日付 2013年3月19日
参加者 アカザ げた サンザシ トム プルメリア ルパン レジーナ
テーマ 老人と子ども

読んだ本:

『おじいちゃんのゴーストフレンド 』
安東みきえ/著 杉田比呂美/絵   佼成出版社   2003.07

版元語録:テッちゃんのおじいちゃんは、重い病気にかかっている。そのうえ、死んだ親友が見えるという…。老人とのふれあいを通して、友情の深さと温かさを知ってゆく少年たちを描く。


『世界一かわいげのない孫だけど 』
荒井寛子/著 勝田文/挿絵   ポプラ社   2012.09

版元語録:引越して、新しい環境が気に食わない美波は心にバリアをはって・・・。不器用な少女が新たな絆を育み居場所を見つけるまでの物語。


『三つ穴山へ、秘密の探検 』
ペール・オーロフ・エンクイスト/著 菱木晃子/訳 中村悦子/絵   あすなろ書房   2008.11
DE TRE GROTTORNAS BERG by Per Olov Enquist
版元語録:スウェーデンの美しい自然を舞台にくりひろげられる、おじいちゃんと4人の孫+2匹の犬の大冒険。世界15ヵ国で翻訳出版!


『おじいちゃんのゴーストフレンド』

安東みきえ/著 杉田比呂美/絵
佼成出版社
2003.07

トム:今回の3冊を読んで、日本と北欧の日常の家族関係の違いをあらためて思いました。この作品には、おじいさんの孤独とか、主人公たちの気持ちとかにシンパシーを感じました。今の日本には、このような状況を抱えて一生懸命暮らしている家族があちこちにいるということだと思います。ヘルパーさんの現実的な対応と、お母さんの「楽しい思い出の中にいる方が幸せ」と思う気持ちは、どちらがいいときめられない。物語の中でも決めつけていないところがよかったと思います。そこから考えられるから。ゴーストフレンド(ふうさん)の存在を受け入れられるのは、あちらとこちらの世界の垣根が低い子どもなのかもしれません。それに、テッちゃんと主人公の“ぼく”は、とても気の合う友達であることも、おじいさんのふうさんへの気持ちを自然にわかる土台になっている気がします。この物語は、何だかいつまでも心に残って、思い出すたびに、何層も何層も重なった物語の事実から大事なことが、時々ちらっちらっと顔を出します。たとえば、「ふうさんはなくなったんだって、教えてやるだろ。そうしたらおじいちゃんったらびっくりするんだよ。そのあとまた頭かかえこんじゃうんだよ」(p31)には、大切な友達を失ったことを受け入れることがどんなにたいへんかが表現されています。また「水の中の魚がいっせいににげていくように、ただよっていたものがちっていく。おだやかでやさしく、幸せなものが消えていく」(p59)は、目に見えないところに優しく幸せなものはあるかもしれないと思わせてくれる。「ふしぎだな。この世にあるものは、みんな夢をもって生まれてくる。一生けんめいりっぱなものになりたいって、ねがいながら生まれてくる」(p83)という箇所では、おじいさんがふうさんとの思い出のなかに生きながら、テッちゃんと“ぼく”に、生きる力の秘密を伝えています。だからおじいさんは、ちゃんと未来をテッちゃんと“ぼく”の中にみている気がします。それに、作品の中でちゃんとおじいさんの死を伝えて、テッちゃんと主人公が何とか受け止めようとするところまで作者は描いています。またいつか読み返すと別の何かがみえてくるかもしれません。
 あと、鉄とずっとつながってゆく鉄塔と、東西南北に正中する鉄塔の中心に龍、龍の時計=時を埋めることで、作者は何を伝えようとしたのか、知りたいと思います。

