ネズミ:とてもおもしろく読みました。気持ちよく、後味もとてもよかったです。本当の自分をなかなか外に出せないジョージに、ずっとケリーがよりそっているのもいいし、最後にお母さんが認めてくれるところがいい。悩んだり悲しんだりする、いろんな心理描写が子どもらしく納得のいく表現で描かれていて、説得力があると思いました。

レジーナ:ジョージの描写にリアリティがあって、胸がいっぱいになりました。ケリーが友だちとして支える姿もよかったし、スコットが、はじめはトランスジェンダーをゲイとまちがえたり、とんちんかんなことを言いながらも受けとめようとする場面もとてもよかったです。

リス:この本のテーマを知って、作家が創作活動を通して、どれだけ社会に貢献していることかと、改めて意識しました。タブーとなっていた、いろいろなテーマが作家によって本となり、子どもも大人も、現実世界に生じている事柄や問題に目を向けることができます。例えば家族関係や、子どもの自立性などでは、両親の離婚問題から始まり、老人問題、パッチワークファミリー……などと、家族、子ども像が変容して行くさまを。性に関わる児童書も出るようになりました。優れた児童書はいろいろな社会現象や問題について自由な目で、深く取り下げ、啓蒙的な役割を、時には積極的に、あるいは大胆に担ってくれていると実感しました。
それにしても、子どもが離婚した父親に対して、「いい人だけど、父親向きじゃない」と言うくだりに、新鮮ながらも、ある種のほろ苦い感慨を覚えました。今の子どもたちは親をそんなふうに批判できるのかと。あるいは人間の幸せのために作家が本の中でそのように言わせているのかと。さまざまな人間の生き方や考えを読者にアプローチしていく作家の姿勢が印象的でした。

西山:たいへんおもしろく読みました。トランスジェンダーの人がどういうときにストレスを感じるか、ああ、こういうことがこんなふうにつらいんだ、ということを初めて知った気がします。テーマとは全く関係ありませんが、食事の場面や、学校の送り迎えの場面で、おお、アメリカ!と思って、いやぁ食事がひどいなぁと、翻訳もので異文化に出会うというのを改めて実感しました。ひっかかったのはp94、「英語」と訳しているのは、「国語」の方がいいのでは? 子ども読者は自分たちにとっての「英語」と同じように捉えるのではないかと思うので。この作品を読んでいたとき、トランスジェンダーの多さを新聞記事で読んで、ふと、性別なんて血液型占いみたいなものじゃないかと思ったんです。血液型どころか、すべての人間を女性か男性かというたった2つの型に分けて、こういうものと決めつけるのは、ものすごくナンセンスに見えてきました。でも、世の中はまだまだ、一人一人をありのままで受け止めるには至っていないから、いかに生きにくいかを伝えてくれるこの作品はありがたいです。日本の最近の作品でも、「オネエ」とか「オカマ」とか、身をくねらせて女言葉で笑いを取るとかいう場面が結構あると感じていて、ものすごく認識の遅れを感じます。

サンザシ:「国語」か「英語」かというのは難しいところです。そもそも「国語」という表現は、国家の言語という意味で、ほかの国では使いませんから。日本の子どもになじみのある表現を大事にすれば「国語」になるかもしれませんが、異文化を伝えるという方を重んじれば「英語」という訳語にするかもしれません。

クマザサ:この本はかなりぐっときました。男の子らしさや女らしさの押しつけというある種の規範のなかで、息苦しさを感じている子は、きっとたくさんいると思う。主人公の心の揺れをていねいに追っていくところがいいですよね。翻訳もののYAなんかを読んでいると、LGBTをテーマにした本が最近はいろいろ出ていますが、同性愛をあつかった作品が比較的多くて、トランスジェンダーをテーマにしているのは珍しいと思います。動物園にいく場面も、すごくいいですね。この子の解放感がすごく伝わってきます。読んでいて切なく、苦しいところが多いけど、最後に自分らしくあることの喜びを感じさせて終わっているところに、とても好感をもちました。私は志村貴子さんの『放浪息子』(エンターブレイン)というマンガが好きなんですが、このマンガも、男の子になりたい女の子と、女の子になりたい男の子の話を描いています。ジェンダーのことや、子どもの気持ちをすごくていねいに拾ったいい作品です。ただ、こういうことを伝えるチャンネルは、マンガだけじゃなく、たくさんあってほしい。とくに子どもの本にこそ、あってほしい。そういう意味で、この本が出たことは率直にうれしいです。

