毛のアン』を思い出させるところがありました。例えばカリプソが学校を休んでメイがさびしがるところや、p239からの部分で大切なことに気付くところとか。それから、物語の中で本がたくさん出てくる割には、あまりワクワク感がありませんでした。やっぱりp10の「未邦訳」で気持ちが削がれたのかもしれません。それでもカリプソが本を大切にするところとか、共感できる部分もありました。巻末の「読書案内」は親切だと思いました。

アカシア:原文は、よく練られた美しい文章だったのですが、訳はかなりはずんだ元気な調子になっていますね。訳文の文体に私はちょっと違和感がありました。お話はおもしろく読んだのですが、いくつか引っかかる点がありました。一つは、この父親の状態ですが、大人なら想像がつきますが、子どもに理解できるのかな? 母親の本を全部外に出して、書棚にレモンを並べていたところも、父親が母親の思い出と訣別したかったのか、それとも単に精神が錯乱しているのか、そのあたりもよくわかりません。二つ目は、ダメ親と子どもの関係なのですが、現実では子どもが、「親がダメなのは自分のせいか」と思ったり、「自分がしっかりしないと家庭が崩壊する」と思ったりして、がんじがらめにされてしまうことも多いのではないでしょうか。たいていの児童文学では、作家はそうした子どもの側に立って、「もっと自分のことを考えてもいいんだよ」というメッセージを送りますが、この作者は逆に父親の側に立って愛情をもっと注ぐことを娘に奨励しているように見えます。そこに引っかかりました。表紙やカットの入れ方はいいですね。

カピバラ:10歳の子どもらしい感覚が描かれていると思いました。対象年齢がYAよりちょっと下に思えたのは、弾んだ訳文のせいかもしれません。子どもの気持ちや、パパやメイの描写は、ありきたりではなくおもしろかったです。例えばp198、パパの様子を「つかまるとわかって、身をかたくするハムスターみたい」という表現とか。自分にとってメイがどんなに大切な存在かと気づくことによって、パパには自分が必要なんだと気づくところが、すっと理解できました。ゲームに夢中になる子ども、パソコンから目が離せない大人など、今の子どもを取りまく現実がよく描かれ、その中にいながらカリプソは紙の本の価値を信じている昔ながらの子というのがほほえましかったです。知っている本のタイトルがたくさん出てくるのも読者にはうれしいと思います。

マリンゴ: 非常によかったです。冒頭で実在のいろんな本が紹介されていたので、図書室で子どもたちがさまざまな本を読む話かと思っていました。こんな物語だったとは! 親が大変な状況にあって、子どもが苦労する……こういうことは日本でも身近にあると思います。この子自身も相当個性的なのですが、そういうキャラクター、そして親との関係性を、一人称なのによく描けているなあと感じました。三人称のほうがきっと書きやすいはずですけど……。先ほど話題になっていましたが、「レモン」の解釈が日本と欧米で違って、ネガティブな意味があるところも、おもしろいですね。あと、余談ですけど、メイのお母さんのアイコって日本人ですよね。ステレオタイプな東洋人ではない描かれ方をしているのが、ちょっとうれしかったです。

ネズミ:母親が亡くなってから立ち直れない父親や、子どもの面倒を見られない親は、『さよなら、スパイダーマン』(アナベル・ピッチャー作 偕成社)や『紅のトキの空』(ジル・ルイス作 評論社)、『神隠しの教室』(山本悦子作 童心社)にも出てきますね。子どもがそれぞれの環境でそれぞれに親と向き合って生き延びていくというのは難しいテーマだけど、必要だと思うし、おもしろく読みました。ですが、この主人公は10歳で、感じ方など小学生が読んで、うんうんと思いそうなところがいっぱいあるのに、本のつくりが大人っぽくて、小学生が手に取るかどうかが疑問です。一人称の語りが、せりふの部分はいいけれど、地の文ではしっくりこなくて、三人称のほうがすっと入れたのではという気もしました。作者はこの子の目線を大事にしたかったのでしょうか。それと、結局、カウンセリングのゆくえがよくわからないですよね。リアルなのかもしれないけれど。日本だとマンガ『Papa told me』(榛野なな恵作 集英社)が1988年に出て、新しい親子像が描かれてきたけれど、この本のような父親は今もよくいるということなのかな。

カピバラ:カウンセリングは、与える側と受ける側にずれがあるところをうまく描いていると思います。受ける側は、なんとかしてほしい、と思って行くんですけどね。

レジーナ:とてもきれいな表紙です。YAにしても、大人っぽいつくりだと思いました。「大人を世話する子どもの会」というのはおもしろいですね。せりふはところどころ、しっくりこなかったです。p24「だめだめ! いえない!」「読んでる本の先をバラされるって、すっごく頭にくるよね。ほんとうにごめん! お願い、ゆるして!」、p133「もちろん知ってたよ! ここには本なんて一冊もないの。ふざけてみただけ! 怒らないで!」など、感嘆符が多いのは原書のままなのかもしれませんが、日本語で読んでいると、浮くというか、大げさに聞こえて。本棚のレモンを投げる描写もヒステリックで、読者はついていけるのか……。父親も、そういうのが嫌いなのはわかりますけど、カリプソがハロウィーンのお菓子をもらいに行きたがっているのに、頑なに反対します。いくら精神が不安定だとしても、自分の本をだれかが買ってくれたと喜んでいるカリプソに対して、ひどい態度をとるし。一人称は、その人の目に映る世界なので、すべてを描けないとしても、描写によっては、立体的な人物像になると思うのですが。

アカシア:このお父さんは出版業界にいるんですよね。だから、新人の原稿がそうそう採用されないのは知っているはず。なのに、送った原稿がある社から採用されなかっただけで、こんなに落ちこむなんて。リアリティという点でどうなんでしょう?

ハル:すごくきれいな装丁で、しっとりとしたお話かと思って読み始めたら、予想外の展開で。そのためか、お父さんは「おかしい」人なのか、ただ「心を閉ざしている」人なのか、どっちを意図して書かれているんだろうと少し戸惑いました。本を捨てていたことがおかしいのであって、レモンの歴史をまとめることや、レモンを棚に並べていたこと自体は「異常」ではないですよね? 絵面は衝撃的ですけど、レモンを研究していたわけですから。……でもやっぱりおかしいのかな。よくわかりません。でも、こういう、子どもが自分のことに集中できず、家のことや親の面倒を見なくてはいけないというような問題は確かにあるんだと思うし、このお話よりもっと切迫した状態の家庭もあるということも、この本を読んで想像することができました。主人公の女の子はとても大人びたところもあり、年相応に幼いところもあるので、読者には主人公の考え方や答えを丸のみにしないで、自分だったらどうするだろう、友達だったらどうしてあげることができるだろうと考えながら読んでほしいなと思いました。

ルパン:私はのめりこむようにして読みました。父親が書棚いっぱいにレモンを並べているシーンは、まるで本当に目に飛び込んできたように残像が残りました。強烈なシーンだったので、よほど書き込まれていたのかと思いましたが、あとで見返したらほんの半ページほどの出来事なんですね。それだけでリアルに壮絶さを見せる筆力はすごいと思いました。ところで、お父さんがここまで壊れてしまう原因はお母さん、つまり奥さんの死にあるわけですが、このお母さんも有名な画家で、ふつうの主婦ではないですよね。どんな女性だったんだろうと興味がわきました。それから、メイがとてもいい子ですね。カリプソに寄り添うメイの姿にとても共感がもてました。見守るメイのお母さんにも。p222にあるように、星を「濃紺の空にピンで刺したような穴が五つほど点々と光っていた」と表現するように、うまいなあ、と思えるところが何箇所もありました。救いがあるけれどご都合主義が鼻につくことはなく、後味も悪くなくて好感が持てる本でした。

カピバラ:p182の4行目の改行位置は、間違いではないでしょうか。カットの上ではないのに短く改行されています。

エーデルワイス(メール参加):親が心の病気で、その子どもが親を世話をする「ヤングケアラー」がいるんですね。そそれで「大人を世話する子どもの会」をつくっている。イギリスは進んでいるのか深刻なのか。日本も同じです。子どもは衣類を洗濯もしてもらえず食事も作ってもらえない。子ども時代を安心して過ごすことができない子が増えていることに怒りを覚えます。カリプソのように父親に対し憤りを覚えながら自分がなんとかしなければならないと頑張ってしまうことが本当に切ない。レモンに「欠陥品」「困難」という意味があることは初めて知りました。すっぱいからかな? カリプソは親友のメイとその家族の温かさに触れ、幸せになる・・・。良き人間同士の触れ合いが大事とのメッセージでしょうか。

(2018年4月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2018年03月 テーマ:学ぶということ

 

日付 2018年3月15日
参加者 アザミ、アンヌ、オオバコ、コアラ、さららん、西山、ネズミ、ハル、レジーナ、ルパン、
(エーデルワイス、しじみ71個分)
テーマ 学ぶということ

読んだ本:

リンダ・マラリー・ハント『木の中の魚』
『木の中の魚 』
リンダ・マラリー・ハント/作 中井はるの/訳   講談社   2017.11
FISH IN A TREE by Lynda Mullaly Hunt, 2015
<版元語録>アリーは6年生の女の子。読み書きができないことを隠すために、わざと変な行動をとってしまう。自分に自信がなく、学校では頭も行いも悪い子だと思われている。友達もなく、いつもいじめられがちだった。ところが産休をとる先生の代わりにやってきたダニエルズ先生は、アリーの特別な才能にすぐに気がつき、特別な勉強法を試そうとアリーに提案する。またアリーは同じクラスのマイノリティだった天真爛漫な黒人の少女と変わり者の天才少年とある事件を通じて仲良くなり、型破りな3人組はいじめにも立ち向かう。シュナイダー・ファミリー・ブック・アワード受賞!


さとうまきこ『魔法学校へようこそ』
『魔法学校へようこそ 』
さとうまきこ/作 高橋由為子/挿絵   偕成社   2017.12

<版元語録>ゆううつな気持ちだった小学4年生の圭太の目の前にあらわれた、動く矢印。追いかけた先にあったのは、なんと魔法学校! 圭太は、ほかに生徒として選ばれたリッチと紅子とともに魔法を学ぶことになったが……。魔法使いのおばあさんが教えてくれるのは、「9秒間、時を止める魔法」「物体を9センチ、持ち上げる魔法」……こんな魔法が一体何の役に立つのだろう。そして、圭太たち3人が、魔法学校の生徒に選ばれた理由とは? ちょっと不思議な魔法が使えるようになった4年生の男の子の視点で描く、ハートフルファンタジー。


今村夏子『こちらあみ子』
『『こちらあみ子』より「こちらあみ子」 』
今村夏子/著   筑摩書房   2011.01

<版元語録>風変わりな少女、あみ子の目に映る世界を鮮やかに描き、小川洋子、三浦しをん、荒川洋治の絶賛を受けた第26回太宰治賞受賞作。

(さらに…)

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今村夏子『こちらあみ子』

『こちらあみ子』より「こちらあみ子」

さららん:一人称の物語なので、すみれの花を一生懸命掘って小学校の女の子にあげようとしている冒頭の場面、これだけの描写ができることができる主人公は、十分に考えることができる人物だと感じました。しかし読み進むうちに、あみ子のイメージが変わっていきます。周囲からは、どこか障害のある子どもといった見方をされていることがだんだんにわかってきました。あみ子には、義理の母さんの悲しみも、父さんや兄さんの気持ちも理解できない。長い間、慕っていたのり君に、ついに思いきり殴られたあみ子は、けがをして歯も抜けてしまう。しかしその歯をあえて直さず、歯茎に触るたびにのり君のことを思い出すあみ子の感覚に、唸らされました。だれかが初めて本気で、人間としてのあみ子に丸ごとぶつかってくれたことは、あみ子にとっては喜びなのです。たとえ完全な否定であれ、憎しみであれ、その瞬間生まれて初めて、「こちらあみ子……」と発信しつづけていたあみ子は、だれかと本当の意味でコミュニケーションできたのだと思います。淡々とあみ子に話しかける別のクラスメイトの少年がいることが、この話の救いになっています。児童文学ではなく、大人が読む本だけれど、人間の生きる矛盾、切なさ、その奥にある輝きを感じました。

レジーナ:発達障害か、何かそうしたものを抱えている子を主人公にして、その目に映る世界を描いているのはおもしろいと思いましたが……。子どもに向けて書いているわけではないですし、これは大人の本ですよね? 坊主頭の少年はあみ子のことを気にかけているようですが、全体としては救いがなく、目の前の子どもに手渡したいとは思いませんでした。

ネズミ:すべてを言葉で表していく『木の中の魚』(リンダ・マラリー・ハント作 講談社)と比べると、情景を切り取って、人物の心情をそれとなく浮き彫りにする、とても日本的でこまやかな作品だと思いました。何を考えているか状況もわからず、登場人物たちの動きを追っていくうちに、だんだんと全体像が見えてくるというのは、文学としてはおもしろいけれども、子どもに手渡したいとは思わないな。どうしようもないコミュニケーション不全が根底にあって、父親は存在感が薄く、継母も精神を病んでしまうわけだし……。高校生ぐらいだったら、他者と理解し合うことを考えるきっかけになるかもしれないけれど、それでも非常に読者を選ぶ作品なのでは?

ハル:今回の選書係として、この読書会の趣旨に添わず「子どもの本」ではない本を選んでしまいました。申し訳ありませんでした。あみ子は変わっているし、勉強もできないし、何も学習していないようにみえるけれど、じゃあ、みんなとどこがちがうだろうと言われると、案外、みんな似たようなところがあるんじゃないかと思うのではないでしょうか。本当ならあみ子に応答してくれそうな坊主頭のクラスメイトのことは名前すら覚えず、助けも求めない。あみ子はあみ子のまま、ありのままであるからこそ、人の心をざわつかせ、隠していた嫌な気持ちを引き出してしまう。 暴力はいけないけれど、殴りたくなるのり君の気持ちもわかります。それでも、読後振り返ってみると、あみ子はあみ子なりに確実に成長しているんだなとわかります。「子どもの本」ではないですね。

アザミ:子どもの本と大人の本の違いを考えてみるには、いい本だと思います。あみ子は、15歳になっても周りの状況がまったく把握できないので、今なら発達障碍とかコミュニケーション障碍などと言われるのだと思います。この本は、そのあみ子からは、周りがどう見えるのかを書いているのがおもしろい。ただ、子どもがもし読んでも、あみ子になかなか共感できないと思います。共感するのは、大人ですよね。継母は、あみ子が「弟の墓」を見せた時点で神経を病んでしまうけど、一緒に住んでいるのだから、あみ子が普通とは違う感覚を持っているとわかっているはずなので、リアルに考えると解せない気がします。それに、父親は仕事で子どもをまったく顧みず、兄は暴走族で、あみ子はドロップアウト。こういう状況が他者の介在もなくずっと続くのは実際にはあまりないと思うので、ある意味寓話的な設定と考えてもいいのかもしれません。

コアラ:大人向けの小説だと思いました。主人公は子どもで、母親が自宅で開いている書道教室をのぞいたり、チョコレートクッキーの表面のチョコだけなめとったりと、子どもがやりそうなことはよくわかっている作者だなと思います。ただ、あみ子がなめとったあとのクッキーをのり君が知らずに食べた場面は、ぞっとしました。全体としてどう読んでいいかよくわからなかったというのが正直なところです。

ルパン:なんか、衝撃的でした。せつなすぎるし……どう表現すればいいのか、読了してしばらく絶句でした。成長があって、救いがあって、希望があって、という児童文学に浸りすぎていたのか?と思ったほどに。ただただ、あみ子の姿が哀れで、読後感は「つらい」という感じでした。最終的にあみ子は家族と離れておばあちゃんのところへ行くことになりますが、おばあちゃんはあみ子の良き理解者なのでしょうか。そうだとしても、あみ子よりずっと先に死ぬだろうし、今の唯一の友だちらしき「さきちゃん」も、いずれ大きくなればあみ子を相手にしなくなるであろうことも想像がつきます。救いといえば、あみ子に親切だった「坊主頭の男の子」の存在があったけれど、あみ子のほうでは彼に興味がなく、もう忘れてしまっているし……。それでもあみ子は傷つかないのに、まわりにいる人々は父も、継母も、兄も、のり君も、みなあみ子のせいで傷ついてしまう……そのことが悲しすぎて、やはり子どもたちに読ませたいとは思わないです。いろいろなハンデを背負った人がいることは、いつかは知ってもらいたいけれど、いきなりこれを渡すことはできない。やはり児童文学とはいえないのでは、と思います。

オオバコ:私は、児童文学とはまったく思わないで読みました。児童文学は最後に希望があったり、もう少し生きていこうと そういうのを伝えたいというのがあるから、これは違いますよね。学習障害のある子どもの物語としても読まなかったな。もっと普遍的な、人と人とのコミュニケーションの物語として、身につまされるような思いで最後まで読みました。善意で、ピュアな気持ちを伝えたつもりが、不幸な結果になる。たいていの人は、少しずつ学んで世俗的な知恵を身につけていくのに、あみ子はまったくそうならない。読んでいくうちに、なにか天晴れというか、聖女のような存在に思われてきました。トランシーバーが、じつに効果的に使われていて切ないですね。暴走族になってしまったお兄ちゃんが、窓の外の鳥の巣をぶんなげるところも目に見えるようだし、あみ子にまともに話をしてくる隣りの席の男の子や坊主頭の子(このふたりは同一人物?)、いい子だなあと胸が熱くなりました。竹馬で近づいてくる子ども、なんの暗喩なんでしょうね? 最後の一節、ぞくっとしました。

アザミ:児童文学は最後に希望があったり、それでも生きていこうと思わせるというのは、ひと昔前の言い方のように思います。YAだと今は希望がない終わり方作品がけっこうあります。私は、大人の文学と子どもの文学の違いは視点だと思っていますが、この作品はあみ子の視点のように思えて、じつはもっと複雑なのだと思います。

エーデルワイス(メール参加):優れた小説だと思いました。文章に魅せられました。書かれていないところに、なんともいえない余韻があります。あみ子が「発達障がい」らしいことがだんだん分かり、あみ子自身の思考が伝ってきます。家族が崩壊してしまうのだけれど、あみ子自身がちっとも失望していないで、前をみている。中学校の同級生の坊主頭が、「おれだけのひみつじゃ」「卒業しても忘れんなよ」と言うのが温かい。きちんとあみ子と向き合ったのは彼だけかもしれない。

しじみ71個分(メール参加):非常に残酷なストーリーで、読んで苦しくなりました。大人を描いた本であれば、大概、どんな残酷なことが書かれていても割と平気で読めるのですが、子どものことになると、誰かに助けてほしい気持ちでいっぱいになってしまい、これも読んでいて非常に辛くなる物語でした。あみ子本人は辛くもなく、不幸でもなく、いつでも純粋な愛情や欲求のままに行動しているだけで、何で周りがうまくいかなくなるのかが分からないけれど、周りはあみ子のために傷つきどんどん壊れていくさまを、ぎりぎりと追い込んで書けるのは大変な作家の力量だと思いました。また、お兄さんと保健の先生、名前すら覚えてもらえない隣の席の男子などの造形は物語の中で救いになって、読んで少し息がつけるところでした。隣の男子があみ子の問いに真摯に向き合う一瞬も非常に深い余韻を残しました。また、ライオンのような金髪のお兄さんが鳥の巣を放り投げ、巣が壊れていく場面は非常に映像的で美しく、見事にそれまでのあみ子と家族の物語が昇華され、クライマックスとなった感があり、読み応えがありました。しかし、他の2篇も読みましたが、やっぱり今村夏子は怖いです…読んでいて苦しくてたまりませんでした…。

 

(2018年3月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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さとうまきこ『魔法学校へようこそ』

魔法学校へようこそ

ネズミ:うーん、子どもたちに読ませたくないことはないけれど、積極的に読ませたいとも思わなかったというのが正直なところです。ため息をついていた3人の子どもが魔法使いのおばあさんに出会って、その後どうなるのかと読み進めました。おばあさんが時を9秒止める、9センチ物を持ちあげる魔法を教えるというのは、少しのことで人生は変わるということの象徴なのでしょうか。おばあさんが最後に3人に言葉ですべて説明してしまうのが残念でした。物語のなかで気づかせてくれるといいのになあと。

西山:ネズミさんはこの言葉を避けておっしゃってた気がしますが、言っちゃいますね。あまりおもしろくなかった。魔法を使って、もっと楽しめばいいのに。にょろにょろした矢印はおもしろいのに、と。いぬいとみこが『子どもと文学』(福音館書店)で、小川未明の幼年童話「なんでもはいります」に対して、「ポケットにはなんでもはいります、という『発見』をしたところから、何か事件がはじまるべきなのです」(p31)と批判していたのを思い出しました。『子どもと文学』の主張を全面的に支持するわけではありませんが、これは中学年向きに作られていると思うので、そのぐらいの子どもにとっては9秒時間を止められる、9センチ物を浮かすことができる魔法で、どきどきわくわくすることこそ大事なのだと思います。作家の主張がストレートに書かれてもいいけれど、それと同じだけ、というか、それ以上に、読者の心を自由に遊ばせることはおざなりになってはいけないと思います。

ハル:書き手の「伝えたい!!」という熱意が前面に出ている感じがしました。物語の始まりはわくわくするし、魔法が妙に限定的なところもおもしろいと思いましたが、メッセージがわかりやすすぎるので、読者も「あ、これはおもしろい本と思わせて、お説教しようとしているな?」と気づくと思うんです。「だまされないぞ!」という気持ちにならないでしょうか。読書感想文は書きやすいかもしれませんけど。

アザミ:私もあまりおもしろく読めませんでした。昔の時代劇みたいに、リアリティから遠い感じがしてしまって。現実には、三人の異質でこれまでほとんど話もしたことのない主人公が、おばあさんにちょっとくらい魔法を習ったからって、すんなり仲良くなったりしないでしょ。作者には、もう少し真剣に子どもと向き合ってほしいと思いました。紅子の口調が「〜だわ」というのも、現代の子どもにしては不自然です。

コアラ:さらっと読んで楽しむ本だと思いました。舞台となっている千歳船橋は、よく行く場所なので、駅前を思い出しながら読んだりして個人的にはおもしろかったです。

アンヌ:主人公にまったく個性がなくて、普通の子という設定なんでしょうが、なんだか人間像が浮かび上がってきません。物語自体はかわいくておもしろいけれど、お説教くさい。魔法も9という数字がおもしろいのに、最後にどうなるかというところで、全然違っていて拍子抜けする感じです。魅力的な要素があるのになぜか退屈な感じにおさまっています。それでも、もし動く矢印がいたらどうするかと問われたら、追いかけますと答えます。嫌いな世界ではないけれど、物足りない感じですね。

ルパン:とりあえず最後までさらっと読みました。いちばん気になったのは、子どもたちを名前でなく特徴で呼ぶことです。「背の高い少年」とか。ほかにもたくさんいるうちのひとりのような、十把ひとからげの呼び方ではなく、ちゃんと名前で呼んでもらいたいです。良かったのは、クラスで相手にされていない紅子と男の子たちがだんだん仲良くなるところ。はじめのうち、「学校では口をききたくない」と言っていた子たちが、堂々と仲良くするようになるまでのプロセスは好感がもてました。ただ、ストーリーがありきたりすぎて、結局あまりおもしろくない。時間が止まる魔法も、ほかの人の動きが止まってその間に何かするとか……発想が古いなあ、と思います。

オオバコ:図書館にある本をかたっぱしから読むような、とにかく読むのが好きな子が、するするっと読むような本だと思いました。作者は、みみっちい魔法を書きたかったのかしら? それだったら、みみっちさに徹すれば良かったのに、終わりのほうでなんだか壮大な話になってしまった。魔法使いのおばあさんの長い演説ですが、こういうのは演説で書かないで物語で書かなきゃね。まあ私も、小さいころは、けっこうこういう演説が好きだったけど……。

アザミ:私は大人が何らかの意図をもって猫なで声で迫って来るような作品は大嫌いでした。

さららん:私もするするっと読みきりました。最後に魔法使いのおばあさんの家が空にむかって発射されるところは、ひと昔前に書かれた児童文学、例えば1953年に書かれた『アーベルチェの冒険』(アニー・M・G・シュミット作 岩波少年文庫)や、1963年の『ガラスのエレベーター 宇宙にとびだす』(ロアルド・ダール 評論社)を思い出しました。おばあさんが3人の子どもたちの名前を覚えないのは、どうしてでしょう。紅子のことを「顔をかくした少女」と呼ぶのには意味がありそうだけれど。ちょっとした悩みのある、どこにでもいる子、ということを強く打ち出し、そんな3人を主人公にすることで、読者に身近な物語にしたかったのかもしれません。

アザミ:どうしてこの子たちは、おばあさんに呼び出されたんでしょうか?

オオバコ:わたしも、この3人がどうして選ばれたのかなと思いました。特に「ぼく」なんて、なんの悩みもないような子なのに。

アザミ:特に問題がない子どもたちを呼んだのだとすると、このおばあさんは問題がある子がたくさんいて忙しいわけだから、物語世界が破綻するのでは?

レジーナ:同じ作者の『9月0日大冒険』(偕成社)はおもしろく読みましたが、この本は、登場人物もステレオタイプですし、絵もクラシカルで、ひと昔前の本を読んでいるような……。

エーデルワイス(メール参加):ユーモラスな絵が、シリアスな内容の物語を助けていると思いました。ちょっとお説教臭いかな?

 

(2018年3月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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リンダ・マラリー・ハント『木の中の魚』

木の中の魚

アンヌ:アリーが自分は字が読めないということを言い出せるまでに、すごく時間がかかっているのが印象的でした。お兄さんも同じ難読症だとすると、2人そろって学校でそのことを指摘されないのは奇妙なので、そのことが不自然ではないように、7回も転校するという設定にしたのだろうと思いました。最初に校長室で読めなかったポスターの内容が「人に助けを求める勇気」で、最後にはアリーが自分でその字を何とか読もうとして、さらに絵が示すようにお兄さんに手を差し伸べるまでになる。1つの物語の中で、問題をすべて回収して見せているのは見事だと思いました。最初のうちジェシカがシェイにあまりに従うので、シェイは男の子なんだと思っていました。翻訳の作品では名前だけでは性別が分かりません。子どもたちの会話が『ちびまる子ちゃん』(さくらももこ作 集英社)風なおばあさんっぽい言い方に聞こえたり、アルバートのけんかの場面のせりふが逐語訳的で、はきはきしていなかったりするのが気になりました。p241の「たより」のしゃれのように、苦労して翻訳したのだろうけれど、通じるかなと疑問に思うところもあります。『レイン〜雨を抱きしめて』(アン・M・マーティン作 小峰書店)や『モッキンバード』(キャスリン・アースキン作 明石書店)を思い浮かべたのですが、あの2冊の本を読んだときには、過酷な状況を描きながらも未来に進む子どもへの信頼が感じられて、海外の作品の構造はすごいなと思ったのですが、ちょっと、この作品には物足りなさがありました。もう少し、どのように難読症を克服していったかの描写がほしかったと思います。難読症へのサポートを知る人は少なく、例えば高校受験の際のiPadの持ち込みは、まだ2県でしか認められていないそうです。難読症が、もっといろいろな人に知られる手掛かりが、註とか「あとがき」にあればいいのにと思いました。

オオバコ:おもしろく読みました。主人公のアリーが、難読症に悩みながらも矜持を保ちつつ生きているところが、とても良いと思いました。でも、アリーのお母さんは、どうして子どもが難読症だって大きくなるまで気づかなかったのかしら? お母さん自身にも、なにか問題があったのかな。7回転校したという話だけど、教師もここに至るまでなんで気づかなかったんでしょうね。内容については以上のほかにはあまりないのですが、本作りに関しては「どうしてだろう?」と思うところが多々ありました。タイトルがおもしろいので原題はなんていうのかと思って調べたんだけれど、クレジットというのかしら、原題、著者名、原出版社などが、どこにも書いてない。また、作者自身が難読症だったのか、あるいはそういう子どもに接した経験があるのか知りたかったけれど、「あとがき」もない。ふつう、こういう本って、専門家に訳文をチェックしてもらったり、難読症がどういうものかという説明があったりするのだけれど、なぜなんでしょう? 日本語の場合と、英語の場合の難読症のあらわれ方の違いなど知りたいと思いました。良いテーマの本なので、特別の事情があって超特急で作ったのなら、もったいない話ですよね。タイトルの『木の中の魚』のもとになった言葉も、アインシュタインが言ったと広く信じられている言葉で(本当はそうではないという話ですが)、アメリカの読者は、タイトルを見たときになんの話かすぐに分かるのかもしれないけれど、日本の読者にはちょっとピンとこないのでは? あと、良い悪いの問題ではなく、単純におもしろいと思ったのは、アリーの父親が軍隊の戦車隊の隊長と知った男の子が「マジ? すごいや!」と言うところ。アメリカの作品だなあ!と、つくづく思いました。日本やイギリスの作家だったら、こんな風にさらっと、呑気な書き方はできないんじゃないかな。

レジーナ:日本語は1文字1音なので、読みの困難があっても、なんとか読めてしまう場合があるのに対し、英語は音韻の変化が複雑です。だから、英語圏ではディスレクシアが表面化しやすく、周囲の大人が気づくという話を聞いたことがあります。アリーは2年生のとき、先生の前で、自分の名前が読めなかったようですが、それでもディスレクシアだと気づかれなかったのでしょうか。今は学校現場でも、理解が進んでいるのではないかと。ディスレクシアだけでなく、多動の傾向の少年など、いろんな子どもが出てくるのは良かったです。でも、p89の「ばっちい」や、p128の「おっかない」など、読んでいてひっかかる箇所がありました。今の子どもは、こういう言い方はしないですよ。全体の文体は今風なのに、そこだけ浮いているような……。すぐに意味がとれない箇所も、ところどころにありました。たとえば、p102の「『バカ』と『赤ちゃん』って言葉なんかを考えて、やっぱりアルバートはまちがってるよ」ですが、これは、字が読めない自分は赤ちゃんかバカみたいなものだと、アリーが思っているということでしょうか? p146の詩は、そんなにいい詩ではないので、それで賞をもらうのには違和感があります。p110の「一週間に一度までしか」は、「一度しか」では?

ネズミ:日本の作品にはあまりない良さだと思ったのは、主人公のディスレクシアの少女だけでなく、クラス内にいろいろな子どもが出てくるところです。アルバートとキーシャのことも含めて、先が知りたくなる展開でした。ただし、「難読症」を扱っているので、テーマ的にとりあげられやすい本だと思いますが、この本の登場人物と年齢が重なる5、6年生が読むのは厳しいのではないかと思いました。会話が多用されていますが、表現の仕方が日本人とかなり違います。違っているからおもしろい部分もあるのですが、もともとの文章の問題か訳文の問題か、どういう意味かすぐにわからず、前後を読み返すことが何度もありました。たとえば、p115の5行目からの「あのね……五年生で」で始まるせりふ。チーズクラッカーをだれが持ってきたのか、なかなかわかりませんでした。描かれている内容からすると、中学生よりも5、6年生に近い感じがしますが。難読症に関しては、本の上にスリット状の補助器具をのせて、1行か2行だけ見えるようにすると読みやすくなるという話を聞いたことがあります。難読症の子どもがそれとなく使えるように、「集中して読みたい人へ」のような表示をして常備している学校図書館もあるそうです。そういった日本の難読症の事情をあとがきなどで説明するとよかったと思います。章ごとの改ページも、目次もあとがきもないというのは、ページ数を抑えようとしたのでしょうか。

西山:たいへんおもしろく、学生と一緒に読んでもいいかなと思っていたんですけど、今のご指摘を聞いていると、ちょっと立ち止まってしまうかなぁ。でも、難読症の人がどんな困難をかかえているかは示してくれる気がして、そこは意味があるかなと思います。それと、アリーが浮いてないでみんなと一緒のようにしたいと思うのは、若い人には近しい感覚で、共感できるところが結構ある気がします。『ツー・ステップス!』(梨屋アリエ作 岩崎書店)のサヨちゃんを思い出しました。空気が読めないと疎まれる子が、何も感じていないのではなくて、本人も苦しんでるんだということ。それを、この作品も伝えてくれるかな。箱の中のものをあててごらんとか、ちょっとワークショップでやってみたくなるような材料もたくさんありますし。難もあるけど、やっぱり捨てがたいかなぁ……。学生に勧める場合は、最初は、次々人名が出てきて、しかもそれぞれに病名がつきそうな子どもたちでわかりにくいけれど、とりあえず、何ページかがまんして読みすすめるよう声かけしたいなと思います。解説がほしかったというのは、確かにそう思います。詩のところはやっぱりまずいかな。すばらしい詩だとはまったく思えなかったので、同情で賞をあげたのかと読む子ども読者も出てくると思います。個性的でいい詩じゃないと成立しませんよね。学生も、とまどうかなぁ……。難しいですね。

ハル:難読症という、特に日本ではあまり知られないハンディについての理解を深めるだけでなく、他人は自分のものさしでははかれない、さまざまな困難や大事なものを抱えているものだ、という発見を読者に与える、そして助けを求める勇気についても気づかせてくれる、良いお話だと思います。ただ、難読症だから天才で才能豊か、ということではないですよね。そこを誤解してしまうと、難読症でなくても勉強が苦手だったり、ほかの不得手なものを抱えている読者からしたら、救いが半減してしまうのではないかと気になりました。あんまり先生が「アリーはすごい、アリーはすごい」と言いすぎるのもちょっと心配。天才じゃなくてもいいじゃないですか。みんながみんなと同じように可能性をもっているということだと思うんです。アリーが、自分だけじゃなくてみんなも何かしら重石を抱えていることに気づく場面がありましたが、そこが大事だと思います。シェイの今後も心配です。そして、全体的になんだか読みにくいのは、子供たちの独特な言い回しやユーモアを含んだ会話が続くからかなと思っていましたが、皆さんの意見を聞いていると、もう少し、翻訳で努力できるところもあったのかなと思えてきました。

アザミ:なんだか余裕のない本づくりだな、と私も思いました。この訳者は、「グレッグのダメ日記」シリーズも訳している方ですよね。口調が同じようなので、作家は違うのにイメージがダブってしまいました。難読症を主人公にした本は、アメリカやイギリスではたくさん出ていますね。しかも、難読症の子どもも読めるように書体や配列が工夫してあります。私は、障碍を持った子どもや特別な状況におかれた子どもの本に「かわいそう」という言葉が出て来るのは好きじゃないのですが、この本にはいっぱい出てきますね。アルバートが不良をやっつける場面は、ご都合主義的な感じがしましたし、女性を守らなきゃという発想に、マッチョ的な思想がにじみ出ているようにも思いました。詩で賞をもらう場面は、意外な展開になるのでおもしろいところですが、肝心の詩をもっと日本の子どもでもなるほどと思うように訳してほしかったです。翻訳については、p48の「水だって? マジ? それだけ?」というシェイのセリフは、意地悪というより驚いているようにしか感じられないし、p79の「靴の上をはじいた」は?でしたし、p194でアリーがアルバートの面前でアルバートについて「食べ物がないんでしょ。冷蔵庫にも。おなかがすいても食べられないなんて、かわいそうだよ。それに、アルバートは恥ずかしいでしょ。たぶん。きっとそうだと思うんだ。でしょ」と言っているのは、自分も差別されてつらい思いをしているアリーのセリフにしてはあまりにも無神経で、ひっかかりました。作り方、訳し方しだいでは、もっとみんなに読まれる本になったのではないかと、ちょっと残念です。

コアラ:最後の方は感動的でした。ダニエルズ先生は理解のあるいい先生だし、キーシャもアルバートもいい友達として描かれています。ただ、この本のあちこちにちりばめられているたとえや表現が、ユーモラスにも思えますが、私にはあまりピンとこないというか、おもしろく感じられなくて、読み始めてしばらく慣れるまでに時間がかかりました。あとは、タイトルが少し地味かな、と思いました。

さららん:アルバートにもキーシャにも主人公のアリーにも、いいところはいっぱいある。テーマや展開も悪くない。ただ表現面で少しひっかかりを覚えました。まずは献辞。「ヒーロー」という表現は確かに海外の本でよく使われますが、「あなた方はヒーローです」で日本の読者に受けいれられるのか? またトラヴィス兄ちゃんの「おれのお気に入りの妹は元気か?」という言葉も、日本語として固い。翻訳のとき、どうしても日本語にならない言葉は、「トゲ」として固い表現のまま残すこともあると聞いていますが、「お気に入り」を生かす意味があるのかどうか、わかりませんでした。

オオバコ:「ヒーロー」は単に「中心人物」っていう意味でも使いますよね。

さららん:例えば「ヒーロー」を使わず、「あなたがたの勇気をたたえます」など別の表現があったかも。全体にバタ臭さの残る本だと思いました。

ルパン:ディスレクシアの友人がいるので、だいたいどういうものか知っているつもりでいましたが、これを読んで、「ああ、本人はそういうふうに見えているのか」と認識を新たにしました。この本にあるアリーの描写が医学的にも正しいのであれば、多くの子どもたちや学校の先生に読んでもらいたいと思います。実際、この作者かあるいは家族がディスレクシアなのか、それとも調べて書いたのか、知りたい気がします。先生が理想的すぎる気がしましたが、逆にひとつの理想像というものがあって、これを読んだ教師がそれをめざす、というのであれば良いと思います。

エーデルワイス(メール参加):ダニエル先生の授業が魅力的です。「ひとり」と「ひとりぼっち」の違いについて質問したり。「難読症(ディスレクシア)」の文字の学び方が視覚的に進むところも興味深いですね。「IM  POSSIBLE」 不と可能も、何度も発音してしてみました。スペルは同じですが、Ally=アリー Ally=仲間も素敵です。いじめは世界中にあるのだと思うと乗り越えるのは並大抵ではないですが、アリーはきっと素晴らしい芸術家になるだろうし、アルバートは科学者に、キーシャは料理家になるだろうし、アリーのお兄ちゃんもディスレクシアを克服するだろうと思わせて、読後感がよかったです。余談ですが、友人の息子さん(27歳)がADHD(注意欠陥、多動性障がい)で、最近2回にわたって、自分のことをみんなの前で話されました。同じ症状をもつ小学生や中学生もきて熱心に話を聴いていました。一人の勇気がみんなに伝わった瞬間を目の当たりにしました。

(2018年3月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2018年02月 テーマ:困難からの脱出

日付 2018年2月23日
参加者 アンヌ、オオバコ、コアラ、さららん、しじみ71個分、西山、
ピラカンサ、マリンゴ、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス)
テーマ 困難からの脱出

読んだ本:

栗沢まり『15歳、ぬけがら』
『15歳、ぬけがら 』
栗沢まり/作   講談社   2017.06

<版元語録>母子家庭で育つ中学三年生の麻美は、「いちばんボロい」といわれる市営住宅に住んでいる。家はゴミ屋敷。この春から心療内科に通う母は、一日中、なにもしないでただ寝ているだけ。食事は給食が頼りなのに、そんな現状を先生は知りもしない。夏休みに入って、夜の仲間が、万引き、出会い系と非行に手を染めていくなか、麻美は同じ住宅に住む同級生がきっかけで、学習支援塾『まなび~』に出会う。『まなび~』が与えてくれたのは、おいしいごはんと、頼りになる大人だった。泥沼のような貧困を生きぬく少女を描いた講談社児童文学新人賞佳作!


中川なをみ『ひかり舞う』
『ひかり舞う 』
中川なをみ/作 スカイエマ/絵   ポプラ社   2017.12

<版元語録>「男の針子やなんて、はじめてやわ。あんた、子どもみたいやけど、いくつなん?」仕事のたびに、平史郎は歳をきかれた。明智光秀の家臣だった父は討ち死に、幼い妹は亡くなり、戦場で首洗いをする母とも別れて、七歳にして独り立ちの道をえらんだ平史郎。雑賀の鉄砲衆タツ、絵描きの周二、そして朝鮮からつれてこられた少女おたあ。「縫い物師」平史郎をとりまく色あざやかな人物たち―。激動の時代を生きぬいた人々の人生模様を描く!!


ジェイムズ・ハウ『ただ、見つめていた』
『ただ、見つめていた 』
ジェイムズ・ハウ/作 野沢佳織/訳   徳間書店   2017.07
THE WATCHER by James Howe, 1997
<版元語録>あるリゾート地の浜辺で、階段にすわっている少女がいた。少女が見つめているのは、仲のよい家族連れで、幼い妹の相手をしている14,5歳の兄。もう一人は、金髪のライフガードの青年。ふたりは。少女の視線に気づいてはいたが、それぞれの悩みに気をとられ、少女にかかわろうとはしない。けれどもある日、少女の家庭の事情を知ることになり…? 離婚、死んだ兄の影、虐待という問題に苦しむ若者たちの心理を繊細かつミステリアスに描くYA文学。

(さらに…)

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ジェイムズ・ハウ『ただ、見つめていた』

ただ、見つめていた

しじみ71個分:とても沈鬱なストーリーだという印象です。でも、作者がからみ合わない視線をテーマにして書いたのはとてもおもしろいと思いました。全くからみ合わないで互いに見ているだけの存在の3人の視線で描かれていて、からみ合わないがゆえに互いにさまざまな妄想を抱いたりするわけだけれども、それが父親から虐待されている女の子の精神が追い詰められ、幸せそうに見えた男の子の家に思わず入って物を取ってしまい、その取られた物が見つかるところから急激にぐぐっと、からまなかった視線の三角形が急に縮まっていき、その3つの視線がぶつかり、集まった点になった地点が、女の子が父親に殺されそうになるぎりぎり寸前のところで助けに入るという構造になっていて、それはとてもスリリングでおもしろいと思いました。でも、家族から虐待されている女の子が、現実逃避で空想の物語をつくるところで、テンポがクッと変わってしまうので、そこはちょっと読んでいてつまずくところがありました。ミステリーっぽいしかけはどうなるのか、興味をひかれました。いろいろなところで、伏線が効いています。また、最後のクライマックスで、父親に殺されかけているところで、幽体離脱みたいに苦しい思いをしている自分を客観視するというシーンは、リアリティがあると思いました。虐待を受けている自分を客観視することで、今苦しめられているのは自分じゃないと思おうとして、切り抜けようとするところは非常に切実ですね。主な登場人物は、女の子を除いて、それぞれアイデンティティの獲得とか、家族の問題とか、あれこれ困難を抱えていて、そのどこがどのようにその後からんでくるのか、わかりませんでしたが、そこが最後につながったのがとてもおもしろいと思いました。

アンヌ:この本はどうとらえていいかわかりませんでした。それぞれが語っていくところが、まるで映画の予告編を見せられ続けている感じで、最後にマーガレットの父親が出てきて、ああ、そういうわけだったのという感じでした。

ルパン:ところどころに別の物語がはさまっているのが、読みにくかったです。最後まで行ってからもう一度読み返してみれば、マーガレットの空想物語のところだけ活字がちがう、ということがわかるのですが、初めのほうにクリスの想像物語もぽん、と入れられているので、何がなんだかわからなくなります。しかも、活字がちがう挿入物語部分も、それがマーガレットの空想だということは伏せられているのですから、ますます混乱を招きます。最後のほうまでわけがわからないまま読み続け、これは最初から読み直さないとだめだ、と思ったあたりで、突然衝撃のシーンと種明かしがあって、ようやくなるほど、と合点がいったのですが・・・果たして子どもはこれを最後まで読めるのかな、と、はなはだ疑問に思います。ラストでどんでんがえし、みたいなものを狙ったのでしょうが、狙いすぎて流れがぎくしゃくしています。子どもでなくても、中高生でも理解しにくいストーリーだと思います。苦境にいる若者の内面世界を描きたかったのかもしれませんが、私の文庫で薦めたいとは思いませんでした。

オオバコ:マーガレットが盗みに入るところから、やっと物語が動いてきますね。そこからは、とてもおもしろくて一気に読みましたが、それまでがおもしろくない。特に、章の初めにあるおとぎばなし風の物語がわけがわからなくて、つまらなくて、途中で飛ばして読みました。読み終わったあとで読めば、なんのことかわかるけれど・・・。大人の私でもそうだから、子どもの読者は肝心の事件までたどりつけるかどうか。心より頭で書いた物語という気がしました。

コアラ:最後が思いがけない展開でした。ミステリアスで不思議な雰囲気だと思いながら読み進めましたが、マーガレットが他人の家に忍び込んだところで、気持ち悪くなって・・・。見つめていた段階から一線を越えてしまったという気がしました。最後はマーガレットにとっても解決になったし、クリスにとっても人助けができたので、とらわれていたものから解放されたし、エヴァンも、妹が悪い夢を見ていてオペラが流れていた家がここだとわかって解決とも言える。ラストで一応3人それぞれの解決になったと思いました。

レジーナ:同じ作者の『なぞのうさぎバニキュラ』(久慈美貴訳 福武書店)は子ども時代の愛読書で、何度も読みました。p119で、母親は、父親との不和について語ろうとしません。アメリカだったら、エヴァンくらいの年齢の子には説明すると思うのですが。

ピラカンサ:そこは、自分たちもはっきりわかっていないからでは?

レジーナ:この両親がどういう状況にあるのか、最後まで明かされないので、しっくりこないのかも。p28で、クリスは「願ってもしょうがない」とつぶやくのですが、台詞として唐突ですし、十代の子はこういう言い方をしないのではないでしょうか。p13の「けだもの」も、虐待している親を指しているので、「けもの」ではなく「けだもの」としたのでしょうが、はじめて読む人にはそれがわかりません。選ぶ言葉がうまくはまっていないように感じました。

西山:またこの形か、と私は思いました。視点人物を変えながら、謎を明かしていく。日本の創作だけじゃないんですね。この形の利点もおもしろさもあることはわかりますが、視点人物の年齢も違うとき、どの年齢の読者に寄り添って読んでほしいのかわからない。7,8歳のコーリーの不安、そこから生まれる虚言。14歳のエヴァン。18歳のクリス。それぞれにおもしろいところはあります。例えば、p52の真ん中あたりで、シェーンのひざを見て、「何度もサーフボードから落ちたりしたんだろうな・・・そう思うと、自分のことがひどく恥ずかしくなった」なんていう思春期の自意識にははっとさせられます。マーガレットの物語の隠喩がわかると、呪いをかけられた人形というのが母親なのもおもしろいと思いました。でも、全体としては満足の読書にはなりませんでしたね。

マリンゴ:抒情的ですけれど、わかりづらさに途中までイラッとする内容でした。3冊のなかでは最後に読んだのですが、正直苦手ですね。前に一度読みかけていて、途中で挫折してやめたこと、中盤になってようやく気づきました。ただ、伝わってきたテーマ自体はいいなぁ、と。「ただ見つめているだけ」でも、人間関係は知らないうちに生まれている。見つめられている側が気づいていたり、第三者が見守っていたり。自分はひとりぼっちだと思っていてもひとりきりじゃない。しかも、そこから一歩踏み出せば、さらに周りの人間とつながれる。そんなメッセージが伝わってきたように思いました。ただ、だからといって感動はできなかったんですけど(笑)

ピラカンサ:私がいいなと思ったのは、人間は見た目と内実が違うというところをさまざまな人間を通して描いているところです。幸せそうに見える家族とか、なんの不足もないように見える若者だって、いろいろな葛藤を抱えているということがわかってきます。ただ、視点が3つあり、しかもマーガレットが書いている物語と、クリスが思い描く昔話風の物語まで出てくるので、物語の構造が複雑で、子どもの読者は戸惑うのではないかと私も思います。p134あたりの描写も、なぜそんなことをしているのか最後まで読まないとわからないので、ストーカーみたいで不気味です。マーガレットが書く物語も最後まで読むとなるほどと思いますが、そこがわからないとあまりおもしろくありません。主人公の3人は、おたがいに見ているだけで親しいわけではないのに、マーガレットが虐待されているのを窓からのぞいたエヴァンがクリスを呼んできて一緒に助ける。そこは、物語のリアリティとしてどうなんでしょう? また、この父親ならマーガレットへの虐待は長く続いていたのかと思いますが、町のだれもそれには気づいていないというのも、どうなんでしょう? 物語世界のリアリティがもう少しあるといいな、と思いました。

エーデルワイス(メール参加):衝撃のラストでした。クリスとエヴァンとマーガレットの3人の様子が坦々と綴られていて、確かに3人はそれぞれ悩みがありそう。最後にこうくるか!という感じでした。本筋の間に出てくる架空の物語は、マーガレットが父親に秘密にしていたノートに書いていたものだったことも分かりました。マーガレットは無言で助けを求めていたのが、その無言ゆえにクリスとエヴァンに伝わったのでしょうか。マーガレットは救われましたが、クリスとエヴァンその後はどうなったのでしょうか。彼らの心も救われたのでしょうか。マーガレットの母親は自分夫が娘を虐待することを止めることができない。ただ音楽を鳴らし部屋に閉じこもるだけ。それがとてもやりきれない。母親も被害者と言えるのだけれど、本当にやりきれない。娘を救うことができないことが。原作は20年前に書かれているのですね。これも映画になりそうと、思いました。

(2018年2月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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中川なをみ『ひかり舞う』

ひかり舞う

ピラカンサ:場所が点々と移って、様々な人に出会っていくので、細切れに読むとよくわからなくなりますね。一気に読むと、おもしろかったです。特にいいなと思ったのは、男の子が女の仕事をしようとするというところ。逆のケースはいろいろ書かれていますが、こういうのは少ないですね。物語の中のリアリティに関しては、武士の妻である主人公のお母さんが、子連れで出ていって、洗濯だの料理だのをしてお金を稼げるのかな、とか、おたあを引き取ることにする場面で、身分の低い縫い物師が主人のいる前で、そんなことを言い出すのはありなのか、とか、疑問に思いました。p229の6行目にここだけ「彼女」という言葉が出て来ますが、浮いているように思いました。

マリンゴ:おもしろく読みました。最初は、女性の仕事をする男の子の、お仕事成長物語なのかと思っていました。でも仕事の話が中心ではなく、住む場所がどんどん変わり、物語もいろいろなところに飛ぶので、ラスト30ページになってもどうやって終わるのか想像がつきませんでした。小西行長だけでなく、この女の子・おたあも実在の人物をモデルにしていると、あとがきで知って驚きました。あと、最後のほうは、キリスト教の思想がたくさん語られていますが、小学生がこれをどう読むのか、興味深いです。私自身、小学生の頃に『赤毛のアン』を読んで、ストーリーはわかるのだけど、いたるところに出てくる聖句の意味がさっぱり理解できなくて・・・。キリスト教系の学校に入学してから、ああなるほど、と意味を知ることができたので。小学生はこの文章の意味がわかるのか、あるいはわからないなりに読了するのか、単純な興味として気になりました。なお、知り合いに歴史小説を書いている作家さんがいるのですが、作品を発表すると、郷土史研究家はじめ、たくさんのマニアから時代考証について突っ込まれ、その戦いが大変だと聞きました。その点、この作品は、私の推察ですけれど、児童書だからということで自由に書いているのかな、というふうに感じました。もちろんそれはそれでよくて、おもしろかったです。

西山:まず、男の子のお針子がおもしろいというのがありました。吉橋通夫の『風の海峡』(講談社)を思いだして読みました。同じ時代で対馬に焦点を当てて、小西行長が出てきて、雑賀衆が魅力的で・・・複数の作品で、その時代に親しみが出てきたり、立体的に見えてきたりということがあるなぁと改めて思います。(追記:「望郷」の節では、村田喜代子の『龍秘御天歌』(文藝春秋)、『百年佳約』(講談社)も思いだしました。言いそびれましたが、これ、おすすめです。朝鮮から連れてこられた陶工たちのコミュニティの悲喜こもごもが、悲壮感でなくおおらかに物語られていてものすごく新鮮だった記憶があります。)
時代考証的にはちょこちょこ気になるところがあったのですが、当時「日本国」と言っていたのでしょうか。p187に「日本国は、この戦で人も金もつかいきってしまったんだ」という言葉があるのですが、「いま」がぽんと顔を出した気がしてひっかかりました。布や食べ物は丁寧に描写されるのに、父親が死んでもけろっと話が進む。妙に潔いというか・・・。そういうところに、いちいち立ち止まらないから、平史郎7歳から37歳までを駆け抜けられるのか、賛否わかれる気がします。また、別のことですが、p331の「五万ものそがれた鼻が塩づけされ、後日、京都にある耳塚に埋葬された」とありますが、確かに「鼻塚」とは聞かないから、そうなんでしょうけれど、読者は「鼻なのに耳?」となるのではないでしょうか。あと、捕らわれた朝鮮人が連行されるところで、p185では「人々の泣きさけぶ声が大きくなってくる」とあるのに、p186では「多くは押しだまって目だけをぎらつかせていた」と書いてあると、え?となってしまう。捕らわれた同郷人に胸を痛めて身を投げるおたあ(p208)とp248の「こづかれたりどなられたりしながら働いている子どもたち」を「笑って見ている」「貴族のむすめ」の感覚が矛盾するように思います。編集担当者はひっかからなかったのかなぁ……。

レジーナ:男性の縫い物師という設定はおもしろいのですが、それが歴史の動きとからむわけではなく、私はあまり入りこめませんでした。タツとの再会や、周二との出会いはうまくいきすぎていて、ご都合主義な印象を受けました。

西山:私は結構最後の方まで、お母さんに再会するのかと思ってました。出て来ませんでしたね。

コアラ:話がサクサク進むのがよかったです。ただ、いろいろなところで粗いというのは私も思いました。歴史的に調べていない気がします。でも、縫い物で身を立てるのはおもしろいと思います。今の時代、縫い物や編み物が好きな男の子もいますが、好きなことをしていいんだよと背中を押してくれているようにも思えます。気になったのが、p57に「慈しめよ」という言葉が出てきますが、唐突かなと。わかりにくい言葉だと思います。ただ、読み進めていくと、キリシタンが異質な者として描かれていて、この言葉もキリシタンの異質さと重なるようになっているのかなと思いました。全体的にはおもしろく読みました。

ピラカンサ:この「慈しめよ」は、主人公もわからなくて、そのうちだんだんわかっていく、という設定なので、これでいいんじゃないかな。

さららん:自分自身、子どもだった頃に、道で配られていたパンフレットでキリスト教に触れ、その教えをどう理解したらよいか、すごく悩んだ時期があります。教会に通う勇気もなかったので、文学の中で出会うさまざまな登場人物を通して、理解を深めてきました。もともと「百万人の福音」誌に連載された『ひかり舞う』には、キリシタンの生き様も背景に描かれ、「神はわれわれに最善を尽くしてくれていると信じるしかない」とストレートな表現も出てきます。歴史物語という枠組みのなかで、こんな言葉が子どもに届けられてもいいんじゃないかと思います。主人公は父親を早くに亡くしていて、どんな人物だったかよく覚えていない。でも母から伝えられた「慈しめよ」という言葉、そして成長のなかでキリスト教に触れることで、もしや父も信者だったのではと次第に気づいていく。父親捜しの物語も用意されていたんだと、発見がありました。描き方は深くはないかもしれないけれど、大きな枠の中で、こういうことがあったと子どもに伝える本であり、縫い物師の少年の目を借りて、小西行長を描いた試みとしてもおもしろかったですね。

