カテゴリー: 子どもの本で言いたい放題

三つ穴山へ、秘密の探検

『三つ穴山へ、秘密の探検』
ペール・オーロフ・エンクイスト/著 菱木晃子/訳 中村悦子/絵
あすなろ書房
2008.11

トム:親子の様子も、年とった人の暮らしも、男女の関係も日本と違うなって思いました。でも、小さなミーナが夢を恐ろしがるのは、誰にもあること。その子ども時代をくぐってゆくときに、お父さんでもお母さんでもなく、おじいちゃんが登場して寄りそってくれるっていうのは説得力があるし、いいなって思いました。日本的には、年とるにつれて、人は保護者になることを期待されることが多いようですけど、このおじいちゃんのスタンスが保護者じゃないのが面白い。グニッラが「女ならできる」って言うけど、スウェーデンでは「女ならできる」っていうスローガンをかかげる時代はもう過ぎたんじゃないのかしら。どうなのでしょう? 物語のなかに色々な要素が詰まっています。野生の狼親子・密猟者・熊、それぞれがひとつの物語になりそうなのに、ちょっとおなかいっぱい感がありました。おじいちゃんが、一人では登れない山へ小さな孫4人連れて行く・・・?エーッそれはあまりに無謀! たぶん大反対されていたのに探検の夢がどんどんふくらんでこのおじいちゃんは突っ走ったんでしょうね。おじいちゃんはそもそもどうして三つ穴山に登りたかったのか? よく考えるとわからないことが出てきます。ハラハラドキドキ、ほんとうに無事でよかったけど。
 物語の背景になる大きな自然にはとても惹かれました、ヨーロッパの深い森も歩いてみたいです。でもこのあこがれは、おじいちゃん的無謀さにならないようにしないとレスキュー隊のお世話になるかもしれません! 風に吹かれながらミーナが冒険を回想する最後の場面は、ほんとうにホッとします。ミーナの年を考えるとちょっと大人っぽい感じもしますけど。

レジーナ:とても好きな作品です。私が子どもの時に読んでも、やはりひきつけられたと思います。クマやオオカミ、密漁者など、つぎつぎに事件が起きるにもかかわらず、リアリティがあるのは、作者に力があるからでしょう。おばあちゃんに内緒で、犬にミートボールをやったり、車いす競争をするなど、両親でもおばあちゃんでもなく、おじいちゃん特有の遊び心やユーモア、子どもたちとの特別な関係をよくとらえています。「ヒマラヤ」を「ヒラヤマ」と間違えるなど、ユーモアもきいています。山の中でのびのびと冒険する子どもたちが、しだいにけんかをしなくなったり、互いに助け合う様子が、いきいきと描かれていました。弱気になったおじいちゃんに対して、「人は思っているよりじょうぶなものよ」と胸をはって言う姿に、最初は夢に出てきたワニをこわがるような小さな女の子だったミーナの成長を感じました。挿絵も物語の雰囲気にあっています。ただ、ミーナが6歳でイーアが8歳なのに、表紙ではイーアの方が幼く見えるのが気になりました。「手伝うって言っちゃいけない」という男女同権の価値観は、非常に北欧的ですね。

アカザ:エピソードのひとつひとつがとてもおもしろくて、楽しく読みました。魅力的な自然や、子どもたちのキャラクターもよく描けているなと思いました。ただ、対象年齢はどれくらいなんでしょうね? さすが菱木さんの訳だけあって、訳そのものはすばらしいと思いましたが、もう少しやさしい言葉だったら小さな子どもたちも楽しめたのかな。主人公も6歳ということだし。ただし、男女平等論者とか、外国から来た密猟者の話とか、向こうの子どもたちにはなじみのある事柄でも、日本の子どもたちには理解できないことが出てくるし……。難しいなと思いつつ読みましたが、訳者のあとがきで大人向けの作品を書いていた作家が、初めて子どもたちに向けて書いた物語と知って、「なるほど!」と納得がいきました。

ルパン:私は凡人なので……この話はだめでした。子どもをこんなに危険な目にあわせちゃだめですよ(笑)。クマもオオカミも密猟者も、一歩まちがえれば死の危険がありますからね。女の子ひとりで6時間も山道を歩かせたり、もうむちゃくちゃだなあ、と思いました。最初ちょっと期待感があったんですけどね。このおじいちゃん、小説家という設定なので、小説家ならではの想像力というか空想力でミーナを救っちゃうのかな、って。でも全然ちがったうえに、子ども連れて山に入って自分が動けなくなっちゃうなんて、がっかり。

サンザシ:私はユーモア児童文学だと思っておもしろく読みました。このおじいちゃん、愉快です。ワニにお尻をかまれたミーナに、もっと大きな冒険をさせればと思って山登りに誘うわけですが、p35には「でも、ひとつ、おじいちゃんがミーナに話さなかったことがある。じつは、おじいちゃんはずっと前から、別荘の東側にある〈三つ穴山〉に登ってみたかったのだ。ただ、ひとりでは登れずにいたのだ」なんてあって、笑っちゃいました。また退院したおじいちゃんのためにマッツおじさんが買った車いすで、みんなでタイムレースをするのもおかしい。自信満々のマッツおじさんもスピード出し過ぎて転倒し、妻に「あのおじいちゃんの息子だから」なんて言われてるところも。ただ、ちょっとご都合主義的にうまく行きすぎるところが気になりました。オオカミやクマだけでなく密猟者まで出てきたうえに、骨折したおじいちゃんを助けに来たヘリコプターに密猟者まで逮捕されるとか。あと、オオカミの子どものマーヤ・ルベルトとシュナウザーの子どものエルサはキャラがかぶるんですね。エルサはこの物語の中でどういう役割なんでしょう? なくてもいいのに、と私は思ったんですが。それにしても、おじいちゃんが年端もいかない子どもたち4人を連れて山に登り、次々に危険な目にあうなんて、日本の作家が書いたら、非難囂々でしょうね。

プルメリア:「ワニにおしりをかまれた」っていう書き出しがとてもおもしろかったなって思います。探検後、おじいさんから「ワニにかまれたことを覚えているか」と聞かれたミーナは「あたし、夢を見ただけよ。まだ、あたしが小さかったとき。ずっと前にね」と言います。日本だと6歳は小学校の一年生、こんなに成長してしまうのは、ちょっと行き過ぎてるかな、それとも最初が幼なすぎ? 登場人物の年齢が全体的に小さすぎるかなって思いました。スウェーデンの自然が美しく描かれています。日本とは異なることは男女平等という考え方、クマが身近に出てくる自然に囲まれていること。

サンザシ:密猟者まで出しちゃって……。

げた:私も、最近「おじいちゃん」になったんですけどね。孫とこういう形でつきあえたらなって思いで、今回読む本に取り上げたんです。ワニにおしりをかまれた女の子を成長させるために、山のぼりを計画し、実行、とんでもない目にあうが、目論見は成功するという展開で、意外性があっておもしろいなって思いました。登場するおじいちゃんのパートナーは、日本だっていなくはないんだろうけど、子どもたちにとって他人なんですよね。「女ならできる」という言い方も、ちょっとひっかかって、逆差別じゃないかって。

サンザシ:いくら北欧では女性の権利が認められてるっていっても、グニッラが若いころは、まだ大変だったんじゃないですか。だから、「女ならできる」って呪文みたいに唱えて、自分を励ましてきたんじゃないかな。

げた:探検とかサバイバルとか、つめこみすぎなのかもしれないけれど、クマやオオカミが出てきて、どうなっちゃうんだろうって、ひきつけられ、私はドキドキしながら最後まで読むことができました。リアリティがなさすぎといわれれば確かにと思うけど、基本、実話なわけで、大きく逸脱しているとは思いません。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年3月の記録)


2013年03月 テーマ:老人と子ども

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『2013年03月 テーマ:老人と子ども』
日付 2013年3月19日
参加者 アカザ げた サンザシ トム プルメリア ルパン レジーナ
テーマ 老人と子ども

読んだ本:

『おじいちゃんのゴーストフレンド』表紙
『おじいちゃんのゴーストフレンド』
安東みきえ/著 杉田比呂美/絵
佼成出版社
2003.07

版元語録:テッちゃんのおじいちゃんは、重い病気にかかっている。そのうえ、死んだ親友が見えるという…。老人とのふれあいを通して、友情の深さと温かさを知ってゆく少年たちを描く。
『世界一かわいげのない孫だけど』
荒井寛子/著 勝田文/挿絵
ポプラ社
2012.09

版元語録:引越して、新しい環境が気に食わない美波は心にバリアをはって・・・。不器用な少女が新たな絆を育み居場所を見つけるまでの物語。
『三つ穴山へ、秘密の探検』
原題:DE TRE GROTTORNAS BERG by Per Olov Enquist
ペール・オーロフ・エンクイスト/著 菱木晃子/訳 中村悦子/絵
あすなろ書房
2008.11

版元語録:スウェーデンの美しい自然を舞台にくりひろげられる、おじいちゃんと4人の孫+2匹の犬の大冒険。世界15ヵ国で翻訳出版!

(さらに…)

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発電所のねむるまち

『発電所のねむるまち』
マイケル・モーパーゴ/著 杉田七重/訳 ピーター・ベイリー/絵
あかね書房
2012.11

ジラフ:同じモーパーゴの『モーツァルトはおことわり』(さくまゆみこ訳 岩崎書店)同様に、現在から過去にさかのぼって、丹念に語り起こしていくスタイルで、とてもよくできたお話だと思いました。同時に、本のつくりやボリュームにしては、内容とか、書かれている感情が、ずいぶん大人っぽいな、という印象も受けました。とにかく、上質の物語ということに尽きるんですけど、身近に子どもがいないので、どのくらいの年齢層の子どもにこの本を手渡せるのか、ちょっとイメージしづらくて、過去からたんねんに書き起こしていく、こういう、ある意味「大人っぽい」物語を子どもがどう読むのか、興味をひかれました。p35で、ペティグルーさんが、夫のアーサーを亡くしたことを話す場面は、「ある日事故が起きて、終わってしまいました。(中略)まだあの人はずいぶん若かったのです」と書かれていますが、ちょっと抽象的で、これで子どもの読者にはっきりと「死」が伝わるかな、と思いました。あと、p71で、アイルランド人労働者がプッツン・ジャックに「自国の歌を教えていた」というくだりでは、わざわざ「自国の」という表現を使っていることに、ヨーロッパらしいアイデンティティの表明を感じて、はっとしました。

ルパン:私もいいお話だなと思いました。読み始めてしばらくは、ペティグルーさんが男の人だと思って読んでいました。日本語にすると性別がわからないんですね。列車のおうちはすごく素敵なんですけど、この絵がなかったら、船上生活者やトレーラーハウスみたいに思えるかもしれません。あと、ロバが乱入してくる場面がありましたが、その後どうなったかが気になりました。ペティグルーさんが教会で発表するところは、ぐっときました。それから脇役なんだけど、このお母さんはいいなあ。お母さんが「あんな変わった人とつきあうな」と言ってしまったら、こうはならなかったわけで。重要人物だと思います。ところで、子どもに手渡すとしたら、横書きってどうなのかな。『カイト』も横書きだったけど、同じ出版社なんですね。横書きの本は、渡す年齢を考えてしまいますね。縦書きだったら、小学校高学年におすすめだと思いますけど、この装丁でも読むかなあ?

紙魚:私も縦書きに慣れてしまっているので、ちょっと読みにくい感じがありました。とはいえ、この本が横書きなのは、原書が左開きで、どのイラストも左から右へという方向で描かれているからだとも思います。この挿絵をそのまま使って縦書き・右開きにすると、挿絵の方向が逆になってしまいますよね。そう考えると、長い時間の経過を表現するには、横書きの水平ラインが有効に働く、横書きならではの利点もありそうです。
この本が刊行されたのは、2012年の11月。日本での東日本大震災後を意識しての刊行だったと思います。震災後、子どもの本がどう力を発揮できるかということを考えさせられましたが、あの時分、私の目が向いたのはやはり国内、東北のことで、原発を扱った翻訳書というのは、思い至りませんでした。遠いイギリスの地での物語が、日本の子どもたちに、どの程度、当事者意識を持たせるかはちょっとわからないですが、伝わるといいなあとは思います。日本の作家からも、こうした社会的な背景をもりこんだ作品が生まれるといいなあとも思います。

関サバ子:生活のディテールがよく書きこまれていて、主人公マイケルの思い出もディテールを感じられます。そのことが、“最悪”をより鮮明に浮かび上がらせると感じました。これは本当に個人的な希望なんですが、ペティグルーさんには死んでほしくなかったです。こういうかたちで亡くなってしまったことが、悲しみを際立たせているのかもしれないですが……。なぜ著者はこのような結果にしたのか、なんとなく腑に落ちない感じがありました。横書きという体裁については、もしかしたら、子どもはすんなり読んでしまうかもしれません。絵と文章の位置関係もよいので、あまり違和感はありませんでした。60代くらいの人が回想した話なので、子どもがそれをどう受け止めるのか、難しいところもあるかもしれません。福島第一原発の事故のあと、ドイツが原発全廃を決めました。そのときに、「原発は倫理的に許されない」ということを言っているのが印象的で、本作もそのときと同じシンプルな人間性を感じることができて、とてもいいなあと思いました。声高すぎないし、かといって“したり顔”でもない。子どもがどう受け取るかわかりませんが、最善の見せ方のひとつという感覚があります。

きゃべつ:表紙が牧歌的で、絵としてとてもきれいだと思いました。話は明るいとはいえないけど、発電所ができる前の幸せな日々を表紙に選んだのだなと思いました。表紙が示しているとおり、この作品で作家が書きたかったことは、原子力のことではなく、郷愁や、子どものころの記憶だったのではないかと感じます。また、本のかたちと対象年齢についてですが、これを読ませるのだったら、小学校高学年、もしくは中学生だと思います。それくらいでないと、この物語の背景にある原子力についての問題などは分からないでしょうから。その場合、横書きだと手渡すのが難しい気がします。日本では横文字だと、どうしても携帯小説や大人が読む絵本の印象が強いですよね。

ジャベーリ:私はきゃべつさんとは違って、原発の稼働が終わった後も、結局、元には戻らないということを言いたかったのだと思うんです。ペティグルーさんの存在を通して、その人の住んでいた場所に起きたことを伝えたかったのではないかな。原発をつくる場所についても、ペティグルーさんのようなマイノリティーが大事にしている土地をターゲットにして、おそらくイギリス人の住んでいる場所には白羽の矢は立てないということも。つまりイギリス人にとって影響のなるべく少ないところを選ぶという話にしているのではないかと思うんです。原発というのは、40年経つと廃炉になって、コンクリートで囲うんだけど、もとの美しい自然に戻ることがないということを言いたいのではないかと思います。ペティグルーさんが愛した自然は戻らないと、ダイレクトに言っているのでは? 原発をつくると、営業停止になっても決して元には戻らないということが中心的な主題だと思ったんです。

関サバ子:この物語の原題Singing for Mrs. Pettigrewは、「ペティグルーさんに捧げる歌」という意味なんですよね。

アカザ:短編集に入っていたっていうから、もしかしたら、単行本にするときに書き直したのかもしれないわね。

ハリネズミ:このお話の題と短編集の書名が同じだから、これがメインの作品なんでしょうね。私は、ペティグルーさんがよく書けているなあと感心しました。今、日本の人たちが原発を取り上げると悲惨な事故抜きにしては書けないでしょうけど、この作品は、たとえ事故が起こらなくても、弱い立場の人の暮らしが破壊されるってことを言ってるんだと思うんです。ペティグルーさんは外国からやって来て夫を亡くし、村でも孤立している。でも、努力して自分なりの楽園を作り上げ、主人公のお母さんという友達もできた。そういう自分なりの幸福感や充足感を書いて、それが根こそぎやられてしまうことと対比してるんじゃないかな。だから郷愁とは違って、読者の子どもたちに対してはもっと考えてもらいたいというメッセージが込められていると思います。それから横書きに関してですけど、教科書も今は国語以外みんな横書きなので、子どもたちはあまり抵抗感がないのかもしれません。原著は読者対象がもう少し下かもしれないけど、日本語版はルビを見ると小学校高学年くらいからを対象にしているのかな。

アカザ:すばらしい作品で、感動しました。なぜ、日本でこういう作品が出ないんでしょうね? ぜひ、大勢の子どもたちに読んでもらって、話しあってほしいと思いました。昨年の夏にイギリスに行ったとき、汽車で隣の席になったドイツの大学生とずっと原発の話をしていたんです。日本では事故のあと原発を再稼働しはじめて、これからもそういう動きになっていると話したら、「どうして日本人は怒らないんですか?」と言われました。ドイツでは、小学生のときから原発はいずれ無くしていかなくてはならないものだと繰り返し教えられるし、自分もそういう教育を受けてきた、と。日本でも、今からでも遅くないから、この作品のように原発は廃炉になっても自然を破壊しつづけ、けっして元通りにはできないんだということを、いろいろな形で、いろいろな作品で教えていかなければと思います。私自身は、ぜひとも子どもに伝えておかなければという作者モーパーゴの熱い気持ちを感じたし、けっして郷愁を描いた牧歌的な作品ではないと思うけど、もしそういう感じを読者に与えるのなら、モーパーゴが上手くなりすぎちゃったのかもね。ペディグルーさんの人柄や暮らし方など、本当に心に染み入るように書いていますものね。ただ、子どもには難しいなと思ったのは、村の人たちが原発反対から賛成に変わっていき、ペディグルーさんと主人公の母親だけが残されていく過程があっさりしすぎていて、なぜそうなるのかが分からないのではと思いました。原発でも沖縄でも、ある地域の人々の犠牲の上に成り立っているという現実を、手渡す大人が少しフォローしたほうがいいかなと思います。ペディグルーさんをイギリス人ではなくタイ人にしたり(事実、そうだったのかもしれませんが)、原発の下請け労働者のアイルランド人が自国の歌をうたう場面を書いているところにも、目に見えない差別を作者が意識して書いているのだと思えて、いっそう深いものを感じました。訳はなめらかで、とても良くできていると思いましたが、あとがきで主人公が故郷になかなか戻れなかったのを「声をあげなかった子どものころの自分を後ろめたく感じているから」と捉えているのは疑問に感じました。原発の問題は大人の問題であり、けっして子どものせいにはできない。こう書いてしまうと、作品が矮小化されるように感じました。

レジーナ:モーパーゴは、自身の問題意識が作品に強くあらわれる作家ですね。子どものころの思い出を語る形式の物語は、さまざまな作家が書いていますが、それを原発と結びつけた作品は初めて読みました。本の形態ですが、横書きであることに、何らかの意図があるのでしょうか。P6に「『昔はふりかえるな』ということわざ」とあり、同じページの後ろにまた「同じことわざ」とありますが、「同じことわざ」という表現が不自然に感じられました。このことわざは、聞いたことがありませんが……。

アカザ:日本語にすると、ことわざって感じではないわね。

レジーナ:ことわざというより、歌でしょうか?

プルメリア:放射能についてはていねいに書かれていませんが、いい本だなあと思って、学級の子ども達(5年生)に紹介しました。手に取る子どもはいなくて紹介が悪かったのかなと思い、近くにいた男子に「読んでみない。」と手渡しました。読み終わった後「どうだった?」ときいたら、「わからなかった」って。むずかしい本かなと思い全員の子どもたちに「今住んでいる市に原発があったらどうする?」と聞くと、「災害とか地震があったらこわい。」とか、「遊ぶ場所がへるのでいやだ。」とか「大きな建物はうっとうしい。」などの答えがもどってきました。「原発ってどういうものなの?」と聞くと、「電気をつくるところ」との答え。原発について知識がない子たちにとっては、わからずにすらっと流れてしまったり、内容を補足しないと作品の意図が伝わらない本なのかもしれません。大人の読みと子どもの読みの違いに気づきました。

レジーナ:チェルノブイリの原発の事故を扱った作品には、『あしたは晴れた空の下で : ぼくたちのチェルノブイリ』(中沢晶子作 汐文社)がありましたね。

関サバ子:放射能は、目に見えないですものね。

紙魚:この本は、書かれていないところが多いので、行間から読み取らなければいけない分量が多いですね。

アカザ:だから、いろいろな形で読まなければだめなのよね。ドイツでも『みえない雲』(グードルン・パウゼバング著 高田ゆみ子訳 小学館)のような作品がずっと読まれてきたっていうし。

ハリネズミ:ドイツはずいぶん前から、原発に限らず環境教育には熱心だし、ゴミの分別収集も早くからやってましたね。

アカザ:日本では、原発の危険性については教えまいとしてきたから。

関サバ子:自然のなかで過ごす気持ちよさを知らない人が読んでも、伝わらないかもしれませんね。あの気持ちよさは体感で得るものですし、それが楽しいと思えるまでには、ある程度の時間が必要な気がします。もちろん、レジャーで自然豊かなところへ行って、瞬間的に楽しいということはあります。これはあくまで私の経験に基づいた感覚ですが、それだけでは、心も体も開いていく気持ちよさまではなかなか体感できないような気がします。ですから、子どもたちの身体感覚によって、このお話の受け止め方は違うような気がしますね。「ここの自然? 別になくなってもいいよ。森や海はほかにもあるわけだし」という感性だと、厳しいですよね。あと、このテーマは原発だけでなく、いろいろなことにあてはまりますよね。理不尽に土地を追われた人は世界中のあちこちにいるわけで、そういう想像力を広げられる余地があるのは、とてもいいなと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年2月の記録)


夜の小学校で

『夜の小学校で』
岡田淳/著
偕成社
2012.09

ジラフ:ファンタジーで遊べる世界が、とても楽しく描かれていると思いました。ひたすら楽しんだ、という以外、あまり意味のある感想を述べられないのですが……(苦笑)。去年の春まで、母校の短大図書館につとめていまして、夜、閉館後の見回り当番にあたると、館内の電気を消しながら、地下3階まで書架の見回りをするんです。真っ暗になったフロアにはものすごい「気配」があって、何かあるんじゃないか、何か起こっているんじゃないか、と空想をかきたてられたことを思い出しました。作品の中でも、不思議なことが当たり前のように起こっていて、そのことが、とても自然に描かれています。私はぼうっと妄想をしていることが多いので、そういう世界にすうっと入っていけて、自分の感覚に近いものがありました。クラフト・エヴィング商會の本で、『じつは、わたくしこういうものです』(平凡社)という、架空の職業案内があるんですけど、そのなかに、「(冬眠図書館の)シチュー当番」というのがあって、それも夜の図書館という設定で、そちらともイメージがつながりました。実は、岡田淳さんの作品を読んだのは初めてだったんですけど、作者が長年小学校に勤めていたことが生きていると思いました。

ルパン:私も岡田さんの本は今回初めて読みました。自分の子ども時代よりは後の方で、子どもが育ち上がったあとではすでに有名で、読みそびれてしまってたんですね。今回はいい機会をいただきました。挿絵がうまいなあ、お話とぴったりだなあ、と思ったら、ご本人が描いてたんですね。

レジーナ:挿絵のパパゲーノがちょっと太りすぎな気もしましたが……。

ルパン:絵と文がマッチしていていいな、と思いました。ちょっと不思議な感じもいいですね。カエルの王様の話はツボにはまりました。わたしもまったく同じことを思っていたので。

紙魚:小さな小箱を並べたような構成なので、なかなか大きな感想が言いにくい本です。これまで読んだ岡田淳さんの物語は、子どもたちのにぎやかな歓声がきこえてくるような、昼間の印象のものが多かったですが、これは、夜の、しかもおとなの警備員のお話。ふつう、日中の学校のようすがメインになるものですが、その部分については、あまりにも素っ気なく扱われている。これまでの岡田作品すべての、夜の部分という感じがしました。小さなおもしろい小箱が並んでいるという意味では楽しめる本だと思います。全部読み終えると、小学校のちがう顔が見えてきたような心地になりました。

関サバ子:不思議な話だと感じました。なりゆきで3歳半の息子に読み聞かせするはめになりましたが、息子よりむしろ、音読している私が熱中してしまって。

アカザ:それだけ、うまく書けてるってことよね。

関サバ子:絵だけでなく、デザインも岡田さんの要望があったのかな、と思うくらい行き届いていますね。章タイトルやノンブルの位置など、本文組も読みやすいです。

きゃべつ:岡田さんの本は大好きで、ほとんど読んでいると思います。「こそあどの森」シリーズのようなふしぎな世界観を持った作品が多いですよね。また、人間が主人公だと、学校を舞台にして、『二分間の冒険』(偕成社)や『ふしぎの時間割』(偕成社)など、ちょっとはみだした時間に起きるふしぎなできごとを描いているものがあります。ご自身が図工の先生をされていたときにも、図工準備室を工夫して、子どもたちを楽しませていたとおっしゃっていたことがあります。この作品も、放課後というはみだした時間に起きるふしぎなできごとを扱っていて、人を楽しませたいという岡田さんの姿勢がよく出ていると思いました。この中では「わらいっこ」が好きですが、先生をされていた岡田さんならではのお話ですよね。最近、あまりご自身の作品を出されているイメージがなかったので、これを読んだときは感慨深かったです。

アカザ:連載しているうちに変わってくるっていうのはないんでしょうね。

きゃべつ:半分はつながりのある話、というふうに学校以外の縛りもあったほうが、よりよかったんではないか、とは思いました。斉藤洋さんの『あやかしファンタジア』(理論社)も、連続短編で夜の学校のお話だったので、なにかふしぎな重なりを感じました。

レジーナ:楽しく読みました。登場人物ひとりひとりに個性があって、もっと読みたくなります。岡田さんのは『雨やどりはすべり台の下で』(偕成社)が私は好きですが、一話一話があの程度長ければ、なおよかったな。中学生が登場する場面は、死んだ人のようで、少し気味悪く感じました。そのほかの箇所は、ホラーになりそうな要素も、現実とファンタジーのあわいに上手に落としていると思います。言葉の選び方も、さすが岡田さんですね。子どもに向けて書いているからといって甘い言葉でごまかすのではなく、「投網」など、本当に美しい言葉を織りまぜつつ、子どもに分かるように書いています。蛍の場面ですが、蛍の光の点滅の周期は、タンゴのリズムに似ているのでしょうか。

ジャベーリ:お話が進んできて最後のオチがうまいなあと思いました。最初からここまで構想が出来ていて書かれたのかな? それから挿絵がよかった。マッチしています。パパゲーノもそうだけれど、いろんな知識がある作者ですね。それからいきなり大きな人が出てきてもなぜか違和感がなくて、スッと受け入れられた。

プルメリア:岡田さんの作品は大好きでほとんど読んでいます。この作品は『願いのかなうまがり角』(偕成社)と似ていると思って読みました。私はどちらかというと岡田さんの長編作品が好きなんです。短編はすぐ終わっちゃう!ので少々さみしかったです。近くの図書館では人気があるらしく全冊貸し出し中で、リクエストをしたあと2週間ぐらいかかって手元に来ました。私が勤務している小学校の教室は3階の真ん中なので、夜、職員室からだれもいない教室に行くのが怖くておっくうです。だけど、この本は夜の学校の怖さを感じさせず、楽しい雰囲気がいいです。いろんな登場人物が出てきますが、どれも子どもたちにとってもおもしろいキャラですね。この本を読んだ子どもは「『ボールペン』が面白かった。」と言っていました。ボールペンは『びりっかすの神さま』(偕成社)と似ているかな。最後のまとまりも岡田さんらしい終わり方。この本から「月明かり」って改めて素敵だな思いました。また、「ドウダンツツジ」漢字では「満天星」だということをはじめて知り、大発見した気持ちになりました。

ハリネズミ:本好きの人には、この長さじゃ物足りないと思うんですけど、この長さだから読めるっていう子もいるんじゃないかな? どうですか?

プルメリア:あまり本を読めない子どもたちからすると、ちょうどいい、読みやすい長さだと思います。

ハリネズミ:たしかに大きな感想は言えないのでこれが岡田さんの代表作とは言えないと思うけど、構成や文章がうまいし、こういう「ちょっと読める」ものを必要としてる子もいると思うんです。語り手はおとなの警備員ですけど、お話は子どもが読んでもおもしろいし。今は、学校になかなか行けなかったり、学校が嫌いな子も多いと聞きますが、そういう子どもたちに対して岡田さんが書く学校ものは大きな貢献をしてるんじゃないかって思ってるんです。一見つまらない学校にも、こんな不思議なことがあったり、こんなおもしろいことがあるかもしれないって、思わせてくれるから。

アカザ:長い物語が読みたいと思っている子どもにとっては物足りないかなと思いましたが、大人の読者の私としては、大好きな作品です。岡田淳さんって、本当に小学校が大好きで、子どもたちが大好きで、ハリネズミさんがおっしゃったように、子どもたちにも小学校を大好きになってもらいたいなあって思っている……そういう気持ちがひしひしと感じられました。この本の語り手は、小学校で夜警をしているんだけど、作者は図工の先生ですよね。個人的な感想になるんですが、私の小学校の時の図工の先生が、画家の堀越千秋さんのお父さんなんですが、いつも校庭の隅の日だまりで絵を描いていたんですね。図工の時間も、子どもたちにあまり話しかけないし、話しかけられても照れくさそうにしているだけであまり答えない。でも、この先生は小学校が大好きなんだろうなと、子ども心に感じていましたし、私もそんな先生が好きでした。図工の先生って、おそらく担任もないし、子どもとの距離や子どもたちを見る角度も、ほかの先生たちとは違うのかもしれない。そういうところが、夜警のアルバイトをしている主人公と似通っているような気がして、おもしろく感じました。

ジラフ:私は、ほんとにただただ楽しくて、意味のある感想が言えないので、ひょっとして、結びの「これは、あなたが書くはずの本なのですよ。」というアライグマのセリフに、深い意味が込められているんじゃないか、自分はオチを読み取れていないのでは、と焦りました。

ルパン:私もいろいろ考えました。

アカザ:最後の部分は、私が子どもの本を書くのはこういう理由なんですよと言っているように感じました。あと「ウサギのダンス」ですが、湿っぽいものが多い童謡の中では明るくて大好きだったので、いま歌われなくなっているのだったら残念。メロディだけは、CMで使われてますよね。

ルパン:これは毎日新聞大阪本社版の「読んであげて」が初出なんですね。「読んであげて」は、「お母さんが子どもに読んであげて」、というコンセプト。小学生新聞ではなく、通常の毎日新聞の朝刊なんです。お母さんが小学校低学年の子どもに向けて読むためのお話として掲載されています。一か月一話完結だから、壮大なお話はなかなか書けないと思います。

ハリネズミ:書き直したっていうけれど、そうとう足さないと……。

ルパン:かなり書き足さないと難しいでしょうね。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年2月の記録)


オクサ・ポロック1 希望の星

『オクサ・ポロック1 希望の星』
アンヌ・プリショタ&サンドリーヌ・ヴォルフ/作 児玉しおり/訳
西村書店
2013

レジーナ:フォルダンゴの独特な言葉づかいは、慣れるのに時間がかかりました。フォルダンゴのせりふではない部分に関しても、いくつか気になりました。たとえば350ページの「半透明のひげ」というのは、白髪まじりということでしょうか。444ページの「髪の垢」も、「フケ」と書くのが一般的な気がします。登場人物の描き方については、47ページに「恐れおののいた。でも興奮でどきどきしていた」とありますが、イメージがしづらかったです。物語全体を通して、感情の描写をもっと細やかに描いてほしかったです。また85ページに「奇妙な先生の授業」とありましたが、先生という人物が奇妙なのではなく、先生が何事もなかったかのようにふるまったのが気味が悪いということなので、もう少し表現に工夫が要るかもしれません。長さのわりには、あっという間に読みましたが。

関サバ子:まず、残念ながら、設定についていけませんでした。いきなり、変な生き物たちが出てきて、それについてなんの説明もありません。おばあさんが不思議な力を持っていることになっているけれど、それが説明になっているのか……。主人公のオクサも、忍者が好きで、空手を習っている女の子という設定で、日本でも変人扱いされておかしくないキャラクターです。ただ設定だけがあって、有機的につながっている感じがしなかったのです。そういったところは驚いてしまいましたが、制服の描写など、趣味性のところは盛り上げてくれる雰囲気があって、よかったです。あと、ネーミングがとにかく変わっていますね。炭素組とか……。フランス語だときれいな響きだったり、おもしろかったりするんでしょうか。

ルパン:私の娘が今高校生ですが、一年のときはF組で、「フッ素組」でした。となりはC組で、これは炭素組。6組あるけれど、組名がぜんぶ元素記号なんです。だから、本の中に炭素組が出てきたときはびっくりしました。私はこの本は途中で挫折しそうになったのですが、ちょうどそのとき「本は最後まで読まなければ」とレジーナさんに言われたので、奮起して読み続けました。ただ、読んでいて分からなかったのは、この翻訳者は、どのくらいの子を対象にこの本を訳したのだろうということです。文体がおかしいし。「戦いで応酬することにした」など、とても13歳の女の子に思えない発想ですよね。話し言葉もすべて固い印象だし。大人の言葉も子どもの言葉も同じに訳されているからとっても不自然です。わざとらしく変に古めかしい喋り方をしているフォルダンゴの台詞が、かえっていちばん活きている気がします。

ジャベーリ:フランス語は、知的レベルが高い文章ほど名詞構文を好む傾向があります。それを日本語として、こなれた文章に訳すのは難しいですね。

ルパン:物語としてみても、ハリー・ポッターに類似するところが多々あって、二番煎じの感が否めません。最初からキャラクターがたくさん出てくるので、訳がわからなかったし。あと、せっかくフランスのファンタジーなんだから、舞台はやっぱりフランスがよかったですねえ。

アカザ:読むのにとても苦労したので、正直いって作品を楽しむまでにはいたりませんでした。作品自体と翻訳の両方に読みにくい原因があると思うんですね。作品自体の問題としては、普通は登場人物が初めて出てくるときに、どんな見かけの、どんな感じの人なのか説明があると思うんですが(特に子どもの本の場合)、この本ではだいぶたってから説明している。たとえば主人公のお母さんも最初から登場するのに、p104になって初めて姿かたちの説明が出てくる。読者としては、それまでに自分なりのイメージを作って読んでいるから、「えーっ、こういう感じの人なの!」って、受け入れるのにとても大変になっちゃう。つぎつぎに出てくる、ふしぎな生き物についても同じですね。それから、オクサの周囲の大人たちは、オクサが子どもだからと気づかって、情報をチマチマと小出しにしてくる。だから、すっごくいらいらするんですね。以上が構成上の問題。それから、いじわるな友だちを「原始人」とか「野蛮人」と呼ぶのも、なんだか無神経で嫌だったなあ。ロシアというと、すぐにKGBが出てくるところも、なんとなく差別的なにおいを感じてしまいました。それから、ハリポタにはイギリスの暮らしが垣間見えるという楽しみがあったけれど、この作品はフランスにいた主人公がイギリスに行ったのはいいけれど、インターナショナルスクールに入ったという設定なので、フランスの生活も、イギリス暮らしのあれこれも、ちっとも出てこない。翻訳ものの楽しみがないですよね。

ルパン:もったいないですね。

アカザ:翻訳については、「大急ぎでやっつけちゃったな」って一言につきると思います。1行空きがやたらあるけれど、単純な1行空きと***が入っている空きは、どう区別しているんでしょうね? 登場人物の会話についても統一がとれていないので、「これは誰がしゃべっているの?」とか、「この人はとちゅうで性格が変わってしまったの?」と思ってしまうところが、たくさんありました。翻訳って、これは誰の目線で書いているのかなってところが大事なのに、「行く」と「来る」の使い方が変てこだったり。それから、フォルダンゴとフォルダンゴットがカップルだということは、フランス語を知っている読者にはわかるのかもしれないけれど、わたしは後のほうになるまでわかりませんでした。原文にはなくても、読者にわかるような細かい配慮が必要だと思いました。

ハリネズミ:まずプロローグの、新生児のオクサの描写に引っかかってしまいました。「しわくちゃのかぼそい腕を力いっぱいにのばし、起き上がろうと必死にもがいている」。こんな新生児、いませんよね。オクサが特別な存在だということをここで表しているのかな、とも思ったけど、そういう記述もないので、誤訳なのかな、と思ったりしてすっきりしません。フランスは、イギリスや北欧の国の児童文学にあるような児童文学の書き方というか文法というか、そういうものが確立してないんだと思います。特にファンタジーでそれを感じます。たぶんそれはフランスの子ども観から来るもので、大人の文化に重きをおくあまり、子どもの文化を重視せず、おざなりのものでよしとしてきた歴史があるんじゃないかと私は考えています。この作品については、原文の問題と翻訳の問題と両方あると思います。
原文のほうですが、今言ったように子どものためのファンタジーの文法が定まっていないので、ほかの国の子どもが読むと読みにくい。たとえばキャラクター設定にもぶれがある。ギュスは最初の方ではとても模範的ないい子という設定のようなのですが、途中からやたらに嫉妬したりする場面が出てきて、あれっと思います。またオクサも、あまりにも軽率で上っ調子(もしかしたら翻訳のせいかもしれないけど)。簡単に盗みをはたらいたりもする。子どもって大人より倫理観が強いので、これだと子どもの読者はオクサに感情移入しにくい。たとえばイギリスの作品だったりすると、主人公にそういうことをさせたら、著者が理由付けをするなどかなりフォローする。この作品でもちょっとはそういう部分がありますが、申し訳程度です。しかも盗みをはたらくのは、まだ相手が本当に悪いヤツかどうかわからない段階ですからね。それに、オクサは自分で道を切りひらいていくより、超能力を使うとか、まわりの人に助けられることが多い。それもつまらない。能力を高めるためにキャパピル剤というのを飲んだりもしますが、これって下手するとドーピングにもつながりますから、もっと慎重に扱わないといけないのに、安易に使っています。それにたとえば、p75にトイレの個室に駆け込んだオクサが「戸を閉める余裕はなかった」というのに、その後2行思索する部分があって、その次の行に「野蛮人が近づいてきた」とある。これだと緊迫感がありません。だったら、個室のドアくらい閉められただろう、と思ってしまいます。
この作家の世界観とか価値観はどうなんでしょう? いまだに善と悪の二項対立で、階級社会も肯定しているらしい。この先はまだわかりませんが、この巻だけを読むかぎりでは、新たなものを提示しているようには思えません。
訳は、地の文もフォルダンゴの台詞かと思うくらい随所に硬いところがあり、とても読みにくかったです。例えばオクサの台詞でp65に「典型的なロシア的過剰さね」、p209「『研ぎすまされた精神』は大急ぎで言わなきゃね。あたしのみじめさを見てよ」とありますが、よくわからないし、子どもの台詞とは思えない。大人だってこうは言わないでしょう。P156には「自分の身内が殺人を犯した」とありますが、身内と仲間はニュアンスが違います。p176にはこれもオクサの台詞ですが、「涙があふれておぼれそう。悲しい。悲しくて……腹が立ってる。怒りが爆発しそう……」とありますが、悲嘆にくれているのと、憤慨とは普通ちょっと距離がある感情なので、直訳でなくもう少し日本の子どもにわかるように工夫してほしかった。p282ではレオミドが「仕事が順調になるにつれ、エデフィアはわたしの記憶から遠のいていった。もちろん、心の中にはエデフィアはずっと残っていたよ。だから、心はかき乱され、ノスタルジーにさいなまれた」と言いますが、記憶から遠のいているのに、心がかき乱されるほどのノスタルジーにさいなまれるのでしょうか? キャラ設定の揺らぎは、もしかしたら訳のせいかもしれません。もうちょっと文章にリズムがあったり、ユーモアがあったりするとよかったのに。
訳文を読むかぎりでは、登場人物の感情がころころ変わるようにとれるのですが、原文もそうなのでしょうか? ついていけないし、感情移入できないです。

関サバ子:フランス人の国民性として、感情がころころ変わるということがあるんでしょうか?

