日付 2010年3月16日
参加者 シア、セシ、アカシア、ダンテス、バリケン、メリーさん、プルメリア
テーマ ちょっと昔の子どもたち

読んだ本:

『マルベリーボーイズ 』
ドナ・ジョー・ナポリ/著 相山夏奏/訳   偕成社   2009.11
THE KING OF MULBERRY STREET by Donna Jo Napoli, 2005
版元語録:19世紀末のアメリカ、ニューヨーク最大のスラム街を舞台に、知恵と勇気で未来をきりひらく、ユダヤ人少年の物語。


『オックスフォード物語〜マリアの夏の日 』
ジリアン・エイブリー/著 神宮輝夫/訳 杉田比呂美/挿絵   偕成社   2009-06
THE WARDEN’S NIECE by Gillian Avery, 1957
版元語録:女子校を逃げだしたマリアは、おじのもとへ身をよせます。19世紀末の大学街を子どもたちがかけまわる、とっておきの英国児童文学!


『ひげがあろうがなかろうが 』
今江祥智/著 田島征三/挿絵   解放出版社   2008.01

版元語録:山が切りたつ大竹林のはずれに、たけはお父と暮らしていた。そこには「技」をもった者がきては去っていく。やがて皆が集結し…。絶版『ひげのあるおやじたち』を前身とする新作。旧作・解説一挙収録。なにが問題だったのか必見。


『マルベリーボーイズ』

ドナ・ジョー・ナポリ/著 相山夏奏/訳
偕成社
2009.11

シア:とてもおもしろく読めました。読書感想文が書きやすそうな本ですね。正統派。最初のうちは『黒い兄弟』(リザ・テツナー著/あすなろ書房)なんかと似たような感じだと思って読んでたんですけど、登場人物一人一人が濃いですね。読んでいて辛いところもありました。事実に即して、というところに興味をもちました。創作でありながらも、歴史の重要なところはおさえているので、すごく迫力のある情景になったのかなと。男の子にも女の子にもいい本ですね。文章力もあるので、あきずに一気に読めました。

セシ:読み始めると、どんどん読まずにはいられず一気に読みました。おもしろかった。革靴というのが、母親の思いや家族の教えを象徴していたり、隣家におすそわけするだとか、きちんとオレンジをつむだとか、人前で服を脱がないだとか、そういうさまざまな習慣も故郷とのつながりを表していて、とてもうまいなと思いました。脇役の使い方もうまく、それぞれの人物とドムがどんなふうに関係を結んでいったかが、心に残りました。最初は1セント渡してお使いを頼むところから、具体的な行為で順々にあらわされていくんですね。匂いも伝わってきそうな町の描き方にもひきつけられました。ただ、時々ちょっとわかりにくく感じるところがありました。船でニューヨークに着くところも、どんなふうにして船を降りたのか、混乱してしまいました。まあ筋がおもしろいので、そっちにつられて先を読んでしまうんですけど。

アカシア:私もとてもおもしろかった。お話の作り方がうまいです。次から次にむずかしい問題が起こっても主人公が誠実に向き合っていくところが、嫌らしくなくさわやかに描かれているのがいいなと。子どもの読者も、主人公に自分を重ね合わせてドキドキできますよね。別の観点からおもしろいなと思ったのは、ユダヤ人がもつ生活信条や価値観です。ドムが小さいときにアウレリオおじさんは「頭をつかって一生懸命働けば、できないことなどない。どんな逆境がまちうけていようと、おれたちはユダヤ人、ナポリ生まれのユダヤ人だ。けっしてくじけることはない」って教えるんですね。それでドムも、最初25セントで買ったサンドイッチを4つに切って、金持ちのいそうな場所に行ってその1つずつを25セントで売って儲ける。次はそのお金を元手にしてもっと儲けるというやりかたで、暮らしを立てていく。そのあたりも、おもしろかったですね。
最初読んだときは、母親はなぜドムを1人でアメリカに行かせたのかなと思ったんですけど、子どもを捨てるというよりも、2人でいても共倒れになるのでせめて息子だけは希望の地に送り出そうとしたんでしょうね。ドムが母親に買ってもらった靴が、1つのシンボルになっていますね。ドムは何度か危機を救ってくれた靴を大事に大事にしていたのですが、最後の場面ではもうきつくなったその靴を小さな子にあげてしまう。そこにドムの成長が象徴的にあらわれていると思いました。

