ゴルトムント:歴史ものです。実在の人物や出来事をうまく取り入れています。コレラを研究した先生の実話が元になったとあとがきにもありました。もちろん主な登場人物は創作されたわけで、基本的にはフィクションですけれども。こういうお話は歴史上の事実をうまく取り入れるのが大事ですね。今日のもう一冊の『庭師の娘』(ジークリート・ラウベ著 若松宣子訳 岩波書店)も。伏線を結構たくさん置いて家族のことや、いろんなことがだんだん分かってくるようになっています。どんなことだろうと気になりながら読み進めました。コレラの原因が空気ではなく水だったこと。博士の研究成果をうまく伝えている本とも言えます。少年に関しては、明るい未来を暗示しつつ終わっています。

ひら:主人公が「小さな大人」として登場している状況から「子ども」として書かれていく描写がおもしろかった。フィリップ・アリエスは『〈子供〉の誕生』(みすず書房)という本の中で、16世紀以前は「子供」という概念(=世の中から庇護される社会的な存在)はなく、「小さな大人」という存在だけだった、と論評しています。その本の中では、かつて人間は7歳ぐらいから小さな大人になり、大人と一緒に労働力として働いていたし、逆に7歳以前はコミュニケーションも取りづらいし、当時は高い確率で死亡したため、大人は将来の労働力を効率的に確保するために、できるだけたくさん子どもを産み、7歳以前の子供は育児コストを下げるために「大きな動物に近い感じで養われていた」と書かれていたように記憶しています。この本の舞台になっているイギリスの世界はちょうど近代市民社会が成立し始める頃で、裕福な市民の家ではいわゆる「子供」という概念が誕生して普及していたと思いますが、まだ社会の底辺には「小さな大人」もたくさんいた時代でしょう。一方で、16世紀からなぜ「子供」という概念が誕生し、子供は大切にしなければならい、という社会通念、倫理観が普及したのか、社会的、経済的な合理性があったからだと思います。つまり自分の子供を「小さな大人」として育てるよりも、産業革命によって職業が高度化し、医療の進歩によって子供が死ぬ可能性が低くなった等から、一人ひとりの子供を丁寧に育て、学習させ、ある一定レベルの職業につけた方が親として(極論すれば人間の個体として)生存確率が上がり、楽ができる。そこから後付で倫理体系が組み立てられたように思います。儒教を広めた孔子やキリスト教を広めたコンスタンティヌスしかり、基本的には治世者の統治しやすさのニーズ、一人ひとりの個体の生き残るためのニーズの後追いの形で倫理感が構成され、経済的、社会的に合理性が高い倫理がその後自然淘汰的に普及していっているのではないでしょうか。主人公は物語の前半で「小さな大人」として非常に大変そうに描写されていますが、その後「子供」として保護されていく状況(倫理観の変遷のような状況)がうまく拾い上げられていて、おもしろく読めました。

レン:去年読んでおもしろかったので選びました。読み返せなかったので、細かいところは忘れてしまったのですが、コレラの謎、イールの家族のことをつきとめていくというミステリーの仕立ての展開でぐいぐい読めました。イールのまわりに、さまざまな大人たちが登場するのも印象的。大人の姿がくっきりと描かれていると思いました。

レジーナ:19世紀のロンドンの暮らしも、「青い恐怖」の謎を追う過程も、おもしろく読みました。イールがスノウ博士の研究を手伝い、助手としての仕事を認められる中で、周囲の大人に心を開いていく様子が、納得できるように描かれています。イールは少し、いい子過ぎる気もしますが…。平澤さんの装画も素敵で、日本の子どもが手に取りやすい本です。以前、ハリネズミさんがおっしゃっていたように、ジョーン・エイキンと比較すると、作品の弱さはあるかもしれませんが、この本はステッピングストーンになるのではないでしょうか。今の中学生を見ていると、エイキンまで読める子がなかなかいません。私は、この本が気に入った子には、エイキンの『ウィロビー・チェースのオオカミ』(こだまともこ訳 冨山房)を勧めています。