ハリネズミ:たとえラテン系の国民性から原文がそうなっているとしても、日本の子どもにはわからないから、訳者が日本語で読む子どものために言葉を補うなりしないと。学問的な著述じゃなくて子どもが読む物語なんですから、それは訳者の仕事の一部ですよね。まあ、でも私はハリー・ポッターの訳についても、読みにくさを感じていたんです。だけど売れたってことは、子どもはあまり気にしないで読むってことなんでしょうか? とはいえ子どもはこういう本から日本語を学んでもいくわけですから、ていねいに訳してほしい。たとえばp397ですけど、「みんなが盛大な拍手をし、ギュスはピューと大きく口笛を鳴らした。オクサの顔がパッと明るくなり、にっこりとほほえんだ。しかし、その感情には苦さも混じっていた。というのは、あの攻撃が成功したのは、ギュスのおかげだと言ってもいいからだ」とありますが、こういうふうに訳しちゃうとますますオクサに感情移入しにくくなるんじゃないかな。それより、「自分ひとりでは無理だったからだ」という視点で訳したほうがいいんじゃないかな。

関サバ子:私も、ある翻訳物を手がけたときに、主人公の子どもの行動に不可解な点があって、学習障害などがある設定なのですかと、著者に問い合わせたことがありました。

ジラフ:訳者は、フランス在住20年で、ライターやコーディネイターをしている人です。

ハリネズミ:それは、とっても危険なことじゃないですか。私も、外国に長く住んでいた方に翻訳をお願いして苦労したことがあります。ずっと外国に住んでいると、日本語の微妙な言い回しとか細かいニュアンスとか心地よいリズムといったことが、どうしても抜けていってしまいますからね。

ジラフ:原書の問題もあると思いますが、読みやすくするため、編集部でもいろんな段階で、複数の人間が訳稿に手を入れているので、最終的には、訳者の方に全体の仕上げをしてもらったものの、キャラクターのイメージや会話のトーンにぶれがあるのは、そのせいもあるかもしれません。ご指摘のとおり、訳文に粗さがあることも否めません。いっぽうで、原書でも500ページ近くある作品を、子どもたちが夢中になって読んでいて、もともとは自費出版だったものを、読者の子どもたちが口コミで広めていった、という出版の経緯があります。編集部では、よりなめらかな訳文にするために、すべて音読して文章に手を入れていきましたが、たしかに、声に出して読んでいくそばから、場面がどんどん頭に浮かんできて、コミック感覚の作品なのかな、と思いました。実際、フランスでは、コミック化されることが決まっています。発売から3ヶ月ほどになりますが、意外だったのは、思いのほか小さい子にも読まれていることです。メインターゲットは中学生以上のYA世代と思っていたんですけど、小学5、6年生からもけっこう感想が寄せられていて、小学4年生の子から読者カードが届いたこともありました。ファンタジー作品に親しんでいる読者からは、厳しい言葉もいただいていますが、逆に、中学生のくらいの読者から、読みやすかった、楽しく読んだ、といった声もたくさん届いています。評価がくっきり分かれている感じですね。この手の作品では、ほんとうなら、もっとイラストを入れられたらよかったんでしょうけど、原書の版元のほうで視覚化されているキャラクターが少ないうえに、映画化やコミック化とのからみもあって、キャラクターのビジュアルがちがってしまうとマズいので、日本でオリジナルのイラストを描き起こすことがむずかしかったんです。コミックですべて具体的に視覚化されたら、日本語版でも、もっとふんだんにイラストを入れられるかもしれません。

レジーナ:共著ということですが、具体的にはどのように分担したのでしょうか。

ジラフ:ふたりでプロットを話し合って、キャラクターの肉付けをしたあと、アンヌ・プリショタが第1稿を仕上げています。そのあと、またふたりで1章ずつ検討して、いっぽうが納得のいかないところは、徹底的に話し合って、相手を説得したうえで先に進んでいく、というスタイルだそうです。ふたりで物語をふくらませているせいで、ついつい大仕掛けになったり、クラスの名前なんかも、もともとはなかったクラスが唐突に出てきたり、原書にも、つじつまの合わない部分がけっこうあります。

関サバ子:私も、絵本しかやったことない方に長編をお願いして、なかなか難しいなと感じたことがありましたが……。

ジラフ:フランス語の理解はすごくある方なので……。

ハリネズミ:翻訳は、原文の内容をきちんと伝えることと同時に、日本の子どもにわかりやすく、おもしろく伝えるという二つの側面があると思います。そのどっちがより大事かというと、とくに子どもの本の場合日本語のほうの比重のほうが大きい。一般的に言って、外国に20年暮らしたままで日常生活も外国語という方だと、どうしても二つめの側面が無理になってきます。

ジラフ:なかなかむずかしいですね。「ハリー・ポッター」との比較については、フランス本国の雑誌や新聞にも、「オクサはハリーの妹」とか、「次なるJ・K・ローリングは、フランス人の彼女たち」なんて見出しの記事が出たりしていて、そのことについて、著者に尋ねてみたことがあります。本人たちは、「ハリー・ポッター」をライバル視しているわけじゃなく、むしろ、「J・K・ローリングは、ファンタジーの扉を大きくひらいてくれた先達で、『ハリー・ポッター』に背中を押された」と話しています。でも、「ハリー・ポッター」みたいな作品を書きたかったわけじゃなくて、たとえば、ファンタジーのお約束としてよく、つらい境遇の子が主人公になりますけど、「オクサ・ポロック」では、家族や友人に恵まれて、愛情いっぱいに育った女の子が主人公です。それは、負のエネルギーよりも、大切な人を守るため、といったポジティブなモチベーションのほうが、よりオリジナルな物語の展開を描けるのでは、と思ったからそうです。

ハリネズミ:私はハリー・ポッターに似ているかどうかは、どうでもいいと思うんです。だって子どもにとっては、オリジナリティがあるかどうかより、その物語自体がおもしろいかどうかなんですから。ただ、日本ではハリポタブームの後、三流ファンタジーまでどんどん翻訳されてしまったので、ファンタジーには食傷しているという読者も多い。そのときにまたファンタジーを翻訳出版するのであれば、よほど特徴があるとか、よほどおもしろいというものでないと売れないんじゃないかな。

アカザ:エンタメの命は、読みやすさとおもしろさですものね。

ハリネズミ:ハリー・ポッターの訳は好きじゃなかったんですけど、売れた理由はわかるんです。ナルニアやホビットは、1つの場面が長く続くので、読むスピードが遅い今の子はまだるっこしくなる。でも、ハリポタは場面転換が早いので入り込めるんだと思うんです。

アカザ:『ダヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著 角川書店)は原作より邦訳のほうが正確で、ずっと素晴らしいっていわれてますよね。

ハリネズミ:日本には、とくに子どもの本の場合、原著以上にいいものを作ろうという編集者や訳者がいます。原著の間違いを見つけて著者に問合せをしたことは、私も何度もあります。よく見つけた、と著者にほめられたことも。

アカザ:私は、作者に間違いを指摘したのに、どうしても相手が認めないから、しかたなくあとがきにその顛末を書いたことがあったわ。

ルパン:『縞模様のパジャマの少年』(ジョン・ボイン著 千葉茂樹訳 岩波書店)のあとがきにもびっしりと書いてありましたね。

ハリネズミ:アウシュビッツやナチスのことは、大人だったらある程度知ってますけど、子どもは知らないので、うっかりするとこれが事実だと思って読むかもしれない。だから事実と違う点を訳者の方がていねいにあとがきで付け加えたのでしょうね。ジャベーリさんも、途中まででも読んだのでしたら、ご感想を。

ジャベーリ:漫画的イメージを持って、作者が書いた作品なんだろうなと思いました。これがアニメで受けるなら、それでいいのでは? 映像的な作品でしょう。

アカザ:アニメだったら、理解するのに苦労しないかも。

ハリネズミ:オビに「100年目のファンタジー」ってあったんですけど、何から100年目なんですか?

ジラフ:19世紀の終わりの、ジュール・ヴェルヌから100年ということです。厳密にいえば、ヴェルヌは科学ファンタジーというか、空想科学小説ですけど、フランスの児童文学はリアリズムが主流で、じゃあファンタジーは、っていうと、『星の王子さま』とか、寓話的なものになってしまいます。そんななかで、久々の壮大な空想物語という意味です。

関サバ子:イギリスとフランスで、こんなにも文化がちがうとは知りませんでした。

アカザ:イギリスと張り合って、フランスでもって気持ちがあったんでしょうね。

ハリネズミ:ジュール・ベルヌはファンタジーというよりSFですよね。知的に構築されているものなので、空想を自由にはばたかせるファンタジーとは少し違うと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年2月の記録)


2013年02月 テーマ:最近気になる本

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『2013年02月 テーマ:最近気になる本』
日付 2013年2月26日
参加者 アカザ、紙魚、きゃべつ、ジャベーリ、関サバ子、ハリネズミ、レジーナ、プルメリア、ルパン
テーマ 最近気になる本

読んだ本:

『発電所のねむるまち』
原題:SINGING FOR MRS PETTIGREW by Michael Morpurgo, 2012
マイケル・モーパーゴ/著 杉田七重/訳 ピーター・ベイリー/絵
あかね書房
2012.11

版元語録:町の近くにある湿地で駆け回り,美しく生命力あふれる自然に触れたマイケル。その湿地が原発の建設予定地になってしまい…。
『夜の小学校で』
岡田淳/著
偕成社
2012.09

版元語録:とうぶんのあいだ、ぼくは桜若葉小学校というところで、夜警をすることになった。その小学校の中庭には大きなクスノキがあった。夜の小学校でであった、18の物語。大男、ウサギのスープ、タンゴ他。
『オクサ・ポロック1 希望の星』
原題:OKSA POLLOCK Tome1: L'inesperee by Anne Plichota & Cendrine Wolf , 2012
アンヌ・プリショタ&サンドリーヌ・ヴォルフ/作 児玉しおり/訳
西村書店
2013

版元語録:もうすぐ13歳になるオクサは、空手を習い、忍者になることが夢という活発な女の子。父親の仕事の都合でパリからロンドンへ、幼なじみのギュロンとフランス人学校へ。新学期の夜に…。

(さらに…)

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アヴァロン〜 恋の〈伝説学園〉へようこそ!

『アヴァロン〜 恋の〈伝説学園〉へようこそ!』
メグ・キャボット/作 代田亜香子/訳
理論社
2007.02

みっけ:この3冊の中では、一番苦手だった気がします。なんかもう、いかにも女の子があこがれそうなアメリカの富裕層の生活そのものという感じで、高校生がヨットを持っていたりする話の展開に、げんなりしてしまいました。それと、アーサー王の生まれ変わりがどうとかこうとかと、アメリカ人は因縁めいた話や新興宗教めいたことが好きなんだなあと思い、それもあって「またか……」という気分になりました。別に、読みにくかったわけではないんですが、全体としては、あまりおもしろいと思えませんでした。すみません。

ルパン:私、3冊のなかで、これ一番好きだったなあ。この男の子のベタさがたまらない。絶対いないような、こういうリアリティのないキャラ、好きなんですよ。アーサー王のことあまり知らなかったんですけど、おもしろかったです。『アーサー王と円卓の騎士』(シドニー・ラニア編 石井正之助訳 福音館書店)は最後まで読めたことがなかったんですけど、うちの本棚にあるから今度こそ読みます。それを最後まで読めていたら、この本もっとおもしろかったのかな。日本で言うと「義経の生まれ変わり」みたいな設定なのかもしれませんね。それにしても、結構ゴシップ記事的要素満載。後妻が本当のおかあさんだったとか。児童文学でここまでやっちゃっていいのかな、って思うくらい。その前の夫を危ないところに行かせちゃうなんていうのは、旧約聖書のダビデとウリヤを連想しましたが、欧米のほうではアーサー王のほうが浸透しているのかな。ともかく一気に読みました。つっこみどころ、色々あったかもしれないけど、楽しかったから全部忘れちゃいました。

レジーナ:ひとりよがりにならずに読者をひきつけるユーモアというのは難しいものですが、キャボットはユーモアにすぐれていて、絶妙な味わいがありますね。たとえば「パーティーでワカモレサラダの横は背の高い女の子の定位置」や「(主人公のようなスポーティーな女の子たちが)(学園のアイドルである)チアリーダーの同級生の前を水着で歩くなんてありえナイ」など……。「キモチワルい」などカタカナを多用した表記が、少し不自然でした。高校生の会話だからそうしたのかもしれませんが、かえって現代的でなくなっているように感じました。

シア:今回選書係で入れさせていただいたんですが、2007年でちょっと前の作品になりまして、1巻で完結の本です。学校でも人気があります。アーサー王が題材ということで読んでみたのが、私とこの本との出会いですね。話はわかりやすいので先の展開などは読めてしまうんですが、とにかくテンポがよくて、女の子が好きそうな本です。キャピキャピしているので、『カッシアの物語』とは対照的ですね。なごむなー、という感じでした。絶対いないんですけど、転校先にこんな人たちがいたら明るい世界ですよね。いいなーと思いますね。挿絵はがんばってほしかったな。とくに、中がいまいちですよね。海外アニメっぽい絵ですよね。口語訳の言葉使いはちょっと古臭いところはありますが、『八月の暑さの中で』(金原瑞人/編訳 岩波書店)ほど古臭くはないかな。今でも聞かない訳ではないので。

プルメリア:副題の『恋の伝説学園へようこそ』はどうかな、ちょっと違うかなって思いました。主人公の家がプール付きの家に住むお金持ち。男の子が主人公の家に遊びにいくのが自然体で、ガールフレンドもいるのに、フレンドリーな性格なのかな。

ハリネズミ:なにしろアーサー王なんだから、何でもありなんじゃないの?

プルメリア:どんな時にも自然体で入っていけるウィルの性格がいいな。ウィルがアーサー王伝説のエレインじゃなくって、湖の姫なのには驚き、ホッとしました。この作家の想像性はおもしろいなって思いました。ウィルがいい方向にすすんでいくのが、漫画的でもあり、読み手を読ませるのもよかったです。題名がちょっときびしかったです。

シア:生徒が「アーサー王って何?」って聞いてきたりするので、円卓の騎士の話をしたり、関連図書を貸してあげたりしていますね。

ハリネズミ:アーサー王やその周辺の人物たちは、イギリスの子どもたちにはおなじみだけど、日本の子どもにはわからないですよね。それに、あまりにもリアルじゃないから、どう読んだらいいのか、日本の子はとまどうんじゃないかな。私はあんまりおもしろくなかったな。本が好きな子にとっては、ほかのアーサー王ものを読んでみる入り口になるかもしれませんね。でも、この作品自体はマンガですよね。物語の中のリアリティもぶつぶつ切れてるし。かといって、エンタメだとすると、日本の子には背景がわからない。中途半端なんじゃないかな。

シア:妙なライトノベルよりいいかなって。たとえばクトゥルフ神話とかマニアックなものに詳しいのに、逆に当たり前の神話を知らないような子が多くて、変なところが抜けているっていうか。お母さんたちに読んでもらっていないのかなって。

ハリネズミ:お母さんたちも古典的なファンタジーはもはや読んでないんじゃないですか? でも、こんなリアリティのないものを読んで恋を夢見たりすると、とんでもないことになりそうですね。

シア:『レッドデータガール』とか文庫で出ているものは、文庫で図書館に入れてくれって生徒に言われますね。やはり、荷物が多いので小さいほうが持ち歩きやすいようです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年1月の記録)


カッシアの物語

『カッシアの物語』
アリー・コンディ/著 高橋啓/訳
プレジデント社
2011

プルメリア:この作品から『ザ・ギバー〜 記憶を伝える者』(ロイス・ローリー作 掛川恭子訳 講談社/『ギヴァー : 記憶を注ぐ者』島津やよい訳 新評論)を思い出しました。マッチバンケットとかファイナルバンケットとか。自分の考えもセーブしなきゃいけない。こういう管理社会ってすごいなって思いました。カイは冒険心があり危ないことをするのがスリリングです。また生き方や考え方が魅力的、主人公がカイにひかれていくのがよくわかりました。今の社会とは違いますが、まったく違うわけではない気がします。いろんなことを考えさせてくれたこの作品に出会えてよかったと思います。

あかざ:3・11以降、書き手も読み手も、意識が完全に変わったんじゃないかと思いますね。『ザ・ギバー』を読んだころは、ディストピアは漠然と未来にあるかもしれないものだと思っていましたが、いまでは現実そのものじゃないかと感じています。この物語も、高齢者などの弱者切り捨てとか、情報管理とか、仕分けとか、読んでいるうちに今の日本のことを書いているようで……。もちろん作者の意図は別のところにあるのかもしれませんが。ただ、近未来の或る社会を描こうとしたのであったら、それほどしっかり構築されているとはいえない……。

シア:近未来物というより、現代物っぽいなって思いました。『トワイライト』(ステファニー・メイヤー著 小原亜美訳 ヴィレッジブックス)シリーズを読んでいて、その次に読む本と銘打たれていたんで読んでみました。カッシアたちと同じくらいの年代の子が、自由の本当の意味を考えてもらうにはいい本だなって思いました。ただ、一人称でぶつ切りの言葉が多いので、文章として読みにくく、そこは少しつらかったですね。全体として起伏にかけるのは第1巻だからでしょうか。果たして日本の子どもにはこれが読めて、そして売れるのかなと心配になりました。それに、装丁がいただけないですよね。カバーがないほうが素敵です。この挿し絵、考えているのでしょうか? 服も未来っぽくないですよね。いい雰囲気のシーンでも、この挿し絵でムードぶち壊しです。話のところどころに古典作品の引用があって、感動しました。本が失われていく社会というのは、『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ著 宇野利泰訳 早川書房)を思い出しました。作者や主人公が文学的な物が好きで、こういう風に扱ってもらえると、読み手側、とくに若い子に好意的に受け入れてもらうようになるので、ありがたいなって思います。それにしても、女の子がカイを探しにいくというのは、アンデルセンの『雪の女王』みたいでいいですね。

ルパン:今日の3冊の中では、私は読むのが一番大変だったかな。全体のテーマとしては、新しいんですかね。『ザ・ギバー』は読んでいないのですが、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』を思い出しました。ちょっとわかりにくいところが多かったかな。エアトレインとか、あまりイメージが浮かんできませんでした。最後のあとがきを読んで、そうだったのか、って思ったところもたくさんあったし。「逸脱者」とか「異常者」とか、あまり具体的な説明がなくて、物語に入っていかれない部分もありました。おじいさんの最後も、どんな風に生き返るのか、とか。社会の仕組みそのものがわかりにくい、というのが足をひっぱっちゃったかな。ただ、読むのは大変だったけれど、続きは気になります。続編が出たらぜひ読んでみたいです。

みっけ:SFはあまり得意でありません。というのは、まったく新しい世界を舞台にしたお話は、書く側も背景を構築するのが大変だろうけれど、それにつきあう側もかなりエネルギーがいるので、あまり手に取らないんです。映画なんかで視覚的に見せられるのであればまだ楽なんだろうけれど、今自分がいる世界とはまったく違う世界を書いてある文字から立ち上げて頭の中に思い描くというのはそうとうエネルギーのいる作業でしょう? この作品は、どなたかがおっしゃっていたように、そのあたりにあまりエネルギーを使っていなくて、社会の仕組みこそ違え、舞台設定はほとんど現代と変わらない感じになっている。(ちょっと近未来的な乗り物は出てきますけれどね。)すべてを管理してすばらしい世界を作るというディスユートピアの話もあまり好みではないけれど、この作品は、ふたりの男の子の間で揺れる女の子の心に焦点が合っているのであまりディスユートピアに引っ張られず、それなりにさくさくと読めました。恋模様が結構丁寧に書かれているのがおもしろくて、つづきはどうなるのかな、と思いました。これは3部作の1冊目なので、ここには書かれていないことも、次の2冊で書き込んでいくのかもしれませんね。一見ソフトだけれど、実は恫喝も含めてかなり徹底した管理がなされている社会で、それ以外の状況を知らない人々が別に歯をむくこともなく暮らしていくというシチュエーションは、私たちが暮らす現代とかなり重なりますよね。こういう本は、課題にでもならなければ自分からは手に取らなかっただろうから、読む機会があってよかったと思います。

プルメリア:岡田淳さんが講演会で「子ども達は最初、本の背表紙、次は表紙、最後に厚さを見て本を選ぶ」と言ってらっしゃいましたね。

みっけ:これって、デビュー作なんですよね。だからやっぱりまだまだうまく書けていないところがあるんじゃないでしょうか。ひとつの世界をリアルに再構成するにはまだ力が足りないのでは?

ハリネズミ:『ザ・ギバー』は物語世界がきちんと構築されてて、読者もそこに入って行けたけど、この作品は、よくわからないところがたくさんあります。たとえば、管理する側が、わざとこの主人公を動揺させる仕掛けを設定するんだけど、なんでそんなことをするのか、わからない。だから謎ばっかりで世界に入っていけない。

みっけ:人工遺物を回収するというのは、人々の物語をうばっちゃうということなのではないかしら。ここに書かれている社会では、個人に固有なものはいっさい許されず、それをソフトな形で排斥しているんじゃないでしょうか。

ハリネズミ:文字は書けないという設定だけど、コンピュータでは文章をつくっているわけよね。だから筆記体は書けなくても活字体なら書こうと思えば書ける。だけど、だれも書かない。それはなぜなのかな? 詩をおぼえておこうとか何か意志があれば、人間は工夫するはずなんですよね。薬を飲まされて忘れるって設定かもしれないけど、この子は薬を飲まなかったりするわけだし。訳もしっくりこない。たとえばp445に「ベンチは石をくりぬいて作ったものだった。博物館の薄暗がりに何時間もいたせいで、冷たく固く感じられた」ってあるけど、どうして薄暗がりに長くいると、このベンチが冷たく固く感じられるの? 原文のせいか訳のせいかわからないけど、そういうしっくり来ない描写を延々と読まされてちょっとうんざりしてきました。

みっけ:この作品は、どちらかというとディスユートピアよりも恋愛に力点があるような気もします。恋愛は不自由で障害物が多いほうが盛り上がるから。オーウェルなんかは管理社会そのものを書こうとしていたけれど、この作者の力点は社会にはないのかもしれない。

レジーナ:ポプラの木の描写がとても美しく、私もはじめて英国でポプラを見たときに、「あの光っている木はなんなのだろう」と心うたれたのを思い出しました。テニソンの詩の引用も効果的でした。たきぎの墨で字を書いたり、本が燃やされた図書館の跡地にたたずむ場面では、土を耕したり、物語を分かちあうという人間の本質を想いました。「字を書く」というのは、自分の考えをあらわすことであり、ときには恥や痛みをともなう行為です。そうした身体に根ざした感覚を、人の生きる意味につなげようとする試みが、この本の根底にあるのではないでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年1月の記録)


RDGレッドデータガール〜 はじめてのお使い

『RDGレッドデータガール〜 はじめてのお使い』
荻原規子/著
角川書店
2008.07

みっけ:この作家の本は、基本的に好きです。日本の昔の出来事やなにかをうまく取り入れて、違和感のない作品を書く人ですよね。この作品でも、修験道や万葉集など日本古来のものを取り入れているんだけれど、それが単なる表面だけにとどまらず、うまく物語に取り込まれ、織り込まれている。いいなあと思いました。泉水子が無意識に作り出して結局はもてあましてしまう式神にしても、なるほどと思えました。自然やなにかの描き方が上手で、読み手を独特の雰囲気にひきこんでいく腕前はさすがですね。それにこの作品は泉水子の成長物語にもなっている。まったく無自覚だった女の子が、最後のところで自分が作ってしまったものの力関係をもとにもどすわけで、この先どう成長していくのだろうと思わせる。ちなみに私はこれに続いて第5巻まで読んじゃいました。

ルパン:おもしろかったけど、主人公の女の子が私の好みではなかった。目立たなくておとなしくて、とくに取り柄もないのに、まわりのお友達にすごくよくしてもらえる、って、なんだか少女漫画みたい。かえって、リアリティのない登場人物のほうが魅力的でした。たとえば和宮君とか。

シア:今回読んだ3冊の中では一番まとまって、やはり荻原さんだなって思いました。その先が読みたいなって思える作品になっている。自然の描写が少ない『カッシアの物語』に比べ、日本の自然は美しいなと改めて思いました。男の子も魅力的なんですよね。荻原さんの作品でひねくれた男の子って珍しいような気がしたので、驚きながら読みました。巫女とか山伏とかマニアックな要素をふんだんに盛り込んでいるんですけれど、上手にこなしていますね。

あかざ:とってもおもしろかったです。第2巻も読みたい! エンタメとして、見事に書けていると思いました。主人公の泉水子も、それほどうっとおしいとは思いませんでした。これから変わっていくところを描くのなら、これくらい強調しておいたほうがいいのでは? 最初は『十二国記』(小野不由美著 講談社・新潮社)とちょっと似てるかなと思ったのですが、こちらは日本の、それも都会で平凡に暮らしているものには見えてこない自然や、山伏のような日本の地に根ざしたものを描いているところが、とても魅力的でした。泉水子が山頂で舞を舞うところが素敵ですね。あの歌は、万葉集にあるものなのですね。

プルメリア:思ったことをなかなか言えずどうしようかと迷っている子どもは結構いるので、そういう性格を持っている主人公がいてもいいなと思いました。また、そういう子たちにとって自分と似ている性格の主人公がいる作品に出会うこともいいなって思いました。ふだんの生活では知らない神社のしきたりがたくさんあり、かなり山奥の大自然が舞台。山伏は普通の子ども達にはわからない存在ですが、このように意味深なものとして書かれているのもいいなって思いました。主人公の両親の職業は他の仕事とはかけはなれていたり、男の子のお父さんがヘリコプターで学校に来たり、以前読んだことのある荻原ワールドではないなって思いました。東京の商店街で主人公が帽子を買うシーンが、かわいいなって思いました。和宮くんが座敷童とは驚きました。この辺りから荻原ワールドがいよいよ出てきた感じ、作品がおもしろくなってきました。主人公の好き嫌いというよりも、作品のおもしろさ。わくわくしました。次作をはやく読んでみたいです。

レジーナ:それまで人まかせだった主人公が、「自分から知ろうとしなければ、見過ごしてしまう」と感じたり、また「(舞を踊る姿を)見られるのが怖いのは、傷つくのがこわいから、自分で自分を否定しているから」だと気づく場面に、成長を感じました。最後の対決は、あっけなく終わってしまったように思いましたが……。人品(じんぴん)」など、普通の女の子の言葉にしては難しい表現もありました。

ajian:漫画というか、若い女性向けの、Chik-Litみたいだなって思いました。自分に全然自信のない地味な女の子には、じつは魅力的な背景があって……っていうところから、強気で、なんだかんだと自分を守ってくれる男の子が登場するところまでふくめて。ベタな設定と展開が女性向けの通俗小説にのっとっている感じですよね。別にそれはそれで、個人的には大好物で、まったくかまわないんです。ただ、そういう小説で、いわば型を書いていても、どうしてもはみだしてしまう人間性や作家性というのがあって、そこがおもしろいところだと思うんですが、その点、これは少し物足りないなと思いました。あと会話が地の文に比べるとこなれていない。たとえばp10。「山奥に居つづけなくてはならない理由はないと思うよ。義務教育のあいだは、保護者と住むのはしかたないけれど、高校生にもなったらね。ご両親には、なにか言われているの?」ですが、いかにも説明という台詞ですよね。いや、基本的にはおもしろいし、うまく書かれていると思います。設定で、日本の民間信仰をとりいれているところも、いい着眼点だなと思いました。最近ずっと内向きだといわれていますが、裏を返せば、ナショナルなものへの関心が高まっているということだと思います。そういうものを取り入れて魅力的な物語に仕立てているから、これは売れているんじゃないでしょうか。

ハリネズミ:私は今回の3冊の中でおもしろかったのは、これだけなんです。エンタメではあるけど、世界がしっかり構築されてるし、それぞれのキャラもしっかりつくってある。ラノベ読むんだったら、このシリーズ読んだほうがよっぽどおもしろいと思うな。やっぱり荻原さんはうまいですよ。山伏みたいなものを持ってくるのも、さすがです。エンタメだって、ふにゃふにゃしたのじゃなくて、しっかり考えてつくってあるのを読んでほしいな。

ajian:アヴァロンは、これこそ Chik-Lit だなって思いました。アーサー王伝説がモチーフになっていますが、一般の人はあまり詳しくないと思うので、「湖の姫」っていわれても、遠いんじゃないかなと思いますね。この語りの調子は・・・中身がなくても、文体だけで魅力的な本ってあるじゃないですか。そうなってくれるとよかったんだけど、はっちゃけてるだけで、どうも乗れませんでした。あとは、ベオウルフとか、アレックス・ヘイリーとか、せっかく出てくるんだから、注があるとうれしい。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年1月の記録)


2013年01月 テーマ:恋と秘密

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『2013年01月 テーマ:恋と秘密』
日付 2013年1月31日
参加者 あかざ、ajian、シア、ハリネズミ、プルメリア、みっけ、ルパン、レジーナ
テーマ 恋と秘密

読んだ本:

『アヴァロン〜 恋の〈伝説学園〉へようこそ!』
原題:AVALON HIGH by Meg Cabot, 2006
メグ・キャボット/作 代田亜香子/訳
理論社
2007.02

版元語録:その人は谷にいた。そして、こっちを見てほほえんだ。この笑顔には、なぜだか記憶がある。まったくの初対面のはずなのに、どうしてあたし、このほほえみを知っているの? ひとめぼれ? それとも前世の恋人?? 転校した学校で巻き起こる世にも不思議なラブストーリー。
『カッシアの物語』
原題:MATCHED by Allyson Braithwaite Condie, 2011
アリー・コンディ/著 高橋啓/訳
プレジデント社
2011

版元語録:結婚も、職業も、死さえも…すべてが決められた“偶然の起こるはずのない社会”。そこに暮らす17歳の少女の運命を変える選択とは---。『嵐が丘』『風と共に去りぬ』そして、『トワイライト』に次ぐ新たなラブロマンスの傑作。
『RDGレッドデータガール〜 はじめてのお使い』
荻原規子/著
角川書店
2008.07

版元語録:世界遺産に認定される玉倉神社に生まれ育った泉水子は突然、東京の高校進学を薦められて…。新感覚ファンタジー。

(さらに…)

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レガッタ! 〜水をつかむ

『レガッタ! 〜水をつかむ』
濱野京子 /著 一瀬ルカ/挿絵
講談社
2012

ajian:今回これを選んだのはぼくなんですが、実はすべて読まないで選んでしまいました。女子の部活もので、あまり読んだことがないので面白そうだなと思ったんですが、結果いまいちでした。すみません。

ハリネズミ:どういうところが、いまいちでしたか?

ajian:取材して書いたのはわかるんですけど、頭で書いているというか、今ひとつ伝わってくるものがなかったんですよね。部活になじんで、レースに出て、全国選抜と、物語の流れは一応あって、いろいろ書いてあるんですけど、それが一つにこうまとまって立ち上がってこないというか。あと、この軽い男の子の登場も余計ですね……なんだか、頭のいい感想が言えなくて、まとまってなくてすみません。あと思ったのはですね、登場人物がいっぱい出てくるんですけど、キャラクターが立ってない上に名前が似ているから、誰が誰だか、読んでてわからなくなるんですよ。そこはもうちょっとそれぞれのキャラクターを立ててほしかった。いいな、と思ったのは、ボート部のなかに、嫌いなヤツがいるでしょ。特に前半ちょっと苦手で、ぎくしゃくしてしまうヤツ。集団でやるスポーツのすばらしさは、そういうヤツとも一緒にやれるってことですよね。会社もそうですけど(笑)。苦手だろうが何だろうが、同じ船に乗った以上は、そこでそれぞれの持ち場で力を発揮してやっていくしかない。その辺りは共感しやすいし、王道だなぁと思いました。

カイナ:高校の部活動のボート部を取材して書いたお話ですね。マイナーな部なわけで、多くの人に知ってもらうという意味では、よく取材できているというか、情報がよく書けていると思いました。お姉ちゃんと対比した妹の持ち味もよく書けています。ですが絵がどうも。小説というのは文章からイメージするものでしょう、全くイメージが合いません。もっとたくましいはずだし、陽にやけているはず。どうしてこんな漫画にするのかな? 絵は駄目でした。がんばってる高校生を等身大で描くというか、よく現実を取材して、高校生の女の子をそのまま書けているのに。今の若い読者には、こういう絵が好まれるんでしょうか?

ハリネズミ:みんな同じ顔に描かれてるので、よけい誰が誰だかわからなくなりますね。

プルメリア:戸田が出てきましたが、「戸田市は競艇があるのでその収益で公共施設の設備がいい」と聞いています。表紙の絵はいいと思いましたが、登場人物の人間関係が複雑で、読むのに時間がかかりました。デートをしに動物園に行く場面あたりでちょっと息抜きが出来た感じです。パンダはネコ科で、クマ科ではないはず(のちにパンダ科と判明)。ボートを一生懸命やっている姿が高校生らしい。私も左利きで中・高とテニスをしていましたが、家で筋トレはしなかったので主人公とは意気込みが違うなと思いました。この作品からボートに関しての知識を得られました。まあ、「青春もの」かな。男の子が出てきたところで、ちょっと読みやすくなりました。

みっけ:判型やこの絵から見て、軽く読めるように作られているんだな、と思いました。前にこの会で取り上げた同じ作者の『フュージョン』(濱野京子著 講談社)も、グループでの競技スポーツを通して女の子が成長する話だったけど、あちらのほうが登場人物もいろいろで、脇役もしっかりしていて、物語として厚みがあった気がします。それに比べるとこれは定型というか、お決まりのコースという感じで、読みやすいけれど全体として軽くて薄い感じ。たぶん、あまり本と仲良しでない子どもたちに向けた作りなんでしょうね。そういう意味では『フュージョン』とは作る姿勢がまるで違う。この長さの割に登場人物が多いので、書きわけもあまり丁寧にできなかったのかな。美帆という女の子にもいろいろと事情があるんだな、と主人公が察する場面など、書きわけよう、キャラを立てようという姿勢はあちこちに見えるけれど……。たしかにどの子がどの子かわかりにくかったですね。人物の書きわけが難しいのは、優等生が集まった学校のエリートクラブの内輪の話だということもあるのかもしれない。それと、この絵は私は評価できませんでした。まるで勢いがない。でも、ボート競技のことは私も知らなかったので、へぇと思いました。

レジーナ:勤め先の区立中学校には、公立図書館が選書した本をまとめて貸してもらえる制度があって、その中にこの本も入っていました。挿絵に惹かれて、子どもたちは手に取っているようです。この本をきっかけに、『フュージョン』等に読み進めてくれればいいと思うのですが……。登場人物が多く、名前も似ているので、ひとりひとりを覚えるのが難しかったです。数か月前にこの会の課題図書になった『鷹のように帆をあげて』(まはら三桃著 講談社)には、「向かい風の方が鷹は飛びやすい」など、作者が子どもたちに伝えたいメッセージが根底にありました。スポーツを扱った作品の面白さは、その競技をしている人だけが知っていることや感じたことを、人間が生きていく上での姿勢や人生になぞらえて語る点にあると思います。『レガッタ!〜水をつかむ』も、「水をつかむ」という言葉と、主人公が葛藤を越えていく過程を結びつけられたら、もっと味わい深い作品になったのではないでしょうか。

ルパン:選んだご本人がいまいち、とおっしゃったので、ほっとしました(笑)。前半がボート競技の説明文みたいな感じで、物語に自然に入っていかれませんでした。読書会の課題図書でなければ、10ページでギブアップだったかも。p45の図も理解できなくて。これがわかんないとストーリーを追えないのか、と思ったらちょっとあせりました。一般の人に馴染みのない世界を伝えようと思うとこんなに大変なのかと、作者がお気の毒になったりもしましたが。あと、ところどころに同時代的なこと(例 AKB48など)が出てくるのが気になりました。短いスパンで古臭くなりそうなのが心配です。共感したのは共働きのお母さんの台詞、「(食事を)作るのが面倒くさいときは、刺身にする」。私もそうだから(笑)。「水をつかむ」という言葉はとてもいいので、これをクライマックスにもってくればいいのに。ボートがわからない女の子が、これがボート競技なんだ、ということをつかむ瞬間がくる設定にすれば感動的だったと思います。副題に使ってしまったのはもったいない。そもそも、全体的に臨場感というか、ボートで揺られている感触やオールがすうっと水に入った瞬間の感覚などをもっと書いてもらいたかった。

カイナ:ボート部というものを、客観的に取材して書いているという弱さもありますね。ご本人自身の経験ではない。水をつかむという話ですが、ボート部は、大学3年くらいになって、水がつかめるようになると本当にきつくなる。1、2年の頃の方が水をつかみきれないから実は多少楽だったと気づく、というのを聞いたことがあります。それをつかむために練習しているわけですね。

プルメリア:大勢でやると動きます。数年前、榛名湖の高原学校でカッターボート体験をしました。子ども達に「力をいれて!」と声をかけると、水面をスムーズに動くことができました。

カイナ:項目の取材はしたけれど、体験の取材はそれに比べると浅いかな。そこが書けていないとも言えますね。

ルパン:そこが書けていないのが、とても残念。もったいない。

みっけ:逆にいうと、ストーリーを作ろうとして盛り込み過ぎかもしれない。一年をずっと追わなくても、たとえば水をつかんだ瞬間がクライマックスにくるようにして、そこまでの過程をもっとリアルに実感を持って描くというやり方もあったんじゃないかな。腕力も体力もやる気もある主人公が、それでも水をつかめなくて、それがある瞬間に水がつかめるようになるという、それだけでも十分感動的なんじゃないかな。

カイナ:ボートという珍しい世界を書きました、ということ。

ルパン:焦点が分散しちゃった感じがもったいない。

ハリネズミ:この本は、YA! ENTERTAINMENTシリーズの一冊なので、最初からエンタメとして書かれているんじゃないでしょうか? 文章もいわゆる「立っている」文章ではなくて、情報を伝えるような文章だし。だから、文学として足りないところを見ていっても始まらないと思うんですね。私がうまいな、と思ったのは、稔一の書き方なんです。ただ軽いだけの男の子だったら有里が部活をさぼってまでデートする気にならないし、本当に魅力的な男の子にも書けないし。そのあたりの案配がうまいな、と。

ルパン:「沈する」エピソードはとてもよかったです。

ハリネズミ:表紙はともかくとして、中の絵は私も残念。

カイナ:前に読んだ弓道の話がありましたね、(『たまごを持つように』(まはら三桃/著 講談社))弓道のほうが精神性が伴うからまたちょっと違いますね。

ハリネズミ:今は本を読まない子もふえているので、そういう子を読書にひきいれるための本も必要だと思うんです。この手の本が、そういう入り口をつくってくれるといいな、と思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年12月の記録)


もういちど家族になる日まで

『もういちど家族になる日まで』
スザンヌ・ラフルーア/作 永瀬比奈/訳
徳間書店
2011.12

ルパン:最初は主人公の女の子が好きじゃありませんでした。自分のことでいっぱいいっぱいで、まわりの人まで思いやる余裕がないし、あんまり「いい子」じゃないですよね。でも、途中からぐいぐい引き込まれて、この年齢でこんな目に遭ったらこう感じるのが当たり前だ、って思うようになりました。最後はすっかり感情移入して、電車の中で読みながら悲しくなって号泣しちゃいました。いちばんぐっと来たのが、お母さんと会えたときに初めて言う言葉。お母さんに「私より妹のほうがかわいかったの?」って言うシーンです。死んだ妹をなつかしんでいたけれど、私がいるのに、妹が死んだことがそんないつらかったの、と。そのひとことで、もう泣けて泣けて。

