日付 2018年6月22日
参加者 アカシア、アンヌ、オオバコ、カピバラ、コアラ、さららん、
須藤、西山、ネズミ、花散里、マリンゴ、ルパン、レジーナ、
(エーデルワイス)
テーマ 5年生いろいろ

読んだ本:

『ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ! 』
ゆき/作 かわいみな/挿絵   朝日学生新聞社   2017.02

<版元語録>おっちょこちょいで、ひたむきで、そんなあいつがやってきた! 勉強はいまいち、運動もさっぱり。だけどてつじの周りには、いつも笑顔があふれてる! 折り紙つきの「へんなやつ」!? 5年生のてつじが仲間たちとくり広げる、ユーモアいっぱいの物語! 朝日小学生新聞の人気連載小説。朝日学生新聞社児童文学賞第7回受賞作。


『ガーティのミッション世界一 』
ケイト・ビーズリー/作 井上里/訳   岩波書店   2018.02
GERTIE'S LEAP TO GREATNESS by Kate Beasley, 2016
<版元語録>ガーティは世界一の小学五年生を目指す、元気いっぱいの女の子。そのためにはなんでも一番になると心に決めた。ところが新学期早々、転校生のメアリー・スーがクラスの人気者の地位に躍り出てしまい……。けんめいに生きる子どもの苦闘と大そうどうの日々を、ユーモアあふれる筆づかいでつづる、注目のデビュー作。


『ピアノをきかせて 』
小俣麦穂/作   講談社   2018.01

<版元語録>「千弦ちゃんのピアノはすごいけど、いっしょにうたったり踊ったりできない」響音は、姉の心をゆさぶるため、ふるさと文化祭に出場することになったのですが…。感性を信じて生きる姉妹が奏でる音楽小説。


『ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ!』

ゆき/作 かわいみな/挿絵
朝日学生新聞社
2017.02

さららん:語りに特徴がある文体で、主人公のてつじはおもしろい子。そのことを自分でも自覚している。「……だな」「……もんだよ」という語尾や、自分で自分につっこんだり、ぼけたりしながら、読者にむかって話をつむいでいくところに落語の文体を感じました。事実、「ありがとよ」の章には落語家のおじいちゃんが出てくるし、「なぞかけごっこ」の章でも笑点でおなじみのなぞかけを、クラスのみんなが楽しんでいる。好き好きはあると思いますが、この独特の文体で物語を進行していくところが、今の児童文学ではめずらしい。ただ、てつじの行動や言動には少し古くさいところ・・・たとえば「まったく男というやつは、どうしようもないもんさ」(p72)・・・もあり、また五年生なのに「うらない」(p205)という言葉を知らないなど、リアリティに疑問を感じる部分も残ります。とはいえこの作品には、てつじと友だちの妹のひとみちゃんの関係をはじめ、こうだったらいいな、というような、無欲で風通しのいい人間関係がありますね。この本に出てくる大人の多くが、てつじに代表される子どもの「おもしろさ」や「突拍子のないところ」を受け入れていて、そこも落語の世界に似ています。つっこみどころはいろいろあるが、現実というよりひとつのフィクションとして、子どもと子ども、子どもと大人のゆったりした関係を、読者の子どもたちは楽しむのではないかと思います。

レジーナ:おもしろく読みました。話の展開や装丁は、ひと昔前の雰囲気ですね。今の子は、ひとりだけ目立つのがこわいと思っているようですが、てつじは、あたたかな人たちに囲まれて、生き生きと楽しそうにしています。今の時代を写しとっているというよりは、本当にこうだったらいいのにな、と思いながら読みました。

ネズミ:同じ5年生でも、今回とりあげたほかの作品とはずいぶん違うなと思いました。先月読んだ『金魚たちの放課後』(河合二湖著 小学館)とも、全然違います。話し言葉で、楽しく読めるようにしたのだと思いますが、このユーモアを小学生がおもしろいと思うのか、私はよくわかりませんでした。たとえばp8に、強く思い続けると、どんなことでもそのとおりになると本に書いてあるからと、髪の毛が短くなるように念じるというのがありますが、こんなことをする5年生はいないかなと。みゆき先生とぬまちゃんのキャラクターも、実際の学校にいそうにないし。現実離れしているけれど、子どもはすっと受け入れられるのでしょうか。