オオバコ:最後までおもしろく読みましたが、「おたあ」を主人公にして書いたら、もっとよかったのにと思いました。朝鮮との交流や、侵略、迫害の歴史を児童書で書くのは、とても意味のある、素晴らしいことだと思います。ただ、周二が出てくるところまでは、あらすじだけを書いているみたいな淡々とした書きっぷりなので、途中で読むのを止めたくなりました。かぎ括弧の中の言葉遣いも「?」と思う個所がいくつかありましたね。ひとつ疑問なのは、男の縫物師が、当時それほど侮蔑されていたのかどうか・・・。これは、ちゃんとした着物の仕立てではなく、繕い物をしていたからなのか・・・。縫い物をしていたからこそ、お城の奥まで入りこめるし、いろいろな事柄を知ることができるので、そこはおもしろい工夫だと思いましたが。みなさんがおっしゃるように、歴史的な事柄に破たんがあるとしたら、もったいないなと思いました。

ルパン:飽きずに最後まで読みましたが、男が縫い物師であるという設定が、ほとんど生きていないように思いました。平史郎が針子であったがために物語が大きく動く、ということがないんです。しかも、盛りだくさんすぎて、作者が何を描きたいのかがよくわかりませんでした。明智光秀の衣裳係だった父、あっけなく死んでしまう妹、武家の妻なのに首洗いをして生きていこうとする母、そこまでして息子を守ろうとしている母から離れてしまう平史郎。さらに、男の針子として珍しがられたこと、雑賀の鉄砲衆のこと、小西行長のこと、朝鮮のこと、キリスト教のことなど、どれひとつとっても、それだけで一冊の本になりそうなものを詰め込みすぎて、結局どれも中途半端なのでは? そして、後半、おたあが主人公だっけ?と思うほど、おたあへの愛情はこと細かに描かれているのに、最後は突然現れたるいと幸せになります、で終わってしまう。読み終わってきょとんとしてしまった、というのが正直な感想です。

アンヌ:とにかく私は絵描きの周二が魅力的で好きです。主人公と二人で同じ海の夕焼けの赤に見とれている出会いの場面、一緒に組んで京都に出て店を開き周二がモテモテになる場面、周二がこの時代の風俗図のもとになるような人々の姿をスケッチしていくところなど、生き生きと描かれています。どんな絵を描いたのだろうと思い、美術史の本を見たりしました。そこにあった南蛮人渡来図などを見て、天鵞絨のマントや金糸の飾りをつけたズボンなどを見た日本人は驚いただろうなと思い、布地の魅力というものにはまった主人公の気持ちがわかる気がしました。専門職の仕立て屋というのは昔から男性もいたように思うのですが、とにかく主人公が女の仕事とされてきた繕い物から仕立てを覚えていくのが、独特の筋立てです。そして、時代を描いていく。歴史でキリシタン迫害のことを習っても、なかなか、こんなにキリシタンの人が沢山いたこととか、その人々の思いとかを知ることがありません。物語として描かれる意味を感じます。朝鮮への侵略戦争やその後の外交の復興と朝鮮通信使の魅力的な様子までが描かれていて、そこも、いいなと思えました。ただ、主人公がキリスト教にどう惹かれていったかはもうひとつはっきりしませんでした。朝鮮から連れて来られたおたあへの気持ちも、よくわからない。キリスト者として生きるおたあは孤独ではないですよね。だから、それでいいのかとか、もやもやした気持ちが残ります。

しじみ71個分:私は一気に、おもしろく読みました。これは、出会っては別れ、出会っては別れ、という男の一代記になっていますね。楽とは言えない人生の中で、出会う人がみんな魅力的で、その中でいろいろな気づきを得て成長していくというところはよかったと思いました。わたしも周二という人物はとても魅力的で好きなキャラクターでした。キリスト教系の雑誌に連載されていたと今日教えていただき、納得がいきました。キリスト教にはこだわって書かれていて、平史郎が当初はおたあなどキリシタンの考え方を理解できずにいたのが、おたあからクルスをもらって、最後にやっとはじめて理解でき、そこでキリスト教に対する共感や信仰が生まれているという心情の流れは、宗教に対する人の心の動きとしておもしろいと思って読みました。情景描写がとても美しいところが数か所あって、時々、うるっとなったところもありました。例えば、おたあを連れて、山に登り、海の向こう側に釜山が見えたというところなど、ところどころにキラッとする情景描写がありました。また、おたあを守ってるつもりで、実はそれが自分のためだったと気づいたり、など、主人公が自分の心と対話しながら考えていく内省的な表現はおもしろかったです。

エーデルワイス(メール参加):明智光秀、織田信長、豊臣秀吉、小西行長、キリシタン、雑賀の鉄砲衆、二十六聖人・・・盛りだくさんの歴史読み物でした。琵琶湖、近江、京、対馬、壱岐、長崎、釜山と西日本縦断というスケールです。主人公は平四郎で武士で男でありながら針子として苦難の道を生きるのですが、様々盛り込み過ぎて、主人公の魅力が不足のような気がしました。父に死なれ、自分の責任のように妹を死なせてしまい、母と別れ、様々の人と出会い助けられ成長するのですがステレオタイプ。豊臣秀吉の朝鮮出兵と朝鮮の人々の悲劇、キリシタンのことを描きたかったら、いっそ「おたあ」を主人公にして、運命的に平四郎に出会う設定にしたらよかったのでは・・・と、思いました。

(2018年2月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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栗沢まり『15歳、ぬけがら』

15歳、ぬけがら

アンヌ:いろいろなことがぶちまけられたまま終わった感じがして、あまり読後感がよくありませんでした。けれども、ところどころに胸を打つ言葉がありますね。例えば、p92からp102にかけてのマイナスの掛け算をどう考えるかのところ。主人公の「理解したい」という気持ちを見事にひろいあげていくところは、素晴らしいと思います。ただ、母親や優香さんのおこなっている出会い系の疑似恋愛じみた売春や、裏に暴力団の存在が見える中学生の援助交際や、それに絡む中高校生男子の中間搾取やカツアゲとか、これからも主人公の周りにある暗い淵は変わらないままで終わるこの物語を、誰にどう手渡せばいいのかと思う気持ちがあります。

ルパン:最後まですーっと読んでしまいました。あまり良くない前評判を聞いていたので身構えていたのですが、読み始めてみたら不快感はなく、こういう状態はきついだろうなあ、と、むしろ共感をもって読みました。ただ、ここに出てくる大人たちがなんとも情けなくて・・・主人公の麻美は一応成長して終わるのですが、ダメな大人はダメなまま。麻美をいじめる女子三人組とも、交流はないまま。そういった、ちょっとした口の中のえぐみのようなものは残りました。麻美が、部屋も制服や靴が汚れたままでいて、そのことに嫌気がさしているのに、自分で何とかしようとはしないところなど、イラっとさせられる部分もあるのですが、やはり自分でやる気を出すまでには時間が必要だったのだろうとも思いました。救われない部分が残るところが、リアリティを出しているのでしょう。読後感は悪くはありませんでした。

さららん:テーマを知らないまま、表紙には好感がもてず、タイトルもなんなんだろう?と読み始めましたが、一気に最後まで読み通してしまいました。自分が断片的に知っていた子どもの貧困の問題が、主人公の麻美を取り巻く状況の中に、これでもかというほど詰めこまれていましたね。麻美の立場なら、お腹もすくし、夜、町にも出たくなるだろうし、気持ちを重ねることができました。ときどき情景描写に心理を映し出す象徴的な表現がでてきて、それが強く印象に残りました。例えば学習支援の塾で食べた久しぶりのハンバーグ。フライパンを洗うとき、主人公はぐるぐる回る水を見つめながら、自分の整理のつかない感情をそこに重ねますよね。タイトルになっている「ぬけがら」もそうで、「声を出すその日まで、セミはこの体で、この形で生きていたんだ。ぬけがらに生き方が刻まれてるって、たしかに言えるかもしれない」と、「強いぬけがら」の象徴するものをきちんと言葉にしています。こんがらがった心のなかで、だれかのために何かすることの喜びを主人公は知っていき、そのための勇気もふるう。貧困の中の少女の成長物語として、道筋が見えている感じはするけれど、読んで嫌だという印象はありませんでした。

コアラ:強烈な印象を受けました。以前『神隠しの教室』(山本悦子著 童心社)を読んだときにも、貧困家庭の男の子が出てきて、給食を目当てに学校に行くような感じでびっくりしましたが、これは全編貧困が描かれていて本当に強烈でしたし、いろんな人に知ってもらいたい作品だと思いました。目次が全部食べ物になっていて、空腹だと食べることしか考えられなくなるんだなと思いました。麻美が、お腹をすかせた和馬を見てもお弁当を譲らず、自分ひとりで食べてしまって自己嫌悪に陥っていることに対して、p198で塾長が、「自分が全部食べることで、それをエネルギーに変えることもできるんだよね」「もっとたくさんの食料を手に入れて友達に提供できたら、こんなにすごいことはないんじゃないかな」と言っていて、塾長、いいこと言うなあと思いました。後半で麻美が「強いぬけがらになる」と言ったことについて、p185で男子学生が「ふつう、そういうふうには使わないんじゃないかなぁ」「マイナスの意味で使うんだよ」と言ったり、p218で優香さんが「『強いぬけらがになりたい』っていいな、と思ってさ」「『ぬけがらの意地』みたいな感じ?」と言ったりして、かなり説明されていて、タイトルの意味がわかるように書かれていると感じました。そういうぬけがらの話も、p169の、ぬけがらについての塾長の話、「ぬけがらって、そのセミの生き方そのもの、って気がするんだよね」という言葉で生きてくると思いました。装丁は好ましいとは思えませんが、力強い作品で、書く力のある人だなと思いました。問題が解決されているわけではないけれど、希望のある終わり方もいいですね。

西山:今回読むのは3回目になるのですが、失礼な言い方になるかもしれないけれど,再読して、評価が上がりました。どうも最初は、子どもの貧困にまつわるさまざまな情報のパッチワーク的な感じがしてしまって、このエピソードは聞いたことがある、とかあまり素直な読者になれていなかった気がします。物心つくときからこの状況というわけではないのに、こんなにものを知らないものかと、違和感を覚えてしまったり・・・。でも、今回、時間がない中どんどんページを繰ったのがよかったのか、でこぼこを感じずに読めました。どうしようもない汗臭さなど、生理的な感触と、あと、これは、学生と読んで気づかされたのですが、目次からして食べ物の話—−空腹と食欲の話として、一貫しているということで、作品としての背骨が通っていてよかったと思います。

マリンゴ:日常的な貧困をテーマにしたこの作品は、著者のデビュー作ですよね。これから、どんなテーマを取り上げていくのか、とても気になります。楽しみです。タイトルの「ぬけがら」がいいと思いました。ネガティブな意味で使われがちですが、ポジティブな意味も含めている。そういう発想の変換がよかったです。ただ・・・タイトルに「15歳」とあるので、15歳15歳、と自分に言い聞かせながら読んでいたのですけれど、どうしても12歳くらいの子の物語に思えてしまいました。例えばp60。お母さんが汚し放題で片付けをしないことへの不満が書かれていますが、「じゃあ、あなたがやれば」と読者はツッコミを入れるのではないかなぁ、と。15歳だったら、「出ていく」ことを考えるか、あるいは「自分でやる」ことを考えるか。何かリアクションがある気がしたのです。あと、余談になりますが、セミのぬけがらってたしかに美味しそうだなと思いました(笑)。調べたら、去年の夏、ラジオ番組で小学生が「セミのぬけがらは食べられますか」と質問したそうで、大阪の有名な昆虫館の方が回答しているのですが、「ぬけがらは、ワックスのような、油のようなものでコーティングされているので、生のままでは食べないほうがいい」とのことです(笑)

ピラカンサ:私は出てすぐに読んだのですが、家の中を探しても本がなかなか見つかりませんでした。それで、図書館で借りようと思ったのですが、私が住んでいる区の図書館はすべて貸し出し中。よく読まれているんですね。読み返すことができなかったので、最初に読んだ時の感想のメモですが、私はこの主人公があまり好きになれませんでした。私も、15歳なんだから、被害者意識ばかりもつのでなく、出ていくなり、自分で掃除やご飯づくりをしたりしたらいいのに、と思ってしまったんです。日本の状況だけを見ていれば共感する部分もありますが、海外にはもっとひどい状況のなかで生きている子もいるから。それに、貧困のリアリティも外から描いている感じがして、敬遠したくなってしまいました。

しじみ71個分:あまりひっかかるところなく、すっと読み通しました。年齢よりも幼く見えたり、何でも人のせいにしてしまったりすることに私は逆にリアリティを感じましたね。以前、医療系のシンポジウムで医師のお話を伺った際、貧困は、何をしても無駄、という諦めが続くことから、後天的な無能感、無力感が植え付けられるということを知りました。貧困の非常に難しい問題はそこにあるように思います。例えば、子ども食堂に関わって聞くところによると、フードバンクにお米があっても、家に炊飯器がないからお米が炊けない。家で調理しなくてもいいものでないと、なかなかもらわれていかないそうです。鍋と水があればご飯は炊けるし、ご飯じゃなくてもおかゆでも食べられるのに、調理方法を知らないからそれができないし、学ぼうという意欲もなかなか出てこないということがあります。生活保護の申請も、やればできるのに、それに気づけないし、何か言われるのが嫌で申請をする気も起きないということが実際にあるようです。なので、学習塾の支援があって、人との関わりの中で気づきが生まれてよかった、ダメなまま終わらなくてよかったと思いました。
貧困によって困難な状況にいる子、お金持ちの家の子なのに、親からの愛情を注がれず生活が崩れて困難な状況にいる子が、社会のはきだめみたいなところに寄せ集まって、互いに傷つけ合いながら、その中で互助、自助で生きていく様は理解できました。

ピラカンサ:私はこういう社会問題を扱った作品こそ、状況がわかるだけじゃなくて、だれもが読みたいと思えるように書いてほしいと思っているので、ちょっと点が辛いのかもしれません。

しじみ71個分:今、思いましたが、もし貧困ということを全く知らない子どもがこれを読んで、例えば同じクラスに、外見的にそう見える子がいたら、どう思うだろうかなと気になりました。あえて、経済的に困難な子を探したり、ことさらに意識したりという逆効果が生まれる恐れというのはないのでしょうか? 貧困という現象を、背景まで深く考えて想像できるかどうかどうかわからないかもしれませんね。大人であれば、社会現象として、こういうこともあるよな、と理解できるかもしれませんが。子どもが貧困ということを理解するのに、この本がどれぐらい助けになるかと考えています。

オオバコ:子どもの貧困というテーマを取り上げたのは、意欲的でよいことだと思いましたが、p14まで読んだところで「こういう展開で、こうなるだろうな・・・」と予想がつきました。戦後まもなく、セツルメント活動が盛んなときがあって、そういう活動をしている学生たちのなかから児童文学を書きはじめた人たちも大勢いたように思います。わたしが関わっていた児童文学の同人誌の同人にも、そういう方がいらっしゃいました。子どもの貧困は、ある意味、日本の児童文学の出発点のひとつだったような気がします。でも、日本全体が貧しかった当時の貧困と、いまの貧困は、ちがうんじゃないかな? 現在の子どもの貧困は、もっと構造的なものなのではないでしょうか? 村上しいこさんの『こんとんじいちゃんの裏庭』(小学館)には、多少とも現実の社会とのつながりがありましたが、この作品には、そういう社会的な広がりが見えないのが物足りなかった。塾長の描き方も曖昧ですし……。「お金持ち」の意地悪をする子たちの書き方もステレオタイプだと思いました。

しじみ71個分:作者は学習支援にも携わっていたということなので、子どもの困難をあれもこれも知らせなければと、現象を詰め込みすぎてしまったのでしょうか?

ピラカンサ:作者に、書かなきゃという意識が強すぎたのかもしれませんね。状況だけではなくて、もっと個を書いてほしかったと思いました。

ルパン:貧困の中にある人たちだけで閉じてしまっているような閉塞感があるんでしょうか。

しじみ71個分:自分の身近な例だと、母子家庭でどんなに経済的に苦しくて、働きづめで疲れていても、子ども食堂に来ないし、あまりつながりたくないようなんですね。子ども食堂なんて頼ったら終わりと言われたらしく、人に頼りたくないという意地もあるようで、そういうのは理解できます。閉塞といえば、それは実態として閉塞しているんじゃないかなと思います。

エーデルワイス(メール参加):作者が現在の子どもたちと関わったことがベースになっているのか、リアリティがありました。育児放棄しているだらしのない心の病気の母親。空腹の描写は本当に辛いですが、最低限の料理も掃除も教えられないとできないのですよね。かったるい様子の主人公15歳の少女の表紙と「ぬけがら」の文字は、マイナスイメージでしたが、実は前向きのメッセージがこめられていました。最後まで読まないと分かりませんね。いわゆる「子ども食堂」が児童読み物に登場したのですね。
こちらにも「こども食堂」が定期的に開かれています。一度お手伝いにいきました。
その日に集まった食材を、その日に集まった初対面のお手伝いボランティアで黙々と手際よく料理を作るのです。前もって献立が決まっていることは易しいですが、その場で決めるのは並大抵ではないと思いました。小学生、中学生が大学生に勉強を教わったりお喋りして楽しそうでした。自分の居場所があるのは本当に大切と思います。定期的に文庫の本を貸し出して、子どもたちに見てもらっています。

(2018年2月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2018年01月 テーマ:魂の記録が残したものは

 

日付 2018年1月26日
参加者 アンヌ、コアラ、サンザシ、しじみ71個分、須藤、西山、ネズミ、花散
里、マリンゴ、レジーナ、ルパン、(エーデルワイス)
テーマ 魂の記録が残したものは

読んだ本:

フランシーヌ・クリストフ『いのちは贈りもの』
『いのちは贈りもの〜ホロコーストを生きのびて 』
フランシーヌ・クリストフ/著 河野万里子/訳   岩崎書店   2017.07
UNE PETITE FILLE PRIVILÉGIÉE by Francine Christophe L’Harmattan, 1996
<版元語録>第二次世界大戦中、6歳でナチスのホロコーストを体験したフランス人女性の手記。アンネ・フランクと同じ収容所に移送された少女の見た風景が、人間のあり方を問う話題作。


朽木祥『八月の光』
『八月の光〜失われた声に耳をすませて 』
朽木祥/著   小学館   2017.07

<版元語録>あの日、あの時、一瞬にして世界が変わった。そこに確かに存在した人々の物語。あなたに彼らの声が聞こえますか? ヒロシマに祈りをこめて。失われた声を一つ一つ拾い上げた朽木祥、渾身の短編連作。


ルータ・セペティス『凍てつく海のむこうに』
『凍てつく海のむこうに 』
ルータ・セペティス/著 野沢佳織/訳    岩波書店   2017.10
SALT TO THE SEA by Ruta Sepetys, 2016
<版元語録>1945年1月、第二次世界大戦末期。ソ連軍の侵攻がはじまるなか、ナチス・ドイツ政府は孤立した東プロイセンから、バルト海を経由して住民を避難させる“ハンニバル作戦”を敢行した。戦火をのがれようとした人びとのなかには、それぞれに秘密をかかえた四人の若者がいた。海運史上最大の惨事ともよばれる“ヴィルヘルム・グストロフ”号の悲劇を描く、傑作歴史フィクション。知られざる歴史の悲劇をひもとき、運命に翻弄された若者たちの姿を鮮明に描く、カーネギー賞受賞作。

(さらに…)

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ルータ・セペティス『凍てつく海のむこうに』

凍てつく海のむこうに

しじみ71個分:本屋で表紙を見たときからおもしろそうだと思っていましたが、本当におもしろかったです。まず、東プロイセンに取り残された人々を海路でドイツ本国へ住民を避難させる「ハンニバル作戦」があったということを全く知りませんで、その知識を得たことは有益でした。お話は、登場人物が代わる代わる語る形式で、全員が何か秘密を抱えており、各人のストーリーが結末に向かって集約されていくという構成で、スリルとサスペンスでずんずんと読んでしまいました。それぞれの秘密は、各国の美術品の略奪の補助をしていたところから美術品を持って逃げだしたことや、迫害されていたポーランドから逃れてきたこと、従妹を死に追いやる原因を作ったことなど、それぞれに重く、読んでいてドキドキしました。お話の中では悪役のアルフレッドの描き方も秀逸でした。手に赤く湿疹ができていて、ぼりぼりとかきむしるという描写に象徴される気持ち悪さ、不気味さが何ともいえませんでした。ヒトラーを狂信し、夢想と現実とのバランスを失いかけていて、精神の不均衡の象徴的存在で、手紙の中で好きだという隣家の少女もユダヤ人として告発したということが少しずつ分かってくるのもおもしろかった。この人物によっていつ、どんな破綻が起きるのか、ドキドキさせられて・・・。非常に大事なキーマンで、その暗黒さで話をおもしろく引き締めていたと思います。エミリアと筏に乗ったところで、ポーランド人のエミリアを殺そうとし、結局自滅して死んでいくことで、ここでカタルシス効果があるように思います。さまざまな人々が人種、国籍、体の特徴、性的指向等個人でどうにもならないことを迫害の理由とすることは今となっては理解しがたいですが、アルフレッドのような不気味さで、復活して来ないとも限らないという恐ろしさも感じました。

アンヌ:とてもおもしろくテンポもいい小説ですが、ある意味映画のように一瞬一瞬がくっきり照らされて、説明不足のまま進んで行ってしまうところを感じました。ナチスの美術品強奪に対してフローリアンが何をしたかったのかとかいうことも、もう一つはっきりしない感じです。ただ、ヨアーナのようにドイツ人とみなされて働かされた人々や様々な民族へのドイツやソ連の迫害等については知らなかったので、これからいろいろと調べて行きたいと思いました。

サンザシ:この本は出版されてすぐに読みました。長い小説ですが、人間がちゃんと書けているので、とても読み応えがあります。様々な人生が出会って、その交流からまたそれぞれの人が力をもらって生きていく様子も描かれています。冷たい海で命を落としたエミリアは哀れですが、最後の章に、おだやかに幸せ感あふれる描写が出てくるのは、悲しいし美しいですね。ドイツ人のアルフレッド(正しくはアルフレートでしょうね?)だけが極めつけのどうしようもない存在に描かれていますが、それでも、手をかきむしるなど、どこかに無理が出ているのですね。

マリンゴ:非常におもしろく読みました。知らないこともたくさん書かれていて、勉強になりました。4人の登場人物の一人称なので、緊張感が途切れることなく、話が展開していきます。たとえとして正解かわかりませんが、ドラマ「24」を見ている感覚に少し近かったです。エミリアの出産に関するミスリードについても、他の人の一人称がうまく使われています。真相が明らかになったとき、登場人物たちも驚くので、「だまされた」という不快感がなく読めました。そのあたり、とても巧みだと思います。よかったところをいくつか挙げていくと……。まず67ページの「ポーランドの家庭では、コウノトリに巣をつくってほしいと思うと、高いさおのてっぺんに荷馬車の車輪を打ちつけておく」。非常に印象的で、なるほど、そうやってコウノトリといっしょに生活しているのか、と。すると、後ろのページでも「コウノトリ」が登場し、最後、エミリアが死ぬ前に見た夢(?)のなかにも出てきて、効いてるなぁ、と思いました。166ページの、混乱のなかでドイツ人が整然と列をつくるシーンは、国民性が現れていて、絵が浮かんでくるようでした。288ページで、靴職人が赤ちゃんにも「靴を見つけてやらんとな」というシーンも、登場人物の個性が端的に表れていていいと思いました。もっとも、擬声語が2か所、気になりまして……。冒頭の銃声の「バンッ」、船が沈没するシーンの「ドンッ」。この2つの多用は、せっかくの作品を幼いイメージに見せている気がしました。なお、最後の参考図書一覧は、著者が参考にした本、ではないのですよね? 翻訳の方、編集の方が使われた文献なのかしら。

須藤:作者のルータ・セペティスさんがあとがきに書かれているように、この本をきっかけにして、歴史に興味を持ってもらえたらうれしいので、訳者の方と相談して、参考になる本を紹介するつもりで入れました。

しじみ71個分:擬音は私も気になりました。最初の方の章で、銃声が場面転換のきっかけになっている箇所がありますが、カタカナで「バンッ!」と書くと少々野暮ったく、映画などであれば、少し乾いた「パン!」(再現不能)という音になるのではないかと思うのですけど、頭の中の銃声と字面が一致しなくて、少し引っ掛かってしまいました。擬音は表現が難しいですね。

西山:私は同じ作者の『灰色の地平線のかなたに』(野沢佳織訳 岩波書店)がすごく好きなんです。それで、読まなくてはと思いつつまだだったので、今回とても楽しみでした。で、長かろうが、絶対読み始めたら一息に読めるだろうからと、最後に取っておいたんです。そうしたら、まぁ、期待とは全然違って、どんどん読めなくて・・・・・・読み終わらなかったのを作品のせいにするのは、身勝手だとは思いますが、まぁ、敢えて言ってしまえば、私の期待した作品ではなかった、と。言葉は悪いですが、一人称の4人の切り替えが思わせぶりというか、あざといというか、凝りすぎと感じてしまった。『灰色の地平線のかなたに』は、ソ連のリトアニア支配、シベリアへの強制連行という、私は知らなかった出来事、舞台でしたけど、時間も空間も単線だったんですね(もちろん、多少の回想部分もありますが)。ぐいぐい読めた。中身がひっぱっていく作品でした。造り=語り方で引き回すのでなく。(補足:この後、最後まで読みましたが、皆さんの話をうかがったうえでも、この時点で抱いてしまった不満は払拭されませんでした。うまい作品を読ませてもらったという感触は、『灰色の地平線のかなたに』で、出来事とリナたちの姿を突きつけられてしまった、そこに投げ込まれ圧倒されたという感触ととても違っています。今回は、作品が最後まで「本」だった。いっそ、歴史ミステリーと割り切って読めば素直に楽しめたのかもしれません。この辺は、一人称の語りの功罪とあわせていずれじっくり考えてみたいと思います。)
真実を隠した話者たちの切り替えは、こういう史実に基づく重い事実を伝えるうまいやり方でもあるとは思います。同時に、その造りがかえって「むずかしい」にもなりはしないかと思ってしまう。素直な造りの『灰色の地平線のかなたに』の方が案外、読みやすいとう面もあると思います。

サンザシ:この作品は、さまざまな一人称でしか書けませんよね。それに今は英米ではこういう複数の視点で書いた作品はいっぱいあるので、凝った造りとは言えないと思います。私は読みやすかったな。

西山:3分の1ほどしか読み終わってませんけど、アルフレッドは密告したのだろうなと思っていたら当たりましたね。嫌な人がちゃんと描けるのが、この作者の魅力の一つだと思っています。『灰色の地平線のかなたに』のスターラスさんが何しろすごいと思っているので、それに準じるのが、「悪いけどエヴァ」でしたね。アルフレッドは新しい怖さでした。

ルパン:私は一気読みでした。冒頭だけは、入りこむまでに時間がかかりましたが。やはり、エミリアが一番せつなかったです。いとこの代わりに犠牲になり、レイプされて妊娠し、思いを寄せたアウグストからもフローリアンからも女性としては愛されないまま死んでしまうなんて。ただ、エミリアは、死んだあとは、自分の子どもが、憧れの「騎士」フローリアンの娘として愛されて育てられ、オリンピックの選手になるし、自分のなきがらも見知らぬ土地で手厚く葬られるという救いがあります。救いのないのはアルフレッド。だれからも愛されず、理解されず、嫌われ、さげすまれたまま冷たい海に落ちて死んでいくのですから。デフォルメされているけれど、こういう人はきっといる、というリアリティがあって、それだけに読んでいて苦しい気持ちにさせられました。脇役では、靴職人と少年がいいですね。ただ、「少年」は名前で出したほうが、よかったのでは。盲目の少女イングリッドは名前で出てくるので、とちゅうで亡くなってもインパクトがありました。「少年」はこのグループを和ませる存在でもあり、のちにヨアーナとフローリアンの子どもにもなるのに、ずっと「少年」と呼ばれたままなので、存在感が薄くなっていたと思います。

サンザシ:こういう船で避難する人たちは、おそらくいろいろな背景を背負っているので、すべての人に名前を聞くということはもともとしなかったのでは?

ネズミ:おもしろく読みました。『リフカの旅』(カレン・ヘス著 伊藤比呂美・西更訳 理論社)もそうでしたが、自分の親や親族の過去の体験を聞いて、若い作家がこれだけの作品に昇華させているというのに感服します。構成が巧みですね。『いのちは贈りもの』がひとりの視点で描かれているのに対し、この本は複数の声でいろいろな角度から物事を見えてきます。緊張感を保ったまま、最後までぐいぐい読ませられました。アルフレッドは極端ですが、このような人物を出してこないとナチスの宣伝文句を言わせられなかったのかなと、複雑な思いがしました。たいしたことではないのですが疑問に思ったのは、エミリアが船で赤ん坊を産む何日も前、106ページに「陣痛が始まっていて」という言葉が出てきます。陣痛って産む直前の痛みなのでは?(他の参加者から、「前駆陣痛」というのがあるから問題ないという声あり)。

レジーナ:昨年カーネギー賞をとったときから気になっていた作品です。歴史の中に埋もれた人たちに声を与えたいという作者の想いが、全編を通して感じられます。みんなが必死になって乗船許可証を手に入れようとする姿は、現代の難民の人たちに重なりますね。アルフレッドは一面的に描かれていますが、人間の悪の部分を表しているのだと思ったので、気になりませんでした。アルフレッドがはじめ、エミリアをアーリア人種だと思う場面からは、人種という枠組みがいかに表面的で、あてにならないかがよく伝わってきます。緊迫した状況が続きますが、乳母車にヤギをのせ、たくましく生き抜こうとする「ヤギ母さん」など、ちょっとほっとできるユーモアがあるのもいいですね。

花散里:私も『灰色の地平線のかなたに』が好きで、作者のルータ・セペティスさんが来日された折に、講演会でお話を聞かせてもらいました。過去にあった出来事を伝えたいという思いを表現され、丁寧に語られる姿も印象的な方だったので心に残っていて、この本が出るのをとても楽しみにしていました。

エーデルワイス(メール参加):4人が入れ替わり一人称で語りながら展開していく物語なので、まるで映画のシナリオのようですね。いつか映画化されるのではないでしょうか。ヴィルヘルム・グストロフ号沈没のことは全く知りませんでした。その沈没に向かう展開の物語を読んでいると緊張感でいっぱいになり、酸欠状態のようになりました。4人の一人称での文章はこの物語には必要だと思いましたが、私には読みにくくて、なかなか読み進めませんでした。ソ連兵に乱暴され妊娠したエミリアが、妄想で恋人を作り出し、その子どもを宿したと自分に思い込ませたところでは、人は生きるために「物語」が必要なのだと思いました。

(2018年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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朽木祥『八月の光』

八月の光〜失われた声に耳をすませて

アンヌ:「石の記憶」を読んで本当によかったと思っています。実は小学校の林間学校で原爆のニュース映像を見させられて「核戦争が始まったら、自分はただの黒い影になって永遠に焼き付けられてしまうんだ」と恐怖を感じたのと同時に、その年齢なりの虚無感に襲われたのですが、その時の自分にこの物語を手渡したいです。主人公が黒い影に温かみを感じて寄り添う場面を読むと、生きていくことも死んでいくことも、空しいものではないと思えました。

コアラ:私は「石の記憶」では泣いてしまいました。「水の緘黙」でも泣いてしまいました。朽木さんの本は初めて読みましたが、ひどいことが書かれてあっても、しっとりとして後味は悪くないと思いました。特に言葉が美しいと思います。174ページの「あの日を知らない人たちが、私たちの記憶を自分のものとして分かち持てるように」という言葉が印象に残りました。戦争や原爆の本はたくさんあって、きっかけがないと手に取らない本かもしれませんが、なるべく多くの人に読んでほしいと思いました。

サンザシ:この著者は、広島のことを書くと心に決めて、原爆で亡くなった方たちを一人一人生き返らそうとしているように感じます。言葉や表現が立っていますね。被害者意識だけにとらわれることなく、ある日とつぜん人生が奪われるということはどういうことかを考え、つきつめていっているように思えます。そこからまた生を見つめ直すことも始まるのかと思います。偕成社版は「雛の顔」「石の記憶」「水の緘黙」の3点のみだったのですが、この本ではエピソードが増えて、より立体的になったと思います。どの短編にも喪失の哀しみが通奏低音のように流れていますが、そこにおさえた怒りがあるのも感じます。ただ重苦しいだけじゃないのは、明るい陽射しを感じるような情景が差ししはさんであるかと思いますが、それに加えて広島弁がやわらかくてあたたかいリズムを作っているように思いました。最後の短編は、「あなた」を外国人と想定していますが、なぜでしょうか? 日本の子どもには向けられていないのでしょうか?

マリンゴ: まず装丁ですが、子どもが親しみやすいものに仕上がっていて、とてもいいと思いました。偕成社版(『八月の光』)と小学館文庫版(『八月の光・あとかた』)は、格調高い装丁ではあるのですが、子どもがちょっと手に取りづらいのかなという印象があったので。内容については、朽木さんの他の本でも感じますが、広島についての想いがとても伝わってきました。で、先ほど話題にあがっていた「カンナ あなたへの手紙」ですが、わたしは、翻訳されることを前提に書かれたのではないかと、勝手に想像しています。海外の読者、そして日本の子どもたちのなかにも、広島の原爆がどういうものか、知識のない子は多いと思います。そういう子どもに向けて、広島の説明をていねいにしている章というのは、非常に効果的であると思いました。ただ、1つだけ疑問があって……。222ページに「私の国では、夏はとても暑くて、花はあまり咲きません。それなのに、不思議に赤い花だけがたくさん咲きます」という部分。私はこれを読んで、へえ、どこの国の話なんだろう!と、興味を持ったんですけが、え、日本の話?と驚いたのでした。日本の夏は、ピンクの葛の花や芙蓉、紫のルリマツリ、白いオシロイバナなど、さまざまな色の花が咲き乱れるイメージがあるので……。著者の体感として、夏にそういうイメージがあるのか、あるいはカンナの花を際立たせるために意図的にこのような描写にしたのかなぁ、と。

西山:今回、新しく加わった作品も含めて収録順も変わっているとは聞いていたので、どう変わったか楽しみにしていました。「雛の顔」と「銀杏の重」が並んでいるのもとても腑に落ちて、しっくりきました。色のある表紙になったことについては、装丁の中嶋香織さんのお話を伺う機会があって、表紙の桜が、裏ではカンナになる。桜もカンナもこの1冊の中で象徴的な花ですし、よく考えられているなと、改めて感心しました。いつもそう思うんですが、言葉がおいしい! それぞれの語り出しや、かなり息の長い一文が好き。「雛の顔」の冒頭なんて、繰り返し口の中で転がして味わってしまいます。広島弁が全体を和らげている。それぞれの一文が流れるようで、息づかいが感じられます。その点では、「カンナ」は、広島弁が生かされていなくて、ちょっと物足りない。「水の緘黙」は詩のようで、わからなくてもかまわない話かなと思っています。「カンナ」はちがって、伝達性を重視している気がします。どこかで辛い思いをしている人と連帯したいと思っているのでは、と思って読みました。「三つ目の橋」がちょっと異質かな。

サンザシ:私は異質だとは思わなかったんだけど、どういう意味で異質?

西山:「三つ目の橋」がつなぎになっているのかもしれません。最初のほうの短編は詩のよう。そこに生きた人たちのことを、土地の言葉で語って立ち現せている。それに対して、「三つ目の橋」から、情報を伝えようとしていると感じます。

しじみ71個分:短篇の編成は、概ね時系列になっているのではないでしょうか。原爆投下のその日までと直後を描く作品から、「水の緘黙」「三つ目の橋」も戦後の物語へとつながっていくように見えます。「八重ねえちゃん」は、途中までは子ども時代の当時の視点で描かれていますが、終わり近くで視点が変わっていて、現代の地点から振り返るという表現になっているので、そこで雰囲気が変わっています。2回目の改版で、新たに途中で現代の視点に移行する「八重ねえちゃん」と、孫の世代から見た「カンナ」が加わったわけですが、それには著者の必然性があることなのだろうと思います。

ルパン:ひたすら、「すごいなあ」と思いながら読みました。現実に自分が見ていないものを、こういうふうに伝えられるんだ、という筆力に驚きました。「カンナ」の冒頭は私もひっかかりました。夏に赤い花しか咲かない国ってどこ?って。私の中では、夏の花といえばひまわりだし。ところで、広島弁ってやわらかいですか? 私はあんまりそうは思わないのですが。

ネズミ:すごく好きな本です。普通の人の暮らしぶりが語られる一方で、原爆後の地獄絵のような場面が繰り返し執拗に描かれています。作者自身は見ていないのに、おそろしさがずんと伝わってくる描写で、これを描かなければという作者の強い意志が感じられました。前の出版社のものが絶版になったあと文庫本で出たけれど、子どもに手渡したいというので今回この版で出たと聞きました。原爆を描いた本として、ぜひ海外に紹介したい1冊です。でも、方言も用いたこの文体は、訳すのがたいへんでしょうね。文学的な書き言葉の物語で、読書慣れしていない子どもにはややハードルが高いかもしれないけれども、少し読んで聞かせたら読みたくなるのでは。子どもたちに手渡していきたい短編集です。

サンザシ:「石の緘黙」は原爆投下から4年後で、「三つ目の橋」は3年後ですから、時系列的に並んでいるわけではありませんね。

西山:被曝者がてのひらを上に向けて歩いてくる、という描写に今回はっとしました。大抵幽霊のような手の形で書かれ、描かれていた気がしてました。あるいは、勝手にそう思い描いていたのかも。

レジーナ:広島の記憶を文学として昇華させた、すばらしい作品だと思います。広島弁の会話がいいですね。あの日一瞬で消えていったひとつひとつの生に、くっきりした輪郭を与えています。不器用だったり、身びいきなところがあったりもする登場人物が、生き生きと描かれていますよね。ふつうの暮らしが失われることが戦争なのだと、あらためて思いました。「いとけないもんから……こまいもんから、痛い目におうてしまう」という八重ねえちゃんの台詞は、戦争の本質を鋭くついています。わたしも高校の時に原爆資料館に行き、「原爆は自分の上に落ちていたのかもしれない」と思って衝撃を受けたのを、「カンナ」を読んで思いだしました。

花散里:今回のテーマで、日本の作品を考えた時に、すぐに思い浮かんだのが本書でした。『八月の光』(偕成社)は2012年に刊行されたときに読んだ3編がとても衝撃的でした。特に「雛の顔」の真知子の印象が強く心に残りました。今回の本書、全7編を改めて読んで、「失われた声」を丁寧に描いた朽木さんの文学が、戦争被害者の心の奥深くまでを表現していて、いろいろな思いを伝えたいということが胸に迫ってくるような印象を受けました。『八月の光』とともに『光のうつしえ』(講談社)も印象に残る作品で、子どもたちにどのように手渡していったら良いのか、記憶をつないでいくということの大切さを改めて感じました。「カンナ あなたへの手紙」など新しい作品が加わり、表紙の装丁もカンナが描かれていて、新たに伝わってくるものがあり、多くの人に読んでほしいと思う作品でした。

サンザシ:読むのは、小学生だと難しいですか?

花散里:『光のうつしえ』(講談社)も、難しいかなと思います。

須藤:またこういう形で刊行されることになって本当によかったなと思います。私はまず朽木さんの書く文章が好きで、作品中に描かれている人間にもいつも好感を持ってしまうのですが……。ちょっと余談ですが、古い小説を読んでいると、同じ日本語を話していても、生きている時代によって人間というのはこうも変わるのかと思うことがあるんですよね。そして、過去のことを今の作家が書くと、登場人物が今の人間になってしまいがちなんですが、この短編集はちがう感じがして。いろいろな資料を読みこんで、またご自身の体験もあって書いているからでしょうか。教養や豊かさにささえられた品のよさのようなものを、朽木さんの書く人間からはいつも感じます。作品の感想を一つあげると、「八重ねえちゃん」が私は心に残りました。周りからはちょっとトロいと思われているけれど、おかしいものをおかしいと言える人。大人の理屈に染まっていない人というか。大人はすぐにわかったような理屈をつけてしまうんですが、そこに対抗する子どもの倫理観、「いけないものはいけない」という倫理観に、いまやっぱり立ち返ってみるべきなんじゃないかと思うんですよね。

しじみ71個分:『八月の光・あとかた』(小学館文庫)を読んだとき、これは本当に子ども向けなのかしら?と思いつつ、泣きながら読みました。言葉が非常に美しいです。本当に丁寧に、広島の市井の人々の暮らしが描かれていて、生きていた人、ひとりひとりの人生にリアリティを感じます。言葉一つ一つに文学的なきらめきがあるとでも言えばよいのか、本当にすごい文章力だと心から思います。描写が本当に繊細で、皮膚の裏を針でつつくような、チクチクした切ない痛みのある文章で、たとえば「銀杏の重」の、長女の嫁入り支度をする親戚のおばちゃんたちの場面など、ああ、いかにもおばちゃんたちが集まったらこんな話をするだろうなぁという自然なおばちゃんトークが描かれ、短く詰めた疋田絞りの着物の袖を婚礼用にほどく際、母がしぼをつぶさないで上手に上げてある手際に感嘆したりする、そんなセリフ一つ一つで人々がどれほど丁寧に暮らしていたことなどがよく分かり、心にズンと響いてきます。一発の爆弾が落ちて、それが一瞬で失われてしまう、というその酷さ、非人道性が、つつましくも温もりある生活の描写との対比でありありと表されるように思います。戦争は人の命だけでなくて、暮らしの文化みたいなものも奪ったのだなという感慨もわきました。
 被爆した人々の表現も凄まじく、手のひらを上に向けて、焼けた皮膚が垂れ下がる腕を持ち上げて歩くさまが繰り返し描かれるところや、48ページにある、被爆した人がやかんを拾って歩くけれど、ぽとんと落とし、それを後ろの人がまた拾う、というような表現など、朽木さんがその場にいたのかと思うような凄まじい表現です。個人的に言えば、「水の緘黙」がいちばん好きです。記憶をなくした人の頭に、イメージが断片的に浮かんで、夢幻を漂うような感じはとても美しくあり悲しくもあります。「三つ目の橋」は、被爆経験がスティグマとなって生き残った人にのしかかるさまが淡々と描かれ、切なさが胸に迫ります。あと、「八重ねえちゃん」についていえば、184ページの子犬の表現は確かにとても素敵なのですが、全般を通して他の作品と比較してみると、割と表現が大雑把なように感じました。短いからそういう印象になるのでしょうか。最後の、「帰ってきてほしい。」という切実な叫びに全てが集約されていると思いますし、それは理解できるのですが、展開が急がれているような、何か少々物足りない感じを受けました。189ページから言葉が変わっていて、190から193ページまでを通して、「今も」とか「今なら」とか現在の視点から振り返っていることを明示していて、時間が経過した後だから言えることが書いてあります。その点が少し他の章と異質なように感じました。「カンナ」は表現がとても説明的ですが、今の子どもたちや外国の人々に向けて書くという意図がはっきりとしている作品だと思うので、そのように理解して読みました。いずれにしても、広島にこだわり続ける覚悟をもって、これだけの筆力で書き続けられるということは本当に素晴らしいことだと思います。

ルパン:私は「三つ目の橋」が好きです。同時代に生きていても戦争体験を共有できない人がいる、という現実は悲しいけれど、そういうことも伝えていかなければならないのだと思いました。

しじみ71個分:お付き合いしていた人との別れ話の場面の表現などは本当に秀逸です。袖口を伸ばしたところの折線がくっきりと見え、地が赤茶けた服を着て恋人の親に会いに行ったりしなくて良かった、と諦めようとする辺りの描写がとても繊細で、本当に切ないです。

サンザシ:朽木さんは被曝二世と敢えてはっきりおっしゃっていますが、差別を心配してなかなか言えない方も多いのかと思います。福島も同じですけど。前に原爆資料館の館長さんにお会いしたことがあるのですが、館長の仕事につくまでは被曝したことをずっと隠していたとおっしゃっていました。「三つ目の橋」の主人公は「親のない娘はもらわれん。まして妹つきでは」と言って婚約破棄されて身投げも考えるけど、いつも妹の久子が待つ家に帰ってくる。その妹が、死んだお母さんと同じように、夜玄関に走り出て、戦死した父親が帰ってきた音がした、と言うようになる。そこで終わったら、悲しいだけのお話ですが、その後、主人公は「私はしゃがんで久子を抱きよせました。父も母も逝ってしまったけれど、幼い久子のなかに、父のあとかたも母の声も残っているのだと思いました」と言って、次の休みには妹とよもぎを摘みにいく約束をする。そして、よもぎ団子をつくって「お父ちゃんおかえりなさい、って言うてあげよう」という方向へ持って行く。そのあたりなど、文章だけでなく構成もほんとにうまいですね。

西山:236ページの「今は〜」は、「その頃は」が正しいように思ったのですが、急に時制をひきもどされた感じがして、立ち止まりました。多分、故意にやってらっしゃるのでしょう。ふつうじゃなくしている効果があるのかな。

エーデルワイス(メール参加):地元の図書館には偕成社版しかなかったのですが、無駄のない美しい文章で、すぐに読み終えました。読後になんともいえない余韻が残ります。

(2018年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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フランシーヌ・クリストフ『いのちは贈りもの』

いのちは贈りもの〜ホロコーストを生きのびて

アンヌ:たいへん内容が重く、戦争の現実に打ちのめされた思いがして読み返すことができなかったのですが、文章が詩的で美しい本だと思いました。ジュネーヴ条約のおかげで捕虜の家族である主人公母子がユダヤ人であっても、人質として最初のうちはフランスに留め置かれたという事実に驚きました。日本の兵士や家族でこの条約を知る人はいたのでしょうか。ここに書いてあるソ連兵と同じように、日本人も捕虜になることが許されなかったことを思うと暗澹としてしまいました。

コアラ:この状況をよく生き延びたと思いました。子どもの視点で、子どもが追体験できるように書かれていると思います。私も子どもの視点で読んでいったので、後半、列車に乗って母親が食べ物を探しに行って戻ってこなかった場面、胸が苦しくなるような恐怖を覚えました。ホロコーストの全体像はこれ1冊を読んで分かるものではないと思いますが、現実の子どもにとってどうだったのか、ということが生々しく書いてあるので、ホロコーストを知らない子どもにとっても、リアリティを感じながら読むことができるのではとないか思いました。

サンザシ:とても読みやすい訳で、多くの子どもに読んでもらいたいけど、もう少し編集の目が行き届くとさらにいいなあ、と思いました。お母さんは精神に異常をきたすのですが、p289の注を見ると、1974年にはお父さんとお母さんの共著で本を出しているようなので、回復したのでしょうか? そのあたりのことも、子どもの読者だと気になると思うので、後書きにでも書いてあるとよかったと思います。p99のユダヤ教についての注も「世界でいちばん古い宗教」とありますが、もっと古い宗教ってありますよね。それから、解放されたあとトレビッツに行って、村の人たちを追い出して家を占拠し、勝手に飲み食いするのですが、「自分たちがひどい目にあったのだから当然だ」というドイツ人全員を敵視している視線を感じました。少女時代にそう思ったというのは十分あり得ることですが、この本は後になってから書いているので、大人の視線としてはどうなのでしょうか? ユダヤ人が迫害された事実は、本当にひどいと思いますが、「だから何をしてもいい」ということにはならない。この著者はそうは言っていませんが、ちょっと今のイスラエルがパレスチナに対してやっていることとつながっている気がして、個人的にはぞっとしました。

マリンゴ: 少女の一人称で書かれていますけれど、最初は漠然とした表現が多くて、少し物足りない気がしました。でも、中盤からどんどんリアルになってきました。年齢を重ねたから記憶が鮮明になってきたのか、あるいは大変なできごとだから特に記憶に残っているのか……とにかくそのコントラストがくっきりしていて、かえって臨場感につながりました。これだけひどい状況なのに、「自分は恵まれている」と少女が思っているところが、重い読後感につながっています。先ほどのお話、わたしはさらっと読んでしまったのですが、たしかに言われてみると、カーテンで洋服を作って、持ち主の家族に逆ギレしているシーンは、小さな違和感を覚えました。

西山:つい最近、今ドイツで親ナチの人の発言がふえている、という記事を見た記憶があります。(「論説室から 寛容をむしばむ毒」『東京新聞』2018年1月24日5面)難しいなと。そういう視点は、巻末の解説なりでフォローすることもできるのかなと思います。この本自体は、非常に興味深く読みました。特に子どもの目線で覚えていたことを書いているというので、新鮮さがありました。今回とにかく衝撃だったし読んでよかったと思ったのは、56ページで「丸刈りにされた男の人がひとり、折りたたみ式のポケットナイフが地面に落ちているのを見つけ、ふと立ちあがってひろうと、のびた爪をそれで切った」という場面。非人間的な扱いを受けて、爪どころではない状況に投げ込まれているのに、人は、爪を切る……。なんだか、とてつもない真実を突きつけられたようで、くらっとしました。子どもならではの問いも、例えば、55ページの「ママ、小さな子たちにあんなにひどいことをする人たちも、自分の子どもたちには、やさしい笑顔でキスするの?」なんて、ドキッとする。作家が、こういうのにはっとしてフィクションを書くと、作品の陰影を深くするかもしれない。そういう生な素材として(ということ語弊があるかもしれませんが)興味深い1冊だと思いました。

ネズミ:最初はおもしろく読み始めたのですが、同じようなトーンで続いていくからか、途中で疲れてしまいました。ユダヤ人の少女の視点で書かれているので、ただ一方的にユダヤ人はかわいそうと読まれてしまうのでは、という懸念も。語りつがれるべきテーマだとは思いますが。

レジーナ:子どものときの記憶をたどっているので、ぼんやりした記述もありますが、母親が他の囚人たちを送りだしながら罪悪感をもつ場面など、真に迫る場面がたくさんありました。これは、大人になってから、当時を思い出して書いた本ですよね。子どもの言葉づかいの中に、たとえば282ページ「老いてしまった気がするけれど、子どもです」など、大人っぽい言い方が混じるのが少し気になりました。

マリンゴ:フィクションだと、何歳の視点から書いた物語なのか、あるいは大人になってから振り返って書いた物語なのか、厳密に設定を決めます。でも、この作品の場合は著者も最初に書いているとおり、著者の体験を小説のかたちでまとめたものなので、そこが混ざっていてもいいのではないかと思いました。

花散里:今回の選書担当で、テーマ「魂の記録が残したものは」を考えているときに取りあげたいと思ったのが本書でした。フランス国籍でユダヤ人の少女が9歳から11歳までの間、収容所を転々とし生きのびた「魂の記録」であり、著者自身の伝記で、冒頭に「『文学』というものではありません」と記されていますが、子どもに手渡したい1冊として本書をあげたいと思いました。訳者の方から、もとは大人向けに書かれていた本で、子どもに手渡す本として、地図や年表を入れたり、章立てにしたとお聞きしました。ドイツやポーランド、東欧を舞台にして書かれたホロコーストの作品はたくさんありますが、著者がフランス国内のユダヤ人収容所を転々と移動させられたことが地図などで、分かりやすく描かれていると思います。訳注について先程、いくつか指摘がありましたが、読んでいるときは、訳注が参考になり、子どもたちにも内容を理解する助けになると感じていました。著者や母親は戦争捕虜の妻子として国際条約に守られ、収容所でも離れることなくいられたれたこと、父親の存在が、生きる希望に繋がっていたことなどが、強く印象に残りました。差別や戦争が人間の尊厳を傷つけ、大切な人生をいかに奪ってきたかを、小学校の高学年くらいから理解するのによい本ではないかと思い、「伝えていく」という意味を感じながら読みました。

須藤:大前提として、こういう経験をした人が、自分の記憶を書き残すのは、とても大事なことだと思っています。ホロコーストに限らずですが……。第二次世界大戦のことも、遠くなってきているじゃないですか。ある非常に大きな出来事があった場合に、それを経験した一人一人の視点を残しておいて、参照できるようにしておくのは、とても意義があることだと思います。その意味で貴重な記録だと思いますが、今回児童書の読書会だという趣旨に沿っていうならば、これは子どもの視点で書かれているけれど、子どもが読んでわかりやすい本ではないですよね。収容所を転々とするので、どんどん場面が変わっていきますし……、注釈も子どもが読むには難しいです。それから子どもが読むとした場合に、ちょっと気になったのは、「ドイツ人はきっちりしている」とか、この方の、ある種ステレオタイプな思い込みが、そのまま書かれていることですね。さまざま経験を経た上で、そんなふうに思われるようになったと思うので、別にそう思われること自体は否定したくないですけど、予備知識がない読者が読んでそうなんだと思われると困るというか。194ページで、各収容所にいた人たちが一つの場所に集められる場面があって、そこで一口にユダヤ人といっても実に多種多様な人がいる、という事実に実感として気づくのですが、そこはとても興味深かったです。