レジーナ:ずっと気になっていた作品です。読むまでは、経済的に困難な家庭でネグレクトを受けた少女の話かと思っていましたが、そうではないのですね。亡くなった妹のために買っておいていたプレゼントを、誕生日の日に写真のそばにそっと置いたり、お母さんが見つかったことを知らせに学校に来たときに、可愛がっている金魚を車に乗せて連れてきたり、押しつけがましくなく主人公の気持ちに寄り添うことのできるおばあちゃんが心に残りました。感謝祭の前に、主人公が、家族の思い出のスイートポテトを作りたいと言い出した時も、失敗したらどれだけ傷つくかを考えたら、私だったら一緒に作ると思います。その子を信じて委ねるのはなかなかできないことなので、子どもを根底から信じようとするおばあちゃんの強い姿勢を感じました。親友の妹が病院に運ばれたとき、それまで悲しみの殻に閉じこもっていた主人公が初めて友だちのことを思いやる描写も、心に響きました。誕生日の日に、年の数より1本多くろうそくを灯す習慣について、あとがきで触れてありましたが、物語の中では詳しく述べられていなかったので、その点に関してはもう少し説明がほしかったです。

みっけ:これは原書が出た頃に買って1度読みました。不思議な感触の本だなぁ、静かな本だなぁと思いました。今回訳を読もうと思ったのですが、冒頭で日本語にひっかかって、その後もかなり気になる箇所が多く、結局原書を読み直しました。初めのうちはこの子に感情移入できなくて、嫌な子だと思った、という感想がありましたが、まさにそう思わせるくらい丹念にこの子の心の動きを掬っているのがすごいと思いました。主人公の見たもの、感じたものをごく細かいところまで丁寧に掬っているんだけれど、ただ拾うだけでなく、ポイントをしっかり押さえているから、主人公が細かく揺らぎながら喪失感や何かに向き合っていくのがリアルに伝わってくる。その実感が感じられるから、ベタになってしまわずに、読んでいて、この子に静かに寄り添っているような感じがするんだと思います。それと、最後のところでお母さんが、一緒に住める気がするから家に帰ってきたら、と言い出したときに、この子が返事をペンディングするところがいいなぁと思いました。それがこの本の大きな魅力だと思う。この子がすぐに一緒に住む,と言わなかったことで、おばあちゃんや隣の女の子と過ごした時間、そこで培った関係をこの子がどれだけ大事にしているかがよくわかる。いわば、お母さんとは別の時間や関係がどれほど大切なものだったかが浮かび上がってくるわけです。それがなくて、この子がほいほいと家に帰ったら、あのおばあちゃんや隣の子との時間はなんだったの?という話になる。それと、おばあちゃんやブリジットなどのこの子を取り巻く人たちの接し方がすばらしいと思いました。大前提はとんでもなく深刻な状況なんだけれど、この本に描かれている時間の中では、別にドラマチックですごく大きな出来事が起きるわけではない。その意味ではかなり地味な本なのに、丹念に細かく日常を積み上げていってこういう作品を作れるのは、すばらしい才能だと思いました。

ルパン:タイトルが残念ですよね。センスが感じられない。

みっけ:訳は全体にベタな感じですね。それと、原著がかなり綿密に言葉を選び、情景のイメージを作っているのに、訳が粗いのが残念。細かいことを積み上げていくタイプの作品だけに、それが大きく響いてしまう。でも、作品としてはとても好きです。

カイナ:この題名を見て読むと、お母さんと娘がもう1度一緒に住むようになるんだろうな、と予想して読んでいったら、そうならなかったので意外でした。パターソンの『ガラスの家族』(キャサリン・パターソン作 岡本浜絵訳 偕成社)を思い浮かべました。ちょっと違うけど母親に捨てられた娘。お母さんがヒッピーで、里親の愛を受ける。あっちに行くか、こっちに行くか迷うという話。

ハリネズミ:『ガラスの家族』は、ギリーがお母さんと会ったときに、それまでずっと抱いていた幻想が壊れるんですね。パターソンは、お母さんがカバンを間にはさんでギリーを抱きしめた、と書いて、そこをうまく表現しています。

カイナ:ちょっと批判になりますが、マーカスという男の子が出てきます。「ぼくのせいでお父さんが消えちゃった」という子。その子が、あとどうなったかが書かれていなかったような。それから、変な話なんだけど、家庭に問題があって最後に主人公が立ち上がってきた話というテーマは多いですね。またその話か、と思ってしまいました。自分の中では正直食傷ぎみ。そんなこと言うと怒られるかな。

ハリネズミ:日本の状況からすると遠い感じがしますけど、欧米には、親が離婚・再婚を繰り返す家庭なども多いので、そういう立場にいる子どもへの応援歌も必要なんですね。だから作品もいろいろと書かれていますが、それぞれ特徴がありますよ。

みっけ:この子は最後のやりとりで、決してお母さんを拒否していない。そしてこの本は、お母さんを拒否していないということがきちんと伝わるように書いてある。それでもこの子は揺れていて、お母さんがいないところで紡いできた時間のことを考えると今すぐは無理、というわけだけれど、こういう選択肢はなかなか子どもには考えにくい。どうしても二者択一になりがちだから。でもこういう選択肢があるということを示して、それでいいんだよ、というのは、現実にもみくちゃにされている子どもたちへのひとつの応援歌だと思います。

ajian:すごく気持ちを丁寧に書いてあって、それで読むのが大変でした。感情移入してしまって……。こういうことは、なかなか簡単に癒されたり、解決したりすることではないと思うんですよね。お母さんのところに戻らないっていう選択肢を物語として示してあるのは、すごくいいと思いました。子どもには回復力があると思いたいけれど、この子ーーまあ小説の登場人物なんですがーーはむしろ、これからなんだろうなと思います。トラウマっていうのは、自分ではすっかり平気だと思っていても、何かの拍子に思い出したりするんです。いつか変わる、普通に戻れると思っているとダメで、むしろ変わらないし忘れられないんだってことを受け入れてかないとキツいと思うんですよね。ここまでひどいことが起きなくても、子どもは結構大変なことを抱えているもので……。個人的にも最近いろいろあって、ついそのことを重ねつつ読んでしまいました。

プルメリア:重たいテーマなのに、『レガッタ! 〜水をつかむ』に比べて私は読みやすかったです。主人公のそばにいつもいるおばあさん、隣に住む少女や家族、そして出会う人たちがとてもあたたかくていいなと思いました。お母さんに対しての思いが、周りの人達と関わることによって、だんだん冷静に見られるようになって、よかったなと思いました。食事の場面がたくさんありました。食事の場面が出てくるとあたたかい感じがするなと思いました。

ハリネズミ:最後のところでオーブリーはこう書いています。「ママがもういちど、家族になりたいって思ってるのはわかるよ。わたしも同じ気持ち。だけど、ここにいる家族を置いていく気には、今はまだなれません」。この「ここにいる家族」の中には、おばあちゃんだけじゃなくて、ブリジットやブリジットの家族や、マーカスや、エイミー先生も入ってると思うんです。英米の児童文学を見ると、「家族というのは血のつながりより、一緒に紡ぐ時間の積み重ねのほうが大事なんだ」という思いが強い。イギリスのジャクリーン・ウィルソンの作品なんかも、それが前提になっている。それと、私はこの作品を読んで、アメリカのジャクリーン・ウッドソンの『レーナ』(ジャクリーン・ウッドソン著 さくまゆみこ訳 理論社)を思い出しました。あの作品でも、主人公マリーのお母さんが夫と子どもを置いて家を出てしまうし、マリーはそのお母さんに宛先のない手紙を出し続けています。

みっけ:この子とスクール・カウンセラーとの関係は、決してメインではないんだけれど、それでもきちんと書いてあって、たとえば、最初はずいぶん突っぱっていて、M&Mをどうぞと言われて、「いえ、けっこうです」みたいに断る。ところが4回目に会ったときには、思わずまたM&Mをどうぞって言われるのかな、と入れ物のほうを見ちゃう。そしてカウンセラーにどうぞといわれると、膝の上に入れ物ごと置いて食べ始める。しかもその日の面談が終わるときには、なんと入れ物を戻すのを忘れて、カウンセラーに「M&Mは(持って行っちゃわないで)置いていってね」と言われる。この展開ひとつで、この子がカウンセラーに対して次第に心を開いていっているのがわかるし、最後の「置いていってね」のところには独特のユーモアがある。作者の目線にユーモアがあるからこそ、深刻な状況で揺れる心に寄り添っていても、こちらがあまり息苦しくならない。そこがいいですね。

ハリネズミ:ちょっとしたところの描写がうまいですよね。

ルパン:これを20代の人が書いたというのもすごい。若いのにすごい筆力だと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年12月の記録)


プリンセス・アカデミー

『プリンセス・アカデミー』
シャノン・ヘイル/作 代田亜香子/訳
小学館
2009.06

みっけ:王子様がそのために教育を受けた娘たちのなかからお嫁さんを選ぶ、という設定はあまり好みではないな、と思ったのですが、苦手なわりにはさくさくと読めました。タイトルがプリンセス・アカデミーとあったから、きらびやかな都会の話かと思って読み始めたら、なんとへんぴな石切り場の話で、へえ、と思いました。それと、最後の結末の付け方は、おやまあ、こうきたか、という感じでした。実は王子様と昔からの知り合いだったなんて、想像していなかったから。主人公がなぜ石切場で働けないのかとか、自分に対するコンプレックスなどが最初にさらっと提示されていて、その理由をはじめとするいくつかの謎で物語を引っ張っていく造りなので、その意味では面白く読めました。でも、盗賊が少女を宙づりにするのは、実際にはちょっと時間が長すぎるんじゃないかと思いました。それと、石切り場では、「クウォリースピーチ」で声を出さなくても呼びかけられるという話が出てきて、え?と思ったけれど、それは石が血肉になっているから、というふうに理由づけているのは、ある種物語の論理なんでしょうか。ちょうどテリー・プラチェットの「ティファニー」シリーズ(テリー・プラチェット著 冨永星訳 あすなろ書房)で「チョークの大地に暮らす人々の背骨はチョークでできている」というのと同じ発想だな、と。最後のところで、この子がお姫様願望に落ち着くのではなく、学ぶ機会を作ることで村の人たちの役に立てるんだ、ということに目覚めるのもいいと思いました。

ajian:この、王子様が学校を建てて、わざわざ自分のための嫁選びをする、みたいな設定が呑めるか呑めないかってとことで、まず意見が分かれるんじゃないかと思うんですが、ぼくは全然呑めるんですね。すごく楽しく読んでしまいました。訳者あとがきにもありましたが、タイトルから想像するのと、内容が全然違いますね。しかも石のこと、クウォリースピーチっていう設定や、外交交渉を身につけるみたいな話から山賊の登場まで、随分盛りだくさんなんですが、それを面白い物語としてうまくまとめていると思います。長いと言えば長いんですが……。

プルメリア:この作品は出版されたときに手にし、すごく楽しく読めました。小学校の図書室にいれたところ、6年生の女子が「絵が好き」と言って読んでいました。

ハリネズミ:手に入ったのが遅くて、まだ半分しか読んでないんです。今の時点で感じているのは、学びと生活の関係がよく描かれているな、ということ。それから、いくら普通のプリンセスものとは違うといっても、作者の中にプリンセスへの憧れを是とするシンデレラ・コンプレックスがあるな、ということです。それから、この本はファンタジーではないので、石がコミュニケーションの媒介になるという非科学的な点は気になりました。訳には、もう少していねいにしてほしいと思う箇所がいくつかありました。たとえばp177の「ペダーってば、こんなにきらわれるなんて、ゆうべなにをしでかしたんだろう」とか、p185の「リンダー石を飲んだり吸ったりしているからよ」なんていうところです。表紙や挿絵はちょっと不気味だったんですけど、今の中・高生は気に入るのかな?

みっけ:そこの部分は、踊りのときに、ペダーがミリーと踊らずに、その二人と踊っていたことを指しているのかと思いましたが。

ハリネズミ:それを指すのだとしても「しでかした」は違うかと。

シア:地域の図書館でもやたらと人気があったみたいで、昨日やっと私の予約が回ってきました。というわけで、読み込んでいません。ラストは読み飛ばし状態です。テキトーなことしか言えなくて申し訳ありません。ニューベリー・オナー賞ということで、すごい作品だなと思いながら読んでいましたが、心にくるものがないというか、いまいち腑に落ちない思いで読んでいました。結局、教育や知識っていうのは重要なんだ、ということが言いたいのかなと思ったりしました。「后の位も何にかはせむ!」といった感じで、『更級日記』を彷彿とさせるような作品でした。しかし、プリンセスに選ばれた女の子が個人的に気に入らなくて、これではとんだ茶番ですね。こんな大冒険までしたのに。まあ、村は発展したけれど……。こういうお馬鹿な女の子を選んでしまう王子がいるなんて、この国の未来は大丈夫でしょうか? 心配だなぁと思った一冊でした。

ルパン:この表紙、このタイトルのわりに、読み応えがありますよね(笑)。児童書版ハーレクインだと思ったら、意外や、そうではなくて。私はリアリティに根ざしたファンタジー作品だと思いました。あっ、(選書係として)重くて、大きくて、ごめんなさい。

レジーナ:各章の冒頭の言葉は「クウォリースピーチ」のようですが、物語とのつながりが見えづらかったです。主人公がプリンセスを目指すようになる心の動きについても、家族が立派な家に住めるようにしてあげたいという気持ちや、美しいドレスへの憧れや、山の出身であることを見下されたくないという反発心など、いろいろと挙げられていましたが、決め手となった理由がはっきりとは描かれていませんでした。舞踏会の時にドレス姿の先生を見た主人公が、先生もここに来るために多くのものを捨ててきたのだと気づく場面が印象的でした。一方的な見方しかできなかった主人公が、このときはじめて他者の立場から物事を見ようとする場面なので、もっと掘り下げて描いてほしい箇所です。

シア(遅れて参加):『プリンセス・アカデミー』というタイトルは、ディズニーの子ども用プログラムであるので、それと勘違いして借りる人もいるのではないかと思います。後から来たので、ほかの2冊についても言いますね。
 『もういちど家族になる日まで』は謎めいた出だしで、気になりました。おばあちゃんとあまり性格の良くない子が出てきます。11歳の女の子が乗り越えるには、あまりにもつらい現実です。周りの人がすごくいい人ばかりで、隣の女の子がとても可愛く描かれています。『西の魔女が死んだ』(梨木果歩著 楡出版・小学館・新潮社)、『ハッピーバースデー』(青木和雄作 金の星社)との類似性を感じました。でも、主人公が空想の友達に手紙を書いたり、自分の力で立ち直っていく力強さが先ほどの二作とは違うかなと。とはいえ、ラストが子どもの目線なので仕方がないけれど、これで解決になっているのかなと。この落としどころでいいのか、腑に落ちなくて『西の魔女が死んだ』のような感動はありませんでした。日本と外国の差が大きく出た一冊のように感じました。ちょっと暗かったかな。子どもはどう思うのかな、と思いました。中高生だと、お母さんの方に共感するのかもしれません。
 『レガッタ!〜水をつかむ』は図書館で簡単に手に入ったので、しっかり読めました。少女漫画風の挿絵で、びっくりしました。こういう絵柄を喜ぶのは、中学2年生くらいまでではないでしょうか。高校生くらいになると、逆にこういうのを嫌う子が多いと思いますよ。内容が高校生なのに、絵で損をしている部分があるように感じます。よっぽどアニメとか好きじゃない限り、手に取りにくくなるんじゃないかと思いますね。心理的に難しい部分があります。それに、親や先生が漫画本風の絵をすごく嫌う傾向があるので、いくら中身が良くても見た目への抵抗が激しく、学校図書館に入れにくかったりします。

ajian:一応少女漫画を擁護したいんですけど、これは少女漫画としてもあまりいい出来の絵じゃないですよ。

ハリネズミ:先生たちは、どうして嫌うんですか?

シア:こういうのをすごく嫌がる年配の人もいるし、「オタク系」といって嫌がる人、それから、ライトノベルを排除したがる人もいますね。そういう先生は、ラノベは時間の無駄で、本じゃないと言っています。教養のある本を読んでほしいと言う先生は、漱石や鴎外を読んでほしいのでしょうね。子どもたちとの間に大きな温度差があります。

カイナ:高1『羅生門』高2『高瀬舟』高3『舞姫』は教科書に必ず載っていましたね。

ハリネズミ:本を読まない子をどうすくい取るかという視点も必要です。それと今は発達障がいといわれる子も増えているので、そういう子どもたちにはまた別の視点から本を選ぶ必要がある。いろいろな種類の本が必要だと思います。

カイナ:作家はこの絵を承認しているんでしょうかねぇ?

シア:『レガッタ!』は、絵のせいというわけではないのですが、漫画のノベライズを読んだような印象を受けました。これは講談社のこのシリーズのなかでも、トップクラスに軽いものでしたね。スポーツものによくある、先が気になるハラハラ・ドキドキ感がいまいちありませんでした。女の子がいっぱい出てくるので恋愛のシーンがあるかと思ったら、女の先輩のほうがかっこよかったりしましたし。スポ根をイメージしたわりに話に山がなく、決め手になるシーンがなかったように思います。ボートについては知らなかったので、そういうところは楽しめましたが。女子の友情も書けてたかなぁ? お兄ちゃんの描写もひどかったなぁ。藻にからまってどろどろしたイメージで、まさに「沈」。

ハリネズミ:エンタメはエンタメで難しいですね。本を読まない子にとっては、むしろステレオタイプでお涙ちょうだいみたいな本のほうが魅力的だったりするのかな?

シア:髪型のことなど細かく書かれていますが、誰が誰だかわからないですね。この描写はなんなのでしょうか? どっちつかずかもしれません。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年12月の記録)


2012年12月 テーマ:新しい環境でがんばる少女

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『2012年12月 テーマ:新しい環境でがんばる少女』
日付 2012年12月18日
参加者 ajian、カイナ、シア、ハリネズミ、プルメリア、ミッケ、ルパン、レジーナ
テーマ 新しい環境でがんばる少女

読んだ本:

『レガッタ! 〜水をつかむ』
濱野京子 /著 一瀬ルカ/挿絵
講談社
2012

版元語録:「たかがスポーツに、そんなにむきになるなんて」。優秀な姉の言葉に反発し、強豪ボート部に入部した飯塚有里は、力がありながらも、水上でうまく発揮できずにいた。ボートはひとりでは漕げないと知ったとき、オールが水をつかみはじめる…。
『もういちど家族になる日まで』
原題:LOVE AUBREY by Suzanne M. LaFleur, 2010
スザンヌ・ラフルーア/作 永瀬比奈/訳
徳間書店
2011.12

版元語録:ひとり取り残された11歳のオーブリー。心に深い傷を負った少女が、周囲の人々のやさしさに包まれ立ち直っていく姿を描く感動作。
『プリンセス・アカデミー』
原題:PRINCESS ACADEMY by Shannon Hale, 2005
シャノン・ヘイル/作 代田亜香子/訳
小学館
2009.06

版元語録:突然、王子のお妃候補に選ばれ、「プリンセス・アカデミー」で競い合うことになった少女たち。プリンセスになるのは、だれなのか!? 20人の学園生活。

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キノコ雲に追われて〜二重被爆者9人の証言

『キノコ雲に追われて〜二重被爆者9人の証言』
ロバート・トランブル/著 吉井知代子/訳
あすなろ書房
2010.07

ヒーラ:こういう方たちがいたのだという驚きでした。絶望的な話ですね。この本自体が終戦10年後に書かれたということは、著者がアメリカ人に現実を伝えようとした趣旨の本なのでしょう。こういう本がアメリカで戦争10年後に出されたことに価値があると思います。悲劇的偶然ですが、2度被爆し、それでも生き残った方々に取材して、証言をもとに書かれているわけで、文章自体も非常によくできていると思います。アメリカ人の目からみた日本人観がところどころ出てくるのも興味深かったです。広島で被爆した経験をもとに、3日後の長崎で対処のしかたのアドバイスができて、その瞬間には命を落とさずにすんだ方々もいたというのがせめてもの救いですね。

メリーさん:2度も原爆の被害を受けてしまった人たちがいたとは知りませんでした。その点では、後世に伝えるという意味で、今回読めてよかったなと。ただ文中、日本人名がカタカナなのは気になりました。加えて、ところどころにアメリカ人の日本人観が強く出ていて「東洋人は」とか「日本人は」という部分や「原爆は使うべくして使われた」などというところ、これはこのままでいいのかなと疑問でした。外国人の著者が日本を扱ったノンフィクションは、日本人にはない視点があっておもしろいものがたくさんありますが、原爆がテーマの場合はもう少し考える必要があると感じました。この本を今出す意味はどこにあるのか。当時こういうことを取材していたアメリカ人ジャーナリストがいたということを取り上げ、その中で彼の記録について具体的に触れる、というやり方をするという方法もあったのではないかと思いました。

レジーナ:長崎の被爆が広島ほど知られていないことに対する複雑な想いは、二重被爆という問題の中でくっきりと浮かび上がったように思います。土産物として被爆者の写真が売られていた当時の状況など、初めて知ったことも多くありました。その一方で、日本人について少し不自然な描写がいくつかありました。たとえばビジネスにおける紹介を日本特有の習慣だと説明していますが、アメリカでも仕事のために人に紹介してもらう状況はあるでしょうし、聞き手のアメリカ人が知らないと思って、その人のために話したことが、そのまま記録されてしまったのかもしれません。被爆者を見た日本人が、死者を会津白虎隊になぞらえているのにも違和感がありました。聞き手のアメリカ人の頭の中に、お国のために戦って死ぬ日本人像がはじめにあって、それにつながる感想を強引に引き出したような……。キリスト教国であるアメリカが長崎に大きな被害をもたらしたことを皮肉だと感じていると書かれていましたが、本当にそう考えていた長崎の人は、どの程度いたのでしょうか。原爆が、戦争を終わらせるための手段として、使われるべくして使われたという記述に表れているように、広島・長崎の被爆の問題をアメリカの視点から見た作品です。デリケートな問題なので、客観的な視点をよく考えた上で、子どもに手渡していくことが必要だと思いました。

みっけ:後ろの解説に山口彊(つとむ)さんの話があるし、ちょっと前に二重被曝を扱った映画のことも新聞で見たりしていたので、そういう流れのなかでこの本を出そうと考えたのではないかと思いました。そのときの新聞記事の様子から見ても、日本では、二重被曝のことをきちんと取り上げた本などはほとんどないような気がします。そんな中で、終戦から10年という時期にアメリカ人がこれを書いたということはとても重要なことだから、翻訳を出す意味はあると思います。ただ、一つにはアメリカ人がアメリカ人の視点で,アメリカ人に向かって書いている本であることからくる違和感というか、限界がある気がします。また、終戦の10年後に書かれているという限界も。さらに長い年月が経ったとき、つまり40年後、50年後にどうなるかということは、当時わかっておらず、どうしても表現が楽観的になっているとか。これは、原爆そのものを初めて人間に使ってみた、いわば人体実験のような側面もあるわけで、その前はまったくどういう影響が出るかがわからなかったから、しかたないといえばしかたないのかもしれないのですが。しかし、たとえばここに好意的に出てくるABCCについても最近、原発関係で資料隠しをしていたという報道があったりするわけで、そのあたりのギャップは何とかする必要があると思います。その意味では、版権などの関係で可能かどうかわからないけれど、たとえば、作者のトランブル自身に関して、なぜこの本を書いたのかといったことまで含めた調査に基づく文章をまとめて、それを枠としてそこにこの翻訳を埋め込むとか、そういう形が望ましかったのではないかと。あるいは、翻訳の前か後に、作者自身についてのきちんとした調査結果などをまとめたものをつけるべきだったと思います。人名をカタカナにしているのは、たしかに読みにくいけれど、アメリカ人が取材して書いているという距離感を出すには、このほうがいいのかもしれません。漢字に直すとそこが薄れてしまうから。また、アメリカ人の視点で書いていることもあり、まだ10年しか経っていないということで、原爆についての論議は深まっていないから、日本人が言っているという奇妙な発言も嘘とは決めつけられないと思います。でも、作者はジャーナリストだから、自分が見たいもの、読者に見せたいもの、読者が見たがるものを拾う傾向は当然あるはず。だから、そういう状況を客観的に書いたものを付け加えたほうがいい。そこがクリアできれば、こういうものを出すことは大事だと思います。それと、かなり重い話なので、むしろこれくらいコンパクトな方がいいのかもしれない、とも思いました。

なたね:原爆についての本は、ずっと出版しつづけ、読みつづけるべきだと思っているので、この本のことを知って本当によかったと思っています。淡々と書いているけれど、当時の人々の暮らしや考え方が想像できるし、戦時とはいえ、そういう日常が突然断ち切られてしまった理不尽さが胸に迫って・・・。名前がカタカナで書かれているせいか、三菱重工グループの人たちとハタ職人の人たちの、どなたがどなたなのかわからなくなってしまうことがありましたけど、新婚早々で妻を失った平田さんの話は忘れられません。ただ、なぜ10年後に二重被爆のことを、このジャーナリストが書いたのか、単にジャーナリストとしての興味からなのか、それとも別の理由があるのか、そういった背景をとても知りたいと思ったけれど、いまそれを調べて書くのは難しいのかもしれないわね。ただ、子どもに手渡すときには、いまみっけさんがおっしゃったことも含めて大人からの解説が必要で、このままポンと渡すことはできないと思いました。大人は、そのあたりを意識して読めますけどね。p97に長崎のキリスト教徒の被爆に対する考え方として「日本の犯した罪があまりに大きく、激怒した神をしずめるには原子爆弾による何千人ものキリスト教徒の死が求められ、その結果、戦争が終わったのだという主張」が挙げられています。すべての長崎のキリスト教徒がこんなふうに考えていたとは思えませんが、アメリカのキリスト教徒はこう考えることによって納得していたのかと、あらためて憤りをおぼえました。東北大震災を天罰だと口走った前の東京都知事のようで……。

プルメリア:二重被爆については初めて知りました。戦争を扱った作品として『絵で読む 広島の原爆』(那須正幹作 西村繁男絵 福音館書店)は出版されたとき話題になり、よく読まれていましたが、最近はあまり手に取られていません。子どもたちが自分自身の問題として、平和とはどういうことなのかを考える6年の国語の教科書に「平和のとりでを築く」(光村図書)があります。この作品のように外国の人が広島の原爆について書いたものを読む機会は今までありませんでした。この作品からは原爆を受けた場所や傷を負った人の状況が異なり、また傷を負って大変な状態にもかかわらず肉親を捜しまわる必死な心情がひしひしと伝わり、そんな人間のたくましさを改めてすごいと感じました。時間が流れ、戦争は過去の出来事の一つのようにとらえられている現実の中で、今の子どもたちは戦争をゲーム感覚でとらえている傾向があります。命、死と向き合うこと、戦争について考えることはいつも必要だと思います。低学年だと『おこりじぞう』(山口勇子作 四国五郎絵 新日本出版社)や『ランドセルをしょったじぞうさん』(古世古和子作 北島新平絵 新日本出版社)、中学年からだと『ひろしまのピカ』(丸木俊作・絵 小峰書店)などを読んだ子どもたちは、戦争の悲惨さから今の生活、平和について考えます。この本は体験がそのままリアルに書かれているので、中・高校生には直球で伝わると思います。

クモッチ:今回選本を担当し、翻訳ものの児童書ノンフィクションはあまりないのでは?と思いましたが、伝記などけっこうあることがわかりました。この作品については、タイトルから分厚いものを想像していたのですが、コンパクトで手にとりやすい形だなと思いました。二重被爆という事実が日本であまり取り上げられてこなかったのは、当事者の日本人として、それぞれの体験があまりにも悲惨なので、そのような視点が生まれなかったのではないかと思います。調査をしている第三者になって初めて、「二か所で」という視点が生まれたのではないでしょうか。そういう意味では、新しい視点としておもしろいと思いましたが、やはりこれは資料として読むべきものだと思います。資料の一つとして、日本人が新しい作品にまとめられればよかったのかもしれません。

ハリネズミ:広島と長崎のことはこれまでにもたくさん読んできましたが、困ったことに、悲惨な描写の連続には「またか」と思ってしまう自分がいるんですね。私のような読者にとっては、むしろアーサー・ビナードが広島の原爆資料館の資料をもとにしてつくった写真絵本『さがしています』(岡倉禎志写真 童心社)なんかの方がずっと伝わってくるものも大きいと思いました。『さがしています』からは、生きているひとりひとりの日常がぶつっと断ち切られてしまったことの理不尽さが強く伝わってきます。でも、この本は個々の人間の日常の営みみたいなものはあまり書かれていなくて、悲惨な部分だけが書かれているので、子どもに何が伝わるんだろうと、疑問に思いました。アメリカの人たちに原爆の悲惨さを伝えるとか、二重被爆者がいたという事実を日本の大人にも伝えるという意味はあると思いますが、子どもに伝えようとするなら、もう少し工夫が必要かもしれません。名前がカタカナで書かれているのも、リアリティから遠ざかる原因になっているかもしれません。他の方もおっしゃっていましたが、もう少し本作りの工夫があるとよかった。日本の人が日本人を取材するなら、語り口をそのまま生かすとか、方言を生かすなどしてリアリティを増す工夫ができますが、これは通訳を介して聞き取ったものが英語で書かれ、それをまた日本語にしているので、リアリティを積み上げるための細部が削り取られて平板になってしまっている。そこが残念です。

シア:児童文学ということで軽い気持ちで読み始めたのですが、悲惨な内容をリアルに書いていて驚きました。中高生向けなら、内容的にもちょうど良いのではないでしょうか。『黒い雨』(井伏鱒二)の子ども向けの本という感じですね。夏休みの感想文でよく『黒い雨』が取り上げられますが、今の子どもたちには難しいので、この本くらいが手頃だと思います。でも、アメリカ人ジャーナリストが聞いたせいなのか、登場人物がカタカナで書かれているのが読みにくくて、気になりました。とくに「ドイ ツイタロウ」さんは、本文では空白もないからどこで切るのかわからなかったですね。おかげで名前を覚えにくく感じました。だけど、本のテーマとしてはとてもいいと思うので、夏休みに中高生が読むのはいいのではないでしょうか。感想文を書きやすいのでは。

なたね:もともと子ども向けに書かれた本ではないですよね。

シア:「原爆乙女」の話も出てくるので、興味を持っている子どもならば読めるのではないかと思います。一般市民がなぜ戦争の代償を払わなければならなかったのか、自分は関係ないと言わずに、子どもが考えてくれる本だと思います。教師としてすすめやすい本ではないでしょうか。ジェームズ・キャメロン氏が関わる映画化の企画があるようなので、ぜひ実現して欲しいと思います。

なたね:新藤兼人監督の『原爆の子』は、戦後すぐに作られたこともあって、とてもリアルだし、子どもが主役の一人なので、今の子どもたちも見る機会があればいいと思うのですが……。

ヒーラ:読み直していて気づいたんですが、注釈は訳者がつけたもので、当時の著者がつけたものではないですね。訳注と断っていないのは問題ではないでしょうか? 防空壕についての記述などを見ると、明らかに訳者の注ですよね。訳者がこの本を通してぜひ伝えよう、伝えようと思うあまり(その情熱はよく理解できます)、その辺がごっちゃになってしまっていますね。この本を今、この時代に読んでもらいたいという思いがあるのなら、冷静に、当時の著者の記述と現在の訳者が必要と思う記述を明確に区別すべきでしょう。2刷以降改定するともっとよくなりますね。このままだと中途半端だし、本への評価を下げてしまいます。

ハリネズミ:そこは本作りとしてまずいですよね。資料としてなら資料として価値のあるものに仕上げたほうがいいし、日本の子どもたちに読ませようとするなら、それなりの工夫をしたほうがいい。たとえばABCCがその後やってきたことなども書いておいたほうがいいし、本書の最後には広島の新聞記者の「ただし、日本がもし先に原爆を手に入れていたらどうしたか。アメリカに落とさなかったとは思わないでください」という言葉がしめくくりとして出てきますが、これもごく一部の人の意見のように思えるので、注を入れるなら入れたほうがいい。どこに視点を置いて本作りをするのか、ということが、定まっていないのかも。この本は区の図書館に入っている冊数がわずかでした。子どもには難しいという判断なんでしょうね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年11月の記録)


氷の海を追ってきたクロ

『氷の海を追ってきたクロ』
井上こみち/文 ミヤハラヨウコ/挿絵  
学研教育出版
2010.12

なたね:じつは、読む前には「たぶん、こんな本なのだろうな」と思っていましたが、いい意味で予想が裏切られてよかったです。戦争を描いた子どもの本は「ああ、かわいそう!」というものがほとんどで、読んだあと悲しくなったり憂鬱になったりしてしまう。大人だってそうなのだから、いくら学校や図書館ですすめられても読む気がしないという子どもたちの気持ちは、わかるような気がしますね。けれどもこの本は、読んだあとも犬の体温が感じられるようなあたたかい気持ちになりました。それでいて、子どもたちの心の奥底には、シベリアに抑留されて悲惨な目にあった人たちがいたという事実がちゃんと残るのではないかしら。こういう事実があったことも初めて知ったし、追跡取材しているのが、とてもよかった。若いころの「松尾さん」の写真と、おじいさんになったときの写真を見比べたりしてね。朝日新聞の写真も感動的ですよね。うちは家族そろって犬が大好きなので、「見て、見て!」と救助されたときの写真と記念写真を見せてまわりました!

みっけ:まず、シベリア抑留については、原爆とか大空襲ほど取り上げた作品がない中、それについて取り上げているのがとてもいいと思います。シベリア抑留は悲惨なことがいろいろあったはずだけれど、この本は読後感があたたかい。それはクロという犬と抑留者との交流があるからで、子どもの本として、このスタンスは大事だと思います。悲惨なだけだとむしろ拒否反応を引き起こすことになるし。ただ実際には本当にひどい状況だったわけで、そのことは、たとえば親友の骨を襟に縫い込んでいたら、金目のものかと思った誰かに抜かれたとか、あちこちにさらっと書いてあるのだけれど、そこに深入りしていないのもうまいと思いました。子どもの興味を、クロが見つかってしまうのか、というハラハラドキドキでつなぎ、最後はクロが日本で暮らして子孫を残せたという明るいトーンで終えていて、子どもの本としての構造がしっかりしていると思いました。今がこのテーマを取材できるぎりぎりのときで、そこでこれを出した意義は大きいと思います。最後の写真でリアルさが増す一方で、この挿絵のかわいいところも、本のトーンの決め手になっている気がしました。

ハリネズミ:シベリア抑留の体験談だと、大人の本ですが高杉一郎さんの『極光のかげに——シベリア俘虜記』(岩波文庫)がとてもいいですよね。

レジーナ: 現実の話が持つ力を感じました。希望を感じさせる結末もよかったです。題材も新鮮です。すごく意地悪な人が登場しないので、読んでいて安心できます。ただ、それまで絆を育んできた過程が描かれている分、最後に川口さんが犬を手放してしまったときは、納得できない思いが残りましたが……。それから、タイトルは作者の意向によって決まったのでしょうか。「〜してきた」というタイトルをあまり聞いたことがないので……。

クモッチ(編集担当者):ネタバレのタイトルなので、著者ともに悩んだのですが……

レジーナ:シベリア抑留を経験した芸術家といえば、『おおきなかぶ』(トルストイ再話 内田莉沙子訳 福音館書店)を描いた彫刻家の佐藤忠良を思い出します。

メリーさん:この話についても、こういうことが実際にあったなんて知りませんでした。犬がつないだ人と人、シベリア抑留について、うまく書かれていると思いました。著者の井上さんは犬を題材にした著書が多いと思いますが、この本のように、犬の物語を入り口として、戦争について描くという方法は効果的だと思います。また、ノンフィクションなので、本文や装丁には写真を使うほうがよかったのではないかとも思ったのですが……。でも今回の犬のイラストはとてもかわいかったです。

シア:3冊の中で一番最初に読みました。表紙のイラストがかわいいので、最初に手に取ったんです。犬を使うのがずるいな……と。とても感動的な美しい話ですね。ノンフィクションですが、ストーリー性があって引き込まれました。章ごとにイラストが入っているのは、小学生の読者にもいいと思います。犬の描写が非常にかわいいですね。ただ、最後に川口さんがクロを手放すところは、子どもはわからないのではないでしょうか。私もなぜ北海道に連れて行かないのか疑問に思ったくらいですし。それにしても、ずっとイラストできていて、最後に写真が入っているというのがよかったと思います。物語感覚で読んできて、最後に現実だとわかる衝撃。最初からリアルなおじさんが出ていたら、小さな女の子にはちょっと……。そういう全体の構成がよかったと思います。

ヒーラ:ノンフィクションとはいえ、写真を先に出すより、最後に写真が来ているのが効果的です。犬がそこまでするのかなと思わせながら読んできて、最後に新聞記事にもなったと知らせるやり方はいい。クロの出現以前の抑留中の話は比較的早いページで終えて、クロのいた数カ月に比重をおいて書いた構成で、なかなか読ませます。

クモッチ:抑留された場所によって、ぜんぜん待遇が違っていたようです。そして、最初の1年が設備も整わず、悲惨だったようです。亡くなった人のほとんどが抑留されて1年ほどの間に亡くなっています。

プルメリア:題名を見て南極観測隊の犬の話かなと思っていました。本を手にした時、表紙の犬クロがとてもかわいかったです。犬のイラスト(各ページ・パラパラマンガになっている)がたくさん描かれているのも目を引きました。きびしい自然との戦い、励まし合って生きる人々、登場人物のそれぞれの性格。戦争は終わっても、まだ終わっていなく苦労していた人々がたくさんいた事実・・・シベリア抑留について書かれているのがとてもよかったです。最近の作品では職業犬や悲惨な待遇をされている犬がとりあげられることが多いなか、クロのような犬がいて外国で不安な人々の心をなごませていたことは読者の心をとらえるのでは。クロが追いかけてくるクライマックス、フィクションではないかと思わせ、巻末の写真で本当のことだとわかるのが感動的です。最後に登場人物の写真があり、現在の様子が書かれた本の構成がいいです。念願の日本に帰国したのにクロを手放したところは、淡々としているように感じ、クロをふるさとに連れて帰れない事情や別れるのがつらくさみしい気持ちをつけ加えればよかったのではないかなと思いました。

ハリネズミ:ネットで内容紹介を見て、あざとい感動ものなのかと思い、警戒しながら読みはじめたのですが、私が犬好きなせいもあって引き込まれてしまいました。ただ、書名はなかなか覚えられませんでした。ほかの人に紹介したときに思い出せなかったんです。人間と犬が相互に依存しあっていく状況がとてもよく書けているし、歴史の一端をこういう形でのぞいてみるのも、とてもいいと思いましたが、犬好きの私としては、川口さんがせっかく日本まで連れてきたクロをどうして舞鶴で手放してしまうのか、そのあたりが理解できなくて……。何か大きな事情があるなら、そこを知りたいと思いました。川口さんが命の危険もかえりみずクロを大事にしていたということが切々と書かれているだけに、肩すかしを食らったような気がしたんです。亡くなられているご本人には取材できませんが、当時のいろいろな状況からもう少し説明ができなかったのでしょうか?