レジーナ:会話をしたり、自力で動いたりするのが困難な老人ですが、個性もリアリティもあり、人物像がちゃんと伝わってきますね。鉄塔をつくったというおじいちゃんは、ちょうど日本の高度成長期を支えた世代でしょうか。湯本香樹実の『夏の庭』に登場するおじいさんは、戦争で人を殺してしまったという過去がにじみでていましたが、その点、『おじいちゃんのゴーストフレンド』も、あと一歩、おじいちゃんの人生に踏みこんで描いていれば、よかったのではないでしょうか。日本の児童文学によくあることですが、全体を通して湿っぽく、センチメンタルにおちいっているのが残念です。

アカザ:なかなかいい作品だなと思いました。最初は「ほんとの古びたおじいさん」になじめなかった主人公が、テッちゃんを通じて徐々に理解を深めていく過程を丁寧に描いていると思います。時々まぼろしを見るおじいさんに対する態度が、テッちゃんをはじめとする家族とヘルパーさんで違うところなど、作者は介護の現場を良く知っている方ではないかと思いました。「昔のことばかり気にするのはよくない」といって、おじいちゃんのゴーストフレンドを否定する黒井さんはいい人に違いないけれど、いいヘルパーさんかどうかは疑問ですね。「考えてみたけれど、ぼくにもわからない」と主人公に言わせているのは、正解だと思います。センチメンタルな作品といわれれば、そうかもしれないけれど、私はこの作品に漂う抒情を感傷というより奥行きと取りました。

ルパン:部分ごとに「いいなあ」と思うところはあったのですが、全体的には印象がうすかったです。筋の一本通ったテーマが見えてこなくて、どこにフォーカスを当てているのかがわかりにくかったです。少年のおじいさんに対する思いなのか、鉄塔への思い入れなのか、おじいさんの「ふうさん」への友情なのか…。ところで、このおじいさんは昔鉄塔を作ってたんですね。うちの亡父もそうなんですよ。子どもの頃旅先で山の中で鉄塔を見ると「あれはお父さんが作ったんだ」って自慢していたことを思い出しました。実は経理だった、って知ったのはずっとあとのことで(笑)。

アカザ:鉄塔を熱愛している人たちがいて、そういう文学作品も出ていますよね。高圧線のそばに住むと健康被害があるということは以前から言われていて、ヨーロッパなどではそばに住宅を建てることを禁じられていると聞いたことがあるけれど……。

トム:だんだん、身近な親しい人が旅立っていって、取り残されてゆく老人の寂しさ心細さ。おじいさんはふうさんと幼なじみだったのかも、きっと子ども時代にかえって話したり、笑ったり、とても気の合う友達だったのではないでしょうか。いっしょに釣りをした時を思い出すとからだも気持ちも自由になって幸せなのかも。

ルパン:語り手の男の子が、「ぼくたちはしんじている。おじいさんはこのとき生きる力を取りもどせたんだ」(p84)というところとか、いまひとつ感情移入できませんでした。そう信じていたのはテッちゃんだと思うし。最初は老人をいやがっていたこの子の心境の変化の過程が激しすぎる気がして。

アカザ:亡くなった友だちの写真の話をして、おじいちゃんが涙ぐんだときにショックを受けたり、テッちゃんの頭をポカンとやったお母さんを「子どもの頭をぶっちゃいかん」とたしなめるのを聞いて、「意外としっかりしてるんだな」と思ったり、おじいちゃんを理解していく過程を丁寧に描いていると思いましたけどね。

サンザシ:おじいさんの様子はかなりリアルに書かれていますね。たとえばp20「うしろ向きになったテッちゃんのお母さんは、おじいさんの両手を引いて部屋に入ってくる。ちょうど、赤ちゃんの手を引いて歩かせるかっこうだ」とか、p23の「おじいさんはうなずいて、こまったみたいに頭をなでた。わずかにのこっている白い髪が、ひよひよとさかだった」なんて、よく観察してないと書けないですよね。子どもたちがおじいちゃんを車いすに乗せて鉄塔まで連れていくところで、フィリパ・ピアスの「ふたりのジム」(『まよなかのパーティ』所収)を思い出しました。あっちもおじいさんと孫息子というコンビだけど、おじいさんのほうが、自分の意志で故郷の村に連れていってもらい、また帰りは困る警官をうまく説得して車いすをパトカーに引っ張ってもらって意気揚々と帰ってくる。それに比べると、日本の作品に出て来る老人は保護の対象になっていることが多い気がします。今回の『世界一かわいげのない孫だけど』は、ちょっと違いますが。