ダンテス:非常に楽しく読みました。マルベリーストリートは、リトルイタリーやチャイナタウンのあたりにあって、住んでいた頃よく行きました。お話としては靴がポイントなんだなと思いました。当時一般的な子どもは裸足で歩いていて、靴をはいているのはいいうちの子なんですね。まわりからある意味良い誤解をしてもらって筋が展開していきます。ユダヤ人の教えが随所に出てきて、ある種プライドの高さ、矜持といったものがあったからこそ生き抜くことが出来たんですね。商売の原則「安く仕入れて高く売る」を地で行って儲けて成長していくというのが、わかりやすくていいです。友だちのティン・パン・アレイでしたっけ、救い出したのに結局パドローネにつかまって殴られて殺されてしまうという展開には驚きました。国を脱出したい人のため、という名目で儲けている悪いやつが今も世界中にいるような気がします。

バリケン:おもしろかったです。『ロジーナの明日』(カレン・クシュマン/著 徳間書店)と同じように、アメリカの子が読んだら、昔この場所でこういうことがあったんだなと、いっそう胸に迫るものがあるのでは……と思いましたが、日本の読者にもじゅうぶんわかるようにていねいに描かれているので、ぜひ薦めたい。死体が捨てられている下水道に修道女に頼まれて物をとりにいく場面のように、腐りかけの果物みたいに爛熟しきったナポリと、一見腐りきっているようでも新しい息吹が感じられるニューヨークの街とを対比しているところも、おもしろかった。最後に登場人物の1人が死んでしまうところはショッキングでしたが、実際にこういうこともあったんでしょうね。たとえば232ページですが、実際の場面(ガエターノとぼくが話している)のなかに、ちょっと前の出来事(ティン・パン・アレイのところに行って、オレンジをいっしょに食べたこと)が挿入されていますよね。そういう箇所は、あれ?と思って前に戻って読み返したりしましたが、こっちの読み方が悪いのかも……。

メリーさん:とてもおもしろく読みました。大きな事件は起こらないのだけれど、骨太な物語だなと思いました。日本だったら、1つのパンを4つに切って商売しようだなんて考えないだろうけれど、そこはアメリカらしいなあと。そしてユダヤというアイデンティティーも出てくる。主人公が、サンドイッチからサラミを取り出すところなどは、根本のところでは譲れない気持ちが伝わってきました。それでも最初は帰りたくてしょうがないのに、主人公はだんだん新しい土地になじんでいきます。そんな中で、靴だけは1セントかけて預けておく。これも、この靴だけは譲れないという、彼の存在証明みたいなものだと思いました。主人公やガエターノ、ティン・パン・アレイも、とにかくみんな生きよう、生きようとしていて、たくましい。だれに教わったわけではないのに、雑草のような前向きのパワーがすごいなと思いました。
とてもいい本なのだけれど、やはり今の子どもには分量があるかなと感じました。そのせいかどうか、束を出さないために紙がすごく薄いのが少し気になりました。

バリケン:日本の今の子どもたちには、こんな風に生き延びるための知恵を働かせる場面はないでしょうけれど、戦後すぐ、戦災孤児がいた時代には、こういう子どもも大勢いたんでしょうね。

プルメリア:すごく勇気づけられる本だなと思いました。まわりの人に支えられながら成長するサクセスストーリー。9歳の少年が生き伸びるのはたいへんです。移民の人々の暮らしだとか、パドローネだとか、アメリカの身分制度や人種の社会性なども出ていて、その時代の様子がよくわかりました。物の値段が、その人の言った値段になるのがアメリカ的だなと思いました。文章にのところどころにことわざが入っていて、それもおもしろかったです。性格がまったく違う3人の少年が寄り添いながら生きて友だちをふやしていく過程には、若い世代が社会を築いていくたくましさを感じました。ドムは、自分の居場所を見つけ、お母さんの気持ちを冷静に考えられるようになっていくんですが、そこからは、新しい世界・アメリカ社会で生きていく知恵を持ち力強く成長した姿が伝わってきます。

アカシア:交渉して値段を決めるのは、アメリカでなくても100年前ならどこでもそうだったんじゃないかしら。今だって、大阪のおばちゃんはデパートに行っても値切るらしいし。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年3月の記録)