クモッチ:当時は、犬を汽車に乗せることはできなかったのではないかと思われます。また、年末に近い時期に日本についたので、自分が帰るだけで精一杯だったのでしょうね。この本は、井上平夫さんの「クロ野球」についての新聞記事を見たのが発端でした。2008年になって話を聞きに行きました。その後、新宿の平和祈念展示資料館で、松尾さんが北海道新聞に投稿されたクロを囲んで仲間が写っている集合写真が出てきたんです。シベリア抑留に関する新聞記事を見て、松尾さんと郡司さんに話を聞くことができました。そこで、彼らの班でクロを飼っていたんだということがわかりました。興安丸は、引揚最後の船で新聞記者が乗っていたので、クロを海から救助する写真もとれたようです。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した辺見じゅんの『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文藝春秋)にも「クロ野球」の話は出てきます。エピソードはすべて事実ですが、それに著者の井上さんの想像力が加わった。事実の確認も改めてしながらの作業になりました。抑留だけの本は、児童書としては難しかったのですが、そこに犬と人間のふれあいという要素があることで、子どもが時を越えてシンクロできるようになると思いました。

ハリネズミ:戦争を伝えるのに、悲惨な状況をこれでもかこれでもかと描くのも必要かもしれませんが、それだけでは今の子どもにとって「いつかどこかであった、自分とは関係ない話」になってしまうのではないでしょうか。だから、クロという犬を通して書くというこの切り口は、とてもいいと思いました。

みっけ:シベリア抑留といえば、画家の香月泰男もそうで、日本海の絵を何枚も描いていますが、それらすべてが明るく光るように描かれています。それはその向こうに故郷日本があるからだと言われています。井上ひさしも亡くなる年に、シベリア抑留について『一週間』(新潮文庫)という作品を発表していますよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年11月の記録)


カモのきょうだいクリとゴマ

『カモのきょうだいクリとゴマ』
なかがわちひろ/作・絵 
アリス館
2011.08

メリーさん:楽しく読みました。構成もうまく、わくわくしておもしろかったです。この本はカルガモの観察記録ですが、それを見つめる人間の記録でもありますね。そういう意味で、観察者のなかがわさんの視点がとてもいい。動物を扱う子ども本で難しいのは、対象をどこまで擬人化するかということ。今回のこの本では、そのバランスをうまくとっていると思いました。写真、ビジュアルについても、本文を読みながら実物を見たいなと思うところに、いいタイミングで入っていました(たとえば、カモの足は大きいというところなど。写真を見ると、普段は水の下にあって見えない部分の写真がきちんとある)。呼ぶとカモが答える最後の場面も感動的で、ノンフィクションとして、本当にバランスがいいなと思いました。

みっけ:とてもおもしろかったです。正直言って、かわいいかわいいという感じのウェットなものは苦手というか、かまえてしまうのですが、これはちょっと違いました。文章そのものが上手だし、語りかけるようでとっても優しく、親しみを持てるように書いてある。それでいて、カモとの間にある種の距離感を保ちながら生活しているので、決してウェットになっていない。これはすごいことだと思います。作者が葛藤を抱えながら流されていないというか。いずれ野生に返すという意識を持ち、つねに考えて動いていることがいいなあと思いました。そもそもかわいい生き物だから、それとみっちりつきあって世話をしたりすれば、メロメロになっても不思議ではないのだけれど、そこをきちんと押し戻して、最後まで別れを前提に動いている。戻ってきたカモを棒ではたいた男の子に感謝するというのも、なかなかできないことだと思います。そういう姿勢を保っていれば、当然抑えめというか、引いて書くことになるわけですが、だからこそ、という感じで、最後の別れの部分はうるうるしてしまいました。最後に姿を見て、その後も何回か声を交わして、それもなくなるという流れの余韻が残って、とてもよかったです。

なたね:あの中川千尋さんが、カルガモの子を育てて記録しているとなったら、もうおもしろい本にならないはずがないですよね。なんでうちに話してくれなかったのかと、いろんな出版社が思ったのでは? みなさんがおっしゃるように、なにより野生の命を育てているという姿勢がずっと貫かれているところが素晴らしい。いままでいろんな動物を育ててきた蓄積があり、ローレンツ博士の本をはじめ沢山の本を読んでたくわえた知識があったから、ここまで素晴らしい記録になったのだと思うけれど、そういうところを微塵も感じさせず、教えてあげようという姿勢が一切ないところがいいですね。絵も文章もユーモアたっぷりで、笑わせたり、ほろりとさせたり。子どもたちにも一生忘れられない本になるのではないかしら。近所の公園の池で、毎年カルガモの親子が泳いでいるのを見るけれど、来年は今までと少しばかりちがって見えるのでは……と思ってます。

ハリネズミ:カルガモは留鳥だから、うちの近くの公園にも1年じゅういますよ。

プルメリア:写真やイラストがたくさん入っているので、かわいいなと思いました。子どものころにスズメのヒナを拾い、押し入れに入れて飼おうとしたことがあります。でも次の日にヒナは死んでしまい「自然の生き物は飼ってはいけない」と母親に強く言われたことを思い出しました。なかがわさんが自然の生き物を育てることは大変だったと思います。げんちゃんが卵に番号をつけるところが子どもらしい。日常生活の中でのカモの具体的な描写がかわいくわかりやすく、この作品が小学校中学年の課題図書になったと知ったときは、とてもうれしかったです。本を楽しんで読んでいる子どもたちの姿はよく見ましたが、課題図書で読書感想文を書いている子どもたちは、『チョコレートの青い空』(堀米薫作 そうえん社)が多かったです。そちらのほうが内容的に書きやすい作品だったのかも。

ヒーラ:この本には驚きました。びっくりです。ちょっとできすぎなくらい。げんちゃんと著者との親子関係もとてもよい。作家が、自分の家で育ててそれを文章にしているというのがすごい。カモさんたちととしっかり交流ができているんですね。文章表現も素晴らしい。p136などは、そのまま詩として読めます(朗読する)。

シア:私も驚きました。成長記録系の本かなと思っていましたが、語り口もよく、話に引き込まれました。図鑑だけでは気づかないような細かいことが描かれています。成鳥への羽の生え変わりのことや、寝る前にくちばしまであたたかくなるということなど、目からウロコです。幼い頃から都心に住んでいるので、こういう生活に憧れますね。育てた生き物を野生に返すという作品はいつも最後がつらいものですが、これもそうでした。『あらいぐまラスカル』(スターリング・ノース著)もそうですね。距離感を保ってクールに書かれていますが、感動的に締めているのがさすがです。鳥ってここまで人になつくのか、と思いました。読んだ子はみんな、カルガモを育ててみたいと思うかもしれないですね。

クモッチ:大きく使える写真があまりなかったんだろうと思うなか、かわいらしく作っているので、内容もさることながら、デザイナーさんの努力もあると思いました。フンがくさい、など、五感に訴えるところなどがすごい。羽が生えかわっていくところ、青緑の羽など、細かく追いかけているところがすごい。クリの背中に栗みたいな丸があるというくだりは、ぜひ写真で見たかったです。

ハリネズミ:私は中川さんの本はほとんど読んでいるのですが、その中でもこの本がいちばんといっていいくらい好きです。クリとゴマは単なるペットではなく、野生の鳥。それでも放っておいては死んでしまうというので卵からかえしていくのですが、こんなことをしていいのかどうか、というとまどいが著者の中にはある。カルガモのヒナは本当にかわいいという描写もありながら、もう一方では育てるのは本当に大変だとか、いろいろな動物を飼ってみたけれど「カルガモの緑フンのくささときたら、ぜったいに一位です」、「庭じゅうが、ものすごいにおいになりました」など別の面もちゃんと書いている。自分が育てて感じていること、考えていることを自分の文章と絵と写真で表現しているので、リアリティが半端じゃない。それに、カルガモに焦点を当てながらほかの生き物へと向かっていく視点もある。佐藤多佳子さんの『イグアナくんのおじゃまな毎日』(偕成社)も同じような視点があって私は好きなのですが、この本もいろいろな目配りのバランスが絶妙です。観察も行き届いているし、文章もポイントがきちんとおさえられているし、ユーモアもちゃんとある(たとえばp46)。クリとゴマがどんどん成長して力をつけていく様子(たとえば最初の雷雨の時の反応と、二番目の時との違いなど)からは、伸びていく命の力強さを感じます。教えをたれるいやらしさもないし、感動させようとするあざとさもないから、よけいに響いてくるものがあります。おまけに、この本を読んで、カルガモのひなを育ててみたいとついつい思ってしまう子どもたちのためには、奥付ページに「鳥のひなをみつけても、ひろわないでね。たぶん親鳥がそばにいて、勉強中だから。けがをしてたら動物病院にそうだんしてね」とあって、ちゃんと釘をさしている。たくさんの子どもに読んでもらいたい素晴らしい本です。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年11月の記録)


2012年11月 テーマ:ノンフィクションを読む

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『2012年11月 テーマ:ノンフィクションを読む』

 

日付 2012年11月29日
参加者 ヒーラ、レジーナ、みっけ、なたね、プルメリア、クモッチ、ハリネズミ、シア、メリーさん
テーマ ノンフィクションを読む

読んだ本:

『キノコ雲に追われて〜二重被爆者9人の証言』
原題:NINE WHO SURVIVED HIROSHIMA AND NAGASAKI by Robert Trumbull,
ロバート・トランブル/著 吉井知代子/訳
あすなろ書房
2010.07

版元語録:広島で被爆した後長崎に移動し,再び被爆した二重被爆者たち。彼らが終戦10年後に語っていた知られざる戦争の物語。衝撃の初邦訳!
『氷の海を追ってきたクロ』
井上こみち/文 ミヤハラヨウコ/挿絵  
学研教育出版
2010.12

版元語録:戦争が終わっても帰国できず、シベリアの地で働かされていた日本人たちがいたのを知っていますか?そんな人々の心をなぐさめたのは、一匹の黒い犬でした。クロと名づけられかわいがられた犬は、人々が日本に帰る船を追って氷の海にとびこんだのです。
『カモのきょうだいクリとゴマ』
なかがわちひろ/作・絵 
アリス館
2011.08

版元語録:卵からかえったのは、あまえんぼうのクリ、くいしんぼうのゴマ。2羽が生まれわが家で育って旅立っていった、ひと夏の物語。

(さらに…)

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夏の庭〜The Friends

湯本香樹実『夏の庭』
『夏の庭〜The Friends』
湯本香樹実/著 
新潮文庫
1994

タビラコ:何年かぶりに読みました。最初に読んだときにいちばん感動した箇所で、今回もじーんとなりました。p89の、雨のあと、おじいちゃんが「秋になったら、何か種を蒔こう」というところです。ひとり暮らしのおじいちゃんのところに、子どもたちが死んだ人を見たいという好奇心だけで押しかけ、その結果おじいちゃんが、しおれてた草が雨で息を吹きかえすように生きる力を取りもどす……それがおじいちゃんのこの一言にこめられていて、すごいなあと思いました。最初に読んだときは、おじいちゃんの結婚していた人を老人ホームに訪ねるところなど、ちょっとやりすぎかなと思ったのを覚えていますが、いま読むと、この物語の大切な1部分だと思うことができました。それから、おじいちゃんの戦争の話ですが、児童文学で戦争を取りあげると、子どもが主人公になることから、どうしても被害者としての側面から物語ることが多いように思うんですけど、この作品では加害者としての戦争の真実を語っているところが素晴らしいし、児童文学にかかわるものとして忘れてはいけないことだと思います。たしかこの作品がホーンブック賞を受賞した直後だと思いますが、アメリカの児童文学研究団体であるCLNE(Children’s Literature New England)主催のカンファレンスの課題図書になったことがあるんです。そのときに、アメリカの小学校や中学校の先生たちの中に「子どもたちが、死んだ人を見たいという好奇心から老人に近づいていくというのは、なんとも残酷で、嫌悪感をおぼえる」という人たちがいて、へえ、そういう読み方をする人たちもいるんだと、かる―くショックを受けました。ただ、英語のタイトルは“The Friends”だけですが、もともとの日本のタイトルは「夏の庭」っていうのよと話したら、「とってもすてき!」なんて言ってました。

カイナマ:何度も何度も読み返した作品です。また中学生にも繰り返し読ませてきました。1クラス分文庫本を用意して、全員に読ませてから「読書へのアニマシオン」の中の「前かな、後ろかな」という作戦を行っています。大人の読書会でも取り上げたことが何度かあります。大人の方は、おじいさんを死ぬところを見たいという出だしで、もうこの作品は嫌だという人が必ずいました。内容についてですが、3人の男の子のうち河辺は、親が離婚し父親はよそで再婚し子どもがいる。山下はお母さんから魚屋のお父さんみたいになっちゃだめといわれ、主人公はお母さんがアル中ぎみ、とそれぞれ家庭に問題を抱えています。それがおじいさんとの出会いでそれぞれ乗り越えていくというか、自分なりに受け止めることが出来るようになります。それから意外と男と女のことが随所に出てきているんですね。おじいさんの戦場での壮絶な体験、花火の時に出てくるカップル、味噌蔵での話など、そういうのをうまくちりばめているとも思います。

アカシア:死ぬところを見たいというのは、子どもらしい反応だと私は思ったんですが、読者の子どもはどうなんですか?

カイナマ:子どもの感想ではあんまり聞いたことはないですね。

プルメリア:この作品は出版された時に読み、今回また久しぶりに読みました。時間がたったあとで読むと、けっこう字が小さかったんだなと感じ、また作品の内容も以前読んだ時の感想が薄れていて今回新鮮な感じで読むことができました。一人暮らしのおじいさんに興味を持ち、おじいさんの死を待っている少年達の心情や行動がおじいさんとの交流を通して徐々に変わっていく過程が作品を読ませるのかな。生まれた環境も性格も違っている3人の少年、どこかでつながっている友だち関係もおもしろいです。3人がおじいさんの家で水を巻き虹が出る場面、おじいさんが用意した丸ごとのスイカに少年たちは驚き、一人はスイカを切る包丁を研ぐために包丁研ぎをとりにいく場面、台風の夜、おじいさんが心配で3人がそれぞれ集まってくる場面など印象に残りました。コスモスは見た目は細いですが、けっこうたくましく台風で倒されてもしっかり花を咲かせます。少年たちが死と向き合う火葬場、怖いというよりも現実を受け止める場面など、湯本さんは子どもの心情がよくわかり作品を書ける人なんだなと思いました。6年生でも読めるけれど、中学生向きでしょうか。1993年の読書感想文全国コンクール課題図書(中学校)でしたね。

アカシア:たいていの作家は、子どもが書けていると大人が書けてない、大人が書けていると子どもが書けてないのかもしれませんが、この著者は両方を書ける人だなと思いました。おじいさんがだんだんに具体的な存在になっていく過程がとてもよく書けています。『闇の底のシルキー』は、本当に死が間近にある子どもだけれど、こっちは死が遠くにある子どもなんですね。あちこちに、うまいなあと思う表現がありますね。たとえばp192の「おばあさんは目をとじてゆっくりとうなずいた。大きくて年取った考えぶかいカエルみたいに」とかね。ちょっとした表現が、常套句じゃなくて、しかもああ、なるほどとわかるように書けてるっていうのはすごいです。

ウアベ:スペインの児童文学の中の日本人像というのを大学院のときに研究したので、この作品はスペイン語版を丹念に読みました。スペイン語とカタルーニャ語で、どちらかがドイツ語から、どちらかが英語からの翻訳なのですが、翻訳だと名字で呼び合う男の子たちの微妙な距離感がでなくて、残念だなって思いました。塾とか説明はしているんですけど。「死を探す3人の少年たち」というようなタイトルがついていて、ミステリーだと思ってしまうとネイティブの人に言われました。今もう絶版になっていると思うんですけど。お葬式で死んだ人の顔を見てすごくこわくなる、あのおじいさんだったら死ぬかもって思って見にいくというのは、私は違和感なく物語に入っておもしろく読みました。遠かった死が、プールでおぼれた出来事を通して鮮明になるところや、それぞれの抱えている問題に踏みこみはしないけれど、互いに大事にしあっているこの世代の子たちの友だちとの関係の書き方など、とてもうまいと思います。10年前ですが、当時小学校6年生だった息子もおもしろく読んだようでした。

レジーナ:小学校の高学年か中学のときにはじめて読んで以来、心に残っている作品です。中学の友人が目を真っ赤にして学校に来たのに驚き、わけを聞いたところ、朝、電車の中で『夏の庭』を読んでいたら、涙が止まらなくなったと言っていたのを、今も覚えています。印象的なのは、亡くなったおじいさんの唇にブドウを押し当てて、「食べてよ」という場面です。嬉しかったことや悲しかったことをもっとおじいさんに聞いてほしかったのに、もうそれができないと気づく場面は、大人になって、大切な人の死を経験した今、よりいっそう心に響きました。シンプルだけど、心を動かす言葉が多いのは、作者の人間性によるところも大きいのではないでしょうか。主人公は、夜寝る前に呼吸の数を数えているうちに、自分が死んでしまうのではないかと恐れを抱きますが、そうした死への恐怖心は、身近な人の死を知らない幼い子どもでも、本能的に感じると、詩人の工藤直子さんが自身の生い立ちや息子さんのことを書いたエッセイの中で語っていました。副題の “The Friends” は、子どもの目にはお洒落に映りますが、なくてもいいのではないかと、今は思います。

タビラコ:ついでに。おじいちゃんと種屋のおばさんがいっている「ユキオコシ」っていう花、ネットで調べたら、とってもすてきな白い花でしたよ。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年10月の記録)


クラバート

オトフリート・プロイスラー『クラバート』
『クラバート』
オトフリート・プロイスラー/著 中村浩三/訳 ヘルベルト・ホルツィング/絵
偕成社
1980

アカシア:好きな作品です。前に読んで、今回また読んでみたんですけど、独特の雰囲気を持っていますね。伝承の物語を作家が脚色して書いたものですが、子どもの読者にはわからない部分もありますね。粉屋とか水車小屋はいろんな象徴的な意味合いを持っているけれど、日本の子どもだとドイツの子どものようにわからないかなと思いました。雰囲気のおもしろさは日本の子どもも楽しめるでしょうけど。訳に少し補いがあると、その辺のおもしろさがもっと伝わるかな。

レジーナ:小学校6年生のときから、何度も読み返した作品です。アウグスト殿下との密談や、デカ帽伝説など、もとの伝説にプロイスラーがつけ加えた部分は作品全体の流れの中で唐突な印象を与えますが、それでも読ませてしまうのは、物語の力ですね。『闇の底のシルキー』もそうでしたが、これ以上進んだら帰れなくなるというぎりぎりの深さまで突きつめた少年が、最後にふっと現実の世界に戻り、大人としての人生を生き始める物語です。そうした刹那的な危うさに、少年特有の成長のあり方を感じました。

カイナマ:これを読んで最初に思い浮かんだのは、シューベルトの歌曲「美しき水車小屋の娘」です。ドイツ的なお話なんだろうなと思いながら読みました。実際はヴェンド人というドイツ的世界とはまた異なった文化圏の伝説だそうで、おもしろいですね。ストーリーとしては飽きさせずおもしろく読ませると思います。最後は少女とクラバートとの愛。目隠しをされたけれども、心配している心が伝わってこの人だと分かったというのは、いい終わり方だなと感心しました。歴史的には北方戦争の時代の話とか。ちょっと調べてみる必要がありそうです。親方のもう一つ上の大親分の存在など、よく分かりません。最後に予想外のことが起きて、読者をドキドキさせ最後はうまくいくというのは、いい物語のおさめ方だなと思いましたね。

ウアベ:物語としてすごくおもしろい、何年もかけて書いたとありますが、書き込まれた物語だなと思いました。今の日本とは遠い世界のことだけれど、景色とか水車小屋の様子とか情景が浮かんでくるのがよかったです。食べ物にありつけるというので水車小屋に行くんだけれど、親方が魔法使いだということとか、1年にひとりずつ死んでいく意味とか、ユーローの2面性とか、読むうちにわかっていくのがおもしろい。地位にしがみついている親方の、自分中心のあり方は政治家みたいですよね。終わり方が小気味よいというか、娘がよくやってくれたなって、物語として安心できてよかったなって思いました。

タビラコ:たしか1980年ごろに初めて読んだとき、とても感動して、こんなにおもしろい本はないと思ったのを覚えています。今回、なんであんなに感動したのだろうと思いつつ読みかえしたのですが、やはりプロイスラーの卓越した「物語る力」なんですね。それから、自然の描写や、日本ではなじみのないキリスト教のお祭りといったドイツ的なものに魅了されたのだと思います。もちろん、伝説の力もありますけれど、それをこれだけ自分のものにして書き切るとは、やはり素晴らしい作家だとあらためて思いました。いま、ウアベさんから政治家の話が出ましたけど、私も読みながら政治家のあの人やら、この人やらの顔を、親方の顔と重ねていました。二言目には、強い日本とか、いざとなったら戦争も辞さないといいながら、自らは戦地に行くこともないのに若者を戦争に、死に追いやる危険にさらしている人たちのことです。昔話は、いろんなメタファーとして読めることから語りつがれ、読みつがれてきているのだと思いますが、この物語もいつまでも読みつがれていってほしい1冊だと思います。昔は、最後の愛の力で死や悪に勝つという結末に感動したのですが、今回はたぶん歳のせいでしょうか、結末に至るまでの物語に魅せられました。

レジーナ:『夏の庭』には骨を拾う場面がありましたが、『クラバート』は、遺体を埋める文化の中で書かれた作品ですよね。東洋や西洋の死生観が、児童文学の中にどう表れているかを考えていくと、おもしろいのではないかと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年10月の記録)


闇の底のシルキー

デイヴィッド・アーモンド『闇の底のシルキー』
『闇の底のシルキー』
デイヴィッド・アーモンド/著 山田順子/訳
東京創元社
2001.10

カイナマ:おもしろく読んだって言えばおもしろく読みました。廃坑になった炭坑の町を舞台に、かつて炭坑の事故で死んだ子たちの名前が彫られている中に全く同じ名があるというのはちょっとドキっとする設定です。物語としてはよくできてるなあと思いました。死のゲームっていうのは時代や場所が違っても、子どもたちはよくするものなのでしょう。そして13歳で死んでしまった子どものたちの姿が見えるというのも、なんだかスッと受け入れやすく書いてあるように思います。ジョン・アスキューという問題を抱えた子を救う物語でもあるし、キットが自分の存在を確認する物語でもあるのかなと思います。最後おじいちゃんが亡くなるんですけど、そのおじいちゃんにかわいがられた女優志望の娘アリーも、人物がよく描かれているなと思います。

プルメリア:最初に書かれていた「時計の針を戻して・・・」を読んで、神隠しから戻ってくる話なのかなと思いましたが、まったく違いました。茶色く色あせた本、字も細かくて読みにくいなと最初作品を手にした時思いましたが、1章があまり長くなく次の章を読みたくなるような終わり方。死のゲームがあり、途中からラクの冒険物語があり、怖い存在のシルキー少年がときどき出てくる。重たい部分があっても明るさがある作品に惹きつけられて一気に読みました。登場人物では少年のおじいちゃんにすてきな印象。読み終えたとき、重い作品というより大きな山を乗り越えたおだやかなさが残りました。同じ作家の『パパはバードマン』(金原瑞人訳 フレーベル館)は、絵はすてきでしたが難しかった。でも今回の作品では、この作品がいちばんよかったです。残念なことは、出版されて10年あまりなのにこんなに紙が変色していると手にとられにくいかな。

アカシア:ストーリーが単純ではないですね。テーマの一つは死だと思いますが、とても重層的に描かれています。現実世界ではおじちやんが死に向かっていて、子どもたちは死のゲームをしていて、アスキューは自分は死のうとある時点で思っているわけだし、それにキットをひきこもうとしているわけだし、キットはラクの物語を書いて乗り越えようとしているし、アリーは「雪の女王」という子どもを死に誘う物語の役をしている。そういうものが複雑にからみあっているので、それがおもしろいところだなと思いました。この作家はリアリズムともつかず、ファンタジーともつかない部分がありますね。シルキーという不思議な存在が出てきて、それがリアリズムの中に入り込んでくる。そういうところが、ほかの作家と違う、おもしろいところだと私は思いました。

レジーナ:これ以上進んだら、死の世界に足を踏み入れてしまうというぎりぎりのところで子どもたちを救うのが、目に見えないものの存在なんですね。おじいさんが炭鉱夫というのは、アンモナイトなどの太古の遺物が入り混じった闇を旅するタイムトラベラーだと語る場面がありますが、死の世界を行き来しつつあるおじいさんもまた、過去の記憶をたどるタイムトラベラーの段階にあります。そのおじいさんによって、炭鉱に象徴される闇の中にいるキットが助けられ、新たな人生を生き始める過程が、美しい寓話として描かれています。ラクの物語も心に残りました。キットは、ラクの物語を自分の物語として語ることによって、過去と現在、想像と現在、闇と光をつないでいくんですね。それと対照的なのが、闇の底をのぞきたいという欲望は危険なことだと考える校長先生です。しかし子どもは、一度心の闇に入って、子どもとしての自分を殺すことで、大人になっていく。一方、女の子のアリーは、『雪の女王』を演じることで、そこまで危ういところまで踏みこまずに、成長のプロセスを上手に乗り越えているように感じました。

タビラコ:思春期の人たちが半ば暴力的に死に近づいていくというのは確かだと思うけど、男女の差があるのかしら? それはともかく、アーモンドの作品には『肩甲骨は翼のなごり』(山田順子訳 東京創元社)もそうだけれど、とても魅力的な女の子が出てきますが、この作品のアリーも生き生きとしていて魅力的ですね。わたしがアーモンドの作品を読んでいつもすごいなと思うのは、登場人物の内面を深く掘りさげて書きながら、とても大きな世界を同時に描いていることなんですね。『火を喰う者たち』ではキューバ危機、この作品も太古の大陸が一つだけだったときのこととか……。ただ、翻訳は、とても難しい作品なんだろうなと思います。おじいちゃんが「闇」について語るところなど英語ではdarkness だけど、「闇」っていうととたんに深遠で、高尚な感じになってしまうし……。

ウアベ:すごく重層的で、情景や人物描写が本当にうまい。優等生じゃない人たちの描き方がうまくて、人物が魅力的だと思いました。生命とか生きることの不思議、人間の存在の不思議、時間が積み重なっていくことか、表面的ではなく、深いところまで入っていく感じがしました。それと土地の雰囲気。炭坑あとの、夜になると真っ暗になりそうな荒野の感じがすごく伝わってきて、真っ暗な穴の中にふとシルキーが浮かび上がってくるイメージがすてきだなと思いました。日常の中にふと不思議な物がでてくる、現実に足がついているからこそこういうファンタジーが生まれるんだと思いました。貧しい人々が多いラテンアメリカではプリミティブなものから発生したファンタジーはあっても、ハイファンタジーは生まれにくいとこのごろ思うのですが、アーモンドの作品は土地に根ざした感じに類似性を感じました。

アカシア:ハイファンタジーというのはどんなのですか?

ウアベ:この世界とは別の1つの世界をつくって、その中で現実ではない物語が展開するというようなものじゃないですか。それから、p145「だから、あたし、演じるのが好きなんだよ、キット。魔法みたいだもん。」の書き方が好きだなって思いました。この子は演じることで、そして主人公は書くことで救われているんだろうなって思って。それにアスキューの描き方を見て、この作家はいろんな人を見て生きてきた人なんだろうなって思いました。こういう人物はなかなか描けないでしょう。アスキューのお父さんは、アスキューが自分を認めることができなくなるくらい、ひどい行動をとってきた人なのに、最後は希望を見せてくれてますね。

タビラコ:アスキューの一家も、お父さんは飲んだくれで暴力的だしどうしようもない荒んだ家族だけれど、周囲の人たちが排除しないで、それとなく見守っているという感じがいいですね。

ウアベ:人生の複雑さが垣間見える小説ですね。

カイナマ:さっき校長先生の話が出たけど、イギリスの学校の先生はムチを振るったりして厳しいんでしょ。

アカシア:昔はそうでしたが、今は違うんじゃないでしょうか。

カイナマ:学校の先生という点から見ると、校長はアスキューなんかに近寄るな、とはっきり言い、事件後には放校処分にしちゃう。一方芝居に力を入れる子、絵の才能がある子は先生としても認めている。やっぱりある種の枠があって、そこから外れるのはだめっていう判断は、今でもあるでしょう。アスキューのような生徒はきっと今でもいて、学校という組織が救うのは難しいんじゃないかな。残念ながらその子のよさを認めて伸ばしてやれない生徒がいるというのは今もありますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年10月の記録)


2012年10月 テーマ:生と死

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『2012年10月 テーマ:生と死』
日付 2012年10月25日
参加者 タビラコ、カイナマ、プルメリア、ウアベ、レジーナ、アカシア
テーマ ノンフィクションを読む

読んだ本:

湯本香樹実『夏の庭』
『夏の庭〜The Friends』
湯本香樹実/著 
新潮文庫
1994

版元語録:町外れに暮らすひとりの老人をぼくらは「観察」し始めた。生ける屍のような老人が死ぬ瞬間をこの目で見るために。夏休みを迎え、ぼくらの好奇心は日ごと高まるけれど、不思議と老人は元気になっていくようだ――。いつしか少年たちの「観察」は、老人との深い交流へと姿を変え始めていたのだが……。喪われゆくものと、決して失われぬものとに触れた少年たちを描く清新な物語。
オトフリート・プロイスラー『クラバート』
『クラバート』
原題:KRABAT by Otfried Preussler, 1971
オトフリート・プロイスラー/著 中村浩三/訳 ヘルベルト・ホルツィング/絵
偕成社
1980

版元語録:クラバート少年は水車場の見習いになり、親方から魔法を教わる。3年後、自由と少女の愛をかちとるため、親方と対決を迫られる。
デイヴィッド・アーモンド『闇の底のシルキー』
『闇の底のシルキー』
原題:KIT'S WILDERNESS by David Almond, 1999
デイヴィッド・アーモンド/著 山田順子/訳
東京創元社
2001.10

版元語録:寂れた炭鉱町にこしてきた僕は、風変わりな少年に誘われ、死という名のゲームに加わる…。英国児童小説界の新鋭が、不思議な世界を見た2人の13歳の少年を描く物語。

(さらに…)

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鷹のように帆をあげて

『鷹のように帆をあげて』
まはら三桃/作 
講談社
2012.01

ハリネズミ:ちょっとここはどうなのかな、と思う点がいくつかありました。たとえば、不思議なおばあさんの登場は必要だったのだろうか、とか、同じクラスの根本舞子ちゃんが理央がリストカットをしているのではないかと疑ったり鷹を飼っているのを知らなかったりするのは不自然じゃないか、とか。小さな町という設定だと思うので、理央が毎日鷹を腕にとまらせて外を歩いていれば、すぐにみんなに知れ渡るんじゃないでしょうか? それから、死んでしまった遙ちゃんですが、その後は手袋が登場するだけで、理央が遙のことを思い出したりすることがないため、重い心の傷になっていることがあまり伝わってきません。でも、全体としては、とても好感を持っておもしろく読みました。理央が徐々にモコを知っていき、悩んだり、考えたり、工夫したりする姿がとてもよく書けています。しかも鷹なので単なるペットではなく、野性的な面も活かしていかないといけないということで、人間と動物との間の距離を考えるにもいいなあ、と思いました。鷹を飼ううえでどんな工夫をしていったかが具体的に書かれているので、読者も物語の中に入り込めます。会話が福岡弁でかわされているのもいいし、実在の石橋美里さんがモデルだという平橋さんもとてもさわやかですてきでした。

紙魚:きっと作者は、おばあさんは不思議な存在のままにしたかったのではないかと思います。理詰めではなく、どこかで何か、不思議な力が働いている物語にしたかったのではないかと。

タビラコ:さわやかな、いい作品だと思いました。なにより福岡弁で書かれているのが、魅力的。その地から生まれた言葉の力を感じました。魚住直子さんの『園芸少年』(講談社)もそうでしたけど、ものを育てていく過程が詳しく書かれているところがいい。これを読むと、ペットの犬やネコを飼うのが、なんだかやわなことに思えてきて。おもしろかったのは、鷹匠がカラスの被害を防ぐという社会的な活動をしていること。この作品を読むまで知りませんでした。ただ、冷凍のヒヨコを食べさせるところは平気だったけど、食用のカラスを輸入するというところで、ちょっと引いてしまいました。でも、よく考えれば猛獣や猛禽類を飼っている動物園などでは当然のことで、現場から遠いところにいる私のような人たちが気づかないか、気づかないふりをしているだけなのよね。そういうところまで、きっちり書きこんでいるところがいい。そういうところで引いてしまう私は、まだまだ修行が足りん!と思いました。

ハリネズミ:そういう部分を気持ち悪がる人はいると思いますが、この間私はゲイハルター監督がつくった「いのちの食べかた」っていうDVDを見たんですね。人間の食事が見えないところでとんでもないことになっているのが、よくわかりました。人間は、チャップリンの「モダン・タイムス」に出てくるようなことを、命あるヒヨコでも、牛でも豚でも野菜でもやってるんです。冷凍のヒヨコや生きたカラスを鷹に食べさせたりするのは、それに比べればずっと自然です。

レン:この女の子が鷹を飛ばせられるだろうかというのと、友だちの死を克服できるかという二つのストーリーにひきつけられて一気に読みました。さわやかで感じのいいお話。三人称だけれど、かぎりなく理央ちゃんの気持ちに近い書き方ですね。康太もいろいろな思いを抱えて物語を持っていますね。お母さんとのことや、だからこそお寺のことを一生懸命やるとか、この子の話でもうひとつ小説が書けそうなくらい。でも、これは理央ちゃんの話だから、あまりつっこまずに、さらっと流しているんでしょうね。理央ちゃんが、一つ一つ発見しながらやっていくのがいいですね。うまくいかなくて、人にきいてみると向かい風の方が飛びやすいと教えられるところなど、とてもいいと思いました。

レジーナ:昨年、まはらさんの『最強の天使』(講談社)を読みましたが、より完成度の高い作品に仕上がっていると感じました。「帆飛」というタカ特有の飛び方や、「向かい風が吹いていた方が飛びやすい」など、人の人生に通じるような細々とした要素が盛り込まれている作品です。康太にとっての向かい風が、養子として育った生い立ちというのは、エピソードとしては少し弱いようにも思いました。理央が友人の死を乗り越えるきっかけをくれるおばあさんの存在が唐突で、結末まで読み進めても、よく理解できませんでした。また平林さんの描写ですが、主人公のロールモデルとなる人物なので、もっと目の内に映るようにいきいきと描いてほしかったです。

プルメリア:すごくおもしろかったです。主人公理央が鷹匠を目指す過程と、亡くなった友だちへの思いがこの作品にあり、二つが平行しながら進行していくストーリーとして読みました。話題になっているおばあさんの言葉は、少年にとっては産みの母とのふんぎり、主人公には友だちとのふんぎりになっていると思います。お友だちが寺に来たとき、「こ、こ、こ」と言った場面、この子は康太のことを言ったと思うんですけど、理央には鶏の鳴き声に誤解されて、すぐ誤解は解けますが、かわいいな、と。お寺の日常生活が書かれていたのでお寺さんにちょっと親しみを持てました。お友だちにかえしてあげようと、鷹が手袋を持っていく場面、いい終わり方だと思いました。

サンシャイン:「鷹匠」の話というので興味深く読みました。小説の中の中学生と、実在する高校生の鷹匠の交流など、流れはいいと思いました。「鷹匠」というと思い出す作品があります。戸川幸夫の『爪王』(国土社)です。鷹と鷹匠の戦いなんですね。暗いところに1週間置いておいて飢えさせて、鷹匠が与える生肉を食べるかどうか。それが印象が残っているので、それとの関連でとらえると、現実の高校生の実話の方に確実に力があります。正直言って、フィクションのお話の主人公の方が、どうしても弱い。新しい友だちが出てくるけれど、同じ街の中のこととして、友だちが死んだことくらい、知っているだろうとか、街中で鷹を腕に乗せて歩いていたら、みんな知っているだろう、だから腕の傷を見て「リストカットしたの?」という質問も嘘くさい。結末の手袋が消えてなくなるあたりも、筆者にファンタジーの発想があるんだろうと思うんですね。ファンタジーよりも現実の話の方が圧倒的に力があると思います。

タビラコ:でも、フィクションがノンフィクションを超えることは、よくあることだし・・・。

ハリネズミ:私は、実在の高校生の石橋さんが、この物語では、平橋さんの中だけでなく、理央の中にも、かなりの部分、入り込んでいると思いました。平橋さんと理央と、二人が一体になっているような気がします。

レン:実際の鷹匠の女の子は強さがあるのでしょうけれど、誰にもまねできないような人のことを書いても、普通の中高校生は、あの人は別だと思ってしまうのではないかしら。でも、理央ちゃんが、何気ない出会いから新しいことをはじめ、自分なりに進んでいく姿は一般性がありますよね。そして、あきらめないでやっていく。これはこれなりに意味があると私は思います。優等生の物語というか、この人だからできるんだろうというのではなくて。

紙魚:作者のまはらさんは、この作品の前に、中学校弓道部を舞台にした『たまごを持つように』(講談社)、工業高校機械科を舞台にした『鉄のしぶきがはねる』(講談社)を書いていて、この『鷹のように帆をあげて』と同様、現実を取材したうえでフィクションを書きあげるという方法をとっています。3作とも、物語を読んでいるうちに、弓道、旋盤、鷹匠という知らない世界について、自然と知っていくという経過をたどります。どのくらい現実を注ぎこむのがいいのか、その塩梅は難しいと思うのですが、中学生の読者が読むには、難しくなりすぎず、自然に物語を楽しめるというようになっていると思います。それから、一概にはいえないかもしれませんが、それなりに年齢を重ねている作者が書く作品というのは、自分のことをわかってほしくて書くというよりも、他者に思いを寄せて書くという姿勢が強くて、安心して読めるような気がします。

レン:女性の書き手だと、4、50代で、子どものために書くんだという覚悟を持っているなという人を何人かあげられるけれど、男性だと60代以降はいても、それ以下だとすぐに思い浮かばないんですよね。売れると、大人の作品に行ってしまうのか。残念だし、これからどうなるのかと思います。

*この後、誰かが「絵本はいるけどね」と言い、一同、「そうそう」という会話がありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年9月の記録)


海辺の宝もの

ヘレン・ブッシュ『海辺の宝もの』
『海辺の宝もの』
ヘレン・ブッシュ/作 鳥見真生/訳 佐竹美保/絵 
あすなろ書房
2012.04

レジーナ:今回課題となった3作品は心に残るものが多かったです。この作品は、はじめて知りました。最初は、「悪魔の二枚貝」と呼ばれていた貝が、後になって正式な名前が明かされるのがおもしろく、挿し絵もわかりやすかったです。福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』(講談社)に、「石には生物の痕跡がないけれど、貝には命の名残りが感じられる」とあったのを思いだしました。この作品でも、主人公は父親の死を経験するので、大切な人の死を経た主人公が、大昔に命を宿していた貝を集めるということの意味まで含めて書いてほしかったです。そこまで描ききれていないのは、作者が科学者だからでしょうか。割ってみたら、隠れていた美しい模様が外に現れたり、何度も同じアンモナイトを見つけたり、人生そのものに重なるようなエピソードはたくさん埋まっているので、もっと掘り下げていれば、さらによかったのですが…。ジェーン・オースティンも、同じ場所を舞台にしているので、学生時代に英文学の授業で『エマ』を読んだときのことが、心に浮かびました。「かわいいメアリー」という訳には違和感をおぼえました。

プルメリア:今回の選書担当は私です。以前読んだ『メアリー・アニング: 物語化石を見つけた少女』(キャサリン・ブライトン著 評論社)がおもしろくて、恐竜の化石を見つけたことが主だったのですが、この作品は別で、佐竹さんの絵、表紙を見て、手に取りました。いろいろな化石の挿絵があり、各章のタイトルもすてき。挿絵から生活様式がよくわかるので、子どもにもわかりやすい本。主人公メアリーは、同年齢の友だちがいなくても平気な子で、大好きなお父さんの仕事を手伝う。石集めのその楽しさが伝わってくると同時に、お父さんから海のことを教えてもらい、海の怖さがいろんな場面から伝わってくる。化石を見つけたことだけではなく、周りの大人たちに助けられたり、同年齢の子と仲良くなったりすることもほほえましい。1965年に書かれた作品なのに、今読んでも読ませるのは、作品がいいからでしょうね。

ハリネズミ:物語としてはなかなかおもしろかったし、人々の生活感や思いは生き生きと伝わってくるし、海辺で見つかるものにも興味がわくと思ったんですけど、大きくひっかかったところがあります。それは、主人公のメアリーが、「宝物」だけで満足していて、自分は科学者になろうとは考えないこと。そのあたり、たとえば『ダーウィンと出会った夏』(ジャクリーン・ケリー著 斎藤倫子訳 ほるぷ出版)の主人公キャルパーニアの方がずっと魅力的だし、新しい。たぶんイギリスが階級社会であることが災いして、当時の労働者階級のメアリーは科学者にはなれなかったんだと思うんです。原文は見てないのでわかりませんが、実生活ではメアリーやその家族が使っている言葉と、学者やヘンリー・デ・ラ・ビーチやお得意さんの紳士淑女が使っている言葉は明らかに違うはずです。でも、そのあたりは訳文からはうかがえません。そうなると、日本の読者たちは、なぜメアリーはヘンリーと結ばれないんだろうなんて、不思議に思うかもしれませんね。

サンシャイン:興味深く読みました。作者は、メアリー・アニングという人物を知ってもらおうと思って、創作という形で書いたんだと思います。家族それぞれの化石への興味の持ち方が違うあたりとか、それぞれ書き分けられています。少し一般論になりますが、タイトルの原題は“Mary Anning’s Treasures”で、原題には固有名詞が出ているのに、日本語訳すると、固有名詞をはずして邦題をつけることが多い。もともとの原作は、個人というものを前面に出そうとしているのに、日本では個々人というようには見ていないのではないか。人間観が違うからでしょうか。例えば、邦題は忘れましたが、“Nathan’s Run”というのがありました。ネイサンは単なる主人公の固有名詞なんだけど、この本については、歴史上の人物なのだから、伝記に近いわけで、例えば副題に「メアリー・アニングの生涯」と入れるべきだと思いました。作者が、メアリーの存在を読者に知らせようと思って書いたわけだから。

ハリネズミ:東京ではそれほどカタカナ名前に抵抗はないのかもしれませんが、地方に行くとカタカナの名前が書名にあるだけで読まれないと聞いたことがあります。たとえば滋賀県の図書館のある館長さんは、とても工夫がじょうずで、転勤先の図書館をどんどん改革していくのですが、この間お話を聞いたときには、外国の作品、日本の作品と書架を分けると、子どもは日本の作品しか読まないので、童話や児童文学は日本のも外国のもいっしょにして著者の五十音順に並べたっておっしゃってました。それくらい、外国のもの敬遠されちゃうんですね。だから、なるべく多くの子どもに読んでほしいなら、書名や表紙のデザインは日本の子どもたちが手に取りやすいように工夫する必要があると思います。  ハリネズミ:鈴木先生は、欧米では個人にこだわるっておっしゃいましたけど、そうとばかりは言えません。たとえば、日本の絵本を翻訳出版するとき、欧米では主人公の名前を平気で自分の国の子どもの名前に変えちゃったりしますからね。アジアでもそういうケースがあります。

タビラコ:名前の持っているイメージまで翻訳で伝えるのは、とても難しいわよね。翻訳で越えられない壁のひとつというか……。たとえば、ハリポタの「ハーマイオニー(Hermione)」だって、とても古風な名前なのでイギリスの子どもたちのなかにも読めなかった子がいたとか。「ハーミ・ワン」と読んでいたそうです。

プルメリア:読めない子どもたちには、「毎日少しずつでも読むと、楽しく読めるよ」とすすめています。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年9月の記録)


図書室からはじまる愛

パドマ・ヴェンカトラマン『図書室からはじまる愛』
『図書室からはじまる愛』
パドマ・ヴェンカトラマン/作 小梨直/訳 
白水社
2010.06

レン:よくありがちな古風な話だと思ったけど、ヴィドヤが最後どうなるのかに惹かれて読みました。いちばんおもしろかったのは、インドでずっと暮らしていた作者らしく、インドの暮らしぶりとか衣服とか食物、家族の関係、社会の様子が書かれているところ。でも、物語には疑問も残って、事故のあとでお父さんの実家が移ったときに、なぜこのおじいさんはもっと早くにヴィドヤに手をさしのべてくれなかったのかなと。最後、大学に行かせてもらえてよかったですけど。

ハリネズミ:おじいさんは、日常の些末なことには気をとられない暮らし方をしてるから、気づかなかったんじゃないの?

