市川朔久子/著
講談社
2016.04
版元語録:中3の夏芽が飛びこんだのは、小さな山寺でのちょっと不思議なサマーキャンプ。人のやさしさを知る、感動作―。
シア:表紙がとても可愛かったのですが、内容はそれに反してつらいものでした。どうしようもない人や感情を「手放すこと、断ち切ること」を伝えています。でも、断ち切れるものかなとも、断ち切っていいものだろうかとも思ってしまいました。とくに雷太の母親は自分の気持ちだけで行動しています。この母親は感情で自分の子どもを捨てていきましたが、親の義務はどうなっているんでしょう。この子の法律的な立場や、将来的に高校や大学はとか、これで苦労することになるんではないかとか、いろいろと考えてしまいました。何を言っても親に捨てられたという事実は雷太には残りますので、人の関係などは法律的に切れることはあるかもしれませんが、気持ち的に切れるものでしょうか。まあ、親子って言っても、他人程度の関係しか築けない人も多いですよね。この本は児童書だけあって、子どもが納得するための本だと思いました。中高生向きですね。
西山:市川朔久子の作品はいい! 最初から、どれも好きです。今回も、気になりながら読み出さずにいたのですが、最初タイトルを聞いたときは幼年向けかと思ってました。違いましたね。市川さんの文章がまず、心地いいです。そこはかとないユーモアも随所にあって。今回も冒頭から心鷲づかみにされました。いきなり父の交通事故で、え? と思った次の文で、「横断歩道でもないところを堂々と渡っていて」とあって、なんだ? とおもしろく感じて、でもすぐに事故を起こしてしまったおじいちゃんへの横柄さに、なんかおかしいぞ、となる。この父親像が主人公の抱える問題の中心にあるわけで、もう、なんてうまいんだろうと思います。ただ、この作品に限ったことでなく最近ちょっと考えていることがあって、このうまさ――例えば、この子に何があったのか伏せて書いていく。引っ張っていく、だんだん手持ちのカードを開いていく手順は、あざといというか少々品のないやり方と紙一重なのじゃないか、と。市川さんの作品は文体からして好きなのですが、この作品は、半分は、なにが起こるだろう? っていう伏せられた真相で引っ張られた部分もある気がします。小説はどんなに純文学的なものでも、多かれ少なかれそれはあると思うのですが、その度合いが文学とエンタメの違いかなと最近考えたりしています。住職のオチのない話では、『よるの美容院』(市川朔久子/講談社)の古本屋のおやじでしたっけ、ひょうひょうと食えないじいさんが、思春期の少女が抱えて張り詰めているものをふっと解き放つ緩さがいい。状況としては重いけど、こういう隅々に軽さがあっていいですね。『紙コップのオリオン』(市川朔久子/講談社)でも感じたのですが、幼い子を、いとしいという気持ちにする描き方も好きです。市川作品には、読書の愉しみに満ちています。
まろん:表紙の可愛さからほんわか優しいお話かと思いきや、かなり思いテーマを描いていて驚きました。「自分から離れようとしているんだね。」という箇所がありますが、これは家族の問題だけでなく、学校だったり、仕事だったり、色々なものに当てはまると思います。辛いんだったら思い切ってそこを離れて別の場所に行ったほうがいいというのは、今悩んでいる多くの人たちを励ますメッセージになるのではないでしょうか。ただ、家族というのはとても密な関係であり、このお父さんは主人公から離れようとしていないので、そう簡単にはいかないのでは、と心配です。あと余談ですが、ことあるごとに「セイシュンねぇ」と冷やかす大人たちが、可笑しくて好きです(笑)
レジーナ:「主人公がこの先どうなるか心配」という意見がありましたが、私はそうは思いません。夏芽が抱える問題は、決して簡単に解決するようなものではありませんが、心の中に帰る場所があるのは、人が生きる上で本当に大きな力になります。虐待を受けた子どもは、どんなにひどいことをされても親をかばおうとしますが、この本は「許さなくていい」と子どもに伝えています。許す必要はまったくないけど、いつか折り合えるときが来るかもしれないし、状況は何も変わってないけど、この子ならきっと大丈夫、と思える結末で、子どものもつ力への作者の信頼を感じました。
アカザ:重いことを書いているけれど、さらさらと読めました。重みを感じさせない書き方が、うまいなあと感心しました。なかでも、雷太が実に生き生きと描けていますね。生命力にあふれた、かわいい男の子が、虐待をする実の父親があらわれたとたんに大人しくなってしまう。実際にそういう現場に居合わせたことはありませんが、そうなんだろうなと身に染みて感じました。いくら血がつながっていても、こんな親なら絆を切ってもいい、逃げてもいいというメッセージを、しっかりと伝えている、今の子どもたちにとってとても大切な本だと思います。読みはじめたときは、また田舎で癒される話か、うんざり……と思いましたが、いい意味で裏切られました。でも、東京育ちのわたしとしては、地方で住みにくさを感じていた子どもが、都会で癒される話も読んでみたいな!
