日付 2018年7月17日
参加者 アカシア、アンヌ、さららん、ととき、花散里、ハル、マリンゴ、
(エーデルワイス)
テーマ 子どもと花をめぐる物語

読んだ本:

『さくらのカルテ 』
中澤晶子/作 ささめやゆき/絵   汐文社   2018.04

<版元語録>サクラハナ・ビラ先生は桜専門の精神科医。ストレスで病気になった桜の治療をしています。古都の桜はなぜ不眠症になったの? 福島の桜の悩みは? 時代も国も違う3つの桜の物語。2017年「毎日新聞西日本版」連載の単行本化。


『フローラ 』
エミリー・バー/著 三辺律子/訳   小学館   2018.02
THE ONE MEMORY OF FLORA BANKS by Emily Barr, 2017
<版元語録>記憶障害の少女フローラが唯一覚えていたのは、あこがれの彼と水辺でキスをしたことだった。絶対に忘れられないラブストーリー。


『カーネーション・デイ 』
ジョン・デヴィッド・アンダーソン/作 久保陽子/訳   ほるぷ出版   2018.04
MS. BIXBY'S LAST DAY by John David Anderson, 2016
<版元語録>12歳のトファー、スティーブ、ブランドの担任・ビクスビー先生は、一人ひとりをよく見て、さりげなくアドバイスしてくれる信頼できる先生だ。ところが先生がガンで入院し、突然会えなくなってしまう。どうしても伝えたい事がある3人は、学校をサボってお見舞いに行くことにしたが…病院までの道中で起こるアクシデントやケンカで、それぞれの悩みが見えてくるが…。3人の成長物語。


『さくらのカルテ』

中澤晶子/作 ささめやゆき/絵
汐文社
2018.04

マリンゴ:とてもおもしろいアイデアで、魅力的だと思いました。桜を診察して治療する、というのがいいですよね。リアルな樹木医ではなくファンタジックな世界観なのも興味深かったです。それだけ思い入れを持って読んだぶん、ちょっと残念だなと思った部分がいくつかありました。p11で「ばかでかい鏡を立てた」「さくらの木の不眠症は、治りました」という事例が書かれていて、なるほどそういうパターンの物語が出てくるのね、と思いながら続く1つめのお話を読んだら、まったくこの事例そのまんまで・・・。なぜ先にネタバレしてしまうのか! オチを知らなかったら楽しく読めたのに。子どもには、概要をあらかじめ説明したほうがわかりやすいと考えたのかなぁ。あと、p20「池の端に立っているさくらならば、水面に映った自分を見ることができるのでしょうが、ここに池はないのです」という一文があることによって、あ、オチの部分、鏡を立てるより池を作るほうが、もっと風流なエンディングになったんじゃないか、と思ってしまいました。あとは、全体のバランスですね。1話目がほんわか昔話風なのに対して、2話目がベルリンで、3話目が福島。全部で5話くらいあって、2話がベルリンと福島ならバランスいいと思うのですが、3話だったら、うち2話がほんわか系のほうがよかったんじゃないかなぁ、と。

ハル:私は、1話目のようなお話をもっと読みたかったです。これが2話目、3話目から始まっていたら、そういう本なんだなと思ったんだと思いますが、1話目から読んでしまったのでそう思うんだと思います。きっと、2話目、3話目を書きたくて始まった企画なのだろうとは思いますが・・・教訓とか「人間とは」とか、そういう勉強のために読むのではない、読んで楽しい(だけでなくてももちろんいいですが)子どもの本をもっと読みたいと最近思います。

