愁童:今回は選書の妙。対照的な作品が読めて興味深かった。『平成マシンガンズ』は小説としておもしろくない。本人の感想はわかっても、相手の像がきちんと読者に伝わるように書かれていないので、綴り方風身辺雑記みたいな印象しか残らない。『ジョナさん』に比べると格段の差を感じたな。

カーコ:苦手でした。うちの子がちょうどこのくらいの年齢で、こんな言葉づかいで暮らしているんですけど、それを作品にするとこうなるかという感じ。まず後味が悪いんですよね。『ジョナさん』は、理解しようという方向性が全体にあるのですが、こっちは否定したところから始まり、ずっとそのまま。どんどんつながっていく文章はおもしろいと思ったけれど、何度読んでも意味がわからない箇所があちこちにありました。

紙魚:感じが悪いですよね。でも、この感じの悪さって、この年齢独特のもので、そればっかりはしっかり伝わってきました。中学生って、何かが足りないという気持ちと、何かをもてあましている気持ちを同居させている面倒くさい年ごろだと思うのですが、そのあたりもよく出ていた。ただ、表現は幼い。言いっぱなしという感じ。独白を読まされているようで、後味も悪かったです。誰かをことさら強く撃ってはいけないというのは、新しく感じました。

アカシア:文学というより、中学生の女の子がブログにでも書いたことをつなげているようなものですね。文学作品として評価することは、とてもじゃないけどできません。内容にも文体にも新鮮さを感じないし。よく賞を取りましたね。人物造形が薄っぺらすぎる。文学を書くということは、書く技術と書く内容が必要なのだけど、この人にはまだ足りない。これは子どもが読むものではなくて、大人が読んで子どもはこうなのかなと思う作文でしょうね。

アサギ:amazonで見たら評判が悪かったですね。売らんかなの小説という印象は否めない。読後感もよくない。句点をつけずにだらだら書くのは、とりとめのなさを出したいのではないかしら? 文体自体はちがうけど、金井恵美子なんかもこんなふうにえんえんと書きますよね。でも句点なしで書いてわかるって、単語の並べ方が正しいのよね。村上春樹のフィッツジェラルドの翻訳を読んだときに点がないのに驚いて、ああ、語順が正しいとつけなくてもすむのかな、と思ったことがあります。だから自分で翻訳するとき、読点をつけなくてもすむ文章を目標にしてます??むろん実際には視覚的に読みづらいので、つけますが。主人公が愚にもつかないことでハブられていくのはリアリティがあったわね。ただ、現実がこうなのか、それとも作家や評論家が中学生ってこうだよね、と言っていることに作者が無意識に寄りそってしまっているのか、それはわからなかった。

アカシア:でも、いじめの描写は、これまでにもいろいろ書かれてるわよ。大体たいした理由もなくシカトされるのよ。現実もそう。

アサギ:ただ、ひとつ、現役中学生が発するという重みというか説得力がある。

愁童:迎合的な感じがするな。作者自身の痛みや悔しさが作品を書くバネになっているようには読めなかった。いじめられて「私のせいじゃないよね」みたいなメールがたくさんくる部分なんか、オジサン向けにはいいだろうけど、今時の中学生のシカトの現実の冷酷さみたいなものを、この作者は理解してないんじゃないかな。

アサギ:でも、あのメールは熱い関係を表してるんじゃなくて、自己保身じゃないのかしら。相沢くんと彼女とは状況がちがったのかな、という気がしたけど。メールがきたのは友情からじゃないんじゃない?

むう:先生が、最初に出てくる不登校になった男の子の時と同じように、みんなを集めて何か演説したとか、そういうことがあって、みんなこれはやばいと思って、それでメールを出したのかと思ったけれど。先生に対しては悪意がある書き方ですよね。全然教師を信頼していなくて。

アサギ:読後感はよくないけど、これも現実かなと思ったの。

むう:『蛇にピアス』(金原ひとみ)を読んだときに感じたのと同じような後味の悪さでしたね。若い人が、自分の感じているいらいらをなすりつけたのを読まされているような感じ。この人の場合は、ある程度書けるから、なすりつけている感じはぐっと読者に伝わってくる。ただ、大人が子どものいらいらを書くのと、その年代の子がいらいらをなすりつけるのでは、本質的に違う気がする。だって、本人にはいらいらをなすりつけるしかないから。そういう意味で、こういう本に賞をあげてもてはやしている大人の視線に、見せ物を見るのと同質なものを感じて、不愉快だった。子どもの大人に対する不信感は、一つには今の大人たちに原因があるのに、それを棚に上げている危うさを感じます。子どもが大人を全く頼れないという点は、フィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』に似たものを感じたけれど、立場が全く違うから。大人が子どものことを書くときは想像力が必要だけれど、子どもが子どものことを書くときは、文章力は必要でも、想像力はどうなんだろう?

