アンヌ:ドイツの赤十字でボランティアをしている女の人が、父親はナチスだったと語っているのが印象的でした。ラミッツたちが難民と認められるまでの、内外からの様々な妨害や彼らに援助の手を差し伸べる人々の姿が、短い物語の中にくっきりと描かれていますね。父親が語るロマの人々の姿、ダンスや音楽の話に、あまり知られていないこの民族の生活を知ることができました。ボランティアのドイツ人が語る贖罪の思いに、ドイツ政府の移民や留学生への手厚い保護の源泉を見る気がします。これからの難民の受け入れも変わっていくだろうなとか、ラミッツがこれからも二重の差別を受け続けるのだろうか等の不安は感じましたが、明るい気分で読み終えられました。

ルパン:読みやすく、最後まで一気に読みました。事実にもとづいている、ということで、内容も重く受け止めました。主人公が、口がきけなくなるほど人が信じられなくなる、ということが移民の現実の悲惨さを語っていると思いました。唯一の救いはお父さんと再会できたことです。この家族の未来が明るいものになるように、すべての難民問題が一日も早く解決するように、と願わずにはいられません。

さらら:原著はスウェーデンで出たんですよね。私の知人のクルド人の一家も、難民としてスウェーデンに逃れたので、さまざまな苦労を具体的に知ることができました。北欧はもちろん、ベルギーやオランダでもそうですが、先生はクラスの子どもたちに、難民の子どもたちがなぜ「ここ」にいるのか伝える必要があります。こんな本をきっかけに、お互いの理解を深めていけるのでしょう。主人公ラミッツにはスウェーデンに到着する前に、ドイツからいったんコソボに送り返されるなど、複雑なバックグラウンドがあります。紛争中のコソボを逃れるため、偽造パスポートを用意し、業者にお金をわたしてトラックに乗せてもらったり。私の友人が決して話そうとしない闇の部分がよくわかり、興味深く感じました。ラミッツたちが収容されるのは「難民宿舎」ですが、宿舎とは名ばかり。それを「宿舎」と名付けたところに、翻訳上の配慮を感じました。日本の子どもによくわからない「難民」という存在を知るうえではいい本かもしれませんが、作品としては掘り下げが足りない。例えばストレスのせいで、ラミッツは言葉を失い、お姉ちゃんは歩けなくなってしまう。そうした心の動きを子どもに共感できるように、もっときちんと書いたほうがよいのでは。事実にひっぱられ、物語としての深みに欠けるのが残念です。

レジーナ:以前、難民の人たちの持ち物の展示がありました。鍋など、生活に絶対必要なものだけでなく、歯ブラシやヘアワックスもあって、人間というのは、ぎりぎりの状況でも人間らしくあろうとし、人としての尊厳を失わずに生きようとするのだと感じました。この本を読んでそうしたことを思いだしました。これは実話に基づく話ですが、ノンフィクションとして書かれてもよかったかと思います。私は、この主人公の気持ちに寄り添って読めなかったので……。

レン:テーマ的にはおもしろかったです。日本にないけれど、知っておきたいことだから、出すのは意義のあることだと思いました。ただ、物語を読んでいくうえの味わいが今ひとつかな。一つには、ヨーロッパ全体の地図がほしかったです。ドイツからコソボ、スウェーデンの移動を実感するのに、子どものためには特に必要ではないでしょうか。それと、この作品の場合、一人称で書くのが果たしてよかったのかなと思いました。一人称にしてしまうと、その子が見たこと、知っていたことは書けるけれど、まわりの人たちのことは書けないですよね。援助している人たちや家族の思いなどは、三人称のほうが伝わります。15歳の少年の語りの限界のようなものを感じてしまいました。

さらら:文章に、つっかかるところが多い本でした。「〜だった、〜だった」と描写され、過去のことかと思ったら、「〜なんだ」と、急に現在にひっぱられたりして。

ハリネズミ:過去形と現在形が混じっているから、よけい時系列がごちゃごちゃになるってことですか?

レン:日本人の作家の中学生向けの一人称の作品は親しみやすく、読者が手にとりやすいものになっていると思うんですけど、これはちょっと違うかなと。読んでいても主人公の印象が固まってこないんですよね。

ハリネズミ:トーンが統一されてないのかな。

ハル:知らなかったことを知るという意味で、読書体験としては「読んでよかった」と思うんですけど……これはてっきりご本人が書かれたんだと思っていました。別に作者がいるんですね。冒頭から「こんな嫌な先生っているの!?」って、いくらなんでも信じられないと思うけど、このたどたどしい雰囲気で綴られると、「実際に体験したことなんだな、本当にこういう先生もいるのかもな」という気にもなりました。でもやっぱり、この後で読んだ『生きる:劉連仁の物語』(森越智子著 童心社)と比べると、心に迫ってくるものがなくて残念です。世界を知るための勉強として読む分には、貴重な本なのかなぁと思います。

