『エヴリデイ』表紙
『エヴリデイ』
デイヴィッド・レヴィサン/作 三辺律子/訳
小峰書店
2018.09
原題:EVERY DAY by David Levithan, 2012

毎朝、だれかのカラダで目を覚ます。そして、一日だけだれかの人生を生きる。他人の人生を変えるわけにはいかない、そう思ってた。きみに出会うまでは。

彬夜:読み直すことができなかったので、少し前に読んだままの印象ですが、それぞれのエピソードは、リアリティがあって、おもしろく読みました。せつない物語だなと。ただ、やっぱり設定そのものが納得しきれなくて、そもそもこの子はいかにして誕生したのか、という点が腑に落ちませんでした。

コアラ:おもしろかったです。通勤途中の、10分くらいの細切れの時間で読んでいったのですが、それがよかったのかもしれません。とにかく先が気になってしかたなかった。毎日違う体に宿って生活する、というのは独創的だと思いました。カバーに描かれている赤い服の女の子がリアノンだとすぐに分かったのですが、たくさん描かれているのは宿った人たちのはずなので、なぜ宿った人たちの中にリアノンがいるのか、読み進めるまで謎でした。最後は結局Aが去ることになって、寂しい終わり方でしたが、愛に溢れたおもしろい話でした。

ぶらこ:「これからどうなるのだろう?」と予測がつかなくて、一気に読んでしまいました。 奇抜な設定だけど、ルールが細部まで作り込まれているからリアリティを持って読めるし、主人公が憑依する人々の生活が細やかに描き分けられているのがおもしろかったです。プール牧師の中にいた人物のことやAという存在の謎については全く明かされないまま終わるけれど、それよりも著者は、Aを通して見るいろいろな人生の厚みのほうを伝えたかったのかな、と思いました。ただし、Aがリアノンに素敵な男の子を紹介して去って行くというラストは、恋愛の結末としてリアノンはそれでいいのか?と気になりました。

ハル:設定からしてすごくて、どうなっちゃうんだろうと思いましたが、とてもおもしろかったです。人を内面だけで愛せるのか、環境が違ったらどうか、性別が違ったらどうか、恋愛対象の性別が自分と違ったらどうか、薬物やお酒に溺れていたらどうか、容姿が違ったらどうか、触れられなかったらどうか・・・・・・など、思いの外いろいろと考えさせられます。そしてYAってなんだろう、と改めて考えさせられました。でも、ラストがよくわかりません。これは、私の読解力のなさのせいか・・・・・・。残念です。

須藤:だいぶ前に原書で読んで、残念ながら翻訳には目を通せていないので、そういう感想として受け取ってください。いや、自分は、最初はけっこうおもしろくて読ませると思いました。ただ、彼らがそもそもどういう種族なのかが、最後まではっきりしないので、そこがどうしても気になってしまったんです。アメリカではSomedayって続きが出ているので、その辺のこともフォローしてくれているのかもしれません。その後日本語版が出て、とても評判がよいので、自分の目は節穴かもしれないと思っています・・・・・・。 デイヴィッド・レヴィサンは『ボーイ・ミーツ・ボーイ』(中村みちえ 訳、ヴィレッジブックス)の作家ですが、ジェンダーに関する問題意識がこんな形で出てくるんだ、というところはおもしろかったですね。見た目や性別、どういう階層、グループに所属しているのか、そういうことがアメリカ社会ではより意識されるんじゃないかと思うんですが、そこに属さないアイデンティティみたいなものを、ある意味追求してるんだと思うんですよね。

しじみ71個分:おもしろかったです。1日ごとに同じ宿主が変わる身体のない主人公という設定が斬新でしたし、宿主の生活を変えないように生きてきたのが、リアノンに出会い恋をして変わってしまうという、Aの心を縦軸にして、横軸にAの視点を通して、16歳という年齢で輪切りにされた、現代のアメリカを生きる若者たちの様々な生活や内面が描かれているのが非常におもしろいです。一人ひとり異なる、いろんな高校生の今が見えます。穏やかな子もいれば、薬物中毒や経済的な困難を抱えている子もいる。レズビアンの恋人がいる子もいれば、ゲイのバンド仲間の友人がいる子も登場して、LGBTをめぐる日常も普通に織り込まれていたり、若者群像がとても色彩豊かにリアルに感じられて好感を持ちました。Aが宿主のおじいさんのお葬式で人生を学ぶなど、他人の生活を通して人間を知っていくという表現も繊細で良かったです。ただ、訳の点でちょっと分かりにくいところもあり、もうちょっと分かりやすくしてほしいなという箇所がいくつかありました。
Aの存在を知って利用しようとする悪意に満ちたプール牧師が登場するところから緊張感が高まり、物語がどこに向かって終焉していくのかドキドキしましたが、最後はAがどこにどう逃げるのか全然分からないし、最後の宿主にされたケイティはどうなってしまうのかも分からないし、尻切れトンボな印象を受けました。結末がオープンというのもひとつの手法なのかもしれないけど、もうちょっと何か分からせてほしかったです。章立てが〇日目という日数になっていて最初は何だろうと思いましたが、割り算をしてみると、16歳になってから154日目から話が始まっていることになっているみたいですね。16歳が終わると17歳の子たちに憑依するのかな。人生を年単位の積み重ねで考えるのではなく、日ごとに考えないといけないAの生を象徴しているようです。