西山:5年生もいろいろ。その違いを感じてみたいと思って、登場人物の年齢でそろえるテーマを提案しました。特に、この本のテイストは、この読書会とは結構違っている気がするので、みなさんがどうお読みになるか、ものすごく興味があります。去年の日本の新人作品の中で、この本のノリはなんだか異次元で、安心できる人間関係と全体を覆っている緩くあったかい感じが結構好みなんです。たとえば、「どっかーん」をやってみせろと6年生から言われても、「するもんか」(p34)と拒否する。軽いノリのいい奴というのではなく、てつじにはてつじの道義というか、芯が通っている。そういう子ども像に好感を持ちました。あと、「こぐまのポン吉」がキュート。あの、やんちゃなひとみちゃんは魅力的な女の子です。かなり多動な子ですけれど、てつじがしっかり受け入れている。古風ではあるけれど、現実になさそうだからこそ、こういう子どもたちが書かれているのは愉快です。

マリンゴ:「ゆき」という著者名から、20代の作家さんかと思ったら、違っていて驚きました。タイトルと表紙の印象から、自分で積極的に手に取るタイプの本ではなかったので、今回の選書に入れていただいてよかったです。楽しんで読みました。文章力があって、勢いがあって、テンポよく読み進められました。ストーリーの盛り上がりがさほどなくて、小さな出来事の積み重ねなのですが、そういう本って意外と最近見ない気がして、逆に新鮮でした。てつじとポン吉の関係性など、温かみがあってよかったです。

カピバラ:このような5、6年生対象の物語は、YAとちがって、大人として読むとあまりおもしろいとは思わないかもしれませんが、その年齢の子どもたちがどう感じるか、どう読むかを考えることが大切ですね。これは新聞の連載なので、各章が短く、ちょっとした小話的にまとまっているので、おもしろく読めると思います。でも、一人称の語りですべてを説明しているので、饒舌になりすぎて、うるさく感じてしまいます。てつじは、正直に自分の気持ちを出していく子なので、好感はもてるのですが。タイトルも表紙の絵も、子どもはおもしろそう、と興味をひかれると思います。ところが表紙をめくると、冒頭に「たとえばこの ちいさなものがたり そのどこかから あなたのもとへ ひとつのいのりが しずかに しずかに とどきますように」と書いてあり、「は? こういうタイプのお話だったの?」と、妙な違和感がありました。内容とは全く合わないし、この部分は不要だと思います。1か所、よくわからないところがありました。林間学校のお寺で縦笛を鼻で吹くと、別の笛の音が聞こえ、それを吹いたのは、林間学校に来ていない子だったとわかる。ここだけいきなりファンタジーって、変じゃないですか?

何人か:そこは私も変だなと、思った。

アカシア:翻訳は、どうしても情報を伝えるための文章になりがちなので、もう少し文体を工夫できるといいのにな、といつも思っています。そういう意味では、この文体は軽快でおもしろかったんです。リアリティからは離れるけど、新聞連載だから、みんながおもしろく読んで、次も読みたいと思って待つんだろうな、と。最初の「たとえば〜」はとばして読んでいたけど、もう一度見てたら、これが目に入って、私も「なに、これ?」と思いました。著者が書いているのか、出版社が売ろうと思って書いているのか? この作家はこんなことを思って書いてるわけ? と思ったら気持ち悪くなりました。ただ、これがなければ、エピソード的な短いお話がまとめられているので、あまり本が好きじゃない子も楽しく読めるんじゃないかと思います。それに、さっき西山さんがおっしゃったように、ただおもしろがらせるだけじゃなくて、てつじが魅力的なキャラに描かれているのがいい。金魚を川に逃がすところは、金魚にも環境にも悪いと思われているので、ちょっとまずいんじゃないかな。マンガ的な表紙や挿絵は、あまりじょうずだと思えませんでした。私も子どもだったら、この作品をおもしろく読んだと思いました。

コアラ:おもしろく読みました。p135に「てつじくんはいっぱい物語を持ってるのね」というセリフがあって印象に残りました。一つの章が短いので、細切れの時間でも読めて、読みやすくていいと思います。てつじもいい子だけど、ひとみのキャラクターがとてもいいですね。主人公は小学5年生ですが、本のつくり、特に文字の大きさは、中学年向きといってもいいくらいで、本を読み慣れていない子にも読みやすいと思いました。

アンヌ:古風なユ―モア小説を読んでいる気がしました。誰も嫌な人が出てこなくて、強面の先生もすぐ別の顔が現れるし、困ったこともすぐ解決する。連載だからでしょうが。ウエディングドレスをなぜ着せられるのかとか、金魚を川に流したら、すぐ釣られるのは都合がよすぎるとか、突っ込みどころが山ほどあるけれど楽しい。ただ、何度も読み返したいかというと、そうでもない。昔読んだのは何だったっけと思って調べたら、佐々木邦の『いたずら小僧日記』(「少年少女世界の名作文学」 小学館)でした。同じように主人公は、なぜ人が驚いたり困ったりするのかわからないという設定ですが、この物語のてつじは、人の心がわかる子です。ゆきさんと仲良くなり、不思議な縁をつなぐところが新鮮でした。ぬまちゃんがコマの職人のところに修行に行くというのも安易な感じで、ここも、少々突っ込みをいれたいところです。