しじみ71個分:子どものときに書いた日記を、大人になってから書き直したとありますが、そのとおり子どもの視点から書かれているため、記述は断片的で、戦争の全体像は見えないと思いました。ただ、同時に、戦争を俯瞰で表現できるのは、大人の著者の後知恵であるんだなとも感じました。なので、はじめは違和感というか、読みにくさがあったのですが、後半に向かうに連れて、人の生き死にが切実になってくる中で、表現がどんどんリアルに立体的になってくるのがすごかったです。ドイツにいたユダヤ人への迫害というイメージが強かったのですが、フランスにいたユダヤ人の迫害について知れたのは大きな収穫だった。著者は戦争捕虜の家族ということで特別な地位にあったということですが、戦争捕虜が優遇されていたことなども初めて得た知識でした。それでも、あれほどまでの過酷な環境に投げ込まれたという事実は本当に痛いものでした。後半の描写は本当に臨場感あふれるもので、みんながおなかをすかせているのに、子どもの傍若無人な本能とでも言うのか、お母さんに「おなかがすいた」と言い募るあたり、お母さんの立場を思うと本当に切ないし、絶望的な気持ちがしたと思うけれど、子どもの側からしか書いていないあたり、リアルに子どもの無邪気な残酷さがそのまま描かれていると思いました。お母さんが食べ物をくれない、変な顔をして私を見ている、と言って逆恨みを感じる辺りなども同様です。
虐殺された人々の苦しみも想像を絶しますが、生き残ることさえ本当に大変だったことも良く分かります。シラミがわいて、チフスになるとか、列車の中に排泄物がたまるとか詳細に書かれているので、一つ一つの描写が体感的に突き刺さってきました。また、戦後の様子が描かれているのも画期的だと思いました。強制収容所の地獄を体験して、大きな心の傷、喪失を味わってしまったために、故国フランスの同年代の友だちが幼稚に見えて、全くなじめなくなってしまい、その深い苦悩が何十年も続いたこと、そして年老いてベルゲン・ベルゼン強制収容所に戻ったとき、生き残り、家族を作り、子孫を残し、命の贈り物をつないだことで、やっと勝利したと宣言するという記述から、戦争が人の命を奪うだけでなく、生き残った人にも心身の大きな傷を残し、その後の人生を奪い取ってしまうのだということを知りました。これは私にとっては新しい気づきであり、読んでよかったと思いました。

ルパン:真実の迫力だなあ、と思いました。衝撃的と言っていいほどリアルな描写が続き、感情移入してしまって胸が苦しくなるほどでした。訳は、読みにくいと思いました。ところどころ表現に引っかかったり、原文が透けて見えるような無生物主語の訳文があったり。それでもやはり私は文庫の子どもに薦めたいと思いました。多少の読みづらさを超える力強さがありますから。先ほどから話題になっている注ですが、私は注があるのが懐かしいと思いました。昔の本は注がいっぱいあったなあ、と。私自身は子どものころ注を読むのが好きでしたし、今でもそうです。

(2018年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2017年12月 テーマ:動物と人間

日付 2017年12月22日
参加者 アカシア、コアラ、アンヌ、冬青、花散里、レジーナ、西山、しじみ
71個分 、(エーデルワイス)
テーマ 動物と人間

読んだ本:

上橋菜穂子『鹿の王』
『鹿の王(上/生き残った者 下/還って行く者) 』
上橋菜穂子/著   角川書店   2014

版元語録:感染から生き残った父子と、命を救うため奔走する医師。過酷な運命に立ち向かう人々の〝絆〝の物語。 *本屋大賞受賞


キャサリン・ランデル『オオカミを森へ』
『オオカミを森へ 』
キャサリン・ランデル/著 ジュルレヴ・オンビーコ/画 原田勝/訳   小峰書店   2017.09
THE WOLF WILDER by Katherine Rundell & Gelrev Ongbico, 2015
版元語録: ロシアの森深く、母親とオオカミたちと暮らす少女フェオ。ある日、残忍なラーコフ将軍が現れ、オオカミを保護した罪で母を連れ去ってしまう。少女はオオカミを連れ、元兵士の少年と共に、母を取り戻すため旅に出る。

(さらに…)

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キャサリン・ランデル『オオカミを森へ』

オオカミを森へ

コアラ:おもしろく読みました。日本とは全然違う世界で、引き込まれました。深い雪や「極みの寒さ」という吹雪など、寒さの描写が印象的でした。翻訳も読みやすくて、かなりの分量なのにすらすらと読めました。「オオカミ預かり人」というのは架空の職業だそうですが、オオカミとの触れあいはとても生き生きと描かれていたと思います。

アンヌ:とにかく表紙も挿し絵も素晴らしくて、楽しみながら読み進めました。オオカミとの生活にリアリティがあって引き込まれましたし、イリヤという兵士が突然現れてオオカミに魅了されて共に行動し、最後には彼の目指しているものもわかって行くというところも、おもしろく読みました。革命の場面で、演説に賛同するのも刑務所に一緒に行くのもまずは尼僧たち。作者はロシア革命の発端である女工たちのデモを踏まえて、この場面を書きたかったのではないかと思います。疑問に思ったのは、刑務所の中にもオオカミを連れた男たちがいるという場面。番犬替わりなのでしょうか? 少し説明がほしかったところです。ラストのエピローグはもっと民話的な語り口にするとか、違う形にしてほしかった。物語と地続きな語りのまま終わるという感じは、少しあっさりしすぎている気がしました。

西山:最後も敬体にすれば、入れ子で昔話のようになったのかな。

アカシア:一応、全体を昔話風にしているんじゃないですか。

冬青:導入部が敬体で始まっていて、最後も昔話のような語り口で終わっているので、敬体のほうが良かったかもね。

アカシア:でも、そうすると、ドラマチックな場面の緊迫感やスピード感に欠けるから、これでいいんじゃないかな。

しじみ71個分:とてもおもしろく読みました。ワイルドな女の子という設定は好物です。前半の展開はスピード感があって、とても気持ちがいいし、敵のラーコフの描き方もとてもいい。これでもか、というほどの極悪人に描かれていてメリハリが効いています。オオカミとの触れあいは胸に迫りますし、脱走少年兵のイリヤがバレエが好きで最後には願いが叶うという点も好もしいし、少年少女の革命というのも、現実味はないけれど、作者からの子どもたちへの激励として受け止めました。

冬青:こういう才能にあふれた若い作家が彗星のように現れるなんて、イギリスの児童文学会はすごいと思いました。“Rooftoppers”もおもしろそうだし。まず最初に「オオカミ預かり人」という仕事を思いついたところが素晴らしい。飼いならされたオオカミを侍らせているロシア貴族の邸宅なんて、ぞくぞくしますね。登場人物が大勢出てくるけれど、それぞれが個性豊かに描かれているので、まったくごちゃごちゃにならずに読めました。ラーコフの憎たらしさがちょっとマンガ的だけれど、これくらいに書かないとドラマチックにならないのかもね。フェオのしゃべり方が、森の中で暮らしているにしては女の子っぽいけれど、これはお母さんが貴族の出だから? 世にも美しいお母さんの背景が知りたいと思いました。

花散里:この本を手にしたとき、表紙画や装丁から絶対におもしろそうだと思って読みはじめました。「野生動物を救う」というテーマで4冊の本を取り上げて紹介(科学技術館メールマガジン)した時に、上橋菜穂子さんと獣医師、齊藤慶輔さんの『命の意味 命のしるし』(講談社)を読みました。齊藤さんは「野のものは、野に帰してやりたい」という思いで猛禽類を野生に帰すために取り組んでいて、上橋さんは「リアル『獣の奏者』」に会いに行くために北海道を訪ねています。この本では、オオカミを野生に帰すという設定にかなり無理があるのでは、と思いながら読みました。91ページのオオカミが仲良く寝ている挿画は、「これがオオカミ?」と気になりましたし、オオカミはもっと獰猛で獣っぽいのではないかと、全体を通して感じました。『鹿の王』で上橋さんは飛鹿とトナカイの違いや、狼に似た黒い犬の怖さとか、よく調べた上で書かれていると思いました。後半、革命扇動者のアレクセイが登場し、子ども達が革命を動かしていくような行動を起こしたり、フェオが演説する場面になると、「オオカミ預かり人」としての前半のストーリー展開から違ってしまったような印象で、読後感はあまり良くなかったです。

冬青:革命にしては、ちっちゃいけどね。

レジーナ:きれいな装丁の本ですね。極寒の地の静謐な美しさや自然の厳しさ、オオカミの息づかいが感じられるような本です。43ページ「家の周囲の森は命の気配にふるえ、輝いている。森を通る人たちは、どこまで行っても変わらない雪景色を嘆くが、フェオに言わせれば、そういう人たちは読み書きのできない人たちだった。森の読み方を知らないのだ。積もった雪は吹雪や鳥たちのことをうわさし、それとなく教えてくれている。朝が来るたびに新しい物語を語っている」、177ページ「雪景色は見わたすかぎり足あとひとつなく、まだ若い木々があちこちで雪に埋もれ、祈りを捧げる北極グマのように見える」など、ところどころに詩的な文章があるのもよかったです。フランスの革命では、何度も覆されてようやく民衆が力を得ます。これはハッピーエンドで終わっていますが、実際にはロシアの革命でも多くの血が流れたのでしょうね。一か所気になったのは、45ページ「今いるオオカミたちのうちの二頭は、人間で言えばちょうど自分と同い年くらいの女の子」です。同じページに「ハイイロは、フェオより数か月だけ早く生まれた雌」とあります。犬は人間の6~7倍はやく年をとるので、オオカミもだいたいそうだと思うのですが、そうだとすると、「人間で言えば同い年くらい」にはならないのでは。

ヒイラギ:「人間で言えば」の部分がちょっとちがうかもしれませんね。

西山:大変おもしろく読みました。いろんな意味ではじめての世界でした。題材も、ちょっとした描写もとても新鮮で。気に入ったポイントがいくつもあるんですが、まず、随所に笑える箇所があるのがいい。例えば、8ページ、5行目から、「オオカミのいる家には幸運がやってくる」として、列挙しているのが、「男の子は鼻水をたらさず、女の子にはニキビができない」という思いもよらない次元で、始まって2ページ足らずのこの段階で「これはおもしろい!」となりました。168ページ「オオカミのところはわからないけど、あとはわかる」とか、全体としてはシリアスで、張りつめていて、血のにおいもするけれど、クスッとさせるところがちょこちょこ出てくる。それを読む楽しさがありました。子どもたちの革命は魅力的だけど、後ろの方は急に軽くなる気はしました。ユーモアを味わいつつも、戯画的には読んでいなかったので、子どもたちが殺されても不思議はないと思っていたから、ホッとするけれど、分裂したイメージになってしまった気はします。アジテーションも浮いてるかもしれない。
カバー折り返しのところに引用された一節「世界でいちばん勇敢で賢いオオカミが死んだ。だからわたしは…」の一節は、自身を奮いたたせるための言葉だと思って、いつ出てくるかいつ出てくるかと思いながら読んでいたので、演説の一節だったことは、少々不満ではありました。軽くなったようで。それでも、演説は魅力的で音読したら気持ちよさそうと思ってしまった。あと、新鮮だった表現、48、49ページ「唇に凍りついた鼻水をかみくだいて吐き出すと」とか。182ページで感情が表れやすい「眉や鼻の穴、口や額がぴくりとも動かないから「表情が読めない」なんて、目以外で心を読もうとするのが新鮮でした。296ページの「罪を犯す覚悟を決めた美しい子どもたちの一団」なんて表現も好き。唯一引っかかったのは、307ページ、「三十分後〜」のところ。時制があれ?と。オオカミを感じさせるシルエットなど、私はイラストにも魅力を感じました。全体に厳しい寒さが感じられるのもいい。訳者おぼえがきで、どこが創作なのかが書いてあるのも親切。満足の一冊でした。

ヒイラギ:さっき花散里さんがオオカミは挿絵とはちがってもっと獰猛なイメージなのではないかとおっしゃったのですが、私はオオカミが好きなので動画や画像もいっぱい見たことがあるのですが、そんなことないです。安心している時はかわいい表情やのんびりした表情を見せるものです。それに、このオオカミたちは人間に飼われていた歴史をもつ者たちですからね。挿絵もぴったりだと思って見ていました。ただ、野鳥を自然に帰す活動をなさっている齋藤先生の本は私も何冊か読みましたが、この本の場合は、生まれてすぐに人間に飼われたオオカミだから、私もリアリティを考えれば野生にかえすのは無理なのではないかと思います。
私はおもしろい冒険物語として読んだので、そういうリアリティとの齟齬はあまり気になりませんでした。これは楽しく読ませる作品なので、これでいいじゃないか、と。原題にもなっているwolf wilderは直訳すると「オオカミを野生に返す仕事をしている人」というくらいの意味でしょうが、訳者の原田さんもそのあたりも含めて考えられたのでしょうか、「オオカミ預かり人」という訳になさっている。リアリティという点でいえば、革命家と言われるアレクセイは15歳で、そのほかの子どもたちはみんなそれより年下です。だから、この子たちが革命を起こすというところにもリアリティはあまりないかもしれない。私は、じつはリアリティにはかなりこだわる方なのですが、この作品ではあまり矛盾を感じませんでした。たぶんこの作品なりの世界がうまくできていて、訳者もうまくそれに沿って訳されているからだと思います。舞台は100年ほど前ですが、今描かれている物語なので、ジェンダー的にもきちんと配慮されていますね。主人公のフェオはおしとやかとはほど遠い嵐のような少女だし、兵士のイリヤはじつは踊るのが好きでバレエダンサーをめざしているなんて。

西山:たしかに女の子が強く描かれているのもいいですよね。

アンヌ:実は読み始めた時はもっとロシアの幻想文学的な物語だと思っていました。特にお母さんについては、とても高貴な顔をして威厳があるというので最初は魔女なのかなと思いました。お母さんについての謎解きもしてもらいたい気がします。

冬青:続編があるのかも。

西山:少年兵のイリヤが、オオカミの出産を見たがるところ。子どもにもどる様子がきゅんとするほどよかった。

アカシア:あの場面があるから、イリヤが兵士の身分を投げ捨てて将軍にたちむかうことを決意する場面も納得できるんですよね。

西山:32ページの真ん中あたり、「さげすむような目でにらんだ。少なくとも、そのつもりでにらんだ。本で読んだだけなので、どういう顔をすればいいのか、じつはよくわかっていない」という、ここもハッとさせられ、すごくおもしろく読みました。読書体験と実生活での体験にこういうベクトルがあることを端的に示してくれたことは意義深いと思います。

エーデルワイス(メール参加):好きですね、めちゃくちゃ。わくわくしました。ロシア皇帝時代オオカミをペットにしていたなんて。なんということをしていたのでしょう。マリーナとフェオの親子が魅力的で、フェオがかっこいい! 作者はまだ若い方で、アフリカジンバブエで幼少期を過ごしている。こんな物語を生み出したのですね。今後も期待したいです。訳もとても読みやすくてよかったです

(「子どもの本で言いたい放題」2017年12月の記録)

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上橋菜穂子『鹿の王』

鹿の王(上/生き残った者 下/還って行く者)

西山:出てすぐに買って読みました。それっきりで、今回読み返す時間がなかったので、その時の印象だけでごめんなさい。もちろん、おもしろかったけど、期待ほどではなく、少しずつ冷静に読んだという感じでした。先が気になってしょうがない、というほどのめり込まず、淡々と少しずつ読み進めたという感じ。冒頭は、なにが起きるんだろうと、とてもドキドキしながら読んだんです。坑内の描写はすごいと。でも物語が進むと、説明的な世界になってしまった。下巻303ページ、真ん中あたりの「ひとりひとり、まったく違うの。どの命も」といった上橋菜穂子の基本的価値観に共感しつつ読んだけど……という感じです。アンデルセン賞受賞直後で派手な帯とか、テレビで騒いでたりとか、何を今更、上橋菜穂子はずっと前からおもしろいわい!と、拗ねていたせいかもしれませんが、上橋作品の中では、私にとっては評価はあまり高くないんです。

レジーナ:謎解きのおもしろさの中に、なぜ死ぬ者と生きのびる者がいるのか、病や死を得ながら生きるのはなぜか、という大きな問題を扱っています。民族間の対立や抑圧は、上橋さんのほかの作品に通じるテーマですね。この本の世界には、混血のトマのように、混じり合いながら血をつなげていく人がいる一方で、火馬の民のように、国を奪われた痛みを忘れられない人たちがいます。オタワルのように、自分の国を失ったあと、知識や技術を活かして国の中枢に入りこみ、したたかに生きのびる人々もいます。国や民族の複雑な関係性を、人の体に広がる宇宙に重ねているのは、ユニークでおもしろい視点ですね。自然を支配しようとする人間の傲慢さ、人知を超えた自然のしくみについても考えさせられます。本のつくりですが、いろんな種族が出てくるので、地図があるとよかったです。

花散里:出版されて、すぐに読みました。自分が大人だからかもしれませんが、主人公のヴァンがとても魅力的に描かれていると思いました。岩塩鉱で出会ったユナを助け、育てる姿は印象的で、ユナを見守る眼差しなどが目に浮かぶようでした。医術師ホッサルが懸命に治療法を探す様子や、愛する人々を救うために奔走していくヴァンの生き方など、下巻の後半がおもしろかったです。謎の病の恐ろしさなどが、とても上手に描かれていると思いながら、惹きつけられるように読みました。『ゲド戦記』(アーシュラ・K.ル=グウィン作 清水真砂子訳 岩波書店)の4巻目が出たときもそう思いましたが、これはYA以上の、むしろ大人の本ではないかと思います。「守り人」シリーズや『獣の奏者』は小学校の図書館でも、とても良く読まれていて子どもたちに人気があります。

冬青:くりかえし読んでも、その度に発見があって面白い本ですね。大人向けのエンタメ本でもエピデミックものは沢山出ていますが、わたしが読んだかぎりでは、たいてい近未来の世界や現代を舞台にしています。でも、この作品はいかにも上橋さんらしい世界を舞台にしているので、魅力があります。自然の描写も美しくて緑の空気をいっぱい吸ったような気になるし、飛鹿を柵の中に入れるところの描写など、実際に動物をどう飼いならすかを見てきた人でなければ書けないような箇所があちこちにあっておもしろかった。でも、地図を見返しにでも入れてくれれば、もっと分かりやすかったのに。病気や免疫についての記述は必要な部分だと思うけれど、ちょっと退屈でした。冒頭は衝撃的で、印象的な場面ですが、それがどういうことか分かるまでがちょっと長くて、年若い読者には辛いのでは?

ヒイラギ:ルビの振り方は、一般書ではなくYAですね。

アンヌ:人の名前が難しいので、今回は読み直しながら、登場人物のページに人物関係表を作って書き込んで行きました。1回目に読んだ時は謎解き中心で読んで行ったので、2回目の今回の方がずっと楽しめました。とにかく私はファンタジー世界を作者が戦争で壊してしまうというのが嫌いで、この作品では戦いはあるものの全面戦争はないので、世界の隅々まで楽しめたという感じです。家族を失っている主人公のヴァンが、一人の幼女を助けたことによって、すんなりと移住民の家族の中に入って行くことができ、その家族は結婚によって別の民族とつながっている。様々な形で家族が形成され、新しい世界が出来上がっていく可能性を示しています。支配層の王たちが、それぞれの妥協点を常に探っているという感じもよかった。もう一人の主人公のホッサルが中心の医学の場面も、推理小説のようにおもしろく読めました。病に抗体がある者はトナカイの乳でできた食品を食べていて、トナカイは地衣類を食べていて、その地衣類でできた薬は、超能力を得たユナの目には光って見えると描かれているところは、ファンタジーならではのとても美しい謎とき場面だと思います。気にかかるのは、後追い狩人サエです。すぐれた能力がある女性なのに、子どもができなくて婚家から身を引いていたり、「あれは寂しい女だから気を付けろ」なんてホッサルに言われたり、やたら顔を赤らめる場面があったりして、かなり女らしく描かれています。封建主義の国の物語だから仕方ないとしても、少し物足りない気がしました。

コアラ:物語の世界に浸っておもしろく読みました。下巻の438ページから440ページくらいで、〈鹿の王〉とは何かという話があるのですが、英雄的な話を否定して、残酷さや哀しみを語る父親のセリフ、仲間を救うのは出来る者がすればいい、ひよっこは生き延びるために全力を尽くせ、という話は、まさに若者たちへの大人からの言葉だなと思いました。それから、音と漢字のあてはめ方がいいですよね。「飛ぶ鹿」と書いて「ピュイカ」と読ませるのは、いかにもピュンピュン飛ぶように駆ける鹿を思わせて、うまいなと思いました。ただ、上下巻の大作のわりには少し印象の薄い物語でした。

しじみ71個分:長編で、世界も人物も複雑な構成になっているのに破綻がない。これだけの世界を構築できる筆の力がまずすごいと思います。ローズマリー・サトクリフのローマ帝国時代のブリテンの物語シリーズを思い出しました。あとがきに、上橋さんはご両親の介護や、ご自身の更年期障害といった、命、生死、病といった問題の中で向きあう中で生まれた物語だと書かれていましたが、上橋さんの思いがよく伝わる作品だと思います。柳澤桂子さんの著書にも言及しておられましたが、私も『われわれはなぜ死ぬのか : 死の生命科学』(柳澤桂子著 草思社 1997)を読んで生物の生死について考えたこともあったので、自分の関心に重なるところの多い作品でした。人の手の水かきが出来ては消えていくように、個体の中で生滅、生まれては死ぬことを繰り返しているという命の不思議さを描くことに挑んだ上橋さんの思いに強く共感します。政治的な面でも、あの国がモデルかしら、とか想像できるのもおもしろいポイントでした。いぶし銀の大人のラブストーリーとしても読めるし、医療、政治、家族等多面的な読み方ができる作品ですし、いろんな知識がもりこまれていておもしろかったです。想定する読み手は高校生以上くらいでしょうか?

ヒイラギ:最初に読んだときは、医学の部分や政治の部分は難しいなと思って、いい加減に飛ばし読みしてしまいました。登場人物がたくさんいて関係も複雑だし、政治の部分も、最初読んだときは私自身の頭の中がうまく整理できなくて、表面的なおもしろさだけを追ってしまったんです。でも今回は、自分で地図も人物関係リストも作りながら読んでいったら、前よりずっと頭に入ってきて、おもしろさも深まりました。構成もよく考えられていて、医学や政治の部分の理屈や説明が続く後にはユナのかわいい言葉や自然の描写があって、うまく調和がとれているんですね。そのあたり、すごくうまいと思います。動物と人間の結びつきもおもしろくて、そのあたりもじっくり考えて書かれているように思います。
ユナが子どもの実像と少し違う、という意見も聞いたことがありますが、この本の中ではこれでいいじゃないかな。知らない親族のところで暮らしたり、ホッサルのところに行ったり、がまんしているところはわずかしか描かれていませんが、ユナが主人公ではないからね。生物の死については「病の種を身に潜ませて生きている。身に抱いているそいつに負けなければ生きていられるが、負ければ死ぬ」というふうに書いてあったりするところで、1回目に読み飛ばしていたのが、今回はああ、なるほどと思ったりもしました。非血縁の人たちが家族をつくっていくというところもおもしろいなあ、と思って読みました。

アンヌ:文庫版には地図がついているようですよ。

しじみ71個分:私は科学的な硬い記述と、ソフトなストーリー部分が交錯することによって、読み方にリズムができるので、それがおもしろいと思いました。ユナについては、ウィルスに感染した生き残りなので、突然変異して新しい人類となってもっと活躍したりするのかと期待したけれど、そこはそうではなかったですね。

アンヌ:たしか親戚の伯母に預けられたとき、ユナは頑固に誰にもなつかないで家を抜け出してばかりいると描かれていますよね。

レジーナ:ユナの舌足らずなしゃべり方は、ところどころ幼すぎるというか、ちょっと不自然に感じるときがありました。

ヒイラギ:私はそれは引っかかりませんでした。この異世界にはいろいろな言語や方言があるのかもしれないし、様々な種族の中で育っているので、最初からすらすらとはしゃべれないんじゃないでしょうか?

冬青:ユナは、リアルな人間の子どもというより、少しばかり神性を持った存在として描かれているような気がしたけど……。

しじみ71個分:確かに、ユナのしゃべり方はその年齢の実際の子どもとはちょっと違った感じは受けました。大人が見た小さい子ども像的な印象。そういえば、私は、描写からユナの絵柄が思い浮かんでこなかったですね。

エーデルワイス(メール参加):以前読んでから読み返していません。文庫でも人気で、予約が続きました。読み応え充分で、浸りたい作品です。日本でもないヨーロッパでもない、架空の時代と世界がなんともたまりません。ただし、私はNHKで放送中の「守り人」を見る気になれません。上橋さんの世界観を出すのには、テレビドラマではむずかしいのかな? ところで、『鹿』ですが、日本中増え過ぎてこまっています。岩手でも問題になっていて、駆除されつつあります。11月下旬に処理されたシカ肉がよそから我が家に届きました。夫がシチューにしてくれましたが、山での姿が思い出されると夫は口にしませんでした。私は「鹿の王」など忘れペロリと食べました。牛肉のようで美味しかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年12月の記録)

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2017年11月 テーマ:外から来た家族

日付 2017年11月23日
参加者 ハリネズミ、ルパン、よもぎ、アンヌ、レジーナ、西山、マリンゴ、ネズ
ミ、ヘレン、(エーデルワイス)
テーマ 外から来た子ども

読んだ本:

岩瀬成子『春くんのいる家』
『春くんのいる家 』
岩瀬成子/作 坪谷令子/絵   文溪堂   2017

<版元語録>「家族」って,なんだろう? 小学4年生の日向は,両親が離婚した後,母といっしょに祖父母の家でくらしていた。そこに「いとこ」の春が,祖父母の養子になって加わることになった。「祖父母,母,春,日向」で『家族』だと祖父は言う。でも,日向は「この家,好きになった?」と聞かれても「わかんない」としか答えられない。そんなある日…。


キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー『わたしがいどんだ戦い1939年』
『わたしがいどんだ戦い1939年 』
キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー/作 大作道子/訳   評論社   2016
THE WAR THAT SAVED MY LIFE by Kimberly Brubaker Bradley, 2015
<版元語録>1939年。第二次世界大戦さなかのロンドン。足の悪いエイダは、けんめいに歩く練習をしていた。歩けさえすれば弟といっしょに疎開できる!――自分らしく生きるために戦う少女と、彼女をあたたかく包む村の人たちを描く。2016年ニューベリー賞次点作。


アンナレーナ・ヘードマン『のんびり村は大さわぎ!』
『のんびり村は大さわぎ! 』
アンナレーナ・ヘードマン/作 菱木晃子/訳 杉原知子/絵   徳間書店   2016.05
MIN FÖRSTA VÄRLDSSENSATION by Annalen Hedman
<版元語録>十歳の女の子アッベは、ママとふたりで豪華客船クルーズに出ているところ。でも退屈なので、去年の夏のすごいできごとを、ママの携帯電話に吹きこむことにした。なんとアッベは、おじいちゃんおばあちゃんが住んでいる「のんびり村」で、友だちと一緒に「ギネス世界記録」に挑戦したのだ! スウェーデンの小さな村を舞台にした、ゆかいでさわやかな夏の物語。

(さらに…)

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キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー『わたしがいどんだ戦い1939年』

わたしがいどんだ戦い1939年

西山:これだけのかたくなさは、なかなかない、というのが一番の印象です。ひどい扱いを受けている子が描かれている作品は読んできましたが、「丸太をなだめているようだ」という表現があったと思いますが、心も体もここまで硬直している登場人物というのは、私はちょっと記憶にありません。幼児期に当たり前に面倒を見られない、それどころか、暴力も振るわれていたわけですが、それが、知識が足りないという次元ではなくて、自分が何を感じているのか感情自体が自分のものでないようなことになるのだと衝撃を受けました。例えば、p266の中ほど、「スーザンへの怒り(略)母さんへの怒り(略)フレッドへの怒り(略)」何事にも怒りとしてしか出てこない。未分化な感情に混乱するばかりの様子が繰り返し出てきて、圧倒されながら読みました。そういうエイダの内面もそうだけれども、どうなるか、どうなるかと先が気になって読み進めるタイプの本ですね。イギリスの戦時中の感じが、灯火管制とか、人を見たらスパイと思えとか日本と同じだなと思う部分と、それでもクリスマスを祝う様子とか、やはりまるで違う部分とか興味深かったです。

マリンゴ: 全体的に、すばらしい作品だなと思いました。引き込まれて、一気に読了しました。もっとも、穏やかな気分で読み終える直前に家が焼けちゃって、ええっ、ここで終わるの!?というショックはありましたが。あとがきを読んだら、続編が出るとのことで、それなら納得です。続編を早く読めたらいいなと思います。あと、1か所だけ気になったのは、2度目に会ったときの母親の態度。前半とあまりにも変わらないので、どうなんだろう、と。娘の変化と息子の成長を脅威に感じて、辛く当たるにしろ、もう少し態度が変わるのではないのかな、とちょっとだけ気になりました。

ハリネズミ:同じ時期のイギリスの子どもの疎開を書いて、同じように虐待されている子どもが、偏屈なつき合いの悪い大人と心を通わせていくという作品に『おやすみなさい、トムさん』(ミシェル・マゴリアン著 中村妙子訳 評論社)がありますね。最初に『おやすみなさい〜』を読んだときは、こんな母親がいるのだろうかといぶかったのですが、これを読んで、ああ、やっぱりいるんだな、と思ったりしました。また『おやすみなさい〜』は物語が直線的に進んでいきますが、こちらはやっといい方向にむかったと思うと、またパニックになったりして、とんとんとはいきません。後書きを見ると、著者はご自身も虐待を経験しているとのことなので、こちらのほうが、よりリアルなのかもしれませんね。それから、イギリスは階級社会ですから、労働者階級のエイダと中流階級のスーザンとは、日本語版で読む以上に隔たりがあるんだと思うんです。日本語に訳してしまうと、そのあたりはよくわからなくなってしまいますけどね。さっき、『春くんのいる家』(岩瀬成子著 文溪堂)の日向は大人っぽいという声がありましたが、この作品のエイダはもっと大人ですね。おかれた状況から、早く大人にならざるを得ないということがあるのかもしれません。

アンヌ:私はこの本に夢中になってしまい文字通り一気読みしました。列車の中から馬に乗った女の子を見るところから始まる、馬に乗り自由に走れることへの憧れや、馬との一体感がとてもうまく描かれていて、K.M.ペイトンの作品、例えば『駆けぬけて、テッサ』(山内智恵子訳 徳間書店)などを思い浮かべ、どんどん読みすすんで行きました。はっきり書かれていませんが、スーザンは多分レズビアンの恋人を失い、その関係性ゆえに村人や父親から疎外されたと感じているのだと思います。その喪失感から鬱状態になっていたところに、エイダたちが来て、だんだん立ち直っていく。子供たちの世話をしながら時々ひどいことを口にしてしまうのも、そのせいだと感じました。エイダは母親の虐待にひどく傷ついている子どもで、何度も何度も拒絶されたときの思いが甦って、相手を信じることができません。無知で人と会うこともなく育っているので、他人を拒絶する言葉をつい言ってしまいます。そんな彼女が変わったのが第36章のダンケルクです。自分が他者に対して何かできると知った時変わることができるのだと作者は言いたかったのだと思います。そうでなければ、ロンドンでもパニックになり立ち直れなかっただろうと思います。この本はとても心に残るので、ついつい続きを考えてしまって、早く続編が出ないと心が安まらない気がしています。

ルパン:たいへんおもしろく、夢中になって読みました。いちばん気に入っている場面は、エイダが警察官に向かって「足は悪いけれど、頭は悪くありません」と啖呵を切るところです。主人公に早く幸せになってもらいたい、という一心で読んだので、お茶の招待になかなか応じないところでは、「早く行け~」と心の中でさけんでいました。

よもぎ:とても読みごたえのある、いい本でした。冒頭の母親があまりにもすさまじくて、ディケンズの小説を読んでいるような……。こういう貧困家庭に育った子どもたちが、ミドルクラスの家に預けられるということがあったんですね。激しい虐待にあってもエイダが心の底に持っていた清らかな魂というか、それは弟に対する愛情によって辛うじて保たれていたものだと思いますが、その魂が馬や、スーザンや、村の人々によって、やがてほぐれて育っていく様子に感動しました。日本の学童疎開にも、いろいろなドラマがあったに違いないのですが、このごろはあまりテーマとして取り上げられないですよね?

ヘレン:この本も『春くんのいる家』のように、子どもの気持ちがよく感じられますね。

レジーナ:私も『おやすみなさい、トムさん』を思いだしながら読みました。p110に「わたしたち、暴風雨にもてあそばれてるね」とありますが、主人公は、戦争や家庭環境など、自分の力ではどうしようもないことに翻弄されます。でもp103に、自由とは「自分のことを自分で決める権利」とあるように、最後には自分で人生を選びとっていくんですね。それまでスミスさんと呼んでいたのが、p184ページからはスーザンと呼ぶようになります。主人公の気持ちが変わる重要な場面だと思いますが、どうしてここでそうなるのか、気持ちの変化についていけなくて、ちょっと唐突な印象を受けました。

何人か:そこは、それでいいんじゃないかな。

ネズミ:ひきこまれてぐいぐい読みました。エイダがどんなふうに成長していくか、目が離せない。「外国の小説」という感じがしました。日本の作品だと、相手はこう思うだろうと思いながらも、人と人があまり直接的に思いをぶつけあわないけれども、この作品の場合、エイダとスーザンが、面と向かって言葉で伝えていく場面が多いですよね。人間関係の作り方の違い、関係性の違いなのでしょうね。そういう違いがおもしろくもありますが、時には息苦しくなるほど。英米の作品に慣れている子どもじゃないと入りにくいかなと思いました。

ヒイラギ:疎開を取り上げた日本の作品は、いじめとか空腹などがテーマで、こんなふうに、それを機会に成長するとか、新しい出会いがあるなんていうのは少ないですね。角野栄子さんの『トンネルの森 1945』(KADOKAWA)はちょっと色合いが違いましたが。

よもぎ:『谷間の底から』(柴田道子作 岩波書店)は、疎開児童が初めて書いた作品として出版当時は話題になりましたが、今でも読まれているのかしら?

ネズミ:この本の表紙はすてきですが、中身のイメージと違うかな。飛行機乗りみたいで。

エーデルワイス(メール参加):読み応えがあって、一気に読みました。まるで昔話の継母のような、主人公エイダに対する実母の仕打ちは、無知なる生い立ちのせいでしょうか。最近いとうみく作の『カーネーション』を読んだばかりですが、母親に愛されないというところは、なんともいえない切なさがありますね。エイダが、虐待による後遺症で、呼吸困難になったり、人に触られる恐怖を感じるところは、具体的でリアルでした。弟のジェイミーが環境の変化でおねしょをする場面では、どんな母親でも恋しいのだろうと思わされました。里親のスーザン・スミスは最初は頼りないように思えましたたが、毎晩エイダとジェイミーに本を読んでくれたり、ジェイミーが学校の担任に左手を矯正されるのに対し毅然とした態度で言い負かすところに惚れ惚れしました。ラストは感動的。続編はどのような展開になるのでしょうか?

(「子どもの本で言いたい放題」2017年11月の記録)

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岩瀬成子『春くんのいる家』

春くんのいる家

ルパン:おもしろかったです。岩瀬成子さんの作品はどれも好きなので、期待していました。複雑な人間関係や心の綾はとてもよく書けていて、さすがだと思いました。ただ、もう少し春くんの魅力が伝わってもよかったのかな、と思います。おもしろかったけれど、印象が薄いというか・・・。

アンヌ:なんだかまるで詩を読んだように感じました。特に心に残ったのは、春くんが夕方まで自転車を乗り回し、日向もまねをするところです。この子たちの孤独と自由と未来への不安が感じられました。ネコを拾ってきた場面では、家族の会話が開かれていく予感がとてもうまく描かれています。でも、こんな風に分析していかないほうが、読んだ後に、ふんわりとしたひとつの世界を感じ続けられるような気がしています。

ヒイラギ:大きな事件は起こりませんが、日向は親が離婚したために母親と一緒に祖父母の家で暮らすことになるし、春くんは父親が病死して母親が再婚し、祖父に請われて「跡継ぎ」として祖父母の家にやってくる。みんなが新しい環境の中で最初はぎくしゃくしているんですが、だんだんにそれぞれがそれなりの居場所を見つけて行く過程が、とてもうまく書けていると思いました。たとえばp34「お客さんみたいだ、わたしと春くんは。いいのに、いいのに、とわたしは思う。親切にされると、親切にされている自分が特別な子になったみたいな気がする」と日向が思うところとか、p46で春が「自転車で走っているとね、なんか、自分が軽くなる感じがするんだよねえ。たとえば、名前とかさ、どんな学校にいってるかとかさ、たとえば家族とか、そんなもんがだんだん消えていって、かわりに体に空気がはいって軽くなるような、そんな気がね、する。それが、たぶん気もちいい」と言うところなんか、うまいなあ、と思いました。日向の母親が離婚の原因を子どもに言わないで何となくごまかすことろは日本的ですが、でもこの母親も家族の今をよく見ていて、「うちは今、なんていうか、たいへんなときじゃないの。今までべつべつに生活していた人間がこうやってあつまって、なんとか家族になろうとしているのよ。つまり、たいへんなときであるわけよ。でしょう? この際だから、ね、ネコも飼いましょう。みんなでいっしょに家族になればいいんじゃないのかな」なんて言ったりするのも、いいですね。最後に、日向がなんだか笑えるような気持ちになって安心するという場面も、言葉で状況を説明してはいないのですが、読者も一緒に明るい気持ちになれますね。

マリンゴ: 岩瀬さんの作品は、小学高学年以上向けのものは何冊も読んでいるのですが、中学年向けは初めてでした。言葉にしづらい感情を言葉にするのが岩瀬さんならではの作風だと思いますが、それを中学年に対してもできてしまうところがすごいと思います。どの年齢の子にも言葉にできない感情はあるでしょうけど、学年が下がるほど、ボキャブラリーが少ないために表現できない気持ちが増えると思うんですね。そういう子たちが、本作を読んで「それってこういう気持ちなのか」と、ハッとすることもあるのではないか、と。また、会話の文体ですが、普通は小学生同士の会話って、くだけた現代的な方向に行きがちですが、この作品では、佐伯さんが丁寧語でしゃべってたりして、そこがとてもユニークだと思いました。

西山:文学だなあ、と思います。岩瀬成子の作品は、筋は忘れちゃうんです。というか、説明しろと言われても、筋が浮かぶわけではない。でも、読みはじめると、岩瀬成子の世界だ!と思う。たとえばp21の「わたしは春くんの青いソックスを見た。春くんとなにか話したいのに、でも、なんのことを、どんなふうに、話せばいいのか、わからない。」「春くんは、わたしが春くんの足を見ているのに気づいて、青いソックスの指先をぴくぴくと動かした。」こういうところ、理屈で説明できない、これ以上でもこれ以下でもない描写に、岩瀬成子だなぁと思ってしまいます。こういう一つ一つが、子どもの心をいい方向に複雑にしてくれる、その複雑さはもやもやを抱えた子どもの救いになるんだろうと思います。佐伯さんの丁寧語も独特の味を出していて、p27の「猛然と腹が立った」とか「それはね、思い過ごしでしょう」とか、こういう話し言葉は、岩瀬成子の世界を作っていると思います。子ども読者がそういう言い回しに出会うことはとても良いことだと思いますし、こういうのはおもしろがると思う。そこここに散りばめられたユーモアも好きですね。「おばあさんになったら、だれでもネックレスを好きになるんじゃないのかな」(p29)なんて、笑ってしまった。刺身を応接間の高そうな壺の中に隠してた思い出話のところもおもしろい。p49の「おれら、悪い子だなあ」「うん、悪い」「わたしは急にうれしい気もちになった。もっと、ずっと悪い子になれそうな気がしてきた。不良とかになろうと思えば、なれるかも、と思った。そしたら、おじいちゃん、きっとすごく怒るだろうなあ。/くふ、くふ。わたしは笑った。」なんて、おもしろくてたまらない。独特で、硬直した子どもにまつわる問題意識みたいなのをゆるめてくれる気がする。一言一言がおいしい1冊でした。

ネズミ:とてもおもしろく読みました。大きな事件が起こらないのに、物語が成り立っているのがすごいなと。だれが何をしたという筋を楽しむ物語と、岩瀬さんはまったく違うアプローチなんですね。行ったり来たりする思いや細やかな気持ちを見せてくれる作品。p36の「ほんとは気もちがごちゃごちゃしたのだけれど、ごちゃごちゃする気持ちをうまく伝えることなんて、できそうになかったから。」と、p61の「おじいちゃんのなかにも、いろんな気もちがごちゃごちゃとあって、怒りたいとか、心配だとか、もっとべつの気もちもあって、そのいちいちが、すんなりでてこないんだ。」、こういうのを読むと、言葉にできないこともすべてひっくるめて表されていてすばらしいなと思いました。一人称で書いているのに、この子の世界や家族のひとりひとりのようすが自然に伝わってくるのもうまい。大きな事件が起こるのを求めている読み手はとまどうかもしれないけれど、手渡せば好きな子はいるだろうなと思います。「しっかりしろよ、娘」とお父さんが言う父娘の関係が今風で、ステレオタイプな人が出てこないのがおもしろいな。

レジーナ:祖父母といっしょに暮らすようになって、そこに従兄もくわわって、どこかぎくしゃくしていた関係性が、猫を飼いはじめたことで少しずつ変わっていきます。子どもの心を繊細にとらえて、くっきりと描いていますね。

ヘレン:すごくやさしくてわかりやすい話です。子どもの感じとか大人の感じが描写されていて。はっきりした筋があるというより、雰囲気を大事にしている作品です。日向ちゃんは大人のことをよくわかってくれていますね。

よもぎ:わたしも、西山さんとおなじに「文学を読んだ」という感動をおぼえました。悲しいとか、辛いとか、嬉しいとか……そういう感情の底というか、とっても薄い幕の向こうに透けてみえる心の動きを掬いとるのがうまいなと、いつも思います。わたしがいちばん好きなのは、春くんが夕日の沈む瞬間を見たというところ。最後に、日向ちゃんといっしょに朝日を見ようというところと呼応していて、見事だと思いました。それにp85の日向ちゃんの「だってしょうがないじゃん」という台詞。10歳の子に、こういうことをさらっと言わせるなんて、すごい! わたしは常々、ひとりひとりの人間が描けていれば、たいした筋がなくても、それだけで文学として成立すると思っていますが、この作品でも同じことを感じました。日向ちゃんの家族はもちろんのこと、友だちの佐伯さんや合田くんも、ページからくっきりと立ち上がるように描けている。会話が上手いってことでしょうね。佐伯さんの「なめとこ山の熊」の話、とってもおもしろかった。筋がないという話が出ましたが、実は、ゆったりとした、大きなストーリーが流れているんじゃないかな。

エーデルワイス(メール参加):小四のひなたと中二の春くんは、大人の事情で翻弄されているように思いました。それでも子どもは、自分の居場所を見つけていくのですね。淡々と生きて行く春くんと、それを見つめるひなた。悲劇になってもおかしくない物語ですが、明るい方へもっていきましたね。佐伯さんの「なめとこ山のくま」の話がおかしかった。岩瀬さんは賢治がお好きなのでしょうか?

(「子どもの本で言いたい放題2017年11月の記録)

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図書館の神様

きゃべつ:瀬尾さんは好きな作家です。瀬尾さんの作品では、いつも主人公が、自殺したくなったり、恋人が死んでしまったり、どん底の状況になることが多いですよね。でも、生老病死は避けられないけれど、だからといって救いがないわけではないということを、いつも全力で言っていて、そういうところが児童書らしいなと思います。この作品でも、最後のところで、救われる場所や人はちゃんといる、ということを書いていますよね。作品の根が明るいところが、森絵都さんの作品に通じている気がします。

オカリナ:私、この本のよい読者ではなく、身につまされるところがあってそこを中心に読んでしまいました。この主人公は本嫌いなんですね。で、私も今、本嫌いの人たちと付き合わなければならない立場にいるのです。だから本嫌いの人って、そうか、こんなふうに思うのか、こんな反応をするのか、だったら、こっちはどうすればいいのかな、なんて考えながら読んでしまいました。

きゃべつ:瀬尾さんは、たしか司書さんでいらっしゃいますものね。もしかしたら、そういった読書嫌いの子と日々向かい合っているのかも知れません。

オカリナ:読後感のいい小説ですね。

アンヌ:頭痛を逃れるためにスポーツに打ち込むという設定には、じんましんの痒さを逃れるためにスポーツを始めたと言っていた人がいたので、リアリティを感じました。ただ、ここまで本を読まない国語の先生なんているはずがないと思ったのですが。

一同:いっぱいいるんじゃないでしょうか。

アンヌ:垣内君が、高校生にしてはできすぎているようで。夜中に電話をしても怒らないし、なんだか主人公のことを、呆れながらも見守ってくれている老紳士のようでした。弟も心配して5年間毎週のように様子を見に来てくれているし、3人の男性に守られて時間とともに更生していく話と感じました。ただ、夏目漱石の『夢十夜』をとても怖がりながら読んだり、授業で生徒たちと語り合ったり、生徒の書く物語を読む場面は好きでした。先生には、こんな楽しみもあるんだなと思いました。

ジラフ:この作家は好きで、わりとよく読んでます。自殺未遂だとか、この作品もそうですけど、何かつらいことがあって、水の中でじっと息を潜めているみたいにやり過ごしている時間のことがよく書かれていて、読み終わった後にある種のカタルシス、清々しさを感じます。淡々としていて、地味な作品が多いのに、この読後感にもっていけるのは、作者に力があるんだと思います。主人公が恢復していく場所が、この作品では図書室で、ここで「袖振り合う」というくらいの淡い出会いがあって、でも、たがいに必要以上に深くは踏み込まないで、また別れていく。そのあっさり加減がいいんです。でも、「袖振り合うも多生の縁」で、やっぱりそれはかけがえのない、再生に不可欠な、ひとつの出会いのかたちなんだと思います。

レジーナ:さらっと読みました。主人公はバレーに一生懸命で、正論を語りますが、正しさというのはひとりよがりになることがあるし、人を追い詰めることもありますね。特に悩みを抱えた人は、正しさを求めているわけではなく、自分の気持ちを受け止めてもらいたいだけだったりしますよね。でも高校時代の主人公には、それがわからなかった。不倫についても、相手に嘘をついてないから裏切ってないかというと、そうではないように、人間関係や人生には白黒つけられない部分があって、この作品はそこを描いているのだと思いました。浅見さんは自分の教え方に問題があるから、生徒が料理教室をやめていくことにも気づいていません。子どものような大人ですね。魅力が感じられませんでした。主人公と垣内君が、日本十進法から教科別に、本の並びを変える場面があります。一時、赤木かん子さんの提唱で、すべての本を内容別に並べる学校が増えました。しかし非常に使いにくく、今、困っている学校がたくさんあります。特定の主題にくくれる本ばかりではないですし、ひとりの担当者の考えでその本の主題を決めても、どう分類したのか、後から配属された人にはわかりません。p122(※単行本)に、10年以上寝たきりだったおばあさんがサナトリウムに入ったとありますが、ホスピスではないでしょうか。今の時代、結核患者のサナトリウムはあまり見かけませんが。

レン:さらっと読みました。大人の童話だなと思いました。高校生も読んでると思うけれど、大人が懐かしんでいる感じがして。主人公は社会人になってもまだ自分探しをしていて、大人になりきれない大人が、中高校生に寄りかかる。そういうのを私は、積極的に中高校生にあまり勧めたくないなあと。親が子に不満をぶつけるとか、高校生に頼ってしまうという状況がいやなんです。

紙魚:私も大いにそう思います!

レン:大人に守られるべき18歳以下の子にもたれるというのは逆だろうと。

オカリナ:この主人公は浅見さんには寄りかかっているけど、垣内君には寄りかかってないと思う。不満をぶつけたり、悩みを打ち明けたりはしていないから。

レン: 最終的に主人公は救いを見いだすし、読者も希望を抱けるのかなと、みなさんの話を聞いているうちに少し思えてきたけれど、それでも、大人の童話かな。

オカリナ:いや、この主人公もまだ大人にはなってないんじゃないかな。20歳で自動的に大人になれるわけじゃないから。垣内君は、何か問題を抱えていそうな主人公にやさしいけど、それだけで、別に負担に感じたりはしていない。一定の距離をおいて対応しているんだと思うな。

紙魚:物語の印象が非常に軽やかでふわふわしていて、やや頼りない文体、あいまいな人物設定には、個人的には信頼しがたいなと感じてしまいました。自殺とか、不倫とか、病とか、通常、ごくごく気をつけて扱うべき事柄を、あっさりと書いてしまうことにも、ちょっと違和感を持ちます。でも、もしかしたらそれも、作者の意図なのかもしれません。というのも、この小説には、深刻さの押し売りがなかったなと。読み進めるにしたがってだんだんと、登場人物の事情がちらっと見えてきたり、人がどう本から影響を受け変わっていくかということが伝わってきたり。人間関係はすごくやっかいでめんどくさいことは、もちろん作者だって承知のうえで、でもそれを最初から書かず、解像度が低い景色から、だんだんと識別可能な精密さへ持っていこうとしているのかなとも思います。ただ、正直なところ、この主人公はあんまり好きになれなかったです。大人とは思えなくて。
オカリナ:主人公は垣内君に頼ってはいないですよね。

紙魚:確かに、頼っているわけではないんですよね。このような大人と少年の関係性は、山田詠美の初期の作品などにもちょっと似ている感じがあります。

きゃべつ:先ほど、森絵都さんの『ラン』(角川文庫)と作品が似ているという指摘がありましたが、たしかに『ラン』の主人公も22歳で、児童書の主人公になる年齢ではないし、子どもでいていい年齢でもないと思います。ただ、肌感覚として、社会人1、2年目って、ほんとうにぐらぐらしていて子どもだし、森さんにしても、瀬尾さんにしても、大人として描いていないのではないでしょうか。このお話のユニークなところは、文芸部の顧問と生徒だったら、顧問が詳しくて、生徒がやる気ないのがふつうだけれど、それが真逆なところですよね。立場が逆転しているからこそ、先生と生徒という関係性でも、対等でいられるのではないのかなと。だから、精神的に依存しているわけではないのだと思います。たしかにその軽重を理解せずに、安易に生老病死を扱ってはいけないですよね。そのことは、新人賞の選考会でもよく話題になりますが、瀬尾さんの場合は、その重みはよくよく分かっていて、わざと問題そのものを真っ正面から描かず、回復していく心に焦点をあてているのではないかなと思います。生老病死に苦しむ気持ちは読者の内側にあるから、それを借景にして、そこから先を書く、というような……。

パピルス:読みやすくてパッと読むことができましたが、特におもしろいとは思いませんでした。人物描写が薄っぺらいというか、例えば、最初に不倫相手が出てきたときの会話では、「不倫相手」(男性)と会話してるというのがわかりませんでした。同性との会話か、ファンタジーみたいに人間じゃない生き物と会話をしてるのかな? って思ってしまいました。主人公は過去に傷があり、再生していく物語であると帯で謳われていました。その傷というのが同級生の自殺でした。傷を表現するためにとってつけたように死を持ってきたような印象を受けました。

ルパン:これ、半分くらい読んだところで、ようやく「前にも読んだことある!」って気がつきました。

オカリナ:印象が薄い本なのかしら。

ルパン:エンタメとして読んじゃいました。同級生の死に責任を感じている、っていう設定なのに、いまひとつ「重さ」が伝わってきません。国語の教師が、高校生に触発されて本を読み出す、というのも、まじめに考えたらちょっと……。とりあえずおもしろかったけど、マンガみたいな感じでさらっと読んじゃったからだろうな、と思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年12月の記録)


マークース・ズーサック『本泥棒』

本泥棒

ジラフ:とにかく文体が新鮮で、語り口が魅力的でした。ナチス政権下のドイツっていうシチュエーションで、こういう女の子が主人公の話は、ほかにもあるかもしれないし、あり得ると思うんですけど、作者がノートに自由に書きつけていったみたいな、みずみずしいアプローチにぐいぐい引かれて、読み進んでいく感じです。訳者のあとがきによると、最初は100ページくらいの、もっと短い話を書くつもりが、ナチス時代のドイツというシチュエーションを得たことで、物語がふくらんで、こんなに長くなってしまったそうです。登場人物の心象風景がすごくビビッドに伝わってくる表現もいっぱいあって、それは、物語の展開を、語り部の死神が「上から」見ているせいかもしれません。

アンヌ:とても読みづらく、苦戦しました。特にプロローグ。死神のモノローグで始まるので、SFなのかと思ったりしました。その後も、まさか語り手として死神がずっといるとは思わなかったので、なかなか物語の中に入り込めませんでした。死神というものが、神なのか神のしもべなのか、よくわからないせいかもしれません。いきなり、かくまわれているユダヤ人の青年が絵本を書き、それがそのまま文中に出てくるのも斬新でした。主人公のリーゼルが本を読むことを覚え、やがては防空壕の中や隣家のおばさんに朗読するようになる物語には感動しました。養父母が実は優しい人だとわかってくるとホッとしました。特に、お父さんがとても魅力的でした。飢えている人にパンを与えずにいられないとい人。けれど、それが、罰せられる社会に震撼しました。ヒトラー・ユーゲントについて書かれていることも衝撃的で、このように、与えられた言葉を唱えることの方が重要だという教育を受けると、自分でものを考えない大人になっていく、自分で物事を判断しない、ただの兵士が出来上がるのだなという怖さを感じました。

パピルス:読みにくい本でした。中盤までは一文一文読んでいたのですが、後半は斜め読みをしてしまいました。ちゃんと読めていなくて消化不足なので、あれこれいうのは気が引けますが。まずは文体が特徴的でした。短文でパッパと展開していく印象を受けました。死神の視点で物語が進んでいくというのがおもしろいと思いました。主人公が預けられた家の人たちは、最初は冷酷な人たちに思え、主人公には悲惨な日々が待ち受けていると思われました。ツライ物語かと。が、実は皆良い人だったので安心しました。予想も裏切られておもしろかったです。本を通して主人公が文字を覚えていくところが好きな部分です。ナチス政権下に生きる人々を描いた作品では、『ベルリン1933 』(クラウス・コルドン著 酒寄進一訳 理論社)を読みました。コルドンの作品では、時代背景の描写がもっとしっかりしていてよく伝わり、その時代に懸命に生きた人々の姿が鮮明に描かれていました。なぜ「ナチス政権下のドイツ」をテーマにしたのかがわかりました。ちゃんと読んでないので間違っているかもしれませんが、今回の作品は「皆さんご存知の絶対悪のナチスや、皆さんご存知の絶対悪のヒトラーが」というように、小説を書くための単なる要素の一つとしてナチスを扱っているような印象を受けました。

オカリナ:ここ10年でいろいろ読んだ中で、私はこれがいちばんといっていいほどおもしろかった。死神とあるけど、英語では大文字のDeathでしょうね。日本語では神となっているけど、一神教の場合は神のほうが位が上。だから、別に矛盾はないと思います。それから、ナチスはドイツでも絶対悪というふうには捉えられていないと思います。悪魔のしわざではなく普通の人がああいうことをする流れになっていったのが怖いのです。この作品も、そのあたりをうまく書いています。生と死、愛と別れ、狂気と正気、そういうものをとてもうまく書いている。そして死神にも個性や情をもたせているのもうまい。この作品は言葉の問題も扱っていますが、ヒットラーの言葉と、庶民がつながっていく言葉が別種のものだということがわかる。それから、登場人物の一人一人がとても個性的で、ちょっとしたことから性格やその人の世界観がわかるようになっています。一つ気になったのは、小見出し(死神の言葉)の扱い方。原書でセンター合わせになっているからといって、日本語でもセンター合わせにしたら読みにくい。あんまり考えないで編集してますね。

紙魚:これはきっと、原書がそうなっていたんでしょうね。横書きだとセンター合わせでよいでしょうが、縦書きでこうするのは間違いだと思います。

オカリナ:人物像もそれぞれがくっきり現れてきます。養母も悪態ついてるけど、実はいい人だというのも読んでいるとわかってきます。ヒトラーの言葉と、ふつうの人がつながっていく言葉はちがう、と書かれている部分なんかも深いです。リーゼルの父親への愛情も心を打ちます。だから死神もリーゼルを特別扱いするんですね。

ルパン:すみません、まだ途中までしか読んでいないんですど、出だしのところから、「死神が語っている」という設定が子どもにわかるのかなあ、と思いました。あと、各章のはじめに見出し? みたいなものがあるのですが、これがわかりにくかったです。ストーリーの先取りのようですが、じゃまをして話の世界にどっぷりつかれないように思います。

オカリナ:ここは必要だと思いますけど、訳が不十分なので、有機的につながっていないんじゃないでしょうか。

紙魚:そもそもは一般書だったのに、アメリカでヤングアダルトとして刊行したらすごく売れたという話を聞いて気になっていたので、じつは映画を観てしまっていました。なので、すでにあらすじが頭にあり、みなさんよりは読みづらくはなかったと思うのですが、それでもやはり難航しました。この本の印象は、読み手がどう死神とつきあうかで変わると思うのですが、本のつくりのせいなのか翻訳のせいなのか、どうも死神にうまく引っ張ってもらえなかったように思います。でもこの本は、死神を語り手にしたからこそ、時間も場所も自在に移動できたんですよね。好きだったのは、地下室でリーゼルが本を読む場面です。そのシーンが読みたくて、読み進められたといってもいいくらいでした。弟も死んでしまい、両親とも別れ、なにも持っていない女の子が、言葉を手に入れることで生きる力を得ていくということが書かれている物語です。ああ本っていいものだなあとあらためて素直に思えました。私も本の世界にたずさわる者として、なんだったら、盗んででも本を読んでほしいなあとさえ思いました。実際のところ、状況はまったく別ですが、もしかしたら将来、本の世界がやせ細り、読みたい本が読めない時が来てしまうかもしれないと、最近、危機感を抱くこともなくはないんです。

きゃべつ:売れる本だけをつくろうとすると、多様性が細っていくような気がするので、そうならないようにできればと思います。

紙魚:自由に好きな本が読める喜びを、本の中で感じました。途中、マックスの書いた寓話が入っていますが、あの部分、よいリズムを生み出していますよね。それにしても、アメリカでベストセラーになった本で話題性もあったというのに、なぜ日本では売れなかったんでしょうかねえ?

