トム:今回の3冊を読んで、日本と北欧の日常の家族関係の違いをあらためて思いました。この作品には、おじいさんの孤独とか、主人公たちの気持ちとかにシンパシーを感じました。今の日本には、このような状況を抱えて一生懸命暮らしている家族があちこちにいるということだと思います。ヘルパーさんの現実的な対応と、お母さんの「楽しい思い出の中にいる方が幸せ」と思う気持ちは、どちらがいいときめられない。物語の中でも決めつけていないところがよかったと思います。そこから考えられるから。ゴーストフレンド(ふうさん)の存在を受け入れられるのは、あちらとこちらの世界の垣根が低い子どもなのかもしれません。それに、テッちゃんと主人公の“ぼく”は、とても気の合う友達であることも、おじいさんのふうさんへの気持ちを自然にわかる土台になっている気がします。この物語は、何だかいつまでも心に残って、思い出すたびに、何層も何層も重なった物語の事実から大事なことが、時々ちらっちらっと顔を出します。たとえば、「ふうさんはなくなったんだって、教えてやるだろ。そうしたらおじいちゃんったらびっくりするんだよ。そのあとまた頭かかえこんじゃうんだよ」(p31)には、大切な友達を失ったことを受け入れることがどんなにたいへんかが表現されています。また「水の中の魚がいっせいににげていくように、ただよっていたものがちっていく。おだやかでやさしく、幸せなものが消えていく」(p59)は、目に見えないところに優しく幸せなものはあるかもしれないと思わせてくれる。「ふしぎだな。この世にあるものは、みんな夢をもって生まれてくる。一生けんめいりっぱなものになりたいって、ねがいながら生まれてくる」(p83)という箇所では、おじいさんがふうさんとの思い出のなかに生きながら、テッちゃんと“ぼく”に、生きる力の秘密を伝えています。だからおじいさんは、ちゃんと未来をテッちゃんと“ぼく”の中にみている気がします。それに、作品の中でちゃんとおじいさんの死を伝えて、テッちゃんと主人公が何とか受け止めようとするところまで作者は描いています。またいつか読み返すと別の何かがみえてくるかもしれません。
 あと、鉄とずっとつながってゆく鉄塔と、東西南北に正中する鉄塔の中心に龍、龍の時計=時を埋めることで、作者は何を伝えようとしたのか、知りたいと思います。

レジーナ:会話をしたり、自力で動いたりするのが困難な老人ですが、個性もリアリティもあり、人物像がちゃんと伝わってきますね。鉄塔をつくったというおじいちゃんは、ちょうど日本の高度成長期を支えた世代でしょうか。湯本香樹実の『夏の庭』に登場するおじいさんは、戦争で人を殺してしまったという過去がにじみでていましたが、その点、『おじいちゃんのゴーストフレンド』も、あと一歩、おじいちゃんの人生に踏みこんで描いていれば、よかったのではないでしょうか。日本の児童文学によくあることですが、全体を通して湿っぽく、センチメンタルにおちいっているのが残念です。

アカザ:なかなかいい作品だなと思いました。最初は「ほんとの古びたおじいさん」になじめなかった主人公が、テッちゃんを通じて徐々に理解を深めていく過程を丁寧に描いていると思います。時々まぼろしを見るおじいさんに対する態度が、テッちゃんをはじめとする家族とヘルパーさんで違うところなど、作者は介護の現場を良く知っている方ではないかと思いました。「昔のことばかり気にするのはよくない」といって、おじいちゃんのゴーストフレンドを否定する黒井さんはいい人に違いないけれど、いいヘルパーさんかどうかは疑問ですね。「考えてみたけれど、ぼくにもわからない」と主人公に言わせているのは、正解だと思います。センチメンタルな作品といわれれば、そうかもしれないけれど、私はこの作品に漂う抒情を感傷というより奥行きと取りました。

ルパン:部分ごとに「いいなあ」と思うところはあったのですが、全体的には印象がうすかったです。筋の一本通ったテーマが見えてこなくて、どこにフォーカスを当てているのかがわかりにくかったです。少年のおじいさんに対する思いなのか、鉄塔への思い入れなのか、おじいさんの「ふうさん」への友情なのか…。ところで、このおじいさんは昔鉄塔を作ってたんですね。うちの亡父もそうなんですよ。子どもの頃旅先で山の中で鉄塔を見ると「あれはお父さんが作ったんだ」って自慢していたことを思い出しました。実は経理だった、って知ったのはずっとあとのことで(笑)。

アカザ:鉄塔を熱愛している人たちがいて、そういう文学作品も出ていますよね。高圧線のそばに住むと健康被害があるということは以前から言われていて、ヨーロッパなどではそばに住宅を建てることを禁じられていると聞いたことがあるけれど……。

トム:だんだん、身近な親しい人が旅立っていって、取り残されてゆく老人の寂しさ心細さ。おじいさんはふうさんと幼なじみだったのかも、きっと子ども時代にかえって話したり、笑ったり、とても気の合う友達だったのではないでしょうか。いっしょに釣りをした時を思い出すとからだも気持ちも自由になって幸せなのかも。