エーデルワイス:ひりひりと、きつかった。主人公が心配です。いい大人に恵まれて再出発しそうなのですが、ストンと落ちない。もうちょっと解決策がほしかったと思いました。『三月のライオン』(羽海野チカ/白泉社)を読んでいて、漫画の方が先を行っているかもと思います。
ルパン:かなりあとになるまで、物語がどこに向かっているのかわからず、そこはおもしろく読めました。一番印象に残っているのは、川遊びのシーンです。「このきれいな水と、わたしのなかみを、ぜんぶ取りかえられたらいいのに。そしたらわたしも、香子みたいになれるだろうか。」(p91)ここではまだ、夏芽の問題は明らかになっていないのですが、自己嫌悪に陥っている中学生の少女の気持ちが痛いほど伝わってきます。結局、父親から暴力をふるわれていることが徐々にわかってくるのですが、ものごころついたときからそういう目にあっていると、「自分が悪い」と思ってしまうんですね。そこのところも良く描かれていると思います。一歩まちがえば優等生的というか、ただの「いい子ぶっている子」になってしまう危険があるのに。ただ、距離の問題が気になりました。家から遠く離れた山村で、この子は勇気をもって父親と向きあう決意をかためるのですが、このあと、どうなるのかが心配です。結局、未成年のうちはこの父親が保護者のわけだし、母親は夫に絶対服従で、この子の味方にはなってくれない。そういう環境にまた戻っていかなければならないことを思うと、やっぱり重苦しいものを感じます。
アンヌ:情景描写がよく描かれていて、私の家のお寺を思い出しました。山の上で、黒い木の引き戸がとても重くて大きくて、縁の下も高くて広い。子どもがいくらでも遊べるような広い空間がたくさんある。そこに着いただけで、少し閉塞感から抜け出せるような所が思い浮かべられます。最初から、女子高の制服を着ているだけで痴漢やぶつかってくる男たちが書かれていて、雷太の父親の暴力の場面もあるので、これはたぶん主人公の父親の暴力の問題が物語の底にあるなと、推理小説的に感じながら読んで行きました。重い小説だけれど、サマーキャンプらしい憩いの瞬間もあり、読み返しても楽しめる小説だと思います。主人公の問いかけにふと外す感じの住職のセリフや、葉介との青春場面にはユーモアを感じました。若住職の過去や美鈴さんのモラハラ体験など必要だったのかなと思いつつ、つきつめて書いていないところはよかったと思います。主人公がいい場所にたどり着いてよかったと思いながら、何度も読んでしまいました。
ハリネズミ:とてもおもしろく読みました。今回の3冊の中では、私はこれがいちばんでした。親の虐待にさらされている子どもの数は、日本でも増えているんですよね。主人公は、親に殺意を抱いたことで自責の念に駆られて、自分を信じることができなくなっている。それがサマーキャンプに来て、自己肯定できるように変わっていくんですよね。親って、生物的に親になる次の段階として、どうあってもこの子を受け入れてとことん付き合っていく覚悟がないとできないっていう話を聞いたことがあるんですけど、その覚悟が持てない親が増えてるんだと思います。夏芽は、家に帰ればまたとんでもないお父さんがいて、頼りないお母さんがいるわけですけど、もうしっかりと自分を肯定できるようになり、自分のことを「宝」と思ってくれる人もいるし、自分以上に弱い雷太を守ろうという気持ちにもなっているので、もうだいじょうぶだと思います。同じ状態に戻ることはない。タケじいが、「親子は、縁だ。あんたとこの世を結んだ、ただのつながりだ。