西山:再読する時間がなくて発売後すぐに読んだきりですが、一番印象が強いのは「太白」ですね。p21の5行目「自分の考えなど、たずねられたこともない小坊主」が「さくらの何がうつくしいと感じますかな」と問われて、ほおを「濃いさくら色」に上気させて答える場面が好きでした。何かがうつくしいと心奪われる、苦しいような切ないような感触が思い起こされます。でも、ベルリンと福島の物語が『こぶたものがたり』『3+6の夏』(ともに中澤晶子作、ささめやゆき絵)と同様に、中学年ぐらいで読めるコンパクトさで書かれていることは貴重だと思っています。歴史的、社会的テーマを扱った作品はどうしてもボリュームのある、高学年向き、YAとなりがちなので。

花散里:ささめやゆきさんの表紙絵から中学年ぐらいの子がこの本を手に取るのではと思いましたが、京都の太白のお話など、最初の展開から、もう少し上の学年の子でないと物語に入っていけないのではないかと感じました。作者が描きたかったのは、ベルリンや福島のことでは、と推測される「さくらの物語」だと思いますが、読者対象を選ぶのが難しいと思いました。福島のことや、「さくら」をテーマにしたブックトークの中で紹介するなど、子どもたちに手渡して行きたい作品だと思います。

さららん:「さくらのカルテ」というタイトルのつけかたといい、導入といい、全体的によくつくりこんだ本だと思いました。あとがきのかわりの「さくらノート」がとてもおもしろかった。この物語を書くきっかけになったのか、あとから調べてわかったことを付け足したのか・・・その両方かも。3つの物語が成立していく過程はそれぞれ違っていたはずで、想像する楽しみがさらに残ります。なにしろ第1話の「京都・太白」と、2話の「ベルリン・八重桜」の味わいが全然ちがっている。3話の「福島・染井吉野」まで読んで、あーこれが書きたくて前の2つも書いたのかな、と思いました。さくら専門の精神科医とその助手を狂言回しに登場させることで、味わいの違う3つをぴったりくっつけたかというと・・・そこはやや疑問ですね。意欲的な失敗作というと言いすぎかも。意欲作であることは確かです。

ととき:いい作品ですね。芭蕉の俳句「さまざまのこと思いだすさくらかな」を思いだしました。そういう桜に対する思いって、外国に紹介したとき分かってもらえるかな? みなさんがおっしゃるように、作者が書きたかったのは第3話の夜ノ森地区の桜の話だと思いました。第1話は、落語の『抜け雀』を思わせる展開でおもしろく読ませ、第2話の斎藤洋さんの『アルフレードの時計台』のような雰囲気の話で、ちょっとしっとりと考えさせて、第3話に続ける構成がいいなと思いました。小学生にはわからないのでは? ということですが、おもしろい物語だなと思って心に残っていけば、今はベルリンのことや福島のことが理解できなくても、やがて大きくなって「ああ、そうか!」と思うときが来るんじゃないかしら。私自身も、そういうことがよくありました。それもまた、本を読むことの素晴らしさだと思います。戦争を体験した世代が、いろんな形で戦争のことを書きつづけてきたように、福島のことも書きつづけて、次の世代へ、また次の世代へとつなげていってほしいと切に思います。それも、児童文学の使命のひとつなんじゃないかな。ただ、狂言回しのお医者さんと看護師さんのネーミングがいやだな。じつをいうと、最初にそこを読んだときにうんざりして、読むのをやめようかなと思いました。

アカシア:さっき花散里さんが、これだと背景が分からないから小学生には難しいとおっしゃっていましたが、難しいと読んでもらえないということですか?

花散里:さくら専門の精神科医「ビラ先生」とか、ネーミングはおもしろそう、と子どもは読んでいくのかもしれませんが、作者が伝えたいと思っているベルリンの八重桜や福島のお話に入っていけるのかなと感じたんです。

アンヌ:私も、マリンゴさんがおっしゃったように5話くらいあればと思いました。ベルリンと福島の桜の話が書きたかったというのは分かるのですが、私はもっと第1話の「京都・太白」のような物語をあと2つくらいは読みたかった。絵から抜け出る話はよくありますが、花びらがひらりと飛んでいくというのはとても美しく、錯覚としても起こりそうな感じです。こういう不思議な話の形でメッセージ性のある作品を書くのであれば、せめてもう1話ぐらい語り手にまつわる話とかがあってもよかった気がします。私はこの語り手の語り口にはとてもはまってしまい、ネーミングも好き、大好物が桜餅で2つ食べちゃうところも好きです。だから、「ベルリン・八重桜」でビラ先生が活躍していないのが物足りなくて残念でした。

ととき:あと2話あったら長すぎない?