アカザ:『はしけのアナグマ』(ジャニ・ハウカー著 三保みずえ訳 評論社)に出てくるおばあさんなんか、憎たらしいくらいしっかりしていて、すごい!

サンザシ:老人って、ちょっとずるかったり、悪知恵があったり、ユーモアでうまくかわしたり、長く生きてきて人生経験が豊富なだけに、もっといろんな側面がありますよね。ドイツの『ヨーンじいちゃん』(ペーター・ヘルトリング著 上田真而子訳 偕成社)なんかも、強烈ですもんね。

トム:主人公は、初めて病気のおじいさんに会ったとき、大好きなゲームにボロ負けしてしまうほど、その姿にショックを受けるけれど、だんだんにテッちゃんのおじいさんへの気持ちや暮らしに接しておじいさんを受け入れてゆく。テッちゃんも主人公もほんとうに素直でやさしい! あんまりやさしくて素直ないい子でそこがちょっと気になってきて・・・ 。この物語を読む子どもたちが、病気の老人の様子に何だか変だなーと思ったり、ちょっと気持ち悪いなーと思ったりする感情を抑えこまないで、ゆっくり、テッちゃんや主人公といっしょに考えてほしい。

サンザシ:鉄塔から力をもらって、それで片付くというふうにとれるのは、ちょっとまずいかな。読んだ後も何か残って続けて考えるっていうところがなくなりますよね。

プルメリア:以前読んだことがあって今回読み直しましたが、ほかの作品に比べてさっと読めました。以前担任した男子ですが、イライラしていることが気になってたんですね。家庭訪問のときに母親に話したところ、同居しているおじいちゃんが急に暴れだす、それも急に人格が変わるということがあったんです。その子は、その影響をうけていたんですね。いろいろなおじいちゃんがいますが、この作品のような優しいおじいちゃんって、子どもにはすんなり入っていけるのかなって思いました。

レジーナ:先ほど話に出た結末のことですが、私は、子どもたちが「鉄塔の下に連れて行ったからおじいちゃんの寿命がのびた」と心から思っているわけではないと思います。大切な人に死なれたとき、大人も「あのようにして、それでよかったのだ」と、自らの気持ちを納得させることがありますよね。この作品の子どもたちも同様で、本心から信じているわけではないように思うのです。そう考えると、登場人物の子どもたちに、大人の視点が入り過ぎているといえるかもしれません。

げた:10年ぐらい前に出た本で、ちゃんと読むのは初めてでした。とってもいい男の子ふたりが、今は体のどっかが始終ゆれていて、左手がまだらでおそろしく思えるような老人だけど、その「生きる力」をとり戻させようとがんばる。とってもいい話だと思います。現実にはなかなかいないと思いますけどね。それに、ヘルパーの黒井さんも、しっかり老人の人格を尊重していて、名前もちゃんと「長谷川さん」って呼んでいる。ゴーストフレンドのふうさんに関しても、「今の人生を生きなきゃだめよ」というところもいいなって思いました。周囲にこういう人たちばっかりいたら、安心して年とれるなって思いました。

サンザシ:介護の現場では、死んだ人が見えるとか、どう考えてもおかしいことを言ったりするのを無下に否定しないほうがいいって言われてるんじゃないかな。だから、黒井さんの対応はちょっとまずいんじゃない?