それ以上でも以下でもない」(p235)とか、「堂々と帰りなさい。子を養うのは親の務めだ」(p237)とか「くれぐれも言っとくが、『許してやれ』とか言う連中には関わるな。あれはただの無責任な外野に過ぎん」(p238)と言ってくれたことで、夏芽はどんなに救われたことか。子どもはみんな、どんなに虐待する親でも尊敬しなくちゃいけないし、好きにならなきゃいけないし、かばわなきゃいけないと思ってるんです。だから、これくらい強くはっきり言ってもらってはじめて、違う道もあることがわかって歩き出すことができる。雷太もけなげですが、この先居場所を見つけて生きていけそうだと感じさせる終わり方です。
げた:子どもへの虐待がテーマなんですが、虐待に遭っている2人の子どもが優しい3人の大人と、ひとりの高校生に巡り合って、ひょっとしたら、救われるかもし
れない世界の扉が開いたという話ですね。サマーステイなんて、50年前に経験したことを思い出しました。もう1度体験してみたいなと思いました。夏芽にとっては、現実の状況は全く変わっていないんですよね。今後の行く末については、読者に想像させるかたちになっていますよね。父親があまりにひどいのでびっくりしました。本当に嫌味なやつです。作者は取材して話を書いているでしょうから、実際にいるんでしょうね、こんな父親。母親もひどいですけどね。「自分を生かす我慢と殺す我慢」という言葉はなるほどと思いました。
マリンゴ:とても素敵な作品でした。キャラクターが魅力的で、特に雷太、住職は、個性が際立っていました。あらすじを語らせるだけのご都合主義の会話じゃなくて、生きた会話になっているところも、よかったです。ただ、一つだけ気になったことがあって。女子校に通う中3の女の子が、高1の男の子と出会って、途中からは一つ屋根の下で過ごすようになるのに、異性を意識する描写がないのが、不自然な気がしました。男子として好きか嫌いか、まで行かなくても、父親と同性なのだから嫌悪感があるのかないのか、とか比較したりするのが自然では? で、その理由についての想像なのですが……私は、著者が意図的に恋愛パートを排除したんじゃないかと思っています。さっきの「スティーブ」じゃないけど(笑)恋愛が描かれていると、クライマックスで、読者の興味はそこに行ってしまいます。けど、この物語では、ラストで処理しないといけない要素がとてもたくさんあって、恋愛に傾くとバランスが悪くなる。だから、要素が増えないように、あえて排除した気がします。だから、すべてが片付いた後で、急に意識し始める描写が登場。そこが違和感あります。たとえ雷太と3人でも、夜、いっしょにお墓とかを歩いていたら、何かしら意識はすると思うんですけれど。
ハリネズミ:自己肯定感がない子だからでは?
マリンゴ:それもあるかとは思うのですが、やっぱり「男性」というものに対して、なんらかの感情は持つのが自然ではないかと。
アカザ:最初のほうの、通りすがりに制服を触ってくる人のエピソードを読んでも、主人公が異性に対して持っている負のイメージが感じられるけれど、それが父親に対する感情となにか重なっているのかも。そこまでは書いていないけれど……。
西山:最初に1回だけ、葉介が白桐云々言ったときに、バシンと怒ってますよね。最初にきっぱり怒って、葉介に謝らせて、この先に、通学路で寄ってくるような男たちとは完全に違う存在として葉介を書くことが可能になっているのかもしれません。
シア:罪の意識に苛まれているから、ときめいてる余裕がないんだと思います。
(2016年10月の言いたい放題)