ハル:すてきな本ですね。ケリーもお兄さんもお父さんも、みんなそれぞれに違う形の愛があってすごくいい。愛があふれてる。ジョージと親友のケリーは1週間ほど話せない期間がありましたが、もしかしたらそのときケリーには、ジョージの告白をどう受け止めるかという葛藤もあったんじゃないかと思います。でもそこを書かないでいてくれたことで、もし自分がこういう場面に出会ったら、こんなふうにぴょんと垣根を飛び越えて受け止めちゃえばいいんだよっていう例を見せてくれたような。LGBTだとかなんだとかあれこれ考えないで、ケリーみたいに受け止めればいいんだって。……すごくいい本だと思いました。

サンザシ:作者自身もトランスジェンダーということなので、心理描写がリアルです。ジョージの母親や兄との関係も、だんだんよくなっていくんですが、それも自然な流れで描かれているのがいい。それと、女性の校長先生が、校長室に「ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーの若者が安心してすごせる場所を」と書いたポスターを貼っていたり、ジョージの母親との面談で、「親は子どものあり方をコントロールできませんけど、ささえることはまちがいなくできます。そう思いませんか?」(p138)と言ったりする。そういうちゃんとした教育者に描かれているのもいいな、と思いました。最後のほうにジョージ(メリッサ)が女の子の服を着て女の子になって動物園に行ったときの解放感や高揚感が描かれているんですけど、私は、それほどまでに自分を抑圧しなくてはならなかったんだということを感じて、胸を打たれました。ジョージは、シャーロットの役を演じれば、家族にも自分が女性なんだとわかってもらえると思いこんでいるわけですが、そこはちょっと疑問でした。英語では女性の台詞と男性の台詞に日本語ほど差がないし、シャーロットは人間ではなくクモで見た目も人間ほど性別がはっきりしないので、そんなに効果があるのかな、と疑問に思ったのです。

げた:認識不足で申し訳ないんですけど、私はゲイとトランスジェンダーの区別がついていなかったんです。でも、違うんだってことがわかりました。そういうことがわかるってだけでもいいんじゃないかな。こういうテーマを扱った子どもの本を読むのは初めてなんですけど、もっと出てくるといいなと思いました。

コアラ:今回のテーマ(「自分ってなに? 心と体のずれのなかで」)にぴったりで、とてもよかったと思います。トランスジェンダーの子の気持ちもよくわかりました。ケリーがすごくいい対応で、本当にいい親友がいてよかったね、と思いました。なんでこんなに作者はジョージの気持ちが書けるんだろうと思っていたけれど、あとがきに作者はトランスジェンダーとあって、納得しました。あとがきには、この本の完成まで12年もかかった、ともありましたが、時間をかけただけあって、よくできていると思います。気持ちよく読めました。ジョージがシャーロットを演じた後とか、ケリーの洋服を借りるところとか、p213「メリッサは、おなかの底からぬくもりがこみあげてきて、指先へ、つま先へと、波のようにひろがっていくのを感じた。」というところとか、幸せ感がとてもよく伝わってきて、読んでいて顔がほころんできました。でも、訳は、ところどころ気になりました。p11の4行目「よお、弟」は、日本語では「弟」とは呼ばないだろうと。p38の1行目「わお、ケリー」も、英語の言い方そのままだし、もう少しうまく訳してほしいと思います。全体として、トランスジェンダーの人にどう接したらいいかがわかる本だと思いました。どんなきっかけでもいいから、子どもや親に読んでほしいし、どう接すればいいかわからないから変だと排除したりすることも、このような本を読めば、かなり減るのではないでしょうか。装丁も、読み終わってから見ると、口元を隠しているようにも見えるし、バツでなく丸の中にジョージがいるようにも見えて、深読みのできるおもしろい装丁だと思いました。