オオバコ:昔からよくあるワンパクもので、古くさいなと思いました。佐々木邦が訳したオールドリッチの『わんぱく少年』(講談社)とか。子どもは、くすぐるとついつい笑ってしまうからおもしろい本だなと思うかもしれないけれど、もっと上手にくすぐってほしいなと思いました。ひとみとの関係はうまく書けていたけれど、笑わせよう、笑わせようとしているところが鼻につきました。自分ってこんなにおもしろいんだぞっていっているみたいな……。一人称で書いてあるせいでしょうか。三人称だったら、てつじについて周囲の人たちがどう思っているかも書くことができたのでは? おじいさんの噺家の落語を聞いて、みんなが泣く場面があるけれど、なんで泣いてるの? 何に感激しているのか、分からなかったけれど……。子どもの読者も、なんで泣いてるのかなって思うんじゃないの?

アカシア:ここは笑い泣きですよね。おじいちゃんが行っちゃったと思ったら、おもしろい話をしてくれたから。

カピバラ:ぽろぽろと泣いている、というのは、悲しんでいる表現だから、読者はどうしてかな、って思うでしょうね。

オオバコ:こういう外向的な語り手が前へ、前へと出てくると、ほかの人物に深みが出なくなるんじゃないかな。こういうエンタメの作品に深みなんていらないよっていわれれば、それまでだけど。

須藤:やんちゃな男の子の語りで圧倒的に読みやすいですね。ただ日常の出来事をスケッチしていくような感じで、通して読んだ時に今ひとつ全体的に起伏がないというか、物足りなさを感じます。同じように少年の日常を切り取った感じの本で、台湾に『少年大頭春的生活日記』っていう作品があるんですが、これは同じように少年の日記というか、日々の出来事の記録が描かれているようにみえて、じつはその時々の世相とか、少年の目から見た台湾がさまざまな角度で挿入されているんですよね。だから、もちろん日常のスケッチふうな作品があってもいいのですが、その場合でも描かれている中身にバリエーションがちょっとほしいなと感じてしまいました。
 あと、何人かの方が指摘されていますが、モチーフがレトロというか、ちょっと昭和っぽい感じがします。パープーって音がする自転車の警笛とか、林間学校だとか縁日だとか。この子どもたちは、たとえばスマホなんて持っていなさそうです。総理大臣になりたいという設定も、いかにも昔風ですね。もちろん物語の中でも珍しがられてるんですが、いま総理大臣といえばあの男なので、あれに憧れる小学生などいるのか疑問に思ってしまいました(笑)。いや冗談でもなくて、物語の名かでも総理大臣が登場して、主人公の学校にやってくるでしょ。どうしたって安倍のことを連想してしまうので、いろいろ考えてしまうんですが、とくに意味がなくて・・・・・・もうちょっと時代というものを考えてほしいです。主人公の男の子と小さい女の子ひとみとの関係性や、やりとりなどがおかしくて、そういうところには魅力がある作品だと思いました。

ルパン:私は、これ、すごくおもしろかったです。電車の中で読んで吹き出しそうになるくらい。『ピアノをきかせて』の子どもたちより、こっちのほうがずっと実際の5年生に近いと思います。鼻でリコーダーを吹いて、浮いちゃうところとか、想像したらおかしくて。その一方で、「おとうさんとおかあさんがなかよくなりますように」という七夕の短冊を読んでしんみりしてしまうところとかもいいし。あまり深く考えずに、一気に読んでしまいました。

エーデルワイス(メール参加):一見やんちゃで、独創的で奇抜なようなてつじですが、気持ちは繊細で誰よりも人の気持ちを思い、気を遣っているように思います。こんな子はたいていクラスから浮き、いじめられるのですが、クラスメートも教師も理解があり、生き生き暮らす・・・。子どもの目線で書いているようですが、こうあらねば、こうなってほしいというある種の大人の理想願望を感じてしまいました。