オカリナ:日本語版の体裁や、死神の台詞の部分が読みにくいですよね。私は、小見出しをとばし読みしました。私も映画をDVDで見ましたが、映画より本のほうがおもしろかったです。せっかくの内容なのに、編集の仕方で損をしてるのかもしれませんね。

ルパン:もし書店や図書館でプロローグだけ立ち読みしたら、そのまま棚に戻していたかもしれません。

アンヌ:字を太くして強調されると、逆に読みにくくなってしまうと思います。

オカリナ:英語で太い字になっている部分を機械的に太くしているのでしょう。もっと配慮した編集をしないと、いい本だって売れないですよね。もったいない。

きゃべつ:字を大きくしたりするのは、ハリーポッターから目立つようになった気がしますね。

ルパン:アスタリスクも気になります。内容はいいんですけどね。気に入っているのは町長の奥さんが「盗んででも本を読んでもらいたかったの」というところです。

レン:ごめんなさい。まだ3分の1くらいしか読めていないんです。おもしろいと言われたので、どこかですっと読みだせるだろうと期待してきたんですけれど、まだ入りこめていなくて。語り手が死神であることも、50ページくらい行ったところで、ソデの「わたしは死神。」というのを読んで初めてわかったのですが、それがわかっても、やっぱりなかなか進みませんでした。
 
レジーナ:数年前に読み、非常に心を動かされました。しかし、日本語が読みにくい部分もあるので、それを含めて考えたくて、この読書会で読みたいと思っていました。語り手は、人間らしい感情を持つ死神です。毎日のように空襲があり、収容所へ向かうユダヤ人の行進が町を通る時代です。どこにも希望が見出せず、死さえも救いとなるような状況は、いわば神なき世界であり、そうした中では、神は死神となるしかない。しかし、この死神は死をもたらすだけではなく、人間らしい生き方を貫いた者、他者への思いやりを持ち続けた者に目を留めます。言葉に生かされるリーゼル、死んでいく敵国人パイロットのそばにクマのぬいぐるみを置くルディ、ユダヤ人にパンを差し出す父親……。死神は、瓦礫の中に最後まで残る人間性を照射しているのです。リーゼルを支える周りの人々の描写が温かいですね。父親は、煙草を売って本を手に入れ、読むことを教え、出征の前には、「防空壕で本を読み続けるように」とリーゼルに言います。この時点では自分でもまだ気づいていないのでしょうが、リーゼルにとって物語がどれほど大切か、父親はちゃんとわかっているんですね。リーゼルを愛する母親やルディも、深い悲しみの中を生きるフラウ・ホルツアプフェルも、粗野で武骨で、文学に関心があるわけではありませんが、豊かなものを持っている人たちなのでしょう。

 この本には、人がいかに言葉に生かされるかが描かれています。一番心に残ったのは、リーゼルが、収容所に向かうユダヤ人の列の中にマックスを見つけ、「ほんとうにあなたなの?」「わたしが種をとったのは、あなたの頬からだったの?」とすがりつく場面です。マックスはリーゼルに物語を書き、リーゼルは、病気のマックスのために石や羽を拾っては、それにまつわる物語を聞かせます。そんなマックスが収容所に送られたことで、リーゼルは、言葉というものを信じられなくなったのではないでしょうか。人は嘘をつくし、上っ面だけの言葉を言うこともあります。マックスはどうしようもなく去っていくのですが、それでもリーゼルは、マックスを失って、世界は生きるに値しない、言葉で語るに値しない、言葉は役に立たないと感じたのではないでしょうか。

 私は4歳の時から毎日、日記を書いていますが、数年間どうしても書けなかった時期がありました。本当に絶望したとき、人は言葉を失い、自分のことを語れなくなります。リーゼルは、町長夫人の言葉をきっかけにして、悲しみを乗り越え、自らの物語を書きはじめました。長田弘さんの詩に、「ことばというのは、本当は、勇気のことだ。人生といえるものをじぶんから愛せるだけの」とあります。言葉は、世界や人生への信頼に根差したものなのだと思います。リーゼルという名は、ドイツ語の“lesen”(読む)という単語に少し似ています。言葉を渇望し、物語を愛した少女にふさわしい名前です。国際アンデルセン賞の受賞スピーチで、画家賞を受賞したホジェル・メロさんは、「言論の自由が奪われた時代に育ち、政府に好ましくないことを書いたために連れて行かれる人々を目にする中で、言葉がどれほど力を持つかを知った」と語っていました。言葉には大きな力があり、だから権力者は言葉を恐れて焚書を行う。ナチスは中身のない言葉やスローガンを植え付け、考えない国民を育てる。先月、『ベルリン』三部作を書いたクラウス・コルドン氏が来日しました。若い人に向けて歴史小説を書く意味についてお話され、「歴史的な出来事の真実を書きたい」とおっしゃっていました。真実を語ること、同時に、真実を語れる環境を守っていくことが必要ですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年12月の記録)

Comment

とびらをあければ魔法の時間

アンヌ:花柄模様の陶器の犬が出てきたので、『とびらをあけるメアリーポピンズ』(P.L.トラヴァース作 林容吉訳 岩波少年文庫)の「王さまを見たネコ」を思い出し、きっと、この犬もきっと動きだすぞとわくわくしながら読み始めました。思ったとおり、クッキーの甘さにほっとできるような別世界が開く物語でした。ただ、もう少し物語の展開をのんびりしてもらいたかったような気もしました。本の中から出てくるのが、動物とお菓子。これを1日にしないで、動物の日、お菓子の日、音楽の日、で、もう1度音楽、くらいな流れはどうだろうと考えてみたりしました。でも、3回もサボったら、先生から電話がかかって、レッスンをさぼっているのがばれるから、2回が限度かもしれませんね。こんな風にあれこれ構成を考えてしまったので、他の作品を読んでみたくなり、『あひるの手紙』(朽木祥作 ささめやゆき絵 佼成出版社)を読んでみたら、これもおもしろく、見事な構成の作品でした。

レジーナ:おもしろく読みました。子どもの時に出会っていても、きっと楽しく読めた本です。ファンタジーの場合、世界を作り過ぎる作家もいますが、そうではなく、曖昧なままで終わるのが見事ですね。

レン:すいすい読めました。おもしろいけれど、どこか既視感がある感じ。賢治の『注文の多い料理店』と似ているかな。ピアノ教師の知り合いの話を聞くと、この主人公みたいに、まじめに練習しているのにできなくて追いつめられるような子は少なそうなので、書きだしのところでどこまで今の子が物語にのってくるかなというのは、ちょっと思いました。

きゃべつ:こういうふんわりとしたお話をどう読めばいいのかわからなくて、読んでいて、気になるところがずいぶんと出てきてしまいました。まず、気になったのが、情報が後出しじゃんけんになっているところです。最初に、音楽の練習に行きたくないという話が出てくるけれど、次のページをめくって絵を見るまで、主人公がなんの楽器をやっているのかがわからず、とまどってしまいました。「メヌエット」という言葉だけで、バイオリンとわかる人が多いのでしょうか。「谷戸」や「☆のように急がず」という言葉に、注訳が入っているのも気になりました。主人公がこの言葉を理解できていないのに、読者だけがわかるだなんて、へんな気もします。あと、「鳥ノ井驛」も旧字をすんなり読んでいたりして、そういったところに、作者の存在を感じてしまいました。この物語で不思議なのは、人が出てこないところで、たとえばすずめいろ堂にはじめて入るとき、他人の家に入るのに、主人公は住んでいる人の姿を熱心に探しません。そして、勝手に人の本を手に取ってしまう。なぜ、そこには本しかないのか、なんのために存在する場所なのか、など気になることはたくさんあります。たとえばそこにおじいさんでもいたら、そのあたり違和感なく、また注釈での説明を必要とせず、伝えられたのではと感じました。
この作品がいいのは、「すずめいろどき」という言葉(概念)を使っているところだと思います。でも、すずめいろいろどきってどんなだろう、ってうまくイメージができなくて、そのせいか、世界にひたることができませんでした。すずめいろどきのあいだだけの魔法というのが魅力的なのに、最後のところで主人公が「営業時間をのばしてくれるかも」と安易に言っているのが、少し興ざめでした。あと、小見出し、2行取りで鳥が2羽以上いるのは、窮屈な感じがすると思いました。でも、高橋和枝さんの絵は、やっぱり素敵ですね。とてもよかったです。

オカリナ:この本屋さんは異空間なので、現実的でないところがあってもいいんじゃないかな。かえってその方が、異空間にさまよいこんだ感じが出るので、著者はきっと敢えてそうしているのではないかと思います。人が出てきたりしたら、リアルな日常空間になってしまいそうです。子どもって、どうしていいかわからなくなったとき、自分で視点を変えることってなかなかできない。それが、本という異世界で別の視点を獲得すると、何か見えてくる。そんなことをこの本から感じました。

レン:あさのあつこさんの『いえでででんしゃ』(佐藤真紀子絵 新日本出版社)も思い出しました。いやなことがあって家出したあと、おかしな人といっぱい会って、そこから戻ってくる。ストレスをかわすのに、こういうお話はいろいろあっていいのかもしれないですね。

オカリナ:この作者の方は、研究などもしておいでだったようなので、谷戸などにもちゃんとわかるように注が入ってるんですね。

ジラフ:楽しかったはずの習いごとがいやになって、でも、「自分で(楽器が)ひけたら、どんなにうれしいだろう」という、習い始めの楽しかった気持ちを思い出すまでのことが、とてもうまく書かれていると思いました。見知らぬ駅が、不思議な異空間への入り口になっているのもよかったです。ただ、このファンタジーの背景になっている「すずめいろどき」という時間が、具体的にどういう時間なのかイメージできなかったので、最後まで霞がかった感じがぬぐえなくて、そのことはずっとひっかかりました。「すずめいろどき」という言葉に、私はこの本で初めて出会いましたけど、どこかの地域の言葉なんでしょうか。

オカリナ:空の色ではなく、暮れなずんできたときの街並みがすずめの色みたいに見えるんでしょうか?

レン:スズメの色を、あらためて見てしまいますね。

アンヌ:こうやって本を読んだ後に、ある時ふと黄昏に、「ああ、これが『すずめいろどき』なのか」と思ったりする楽しみがありますよね。

紙魚:朽木さんの本なので、もしや教養がぎっしりつまっている物語なのかしらと思いながら読み始めたところ、いえいえ、とってもおもしろくて、物語の中にどんどん入っていくことができました。感銘を受けたのは、音楽という、文章で表現するのがもっとも難しいものが、まるで自然と音がきこえてくるかのように表現されていたことです。ふだん私たちは音楽を、美術など芸術の範疇のなかで語りがちですが、朽木さんは、そこから見事に解放されて、音楽をおかしや動物との対比によって表現している。そうか、音楽って、好きなもの、楽しいものという範疇の中に入れて、こんなふうに表現すればよかったのかと、すがすがしく感じました。

ルパン:既視感があるお話なのだけど、不思議とそこがよかった気がします。子どもの本の王道、という感じですよね。斜に構えていないところがとても好感がもてました。大傑作ではないけれど、珠玉の佳作というか、くせも気取りもなくて、読み終わったあと幸福感があって、とてもいいと思いました。

オカリナ:読者対象を考えると、あまりひねっても仕方がないですもんね。

ルパン:「お約束どおり」にストーリーが進んでいく安心感が得られます。「平凡」なのではなく、「安心感」。おさまるべきところにすとんとおさまるうれしさ、みたいなものがありました。

紙魚:p84に、「そうだった。ずっとわすれていたけど、わたしもまえはそう思っていたのだ。大すきな音楽を、きくだけじゃなくて、自分でひけたらどんなにうれしいだろうって。」という文章がありますが、この本をずっと読み進めて、ここにたどりついた時、本当に心がふわっとして、私まで、ああそうだったという気持ちになれたんです。おそらく作者は、この境地を描きたかったのではないでしょうか。私も子どもの頃ピアノを習っていたのでわかるような気もするのですが、子どもの時って、どんなにピアノが好きでも練習はいやだし、うまくなろうと地道に練習しようと考えたりもしないんですよね。でも、お稽古をやめるときかれれば、やめたいわけでもない。小さい時って、先のことを考えずに、そのつど今を生きていますから。ただ、ふと「そうだった」と思う時もやっぱりあったりするんです。このあたりのことが、なんとも自然に描かれていて、すごいなあと思いました。

ルパン:最後のところで、ピアノを始めたばかりの頃の気持ちにもどるところ、「そう、そのせりふを待っていたの」と言いたくなりました。このお話のすべては、そのひとことに至るまでの道だったんだね、という、いい意味での予定調和ですよね。結末はわかっているのだけど、そこまでのプロセスがちっとも飽きさせなくて。

オカリナ:お話の長さもちょうどいいですね。これ以上長くなると、冗長になります。

パピルス:主人公の女の子の気持ちがよく伝わり、おもしろく読みました。高橋さんのイラストも可愛く文章とぴったりで、お話の世界に自然に入り込めました。年末は仕事だったり家庭のことで忙しくて落ち着いて読書ができないのですが、時間があるときに再度ゆっくり読みたいと思いました。主人公の女の子が本から「文字」を通してメッセージを受け取るのではなく、本を開くとクッキーが出てきたり、音楽が流れてきたりして、それらがメッセージとなって女の子に伝わるという設定に感心しました。対象読者である小学校低・中学年の子に、本を読む楽しさがわかりやすく伝わるなと思いました。

きゃべつ:あっ、今調べてみてわかりましたが、「すずめいろどき」ってほんとにあるんですね。たそがれどき、夕暮れどきのことを言うようです。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年12月の記録)


アンナレーナ・ヘードマン『のんびり村は大さわぎ!』

のんびり村は大さわぎ!

レジーナ:薪を積んで世界記録に挑戦するとか、八本足のテーブルで「スパイダー・クラブ」のひみつ会議をするとか、ユーモアのあるお話ですね。p33「わたしたちの脳みそ、ゆるんでたのか、とけてたのか?」など、主人公のちょっとした言葉づかいもおもしろくて、楽しく読みました。

よもぎ:とてもおもしろかった! おもしろい本をおもしろく訳すのって、なかなか難しいと思うのですが、さすがは菱木さんだと感心しました。子どもといっしょになってギネスに挑戦して、鼻の穴に棘を刺してしまうお母さんなんて、日本の物語には登場しませんよね? 主人公の女の子が養女だってことは最初に書いてあるのですが、後半になってスリランカから来た子どもだとわかる。そして、同じスウェーデンの南部から来たおじさんが「おまえとおれはよそものだ」という。日本の物語だとおおごとになりそうなことを、実にさらっと書いてあるところなんかいいですね。ああ、よその国ではこんな風に暮らしている人たち、家族もいるんだなと、小さな読者たちも自然に分かるんじゃないかしら。登場人物が多いけれど、それぞれキャラクターがはっきり描けているので、「あれ、この人は?」と迷わずに読めたのもうれしかった。

ルパン:これも、とってもおもしろかったです。挿絵の雰囲気が気に入りました。p63の、ストローを口いっぱいにくわえた顔とか、p155の、おじいさんたちが必死で薪を積んでいるところとか。お話とぴったり合っていると思います。薪を積むというミッションと、世界記録への挑戦を組み合わせたアイデアがいい。ただ、宝くじがあたって豪華客船の旅に出ているという設定はいらないんじゃないでしょうか。回想シーンにする必然性がなく、わかりにくくなるだけのような気がします。

ヒイラギ:旅行をしている間に回想したことを録音していくという設定ですよね?

アンヌ:最初の船旅のところで主人公と一緒に退屈してしまい、なかなか読み進めませんでした。村の話になってからは楽しく、北欧の生活や日本と違う価値観を知ることができてよかったと思いました。例えば、年金生活者のおじいさんがのんびりしていたり、けがをして働いていないロゲルも生活は保障されていたりするところ等ですね。後になって主人公が養女で肌の色も違うとわかり、船旅で娘だと思われなかったのはそのせいかと分かったりしました。

ヒイラギ:今回の3冊はどれも主人公が10歳という同じ年齢なのですが、テイストがずいぶん違いますね。この作品がいちばん子どもっぽい。アッベたちが、無邪気にギネス世界記録に挑戦するんですが、そこで自分たちも無理かな、とは思わないし、周囲の大人も無理だからやめろとか、せめて練習してから本番にのぞめ、なんて言わないんですね。お国柄かもしれませんが、今のスウェーデンは子どもらしい時期を大人がちゃんと保証しているってことかも、と思いました。最初のほうは常体と敬体が混じっているのですが、それに違和感を感じないですっと読めるのは、さすが菱木さんだと思いました。挿絵はおもしろかったのですが、主人公のアッベはスリランカから来たので肌の色も茶色いんですよね。その子が問題なく周囲にとけこんでいるようすをきちんと出すには、挿絵の肌ももう少し茶色だったいうことがわかるようにしておいたほうがよかったのではないかと思いました。表紙だけは少し色がついていますけどね。

マリンゴ:個人的なことなのですが、わたしはリンドグレーンの「やまかし村」シリーズが本当に大好きで。特に『やかまし村はいつもにぎやか』(大塚勇三訳 岩波書店)は、村の風景と子どもたちを描いた表紙で、少しだけこの本の装丁に似てるんですね。イラストのタッチは全然違うのですが。同じスウェーデンの作家ということもあり、そっちの方向で期待していたら、全然内容が違ったので、「コレじゃない感」がどうしてもありました(笑)。テンポよく、たくさんの登場人物がうまく書き分けされていると思います。また、子どもって先走ってどんどんしゃべってから意図を説明するような、そういうまだるっこしいしゃべり方をしがちですけど、それが文体に反映されていて、10歳の子らしい一人称だなと思いました。ただ、豪華客船の設定がうまく生かされていない気はします。普通に時系列じゃダメなのかな? 1年前の出来事と、今の豪華客船でのことがどこかでリンクする――たとえば気に食わない乗客のギュンターさんが実はギネスの記録保持者で少しだけ分かり合えるとか――そういう仕掛けがあるほうが、個人的には好みです。

西山:ルパンさんやマリンゴさんがおっしゃっていたのと一緒です。入れ子にして、回想にして、物語をわかりにくくしていると思います。豪華客船のクルーズという大枠に必要性を感じない。中でやっていることの単純明快さや、絵の雰囲気とから考えると、小学校中学年ぐらいの子が楽しく読めるはずの本だと思うので、複雑な構造はそぐわないと思いました。それはそれとして、スウェーデンの人の感性の違いを感じられたのはおもしろかったです。母親が娘のイベントの邪魔するのにはびっくりした。なんのかんの言っても、力を貸すとか何か展開があるかと思いきや、本気で対抗していて、本当にびっくり。「火薬のカッレ」の「本物の〈薪爺さん〉」ぶりも笑えましたね。p171の「どこが薪がたりないっていうのよ!」って、内心一緒になって突っ込み入れてました。いやぁ、なんか、本当にのどかなのんびり村でした。

ネズミ:私も、クルーズに出て、1年前の出来事を書くという設定がなくてもいいのに、と思いながら読みました。客船でのお母さんとギュンターのやりとりなどなしに、のんびり村の出来事を楽しめてもいいのにな、と。記録をつくろうとがんばるところとか、マムスマムスを食べて気分が悪くなるとか楽しかったです。おもしろさや子どもらしさは、リンドグレーンの『長くつ下のピッピ』に通じるところもあるかな。

ヒイラギ:この作品では、人種の違う養子がごく普通に受け入れられている。お母さんが娘と張り合うところも、日本だったら継母なのになんて思われるだろうと考えると、遠慮してこうは書かないですよね。そんなの一切関係なく、普通の遠慮のない親子関係になっているのが、またおもしろいと思いました。

エーデルワイス(メール参加):親が離婚しようが再婚しようが恋人ができようが明るくて、スウェーデンらしいおおらかさですね。「ギネス世界記録」に挑戦するところや、薪を積み上げるところが神泉です。親友のアントンがいじめにあうところは日本と変わらないなと思い、ナージャがアッベの一時的な正義感に意見を言うところではジンときました。p52で、マッチ棒を鼻の穴にいれるところは笑ってしまったし、p53の「ギャーギャーわめく人がいる家にはいられないもの。耳は大切にしないとね。とくに子どものときはね。」というアッベの台詞が気に入っています。会話をこんなふうにユーモアで返したいなあ。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年11月の記録)


山本悦子『神隠しの教室』

神隠しの教室

レジーナ:ネグレクトや虐待など現代のテーマが盛りこまれていて、気になっていた作品です。バネッサが、「母親の通訳をするのを負担に感じている」と打ち明ける場面が印象的でした。義務教育に外国籍の子どもは含まれないんですね。知らなかったです。今いろんな家庭があるのに、全員の母親が来ないと帰れないというのは、少しひっかかりました。電話はつながらないのにインターネットは通じるなど、ファンタジーのつくりとして気になる点もありました。

ネズミ:こことは別の世界に行きたいと思っている、学年もばらばらの5人の子どもたちが別世界に行ってしまう。帰ってこられるのかとかドキドキしながら、ぐいぐいと読まされました。字がけっこう小さい長い本だけれど、会話が中心なので物語に入りこむとどんどん読めてしまうというのがいいですね。こんなにたいへんな状況の子ばかり集まるか、と最初は思ったけど、こういう子は1クラスにひとりはいるだろうし、十分ありうることかもしれませんね。読んでいると、いろんな状況の子がいることが見えてくる。乱暴だけど優しくて、時に悪ふざけがすぎてしまう聖哉とか、一人一人のいろいろな面が描かれているのもいいですね。苦しい状況にある子どもたちを応援しようとする作者の姿勢が感じられる作品でした。子どもだけでなく、養護の先生の視点が混じってくるのですが、先生もいじめられていたことがわかることが作品に厚みを与えている気がしました。p314「逃げることも恥ずかしいことじゃない」というせりふは、作者が言いたかった言葉でしょうね。いろいろな問題を抱えながらも、なんとか自分の力で生きていくことを応援していて、いいなと思いました。

西山:バネッサが出てくるところで、おおっと思いました。保健室に連れていく係として、あたりまえのように「日本人」名前でない人物が出てくる。日本の児童文学作品では、登場人物の国籍は多彩とは言えないので、とても新鮮でした。『児童文学』7-8月号の特集<〝壁〟を超えて>で、そういう観点で触れたのですが、現実社会では、地域差はあるとは言っても、様々な国や民族のルーツを持つ子どもがいるのに、 日本の創作児童文学の中ではほとんどお目にかからない。これは、良いこととは思えません。ともかく、一息に読みました。多数派からはじかれたのか、自分がはじいたのか……排除されたかわいそうな子どもたち、ということではなく、たてこもっているとも取れて、外と隔てる壁が両義的で新鮮です。学校自体が、いじめがあったり、子どもたちが抑圧されるマイナスの舞台として焦点化された作品は多かったと思いますが、この作品は、学校がシェルターでもある。大人にもできること、やらなきゃいけないことがあるというのも早苗先生のあり方を通して描かれていて、メッセージとして好感をもちました。

ハリネズミ:著者の山本さんは、やはり2016年に出した『夜間中学へようこそ』(岩崎書店)もおもしろかったですね。さっき、レジーナさんが電話は通じないのにパソコンは通じるのでファンタジーの約束事がどうなっているのか、とおっしゃいましたが、この本に出て来るのは有線電話で、パソコンとはシステムが違うので、私は全然気になりませんでした。ファンタジーの約束事が壊れているとも思いませんでした。児童文学の流れで言うと、親が子どもにちゃんとした居場所をあたえられない場合、親以外の大人が登場して支えることが多いのですが、この作品では「学校」という建物が子どもたちを助ける。そこがとてもおもしろいと思いました。みはると聖哉以外は、「もう一つの学校」に緊急避難したときに、自分たちでなんとかしようという意欲も意志も生まれてくる。でも、年齢の低い1年生のみはるは、母親の恋人に虐待されているのを自分の意志だけではどうすることもできない。6年生の聖哉はネグレクトしている母親が不在なので衣食住すべてに困っていて、これまた自分の意志がどんなに強くても解決できない。だから、外からの助けが必要なのですね。
様々な問題を抱えた子どもたちですが、問題の一つ一つがリアルだと思いました。最初読んだときは、「母親がそろわないと戻れない」というところで、子育ての責任は母親にあるというメッセージが出てしまっているのではないかと思ったりしたのですが、もう一度ていねいに読んでみると、そう言い出したのは母ひとり子ひとりの聖哉で、聖哉の気持ちが強く反映されているだけだとわかりました。p225に、もう一つの世界に行ったものは戻って来ないとあって、そういう設定だと思って読むと、カレーパンだけ行ったり来たりしているな、とちょっと不思議に思いました。バネッサが自然に出てくるのはいいですね。そのバネッサと加奈は同じクラスですが、それ以外は触れあうことのなかった子どもたちが、時間と空間を共にするうちに触れあっておたがいに思いやったりするようになる。

アンヌ:「神隠し」の物語は多いけれど、この物語は「神隠しにあってしまった」側の冒険談ですね。なんといっても冒険物語に必要なのは、どうやって食物を確保するかという事です。この物語では、「神」ではなく「学校」からの一種の贈り物のような「給食」という食べ物がまず与えられます。けれども、それだけでは一日一食になってしまうから、畑からプチトマトを採集したり保管倉庫から非常食を取って来たりして、生き残るための冒険がなされて行く。そういうところが、気に入りました。でも、実は引き出しの中のロールパンに気づいた時、ここで外界につながっている、きっとここでやり取りをするんだと思ったので、パソコンで通信するというのは意外でした。異世界の中で子供たちは成長していく。外界の大人も変わって行く。でも、それと同時に、大人である早苗先生の中には、まだいじめが影を落としていて、完全に和解するとは書かれていません。納得がいくけれど、ある重さも感じました。

よもぎ:なによりおもしろかったのは、学校という建物が生命を得た存在のように子どもたちを守るという設定でした。長い年月、ずっと子どもたちを見守りつづけてきた古い校舎だからこそ、そういう力を持ったということなのでしょうね。いろいろな状況で苦しんでいる子どもたちを守りたいという作者の思いが伝わってくる作品だと思います。ストーリー自体も、子どもたちがこれからどうなるのか? なぜ聖哉だけ、行方不明になった子どものリストに入っていないのか? など、いくつかの謎が次々に出てきて、最後まで一気に読んでしまいました。長いけれど、小学生の読者がしっかりついていける作品ですね。ただ、文体が重苦しくて、古めかしい感じがしたんですけど、こういう内容だったらしかたがないのかな? ユーモアがないというか……。

ハリネズミ:この作品はテーマがテーマだけに、ユーモアを入れるのは難しいですね。自分のことだけで精一杯だった子どもたちが、「もう一つの学校」に行って少し心がリラックスすると、やさしい面を見せていく。そこの描き方もすてきです。

ネズミ:学校の先生を批判的に描く本も多いけれど、この本では、子どものことを思い、それなりに職務を果たそうとしている先生が描かれてますね。

ハリネズミ:アン・ファインの『それぞれのかいだん』(灰島かり訳 評論社)も、それまでは触れあうことのなかった、それぞれに問題を抱える子どもたちが、宿泊旅行をきっかけに出会って、おたがいを知り、元気になっていくという物語でした。似た設定なので、比較してみてもおもしろいかも。

ネズミ:この作家は愛知県の方なので、身近に日系人を見てきたのかもしれませんね。

西山:テーマとして焦点を当てて描かれているのではなくて、そこにいる子どもの一人として当たり前に出てくるのがいい。

ネズミ:今はいろんな国籍の子どもがいますよね。親が外国籍かどうかは、名前だけではわからないし。思った以上に外国とつながる子どもは多いと思います。

ルパン:今、本が手元になくて、細かいところについてはお話できないんですけど、前に読んだとき、とてもおもしろかったことを覚えています。ただ、別世界の作り方がちょっとご都合主義的に思ったところはありました。給食は出てくるけど、お盆は返せないとか。ただ、読んでいてつまずくということはなかったですね。ストーリー性があってよかったです。神隠しにあった子どもの母親のなかに、保健の早苗先生を昔いじめていた元の同級生がいるわけですが、そこの家庭が、その後どうなったのかも知りたいと思いました。

エーデルワイス(メール参加):5人の問題(親の虐待、育児放棄、いじめ、在日外国人)を抱えた子どもたちと、小学校時代にいじめを受けたことのある養護教諭が登場します。子どもたちのサバイバルとミステリーと、再生へと繋げて見事な展開でした。聖哉についてはもう胸がつぶれそうに切ない。食べ物の確保からして自分ではんとかしなくてはならないのですから。子どもが一人で、心の弱い母を保護し、そこから一歩越えて生きて行こうとするんですね。早苗先生が、かつて自分をいじめた多恵と向き合うところは、綺麗ごとに終えてなくて、迫力がありました。p381に「これからはずっとこの空のしたにいる。もう逃げない」という言葉があります。希望のあるラストですが、弱い私は逃げてもいいのでは・・・と、思ってしまいました。

さららん(メール参加):いじめ、虐待、ネグレクト……今の子どもたちの問題を、学校というもっとも日常的な場を使いながら、そこに「神隠し」という非日常の穴をあけて、子どもと大人の両方の心理からうまく描いている作品だと思いました。重く、暗くなりがちなテーマですが、サバイバル物語の要素、謎解きの要素に助けられ、どんどん読み進みました。「もうひとつ」の学校からどうしたら出られるか、あるいは救い出せるか、子どもの側と大人の側の両方から推理し、パソコンでやりとりしながら、解決を探していくところが面白く、「行方不明」になった子どもは「5人」でなく「4人」だと思われている点がずっと気になります。それは聖哉のせい。彼以外の子どもたちは、自分が「変わる」ことを決心して外の世界に帰り、聖哉はむこうの世界に残ってしまう。けれども最後の最後で、現実に生死の境にあった聖哉が救われる。
子ども時代にいじめにあい、「神隠し」にあった早苗先生自身も、いじめた側の多恵(亮太の母親)と対峙することで自分を乗り越えます。P349の「お母さんが来ないと帰れないなんて、この世界のルールを決めて、自分をしばりつけているのはあなたなの。あなたは帰れるのよ!」という早苗先生の言葉が、とても良いと思いました!

(「子どもの本で言いたい放題」2017年10月の記録)


まはら三桃『奮闘するたすく』

奮闘するたすく

アンヌ:ケガだけではなく認知症にもなったおじいちゃんがデイサービスに通うのについて行き、夏休みのレポートを書く。自分からボランティアに志したわけでもない小学生がデイサービスに行くという設定がおもしろくて、介護職の人や調理師さんとか、うまく描かれているなと思いました。祖父といる時のつらい思いやせつなさと同時に「お年寄りのやることには意味がある」と理解しようと変わって行くところ等、いいなあと思いながら読みました。花の部屋への推理小説じみたストーリーも、うまい仕掛けです。p.231-232の、死について考えつつ、人には死の間際まで生きようとする力があるという感じ方や、死者が心の中に生きていくというふうに繋がって行くところも、いいなと思いました。なんといっても、お年寄りと小学生の男の子たちが古い歌謡曲の「食べ物替え歌」で盛り上がって行き、最後は大笑いのうちに幕を閉じていくというところが、本当に意外で傑作だと思いました。

レジーナ:デイサービスでの経験を通して、死や老いについて考える小学生の等身大の姿がユーモアたっぷりに描かれていて、好感がもてます。「宇宙が存在するのも、考える自分がいるからだ」と思う場面が印象的でした。p137で、祖父が、「自分ではできないとわかっているけど、世話にはなりたくない。なのに、『どうしたいか』ときかれても困る」という台詞には実感がこもっていますね。ただ「やきもち」や「ケチ」など、お年寄りの姿が少しキャラクター的に描かれている感じがしました。リニが初対面でハグする場面もちょっとリアリティがないように思えて違和感がありました。

西山:たいへんおもしろく読みました。もう少し低学年向けかなと思いながら手にとったら、『伝説のエンドーくん』(小学館)くらいのグレードかなと。読み始めたら、大人として普通に楽しむ読書となりました。最後、あのおばあさんを死なせなかったのがよかったな。大笑いで終わらせたっていうのが、たいへん賛成でおもしろかったです。レジーナさんが今挙げたところとか、私もなるほどと思って読んでました。あと、p167の「佑の思考は、妙な具合にカーブした」とか、おもしろい軽い書きぶりがあちこちあって、でも、ただ奇をてらったという感じじゃなくて、「人間ってぜってー、死ぬんだよな」(p231)「でも、死んでからもたまに生きてるぜ」(p232)なんて、軽いけど、妙に深い。一つ難をいえば、早田先生がこの課題を与えた意図というのが、単なる思いつきなんだか・・・・・・。何か、深い意図が明かされるかと思いながら読み進めたけれど、別に説明はありませんでしたね。そのへんはエンタメ的に読み流さないとだめなのかな。有無を言わせない目力って、教師のパワハラでもあると思うと、ちょっとひやひやしました。1カ所文章で気になったのは、p173のまんなかあたり、「自分が怒鳴ったくせに、祖父は引っ込みがつかなくなっている」のところ、「くせに」じゃなくて、怒鳴った「から」ではないのかと思いましたが、ここ、どう思います? インドネシア人のリニさん、言葉がたりない分、あけすけで、おもしろかったです。

レジーナ:「自分が怒鳴ったくせに、祖父は引っ込みがつかなくなっている」ですが、ここは佑が、「自分が怒鳴ったんでしょ?」「自分でやったんじゃん」と思っている箇所なので、これでいいのではないでしょうか。

西山:なるほど!

よもぎ:ユーモアがあって、テンポの良い作品で、楽しく読みました。高齢化社会になって、ゆくゆくは介護職を選ぶ子どもたちが大勢いると思うので、良いテーマを選んだなと思いました。外国から来る介護士の方たちも、ますます増えてくると思いますし。細かいところですが、蝉が羽化するところを見たいと願っていたおばあさんの話、いいなあと思いました。幻のように白く透きとおった蝉が、だんだん緑色を帯びてきて、最後に茶色い蝉になる……本当に、何度見ても飽きないですよ!

ハリネズミ:さっき、西山さんが教師のパワハラか、とおっしゃったのですが、私はそうは思いませんでした。この先生は、たすくがいつも中途半端に流しているのを見ていて、もっと突っこめばおもしろいよ、ということを分かってもらうために、この課題をあたえたのだと思います。ほかの子どもたちのこともよく見ていて、それぞれに別の課題を与えているのかもしれません。老人クラブの老人たちは、すぐに「ひごの~もっこす~」と歌ってしまう坂本さん、言葉を普通とは違うところで切って話す北村さん、女子力の強いよし子さんなど、個性的な人がそろっているし、インドネシアから来たリニさんも、いい意味で存在そのものがユーモラス。だから私もおもしろく読みましたが、たすくの祖父までおどけさせなくてもいいのに、とちょっと思ってしまいました。p61で「大内警部補、出動だ」とたすくが言うと、「はっ」と言って敬礼までするところなど、やりすぎのように感じました。それから「花の部屋」についての謎も、盛りすぎ、引っ張りすぎの印象を持ちました。そうまでしなくても、充分おもしろく読めるのに、と。

ネズミ:父のデイサービスに、最近私も何度かついていきましたが、そこでも東南アジア系の人が入浴介助を担当してました。こういう世界のことは、以前はわからなかったのですが、自分が行くようになってから、認知症の高齢者を扱った本がちょっと気になるようになりました。子どもに伝えるのが難しいテーマなのか、「これはいい」と思う本になかなか出会えません。この物語は、老人のなかに小学生が入っていきます。戯画化と感じるところもあるけれど、明るくしないと描けないテーマでもあるのかなと思いました。認知症になっても誇りはある、こんな子どもじみたことはできないという「おさるのかごや」の場面だとか、すごく大変な介護の現場での、働く人たちに優しさが伝わってくるところがいいなと思いました。ブルー・コメッツの歌で、おじいさんや母親にも青春があったことを知るというのもうまいです。難しいテーマですが、こういう作品がもっと書かれてほしいです。

ルパン:個人的には母も認知症が始まっていたので、せつないところが多々ありました。おじいちゃんが作品を額に入れられてプライドを傷つけられるところとか、時折正気になったときに悄然としてしまう場面とか。そう思うと、自分たちの世代にはダイレクトに響くけど、今の子どもたちにとってはどうなのかな。小学生のおじいちゃん、おばあちゃんは最近若いですから、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん世代の話かな、と思います。いずれにしても、こういう本を通して、子供たちに介護現場の情報が入るのはいいことだと思います。

西山:介護が子どもに身近な話題になっているのは確かだと思います。親が介護でたいへんになると子どもにはねかえるし・・・・・・。

さららん(メール参加): 目力のある早田先生から、夏休みの宿題としてデイサービスに通い、様子をレポートしてほしいと頼まれた佑(たすく)と一平。警察官だったおじいちゃんの認知症がすすみ、デイサービスにつきそいはじめます。おじいちゃんの認知症の描き方(受け答えがすごくはっきりしていたかと思うと、びっくりするぐらいわからくなることの繰り返し)に、リアリティがありました。佑たちの通っているデイサービスは、かなり自由で、さまざまな人生を経たいろんな老人たちが暮らしている。入ってはいけない『花の部屋』もある。その部屋の謎はあとで明かされますが、すこーし肩透かしの印象がありました。インドネシア人のリニさんも登場し今の介護の現場の雰囲気を伝え、インドネシアではお年寄りが大切にされていると語ります。最後は替え歌の大合唱と、笑いのうちに大円団……なんですが、ここはちょっとついていけなかった。年をとることや、デイサービスがどんなところか理解するうえで、良い本かと思います。大人も子どもも生き生きとした言葉遣いとエピソードの積み重ねで描かれ、まはらさん、うまいなあと思うのですが、面白い読み物かどうかというと……どうなんでしょう?

しじみ71個分(メール参加):とてもいいと思い、気持ちよく読みました。前に、まはらさんが選挙をテーマにした本を読んだときは、社会のテーマを子どもに伝えるお気持ちは分かるものの、保守の議員の孫という設定に、馴染めない感じがありましたが、今回は、馴染めないところを感じることもなく、重いテーマを、笑いとペーソスを織り交ぜ、軽やかに、きちんと子どもに届ける本になっていると拝見し、大変に気持ち良く読了しました。話の筋が明快で、簡略ながらもご老人たちの個性がきちんと書き分けられ、愛情と尊敬ある筆致で描かれていると思います。誰もが迎える老いと死を子どももきちんと知ることは重要だというメッセージもきちんと、花の部屋のエピソードで届いていますし、とても効果的になっていると思います。介護する家族の視点もあり、外国人労働者の問題もあり、社会問題をきちんと子どもに届けるという作家のお気持ちが分かりました。自分の関心のあるテーマでしたので、ますます心に沁みました。現実は、こんな素晴らしい、明るい介護施設ばかりではないと思いますが、拘束、虐待、人権無視のような施設が存在する現実を変えていくために、子どもも大人もみんなが普段から老いや人生を考えていくために、必要な本だと思いました。

エーデルワイス(メール参加):前回の『こんとんじいちゃんの裏庭』に引き続き、老人問題ですね。デイサービス、老人福祉施設、外国人福祉士・・・と、今どきのことがきちんと書いてあります。私の世代では親の介護をしている者がほとんど。私の場合、現在87歳の母は12年前にアルツハイマー病と診断され、『要介護1』と認定されました。その後父を説得して3年前にデイサービスの手続きをとりました。今年の9月、今度は89歳の父が肺の病気で入院、認知症もでてきて、『要介護1』の認定を受けました。病院は治療を終えると退院しなければなりませんから、施設の入所を検討中です。何を言いたいかというと、「奮闘するたすく」の物語が私の現在とリンクしたわけです。年寄りは子どもに戻ります、「二度わらし」はいい言葉ですね。はじめと終わりに歌謡曲の替え歌で、明るくてちっとも悲惨でないのがいいです。現在母は私の家にいますが、文庫や親子わらべうた会に連れて行きます。子ども好きの母は楽しそうに遊んでいます。子どもたちも違和感ないようで、母に懐いています。佑や一平のように、子どもの力は大きいと思います。介護保険で日本の介護は随分変わったと思います。家族以外の力を借りての親の介護は助かります。もう一言いいますと、今どき一人が一人の介護ではありません。私には夫の両親も健在(92歳93歳)です。また今年独身の叔母(母の妹)を看取りましたし、もう一人の独身の叔母も施設に入っているので看ています。夫も入院中の独身の叔父を看ています。長寿国家で、子どもの出生率が低い日本の行く末は如何に・・・!?

(「子どもの本で言いたい放題」2017年10月の記録)


ニール・シャスタマン『僕には世界がふたつある』

僕には世界がふたつある

ハリネズミ:読み始めたはいいのですが、どこまでいっても入っていけなくて、どうしようかと思いました。病を持った人が見ている世界が描かれているんだと思いますが、苦しいんだろうなあとは思っても、長い作品なのでえんえんと不可解だったりして、楽しい部分がない。それに原書はYAですが、日本語版は大人向けに出ていますね。よほど本好きな子でないと読むのが難しいのではないでしょうか。それにこれを読んだから、統合失調症のことがすべてわかるわけでもないし。物語ではなくレインの『引き裂かれた自己』(ちくま学芸文庫)を読んだほうがまだわかる。こういう本は、だれが読むのかな?と、思ってしまいました。

ネズミ:読むのがつらい物語でした。正直、途中ななめ読みした部分もありました。こういう世界がある、ということを知らせるという意義は感じますが、多くの読者の共感を呼ぶのは難しいだろうと思いました。言葉遊びの部分は、日本語だと音も意味もつながらずおもしろくありませんが、原文だとおもしろいのかな。

西山:いやぁ・・・・・めくりはしました。でも、船の世界の方はほんとに、斜め読みで、一応めくっただけです。この作品が、だれかの救いになるのかなぁ。不安定な精神状態で読んだら、病を深くしないかしらと思ったり・・・・・・。うーん、しんどかったとしか言えません。

レジーナ:数年前、3分の2くらいまでは原書で読んだのですが、それも読みにくかったです。いろんなテーマの本があって、いろんな子どもが生きやすくなるといいな、とは思いますけど。看板など目に映るものが、そんなことあるわけないのに、なにか重要なメッセージを送っているように思えて、その指示に従わざるをえなくなるなど、主人公の心の描写にはリアリティがあります。でも、心を病んだ人の目から見た世界を、そうでない人が入っていけるように描くのは、なかなか難しいですね。夜の病室で、キャリーと僕が抱きあう場面がありますが、そんなことは本当にできるものなんでしょうか。

西山:『レイン~雨を抱きしめて』(アン・M・マーティン作 西本かおる訳 小峰書店)は、主人公の女の子のことがいとしくなったけど、これが子どもに読まれても異様なものとしか思われないんじゃないかと思ってしまった。

レジーナ:『レイン』は、1章まるごと同音異義語について書いてあるのを日本語版では省いたり、パニックをおこした主人公が同音異義語をさけぶ場面ではそれを数字に変えたり、訳も編集も工夫しています。

よもぎ:たしかに妄想の場面などわかりにくいのは当たり前だと思うのですが、間に挟まれている現実の場面とのギャップが痛ましくて、最後まで突きはなさずに、きちんと読まなければという気持ちになりました。仲の良い友だちと一緒にやっていたことができなくなる、友だちが後ずさりして自分の家のドアから出て行く……本当に深淵に突きおとされたような気持ちになるのではと思いました。古い作品ですが、乙骨淑子作『十三歳の夏』の15章に、主人公の13歳の利恵がたまたま精神疾患のある青年と電車で乗りあわせる場面があるんです。怯えたように大声で泣く青年を、隣にいる年老いた母親がおだやかな口調でなだめている。青年が泣いている理由など、ほかの人たちには理解できないものなのでしょうが、母親はその悲しみに寄りそっている。その母親の姿に、主人公は心を打たれるのです。作者が亡くなったあとのことですが、知的障害の娘さんを持つ方が、この箇所を読んだことで乙骨淑子の大ファンになったと聞いたことがあります。ニール・シャスタマンも、乙骨淑子と同じ姿勢で精神疾患のある息子や、おなじ病を持つ若い人たちに向かいあっているのではと思いました。最後に船長から船に乗れといわれた主人公が「もう乗らない」とか「絶対にいやだ」ではなく、「今日は行かない」といったところがリアルで、なかなか良かった!

アンヌ:半分くらい読んで、これはファンタジーではなくて悪夢だぞと気づき読めなくなりました。統合失調症について知らないからだろうと思って、精神科医の著作等を読み、改めて読み進めたのですが、現実世界と著者が深淵と呼んでいる別世界との関連がわかりませんでした。病院での主人公の行動も、例えばなぜ薬を飲まなかったのか等も、医者側からのアプローチが書かれていないので読み解くことができないままでした。読んでよかったと思えるのは、精神の病というものを普通の病気と同じように見ていく視点が与えられたことです。

西山:よかったところもありましたよ。「98あったはずの未来」の「こうなれたかもしれないのに」のほうが「こうなるはずだったのに」よりずっといいから。死んだ子どもは偶像化されるけど、精神を病んだ子どもはカーペットの下に隠される」(p194)、これは胸に刺さりました。

ルパン:何がどうなっているのか、わからないまま読みました。精神を病んでいる人にとってはこう見えるのか、ということがおぼろげながらわかったような気がしますが…。今回の課題でなかったらきっとすぐに投げ出していたと思うのですが、がんばって最後まで読んだら、空色のパズルピースの場面がぐっときました。精神を病んだ人の気持ちを知るにはいいのかもしれないけど、これは児童書なのか、考えるとかなり議論の余地があるかと思います。子どもに読ませたいかと聞かれたらノーです。そもそも、どこの、なんの話か、イメージがまったくわかない。「カラスの巣」というのがマストの上のバーの名前であることなど、しばらく読まないとわからないし、空間としての理不尽さも、スヌーピーの家のようなワクワク感がなく、ただ理解不能のフラストレーションがたまるだけ。船も白いキッチンもそれがどういう場所であって何を表しているのか最後までわからない。ただ、最後まで読むと、精神疾患の人に世界がどう見えているか、そして現実の友人には精神を病んだ友達がどう見えるのかということが書いてあって、主人公が妄想と現実の間を行ったり来たりしているということがわかります。心の病を持つ人に共感はできなくても、これを読むことで、少しでも理解しようという気持ちにはなれると思います。いずれにしても、読み終わったときは、どっと疲れました。再読したらもっとよくわかるのかもしれないけれど、これを2度読む元気はないかな…。

さららん(メール参加):ここまで深く、精神疾患を持つ少年の心の世界に入った作品は読んだことがありません。海賊船のエピソードも、主人公ケイダンにしてみれば、エピソードでもなく、夢でもなく、現実そのものなのでしょう。深い海溝にもぐりこみ、浮き上がってくるまでをケイダンと共にし、意味がわからない部分もたくさんあるのですが、ページを繰る手が止まりませんでした。病院、海賊船の航海、白いプラスチックのキッチンの世界を行き来しながら、なんの前触れもなく病院にいるカーライルが、海賊船の乗組員のカーライルになったりします。本を読んでいる間じゅう、なにかにしがみついていと、体が振り落とされてしまうジェットコースターに乗っているような気分でした。いっぽうで、薬とその効き目の関係や、病状につける名前は便宜的なもので、一人一人全部症状が違うことなど、多くの学びのある作品でした。

しじみ71個分(メール参加):まだ、全部読めてなくて申し訳ありません。しかし、何と言っても残念なのがタイトルです。あまりにも説明的過ぎて、浅くなってしまい、つまらないです。深海の、海淵の底から見上げるような、孤独を表すタイトルではないと思いました。お話自体は、フィクションながら作家自身の息子の経験を下敷きにしているので、耐え難い苦悩に満ち溢れて、深海をたゆたうようつかみどころなく、内容は理解しようとすると難しいように思いますが、訳のおかげか、主人公の現実と非現実を行き来する恐怖が、幻想的かつ淡々と伝わりました。悲劇の終焉が待っているのだと思いますが、家族が救いになることを期待して読み進めます。

エーデルワイス(メール参加):宮沢賢治作『小学校』のきつね小学校の校長先生が、授業を参観し終えた主人公に「ご感想はいかがですか?」と訊ね、主人公が「正直いいますと、実はなんだか頭がもちゃもちゃしましたのです」と答えると、きつね校長が「アッハッハッハ、それはどなたもそうおっしゃいます。」と笑います。そんな感じの感想です。 作者は脚本も手掛け、自ら映画化の脚本も進行中とか。観たいかどうか今のところ分かりません。この本は確かにヤングアダルトコーナーにありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年10月の記録)


2017年10月 テーマ:ふたつの世界

日付 2017年10月27日
参加者 アンヌ、西山、ハリネズミ、ネズミ、よもぎ、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス、さららん、しじみ71個分)
テーマ ふたつの世界

読んだ本:

山本悦子『神隠しの教室』
『神隠しの教室 』
山本悦子/著 丸山ゆき/絵    童心社   2016

<版元語録>学校には、秘密のとびらがある。その向こうには、もうひとつの学校がある―。“どこかへ行ってしまいたい”―その気持ちが重なったとき、大きな意志が動き始める。 *第55回野間児童文芸賞受賞作品


まはら三桃『奮闘するたすく』
『奮闘するたすく 』
まはら三桃/著   講談社   2017

<版元語録>最近、佑のおじいちゃんの様子がおかしい。近所で道に迷ったかのように歩いていたり、やかんをコンロにかけっぱなしにしてボヤ騒ぎを起こしたり…。「行きたくない」としぶるおじいちゃんをなだめすかして、佑はデイサービス(通所介護)に連れていくことになった。しかも、佑が逆らうことのできない早田先生は、そこで見たこと、聞いたことをレポートして夏休みの自由研究として提出しなさいって…。友だちの一平と“ケアハウスこもれび”に通うことになった佑は、お年寄りと接しながら、介護される人と介護する人、それぞれの気持ちに気づいていく。坪田譲治文学賞受賞作家が描く、子どもにとっての「介護」とは?