マリンゴ: 2013年、ギリシャのロマ人の夫婦のもとに金髪の白人少女がいる、と通報があったニュースを思い出しました。誘拐や人身売買の疑いで夫婦は逮捕されたんですが、後日、DNA鑑定で実子とわかって釈放されたそうです。そのときに、ロマ人というのはそういう扱いを受けているのか、と驚いたのですが、掘り下げて調べなかったので、今回の本でとても勉強になりました。しかし読むのが気の進まない本でした。理由は二つあって、まず一つは、本の内容の問題。『リフカの旅』(カレン・ヘス著 伊藤比呂美他訳 理論社)みたいに、過酷であっても自分の意志で決めながら前に進んでいく本は読みやすいのですが、本書のように、運命と家族に翻弄される物語はしんどかったです。でも、実話をもとにしているので、これは仕方ないと言えます。もう一つは、構成の問題。父親と主人公の男の子、二つの話が混ざっていて、どちらの話なのか一部わかりづらくなって、ややこしかったです。父親の過去については会話形式で語るか、あるいは書体を変えるか、工夫して差別化してもよかったのでは、と思いました。あ、これは翻訳ではなく、原文に対しての意見ですが。

西山:内容とは直接関係ないんですけど、扉に「登場人物の名前は変えてあります。」に続けて「ラミッ・ラマダニーの本名は、マーション・ペイジャです。」と書いてありますよね。いいんですか、これ?

ハリネズミ:そこ、おかしいな、と私も思いました。コピーライトを見ると、この作家の名前に加えて主人公の名前も入っている。だったら、日本語版の作者名に仮名でも実名でもいいから入れておくべきなんじゃないかな。難民はいろいろな立場の人がいて、実名を出すとまずいという人もいると思いますが、そうだったら、すぐに実名を書いてしまっているのは変ですね。どっちにしてもその部分に配慮がないような気がしました。

さらら:実体験した人から、作家が話を聞いて書いた作品なら、その両方の名前を作者として出すべきですよね。

レン:『夢へ翔けて: 戦争孤児から世界的バレリーナへ』(ミケーラ・デプリンス, エレーン・デプリンス著 田中奈津子訳 ポプラ社)も、本人と養母の共著で、両方の名前を出していますね。

西山:翻弄される様子はどんどん読めて、事実を知るおもしろさはありました。

さらら:この本では、ロマの子どもが学校に来てほしくないと言われたり、意地悪されたりします。でも日本の子には、ロマがなぜそんなふうに差別されるか、よくわからないはず。バックグラウンドがないだけに、簡単なようで読むのがむずかしい部分があります。白紙の状態で読んでいく子どもに、マイナスの刷り込みをするべきじゃない。この本は、ロマの家族愛や伝統も描かれていて、そこがよさでもあるけど、どうしてこんなに意地悪されるんだろうって読者は思うでしょうね。

ハリネズミ:ロマの人たちが自分の国を持っていない、ふるさとのない人たちだということは、この物語からも伝わってきましたよ。

西山:別の話になりますが、アンリ・ボスコの『犬のバルボッシュ』(天沢退二郎訳 福音館書店)に出てくる「カラク」って、ロマのことでしょうか。

ハリネズミ:ロマについてですが、たとえば、エミリー・ロッダの「ローワン」シリーズには「旅の人」というのが出て来ますね。定住しないで移動して暮らしている人たちで芸術を愛している。そして、定住民からはうさんくさいと思われている。でも、彼らには彼らにしかないいいところがある、という書き方です。ああいう形で子どものための物語に登場させるやり方もあると思います。この作品は、ロマの難民を描くという意味では貴重ですが、私は、こういうものこそ、すぐれた質のものを出してほしいと思ってるんです。だから、そういう目で見ると物足りない。何よりも気になるのは、人物像がステレオタイプで、しかもそれを支えるリアリティが薄いということ。たとえば、冒頭でドイツの学校の先生が「この中のだれかが、クラスのお金をぬすんだのよ。クラス旅行のためにみんなでためていたお金を。これで旅行はなくなったわ」と言い、ヒルダという子が「ラミッツとメメットが犯人だと思います」と言い出すところなど、日本だってここまでひどい状況は考えにくい。ケータイ小説じゃないんだから、もっとリアルに書いてほしいものです。かわいそうなロマのラミッツという設定を打ち出したいがために、リアリティから離れてしまう。それによって、読むほうはラミッツの心の中にまでは入っていけない。それに、この作品を読んだ日本の子どもたちは、スウェーデン人は親切だけどドイツ人はひどいという感想をひょっとすると持つかもしれない。 
 訳にももうちょっと工夫がほしかった。p38には子どもの会話の中に「アルコール依存症」という言葉が出てきますが、この年齢の子がこうは言わないでしょう? 第2章ではラミッツが学校へ行かなくなっていますが、p44のお父さんの言葉をこう訳しただけでは、お父さんの複雑な気持ちは読者に伝わりません。ラミッツの親の結婚についての話でも、お父さんのバイラムは、妻のジェミーラはとても貧しい家庭の出身だったのに、ジェミーラの親が結婚に反対したとあります。それがどうしてか、よくわかりません。ジェミーラがロマではなかったからなのか、あるいは後で「はじめの部分は、ちょっと変えているけどな」とお父さんが言っているので、同じロマでも貧しいのはバイラムの方だったのか、あいまいなままです。p76の「よく気がついたな」も、会話の流れがわかりません。
 また実際にはロマの宗教は様々でイスラム教の人はむしろ少ないと思いますが、ロマのことを知らない日本の子どもたちはみんなイスラム教なのだと思うかもしれません。そういうことは、後書きででも触れてくれるとよかったなと思いました。それから、日本は極端に難民を受け入れない国ですが、そういうことも後書きで触れられれば、日本の子どもももう一つ考えるきっかけをもらえたのに、と思います。

(2016年5月の言いたい放題)