げた:なるほど、そうですか。介護される人の気持ちを否定するのはまずいのか。そういわれてみると、そこも現実的じゃないんですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年3月の記録)


『世界一かわいげのない孫だけど』

荒井寛子/著 勝田文/挿絵
ポプラ社
2012.09

トム:美波、ショウコ、ルミの3人の迫力に圧倒され、はじかれました! でも、文章から離れられなかったからそう思ったのかも。アニメとかドラマのように耳と目から楽しむ気分になれば、すっとこの中に入れたのかも。物語の中で大事な役目をする“なぞかけ”や落語の間。お話全体もその味なのかもしれません。今風の女の子に見えて、彼女達の生活背景はそれほど変わっていないように思いました。

レジーナ:登場人物の言葉づかいが気になりました。長谷川町子の漫画の『いじわるばあさん』のように、ぎらぎらするようなアクの強さや人間としての魅力が感じられません。

アカザ:テンポが良くて、軽く読めましたけれど、なんだかお決まりの展開で……。転校して友だちとなじめないところとおばあちゃんのことが、うまくからみあっていないような感じがしました。あまりおもしろいとは思いませんでした。

ルパン:今回の3冊のなかでは一番印象に残りました。が、やはりいろんなところが気になりましたね。主人公の言葉づかいや態度が特に。さいごまで担任の先生を呼び捨てとか。一方、友だちはこの子に親切すぎてリアリティがない。最後はうまくもっていくんだろう、とは思いつつ、読んでいるあいだは「老人をばかにする話になったらいやだなあ」、というきわどさがあり、無条件に楽しめる感じではなかったです。

サンザシ:私は最初からエンタメだと思って読んだので、おもしろかったです。美波の口調も、アリじゃないですか。何にでも腹が立つ思春期の子どもだし、地方でのんびりと暮らすルミちゃんたちとの差を際だたせる意味でも、これでいいと思います。かわいくないおばあちゃんには、孫娘に負けないだけの威勢のよさがあって、嫌みの言い方やずるいところもユーモラス。とんがってる孫娘と、嫌みなおばあちゃんの勝負がどうなるのか、と楽しく読みました。美波は、最初はルミのことをアヒル、ショウコのことをアズキとしか呼ばないんですが、徐々にその距離が縮まって最後は仲間意識をもつというお定まりのストーリー。でも、そこに毒のあるおばあちゃんの存在がアクセントになって出てきます。ただ、いくら田舎だとはいえ、今時ルミやショウコのような屈託のない少女たちがいるのか、と考えるとリアリティはないかもしれませんね。あと、物語の山場である発表会で演じた落語が、文字だけで読んでももっとおもしろかったらいいのに、と思ってしまいました。それと、この書名は、祖母目線なんじゃないですか?

プルメリア:私は、この作品おもしろいなと思いました。突飛なおばあちゃんだしおもしろいんですが、最近のおばあちゃんはけっこう若いので、この作品の中のおばあちゃんの行動は小さい子どもたちにイマイチわかりにくいかも。もう少し上の学年だとおばあちゃんのしぐさや言葉のおもしろさがよくわかるんじゃないのかなって思いました。

げた:タイトルは、「かわいげのない孫だけど、でもかわいがってね」という美波の気持ちではないでしょうか。中身的には無責任なところもあるんですけど、エンタメということですすめてみました。若い子の斜にかまえた感じも、ちょっと心配なところもあって。文中に登場する子どもたちの、おそらく中国地方の方言も元気があって、東京に負けない感じがいいなって思いました。アズキちゃんに対してひどいことも言ってるんですけど、結局最後に、ルミたちの想いも理解して、ひどいままで終わっているわけではないので、読ませていいのか?とは思いませんでした。祖母と孫が、似た者同士の組み合わせで、最後まで妥協しないところがいいなって思いました。子どもたちに楽しんでもらえたらいいな。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年3月の記録)