(2018年06月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『ガーティのミッション世界一』

ケイト・ビーズリー/作 井上里/訳
岩波書店
2018.02

西山:スピード感のある文章がおもしろくて、出だしからノリでひきこまれました。ロビイストが出てきて驚いて、原発の問題と重なって・・・この場合ガーティは東電社員の子どものような立場で、どう展開していくのかとひやひやしながら読み進めたんだけど、結局、日常のいろんなことの、ひとつのエピソードとして流れていきましたね。そこを焦点化して注目してしまうと物足りなく感じたというのが正直なところだけれど、でも母親に認められたいというのがテーマだから、仕方ないかなとは思っています。あまりはしゃいだ文体は好きじゃないけれど、これはおもしろく読みました。例えば、「ローラースケートで歩道の継ぎ目の上を通るときに鳴る、かたん、という小気味いい音みたい」以下の比喩の畳みかけなど、嫌みじゃなくて、5年生の感覚のサイズ感が出ている気がしておもしろかったです。日本の作品と翻訳ものでは同じ5年生でもかなり違うだろうなと思っていたのですが、意外にも「おバカさ加減」はてつじと一緒でしたね。とはいえ、とにかく目立ちたい、それで一目置かれたいというメンタリティには、やはり日本とは違う価値観を感じました。

ネズミ:とてもおもしろかったです。ガーティの母親への想いや、メアリー・スーとのやりとりなど、どこもうまいなあと。脇役では、ジュニアがよかったです。普段は目立たないけれど、肝心なところでいつもガーティに寄り添って助けにきてくれる。ただ、ガーティは、さっきの本のてつじのように、時に突拍子もないことをやってしまうハチャメチャなキャラクターのようですが、人物像が少しとらえにくいというのか、はっきりしない感じがしました。それから、内容としては5年生が楽しめる本なのでしょうけれど、翻訳だとグレードが上がりますね。タイトルにもある「ミッション」という言葉や人物名など、カタカナ語がたくさん出てきて、日本の5年生が読むには読者を選ぶと思いました。

レジーナ:カエルを蘇生させる冒頭からひきこまれました。メアリー・スーを席どろぼうと呼んだり、p126で、パーティに潜入したジュニアを待つあいだ、小さなオードリーが、むしった葉っぱを埋葬していたり、女子にばかりいい役をあげると、いちいち文句を言うロイみたいな男の子がいたり、細かなディティールがおもしろかった。ガーティははりきっては空回りして、でも、その中で、人の注目は一時的だということ、世の中にはどちらが正しくて、どちらが間違っているとは言えない問題もあること、そして、どんなに願っても、手に入らないものもあるということなど、人生の真実に気づいていきます。p115で、ガーティを無条件に信じるレイおばさんなど、まわりの大人の描写もあたたかいですね。全体的にリアリティがあるのですが、チョコレートをシャツに入れる場面は気になりました。10歳にしては、ここだけちょっと子どもっぽいかな。

さららん:冒頭では、ガーティの一人称に近い三人称の視点でウシガエルを登場させ、最後ではウシガエルの視点でガーティの姿を描写するところが、合わせ鏡のようで、凝っていますね。まもなく町から引っ越ししてしまうお母さんの関心をひきたいがために、世界一の5年生になりたいと思うガーティの健気さ。最初は、ガーティの言動が大げさで、ちょっとやりすぎのように感じたけれど、内的な動機がわかってくると、お話が俄然おもしろくなってくる。ガーディの父さんや、「一発かましてやりな、ベイビー」を口癖にしているレイおばちゃん、家で面倒を見ているオードリーの存在が脇をかため、ガーディの持つ弱さや複雑さも十分に伝わってきました。作者独特のユーモアのセンスがあちこちで光っています。敵のメアリー・スーの髪を解かして和解する描写でも、「一回くらいはわざと髪をひっぱってやるかもしれない」というクールさがいいですね。ガーティの息遣いを感じさせる、勢いのあるリズムにのって読めれば、高学年の女の子や男の子が、おもしろく読めるお話。ただ、そのリズムにのるのに少し時間がかかるかもしれません。

ルパン:おもしろかったです。一番好きなキャラクターはレイおばさんです。p178~179で「あんたはいっつも、持ってないものを手に入れようとして、やっきになってる。でも、持ってるものにはろくに感謝しない」という言葉が印象的でした。また、p241「あたしは、あの人にとことん感謝しなきゃいけない。だって、あんたをあたしのところへ置いていってくれたんだから。あれは人生で一番幸福な日だった」とか、脇役のはずなのに、一番シビレるセリフを言うところが好きです。