ニール・シャスタマン『僕には世界がふたつある』
『僕には世界がふたつある 』
ニール・シャスタマン/著 金原瑞人+西田佳子/訳   集英社   2017
CHALLENGER DEEP by Neal Shusterman, 2015
<版元語録>妄想や幻覚にとらわれた15歳の少年は、学校で誰かに殺されそうな気配に日々おびえる一方、船長やオウムと一緒に、海賊船に乗る世界にも生きるようになる。いつしか夢と現実は混ざりはじめ……。 精神疾患の予測不能な海を航行する、闘病と成長の物語。2015年度全米図書賞児童文学部門受賞作品。

(さらに…)

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ジェリーフィッシュ・ノート

さららん:親友を失った少女が主人公。どうしてあの子は死んだのだろう?という問いかけに隠された罪悪感が、あの子が死んだわけを知っているのは私だけ、という思い込みにすり変わっていきます。クラゲの存在を通して、少女時代のひりひりする思い出と喪失を描いたユニークな作品です。ゴシックと明朝で、現在と過去(回想)を分け、細かい章立てをして読者に読みやすくしていますね。論文を書くときの構成を借りた点が凝っています。科学的な知識とストーリー(友人の死と、取返しのつかない過ちをどう受けとめるか)が絡まりあいながら進むところがこの本のおもしろさなのですが、私の力不足か、読みとれない部分が残りました。友だちの死を受けいれようともがく主人公の苦しさはよくわかったのですが、行動のすべてには共感できませんでした。

レジーナ:全米図書賞にノミネートされたときから気になっていた作品です。主人公はこうと思ったら、それしか見えなくなるので、おしっこを凍らせてクラスメートのロッカーに入れる場面などは、その気持ちについていけないところもありました。文章は読みやすかったんですけど。あと、p92「時間と空間は同じものだということを知っている。時間のすべての瞬間は同時に存在する」など、ところどころわからない箇所がありました。こうした部分が理解できたらもっとおもしろいんでしょうね。 

ネズミ:まず構成が凝っているなと思いました。論文の書き方を頭に持ってきて章がはじまり、書体が変わっていたり。アメリカのYAのこういうところは感心する反面、ここまでしなきゃいけないかと思う部分もありますが。ストーリーは、友だちを失ったという事実をこの子なりにどう受けいれていくかがメインですね。自分なりに理屈をくりだして、試行錯誤するようすをおもしろく読みました。でも、日本の中1の子とくらべると考えていることが大人っぽく感じて、日本の中1の子が読めるのかなとは思いました。あと、おもしろかったのは家族のようす。ただ両親と兄弟がいてというのではなく、お兄さんにゲイのボーイフレンドがいることがさらっと出てきたり、土曜日だけ父親に会いにいったり、さまざまな感じ方、暮らし方、価値観があるのを見せてくれる本だなと思いました。 

西山:出だしから、最初は観念性についていけませんでした。p4の「三十億」をどんな数字か考えようとして、「三十億時間さかのぼる」という置き換えから置いてけぼりを食った感じです。すごい時間だ、とポーっとするでもなく、ピンときませんでした。いかにもきれいな表紙の感じと、奇妙に観念的な思春期と、先ほどから話題になっているおしっこの復讐場面が、うまく、統一したイメージとならなかった。感覚としては既視感があるけれど、研究レポートの仕立てとか、部分部分にハッとさせられ新鮮さも感じつつ、読み始めたら加速してあとは一息に読んだんですが……どうも心に定着しない感じです。

カピバラ:私はとてもおもしろかった。心に傷を負った子どもを描く作品は多いので、共感してもらうためにどう表現するか、作者は工夫をする必要がありますよね。そうでないと皆同じような雰囲気になってしまいます。その点、この作品には新しい工夫が感じられ、意欲作として評価できると思いました。リアルタイムの生活を描いているところ、亡くなった親友との幼いころからの思い出を書いているところ、クラゲについてなどを自分で調べていくところ、と三つの局面から構成され、1章1章が短いのでテンポよくどんどん進んでいきます。つらくて読めない部分は飛ばしたり、逆にじっくり読んだり、いろんな読み方ができるし、読後感がいいですね。

ハリネズミ:私もおもしろく読みました。時間を前後させる書き方ですが、書体が変えてあるのでわかりやすいですね。ゲイのお兄さんのアーロンが、家族にすんなりと受け入れられているという設定もいいですね。p54の理科の教え方なんかも、楽しくていいな、と思いました。ただ、主人公のスージーは12歳なので、無謀なこともするとは思いますが、シーモア博士に手紙を書きもせずに、家族のお金を盗んでひとりで会いにいこうとします。計画のほかの部分は綿密に計算されているので、そこはなんだかちぐはぐな感じがしました。自分のおしっこを凍らせてフラニーのロッカーに入れておくという部分は、それほど切羽詰まっていたのかと思う反面、強烈なイメージが残るのでストーリーから浮き上がっている感じもしました。イルカンジクラゲのことがずっと出てくるので、最後は、そのせいでフラニーが死んだということが証明されるのかと思っていましたが、肩すかしでした。p56に「大事なことは話し、それ以外は話さない」とありますが、すぐその4行後には「わたしはもう決めたの、話はしないってね。その夜だけじゃなく、たぶんもう二度と」とあって、実際スージーは一切話さなくなる。「大事なことは話す」んじゃなかったの?と不思議でした。ところどころで女性の会話の語尾に「わ」がついていますが、今「わ」をつけて話す人はいないのでは? 

コアラ:小学校高学年から中学生にかけての、女の子同士の関係が変わっていく話で、仲良しグループの付き合いとか裏切られた思いとか、ヒリヒリするような感じがよく表れていると思います。主人公スージーの、フラニーに対する執着は度を越していて、恋愛感情に近いと思いました。フラニーがクラゲに刺されて死んだということを証明してもらうために、クラゲの研究者に会いにオーストラリアに飛行機で飛んでいく計画を立てて、家族には別れの挨拶をするという展開は、支離滅裂だと思いましたが、もしスージーが同性愛の傾向を持っていて、それに苦しんでいる状態だったとしたら、理解できるようにも思いました。もちろんこの話は、フラニーの死が受けいれられなくてもがいているものだと思うので、最後の方でスージーが飛行機に乗なくなったとき、「フラニーはもう帰ってこない」「二人の友情は、あのときああいうふうに終わったままだ」とあって、主人公もフラニーの死を受けいれられたんだな、ということがわかって、ほっとしました。クラゲのことについては、あまり驚きもなく読んでしまいましたが、クラゲという透明感のある生き物のおかげで、陰湿ないじめが描かれていても、少し幻想的な、透明感のある物語になっていると思います。学術書っぽい本のつくりや、過去のストーリーが現在のストーリーに挟まっていて、過去のできごとがだんだんわかってくるという形式はおもしろいと思いました。 

アンヌ:クラゲのこととか、論文のような構造とかおもしろい仕組みのある物語なのですが、最初の、親友の溺死と海というイメージが強すぎて、私はなかなか物語の中に入りこめませんでした。後半のタートン先生とのやりとりとか、ジャスティンとの友情とか、父親が恐竜のことを言いだすあたりとか、好きな場面はあるのですが、おしっこ事件のところが強烈すぎて、飛んでしまいました。また、主人公の言葉がきれいで知性を感じるのに、オーストラリアに行こうとして挫折するあたりの子どもっぽさとかに、複雑な年ごろを描いているなと感じました。 

ハル:私はとてもおもしろかったです。クラゲや原子の世界の神秘的な話と、スージーの現在と、最悪の別れを迎えるなんて知らなかった、平和なころの回想と、交互に入る展開にも引きこまれました。こういった友達とのすれちがいに、実際に悩む子も多いのではないかと思うので、スージーはどういう答えを見つけるんだろうと、とても興味深かったです。欲を言えば、「おしっこ」のインパクトが強いのが残念でした。ちょっと共感のハードルが上がってしまったかなぁという感じがします。また、ラストではジャスティンだけでなく、サラという新しい友だちもできそうで、ここでも胸が熱くなりましたが、読後しばらくしてからふと、サラの顔がきれいだという描写は必要なのか?と、ちょっとひっかかりました。これからおしゃれや恋も、サラと一緒に覚えて成長していけそうだ、ということなんでしょうか。 

マリンゴ: 冒頭の部分で、二人称の小説かと思い、読みづらそうだと警戒してしまいました。そうではなくて助かりました。100ページを超えるあたりから惹きこまれて、最後までおもしろく読みました。主人公の危うさがよく描かれていると思います。おしっこを凍らせるところとか。小さなエピソードだと思っていたナイアドさんが、クライマックスをもりあげる要素として再登場したのが興味深かったです。あと、あとがきに、クラゲのノンフィクションを書くつもりがボツになって、この作品に生かしたという裏話があって、とても興味深かったです。 

ルパン: 友だちとけんかしたまま死なれたら、十代の少女はどれほどつらいだろうかと考えさせられました。死因がわかってもフラニーが帰ってくるわけではないことに気づいたスージーは、きっとフラニーが死ななくてももう帰ってこない、ということを、心のどこかで知っていたのかもしれません。一番好きな場面は、スージーがフラニーのママに電話するところと、サラ・ジョンストンと仲よくなるところです。 西山:おしっこの件は、もしオーブリーみたいになったら「秘密のメッセージ」を送って、と言ってた(p69)、そのメッセージなんですよね。いや、これではわからないだろう、と思いますが、それはそれとして、絶対なりたくないと思ってた女の子に向かって思春期の階段を上っていってしまうフラニーと、取り残されたスージーのとまどいと悲しみ、怒りは印象的です。そういう意味で、スージーは「普通」の成長から外れているといえるのかもしれない。その生きづらさは相当なものだと思います。 

アンヌ:おしっこの事件についても学校側は特に追及していないのが不思議でした。 

西山:フラニーはみんなが知っている、クラスの子なのに、新学期に先生が特に触れないのが、私には解せない感じがありました。別の学校だっけと、読み返したぐらいです。(読書会の席では言いそびれましたが、こういう風に同じ学校の生徒の死について触れないのは、悪しき日本的やりすごしだと思っていました。「日本的」とは言えないのでしょう。) 

ハリネズミ:アメリカの学校では、個人的なことを話したりしないんでしょうか?

アンヌ:ちょうど『ワンダー』の続編にあたる『もうひとつのワンダー』(R・J・パラシオ/著 ほるぷ出版)を読んだあとだったので、学校のかかわり方の違いを感じました。あの作品では、学校がいろいろな場面でかかわっていますよね。公立校と私立校の違いなのでしょうか。

しじみ71個分(メール参加):素晴らしい成長物語だなと思いました。アスペルガー症候群を思わせるところもあり、感情の表現やコミュニケーションが不得手で繊細で、精神的には幼さを残しながら、同時に高度な知性にあふれた少女が描かれており、最初は遠いところにいるように感じられる主人公にいつの間にか寄り添って読み終えられるという作品でした。彼女の行動は大人には理解しがたいところもたくさんあって、痛々しく切ないのですが、親友だった少女の死を受け入れて乗り越えるために、クラゲの生態調査に没頭し、最後には外国のクラゲの専門家に会いに行く冒険を企てて失敗します。その落ちはなんとなく予想できるけれども、冒険の失敗が判明したときには共に落胆している自分がいました。そして、失敗したときに、家族のあふれるような愛に改めて気づかされる場面では、心がじわりと温かくなりました。理科の授業を通して、孤立していた教室で新しい友達を見つけられますが、その友達がADHDだったり、お兄さんの恋人が同性の青年だったり、背景にインクルーシブな社会への志向が見える点も好きです。現在の物語と並行して、亡くなった親友との出会いから最悪の別れまでが描かれ、その別れの方法は読む側の想像を超えて盛り上がりを迎え、とても成功していると思いました。何よりクラゲの知識が一杯詰まっているのはとてもおもしろかったです。クラゲにも興味がわくし、クラゲの絵も素敵でした。

エーデルワイス(メール参加):理系女子に憧れます。私自身感覚的、情緒的なので、こんなふうに理論的に考えられたらと思います。小学生、中学生の話すことをありのままに黙って聴くことにしていますが、スージー・スワンソンのように、感じることを克明に語ることができたら(心の声ですが)いいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年9月の記録)


こんとんじいちゃんの裏庭

コアラ:最初のコンビニの場面で、主人公の見方に全然共感できず、一人称で進んでいくので、物語にずっと共感できないまま、頭の中で批判しながら読んでしまいました。p4に、「急いでいたわけじゃない。別の通路を通ればいいけど、できなかった」とありますが、ただ「できなかった」でなく、もうちょっと何か表現してほしかったと思います。ここで何か表現されていれば、主人公に寄り添えたかもしれないと思いました。少し残念でした。最初の、暴力を振るった場面が宙ぶらりんのまま、加害者である主人公が被害者として行動すること、それと三津矢さんの加害と被害の話もあって、加害と被害は白黒はっきりつけられない部分がある、ということを描いているのかな、と思いました。裏庭に出てきたじいちゃんが何だったのか、明らかにされないまま終わってしまいましたが、何らかの決着をつけてほしかったと思います。実際に事故にあったときに、もし相手から恐喝まがいのことをされたら、こういう方法がありますよ、という知恵を授けてくれる話としてはいいと思いました。 

アンヌ:初めて読んだ時、あまりにも主人公やほかの登場人物の印象が悪い上に、この先もっとひどいことが起きるんだろうなという予感がして読み進めず、しばらく置いてから読みなおしました。読んでみると、不登校に動じない母の強さや、父親が昔は実はワルだったかもしれないという意外な話や、おじいちゃんと出会う裏庭の話、保険屋の北井の豹変ぶりとか、おもしろい要素がたくさん出てきてほっとしました。 

ヨモギ:私も冒頭の場面でぎょっとなって、主人公にいい感じを持てませんでしたが、作者はかなり考えたうえでこうしたんでしょうね。あとは、村上さんらしいテンポの良い文章で、一気に読めました。途中に入ってくるおじいちゃんとイチジクの場面が、快い緩衝材になっていると思います。ジューシーなイチジク、食べてみたい!坪田譲二の短編『ビワの実』を思いだしました。ただ、絵を描くことの魅力が、あまり書かれていないのが残念でした。闇を描くことについて、もう少し掘り下げて書いてあれば、もっと奥行きのある作品になったのでは? あと、保険会社のお兄さんの変わりっぷりが、ちょっと唐突なのでは? 

ハル:みんな、いろんなことを抱えて生きているのだし、いい面もあればわるい悪い面もあるというのはわかるのですが、登場する大人がみんなどこかちょっと変。「上手に生きていくには」とか「生きづらさ」ばかりで、いわゆる正論をいう大人が誰もいないので、私が中学生のときにこの本を読んだら、主人公にも共感できず、とまどってしまいそうです。世の中、良いか悪いかだけじゃない、というのは、その年齢だからこそ、学びたかったではありますが。 

マリンゴ: 非常に問題があって共感を呼びづらい男の子を主人公に据えて、しかも一人称で書いた著者の勇気に感動しました。なかなか書けないものだと思います。共感できないものの、次々と事件が起こり、それに対して主人公がどう反応するのかなと興味をひかれて、どんどん読み進めることができました。暴力、不登校、介護、そして大人の世界の不条理がてんこもりで、読みごたえありました。特にいいと思った文章がいくつかあります。p188「新しい関係、それを物語というんだ。物語のない人生なんてつまらん。」、p191「ここにいると、体臭も、口臭も、涙の臭いまでまったく同じになっちまう」、p244「いいとか悪いとかで判断するのはもうやめなきゃ。みんなそこを超えたところで、もがきながら懸命に生きている」といったところです。もっとも少しだけ違和感もあって、最後に近いところで、美術部の先生に「暗闇」について話すシーン。いくら人の死を経験して成長したといっても、ここまで素直なキャラに変わるかな? 私としては、主人公が暗闇の絵を描いてみせて、先生に「お! おまえの絵、なんか変わったな」と言わせるくらいの歩み寄り方が自然かなと思いました。あと、タイトルに、もう少し小説のなかのヒリヒリ感が出ると、内容がつかみやすいのかな、と。 

さららん:最初の「いらねえよ、こんなもん」で、いったいどんな乱暴な子なのかと、驚きました。強烈な言葉でした。でも読んでいくと、少しずつ心の中が見えてきて、いいところもいっぱいある子だとわかりました。とんがった言葉をときどき使う悠斗という少年の造型に、中学生や高校生の読者は自然に共感できるのか、聞いてみたいところです。「おりこう」な児童文学には出てこない言葉やモチーフが盛りこまれている部分が、逆にこの本の良さ! 大人の本音とか、だまそうとする部分とか、「善悪を決めようとするためにこの仕事をしているわけじゃない」と弁護士に言われることもあり、人間というものの複雑さを見せてくれる作品でした。おじいちゃんの存在は不思議なままです。混沌状態になったおじいちゃんの裏庭に、作家はどんな意味をこめられたのか、もうすこし考えみないと……。 

レジーナ:冒頭の暴力の場面で、この主人公に最後までついていけるか不安になりましたが、とても好きな作品でした。この年代って、なにかの拍子にキレちゃう子っていて、p213に「自分の心の在りかがわからない」とあるように、自分の心をもてあましていて、でも、世界の中に自分を落ちつかせようとしているというか、なんとか自分の立ち位置を見つけようともがいている時期ですよね。自意識も強くて、ひとりよがりの正義をふりかざして突っ走ることもあるし。p201で、空を見て永遠を感じたり、急にむなしくなったり、そういう振れ幅の大きさや感性の鋭さもよく描かれています。そして、そんな主人公のまわりには、三津矢さんのような大人がいて、失敗を許す社会のありかたが描かれているのもとてもいいと思いました。若いときって、「いい人か悪い人か」とか「正義か悪か」という枠組みでしか見られないけど、主人公もだんだん、謝らせれば解決するわけではないと気づきます。そして、保険屋の前で怒りをこらえたり、三津矢さんが父親を看取れるようになんとかしようとしたり、少しずつ成長していきます。成長することの尊さが描かれている作品だと思いました。認知症の描写も、p68「じいちゃんは、認知症になってから、物と一緒に、たくさんの言葉も失った」、p69「じいちゃんの頭の中で、いろんな言葉と映像が重なり合うことなく浮遊している」など、リアリティがありました。 

ネズミ:おもしろく読みました。最初の場面は衝撃的で、私も「え、蹴ってたの?」と二度見しましたが、前の日に美術部でいやなことがあって、むしゃくしゃして突発的に暴力をふるってしまったというのがわかって、なるほどと思いました。こういう中学生っていますよね。一見とんでもない不良みたいだけれど、中学生同士は「あの子あんなことしちゃって」って思いながら、結構その子を理解している気がします。この作品でいいなと思ったのは、たくさんの大人が描かれていることです。村上さんの『うたうとは小さないのちひろいあげ』(講談社)もそうでしたが、この子の父親、母親のいろんなところを描いています。警官もコンビニのおじさんもそう。両親や大人を批判的に見ながらも、一方で愛されたい、認められたいという気持ちもある、この年頃の子の心の揺れをすごくうまく描いているなと思いました。p14の最後の文「母親はぼくの怒りの理由に興味がない」とか、いい先生だと思ったら、劇場型の指導だったと思いこんで荒れるとか、p107の「ねえ、悠君の中には、いいやつと悪いやつの、二通りしかいないのかな」というせりふとか。混沌としていて、善悪の論理も何も超えちゃっているおじいちゃんが、この子を救うキーになるというのも、なるほどなと思いました。 

西山:非常におもしろく読みました。とても新鮮な感じがした。というのは、近年感じのいい子がでてくるYAが多くて、思春期の若者とおばさんが同じ本で心温めてていいのか、と思うこともあったので(作品を通して世代を超えて感動を共有できるのは素敵なことで、児童文学のよさだと思ってはいるのですが)、久しぶりにとんがった子がでてきて新鮮だった。好印象です。また、最近のYAは、部活とかお仕事もので詳細でリアルな情報自体がおもしろさになっている作品が多いと思いますが、事故処理や法律相談は読んだことない。これって、けっこう大事なとこだと思います。子どもに力を与える。本当のことを知りたいというまっすぐな正義感も王道の児童文学という感じで、好感をもちました。それでいて、きれいごとを出していないのが新鮮。公的なところに行ったときに全然受けつけてもらえない、子どもの無力さが書かれていたのもいいし。清水潔の『殺人犯はそこにいる』(新潮社)をたまたま直前に読んでいたので、調査してどんどんわかっていく展開のおもしろさが、ここにもあってちょっとうれしかったです。表紙とタイトルは、私が感じたおもしろさとはイメージが違うなと感じています。 

カピバラ:私がいちばんおもしろいと思ったのは、警察とか保険屋さんとか弁護士とか、中学生が普通なら関わりのない場所にふみこんで調べていくところです。学校、家庭、部活以外の社会を垣間見るのが新しいと思いました。そして事件の真相が少しずつわかっていきます。冒頭の場面は、えっと思ったけど、いい子が主人公の話はおもしろくないですからね。ほほう、そうきたか、と思いました。でも、どうしてこの子はこんなことをしたのか、読んでいくうちにわからないといけないといけないと思うんですが、あまり納得いく説明がなかったと思います。おじいちゃんとのふれあいとか、いいところもあるけど、最後まで腑に落ちなかった。悩みを抱えた主人公が出てくる話って、かならずどこかにいい大人が出てきて助けになったりするんですが、この作品に出てくる大人たちって、両親も含めてどこか嫌な感じだと思いませんか? 三津矢さんにもはリアリティがないですよ。 

ルパン:おもしろく読みました。この本を読んだあと、人を「いい人」と「悪い人」に分けないようにしよう、と思いました。ただ、主人公には最後まで共感できない部分がありました。特に、p192「あなたはもう、死んじゃう人なんだから」と、面と向かって言うのはひどすぎると思いました。こういうせりふを子供が読むことを思うと……。事故については、はっきりと証明できないままで終わり、これが現実ということで、リアリティがあるのかもしれないけど、読後感はすっきりしないものがありました。

ハリネズミ:とてもおもしろかった。主人公のこの年齢の少年が成長していく姿をとてもリアルに描いていると思いました。最初は何事も一面的にしか見ていないのだけれど、人間存在というのは多面的なものだということを段々に理解していく。この年齢の子は嫌なら嫌と思う気持ちも強いし、悠斗も、 三津矢さんや担任のムトユラや、奥谷さんや北井さん、そして自分の両親のことも最初は嫌悪の対象でしかない。でも、様々な側面を見ることによって他者のことも自分のことも客観的に見られるようになっていく。最初の暴力シーンはショッキングですが、あまりにも一面的にしか見ずに自分の気持ちに振り回されてしまう少年の状態をあらわしているのだと思いました。この年齢の子どもは、同調圧力に負けてしまう場合が多いと思うけど、この子はそういうことがないのも、ユニークです。子どもが事件解決に乗り出していく冒険を、ファンタジーではなく飽くまでもリアルに描いているのもおもしろい。わからなかったのは、裏庭のおじいちゃんの存在。最初は悠斗が幻影を見ているのかと思ったのですが、父親が若かったときは同じように暴力的だったという事実を初めて知らされたりもする。かといってファンタジーでもないので、そこをどうとらえればいいのか、よくわかりませんでした。

よもぎ:外国の作品には、裁判所などもけっこう出てきたりしますよね。

ハリネズミ:外国のものだと日本の子どもにはいまひとつリアルにとらえきれないところがあると思うのですが、この作品は現代の日本だし、保険会社、警察、病院、弁護士など、日本の今の社会制度がとてもリアルに出てくる。相当調べて書いたのでしょうね。

しじみ71個分(メール参加):とても共感して読みました。主人公の中学生がコンビニの店員を蹴飛ばすという衝撃的な始まりで、まず少年の持つ毒というか闇に魅かれました。店長にとがめられて、決して悪びれもせず、大人のようなずるい言葉がするする出てくることの違和感のなさを、絆創膏のなじみ方に例えた表現はとても好きです。一方、コンビニの一件から警察が自宅に訪ねてきた間に、認知症のおじいさんが家を出てしまって交通事故に遭う。意識不明に陥ったにもかかわらず、轢いた側から損害賠償請求されるという理不尽な出来事から、大人の嘘やずるさを、子どもであることに傷つきながら、正義感に駆られて追究していくという、少年のアンビバレントな心持ちが描かれていて、思春期の頃の自分を思い出し、「あるある」と思いながら読みました。美術部のトラブルから不登校を始め、友だちや担任の行動の裏を読んで疑ったり、自分の子どもらしい素直さを恥ずかしがったりと、揺れ動く心のさまには多くの思春期にいる当事者の子どもたちにも共感できるところがたくさんあるのではないでしょうか。彼を支えるのが、おじいさんと一緒に庭を手入れしてイチジクを育てた経験だったり、友だちのストレートな友情だったり、というのもとても愛おしいです。少年の思うようには問題は解決もしないし、おじいさんも回復しないですが、きちんとした少年の成長物語だなぁと感銘を受けながら読了しました。

エーデルワイス(メール参加):老人性認知症と、交通事故処理が児童文学で直球で取り上げられたのは極めて珍しいのではと、注目しました。私も認知症の母を抱えていますし、父も数年前に運転中に交通事故を起こし(その後説得して運転免許証を返還)、長女の私が処理をしました。身につまされます。主人公の尾崎悠斗が「僕はどうしたら優しくなれるのか?」と、これまた直球! 村上しいこさんの文は説得力があり読みやすいです。イチジクの生える裏庭に、じいちゃんがときどき姿を現す。好きなシーンです。イチジクはヨーロッパ、中東などの昔話にも登場しますが、特別なくだものだと感じています。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年9月の記録)


バイバイ、わたしの9さい!

さららん:世界は不幸でいっぱいなのに、自分にはなにができるんだろう?と焦ったにときの感じを、思いだしました。大人が突然、バカみたいに見える時期が、よく描かれています。自分はまだ大統領になれないことに気づいた主人公が、大統領宛に加え、ジダン宛てに手紙を書いたところがおもしろい。十歳の誕生日にジダンから手紙が来て、友だちと会いにいくときの幸福感!全体を通して、少女のあたふたぶりが自分自身の子ども時代に近く(爪を噛む癖もふくめて)、共感をもって読めました。手紙をもらって、世界中の不幸が解決するわけじゃないけれど……一種の夢物語なんでしょう。

マリンゴ:幼いころの、すっかり忘れていた感情を思い出させてくれる作品でした。小学1年生のときに『マザー・テレサ』の伝記を読んで、こうしてはいられない! と衝撃を受けたのですが……あのときの気持ちは、今はどこへ(笑)。ただ、主人公がいろいろなことを考えていくのはいいんですけど、その結論として、権力をもつ3人の有名人に手紙を送って、そのうちの1人から返事をもらう、というのがこの本のなかでの“解決”になっていることについて、どうも、うーん、と首をかしげてしまいました。

ハリネズミ:英米の児童文学だと、ここでは終わらなくて、もう少しジダンとこんなことを話し合って希望が見えてきました、くらいのところまで書くと思うんですけど、書かないのがフランスの作品だなあと私は思いました。

マリンゴ:あと、ジダンから受け取った返事の内容が具体的に明らかになっていますが、これは、ジダンが自分で書いたもの……ではおそらくないと思うので、著者が書いて本人の許諾を得たものなのか、それとも信頼関係があって許諾なしでやっているのか、リアルとどういうふうにシンクロしているのかが興味あったので、あとがきで触れてほしかったです。

ハル:心が洗われました。ジダンが扉を開けたところで、じーんときました。この先が書いてないのは、「さぁ、あなたなら、ここからどうする?」という読者への問いかけのように思って読みました。ジダンが架空の有名人ではないところがいいんだと思います。自分たちでも何か動かせることがあるんじゃないか、と思えそうです。でもちょっと、これは実話なのかな? 実話だったら、その後なにか展開はあったのかな? と、気になりはしますよね。

ヨモギ:前半は、とてもおもしろかったです。9歳の子どもの心情が、生き生きと描けていて、なかなかセンスがいいなと思いました。なかでも、世界の飢えた子どもたちをなんとかしたいという主人公の話を聞いて、ママがパソコンで10ユーロ寄付しておしまいにする。そんなママの姿が悲しい……という下りなど、鋭いなと思いました。ところが、後半でがっかり。えっ、ジダンに手紙を出して対面できるところでおしまい? なんだかストーリーが途中でねじれて、妙なところに行き着いてしまったという感じがしました。これでは、パソコンで寄付しておしまいっていうママと同じじゃないかと。もっとも、フランスの子どもたちが読めば、感激するかもしれませんけれどね。アルジェリア系移民二世のジダンに対戦相手のイタリアの選手に人種差別的な発言をしたから頭突きをした事件があったのが2006年、この本が2007年に出ているので、とりわけ印象が強かったと思いますが、日本の子どもの読者にはまったく伝わらないのでは? まして訳書が出たのが2015年ですからね。日本で出版しようと思うなら、編集者も訳者も、もう少し日本の読者に配慮しなければいけなかったのではと思いました。

アンヌ:かなり以前に読んで、その時も今回も、最後をどう受けとればいいのか途方にくれました。悲惨な社会状況に気づいた時、この主人公は9歳だから、思春期のように妙に世にすねた感じの受けとめ方をしないで、まっすぐに単純に考えていく。主人公が一人でものごとを考えていく力をつけていくのを応援するように描いているところが、いかにもフランス的だと感じました。とまどったのは、歌手のコルネイユとかジタンとか現実にいる人間を引きいれているところです。コルネイユは日本では思ったよりヒットしなかったようなので知られていません。ルワンダの現実とかも含めて、この短い註だけではなく解説が欲しかったと思います。

コアラ:私はすごく好きで、読んでよかったと思いました。成長をいい形で書いていると思います。出だしで心をつかまれました。p7に「十さいって、「もう二度と、二度と、二度と」の年。きっとこれから、なにか深刻なことがはじまるんだ。」とあって、10歳をこんなふうに考えたことはありませんでしたが、そう書かれたら確かにそうだと思えて、すごく新鮮でした。『こんとんじいちゃんの裏庭』(村上しいこ作 小学館) のあとにこれを読んだのですが、「すべての問題を解決することは無理」とあきらめを語る大人にがっかりするようなところは『こんとんじいちゃんの裏庭』と同じですが、この話で大人は、考えることをやめろ、とは言わないので、そこが『こんとんじいちゃんの裏庭』と違うところだと思いました。日本の子どもが読んで、ジダンがどういう人かわからなくても、なんかすごいことなんだということはわかると思います。ささめやゆきさんの絵が、すごくよくて、この本の雰囲気に合っていると思いました。

ハリネズミ:私もささめやさんの絵がとてもいいなと思いました。世界の様々な出来事に胸を痛めて深刻に考えるこの年齢の子どもの気持ちがよくあらわれています。この子は大統領になって解決したいと思うわけですが、そういうとき首相になって解決したいと思う子どもが日本にどれくらいいるでしょうか? うらやましいと思いました。ただジダンに手紙を書いて、ジダンに会えて喜んでそれで終わり、というのは、私には物足りません。それから、最初に10歳になるとどんなことが起こるのか、という点が大きなテーマとして出てくるのですが、その糸は途中で消えてしまっている気がします。p7に、「(十さいは、)もう二度と、二度と、二度と自分の年を一文字で書けなくなる」とありますが、日本だとここにも出ているように漢数字で十と書けますよね。つづいて「もう二度と、二度と、二度と、両手で年を数えられなくなる」とありますが、ふつう指は十本あるので10までは数えられる。どういうことかわかりません。もう少し日本の子どものことを頭において訳してほしかったですね。

ルパン:読後感は悪くなかったのですが、あとでふりかえって、おもしろかったかというと、そうでもないなあ、というのが正直なところです。この子の頭のなかでいろいろなことが進んでいくのですが、大きなストーリー展開がなくて、さいご、ジダンとどんなことをして世界を変えていくのかが見えてきませんでした。

西山:ささめやさんの絵は好きだけど、ラストで、表紙のこれはジダンだったのか!と思った衝撃が強すぎて、感動とはいきませんでした。私は、手紙を出して満足しているとは思わなかった。ここからはじまるのだろうと自然に受けとめていました。(当日読書会では言いそびれましたが、p97で、お気にいりの絵本をシモンが「めちゃめちゃいいよね!」と話しかけてきて好きなページを言いあう場面、とてもよかった。そうやってつながったシモンとジダンのところへ出かけることに意味があるのだと思います。世界を動かすことは、そこから始まっている気がします。)ネットで募金するママの姿が飢えている男の子より悲しく思えたという場面(p40)にはドキッとさせられました。爪をかみ、「自分の先っちょを切ったのに、ちっともいたくないんだよ」(p28)とか、「ハッピー・バースディ」の歌を「バカ丸だし」だと思ったり(p90)、そういう感性おもしろかったです。p54で、どうして平気でいられるのか、どうして何もしないのかと問いつめられた母親が、「寄付もするし、選挙では、いちばんよい政治をしてくれそうな人たちに投票する。よくないと思うことがあれば、デモをするし……」というところ、何もしない大人を批判している部分なので、日本との民度の高さが違うことに愕然としました。このぐらいの分量で、中学年くらいから読めて、世の中のことを考えられる、いい作品だなと思います。

ネズミ:この本は、私の住んでいる区の図書館にも、隣の区の図書館にもありませんでした。ジダンじゃ日本の子にはわからないと、はじかれたのかなと邪推しちゃいました。終わり方が中途半端ですが、9歳の子がパパとママとニュースを見て、この社会がどうにかならないかと思い始めるというのはおもしろいなと思いました。「自分はどうしてここに生きているのだろう。死んだらどうなるんだろう」とか、私も10歳くらいのときに、ぐるぐるいつまでも考えました。個人の心情を描いている本は多いけれど、こういう社会への問題意識を扱った本は日本では少ないですね。ヨーロッパでは、アフリカや中近東のニュースもよく流れますね。

レジーナ:子どものとき、湾岸戦争やフランスの核実験のニュースにすごく衝撃をうけたので、そのときの気持ちを思いだしながら読みました。ささめやさんの絵はあたたかみがあっていいですね。でも、結末はちょっと唐突。あと、ジダンはもう引退していますが、こういうふうにスポーツ選手やスターが前面に出てくる作品は、あとになって古くならないでしょうか。

エーデルワイス(メール参加):読み終わって、フーッと心の中でため息をついていました。主人公タマラに「あなたはどうなの?」まっすぐの目で見つめられているようです。真摯に受け止めました。著者のヴァレリー・ゼナッティはユダヤ人としてフランスで生まれ、13歳で両親とイスラエルに移住。兵役につき、今はパリ在住。この経歴を見て、なるほどこのような本を書けるのだと思いました。実際、作者はジダンと交流があるのかもしれませんね。ささめやゆきさんの挿絵も効果的です。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年9月の記録)


2017年09月 テーマ:ごまかされるのはいや! ほんとのことを探る子どもたち

日付 2017年9月22日
参加者 アンヌ、カピバラ、コアラ、さららん、西山、ネズミ、ハリネズミ、
ハル、マリンゴ、よもぎ、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス、しじみ
71個分)
テーマ ごまかされるのはいや! ほんとのことを探る子どもたち

読んだ本:

『ジェリーフィッシュ・ノート 』
アリ・ベンジャミン/著 田中奈津子/訳   講談社   2017.06
THE THINGS ABOUT JELLYFISH by Ali Benjamin, 2015
版元語録:友だちがいなくなった。孤独な中1女子が頭脳を武器に試みる、大きな冒険。全米図書賞児童書部門ファイナリスト作品。


『こんとんじいちゃんの裏庭 』
村上しいこ/著   小学館   2017.06

版元語録:一緒に暮らす認知症のじいちゃんが、交通事故に遭い意識不明となる。しかも車を運転していた人から損害賠償請求をされてしまった。「絶対におかしい!」と憤る少年は、自分で調べはじめる。真実は見つかるのか? みんなは、何を守っているのか?


『バイバイ、わたしの9さい! 』
ヴァレリー・ゼナッティ/著 ささめや ゆき/絵 伏見 操/訳   文研出版   2015.12
ADIEU, MES 9 ANS! by Valerie Zenatti, 2007
版元語録:あとひと月と6日で私は10歳になる。でも、世界は不幸だらけだ。考えに考えて、思いついた。「できるだけ早く、大統領になる」

(さらに…)

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いたずらっ子がやってきた

コアラ:最初に「1911年デンマーク領ボーンホルム島」とあるのですが、何か事件があったわけでもなく、なぜその時代設定なのかわかりませんでした。単に今より窮屈な時代というだけでしかなく、なぜ今、この現代に、その時代の物語が必要なのかわかりませんでした。読んでいていろんなところで『赤毛のアン』を思い出しましたが、『赤毛のアン』の方がずっと心に残ると思いました。最後まで読みましたが、私はあまりおもしろいとは思いませんでした。

アンヌ:時代設定が1911年というのは、作者が古い時代の話をデンマーク人の夫の親戚等から聞き書きして書いたからではないかと思いました。題名に「いたずらっ子」とありますが、主人公が自主的にいたずらをするのはp.182のアンゲリーナのブルマーを取る場面だけかもしれません。この場面で、おばあさんなんだと思っていた島の女性が思いっきり走ったあげく、みんなで昔を思い出して女の子のように笑い転げて、それから「おばあさん」であるのをやめてしまう。型にはまった大人から、女の子だった自分を取り戻していく感じがして好きです。註が見開きの左ページの端に載っているのは、読みやすく感じました。

ルパン:おもしろく読んでいるところですが、まだ途中です。これまでのところでおもしろかったのは、死んだ七面鳥が生き返る場面です。夜中にひとりで生き返っているところとか、想像するとゆかいです。今、気になっているのは、母親が死ぬまでどういう暮らしをしていたかということです。父親が亡くなって、この時代の母子家庭のはずなのに、お手伝いさんがいたり。けっこう裕福な暮らしをしていたらしいので、財源はどこにあったのかなあ、とか。いずれにしても、都会のぜいたくな暮らしをしていた女の子が、その価値観を田舎の生活に持ち込むわけですが、ここから先、そのへんのところ、どう折り合いをつけていくのか、続きが楽しみです。絵は、好き嫌いがあるかなあ、と思いますが、私はレトロな感じで悪くないと思いました。

レジーナ:全体的に私には読みにくく、作品の世界に入っていけませんでした。たとえば33ページの「なによりうれしいのは、おばあちゃんがわたしに帽子をあんでやりたいと思ってくれたことだ」で、子どもの側から見たときに、「(祖母が自分に)あんでやりたい」という言い方をするでしょうか。先生への手紙で、上着が変だと書いていますが、この書き方だと無神経な感じがして、主人公に共感できません。昔の話なので、体罰のシーンもけっこうあり、この時代設定にした意味もよくわかりませんでした。

ハリネズミ:「あんでやりたい」は、それでいいんじゃないですか。私はひっかかりませんでした。文が長いから読みにくいというか所はありましたけど。

ネズミ:おもしろい本なんだろう、と思って読みました。母親の死をどうのりこえるかというのがテーマでしょうか。互いになじみのない主人公と祖母が共に暮らすなかで死を乗りこえて生きていくというのはすてきで、いつの時代にも通じるテーマですね。でも、どこか違和感がある。前後がつながらない表現がちょこちょこあって私はすっと物語に入れなかったので、おもしろいと言い切るのはちょっと、という感じです。たとえば、p33で、毛糸の帽子のボンボンのことを、「おばあちゃんがあんでいた毛糸の玉だ」と言っていますが、ボンボンは編むのでしょうか? p36の5行目「わたしはすごくうれしくなって、そのあとはもうおしゃべりができなかった」というのは、どういう意味なのでしょう。また、シチメンチョウがガボガボゴボゴボ鳴く、という表現が出てきますが、この擬声語でいいのかなあと思いました。p187の後ろから3行目「元気で、型やぶりな子だったんだよ」の「型やぶり」と「子」の組み合わせも、私にはしっくりしませんでした。ニシンの燻製の小屋に入って、ネコがついてくるなど、想像するとすごく楽しいのですが。全体のリズムや盛り上げ方をもう少し工夫してくれると、もっと楽しい作品になったんじゃないかと思いました。字組みやルビを見ると、高学年からの作りに見えますが、主人公と同じ10歳くらいの子どもでも、内容としては楽しめそうな気がしました。レイアウトのことを言うと、p7の最初、「一九一一年 デンマーク領ボーンホルム島」は四角で囲まなくてもよいのでは?

ハリネズミ:北欧の国はジェンダー的には進んでいると思っていたのですが、この本では女の子がずいぶん差別されているみたいですね。この時代の田舎だからでしょうか?

西山:ノリがわからない、とういうのが全体的な印象です。失礼な言い方にはなりますが、応募原稿にときどきある感じ。書きたいこと、醸し出したい雰囲気はあるけど、笑わせたいというのもわかるけど、それが一つのまとまった印象にならない感じです。文体の問題かなと思います。燻製小屋のところがおもしろくて、そこあたりからは笑えるようになったのですが。冒頭のおさげをヤギに食べられてしまうというのが、笑うところなのか、どう受け取ればよいのか本当に戸惑いました。p13のおばあさんに手を叩かれたシーンは一瞬で心が冷えたというか、とても深刻にショックを受けて、だから、なかなか書かれているあれこれがユーモアとして受け取っていけない。どう読んでいいかわからないということになっていたと思います。それから、七面鳥の大きさを「お茶箱くらい」とたとえている(p21他)けれど、日本のお茶箱を想像すると大きすぎるし、ましてや今の子どもがお茶箱を思い浮かべられるとは思えません。伝えるための比喩のはずがそうなっていない。

ハル:みなさんのご意見をうかがいながら、確かにそうだなぁと思っていました。あとになって、いろいろな場面を絵にして思い浮かべるととてもおもしろいのに、読んでいるときは笑えないというのが残念ですよね。物語の中で学校の先生に宛てた手紙が出てきますが、子どもが書いたとは思えないような手紙です。大人が、子どもの頃に大人から受けた不愉快な出来事を思い出しながら、「あのとき、ああ言ってやればよかった、こう言ってやればよかった」っていう思いの丈をぶつけたような。手紙だけじゃなく、全体をとおして、主人公の女の子の向こうに大人が透けて見えるような感じがしました。

ハリネズミ:あの手紙は、とても10歳の子の手紙とは思えませんね。いくら賢い子だとしても。

ハル:絵も、攻めてるなぁと思います。ダメというわけではないですが、どうしてこの絵を選んだのか、編集の方にお話を聞いてみたいです。

ハリネズミ:インゲが前向きに生きていこうとするのは、いいですね。物語もなかなかおもしろい。死んだと思っていたシチメンチョウのヘンリュが生き返るところとか、燻製ニシンの小屋で寝たらいつまでも匂いがとれなくてネコがついてくるところなど、愉快です。ただ、インゲのいたずらが、子ども本来の生きる力から出てくるものと、単なるドタバタ(アンゲリーナのブルーマーを持って走り回り、追いかけてきたアンゲリーナのスカートを犬が食いちぎる場面など)と両方あって、それがごちゃまぜに出てくるのが気になりました。それと、舞台はデンマークで、デンマーク語の世界だと思うのに、原書が英語のせいかブロッサム、チャンキー、プレンティなどいくつかは英語のままで出てきます。できたら著者に問い合わせるなどして、全部デンマーク語でそろえてほしかった。みなしごのクラウスに対するところは、昔のチャリティの精神ですね。

ネズミ:カタカナ名の部分ですが、番ねずみの「ヤカちゃん」みたいに、意味をとって日本語にするとか?

ルパン:p78に「民衆学校」とありますが、これは何のことでしょう?

ハリネズミ:ところどころ、注があった方がいいな、と思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年7月の記録)


日小見不思議草紙

ハル:お話はおもしろくて良かったので、気になったのは本のつくりのことだけです。飯野さんの絵は私も好きなのですが、結構、なんというか、しっとりとしたきれいなお話のときに、飯野さんの絵がバーンと出てくると、笑いたくなってしまうというか。物語と絵が合っているのかなぁ?と思わなくもないです。それから、本がとても重たいのが気になりました。ランドセルに入れたら重たいだろうなぁと思います。

西山:この作品、大好きです。今年度の日本児童文学者協会新人賞受賞作です。入れ子にしている作りが効いていて、人を食っている感じ、「騙り」をおもしろがっている感じが本当に読んでいて愉快で好きです。例えば、「三の巻 おはるの絵の具」は本題の話自体はどこかで見たことがあるような印象ですが、「日小見美術散歩 その七」とした絵の解説が本当に愉快。「(日小見市役所観光課発行 季刊『ひおみ見どころガイド』春号より)」(p108)なんて、もう楽しいなあ! 話で一番好きなのは「一の巻 立花たんぽぽ丸のこと」です。子どもの頃、多分学研の「学習」だったと思うのですが、今江祥智の「たんぽぽざむらい」を読んでとても、好きだったんです。これも、戦意を喪失させる、ゆるさがある。子どもの殿様が楽しそうに笑っているのが、しみじみと幸せな景色。人を殺したくない六平太のこの物語を、私は、自衛隊員に読み聞かせしたいと、結構真剣に考えています。

ネズミ:私もおもしろく読みました。納得のいくまで時間をかけて、じっくりていねいに書いた作品という印象がありました。地図までのっているので、自分が今いる町にも、昔こんなふうに、いろんな感情を持ちながら生きていた人がいたんだろうな、って思えてきます。物語の楽しさ、理だけでは片付かない不思議を味わえる作品だと思いました。

レジーナ:ずっと読書会で読みたいと思っていました! とても好きな作品です。人と動物が入り交じって暮らす不思議な町を舞台に、血のつながらない親子や、恋人たちが心を通わせる様が描かれています。人も虫も動物も、いろんな命を等しいものとしてとらえている感じがします。生きることの美しさやヒューマニティを、声高にではなくそっとうたう作品です。読みおわったあと、世界が少しだけ違って見えて、自分が住む場所にもこんな不思議がかくれている気がしてきました。「おはるの絵の具」はちょっとセンチメンタルで、昔の日本の児童文学にありそう。でも、気になるほどではありませんでした。かんざしをさした熊など、飯野さんの絵はユーモアがあり、作品の世界にもよく合っています。p35で、サルが「おなじだよ。おなじ」というのですが、その意味がよくわかりませんでした。

ハリネズミ:どんな理由にしろ人を斬ったという点では同じ、ということじゃないでしょうか。

アンヌ:最初は、サルがそれまでもいろんな人に刀を渡してきていて、そんな人たちとおまえも同じだったんだなという意味で言ったと思っていたのですが、猿が刀を取り戻すわけではなく刀も埋められてしまうので、違うようですね。

西山:「おれは……おれは……。」の「……」には、「斬りたくなかった」とか「斬るつもりはなかった」が入るのが自然な気がするので、「おなじ」というのは、やはり、人を斬ったことに変わりはないという突き放した一言ということになるのかな。考えさせますね。

ルパン:うーん、おもしろかったけれど、私はまあ、ふつう、っていう感じでした。どの作品も既視感があって。たとえば、「おはるの絵の具」の章は、あまんきみこの『車のいろは空のいろ 白いぼうし』みたいだ、とか。

アンヌ:おもしろかったけれど、それぞれの作品を読み込んで行くと、全体にうまく収まりをつけてしまっているところが逆に残念な感じがしました。一の巻では忠臣だった侍が四の巻では実は熊だったりする意外性や、その奥方や女中が熊の姿なのに紅を指していたりするという物語にしかありえないリアリティがおもしろいと思いました。作品としては、三の巻の「おはるの絵の具」の話が心に残りました。主人公が師匠の言うとおりに、おはるがくれた絵の具の色を再現できるように努力したり、江戸に上がって修行して御用画家として藩に仕えたりすることもなく放浪し、水墨画家となり色を使った絵を描かなくなってしまう。稲垣足穂が『山ン本五郎左衛門只今退散仕る』(ちくま日本文学全集)で、この話のようにこの世ならぬものに意味もなく愛されてしまう経験によって「主人公たちは大抵身を持ち崩してしまう」と言っているのを思い出しました。

コアラ:すごくおもしろく読みました。連作の物語を読むおもしろさを1冊たっぷり味わいました。物語の前後に挟まれている文も、現代から江戸時代の物語にすっと入っていけるようになっていて、うまいなと思いました。「立花たんぽぽ丸のこと」では、六平太の鼻にたんぽぽがぱっと咲く場面、挿絵もおかしくて、電車の中で読んでいて笑えてしかたなかったです。「草冠の花嫁」で「おこん」という女の子が出てきてキツネだったので、「おせつネコかぶり」で「おたま」という女性が出てきたのでネコだなとピンときました。「龍ヶ堰」の上田角之進がクマでハチミツづくり、というのも納得です。「おはるの絵の具」は「おはる」という女の子なので春の精霊かな、と思ったら蝶で、意外だったし切ないラストで、私はけっこう好きでした。「おわりに」も日小見の観光ガイドのようになっていて、行ったら楽しそうと思いました。一番最初の地図を見返すと、物語で馴染みになった由庵の診療所があったりして、また物語を思い返したりしました。本を読み終わって電車を降りたら猫が通っていて、「あ、ネコガミかな」と思ったりして、読む前と読んだ後では、世界が違って見えました。

ハリネズミ:私もおもしろく読みました。最初は人間だと思っていたのが、獣だということがわかってくるんですね。幽庵先生もネコだし。飯野さんの絵はいいですね。登場するのが人間界と動物界をいったり来たりする者たちなので、ぴったりの気がします。一つ一つはよくある物語ですが、時空を超える仕掛けがあって、過去の歴史と今がつながるように書かれていますね。その仕掛けが見事だと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年7月の記録)


きみのためにはだれも泣かない

ルパン:これは…いまひとつでした。人物がいっぱい出てくるし、ひとりひとりがデフォルメされすぎてるけど誰が誰だかわからなくなるし。しかも、なんだか大人が中学生のかわりに書いています、っていう感じがしてしまって。と思ったら、これは別の物語の続きの話だったんですね。なるほど、って思いました。もとの話を読んだらもっと共感できるんでしょうか。

レジーナ:登場人物の会話や心情にリアリティがあり、今の中学生に届けようとして書かれた作品だという印象を受けました。でも、私はちょっと入りこめませんでした。デートDVなど現代のテーマは入っていますが、1冊丸ごと、誰が誰を好きで、誰と誰がくっついて……という内容で。人を愛することの喜びや、好きになったときに世界が一瞬で輝くような感じが伝わってこないからでしょうか。ロジャーをなくしたおばあちゃんの気持ちがわからない鈴理は、アスペルガーかなにかの発達障がいがあるようです。描き方次第でもっと魅力的な人物になったのに、この本ではあまり共感できませんでした。

ネズミ:私は苦手でした。どう言っていいのかわかりません。人物ひとりひとりがデフォルメされて、スペックのなかで動いていく感じで、人物の展開に意外性がなくて。現役の中高生が読んで、どんなことを思うのだろうと思いました。共感できるのか、安心するのか、警戒するのか、読んで救われた気持ちになるのか。それがよくわからなかったので、みなさんの意見を聞きたいと。一人称って、みんなおしゃべりになってトーンが似てきてしまいますね。どんなふうに手渡せる本なのか、私はよくわかりませんでした。

西山:章ごとに語り手を変えるというやり方はこの10年、あるいはもう少し前から本当によく見ますが、主体が変わっても、あまり別の人格に思えない場合も多いと感じています。そんな中、梨屋さんの作品は、例えば『夏の階段』(ポプラ社)にしても、本人が思っていることが、他の人からはぜんぜん違って見える、ちゃんと別の人間を見せてくれるので、この手法が生きていると思っています。今回の作品もそう。ただ高校生の複数の恋愛感情が交錯すると、ちょっと、誰のセリフかわからなくなってくるところは何箇所かありました。鈴理ちゃんは、なにかの障がいを持っているのかなと思いながら読みました。でも、それがp240あたりで、そういう次元の話でなくなる。鈴理ちゃんに障がいがあるとかないとかは関係なくなる気がしました。月乃が他者と決定的に分かり合えないことを思い知らされたことで、新しい関係の持ち方へ回路が開かれている。ここがタイトルにも直結していて、メッセージの要だと思います。p29の「他人に迷惑をかけないためには、自分の心に迷惑をかけるしかない」という月乃の感覚とか、多少自己陶酔的な気分にさせちゃうかもしれないけど、共感する中高生は多いのではないかと思います。

ハル:みなさんがどんな風にこの小説を読まれるのかなぁと、いろいろご意見をうかがいたいと思っていました。確かにたくさんのさまざまな人物が出てきますし、実際にはこんなに特徴が顕著な子っていうのはいないのかもしれないけれど、とてもこまやかに練られているので、物語の世界ではリアリティをもって、きちんと生きている感じがします。日常の中で、中高生だけじゃなく大人も抱くような、友情間でのいろいろなモヤモヤに対して、ひとつの答えを示しながら描いているので、読者は「私が言いたかったのはこれなんだよね」「あのとき私があんな風に思ったのは、変じゃなかったんだ」と、安心できるんじゃないかと思います。若い不確かな心情に寄り添おうとする作家の姿勢が、強く感じられる作品だと思いました。

コアラ:私はあまり入りこめませんでした。出だしが鈴理だったので、鈴理に沿って読んでいたら、あまりにも周りが見えていない言動が多くて、読むのが辛くなりました。寄り添っているのでなく突き放すように書いている感じがしました。それでも、中学生が読んでも高校生の気持ちがわかるように書いてあるし、高校生が読んでも中学生の時はそうだったというように自分の成長がわかるように書いてあるとは思いました。どきっとするタイトルですが、後書きを読んでもどういう意味かよくわからないというか、あまりピンときませんでした。ただ、カバーの絵は、何か物語がありそうで手に取りやすいとは思いました。

アンヌ:最初は月乃さんの視点から書かれているのかと思って読み始めたのですが、途中でそれではついていけなくなりました。他人を突き放してみているような姿勢をとりながら、実は自分を整理できていない。ああ、こういうところが中学生なんだという感じがしました。とても古典的なぐらいに能天気に書かれている彗が物語を動かしてするところにも、リアリティを感じました。とにかくこれだけの人数の登場人物を短い言葉でよく書き分けたと思います。うわべは幸せそうだったり素晴らしい人に見える人間でも、心の中に闇を抱えていたりすることが語られていて、デートDVについては被害者だけではなく、加害者へのメッセージもあります。新しいヤングアダルトの書き手だなと感じました。

ハリネズミ:私はおもしろく読みました。たしかに登場人物は多いですが、デフォルメされて特徴がはっきり出ているので、読んでいて混同することはありませんでした。各章がそれぞれの人物の一人称なので、文体も違いますし。普通ギャルメイクをしている人は自分の素を出したくないと思ってわけだから、周りの人の世話をしたりしないと思いますけど、夏海は違いますね。鈴理だけちょっと浮き上がっているように思いましたが、それはこの子が何かハンディを抱えているからでしょうか。それぞれが個性的ですが、表紙の絵はどれも同じ顔なのが残念。私がいちばん気になったのは未莉亜ですが、未莉亜の章はありません。別の巻で出てくるのかな。全体にユーモアもあって、楽しく読めます。このタイトルは反語的な表現なのでしょうね。

西山:人が混ざるというのではないんですが。単純に、会話が続いているとだれのセリフがわからなくなるところがありますね。

ハリネズミ:どうしてこういう書名なのかなあ、と私も思ったのですが、後書きに「自分の心の動きを感じ取れることは、だれかの心をおもいやる力にも他人のために心を動かせるやさしさにもつながるんじゃないのかな。(中略)悲しかったりさみしかったり苦しかったりしたときに、だれかが代わりに泣いてナカッタコトにしてくれるわけではないのですから。そんな意味を込めて、逆説的ではありますが『きみのためにはだれも泣かない』というタイトルをつけました」とあって、納得しました。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年7月の記録)


2017年07月 テーマ:走り出す女の子からひらかれる物語

日付 2017年7月21日
参加者 アンヌ、コアラ、西山、ネズミ、ハリネズミ、ハル、ルパン、レジーナ、
(エーデルワイス)
テーマ 走り出す女の子からひらかれる物語

読んだ本:

『いたずらっ子がやってきた 』
カトリーナ・ナネスタッド/作 こぺんなな/挿絵 渋谷弘子/訳   さ・え・ら書房   2016.12
THE GIRL WHO BROUGHT MISCHIEF by Katrina Nannestad, 2013
版元語録:インゲは十歳の女の子。にぎやかなコペンハーゲンから、おばあちゃんの住むバルト海の孤島にやってきた。おばあちゃんはきびしく、いつもふきげんだ。でも、インゲは大好きないたずらをやめられない。そのインゲのいたずらが退屈な島の住民を巻きこみ、やがて島に大きな変化をもたらすことに…


『日小見不思議草紙 』
藤重ヒカル/著 飯野和好/挿絵   偕成社   2016.09

版元語録:日小見(ひおみ)は、山にいだかれ、川がながれる、どこにでもありそうな城下町。けれども、江戸時代の頃、ここで起った出来事は、今に伝わる話とは、だいぶ違った不思議なことばかり。伝わらなかった「ほんとうの」話とは・・・どこにあるのかだれも知らない町、日小見の町の物語。5話からなる時代劇ファンタジー!