アンヌ:確かに、5話入れるには最初の1話が長すぎますね。さくらふりかけさんが先に鏡の治療法を話してしまうのを削って、絵師が絵を描く話と治療の話に分けて最初と最後に入れるのはどうだろうかとか、いろいろ考えてしまいます。

アカシア:私は、この作家・画家のコンビによる『こぶたものがたり』(岩崎書店)がとても好きなので、それと同じような作品かと思って読み始めたのですが、あっちはチェルノブイリと福島の子ブタがそのまま出てきて、その2箇所を子どもの手紙が直接結ぶという設定だったと思います。こっちは、それができないので、サクラハナ・ビラ先生とか、助手のさくらふりかけ、といった狂言回しのような存在を出してきたんでしょうか。この狂言回しの2人は、時空を超える存在なので、いかにも人間というかっこうで出てきちゃっていいのかな、と思いました。もっとスーパーナチュラルな存在(たとえば妖精とか小人)として描いたほうがよかったのでは、と思ったのです。1つ1つの桜のお話はなかなかおもしろかったのですが。たぶん作者がいちばん書きたいと思われたのは、福島の桜なのかなと思いましたが、それぞれにテイストが違うので、ちょっとちぐはぐな感じがします。2番目のお話に出てくるエヴァは、ドイツ語だと普通はエーファあるいはイーファになるのでは?

西山:作者の経験から考えて、「エファ」の発音をご存じないはずはないと思います。日本の読者の耳なじみにあわせて、ということありますかね?

ととき:登場人物の名前の呼び方は、難しいですね。いろんな読み方があるときにも、作者の好みがあるし…。

アカシア:でも今はほとんどの本では現地音主義になっているように思っていたので。

 

エーデルワイス(メール参加):ささめやさんの絵が好きです。この表紙もインパクトがありますね。内容は、ささやかなようで壮大なテーマを扱っているようです。特に最後の「福島・染井吉野」は、作者の一番つたえたかったことでしょうか? この本のように、一見幼年童話のように見えて、中身は重厚な本が最近増えているように思います。

(2018年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『フローラ』

エミリー・バー/著 三辺律子/訳
小学館
2018.02

アンヌ:最初は苦手な設定だなと思っていたのですが途中から夢中になり、よくできた推理小説を読み終えたような気分になりました。恋をすると今まで使わなかった脳の部分が活性化するんだとどきどきしながら読んでいきましたが、でもそれは精神安定剤のような薬を飲まなかったせいで一種の躁状態になったからなんですね。少し、残念です。でも、記憶がなくても記録をすることで生きていけるという事がわかって、予感していたような嫌な話ではなく、親友のペイジと仲直りもできてほっとしました。

ととき:ミステリーとしてのおもしろさで、はらはらしながら最後まで一気に読みましたが、主人公があまり好きになれなくて・・・。フローラは、10歳までの記憶はあるんですよね。お兄さんが、自分をとてもかわいがってくれたことは覚えている。でも、重病で死ぬかもしれないお兄さんのところに行くより、キスしてくれた男の子のほうに行っちゃうんですよね。それがYAといえば、それまでだし、海外でよく売れている理由でもあるんでしょうけれど。なにかに突き動かされて書いたというより、こういう障がいのある主人公をこんな風に動かせばおもしろいものを書けるんじゃないかという作者の意図がまず先にあったような感じがして。まあ、エンタメというのは、そんなふうに書くものなのでしょうが・・・。小川洋子の『博士の愛した数式』(新潮社)は、おなじ障がいを扱っていても感動したし、大好きな作品ですが。

