レン:志の高い本だと思いました。「こういうことを知らせたい」というのがある意欲的な作品。ただ、このタイトルはどうなのかなと思いました。足を悪くして盗みをできなくなった主人公がだんだんと変わっていくさまがおもしろいのだけれど、このタイトルだと、最初からすばらしいコルチャック先生ありきな感じがして、よい子の本っぽく見えてしまい、手にとる読者の幅を狭めてしまわないかと思いました。文章はところどころ読みにくいところがありました。「ねつ造」とか「えん罪」とか「みかじめ料」といった語も難しいなと。新聞記者志望だからかもしれないけれど、どこか唐突な感がありました。

西山:コルチャック先生というと、子どもたちと絶滅収容所で死んでいったという最期のエピソードしか知らなかったので、とても新鮮に読みました。失われたものの大きさが身にしみます。いかに豊かな生が断たれたのか。物語がどこまで書いているのかなんの情報もないまま読み進めていたので、ほんとにドキドキしながら読みました。最期の部分まで行かなかったら、その後どうなったかは、あとがきで書いてくれるだろうなとは思っていました。「戦争児童文学」で、いかに生きたかを書くことの大切さを改めて思い知らされた気がします。言葉の難しさの件ですが、「新聞派」の「記者」の言葉だから、いいんじゃないでしょうか。ごつごつしてるとは思わなかったけれど、でも、読者に理解が難しいような言葉が投げ出しっぱなしだとしたら、ほかにやりようがあったかもしれないとは思います。

スナフキン:主人公の設定からして、もっと反発する方が自然なのではと思いました。タイトルは良書感あっていいけれど、内容とはちょっと違うような……。

マリンゴ: 今回の3冊のなかでいちばん好きです。1章が短くて、負荷なく読めるところがいい。主人公が“生まれ変わった”あとの部分は、「人間が成長するためには」的なHOW TO本を読んでいるように思えてしまうところも若干ありましたけれど。物語の閉じ方(主人公はパレスチナに行き救われる)と、あとがき(コルチャック先生の不幸な末路の現実)のバランスがとてもいいと思いました。ただ、裁判を受けるシーンで、写真家くんの強い意志で裁判になったわりに、終わった後、写真家くんのリアクションが描かれていないのが気になりました。

ハル:私は、鈍感にも読んでいる途中にハッとタイトルの意味に気づいて、「翼がもがれてしまうところまで物語は進んでいくのかな、どうなるのかな」と途中からハラハラしながら読みました。主人公の少年ヤネクの成長に従って、だんだん言葉づかいも大人っぽくなっていきますよね。そのせいか、ヤネクに寄り添うような目線というか、不思議な立ち位置で読めた本でした。

ハリネズミ:コルチャック先生の、子どもの家での一面を知るという意味では、おもしろく読みました。ただ、翻訳が和訳調で、特に会話に生き生きした勢いがないのが気になりました。それと、もう少し適切に訳してほしいところがありました。たとえばp 204の「それきりでその警官のことは忘れられ」なんていうところですね。ヤネクがベイリスのことを調べていて、ジニアという少年に想いを寄せていくところとか、最後の場面なんか、いいところはたくさんあるんですけどね。ヤネクのお姉さんに対する感情のぶれとか、迷いなど微妙なところがあまりうまく訳せていないので、この子のリアリティが迫ってこない。そこをもう少しうまく訳せれば、もっとよかったですね。

アンヌ:映画になったことは知っていましたが、本で読むのは初めてです。作者はとにかく、この「孤児の家」について描きたかったのだと思います。子どもたちだけで運営される家と聞いて、なんとなくソ連時代の児童文学を思い浮かべていたら、カメラ泥棒の騒ぎの時のロージーの態度が、その頃のソ連や中国の児童文学作品の中の子どもたちのドグマティックな言動のようで、ぞっとしました。ところが、この孤児の家は、規則や言葉で縛られているのではなく、コルチャック先生の愛情で隅々まで目を配られて運営されている。その事が、コルチャック先生の爪切りの場面とか、告発の掲示板での猶予期間の長さのわけとかで、うまく描かれていると思いました。だから逆に、主人公のヤネクの人物造形や物語がうまくいっていない気もします。実家を訪ねないことや、姉の病気を聞いても見舞いに行こうとしないこととか、釈然としない感じでした。翻訳で、ヤネクのセリフが奇妙に大人びているのも気になりました。例えば、p 36のセリフ「大人は、昔は自分だって子どもだったのを、忘れちゃったんだろうか?」。これは思わず口走った言葉だから、もうちょっと単純な言い方じゃないと次のお姉さんの言葉につながらない気がしました。

