あまたあるアフリカの昔話の中から、私が「ふしぎ」をキーワードにおもしろい話を選び出し、翻訳したもので、以下の13の昔話が入っています。

・恩を忘れたおばあさん(ガーナ)
・山と川はどうしてできたか(ケニア)
・魔法のぼうしとさいふと杖(チャド)
・カムワチと小さなしゃれこうべ(ケニア)
・動物をこわがらせた赤ん坊(セネガル)
・力もちイコロ(ナイジェリア)
・キバラカと魔法の馬(スワヒリ)
・ヘビのお嫁さん(タンザニア)
・悪魔をだましたふたご(リベリア)
・ニシキヘビと猟師(コートジボワール)
・ワニおばさんとの約束(ナイジェリア)
・村をそっくり飲みこんだディキシ(ボツワナ)
・あかつきの王女の物語(スワヒリ)

*スワヒリというのは、スワヒリ語で語り伝えられてきた物語という意味です。ロンドンでお目にかかったこともあるヤン・クナッパートさんが編集したMYTHS & LEGENDS OF THE SWAHILIという本から選んだ昔話なので、こうなっています。

*この本は、もともと冨山房で出版されていました。原稿を冨山房に持ち込んだ時の私はフリーの翻訳者でしたが、なかなか本にならないので、何度も問い合わせをしているうちに、なぜか編集者として冨山房に入社することになりました。そして編集者の私が最初に手掛けた本が、この作品だったのです。

(編集:須藤建さん)

ちなみに、冨山房版はこちら

 

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<あとがき>

アフリカというと、どこかとても遠いところで、人びとの生活や考え方も、日本人とは全然違うと思っている方もあるかもしれません。たしかにアフリカは地理的にも近くはないし、私たちとは違った文化や風習ももっています。けれどもそれ以上に、同じ地球の上に暮らしている人間として、共通していることもたくさんあります。

たとえば、日本でも昔は、子どもたちが、いろりばたで、おじいさんやおばあさんの話す物語に耳を傾けました。アフリカでも、夜になると、子どもたちは火のまわりに集まって、お年寄りやおとなが話してくれる物語を聞きます。そんな時、物語に引きこまれて夢中になった子どもたちの目が、きらきら輝いているのは、世界のどこでも同じだと思います。

この本には、アフリカ大陸のあちこちで語られてきた物語の中から、魔法の話や、ふしぎな精霊や魔神の出てくるものを集めて、まとめてあります。

どの物語が、どの国に住んでいる人たちのものか、ということについては、八頁に載っているアフリカの地図を見てください。

ただし、スワヒリの物語と書いてあるものについては、ちょっと説明がいるでしょう。地図を見てもおわかりのように、スワヒリという国はありません。スワヒリの物語というのは、スワヒリ語という言語で語り伝えられてきた物語、という意味です。スワヒリ語は、アフリカのバンツー語に、アラビア語の影響が入ってできた言葉です。もともとは、東アフリカのインド洋沿岸で話されていましたが、今ではもっと広い地域に普及しています。

スワヒリの物語を読んで、『千夜一夜物語』などのアラビアの物語を連想した方もあるでしょう。それも、もっともです。スワヒリ人と呼ばれる人びとは、アラビア文化の影響を強く受けています。昔、アラビアの人たちは、紅海やインド洋を越えて海からアフリカへ入り、また砂漠を越えて、北アフリカや西アフリカまでも入って行きました。ですから、チャドの物語『魔法のぼうしとさいふと杖』にスルタンが出てくるのですね。

テレビやラジオや映画など、受身の娯楽が少ない地域には、自分たちで積極的に娯楽をつくり出していく良さがあります。そこでは、踊りや歌や楽器の演奏などと並んで、物語(ストーリーテリング)が人びとの生活になくてはならない楽しみになっています。