シア:衝撃的で素晴らしい本でした。最高の純愛。ここ数年で一番のお気に入りです。読み終わった後、表紙の人物を眺めるのが楽しかったです。設定がとにかく特異で、非日常の連続、先が気になって一気読みしてしまいました。すごいYAです。さすが海外としか言いようがありません。この年齢の子が持っている“もしも自分じゃなかったら?”という変身願望を見事にストーリーにしていると思います。LGBTも盛り込んで、“自分”という個性を徹底的に掘り下げています。自分を愛するということ、人を愛するということ、そしてその人の何を愛するのか、何を求めるのかということについても一石を投じています。数人のメインメンバーと大勢の人生の一日を通して、人間の欲望と傲慢さ、繊細さを描いています。ラストシーンの「生まれて初めて逃げ出す」というのは、ずっと抑圧されていた自己の解放を意味しているのかなと思いました。その人の人生を邪魔しないで生きてきたけれど、Aは新たなスタート切ると決め、全てを捨てることを選択します。逃げるという言い方をしていますが、解放ではないかと。依存や執着からの脱却というか。ただ、訳した際のニュアンスなのかなという気もしてきました。逃げ出すなのか、走り去るなのかとか。Aがどうしてこういう体質なのかとかそういう理由付けは明かされていないけれど、それでいいと思います。他でも幽霊や魔法もそこにあるものとして描かれていますし。続編があるので読みたいですが、この1冊で終わっても構わないくらいです。というくらい感動しましたが、ヒロインのリアノンが最悪でした。
Aが人間の精神で、リアノンが肉体を表しているのならば納得もいきますが。リアノンは平凡な上に狭量で、16歳なら仕方ないのかもしれないけれど狭い世界しか知らないので思考に柔軟性がありません。にもかかわらず性欲だけは旺盛で、DV被害者にありがちな典型的なメンヘラ女です。すぐに電話に出てくれないと嫌、すぐに来てくれないと嫌、そばにいてくれないと嫌、面倒くさいこと極まりないです。アレクサンダーが心配です。スクールカースト上位にいることが価値であるような女子高生。ジャスティンも同じで、リアノンのことをアクセサリーと考えて付き合っているような男ですよね。

しじみ71個分:リアノンについては、きれいで芯が強そうくらいのことしか描かれていないですけど、Aはなぜリアノンを好きになったんでしょうね?

シア:リアノンがAとは正反対の平凡、ドがつくほどのド平凡だから。そして、どこか寂しげだったからかもしれません。Aは自分にないものと、自分と似たような寂しさに強く惹かれたのかなと。Aはリアノンに入ったときお風呂にも入らず、体も見ないばかりか中身も詮索しませんでした。つまり、外側しか見えない幼い恋愛の愚かさを説いているのかなと思いました。リアノンの狩猟小屋での第一声はp285「今日はすごくかっこいいね」です。ここで130kgのフィンが現れたら、上着だって脱がなかったに違いありません。しかも、この時点でまだジャスティンと付き合っているという事実。色欲の罪ですね。p349「わきあがる怒りに自分でも驚いた。『リアノンのためならなんでもできる。でも、リアノンは、そうじゃないんだね?』」とありますが、結局この恋愛は二人が作中でバカにしていたシェル・シルヴァスタインの『おおきな木』のような結果になってしまって、なんだか空しいです。

ツルボ:YAって、とっても実験的なことができるなと思いました。YAの可能性っていうか、若い翻訳者たちが競ってYAを訳したがる気持ちが分かるような気がしました。私としては、もっと小学生向けの作品を一所懸命訳してもらいたいなと思うけれど。それはともかく、日ごとにいろんな人の身体に宿るというあらすじを読んだときに、なんだかお説教くさいことを言われるんじゃないかと警戒して、あまり気が進みませんでした。でも、実際に読んでみると、主人公の恋の行方や、正体が明かされるのではないか、というサスペンスで、どんどん引き込まれました。最後のところは、私はシアさんとは全く別で、結局、作者がまとめられなくなってしまったので、強引に決着をつけたという感じを持ちました。Aの恋するリアノンが言うことがまともで、恋にしても何にしても、人間同士の結びつきって、精神だけではなく姿や声や体温や匂いや、あらゆることが関わってくるものだと思うので。ティーンエイジャーの群像はよく描けていると思ったけれど、最後の方になると、あまりにもいろんな人に宿るから、コメディみたいになってきて笑えてきました。