ルパン:語り手の男の子が、「ぼくたちはしんじている。おじいさんはこのとき生きる力を取りもどせたんだ」(p84)というところとか、いまひとつ感情移入できませんでした。そう信じていたのはテッちゃんだと思うし。最初は老人をいやがっていたこの子の心境の変化の過程が激しすぎる気がして。

アカザ:亡くなった友だちの写真の話をして、おじいちゃんが涙ぐんだときにショックを受けたり、テッちゃんの頭をポカンとやったお母さんを「子どもの頭をぶっちゃいかん」とたしなめるのを聞いて、「意外としっかりしてるんだな」と思ったり、おじいちゃんを理解していく過程を丁寧に描いていると思いましたけどね。

サンザシ:おじいさんの様子はかなりリアルに書かれていますね。たとえばp20「うしろ向きになったテッちゃんのお母さんは、おじいさんの両手を引いて部屋に入ってくる。ちょうど、赤ちゃんの手を引いて歩かせるかっこうだ」とか、p23の「おじいさんはうなずいて、こまったみたいに頭をなでた。わずかにのこっている白い髪が、ひよひよとさかだった」なんて、よく観察してないと書けないですよね。子どもたちがおじいちゃんを車いすに乗せて鉄塔まで連れていくところで、フィリパ・ピアスの「ふたりのジム」(『まよなかのパーティ』所収)を思い出しました。あっちもおじいさんと孫息子というコンビだけど、おじいさんのほうが、自分の意志で故郷の村に連れていってもらい、また帰りは困る警官をうまく説得して車いすをパトカーに引っ張ってもらって意気揚々と帰ってくる。それに比べると、日本の作品に出て来る老人は保護の対象になっていることが多い気がします。今回の『世界一かわいげのない孫だけど』は、ちょっと違いますが。

アカザ:『はしけのアナグマ』(ジャニ・ハウカー著 三保みずえ訳 評論社)に出てくるおばあさんなんか、憎たらしいくらいしっかりしていて、すごい!

サンザシ:老人って、ちょっとずるかったり、悪知恵があったり、ユーモアでうまくかわしたり、長く生きてきて人生経験が豊富なだけに、もっといろんな側面がありますよね。ドイツの『ヨーンじいちゃん』(ペーター・ヘルトリング著 上田真而子訳 偕成社)なんかも、強烈ですもんね。

トム:主人公は、初めて病気のおじいさんに会ったとき、大好きなゲームにボロ負けしてしまうほど、その姿にショックを受けるけれど、だんだんにテッちゃんのおじいさんへの気持ちや暮らしに接しておじいさんを受け入れてゆく。テッちゃんも主人公もほんとうに素直でやさしい! あんまりやさしくて素直ないい子でそこがちょっと気になってきて・・・ 。この物語を読む子どもたちが、病気の老人の様子に何だか変だなーと思ったり、ちょっと気持ち悪いなーと思ったりする感情を抑えこまないで、ゆっくり、テッちゃんや主人公といっしょに考えてほしい。

サンザシ:鉄塔から力をもらって、それで片付くというふうにとれるのは、ちょっとまずいかな。読んだ後も何か残って続けて考えるっていうところがなくなりますよね。

プルメリア:以前読んだことがあって今回読み直しましたが、ほかの作品に比べてさっと読めました。以前担任した男子ですが、イライラしていることが気になってたんですね。家庭訪問のときに母親に話したところ、同居しているおじいちゃんが急に暴れだす、それも急に人格が変わるということがあったんです。その子は、その影響をうけていたんですね。いろいろなおじいちゃんがいますが、この作品のような優しいおじいちゃんって、子どもにはすんなり入っていけるのかなって思いました。

レジーナ:先ほど話に出た結末のことですが、私は、子どもたちが「鉄塔の下に連れて行ったからおじいちゃんの寿命がのびた」と心から思っているわけではないと思います。大切な人に死なれたとき、大人も「あのようにして、それでよかったのだ」と、自らの気持ちを納得させることがありますよね。この作品の子どもたちも同様で、本心から信じているわけではないように思うのです。そう考えると、登場人物の子どもたちに、大人の視点が入り過ぎているといえるかもしれません。

げた:10年ぐらい前に出た本で、ちゃんと読むのは初めてでした。とってもいい男の子ふたりが、今は体のどっかが始終ゆれていて、左手がまだらでおそろしく思えるような老人だけど、その「生きる力」をとり戻させようとがんばる。とってもいい話だと思います。現実にはなかなかいないと思いますけどね。それに、ヘルパーの黒井さんも、しっかり老人の人格を尊重していて、名前もちゃんと「長谷川さん」って呼んでいる。ゴーストフレンドのふうさんに関しても、「今の人生を生きなきゃだめよ」というところもいいなって思いました。周囲にこういう人たちばっかりいたら、安心して年とれるなって思いました。

サンザシ:介護の現場では、死んだ人が見えるとか、どう考えてもおかしいことを言ったりするのを無下に否定しないほうがいいって言われてるんじゃないかな。だから、黒井さんの対応はちょっとまずいんじゃない?

げた:なるほど、そうですか。介護される人の気持ちを否定するのはまずいのか。そういわれてみると、そこも現実的じゃないんですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年3月の記録)