アフリカでは物語といっても、本を棒読みするように抑揚なく話すわけではありません。歌を混じえたり、物まねや踊りを入れたり、身ぶり手ぶりを加えたりしながら話すのです。

またアフリカには、職業的な語り部(西アフリカではグリオ、ジェリ、ジャリなどと呼ばれています)もいます。この人たちは、物語を聞かせることを専門の仕事にしていて、民族の歴史や、王の系譜や、伝統的な行事歌や褒め歌、叙事詩などを語り聞かせています。自分で楽器を弾きながら、それにあわせて歌い語りをすることも多いようです。また聞き手のほうも、合いの手を入れたり、かけ声をかけたり、熱が入ってくれば踊り出したりします。

アフリカの日常生活の中では、たいてい一日の仕事が終わって日も暮れたころに、語りが始まります。「昼間話すと、語り手の母親に死が訪れる」という言い伝えがあって、物語は夜のものと決まっている地方もあります。

時が夜というのは、大事なことかもしれません。夜の闇は、人間の想像力をとき放ち、昼間の太陽の下では見ることのできない世界へと、私たちを導いてくれます。昼間はふつうの木が、夜見るとふしぎな力をもった魔物のように思えたことはありませんか? 人間がものを思い描いたり、想像したりする力は、夜の闇の中で無限に広がってゆくものです。この本の中に出てくる、ふしぎな力をもった魔性の者たちも、きっとそうした闇の中から生まれてきたのでしょう。

特に、テレビとかラジオもなく、電灯さえないようなところでは、人間がむき出しの自然に接することも多くなり、夜のもつ魔力も、都会とくらべるとずっと強いといえそうです。

一九七五年、私はナイジェリアで、たまたま夜行の貨物列車で旅をしなければならなくなったことがありました。その時の風景は、今でも忘れられません。ナイジェリアは、当時アフリカではいちばん人口の多い国だったのですが、夜の風に吹かれながら屋根なしの貨車に乗っていると、まるで無人の荒野を走っているような気がしたものです。日本なら、へんぴなところでも、必ずどこかに人家のあかりが見えたり、走ってゆく車のヘッドライトが見えたりして、ああ、あそこに人がいるんだな、とわかりますが、そのころのナイジェリアは、まだ大都市以外には電灯がなく、もちろん、照明看板やネオンが見えるわけではありません。夜行貨物列車は、闇の海の中を、ゴトンゴトンとどこまでも走っていきました。あの時は、だれにもじゃまされずに、夜そのものと向かいあっているような気がしましたし、この本に出てくるようなふしぎなものたちが、あそこにもここにも、身をひそめているように感じたものです。

その後、私は東京であわただしい毎日を送っています。あの時のように、夜のもつふしぎな力を感じることも少なくなってしまいました。都会というのは、たしかに便利ですが、その反面、私は大事な忘れ物をしてしまっているようです。

読者のみなさんには、なるべくなら夜、窓をあけ放って、そして、アフリカのおじいさんやおばあさんに話してもらっているような気持ちになって、この本を読んでいただければ、と思っているのですが……。

本書は最初、冨山房から出版されて版を重ねましたが、その後長いこと入手できなくなっていました。思えば、この本の出版がきっかけになって、様々な出会いがありました。「アフリカ子どもの本プロジェクト」というNGOも、そんな出会いが重なって生まれたものです。このNGOでは、アフリカの子どもたちが必要としていれば本を送ったり、ケニアに二つある図書館を支えたり、日本の子どもたちに本を通してアフリカの文化や子どもの状況を伝えたりする活動を、仲間といっしょに行っています。私はその後も、さまざまなアフリカについての本を翻訳してきましたが、この本はそんな活動の源にあるような、自分にとってはとても大事な本です。今回、岩波書店さんが再刊してくださることになり、とてもうれしく思っています。気に入ってくださって、しっかり見てくださった須藤さん、ありがとうございました。

二〇一八年十一月     さくまゆみこ