リス:表紙の白の余白が効いてますね。タイトルの中の一語“秘密”って、どんなことなのかしらと、読者の想像を駆り立てるように。私は、コアラさんがおっしゃった「弟」という訳語には違和感を持ちませんでした。日本ではあまり耳にしない言い方でも、外国ではよく使われる、ということで、訳文に取り入れれば、日本語の表現がまた一つ豊かになると思えますが。お兄ちゃんはそんな言葉使いで威張っているのでしょう。

よもぎ:とても良い本ですね。感動しました。この本を読むまでは、LGBTを取りあげるのはYAからと漠然と思っていたけれど、トランスジェンダーの人たちは、小学生のころから悩んだり、悲しい思いをしたりしているんですものね。小学生を対象としてこの物語が書かれているということに、大きな意味があると思いました。トランスジェンダーの子どもたちにとっても、そのほかの子どもたちにとっても、読む価値のある作品だと思います。作者自身の体験にもとづいているので、主人公のジョージはもちろん、お兄ちゃんやママやパパ、ケリーや校長先生も、生き生きと描けている。それから、『シャーロットのおくりもの』に全校で取り組むというプログラム、すてきですね。日本の学校でも、こういう取り組みをしているところがあるのかしら。中島京子さんの『小さいおうち』(文藝春秋)もそうですが、こんなふうに名作を下敷きにしている作品って、なんともいえないハーモニーをかもしだして、感動が倍増されますね。ただ、日本の子どもたちは「シャーロット」を読まないうちにこの本を読むと、なんというか、もったいない気がするけれど……。

アンヌ:題名に引かれて手に取って、何度も読み返しました。誰かとこの本について語り合いたかったので、ここで読めて嬉しいです。なんといってもこの本には、トランスジェンダーである苦しみとともに、ジョージの喜びについて書いてあることが素晴らしい。女の子としての自分を想像するときのジョージの幸せな気分、「ごきげんうるわしくていらっしゃる」という言葉から浮かび上がるシャーロットの象徴する女性像に憧れる気持ち、舞台でシャーロットを演じる時の役者としての喜び。そして、女の子の服を着てお出かけをするという喜び。普通ならお芝居の場面ぐらいで終わるところですが、この最終章があるのが重要なのだと思います。ここを読むと、トイレの問題が描かれていて、今アメリカで問題になっている「だれでもトイレ」などの必要性もわかります。親友のケリーだけではなく、ゲイと勘違いはしているものの、父や兄も見守ってくれているところに、学校でつらいことがあっても見てくれている人はいるんだよという作者のメッセージを感じます。その他にも、メッセージを感じるところは多々あって、p54のトランスジェンダーの女性がテレビで語る場面で「手術をして取りたいのか、取っているのか」と訊かれるところ。これは、p157で兄もジョージにたずねますが、ジョージのこれからの人生で何度も訊かれる事を、「それは自分と恋人以外の誰にも関係ないことだから答える必要はない」と知るのは重要だと思います。さらに、ホルモン抑制剤のことも2回出てきます。この本が、小学校3、4年生が対象なのは、思春期前の間に合ううちに子供たちにそのことを知らせたいからだと思います。トランスジェンダーの問題は多様です。体を変えなくては生きていけない人もいれば、異性の服装をすることによって解放されて生きていける人もいる。恋愛対象も様々です。ジョージの恋の対象がまだわからないと書いてあるのも、自分で選べる時まで決めつけなくていいんだよという、メッセージだと思います。感動して『シャーロットのおくりもの』(E.B.ホワイト作 さくまゆみこ訳 あすなろ書房)も読み返したのですが、ここで描かれる農場で繰り返される生と死の物語に託して、作者はジョージに短い生の中で、幸福にせいいっぱいに生きて欲しいという気持ちを表したかったのだと思いました。