『オックスフォード物語〜マリアの夏の日』

ジリアン・エイブリー/著 神宮輝夫/訳 杉田比呂美/挿絵
偕成社
2009-06

シア:『マルベリーボーイズ』のほうを先に読んでしまったので、派手な展開もなく、少し眠くなってしまいました。主人公には知的好奇心もあるし、当時の子がやらないことをやったような子なんでしょうけれど、時代をはるか隔てて読むとなると、大きな謎とか山がないと。ちょっと『秘密の花園』っぽくて、盛り上がりを期待してしまったんですが。外国の児童文学ってよく子どもの行動がだいぶ制限されていますよね。この作品はミステリー仕立てだし、コプルストン先生という大人を出してくることで、それを破っているのかなと思いました。女性に専門的な教育をほどこすことをあまりよしとしない時代に、大学の教授になりたいという主人公をもってきたことには、女性作家の意気込みを感じました。表紙がかわいいですけれど、ペーパーバック版原書の表紙もかわいいですね。

セシ:私は、これは苦手でした。寮を抜けだしてオックスフォードに行ってしまったり、少年の謎を追って屋敷に行ってしまったりするマリアの大胆さは、シアさんもおっしゃっていたように、この本が出た当時の子どもたちにはとても魅力があったと思うのですが、今読むと、しょっちゅう出てくる歴史的知識や難しい言葉にさえぎられて、なかなかストーリーにのっていけない気がします。マリアやスミス兄弟、家庭教師のコプルストン先生の型破りな様子は、当時のオックスフォードの様子がわからないと浮かび上がってこないし、物語のおもしろさもわかりにくいのでは? 最後の「あんなやりかたは二度とできません。そして、コプルストン先生にいろいろみつけていただくくらいなら、なにもわからないままでいます、わたし」というマリアのセリフも、ピンときませんでした。

プリメリア:出版されてすぐに読んで、すごくおもしろいと思ったんですけど、2度目に読むとそれほどでもなかったですね。最初は、マリアののびのびとした行動と利発さ、性格がそれぞれ個性的に描かれた3兄弟、コプルストン先生の型にはまらない性格などがおもしろいと思ったんです。大学に牛があらわれるようなオックスフォードのとてものどかで牧歌的な感じや風景描写もていねいで、時代背景がよくわかりました。謎の少年の絵と家にあった銅版画をキーワードとしてストーリーを組み立て、マリアが謎を解いていく展開はおもしろかったですが、子どもはどういうふうに読むのかなと思うと、なかなか難しいですね。とりまく人々はやさしくて、両親のいないマリアに寂しさを感じさせない。マリアが明るく楽しく生きていく姿は、読む子どもたちの共感を得るかもしれません。

アカシア:この時代のオックスフォードはどうだったのか、とか、先生たちはどんな暮らしをしていたのか、などに興味がある人ならおもしろいですが、今の子どもがお話として読むには難しいんじゃないかな。時代を先んじていたマリアを出してくるのは、当時のイギリスの子どもにとってはおもしろいとも思うんですが。訳者がわざとそうしていらっしゃるんでしょうが、翻訳がちょっと昔の文体ですね。それに、いちばん下の弟がお兄さんに対して、「きみたち」なんて言うんですね。名前が似ているだけに、この子はいったいだれだったかなと、とまどってしまいました。彼とか彼女という指示代名詞もたくさん出てきますが、今の子どもたちにはどうなんでしょうか?

ダンテス:訳がおかしいなと思うところが何カ所かあったんです。日本語として読みにくいです。兄弟の間のやりとりも不自然だし、敢えてそういうふうに訳したんだなと思えばいいんでしょうか。生硬な文体って感じがします。

セシ:わからない言葉、ありますよね。たとえば、182ページのパーラーメイドとか。

ダンテス:この本は、きっと調べ物の過程がおもしろいんでしょうね。この子は、相当な発見をしたんでしょう。マリアの知的好奇心の高さへの賛歌なんですね。そして最後に、講演をやっておくれという話も出てきますから、立派な学問的探求の成果として評価されるべきということなんでしょう。訳語ですが、英語の本文に出てきた単語をそのままに訳してるんでしょうか。