まめじか:Aに何ができて、何ができないのかが、いまひとつ掴めなかったんですよね。自我があって、恋もするのに、p152で宿主の感情はコントロールできないとか・・・・・・。読解力がないのか、意味が分からないところがありました。p97で「おれは踊りにきたんじゃない。飲みにきたんだ」って言うジャスティンに、リアノンが「そうだよね」って言って、それは「ネイサンへのフォロー」に聞こえたとあるのですが、なぜそうなるのでしょう?

コアラ:ジャスティンの連れとして来たけれど、ここではもうネイサンに気持ちが向いていて、「うん、そうだよね」の発言は、ジャスティンに対してというより、ネイサンに対して「この人(ジャスティンのこと)踊る気ないから」と言っているような気がした、というようなことでしょうか?

ネズミ:どうなるのか知りたくて読んだけど、途中で疲れてしまいました。主人公の気持ちにあまり寄り添えなかったからか、リアノンとの逢瀬のために宿主たちが利用されていくのが苦しくて。「ぼく」は、もともと男性で書かれていたんでしょうか。もっと中性的だとしても、日本語だと話し言葉で男女がすぐ分かるので、訳すのが難しそうだなと思いました。それから、リアノンを好きになるところから物語が展開する割には、リアノンとの出会いはあまりインパクトがなくて、そこが不思議でした。書店では、海外文学の棚に並んでいることも多いですね。後書きの解説もないし、出版社がそういう読まれ方を狙っていたのでしょうか。

須藤:あと毎日違う人生、違う人物に転移するけど、なぜアメリカのこの狭い地域限定なのか・・・・・・とは思いました。レヴィサンは、さまざまな背景の人物を出すことで、多様な人物に成り代わってみる、というおもしろさも出したかったんじゃないかと思いますし、それはある程度成功していると思いますが、一方より広く見て暴論を言えば、どんなに複雑な背景を持っていても、「アメリカの高校生」って点ではみんな同じ文化的背景の中にいて、それって実はすごく狭いんじゃないかと・・・・・・。

ツルボ:Aのような存在が複数いるというように読めるから、それぞれにテリトリーがあるのかも!

ネズミ:ちょっと前に「ニューヨーク公共図書館」という映画を見たのですが、そのときに、この作品に出てくる宿主ってこんなに多様な人たちなんだと気付いて、テキストから自分がアメリカ人の肉体感覚を想像しきれていないのを痛感しました。アメリカ社会を少しでも知っている大人のほうが、より楽しめるかもしれませんね。

西山:最初は読みにくくて、おいおい、これがずっと続くのかと、『フローラ』(エミリー・バー 著 三辺律子 訳 小学館)のとき同様の戸惑いを感じました。でも、他に読まなくてはならないものがあって中断して、数日ぶりに開いたときにものすごくおもしろい体験になりました。「私はだれ?ここはどこ?」となったんです。これは、Aの人生の追体験みたいなものですよね。本を読むことで、自分というものの輪郭を持てるというところもあったし、『本泥棒』(マークース・ズーサック 著 入江真佐子 訳 早川書房)が出て来たり・・・・・・。読書というのは、そもそも他人の人生を暫し生きるような行為なわけで、それを思い出させるメタ読書のようなところがおもしろかったです。もちろん何より設定の珍しさに目を引かれたわけですが。アイデンティティを保つツールとして自分宛のメールがあるわけですが、パソコンが使えるかどうかでその日の宿主の生活状態が端的に説明できる。すごいなと思います。また、こういう手法でLGBTについて考えさせるのも巧みだと思いました。身体的な性別はどこまで重要なのか。設定と乖離しない問題提起になっています。自分のアカウントにアクセスすることでアイデンティティを保つというのもそうですが、人は見た目じゃなくて中身だという「正論」の究極をリアノンに突きつけていて、リアノンの葛藤は肉体的な接触を含めて人間の身体性を問い直すようで、とても現代的なしつらえでありながら問いは普遍的です。続きは読みたいとは思うけれど、それは別の話かな。謎への興味に応えることはエンタメとして必要な展開だと思いますが、私はこの作品にエンタメ的な満足感は特に求めません。恋愛の在り方にもいろいろ意見が出るだろうから、学生の読書会テキストにしたら盛り上がるだろうと思っています。