アカシア:中学生のころって、人間は不愉快な存在だって思う年代でしょうから不愉快なことを書くのは当然なんだけど、もっとうまく書いてほしいな。文学として成立するように書いてほしい。

むう:でも、それなりに力があるから、嫌な感じも迫ってくるんじゃないかと思うけど。

アサギ:とにかく「史上最年少」とつけたかった意図が見えるような気がする。

アカシア:今は毎日ブログ書いてる子もたくさんいるんだろうから、この程度なら書ける子はいっぱいいると思うけどな。

ミラボー:心理的にうまく泳いでいたのに溺れてしまうあたりは、うまく書けていた。そのなかの現場にいる人が、現時点で書いたのかな。家庭環境で異常な状況をつくりだして、そのなかで中学生の女の子が感じていることを書いたんでしょう。

ケロ:自分がおかれている危ういバランスを書いているという意味では上手だなと思いました。たまった悪意などの迫力を感じましたね。ただ、まわりの人がどれだけ書けているかというと、キビシイですね。特に、お父さんに関して感じました。最後のシーンで、お父さんとこんなに会話ができるのなら、前半の苦労はなあに?という感じです。もっとえげつなく書いてもいい部分もあるだろうし、中学生であったとしてももっと客観的に書ける人はいるだろうな。夢に出てくる死に神は、出刃包丁とマシンガンを持っているのだけれど、マシンガンと用途が違う出刃包丁は、なんの象徴なのかしら?とか、ふつう作品を読んでいると考えながら読み進むのだけれど、そういうことを真面目にしていると疲れる作品。それが心地いい疲れではないのが、読後感の悪さということなのかな。

ブラックペッパー:今回は、3作品とも気乗りがしませんで、なかなか読む気にならなかったのですが……この本は楽しくなかったですね。後味が悪くて、どんよりしてしまいました。前に「王様のブランチ」で松田哲夫さんは絶賛していたのですが、おじさまは、こういうの好きなのかな? 中学生が書いたとは思えない作品。いい意味では文章が上手っていうことなんだけど、あんまり新鮮さもなくて、「今の中学生ってこうなんだ!」っていうような発見もなかった。こういうお話だったら、やっぱり山田詠美の『風葬の教室』がいいなあ。

アサギ:山田詠美は、とっくに中学時代を乗り越えて書いているわけでしょ。渦中にいるときは距離をもって見るのは無理よ。

アカシア:でも出て来るおとなが人間として書けてなくて、どうにも類型的でつまらない。大人社会への攻撃性みたいなのを書いてもいいんだけど、なるほどと思わせるだけの力がないのは残念。

ブラックペッパー:均等に撃て! というのはおもしろいなと思ったけど、でもそれも夢だから……。

愁童:今では死語になっちゃったけど、これって「私小説」だよね。選考会では、こんな若い子が「私小説」風な作品を書いているということで評価されたのかな? でも、同世代の子には読まれてないみたいですね。『ジョナさん』は、ぼくの地元の図書館ではずっと予約20人待ち状態が続いてるけど、こっちは予約ゼロで、すぐ借りられたし……。

ブラックペッパー:これを読んでよかったと思う人がいるのかな? 問題も解決しないし。

愁童:部分的には光るところも確かにあるんだよね。

アサギ:まわりのことが書けていないというのは、逆にリアルに感じたわね。

うさこ:年齢というよりも作家の技量として書けないんですかね。

ブラックペッパー:私はわざとそうしているのかと思いました。だって、父親や愛人の描写はスゴイ。

カーコ:選考委員の斎藤美奈子さんは、家族の部分になると急にうそっぽくなると評しています。確かに、いじめなら重松清の方がずっと、それぞれの心理に迫って書いていると私も思いますね。

アサギ:だいたいこの年齢では、分析できないものだと思うけど。

愁童:主人公以外の登場人物の造形が貧弱だから、小説としてはおもしろく読めないんだよね。

むう:感じたことを、そのままを書いちゃってる感じ。小説というのは、自分を離れたところに置かないとかけないと思うけど。前にも議論になったことがあるけれど、子どもの視点で書くと、設定年齢によっては、描写が限定されて、たとえば人物描写に深みがなくなったりすることがある。この作品にも、それに通じる薄さがあると思う。

アカシア:読者対象はどの辺なんだろう?

小麦:インターネットのブログなんかでは、同世代の子の「才能ある作家が出た」とか「これは読まなくては」なんて熱狂的な意見も、あることはありました。

うさこ:読後感は消化不良という感じです。主人公はちょっと背伸びし、大人ぶった冷静な味方や自己分析しているわりには、母に向けた言動や父へ抱いている感情やクラスでの友人への対応は、ことのほか幼いなあ、という印象でした。まあ、それが等身大といえば等身大なのでしょうか。こんなに冷静に(いや、冷静を装ってる?)まわりを見ることができるのであれば、問題のある家庭や学校でももっと違う立ち位置を築けたのではないかなと思いました。結末は単なる逃避行という感じで「なんだあ、こんなラスト…」と不満が残りました。夢の中の男、マシンガンなど、ある象徴ではあるけれど、一つのアイテムレベルに終わっているのがもったいない…。

小麦:これって系譜としては『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー)と同じだと思います。大人が汚く見える年齢の主人公が、ひたすら悪態をつくっていう。でも大きく違うのは『キャッチャー……』には、希望やホールデンなりの信条がある。たとえば妹のフィービーのことを語る箇所なんかは、文章中にやわらかい感情が満ちていて、ホールデンが確かな拠り所としているものがあるんだなと、読んでてうれしくなる。でも、『平成マシンガンズ』には全頁を通して希望が感じられず、嫌な閉塞感が最後まで残りました。出てくるのがみんな嫌な人ばかりで、主人公にも好感が持てず、小説としては魅力がなかった。帯に書かれた錚々たる方々のコメントを読んで、本を買うときは胸躍りましたが、実際に読んでみると「うーん……」と正直、しらけてしまった。文学賞が話題作りの一環になってないかな、という思いと、若い才能に対して、大人たちの腰がちょっとひけてない?というのが率直な感想です。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年6月の記録)