セシ:確かに、たとえば32ページですが、「ウォーデンは」、「大おじさんは」、「ハドン大おじさんは」と出てきて、全部同じ人なのに、迷ってしまいますよね。

ダンテス:ウォーデンは、学寮長じゃだめなんでしょうかね。

バリケン:フィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』では、学寮長になっていますね。私は、この本の原書を持っているのですが、「ウォーデンの姪」というタイトルがなんとも地味で読む気がしなかったので、今回読むことができてうれしかったです。とても厚い本ですし、読者を選ぶと思いますが、お話についていける子どもなら、主人公が研究成果を発表する喜びというのを、じゅうぶんに感じとって感動するのではないかと思いました。というのも、私自身子ども時代に『サーカスの少女』(アボット/著)というアメリカの本を読んで、その中に出てくる作家の女の人の生き方に憧れをいだいて、「ああ、こういう未来もあるんだなあ!」と子ども心に思った経験があるので。マリアのような女の子たちの願いや思いが積もり積もって、やがてオックスフォードに女子だけのカレッジができたりしていったのでしょうね。イギリスの読者が読めば、そういう感慨もあるのかと……。日本版のタイトルにも、そんな思いが感じられました。

メリーさん:原書の出版が1957年で、けっこう古いなと思いました。読んでいて、以前とりあげた『時の旅人』(アリソン・アトリー著 評論社・岩波少年文庫)を思い出しました。あの時も、外国の歴史がからんでいるような本は、今あまり読まれないという意見があったのですが、100人のうち1人くらいは、こういうものも好きなのではないかな。自分が歴史の一部分に触れていると感じる、知的好奇心をもつ子もいるでしょう。分量も多いし、物語が動き出すのは後半なのですが、その後半までくれば、あとは400年の時代を越えた謎解きにひきこまれます。題材がすごくいいし、イギリスの雰囲気が出ていて好きな本ですが、今、子どもに向けて出すということに関しては、読む子を選ぶなと思いました。

バリケン:児童書の歴史の本にはよく出てくる本なので、これまで邦訳が出なかったのは、日本の読者には難しいと思われたのかも。

アカシア:編集者はだいぶ躊躇したでしょうね。主人公が11歳でしょ。その年齢だと、こんなに小さい活字の本はむずかしいし、かといって、高校生はつまらないと思うでしょうし。

シア:中学生や高校生で世界史をやっていれば、わかるんでしょうけれど、9ページですでに注が出てきちゃうんですね。それが衝撃でした。子どもに手渡したら、フォローしていかないといけない本ですね。

プルメリア::青い鳥文庫で出ている『ご隠居さまは名探偵!』などタイムスリップ探偵団のシリーズは、聖徳太子や卑弥呼なども出てきて、歴史が苦手な子どもでも作品を読んで歴史に近づきますね。

シア:今の子はゲームが好きなので、戦国時代のことはゲームをやることでかなり詳しくなっていますね。「週刊少年ジャンプ」に載っている『銀魂』(空知英秋作)とか、『恋する新撰組』(越水利江子著 角川つばさ文庫)とか、斉藤洋さんの『白狐魔記』(偕成社)とかはよく読んでます。部分的に入って横に広がっていくんでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年3月の記録)


『ひげがあろうがなかろうが』

今江祥智/著 田島征三/挿絵
解放出版社
2008.01

プルメリア::とても厚い作品だし、ちょっとわかりにくい言葉で書かれていたので、解読しながら読んでいくみたいで疲れました。主人公が男の子か女の子かわからなかったのですが、ひげが生えてきたとあったので、後で男の子だとわかりました。主人公と父親は山の中で暮らしていて、訪れる人もわずかです。登場人物がやたらと変身し、忍者なのかな、空想なのかな、とも思ったりしました。お父さんが、いきなり小さくなったり、元にもどったりするのも、ついていけないところの1つでした。また、お父さんが、子どもにお酒を勧める場面が出てくるのが不思議でした。地震が起きたことで、山の様子や海の様子が変わりストーリーも変わるスケールの大きな展開ですが、タイトルと内容の意味が今ひとつわからなくて、絵の感じはよかったけれど、登場人物像は最後までつかめませんでした。