夏子:プロットが派手で、ミスエリーを読むような勢いで、先へ先へと読み進むことができました。翻訳も読みやすいと思います。伏線がいろいろあって、ひとつを除くと、後でよく活かされています。うまく活かされていない一つというのは、継父(母親の再婚相手で悪漢)に誘拐されたところ。主人公が最も恐れていた通りの結果となり、絶対絶命の危機を迎えたわけで、いちばんハラハラドキドキする場面ですよね。それなのに友人に救出されると、それだけで終わってしまって、悪漢の継父がその後どうなったのか、言及がまったくありません。最大の敵である継父との関係は、きちんと決着をつけておいてほしかったです。もうひとつクレームを言うと、主人公のイールは高潔で、ひたすら弟を守っていますが、いくらなんでも高潔すぎるのでは? また何もかもがイールの活躍で解決するのでなくて、ひとつの活躍だけで充分ではないかと思いました。そのほうがリアリティがあったのにね。時代やプロットにディケンズ作の『オリバー・ツイスト』の影響が見られますが、時代は『オリバー・ツイスト』の20年後で、ロンドンでコレラが大流行したころですよね。当時のロンドンの雰囲気、不潔さとか匂いが伝わってくると、もっとよかったな。無いものねだりで申しわけないけど。

アンヌ:私にとっては大変読みにくい本でした。まず、第一部で引っかかってしまい、なかなか前に進めませんでした。最初に提出される謎が多すぎるような気がします。ロンドンのテムズ川のどぶ浚いという仕事からして、うまくイメージがわきにくいのに、周りの大人たちや主人公がとても恐れているフィッシュという男の正体も、よくわからないまま話が進んでいきます。ビール醸造所というところもなかなか想像するのが難しいのに、舞台がすぐ近所の仕立屋さんの病人の部屋に移ってしまう。だから、主人公が何のためにお金をためているかという謎ときに行き着くまでに、時代や舞台が頭の中にうまく構成されていきませんでした。ディケンズから類推して何とか想像しましたが、そういう知識なしに、いきなりこの物語でその時代を感じるのは難しい気がします。その後、推理小説のようにコレラと水の関係を解き明かそうとする物語になっていくと、一気にすらすら読むことができました。ただ、フィッシュという悪人は捕まっていないのに、「スノウ博士が偉いから大丈夫」というような博士の家政婦さんの言葉で終わったり、どうみてもひどい引き取り手に思えたベッツィの叔母さんが実はとてもいい人だったりとか、物語を進めるために都合よくしてしまうように感じられる所には、疑問が残りました。

夏子:中流の家庭なんじゃないかな。

ルパン:今日みんなで話す三冊のなかで、私はこれが一番おもしろいと思いました。スピーディな展開でで飽きさせないし。コレラという深刻な問題を扱ってはいるのですが、どちらかというとエンタメっていう感じでした。ただ、いろんな大人がたくさん出てきすぎて覚えられないんですよね。最後、エドワードさんといういい人に引き取られることになり、めでたしめでたしなんですけど、このエドワードさん、最後しか出てこないじゃないですか。名前は出て来るけど、出かけてることになっていて、そのあたりは何ともいえずご都合主義ですよね。そもそも、こんないい人がそばにいたなら、これほど苦労しなくてよかったし。帰りを待っていればよかったわけで。あと、エイベルさんとエドワードさんが、紛らわしくて、どっちがどっちだかわからなくなったりしました。この話のなかでいちばんキャラが立っていたのは、博士の家政婦で、チョイ役のウェザーバーンさんです。

マリンゴ:これが課題図書!と信じられなかったほど、中盤まで過酷なストーリーでした。でも、途中から、現実(歴史)とリンクしていくおもしろさを感じました。ただ、物語のインパクトが強すぎて、これが真実のような気がしてしまうので、現実と架空の人物をブレンドする手法は難しいと改めて思いました。

ハリネズミ:出てすぐに読んで、なかなかよくできた物語だと思いました。庶民の人たちの人間模様がうまく描けているし、コレラをめぐる謎解きもおもしろかった。ディケンズに似ているという方がおいででしたが、私はむしろエイキンだと思いました。ディケンズは今読むと、とても冗長でわきのお話も詳しく書いたりするので、メインストーリーで読ませるエンタメとしてはエイキンに近いかと。気になったのは、著者が作り出した人物は生き生きと描かれていたのに、歴史上の人物のほうは厚みが欠けていた点です。実在の人物なのでウソは書けないため、想像にも限界があったのだと思います。

レジーナ:伝記も書いている作家なので、史実を変えるのには抵抗があったのでは。

夏子:この作家は、ディケンズの伝記も書いているのよね。

レン:イギリスの子どもが読んだら、人物名もぱっと覚えられるんでしょうね。

夏子:この本がすぐれた賞に価するとは思えないなぁ。サトクリフの作品だと、主人公の個性が歴史のなかに生きているでしょ。本当に過去にこういう少年がいたんだろうな、と深く納得させてくれるけれど、この作品はそこまではいっていない。作家はアメリカ人で、ロンドンの街にくわしくなかったのかも。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年7月の記録)