レン:でも好きな場所もあって、たとえば最後にお兄さんが、お父さんの考えを理解しながらも軍隊に入るとこと。家族で理解し合いながらも進む道が違うというのはおもしろいなと。それから、図書館で出会ったラマンにノートをもらって、ノートを書き始めるp134の場面。どこにも持っていきようのない自分の気持ちを文字にすることで解放されていく感じが、よく出ていると思いました。でも全体的には、すごくおもしろいのかというと、そうでもないかな。真面目くさくて。この子があまりにもいい子だからか。苦労して苦労して、「おしん」みたいな雰囲気。大人向けに出されているし、日本だと高校生は手にとるのかなと思いました。

タビラコ:どうなることかと思いつつ、一気に最後まで読みました。食べ物や衣服の描写がとても魅力的でしたね。ただ、いちばんひっかかったのは、いちおうカースト制度に言及しているところもあるけれど、結局は恵まれた人たちの話なのでは?ということ。それはそれでいいのだけれど、もう少し社会全体を感じさせる、奥行きのある書き方をしてほしかった。それよりなにより、タイトルが気になって……。

レジーナ:私もそう思いました。映画のタイトルにありそうですよね。

タビラコ:この「愛」って、なんなんでしょうね? 階段を上がったらすばらしいものがあったということだから、本に対する愛なんでしょうけれど、思わせぶりで、ずるい。

レジーナ:非常に深く読むとすれば、自分の人生を丸ごと受け入れる「愛」なのかとも思いましたが・・・。

ハリネズミ:この本は、出てすぐに読んだんですけど、主人公が好きになれませんでした。今回、みんなで読もうということになって取り出してきたんですけど、内容をほとんどおぼえていなくて、もう一度読み直しました。第二次大戦の影響を受けつつあるインドの状況はわかるし、お金持ちのインド家庭の様子もわかる。表紙とカバーが違うなど、本づくりにも工夫がある。でもやっぱり、私は主人公のヴィドヤに好感を持てませんでした。だってね、自分のせいで父親が大けがを負ってしまったという自責の念があると言いながら、父親のことを始終気にかけるわけでもなく、平気で「脱け殻」と言ったり、「いっそ死んじゃってくれてた方がよかった」なんて言うんですよ。それにヴィドヤは、保守的な伯父に対してリベラルな自分の家族の方がいいと思ってはいるけど、カースト制度そのものに根本的な疑問を抱いているわけではなく、ちょっと生活のグレードが下がると不平ばかりこぼしています。ビクトリア駅でおじさんの荷物をクーリーに運ばせる場面がありますが、白人の少女から自分がクーリー呼ばわりされると、かんかんになる。自分はもっと上の階級なのだと、主張しているだけのようにとれます。登場人物はすべて類型的で、ひとりひとりが一定の役割を持たされている感じ。恋人のラマンにしても、ハンサムで優しいという以外には、人物像が浮かび上がってきません。生きている存在として迫ってこないから、インドを舞台にしたハーレクイン・ロマンスみたい。それに、ヴィドヤが好きになる本にしても、タイトルは出てくるけど、どんなふうに影響を受けたかは出てこないので、表面的です。今回の3冊の中で、いちばん残念な本でした。

レジーナ:ヴィドヤは、 M.M. ドッジの『銀のスケート』を読んでいて、記憶をなくした父親を持つ主人公と自分を重ねているんですけど、本との出会いを通して、自分の問題をどう受け入れていったかは、書かれていないんですよね。

プルメリア:映画のパンフレットみたいな表紙。インドの本を初めて読みましたが、インドからイギリスを見る視線が出ているなと思いました。おばさんのいじわるな言葉をはねのけながらたくましく生きていく様子が、わかりやすく書かれている。最初の場面で、お友だちにお父さんが非暴力運動に関わっていることを話してしまうシーンがあります。この時代に他人に話すことは絶対にいけないことなのに、いつお父さんの正体がばれるか、すごく心配で、読み進めるのがこわかったです。その友だちとは別れるのだけど、少女の浅はかなひとことに、どきどきしました。図書館は2階で、女の人は行ってはいけないから、入れないのかな。利用者が少ないのはもったいない。おじいさんが本を集め、自分の子どもである(少女の)お父さんも利用したのでしょうが、いろんな文化的なものがあるのに、図書館を広めないのは、読む人がいないからでしょうか。

レジーナ:昔の王族のように、読むための本ではなく、権力の象徴や財産としての本なのでしょうか。

レン:家の中でも、男の人は行ってもいいけれど、女の人が行けないところがあると書かれていますよね。

プルメリア:女の子でも学問の志を持てる時代かな。少女は、学びたいという気持ちがあって、大学に行きたいという気持ちを持っている。

ハリネズミ:この家族は、いちばん上の階級ですからね。

プルメリア:身分制度で?

ハリネズミ:だから、図書室を一般の人たちにも開放しようなんて、ありえない。食事のお皿だって、下の階級のメイドさんが洗った後、もう一度家族の者が洗い直してるんですよ。身分差別だけじゃなくて女性差別もあるから、女は2階には行けなかったのよね。

タビラコ:男の人の上に登っちゃいけないってことかしら。それだったら、平屋にすればいいのね(笑)。

プルメリア:最近、テレビでインドの暮らしが紹介されていましたが、インドは、階級が、今でも残っていました。

レジーナ:原題の“Climbing the Stairs”を見たときに、マリア・グリーペの『エレベーターで4階へ』(山内清子訳 講談社)を思い出しました。これは、スウェーデンを舞台に、母親が住みこみの家政婦として雇われたことで、主人公もその屋敷で暮らすようになり、生まれてはじめてエレベーターに乗って、新しい世界を知っていく物語です。『図書館からはじまる愛』も、階段を上がった先にある図書室で、新しい世界に触れる点に意味があるので、「愛」という大きな概念でまとめてしまった題名には、違和感があります。裕福に育った少女が、食べるのに困らない環境で、意地悪な人々と暮らすという設定は、『小公女』のようですね。最後の方のp240で、平和や愛についてのタゴールの言葉に触れていますが、この1節だけでも、とても深い内容を表しているので、主人公の人生と重ねて、作品の中でもっと使うこともできたのではないでしょうか。イギリスとインドの問題を考えたときに、ロザムンド・ピルチャーの“Amita”という短編が思い浮かびました。登場人物のひとりで、裕福でハンサムな青年が、家族の反対を押し切って、フランスとインドのハーフの女性と結婚するのですが、青年は、その経験を通して、人間性を深め、成長していきます。『図書館からはじまる愛』も、ヴィドヤが変わっていく様子が描かれていればよかったのですが…。p36のヒンズー教の説明は興味深かったです。

サンシャイン:本を買う前に、インターネットであらすじを読み、すっかりお父さんが死んでしまうと思ってしまっていたら、読んでいて、お父さんは死なないんだと気づき、人間というのは、最初の思い込みにけっこう限定されちゃうもんだなと思いました。怪我をして、口もきけなくなったお父さんを家族で抱えながら、という展開は、予想もしなかったので、お話としてはよくできていると思いました。結局、お父さんが生ける屍になってしまったのは、自分が原因だと主人公が思っていて、それを人になかなか言えずに心の中に抱えているわけです。主人公のお嬢さんにとって、重い心の負担。『兵士ピースフル』(マイケル・モーパーゴ著 佐藤見果夢訳 評論社)という物語で、弟が、自分のせいでお父さんが死んでしまったと思っているけれど、人には言えなくて、兄が殺される直前にやっと言える。兄さんから、「お前が殺したんじゃなくて、とうさんを殺したのは木なんだ」と言われて弟が救われるという話がありましたが、パターンとしては似ている。物語の最後で、「お前のせいではないよ」と言われることで救われる。

ハリネズミ:ヴィドヤは、苦しんでいるというより、かっとなって言い返すという反応しかしてないから、共感しにくいですよね。

タビラコ:お父さんが非暴力運動をしていることを、学校で友だちに打ち明けてしまうところが不思議だったんですけど……。

サンシャイン:インドにおける抵抗運動というのは、朝鮮における抵抗運動や、フランスのレジスタンスとは形が違うのか? 私は、素直に、戦争中のインドはこうだったのかなと、受け取りました。お祭りがどうだとか、描写が細かかったものですから。主人公うんぬんよりも、当時のインドの姿はそうだったのかなと読みました。戦争に行くお兄さんに会いに行くときに、インドの庶民の場に行ってしまいますよね。歴史小説っていうと変ですが、戦争中のインドの現実の姿はこういう感じだったのかとイメージができました。

レジーナ:ドキュメンタリーみたいですよね。

サンシャイン:題名はあまり感心しませんでした。

レン:男女差別があって、女性はスポーツもできず、外国にも行かれない、この時代のインドで、普通の女の人のようには生きたくない女の子の話だというのはわかりますよね。

レジーナ:お医者さんになるという道を選ぶまでの心の動きを、読者が納得できるように描いてほしかったです。

プルメリア:少女が『銀のスケート』を読んだときに、父親を治すためにお医者さんになりたい予感がしました。

ハリネズミ:お父さんのこと、死んじゃえばいいなんて言っているのにね。取ってつけたみたい。よく作家が、書き始めると勝手に登場人物たちが動き出すって言うじゃないですか。この作品は最初に図式があって、最後までその図式どおりにしか人物が動いてないんじゃないのかな。

レジーナ:フィクションではありますが、家族の歴史を記録したドキュメンタリーのような作品を書きたかったのかもしれませんね。

サンシャイン:お兄ちゃんが、父親が考えていた非暴力ではなくて、必要な時は戦わなければだめなんだという考えを持ったのは、いかにもアメリカ的ですね。

タビラコ:アメリカ人の読者には、受けるでしょうね。私は、同じ抵抗運動をあつかったものとしては、リンダ・スー・パークの『木槿の咲く庭』(柳田由紀子訳 新潮社)のほうが、ずっとよく書けていると思ったけど。

ハリネズミ:これはアメリカ讃歌みたいな終わり方ですね。作品としての迫力がさらにそがれてしまっているように感じます。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年9月の記録)


2012年09月 テーマ:好きなことに夢中になる少女たち

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『2012年09月 テーマ:好きなことに夢中になる少女たち』

 

日付 2012年09月27日
参加者 ハリネズミ、紙魚、サンシャイン、タビラコ、プルメリア、レン、レジーナ
テーマ 好きなことに夢中になる少女たち

読んだ本:

『鷹のように帆をあげて』
まはら三桃/作 
講談社
2012.01

版元語録:風を切って上昇気流に乗ってどこまでも高く飛んで…飛べない鷹と不器用な少女が翼を拡げる日はきっとくる。九州の空を舞台に、猛禽に心奪われた女子中学生が鷹の「帆翔」をめざす青春小説。
ヘレン・ブッシュ『海辺の宝もの』
『海辺の宝もの』
原題:MARY ANNING’S TREASURES by Helen Bush
ヘレン・ブッシュ/作 鳥見真生/訳 佐竹美保/絵 
あすなろ書房
2012.04

版元語録:メアリーは、ちょっと変わった女の子。学校は好きじゃないし、友だちと遊ぶのも嫌い。好きなのは、ひとり海辺を歩くこと。そして、とうさんから習った「変わり石集め」をすること!でも、そんなある日…。12歳の少女の世界的な大発見。世界初の女性化石採集者メアリー・アニングの数奇な運命をたどる伝記物語。
パドマ・ヴェンカトラマン『図書室からはじまる愛』
『図書室からはじまる愛』
原題:CLIMBING THE STAIRS by Padma Venkatraman
パドマ・ヴェンカトラマン/作 小梨直/訳 
白水社
2010.06

版元語録:1941年、インド。お嬢さまとして育ったヴィドヤは、父親のけがで生活が一変、苦しみの毎日に。しかし、禁じられた図書室に忍び込んだことから、運命が変わっていく。愛と成長の物語。

(さらに…)

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パパはバードマン

デイヴィッド・アーモンド『パパはバードマン』
『パパはバードマン』
デイヴィッド・アーモンド/作 ボリー・ダンバー/絵 金原瑞人/訳 
フレーベル館
2011.10

プルメリア:挿絵がとてもすてきだなと思いました。場面によって文字が大きくなっているところも読みやすいな気がしました。お父さんは、お母さんが亡くなって落ち込んでいて、虫も食べちゃうというのが・・・。最後、コンテストに出場して元気になる。子どもがいつもお父さんに寄り添っていくのがいいし、鳥コンテストに出場する人達が発想豊かでかつユニーク、一生懸命努力する姿がいいなと思いました。最初は読んでいてどうかなと思いましたが、だんだんひきこまれて。お父さんが鳥コンテストに出場することで自分をとりもどしていくのかなと。登場人物がみんないい人っていうのもいいなと思いました。

レンゲ:こんなお父さんがいたら困るだろうなあと、ソフィーに同情しながら読み進めました。けれど、これまでのアーモンドの作品に登場してきた異質な者、普通という枠におさまらない人々と、このバードマンになったお父さんには、どこか共通のものがあって、ソフィーの人生も、やはりこのおかしなお父さんとのかかわりでより豊かになるのも感じられました。ただお話としてはハチャメチャで全然収束しなくて、読み終わってもすっきりしませんでした。ペロペロスースーというのも、ちっともおもしろくないし。

紙魚:読んでいて気になったのは、「ダンプリング」という食べ物。p55の初出で、「くだものいっぱいのダンプリングよ」という1文に突き当たったとき、これがどんな食べ物なのか、さっぱりイメージがつかめませんでした。たとえば、「くだものいっぱいの○○○○、ダンプリングよ」と、少しヒントが加えられていたりすると、もう少しその食べ物への期待が持てたんですが……。

アカザ:すいとんみたいなものよ。

紙魚:パパがどうしてこんなふうになっているのかわからず、この物語をどう読めばいいのか最後までわかりませんでした。充実した満足感は持てなかったです。いいなと思ったのは、章ごとの視点の移り変わりです。章ごとにパパがメインに描かれたり、ドリーンおばさんが描かれたりするんですが、散漫にならずに自然につながっていくのがうまいと思いました。このお父さんは、不思議な威厳もあると思うんですが、絵本『ガンピーさんのふなあそび』(ジョン・バーニンガム作 光吉夏弥訳 ほるぷ出版)のように、風変わりだけどやさしいまなざしを持ち得ているというふうに伝わってきたら、もう少し満足感が得られたのではと思います。

ルパン:『クロティ〜』を読んだあとにこれを読んだのですが、テーマなんだったっけって思うほど、違っていて…そのせいかあんまりお話に入りこめませんでした。ロアルド・ダールに似ている気もしたのですが。ファンタジーなのか、ナンセンスなのか、ブラックユーモアなのか・・・最後まで「?」でした。読みながら、この読書会で何て言おうかってことで頭がいっぱいになっちゃって。これがおもしろくないのはいけないんだろうかとか、よけいな心配ばかりしてました。なにしろ典型的日本人A型ですから。こういう素材で意味不明とかいったらつまんない女に見えるかなあとか、雑念全開でますますわけわかんなくなっちゃいました。このお父さん、お母さんが亡くなって精神的におかしくなっちゃったんだと思うと、どこを読んでも笑えませんでした。唯一キャラクターの中でよかったのは、コンクールがありますよって呼び歩く人。脇役がいいのはうまい作家なのかな、とは思いました。

アカザ:私は、アーモンドの作品が大好きで、たいてい読んでいます。でも、小さい子ども向けの作品を読むのは初めてなので、お気に入りの歌手が新しいジャンルに挑戦したときのファンのように、どうか成功してほしいと祈るような気持ちで読みました。最後まで読んでみて、着地に失敗しちゃったかなと残念な気持ちがしました。この話は、角度を変えてみると悲惨な話ですよね。トールモー・ハウゲンの『夜の鳥』(山口卓文訳 河出書房新社)を思い出しました。あっちが陰とすると、こっちは陽の書き方をしているけれど。お母さんが亡くなって、精神的なダメージを受けているお父さんを、リジーという子がそのまま受け入れて応援していくって話だと思うんですけどね。善意だけれど、応援のしかたが間違っているおばさんや、いい人だけど、あんまり力にならない校長先生や、得体の知れないミスター・プウプや、大人の人も大勢出てくるんだけど、いったいファンタジーなのかリアルな話なのか、作者の意図はどこにあるんでしょうね? 最初はミミズを食べてたお父さんが、最後にはおばさんが作ったダンプリングを食べるというところで、立ち直ったということを表現しているのかな? 大人向けの作品を書いている作家が子どもの本を書くと、よくこういうことになりますよね。小さい人たちは、ファンタジー的なものが好きだとか、ユーモアも散りばめなきゃとか、食べ物を出せば喜ぶだろうとか、いろいろなサービスを考えちゃうんでしょうね。
 この人のYAは『火を食う者たち』(金原瑞人訳 河出書房新社)ではキューバ危機を、まだ邦訳のない『raven summer』は、アフリカの難民の少年をというように、10代の人たちの内的世界と世界的なできごとを結びつけて感動を呼ぶんだけれど、そういうところはこの作品には見られませんね。それから、後書きで訳者が、お母さんの死についてなにか述べているんだけれど、これはなんなのでしょうね? どこか見落としたところがあるのかと思って、もう一度読み直しちゃったわ。

トム:挿絵は現代的でコラージュも、とてもきれい。ただ、絵から読みとることと、物語から読みとることのあいだが微妙に埋まらなくて、ずっと宙にういたまま読み終わったのですけど。もしかしたらイギリスの人がたのしむナンセンスの感覚が私の中にあったらもうちょっと近づけたのか・・・物語は悲惨な話ですよね。陰の部分がとても悲惨でも、淋しさとか虚しさとか悲しさをそのまま差し出さない物語のスタイルと思いますが。悲しいときは、いっそ楽しく乗り越えようという。リジーがお父さんといっしょに鳥になって巣の中で卵を温めたりするところは、想像の遊び大好きな子どもがすっと入っていけるたのしい世界と思います。子どもがその気になれればですが。気になったのは、p57の文中でダンプリングの材料の中に卵が入っているのに、絵に卵がなくて・・・「たまごはどこ?」と聞く子どもが必ずいると思う。こういうところとてもよく見ている子どもがいるはず。それから、まぶしいほどに白いダンプリングって書かれていて、どんなにおいしそうなものかと期待するのですが、絵のダンプリングはややベージュ。パパを元気にするためのダンプリングなのだから言葉と絵と相まって思わず画面に手を伸ばしたくなるようだったらいいのに! あとがきに、「信じる心の大切さがしっかり伝わってきます」とありますが、あまり胸に落ちてきませんでした。

ハリネズミ:アーモンドさんってちょっと普通と違う不思議な人を登場させて物語を展開させていきますよね。でも、この人は特殊なんですって言わないで展開していくのがとても上手な人だと思うんですけど、このくらい年齢層が低い子が対象だと、それも難しいなと思いました。このパパは、変わってます。一方ドリーンおばさんは地に足がついている存在として登場するんだけど、ダンプリングを投げたりするから、子どもが読むと、どこに軸足をおいて読んだらいいか、わかりにくいだろうなと思いました。ずっと浮遊しながら読むのはむずかしいだろうな、と。年齢が高い読者対象なら、それもいいんですけど。この作品は、主にYAを書いてきた作家が小さい人向けに書いたけれど、あんまりうまくいかなかった例じゃないかと思いました。もう少しストーリーをくっきりさせていかないと、子どもの読者には難しいだろうな。たとえばp11でお父さんは「鳥人間コンテストに申込みをするんだ」って、何度も言いますよね。でもp24でプゥプさんが呼びかけても最初は聞いてない。もちろん実際にはこういうことはありうるけれど、小さい人のお話では、逆効果。飛ぼうとするイメージがくっきりしなくなっちゃいます。結局最後まで読んでも、様々なイメージがばらばらでまとまりのある物語には思えませんでした。同じように変わった親が出てくる物語にジャクリーン・ウィルソンの『タトゥーママ』(小竹由美子訳 偕成社)がありますけど、あっちは主人公に寄り添って読めるし、随所にユーモアがあって物語にもまとまりがあります。でも、この作品ではそうじゃない。期待はずれでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年7月の記録)


夜明けの落語

みうらかれん『夜明けの落語』
『夜明けの落語』
みうらかれん/作 大島妙子/絵  
講談社
2012.05

ルパン:よくも悪くも「課題図書っぽい」って思いました。ほのぼのしていていいんだけど、おねえちゃんのせりふが臭いっていうか、こんなこと言うかなって。それでもわりと感情移入できたのは、自分も小さいときおとなしかったからです。ほんとに。先生にさされると蚊のなくような声でしか答えられませんでした。で、声が小さいって叱られると涙が出てきたり。だから、人前でしゃべれないこの子の気持ちがよくわかりました。作者もわかっているのかな。お父さんお母さんがあまり出てこないのが違和感ありましたが、うちも長女から三女までが11歳はなれている3姉妹で、次女と三女は親に言えないことを長女に話したりしているので、「あり」かもしれません。ストーリーは言っちゃなんだけど、普通っていうか、最初から「落語をやってしゃべれるようになるんだろう」ってわかっちゃう。予定調和的だけど、悪い意味ではなく、むしろこういうのはひねらないほうが安心できますね。ただ、「三島くんのおじいちゃんはいったいどこの人?」って思いました。三島くんは関西から引っ越してきたのに、このお話の舞台の町に昔から住んでいるらしきおじいちゃんも関西弁なのは「あれ?」という感じでした。ほかにも地域の設定には突っ込みどころが多々あります。三島くんがお笑いの本家である関西で落語やっていじめられてて、転校して東京(?)でまたやって東京の子には受け入れられる、っていうのも不自然な感じです。逆ならわかるけど。東京でシャイだったあかねちゃんが関西に越して落語に誘われてお笑いに目覚めちゃうとか。野中あかねちゃんに関していえば、人前でしゃべれないっていうのは、小学生のときはそんなに重大じゃない気がします。友だちとふつうにしゃべれれば小学校生活に支障はないですから。それより、クラスに友だちがいるのかどうかが気になります。あと、となりのクラスの初音ちゃんは、どうしてこの子のことをこんなに大事にするんでしょう。ふつう小学生ってクラスが分かれたら別世界の住人なのに。班が分かれただけで疎遠になったりしますもの。あかねちゃんが、同じクラスに友だちがいないことをおねえちゃんに訴えていないのが不思議な気がします。クラスに仲良しの女の子がいないことのほうが、小学生にとっては大問題ではないでしょうか。

アカザ:わたしは落語がとても好きで、桂小文治さんの会に欠かさず行っているくらい。ですから、こういう作品を子どもたちが読んで落語好きになってくれればいいなと、うれしくなりました。出てくる人たちも、みんな善意で、最後まで安心して読めました。ストーリーも、たぶんこうなっていくのではと予想がつきますが、この年代の読者が読むとホッとするんじゃないかしら。主人公の悩みも、それほど深刻じゃないので、安心して読めるのかもしれません。人前で話すのが苦手でも、けっこうハッピーな学校生活を送っているし。口数の少ない子って、けっこうハッピーなんですよね。私も昔そうだったから、よくわかります。主人公が寿限無をどうやって話したらいいかと悩むところで、お姉ちゃんがハムスターに名前をつけたときのことを話して妹に助言するところも、聞き手としてではなく噺家の修業のしかたを言っていて、おもしろいと思いました。それから、別に悪いことじゃないんですが、児童文学に出てくるおじいちゃんって、同じようなタイプが多いですね。庭のある一軒家、それも古い民家に住んでいて、ジュースではなくて麦茶が出てくるような。若い作家の方たちは、そういう暮らしに憧れているんでしょうね。現実は、そういう年寄りばかりじゃないのに。

トム:読み終えて、心穏やかにページを閉じられました。作者は大阪の人ですか? 標準語で書かれたお話って多いですけど、大阪の言葉とか、もっと方言で語られるお話を読みたいです。クラスの中に三島くんのような子がいたらいいなと思いました。三島くんの関西弁いいですね、方言って魅力があります。p150であかねちゃんが啖呵をきりますね、初音ちゃんとけんかして。言葉が少ないからといって心に何も無いのではなくて、胸の奥に言葉にならないで溜まっていたものがマグマのように噴火して、いい場面だと思いました。よかったな、こんなふうに言えてと、物語のこちら側にいる者に思わせる場面だと思います。作者は、内気であったり、思うことをたくさん抱えていても表現できないまま、自分の中に籠る子どもに温かく沿っている。後半になるとここまで書いてくれなくてもいいのに、っていう部分もありますが。p170の担任の先生が話す「やる勇気とやらない勇気が大事」というのは、10歳の子どもに理解できるかなと。読者の子どもにも。でも全てわからなくても、どういうことかなと思って心に残れば、いつか大きくなって「あっ」と納得する時が来るかもしれないし、そこが本の良さかもしれない。裏表紙で3人が階段のところにいる絵はいいですね。この物語は、自分で読むだけでなく、誰かに読んでもらったら楽しいと思います。落語の可笑しさを知って、出来れば関西弁もリズムよく語ってくれる大人に。

プルメリア:あかねちゃんみたいな恥ずかしがり屋さんの子どもはクラスには数名おり、日直で司会をする時の内気な子の心情をよくとらえている作品だなと思います。元気な子が主人公の作品はよくありますが、内気な子の学校生活を主にした話はあまりないので、同じような悩みを持った子供たちには勇気づけられる作品だと思います。内気な子をかばう頼もしい子も日常生活にはいるので、3人の関係がよくわかります。「まんじゅうこわい」、「番町皿やしき」、「じゅげむ」などの作品が登場するるので落語を身近に感じ。落語の本を手に取る子ども達が増えるきっかけになるかも。気になることは「日直」は1日の当番活動、1週間なら「週番」かな。帰りの会のスピーチ5分間はちょっと長いか。お姉さんの存在は、お母さん的なお姉さんって感じ。大学生が家にいる時間帯が多すぎ。おじいちゃんも関西弁なのに、どうして東京にいるのかな。この作品を読んで、共感する子どもたちは多いと思います。主人公は4年生ではなく、5年生でもいいかな。6年生くらいになると、はきはきしていた女の子が授業中急にしゃべらなくなったりする傾向が増えてきます。微妙です。

レンゲ:最初読んですぐに、『しゃべれどもしゃべれども』(佐藤多佳子著 新潮社)を思い出しました。読んだ後味はいいし、こういうお話を読むと子どもも元気が出そう。ただ、ちょっと納得がいかないところもありました。一つは、暁音が初音ちゃんとけんかをしたあと、クマ先生になぐさめてもらうところ。それまでにクマ先生とつながりが描けていればよかったのだけど、そうではないので嘘っぽい感じがしました。特にp169のクマ先生の「クラスはちがうけど…」から始まるせりふ。先生が子どもに、ほかの子のことをこんなふうに言うかなと。それと、中学生・高校生くらいになると、お父さんお母さんよりもお姉ちゃんとかほかの年上の人を頼るのはわかるけれど、4年生の子がここまで親を頼りにしないものかなと。3・4年生の子って、なにかあったときに、最後のところでもう少し親を求めるんじゃないのかな。お姉ちゃんはいい子だけど、親としてなのか、ちょっとさびしかった。こんなドライでいいのかなって。

プルメリア:おじいちゃんの家に行くとき、お菓子を持たせてくれたのは存在感が薄いお母さんです。

レンゲ:それとこの作品の裏には、プレゼン力を高めようということがしきりと言われる、今の学校の状況があるように思いました。私は普段から、そういうのは善し悪しだなと思っているのですが。人前で発表できることは大切だけれど、パワーポイントを使ったりして、上手にそつなく発表するというのは、本当の意味での表現とは違う気がするんです。小学校高学年から中学生までの発表を見ていても、論理性が積み上がっていくわけではなく、結局見栄えをよくすることに終始することも多いようです。作品とは別なことだけど、そんな学校のようすが頭にうかびました。

アカザ:よくしゃべる子って、なんにも見ていない。なんにも考えていない。しゃべんない子ってよく見てるでしょ。どっちがいいってわけでもないのよね。

プルメリア:なんにも考えないで見てる子もいます。

ハリネズミ:そのまま大きくなって大学生になる子もいる(笑)。私はそれなりに最後までさーっとおもしろく読んだんですね。私も落語は好きなので、こんなふうに落語を紹介できるのはいいなと思いました。しゃべるのが苦手な子が、右に行ったり左に行ったりためらっているのも伝わってきたのだけど、どこか意外なところとか、ステレオタイプではない人物も登場したりすると、もっと大きい賞もとれたのかな。

紙魚:近年、気持ちをうまく伝えられない主人公というのが多いですね。今、学校では、ディベート力やプレゼンテーション力なんていう力の重要性が言われることも多く、だからこそ反対に、しゃべれない子の気持ちがこうして取りあげられるようになってきているのかなと思います。しゃべるのが苦手な女の子が主人公で、そばに心やさしい男の子がいて、啓蒙するというよりは、まわりの人たちのやさしい気持ちによって、かたくなな心がほどけていくというストーリーには、どこか願望のようなものが表れているのだと思います。19歳の方のデビュー作ですが、自分のことで精一杯の時期に、こうして他者を思いやる物語を書いているのは、とても素敵だなあと思いました。欲をいえば、物語がまっすぐ進んでいくので、それも素直なよいところではあるものの、どこかにはっとするような転換があるとよかったです。全体的にはじめじめしていなくて、しゃべれない子どもが明るい空気で描かれていました。大島妙子さんの絵で、中学年対象というのを意識した本づくりもいいですね。

プルメリア:6年生の国語でディベートがあります。「自分の考えや意見を発表しよう」という主旨の学習です。

紙魚:吉本隆明さんが、「沈黙も言葉」だと言っているんですが、表現しないと何も考えていないことになってしまうというのは危険ですよね。だからこそ、こうした物語で、言葉に出てこない部分をあらわしていくのは大切かなと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年7月の記録)


クロティの秘密の日記

パトリシア・C・マキサック『クロティの秘密の日記』
『クロティの秘密の日記』
パトリシア・C・マキサック/作 宮木陽子/訳 
くもん出版
2010.11

ルパン:最後まで夢中で読みました。クロティもかわいかったし。ほんとの話だったらよかったなと思ったくらいでした。いちばん気に入ったのは、お屋敷のおばかな息子です。あんな両親の子どもなのに、ちゃんとクロティの人格を認め、黒人奴隷たちの味方になったところを読んで、とても幸せな気持ちになりました。

トム:読みながら、中学時代に『トムじいやの小屋』(ハリエット・ビーチャー・ストウ)を読んだときのことを思い出しました。時代に向き合うお話を読むのは、とてもその人の人生にとって意味があるだろうなと思います。クロティの知恵と勇気の熱さに触れているうちに、いつのまにかノンフィクションのように読んでいました。ただ今も人種差別が残っているのは苦いものがある・・・。それから黒人の中にも白人農場主につく黒人もあり、白人の中にも奴隷を逃がそうとする家庭教師のような白人がいたり、黒人白人というだけでなく、人間を語っていることが、この物語の厚みになっているのでは。クロティが大人になってからの、その後のクロティも読みたいと思いました。時代の中で語られる物語なので、この時代日本はどうだったか、ヨーロッパはどうだったか、見られる資料も載っていたら広がりがあるのでは。

アカザ:こういう本を子どもたちに読んでもらいたいと、つくづく思いました。はらはらしながら、最後まで一気に読みましたけど、主人公のクロティは、本当に強い女の子ですね。
大人の読者の私としては、最後に車掌になるより安全なところに逃げてほしいと思ってしまいましたけれど。あと、字を読めるようになることが力になるという、その考えが芯になって作品を貫いています。アメリカの児童文学の伝統というか。この作品も、最初は間違いのある文章を書いているけれど、だんだん漢字まじりのしっかりした文章になっていくにつれて主人公も成長していく。こういうところとか、ほかの奴隷たちの話す言葉とか(関西弁ぽいのは、ちょっとひっかかったけれど)。訳者の方も大変だったろうなと思いました。

ハリネズミ:アメリカの児童文学の伝統って、どんなところですか?

