『ママは行ってしまった』
クリストフ・ハイン/著 松沢あさか訳
さ・え・ら書房
2004
原題:MAMA IST GEGANGEN by Christoph Hein, 2003

版元語録:まぶたにうかぶママの顔は、いつも笑っています。笑うことしか知らないみたいに。もう一度、生きているママにあえたら! でも、ママも、ママの笑顔も、この世にはもどってきません。

アサギ:この作家はドイツでは純文学で有名で、ふだん児童書は書いていないのね。原作も最初は大人の本として出されて、そのあと子どもの本として出しなおしたみたい。作品自体はおもしろく読んだんだけど、ものすごく古い感じがするのは、この作家が東独出身ということと関係があると思う。西側世界からみると、数十年昔の感じがするわね。上の兄のカレルは15歳でガールフレンドができて、弟や妹が「あの二人はキスするのかどうか」を話題にしてるけど、西独では、十数年前から、生理が来たらコンドームをもたせるよう学校で女の子の親に指導しているくらいですからね。
ところどころ好きな文章がありました。たとえば、大司教がピエタを見にきて、彫刻については一言も発しなくても、はじめからおわりまでその話をしていた気がするというところなんか、印象に残りました。文学性を感じましたね。それから、作品の中でくりかえされる「悲しめることの幸せ」って真理よね。訳は、気になるところが、ちょこちょことありました。パパは大司教のことを「あんた」と呼んでるんですけど、これはduを「あんた」と訳してるんだと思うんですね。だけど、二人称のduとSieについて言うと、これは間柄の距離が近いか遠いかをを表すものなので、duを機械的に「あんた」と訳すとおかしなことになります。それから、ママもパパも10歳の主人公の女の子に対して「わたし」という一人称を使ってますけど、これも、どうなのかしら? 145ページの「宿屋兼食堂」っていうのは「旅館」のことでしょうね。

トチ:いかにもベテランらしい、手馴れた書き方で、死をどう受容していくかを書いた作品ね。幸せな仲の良い家族で、父親は腕のいい職人だし兄たちは成績優秀。世間的にも認められていて経済的にも安定していれば、こういう理想的なかたちで死を乗り越えていけるわよねと、ちょっと意地の悪い見方をしてしまったけど。安心して読めるし、子どもたちもしみじみと読むのではと思ったけれど、新鮮な驚きはない。今の世界とか、今の児童文学と少し離れたところにある作品ね。おもしろかったのは、父親が、亡くなった母親に子どもたちを会わせないところ。日本では考えられない場面で、こういう文化の違いとか、考え方の違いを知るというのも、翻訳ものを読む楽しさよね。ですます調のやさしい語り口で書いてあるけれど、ところどころ難しい言葉や、難しい考え方も出てきて、主人公の女の子の年齢や、対象とする読者の年齢をどの辺に置いているのか分からなくて、とまどってしまった。兄のパウルが主人公のウラに対して「そんなことないはずだがな」(p.45)と言ったり、ウラの友だちが「わたし、泣けてきちゃうの」(p.34)なんていうところは、子どもの会話らしくないなと思いました。

:1月にお母さんが死んでから11月くらいまでの話になっていますけど、お母さんを失った喪失感みたいなのがあまり感じられませんでした。『ミラクルズ・ボーイズ』(ジャクリーン・ウッドソン著 理論社)では、子どもたちが母親を亡くした悲しみが切ないくらい伝わってきたけど、この作品からは、ひとりひとりの悲しみが迫ってきませんでした。台詞が長くて、教会で牧師さんのお説教を聞いてるみたいに感じました。大司教のキャラクターはおもしろいとは思ったけれど、全体に淡々とした日記を読んでいる感じ。「お相伴する」とか「お対のデザイン」なんていう言葉が出てくるので、よけい古い感じがするのかもしれませんね。

紙魚:確かにリアルな生活や家族が描かれている作品ではないけれど、死をどうとらえるか、どう乗りこえていくかという問題をわかりやすく書いているという点では、作家の志のようなものを感じました。死と芸術、家族と再生の物語が、この子たちの時間を追って生活の中で描かれています。生活を読むというよりは、生活に意味をあたえるという作品だと思います。ひとつひとつの実際の死を細かに書いていくと、リアルな悲しみを感じすぎてしまい、死について思索する間をあたえてもらえない場合もありますが、ゆっくり読むことができ、それが、この家族たちのゆっくりとした一歩ととらえることもできました。それから、芸術についての記述はうなずける箇所が多かったです。ただ、本文中のカットと表紙の絵が合ってないような気がしたんですが。

アサギ:これ、カットも表紙の絵もズザンネ・ベルナーっていう、アンデルセン賞の最終候補になった人が描いてるのよね。絵本作品とは、また違う趣だけど。

ケロ:私は、このカットは父親の作る彫刻をイメージさせていると思って、しっくりきました。『タトゥーママ』とは、リアリティという点でまったくちがうけど、現実感のなさに、いやな感じは持たなかったです。それは、家族が意見交換するひと言ひと言が、じっくり読め、心に響いたからだと思います。この作品は、そのひと言ひと言を言いたいがために書かれているようで、ある意味、哲学的な本ですね。とくに、司教さんの言葉で、「あんたたちは、ママがいなくなって不しあわせだとおもっている。だが、かんがえてごらん。それはあんたたちが以前にとてもしあわせだったからだよ。わたしは妻や子をうしなうかなしみをあじわうことはない。しかし、そのかなしみを手に入れることができるものなら、わたしはあるいは、どんなに高い代償でもはらうかもしれない」と言いますけど、この言葉はこの家族にとって大きな励ましになっていると思うし、読者の心にも響くと思います。気になったのは、登場人物の年齢設定。ウラは、まだ人形遊びをしているなど、ちょっと10歳とは思えない。どういうことなんでしょう?