『三つ穴山へ、秘密の探検』

ペール・オーロフ・エンクイスト/著 菱木晃子/訳 中村悦子/絵
あすなろ書房
2008.11

トム:親子の様子も、年とった人の暮らしも、男女の関係も日本と違うなって思いました。でも、小さなミーナが夢を恐ろしがるのは、誰にもあること。その子ども時代をくぐってゆくときに、お父さんでもお母さんでもなく、おじいちゃんが登場して寄りそってくれるっていうのは説得力があるし、いいなって思いました。日本的には、年とるにつれて、人は保護者になることを期待されることが多いようですけど、このおじいちゃんのスタンスが保護者じゃないのが面白い。グニッラが「女ならできる」って言うけど、スウェーデンでは「女ならできる」っていうスローガンをかかげる時代はもう過ぎたんじゃないのかしら。どうなのでしょう? 物語のなかに色々な要素が詰まっています。野生の狼親子・密猟者・熊、それぞれがひとつの物語になりそうなのに、ちょっとおなかいっぱい感がありました。おじいちゃんが、一人では登れない山へ小さな孫4人連れて行く・・・?エーッそれはあまりに無謀! たぶん大反対されていたのに探検の夢がどんどんふくらんでこのおじいちゃんは突っ走ったんでしょうね。おじいちゃんはそもそもどうして三つ穴山に登りたかったのか? よく考えるとわからないことが出てきます。ハラハラドキドキ、ほんとうに無事でよかったけど。
 物語の背景になる大きな自然にはとても惹かれました、ヨーロッパの深い森も歩いてみたいです。でもこのあこがれは、おじいちゃん的無謀さにならないようにしないとレスキュー隊のお世話になるかもしれません! 風に吹かれながらミーナが冒険を回想する最後の場面は、ほんとうにホッとします。ミーナの年を考えるとちょっと大人っぽい感じもしますけど。

レジーナ:とても好きな作品です。私が子どもの時に読んでも、やはりひきつけられたと思います。クマやオオカミ、密漁者など、つぎつぎに事件が起きるにもかかわらず、リアリティがあるのは、作者に力があるからでしょう。おばあちゃんに内緒で、犬にミートボールをやったり、車いす競争をするなど、両親でもおばあちゃんでもなく、おじいちゃん特有の遊び心やユーモア、子どもたちとの特別な関係をよくとらえています。「ヒマラヤ」を「ヒラヤマ」と間違えるなど、ユーモアもきいています。山の中でのびのびと冒険する子どもたちが、しだいにけんかをしなくなったり、互いに助け合う様子が、いきいきと描かれていました。弱気になったおじいちゃんに対して、「人は思っているよりじょうぶなものよ」と胸をはって言う姿に、最初は夢に出てきたワニをこわがるような小さな女の子だったミーナの成長を感じました。挿絵も物語の雰囲気にあっています。ただ、ミーナが6歳でイーアが8歳なのに、表紙ではイーアの方が幼く見えるのが気になりました。「手伝うって言っちゃいけない」という男女同権の価値観は、非常に北欧的ですね。

アカザ:エピソードのひとつひとつがとてもおもしろくて、楽しく読みました。魅力的な自然や、子どもたちのキャラクターもよく描けているなと思いました。ただ、対象年齢はどれくらいなんでしょうね? さすが菱木さんの訳だけあって、訳そのものはすばらしいと思いましたが、もう少しやさしい言葉だったら小さな子どもたちも楽しめたのかな。主人公も6歳ということだし。ただし、男女平等論者とか、外国から来た密猟者の話とか、向こうの子どもたちにはなじみのある事柄でも、日本の子どもたちには理解できないことが出てくるし……。難しいなと思いつつ読みましたが、訳者のあとがきで大人向けの作品を書いていた作家が、初めて子どもたちに向けて書いた物語と知って、「なるほど!」と納得がいきました。