『きみのためにはだれも泣かない 』
梨屋アリエ/著   ポプラ社   2016.12

版元語録:思いがすれ違う高校生たち7人の物語。近づいたり離れたり、そして前へ進んでゆく・・・人気作『きみスキ』続編!

(さらに…)

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ミスターオレンジ

ナガブチ:「ミスターオレンジ」がモンドリアンであるかどうか微妙で、ずっと読みながらひっかかっていて、最後の解説で、ああやっぱりそうだったのか、と腑に落ちました。モンドリアンの絵画は解釈が難しいですよね。一瞬、教育色の強い、戦争の愚かさを前面に伝える本かと思ったのですが、三原色とは何か、といった哲学的なところ、絵画の見方の提案にまで踏み込んでいっていて。それから印象に残ったのが「ミスタースーパー」です。狂言回し的な役回りで、読み易く、技法上必要なのかもしれませんが、どこか既視感もあって、本筋にとってどれくらい意味があるんだろうと思いながら、読んでいました。しかし、消滅後、もう出てこないと忘れていたら、最後に再登場し、驚きました。「想像力」の二面性を体現する存在として、どこか懐かしさを感じさせながらの登場に感動しました。最後ではっきりとこのキャラクターの意味が分かった気がします。ミスターオレンジは初登場の雰囲気から、この人は最後は死んじゃうんだろうなと予測しながら読んでいたので、それとは対照的でした。

ルパン:とてもおもしろく読みました。親友のリアムが悪い先輩と仲良くなってしまって気まずくなったあと、仲直りするシーンが印象に残りました。孤独なデ・ウィンター夫人の最後はせつなかったです。

アンヌ:以前に読んで、とてもいい本だけれど同時に心が重くなる本でもあるなと思っていました。作者はオレンジひとつで読者を物語の中に引き込むのを成功していると思います。その色、味わい、香り、形や重さを感じることによって、読み手は主人公の少年の日常からニューヨークでのモンドリアンの生活やその絵画にまで引き込まれます。作者はそれだけではなく、ブギウギというダンス音楽によって、当時のニューヨークの音と動きを本の中に引き込み、さらにモンドリアンの絵の象徴するものを感じさせることにも成功していて、実に手の込んだ作品だと思います。ただ、この時点で、ヨーロッパからやって来たモンドリアンには戦争はもう終わるとわかっているのに、この後、原爆が落とされたのだなと思うと暗然とする気分があります。ニューヨークの自由のまぶしさと戦争の残酷さが同時に感じられる物語でした。

カピバラ:とてもおもしろく読みました。この主人公の男の子の気持ちがとても素直に描かれていると思います。最初のうちは大好きなお兄さんが出征していくことを誇りに思っていたけれど、お母さんの微妙な反応に気づき、お兄さんからの手紙の中に父母だけが知っている真実があったことをだんだん知っていくのが自然と描かれていて、読者も主人公と一緒に成長していけるのがよかったです。お兄さんが出征している弟の話はほかにもありますが、ミスターオレンジに出会うことでまったく新しい自由な発想や、未来への希望といったものを絵や音楽から感覚として知っていくという感じがとても新しくてわくわくするようなものがあって、そこが今まで読んできたものにはない、新鮮な印象を与えてくれました。このミスターオレンジはナチスの手を逃れて新天地アメリカにわたってきたんですけど、「おさるのジョージ」の作者レイ夫妻も同時代にアメリカに渡ってきました。その当時のニューヨークの雰囲気がもっと描かれていてもよかったんじゃないかな、と思いました。日本版の装丁は、内容をよく表していていいですね。

アカザ:本当に、装幀は原書よりずっといいですね。物語の雰囲気をよくあらわしていて素敵です。物語そのものも、素晴らしい。英国や日本の児童文学では、実体験としての戦争が描かれていますが、参戦していても本土での戦いがなかったアメリカやオーストラリア、ニュージーランドなどの国の子どもたちがどのように戦争を見ていたかがうかがえて、おもしろかったです。『ペーパーボーイ』(ヴィンス・ヴォーター作/岩波書店)と同じように、主人公のライナスがまったくの他人だけれど素晴らしい大人にめぐりあって、新しい考え方に触れ、変わっていくところが、とてもいいと思いました。お兄さんが描いた漫画の主人公と頭の中で会話をかわしながら少しずつライナスの戦争に対する考え方が変わっていくところも、とても上手い書き方をしているし、家族の描写もおもしろかった。ただ、想像力についてのくだりは感動的だけれど、ちょっと理屈っぽいかな。モンドリアンがモデルだということは物語の最後まで明かされないけれど、どこかに絵を入れたほうが良かったのではと、ちょっと思いました。口絵とか、栞とか……。

カピバラ:これは創作だから、はっきりした作品を出してないのでは?

アカシア:ヴィクトリー・ブギウギなんていう絵の名前が出てくると、モンドリアンだってわかりますけどね。表紙もモンドリアンの絵をモチーフにしてますね。

野坂:この本を訳しながら、何度も繰り返しテキスト全体を読み。読むたびに新しい発見がありました。そのつど、ひとつひとつのシーンが映画のように立ち上がってくるんです。でも実はライナスは、考えている時間のとても長い少年です。地の文、ライナスの意識の流れ、思考から地の文にもどるときの自然な着地・・・思考の部分は、二倍ダーシュを使ったり、括弧に入れたり。それに加えて、自由間接話法をかなり取りいれました。また空想の中でのミスタースーパーとのやりとりが際立つように、地の文とは違うゴシック系の書体を使いましたが、ライナスが空想から徐々に覚醒していくところでは、あえて明朝とゴシックを数行おきに混ぜて使いました(p184-p188)。
 これまでにも、いろいろな方から感想をいただいています。例えば、第二次世界大戦中の日本の子どもの日常は、山ほど読んできたけれど、海の向こうのアメリカの子どもが戦争をどう感じていたかは、ほとんど知らなかったとか。それから、「モンドリアンはもっと気難しく、複雑な人だと思っていた」と、画家さんに言われたこともありました。でも、正確なモンドリアン像を伝記のように描こうと、作家は意図したわけではありません。芸術や音楽、戦争とはなにか、ライナスにとって新しい視点を開いてくれる「だれか」として、その姿は描かれている。子どもの本として、このような書き方もありではないかと、私は受け止めています。家族や友人ひとりひとりの性格も、きちんと肉付けされている。迷いながら自分で考えを深め、自分なりの答えを見つけていくライナス。全体として、ライナスに象徴される「子ども時代」への応援歌になっている作品だと思っています。一方で、本来自由であるべき想像力が、戦争賛美の方向へコントロールされることもある。今も世界中で繰り返されている、そうした無言の圧力に、子どもがどう抗していくか、という物語にもなっています。
 それから、念のため作家に確認したところ、ライナスの一家はドイツ出身だそうです。「ミュラー」という名字が、本文にでてきます。お話のなかでは、何系の移民か、ということは大きな意味を持っていませんが。

レジーナ:装画がすごくすてきで、それに惹かれて読みました。とてもおもしろかったです。全体をとおして、空襲など、直接戦争の被害を受けない状況で、子どもが感じている不安がひしひしと伝わってきました。志願して戦争に行ったアプケが、目の前で人が死んでいくのを見るうちに、なんのために戦っているのかわからなくなるのも、戦争のリアルな現実を表しています。想像力についてのくだりは、私はそんなに理屈っぽいとは思いませんでした。「自由を奪われたら、人はかならず抵抗する」という台詞は現代にも通じます。困難な時代になにを信じ、たよりにするか、そういうとき、想像力や目に見えないものがどれだけ力になるか、そんなことを考えながら読みました。ブラジルの絵本作家のホジェル・メロさんが、「言論が弾圧された時代、ペンで権力に抵抗した人々が次々とどこかに連れていかれるのを見て、言葉がどれほど大きな力をもつか知った」と語っていたのを思いだします。ナチスがモンドリアンの絵を飾ることを禁じたと語る場面では、エリック・カールが、学生時代、美術の先生の家に遊びにいき、そのときナチスに禁じられた画家の絵をこっそり見せてもらって、それが自分の人生を決めたと言っていたのを思い出しました。

ネズミ:おもしろく読みました。最初は、戦争に行くお兄さんをかっこいいと思っていたライナスの戦争観がだんだんと変わっていき、お父さんやお母さん、そしてミスターオレンジと、それぞれの立場からの戦争の受けとめ方が見えていくところ、「ぼく」の描き方がよかったです。最初は、ミスタースーパーってなんだろうと思いましたが、ミスタースーパーがいるから、戦争の虚像と実像の対比があざやかになっていくのかなと思いました。ただ、読者を選ぶ本かなとは思います。最初と最後が1945年で、物語が展開するのは1943年。本を読みなれた子じゃないと、構成がすぐにはわからないかもしれませんね。

西山:共謀罪が成立しようとしていたとき、ちょうど95ページを読んでいたんです。「こうしたことは、長いプロセスなんだ。わたしが生まれるまえからはじまっていて、このあともずっと続いていく。もっともっと大勢の人の努力が必要で、そこがまさにすばらしいところなんだよ」と、ここが、あまりにも現実の政治状況と重なって、くさってる場合じゃないな、と、諭されたような気持ちになりました。全体に、今、この状況下で読むことで考えさせられる場面が多かったです。先ほど『あらしの前』『あらしのあと』(ドラ・ド ヨング著 吉野源三郎訳 岩波書店)の名前が出ていましたが、私もあの作品では、異年齢の子どもたちのそれぞれの感覚も好きな所の一つで、例えば、22ページ「アプケはいろんなことを子どもっぽいと感じないぐらい、大人なんだ」というちょっとしたところなどに、とてもおもしろさを感じました。みなさんがおっしゃっているように、勝った側のアメリカの戦争の子どものものの感じ方が新鮮でした。ミスタースーパーの両義性が、戦場へ人を送り込むのか、戦争に反対するのかどちらにはたらくのか、雑誌など、児童文化財の問題としても興味深いと思いました。(でも、この作品は「戦争に参加すること=正義」の側に立っていて、にわかに日本に置き換えられないなと、読書会を通して考えさせられました)ライナスの感性のするどさには、感心して読みました。部屋を見て、陽気な感じがする、と感じたり。「教わったばかりの、いままでとはちがう考え方を、ライナスは頭の中でごちゃまぜにしたくな」くて階段をゆっくり降りる(p97)とか、そういう細部を楽しみました。

ハル:とても良かったです。「ライナスはかけていく。水たまりをとびこえ、歩道のふちでバランスをとり……」という、リズミカルな冒頭の1行目から引きこまれました。爆撃を受けたり、防空壕に避難したりという実体験の戦争の恐ろしさを伝える物語とはまた違い、想像から始まる戦争の恐ろしさ、絶望も希望もうむ「想像力」のパワーを、物語を追いながらとてもわかりやすくイメージできました。この画家は誰だろうと思いながら、読み終わって改めてカバーを見たら「ああ〜」とわかりますね。素敵な装丁です。そして、先ほどアンヌさんがおっしゃっていましたが、私も読後は「1945年3月」には、ニューヨークではもうほとんど戦争が終わっていたんだなぁと、何とも言えない切なさも覚えました。

マリンゴ: とても素敵な物語だと思いました。お母さんの反対を押し切って戦争へ行ったお兄ちゃんは、主人公にとってヒーローでした。でも、お兄ちゃんが向こうでつらい思いをしていると知り、主人公は戦争の現実を知ります。その流れがとてもよかったです。あと、描かれているのが「戦勝国」の考え方だなぁと思いました。p207の「アプケは未来を想像できたから、戦争に行ったんだ。想像したのはいい未来だよ」に象徴されるように、戦争は正義なのだと捉えているところが少し気になりました。戦争には勝つ国と負ける国があるわけなのですが……。日本の戦争児童文学とはまた違う心理描写で、興味深く読みました。それと、「訳者よりみなさんへ」の部分で、この本が作られた経緯について紹介されていて、とても驚きました。「モンドリアン展」のために作品を書いてほしいと依頼された作家が、このような作品に仕上げるとは。普通なら、もうちょっとモンドリアンに寄せて、主人公として書くと思うのですが、ここまで大胆に作り上げたことがすごいと思いました。

すあま:非常におもしろかった。お兄さんが戦地に行ってしまって、家でのライナスの役割が上になり、がんばって背伸びをしている。でも戦争をすべて理解しているわけではない。ライナスはミスターオレンジに出会うことで成長していく。ミスターオレンジがライナスを子ども扱いせずにきちんと語りかけ、ライナスの世界が広がっていく。私はミスターオレンジのモデルがモンドリアンだと気付かなかったので、あとがきを読んでびっくりしました。読み手は、モンドリアンという画家にも興味をもつのではないでしょうか。

アカシア:いい作品だと思って、私がかかわったブックリストでも推薦しています。オランダでのモンドリアン展に際して依頼されて書いた作品とのことですが、モンドリアンとの距離が絶妙なのもすばらしい。ライナスの感受性の強さを「においには名前がない」のを不思議と思ったりする描写であらわしているのも、いい。1945年3月の出来事が最初と最後にあって、つながっているのですね。ただ2回目に読んで、もし自分が編集者だったら相談したいなというところが少し出てきました。たとえばp5に「ポスターに書かれている住所は、西五三番地十一番地」とありますが、これはニューヨーク近代美術館(MOMA)の住所です。でも、オランダの子ども以上に日本の子どもには、それがわからない。そことつながっている最後の章は、ライナスがこの美術館にやって来たところから始まりますが、「ビル」と訳されているのでそれが美術館かどうか読者にはまだわかりません。日本の子どもだとビルと美術館は別物だと思う子も多いと思います。ようやくp238で「こんな立派な美術館」と出てくるのですが、おとなの本ならこれでもいいと思いますが、子どもにとってはイメージがうまくつながらなくて盛り上がれないようにも思います。「ビル」じゃなくて「建物」とするとか、最初の章で、ライナスがこの住所にこれから向かうことをもっとはっきり打ち出すとか、何か工夫があるとさらによくなると思いました。p5には「ライナス、中へお入り・・・」という言葉が太字になっていますが、後のほうを読まないと、これがモンドリアンのいつもの台詞だということがわからない。謎が1箇所に1つなら子どもはその謎を抱えて読み進めますが、いくつも謎があると、わけがわからなくなってくるのではないかと危惧します。p52の「ヨードチンキの小びんを、ぐるりとまわした」は、ひょっとすると小瓶で、ぐるりと周りをさした、ということ? ちょっとよくわかりませんでした。p183の「ウィンドウに飾られたもう何個かの青い星」は、前に星が2個と出てくるのですが、それが増えているということ? だとすると、なぜ増えているのかよくわかりません。p187の「だったら、わたしにひとつ、例を見せだまえ!」も、もう少しすっとわかる表現になるといいな。p204の「あいつはだいじょうぶなんだよ」も、戦地でひどい目にあっているのですから、「まだ生きているんだよ」くらいの方がよかったのでは?
 それからこれは、この作品に限ったことではないのですが、欧米の作品の多くは、戦争にはひどい部分がたくさんあるけれど、それでも正義の戦争は必要だというスタンスですよね。そこに、今回気づきました。この作品でも、お兄さんの友だちが戦死したり、お兄さんが「こんなはずじゃなかった」と思うなど戦争への疑問は書かれていますが、p197「戦争に勝つことは、未来のために戦う意味があるんだよ」p207「アプケは未来を想像できたから、戦争にいったんだ。想像したのはいい未来だよ。敵のいうなりにならなくちゃいけない未来じゃなくて、別のやつ。みんなが、自分のしたいことができる未来なんだ。だからこそ、アプケは戦いに行った。そのためには戦わなくちゃいけないって、わかってたんだ」などというところがあって、ああやっぱり、と思いました。

ネズミ:登場人物のせりふにそういう表現が出てきたとしても、それは時代を反映して描いているからかもしれないし、作者のスタンスはわからないんじゃないでしょうか。批判をこめて書いている可能性もあるし。

アカシア:著者を責めているのではなく、欧米の著者はそういう視点にどうしても立ってしまう。兵役がある国では当然そういう教育がなされるので、それが普通なのだと思います。日本の子どもが読んだときに、どういうメッセージを受け取ってしまうか、ということを考えると、ちょっと不安です。

しじみ71個分(メール参加):モンドリアンを素材にして、戦時中のアメリカを描いていた点、とてもおもしろく思いました。未完の遺作になった「ヴィクトリー・ブギ=ウギ」の画像を確認してみて、物語の中でこの絵が非常によく表わされているなと思って感心しました。アメリカを、特にニューヨークを自由の象徴として描ており、自由をもとめてヨーロッパから逃げてきたモンドリアンと、自由を守るために戦地に旅立ったお兄さんとの対比がそのまま少年の葛藤になるあたり、おもしろく読めました。架空のヒーローが自分の心との対話にもなっていると思いますが、戦争賛美がまやかしであり、お兄さんが命を賭けていることに気づいた段で、ノートを縛って片づけるところが良かったと思います。兄弟が修理して靴を使いまわすところなど、「物がない」ということを具体的にイメージしやすく、生活臭があって良かったです。

エーデルワイス(メール参加):読みやすい訳ですね。心に響く言葉がたくさんありました。p99「未来にはだれもがみんなこんなふうに暮らせるはずなんだ」p197「自由を奪われたら人は必ず手行こうするものだ」などです。ピート・モンドリアンがとても重要な人物として登場しますが、あくまでライナス少年の成長を描いているのがいいですね。平田さんの挿絵もすてきです。モンドリアンをよく知らなかったので、図書館で大きな美術本を借りてカラーで印刷された作品を見ました。オランダでの初期の作品は風景画が中心で、具象から幾何学抽象への過渡期があり、新造形主義を確立していったようです。作品はニューヨークにもあるようですが、オランダに行く機会があったらハーグ市立美術館へ行って作品に会いたいです。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


スピニー通りの秘密の絵

ナガブチ:テンポもよく、読み進めるほどに、楽しく読めました。最後かなり加速しますが、中でもナチスについてのくだりでは、存命者リストの話や施設の話など、非常に具体的な情報が出てくるのが印象的です。1枚の絵が持っていた真の意味、重さを知った時、とても感動しました。

ネズミ:いろんな要素が盛り込まれている本だなと思いました。セオとボーディが仲良くなっていくところがおもしろかったです。でも、あまりに盛りだくさんすぎて、ここまでしないとおもしろい本にならないのか、読者はのってこないのかと、やや食傷気味にもなりました。こういうのが今風なんでしょうか。ナチスのことも出てきますが、実際の収容所の様子などはうかんでこなくて、筋だてのひとつの道具なのかなという感じ。冒頭で、ジャックがセオのおじいさんだということに、途中まで気づきませんでした。前のほうに書いてあったんでしょうか。

アカザ:わたしも、すぐに分からなくなりました。たしかに前のほうにおじいさんだって書いてあるけれど、1か所だけだとつい見落としてしまいますね。

西山:美術館に行きたくなりました。単純に絵画の読み解きは面白いなと。最初、私も貧困の話かと思いました。スピーディーに繰り出される情報と謎解きでだんだん加速してきたのですが、実はあと少しで読み終わっていません。謎解き部分なので、直前に慌ただしく目を通すのももったいないかと、帰りの電車を楽しみにしています。でも、お構いなく、語ってください(笑)

ハル:子ども向けといっても、こんなにおもしろいミステリーがあるんだ、と夢中になって読みました。絶望的な環境にもめげず、たくましく、しかも天才的な才能をもつ主人公の女の子も痛快です。終盤になって、もう残り何十ページもないけどほんとにお話が終わるのかな?というくらい駆け足になってしまったのがちょっと残念ですが、新しい発見もあり、勉強にもなり、絵画への好奇心もくすぐられて、とてもおもしろかったです。

マリンゴ:最初、読みづらいなと思っていたのですが、途中から一気に引き込まれました。ただ、ラストの部分、捜しまわっていた人が隣に住んでいた、というところで、びっくりするというか、それはちょっとないよ、と思いました。作者のサービス精神が旺盛すぎたのでしょうか。伏線がはられていなくて、後で弁解のようにいろいろ経緯が語られるスタイルで、ミステリー作家さんとかが読むと、いわゆる「ルール違反」ではないのかな、と思いました。あと、p114で、「超オタクの奇人レオナルド・ダ・ヴィンチは卒業総代をねらっている」など、画家たちを高校の生徒にたとえて説明する部分はとてもうまくて、読者もわかりやすいのではないかという気がします。

すあま:ちょっと主人公の境遇がひどいのではないかと思いながら読み進めましたが、主人公の世界が広がっていくにつれて、おもしろくなりました。終盤で話が急展開してちゃんとついていけず、探していた人物はおじいちゃんがとなりに住まわせていたのかと思ってしまいました。最後におじいちゃんの手紙を見つけるところは、なくても物語としては十分だったかもしれません。手紙を読まなかったのに、おじいちゃんの希望をかなえることができた、というところはおもしろいと思います。

アカシア:最初の展開から、ジャックが収容所で一緒だったマックスの話になり、マックスが娘の命を助けるために高価な絵を使ったのが明らかになる。そこまでの展開はみごとだと思いました。でも、最後が『小公女』みたいにご都合主義になってしまった。p252には「収容所を生きぬいたとしても、パリの死刑執行人の手から逃れるのは無理だったんじゃないかと思う」とありますが。p246では、その「パリの死刑執行人」ハンス・ブラントが、アンナの出所申請をしたと書いてあるので、流れに無理が。p252には「ボーディがラップスターのまねみたいな話し方をやめるなら」とありますが、ボーディの口調はそういう訳にはなっていないので、ひっかかりました。マダム・デュモンが自分の名前をおぼえていないということで、最後の展開につながっていくわけですが、自分ではおぼえていなかったにしても、「アンナ・トレンチャーを知らないか」ときかれれば、普通は思い出すのではないかと、そこもひっかかりました。あと一歩でおもしろくなりそうなので、ちょっと残念。

ルパン:とてもおもしろく読みました。エンタメとしては最高だと思います。そう思って読むと、となりの奥さんがさがしていた少女だったとか、最後にお金がたっぷり出てきて一安心、というのも、「どうぞどんどんやって」という感じで楽しめました。ただ、児童文学作品として考えると、あまりにご都合主義なのが残念。あちこちに『クローディアの秘密』(E.L.カニグズバーグ作 松永ふみ子訳 岩波書店)のオマージュなのかな、と思われるシーンがありますが、それにしてはちょっとお粗末な気がします。

アンヌ:主人公がニューヨークのど真ん中でビーツを育て酢漬けの瓶詰を作ったり、祖母の残した服を再利用したり、『家なき娘』 (エクトール・マロ作 二宮フサ訳 偕成社文庫)のように生活をやりくりする様子がとても楽しい物語でした。ナチスによる美術品の略奪話は推理小説にも多いのですが、この作品では、絵の謎だけではなく、祖父が盗人ではないということを解き明かすというスリルがあって、主人公と共にドキドキしながら読み進められました。絵の謎を解くために、ボーディがスマホを駆使し、図書館員がパソコンで調べてくれる。このいかにもスピーディーな現代の謎とき風景と、これに対比するように描かれる主人公が現物の絵画を見、参考資料を読みこんで謎を解こうとするところが実に魅力的で、作者の思い入れを感じます。愕然としたのはp264から始まる隣人と絵の関係がわかる場面です。あまりに描写が省略されすぎていて納得がいかず、作者がもともとは長々と書いていたのを削られたのかなと思いました。

カピバラ:この本で一番いいと思ったのは、ふたりの女の子の関係性です。育った環境も性格も全く違うのに、初対面から拒否反応を起こさず、すっと相手を認めていくところがすがすがしい。この年頃の女の子の、大人っぽくしたい、背伸びしている感じもよく出ています。図書館で調べるところもよかった。

アカザ:とてもおもしろくて、一気に読みました。主人公の女の子が魅力的だし、貧しいといっても豊かな貧しさというか、庭で飼っているニワトリに名前をつけたり、読者が憧れるような貧しさですよね。美術史を学んだ作者ならではの贋作の見分け方とかラファエロの絵の話とか、細部がとても魅力的な物語だと思いました。ただ、やっぱり最後ができすぎというか、やりすぎじゃないのかな。

野坂:作者はもともと美術研究者で、その専門を生かした、力のこもったデビュー作ですね。友情物語、謎解き物語として夢中で読みました。主人公セオは相棒ボーディと力をあわせ、死んだおじいちゃんが遺した絵の謎を探るのだけれど、最終的に絵の中にも失われた家族が描かれていたことがわかり、いくつもの家族の喪失と再生の物語が層になっている点、うーんやられたという感じ。絵そのものにも見えない層があって、絵の秘密を探るため、病気のふりをしてレントゲンにかけるところも、奇想天外な子どもたちのパワーを感じました。ただ、大円団の部分で、マダム・デュモン(いじわるな隣人)が、急にきれいな言葉で話しだし、人格が変わったように感じたのは残念。そして、セオはものすごく貧乏なんですが、ただの貧乏ではなく、そうしたことがアートのように感じられるのは、売れない画家だったおじいちゃんのセンス、生き方のおかげ。そんなおじいちゃん、セオの人物像にも、それなりに苦労しているセレブの娘ボーディの描かれ方にも、好感が持てました。

レジーナ:私も『クローディアの秘密』を思い出しながら、おもしろく読みました。ところどころわからない部分がありました。映画『黄金のアデーレ』は、ナチスに奪われたクリムトの絵を取りかえそうとした実在の人物の話ですが、奪われた絵を取りもどすことが、失われた過去を取りもどすことにつながっていて、その点ではマダム・デュモンの人生に重なりました。

しじみ71個分(メール参加):美術の専門家が書いただけあって、絵にまつわる謎解きがとてもリアルでしたし、モニュメンツ・メンという存在も初めて知り、非常におもしろく読みました。貧しく、頼りのおじいさんを亡くし、母は生活力がないという厳しい環境にありながら、知恵をフル回転させて、アナログを旨として生きる主人公のセオと、珍しい家族環境を持ち、ネット検索に非常に長けたボーディ(bodhi、菩提=悟り、知恵)という女の子の二人組が、本とネットという現代に必要とされる知性をそのまま象徴しているようで、その二人が絵にまつわる謎解きをするという構成がとても巧みだと思いました。私が特にいいなと思ったのは図書館員のエディで、タトゥーがあって型破りでありながら、図書館情報学修士号を持ち、専門的なサポートをしてくれる存在として描かれています。また、いかにも司書らしい容姿として描かれる専門図書館員の彼女もプロフェッショナルなスキルをフル動員して子どもたちを助けるというところで、アメリカにおける図書館員の認知度の高さが良くわかり、日本とは違うなぁと実感しました(多くの専門家がそこを目指しているとしてもまだ社会全体でそこまで到達していないという意味で)。セオがおじいさんの宝の絵を売って生活の足しにすることばかり考えて、途中、絵の持ち主探しに消極的に見えるように思えた点はちょっと残念にも思いましたが、生活に困窮しているという意味でリアルだったなとも思います。最後の、お前はニワトリだ、地面をつついて真実を探せ、というおじいちゃんのジャックの言葉はぐっときました。真実を探求する人の姿勢を端的に表した言葉だと思います。小学校高学年くらいの子どもには、ミステリ的な要素に知的好奇心をくすぐられておもしろいのではないかと思いますが、もしかしたらちょっと難しいでしょうか?

エーデルワイス(メール参加):極貧で、家の仕事と母の世話をするセオドラはたくましくもけなげです。言語と図書館と美術館とミステリーがあわさって、おもしろい作品に仕上がっています。訳もいいですね。ナチスの奪った絵画を洞窟から奪い返すという映画を何年か前に見たことがあります。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


オイレ夫人の深夜画廊

ナガブチ:この作品は、難解でした。日本人の作家さんとは思えない文章でした。ただ、難しいところや描写を読み飛ばしても、なんとなく読める、ストーリーは追えるなと思いました。

レジーナ: 同じ作家の『ドローセルマイアーの人形劇場』『アルフレートの時計台』と同じように、雰囲気のある作品です。ドイツの冬の静謐さ、重苦しい感じはよく出ているのですが、物語でぐいぐいひっぱっていくような作品ではないので、読み手を選ぶ本です。わたしはあまり入りこめませんでした。雰囲気を味わうようなこういう本も、あっていいとは思いますが。

ネズミ:物語の世界にすっと入っていけました。確かなイメージが浮かんできて、うまいなと思いました。夜だけ開く画廊で、出会うべきものに出会って、最後に主人公の人生の方向が変わるというのも魅力的。物語の世界を楽しめました。このあいだ読んだ同じ著者の『アリスのうさぎ』(偕成社)よりも好きでしたが、主人公が青年というのは、子どもにはとっつきにくいでしょうか。こういう本がたまにはあっていいと私は思いますが。

西山:特に付箋をはることもなく、さら〜っと読んでしまいました。なぜか、安房直子をふと思い出して、ふわっと懐かしい気分を味わいました。だから、なに、という感想も特になく、すみません。

ハル:なんだかこれからおもしろいことが起こりそうなんだけど……眠い、と何度も心地よい眠りに誘われながら読んだら、ラストでぞくっとくるほど感動したので、こう言うのも変ですが、最後まで読んでよかったです。出版社のホームページでは読者対象が小学5〜6年生となっていましたが、どこまで読めるんだろう? というのは判断が難しいところだなと思います。

マリンゴ:最小限の言葉で、異国の不思議な空間を描き出すのは、さすが斉藤さんだと思いました。ただ、広場に行ったあたりから、私の想像力が追いつかず、イメージが曖昧になってしまいました。読後感はいいです。ただ、さらっとしていてあまり後には残りませんでした。p134の「だれだって、ヒントに出会うのです。ヒントは連続してあらわれますからね」は、「わかるわかる」と、とても納得できました。

すあま:私は『アルフレードの時計台』よりもおもしろかった。ただ、前半がまどろっこしい感じで、物語にうまく入っていけなかった。主人公が子ども時代にサモトラケのニケの頭と首がないのがこわかった、と感じたことに共感できた。著者はたくさんの作品を書いているが、これはあえて海外の作品のような感じにしている。登場人物の名前が難しいので、日本の物語を好んで読む子どもには読みにくいかもしれない。

アカシア:これは連作の3冊目ですね。1冊目の『ドローセルマイアーの人形劇場』には、ふしぎな人形と人形遣いが出てくるし、2冊目の『アルフレートの時計台』にはタイムファンタジーの要素もあって、どちらも不思議さの度合いがもっと濃厚です。この3冊目は、それに比べると、オイレ夫人のキャラもそうそうくっきりはしないので、単発の作品としては弱いかもしれません。また、リヒトホーフェン男爵が現れて、フランツが小さい時グライリッヒさんにあげた木のライオンを取り戻すという要素と、サモトラケのニケの顔がわかるか、という要素が入り交じっているので、読者がくっきりとした印象をもてない理由は、その辺にもあるかもしれません。ただ、前の2作に登場したクラウス・リヒト博士、時計台やアルフレートの絵、ドローセルマイアーさんなども再登場してきたり、2作目で不気味な役割を果たしていたフクロウがオイレ夫人と重なっているなど、連作で読むと、よりおもしろいのかと思います。
 画廊に立ち寄った哲学の学生であるフランツは、彫刻家になる決心をします。1作目では高校の数学教師だったエルンストが人形遣いになり、2作目でもやはり別の道を志していたクラウスが、親友の死に直面して小児科医になるなど、主人公たちはみんな、ふとしたきっかけをもらって、これまでとは別の道を歩み始めるというところも、3作に共通しています。p32の「どういたします?」は「どうなさいます?」かな。

ルパン:こういう雰囲気の物語は好きなのですが、オイレ夫人に魅力がなく、期待外れの感がありました。また、サモトラケのニケとかミロのヴィーナスの「失われた部分」に想像力がかきたてられる、というのは言い古されていることなので新鮮味がなかったです。でも、子どもにとってはおもしろいのかもしれません。p31の「複数形」に関しては、そこまで翻訳風に作らなくてもいいんじゃないかと思いました。ちょっとやりすぎ。

アンヌ:カフカやカミュを思わせる静かな始まりで、医師の言葉に、主人公はもうこの町から出られなくなるのかなとか、深夜画廊の客の様子に、『おもちゃ』(ハーヴィイ・ジェイコブス/作 ちくま文庫『魔法のお店』収録)を思い浮かべ、さあ、怪奇に行くかファンタジーに行くのかとワクワクしながら読み進めました。普通、過去の何かに出会う主人公は、取り戻せない時間に苦い思いを抱くのですが、この物語では未来を手に入れるところが新鮮でした。ただ、町見学の場面やオイレ夫人の描写に今一つ魅力がなく、主人公が若い大学生というより中年男性のようで、物語の謎もそのままで淡々と終わってしまったのが残念でした。

カピバラ:1作目から読んできたけど、異国の街で、時計塔、古いホテル、人形劇場、画廊などを出して、いかにも謎めいた、これからなにかが起こりそうな雰囲気を上手に出していると思います。3部作として読むと、前に出てきた人がまた出てくるなど、読者を楽しませる工夫があるんですが、出版の間隔があいているので、前作のことをほとんど忘れてしまって……。おもしろい作品というより、おもしろそうな作品という感じです。

アカザ:3部作のうちでは、私は『アルフレートの時計台』がいちばん好きで、いまも心に残っています。この作品も、とても上手く書かれていて、男爵があらわれる前に景色が少しずつモノクロに変わっていくところなど、素敵でした。ただ、フランツにどうしても木彫りのライオンを返したかったグライリッヒさんの思いとかがあっさりしすぎていて、強く伝わってこないんですね。美しい物語を読んだという気はするけれど、感動とまではいかなかった。

野坂:物語世界はよく構築されているので、すうっと読めました。でも、子どもにはどうなのか、少しわからない部分があります。前作の二つも読まないといけませんね。「どうせ考えたって、わからないんだから、奇妙だと感じても、まあ、そういうことなんだって、そうおもうしかないのよ」という少女の言葉に、主人公フランツは、自分には何か思い出せねばならないことがあるのだろうか、と考えこみます。そんなところに、虚構の世界に読者をからめとるレトリックの巧さを感じました。また「クルトがきみに何を思い出してほしいかは来るとの問題だし、きみが何を思い出すかは、やはりわたしの問題ではない」と明言する男爵の論理が、個人主義、ヨーロッパ的でおもしろく、男爵の存在感を際立たせていますね。YAとしても読める作品では。アカシア:ルビの振り方をみると、YA対象ではないですね。しじみ71個分(メール参加):まず、本を開いて、文字組みの視覚的な効果に感動しました。頭を揃えて、ほぼ1行1文で描かれた文章ですが、その形式だけで、幻想的な物語であることを端的にわからせる効果があると思いました。そこだけでぐっと引き込まれます。子ども向けというよりは、ヤングアダルト、もしかしたら大学生とか、就活中の人とか転職模索中の人とかでもいいような、青年層向けの自分探しの童話として受けとめました。主人公が木彫りのライオンとニケの像を見付けて、自分の夢が何だったのかに気づくという割とストレートなプロットですが、途中途中で描かれる美術品や街の表現が美しいのも良かったです。エーデルワイス(メール参加):さすがストーリーテラーの斉藤さん。おもしろく読者を引っ張って最後にすとんと落とす。わかりやすくて読みやすいです。挿絵もいいですね。ルーブル美術館には行ったことがあります。「サモトラケのニケ」は入口でお出迎えしてくれるようですね。どんな美女だったのか興味があります。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


2017年06月 テーマ:絵にまつわる物語

日付 2017年6月30日
参加者 アカザ、アカシア、アンヌ、カピバラ、すあま、ナガブチ、西山、ネズミ、
野坂、ハル、マリンゴ、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス、しじみ71個分)
テーマ 絵にまつわる物語

読んだ本:

『ミスターオレンジ 』
トルース・マティ/著 野坂悦子/訳 平澤朋子/挿絵   朔北社   2016.09
MISTER ORANGE by Truus Matti, 2011
版元語録:1943年のニューヨーク。八百屋の少年ライナスは、オレンジを注文するひとりの画家と親しくなる。その人を「ミスターオレンジ」と呼び、まっしろな壁に原色の四角を貼りつけた明るいアトリエに魅了される。ナチスが支配するヨーロッパから、命がけで逃げてきたその画家は、ライナスにとって特別な存在となった。ミスターオレンジを通して、ライナスは新しい「未来」に出会い、想像の自由を守ることの意味を自分で考えはじめる…。2014年全米図書館協会「バチェルダー賞」受賞作品。


『スピニー通りの秘密の絵 』
L.M.フィッツジェラルド/著 千葉茂樹/訳   あすなろ書房   2016.11
UNDER THE EGG by Laura Marx Fitzgerald, 2014
版元語録:「卵の下を探せ」祖父が遺した謎の言葉。美術の英才教育を受けてきたセオが、セレブ女子ボーディとともに、秘密の絵の鑑定に挑む!極上の美術ミステリー!


『オイレ夫人の深夜画廊 』
斉藤洋/著 森田みちよ/挿絵   偕成社   2016.05

版元語録:そこは、運命を変えるたいせつな思い出に会える店。見しらぬ町で途中下車することになったフランツは、駅で聞いた「深夜画廊」という名の書店に心をひかれた。夜間専門の古本屋で、二階は画廊になっているらしい。

(さらに…)

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チポロ

コアラ:おもしろかったです。読みながら、矛盾に気がついたり、この伏線はこうなるのかなと思ったのにそうならなかったりして、あまり計算されていない物語なのかな、と思いました。でも終盤に一気に迫力が増して、チポロのせりふの「人間なめんなよ」と魔物ヤイレスーホの「魔物をなめるなよ」、このふたつは結構気に入りました。このあたりから、細かいところはどうでもいいと思えるおもしろさでした。チポロの母親がどうして死んだのかということについてずっと説明がなくて気になっていたのですが、最後のところでいろいろ説明がつけられていましたね。p252の「(人間に)なにか与えたいと願うならば、おまえの命と引き換えだ」というところから察しがつきました。そして、柳の木になって、柳の葉を人間の糧となる魚にしたというところで、そうだったのか、と。本の扉の絵も柳で、愛を感じる扉だなと思いました。ほかにもすごくいいなと思う場面はp250。相手を殺すのが嫌で「ほかに方法があるんじゃないか」と言ったり、「なぜ、死をもって償わせようとしないのだ」と問われてチポロとイレシュが(なんでだろう?)(なんでかな?)と顔を見合わせたり。戦いのさなかにあって「殺すのが嫌だ」と立ち止まって考えるのはすごくいいと思いました。ただ、伏線についていえば、p74。チポロがシカマ・カムイの家来になると決心して、そのあと右手がだめになったときのために利き腕でない左手で弓を射る練習する場面。このあときっとシカマ・カムイの家来になって、右手がだめになるというピンチが来るけれど、練習の成果で左手を使って切り抜ける、という展開になるだろう、と期待したのに、家来にもならなくて…。シカマ・カムイはなぜかp223でいきなり再登場してくるし、右手がダメになるピンチはチポロでなく、なぜかレプニにふりかかる。せっかく期待させたのだから、もう少しうまく展開してほしかったと残念でした。魂送りの矢についても、体を鍛えただけで射ることができるようになってしまって、もうちょっと何か特別なことを絡めてほしかったです。でも読後感はよかったです。ちなみに「チポロ」とはアイヌ語でイクラのことだそうです。

アンヌ:おもしろくて本当に読んでよかったと思える本でした。アイヌ文学で忘れられないのは知里幸恵編・訳『アイヌ神謡集 』(岩波文庫)ですが、あのふくろうの神様と同じように、物語は鶴が貧しい子どもであるチポロの矢に打たれるところから始まります。この自ら撃たれた鳥が神としてその家を富ませるという不思議な物語を、殺された鶴が神として儀式を求め、それからあの世に旅立っていくというふうに書いています。アイヌのアニミズムを、すべての生き物に宿る神様と人間との関係として実にうまく描いていると思いました。イレシュがさらわれ、手に触れるものが凍ってしまう魔法をかけられるというところは、アンデルセン著『雪の女王』を思い浮かべました。家族がアイヌの物語について調べたことがあって、巻末にあげている資料が家にあり、これを機会に山本多助著『カムイ・ユーカラ』(平凡社)なども読んでみました。ミソサザイの神様や怪鳥フリューのユーカラがあり、優しい姫神様の名前がイレシュだったりして、この物語をさらに奥深く楽しめました。この作品を読んだ後、私のようにアイヌの世界に興味を持って、独自のアニミズム的世界観を知ってほしいと思います。子どもたちが、世界の人々が様々な自然観を持っていることや、一神教の宗教だけが宗教のあり方ではないと知ることは重要だと思うからです。よもぎ:わたしも、『雪の女王』を思いだしながら、最後までおもしろく読みました。アイヌの神話が巧みに取りいれられていて、興味深かったです。子どものころ、知里幸恵さんの伝記と、神謡集のなかのお話を子ども向けに書いた物語を読んで、とても感動したのを思いだしました。ただ、どこまでが神話から採ったものか、どこが作者の創作なのか、あとがきかなにかでもう少し詳しく書いてくださるとよかったかな。読者も、もっと知りたい、読みたいと思うでしょうし。けっこう難しい単語を使っていますが、敬体で、易しい語り口で書いてあるので、けっこう年齢の低い子どもたちも、おもしろく読めるのではないかと思いました。ミソサザイの神が、かわいい!

メリーさん:下敷きになっている物語がいくつかあると思うのですが、読ませるなあと思いました。これは男の子が女の子を探しにいくので『雪の女王』の逆パターンですね。それにしても、この限られた分量の中で、紋切型ではない人間が書かれているのがすごい。どんな人にも善と悪、ふたつの面があることが描かれているので、物語に深みが出ていると感じました。自分を傷つけようとする相手にも思いをめぐらせて後悔するイレシュや、強さと弱さの両方を持つチポロ。どちらかというと、やさしいけれど強い、イレシュに感情移入して読みました。チポロはちょっとかっこよすぎるかな? ミソサザイの神様など、サブキャラクターたちはかわいくて好きです。

レジーナ:『天山の巫女ソニン』(講談社)の舞台は韓国風の異世界でしたが、今回はアイヌの伝説を下敷きにしていて、どちらもおもしろく読みました。チポロがかっこよすぎるという話が出ましたが、神話の主人公だと考えれば、それでいいのではないでしょうか。敬体で書かれているので、戦いの場面は少しまどろっこしく感じました。盛り上がっているときにテンポが落ちるようで……。p78「魔物の手からはにゅーっと黒い粘り気のある汁のようなものが伸びています」や、p248「わーっ!」はラノベっぽい表現で、p82「黒いコウモリのような魔物は地面に落ちると、砂が崩れるように散ってゆきます。そしてそれは何百何千という黒い虫になって、飛び去っていきました」も非常にわかりやすいのですが、漫画っぽい描写で、少し気になりました。ヤイレスーホはなぜ人間になりたかったのでしょう?

ネズミ:成長物語としておもしろく読みました。主人公が10歳で、小学校中学年くらいからが対象だと思うので、意識的に敬体で書いたのだろうと思います。こういうやわらかな語り口もいいなと私は思って、それほどひっかかりませんでした。弓がじょうずになっていくところ、おばあさんのありがたさ、自然を大事にすることなどがいいですね。ところどころに印象深い表現もありました。p262の「人間の『弱さ』を助長させる『甘さ』だとオキクルミは思いました」とか。ただ、戦いの場面で鳥が助けにくるところはやや唐突な感じがしたし、p211でイレシュが「出来心よ」というのは、12歳くらいの女の子としてはどうかと思いましたが。

西山:おもしろく読みました。でも、なんとなく、全体にちぐはぐした感じ。「ソニン」シリーズは、文体に感心したんです。上橋菜穂子的世界でもあるのだけれど、それがこんなに易しい文体で書かれているということに驚いた。結構あれこれ入り組んでいる世界なのに、ものすごくなめらかに伝わってくる「前巻のあらすじ」にとにかく驚いた印象を強く持っています。だから、この作者の敬体自体に私は、批判的どころか好感を持っているのですが、今回の敬体はアニメ的に感じてしまう瞬間がそこここにあった気がして、そういう感触はソニンにはなかった気がしています。「人間なめんな」とか、おもしろいんですけど、どうもでこぼこして感じる。読み直して比べたわけではなくて、印象の記憶だけで言ってます。アイヌの世界を下敷きにしたファンタジーとしては、たつみや章の『月神』シリーズを思い出しながら読んだのですが、あちらは神への祈りとか、ものすごく厳かで、ゆるがせにできない感じがあったのに、こちらでは、チポロが「空腹のあまり、〈魂送り〉の儀式を忘れてい」(p124)て注意されたりして、なんか、軽い。自分の中にエキゾチズムっぽいアイヌ文化ロマンみたいなのが前提としてあったから軽薄に思ったのか…。切なく放り出されたままの感じのヤイレスーホは、私は続編への伏線かしらと思っています。

マリンゴ:おもしろく、勢いよく一気に読みました。半年くらい前に読了して今回再読できなかったので、少し記憶が遠いのですが、会話がちょっと軽い気がしたことを覚えています。ラノベ感、と言いますか……。読んだのと同じ時期に、友人に『ゴールデンカムイ』(野田サトル作 集英社)という漫画を勧められ、これがとても重厚な描写で重いので、『チポロ』がちょっとライトな気はしました。テーマがテーマだけに、重厚感を期待する人もいるのではないかな、と。あと、終盤はこれでもかこれでもか、と戦いがあって、途中で、文章を読む速度に想像力が追いつかなくなりそうだったことを覚えています。

サンザシ:物語はおもしろかったんですけど、どの程度アイヌの伝承に基づいているのか、わかりませんでした。オキクルミやシカマ・カムイといった名前は聞いたことがありますが、伝承に基づいたキャラ作りをしているのでしょうか? 魔物との戦いは勇壮ですが、どれくらい伝承に基づいているのでしょうか? そのあたりを知りたいと思いました。引っかかったのは、チポロの言葉が妙に現代風で、神様に対してもタメ口だったりするところ。想像の世界から急にリアルな現代に引き戻されるような気がしたんですね。オキクルミの妹とイレシュのイメージがダブるように作られているのはおもしろいですね。

レジーナ:オーストラリアのパトリシア・ライトソンも、先住民の伝承に基づいた物語を書いたとき、批判されたのを思い出します。

アンヌ:でも、アイヌの人たちは、書いてもらって広く知られればうれしいと思うのでは? そういう声も聞いたことがあります。

サンザシ:ライトソンも先住民を抑圧する側の白人だったので、批判的な意見が出たんですね。だとすると、同じようにアイヌの人たちから言語や文化を奪った側の日本人としては、勝手に解釈したりねじ曲げたりするのは許されないということになります。菅野さんは勝手にねじ曲げてはいないと思いますが、そういう意味では、アイヌ文化とどう向き合ったかという後書きを書いてほしかったな。

ネズミ:さっき言い忘れましたが、ヤイレスーホを殺せばイレシュの呪いがとけるとわかっているのに、殺さない方法を探すというところは、大きなテーマを投げかけていると思いました。敵を殺せばいいというのではないのは。

ルパン:今回読んだ3冊のなかでは一番わかりやすくて、おもしろく読みました。ただ、「ですます調」が気になるんですよね。語尾は、敬体より常体のほうがスピード感があっていいのではないかと思いました。エーデルワイス(メール参加):アイヌの神話を題材にしたのが新鮮ですが、なんだか軽い。高橋克彦原作の「アテルイ」をNHKドラマで見たような印象でした。しじみ71個分(メール参加):アイヌの物語をなぜ菅野さんが書かれたのか、そこにまず興味を持ちました。自然とともに生きるアイヌの人々が自然や命への謙虚さや感謝を忘れ、神から見放されてしまった時代に、頼りなかった少年が魔物にさらわれた女の子を救い出すために強くなっていく、という筋書きは、素直におもしろく読めました。アイヌ文化のモチーフそのものにとても魅力があるので、それが物語をさらにおもしろくしているのだと思います。ところどころ台詞が現代風で、ふっと我に返ることもあったのですが、それ以外は楽しく読みました。少年が神の血を引くとわかると、なんだやっぱり普通の弱い子じゃないじゃん、と残念にも思ったのですが、旅をして、戦って、達成して、帰還するという成長物語はわかりやすくていいなと思いました。ヘビの化身の少年がちょっと哀れでしたが、敵役なので仕方ないのかもしれません。

(2017年5月の「子どもの本で言いたい放題」より)


水はみどろの宮

マリンゴ: 描写がとても美しくて魅力的です。自然の生き物、植物が緻密に描かれていて、自然に対する畏敬の念が伝わってきます。ただ、石牟礼さんの本に物申すのは畏れ多いところもあるけれど、登場人物の気持ちの描き方が少なくて、感情移入しづらい部分もありました。たとえば、107ページの「お葉はそれから三日も帰らなかった」の部分。爺さまがどれだけ心配し、再会したときどれだけ喜んだか、というあたりは描かず、さらっと流しているところが気になりました。一方、非常に素敵な表現も多くて、特に111ページの「片目じゃの、片耳じゃの、ものの言えない者じゃの、どこか、人とはちがう見かけのものに遭うたら、神さまの位をもった人じゃと思え」が、とてもよかったです。

西山:最近、うまいなと思う作品の多くが、読者にレールの上を走らせるのが巧みで、伏線の仕込み方や、引っ張り方はうまいんだけど、少々どうなんだろうと思うところがありまして。この作品は、そういうタイプとまったく違いました。ひたすら文章に惹かれて、そこにたゆたう心地よさで、世界を受け入れながら読みました。とにかく、言葉がおいしい! 「気位の美しかものども」(14ページ)の気配が言葉として満ちている感じ。111ページの「片目じゃの、片耳じゃの、……神様の位をもった人じゃと思え」などなど、九州の方言(私は親戚のいる博多弁で響かせながら読んでましたが)のやわらかさとも相まって、本当によかった。猫もよかった。「どうなるの?」という「読まされ疲れ」みたいなものが最近あるので。こういう作品を読めるキャパが育つということも、とても大切だと思います。この先もときどきひたりたくなる世界だなと思いました。

ネズミ:文章が濃い物語だと思いました。パソコンではなく、手書きで書かれた感じ、言葉のひとつひとつが作者の体から出てきているように思いました。こういった自然を実際に体験して、五感で書いている感じ。ただ、物語は起承転結が見えてこないので戸惑いました。爺さまと暮らすお葉がごんの守と出会って、そのあとどうかなるのかと思ったらそうでもなくて。それに「水はみどろの宮」と「花扇の祀」は、別々の話なのか、ひとつの物語なのかも、よくわかりませんでした。

コアラ:第一部(「水はみどろの宮」)と第二部(「花扇の祀」)は、単行本では続いていますね。

レジーナ:五感に訴えかける描写が多く、体で書いている作品ですね。長谷川摂子さんの『人形の旅立ち』(福音館書店)を思い出しました。石牟礼さんがテーマにしてきた水俣についての言及もありましたが、自然の中でつつましく生きるあり方が描かれていて、人は自然の中で生かされているのだと全編を通して伝わってきます。恐竜まで出てきたときは驚きましたが、人間が地球に暮らしているのは、途方もなく長い歴史のわずかな時間にすぎないのだということでしょうか。少女の視点で書いていたのが、第二部では猫の視点になり、時間も前後するので、読者を選ぶ本です。

メリーさん:石牟礼道子さんがこういう話を書いていたことは知りませんでした。とてもよかったです。この本を子どもにそのままどうぞ、というのはちょっとむずかしいかなと思いますが、何とかして読んでほしいなと思います。たとえば語り聞かせるのはどうでしょう? 方言を多用した歌のような文体がすごくいいし、オビのコピーに「音符のない楽譜」とあるように、やわらかなトーンが物語の世界に読者を誘う気がします。これというストーリーはないのだけれど、日常のすぐ隣にあるもうひとつの世界に、知らぬ間に入り込んでいく心地。それでも、お葉とごんの守の間には、明確な境界線があって。生活と幻想のあわいの部分が何ともいえずよかったです。

よもぎ:言葉の力を感じさせる作品でした。たしかに、お葉と千松爺の話は、ストーリーがはっきりしないから子どもたちには読みにくいかもしれないけれど、音読してもらったら、好きになる子もいるんじゃないかな。わたし自身も、子どものときにわけがわからないまま暗誦した詩や古文が、ときどき、ふっと蘇ってくることがあります。ぜひ、子どもたちに手渡して、日本語の美しさを味わってもらいたいと思いました。マリンゴさんがおっしゃった111ページのお爺の言葉、わたしもいいなあ!と思いました。この2行だけでも、読んだ子どもの心に残るといいなと……。後半の、猫のおノンの話は、物語もしっかりつながっていて読みやすく、胸を打たれる話でした。地の文だけではなく、会話がとてもおもしろい。猫も、狐も、恐竜も、それぞれキャラクターにあった言葉遣いをしていて、いばっていたり、かしこまったりしていても、どこか間が抜けているところなど、宮沢賢治の『どんぐりと山猫』を思いだしました。先月の読書会で話題になったオノマトペも、例えば子猫が「ふっくふっくと息をしている」とか瞳孔が「とろとろ、とろとろ糸のように細く閉じていく」とか、昔からある言葉なのに、ここにはこのオノマトペしかないと感じさせる使い方をしている。このごろよく見る「ぶんぶんと首を横に振った」とか、「ふるふるとうなずいた」というような表現より、ずっと新鮮でした。本当に、読めてよかったです。

アンヌ: 久々に、小説を読んだなと思いました。日本のどこかにあるかもしれない、あったかもしれない場所が、実に見事に作られていて、映画でも観ているかのように見入っているうちに、気が付いたらファンタジーの物語の中にいたという感じでした。読んでいて心地よく、すごくほっとしました。言葉でこの世や自然、自分の体の中に流れているものを見つけて書いていっているという感じがします。最初の何章かだけでも子どもたちが読んで、この不思議な世界を感じてほしいと思います。後半猫が主人公になり、鯰が口をきき始めてからは実に奔放な物語になっていき、それもとてもおもしろく読みました。著者も亡くなった飼い猫を再創造できて楽しかったんじゃないかと思いました。