ルパン:これは、何かすごい迫力のある作品だな、と思いました。この主人公は、「女の子になりたい」とはひとことも言っていないんです。「自分は女の子なんだ」って言いきってるんですよね。自分が信じていることを理解されない孤独感や苦しみもしっかり伝わってきます。動物園のシーンでは、初めて身も心も女の子になれた喜びが描かれていますが、この先のいばらの道を思うと読者としては手ばなしに「よかったね」と言えない気もしました。そういうことも覚悟のうえで自分を解放したということでしょうか。やっぱり真に迫るものがありますね。『てんからどどん』(魚住直子作 ポプラ社)はスカッとした清涼飲料水でしたが、これはあとあとまで残るコクのある飲物のようでした。

サンザシ:この子の将来は決して楽ではないと思いますが、それでも、理解してくれる人がゼロから複数人に増えたんだから、希望のある終わり方なんだと思います。

ルパン:アメリカ人の友人が、自分の息子が「女の子である」ことを早くから認めて、5歳くらいからsheと呼ぶようになったんです。服装もスカートやドレスで。男の子なのに女の子として生きさせることにする、と親が決めるのは早すぎる決断だ、と今までは思っていたんですけど、この作品を読んだあと、本人が実際にこのように感じているのであれば正しい選択だったのかもしれないと思うようになりました。

カピバラ:アメリカではラムダ賞やストンウォール賞など、LGBTを取り上げた本に与えられる賞もあって評価されているけれど、日本ではまだまだ手をつけていない分野です。この本は多様性を理解する本としてすばらしいと思いました。LGBTに限らず、人間関係の中で、思い込む、決めつける、ということがどんなに理解をせばめているか。そこに気づかされるところがいいと思いました。またこの本の読み方は2通りあって、ジョージと同じような子どもが読む場合と、それ以外の子どもが読む場合が考えられます。前者の場合、トランスジェンダーといってもいろんなケースがあるので、全部に共感するわけではないかもしれませんが、細かい部分の描写がリアルなので共感を得られると思いますし、後者の場合も、知らないことを知る、理解することができると思います。どちらもある程度成功しているといえるんじゃないでしょうか。

さららん:トランスジェンダーの人たちに対するテレビのドキュメンタリーで、「シスジェンダー」と言う言葉を使っているのに出会いました。「生まれた時に割り当てられた身体的性別」と「自分の性自認」が一致している人を指す言葉だそうで、こういう言葉ができたこと自体、すごい進歩ですよね。私たちが当たり前だと思いこみ、その当たり前を要求することが、トランスジェンダーの人を傷つけていく。異質な者を差別する根の深さと、理解することの困難を改めて思いました。トランスジェンダーとは違いますが、同性同士で結婚できるオランダでも、性のあり方の違いが受け入れられない人はまだまだいて、ひそかな偏見は残っています。この作品は、みなさんの言うとおり、子どもたちにトランスジェンダーを届けるのに、とても良い物語でした。ただp33の「午後の短い影が、大通りを走るジョージの前をすすんでいく」など、自然描写の訳にややわかりにくい部分があり、惜しいな、と思いました。

エーデルワイス(メール参加):新訳の『シャーロットのおくりもの』は私も大好き。シャーロットの気持ちを思って涙を流すジョージが素敵です。この作品を題材にした小学校での授業はいいですね。それだけアメリカでは普遍的な物語なのですね。小学校の劇でもオーデションをするところがさすが! ジョージがシャーロットの訳を熱望するところが胸を打ちます。ジョージの心の動きが丁寧に書かれていて、トランスジェンダーを理解する1冊だと思いました。親友のケリーと兄のスコットがとてもいい。トランスジェンダーで悩んでいる多くの人にもケリーとスコットのような人たちが寄り添ってくれますように・・・。「親は子どものあり方をコントロールできませんけどささえるこれはまちがいなくできます」と、ジョージのママに校長先生がいう言葉は名言だと思います。

マリンゴ(メール参加):とても興味深く読みました。私自身が、いわゆる「女子力」が低いこともあり、そこまでスカートを履きたい? そんなにお化粧したい?など、若干、ぴんと来ないところもありましたが、著者ご自身が、トランスジェンダーなので、説得力があって、ああ、そうなのかなと納得した次第です。p191で、雑誌の入った手さげを、そのまま返してもらえるという、効果的な小道具の使い方が、とてもいいなと思いました。

(2017年3月の「子どもの本で言いたい放題」より)