ルパン:私は凡人なので……この話はだめでした。子どもをこんなに危険な目にあわせちゃだめですよ(笑)。クマもオオカミも密猟者も、一歩まちがえれば死の危険がありますからね。女の子ひとりで6時間も山道を歩かせたり、もうむちゃくちゃだなあ、と思いました。最初ちょっと期待感があったんですけどね。このおじいちゃん、小説家という設定なので、小説家ならではの想像力というか空想力でミーナを救っちゃうのかな、って。でも全然ちがったうえに、子ども連れて山に入って自分が動けなくなっちゃうなんて、がっかり。

サンザシ:私はユーモア児童文学だと思っておもしろく読みました。このおじいちゃん、愉快です。ワニにお尻をかまれたミーナに、もっと大きな冒険をさせればと思って山登りに誘うわけですが、p35には「でも、ひとつ、おじいちゃんがミーナに話さなかったことがある。じつは、おじいちゃんはずっと前から、別荘の東側にある〈三つ穴山〉に登ってみたかったのだ。ただ、ひとりでは登れずにいたのだ」なんてあって、笑っちゃいました。また退院したおじいちゃんのためにマッツおじさんが買った車いすで、みんなでタイムレースをするのもおかしい。自信満々のマッツおじさんもスピード出し過ぎて転倒し、妻に「あのおじいちゃんの息子だから」なんて言われてるところも。ただ、ちょっとご都合主義的にうまく行きすぎるところが気になりました。オオカミやクマだけでなく密猟者まで出てきたうえに、骨折したおじいちゃんを助けに来たヘリコプターに密猟者まで逮捕されるとか。あと、オオカミの子どものマーヤ・ルベルトとシュナウザーの子どものエルサはキャラがかぶるんですね。エルサはこの物語の中でどういう役割なんでしょう? なくてもいいのに、と私は思ったんですが。それにしても、おじいちゃんが年端もいかない子どもたち4人を連れて山に登り、次々に危険な目にあうなんて、日本の作家が書いたら、非難囂々でしょうね。

プルメリア:「ワニにおしりをかまれた」っていう書き出しがとてもおもしろかったなって思います。探検後、おじいさんから「ワニにかまれたことを覚えているか」と聞かれたミーナは「あたし、夢を見ただけよ。まだ、あたしが小さかったとき。ずっと前にね」と言います。日本だと6歳は小学校の一年生、こんなに成長してしまうのは、ちょっと行き過ぎてるかな、それとも最初が幼なすぎ? 登場人物の年齢が全体的に小さすぎるかなって思いました。スウェーデンの自然が美しく描かれています。日本とは異なることは男女平等という考え方、クマが身近に出てくる自然に囲まれていること。

サンザシ:密猟者まで出しちゃって……。

げた:私も、最近「おじいちゃん」になったんですけどね。孫とこういう形でつきあえたらなって思いで、今回読む本に取り上げたんです。ワニにおしりをかまれた女の子を成長させるために、山のぼりを計画し、実行、とんでもない目にあうが、目論見は成功するという展開で、意外性があっておもしろいなって思いました。登場するおじいちゃんのパートナーは、日本だっていなくはないんだろうけど、子どもたちにとって他人なんですよね。「女ならできる」という言い方も、ちょっとひっかかって、逆差別じゃないかって。

サンザシ:いくら北欧では女性の権利が認められてるっていっても、グニッラが若いころは、まだ大変だったんじゃないですか。だから、「女ならできる」って呪文みたいに唱えて、自分を励ましてきたんじゃないかな。

げた:探検とかサバイバルとか、つめこみすぎなのかもしれないけれど、クマやオオカミが出てきて、どうなっちゃうんだろうって、ひきつけられ、私はドキドキしながら最後まで読むことができました。リアリティがなさすぎといわれれば確かにと思うけど、基本、実話なわけで、大きく逸脱しているとは思いません。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年3月の記録)