オオバコ:今回の3冊のなかでは、いちばんおもしろい本でした。「てつじ」と同じに最初のうちは饒舌な文体になじめなかったのですが、ガーティのミッションがどういうものか分かってからは一気に読めました。ただ、そこにたどりつくまでに何ページも読まなければいけないので、小学生の読者には難しいのでは? 石油ステーションのところは、問題を安易な形で解決に導かずに終わっていますが、このほうがリアルなのでは? 最後の場面も、ガーティは必死にやりとげようとしていたミッションがどうでもよくなって、自分のなかで母親との問題を乗りこえている。状況は変わらなくても、自分の心のありようが変わることで乗りこえていくという、ジャクリーン・ウィルソンの作品にも通じる姿勢が素晴らしいと思いました。ちょっとテーマを盛りこみすぎ=張り切りすぎ・・・という感もなきにしもあらずだけれど、作者の第1作と聞いて、なるほどねと思いました。ガーティの友だちも、おばさんも、きっちり描けていますね。

アンヌ:私は、リンドグレーンの作品の中では『長くつ下のピッピ』が少々苦手で、似たような過剰さを感じました。次から次へと事件が起き、ジェットコースターに乗っているかのようなどきどきする展開がつらかった。お母さんとの関係や状況がわかってきて、ミッションの重要性は理解できましたが、自分のミッションに夢中で、友人にとって大切なものより優先するところや、オードリーを捨ててパーティに忍びこむところとか、やはり読むのがつらい場面が多い物語でした。でも最後にカエルが怒っていないらしいとわかるエピローグは好きで、救われた感じで本を閉じました。

コアラ:おもしろかったです。5年生らしさというか、5年生ってこういうことを思ったりしたりする年代だなと思いながら読みました。子どもらしさがよく表されていると思います。おもしろく描かれているけれど、設定は辛い。同じ町に母親が住んでいるのに会えないし、引っ越していってしまうという設定で、胸が苦しくなるように感じました。でも、たぶん子どもが読んだらあまり辛さは感じなくて、めげずに生きていくところに共感するのではないでしょうか。

アカシア:日本は子どもが同調圧力を過剰に感じてしまう国なので、そういうものに影響を受けない子どもの話として、好感をもちました。でも、5年生がこの長さの物語を読むかというと、難しいですね。その難しさの一つは、シリアスな作品として読ませたいのか、それともユーモアを楽しむものとして読ませたいのか、訳者のスタンスが決まっていないからかな、と思いました。後ろの宣伝のページに『マッティのうそとほんとの物語』とか、『落っこちた!』が載ってますけど、それと同じような書きぶりの作品なんじゃないかと思うんですね。そっちもなんですけど、これも自己中心的なガーティのドタバタをおもしろく読ませるには、もっとユーモア寄りの翻訳文体にしたら、日本の5年生にももっと読みやすくなったかもしれないと思いました。ほかの方もおっしゃっていたように、途中からこの子のミッションは、お母さんに自分を認めさせることなんだとわかりますが、そこまでは何を手がかりに読んでいったらいいのかがちょっとわかりにくい。一つの物語の中に、お母さんに自分はすごい子なんだということを見せつけたいという情熱と、学校でのいじめと、環境問題と、母親が果たして劇を見に来るのかというサスペンスなど、いっぱい要素が入っています。環境問題は、すぐに解決し得ないというのはその通りだとしても、「うつり気」という言葉で終わらせているのはどうなんでしょう? チョコレートを全部食べてしまうところは、5年生がここまでやるのかな、と思ったし、「さえない負け犬」だと思われている子たちのためにやったとガーティは言っていますが、それなら他の子にも分けたほうがよかったのでは? 最初の方がわかりにくかったのは、ガーティが「歯みがき粉」をつけて歯を磨いているところで、私は粉の歯磨きをつけているのかと思って、特殊なこだわりがあるんだなあと思ってしまったんです。

みんな:今は、チューブでも歯磨き粉って言うとか、どうしてそういうことになっているのかとかの議論になる。

アカシア:それからp117行目に「ただのウシガエルじゃない」も、最初読んだ時、おばさんは騒いでるけど「ただのウシガエルじゃないか」と言ってるのかな、と思ったら、意味が通じなくなりました。こういうところは「ただのウシガエルじゃないよ」などとしたほうが誤解されなくてすみますね。そのあと、ガーティが「いい」も、どういうニュアンスかつかみにくかった。5年生らしくない会話もところどころにありました。