コアラ:文学にひたった感じです。最初の一行で、文学の香りがどっとおしよせてきて「これは違うぞ」と思いました。「他とは違う」でもあり「今読む気分じゃない」でもあったのですが、気持ちを整えてから読むと、けっこうさらさらと読めました。方言が出てくる作品は読みにくいなと思うことが多かったのですが、これは読みやすかったです。お葉と千松爺の会話がとてもいいと思いました。お葉はよく「ふーん」と言うんですが、お葉の感じが出ていると思います。千松爺がお葉を大切にしていることも、いろいろなところから伝わってきました。「花扇の祀」のおノンと恐竜のところで、ちょっとついていけない感じがありましたが、これは、掲載していた雑誌が出なくなって、物語の筋から自由になってというか、自由に想像をめぐらせたのではと思いました。全体としてユーモアもあるし、比喩もいい。例えば57ページの「雨蛙の子が木にはりつくようにして」というのは本当に目に浮かぶようでおもしろいと思います。メリーさんがおっしゃっていたように、語りでもしないと、子どもにはとっかかりがないかもしれないけれど、ぜひ読んでほしいと思います。

サンザシ:私もたいへんおもしろかったです。自然と人間が共存していて、不思議なものや畏怖するものがたくさんあったころの、生きることの有りようを描き出していると思いました。この文体も、その内容と深くかかわっていますね。今は、どこもかしこも偽の明るさに彩られて、そういう不思議なものが消えてしまいました。最近の物語は、場面展開を早くしたり、人目をひくアイテムを出してきたりすれば読者を獲得できると思われているようですが、この作品にはそういうのとはまったく違う、言葉そのものの力があります。言霊がひびいているような物語だと思いました。その力を少しでも感じ取れる子どもなら、この作品に入っていけると思います。

「花扇の祀」のほうが、時間が行ったり来たりするので難しいかもしれません。冒頭におノンが恐竜たちと遊ぶ場面がありますが、著者が楽しんで書いたことはわかっても、何もここで恐竜を出して子どもにサービスしなくても、と思ってしまいました。

西山:p241に、「六十年ばかり前、海に毒を入れた者がおって、魚も猫も人間も、うんと死んだことがある」とあります。p114では地の文で、「いまではアロエというが」なんて書いてある。作品の時間なんておかまいなしに書いていらっしゃって、そういうこともおおらかに受け止めればいいのかなと。

サンザシ:時間があっちへ行ったりこっちへ行ったりするんですね。

よもぎ:九州の言葉の力強さを感じました。

西山:動物でひっぱれられて、結構子どもも読めるんじゃないかと思います。犬、狐、猫。たとえば14ページなど、山犬らんのしぐさが目に浮かびます。しぐさとか声とか、全編に生き物が目に浮かぶように出てくるので、子どもに難しいというわけではないのではないかと思います。音読したら、結構入り込むんじゃないかな。子どもが小さかったら、試してみたかったと思うくらいです。

エーデルワイス(メール参加):美しい文章でした。ただ、意図的なのでしょうが、内容の進行が散漫なのが残念でした。盛岡の図書館にあったのは平凡社版でした。福音館版とは挿絵が違うので、印象も違うかもしれません。

しじみ71個分(メール参加):言葉の力を存分に味わうことができました。あまりに言葉が美しすぎて、我知らず泣いていました。言葉が色鮮やかに、人、動物、虫、木、花、風、水、音を描き、頭の中に世界が浮かびました。方言もたくさんあり、読んで難しいのかなと一瞬思ったのですが、とんでもなく視覚的な物語で、あっという間に読み終わってしまいました。お葉が山犬のらんとともに白藤を見に行ったところで、白い蝶がひらひらと舞うに至っては、心がふるえて、もう涙がぽろぽろ出ました。非常に静かな表現なのに、とても強く、深く染みいります。ごんの守とお葉の歌の掛け合いのところなどは、まるで能か狂言のようで、どのように立って言葉を交わしているのかが、まざまざと目に浮かびました。猫のおノンと白い子猫の話も素晴らしかったです! 時空を超えて、すべての行きとし生けるものが自然の中で命を循環させるその切なさ、強さ、美しさを心底から理解できる作品だと思います。子どもたちにとっては、方言がとっつきにくいでしょうか? 子どもの感想を聞いてみたいです。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」より)


タイムボックス

ネズミ:私は本当にファンタジーが苦手なので、最初に発言するのが申し訳ないです。時間を止めることがどういう結果をもたらすのかと、最初はおもしろく読みだしたのですが、途中でふたつの話の筋についていけなくなってしまい、最後はどうなってもいいという気分でした。シグルンは結局どうなったのでしょう。感想しか言えずごめんなさい。西山:ふしぎな話ではある。けど、読書感想文を書きやすいと思っちゃいましたよ。テーマがはっきりしている。最後にバタバタと終わるのは、うーんとも思いますが、ま、そういう話かと。スペイン映画『ブランカニエべス(白雪)』を思いだしました。これ、グリムの『白雪姫』を下敷きにしているのですが(白雪が七人の小人と闘牛士になる!)、とんでもなくブラックで残酷(描写がグロテスクというのではなく、展開が皮肉で救いがない)で、この寓話に通じるものを感じました。

マリンゴ:書店に買いに行ったら、児童書コーナーではなくて、一般書コーナーにありました。読んだ感想は……すばらしいと思いました! 自分では、もし同じストーリーを思いついたとしても、書けない物語です。近未来の架空の設定から、過去の架空の設定に飛ぶ――なぜそんな、いびつな構造なのだろう、と思っていると最後に理由が明かされます。架空の設定がふたつあるのに、読み分けしやすいと思いました。過去のほうの物語を寓話風に描いて、描写を少なめにしているため、近未来とうまく差別化ができています。こういう書き分けのできる筆力がすごい、と感じました。

ルパン:なんだかグロテスクな描写が多くて辟易しました。あちこちに教訓めいたというか、思わせぶりなところがたくさん出てくるんですけど、何が言いたいのかさっぱりわからないし。そもそも最愛の妻を亡くした悲しみを世界征服で癒そうとするところから、すでにダメでしょ。可愛い赤ちゃんが生まれたというのに置き去りにして戦争しに行っちゃって。こんなに長い話の結末が、「時間には勝てない」という、子どもでもわかるあたりまえの結論だなんて。正直、どこがいいのかさっぱりわからない作品でした。あ、でも、挿画はすごくいいと思います。

サンザシ:おもしろくは読んだんですが、謎の部分が残ったままになってしまいました。たとえば、なぜ子どもだけがタイムボックスの外に出られるのか? アノリは結局どういう経過を経て最後にまた登場するのか? そういうことは、わからずじまいです。作者は過去と近未来をつなげようとしているのでしょうが、両方ともあり得ない世界なので、今の子どもが自分と重ね合わせて読むことができるのでしょうか? タイムボックスのセールスマンは『モモ』の灰色の男みたいですが、この著者はそういう糸をいっぱいつなぎ合わせて物語を紡ぎ出しているのですね。原文はアイスランド語だそうですが、日本語版は英語版から訳されています。アイスランド語の翻訳者がいなかったということでしょうか。訳者は、著者が英語版にもちゃんと目を通しているからだいじょうぶだというようなことを書いておいでですが、重訳の問題は、書かれている内容に間違いがなければそれでいい、というものじゃないんですね。さっきの石牟礼さんの本じゃないけど、最初に書かれたものには言霊を感じさせるものがあったとしても、訳した段階でそれは減ってしまうので、本当はやっぱりオリジナル言語から訳したほうがいいのだと思います。それと、この作品はやっぱり長いですね。たとえばピーターとスカイラーのエピソードなどは、なくてもいいんじゃないかと思いました。

コアラ:読んだのは2回目でしたが、それでもよくわからなかったです。最初のページで「あの人、経済学者?」「そんなわけないでしょ。経済学者ならスーツを着ているはずよ」とあって、風刺だとは思うけれど、文章の端々にあるそういう表現のほうが気になって、ストーリーに入れませんでした。作者は口承文芸研究家ということで、後半に、口承文芸の昔話風の挿入話があって、「昔、あるところに王女がいました」で始まる話なんですが、そこはいわゆる昔話の型にのっとっていたので、そこだけは読みやすくておもしろかったです。あと、カバーの絵と本文中の挿し絵もかわいらしくてよかったです。

アンヌ:読むのがつらいファンタジーでした。この暗澹たる感じはフィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』(新潮社)から始まる「ライラの冒険」シリーズを読んだとき以来です。出てくる人々が少しも心を通わせない。最初の大前提で、王さまは戦争に動物を使ってはいけないと言われていたはずなのに、全然罰せられないで何十年も闘い続けられているのもおかしいと思いました。

サンザシ:いちばんすごい罰が下ってるんじゃないですか。

アンヌ:でも、その間におびただしい数の動物や人が死んでいきます。えせ魔術師たちの目的も能力も明らかにされないままです。エクセルがとても残酷に殺されていく意味も謎のまま。姫は空腹を感じるのに、なぜ人々が飢えないまま時間を超えられるのか、など説明されない設定が多すぎます。さらに、著者の「日本人読者へのメッセージ」と「訳者あとがき」が両方ともネットでしか読めないというのには驚きました。これは読者に対してあまりに不親切です。

メリーさん:皆さんの感想を聞きながら、いろいろな意見があるんだな…と。タイムトラベルものはいろいろありますが、時間を止める箱というのはおもしろいな、と思いました。しかも、自分の手で愛する人を傷つけてしまったけれど、タイムボックスのおかげで、とりあえずは死なせずにいられるという、その二律背反がユニーク。後半、グレイスの正体が明かされてびっくりしました。個人的には最後の場面「きっとまた会える!」というアノリの姫への手紙が一番好きです。
レジーナ 寓話のような作品なので、描写が残酷だとは思いませんでした。ジョン・ボインの『縞模様のパジャマの少年』(千葉茂樹訳 岩波書店)や、ソーニャ・ハートネットの作品など、戦争や現代のテーマを寓話のように描いた作品はほかにもありますが、寓話には寓話にふさわしい長さがあるので、これは長すぎるのでは……。オブシディアナが父親を恋しく思っていることが描かれていますが、現代の寓話だとすると、こうした感情描写はいらない気もします。グレイスがビデオ映像を見せるのが不自然だったり、急にオブシディアナ姫をまつりあげるようになった理由がわからなかったり、ファンタジーのつくりとして気になりました。p124で、なぜ奇跡が起きたのか、あるいは実際には起きていないのかもしれませんが、なぜみんながそう思いこんでしまったのか、アーチンの意図はなんだったのか、よくわかりませんでした。p196でオブシディアナ姫は目覚めますが、なぜこのタイミングで箱から出すことにしたのでしょう?エーデルワイス(メール参加):アイスランドといえば、火山と温泉の国、トロルの国でもありますね。壮大なファンタジーといっていいと思いますが、著者が口承文芸の研究家で、自然保護活動家と知って納得しました。今に至るまでの歴史にみる人間の愚かさと希望、再生、永遠の愛がテーマですね。一気に読んでしまいましたが、お説教臭いのが残念でした。しじみ71個分(メール参加):読んでびっくりしました。これは本当に子ども向けのお話として書かれたのかなと何度も思いましたが、最後まで読んで、やっぱりそうなんだと思いました。昔話と現代の話がパラレルに進んでいきますが、両方とも怖かったです。自分では絶対に手に取らない類の本だったので、好き嫌いはさておき、いろんな意味でおもしろく読みました。昔話のほうは、小人の首がはねられるところはグリム童話みたいに残酷だし、お姫様は愛されるあまりか、おとなの様々な邪な思い出虐待され誤解され恐れられ憎まれてしまいます。楽しいお話とはいえない。表現は、白雪姫や眠り姫やシンデレラやかぐや姫まで、あらゆるお姫様物語の典型が要所要所に盛り込まれているように思え、そのためお父さんがベッドで子どもに読み聞かせる物語のような印象を受けました。現代のお話の方は、明らかな政治・経済批判だと思って読みました。経済不況を理由に、人々、特に国会議員がすべてを無責任に放り出してタイムボックスから出てこないとか、遠方に苔むす銀行ビルが象徴的に出てくるところも、明らかに銀行・国際金融資本、グローバル経済批判を基調にしていると受け止めました。そういったものが、タイムボックスに人々が逃避したせいで崩壊し、自然が凌駕していくさまは、怖いように思いました。
 余談ですが、アイスランドは、サブプライムローン問題、リーマンショックで経済破綻に陥り、IMFの管理下になるところでしたが、政府の決定に大統領が拒否権を発動し、国民投票も行って介入を否決、イギリス・オランダからの借金を踏み倒し、アイスランドクローナの価値は暴落したものの、そのおかげで観光が増え、経済が持ち直しました。国民が政治にノーを突きつけ、腐敗した既存の政治勢力を否認し、市民活動を基盤として政治参加をしたと聞いています。
 子どもたちがタイムボックスを開けるために奮闘するのは、拝金主義の愚かなおとなにならないように、傍観主義や無責任に陥らないように、いろんなことに関わり合って楽しんで生きろ、という作者のメッセージのようにも思います。時間や老いの中で生きることを選び、最後に愛を獲得した姫と少年は、時間泥棒や拝金主義の大きな流れに抗う市民の力の象徴のようです。子どもたちの成長というよりは、人類全体がタイムボックスから出てこい、というほうが、テーマとして際だっているように思います。
 これも余談ですが、「アイスランド無血革命:鍋とフライパン革命」という映画をご覧になってみてください。Youtubeでも見られます。とてもおもしろいです。民主主義をどうやって作るのかがわかりますし、政治への市民参加、市民活動に希望が持ててくる映画です。この作品はこの映画ととても印象が似ています。

(2017年5月の「子どもの本で言いたい放題」より)


2017年05月 テーマ:一歩踏み出す子どもたちの物語

日付 2017年5月18日
参加者 アンヌ、コアラ、サンザシ、西山、ネズミ、マリンゴ、メリーさん、よも
ぎ、レジーナ、(エーデルワイス、しじみ71個分)
テーマ 一歩踏み出す子どもたちの物語

読んだ本:

『チポロ 』
菅野雪虫/著   講談社   2015.11

版元語録:力も弱く、狩りも上手ではない少年・チポロ。そんなチポロに、姉のような優しさで世話を焼く少女・イレシュ。彼らの住む村に、神であるシカマ・カムイが滞在し、“魔物”たちが現れることを告げる。そして、その言葉どおり、大挙して現れた魔物たちは、イレシュをさらっていったのだった―。アイヌ神話をモチーフに描かれる長編ビルドゥングスロマン、ここに誕生!


『水はみどろの宮 』
石牟礼道子/著 山福朱実/挿絵   福音館書店   2016.03

版元語録:七つになるお葉は、山犬らんに導かれて山の懐へと入っていく。山の湖の底深く、「水はみどろの宮」の穢れを祓う千年狐のごんの守と出会ったお葉は、山の声を聴くようになった。そんなお葉のもとに、片目の黒猫おノンがやってくる。やがて山の精たちの祀りに招かれたお葉が見たものとは……。「遠い原初の呼び声に耳をすまし、未来にむけてそのメッセージを送るために」、作者から子どもたちに贈る珠玉の物語。


『タイムボックス 』
アンドリ・S.マグナソン/著 野沢佳織/訳   NHK出版   2016.10
TIMAKISUTAN by Andri Snaer Magnason, 2013
版元語録:世界の始まりの国・パンゲアで、中に入った人間の時間を止める魔法の箱がつくられた。王様は愛する姫を箱に入れて、いつまでも若く美しいままでいられるようにする。やがてその箱は王や姫の運命を揺さぶり、世界のありかたを大きく変えていく。そしてその呪いは、はるか先の現代にまでふりかかることになるのだった・・・。アイスランドで国民的人気の傑作ファンタジー!

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ぼくたちの相棒

コアラ:とてもおもしろく読みました。翻訳ものは最近読んでいなくて、そのせいか乾いた文章という印象でしたが、たくさんの情緒を表現している物語だと思いました。実在の科学者のルパート・シェルドレイクさんが、物語の中で架空の登場人物の質問にメールで答えるという設定がおもしろいし、フィクションなのに、犬の実験という現実の世界でもありそうな科学的好奇心を刺激するものでストーリーが進んで、フィクションでありつつノンフィクションでもあるというのがおもしろかったです。物語としては、大好きな友達が引っ越していって、そちらでの生活も応援したいけれど、自分はすごく喪失感があってたまらない、とか、喪失の穴を埋められないという複雑な感情を持ちつつ友達になっていく過程とか、繊細な感情を表現していると思いました。特にいいと思ったところは、p123の3行目から5行目、「だけど、そこは神聖な場所なんだ」というところです。それから、気になったのは、p133の終わりから3行目から。なんとなくドイツのユダヤ人の強制収容所を思い出して、著者が意図したかどうか知りたいと思いました。あとは最後の方で、ジョージが飼っていた犬のバートが死んでしまった後、新しい犬にすぐに気持ちを移すところが、ちょっと気持ちについていけないような気がしました。全体的には、友情とか犬と人間の心のつながりとかが描かれていて、とてもよかったと思います。ずっと飼い主を待っている犬、というので、忠犬ハチ公を思い出しました。

アンヌ:2人の少年の口調が同じで、最初に読んでいる時は混乱しました。2 度目に読み直してみると、それぞれの持つ孤独が身にしみてくる感じがしました。全体にゆったりと時間が流れている物語で、翻訳ものを読んでいる気がしませんでした。p217の、お母さんだから何でもお見通しだというわけではなくて、人として感じ取っているのかもしれないという所や、博士がジョージの質問にしっかり答えている所など、心に残りました。最後に犬が死んでしまうところで終わらず、2匹目の犬に出会うところで終わる。きちんとお別れをして悲しんで次に踏み出すという感じが素敵でした。

げた:レスターは「うつろうは楽し。変わりゆくもよろこばし」というマントラを唱えてる、ちょっと変わった子で、美徳リストも作ってるんですよね。1つずつ自分が考えて、自分がそうありたいっていう言葉を書く、上から教え込まれる、例えば「教育勅語」なんかじゃなくてね。こういう事って、自分で考えることに意味があるんで、道徳教育って本来こういうものであるべきだと思うし、こういうあり方を提示しているっていうのはいいなって思いました。一方のジョージが始めた「犬が飼い主の帰りの時間がわかるか」という実験って、私知らなかったんですけど、いろいろ本が出てるんですね。これも子どもたちが自分自身で実験して確かめていくって姿勢がいいなって思いました。バートが死んじゃうんですけど、死ななくてもいい筋にはできなかったのかなと思いますけどね。でも、次のスニーカーという子犬との出会いの場面もとってもよかった。子どもたちに読んでほしい本だなと思いました。

西山:最初に2人が出会うまでのところが、ものすごくおもしろかった! 読みながら、あなたたち絶対友達になれるからって、わくわくしていたのですが、出会ってからは、2人のイメージが混濁してしまって、一気にわくわく感が失速してしまいました。もっとすぐ意気投合するのかと思いきや、なかなかそうも展開しないし。おもしろくは読んだのですが、出だしで抱いた期待感は裏切られた印象です。伊藤遊の『ユウキ』(福音館書店)を思い出しました。これも、親友が転校していって残される側と、転校してやってきた子が出会う。去る側、去られちゃった側、双方の辛さが、どちらも作品も良く書かれていると思いました。

りんご:2人の描き分けができておらず、私も読みにくかったです。それはこの本の残念な点ですが、それを補って余りあるおもしろい本でした!この本当の研究者、シェルドレイク博士とのメールのやり取りがベースになっているのがいいですね。博士が子どもの目線に立って主人公に語りかけているんですが、上から目線ではなく、子ども扱いせずに、対等に話しかけていけて、すごく好きです。ユーモアもあるし、こんな大人がそばにいたらいいですよね。p2から出てくる「美徳」という言葉には違和感がありました。口語では使わないですし、かたすぎる言葉に感じました。自分の犬で実験したり、記録ノートを作ったりと、子どもがマネしたくなるヒントがたくさんあるのもいいですね。

マリンゴ:みなさんもおっしゃっているように、2人の少年と2匹の犬を混同しやすくて、表でも作りたいと思いました。一目でわかる差別化がされていると、読みやすいのですが……。おもしろいと思ったのは、本文の中で優等生のような答えをする科学者が、実在の人物だという点です。ストーリーの展開のための優等生っぽい答えではなくて、科学者自身の考えなのだなとわかって、とても親近感がわきました。最後、犬の安楽死のシーンは、「あぁ……来た」という感じで。海外の文学ってよくこういうのがありますよね。海外在住の友達も、病気の猫を一生懸命介護してたら、どうして安楽死させないのかと現地の友人に言われたそうです。文化の違いもありますから、完全否定するわけじゃないけれど、当たり前のように描かれていることに、若干戸惑いを覚えました。

ルパン:すてきな物語でした。ただ、やっぱり出だしのところはどっちがどっちだかわからなくて、お話の中に入って行くのに時間がかかってしまいました。2人の区別がついてからは、一気に読めたのですが。私もバートが死んだことは悲しかったのですが、p229「ぼくが死んで天国に行ったとき、バートが気づいてぼくのことを待っていてくれたらいいな、と心から思います」というジョージのセリフが、このお話のクライマックスだと思うんです。だから、やっぱりバートはここで死ぬ必然性があったんだと思います。ただ、ここの訳文、「天国にいったとき」ではなく「天国にいくときは」にしてもらいたかったですね。ジョージはまだ死んでないし、子どもだから死は遠い将来のことだと思うので。それから、p108の挿絵がとても好きです。いいですよね、レスターとビル・ゲイツが抱き合って眠っているこの絵。

サンザシ:日本語の「た」は必ずしも過去形ではないし、「行ったとき」は、現時点で見て過去でなくても使えるので、そこは間違ってないかと思います。これ、もちろん悪い本ではないんですけど、レスターとジョージは口調が同じなんですね。育ったところが違うので、原書だと話し方にも違いがあるのでしょうか? 年齢も同じだし、どちらも雑種の犬を買っているし、同じような実験をしているので、まぎらわしかったです。もう少しキャラに差異を出してもらうと、イメージがくっきりするのではないでしょうか? それから、簡単に安楽死が出てくるのは、文化的な違いなんですけど、私は嫌でした。アメリカの作品には、ケガをしたり病気になったりしたペットを安楽死させる情景がよく出てきますよね。人間の安楽死は、その人の意志が反映されるけど、犬や猫は自分の意志を伝えられないのに。いい作品なんですけど、想像力をかきたてられたりはしませんでした。博士は子どものメールに毎回ちゃんと答えてくれますけど、『ヘンショーさんへの手紙』(B.クリアリー著 谷口由美子訳 あかね書房)では、作家が子どもの手紙に答えるのが面倒になって、作家に書いたつもりで日記をつけなさいって言うんですね。現実にはそっちのケースの方が多いんだろうな、と思います。これは博士が著者のひとりなので、最後まで誠実です。だからかもしれないけど、とても教育的な臭いもしてきました。

ネズミ:おもしろく読みました。小6の男の子の気持ちが伝わってくるなと思いました。ほかにも、p125「それにしても『魂』ってなんなんだろう? 魂や霊魂みたいに、はっきりとは定義しにくいことばってあるものだ。自分自身の魂を感じることはときどきある……」のような、考察や実存への問いかけが挿入されていて、作品の幅を感じました。こういうところで、この作品への信頼感が増します。博士に手紙を書く展開で、私も『ヘンショーさんへの手紙』を思い出しました。米国ではこういうのは児童文学の伝統としてあるのかしら。

よもぎ:わたしも、読みはじめたときはレスターとジョージの区別がつかなくって(まったく違っているんだけど!)なかなか物語に入れませんでした。なにかちょっと工夫があっても良かったんじゃないかな。でも、2人の姿がはっきりしてくるにつれ、がぜんおもしろくなりました。犬を使った実験がおもしろいし、実際にいる学者との手紙のやりとりを入れたアイデアが、秀逸ですね。いくつも、いいなと思う文章がありました。p125の「星空は科学と魂が出会う場所」その通りですよね! p132「おれも鳥みたいに、口笛が吹きたいよ」「嘘ばっかり」という兄と妹のビビアンのやりとりがおもしろい。p151「スツールをぐるぐるまわすと目がまわってしまった」子どもって、本当にこんな風ですよね。p194「たしかに成長を見ることはできない。あんまりゆっくりすぎて……」読者の子どもたちは、ぜったいにこんな風には考えない。これは、大人の作者が子どもに贈る、愛に溢れた言葉で、おおげさにいえば児童文学の本質をあらわしているような気がしました。とてもいい本でした。

さららん:2回読みました。2回目はすうって読めたんですけど、1回目はやっぱり入りにくかった。ジョージの妹のビビアンがかわいい。ジョージとレスターの仲を取り持つ、欠かせないキャラとして書かれてますね。レスターに対して素直に打ち解けられないジョージだけれど、ビビアンに口をはさまれて、じゃあこっちでもいっしょにキャンプをやろうよ、と思わずレスターに言ってしまう。その言葉がうれしくて、レスターが家出を思いとどまる場面が好きです。そして家に帰ったレスターは「引っ越しも新しい言葉をおぼえるようなものだ」としみじみ思います。子どもらしい、それでいて哲学っぽい表現がところどころにあり、心の微妙な動きが会話ににじみでている。感情表現の言葉をあまり使わず、それをできごとや行動で表現して、読者に想像させるように書かれている点が、うまいな、と思いました。目で見えるものと見えないものの関係も大事なサブテーマで、博士は科学者だから実験を通して実証するのが仕事だけれど、決して証明できない動物の予知能力も否定しない。「それは研究できるようなことじゃない」と言いながら、科学と人間の気持ちのバランスを否定しないで認めてくれることが、物語そのものの奥行きにつながっているような気がします。

ハル:ジョージもレスターもどちらかというと個性的な子たちなので、作中の登場人物と同じく、私もこの子たちの人物像をつかむまでに時間がかかりましたし、どっちがどっちで誰が誰かを把握するまでに時間がかかりました。でも、読み終えればとてもおもしろかったです。ただ、この情緒的なお話を、子どもが読んだらどう思うのかなというのは疑問です。子ども向けの本というよりも、大人が読んで味わい深い、というタイプの本じゃないのかなぁと思います。

サンザシ:この本の翻訳者は本来とてもじょうずな方なのですが、たとえば13pの「人間や動物は」は「人間と動物は」じゃないかなと思ったり、少しわかりにくさと違和感がありました。それに2人の主人公の差を出すところなども、編集者が最初の読者としてアドバイスするなど、もう少しがんばってほしかったかな。エーデルワイス(メール参加):レスターが繰り返し唱えるマントラの「うつろうは楽し。変わりゆくもよろこばし」って、深いですね。ジョージは、飼い主がいつ帰って来るかを犬が察知するかどうかの実験をしていますが、ルパート・シェルドレイクの回答が機知に富んでいます。物語全体が哲学的だと思いました。犬のバートが死ぬくだりは切ないです。訳者の千葉さんも、後書きに、子どものころ愛犬エルを失った悲しみを書いていますが、経験した人にしか分からない深い悲しみがあるのだと思います。

(2017年4月の「子どもの本で言いたい放題」より)


川床にえくぼが三つ

ルパン:まあ、どっちかといえばおもしろかったんですけど、それはただ、何年も前のバリ旅行のことをなんとなく思い出したからかもしれません。文庫の子に手渡したいかと聞かれたら、手渡したいとは言えないですね。そもそもこのお話、小学生が読んで楽しいんでしょうか。なんだか誰かの旅行記を読んでいるみたいでした。主人公の文音と友だちの華、中2の女子がふたりでインドネシアまで行って発掘隊に加わって、原人の足跡まで見つけちゃうんですけど、古代への思いや情熱がまったく伝わってこないんです。いっそのこと古代人が現れでもしたらおもしろかったのに。それに、文音がかかえている問題も「引っ込み思案」くらいで、何に悩んでどう成長したのかも感じられないし。こういう設定のお話って、ふつうは読者がいっしょに旅をしていっしょに感動していっしょに成長したような気もちにさせてもらえるものだと思うんですけど、この物語にはそういうワクワク感がまったくありませんでした。

マリンゴ:昨年、小学館児童出版文化賞を受賞したのをきっかけに読んで、うーん、どうなんだろう? と。評価が難しい作品だという気がしていたので、みなさんの感想を聞きたいと思っていました。女の子の他愛ない友情のもつれと仲直り、というテーマ自体は、よくあるもので珍しくない。でも、旅先のジャカルタの風景とか、雨とか、匂いとか、リアルに立ち上がってきていて、紀行文的な読み方をすると、魅力的な部分もあります。自分が子どもの頃に読んだら、シーンが鮮やかに胸に残る本で、けっこう好きだったかなと思います。

りんご:子どもが海外に行くのって、衝撃的な体験だと思うのですが、主人公たちの驚きや発見が生き生きと描かれていません。インドネシアの空気が伝わってこないのが残念でした。淡々と物語は進行していきます。小説としての読み応えがないです。主人公が発掘作業を手伝って「50万年前から友達」というアイデアはおもしろいのですが、そこ以外は特別におもしろさを感じませんでした。せっかく発掘というロマンあふれる題材を使っているのに、ロマンも伝わってこず、もっとそこを書いてほしかったです!

西山:再読しきれなかったんですけど、あまり強い印象を持てずにいます。良くも悪くも。最初に読んだときに気になったのが、視線を「するどい」と形容する文章がものすごく多いこと。編集者は気にならなかったんだろうかと。p17、「視線がとてもするどい。思わず顔をふせた」。p47で現れた島尾先生が「笑顔なのに、先生の目はとても鋭かった」。p54「その視線がとてもするどく感じられる」。p56「するどい視線になれずにたじろいでいるあたし」と・・・・・・。なにか、すごく悪いことが起きるのかと身構えるような気分になっていました。それだけでなくて、例えば、p33、4から5行目、「いらいらしていて見ていた華が横から手をだして」という場面や、p34からp35の、イスラム教に関して「そのくらいなら知ってるわ」、という言い方の突き放した感じ。p36「当然だけれど、他の人は全員外国の人。じろじろとあたしたちのほうを見ていた」とか、たたみかける拒絶感というのか、私にとってネガティブな緊張感ばかりを作品から受け取ってしまった。まぁ、はじめて外国に行く、それも日本的な快適さとはほど遠い、不便で、不快なインパクト強烈な行き先では、主人公の感覚としてはこれがリアルなのかもしれないけれど、警戒している感じ、不安な感じばかりが前面に出ています。不便や不快もおもしろがってしまう異文化体験のわくわくを私が期待しすぎなのかもしれないけれど・・・・・・。

げた:私はあんまり鋭くなくて、気がつきませんでした。私はどっちかっていうと、そのことよりも異文化理解だとか、多文化理解へのきっかけづくりに使える、副教材的な本としても、さらっと読めていいかなという気がしています。マンディ、ナシゴレン、日本とは全然違うインドネシアの食文化だとか、アザーンが1日5回だとか、勉強になりますよね。中学2年生の女の子たちを通してだけど、インドネシアの人々の心情なんかが、深く表現されているわけではなくて、通り一遍で、さらっと説明されていて、深みがないといえばないんですけどね。インドネシアに比べて、経済力が日本のほうが上なので、遺跡発掘調査もなんとなくしてやってる感があって、対等ではない関係がただよってきて、そういうところがまだまだだなとという感じはもちましたけどね。テーマの友情ですけど、女の子2人が、お互い嫉妬から生まれたいさかいを超えて友情を育んでいくという展開も楽しむことができました。

アンヌ:今回1番おもしろかった本で、作者の書きたいことは見えてくるのですが、うまく書けているかという点には疑問が残りました。主人公の一人称で書かれていますが、内向きな性格で自分を閉じているし病気もしてしまいます。そんな主人公が周囲を見回しても、鋭い視線で見返される場面が多すぎてその先になかなかいかない。「タイムマシンみたい」などとおもしろいことをよく言う人で、頑固な性格であるとされていますが、華の言うように人から相談をされるような人柄には見えてこない。研究者たちの中で過ごすという魅力的な設定なのに、肝心の研究内容がよくわからない。もう少し説明してほしいし、註を入れてもよかったのではないかと思います。いっそ、楓子さんを主人公として大人向きの小説にした方がおもしろかったかもと思いました。書き方で気になったのは、p83アボカドの木に登るダングさんを「いや、サルそのものだ」というところ。その他p87の「あたしはふるふると頭をふった」マンガではよく見られますが、三人称的表現だと思っていたので気になりました。

コアラ:そういえば、途中でいろいろ違和感があったんだったと、今みなさんの話を聞きながら思い出していたところです。私は、出だしのところは、旅のワクワク感で読み始めました。中学2年生の女の子の友情の物語なんですが、一人称で気恥ずかしいところもあって、p191から、文音と華がお互いのわだかまりをぶつけあう場面は、ちょっと恥ずかしくて読めなくなってしまいました。私自身が一番共感したところは、p201の7行目、「果てしのない研究が未来につながっていくに違いないって思えたのよ。」という楓子さんの言葉でした。子どもの目というよりも、大人の目で読んでしまったような気がします。タイトルは、強いタイトルではないのですが、読み終わるといいタイトルかなと思いました。

ハル:正直なところ「50万年前からあたしと華はつながっている」というところがよく理解できませんでした。仮にそうだったとしても、だから私たちは特別な絆がある、という考え方はちょっと、私の考え方とは相容れませんでした。だけど、そこを抜いてしまうと、女の子同士のやきもちとか、素直になって仲直りとか、そういうのは日常の中で発見できることで、何もジャカルタまで2人を飛ばさなくてもいいんじゃないかなと思ってしまいました。一人称なのも気になります。中学2年生の女の子らしさが少なかったり、主人公の性格からか、日常から飛びだした割にのびやかさがなかったり。せっかくの舞台がもったいなかった感じがします。

さららん:華と文音が異文化に出会い、自分たちの物の見方を相対化していく過程を通して、読者もまた異文化を体験してほしいという作者の意図は、よくわかります。狙いはいいんですが……。現地の言葉に、自分たちで耳をすまして、「バギ」っておはようっていう意味なんだと発見するところなどは、良い描き方だと思いました。現地の人は文音を「ヤネ」と、華を「ナ」と呼ぶ。違う名前を得ることで、2人は違う視点から見た、今までとは少し異なる自分を感じる。「帰ってきたよ、50万年前からの友、ナよ」「うん、帰ってきたね。五十年後までの友、ヤネよ」と、帰国後2人がちょっと芝居がかって言いあうところで、盛り上がるはずなのですが、作者の計算が見えてしまって…残念。あと、リアリティっていう点で、果物とか生野菜を、主人公たちは危ないって言われずに食べてるんですけど、大丈夫かしら。洗い水には注意したほうがいいかも。旅のあいだ、華と文音の気持ちがすれ違い、「嫉妬」という人間の永遠の問題にぶつかるけれど、あまりこじれることなく解決してしまう。お話の構造に、盛り上がりがない。確かに文音はジャワ原人の足跡を見つけるけれど、心に響く、大きな何かとして感じられない。外国に行っても日本人の大人に守られ、日本食に舌鼓を打ち、本当の異文化に出会っていない印象が残りました。

よもぎ:題材は、とてもおもしろいと思いました。知らない国に旅立ち、未知の研究に携わるところなど、だれもが経験できることではないから、読者はわくわくすることと思います。狭い教室のなかで、あの人が意地悪したとか、いじめたということだけでなく、こういう物語がもっとあってもいいんじゃないかしら。主人公と華の気持ちも、よくわかるように書けていました。ただ、アンヌさんがおっしゃったように、説明不足のところが多すぎるのでは? たとえばp53の「テレビで見たことのある南国の大きな葉っぱ」とか、ちゃんと名前を教えてもらいたいし、「研究者のなかに西洋の人もいる」というような表現も荒っぽいですよね。いまどき、こんな風にいう? なかでもひっかかったのが、p120の栗山さんの話。もともとオランダの植民地だった蘭印に、太平洋戦争をはじめた大日本帝国が表向きは独立を助けるという名目で、本心は資源欲しさに進軍したというのは歴史的な資料でも明らかになっていることだし、もっときちんと書くべきだと思います。ただでさえ、近、現代史を教えない学校があるという話ですから。作者の書き方だと、日本とインドネシアという国が、第二次世界大戦で直接戦ったように誤解するのでは? だいたいインドネシア共和国ができたのは、大戦後なのに。どうしてこんなに大事なところをさらっと書きながしてしまったのか、なにかの配慮が働いたのか、ぜひ作者に訊いてみたいと思います。あと、p105の4行目「やさしが」は「やさしさが」、p145の2行目「あたしは」は「あたしが」ですよね?

ネズミ:4か月くらい前に読んで、今回ちらちらとしか読み返せなかったのですが、前に読んだとき、やや全体に物足りない感がありました。外国に行っても日本のものさしをひきずっていて内向きで鈍感な感じがするのは、地層学者のおばさんに誘われて中2の夏休みになんとなくついてきてしまった女の子という設定だからかなと思ったのですが、そこからもっと成長するのを期待してしまうと、そうでもなかったかなと。またクライマックスの足跡の発見も、都合よすぎる感じがしてしまって。でも、このくらい受け身でぼやんとしているほうが、今の中学生には現実味があって親近感が湧くのでしょうか。説明的な会話が多い気もしました。みなさんはどう読むのだろうと思っていた本だったので、今回とりあげられてよかったです。

サンザシ:異文化に触れた子どもたちの新鮮な驚きは描かれていますが、文章にオリジナリティがないと思いました。そのせいか、作品世界に引き込まれるというよりは、道徳の教科書に出てくる「いい話」を読んでいるみたいな感じがしてしまいました。不満だったのは、リアリティの欠如と、上から目線です。そもそも大事な調査を抱えて忙しい研究者が、初めて外国に行く観光気分の子どもを2人も現場に連れていくでしょうか? それに帰るときも、田舎から危険がいっぱいのジャカルタ空港まで行って、そこから帰国便に乗るのを楓子さんは最初子どもだけでやらせようとします。それもちょっとあり得ないな、と。日本まで一緒に帰れないとしても、普通はジャカルタで飛行機に乗せるところまでは大人の責任でやるでしょう。またp18で栗山さんが荷物チェックが厳しいので、カウンターを蹴って子どもたちをどきっとさせるのですが、私自身は飛行場でカウンターを蹴っている人なんて見たことがないので、栗山さんのキャラ設定としてこれでいいのか、と疑問でした。
 上から目線というのは、たとえばp83でダングさんが木に登るのを見て「サルみたい、いや、サルそのものだ」で終わらせているところ。それから「〜をしてあげる」という表現が随所に出てきます。p117「やさしくしてあげると、ぜったいに気持ちで返してくれる」p118「親切にしてあげると返してくれるのよ」。こういう言い方って、この作家は欧米人に対してもするのでしょうか? もう少し寄り添った書き方ができるとよかったのに。p185「あわてて車にもどるダングさんがすべって転んで、どろまみれになった。思わず、笑ってしまった」というところも、ダングさんがみんなの傘を届けようとしているところなので、これで終わらせてはまずいでしょう? それと、p224の「話しているうちに、わけがわからなくなってきた」というところですけど、ここは二人の友情話にとってはキモになる部分なので、もっとちゃんと書いてほしかった。小学館児童出版文化賞をとった作品なので評価する人も多いと思いますが、私には題材を生かし切れていない、もったいない作品だと思えました。

ルパン:p118はさすがに「上から目線」が気になりましたね。「ダングさんに運転免許をとらせてあげたのよ。」とか「小さいことでも親切にしてあげると返してくれるのよ。」というセリフ。「〜してあげる」ということばづかいだけでなく、ダングさんが色々よくしてくれるのはこちらに恩があるからだ、という楓子さんの考え方には共感できませんでした。エーデルワイス(メール参加):題名の「川底にえくぼが三つ」って、なんのことだろうと、惹かれました。女の子の友情と初の海外体験や、カルチャーショックと成長が描かれています。作者の体験がもとになっているので、リアリティはありますが、もう一つ何か足りない感じがします。私事ですが、23年前に初の海外旅行をしました。図書館員チームに入れていただいての、タイ・ラオス図書間交流の旅でした。1週間の平均睡眠時間は4時間。ハードだけど終始笑っていて、濃密で幸せな時間を過ごしました。最後はもちろん涙、涙・・・。その体験が、その後の私の方向性を決めたような気がします。中2での体験は大きいですね。パックツアーではなく、子どもたちもどんどん日本を出て海外体験をしてほしいな。

(2017年4月の「子どもの本で言いたい放題」より)


ぼくたちのリアル

げた:現実として、リアルのような、ここまでいいやつがいるかなってところはありますけれどね。完璧じゃないから、またそこがいい、こんな子がいるクラスだったらいいなっていうふうに思いました。先生もすごくクラス運営やりやすいんだろうなって。今でも現実にいじめって一定数あるんですよね。こういう子がいてくれたら、いじめもなくなるのにね。それとサジくんって、前の学校ではいじめられたけど、けっこう行動力があって、頼もしい感じがしました。リアルのお母さんを笑わせようと漫才のDVDを持っていくなんて、ちょっと想像を超えてますよね。リアルとアスカとサジの3人トリオ、すごくいい感じですね。

アンヌ:とても繊細に書かれていると小説だと思いましたが、それだけに息が詰まるようで読み返せませんでした。リアルが背負わされているものが大きすぎて、弟の死だけではなく母の病とか。アルトの様ないじめが趣味みたいな人間が出てきても、兄としての責任の問題に話が流れていくところとか、つらさが先立ちました。

コアラ:友情だけでなくて、恋と失恋の話にもなっていておもしろかったです。他人のことを思いやったり行動を理解したりして、繊細だし、無意識にやっていると気づかないことだと思うんですけれど、自覚的に友達同士でも配慮しあっているんだなと思いました。タイトルもおもしろいと思いましたが、装丁がちょっと地味かなという気がしました。

ハル:とてもよかったです。同性愛者の男の子が登場しますが、そうなるとこういうお話はだいたいそこに集中しがちで、道徳的にもなりがちだと思っていました。でも、戸森さんの場合は、そこは話のひとつで、道徳的にもならず、読書のおもしろさが存分に味わえる。夢中で読めて、読み終わってからもいろいろ思い返して心や頭で想像したり、考えたりできる。課題図書(第63回青少年読書感想文全国コンクール・小学高学年課題図書)に選ばれたのも納得の、いい本だと思います。

よもぎ:とてもおもしろかった! 会話といい、一人称で書いている地の文といい、こんなに上手い作者が出てきたんだと感動しました。特に、サジの書き方がいいですね。ちっともめそめそしていなくて。こういう書き方だったら、いろんな子がいて、どの子もみんな普通の存在なんだと読者の子どもたちも感じるのではと思いました。p201のサジのせりふ、「うそばっかり」なんて、いいですよね! あえて難をいえば、あまりにも上手くて、すっきりまとまりすぎているところかな。こういう言い方をすると叱られるかもしれませんが、女の人の書き方だなあと感じてしまいました。作者が自分の体験から書いた『ジョージと秘密のメリッサ』は、もっと激しい、胸に突きささるようなところがありましたけれど。

ネズミ:「ワケあり」のさまざまな事情をかかえながら生きていく子どもたちに共感しながら、ぐいぐい読まされる作品でした。おもしろかったです。p147に「いいたいことをいえばすっきりするから我慢するななんて、おとなはたまにそんなことをいうけど、そういうのってちょっと無責任だ。すっきりするだけじゃすまないってことを、ぼくたちはけっこうちゃんと知っている」という文章がありますが、子ども社会のたいへんさに作者がよりそっていて、もがきながら出口をさがしていく子どもたちを応援しているのが伝わってきました。

サンザシ:主人公のリアルは、あえてリアリティからちょっと離れたスーパーボーイにしているのだと思ったので、私はあまり気になりませんでした。とてもいいな、と思ったのは、サジが同性愛者だということが嫌な感じなしに書かれているところです。サジはそこだけではなく別の面もちゃんと描かれているので、一人の人間として浮かび上がってくる。またそのサジの思いを大事にしようとする渡の視点もいいな、と思いました。同性愛者とどう付き合っていいのかわからない子どももたくさんいるので、こういう作品が出るのは評価したいです。またこの作家は、文章にリズムやうねりがあって、会話のテンポもいい。これからが楽しみです。

ルパン:文句なくおもしろく読みました。いちばん良かったのはp201「だって、ふたりで外国にいけるほどおとなになるまで、ぼくとリアルは友だちでいられるだろうか。これだけははっきりわかるけど、五年になってぼくとリアルがなんとなく仲がいいかんじになれたのは、サジがいてくれたからだ。」というところです。地味キャラの「ぼく」の気もちがほんとうに“リアルに”伝わってきました。

マリンゴ:この本は、昨年刊行されて間もなく読みました。文章がとてもうまい。そして、リアルくんにしろ、サジくんにしろ、華やいだキャラクターなのが、他の児童文学と大きく違う点だと思います。一般的に日本の児童書に出てくる登場人物って、素朴なイメージの子が中心で、こういうふうに、オーラを持つ子が描かれているのは珍しいですよね。同世代の小学生の読者が憧れるような魅力的なキャラで、惹きつけられて読めそうだな、と。戸森さんのブログなどによれば、LGBTはこだわりのあるテーマだそうで、今後も書き続けたいようです。2作目の『11月のマーブル』(講談社)も読んで、わたしは『ぼくたちのリアル』のほうが好きでしたが、1作1作がほかの作品にない独特な雰囲気をまとっていて、これからも新作が楽しみです。

りんご:最初のリアルの描写にすごくひかれました。リアル、完璧すぎるんじゃないかとも思いましたが、嫌味じゃないし、こんな男の子いたらいいな、と素直に思います。3人の男の子たちも愛情深く描かれていて、しかもお父さん、お母さん、学校の先生もリアルに描かれているところが好きです。カバーに使われている紫色は、お話のなかで大事なモチーフになっているラピスラズリの色だそうです。

西山:私は『11月のマーブル』と続けざまに読んで、正直に言うと、初読のときは印象がよくなかったんです。2作の印象があっという間に混濁しちゃって。再読したら、ここ好きっていうところをあげていくと、驚くほどいっぱい出てくるんです。目に付いた一例を挙げるとp45「友だちの数が多いやつは、たいていベルマークを集めるのがうまい」とか、こういうのすごくおもしろいと思う。冒頭は、後藤竜二の『大地は天使でいっぱいだ』(講談社)を思い出しました。文章が生き生きしてる。うまい。でも、後藤竜二始め、先にたくさんいるし、こういうヒーローを出すのはとてもいいなと思ってるんですけれど、石川宏千花さんの『UFOはまだこない』(講談社)の彼がいたよなと思ったり。では、どういう点が新しいのかと考えると、トランスジェンダーの子どもを意識的にテーマとして取り込んでいる点かだろうけれど、2作の印象が混じってしまったのも、まさにその点が原因だと思うので、あまり手放しで賞賛できない感じです。お母さんの問題、リアルの問題、こんな重たいものを背負わせなくてもと、物語が過剰な感じもして、もっとものすごく日常のリアルたちを読みたいと思いました。作者が描きたいと思っている、目を向けている問題を入れることが過剰で、止めた方がいいと思うのではなくて、それらがもっと普通にさらりと書かれたのが読みたいという勝手な感想です。

サンザシ:さっき『川床にえくぼが三つ』(にしがきようこ著 小学館)を読んだとき「ふるふると首をふる」という表現はいかがなものか、という意見が出ていましたが、この作品にもp80に同じ表現が出てきます。はやりなのでしょうか?

よもぎ:いま、マンガやアニメに使われているオノマトペが、文学作品でもよく使われるようになってきてますよね。いいのか悪いのか、それともしかたがないのか分からないけれど、わたしとしては児童文学作品には昔からの美しい言葉を使ってもらいたいという気がしています。児童文学って、そういう言葉を次の世代に伝えていく船のようなものだと常々思っているから。その反面、作者独自のオノマトペを創造してほしいとも思うんですよね。

エーデルワイス(メール参加):よくあるテーマですが、構成がしっかりしていて、ぐいぐい読めました。同性を好きになる川上サジの内面はどうだったのか、深くは踏み込まないで、爽やかに終わっていますね。日本には昔からマンガにBL(ボーイズ・ラブ)の分類がありますが、やっぱりマンガのほうが進んでいる気がします。登場人物の名前が魅力的で、璃在の璃はラビスラズリでお母さんのるり子にたどりつくところとか、サジはスプーンで広い心をもってすくい取るだとか、最後に意味が明かされるところが憎いと思いました。

(2017年4月の「子どもの本で言いたい放題」より)


2017年04月 テーマ:友情いろいろ

日付 2017年4月28日
参加者 アンヌ、げた、コアラ、さららん、サンザシ、西山、ネズミ、ハル、マリ
ンゴ、よもぎ、りんご、ルパン、(エーデルワイス)
テーマ 友情いろいろ

読んだ本:

『ぼくたちの相棒 』
ケイト・バンクス&ルパート・シェルドレイク/著 千葉茂樹/訳   あすなろ書房   2015.11
BOY'S BEST FRIENDS by Kate Banks & Rupert Sheldrake, 2015
版元語録:小学6年生のレスターは転校生。転入校のクラスでジョージと出会い、2人は飼い犬が自分の帰宅時間を察知して出迎えているのか実験する。


『川床にえくぼが三つ 』
にしがきようこ/著   小学館   2015.07

版元語録:文音は化石研究をするお姉さんと共にインドネシアへ。初の海外は期待と不安でいっぱい! 文音が出会う文化の違いと友情の物語。 *小学館児童出版文化賞


『ぼくたちのリアル 』
戸森 しるこ/著 佐藤 真紀子/挿絵   講談社   2016.06

版元語録:そいつの名前は、秋山璃在。ぼくたちの学年で、リアルを知らないやつはいない。なぜって?リアルはすごいやつだから。学年一の人気者。ナンバーワンでオンリーワン。璃在。たしかに、それはあいつにふさわしい、かっこよくて勢いのある名前だった。講談社児童文学新人賞受賞作!

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てんからどどん

げた:さらっと読めちゃったんですけど、なんとなく道徳の副教材を読んでいるような気がしてきました。そうはいっても、最後まで楽しく読めたし、話の筋を楽しみましたよ。入れ替わることで、お互いのいいところとか悪いところとかを客観的に、見つめることができるんですよね。まあ、そんなに深く読み込まなきゃいけないって感じの本じゃないなと思いましたけど。嫌いじゃないな。まあ、そんなところです。

コアラ:体が入れ替わる、という話はよくあるだろうと、ネットで調べてみたら、入れ替わりが出てくる作品をまとめたサイトがあって、やっぱりコミックでも小説・児童書でもたくさんありました。その、よくあるモチーフで無難にうまくまとめた作品という感じでした。カバーや人物紹介の絵がいいなと思いました。今井莉子の絵にけっこうウケて。よく特徴をとらえているなと思いました。森田くんは、今井莉子だけの関係で出てきたのかと読み進めていったら、かりんとの恋の話になっていって、少ない登場人物をうまく使っているなと思いました。ただ、中学2年生の女の子なのに、かりんも莉子も親に反抗していなくて、いい子だから、ちょっと違和感がありました。全体に、かりんも莉子も入れ替わりでいい方に変化するし、あまり深く悩まず、軽く誤解が解けたり自分を見つめ直したりして、いい子たちだな、と思いました。かりんと森田くんは恋がうまくいきそうなので、莉子にも恋が訪れたらいいなと思いました。

ルパン:いい話だな、と思いました。まあ、実際に入れ替わったらこんなもんじゃないだろう、とは思いましたが。読後感がとても良かったです。さっぱりしてて。私は道徳くささは感じませんでした。みんな良い方向におさまって、すかっとしたし。中味が濃いわけではないですが、それだけに清涼飲料水的なさわやかさで楽しく読ませていただきました。

カピバラ:入れ替わりの話っていうのは、状況自体がおもしろいんですよね。だから読者も、入れ替わったらどうなるんだろうという興味で引き込まれて読んでいけるということがあると思います。この話は、入れ替わるところだけが非現実なんです。だからちょっと嘘くさく感じるけれど仕方ないかなと思いました。軽いノリで読めば楽しめるタイプの話なんじゃないかなと。入れ替わったときのギャップとか、他人がそれに対してどんな反応をするのか、というところがおもしろく書けていればいいと思います。その意味では実際の中学生にも読めるし楽しい話だなと思いました。

さららん:軽いノリの「かりん」と、内気でもさもさしている「莉子」の対比がおもしろかった。最後にみんなでダンスを踊る大円団は、できすぎかもしれませんが、素直に好感が持てました。どうしてかなあと考えると、この物語、全体のトーンは軽くても、魚住直子さんらしい、身体性を感じさせる文章がところどころにちゃんとあって(例えば、入れ替わった体の重さを伝えるのに、「水の中を歩いているみたい」のような表現をするとか)、重しになってるんです。クリシェを重ねることの多い、ラノベの文体とは違っているみたい。マンガはいっぱい読んでいるけど、もう少し何か読みたいって子に、ちょうどいい本かもしれませんね。最後のほうで登場する「いかずち」は、もう少しフォローがあったほうがよかったような気もしますが……。

サンザシ:「いかずち」は、稲妻の化身みたいなものなんでしょうか。

ルパン:183ページのうしろから4行目に、入れ替わりから戻ったときの感覚を「指先のあまらない手袋をはめたときみたいにすみずみまで自分だという感じがする」とありますよね。こういうところ、すごくうまいと思います。

ネズミ:最初は「もしかして、これ、苦手かも」と不安でしたが、読み進めるとそんなことはなくて、楽しく読めました。このくらいの子って、自分はこんなふうと決めつけて、その枠からなかなか出られないところがあるじゃないですか。ドタバタふうだけれど、この本は他人になることで見えてくる発見や新しい視点を通して、もっと自由にものを見ていいよ、大丈夫だよと背中を押してくれる気がしました。莉子はだめだと決めつけていたのに、かりんが説得したらお母さんはコンタクトにしたり美容院に行ったりするのを許してくれるとか。シンプルな文体でややベタに(とはいえ、ベタベタではなく)書かれているので、普段それほど本を読みなれていない読者でも、マンガタッチの表紙にひかれて手にとっておもしろく読み通して、何か感じてくれるんじゃないかしら。読書へのいい入口になる本だと思いました。

西山:みなさんおっしゃるのを、そうそうと思いながら聞きました。出だしは結構どろどろしていて、莉子がネット掲示板について「どこもぐちやなやみであふれていて、読むたびうんざりしながらもほっとする」(p6)なんてある。そういうことを書くのが魚住さんだなと思いました。かりん像が新鮮で、「その日もしゃべって走りまわっているうちにあっというまに学校がおわった」(p12)とか、いたいたそういうタイプって、笑っちゃいました。ほんっとに話を聞いてなかったり……ああ、あの子たちの頭の中こんなふうだったのかと妙に納得しました。リアルな世界にはこういう落ち着きのない子がいるのに、物語ではあまりお目にかからなくて、新鮮でおもしろかったです。だから、入れ替わったときのギャップもあって、だからこそ入れ替わりが生きてたんだなと。あと、好きだったのは例えばp66の後ろから2行目。「待たなくてもいい。掃除しろといえばいい」と、部屋を片付け始めたのに感動して「いつ気がついてくれるか、待ってたの」と目をうるませている莉子のお母さんをバサッと切っている。こういうところ、ずいぶんタッチは変わったけれど、最初の頃の魚住さんの厳しさを見るようで好きでした。中学生が読んで、おもしろかったよと口コミで広げることのできる本だなと思います。

ハル:私も、すごくバランスのいい本だなぁと思いました。お話自体は軽くてさらっと読めてしまいますが、表現のおもしろさはちゃんとあって、文学すぎず、軽すぎず。普段本を読まない子が読書のおもしろさを知るきっかけになるような、ちょうどいい本なんじゃないかなと思いました。キャラクターの設定もなかなかリアルですよね。だいたいこういうのって、外見が地味な子は内面がすごくいい子で、派手な子は改心する、というケースが多いように思いますが、そのパターンにはまっていないところもよかったです。コアラさんに同じく、莉子にも最後、もうちょっといい思いをさせてあげたかったけど、この1歩を踏み出せただけでも、莉子にとっては大変身なんですよね。

サンザシ:私も、表紙を見てラノベかなと思ったのでそんなに期待しなかったのですが、おもしろく読みました。まったくタイプの違う二人が入れ替わって、それぞれ普段ならできない体験をしてみるというところは、うまく書けているなあ、と思います。登場人物は、かりんのお父さんなどステレオタイプの人もいるので、ラノベっぽいですが、その割りに教訓的ですね。お互いのいいところを認め合うようになって、次の1歩を踏み出すことが奨励されているみたいな。でも、この内容をすごくまじめに書くとだれも読まないと思うので、こういう書き方もありだと思います。中学生くらいだと、自分の存在に自身がない人も多いので、おもしろく読んで考えるきっかけをつかむにはいい本だと思います。

レジーナ:私は物足りなかったです。さらっと読みました。謎の男の正体が最後までよくわからなくて、消化不良です。かりんの父親の描き方もステレオタイプで、人物造形や展開がラノベっぽくて……。エンタメならもっと楽しく読めないと。こういうのが好きな子もいるのでしょうが。

リス:その“なぞの男”は一応登場人物の一人ですが、中身がない。そのため、現実には起こり得ないことを可能にする力は持っていても、作品全体の中では存在感が薄い。創作上、彼にあたえられた役目、意味合いは、この作品がファンタジーというジャンルに属していることのアリバイとか、象徴を成しているだけだと思えます。便宜上、とってつけたと言う感じがしなくもありません。また、文体については、日常生活での会話がそのまま文字化されていますので、わざわざ、字を追って行くことにまどろっこしさを覚え、読書になかなか気乗りがしませんでした。それで読後の印象も薄かったです。同じ作者の『園芸少年』(講談社)は作品世界に引き込まれ、印象深く、すごく良かったんですが、この作品は、読み始めた時の第一印象は、作家になりたい人にとって、お手本とみなされる、ある種のパターンにそって書かれているみたいだと感じてしまいました。
 読後の“発見”としては、この話は、ファンタジー仕掛けになっていますが、これって、いわゆる、新聞、雑誌、ネットなどでの“人生相談欄”を別の形式にしたものではないかと思ったことです。相通じるものがありませんか? 違うところは、回答者(作者)が一方的にアドヴァイスを与えているのではなく、主人公が自ら答えを見い出して行く、という形になっています。その点が主人公に前向きな姿勢を与えていると思います。ただ同時に、教育的なねらいも感じられます。作者が言いたいことは、他の方法でも良かったのでは?