アンヌ:読み終って、逃げたのは作者だなと思いました。こういうSF仕立ての小説は、物語を楽しみつつ、頭の別の部分ではこの世界を解き明かそうとフル回転させながら読んでいるので、牧師が現れてAの同類の者がいる、謎が明かされる、というところで中途半端に終わったのにはがっかりです。続き物にするから書かなかったのでしょうか。それにしても粗略な感じの最後です。一つ一つの話は楽しめたし、麻薬や肥満や自殺願望やLGBTの恋等、様々な世界を垣間見られるのも楽しかったけれど、同時に、例えば宿主の自殺願望について、これだけの判断ができるAの成長過程に疑問を持ちました。それなのに、正体が解き明かされないで終わるので、いろいろ推理していた身には辛かった。さらに、これだけ恋について書いておきながら、リアノンにぴったりの男性を紹介してベッドの横に寝かせて消えるなんて、失恋した娘に自分の推薦する相手と見合いさせる親父のようで、これで終わるんなら、恋に落ちたなんて言わないでほしいと思いました。

マリンゴ:最初は読みづらいと思いました。私はロジカルな“仕組み”を知りたいタイプなのですが、なぜ、こういうことになったのか説明がないので・・・・・・。それで各章をまとめるメモを取りながら、業務的に読んでいたのですが、徐々に引き込まれてメモもいらなくなりました。肉体があるから縛られること、肉体があるからできること。ひとつの人生だけを生きること、いろんな人生を体験すること。様々なことに考えが及んで、余韻が残る作品です。気になったのは、設定のブレではないかと思われる部分。p8で「事実にアクセスすることはできるけど、感情にアクセスすることはできない」とあります。けれど、p90では「これまで感情がふるえた経験はひとつしか見つけられなかった」となっていて、矛盾を感じました。あと、p383で「アレクサンダー」の文字が4行続けて横並びになっているんです。偶然なのは分かるんですけど、一瞬、何か意味があるのか、暗号的なものなのかと疑ってしまいました(笑)。できれば接続詞でも助詞でも入れて、バラしてほしかったです。

ルパン:ものすごく疲れる本でした。一生懸命読みすぎたのかもしれませんが、次々とAが憑依する人間が変わっていくので、ついていくのが大変で。リアノンはAの姿かたちや性別までが変わってもずっと好きでいられるのはむしろあっぱれだと思いましたが、Aがリアノンに入るところはさすがにぞっとしました。ひとつだけ共感したのは、p149の「生きる目的が見つかってしまったときに陥る罠・・・・・・その目的以外のことが、すべて色あせて見えてしまう」という一文です。それから、もしも自分がひとつのからだ、ひとつのアイデンティティを持ち続けることができずに意識だけがずっと同じであったら、どんなに辛いだろう、という悲しさ・せつなさは感じられました。

ハリネズミ:発想がすごくおもしろいですね。Aのような存在はひとりしかいないのかと思っていたら、もしかしたら複数いるのかもしれないと思わせたりして、意外性もあって読ませますね。ただ、リアノンのような、一歩引いてボーイフレンドを受け入れて後をついていくような女の子が、しょっちゅう姿の違うAと会ったりするところはリアリティを感じられませんでした。恋愛は見た目と関係ないのか、というのは「フランケンシュタイン」以来のテーマでもあるけど、「フランケンシュタイン」のほうが現実味があるな、と思いました。それと、私には最後がよくわかりませんでした。どうしようとしているのでしょうか? 「逃げる」というのは、どういうことなのでしょうか? それと、Aはリアノンに自分らしさを持ってほしいとか、自立してほしいと思っているはずなのに、Aが「いい男の子」を選び出して、その子とリアのンをくっつけるのは、上から目線のパターナリズム。エンタメだと思えば楽しいけど、ジェンダー的には問題のある作品ですね。続編でいろいろなことがもっとわかってくるのかもしれませんけど。

しじみ71個分:最後にちょっと気になるところが・・・・・・。p129に急いでご飯を食べる姿を「即行」と書いていますが、こういう場合はカタカナでいう「ソッコー」で、漢字にしたら「速攻」じゃないですかね? ネット辞書では「即行」もすぐやるという意味で「速攻」と同じとしていますが、あまり見慣れない感じです。

ルパン:小見出しに○日目、とありますが、どこからどうやって数えているのだろうと思いました。

須藤:なんで正確に分かるんでしょうね。

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エーデルワイス(メール参加):主人公が、毎日違う人物に入り込んでしまうところが新鮮でした。LGBTやジェンダーについても盛り込まれています。最後が分かるようで分からないので、続編があるのでしょうか?

(2019年07月の「子どもの本で言いたい放題」)