アカザ:『レモネードを作ろう』(ヴァーイニア・ユウワー・ウルフ著 こだまともこ訳 徳間書店)とかね。イギリスは、アーモンドの『肩甲骨は翼のなごり』(山田順子訳 東京創元社)もそうだけれど、学校で字をおぼえたりするより、もっと大事なものがあるだろうというような作品が多いような気がするんだけれど……。

ハリネズミ:そうか、アメリカは教育の現場で非常に苦労していますよね。移民も多いし。イギリスはもともと中流階級の人が中流階級の人のために書いているから、そういうことが起きないけどね。でも、そこがアメリカの児童文学の伝統かどうかはわかりませんが。

レンゲ:とても読み応えのある作品でした。文字が書ける、日記をつけるということで、クロティが精神的に成長していくさまが描かれていて、とてもいいなあと思いました。「自由」への強い思いをいだくようすが描かれているけれど、結局クロティは、体の自由ではなく精神的な自由を選ぶんだと思うんですね。p242では、白人の奥様のことを「おとなの体をした小さな女の子」と言えるようになる。苛酷な状況の中でも気高く、心の中の自由は手放さないのがかっこいい。ただちょっと残念だったのは、日記の文章が12歳の子の文章にしては物語的すぎるように感じられたこと。子どもの日記って、もっとたどたどしいのでは? たとえばp132の最初の5,6行。原文自体が普通の物語と変わらない書き方なのか、翻訳のときにこんなふうにまとめてしまったのか、どちらだろうと思いました。時々、日記に書くにしては難しい言葉も出てくるし。本としては、アメリカの人が自国の歴史を知る物語という感じ。文字とか自由の意味を考えさせるところはおもしろく、日本人も読む価値はあると思うけれど、そこまでアメリカのことばかり興味を持たなくてもいいのに、という気持ちにもなります。アメリカへのシンパシーばかりが形作られていくみたいで。日本人はアメリカの歴史に対して、とびぬけて許容度が高いですね。

紙魚:日記の書き方が話題になっていますが、これは、日記文学の限界かなと思います。この女の子が書いた本当の日記だったら、ここまで状況が伝わらないので、どうしても演出を加える必要がありますよね。しかたがないことかなと思います。それから、翻訳の限界も感じました。おそらく原書では、最初のうちはスペルミスがあったりするなど、女の子がだんだんと文字と言葉を得ていく過程がもっと伝わってくるのだと思いますが、日本語だと、それをひらがなを使うことで表現しなくてはならない。それでも、徐々に情景描写や心理描写が書き込まれていくので、この女の子が書く表現をつかんでいくのは伝わってきました。p24の時点では、「自由」という言葉を紙の上に書いても、「自由」の絵が浮かばなかったのに、読み進めるうちに、「自由」が手触りのある言葉に変わっていきます。自分の考え方を深めるときに、話すことも大事かもしれないけれど、書くこともものすごく重要なのではと感じました。思ったことを1度書いてみることの素晴らしさを、この物語で感じました。

プルメリア:今日の3作品の中で一番おもしろかったです。利口な12歳の少女クロティが文字を覚え、密かに会話文で書いている日記にクロティの周りの様子をしっかり見ている素直な気持ちがよく表れているなと思いました。白人社会と黒人社会の違いがよくわかり、差別問題や人種問題の社会の中で自分をしっかり持ち続けるクロティの生き方や考え方がだんだん力強くなっていく姿がたのもしく伝わります。ひらがなで書いてある日記は、クロティが一生懸命日記を書いている姿が伝わるんじゃないかな。ウィリアムぼっちゃんが哲学者になったり、クロティが車掌になったりいい終わり方です。p24には『「自由」はただの言葉』、p274には、『自由はただの言葉じゃない』とあります。印象に残りました。中学生向きの作品だと思いますが、6年生くらいでも読める子はいると思います。

ハリネズミ:「自由への地下鉄道」を取り上げたいい本ですね。私はこのUnderground Railroadっていうのに興味があって、いろいろ調べてみてるんですけど、黒人だけではなくて、先住民も白人もかかわっているんですね。文字が読めない人も多かったから、暗号やしるしで伝えたりして。主人公は、すごく大人びたことを書いていますが、これフィクションなので、物語としておもしろく書いているんじゃないかって思いました。たぶん話し言葉も、文字が読めるようになって本を読んだりするうちに変わっていくんでしょうね。翻訳ではそのあたりを出すのは難しいでしょうけど。南部のもと奴隷だった人たちから聞き書きをした作品に『リーマスじいやの物語』っていうのがありますが、あれも英語がスタンダードじゃなくて黒人特有の話し方で書いてあるんですね。昔は、黒人が主人公の作品も、白人が書いてました。たとえばストウ夫人の『トムじいやの小屋』なんかです。私も中学生くらいで読んで感激したんですけど、今読むと「黒人はかわいそうなのです」という上から目線で書かれているのがわかります。でもこの本の著者のマキサックさんはアフリカ系で、もっと誇りを持って書いているのがわかります。第3世代になってようやく自分たちなりの視点で書けるようになってきたのかもしれません。精神の発達を言語の習得であらわすというやり方をうまく書いた作品に『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス著 小尾芙佐訳 早川書房)がありますが、この作品は南部の黒人なまりなんかも入ってきてるんでしょうから、訳すのが難しいでしょうね。私はアメリカの作品でも、マイノリティの作家が書いたもののほうが人生の見方が深くて、おもしろいんですけど、日本で紹介されるのは白人作家のもののほうが多いですね。
 アメリカの児童文学賞の一つにコレッタ・スコット・キング賞というのがあって、もともとはアフリカ系の作家たちに力をつけさせようということで始まったんだと思いますが、今はニューベリー賞やコルデコット賞もどんどんアフリカ系の人が取るようになっています。いわゆる先進国では、書いたり読んだりする文化が偏重されるところがあって、文章の書き方や構成という点では、白人作家のほうに一日の長があるのかと思いますけど。でも今は、語りの文化も見直されてきてますよね。ストーリーテリングなんかも。

アカザ:日本でストーリーテリングというと、すでにできている話を語って聞かせるという感じですけれど、イギリスでストーリーテリングのクラスに出たときに、なんでもいいから語れといわれて、自分の家の犬の話をして、けっこう受けました。もっと幅広くとらえているんだなと思ったのをおぼえています。

ハリネズミ:アメリカの学校にもshow and tell っていうのがあるじゃないですか。そうやって、語る技術をみがいているのかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年7月の記録)


2012年07月 テーマ:変身

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『2012年07月 テーマ:変身』

 

日付 2012年07月19日
参加者  プルメリア、アカザ、ルパン、ハリネズミ、レンゲ、トム、紙魚
テーマ 変身

読んだ本:

デイヴィッド・アーモンド『パパはバードマン』
『パパはバードマン』
原題:MY DAD’S A BIRDMAN by David Almond & Polly Dunbar, 2007
デイヴィッド・アーモンド/作 ボリー・ダンバー/絵 金原瑞人/訳 
フレーベル館
2011.10

版元語録:父と娘が母をなくした悲しみを乗り越え、「鳥人間コンテスト」を通じて信頼と愛情を確かめあう姿を、ユーモラスに描く。
みうらかれん『夜明けの落語』
『夜明けの落語』
みうらかれん/作 大島妙子/絵  
講談社
2012.05

版元語録:人前で話すのがなによりもこわい、4年生の暁音。もちろん、落語なんて、できるわけがない!?19歳の現役大学生みうらかれん、注目のデビュー作! 第52回講談社児童文学新人賞入賞作。小学中級から。
パトリシア・C・マキサック『クロティの秘密の日記』
『クロティの秘密の日記』
原題:SLAVE GIRL: THE DIARY OF CLOTEE, VIRGINIA, USA1859 by Patricia C. McKissack, 1997
パトリシア・C・マキサック/作 宮木陽子/訳 
くもん出版
2010.11

版元語録:19世紀のアメリカ。読み書きを禁止されていた奴隷の少女・クロティは,ひそかに文字を覚え日記をつけはじめますが…。

(さらに…)

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どろんころんど

北野勇作『どろんころんど』
『どろんころんど』 ボクラノSF

北野勇/著 鈴木志保/挿絵
福音館書店
2010.08

みっけ:3冊の中では最初に読みました。SFはあまり好みではないからなあ……と思って読み始めましたが、さくさくと読めて、結果としてはけっこうおもしろかったです。どこが、と言われるとちょっと困るんだけれど、主人公を人間が作ったロボットにしたことで、人間がごく自然に経験する心理的な変化みたいなものを主人公がいちいち、あ、これが〜なんだ……と意識するあたりは、プラチェットの『天才ネコモーリスとその仲間たち』に出てくるネズミに似たところがあって、SFというのは、現実の社会や人間や存在といったものを、一歩引いて見直すための装置として使われるんだな、と思いました。だから、個人よりもメカニズムに焦点が当たるきらいがあるのかもしれないけれど。SFといっても、一昔前のようながちがちの科学でもなく、まったく異なる惑星でもないあたりは、おもしろい設定だと思いました。細かく見ていくと、え? なんで? というところがあちこちにあるけれど、一種の学習するロボット少女の成長物語なんだな、と思いました。それと、この終わり方を見てつくづく、ああ、主人公が若いと、暗い状況でも明るくなるんだなあ、と思いました。年入った大人たちだと、ついつい経験値に基づいて暗さに同調しがちだけれど、若い人はどんな環境に置かれたとしても、そこが始まりだから(というか、そこから始めるしかないから)、未来を指向できるんだなあ、と。それに、最後の最後に万年一号の長い旅の第一歩、という形で終わるのもおもしろいな、と思いました。

紙魚:福音館書店の本って、年齢が上の人向けの読み物になると、とたんに保守的でないものが出てくるような気がします。この「ボクラノエスエフ」というシリーズは、『どろんころんど』以外の書目は復刊がほとんどで、これだけは新作ですから、よほど思い入れがあって出された本なのでしょう。祖父江慎さんの装丁と本文デザインで、本のつくりからして期待させてくれるような佇まいなのですが、読みはじめると、どこか人を食ったような感じで、はぐらさかされます。児童文学にはあまりない本です。実感のない世界、具体的な肌触りがない世界で、肥大化した自意識の中での遊びごとという感覚が、いかにもいまどきだなと感じました。素直におもしろいとは思えなかったのですが、このノリは、もしかしたら、若い人たちには「わかる!」という感覚なのかもしれないと思いながら読みました。とはいえ私にはやっぱりよくわからないので、p89の「ますます何がなんだかわからない。」という一文に遭遇したとき、こっちのほうが「わかんないよ!」という気持ちになりました。この小説は、筋というよりはノリが重要なのではないでしょうか。プラスチックのようにつるつるしていて、ガサガサしたところがひとつもなくて、でも、そのなかを生き抜かなきゃならないという切実さや必死さはなんとなく伝わってくるような気がします。

サンシャイン:何度も読むのをやめようかと思いました。読む価値が自分の中で見い出せないというのが正直なところです。まあ、今日に合わせてなんとか読み終わりましたが。ひらがなの「ど」という活字がすごく気になりました。「と」とはちがう字体ですね。

フルフル:祖父江さんが、書体も含めてこの本の世界観を表現しようとしたのだと思います。この本は、私も実は読めなかったんです。出たばっかりのときに、書店で手にとってはみたのけど、やっぱり読む気になれなくて。

ハリネズミ:アリスは当然『ふしぎの国のアリス』(ルイス・キャロル)のアリスから借りてきた名前なのでしょうけど、SFというよりやっぱりナンセンス・ファンタジーなんじゃないかしら? SFというのは、一度もこの世に存在したことのない世界を扱うわけですから、読者が入り込めるように隅々まで考えて科学的にも物語的にも齟齬のないお膳立てにしないといけないと思うんですけど、この作品はそういうのとは違いますもんね。私は最初のほうはおもしろい設定だと思って入り込んで読んでいったのですが、p183から文章がわざと切れたようなレイアウトになっているんですね。ここでしらけてしまいました。物語の流れを妨げる邪魔なもののように感じてしまったんです。そうなるといろんなところが気になってしまって。途中でアリスが「こんなのをシュールって言うのかしら」とか、さっきも出てきたp89の「ますます何がなんだかわからない」なんていうのも、ないほうがいい。読者がそう感じればいいことなので、作者の声は邪魔になるように思いました。全体としては、そんなに楽しめませんでした。SFなら、舞台となる世界をもっときちんと書いてほしい。そこが希薄なんですよね。

紙魚:このファンタジーには、ルールがないですよね。「どろんこ」だからなんでもいいじゃないかというふうにも読める。

ハリネズミ:ナンセンス・ファンタジーだと開き直ったほうが、おもしろくなったかも。

紙魚:この本のここがすごくおもしろかったという人の心をのぞいてみたいです。

ハリネズミ:プロットだけ追っていく子って、今いるでしょ。そういう子にはおもしろいのかな。でもそれだったら、べつに本を読まなくてもいいんですよね。

すあま:私もこの世界がおもしろいと感じられませんでした。時間がなくて斜め読みしたのもよくなかったのかもしれないけれど、やっぱりおもしろさがわからなかった。森博嗣の作品のイメージも思い浮かんだのですが……。まさに頭のなかが「どろんこ」状態で、楽しめなかったです。

プルメリア:3冊の中でいちばん字が大きいので最初に読もうと思い読み始めたら驚きました。ヒトデナシたちの存在社会がイマイチわかりにくくて、出版社を見たら「福音館書店」! 会社のイメージが変わりました。おもしろかったのは、鉄骨が落ちてきたときにかめがおさえ首が……、と思ったら甲羅の中に入れていた場面と、レストランに入ると料理を食べた人は出ていき、これから料理を食べる人たちは順番に席を動いていく場面には笑っちゃいました。変わった本に出会いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年6月の記録)


チョッキー

ジョン・ウィンダム『チョッキー』
『チョッキー』
ジョン・ウィンダム/著 金利光/訳
あすなろ書房
2011.02

きゃべつ:私は、SFをあまり読んだことありませんが、初心者でもわりと読みやすかったです。ただ、直訳っぽいところや、1文が長いところがあって、子どもにとっては、少し読みにくいかなと思うところがありました。ずっと大人目線ですが、子どもはどう読むんでしょうね。もう少し、子ども目線のほうが、読みやすかったんじゃないでしょうか。

紙魚:私もSFを読みなれていないのですが、これはとてもオーソドックスな筋運びで、異星人が未知の世界からやってくるという典型的な物語。こうした設定は、小説でもドラマでも映画でも、もう何度も何度も描かれてると思うんですが、この本がおもしろく読めたのは、そうした未知のものに出会ったときに、人間はどう反応するのかということがていねいに書かれていたからなのではと思い至りました。さまざま風変わりなSFが出てきても、結局、奇天烈なものを見たいというわけではなく、そうしたときの人間の反応を見たいのだと。

レンゲ:ファンタジーもSFも苦手なのですが、この本は論理的にわかって、問題なく読み進められました。『チョッキー』も『ジェンナ』も構成がきちんとしていて読みやすかったです。でも、自分では手にとらない本だと思う。読み始めたときに、まず語り手が誰なのかなと思って、どうやらそれが大人だとわかってきて、大人が主人公でもいいわけですけど、誰に向けて出した本なのかなと思いました。つくりも大人っぽいし、ルビもちょっとしかない。中学生に読ませようというルビのふり方ではないですよね。得体の知れないものとの出会いと、それに対する反応は興味深く読めますが、とびぬけておもしろいとまでは思わなかったので、わざわざ新訳で出し直したのはどうしてかと思いました。確かに1968年の本なのに、マスコミとかお母さんの反応が今と変わらないのはおもしろかったし、夫婦の2人の子どものうち、片方は自分の子で、片方は養子にした子だけど、わけへだてなくかわいがってところは感じよく読めました。

トム:宇宙人に会えたらドキドキしてもっと嬉しくなってしまいそうだけれど、マシューは苦しそう。それは、p268にあるように“ホストとしての精神的資質を持ち”“あれこれ疑問を持たずに受け入れようとする”、それができる子どもとしてチョッキーが見つけたのがマシューで、その出会い方にもあるのでしょうけど。ただ、時にはチョキーとマシューの楽しい交信も垣間見られたらと思いました。マシューはチョッキーに真っ向から向き合っている……、そこにマシューがどういう心をもった少年なのか感じられます。最終場面で表彰メダルが自分宛でなく、チョッキーの名になっていることを本当に喜ぶ様子は、マシューの人柄を伝えているし、チョキーとの信頼も伝えていて、とても温かい余韻を残りました。お父さんと息子の物語として読んでも読みごたえがあって、いつの間にかそちらにひっぱられてもゆきました。その中で、お母さんは安心を得ることに気持ちが逸ってかなり混乱した様子が描かれているけれど、お父さんが時々立派すぎるかも……。
 p261でお父さんが「わたしたちは、原子力を手にしているのですよ」と言ったことに対してチョッキーが「認めましょう。だがきわめて粗雑な水準にありますね」と言っていますが、新たな翻訳としての初版発行が2011年2月28日で、この11日後に福島原発の事故が起きています。偶然とはいえ物語が一歩先を歩いているよう。p265“宇宙の隅々にまで存在する放射”とか、私には具体的なイメージが描けないけれど、SF好きな中高生ならきっとワクワクする世界なのでしょうね。p268 “老いた精神はありうることとありえないこととの区別をかたくなに守る”という件は、個人的にズシッと胸に響きました。

みっけ:著者の最後の作品というのだと、子ども向けに書かれたわけではないのかな、という気もするのですが、どうなのでしょう。はるかかなたからやってきた、いわば異星人のようなものが、普段の生活に入ってきたという設定はSFなんだけれど、やってきたものの外見や行動などではなく、それが来たことで、普段の生活がどうなり、家族の中がどうなっていったかに焦点が当たっているので、あまりSFという感じはなく、両親や本人の行動がていねいに書かれていたので、人間の物語としておもしろく読めました。日本にはない英国男文化の伝統というのかな、父と息子の関係がとても強いんだけれど、そのあたりがよく書けていました。チョッキーの姿を最後まで書かず(息子の声を借りていて)、声も聞かせないのも、うまいなあと思いました。おそらくそのあたりを書いたとたんに、私なんかは嘘くさく感じてしまいそうだけれど、あくまでもそれをせずに,読者の想像力にゆだねている。これってどう着地するんだろう、と思いながら読み進んでいったら、10章でマシューがいなくなりますよね。それが実は権威筋による誘拐だったというのには、あっと思ったし、感心しました。しかも、権威筋の誘拐が今後起きないようにとチョッキーがマシューの前からいなくなる。というのもいいですね。とにかく、SFはわりと苦手なのですが、親と子の関係に焦点がおかれていたので、とてもおもしろく読めました。マシューの失踪についての説明がいっさいされずに事態が進み、最後の最後にチョッキーがお父さんにさよならするところでその一件が種明かしされるあたりも、なるほどと思いました。

サンシャイン:非常に気に入りました。早い段階で人間が開発した車が非効率でという話が出てくるので、未来の存在という予想は立ちましたが、実の子ではなく養子なので、実の子ではないことで展開されるのかと思いきや、そうではありませんでした。妹の方の、見えない存在にとりつかれているというのはよくあることなのですか? お医者さんの友達が診て、「憑きもの」とか「お告げ」という話を母親が受け入れないという反応をしますが、父親の方はそれを受け入れようとする、その心情の差もよく書けていると思いました。「原子力」が出てきますが、さらに「放射」のあたり、子どもの語彙にないということでぼかされていて、私たちにはわかりません。作家の頭のなかには、そういう、人類がまだ手に入れていない存在が見つかるというのがあるのかもしれません。宇宙にはそういうものがあるかもしれないと思わせる文章力。最後は、子どもの口を借りて、乗り移ったかたちで真相が明らかになるのは、こういう方法でしか種明かしすることはできないかなと思いました。いずれにせよ、非常におもしろく読めました。

フルフル:児童書か、一般書かという点ですが、コードが一般書で、出版社としては一般書として出しています。でも、いってみれば、YAだと思います。文体も自然で、読んでいて、とても読みやすかったです。でも、1968年に出されたもののリバイバルとは気付かなかった。感覚的に受け入れやすかったのは、昔に書かれたものだからなのかな〜、それもちょっとショックですが……。たぶん今、最先端で書かれていたものではなくて、SFといっても読みやすかったのかなと思います。現代っ子が好む読み物だと、話の展開が早くて、次々といろいろな事件が巻き起こるというものが流行りますが、この作品は、前半のテンポがゆっくりめ。マシューが目に見えないチョッキーとつきあっていく過程は、とてもおもしろく読めたのだけど、なかなか話が動かないので、いつまで続くのかなと思っている自分に愕然としました。自分も毒されちゃったのかしらと……。水に溺れるところから急展開しますが、それまでは中だるみしているように感じていまいました。現代っ子同様に、せっかちになってしまっているのかもしれません。溺れたところからはラストまでは引っ張って読ませてくれました。
 ただ、印象として、この内容のものだったら、前半のテンポを上げて、もう少しコンパクトになるかもしれないとも思いました。今の子どもたちには、300ページを超えるとちょっと長い(?)印象があるかもしれませんし、壮大な物語が展開するのではないので、もう少しコンパクトに読めたら読者も広がるかもしれないと感じました。最後、チョッキーが語っているところで、「現代人は燃料の無駄遣いをしている」という語るところにドキッとさせられました。原発事故があっただけに感慨深かったです。また、50年以上前にこういう作品が描けた作者に敬意を表したいです。

すあま:私は大人の本として読みました。語り手がお父さんであるからかもしれませんが、マシューの気持ちになって読み進めるというよりは、お父さんの気持ちに寄り添って読みました。かなり大変な状況なのに、このお父さんは冷静で、奥さんが半狂乱になっているのにも落ち着いて対応している。語り手が落ち着いているので、パニック小説のようにならず、読み手も落ち着いて読めたように思います。怖い話として書ける話なのに、怖くなく、読後感もよかった。妹にも同じように見えない女の子と会話する時期があり、『弟の戦争』(ロバート・ウェストール著 原田勝訳 徳間書店)や『まぼろしの小さい犬』(フィリパ・ピアス著 猪熊葉子訳 岩波書店)などを思い出しました。途中からチョッキーが宇宙人だと気づいてからは、どう種明かしするのかと思っていたら、当の宇宙人が全部説明してくれた。宇宙人が地球を見つけて偵察にきて人間の生活に入り込む、という話は、なぜ今頃出たのかと不思議に思ったけれど、刊行年を見て、60年代に出たなら古くないかと納得しました。むしろ今読んでも違和感がない。パソコンが出てこないなど、「今」ではないことに気づいたものの、古さは感じずにおもしろく読めました。ただ、誘拐事件はチョッキーの仕業で宇宙人にさらわれたと思っていたのに、普通の誘拐だったのでちょっとがっかりしました。

プルメリア:少年に霊がついているのかと内心ドキドキしましたが、あとがきに宇宙人と書いてあったのでホッとしました。少年に寄り添うお父さんの心情が全体に出ており、妹が時々話す馬の話はユーモアがあり、重たい雰囲気を和らげていたように思いました。最後に、もらったメダルにチョッキーの名前が刻まれていたこと、なんとなくぎくしゃくしていた少年と父親の心がつながったように読みました。

ハリネズミ:おもしろく読みました。科学知識の部分も、まだ古びていないのでは? 今は、昔の映画に出てきたような宇宙船とか宇宙人像は違うとわかっています。でも、広い宇宙のどこかには知的生命体ってきっといると信じて、その人たちと交信しようといろいろな試みをやっている科学者がいます。それから今SFで近未来を書こうとすると、どうしてもディストピアになってしまうんじゃないかな。この作品はちょっと前に書かれたということもあって、希望のある明るい終わり方。チョッキ—もいい人じゃないですか。だから、暗くならないんですね。

みっけ:この本で二進法の話を出しているのは、十進法というのが、人の指が10本だという解剖学的な事実から採用されてるのに対して、異星人が必ずしも十進法を採用しているとは限らない、という相対化のためだと思うんです。さらに、この作品が発表された頃は、コンピューターが出てきて二進法がクローズアップされた頃だったので、三進法やなにかにするよりも二進法のほうが最先端でもあり、多少のなじみもありという感じだったからではないかな、と思います。それに原子力に関する話は、天文関係の科学史を見てみると、原子力の発見は今の私たちには想像できないくらいポジティブにとらえられていて、それがチェッキーに対する語り手の発言にも反映しているんだと思います。もう一つ、チョッキーが、原子力など使わなくても、どこからでもいくらでもエネルギーを取り出せる、と言っているのは、おそらく宇宙の始まりであるビッグバンと呼ばれる大爆発の余熱の「宇宙マイクロ波背景放射」を取り出すという話で、こういった話が出てくるところからも、この作品は科学の最先端の結果や理論を取り入れているという点で、ちゃんとしたSFなんだなあと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年6月の記録)


ジェンナ〜奇跡を生きる少女

メアリ・E・ピアソン『ジェンナ:奇跡を生きる少女』
『ジェンナ〜奇跡を生きる少女』 SUPER!YA

メアリ・E・ピアソン/作 三辺律子/訳 
小学館
2012.02

すあま:おもしろかったです。事故のせいで記憶がないというところから始まり、次第にこれは近未来の話なんだとわかってくる。ジェンナはもしかしてアンドロイドではないかと少しずつわかっていくところ、そしてなぜ事故にあったのかということが明らかになっていくところに、どんどん引っ張られて読みました。実はこわい話なんですけれど、ジェンナの家族との関係や、自分って何者なんだろうという悩みが中心に書かれているので、おもしろく読み進めることができました。ただ、10%だけ残したといわれても、理解しきれなかったので、そのへんは考えるのはやめて、どちらかというとミステリーを読むように読んでいきました。ラストについては、あえて260年後でなくてもよかったんじゃないかと。ジェンナは、ずっと生き延びたけれど孤独にはならなかった、異端の存在だったのが他にも同じような人が増えて普通の存在になったという世界を示して終わるのは、読み手を安心させるけれども、子どもが生まれていたりと逆に最後の3ページのせいで新たな疑問が生まれて考え込んでしまいました。

トム:デザインも色もきれいな表紙で、この蝶が気になりながらページを開きましたが……、美しいけれど、どこかぞっとする蝶。読みおわってもう一度表紙をみれば、10パーセントの脳を象徴するのがこのジェンナの髪にとまる蝶なのですね。見るほど、美しくて不気味。物語を読みながら、ジェンナのような状態になった時、生を選ぶか自然な死を選ぶか? 選ぶ主体は誰なのか? そして、自分だけが生かされた時、人はその後どう生きるか? 悩み無く生きられるとは思えないし。究極、命に人間がどこまでかかわっていいのか? いろいろ頭に浮かびました。ジェンナの両親は、知的レベルも高く、経済力もある人なわけで、命の再生に経済力が見え隠れするところもアメリカ的な物語だと感じます。  最終章の260年後の世界までこちらの気持ちがついていけませんでした。

レンゲ:とても読み応えがありました。なんで私は生きているのだろうという実存の疑問だとか、生きるとはどういうことだろうとか、読みながら考えさせられました。こんなこと、いつも考えていたらおかしくなっちゃいますけど。意志だとか知りたい気持ちだとかは、どこで生まれてくるのかとか。宗教的なことも途中で出てきますよね。この子がなぜ家族の愛情や信頼を感じられないのか、読むうちにわかってくるのですが、人生の中のそういった愛や信頼などの要素、何が私たちを人間にしているのか、人間らしくしているのか、そういうことを考えさせてくれる本でした。短い章で切っていくのは、今風ですね。網がけの部分は原書にもあるんですか?

フルフル:網はかかっていないけれど、詩のようなデザインとして、本文と別の扱いになっています。

レンゲ:260年も生きてしまうというのは、長く生きることへの肯定というより、それになんの意味があるのかを考えさせようということかと私は読みました。p330の「クレアは決してわたしを逝かせてくれない。あれだけの強さを持っているのに、わたしを逝かせるだけの強さはない」という、死なせないことへの問いへのこたえ。主人公は友だちを生かして、自分も生き延びていって、子どもが生まれて、人間らしいものが引き継がれていく。けれど、長生きすればいいのか、それで人間が人間として生きていくことになっているのか、考えさせられました。

紙魚:この本は、10%の自分を頼りに自分は何なのかを「定義」していく物語だと感じました。時折、「見失う」や「人間」などの語句の定義がはさみこまれています。ページ全体が網がけになっている部分は、まさに主人公ジェンナが自分を「定義」するために自問自答するつぶやきの部分。ふつうに生きていると、自分をわざわざ定義する必要には迫られませんが、こうしたありえない状況に追いこむことによって、作者は読者に、自分というものの定義を考えさせる仕組みを作ったのだと思います。10%しか自分でないとしたら、あとの90%は定義し続けなければならない。ただ、そのせいなのか、この物語にはなかなか入り込むことができませんでした。「そのつもり」にはさせてもらえず、つねに客観的でいなければならない感じなのです。でもそれって、もしかしたら、ジェンナの自分の体への違和感をも表しているのかなとも思います。

きゃべつ:今日みんなで読む本の中では、私は、これが一番おもしろかったです。十代が抱えがちな心の揺らぎをていねいに追っていたので、そこに共感できました。普通に生きていても、いろんなことの限界がわかってきてしまって、自我との折り合いに悩む年齢なのだけど、この子の場合は、元の自分が10%しか残されておらず、その揺れ幅が大きいですよね。その葛藤がうまく描かれていたと思います。今、ips細胞とかもあるので、ここに書かれている話は近未来に起こりえることなのかしれません。10%は、人か否か。突きつけられると、ぞわりとする問いですが、いずれ答えを出さなくてはいけなくなるかもしれませんね。これを読んでいて、子どもを守ろうとする母親は、鬼子母神ではないけれど、怖い存在だと思いました。子どもも産めない体にして無理に生かすなんて、とジェンナが詰め寄るシーンで、卵巣は残したのよと、ホッとしたように伝える箇所では、狂気を感じました。私も260年後まで生かす必要があったのか、疑問に思います。事故にあった人だけが、長生きする世界というのは、ずいぶんいびつだなと思いました。英語のタイトルは、「ジェンナ・フォックスの崇拝」ですか。読みにくいのは訳のせいなのでしょうかね? とくに網掛けのページは。

サンシャイン:やっぱり現実の姿は思い浮かべることができませんでした。お話として読むという感じ。あとがきを読むと、もう1回読むと伏線に気づくと書いてあって再度読もうかと思いつつ時間がありませんでした。作品としてはよく計算されて書かれていると思います。おばあちゃんが自分を嫌っているという認識だったのが、おばあちゃんが無理な形で生かすことに反対していた、ということがわかるとか。現代的なお話になっています。結局、ニューロンチップなるものが組み合わされると、人間らしく生き残れるんですか? 手を怪我する場面で実は人間でないことがわかるんですね。

フルフル:なかから青いのが見える。

サンシャイン:手塚治虫さんの『ブラックジャック』で、活かせる臓器だけを組み合わせて人間にするピノコのイメージでしょうか。すごくよくできた作品だけど、1回読んだときには、ジェンナがどう生きているのかわからなかった。友達が死にそうになっていて、その子も同じ技術によって生かしたというのは衝撃の事実なんでしょうね。子どもを産めるというのもあまりありえないなと思う。そんなに長生きさせる必要はなかったのでは。死にかけた友達も再生させて、人間の寿命をこえて存在できるという設定にしているところは、筆者にとっては必然であったのかどうなのかと思います。

プルメリア:主人公と母そして祖母の3人の謎めいた関係が不思議で読み進めました。グレーの部分は、心情が伝わりわかりやすかったです。この作品がほかの作品とは異なるところは、会話文が多くいろいろな画面にあるのでその場にいるような気持ちになりました。こんなに会話文が出てくる作品は今まで読んだことがありません。読み進めていくうちに、いろんなことがわかってきました。話題になっている260年後について私が不思議に思ったのは、子どもは何歳なのか? 小さい子のようだけど、う〜ん。理解しにくい部分があるのでなくてもよかったかな。

ハリネズミ:物語世界の中に入り込めませんでした。設定はおもしろかったし、本のつくりも素敵だったのですが、どうして入り込めなかったのか考えると、SFならばもう少し世界をつくってほしいと感じたのだと思います。たとえば、10%以外はアンドロイドで、アンドロイドが心を持てるかどうかがSF的には懐疑的なのだけれど、ここではすでに心をもった存在として書かれています。また、デーンについては心を持っていないと書いてしまってよいのでしょうか。10%あれば、技術がシンポするとホールの人間が作れるという設定なんだろうけど、だったらアリーズはもう少しちがった存在になるのでは。

フルフル:点数化されている規則のなかで、アリーズは最大限つかっているという状態なんです。確かに、デーンの何が悪いのかは書かれていないですよね。攻撃的であるとか、学校での一場面にあらわれたり、ちょっとずつは出ているんだけど、それだけしか出てきていない。だからちょっと伝わりにくいところはあるかもしれません。あと、冒頭が入りにくいというところなんですけれど、ストーリーの最初の違和感というのは、原書でも「ジェンナが自分をわかっていない、しっくりしていないちぐはぐ感」というものが、文体のなかに表現されていて、それを訳すときに生かしたいということなので、そういった意味では成功しているのではないでしょうか? 途中からそれがだんだんとしっくりしていって、ジェンナがジェナとして生き始めるということです。

ハリネズミ:そこは私もそう読めたんですけど。たとえば、p17の「両親」の部分は?

フルフル:親を親として認めるかっていうところですよね。母親がこの人、父親はこの人と、前に言っているんですね。彼女にはインプットされている設定なんです。

レンゲ:ここは「両親」というよりも、「あの人たち」という感じですよね。

フルフル:混在していると思うんですよね。

ハリネズミ:訳は読みやすかったのですが、ところどころ気になるところがありました。たとえば、p91「すぐさま外へ出て、クレアの車をひき止めたい衝動にかられ。」ですが、もう車は出ちゃったあとだから、呼び戻したいとすべきでは?

レンゲ:小さなことですが、p98に「イースター島にラパヌイ族が移住したのが、紀元前三〇〇年。十世紀ごろには、モアイ建設のため……」って書いてあるでしょ。モアイって像だから、「建設」はちょっとおかしい気がしました。

ハリネズミ:p301には「原産、土着、純血――」とあるけど、それ以前に、自然か人造かというところが問題だと思うから、えっ? と思っちゃった。

フルフル:「在来」という言葉を使った方が良かったでしょうか……。

ハリネズミ:本当に設定はおもしろくて、書こうとしているところもおもしろいんだけど、主人公の心の中に入り込むのが難しかった。アンドロイドだから難しいのではなくて、この書き方がつっぱなしているのかもね。

紙魚:この本って、類書がないと思うんです。だからこそ、こうした本を出すことの意義はあると思います。

すあま:10%でも人間でいられるのかというところに戻っちゃうんですけれど、命令についてインプットされていてもそれに従ってしまうのか、逆らうことができるのか、その境界線などを考えているとまたわからなくなってしまう。途中からは考えるのをやめたんですが、こういうところにひっかかって読み進められなくなる人もいるかもしれない。ただ、本の内容を全部覚えてしまっていても、本を手にとって読むという体験はまた違う、というようなところは、電子書籍と本の違いにも通じるようでおもしろいと思いました。もともと10代って自分が何者か考える時期だけれど、それをせざるを得ない究極の設定を考えると、こういう物語になるのかも。

フルフル:科学的に読もうとするのではなく、思春期の女の子たちは、自分とは何なのか、自分のアイデンティティってなんだろうって悩んだりしますよね? また、全然思いもつかない子でも、この本を読むことで、気が付いたりするのではないでしょうか?

ハリネズミ:アイデンティティを見つけたいときに、はたしてこの本は役に立つのかな。

フルフル:悩んでいること自体は間違っていないし、少しずつ獲得していかなくてはいけないことは、わかるんじゃないかなと思います。260年後については賛否両論あるだろうなと思いました。翻訳者さんとも「この物語に果たして260年後はいるのかどうか」は、議論しながら作業を進めました。でも、翻訳とは、もともとあるものを勝手に改編してはいけないことになっていますし、260年後も作者の意図があって書かれたわけですから削除するわけにはいきません。どなたかがおっしゃっていたように、「長く生きることの意味」も改めて考えさせられる終わり方なのだと思います。

すあま:260年後にはいわゆる定年制のような「期限」が決められ、ジェンナは自分の終わりが近づいてきたことから子どもを産んだのかなと思いました。イーサンが死んでからかなり経っているようだし、体外受精にしてもなぜこんなに時間が経ってからなのか不思議だけれど、特に説明はないので想像するだけですが。

フルフル:これ、続編があるんですよ。アメリカではすでにすごく反響があって、第3弾も来年の3月に出る予定です。トリロジーになります。2巻目は、ジェンナの話ではなくて、260年後の話らしいです。現題『The Adoration of Jenna Fox』の意味ですが、Adoration は、「崇拝」という意味です。直訳すると「ジェンナ・フォックスへの崇拝」ということになります。どういう思いが込められタイトルなのか、翻訳者に確認したところ、「本文に、両親がジェンナを高い位置にまつりあげ、つねに世話を焼き、ビデオを撮り……、そんな“崇拝”された状態から“転落”したかった、というくだりが出てきますが、そこから派生して、『自分という存在は特別なのか』というジェンナの“葛藤”、また最後、葛藤を(ある程度)克服して、“自分から自分への敬愛・愛情”を獲得して、ジェンナがアイデンティティを確立することまで、すべてをひっくるめたタイトルなのではないか」ということでした。このofを“への”と訳すのは、難しいのですが、フランドルのエイクの絵にも、Adoration of the Lambというのがあり、日本語では子羊の礼拝、つまりキリスト「への」崇拝を描いています。ですので、ジェンナの場合も、「ジェンナへの崇拝」という意味で、間違いないのではないかと思います。

レンゲ:とりかえればいいのか、という問題もありますよね。この記憶は大事だからととっておこう、こっちは捨ててしまおうと、だれかが選ぶこともどうなのかと。自分が唯一無二の存在ではなくなってしまう危うさがありますね。たとえば、イーサンが、かっとなって人を殺しかけたというように、人間であれば負の一面もあるけれど、ジェンナはそういう面は回避して作られている。生命工学への疑問の投げかけだと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年6月の記録)


2012年06月 テーマ:新旧SF競作

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『2012年06月 テーマ:新旧SF競作』

 

日付 2012年06月14日
参加者 プルメリア、すあま、レンゲ、トム、サンシャイン、ハリネズミ、キャベツ、紙魚、みっけ、フルフル
テーマ 新旧SF競作

読んだ本:

北野勇作『どろんころんど』
『どろんころんど』 ボクラノSF

北野勇/著 鈴木志保/挿絵
福音館書店
2010.08

版元語録:どこかに行ってしまったヒトを探して,どろんこの世界を旅するアンドロイドの少女アリスと,お供の亀型ロボットの奇妙で長い旅。
ジョン・ウィンダム『チョッキー』
『チョッキー』
原題:CHOCKY by John Wyndham, 1968
ジョン・ウィンダム/著 金利光/訳
あすなろ書房
2011.02

版元語録:11歳の少年マシューの様子がおかしい。その裏には「チョッキー」という名の不可思議なモノが……。未知との遭遇を描いた傑作SF。
メアリ・E・ピアソン『ジェンナ:奇跡を生きる少女』
『ジェンナ〜奇跡を生きる少女』 SUPER!YA

原題:THE ADORATION JENNNA FOX by Mary Peason, 2008
メアリ・E・ピアソン/作 三辺律子/訳 
小学館
2012.02

版元語録:記憶をすべて失っているだけでなく、歩き方や話し方も…何もわからない状態で目覚めた少女ジェンナの不思議な物語。

(さらに…)

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クリーニングのももやまです

蜂飼耳『クリーニングのももやまです』
『クリーニングのももやまです』
蜂飼耳/著 菊池恭子/絵
理論社
2011.11

うぐいす:ももやまさんというクリーニング屋さんにちょっと変わったお客さんたちがやってくるという物語です。安房直子風の不思議な感じがあるのかな、と思って読みましたが、はっとするところも、ぞくっとするところもないし、ふふっと笑えるところもありませんでした。人間ではないお客さんたちの様子がおもしろいわけですが、どこか腑に落ちないところがあるんですね。「おじぞうさん」ではおじぞうさんが3人出てくるけど、ぼうずの次がおじさんで、3人目はただ「ほっそりしたおじぞうさん」という見かけだけしか書いてないので、何なのかよくわかりません。「いえで」では、金色と銀色のとげとげの丸いものが出てきて、これがお客の無口さんのよろこびとかなしみだという。この話にだけ観念的なものがでてきて、違和感がありました。「緑色のシャツ」では、どうしてあおむしが、預けた女の子がこのシャツを取りに来ることはありません、というのかよくわかりません。
 ちょっと不思議な雰囲気は伝わってくるんだけど、どの話にも「何で?」と思うところがあって、すっきりしないお話でした。ももやまさん自身も、絵があるから感じがつかめるとはいえ、文章からはどういう人かあまり書かれていません。ももやまさんという名前には雰囲気があるけど、それだけです。お客さんとのやりとりや仕事ぶりから、もっと人となりが浮かび上がってくるとよかったのにと思いました。

みっけ:子どもたちが日常の中でごく普通に出会っている物や事柄が、ほんとうはちょっと不思議な面を持っていて……というタイプの物語なんだな、と思って読み始めました。なんの変哲もない洗濯屋さんに、不思議なお客が来るというのは、わくわくする感じでいいなと思ったんですが、「いえで」という作品は、きわめて観念的だなあと思いました。小学生の子に「よろこび」とか「かなしみ」っていって、何が伝わるかしら。小さい子には、そういう抽象的な概念でなく、もっと具体的なものでないとぴんと来ないんじゃないかな、と思いました。それと、「みどりのシャツ」は、私もよくわからなくって、要するに、緑のシャツを虫が食べて、変身してすてきな蝶になったというんだけれど、これってクリーニングに出さなくてはならないという必然性がないですよね。トラが毛皮を預けに来る話は、毛皮を取ったあとのトラを生々しく想像しなければ、全体としてはほんわかしていていい感じだと思ったのですが……。いちばん引っかかったのが、最後の人魚のところです。これは、今おっしゃったように、ももやまさんがどんな人かが伝わってないからなのかもしれませんが、まず、ももやまさんがもやもやする理由がこちらにはわからない。それでいて、人魚の尻尾というお客さんから預かったものを自分で使って、店も休業しちゃうという、かなり激しい動きに出る。そのつながりがよくわからないなあと思って、かなりひっかかりました。これを子どもが読んで、納得するのかなって。