アカシア:フローラは、お兄さんがどこに住んでいるかはわかっていないんですね。キスしたことを覚えているのは、忘れないようにノートに書いて、それをいつも見ているからだと思います。それに、そこが自分が生きることにとってとても重要だと思ったから。私は、エンタメだからこの程度とは思わず、この作者はその辺まできちんと目配りをして書いていると思いました。

さららん:3部構成が、とてもわかりやすかったです。記憶を留めておけないフローラの語りが断片的で、でもその感じ方と一体化すると、自分とはまったく違うフローラの感覚で世界が紐解けてくる。そこがすごくいいですね。例えば心は10歳のままなのに体は大人、その違和感を伝える語りが実に巧みです。キスの記憶、タトゥーなど、記憶と体の関係を描いているところにも注目しました。後半で登場する兄ジェイコブの存在は、読者に(そしてフローラ自身にも)隠されている家族の秘密を解き明かすに重要な存在。でも、危篤のはずの兄から、フローラに届く手紙やメールの翻訳文体が元気だったので、私の中では兄の人物像がうまく結べませんでした。1部、2部で残された謎が、3部ですべて手紙を使って種明かしされる。フローラ自身のハンデを思うと、それしか読者に伝える方法がなかったのかもしれない。ただ1部、2部までの展開と盛り上がり、息をのむほどの面白さを考えると、これ以外に物語を終わらせる方法はなかったのかな、と思いました。

花散里:物語の展開にドキドキしながら衝撃を受け、精神的には怖いようにも感じながら読みました。「自分探しの物語」というYAの作品のおもしろさを充分に感じました。アスペルガーやディスレクシアなど障がいを持った主人公の作品が最近のYAには多いですが、記憶が短時間しかもたないという記憶障害を抱えた少女フローラの語りに引き込まれていきました。自分に記憶を与えてくれたドレイクを追って北極へと旅立つ第2部、妹を思う兄からの手紙で物語が大きく展開していく第3部へと、構成もうまいと思いました。わが子が可愛いばかりに、という母親の思いは複雑でしたが・・・。友人のペイジ、ノルウェーの人たちなど、フローラに関わる登場人物も魅力的に描かれていて印象に残りました。

西山:読み始めは、うわーまたこういう認知が独特な主人公の一人称で内面に付き合わされるのか、つらいなぁと思ったのですが、投げ出す前にぐんぐんおもしろくなりました。今回、テキストにしていただいて本当に良かったと思っています。『カッコーの巣の上で』を思い出しました。じつは、映画と芝居を見ただけで原作は読んでないんですけどね。結局、奇をてらった難病ラブロマンスではなく、思春期の親子関係の物語だったんですね。普遍的な物語だとわかって、とても共感しています。いつまでも、フローラを10歳のままで止めて庇護したい母と、17歳の思春期に入っている娘の確執。フローラが外に出ていくという展開がすごくおもしろかった。スヴァールバルの人たちの寛容さの中では障がいが障がいでなくなっている、その在り方も素敵でした。ドレイクのやったことは、障がい者に対する性加害を考えさせられました。相手が被害を告発する力がないと思うから、そういう行動を取る卑怯さといったら! 障がいの有無に限らず、セクシュアルハラスメントの構造ですね。

ハル:私は・・・こういった記憶障害の例は確かにあるんだと思いますが、なんだかちょっと言いにくいですけど、正直言って「子どもが考えそうな筋書きだな!」と思いました。ドレイクとの関係は恋愛ではありませんでしたよね。友達もそれをわかっているのに、そのドレイクとキスをしたことが「あなたは頭のいいかっこいい男の子とキスだってできる」とフローラに自信をもたせる理由になるのがわかりません。なんで?「頭のいいかっこいい男の子」って、だれが? これ〈ラブストーリー〉ではないですよね。なんで? なんで? と、イライラしながら、なんだかんだで結局一気に読みました(笑)。その、「一気に読ませる」力はすごいと思いました。