アカシア:この本の後ろには、絶版になった『ひげのあるおやじたち』もそのまま入っていますし、どこが問題になったかの説明もありますね。その後に書かれた『ひげがあろうがなかろうが』は、前の作品あってのタイトルなんでしょうね。毎日新聞では斎藤美奈子さんがこの作品を絶賛していました。作品に登場するのは、サンカと呼ばれていた人たちでしょうか。サンカは、マイペディアでは「少数集団で山間を漂泊して暮らした」とか「川魚をとったり、箕や箒・籠つくりなどを生業とし、人里に出て売ったり米などと交換した」とあります。肉体的に異能の持ち主だという説もあるし、原日本人だという説もある。竹細工に秀でた人たち、遊芸に秀でた人たち、占いのできる人たちもいたようですし、忍者の源流だという説もあるようです。犯罪者集団として排斥された歴史もあるらしい。そのあたりを少し知ってから読むと、この作品はとてもおもしろい。
その部分を除いてもおもしろいと思うのは、たけの育て方です。どんどん危険なこともやらされて育っていく。生きていくのが楽ではないと親も知っていて、過保護とはほど遠い育て方でたくましく生きぬく力をつけさせようとしているんでしょうね。でも突き放すというわけではなくて、p54には「お父はいろんなことをたけの前で自分がやってみせるだけで、/(こうやるんだ)/と、教えてくれている。たけは見よう見まねでやってみる。お父は見て見ぬふりの顔でいて、たけがそれなりにできるようになると、「ん」とうなずいてくれる。目が小さく笑っているのを、たけは見のがさなかった」と書かれています。本当に命が危ないような時は、大人があらわれて助けてもくれる。逆になんでもできる大人は、たけにとって尊敬の対象です。それだけの存在感を大人たちが持っているのがいいなあ、と思いました。ただ長いですよね、これ。地の文が語りの口調になっているところと、そうでないところがあって、それが意図的なのかどうかはわからないんだけど、読者を混乱させるように思いました。あと本づくりに関してですが、厚い紙を使っての無線綴なんで、壊れやすいんじゃないでしょうか。

ダンテス:本の厚さに圧倒されて、結局ぱぱっと読みとばしてしまいました。なんか、お母ちゃんが消えちゃったり、鳥になったり、ついていけない感じでした。一方、手取り足取りはしないけれど、父親から息子へ生きるすべを伝授している話と読めばおもしろいと思いました。

バリケン:なんか、よくわからなかったというご意見を聞いて、正直いってとてもショックでした。子どもが読んだらわからないのでは……とは思いましたが、ストーリーの運びや、場面の描き方に力があるので、わからないままにどんどん読んでいくのでは? 大人になって、ああ、そうだったのかと思ってもいいと思うのね。大人の読者の私としては、「どうしても書かなくては、いま書いておかなくては」という作者の思いがひしひしと伝わってきて、言葉では言い表せないほど感動しました。前作の『ひげのあるおやじたち』では書けなかった、歴史の表面にあらわれてこない人々の豊かな暮らしを書こうとしたのだと思います。『ひげのあるおやじたち』のどこが問題になって絶版になったのかは、実は今ひとつわからないのですが。『ひげのあるおやじたち』も確かにおもしろく巧みに書けていると思いますが、作者の伝えたいという思いは、こっちの作品のほうが格段に強く、深いと思います。大学で教えている人から、部落差別のことを知らない学生がいると聞いて、これもまたショックを受けたのですが(まあ、その学生自身の問題もあると思うんですけどね)、数年前に『被差別の食卓』(上原善広/著 新潮新書)という本を読んで、とても感激したんですね。自分自身が被差別部落に育った作者が、世界中の被差別の人々が食べていた、食べているものをルポしてまわった本なのです。最近では、サルまわしの村崎太郎さんの本(『ボロを着た王子様』『橋はかかる』ポプラ社)もありますよね。いつまでも『夜明け前』(島崎藤村/著)や『橋のない川』(住井すゑ/著)だけでなく、これからだんだん変わっていくと思います。それにしても、今江さんとか上野瞭さんとか、この時代の児童文学作家はすごいなと思いました。上野瞭さんの『ちょんまげ手まり歌』(理論社)などは、今でも手に入るのでしょうか。この間の読書会でも言ったように、身の回り3メートルの作品ではなく、こういう作品を書く人がもっと出てほしいなと思いますね。

アカシア:私はでもね、こういう本は、大人が読んでどうかっていうのと、子どもが読んでどうかっていうのを、両方考えないといけないと思うんですね。子どもが読むと、この書き方ではわからなくて辛いな、って。それに、中上健二が描く人物像はもっと立体的に浮かび上がってくるんですけど、今江さんが書くと、みんなヒーローみたいになってしまう。差別される側や抑圧されている側のことは、当人じゃないと書くのがむずかしい部分もあるんじゃないのかな。

バリケン:『谷間の底から』を書いた柴田道子さんは、狭山事件をはじめとして、被差別の問題をずっと考えてきた児童文学作家なのですが、自分自身がそうではないという立場から書く難しさや辛さが、いつもつきまとっていたのではないかしら。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年3月の記録)