カピバラ:おもしろく読みましたが、同じ5年生が読むとしたら、『ゆくぞ、やるぞ、てつじだぞ!』(ゆき作 朝日少年新聞社)のほうがずっと読みやすいのかなと思います。やはりカタカナの名前は、子どもにとっては、男女の区別もつかないし、どれがだれだか覚えにくいですよね。手がかりは表紙の絵だけで……。せっかくはたこうしろうさんの魅力的な表紙絵があるのだから、挿絵も入れてほしかったし、冒頭に人物紹介図があるとよかったですね。授業中に手をあげて、先生に一番にさしてほしいとか、ちょっとしたことで気分がころころと変わるところとか、5年生らしいところがうまく描けていると思いました。鼻持ちならないメアリー・スーと対決する図式もわかりやすい。ガーティは想像力豊かな子どもで、一生懸命なんだけどやることなすこと裏目に出る。ちょっと『がんばれヘンリーくん』(ベバリイ・クリアリー作 松岡享子訳 学習研究社)シリーズの女の子、ラモーナが大きくなったらこんな感じかな、なんて考えました。ヘンリーくんシリーズは今読んでもおもしろいんですが、やっぱり古めかしさは否めない。だから、ああいう本の現代版があるといいですよね。ガーティと友だちとのやりとりは子どもらしくて笑えるし、おばさんとのやりとりもおもしろい。一文一文が短いので、テンポよく読めるし、文章に勢いがあって良いと思いました。

マリンゴ:非常におもしろく読みました。3冊のうちこの本を最後にしていて、昨日から今日にかけて読んだのですが、ページを繰る手が止まらなかったので、焦ることもなく読了できました。いじめがスタートする場面では、ストーリーが一気に動き出す緊張感がありました。あと、p190で、ガーティがオードリーを邪魔者扱いしようとして、やっぱり事情をきちんと説明する場面がとてもよかったです。ラストが、あれ、ここで終わるんだ!?と、ちょっとびっくりしましたけれど。ウシガエルを挟んで、もう1章あるのかなと思っていたので。あと少し、続きを読みたかったです。訳者あとがきで、これは著者の大学院の卒業制作で、出版社5社が競合して版権を争った、と書いてあったことに驚きました。

 

エーデルワイス(メール参加):冒頭の「ウシガエルはちょうど半分死んでいた」に惹きつけられました。今を生きているガーティの心情がリアルです。実の母親とのシーンは少ないのですが、いろいろと考えさせられます。劇の主役を勝ち取ったにもかかわらず、降ろされ、ふたたび主役になれそうなときに宿敵メアリー・スーの真の姿を知って彼女を舞台に立たせるなんて・・・憎いぜ、ガーティ! と思ってしまいました。とてもおもしろかったし、はたこうしろうさんの表紙絵もいいですね。ガーティはお父さんとレイおばさんから愛情をたっぷり受けていますが、実の親に愛情をかけてもらえない子どもたちが、それに代わるたくさんの人の愛情に恵まれて健やかに育ちますようにと祈らずにはいられません。

 

(2018年06月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『ピアノをきかせて』

小俣麦穂/作
講談社
2018.01

ルパン:主人公の響音は、ほかの2作の主人公とくらべて、ずいぶん大人びた5年生だな、と思いました。けなげというか、こんな子いるのかなあ、と・・・。ここにいる子どもたちはみな千弦のためにがんばるのですが、みんながそれほどまでに尽くす相手である、千弦の魅力がよくわからない。母親の関心も、初恋の相手であるシュウの関心も、みんな千弦に向けられているのに、妹である響音は、嫉妬はしないのでしょうか。音楽を文章で伝えるのはとても難しいことだと思います。よく挑戦したな、とは思いますが、あまり成功しているとは言えないと思いました。

さららん:物語は、響音の世界の描写、響音が色をどう感じ、音がどう聞こえるか、から始まり、響音はおねえちゃんの千弦の弾くピアノの音が精彩を欠いてきたことに気がついていて、心配しています。千弦も少し後に登場しますが、物語の中で、その千弦の影が薄いように感じました。響音や親友の美枝が憧れている秋生も、千弦に魅かれているようですが、読者にとってその理由がピアノの音だけでは納得できず、さほど魅力的な少女には感じられません。千弦に対して過干渉になっていたお母さんは、距離を置くことで自分の子育てを考える時間を得て、響音、千弦との関係を少しずつ立て直そうとします。大人の弱さ、頼りなさが正直に書かれているところは好感が持てました。発表会に向けての練習で、響音は自分の才能を踊ることに見出します。ダンスが大好きな女の子は、あこがれて読むのかもしれませんねい。全体として、ちょっと少女漫画的なお話だと思いました。