ルパン:不勉強のためコルチャック先生について知りませんでした。実在の方なのですね。とても魅力的ですばらしい人物だと思います。女の子を棚に乗せて泣かせるところだけ、ちょっとなあ……と思いましたが。良い物語だと思いますが、文章はあちこち気になりました。p 54「ばれちゃったか、というふうに照れ笑いをした」とありますが、一人称のお話ですよね。「というふうに」というのは誰の目線なのでしょう。それから、p 69「とくに、貧しいと、裕福な人たちみたいにいいチャンスに恵まれないわ」のようなところ。大人が読めば文脈でわかるのでしょうが、私は子どものころこういう文に行きあたると「裕福なひとたちはチャンスに恵まれない」のか、「貧しいとチャンスに恵まれない」のか、どちらなんだろう、と考え込んでしまったものでした。ほかにもところどころ内容というよりは文章でひっかかるところがありました。テーマもストーリーもなかなか良いので残念です。

アカザ:ルパンさんにうかがいたいのですが、こういう本を子どもたちに手渡すとき、予備知識は与えないものなのですか?

ルパン:ふつうに手渡すときには、読む前に予備知識を入れる、ということは、基本的にはしないですね。ブックトークの時間であればやりますけど。

アカザ:知識があるかないかで感想も変わってくるのかもしれませんね。わたしもコルチャック先生が子どものための施設を作っていて、子どもたちが強制収容所に送られるときに、猶予の書類があったのに自分もいっしょに行ったということは漠然と知っていましたが、収容所に送られる前のことは全く知らなかったので、読んで良かったと心から思いました。事実に基づいて書かれているのだと思いますが、主人公は作者が創りだした少年なんですね。そのために、主人公の少年だけではなく、コルチャック先生もふくめて登場する人たちの心の奥底までしっかりと描けていて、とても良いと思いました。ノンフィクションで書いたら、もっとよそよそしくなるのでは? ただ、みなさんがおっしゃるように、翻訳はもっとどうにかならなかったのかと、歯がゆい感じで読みました。冒頭の主人公は、相当な悪ガキなのに自分を「ぼく」と呼んでいて、あんまり悪くなりきれていないようだし、後半は会話が説明文を読んでいるようで……。せっかくの素晴らしい本なのですから、もっと丁寧な本作りをしてくれないと、もったいない!

花散里:『子どもと読書』(2016.1・2月号)の「新刊紹介」の原稿で、「姉さんに入れられた孤児院で体罰を受け」という紹介文を読んで、“姉さんに孤児院に入れられた”ということが気になって、読んでみたいと思いました。「かけこみ所」と呼ばれる孤児院だったことが読んで分かりましたが……。作者、タミ・シェム=トヴの『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』(母袋夏生訳 岩波書店)を以前に読みましたが、とても心に残る1冊でした。本書の訳者は高校の時に外国に渡ったようですが、日本語の表現については、分かりにくいところが多かったように感じました。対象は中学生以上だと思いますが、原作をしっかりと読者に手渡してほしいと思いました。コルチャック先生について知るためにも、この物語が読めて良かったですが……。

レン:福音館のホームページでは対象は対象は小学校高学年以上になってます。

レジーナ:6年前明治大学で、国際コルチャック会議があったとき、コルチャック先生が子どもたちに「きみは何になりたいのか? 人間になりたいのか?」と問いかけた、という話を聞きました。コルチャック先生の本は日本でもいろいろと出ていますが、この本は、孤児院の子どもたちが収容所に送られる前の幸せな時代を描いているのがおもしろいと思いました。悪いことをした子どもがいたら、子どもたちが民主的に裁き、大人は子どもの自主性に任せ、信頼し見守ります。そうした環境の中で、ヤネクは人を信じることを学んでいきます。困難な時代にあっても、子どもをひとりの人間として尊重する、そんな場所があったのだとあらためて思いました。4年前ミュンヘン国際児童図書館で、『ブルムカの日記』(イヴォナ・フミェレフスカ作 田村和子・松方路子訳 石風社)の展示を見ました。作者のフミェレフスカさんはいろいろと調べた上で、煙草を吸っているコルチャック先生や、先生のベッドの下におかれたお酒の瓶を本の中で描いています。『ぼくたちに翼があったころ』でも、コルチャック先生は聖人ではなく、ひとりの人間として描かれています。装画とタイトルがすてきな本ですね。訳文はところどころ気になりました。

西山:けさ、「元少年」の死刑判決が出たけれど、更生を期して少年法で守られる必要がなくなったから、実名報道にしました、とかテレビで言っていて、この本を読んだばかりのところだったから、比べて、なんなんだこの国は、と暗澹たる気分になりました。人としてこれだけ手厚く育てようとしていることと比べて、24歳の若者を、もう良くならないから、殺すことにするって……。

(2016年6月の言いたい放題)