マリンゴ:同じことの繰り返しで読みづらいかなと最初は心配だったのですが、あまり苦にならず、むしろ惹き込まれて読んでしまいました。すごい筆力だなぁ、と思います。ドレイクのクズっぽさがいいですね。中途半端に改心せずに、最後までクズでいてくれてよかった気がします(笑)。物語の皺寄せが全部ジェイコブに行きすぎてるかなとは思いましたけど。事故で大やけどを負って、ゲイで生きづらくて、20歳そこそこで肝臓がんですものね。過酷すぎます。フローラのような高次脳機能障害というと、私は料理研究家のケンタロウさんを思い浮かべます。高速をバイクで走っていて6メートル下に転落して、奇跡的に命は助かったけれど、記憶障害になって・・・。でも、当時は寝たきりだったのが、今は車椅子で動けるようです。少しずつよくなるという希望があるのではないかと思います。この本と同じように。なお、北極の街として登場するロングイェールビーンですが、NHKの特集で見たことがあります。世界最北の街で、(スヴァールバル条約に加盟している国であれば)どこの国籍でも無条件で移住してきていい、自由に商売をしていい、という特別な地区で、活気があってみんなフレンドリーでした。だから、フローラにみんなが親切にするのは、ある意味、とてもリアリティがあるなと思いました。ただ、物語で唯一気になったのは、メールのアカウントをフローラが自分で作ったという件ですね。どうしても、そこもドレイクがやったのだと思いたい自分がいます。1~3時間の記憶しか持たない中でどうやってやれたんでしょうね。

アカシア:おもしろく読みました。私の感想は、ほぼ西山さんと同じです。最初は、困難を抱えた人の一人称はしんどいな、と思ってさまよいながら読んでいたんだけど、だんだん引き込まれて、フローラが手ひどい目にあうのかと心配になり、そのうちフローラが自立するのを応援したくなり・・・と、読みながら気持ちが変わっていきました。アマゾンには小学館からのセールス言葉で、「絶対忘れられないラブストーリー」と書いてありますが、それはこの本のテーマからはずれているし、内容とも違いますね。障がいを持っていながら自立していく少女の物語で、考えさせる要素をいっぱい含んでいます。この母親は客観的にはひどい親ですが、なぜこうなってしまったかが書かれているのでリアリティがあります。最初は怒っていたペイジが、フローラに「本当の自分」を取り戻させようとするようになるのも、納得できるようにリアルに描かれています。他の方たちが、リアルではないと疑問を投げかけた点は、私はすべて説明がつくように描かれていると思っています。でも、一つだけ疑問だったのは、この母親が、フローラを置いて夫とフランスに行くという設定です。最初はパスポートがないと言うので、ああそうか、と思っていましたが、パスポートは結局あったわけですよね。だとすると、フローラがこれまでにも2回家出をしていたこともあり、自分のそばに四六時中おいて監視しようとするほうが自然なんじゃないかと思いました。ネットで前向性健忘症についてチェックしてみましたが、何かのきっかけで直る場合もあるようですね。でも、抗うつ剤などを飲ませて不活発にしておいたらダメらしいですね。そういう意味では、この本の終わり方には希望が持てます。

 

エーデルワイス(メール参加):18歳で自立できるなんて、日本と比べて感心してしまいます。主人公フローラの未来を明るく見せているので、読後感がさわやかです。p273でお兄さんが、「もう精神安定剤を飲まされないようにしろ。おまえはおまえでいるんだ」と述べているのが心に残りました。