レジーナ:音楽が聞こえてくると、体が自然に動き、自分の世界に入ってしまう響音は、今の子どもにしては天真爛漫で、のびのびしていて、そこが気に入りました。みやこしさんの挿絵がすてきですね。千弦の心をとかそうとする響音をゲルダに重ねるのも、新しさはないのかもしれませんが、美しいイメージです。

ネズミ:私もさらっと読みました。でも、5年生の子どもが姉のピアノを聞いて「しずんだように、重い音」と感じるかなあというところにすごくひっかかりました。少女漫画のようだと感じたのは、登場人物に各自の役割以上のふくらみが感じられなかったかな。感じのよい作品ですが。

西山:表紙がきれい。グレーと赤がすてきです。全体的に好感をもって読みましたけれど・・・。あっという間に忘れるかも。ピアノにあわせて思わず踊るところ、異性への憧れ方など、読みはじめる前に思っていたほどYA寄りではなく、好感を持ちました。肝心の音楽劇の舞台があまり見えてこなかったのはちょっと残念。ピアノコンクールの演奏の様子は、言葉を尽くして描かれていると思いましたが。最後、終わらせられなくなっている感じがします。もっと早く切り上げてもいいんじゃないかな。

マリンゴ:冒頭、音楽の難しい話かと身構えたのですが、そんなことはなく、平易で分かりやすい物語でよかったです。ステージやコンクールの場面が細かく描かれているのもいいなと思いました。気になったのは、p51「ジャイアンみたい」。ジャイアンって『ドラえもん』のジャイアンのことですよね? 突然出てきますけど、日本人の一般教養として説明なしに出してかまわない単語なのかしら。あと、千弦の音が機械的であることを、美枝までもがうっすら気づく描写がありますが、美枝はちっとも気づかなくて、響音をはじめ分かる人だけが分かる、というふうにしたほうが、ハイレベルな音楽の物語なのだということが伝わるのかなと思いました。全体的に心理描写が丁寧ですが、丁寧すぎる気もします。たとえばラストの部分、p221の「おそろいのマグカップとお茶わんが秋空にかかげられた」で終わったほうが、余韻が残ったかもしれません。

カピバラ:音楽を文章で表すのは限界がありますね。いろいろな楽曲が出てくるけれど、作者の意図がどこまで読者に届くのか、難しいところです。お姉ちゃんのことは表面的にしか描かれていないので、そもそもなぜピアノが好きなったのか、なぜ今は重い音になっているのか、わかりにくかったです。たったふたりの姉妹の関係は、子どもとはいえいろいろ複雑で、妹は姉に辛辣だったりするけれど、この子はお姉ちゃんに文句をいったりせず、ぜんぶ受け入れているというのが珍しい。最近、辻村深月の『家族シアター』(講談社)を読んだのですが、その一編に出てくる姉妹の物語は、心理描写が非常によくできていました。だからなおさら、そのへんを物足りなく感じました。おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんの台詞が、ちょっとつくりすぎている感じがしました。

アカシア:音楽を文章であらわすのは難しいけど、この作家は、音楽の雰囲気を言葉であらわそうとしている、その努力は買いたいと思いました。ただ文章が、文学ではなく情報を伝える文章なので、お行儀はいいのですが、うねりみたいなものはないですね。それから、特に最後など、ひと昔前の青春ものみたいなところがあって、そこはどうなのかな、と思いました。

花散里:姉に対する思いなど、響音の描き方が5年生らしくないと思いました。逆に、表紙絵といい、p137の挿絵などは幼い子が描かれているのかと感じました。姉が妹を思っていくというのは分かるけれど、妹が姉に対して、こんなふうに思っていくだろうか、ということを感じながら読みました。叔母の燈子の人物設定にも無理があるように思いました。松本市で行われているコンサートなどが背景にあるのかと思いましたが、音楽についてあまり知識のない小学校高学年の子どもたちには入っていきづらい世界ではないかと感じました。後半から最後まで、読後感があまりよくなかった作品でした。

コアラ:「戦場のメリークリスマス」は大好きな曲でしたが、雪と結びつけたことはなかったので、曲を思い浮かべ、雪をイメージしながら読みました。作者は「あたたかい雪」と書いていたので、音楽を聞いて呼び覚まされるイメージというのは人それぞれだなと。ピアノコンクールの場面では、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』(幻冬社)を思い出しました。ただ、コンクールやステージでの発表という華やかな場面を描いているわりに、地味な作品というか、平坦な印象でした。「ふるさと文化祭」が終わって、「市民芸術祭」への出演依頼の話になったのが、最後まであと20ページくらいしかないところで、どんな風に盛り上がるんだろうと思ったら、あっさり終わってしまったし、どこでこの物語が閉じられるのだろうと心配になりました。終わり方があまりよくなかったかなと思います。

