『きのう、火星に行った。』
笹生陽子/作 廣中薫/画
講談社
1999.06

<版元語録>おれの名まえは山口拓馬。六年三組。趣味は、なんにもしないこと。特技は、ひたすらサボること。そんなおれに、とつぜんやってきた、…とことんついてない日。

もぷしー:ひとことで言えば、発想が奇抜でおもしろかったです。火星に行く話でもないのに、タイトルに「火星」が使われているのも、印象強いし。主人公の拓馬って、私が思っている現代っ子にぴったりはまりました。冷めてはいるけど、本当は熱くなるのもいいことを知ってて冷めてる子ですよね。どんなことでも、先に結果が見えてしまう頭のいい子。対照的な努力家、でくが出てきて、影響されて成長していくのも安心して読める感じ。弟に関しては、悪い意味ではなくて、キャラクターが想像しにくかった。無邪気でもないのに子どもらしいっていうのがちょっとわかりづらい。お兄さんの目で書かれているからかな? そう魅力的には感じられなかったです。信じる力とか、熱い気持ち、メッセージって、昔と変わらないテーマですよね。タイトルが『きのう、火星に行った。』てなってるのは、信じてなかったものを信じられるようになったってことでしょうか。p129のビデオのナレーションに「地球を生きた星と呼ぶなら、火星はまさに死んだ星です」ってあるけど、干からびてしまった姿が、主人公に重なってるのかなと思いました。生命力ある地球に対して、死んだ火星が自分だったのかということなのかと。

アサギ:私も楽しく読めました。主人公の年代は、私にとってはるかに昔だけど、リアリティが感じられたわ。全体にすごく感じがいい作品だけど、唯一不満なのは、主人公が勉強もスポーツも何でもできるってとこかしら。はたして対象年齢の小学生にも共感できる本なのかしらね。同世代だったら、優秀な子には、もしかしたら共感を持ちにくいかも。名前の呼び方で、ところどころフルネームが入るのが気になったけど。欧米文学の特徴だと思ってたから。

何人かの声:仲間うちで、いつもフルネームで呼ばれる人っていますよ。

愁童:前に読んでいて、今回あらためてまた読んだんだけど、最初の時の方が印象良かったな。文体、いいですよね。切りこむ感じ。最初読んだ時は、火星に行ったと言う部分が違和感なく読めたんだけど、今回読んだら、何もひっかからなくてすべっていっちゃうのが気になった。アサギさんがいったフルネームで名前を書くっていうの、ぼくは違和感を感じたな。名前と作者が描いている少年のイメージが重ならなくて・・・。

アサギ:それはフルネームということではなくて、「拓馬」という名前が違うんじゃないかしら。

愁童:そうかぁー。名前がトータルなキャラクターをひっぱってこないんだよね。あと、6年生の男の子だから、かなり男っぽいはずなんだけど、感性的な部分での反応が、ちょっと違うなあなんて思っちゃったな。この子の、達観していて屈折したところが、なぜ出てきたのかが書かれてない。必然性がわかりにくいんだよね。でも、ちょっと屈折してる男の子書くの、この人はうまいね。『ぼくらのサイテーの夏』(講談社)もおもしろかったし。

オカリナ:愁童さんは必然性が書かれてないと言ったけど、私は、今の子はこれがふつうなんじゃないかと思う。ふつう、能力があって冷めてるという子は、なかなか書きにくいんだけど、これはちゃんと書けてるし、おもしろい。カニグズバ—グの『クローディアの秘密』だって、主人公は才能があるけど白けてはいない。その白けてる子が、最後は熱くなったところで終わるから、出来すぎの感もあるんだけど、子どもの本としてのおさまりもいいし、読後感もいいんじゃない! こういう文体って、創作ならではね。弟は特殊な感じだけど、特殊な環境におかれてたってことを考えれば、いるかもしれない。最近読んだ中では、ダントツにおもしろい本の1冊でした。

紙魚:私は、主人公がそんなに冷めてるとは思えなかった。よく、今の子は冷めてるとかって言われるけど、こういう子が冷めてる子だとしたら、まだまだ情熱あるじゃない!と思っちゃった。「静かなる情熱」という印象。表に出なくても内に秘めてるとすれば、それは情熱家でしょう。拓馬に、つぎからつぎへと言いたいことを並べられてるみたいだった。確かに、愁童さんが言っていたように、考えさせられるひまがなくて、ひっかからないんだけど、むしろそれがすがすがしかった。走りぬける爽快感があった。

トチ:最初から作者は、意識して冷めてる子を書きたかったんじゃないかな。弟にリアリティが無いという話もでたけれど、私はそうは思わなかったわ。ただ、文体に迫力があるというところだけれど、口数が少ないという設定の登場人物に、地の文で饒舌に語らせるというのは、難しいという感じがしたけれど。

オカリナ:口数が少ない子のほうが、心の中でいろいろ考えてるんじゃない。

トチ:たしかにそうだけれど、特に初めのうち、キャラクターをつかみにくいところがあったの。

愁童:駅ビルに、弟を置いてきちゃうところがあるでしょ。おやじに殴られるところで、男親との確執みたいなのがもうこの年代では強いからね。冷めてるライフスタイルの子が、一発殴られて、なんで素直になっちゃうのかなとは思うよね。心の機微みたいなのが、物足りなかった。文体にもおされちゃうし。でも読者としてはここで殴られると、それまで溜まったストレスみたいなのがスパっと解消される。そこは、うまいよね。

チョイ:優等生でいることって、学校でも会社でもめんどくさいことなんですよね。そのめんどうを避け始めると、そのスタンスに馴れてきちゃって人生全体がつまらなくなってくる。現実のめんどうくささの避け方を早々と身につけた、こういう子どもを主人公に設定するのは、おもしろいと思った。弟は、体が弱かったゆえに想像力を駆使し、人生を自分でおもしろくしていく術がなかったら生きてゆけなかった。お兄ちゃんは順調で、ある種の優等生で、何をやってもそこそこ器用だから、弟と逆に、人に期待されることでめんどうになるのを避けていく生き方を、身につけてしまったんでしょうね。ただ、この作品では、兄は弟たちに影響され、変化していくんだけど、弟の方は、はじめから出来すぎているっていくか、あまり変化しない。そこがちょっと物足りなかったかな。このタイトルは、「とにもかくにも人生は自分でおもしろくしなくっちゃ」っていうことの象徴かな。フルネームを多用する手法は、皿海達哉さんや、日比茂樹さんたち、「牛」の同人がよくやりましたね。フルネームにすると、書き手と登場人物の間にある距離感が出て、作品にクールな印象が生まれるような気がします。

ねむりねずみ:今回この本をとりあげたのは、前に読んでかなりおもしろいなと思ってたので、みなさんの意見をうかがいたかったからなんです。この会に参加するようになってから、勉強しなくちゃと思って、児童書を山積みにしてばーっと読んだなかで、ひこさんの『ごめん』とこれが心にひっかかってて。まず、主人公の設定がいいと思ったんです。この子のつっぱり具合とかもいいし。私は小さいころ病気がちだったので、へろへろしながら頑固な弟も、とてもリアルだと思いました。私が子どものころも、冷めた子はいたし、現代っ子だって、何も考えてないということはないと思う。あくまでも冷めたポーズをとってるだけじゃないかな。情熱っていうより生命力の問題だと思うんです。今の子どもたちは外部からの刺激が多くて、大人との関係も昔とは違うでしょ。一人っ子も多くて、大人に注目されることも多いし。そういうなかで自分の生命力を守るには、ガードしないとやっていけないんじゃないかな。

(2001年06月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)