(2018年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『カーネーション・デイ』

ジョン・デヴィッド・アンダーソン/作 久保陽子/訳
ほるぷ出版
2018.04

さららん:たった半日の小さな大冒険ですが、最後まで読むと、3人の人間関係、悩みなどいろんなことがわかってきて、内容的には正道の児童文学だと思います。読み始めて、造語がうまいな、と思いました。どうしようもない人のことを「ナシメン」と名付けるとか、今っぽい。また主人公3人が、社会のいろんな層から出ているところもいい。ただ最初の方で、3人の語りというルールがよくわからなくて、ときどき混乱しました。3人の性格がわかってくると読み解けるのですが、トファーとスティーブの語り口が似ています。もうすこし文体の面や、小見出しを大きくするとか、子どもが入りやすい工夫が必要かも・・・。ダブルミーニングをちゃんとダブルで訳しているところはいいですが、訳がわかりにくいところもありました。ひとりひとりの子どもをよく見ていて、必要な言葉や手をさしのべるビクスビー先生は素敵。やっと会えた先生に、ブランドがどんな励ましの言葉をかけたか書いていないところが、逆に物語の世界の奥行を広げているなと思いました。

アンヌ:私はとても読みづらくて、最初のうちは3人の区別がうまくつかないまま話が進んでいく感じで苦労しました。『二十四の瞳』(壺井栄著 岩波文庫)みたいに苦労しながら先生を訪ねていく話なんだと了解してから、やっとすらすら読んでいけました。古本屋の場面とか、あきらめて帰ろうと乗ったバスにお酒を盗んだ男が乗ってくるとかは、うまい作りだなと思いました。でも、ケーキや音楽の謎がやっと解けるのがエピローグなので、全体としてはわからないままいろいろ進んでいく感じが強かったです。読み終わってみると、良い物語だったなと思えるのですが、先生が亡くなる話なのはつらいですね。

アカシア:この先生が魅力的に描かれているので、おもしろく読みました。世界には6種類の先生がいる、なんていうところも、なるほどと思ったりして。ただ残念なことに、最初の出だしにひっかかってしまった。「謎の菌」は、アメリカの子どもたちがよく使うcootieという普通名詞だと思いますが、「謎の菌」だとうまく伝わらないかも。「菌急事態」も、会話だと「緊急事態」と同じになってしまうので、もう一工夫あったほうがよかった。訳者が苦労されていることは伝わってきますが。それに、ほかの方もおっしゃっていましたが、前半部分、3人の少年が同じような口調で語るので、だれがだれだかわからなくなります。もう少し区別できるような工夫があるとよかったですね。P26の「レッド・ツェッペリンのリードは?」に対して「ツェッペリン飛行船が鉛(ルビ・リード)でできているわけないですよ」と返す部分。鉛の発音はリードじゃなくてレッドなので、変です。もう一つ気になったのは、少年たちが「最後の日に何をしたいか」という話を先生が授業でしたのをおぼえていて、それをそろえてお見舞いに行こうとします。この先生はまだ入院したばかりで、回復する可能性だってあるんじゃないかと、私は思ってしまいました。それなのに「最後の日」に食べたいといったケーキやポテトチップスを持って行ったりする。日本の子どもだったら、たぶんしないでしょうね。でも、前にこの会でとりあげた『クララ先生、さようなら』(ラフェル・ファン・コーイ作 石川素子訳 徳間書店)も、死を前にした先生に子どもたちが棺桶を送るという設定になっていました。だから、外国では、そんなに不思議なことではないのかもしれませんね。