ハマグリ:出たばかりのときに読んだんだけど、ものすごく印象がうすい本でした。作家に言いたいことがあって物語にしたのだろうというのはわかるし、悪い感じはしないんだけど、あまりおもしろみが感じられなかったし、子どもたちににすすめたいという気も起こりませんでした。主人公はたしかに10歳の女の子にしては、幼く描かれていますね。一文一文が短い文章は原文に忠実に訳されているんでしょうが、そのせいか文章全体も幼い感じを受けました。お父さんがピエタという芸術作品をすばらしい出来に仕上げるということが最後のキーポイントになっているんだけど、芸術作品の良さを文章に表わすというのは難しいことなので、どんなにいい作品なのかがよく伝わってこなくて、残念でした。

むう:なんか古めかしいなあという印象でした。温かい家庭が悪いわけじゃないし、身近な人の死の悲しみをどう乗り越えるのかを書くのも結構だと思う。ピエタ像に微笑みを入れることで最後に宗教的なイメージに昇華していくのもなるほどなあと思うんだけれど、なにしろ心に迫ってこない。ふうん、そうなんだ、という感じ。すてきだなと思う台詞があるにはあるけれど、人間が悲しみを乗り越えるときというのは、そういう言葉のすばらしさで乗り越えるんじゃないと思う。もっとデリケートな細かいことの積み重ねがあって、やっとコトリと落ちるようなものでしょう。なんだか、さらっと読めてしまって後に残らない本だった。

愁童:ぼくもあんまりおもしろいとは思わなかった。数学の公式集を読んでいるような、ごくあたりまえのメッセージ。オリジナリティが感じられない。筆力でキャラクターを描ききると言うより、ストーリーの枠組設定で読者の中に誘発される喪失感や同情心に寄りかかって勝負しているような感じを受けた。作者の関心が、母親を失った女の子にあるのか、妻を失った職人の方にあるのか、どっちなんだ、なんて思った。どうでもいいような部分で、説明しすぎだったりして、訳文の影響もあるかもしれないけど、あまりぴんとこなかったな。

アカシア:さっきトチさんが出来すぎの家族って言ってたけど、実はそうでもない。上のお兄さんは買い物にいっても何を買うべきか忘れちゃうし、下のお兄さんもオリジナリティがありすぎて社会に適応できなさそう。お父さんのところにも、ガールフレンドがたくさんくる。どうも、そんなにパーフェクトな家族でもない。
日常の出来事が淡々と描かれているのは確かだけど、けっこう味わいが深いな、と私は思いました。お父さんが妻の死を乗り越えていく姿を見て、ウラが自分も乗り越えていこうと思うのも、ちゃんと伝わってきた。私もウラは幼いとは思ったけど、作家が東独の人だと聞いて納得しました。統合後はどうなのかわかりませんけど、以前の東独の人ってとっても純粋で、すれてなかったから。今出ている作品の多くはもっと刺激が強いから、これを読むと淡々としすぎて印象が薄いという感想につながるのかも。でも、ママの墓石には名前と生没年しか書いてないけど、「パパも子どもたちも、そういう気持ちは大きな字で書いてみんなに知らせることではない、とおもったのでした。だって、墓石はメガホンではないのですから」という表現とか、お兄さんたちの性格の描写とか、パパがウラに「おまえがなにを見つけだすか、おまえ自身とおなじように、どきどきしながら待っているよ。でも今からもうわかっていることがある。ウラはきれいで、かしこくて、勇気のあるおとなになるんだ。ママとそっくりにね。それをママは、ちゃんとおまえにプレゼントしてくれたのだから」と言うところとか、なかなか味わいがあります。大傑作とはいえなくても、ちゃんと文学を書いている作家ならではの作品だと思いました。

トチ:最初は大人向けの作品として書かれたと聞いて、なるほどと納得したわ。淡々とした日常を綴っていくうちに人生の奥底が見えてくる・・・・・・日本で言えば庄野潤三のような味わいのある作家なのかも。

愁童:司教をフレンドリーな性格として描こうというのは理解できるけど、キルスト教文化の中では、司教様と普通の職人とじゃ身分がちがうんじゃないの。そのあたりの微妙な上下感覚が感じられる訳になってないのが残念。

紙魚:お兄さんたちがそれぞれユニークなのに、会話にそのおもしろさが出ていない。

:葉巻がよく出るのには何か意味があるの?

アサギ:ドイツでは昔おみやげというと、その家のお父さんには葉巻、お母さんにはバラの花束、子どもにはチョコレートっていうのが定番だったの。いちいち考えなくていいから、楽だったのよ。

カーコ:私ははじめつまらなくて、読み進むのがすごくつらかった。でも、全体としては、女の子の心理描写が今回の3冊の中ではいちばん細かく書かれていて、いい本だと思いました。じゃあ、なんで読みづらかったのかなと考えると、それは主人公に視点が定まっていないからじゃないかと思うんですね。だから、トチさんが言ったように、誰に向けに書かれているかわからないという印象にもなってしまうのでは? 家族が言葉でお互いの気持ちを説明しあうところは、あいまいな表現を好む日本人と対照的ですよね。お母さんが亡くなったあと、だれもかれもが同情してくるのに違和感を覚えるとか、バカンスの初めにお兄さんがお母さんの決まり文句を言ってしまって気まずくなるなんていうところは、一家の心情を浮き彫りにしているエピソードですね。最近はストーリー展開ばかりで読ませる本が多くて、こういう作品は少なくなっているような気がします。

(「子どもの本で言いたい放題」2004年12月の記録)