サンザシ:読書なれした子どもには確かに物足りないと思うんですけど、今は骨があって質が高い本だけを子どもに勧めていたのでは読書教育は成り立たない時代だと思います。イギリスでもアメリカでも日本でも、本嫌いの子どもや、そんなに本が好きじゃない子どもをどう読書に誘うか、ということが問題になっています。だから私は、そういう観点から次の読書のステップになるような本を選んで手渡すのも必要だと思うんです。

リス:中高生向けの小説には学校生活を背景にして、登場人物たちの心理や感情が綿々と綴られている作品が多く見られますが、それは多少なりとも日本独特の私小説の伝統から来ているのでしょうか……? また、それを好む読者がかなりいるのだろうか……、と。この本を読んでいるうち、なぜか、ふと、そんな疑問を持ってしまいました。『園芸少年』が2009年に、『くまのあたりまえ』が2011年、そして『てんからどどん』が2016年に出ました。『くまのあたりまえ』という本にちょっと目を通しましたが、ジャンルも内容も文体も他の作品と全然違っています。無駄な言葉はそぎ落とし、非常に簡潔。結局、この作家さんはいろいろなものを書けるのでは……?

よもぎ:魚住さんの『園芸少年』は、アイデアも、内容や文体もおもしろい傑作でしたけど、この作品はそれほどではなかったですね。すらすら読めて、普通におもしろいというか……。私はお説教くさいとは思いませんでした。この年頃の子どもたちは、周囲の友だちが自分よりずっと優れているように思えて、憧れたり落ちこんだりすることがよくあると思うのですが、そういう子どもたちには真っ直ぐに届く作品だと思います。こういう読みやすい本を何冊も読んで、そのうちに自分の心に本当に響く1冊に出会えばいいのでは? ただ、「雷」と「ほかの人と入れ替わる」というのがどう結びつくのか、あいまいでよくわかりませんでした。

クマザサ:めちゃくちゃ早く読み終えてしまったんだけど、あまり印象に残りませんでした。私はたぶん、この本のいい読者ではないというか、すごく本好きの子どもだったので、こういうさらっと読めるような本は、あまり必要としてこなかったんだろうと思います。かりんの父親が「女の子は勉強しなくてもいい」みたいなことを言い出すじゃないですか。こういう思想はほんと撲滅したいですね。作中でもそれは否定されていて、ちょっとほっとしました。短くてテンポがいい、なんというか手に取るのに敷居が高くない作品だと思いますが、そんななかに、現代的なテーマも一応盛りこまれている。大事なことだと思います。

西山:ラノベって、定義がむずかしいですね。表現の特徴とか、物語の形式などで分類できるカテゴリーではないみたいです。どのレーベルから出ているかという、外的な要因で言うしかない。以前、ラノベに詳しい方と話していて、そういう理由で西尾維新はラノベではないと聞いてびっくりしたことがあります。

リス:かりんとか、莉子とかと、主人公に名前が付けられていますが、だからといって、彼女たちにそれほど個人性が与えられているわけでなく、同じ、あるいは似た悩みを持った子どもたちの代表格、典型として扱われています。その意味では表紙のマンガ的な絵はぴったり合っていると思います。人物をマンガ的に描くと、個性が欠けて、みな典型化されるでしょう。でも、それがさまざまな読者の共感を呼びことになるのでしょう。とっつきやすいし。

カピバラ:本を読まない子どもに手渡す本が必要ってことですよね。ステッピングストーンになればいいと思います。でもラノベに群がる子どもは一生ラノベしか読まないのかな?

西山:読む子は、ほんとに何でも読む。たしかに、ラノベだけで、それ以外に手が延びない子もいることはたしかですが、右のポケットに岩波文庫、左のポケットにラノベという生徒にも出会ってきました。片や、小説を読まないだけでなくマンガも特に読んでいないというパターンがはっきりあることに気づいたことがあって、物語好きかどうかという気がします。

サンザシ:今はほかに子どもの興味をひきつけるものがたくさんあって、放っておくと子どもたちは本の楽しみをまったく知らないで大人になってしまう。それはもったいないので、楽しい入り口になるような本も必要じゃないかな。

さららん:前に読んだ『フラダン』(古内一絵著 小峰書店)も、タイプは違いますが、ノリのいい本という意味では共通しているかも。エーデルワイス(メール参加):魚住さんの作品を読んだのは、『非・バランス』以来です。軽いタッチですがお説教臭くなく、見た目だけではない主人公それぞれの悩みを、読者にも共感できるように書いていると思います。莉子とかりんの親にはやれやれと思っていましたが、莉子とかりんが変わっていくと親もよい方向に変わっていったのでホッとしました。「黄色い帽子のおじさん」はここでは恐い存在として登場しますが、なぜか「おさるのジョージ」に登場する黄色い帽子のおじさんを思い出しました。

しじみ71個分(メール参加):同性間のとりかえばや物語で、思春期の女子なら一度は考えたことがありそう。特に、容姿や性格に自信がなく、コンプレックスを持つ子の気持ちには共感できた。逆に、すらっと可愛い、快活な子が目立たない子と入れ替わりたいというモチベーションにはそんなには説得力を感じなかった。それと、「鹿児島の黒豚」を連呼して悪気がないというのは、ちょっとあんまりにも鈍感すぎやしないかなと思った。しかし、立場が変わることで、家事や勉強の大事さとか、人との付き合い方とか、気付かなかったことを発見したり、自分の良さを見出したりしていく過程のエピソードは丁寧に描かれていて、主人公たちの心情から離れることなく読めた。かりんの友だちも人が良く、実は莉子を認めていたり、森田くんもかりんのことを思っていたという辺りは、うまく行き過ぎだけれども、読んで文字面から不必要に傷付くことがない、安心できる展開だった。一方、家族や、黄色い雷の描写は必要最低限であっさりしているが、書き込み過ぎないことで、2人の心情から目が逸れにくい効果があると思った。
 最初の掲示板への依頼殺人の書込みが招いたのが、現実の殺人者ではなく、しかも莉子が1人で退治したという筋は、莉子がコンプレックスを自分で克服するということの比喩だろうと思うが、単純で分かりやすいので、小学校高学年の子たちがサクサクと読むにはちょうどよいかもしれないと思う。深くえぐらない分、感動はしないが、立場を変えて、相手のことを考えてみたら、と子どもに気軽に一声かけるのに良さそうな作品だと思った。

マリンゴ(メール参加):魚住直子さんの、ユーモラスでちょっとシュールな物語。前から面白いと思っていました。優等生と、劣等生、というようなありがちな対比ではないところがよかったです。特に、かりんの人物造形が面白かったと思います。

(2017年3月の「子どもの本で言いたい放題」より)


ジョージと秘密のメリッサ

ネズミ:とてもおもしろく読みました。気持ちよく、後味もとてもよかったです。本当の自分をなかなか外に出せないジョージに、ずっとケリーがよりそっているのもいいし、最後にお母さんが認めてくれるところがいい。悩んだり悲しんだりする、いろんな心理描写が子どもらしく納得のいく表現で描かれていて、説得力があると思いました。

レジーナ:ジョージの描写にリアリティがあって、胸がいっぱいになりました。ケリーが友だちとして支える姿もよかったし、スコットが、はじめはトランスジェンダーをゲイとまちがえたり、とんちんかんなことを言いながらも受けとめようとする場面もとてもよかったです。

リス:この本のテーマを知って、作家が創作活動を通して、どれだけ社会に貢献していることかと、改めて意識しました。タブーとなっていた、いろいろなテーマが作家によって本となり、子どもも大人も、現実世界に生じている事柄や問題に目を向けることができます。例えば家族関係や、子どもの自立性などでは、両親の離婚問題から始まり、老人問題、パッチワークファミリー……などと、家族、子ども像が変容して行くさまを。性に関わる児童書も出るようになりました。優れた児童書はいろいろな社会現象や問題について自由な目で、深く取り下げ、啓蒙的な役割を、時には積極的に、あるいは大胆に担ってくれていると実感しました。
 それにしても、子どもが離婚した父親に対して、「いい人だけど、父親向きじゃない」と言うくだりに、新鮮ながらも、ある種のほろ苦い感慨を覚えました。今の子どもたちは親をそんなふうに批判できるのかと。あるいは人間の幸せのために作家が本の中でそのように言わせているのかと。さまざまな人間の生き方や考えを読者にアプローチしていく作家の姿勢が印象的でした。

西山:たいへんおもしろく読みました。トランスジェンダーの人がどういうときにストレスを感じるか、ああ、こういうことがこんなふうにつらいんだ、ということを初めて知った気がします。テーマとは全く関係ありませんが、食事の場面や、学校の送り迎えの場面で、おお、アメリカ!と思って、いやぁ食事がひどいなぁと、翻訳もので異文化に出会うというのを改めて実感しました。ひっかかったのはp94、「英語」と訳しているのは、「国語」の方がいいのでは? 子ども読者は自分たちにとっての「英語」と同じように捉えるのではないかと思うので。この作品を読んでいたとき、トランスジェンダーの多さを新聞記事で読んで、ふと、性別なんて血液型占いみたいなものじゃないかと思ったんです。血液型どころか、すべての人間を女性か男性かというたった2つの型に分けて、こういうものと決めつけるのは、ものすごくナンセンスに見えてきました。でも、世の中はまだまだ、一人一人をありのままで受け止めるには至っていないから、いかに生きにくいかを伝えてくれるこの作品はありがたいです。日本の最近の作品でも、「オネエ」とか「オカマ」とか、身をくねらせて女言葉で笑いを取るとかいう場面が結構あると感じていて、ものすごく認識の遅れを感じます。

サンザシ:「国語」か「英語」かというのは難しいところです。そもそも「国語」という表現は、国家の言語という意味で、ほかの国では使いませんから。日本の子どもになじみのある表現を大事にすれば「国語」になるかもしれませんが、異文化を伝えるという方を重んじれば「英語」という訳語にするかもしれません。

クマザサ:この本はかなりぐっときました。男の子らしさや女らしさの押しつけというある種の規範のなかで、息苦しさを感じている子は、きっとたくさんいると思う。主人公の心の揺れをていねいに追っていくところがいいですよね。翻訳もののYAなんかを読んでいると、LGBTをテーマにした本が最近はいろいろ出ていますが、同性愛をあつかった作品が比較的多くて、トランスジェンダーをテーマにしているのは珍しいと思います。動物園にいく場面も、すごくいいですね。この子の解放感がすごく伝わってきます。読んでいて切なく、苦しいところが多いけど、最後に自分らしくあることの喜びを感じさせて終わっているところに、とても好感をもちました。私は志村貴子さんの『放浪息子』(エンターブレイン)というマンガが好きなんですが、このマンガも、男の子になりたい女の子と、女の子になりたい男の子の話を描いています。ジェンダーのことや、子どもの気持ちをすごくていねいに拾ったいい作品です。ただ、こういうことを伝えるチャンネルは、マンガだけじゃなく、たくさんあってほしい。とくに子どもの本にこそ、あってほしい。そういう意味で、この本が出たことは率直にうれしいです。

ハル:すてきな本ですね。ケリーもお兄さんもお父さんも、みんなそれぞれに違う形の愛があってすごくいい。愛があふれてる。ジョージと親友のケリーは1週間ほど話せない期間がありましたが、もしかしたらそのときケリーには、ジョージの告白をどう受け止めるかという葛藤もあったんじゃないかと思います。でもそこを書かないでいてくれたことで、もし自分がこういう場面に出会ったら、こんなふうにぴょんと垣根を飛び越えて受け止めちゃえばいいんだよっていう例を見せてくれたような。LGBTだとかなんだとかあれこれ考えないで、ケリーみたいに受け止めればいいんだって。……すごくいい本だと思いました。

サンザシ:作者自身もトランスジェンダーということなので、心理描写がリアルです。ジョージの母親や兄との関係も、だんだんよくなっていくんですが、それも自然な流れで描かれているのがいい。それと、女性の校長先生が、校長室に「ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーの若者が安心してすごせる場所を」と書いたポスターを貼っていたり、ジョージの母親との面談で、「親は子どものあり方をコントロールできませんけど、ささえることはまちがいなくできます。そう思いませんか?」(p138)と言ったりする。そういうちゃんとした教育者に描かれているのもいいな、と思いました。最後のほうにジョージ(メリッサ)が女の子の服を着て女の子になって動物園に行ったときの解放感や高揚感が描かれているんですけど、私は、それほどまでに自分を抑圧しなくてはならなかったんだということを感じて、胸を打たれました。ジョージは、シャーロットの役を演じれば、家族にも自分が女性なんだとわかってもらえると思いこんでいるわけですが、そこはちょっと疑問でした。英語では女性の台詞と男性の台詞に日本語ほど差がないし、シャーロットは人間ではなくクモで見た目も人間ほど性別がはっきりしないので、そんなに効果があるのかな、と疑問に思ったのです。

げた:認識不足で申し訳ないんですけど、私はゲイとトランスジェンダーの区別がついていなかったんです。でも、違うんだってことがわかりました。そういうことがわかるってだけでもいいんじゃないかな。こういうテーマを扱った子どもの本を読むのは初めてなんですけど、もっと出てくるといいなと思いました。

コアラ:今回のテーマ(「自分ってなに? 心と体のずれのなかで」)にぴったりで、とてもよかったと思います。トランスジェンダーの子の気持ちもよくわかりました。ケリーがすごくいい対応で、本当にいい親友がいてよかったね、と思いました。なんでこんなに作者はジョージの気持ちが書けるんだろうと思っていたけれど、あとがきに作者はトランスジェンダーとあって、納得しました。あとがきには、この本の完成まで12年もかかった、ともありましたが、時間をかけただけあって、よくできていると思います。気持ちよく読めました。ジョージがシャーロットを演じた後とか、ケリーの洋服を借りるところとか、p213「メリッサは、おなかの底からぬくもりがこみあげてきて、指先へ、つま先へと、波のようにひろがっていくのを感じた。」というところとか、幸せ感がとてもよく伝わってきて、読んでいて顔がほころんできました。でも、訳は、ところどころ気になりました。p11の4行目「よお、弟」は、日本語では「弟」とは呼ばないだろうと。p38の1行目「わお、ケリー」も、英語の言い方そのままだし、もう少しうまく訳してほしいと思います。全体として、トランスジェンダーの人にどう接したらいいかがわかる本だと思いました。どんなきっかけでもいいから、子どもや親に読んでほしいし、どう接すればいいかわからないから変だと排除したりすることも、このような本を読めば、かなり減るのではないでしょうか。装丁も、読み終わってから見ると、口元を隠しているようにも見えるし、バツでなく丸の中にジョージがいるようにも見えて、深読みのできるおもしろい装丁だと思いました。

リス:表紙の白の余白が効いてますね。タイトルの中の一語“秘密”って、どんなことなのかしらと、読者の想像を駆り立てるように。私は、コアラさんがおっしゃった「弟」という訳語には違和感を持ちませんでした。日本ではあまり耳にしない言い方でも、外国ではよく使われる、ということで、訳文に取り入れれば、日本語の表現がまた一つ豊かになると思えますが。お兄ちゃんはそんな言葉使いで威張っているのでしょう。

よもぎ:とても良い本ですね。感動しました。この本を読むまでは、LGBTを取りあげるのはYAからと漠然と思っていたけれど、トランスジェンダーの人たちは、小学生のころから悩んだり、悲しい思いをしたりしているんですものね。小学生を対象としてこの物語が書かれているということに、大きな意味があると思いました。トランスジェンダーの子どもたちにとっても、そのほかの子どもたちにとっても、読む価値のある作品だと思います。作者自身の体験にもとづいているので、主人公のジョージはもちろん、お兄ちゃんやママやパパ、ケリーや校長先生も、生き生きと描けている。それから、『シャーロットのおくりもの』に全校で取り組むというプログラム、すてきですね。日本の学校でも、こういう取り組みをしているところがあるのかしら。中島京子さんの『小さいおうち』(文藝春秋)もそうですが、こんなふうに名作を下敷きにしている作品って、なんともいえないハーモニーをかもしだして、感動が倍増されますね。ただ、日本の子どもたちは「シャーロット」を読まないうちにこの本を読むと、なんというか、もったいない気がするけれど……。

アンヌ:題名に引かれて手に取って、何度も読み返しました。誰かとこの本について語り合いたかったので、ここで読めて嬉しいです。なんといってもこの本には、トランスジェンダーである苦しみとともに、ジョージの喜びについて書いてあることが素晴らしい。女の子としての自分を想像するときのジョージの幸せな気分、「ごきげんうるわしくていらっしゃる」という言葉から浮かび上がるシャーロットの象徴する女性像に憧れる気持ち、舞台でシャーロットを演じる時の役者としての喜び。そして、女の子の服を着てお出かけをするという喜び。普通ならお芝居の場面ぐらいで終わるところですが、この最終章があるのが重要なのだと思います。ここを読むと、トイレの問題が描かれていて、今アメリカで問題になっている「だれでもトイレ」などの必要性もわかります。親友のケリーだけではなく、ゲイと勘違いはしているものの、父や兄も見守ってくれているところに、学校でつらいことがあっても見てくれている人はいるんだよという作者のメッセージを感じます。その他にも、メッセージを感じるところは多々あって、p54のトランスジェンダーの女性がテレビで語る場面で「手術をして取りたいのか、取っているのか」と訊かれるところ。これは、p157で兄もジョージにたずねますが、ジョージのこれからの人生で何度も訊かれる事を、「それは自分と恋人以外の誰にも関係ないことだから答える必要はない」と知るのは重要だと思います。さらに、ホルモン抑制剤のことも2回出てきます。この本が、小学校3、4年生が対象なのは、思春期前の間に合ううちに子供たちにそのことを知らせたいからだと思います。トランスジェンダーの問題は多様です。体を変えなくては生きていけない人もいれば、異性の服装をすることによって解放されて生きていける人もいる。恋愛対象も様々です。ジョージの恋の対象がまだわからないと書いてあるのも、自分で選べる時まで決めつけなくていいんだよという、メッセージだと思います。感動して『シャーロットのおくりもの』(E.B.ホワイト作 さくまゆみこ訳 あすなろ書房)も読み返したのですが、ここで描かれる農場で繰り返される生と死の物語に託して、作者はジョージに短い生の中で、幸福にせいいっぱいに生きて欲しいという気持ちを表したかったのだと思いました。

ルパン:これは、何かすごい迫力のある作品だな、と思いました。この主人公は、「女の子になりたい」とはひとことも言っていないんです。「自分は女の子なんだ」って言いきってるんですよね。自分が信じていることを理解されない孤独感や苦しみもしっかり伝わってきます。動物園のシーンでは、初めて身も心も女の子になれた喜びが描かれていますが、この先のいばらの道を思うと読者としては手ばなしに「よかったね」と言えない気もしました。そういうことも覚悟のうえで自分を解放したということでしょうか。やっぱり真に迫るものがありますね。『てんからどどん』(魚住直子作 ポプラ社)はスカッとした清涼飲料水でしたが、これはあとあとまで残るコクのある飲物のようでした。

サンザシ:この子の将来は決して楽ではないと思いますが、それでも、理解してくれる人がゼロから複数人に増えたんだから、希望のある終わり方なんだと思います。

ルパン:アメリカ人の友人が、自分の息子が「女の子である」ことを早くから認めて、5歳くらいからsheと呼ぶようになったんです。服装もスカートやドレスで。男の子なのに女の子として生きさせることにする、と親が決めるのは早すぎる決断だ、と今までは思っていたんですけど、この作品を読んだあと、本人が実際にこのように感じているのであれば正しい選択だったのかもしれないと思うようになりました。

カピバラ:アメリカではラムダ賞やストンウォール賞など、LGBTを取り上げた本に与えられる賞もあって評価されているけれど、日本ではまだまだ手をつけていない分野です。この本は多様性を理解する本としてすばらしいと思いました。LGBTに限らず、人間関係の中で、思い込む、決めつける、ということがどんなに理解をせばめているか。そこに気づかされるところがいいと思いました。またこの本の読み方は2通りあって、ジョージと同じような子どもが読む場合と、それ以外の子どもが読む場合が考えられます。前者の場合、トランスジェンダーといってもいろんなケースがあるので、全部に共感するわけではないかもしれませんが、細かい部分の描写がリアルなので共感を得られると思いますし、後者の場合も、知らないことを知る、理解することができると思います。どちらもある程度成功しているといえるんじゃないでしょうか。

さららん:トランスジェンダーの人たちに対するテレビのドキュメンタリーで、「シスジェンダー」と言う言葉を使っているのに出会いました。「生まれた時に割り当てられた身体的性別」と「自分の性自認」が一致している人を指す言葉だそうで、こういう言葉ができたこと自体、すごい進歩ですよね。私たちが当たり前だと思いこみ、その当たり前を要求することが、トランスジェンダーの人を傷つけていく。異質な者を差別する根の深さと、理解することの困難を改めて思いました。トランスジェンダーとは違いますが、同性同士で結婚できるオランダでも、性のあり方の違いが受け入れられない人はまだまだいて、ひそかな偏見は残っています。この作品は、みなさんの言うとおり、子どもたちにトランスジェンダーを届けるのに、とても良い物語でした。ただp33の「午後の短い影が、大通りを走るジョージの前をすすんでいく」など、自然描写の訳にややわかりにくい部分があり、惜しいな、と思いました。エーデルワイス(メール参加):新訳の『シャーロットのおくりもの』は私も大好き。シャーロットの気持ちを思って涙を流すジョージが素敵です。この作品を題材にした小学校での授業はいいですね。それだけアメリカでは普遍的な物語なのですね。小学校の劇でもオーデションをするところがさすが! ジョージがシャーロットの訳を熱望するところが胸を打ちます。ジョージの心の動きが丁寧に書かれていて、トランスジェンダーを理解する1冊だと思いました。親友のケリーと兄のスコットがとてもいい。トランスジェンダーで悩んでいる多くの人にもケリーとスコットのような人たちが寄り添ってくれますように・・・。「親は子どものあり方をコントロールできませんけどささえるこれはまちがいなくできます」と、ジョージのママに校長先生がいう言葉は名言だと思います。

マリンゴ(メール参加):とても興味深く読みました。私自身が、いわゆる「女子力」が低いこともあり、そこまでスカートを履きたい? そんなにお化粧したい?など、若干、ぴんと来ないところもありましたが、著者ご自身が、トランスジェンダーなので、説得力があって、ああ、そうなのかなと納得した次第です。p191で、雑誌の入った手さげを、そのまま返してもらえるという、効果的な小道具の使い方が、とてもいいなと思いました。

(2017年3月の「子どもの本で言いたい放題」より)


リトル・パパ

ルパン:まったくもっておもしろくありませんでした。ほかの2冊(魚住直子の『てんからどどん』とアレックス・ジーノの『ジョージと秘密のメリッサ』)は、入れ替わりによって主人公が成長していく物語ですよね。でも、これはおとなと子どもが入れ替わったことに何の意味があるのかさっぱりわからない。結局、入れ替わってよかったと思えるのはパパの絵が出版社にウケたことくらいでしょ。最後はいきなりヘンなマンガになっちゃってるし。この本のなかで唯一良いと思えるのは、あとがきの中にある、訳者の叔母さんがそっくりの双子で、ある日制服を交換して互いの高校に行った、というエピソードです。この作品全体より、このあとがきのほうがよっぽどおもしろいです。

カピバラ:パパがクマになったり、金魚になったり、中学年向きの本によくあるんですけど、それでどんなに大変なことになるのか、どんなに家族がドタバタするのかがおもしろいわけですよね。でもそこがあまりおもしろく書けていなかったと思います。ドタバタだけではなく、入れ替わったからこそできることとか、予想外の効果とかがないと物足りない。それに、赤ちゃんってこんなしゃべり方するかな? 赤ちゃん言葉がありきたりで、つまらなかったです。

さららん:すぐに読めてしまったけれど、全体的に「荒っぽい」印象を受けました。なにが荒っぽいのかなあ。赤ちゃん言葉のつくりかた? 中身はパパだけど、外見は2歳児の存在を、子どもはおもしろいと思うんでしょうか?

カピバラ:おもしろいと思って書いてるんじゃない?

ネズミ:何も言えません。おもしろいと思えませんでした。お父さんのセリフもおっさんくさくて、入れ替わった弟にもお父さんにも気持ちを寄せられませんでした。

レジーナ:人間が別のものに変身する話は、それをきっかけに、自分という存在や、まわりの人たちとの関係性を見なおすことに意味があると思うのですが、この本はドタバタでおわっている気がしました。p93で子どものホリーが言っている「みすみす」や、p30の父親のセリフの「おねしょの心配はご無用です!」など、言葉づかいもところどころ不自然で、のりきれませんでした。最後の場面がマンガになっているのはなぜでしょう?

リス:高齢で、脳の働きがゆらいでしまった人でも、時にはしっかりとした自意識があり、思いがけない反応ぶりを見せるということを私は実際に体験しています。私は外国に住んでいてこの本は一度も見ていないので、どんな文脈や文章の中にあるのかは分かりませんが、一つの言葉にとらわれないことも大事だと思います。でも何といっても、このようなシビアなテーマには、ユーモアの質が問われますね。

西山:読みにくかったです。どっちのことをさしているのか、うけとりにくくて若干イラつきました。体の大きなお父さんが、身体的にはいろんなことができなくなるわけですが、それがドタバタのネタになるのか。障がいのある人のことが浮かんで、ぜんぜん笑えなかった。むしろ、ざわざわさせられて、不快感を覚えました。みなさんの感想を聞いていて、『お父さん、牛になる』(晴居彗星作、福音館書店)というのを思い出しました。フンの始末に困るシーンとか強烈だった。あのくらいシュールだとまだいいように思うけど・・・・・・。

ハル:わたしは、おもしろくないどころか、読んでいて傷ついてしまいました。「グロテスク」という表現が使われていましたが、そのあたりからどんどん気持ちが暗くなってしまって。高齢者の自動車事故のニュースなどもよく話題になりますが、それに限らず、こういう現実だって身近にあるでしょう? なんにも考えずに、わあ大変だ!って、ドタバタを楽しめばいいのかもしれませんけど……やっぱり、ただ楽しければいいってもんじゃないと思います。

サンザシ:この物語の家族像は、ジェンダー的にみるととても古いですね。父親=家長という図式です。それから、突飛なシチュエーション設定にするのだったら、入れ替わったときのリアリティもちゃんと書いてもらわないと。ベンジーは2歳という設定なのに、体が大きくなったとたんパパの靴や服をどんどん脱いでしまう。大人の服にはボタンやジッパーやひもなどいろんなものがついてることを考えれば、たとえ体は動かせるようになったとしても、実際には無理ですよね? また、パパは「おむつを外せ」と何度もどなるんすが、出版社に受け入れられるだけの絵が描けるくらいなら、おむつなんか自分ではずせます。p74には「こんなおにいさんがいるのもいいわね」「そうだね。ぼく、ずっとおにいさんがほしかったんだ」ときょうだいが会話をしていますが、前とのつながりがないのでそこだけとってつけたように浮いています。物語の中のリアリティがぐずぐずなので、えっ?と思ってしまってちっとも笑えませんでした。

げた:絵がもう少しかわいいといいのにね。赤ちゃんになったお父さんが全然かわいくなくって、気に入らないなあ。それに、赤ちゃんになったパパは結構「赤ちゃん」の状態を楽しんでいるのに、赤ちゃんになったお父さんはそうでもないですよね。赤ちゃんになったお父さんが活躍する場面を登場させたらよかったのにね。

コアラ:p10の「きったないタオルケット」は、関西弁のようでおもしろいと思いましたが……。

よもぎ:単なる強調じゃないかしら?

コアラ:あまりいい絵ではなかったけれど、p104からのマンガの部分は、子どもが読んだらおもしろがるのではと思いました。最後、p126で、「パパは今、新しい本にとりくんでいる。題名は『リトル・パパ』」とあるので、この本がまさにそのパパが書いた本、という設定にすればよかったのに、せっかくのアイデアがうまく生かされていなくてもったいないと思いました。

よもぎ:お父さんと赤ちゃんが入れ替わるドタバタがおもしろいと思って、作者は書いたのかしら? ちっともおもしろくなかったし、読んでいるうちにどっちがパパか赤ちゃんか混乱してきました。原書にも最後のほうのマンガがあるのかどうかは知らないけれど、おもしろさが足りないと思って、サービスで入れたのでは? いちばんまずいなと思ったのは病院の場面。どうしても、認知症などの障がいのある方たちとダブってしまって(入れ替わったことを知らない、ほかの人たちには、当然そう見えたことでしょうし)さららんさんは「荒っぽい」とおっしゃったけど、ずいぶん無神経な作者だなと思いました。子どもたちに薦めたい作品ではないですね。

アンヌ:ネットで原作の表紙絵を見ましたが、すね毛だらけで、もっとひどい感じです。こちらの絵はあごの線がないところが松本かつぢ風で、特に赤ちゃんの絵がかわいい。でも、マンガのところは原作と同じ仕組みなのでしょうか?あまりマンガとしてもおもしろくありませんでした。しじみ71個分(メール参加):楽しいエンタメ物語だと思った。入れ替わりによって成長も何も起こらないところが気楽だった。教育テレビでやっているアメリカのホームコメディのようだ。ドタバタがあって、ドキドキがあって、やっぱり元に戻って良かったというだけの話だけれど、この単純明快さは小さい子にも楽しめるのではないか。言葉や訳にも気になるところは特になかった。

マリンゴ(メール参加):かわいらしい物語でした。入れ替わってからのドタバタが、ちょっと長い気がしましたが、子どもはこういう繰り返しが好きだろうから、いいんでしょうね。

エーデルワイス(メール参加):日本人の挿絵が原作とピッタリ合っていたが、原作には挿絵がなかったのだろうか? パパの体になったペンジーのやり放題がおかしい。赤ちゃんとパパの体の入れ替えのお話は、珍しいかも。楽しく読めた。

(2017年3月の「子どもの本で言いたい放題」より)


2017年03月 テーマ:自分ってなに? 心と体のずれのなかで

日付 2017年3月24日
参加者 カピバラ、クマザサ、げた、コアラ、さららん、サンザシ、西山、ネズ
ミ、ハル、よもぎ、リス、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス、しじみ
71個分、マリンゴ)
テーマ 自分ってなに? 心と体のずれのなかで

読んだ本:

『てんからどどん 』
魚住直子/著 けーしん /挿絵   ポプラ社   2016.05

版元語録:わたしがあの子になっちゃった!?「こんな自分、変わりたい!」と思っていたら・・・世界でひとりの“自分”のことが好きになれる?? 雷がおこした魔法。


『ジョージと秘密のメリッサ 』
アレックス・ジーノ/著 島村浩子/訳   偕成社   2016.12
GEORGE by Alex Gino, 2015
版元語録:「男の子のふりをするのはほんとうに苦しいんだ」ジョージ(10歳)、心は女の子。ありのままの自分で。トランスジェンダーの子の気持ちを描く物語。小学校中学年から。


『リトル・パパ 』
パット・ムーン/著 もりうちすみこ/訳 タカタカヲリ /挿絵   文研出版   2015.05
LITTLE DAD by Pat Moon, 1998
版元語録:一時間前まで、ぼくたちはごくふつうの家族だった。パパは仕事部屋にこもり、ぼくたちはテレビをみていて、赤んぼうのベンジーは家の中を走りまわっている。パパが仕事部屋から出てきて…あれっ、パパとベンジーのようすがおかしいぞ!? 小学中級から。

(さらに…)

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ただいま!マラング村〜タンザニアの男の子のお話

さらら:「ただいま!」は、挨拶の言葉だったんですね。「只今現在」の意味かと、思ってしまいました。不安な気持ちや様々な感情表現が、きちんと書き込んであるのは、好感が持てました。お兄ちゃんとはぐれた後、ストリートチルドレンになるのが少し唐突かな、と思ったのですが、描かれている部分と描かれていない部分でうまくバランスを取っている。主人公は途中で、シスターに惹かれて施設に入る。でも、どうしていいかわからず飛び出してしまう。そうした心理もよく描かれていますね、短いページ数の中で。派手なところはないけれど、誠実に描かれた物語という印象を受けました。1箇所だけ、「二年前から(犬が)しずかなねむりについている」という訳語にひっかかりました。これでは犬が死んだことが、子どもにはわからないのでは?

アカザ:とても好感が持てました。こういう作品は年代の上の子どもが対象でないと難しいと思っていましたが、低年齢の子どもたちにもよくわかる書き方をしていて、はらはらしながら最後まで読みました。世界にはいろいろな子どもたちがいて、いろいろな暮らし方をしているということを幼い子どもたちに伝える作品が、もっともっとあってもよいのではと思いました。

ジラフ:人ってどんな時代に、どこに生まれるか、本当に選べない。その与えられた環境の中でいやおうなく生きていくしかない、というあたりまえのことをひしひしと感じて、胸にずしんときました。この男の子の場合は、寄宿舎に入って勉強することで人生ががらりと変わりますけど、実話がうまく物語に昇華されていて、自然に読むことができました。ただ、時間の経過が、路上生活から寄宿舎に入るまで4年、それから村に帰るまで5年と、いずれも章がかわってページをめくると、それだけの時間が経っていて、男の子は外見的にもずいぶん成長しているはずなので、そのあたりを読者の子どもがイメージできるのか気になりました。

たんぽぽ:中学年から、世界中の子ども達に目を向ける導入としてもいい本だなと、思いました。3年生ぐらいだと、後半の時間の経過が、理解できるかなと、少し気になりました。

夏子:皆さんが指摘されたポジティブな部分は認めた上の話ですが、西洋人が見たアフリカという感じが、すごくするんですよね。難しいことは承知のうえで、アフリカの人が書いたアフリカの本が読みたいと思いました。タンザニアの状況は苛酷ですが、日本の子どもたちだって苛酷な状況に陥ることはある。とはいえまったく違うことがあって、それは、日本の子どもに援助の手を延べるのはたいてい日本人(=同じ文化の人間)だけれど、タンザニアの子どもに援助の手を延べるのは、たいていは西洋人(=異文化の人間)ということ。結局、主人公の少年は、西洋化するしかないんでしょうか? 本当にそれしかないのか、私にはわからないんです。私は15年ほど前に、タイの人が書いたタイの本を読みました(後で思い出しましたが、ティープスィリ・スクソーパー作『沼のほとりの子どもたち』[飯島明子/訳]で、1987年に偕成社から出た本でした)。9割くらい読み進むまで退屈で退屈で、何度も途中でやめようと思ったんです。でも読み通したら、最後の部分が、忘れられないほどおもしろかった。ああ、時間の流れがわたしたちとは違う、と体感できたことが、読後の満足感につながっているんだと思います。もちろん最後だけ読んでもダメで、これを味わうには、退屈に耐えないと。となると今の日本の子どもたちはなかなか読みきれないでしょう。子どもたちが読める本で、アフリカやアジアの人が書いた本は、そうはないですよね。西洋の目から見たアフリカであっても、まずそれを知ることが必要なんだと思いますが……。

レジーナ:西洋から見たアフリカの本というのは、確かにそうですが、書き手は西洋の側にいるので、慈善団体の人がいい人に描かれているのは、仕方がないかもしれません。最後のインタビューで、寮ではペットを飼えないと語っているので、寄宿学校にドーアを連れていく部分は、フィクションでしょうか。私が少し気になったのは、挿絵です。ユーモラスなタッチだからかもしれませんが、目鼻が大きく、唇が厚い姿を、必要以上に誇張して描いています。これはポリティカリー・コレクトという観点からは、どうなのでしょうか。フランク・ドビアスの描いた『ちびくろさんぼ』(ヘレン・バンナーマン作 岩波書店/瑞雲社)があれほど物議を醸した後ですし、今の時代の本ということを考えると……。アフリカの人は、どう感じるのでしょうね。

コーネリア:最初は実話とは気づかなくて読み進めました。盛りだくさんに小道具を使ってドラマチックに創作されているつくりものの世界に慣れていると、最初は物足りなく感じました。でも男の子の視点がぶれずに書いてあるので、好感をもって読み進めることができました。半ばくらいから、ツソといっしょになって、応援しながら読みました。ハッピーエンドの方がいいから、最後にお兄ちゃんと会えてよかったのだけれども、村でお兄ちゃんが暮らしていたというラストには、ちょっとしっくりきませんでした。どうして、お兄ちゃんが先に帰っていたのか? はぐれたら、お兄ちゃんの方が弟を探すのではないか? 疑問が残ってしまいました。最後のインタビューで、お兄ちゃんがどうしていたのか、聞いてもよかったのでは。読者対象が、2年生ぐらいだと、これくらいストーリーをシンプルにする方が読みやすくていいのでしょうか?

カボス:みなさんがおっしゃるように、一見良さそうな作品で、好意的な書評もいろいろ出ているのですが、タンザニアに詳しい人に聞いてみると、あちこちに間違いがあるのがわかりました。遠いアフリカの話なので日本の人には間違いがわからないかもしれませんが、こういう本こそ、ちゃんと出してほしいと思います。
 まずスワヒリ語をドイツ語読みのカタカナ表記にしてしまっています。カリーブ、ドーア、カーカ、バーバ、バーブと出て来ますが、スワヒリ語ではカリブ、ドア、カカ、ババ、バブと、音引きが入りません。白人のこともワツングとしていますが、ワズングです。ほかにも、p9に「ツソが水をくんでこないと、おばさんが、トウモロコシをつぶしてお湯でねった晩ごはんをつくれないのだ」とありますが、これは主食のウガリのことだと思います。とすると、乾燥してから碾いたトウモロコシを使いますから、不正確です。p12には「ツソは、大いそぎで、手のなかのおかゆを口にいれた」とありますが、これもウガリのことなのかもしれませんが、おかゆとは形状が違います。おかゆのようなものもありますが、それは手では食べずにコップに入れて飲むそうです。p10にはカモシカが出てきますが、アフリカにはカモシカはいません。
 翻訳だけでなく原文にも問題があるかもしれません。p24に「お日様が昇る方向(東)にいけばモシがあり、ダルがある」とありますが、目次裏の地図を見るかぎり、モシはマラング村から西南の方向にあるようです。バスがダルエスサラームにつく場面では海が見えるとありますが、バスステーションからは海は見えないそうです。現地をよく知っている人は、バスの座席にもぐりこんで旅をする場面が、モシからダルまでは7〜8時間もかかるのに、ずいぶんとあっさりした描写だな、とおっしゃっていました。またp106には「アルーシャのまわりの村には、まだ学校などないのがふつうだった」とありますが、アルーシャは大きな町なので、周辺の村でも学校はあるのではないかという話でした。欧米の作品だとみんないろいろ調べて訳すのに、そうでない場所が舞台だと、そのあたりがいい加減になってしまうのでしょうか? そうだとしたら、とっても残念です。こういう作品こそきちんと出してほしいのに。訳者の方は、現地に詳しい人に聞いたとおっしゃっていたのですが、どうしてそこでチェックできなかったのでしょう? たとえばウガリのことなどは、だれでも知っていることなのに。そういうせいもあってか、全体に、「かわいそうなアフリカ人の子どもが西欧の慈善団体のおかげで一人前になりました」という感じがにおってきて、私はあまり好感を持てませんでした。著者がどの程度、ちゃんとインタビューして、場所なども取材したのか、それも疑問です。
 前に、『ぼくのだいすきなケニアの村』(ケリー・クネイン文 アナ・フアン絵 小島希里訳 BL出版)が課題図書になったとき、スワヒリ語が間違いだらけで困ったな、と思ったのですが、それと同質の違和感をこの本にも感じます。今はアフリカ人の作品もあるのだから、欧米の作家の中途半端なものを翻訳出版しないでほしいと思います。アフリカ子どもの本プロジェクトでもこの本を推薦するかどうか検討したのですが、推薦できないということになりました。ちなみに、編集部には再版から直してほしいとお伝えしてあります。(後に再版から推薦)

一同:そうなんですか。ちょっと読んだだけじゃ、わかりませんね。

プルメリア(遅れて参加):表紙をはじめ挿絵がいいなって思いました。活字も読みやすいし。目次も関心を引きました。作品からタンザニアの人々の生活や村の様子がよくわかりました。わくわくしたけど、でもあまりにもハッピーエンド。カモシカって、寒いところにいるのではなんて思いました。書名『ただいま!マラング村』の意味は、インタビューを読んで納得しました。

アカザ:さっき、レジーナさんが絵は問題があるのでは、と言ってましたが。

コーネリア:子どもたちの手に取りやすい絵にはなっていると思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年1月の記録)


空飛ぶリスとひねくれ屋のフローラ

アンヌ:献辞のところから読み始めたので、マンガも作者が書いたのかと勘違いして、驚きながら読みました。大人がみんな孤独で、子どもも孤独で、それなのに大人は子どもを傷つける。ハッピーエンドだからいいけれど、ちょっと理解できない話でした。リスだけがかわいくて自由で詩人で、理想の子どものようです。この本を読んで楽しかったのは、マンガに描かれている本の題名がしっかり読めたこと。哲学者ミーシャムさんの本棚にあるのは、『ホビットの冒険』(J・R・R・トールキン著 岩波書店)で、『指輪物語』(同著、評論社)じゃないのに納得したり、テイッカムさんの名詩選集の最初の名前が2冊とも女流詩人なのを発見したり、リスに読んであげるリルケの詩が『時祷詩集』(リルケ全集・河出書房新社)だ等と、調べて考える楽しみがありました。

コアラ:私はおもしろく読みました。内容もおもしろかったし、マンガで表現しているところと文章で表現しているところがあって、文章も明朝体で人間のフローラを主人公にした場面と、ゴシック体でリスのユリシーズを主人公にした場面がある、という形がおもしろかったです。フローラはアメリカのコミックを読んでいて、アメコミのスーパーヒーローと重ね合わせてリスを見ているので、もっと話が大きくなるのかな、と思ったら、意外とこぢんまりとしたスケールで終わってしまったので、もうちょっと盛り上げてほしかった。p227の2行目で「母さんが何よりもだれよりも愛しているのは羊飼いの電気スタンドだ」とあるから、この悲しい誤解の道具が重要な場面で使われるのだろう、と思っていたら、猫をたたいただけで終わってしまったので、もっとキャラクターも含めて設定を生かしてほしかったです。主人公のフローラは、変わっている子という設定ですが、フローラみたいな子は案外いっぱいいるんじゃないかと思いました。p153の絵で本のタイトルなど全部日本語に変えていて、本の背の見えにくい文字もそれっぽく変形させた活字にしているので、うまいなあ、おもしろいなあと思いました。とにかくリスの絵がすごくかわいかったです。

レジーナ:今回選書係として、社会や時代の制約を受けながら生きている女の子が、動物との関わりの中で周囲から受け入れられていく物語を選びました。この本は2014年にニューベリー賞をとったときに原書で読みました。主人公は個性的で、母親からも変わった子だと思われています。そこに空飛ぶリスが現れたことで、しっくりいっていなかった人間関係が少しずつ変わっていく過程が描かれています。作者が自分のためではなく、子どもに楽しんで読んでもらおうとして書いた本ですね。ところどころマンガになっているのも、おもしろいアプローチなのでは。

ネズミ:得意ではない作品だったけどおもしろかったです。マンガがところどころに入って1章1章が短い構成で、私は落ち着かなかったけど、読書が苦手な子どもにはとっつきやすいかなと思いました。たよりない親と、ちょっとませた子どもと。どんな親でも子どもは折り合いをつけて生きていくんだなというのが伝わってきます。掃除機に吸い込まれそうになって特殊能力を得たリスが出てきたり、フローラがいつも参考にする本があったり、お話としてのうまさが感じられて、子どもが読んだら楽しく読めるのでは。人物は戯画的ではあるけれど、お母さんもお父さんもとなりの人も、いろんな面が見え隠れする描き方で好感を持ちました。

西山:目次を見たときは苦手だと思ったのだけど(散文的なこまかい目次、あまり好きでなく・・・・・・単に好みの問題です)、読み始めたらおもしろかった。子どもを楽しませると思いました。難を言えば、マンガと本文の関係がわからないので、本文出だしを読んでいるマンガの内容だと思ってしまうのではと思いました。読み進めて、仕組みがわかってくればそれでいいのですが、本を読み慣れていない子にとって、ある種の難しさになってしまうかもしれないと、ちらっと思いました。恋愛小説家の母親が、いかにも現実的なのは皮肉?ちょっとおもしろい。信じることによって失うものはないという「パスカルの賭け」がでてくるところ(p158)や、ユリシーズが心にもないことを打ち込んで石のようになってしまうところ(p218)など、考えさせるところもあってそれも好感を持ちました。p15のリスが食べ物のことばかり考えているというところ、もっとリスっぽい?口調、リスの動きを思い起こさせるような、いかにもリスっぽいと思えるような口調にして、もっと楽しませてほしいと思いました。フローラに人生の教えをくれるマンガ、私もほしいと読んだ子どもが思うんじゃないかな。子どもをもてなす作品だと思いました。

マリンゴ: おもしろく読みました。軽快なタッチなので、少女を取り巻く環境が実は苛酷だということを、終盤まであまり感じず、重くなりすぎずに読むことができました。哲学的な内容が随所に入りますが、主人公のお気に入りのマンガからの引用なので、子どもに難しく感じさせないのではないかと思います。リスのスペックが、「空を飛ぶこと」「タイプライターを打つこと」と、明確なのがユニーク。最後、ファンタジーの世界を閉じて、日常に戻るのかと思いきや、ファンタジー全開のままで終了したのが少し意外でした。子どもたちにとっては、想像がふくらむ楽しい終わり方なのかもしれません。

:マンガの部分は、マンガというよりも挿絵のバリエーションのように感じました。なくてもストーリーを理解できるので。p15で、おなかがすいたことをリスの気持ちでいろいろに表現しているところは、マンガ形式だからいっそうおもしろく見えますね。『はみだしインディアンのホントにホントのはなし』(シャーマン・アレクシー著 エレン・フォーニー画 さくまゆみこ訳 小学館)も思い出しました。私は、子どもが子どものロジックのまま不満を言うタイプの本があまり好きではないのですが、そういうところを差し引いても、案外楽しく読めました。フローラを受け入れられない母親がありのままの娘を受け入れるようになるという話ですね。いろいろな人が出てきますが、p217の「家に帰りたい」というスパイヴァーのセリフに主題が凝縮していて、ここで、この本がきわめて正統な児童文学であることがわかります。あと、メアリー・アンという電気スタンドも、猫をたたいておしまい、なのではなく、それで壊れることにより、母親が初めてフローラの方を向くという結果につながっているので、重要なアイテムだと思います。

ハリネズミ:ドタバタの割りには理屈っぽいところがあるな、というのが私の第一印象です。こういうのを訳すのは難しいですね。私の好みとしては、もう少しドタバタ寄りで訳してもらったほうがおもしろくなったと思います。このお母さんはタイプライターで原稿を書いてますから、舞台は現代じゃないんですね。。そういう時代に設定したのはなぜなんでしょう? このマンガのテイストは、日本の子どもとそんなに相性はよくないと思います。2回読んだんですが、私はみなさんがおっしゃっているほどおもしろいとは思いませんでした。

カピバラ:マンガを挿絵としてではなく文章のかわりに入れているのがおもしろかった。この絵のせいで現実離れした人々のように思えるけれど、実はそれぞれが深い悩みをかかえていることがわかってきます。p234の最後に、「フローラは変わってる? そうかもしれない。でも、それのどこが悪いのかな?」と書いてあり、これが作者の言いたいことなのでしょう。各章が短くて読みやすく、視点もどんどん変わって子どもを飽きさせないようにという工夫が感じられるところに好感をもちました。個性的な人物が出てきて、特にドクター・ミーシャムと巨大イカの話はおもしろかったです。リスの視点で書かれているところは楽しいから興味をもって読むのですが、リスの存在がひとりひとりにどんな影響を及ぼしているかというところまではよくわかりませんでした。私はアメリカの出版社のパーティーでこの作者に会ったことがありますが、明るくてとにかくよくしゃべる人で、小柄なのに存在感があり、いつも人に囲まれていました。人を楽しませたいというサービス精神にあふれている人だと思います。それが作品にも表れているんですね。

ルパン:物語の方向性がよくわかりませんでした。読書会で取り上げなかったら読み切れなかったかも。ニューベリー賞とあったので期待して読みはじめましたが、すぐに「どうしてニューベリー賞?」と思い始めてしまいました。最大の疑問は、やはりリスの役割です。リスを特別にしてしまう掃除機も、最初に出てきただけで、何だったんだろう、という感じだし。マンガまじりの構成も、私はあんまりなじめませんでした。挿絵だと思っていたのに、マンガのなかに重要なストーリー展開があったんですね。しばらく気づかずにマンガを飛ばして読んでいたので、途中であわてて最初に戻りました。好きな登場人物はフローラのお父さんで、印象に残ったのは電気スタンドの女の子かな。ラストは、フローラはお母さんと心が通じ合ったのに、ウィリアムは家族に見捨てられたままだったのが気になりました。目が見えないふりをするほど悲しんでいたので、もう少し救いがあってもよかったと思います。大好きなフローラと仲よくなれたのはよかったですが。ティッカムさんの家で幸せになってもらいたいと思います。

しじみ71個分:おもしろく読み、最後のリスのフローラを思う詩には涙ぐんでしまいました。傷ついたり、うまくいっていない人たちが、スーパーリスの存在でかき回され、冒険があり、事態が変わっていくという展開になっています。本文中、絶対にありえないと言い切れることはないんだよ、という趣旨のセリフがありますが、それはスーパーヒーローの空飛ぶリスでもあり、無理なように見える壊れた家族の和解をも象徴していると思いました。リスの存在が未来への希望を表わしているようで、気持ちよく読めました。ストーリーを挿絵で表しているのもとてもおもしろいですね。

さららん:表紙とタイトルでは一瞬腰が引けましたが、読み出したらおもしろかった! 不安、満足、喜び、そういった様々な感情が、「物」で具体的に象徴されていて、つじつまがあうように作られている。子どもには納得がいくお話だと思います。例えば・・・孤独の象徴としての絵の中の巨大イカ、夜中に訪れたフローラを大歓迎するおばあさんが用意するオイルサーディンのクラッカー、父さんと食べに行くドーナツなどなど。それから、リスがなぜ詩が好きなのか、最後まで疑問に思っていたのですが、最初の漫画を見たら、なんと詩集といっしょに吸い込まれていた! 絶対にありえないお話だけれど、テーマは正統派で、ところどころに詩情を感じます。リスの書く詩が、単純なドタバタコメディに奥行きを作っていて、胸がきゅんとなるところもあり、楽しめました。

マリンゴ:余談ですが、うちの実家の庭に、ここのところタイワンリスがたくさん現れます。タイワンリスは外来種で、謎のウイルスがいるかもしれないから絶対素手で触れてはいけないそうです。自治体のホームページなどでも注意喚起しています。なので、主人公のお母さんの言っていることは理にかなっている、と思いながら読みました。

エーデルワイス(メール参加):表紙や裏表紙の色や