マリンゴ:いい話だと思ったし、読後感もとてもよかったです。ただ、みなさんがおっしゃっているように、視点の切り替えが頻繁すぎて、特に序盤は誰目線なのかわからなくなりました。3人の感情表現が似ている上に、ゴールが一緒であるため、混同しやすくなるんじゃないかと思いました。みんな先生が大好き! なんですけど、たとえば1人は、先生に対して何か複雑な感情を抱いているとか、そういう違いがあれば、視点が変わっていく意味も大きくなったかもしれません。序盤の1人の視点を長めにするか、あるいは全体を三人称にしたほうが読みやすかったかも。著者には叱られるかもしれませんが、もしかしたらスティーブの視点固定でも一応成立は可能な物語だったかな、なんて考えながら読んでいました。あと、「すい管せんがん」と先生がはっきり病名を言うところは、日本ではなかなか考えられないシーンで、印象的でした。私はすい臓関係の病気、少しくわしいので、ラストの部分、「すい臓の病気で、フライドポテトそんなに食べたらあかんー!」と思わず悲鳴を上げたくなってしまいました。でも、自分が言ったことを、子どもたちが覚えてくれていた、というのは大きな喜びでしょうね。

ハル:私も、ブランドの節に入って、一人称が変わって、初めてそういう構成なんだと気づきました。見出しでページを変えるとか、本づくりにもう少し工夫があってもよかったのかなと思います。でも、物語自体はとても良いお話だと思いました。高価なケーキや未成年では買えないワインを一生懸命買おうとするのも、大人になった今だから「そんなのいいのに!早く会いに行って!」と思うけど、子どもたちにとったら一大事で、大冒険で、ゆずれないところですよね。全体的に、あからさまに書かないというか、まわりくどい書き方というか、大人っぽい書き方だなとは思いました。余談ですが、学校をさぼらなかった子たちにも、『指輪物語』の最終章、聞かせてあげたかったな。

西山:感想は、みなさんとまったく一緒! え、ちょっと待ってと立ち止まった場所もたぶん一緒です。最初は、ちょっと腹を立てながら読みました。自分がレポーターか何かなら、登場人物メモでも作りながら読むけれど、一読者としては、そんな手間をかけなくてもページをくっていけなければ読書は楽しめません。それど、彼らのうかつさは、リアルなんだとは思います。だから、子ども読者には共感を持って読まれるかとは思いますが、正直なところ、次々と繰り出される失敗は若干ストレスでした。いや、ケーキ背負って走ればぐちゃぐちゃだろ、とか。もう少し読みやすければよかったのに。原書もこういう作りなんですよね? だとすると、勝手に三人称にすることはできないし・・・。

アカシア:話者が替わるところで、ちょっとずつ違うそれぞれの男の子の似顔絵をつけるとか、それくらいはできるでしょうけど。

花散里:がんの宣告を受けた先生を思う3人の少年たちの物語で死を描いた作品として、人の死をしんみりと思わせてくれると紹介され、1回目は一気に読みました。2回目に読み返した時には、目次がないし、p89のスペイン語がそのまま書かれていたり、登場人物が区別しにくいなど、日本の子どもたちが読んだときにどうなのか、と、気になってきました。3人の少年たちにとって特別な1日であったというこの作品に、このタイトルでいいのか、と思ったり、表紙の絵や装丁にも引っかかりました。編集や翻訳の方も、日本の子どもたちが読むときのことをもっと考えてほしいな、と思います。私は、優れた海外の翻訳作品を日本の子どもたちに手渡したいといつも思っています。そのためには、こなれた日本語にする翻訳者の方、編集者の方の力が大きいのだと改めて思った作品でした。

アカシア:今おっしゃったp89のスペイン語は、日本の子ども向けだったらアルファベットで出しておく必要がないですよね?

花散里:そう、そういうことろは、編集者の人に目配りしてほしいですよね。日本の子どもたちがどういうふうに読むか、をちゃんと考えてほしいものです。読んで、すっとわかるようにしておいてほしいです。

さららん:翻訳物の場合、中身を全部わかるようにするのは難しいけれど、でもだからこそ、訳者と編集者が一丸となって、読みやすくする配慮が不可欠だということですね。

花散里:会話で文章が続いていくところは、とくに気になりました。「世界には6種類の先生がいる」と、先生のタイプをあげていくところなどはおもしろく読みましたが・・・。

(2018年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)