関サバ子:魅力的なタイトルだな、と思ってわくわくしながら読みはじめました。しかし、がっかりだったのが、せっかくクリーニング屋さんを舞台にしているのに、クリーニング屋さんならではの日常やディテールがぜんぜん描かれていないところです。そのために、物語全体に力がなく、地に足がついていない感覚を受けました。また、おじぞうさんの話で、ももやまさんが「おじぞうさんはどうしてこんなににてるんだろう」という点にフォーカスしているのがピントはずれで、お話の中での狙いがわかりませんでした。「いえで」は観念的すぎる上に、丸くてちっちゃいものが、どうやってカップからココアを飲めるんだろう、という点にひっかかりました。小さなことですが、そういうところが雑なのは、お話の世界から放り出されるようで、とても気になります。また、最後の人魚のお話も、お客さんから預かったものを勝手に身につけるの!? と大いにひっかかりました。ひれをつけて歩きにくい、と描写されているのに、そのすぐあとにもう水に入っている、というのも雑だと感じました。
お話全体から受けるものとしては、帯に、「おとなになってもいつもとちがうなにかを探している」とあったり、お店を休む張り紙に「考えたいことがあるので」とあったりで、要は自分さがしの話なのかと、愕然としました。ももやまさんの仕事は、毎日ほぼ同じことをやる仕事です。小さな世界で暮らしています。それをつまらないものと伝えてしまっているようで、この本を本当に子どもに渡していいのか、強く疑問に感じました。

レンゲ:私はけっこうおもしろく読みました。『車のいろは空のいろ』(あまんきみこ著 ポプラ社)のタクシーの運転手さんや、『ねこじゃらしの野原』(安房直子著 講談社)の豆腐屋さんのイメージと重なって。たしかに、そう言われれば納得がいかないというところもありましたが、ところどころに美しい文章があるのがいいなあと思いました。たとえば、p55「川が町のあかりをうつして、ちらちら光ります。赤、青、緑。いろいろな色が、水の上でおどります」とか、p58「ふと、空を見あげると、ちょうど森の上のあたりに、月がのぼりかけていました。まるで、森からうまれるみたいに」とか。

ルパン:言いたいことをほとんど言われてしまった感じですが(笑)。テイストとしては、いい感じで読み始め、期待したのにな、と……。あと、トラのところなんですけど、トラが焼き肉をするんですよね。なんの肉なんだろうって思いました。トラがクリーニング店を利用するなら、ほかの動物も「ももやまさん」のお客さんかもしれないから、なんだか気になっちゃいました。もしかしたら「ももやまさん」のお得意さんを焼肉にしてるかも、なんて。そして、やっぱり最後ですよね。人魚はどうなっちゃうのか、心配で。しっぽを返してもらえないまま、ずっとタイヤにつかまって漂流し続けているんじゃないかしら。タイトルが『クリーニングのももやまです』なら、クリーニングのエキスパートとして、誇りを持って、クリーニング道をきわめるような話にしてほしかった。世界に行って、何するんだろうって思いました。雪だるまのセーターをももやまさんが着ちゃうのも違和感あるし、それに、p43の絵、小さい丸いものがどうやってココアを飲むんだろうと思っちゃう。腑に落ちないところがたくさんある作品でした。

アカシア:どうやって飲むかを書いてくれたらよかったんですよね。

ルパン:金と銀の丸いいものがももやまさんのうちに来たことによって、無口さんの何かが変わるのかなと思ったらそうでもない。いろんなところで消化不良。いいお話になりそうなのにもったいないです。

きゃべつ:安房さんのだとばかり思っていました。装丁も似ていましたし。でも、読んでいたら、どのお話も起承転結ではなく、起承転とちょっとで終わっている印象で、あれ? と。蜂飼さんは『うきわねこ』(ブロンズ新社)も世界が広がっていって、おもしろそうだなあと思って読んだのですが、似たような印象でした。こういう、一見ふわっとしたお話のしまい方というか、ぼやかし方って難しいとは思うんですけど、これはどうしてこうなんだろうって、最後まで本筋に関係ないところが気になったりもしました。たとえば、クリーニング屋は染めものまでするのかな? とか、虎の皮ひっぱがすってどんな感じなんだろう、とか。これが天女の羽衣だったら分かるんでしょうけど、もう少し一つ一つの素材、そして短編の連作として並べたときのバランスについて、工夫できたのではないかなと思いました。

うぐいす:ファンタジーであればあるほど、細かいところを目に見えるようにきちんと書くことが大切ですよね。状況がリアルに描かれていないと不思議の部分が信じられなくなってしまう。とらの毛皮をとったとき、どんなふうかとか。イメージだけで言われてもぴんとこないんですよね。

紙魚:蜂飼耳さんは、ずっと気になる作家の方です。平易な言葉、安定した文体で、つぎにどのような題材を扱うのか注目してきました。こうした文体を用いて、日常の先にふっと不思議なことが起こる短い物語を書く作家といえば、安房直子さん、あまんきみこさん、茂市久美子さんなどが浮かびますが、その下の世代はあまりいないんですよね。よく、角野栄子さんが「魔法はひとつ」とおっしゃっています。「魔女の宅急便」シリーズ(福音館書店)でも、魔女のキキができるのは、ほうきで空を飛べるということだけ。ただし、角野さんは、キキがほうきで空を飛べるということを読者が信じるように、細やかにリアリティを持たせています。リアリティをていねいに積み重ねていって、最後の最後のちょっとの隙間に、きらっと不思議なものがあるからこそ、そのファンタジーが生きるのだと思いますが、この『クリーニングのももやまです』は、不思議なものが多すぎるように思います。クリーニング店を舞台にすると決めたら、クリーニング屋さんの仕事を見たり調べたり、実際に仕事をしている人から話を聞いたりすれば、もっと違うものになったのでは。ももやまさんを訪ねてくるお客さん像も、きっと必然性のあるものになったと思います。それから、各章の最後に見開きの絵が入っていて、そこでは、お話が広がる余韻を抱くのですが、本来これは、文章自体が担わなければならないことなのではとも感じました。読んだあとの安心感とか幸せ感がないのは、ちょっと残念です。そういう意味では、『赤ちゃんおばけベロンカ』とは対照的ですね。

ajian:いまおっしゃった「小さな人たち」って表現がいいなと聞いていたんですけど。ぼくは、3冊読んで、これがいちばん好きだったんですね。ファンタジーっていうより、ナンセンスなんだと思ってて、意味がなくてもいいんじゃないかと。この文体とふしぎな感じがあればいいって。ただ、子どもに興味がないのかもしれないっていうのは、ほんとにそうかも知れません。詩であったり小説であったり、蜂飼さんのさまざまな表現のなかの一つとして、この作品もある、という感じなんじゃないでしょうか。

アカシア:大人向けに書けばよかったのにね。子どもが読めばひっかかっちゃう。大人は想像で補って考えられるけど。子どもの本で出していることの意味がどうなのかと思いました。才能のある方だと思うので、編集の人ももう少し意見を言って練っていけば、いいものになったんだと思います。今のままだと安房直子さんとか茂市久美子さんを読んだほうがいい、という印象になってしまいます。

プリメリア:今回、この作品が「みんなで読む本」になったので感想を楽しみにしていましたが、遅れてしまい皆様の感想が聞けずとっても残念です。昨年末、いつも行く図書館の新刊書コーナーにこの作品が置かれていたので手にして読みました。最初、挿絵から茂市久美子さんの作品かなと思っていましたが、だんだん読んでいくと茂市さんの作品とはなんだか違いがあり、著書名をみたら蜂飼さんでした。クリーニング屋さんにおじぞうさんがお客さんで来る場面はおもしろかったですが、だんだんは話がわからなくなってきて、「人魚」のところで、「こんなことをしていいのかな!」と疑問に思いました。預かった人魚のしっぽを自分のものにしちゃって、そしてお出かけ。知り合いの方に「人魚のしっぽを勝手に持ち出して出かけることはおかしくないですか」聞いたところ、「ファンタジーだからいいのよ」って返答されました。が、クリーニング屋さんが預かった商品を自分のものにすること、また勝手に持ち出すことはどうなのかなってずっと心に引っかかっていました。学校から学童に行かずにゲームセンターに行っちゃった2年生の子どもたちに、「どうして行ったの?」と聞いたところ、「行きたかったから」って。それと似ているなって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年4月の記録)


レッツとネコさん(レッツのふみだい)

ひこ・田中『レッツとネコさん』
『レッツとネコさん(レッツのふみだい)』
ひこ・田中/著 ヨシタケシンスケ/絵
そうえん社
2010.07

ajian:『レッツとネコさん』しか読んでないんですけど、なんだろな、アイデアと理屈が先にあるような感じがしましたね。絵はすごくおかしいなと思って読んでましたけど。どうもお話にはなじめませんでした。

紙魚:『レッツとネコさん』は5歳のレッツが3歳の自分を、『レッツのふみだい』は5歳のレッツが4歳の自分をふりかえるというお話。おそらく、5歳の子どもが自分の3〜4歳を検証するというのは、現実にはあり得ないと思いますが、そこを、「もしもそうだったら?」という設定にして、新しい世界を展開しています。まあ、こんなに弁が立つ5歳児はいないでしょうし、ちょっと厳密すぎるくらい理屈っぽいので、実際の子どもたちがどんなふうに読むかには興味があります。作者からは、新しい幼年童話をつくろうとした心意気が伝わってきます。よくある絵本に対するアンチテーゼでもあるのだと思います。そうそう、文中「すきなおともだち」という言い回しがよく出てきますが、ちょっと意図が伝わりにくいです。

きゃべつ:私も「すきなおともだち」という表現が気になっていて、その答えが見つかるかと思って、1巻の『レッツとねこさん』を読みました。でも、あんまり説明はなかったので、独特の表現として使われているものなのかなと。この絵がすごく好きで、レッツが1歳年下の子が鼻くそ食べているのを見て、「うえっ」という顔をしているところとか、すごくかわいいなと思いました。大人が読む分にはすごくおもしろいですよね。でも、子どもに読ませるとき、対象年齢が難しいなと思いました。5歳のレッツが過去の自分を振り返るという形をとっているけれど、過去と現在を行ったりきたりするし、小学1年生までの子どもが読んだら、ごちゃごちゃになってしまう気がしたので。

ルパン:子どもはこれを読んでおもしろいのかなあ、と思いながら読みました。レッツはどこの国の子なんでしょう? あだななのかな? 男の子なのか女の子なのかもわからなくて。笑っちゃったのは、「ようちえんではみんなことをお友だちという」という一文。そういえば、うちの文庫で、ある子どもに「〇〇ってだれ? 先生?」と聞かれたとき、「ううん、お友だちよ」と言ったら、「おれの友だちじゃないよ」って言われて爆笑したことがありました。でも、そういう解説を入れているのがなんか大人目線だなって。幼稚園児にはむしろあたりまえのことだからなんとも思わないはずでしょう? 大人が一生懸命5歳にもどって書いてるつもりであれば、うまくいっていないと思います。何もかもが大人の発想だから。大人にとってはおもしろいのかもしれませんが。『ふみだい』のほうは、踏み台にゴキブリって名前をつけるんですけど、「それをさがしているんでしょ」っていうのが、わかりませんでした。何をさがしてるんでしょうね。

紙魚:私もわからなかったです。踏み台の使い方をさがしているってことなのかしら。

ルパン:あと、下から見ると蛇口のよごれが見える、っていう場面がありますが、5歳の子供が「上から見ると見えないんだな」っていうとこまで考えるのかなあ、って思いました。

レンゲ:読み終わってまず、何歳の子が読むのかなと思いました。本の体裁からすると、ひとり読みをはじめたくらいの、5〜6歳からの子が読者だと思うのですが、その年齢の子が楽しいと思うのかなと。たとえば、きらいな友だちにかみついていたのを、ネコさんにかまれてから、やめることにしたというところ。かんだのは好きだから、かんだら好きだと思われるかもしれない、だからやめよう、というのだけれど、3歳の時にそこまで考えるというのは、かなり違和感がありました。3歳の子のすることって、もっと感覚的、直感的だと思うので。イラストの使い方はとてもよかったです。

関サバ子:これは“大人のための絵本”ならぬ、“大人のための幼年童話”だな、と感じました。前にも一度読んでいて、そのときは、「絵もかわいいし、おもしろーい」とあまり深く考えずに読んでいたんですが、今回読み直してみて、子どもがこんなふうに考えるかな? というところがたくさんありました。たとえば、『レッツとネコさん』のp44でレッツの願望として、「おならをする」とありますが、子どもはどこでも構わずおならをします。別の違和感としては、『レッツのふみだい』のほうで、お風呂に入っているお母さんがお父さんに裸を見られて「キャーッ」というのが、「夫婦なのにこの反応は何?」と不思議に思いました。しかも、わりといい感じに仲の良い夫婦というふうに読めていたので、余計に不思議でした。2冊のうちでは、『レッツのふみだい』のほうが、お話に入っていける感じはありました。レッツは目線が低いから、大人が見つけてほしくないものを見つけるところや、テーブルの下の落書きをレッツだけが知っているという設定は、クスッと笑えました。ただ、p55以降は蛇足だと感じました。これは2冊ともに感じたことですが、途中で息切れして、長く感じました。あと、お母さんが外で働いていて、お父さんが主夫か自宅勤務という設定が、ちょっと新しく感じました。

みっけ:これって3冊のシリーズで、3歳の時を振り返る「ネコさん」と4歳のときの「ふみだい」、そして最後が「おつかい」になってるんですね。最後のおつかいも、大人のおつかいに憧れて、まるでお使いになっていないお使いをするレッツの話なんだけれど。始めて読んだとき、おもしろいなあって思ったんです。だいたい5歳の子が3歳の時を思い出して、自分はお兄ちゃんなんだぞみたいな、その設定が新しいなと思ったんです。この年頃の子ってけっこうお兄ちゃん風を吹かせたがるでしょ。そういう、なんていうのかな、ああ、このくらいの子にこういうことってあるよねえ、というようなことがいろいろあって、けっこうおもしろかった。ただし、私自身は大人目線で読む傾向が強いので、はたして子どもにこの絵本を読み聞かせたらどう思うのかな、やっぱりおもしろいって思うんだろうかと、そこがわからなかったんです。基本的には子どもって過去を振り返らないでしょう? だから、誰が読むのかな、とちょっと引っかかった。ただ、書かれている一つ一つのことは、大人とのずれやなにかも含めて、けっこうおかしくておもしろく、大人としては楽しめました。

うぐいす:とてもおもしろく読みました。よくテレビCMなどに、映像は赤ちゃんだけど声は大人で、大人顔負けのせりふを言うところがおもしろいものがありますが、あれと同じだな、と思いました。レッツとお父さんお母さんのちょっとずれた会話、レッツがいろいろなことをいちいち分析して納得するところ、5歳の子なのに、大人みたいに考えて、大人みたいにしゃべるおもしろさ。カバー袖に「著者はじめての幼年童話」って書いてあるんですけど、「幼年」の主人公が出てくる童話、という意味なのかな。私は、幼年童話とは絵本を卒業して一人で読めるようになったばかりの子どもにふさわしいもの、ととらえているんですけど、内容もさることながら、文章そのものも読みやすく、わかりやすくないといけないと思うんですよ。主語と述語がきちんとあって、過去になったり、仮定法になったりしない文章でいかないと意味がとらえられないと思います。
例えばネコさんのp16「手もつかって四本ではしるからはやいのかなとおもって、レッツもおなじように手をゆかについてはしってみたけれど、いつもよりおそくなった」こういった文章は、わかりにくいと思うんですね。誰が何をしたというのがすっとわかる文章というのかな。そういのを使わないと、その時期にはむずかしいと思っています。それからこの本はパラパラとめくっただけですぐわかるように、カタカナがたくさんありますね。ニンゲンとかミョウジとかキュウリとか、カタカナで書かなくてもいい言葉もカタカナにしている。カタカナのほうがニュアンスがおもしろいから使っていると思うんですが、カタカナを習っていない子どもには読みにくいことの一つつです。またみなさんと同じく、5歳のレッツが3歳の頃を思い出すというのは、やっぱり大人目線の考え方だなと思いました。
挿絵はとてもおもしろいし、ところどころに一部だけに色がついているのも効果的。レッツの性別がわからないのは、あえてそうしてるんだと思うんですけど、これもいいなと思いました。こんなふうにページ数の少ない絵物語が3冊あると、一人読みを始めたばかりの子どもにちょうどいいと思って買ってしまいそうだけど、3年生くらいが読んだらいちばんおもしろいだろうに、と思いました。

アカシア:でも、著者はきっと幼児が読める童話が書きたかったんじゃないでしょうか。

ハコベ:これは幼年童話のYAだと思いました。幼年童話って、自分のまわりでつぎつぎにできごとが起こっていくというものが多いけれど、YAは自分がどう考えたか、どう感じたかを丹念にたどっていくものが多いと思うんですね。そういうYAっぽい手法を幼年童話でやってみたというところが新しいし、おもしろいなと思いました。たしかに5歳の子どもはこんな風に考えたり、理屈をこねたりしないと思うのですが、小学校の3〜4年生くらいになると、とつじょ自我にめざめたり、自分の心の中をふりかえって辿ってみたりすることがあると思うんですね。わたしにもそういう体験があって、今でもはっきりと記憶に残っています。そういう年齢の子どもたちは、おもしろいと思うんじゃないかしら。でも、こういう幼年童話の形で書いたら、3〜4年の子どもたちは読まないかもしれないし……。

アカシア:私も3年生くらいが読むんだったら、こういう視点でもいいと思うんですけど、3年生は、こういう出だしだったら読まないんですね。やっぱり読者対象と書いてる視点のずれが大きい。3年生対象なら、もっと違う文章で書いたほうがいいかもしれません。引っかかったところがいっぱいありました。幼年童話で安全じゃないのを書きたいっていうのもわかるんだけど、この年齢だと安心できるものっていうのも大切なんじゃないかな。そうじゃないと冒険に出ていけないっていうこともあると思います。

プリメリア:子どもたちの日常的なかわいいしぐさがよく書かれていておもしろいなって思いました。「キュウリ」が「キウイ」に聞こえるって、そうなのかなって思ったり。お母さんの歌にピンクレディの歌「渚のシンドバッド」が出てきますが、今の子はAKB48の歌はわかっても、この歌はぜんぜんわかんないだろうな。子どもの姿じゃなくて、大人の視線から見た子ども像が書かれている作品のように読みました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年4月の記録)


赤ちゃんおばけベロンカ

クリスティーネ・ネストリンガー『赤ちゃんおばけベロンカ』
『赤ちゃんおばけベロンカ』
クリスティーネ・ネストリンガー/作 若松宣子/訳 
偕成社
2011.08

関サバ子:絵がかわいい、見返しもすてきというのが最初の印象です。お話全体は、お兄ちゃんが妹にコンプレックスを持っていて……というのは、かわいくていいなと感じました。絵と文章がちゃんと両輪になっている安定感がありますね。ただ、ヨッシーという名前が気になってしまいました。日本では、「よし」がつく名前の方の愛称として「ヨッシー」があります。なので、ヨッシーと出てくると日本に、ミッツィーと出てくると海外に、と頭の中が忙しく切り替わる感じがあって……。最初の、新しい言葉の発明が、不作法な言葉をくっつけたものというのがよくわかりませんでした。これがわかるともっとおもしろいのに! と感じました。ベロンカのキャラクターがまたおもしろくて、都合が悪くなると赤ちゃんぶって、ごはんはクモの巣、しかもホコリ付きだとなおよい、というのは笑ってしまいました。ラストは、あっけなくあっちの世界に行ってしまうのか、とさみしくなりましたが、p103のお母さんとベロンカが頬を寄せ合っている絵がとてもよくて、唐突ではあるけれど、はしごをはずされる感覚なしに、あったかい気持ちで読み終えることができました。楽しかったです。

みっけ:このお兄ちゃんのヨッシーとミッツィーって、別に仲が悪いわけじゃないんですよね。兄妹には、自分にはない長所を相手に見てうらやましくなるというシチュエーションがよくあって、それがそもそもの始まりになっている。お兄ちゃんがそれを何とかしたいと思ってアクションを起こし、赤ちゃんお化けを作るんだけれど、できちゃった赤ちゃんベロンカがまったく自分の思ったとおりにならないっていうところがまたいいなあ、と思いました。赤ちゃんベロンカの、図々しかったり、泣き虫だったりするあたりも、いかにも赤ちゃんらしくて納得できるし。そこから物語が転がっていって、最初はヨッシーがただうらやましいと思っていたミッツィーの怖いもの知らずなところが、二人にとってちゃんとプラスになり、かと思うと大きいベロンカに命をふきこむところでミッツィーにわざわざ「やりたい?」って尋ねてあげるヨッシーの優しさとか、お互いのいいところがいい形で絡んで、兄妹の関係が変わっていくというか、ふたりが関係を再発見する。そして最後に、ミッツィーがヨッシーに抱きついて、「おにいちゃんのベッドでいっしょに寝ていい?」と尋ねるんだから、これは読んでいてとても気持ちがよかったです。兄妹という名前の一幅の絵が完成した,という感じかな。あと、できちゃったお化けが赤ちゃんだったので、お母さんが必要だというあたりも、とても納得できると思いました。

うぐいす:とてもよくできた本で、好きでした。子どもは、赤ちゃんが出てくる話は大好きで、もちろんおばけの出てくる話も大好きです。大人に内緒で何かする、子どもだけでものをつくるっていうのも、楽しい要素。子ども読者を楽しませることがたくさんつまっていますね。しかも細かいことをきちんと書いているので、嘘っぱちなことなんだけれども、本当と信じられるところが、うまいなって思いました。兄弟の性格付けも、ベロンカの様子もよくわかるし。
秘密の友だちって最後に別れるところがつらいんだけど、子どもにとって最高に安心できる「お母さん」をつくってあげるっていうところは、読者としても納得できると思います。p97でベロンカがとびはねていたのにすぐに眠りこんでしまったのを見て、ミッツィが「赤ちゃんってそんなものだよ」っていうところとか、ところどころくすっと笑えるところがあって、ユーモアを感じました。不作法な言葉ばらばらにしてつくった「バーベロンベロンカ!」というのは、私は「ベロンベロン、バーカ」だなと思って読みました。見返しにベロンかの作り方が細かく書いてあるところも、楽しい部分ですね。

ハコベ:とてもおもしろくて、よくできている作品だと思いました。こういう本こそ、子どもたちが読みおわったときにフウッと満足の息をついて、またつぎの本に手を伸ばすんじゃないかしら。ベロンカのおかげで、お兄ちゃんと妹の関係が変わっていくところとか、赤ちゃんおばけにお母さんを作ろうといいだしたのがプラクティカルな性格の妹だったところとか……。この作品でいちばん大変なところは、自分が作った人形が命を得るという個所だと思うのですが、不自然さを感じさせずにすんなりと入っていけるところが、さすがネストリンガーだなと思いました。お母さんおばけの人形は、目も片方が大きかったり、なんだか変てこですけれど、すてきな、すばらしいお母さんじゃなくても赤ちゃんがなついていくというところなど、なかなかいいですね。「ふうがわりな」人形という訳も、うまいなと思いました。

アカシア:私もとてもおもしろく読みました。絵も、この子たちの生活が思いうかぶので、いいですね。作り方にしても、子どもに話しかけるように、「いろいろなマニキュア、マニキュアがなければまじっく」ってていねい。一つひっかかったんですけど、p23の4行目「生きるってつかれるなあ」って、「生きてるってつかれるなあ」てしたほうがよくないですか。「バーベロンベロンカ」は、「バカ」が入っているのはわかったけど、ベロンベロンはわからなかった。おばあちゃんも存在感がありますね。

プルメリア:3冊目でこれを読んだんですけど、ほっとしました。子どもたちはおばけが大好きです。自分が作ったおばけが動き出す、大人にかくれて秘密をもつ、わくわく感が伝わる作品だと思います。ベロンカにはたくさんのかわいさがありますが、p55のベロンカの言葉「ふとったクモはとってもおいしそうだけど、クモをたべたら、すがなくなっちゃうもんね。ごはんをつくってくれるのに、たべたりしないよ」もいいなと思いました。ベロンカにクッションを置いてやるヨッシーのしぐさもかわいいです。ベロンカを作る時とお母さんを作る時の窓辺に必ずハトがいる挿絵も印象的でした。

紙魚:クモのちっちゃなイラストも、あちこちに登場しますよね。

プルメリア:ベロンカもかわいいですが全体の絵もすごくいいです。おばあちゃんがちょっと若いけど。読みやすくとってもいい本だなって思いました。

ajian:安心感がありますよね。よくできてて。こういう話のフォーマットを利用したものって他にもいくらでもあって、世代的にETみたいだなとも思いましたが、やっぱりディティールに使われているアイディアがおもしろい。幽霊の赤ちゃんがクモの巣を食べるとか。それから、絵の遊びのことを皆さんも指摘されてましたけど、僕も一つだけ。p105の絵にもクモが登場しますが、よく見るとクモの糸でEndeって書いてあります。

紙魚:おばけは、子どもたちがみんな大好きな登場人物ですが、さらにそのおばけが気弱で泣き虫だというだけでも、読者は大喜びしそうです。子どもの好きなものをよく知っている作家なのではと思います。この物語からは、親に隠れて秘密を持つことのドキドキ感や自立心も伝わってきます。でも、実際のところ、p46でパパが説明してママが納得し、p58でもまたパパが説明してママが納得するということが書かれています。この家の親は、きっと子どもたちがやっていることを知らないふりして、すべてを知っているんですよね。親の描き方、大人の描き方で、作者の立ち位置があらわれるように思います。最後の最後で、たくさんの心の動きが安心感、幸せ感に変わる物語でした。今回の3冊は、比較がしやすくて選書が絶妙でしたが、いちばん楽しくていちばん安心していちばん栄養になったように思うのは、この『赤ちゃんおばけベロンカ』です。

きゃべつ:すごく楽しくて、ていねいに作られている本だと思いました。見返しに工夫がされているのって、すごく贅沢だし、子ども好きですよね。ここからわくわくします。実際読んでみて、弟とか妹が生まれて、お母さんがそちらにかかりきりでちょっぴりさびしい、なんて子にぜひ読んでもらいたいと思いました。この本では赤ちゃんが、本当に赤ちゃんで、お母さんという存在が必要なんだと、強く主張されているので、主人公と同じく、「しようがないなあ」って言いながら、かわいい赤ちゃんにお母さんをゆずる気持ちになってくれそうです。お母さんベロンカは生まれたときからお母さんで、赤ちゃんベロンカを見たなり、抱きあげて、ほおずりして、まるごと「母性」という存在ですよね。こういうあたたかな存在が描かれているのが、とてもよいと思いました。

ルパン:私は、実は3作品の中ではこれがいちばん印象が薄かったです。印象に残らなかったのは、よくできていたからなのかな。とってもスタンダードな安心感はありましたが、テイストとしては『ももやまさん』のほうが好きでした。期待外れで残念でしたけど。この作品でおもしろかったのは、「ひどいおばあちゃん」。もとの言葉は何なんでしょう。このおばあちゃんが一番強烈でした。

レンゲ:私はこの表紙を見たとき、そんなに「かわいい」とは思わなくて、最初入りこむのにちょっと手間取りました。作り方のところで、「たすきがけ」は、前はばってんにならないのにとひっかかったり。でも、とても緻密に構成されているお話だと思いました。書き方も、細かすぎもせず、かといって大事なことはきちんとおさえてあって、ちょうどいい。こわがりのお兄ちゃんと、しっかりものの妹の関係の描き方がよかったです。

うぐいす:半年後にママがパパの冬ふとんがみあたらない、と探す様子が書いてあるのもいいですね。放りっぱなしにしないできちんと落ちをつけている。

アカシア:ほつれた糸を残しておかないっていうのか。

関サバ子:見返しも化粧扉も4色で、1200円に抑えているのはすごいですね。意味のある4色の使い方で、勉強になります。編集者の方の力量を感じます。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年4月の記録)


2012年04月 テーマ:幼年童話

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『2012年04月 テーマ:幼年童話』

 

日付 2012年04月19日
参加者 うぐいす、関サバ子、紙魚、ajian、みっけ、レンゲ、ルパン、きゃべつ、プルメリア、アカシア
テーマ 幼年童話

読んだ本:

蜂飼耳『クリーニングのももやまです』
『クリーニングのももやまです』
蜂飼耳/著 菊池恭子/絵
理論社
2011.11

版元語録:川のほとりにたつももやまさんのクリーニング店。どんなおきゃくさんの、どんなものでも、心をこめて、ていねいに仕上げます。ところがある日…。
ひこ・田中『レッツとネコさん』
『レッツとネコさん(レッツのふみだい)』
ひこ・田中/著 ヨシタケシンスケ/絵
そうえん社
2010.07

版元語録:レッツは5さい。5さいのレッツが、3さいのころを思い出す。それは、むかしむかし、おーむかし。ひこ・田中、初めての幼年童話。
クリスティーネ・ネストリンガー『赤ちゃんおばけベロンカ』
『赤ちゃんおばけベロンカ』
原題:DIE SACHE MIT DEM GRuSELWUSEL by Christine Nöstlinger & Franziska Biermann, 2009
クリスティーネ・ネストリンガー/作 若松宣子/訳 
偕成社
2011.08

版元語録:こわがりやの男の子ヨッシーが妹のミッツィをこわがらせようと作ったおばけの人形。それがひょんなことから突然動き出して……。

(さらに…)

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2012年03月 テーマ:旅

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『2012年03月 テーマ:旅』

 

日付 2012年03月29日
参加者 ハリネズミ、プルメリア、ウグイス、レンゲ、ハコベ、トム、ダンテス、大福、ajian、メリーさん、きゃべつ
テーマ

読んだ本:

時雨沢恵一『キノの旅』
『キノの旅(1) the Beautiful World』
時雨沢恵一/著 黒星紅白/挿絵
アスキー・メディアワークス(角川つばさ文庫)
2011.07

版元語録:『世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい』--短編小説で綴られる、人間キノと言葉を話す二輪車エルメスの旅の話。シリーズ累計700万部の人気作品「キノの旅」が角川つばさ文庫版で遂に登場。
ローズマリー・サトクリフ『ほこりまみれの兄弟』
『ほこりまみれの兄弟』
原題:BROTHER DUSTY-FEET by Rosemary Sutcliff, 1952
ローズマリー・サトクリフ/著 乾侑美子/訳
評論社
2010.08

版元語録:孤児の少年ヒューは、意地悪なおばさんの家を逃げ出した。お供は愛犬のアルゴスと鉢植え。めざすは学問の都オクスフォード。でも、途中で芸人一座と出会い…。
マシュー・カービー『クロックワークスリー』
『クロックワークスリー〜マコーリー公園の秘密と三つの宝物』
原題:THE CLOCKWORK THREE by Matthew Kirby, 2010
マシュー・カービー/著 石崎洋司/訳
講談社
2011.12

版元語録:不思議な音色を奏でる緑のバイオリン、機械仕掛けで動くふしぎなものたち、そして、隠された財宝―。さあ、三人の子どもたちの大冒険がはじまります。

(さらに…)

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キノの旅(1) the Beautiful World

時雨沢恵一『キノの旅』
『キノの旅(1) the Beautiful World』
時雨沢恵一/著 黒星紅白/挿絵
アスキー・メディアワークス(角川つばさ文庫)
2011.07

ajian:1、2話読んで、あまりおもしろくなかったので、全部きちんと読めなかったですね。銀河鉄道999を思い出したけれど、もっと軽いというか、平板というか……。普通は、物語を物語ることで、何か伝わるものがあると思うのですが、これは何を伝えようとしているのか、よくわからなかったですね。こういう場所に行って、これこれこういうことがありました、という連続で。設定やアイデアだけがあって、肝心の中身がないように感じられました。

メリーさん:ライトノベルは時々読みますが、タイトルは知っているけれど手に取っていなかった1冊でした。これは、いわゆる大人向けの寓話ですよね。言葉遣いも、ある一定の年齢層に向けて書かれているので、この児童文庫の読者にはわからないものが多いのではないかと思いました。ただルビをふればいいのかというと、それは違う気が……。こういう物語は、主人公のキャラクターが好きか嫌いか、設定に入り込めるかどうか、ということで読み進めるものだと思うので、文学的にいいとか悪いという話とはまた別だと思います。人とバイクというアイデアはとてもおもしろいと思いましたが、キャラクターにはそれほど魅力を感じませんでした。

大福:少年漫画のような読みやすさと、戦えるカッコいい主人公、個性的で便利な相方エルメス。黒星さんという絵師さんは、機械をうまく描くことで定評があり、女性にも人気があります。作品とも合っていると思いました。このシリーズは、私が中学・高校生くらいの時に流行りました。かなり短い短編なので通学の時間に一話が読めたりと、量もちょうどよかったです。キノとエルメスがいろいろな国の人と関わって、いろいろな価値観を見せてくれるので、自分も少し哲学した気になれますし、自分がこの国に行ってキノの立場になったらどうするだろうと考えることがとても楽しかったことを思い出しました。電撃文庫にあった第4話「コロシアム」は、角川つばさ文庫版には入っておらず、そのかわりに「偉人の国」という短編が入っています。「コロシアム」では「殺せ殺せ」という大合唱や、キノが王様を銃で打ち抜く生々しい描写があるので、子どもにショックを与えないためなのかなと思いました。

トム:中高生に人気の本と聞きましたが……。人の痛みが分かる国、多数決の国、大人の国、平和の国などと、ひとつひとつの章に大きな主題がストレートに出ているけれど、なにか読後はすっきりしません。現実の皮を剥ごうとしているのかも知れないけれど、展開が一方的だし、読者に対して乱暴な気がします。戦争についてもこんなに簡単に書いておしまいにしてよいのかと思います。大国への批判は充分わかりますが……。全体を通して乾いて暗い感じですが、その暗さの質が気になります。

ハコベ:『星の王子さま』や『ガリヴァー旅行記』のような話ですが、どこがおもしろいのか、なぜ読まれているのか、さっぱりわかりませんでした。学校図書館(中学、高校)の司書の方にうかがったら、主人公が女の子っぽくなくて(イラストも含めて)、自分の目の前で起こる出来事に感情移入せず、いつも距離を置いてさめた姿勢でいるのがクールでかっこいいというので、読書力のある子にも無い子にもよく読まれているとのこと。世の中の出来事に真摯に立ち向かっていく姿を滑稽だとか、ウザいと感じる風潮と、どこかでつながっているのかもしれません。パラパラめくって軽く読む本なのでしょうが、それならもっとおもしろい本があるのにと思ってしまいます。

レンゲ:10年くらい前に中学校の図書室のボランティアをしていたとき、よく借り出されていた本です。今回初めて読んだのですが、私はつまらなかったです。大人になりたくない、大人になることに希望を持っていない子どもが、子どもに書いた本という印象で、そのニヒリズムがいやでした。投げやりという言葉にも通じますが、希望のないところが。
『ほこりまみれの兄弟』では、旅を通して主人公が成長していくけれど、これはひとつの旅が終わっても、前と同じで主人公は変わらない。なぜ突然攻撃的になるのかも理解できなくて、本と対話できませんでした。こういう世界はゲームでもたくさんあるし、別に本で示してやらなくてもいいのでは? つばさ文庫は小学校中学年からだそうですが、ただでさえ忙しい今の子どもに、わざわざこの本を手渡そうとは思いませんね。

ハリネズミ:ちょっと時間がなくて、まだ半分しか読んでいません。でも、机の上に置いておいたら、まわりの若い人たちがすぐに反応するので、人気がある本だということはすぐわかりました。学校という空間を息苦しいと思っている若い人たちが通学途中で読むには、いいのかもしれませんね。文学としては舞台設定もあいまいだし、情景描写もたいそう貧弱ですが、プロットだけはなかなかおもしろい。そういう意味では、今のライトノベルの典型かもしれませんね。角川つばさ文庫で読んだのですが、新たに書いたという4話だけが、ほかと違って、ですます調になっているのが気になりました。同じ注がどの話にも入っているのもわずらわしいと思いましたが、これはどこから読んでもいいという作者のメッセージなんでしょうか?

