アンヌ:読んでいるうちに、これはいつまで続くのだろうとだんだん耐えられなくなって、途中でラストを読んでから、読み直してしまいました。自分でもそれはなぜなのだろうと思って、いろいろ調べて、劇団ひまわりで上演されているのを知り、ああ、そうか、ユッキーの一人称で、一人の視点で延々と物語が続くのでなければ、おもしろいのかもしれないと思いました。読み直してみると、一つ一つのエピソードはとてもおもしろいので。最後にリュウセイが戻って来ていますが、どうやって戻ってきたのかとかが、なぜ描かれていないのだろうと思いました。

ワトソン:今回のテーマである子どもたちの日常にあてはまる作品として、私はとても楽しく読めました。登校班だけてこれだけの作品を書くのはすごいと感心しました。一番魅力的だったのはユッキーで、彼の語りの良さがこの作品を支えていると思いました。その分、かさねちゃんに物足りなさを感じました。かさねちゃんの「ちゃんとして」が魔法の言葉のように描かれていましたが、そこにはユッキーのかさねちゃんへの憧れがかなりプラスされているので、実際は魔法のようには効かないのではないでしょうか。また、小学生が読者と考えるとこの量は多すぎる気がしました。

ルパン:私はあんまりおもしろくなかったです。『アナザー修学旅行』(有沢佳映著 講談社)は、場面が動かないわりに、まだおもしろかったんですが、今回は、通学路という限られた場面のなかで、かさねちゃんの魅力が伝わってきませんでした。かさねちゃんだけでなく、どの子も、「この子のことが読みたい」というものがなかったし。強いていえば、語り手のユッキーが毎回日記のさいごに間宮さまへの語りかけを書いているのがおもしろかったけれど。ただ、登校班だけで、よくここまで書いたなとは思いました。結局、「かさねちゃん」とインパクトがある名前だけでひっぱってきた感があります。ふつうの平凡な名まえだったら手にとらないんじゃないかな。印象的に目に浮かぶものといえば、牡丹の模様つきのランドセルでしたが、かさねちゃんの個性とどうリンクするのかわかりませんでした。

レン:私は今回選書係だったのですが、この本は、私自身よくわからない本だったので、みなさんの意見を聞きたいと思って選びました。この著者の『アナザー修学旅行』の時もそうでしたが、私は最初はおもしろくひきこまれたけれど、途中でちょっとうんざりしてきて、「修学旅行だとか、集団登校の班長って、そんなに大事?」と思ってしまい、最後まで読めなかったんです。今の子どもの話し言葉をそのまま移したような会話が続くのも、うまいなあと感心する一方で、当の子どもが読んだらどう思うんだろうと思いました。写真そっくりの絵を見ているような感覚というのか。この数カ月で確かにユッキーは少しずつ成長するけれども、こういうそのまんまの一人称の語りで子どもに伝わるのかな、ふんふんと読んで終わってしまわないかなと。今回読み返しましたが、やはりわかりませんでした。リュウセイのエピソードを盛り込んでいるのは、いいなあと思いましたが。

ヤマネ:話題になっていたので、とても気になっていた本です。まず設定について、これまで集団登校を場面の中心として書いている人はいなかったので、斬新だなと思いました。1日1日、ユッキーの日記で綴られていて、日記の最後が「間宮小の守り神」と言われているホコラの中の間宮さんに何かを祈ったりお願いする形で終わっている。日記をうまく終わらせるために間宮さんは登場するのではないかと感じました。お話は3分の2ぐらい読み進めたところで、ようやくおもしろくなってきました。全体を読み終えて感じたのは、子どもも大人も、一定の時間一緒に過ごす体験をすると、情が湧いたり連帯感のようなものが生まれるのだなと思いました。対象年齢は小学校高学年向けに出されているようですが、正直、小学生がおもしろく読むのかどうかは疑問に思いました。そうかといって、大人が懐かしいと思って読むには自身の子ども時代とは違う現代っぽさがあるし、どのあたりの層がおもしろいと感じて読むのかが分からないと思いました。また、かさねちゃんは大人で冷静なように描かれているけれど、言うべきことや不満などは、全て班員で4年生のマユカが全部言ってくれるので、かさねちゃんは言わなくて済むようになっていると感じました。

ハリネズミ:私は日常と違う世界だと思いました。小学生が集団登校する姿はよく見るけど、たいていはまったく話をしないで黙々と歩いている。だから、この作品はフィクションの世界で書いてると思ったんです。『アナザー修学旅行』もそうだったけど、子ども同士はあまり直接のコミュニケーションをとらない。有沢さんは、わざとコミュニケーションをとらせて直接的なやりとりをさせている。そこが書きたいところじゃないかと思ったんです。

ルパン:地域性もあるかもしれませんね。うちは小学校が目の前なので言葉をかわすヒマもないのですが、甥のところでは2キロ歩くんだそうです。毎日それだけの距離を一緒に歩いたら、会話もはずむだろうし、集団登校も子どもたちの生活の一部になるかも。

ハリネズミ:主人公はかさねちゃんではなくユッキーで、すべてユッキーの視点だから、かさねちゃんは実像じゃない。

アンヌ:もし私が子どもの時読んだら、たぶん、班長をする自分を想像して、こんなにキレる子が二人もいたら、嫌だと思うだろうなと感じました。

ハリネズミ:賛否両論あるとは思ったんですが、私はおもしろくて、後になっても印象に残った本です。子ども同士のやりとりもおもしろくて、今の子どもたちの人間関係が狭くなってきているだけに貴重な作品だとも思います。

すあま:私のまわりの人の評判がよかったのですが、私は全然読み進むことができませんでした。登場人物がなかなかおぼえられず、苦労しました。この作品の特徴は、話し言葉でかかれていること、そして場面として登校するシーンだけを描いていること。脇明子さんの『読む力が未来をひらく』(脇明子著 岩波書店)に、話し言葉と書き言葉についての記述がありましたが、話し言葉で書かれた会話が続くと、読みにくいんだな、と思いました。子どもがおしゃべりしている感じは伝わるけれども、読んでいてうるさい、わずらわしい、と思ってしまいました。マンガのように吹き出しのセリフをどんどん読んでいくのと似ているけれど、絵がないので頭の中でイメージするときに混乱したのかも。読む前は、かさねちゃんが主人公なのかと思っていたら、リアリティがなくて、もっと魅力的に描いてほしかったです。登場人物のだれに寄り添って読めばよいのかがわからず、それも読みづらさの原因かもしれません。かさねちゃんが小学生らしくなくて、感情を爆発させるところがあれば、と思いながら読み進めていましたが、ずっといい子のままだったのも残念。リュウセイくんの問題も、あえて入れる必要があったのか、扱い方が中途半端なように思います。

ajian:私はこの文体っていうか会話はすごくいいと思ったんです。物語はちょっと物足りないものを感じたのですが……。読んだのが結構前なのであやふやですみません。

レジーナ:人口芝の上を歩きたがる場面では、私も昔、同じように感じたのを思い出しました。作者は、子どもの時のことをよく覚えていて、それを素材に書いたのでしょうね。リアリティを追求したのかもしれませんが、実際に子どもが話しているような文体が続くと、少々読みにくく、またリュウセイの複雑な家庭環境には胸が痛くなりました。読み終えて、作者が何を伝えたいかがわかりませんでした。この作品は児童文学なのでしょうか……。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年10月の記録)