アンヌ:最初から主題がはっきりしていて、姉がピアノを楽しい音で弾ける日を取りもどすという目的が一瞬も揺らがないのが、ある意味単調でした。「戦場のメリークリスマス」のように映画のストーリーを背負った曲を使うのは、音楽を描く物語としてはまずいのではないかと思います。音楽についてより、色彩を描く記述のほうがうまい作品だと思いました。ストーリーとしては、家族関係の問題が実にあっさり解決されていて、物足りない感じがしました。

オオバコ:西山さんの言葉どおり、ちょっと前に読んだのに、すっかり忘れていました。たった1行でも1か所でも、心に響く言葉や場面があれば覚えていたのに。自分の音が出せなくなった演奏家(学習者でも、その道を目指しているのなら演奏家だと思います)が、いかにしてそれを取りもどすかというテーマはおもしろいと思うのですが、人物造形がはっきりしません。演奏家=千弦の内面を描かなければ書けないのでは? だいたい、音楽は感性の芸術だから、みなさんがおっしゃるように言葉で表すのはとても難しいことだと思います。それに、千弦が学んでいるのはクラシックですが、妹の響音が素晴らしいと何度も言っているのはポピュラーで、そこのところにも違和感がありました。p5に、どこからか流れてくる、たどたどしい弾き方の「エリーゼのために」を聞いた主人公が「つまらなそうな音でつっかえつっかえ弾くピアノに、ぼそりと文句をいう」場面で、「なんて嫌な子!」と思っちゃいました! 私の大好きな安西均さんの『冬の夕焼け』という詩に同じような場面が出てきて、どこかでモーツァルトのK311番を弾いている子が、いつも同じところでつっかえるのを「淡い神さまのようなお方が、忍びよってきて、なぜか指をつまづかせなさるのだ」と、見知らぬ家の子の、そんないぢらしい努力にふと涙ぐむ・・・。かたや老詩人、かたや小学5年生の女の子だけど、ずいぶん心根が違うなと・・・。

須藤:あまり物語に入り込むことができませんでした。登場人物が揃ったあたりで、だいたいどんなストーリーか予想できてしまうし、また何でもかんでも台詞で説明しすぎではないかと思います。たとえばp131で秋生が、主人公の姉の千弦を、アンデルセンの「雪の女王」に重ねながらこんなふうにいいます。「土屋さんのピアノをきいたとき、(中略)なんて楽しそうな音で弾くんだろうって。それがいつのまにか、つまらない音を出すようになっててさ。(中略)土屋さんは、カイなんだよ。(中略)カイの心をとかすのがゲルダのまごころなら、土屋さんの心をとかすのは、ぼくたちの音楽だ」これまでの流れとこれからの展開、全部説明してしまってますよね。正直、ここまでいちいち言わなくてはならんかと思います。それから、主人公の響音と、お姉さんの千弦がおじいちゃんの家にいるあいだに、両親の話し合いでいつのまにか問題が解決しているというのも、ちょっと納得できません。そもそも、この両親は、どんなふうに子どもに向き合っているのでしょうか。最初の方で、父親が「響音のことをちゃんと見ているか」とか母親にいう場面がありますが、ここは腹が立ちます。子どものことを「ちゃんと見る」のは父親の責任でもあるからです。後半で、母親が、響音にむかって「千弦に、すごく会いたいですって、伝えてね」という場面も釈然としません。いくらうまくいかない関係になっていて、おじいちゃんの家に一時的に預けている状態なのだとしても、こういう大切なメッセージを、もう一人の子どもに託して伝えようとする姿勢には、疑問を感じます。子どもに負担を与えないでほしい。こういう親たちなので、最後に子どもたち二人に向かって謝って話す場面も、私は白々しく感じました。

 

エーデルワイス(メール参加):コミックの小説版のようなイメージですね。ちょうどベストセラーが原作の映画「羊と鋼の森」(原作は宮下奈都著)を見たばかりなので印象がダブり、ピアノの音が頭の中で響いていました。「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲が何度も出てきます。この静かな反戦映画では、イギリス兵の捕虜役のデヴィッド・ボウイが、美しい歌声を持つ弟を学校内のいじめから助けることができなかった過去を長い間悔やんでいて、死ぬ間際に夢の中で、美しいイギリス田園の家で、弟と分かちあう場面が印象的でした。兄弟の心のつながりという視点で、この作者は「戦場のメリークリスマス」の曲を選んだのでしょうか。

(2018年06月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)