プルメリア:小学4〜5年の女の子たちが読んでいました。読んでいる子どもに「この本、みんなが読んでいるけれど、どこがおもしろいの?」と聞いたところ「キノが女の子っぽくないところが好き、それにどこからでも読めるし」と言っていました。今回読んでみたところ、女の子が手に取る表紙や挿絵だと思いました。どの章からでも読めることや各章の表紙がまとめて最初にある本作りは面白いと思いました。

きゃべつ:私も中学生のころに読みました。とても流行していて、この人の他の作品も読んだことがあります。クールで、世間を斜めに見ている「僕っ娘」のキノは、自意識を持て余している思春期の子にとても刺さるキャラクターなのだと思います。児童書で「旅」がテーマになる場合、そこには成長や目的があるけれど、『キノの旅』にはそれがなく、サザエさんのようにキャラクターは据え置かれて、旅という手段によって舞台のほうがくるくると変わっていく印象でした。さまざまな国が出てきますが、原作の電撃文庫でおそらく一番人気があり、もっとも『キノの旅』らしい「コロシアム」が角川つばさ文庫では収録されていません。代わりに入っていたのは、ですます調のお話で、ライトノベルをそのまま児童文庫に持ち込むことの揺らぎを感じました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年3月の記録)


ほこりまみれの兄弟

ローズマリー・サトクリフ『ほこりまみれの兄弟』
『ほこりまみれの兄弟』
ローズマリー・サトクリフ/著 乾侑美子/訳
評論社
2010.08

プルメリア:おもしろかったです。主人公ヒューがやさしく素直で、前向きの寄り添いたくなるかわいい子です。季節ごとに移り変わるイギリスの自然描写やその土地で生活している人々の暮らしの様子がよく描かれているなと思いました。お祭りを楽しんでいる様子も描かれているので一緒に楽しむことができました。主人公と関わっている旅芝居の人たちとの小さな社会があたたかくてよかったです。貧しい中にも人々の優しさが入っていてよい本だなと思いました。サトクリフの書いた作品は何点か読みましたが、この本からは、今まで読んだサトクリフ作品とは違う一面を知りました。p64に聖ジョージと竜が戦う場面がありますが、聖ジョージの味方をして大声をあげる者もいれば、竜がいちばん好きだからと竜に声援を送る者もいる、そんな見物衆の熱のこもった会場の盛り上がりが聞こえそうな気がしました。

ウグイス:これはもう20世紀の児童文学の王道といった作品ですね。主人公が、父親も母親もいない、逆境にある、犬が好き、という出だしからもう読者の心をぐっとつかみます。逆境からたったひとりで逃げ出し、目標に向かって進む。行く手には困難もあるのだけれど優しい気持ちを持った大人たちに助けられて生きていく。きっと幸せをつかむという安心感があります。サトクリフの作品はどれもそうですが、どんな時代の主人公であっても、読者がぴったりと心を寄せて一緒に歩いて行けるんですね。一体この著者は何を書きたいのか、という疑問を持たずに読めるというか、安定感がありますよね。旅芸人たちも魅力的に描かれているし、ツルニチニチソウの鉢が小道具としてうまく使われています。文体はこの年代の読者向けの物語にはめずらしく敬体で書かれていますが、「ていねいに書かれている」感じが増していますね。しかしこのタイトルと装丁はどうなんでしょう。子どもたちがおもしろそう、と手を伸ばすとは思えません。私も兄弟の話だと思ったし、ほこりまみれの兄弟なんてあまり魅力を感じないし。『クロックワークスリー』のほうがずっと魅力的に思えました。そこが残念でした。

きゃべつ:冒頭で、ツルニチニチソウの鉢植えを唯一持って出ていくところが、つつましやかでとても好きです。夢か現か、というぎりぎりのラインでファンタジーを織り交ぜていて、それがとても上手でした。物語の途中、牧神(パン)についてやけに印象的に語らせるなあと思ったのですが、途中で会った笛吹き、そして最後にアルゴスを助けた人物が、よいひとたちのひとりであり、牧神(パン)なのですかね。言い切らないことで、かえって余韻が残り、印象的でした。

メリーさん:『クロックワークスリー』が映画のような話だとすれば、この『ほこりまみれの兄弟』は1枚の絵画のような物語でした。最後まで読むと、それまでのエピソードがすべてつながり、パズルのピースが完成するような感じがしました。どのエピソードも印象的ですが、主人公のヒューのそばには、いつでも旅芸人のジョナサンがいて、やさしく見守ってくれている。大人と子供の信頼関係がきちんと描かれているのがいいなと思いました。最後の場面、ヒューが旅の一座を離れ、オクスフォードに行くことを決めたところ、家の外から自分を最も大切にしてくれた旅の一座の奏でる音楽が聞こえてくる。ヒューはそれを耳にしながらも、決して見に行こうとしない。そして、だんだんとその音が遠ざかっていく…自分を育ててくれた人たちに、心の中で感謝しながら別れを告げる場面は本当にいいなと思いました。

大福:いろいろな植物が出てきて、自然味豊かな描写と犬の生き生きとした描写が好きです。『運命の騎士』(サトクリフ、岩波少年文庫)の方がもっと話が濃く、風俗や習慣なども味わえて展開も早く、ドキドキハラハラした印象がありました。読んでいる間も読み終わった後も、なぜかぼんやりとしてあまり心に残らなかったのですが、なぜかと考えたときに、語り口やヒューの描写が愛情あふれた書き方で、いつも守られたり、フォローされているように感じたことが理由かなと思いました。この物語はこの少年にあまり悪いことが起きないようにできているのかなと思わせてしまうところや、少年の思い通りになることが多かったので、ドキドキハラハラがあまり感じられなかったのかもしれません。ただ、虐待から逃げ出すのはひとつの選択肢としてあるということを子どもたちが知っておくのはよいのではないかと思いました。

ダンテス:『クロックワークスリー』と比べると、ある意味イギリスの時代小説というとらえ方でいいのでしょうか。ウォルター・ローリーなど、イギリスの歴史をうまく取り入れてイギリスの子どもたちに時代がわかるように書かれています。こちらはエリザベス女王の年代や、シュークスピアの生没年も調べました。また自然描写がうまいです。訳もうまいですね。ストーリーの展開としては不安がありません。旅芸人に救われて最終的にそこからステップアップするよう救う人も出てくる。一方、お世話になった旅芸人たちとの別れの葛藤もあって、まことによりよい人生の展開があり、よい終わり方をしています。ただ、本の題名がわかりづらいですね。定住しない人たちをほこりまみれの足と言っていたと文中にありましたが。

トム:『クロックワークスリー』と比べると、物語のなかの時間がゆっくりと自然の流れに沿っている感じがします。動くことが不自由だったサトクリフを思うと、その想像力はほんとうにすごい! 読みながらイングランドの地図を辿るのもとても楽しかった! サトクリフはヒューのように歩いて旅をしたかったのかもしれないですね……。人の痛みがわかる人たちのヒューへの心遣いがあたたかくて心に沁みます。旅先の村で芝居をふれ歩いて村人を集める姿や、芝居小屋の裏の様子とか、日本と共通することがあると思うとまた違うおもしろさがでてきます。さらし台も昔、日本の村で掟を破った人に似たようなことをしたとどこかで読んだ気がしますが……。物語の中に芝居が入っていたり、物語の中にジョナサンの語る物語が入っていたり仕掛けがたくさん埋め込まれている! ダンテスさんがおっしゃったように歴史も埋め込まれているのですね。サトクリフはこの物語の中にいろいろな種を埋め込んでいるのかもしれないと思いました。具体的に書かれたたくさんの花も辿ればまた何か見えるかも。ただ、p7の「ニオイアラセイトウの花のような茶色い目」は目の色?形? 最後にヒューは、深く悩みますが、私だったら旅芸人について行ったかも……。この物語を読んだ学生の人たちはどう思うかちょっと聞いてみたいです。

ハコベ:みなさんがおっしゃるように、本当に安心して読める、すばらしいイギリスの児童文学だと思います。主人公がいろいろな事件に遭遇しても最後には幸せになるんだろうなと思いながら読める、よくいう幸福の約束を作者がしてくれている。現代の作家が書けば、最後は旅芸人についていくという結末になるかもしれないなとも思いました。敬体で訳してあるので初めはちょっと読みにくいと思いましたが、すぐに気にならなくなり、ぐいぐいとストーリーに引き込まれていきました。イングランド南部の自然を美しい言葉で綴ってあり、訳者が心をこめてていねいに訳していますね。乾侑美子さんが亡くなる直前まで力を尽くして仕上げられた作品で、本当にすばらしい仕事を遺していかれたと胸を打たれました。

レンゲ:物語がとてもおもしろかったです。16世紀の世の中はこういった感じだったのかなと思いながら読みました。オクスフォードに行くのか、旅芸人たちといっしょにいるのか、最後に主人公が迷って選ぶところがとてもいいなと思いました。微妙な心の動きや情景など、普段は言葉で表さないようなことが端々で表現されていて、読むと逆に人間の感情や自然の豊かさを再認識させられるようでした。でも、こういう本はお行儀がよさそうで子どもに敬遠されそう。手渡そうとしないと、なかなか手渡せない本ですね。
翻訳はとても読みやすかったですが、p221の「インド諸島」は正しくは「インディアス」です。でもこれは、p222に「イギリス女王のインド諸島」というのが出てくるので仕方がないのかもしれません。また、p222ジの「スペイン王フィリップ」は「スペイン語フェリーペ」とすべきところでした。

ハリネズミ:出版されてすぐに読んで、とても好きになり、書評も書いたのですが、もう一度読み直す時間がありませんでした。なので、細部は忘れてしまっているのですが、読後の満足感が大きかったのは覚えています。サトクリフは体が不自由であまり外には出られなかったと思うのですが、旅芸人の人たちが野宿をしたときのことや、まわりの自然など、ここまでリアルに書けるのは本当にすごいと思います。戦闘場面なども荒々しく書いたほかの作品と比べると、いざこざやもめ事はあるものの、やさしい作品ですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年3月の記録)


クロックワークスリー〜マコーリー公園の秘密と三つの宝物

マシュー・カービー『クロックワークスリー』
『クロックワークスリー〜マコーリー公園の秘密と三つの宝物』
マシュー・カービー/著 石崎洋司/訳
講談社
2011.12

ダンテス:かなり分量があって読むのは大変かなと思いましたが、けっこう楽に読めました。ストーリー的には『マルベリーボーイズ』(ドナ・ジョー・ナポリ著 相山夏奏訳 偕成社)と似ていますか。現実にこれに近いような話があったのでしょうね。最後、ボディガードが親方を殺すところには驚きました。そういう解決に持っていくのかと。ここはかなり意外でした。細かく詮索してここは変じゃない?と思う所はないわけではありませんが、お話として読めばおもしろかったですね。

トム:物語の世界へ引き込む力がとても強い。次々変わる場面も見えるようだし、食事の匂い、バイオリンの音色、地下室のカビ臭さなども感じられて、細部のリアルさが全体を支えている気がしました。

ハコベ:厚いので「うわっ!」と思いましたが、おもしろくて一気に読んでしまいました。お互いに知らなかった3人の主人公が結ばれていくところもうまくできていると思いました。ダンテスさんのおっしゃるように『マルベリーボーイズ』と時代背景が似ていて、同じ時代と場所の物語をもっと読んでみたいと思いました。ただ、ロボットまがいの代物が出てくるあたりから「こんなのあり?」という感じで、波乱万丈を通りすぎてハチャメチャになっているような。なにやら訳の分からない粘土や、お金持ちのご婦人を追っている「敵」の正体も明かされないまま終わるのは、どうなんでしょうね?

ハリネズミ:3人の物語がだんだんからみあって一つになっていくところや、謎を解明しているところや、アリスの存在など、おもしろいところもあったのですが、「これでいいのか?」と疑問に思ったところもかなりありました。一つは子どもの盗みです。ハンナはポメロイ夫人のダイヤのネックレスを盗むし、博物館にしのびこんでゴーレムの一部である粘土のかたまりを持ってきてしまいます。フレデリックも、博物館から銅製のマグヌスの頭を盗む。仕方なく盗んでしまったのはしょうがないとしても、盗んだ後の著者の処理が腑に落ちなかったんです。p369では、ハンナの独白で「ポメロイ夫人は、ミス・ウールとグルンホルトさんの味方をして、ハンナを裏切った。(中略)もちろん、父親のためなら、何度だってやるだろう」と言わせているし、p453では「おまえはポメロイ夫人のネックレスを盗んだが、おかれた状況を考えれば、それも無理からぬこと」と、トゥワインさんに言わせている。目的さえよければ盗んでもいい、というメッセージが伝わってきますが、著者は意図的にそうしているんでしょうか? またハンナはゴーレムのかけらをポメロイ夫人にプレゼントしてしまうし、フレデリックの盗みに関しても、博物館の管理人が悪いやつだったからということですませている。盗んだことの結果を、子どもはまったく引き受けていないわけです。また、社会の底辺にいる3人が力をあわせて希望をつかむという流れですが、最後は結局お金持ちのポメロイ夫人が幸運を授けてしまう、というのも残念だし、トゥワインが子どもたちと取引をするところもあまりにも単純で、子どもだましの感があります。私は、訳者あとがきに書かれているほどすばらしい本だとは思えませんでした。この著者の次の作品がむしろ楽しみです。

プルメリア:長編は好きな方なので楽しみながら読みました。各章にある目次のカットが内容を表していてわかりやすかったです。ハンナがネックレスを盗む、ジュゼッペが緑のバイオリンを盗まれる、フレデリックが嘘をつきながらお母さんを探すところ場面など、ドキドキハラハラすることが多かったです。ただ、ハンナのお父さんが元気になる場面は展開が早すぎるように思いました。からくり人形がしゃべるのはびっくり、また、マグヌスの頭が話した言葉がドイツ語でしたが、それが英語になるのも不思議でした。おもしろかったものの、ファンタジーの世界にはちょっと入り込めませんでした。3人の登場人物に興味をもって読み出すと、長いけれど読める作品だと思います。

ウグイス:まず見た目が魅力的でおもしろそうな本だなと思いました。3人の子どもたちが出てきますが、先ほどプルメリアさんもおっしゃったように、各章のはじめに子どものイラストが入っているのはわかりやすくてよい工夫ですね。途中で訳者あとがきを読んだら「飽きるどころかどんどん引き込まれて」と書いてありましたが、それほど引き込まれる感じはしなかったです。19世紀末のアメリカ東部が舞台と書いてありましたが、それらしいにおいはあまり感じられず、架空の世界の話のようでした。

きゃべつ:帯に、日本の児童文学は内面の描くことに重きを置いている作品が多いけれども、純粋に読んでいておもしろい作品も必要だ、というような主旨のことが書かれていて、なるほど、と思いました。おもしろくて夢中になって読んだのですが、瀕死のお父さんがいるのに、助けるために現実的な手段を選ばず、伝説のお宝を探しに行くところなど、展開に無理があるところが少々気になりました。ゴーレムなども本当に必要だったのかな、と。ファンタジーの要素をもっと減らしても、充分に楽しめる作品だったかと思います。

ajian:ディケンズのようだという触れ込みで、期待して読んだのですが、後半がやはりぐずぐずでした。前半は魔法のバイオリンをひく場面や、ハンナがオペラに行くためにドレスアップするところなど、印象的な場面がたくさんあって、好きな作品だったのですが。後半の自動人形が動き出すくだりは、いらない気がしますよね。動き出して、暴れて、壊れて終わりで、何だったんだろうという。前半のせっかくのおもしろい風呂敷を後半にたたみ損ねた感じが、惜しいです。つまらない作品ではないのですが……。

メリーさん:とてもおもしろかったです。「黒魔女さん」の著者が訳しているということもあり、これだけの分量の物語を読ませるところ、やはり読みやすさに気をつけているなと感じました。3人がそれぞれ語る構成もいい。主人公たちがそうとは知らずに、偶然同じ場所に居合わせているところなど(読者だけが知っている)は、とてもうまいなあと思いました。前半は主人公たちが自らの運命を切り開いていく姿がとてもいいのですが、後半は彼らの実力と超能力の境界があいまいで、ちょっと残念でした。オートマタなどは、そこまで超能力を持たせずに、からくり人形のままでよかったのでは。キャラクターも立っているし、バックグラウンドとしての時代や街の様子をきちんと描いているので、ファンタジーにしてしまわずに、きちんとした歴史冒険物にしたほうがよかったのではないかと思いました。タイトルは、「機械じかけの〜」というような意味だと思いますが、原題そのままだと、読者にはちょっと意味がわかりにくいかなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年3月の記録)


ミムス〜宮廷道化師

リリ・タール『ミムス』
『ミムス〜宮廷道化師』
リリ・タール/著 木本栄/訳
小峰書店
2009.12

タビラコ:途中までしか読んでいないのですが、とてもおもしろかった。家へ帰ってから、絶対に続きを読みます。虐げられていながら、ある意味で宮廷の誰よりも自由であるという道化師の存在そのものが魅力的ですね。ただ、ひとつ不満をいうと、登場人物が多くて名前が分かりにくいのに、登場人物紹介がなかったこと。途中で「誰だっけ?」と何度も前のほうを読みなおさなければならなかったので……。

トム:物語の始まりでたくさんの人物・王国・関係性に混乱してきたので、新しく人が登場したら、ページに付箋添付作戦で行きつ戻りつして、やっとクリア! 物語の舞台になる城や森などの地図が本のどこかにあったらいいのに! べリンガー城の内部などもふくめ自分で想像して描く楽しさを残しておくということもあるけれど...あれこれ考えていると芝居にしたこの物語も観てみたいと思いました。皆から慕われるモンフィール王フィリップのなかにもひそむ弱さ、敵意に満ち残酷極まりない王テオドではあるけれど家族にみせる情、父を救おうと行動するフロリーン王子の、どこかに残る頼りなさ。みな人間くさくて惹かれます。たとえば、フロリーン王子がモンフィール王解放作戦を練るヴィクトル伯爵から同志の名をほんとうに知りたいかと聞かれ、一度は「はい」と答えたものの、すぐに首をふって打ち消し「焼きごてを見ただけで、ぼくは名前をぜんぶ吐いてしまうでしょうから」と断る場面や、拷問のすえ地下牢に閉じ込められたフィリップ王が、王冠とひきかえに明かりと空気と命を恵んでやるといわれて「ここにこれほど長くいると、真実よりもそうした嘘を信じた方がどんなに気が楽か、と思えてくるのだ」という場面などに出会うと、弱さを知ることの方がずっと強い気がしてきます。
道化の存在は深くてつかみきれないですね。「存在が無だってことよ」「神様のものでもねえし、悪魔のものでもねえ」と言うミムスは、謎めいておもしろい! この物語の鍵をにぎっています。

さきいか:すごくおもしろかったです。p534の「邪悪な〜」の所からの2ページはお触れなのか手紙なのか、文書ならこういうところに絵があっても良いかなと思いました。あとは、ミムスとフロリーンの友情、ミムスとヴィンランド王の友情、フロリーンとラドボドの友情、フロリーンとベンツォの友情や絆が描かれているところが良いと思いました。そういったところが辛い環境でも救いになっていて物語の後味を悪くさせないようにしているのかなと思いました。マイスター・アントニウスもちゃんと人間らしい心があって、フロリーンに同情してくれているところもじーんときました。社会人としてはだめな行動なのでしょうが。あと、フロリーンは底辺を少し知ったので、良い王になるんじゃないかなとこれからが楽しみで、今後のストーリーも見たいなと感じました。

紙魚:ドイツの児童文学だったので、もしや思索的で難解なものなのかなと一瞬思ったのですが、読みはじめるととてもおもしろく、エンターテイメント性がありました。とはいっても、やはりドイツの物語。善悪、貧富、愛憎と、相反するもののあいだにうまく主人公を立たせて、考えさせられるところも大いにあります。物語全体をひっぱっていくのは、ミムスの存在。この作者は、きっとミムスという人物を書きたくて、この物語を書いたのでしょう。とくに、ミムスの発言や歌は、毒のあるユーモアにあふれていて、ときにはほっこりしたり、ときにはどきっとしたり、楽しませてもらいました。訳者の方も、原文で韻が踏まれているところなど、歌の訳については、きっとご苦労されたのではないでしょうか。王子がこんなにかんたんに誘拐されるかについては、ちょっと疑問に感じました。この物語は、宮廷のなかについてはリアルに書き込まれていますが、宮廷外の描写はさらっとしていて、隙間があるように感じました。

きゃべつ:語り口は昔話のようで、ドイツの児童文学によくあるように、堅実にらせん状に話が進むのかと思ったけれど、ミムスに出会ってからは、物語も急に生き生きと動きだしておもしろかったです。ミムスのキャラクターが人を惹きつけ、物語のテンポを作っているのだと思いました。この本はあらすじだけを聞くと、とても残酷な話だけれど、それぞれの人物に宿る良心もきちんと描かれていて、それが救いとなっているのだと思います。

関サバ子:分厚い西洋ファンタジーは読まないので、ふだんは絶対に手に取らない本でした。が、読み始めると最初からぐいぐい引きこまれ、寝る間も惜しんで読み切ってしまいました。おもしろかったです! 主役はフロリーンですが、存在感ではミムスが上ですね。宮廷道化師は、王様に見世物小屋の動物のように囲われているのに、王様をからかっても(といっても、高度な笑いと知性、反射神経が要求されますが)首をはねられない唯一の存在であるというのが、すごく興味深かったです。また、「非人間的な扱い=悪」というステレオタイプに陥らず、ミムスはミムスなりの矜持がある、というところは、考えさせられました。フロリーンが空腹にあえぎ、鞭打ちを受けるところは、真に迫るものがありました。こんなふうに、思わず目を覆いたくなる残酷さも逃げずに書いているところは、わたしは好きです。最後まで甘ちゃんらしさが抜けないフロリーンには、歯噛みしたくなる思いもありましたが、それをしのぐ生命力がとても魅力的でした。
骨格は典型的な貴種流離譚だと思いますが、フロリーンの成長を、ミムスが直接父親のように促すというより、あたかも触媒のように促している距離感がよかったです。最後、城が破壊されて国が制圧されているのに、形勢逆転できたのは、不自然な感じを受けました。

レン:途中までしか読めませんでした。西洋の伝統にのっとって物語が進んでいきますが、日本の読者は西洋的なものには受容度が高いことを改めて痛感しました。道化は、馬鹿なふりをしながら、本当は自分のほうが相手を見下すといった複雑さを持っているので、その重層性がおもしろみになっていますね。

ハリネズミ:よくできた物語だと思いました。表紙がチビミムスと老ミムスの違いをよく表していますね。ちびミムス(フロリーン)のほうは、まだ子どもだし育ちもいいので、まっすぐで単純な顔をしている。逆に老ミムスのほうは、知恵も悪知恵も身につけて、多面的で一筋縄ではいかない、いかにもトリックスター的な姿をしている。対照的な存在だということが、表紙からもわかるように描かれているんですね。老ミムスは、どっちに転ぶかも、誰をだますかもわからない。だからこそ、おもしろい。ハッピーエンドは児童文学の限界か、という話が出ましたが、怨みの連鎖を断ち切るというのは、現在の世界状況を見渡している著者の願いなのだと思いました。理想を提示するのは児童文学の一つのかたちで、限界というのとはまた違うように思います。あまりにもとってつけたようなハッピーエンドだとまずいですけど。訳は少し引っかかるところがありました。フロリーンが師匠であり年もずっと上のミムスを「きみ」と呼んでいるのがいちばん気になりました。「ご紳士」「ご勘定」っていうのも変では?

シア:装丁も設定も良さそうで、期待していた一冊です。しかし、本の分厚さに少し気後れして、3冊目として読みました。読んでみて、映画になりそうな、おもしろい物語だと思いましたが、Y.A.としてみると残酷な描写が多すぎるような気もしました。4章からずっと飢えと寒さと辛い展開で、重い話が長いかなと。キャラクターの数は多かったですが、一人一人キャラが立っていて、読んでいてわかりづらいということはなかったですね。
とてもおもしろかったのですが、実は3冊中一番納得がいかない作品でもありました。とくにエピローグが蛇足だったかなと。ミムスをすぐに自国へ連れて行かなかったヴィンドール側の行動が腑に落ちません。ミムスのテオド王への微妙な忠誠心の理由や、チビミムスのアリックス姫への恋心も、姫が綺麗だから惹かれているように思えるところもあり、もっと掘り下げてほしかったですね。アリックス姫がチビミムスにある程度の情けをかけてくれたとはいえ、無知で高飛車なお姫様という印象の方が強かったです。それにこんな扱いを受けているのだから、王同士の確執がもっと根深いものでも良かったような気もしますし。このラストでは、殺されたたくさんの重臣たちが浮かばれません。自国も滅茶苦茶です。せめてテオド王の首くらいもらわないと、釣り合いが取れません。それに、ミムスは結局何をしたかったんでしょう? 何を目指して自分がどうしたいのか、あまり見えてきませんでした。
Y.A.にしてはダークですし、大人向けとしては無理に大団円に持ち込むようなシビアさに欠けているところもあり、本当におもしろかったのですがそれだけに望みが高くなりすぎて、納得のいかない点が多い作品でもありました。ところで、作者のことを調べたら素晴らしい人でした。児童文学であっても、時代背景をかなり調べて書いたことが分かりました。

ルパン:おもしろかったです。最初は悲惨ですごく読むのがつらかったのですが、読み進めるほどにだんだんミムスの魅力が分かってきました。映画『E.T.』のように外面の醜さを内面の魅力が補って、さいごはすっかり愛着がわいてきました。復讐の連鎖をミムスの一言で止めたところが凄いなと感じました。王の命を救ったミムスへの褒美は毛布一枚とありましたが、本当はもっと丁重に扱われたんだと思いたいです。気の強いお姫様がチビミムスを好きなことは随所に感じられました。私は、このお姫様、なかなか好きです。ストーリーにもひとひねりあってよいと思いました。つっこみどころが何か所もありましたが、とても良い作品です。

プルメリア:とってもおもしろかったです。長文ですが話が進むのはゆっくり、だけどすごくひきこまれる内容です。とてもていねいに書かれていると思います。ミムス2人は名前がマスターミムスとチビミムスに分かれていて子どもは好きそう。戦う敵もそれぞれ理由があり納得、終わり方もハッピィエンドすごく良かったです。さるのピラミットには驚きました。いろいろな技がいっぱいでてくるけど、教え込むのは大変だろうなと思いました。最後に、「たくさんの鈴がついた服を着た王冠をかぶった若い男。頭からはロバの耳が生えている」という、フロリーンが作ったモンフィール王位継承者の印章が心に残り印象的です。ページ数は多く分厚い本ですが、本を手に取ると見た目よりも軽く表紙の絵も良かったです。小学6年生の男の子が一人読んでいました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年2月の記録)


鉄道きょうだい

E. ネズビット『鉄道きょうだい』
『鉄道きょうだい』
E. ネズビット/著 中村妙子/訳
教文館
2011.12

シア:振り返ってみると、すごく納得のいく作品でした。優しい語り口で安心して読めますし、実際読みやすかったですね。昔ながらのご都合主義的展開は面白さには欠けますが、安定はしていました。教師や親なら喜んで子どもに与えそうな一冊です。題名がもっさりしていて装丁もあかぬけないところなど、まさに小学校中〜高学年くらいの課題図書になりそうです。台詞のレトロさに思わず笑ってしまうところもありましたが。本の中にナレーターがおり、「そうですよね」「いいですよね」という風に読者に語りかけてくるのが、古すぎて逆に斬新だと感じました。おもしろさに欠けるとは言いましたが、古い作品だけあって最後まで読ませる力はあります。挿絵が可愛く、とくに服装がアンティークで素敵なので、女の子に良いかもしれないですね。ただ、厚みのわりにやけに重量のある本なので、岩波少年文庫にしてくれたら中1くらいでも読みやすいかも。

関サバ子:期待せずに読み始めましたが、子どもたちの魅力で、あれよあれよという感じで読み進むことができました。登場人物がいい人ばかりで、最初はちょっと「なんだかなぁ」と感じました。でも、読み進むにつれて、おとながちゃんとおとなとして機能している姿というのは、やはり見ていて気持ちがいいと思い直しました。己もかくありたいものです。子どももちゃんと子どもとして生きているといいますか、こまっしゃくれ具合と、健気なところが魅力的でした。子どもも3人いると小さな社会ができる、という話を思い出します。この時代にしては、母子家庭(であり、投獄された身内のいる家族でもある)への風当たりがほとんどないのには、驚きました。著者が社会運動家であったことも関係しているのでしょうか。
 著者がときどき顔を出すときの出し方や、ウィットのきいた会話には、イギリスらしさを感じました。辛口なユーモアと言いますか……。変な甘さがないところや、わかりやすい善悪をやたら振りかざさないところも、好ましく思いました。しかし、この舞台や人々の美しさは、今読むと、文化財やファンタジーのように見えますね。

きゃべつ:装丁からして、古き良き時代の話だと伝わってきますが、はじめに覚悟していたよりは、ずっとおもしろかったです。子どもが自分で手に取るというよりは、図書館などに置いてあって、大人が安心して子どもにすすめられる本、という印象でした。道徳的なので、素直にこの本を読めるのは小学校中学年くらいまでかな、という印象ですが、それにしてはかなりの厚みがあるので、読者対象が難しい本かなと思いました。

紙魚:三人称ならではの安定した心地よさがありました。ただ、昔の作品だけあって、語り手である作者がしょっちゅう顔をのぞかせます。やや前に出過ぎかなとも思いましたが、そのおせっかいもユーモアがあるので許せました。p59の、主人公の子どもたちが汽車に名前をつけるところで、小さな感動を味わいました。なにか大切なものに名前をつけたときに、物語がはじまるのだと思います。難しい漢字もなく、漢字もわりあいひらいているので、小学中級の子どもたちにも十分に読めるとは思うものの、分量がかなりあるので、読者対象が見えにくい本です。そうそう、作者のおせっかいぶりといえば、読み手に、この家族は今、父親が不在であることを忘れずにいさせてくれるような描写が時折、入ります。今の作者は、自分の存在を消しながら書き進めますが、こうしたおせっかいぶりは、新鮮にも感じました。

レジーナ:この作品では、3人の子どもたちが、ペチコートを振って事故を防いだり、怪我をしてトンネルの中で倒れていた少年を助けたり、さまざまな事件が次々に起きます。しかし散漫な印象を受けないのは、それらが全て「鉄道」をめぐる人々と結びつき、最後の結末につながっていくからですね。出来事やエピソードを巧みにつなげて、いわば線路が駅へと続くように、子どもたちの成長という大きなテーマに読者を導く作品です。温かな翻訳で、人間らしい登場人物がいきいきと動き出すようでした。女性作家が描く男の子は、不自然になることもあるのですが、『よい子同盟』しかり、ネズビットは、男の子の描き方が、上手な作家ですね。そんな気はなかったのに、何故だか時として、嫌な態度をとってしまう心の動きや、子供らしさがよく描かれていました。背表紙の赤が、目をひくようで、少し気になりました。

トム:『ミムス』に比べると、自分と物語との距離が遠いというか、傍観者的に読んでしまったかもしれないな・・・この時代のイギリス社会を背景にした物語を今の子どもたちはどう感じるのでしょう? ある日突然大人の都合で、日常が変えられてしまう子どもは少なくないと思うけれど、そのあたらしい環境を生きる3人の子どもたちの逞しさ無邪気さが光っています。一番好きなところは、パークスさんのプライドの章。プライドを傷つけられ(?)素直になれないパークスさんにどうなることかと気を揉むなか、ボビーがプレゼントを贈る贈り主の様子や気持ちを記したメモを読んでいくと、村に暮らす人の人となりも浮かぶと同時に、どんどんその場の空気が変化してゆくのが手にとるように伝わって、気持ちが温められてゆく。プライドとは厄介なものですね! 贈り物は、プレゼントする側がまず幸せになって、贈られる側は、時と場合によっては複雑な気持ちになる。でも何よりパークスさんの生き方や心根が伝わってきます。結びの章で、罪が晴れてお父さんの帰還してくる場面は、ややあっけなかったですけど・・・

タビラコ:児童文学史で良く出てくる本なのに、いままで読んでいませんでした。読めて良かったなというのが、率直な感想です。出てくる人たちがみんないい人で、安心して読める本ですね。複雑な子どもの心の動きを丁寧に書いてある点もさすがだと思いました。花の名前なども、ただ野の花と書かずに丁寧に種類を書いてありますね。昔の作家は、こんな風に書いていたんだなあと思いました。坪田譲二の「風の中の子ども」や「お化けの世界」は同じような設定なのですが、子どもたちの不安や怖れが、もっとくっきりと描かれています。子どものときに読んでとても印象的だったのですが、果たして児童文学かな?という感じがしないでもない。子どもが安心して、楽しんで読めるのは、ネズビットのほうでしょうね。同じ設定でも、いまの作家は絶対にこういうハッピーな物語は書けないと思いますけどね。

レン:冤罪で牢屋に入っている父親と気丈に留守をささえる自立した母親と子どもたちという構図に、この作品の書かれた時代を感じました。うまさは感じましたが、今出版することが、今の子どもにとってどういう意味があるのだろうと考えてしまう作品でした。「これを知ったら親は起こるだろうな」と思いながらも、子どもたちが冒険をしていく、さまざまなエピソードはワクワクしてとてもおもしろいのですが。手渡すなら、やはり読書慣れした子どもでしょうか。めったに本を読まない子に、何かすすめようというときに選ぶ1冊ではないなと。

ハリネズミ:同じ作品が前は『若草の祈り』という題で出ていたので、この作品を読んだのは今度で3度目です。前はあんまりおもしろいと思わなかったんですけど、今回読み直していろいろな意味でおもしろかったです。特に感慨深い点が二つありました。一つは、後書きに中村妙子さんが「最晩年の翻訳にこの本を選んだ」と書いていらっしゃる点ですね。そうか、中村さんはこういう価値観をもった作品を子どもに伝えたいんだなと感じ入りました。ちょっと古いですけど、今は失われてしまった人間関係がこの作品にはありますからね。大人がしっかりしていて、子どもを守ることができる時代の物語ですが、子どもはその守られた世界の中で思う存分心をはばたかせることができたんですね。もう一点はp204でボビーが「こっちが仲よくなりたいと思ってることがわかりさえすれば、世界じゅうのひとが仲よくしてくれるんじゃないかしら」と言っている場面です。この時代はまだ、そう思うことも可能だったんでしょうね。
ネズビットは多作な人ですから、書き飛ばしているところもあると思うし、「9時15分のおじいさん」がトンネルの中で助けた学生の実の祖父だったなんて、あまりにもご都合主義的な筋運びだと思いますが、でも、子どもたちのやりとりは生き生きとしているし、汽車が目の前を通り過ぎていくときの描写には臨場感がありますね。うまい。やっぱり今の児童文学とは味わいが違うので、中村さんは翻訳を新たにして出したかったんですね。でも、今の子どもにはどうなんでしょう? 図書館では借りる順番がなかなか回ってこなかったんですけど、借りてるのは児童文学好きの大人かな?

プルメリア:田舎に引っ越してきて自然に触れる楽しさをみつけていくところや、知り合いのパークスさんのお誕生日プレゼントをするためにいろいろな人に呼び掛け一生懸命頑張っているところが、ほのぼのとしていてほほえましいです。汽車の大事故を防いだ後「さくらんぼをつむのを忘れちゃった」とぽっつりつぶやく長女ボビーの子どもらしい面に好感をもち、トンネルで見つけた気を失っている少年にバドミントンの羽を燃やして起こす場面なども、子どもらしくて笑っちゃいました。最近の子どもにはない、ちょっとしたことでのほんわかした幸せがある。自分たちで幸せを作っていくというのが良い部分かな。字が細かくて長編でも、最後まで読ませる良い作品だと思いました。表紙の絵のピーターはちょっと痩せていて末っ子に見え、え?って感じがしました。今回良い作品に出会えて良かったです。子どもたちは厚さがあり重い本は、自分からは手に取らずいやがります。本づくりとして難しいが、古いテイストは、子どもにとってかえって新鮮なのでは。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年2月の記録)


ブルー

久美沙織『ブルー』
『ブルー』
久美沙織/著 
理論社
2010.01

レン:どう読んだらいいのか、戸惑いながら読み進めました。まず、冒頭のお母さんのとりみだしようが理解できないし、そのあと偶然出会ったおばさんと1日すごすのですが、この2人が接近するきっかけが読みとれずリアリティが感じられませんでした。どこか読み落としているのかと、何度も前に戻ったのですが結局わかりませんでした。中学生くらいの子は、こういった文体で書かれていると読みやすいと感じるのでしょうか。分類としてはエンターテインメントだと思いますが、これでよいのかと、疑問が残りました。

タビラコ:さっぱり分からない作品でした。青木湖に行くあたりから、ミステリーになるのかな?それともファンタジー?と期待しながら頑張って読んだのですが……。あとがきで、作者がなぜこの作品を書いたのか知り、単に作者の思い入れにつきあわされたのかと、がっかりしました。作家が物語を書く動機はいろいろあると思うのですが、それが作品として完成されていなければ、読者は読んで損しちゃったな!と思うだけ。けっきょく、ふたりのおしゃべりを聞かされただけで、物語が動いていっていない。安室奈美恵とか、現実の固有名詞がいろいろ出てくるところも、読者に媚びているような感じがしました。

トム:いま起きていることをぽつぽつとちりばめた短いラジオドラマを聞いているような感じがしました。読み終えて、もう1度会いたいと思う人が、この物語の中にはいなかったんです。やはりこのお母さんは苦手です。全体にどうしてこういう人のつながりになるのかわからないまま終わってしまいました。

紙魚:一人称というのは難しいですね。この作品は、地の文でも、カギ括弧内の会話文でも、つねに主人公が思いのたけをつぶやいていて、読みづらかったです。情景描写や状況描写が、極端に少なく、つねに登場人物が心のうちを語っているので、読み手としては、どんな気持ちでいるのだろうと想像しながら読むことができないんです。だから、最後まで、感情移入をすることなく、読み終えてしまいました。だからなのか、物語も、ポイントごとに進んでいくものの、登場人物たちといっしょに歩いたという気がしないんです。そのつもりになるからこその物語のおもしろさが、味わえませんでした。もしかしたら、思春期のある時期の人が読んだら、ぴったりとはまるのかもしれません。

きゃべつ:作者がまだ作品との適切な距離を見いだせていない作品だなと思いました。あとがきにもありますが、これは作者の身の回りに起きた事件を元にしているのですね。若くして事故で亡くなった体育の先生。そのひとは、どんな思いをかかえていたのか。それが、この物語のなかで追われている謎だと思うのですが、実際のモデルがいるからか、遠慮があって描けていないと思いました。キャラクターの造形にも、疑問があります。それぞれが与えられた一面しか演じず、深みがないからです。母親は悪い人、おぐらさんはいい人、父親もいい人、というように。父親というのは、いまだ経済的支柱としての性格を持っていると思いますが、この家庭では父親が父親としての役割を果たしておらず、その分を母親が負っています。父親は、亡くなってしまったことも大きいでしょうが、父親でないことで、主人公にとっての理想像となっているのだと思いました。私はまだ駆け出しの編集者ですが、読者にきちんと思いが伝わるように、作家と作品との距離を考えていきたいと思いました。

シア:とっても苦手なタイプの本です。帯などに「爽やかな物語」などというフレーズが書いてある場合は、危険信号です。すーっと読めてそのまま終わるというのが大抵なんです。文章も一人称というよりも単なる日記で、『まいったな〜』などと書き出す辺りでいい加減にしろと思いました。一生懸命中学生の視点で書こうとしているところが既に駄目です。かえって薄っぺらく感じます。狙って外しているので、もっと許せません。ギャグも寒いです。現在の芸能人の名前など、リアルな単語が出てくるのも苦手です。ライブ感が出るかもしれませんが、すぐに消費されていく作品ということを作者が分かってやっているということですよね。こういうのは嫌ですね。この作品は、何故か私の嫌なところを全て押さえてしまっています。分かりやすさだけでどんどんどんどん話を進めていく、中身のない麩菓子のような日本の作品って感じです。実際に起きた青木湖のバス事故を題材にしたので、関係者に迷惑がかからないようにと作中では湖の名前を「蒼木湖」にしたそうですが、全然変わってないですよね。丸わかりです。あとがきに「死は多く描かれているけれど、再生の物語です」というようなことが書かれてましたが、再生しているのは作者本人だけじゃないですか。こっちから感じるものもないですし、イライラしました。奥付の作家紹介も、こんな褒めてる紹介あったかなと思うような文章で、これはどうなのかと。この本ではここが一番おもしろかったですね。中高生で本を読みたくない人が、仕方なしにさらっと読むにはいいかもしれません。子どものための子どもの作品という感じです。

プルメリア:展開がよくわからず読みにくかったです。普通図書館で初めて出会った知らない人についていくのかな?と違和感があります。初めての食事の場面、デザートをやたらとすすめすぎエスプレッソのダブルもなぜか気になりました。お父さんのことを回想しながら、自分の生活を見直し前向きに歩いていこうという形で受け止めればいいのかも。事実を作品に取り入れることはすばらしい試みで、そこは新鮮だと思います。

ハリネズミ:今回読む時間がなかなか取れなかったので、薄いという理由で、これを最初に読みました。でも他の2冊を読んだ後に思いだそうとしたら思い出せないほど、印象の薄い本でした。見直しているうちにストーリーは思い出したのですが、まず私は、この不審なおばさんに主人公がついていってしまうのが疑問でした。ついていく何らかの魅力があるように書いてあるなら別ですが、何も書かれてない。私は作品世界のリアリティがないと嫌なほうなので、そこからもうあり得ないと思って印象が悪くなってしまいました。主人公の悩みにも入っていけないので、どうでもいいおしゃべりを聞かされているような気分になってしまったんです。本を読まない子どもには入りやすいという声もあるかと思いますが、本を読まない子だって、作品の中になんらかの真実が描かれていないと心の栄養にはならない。暇つぶしのエンタメならほかのメディアのほうが強いですからね。人間についてなり世界についてなりをもう少し考えたうえで、うまく若い人に伝わるように書いてほしいな。人物もすべて一面的で、ミムスのような魅力もない。作者が自分の心の救済をしているだけなのではないかと思ってしまいました。今回の選書担当者は今日来ていませんが、いいと思った理由を聞いてみれば、また違う見方もできるかもしれませんけどね。どんな本でもいいと思う人もいればよくないと思う人もいるので。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年2月の記録)


2012年02月 テーマ:父親の不在

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『2012年02月 テーマ:父親の不在』

 

日付 2012年02月23日
参加者 タビラコ、トム、さきいか、紙魚、きゃべつ、関サバ子、レン、ハリネズミ、シア、ルパン、プルメリア、ジレーナ
テーマ 父親の不在

読んだ本:

リリ・タール『ミムス』
『ミムス〜宮廷道化師』
原題:MIMUS by Lilli Thal, 2003
リリ・タール/著 木本栄/訳
小峰書店
2009.12

版元語録:囚われの王子フロリーンの生きのびる道は、宮廷道化師になることでしかなかった。誇りを捨て、敵の王の笑いを得て活きる。笑いこそが最後の武器に。王子の物語。
E. ネズビット『鉄道きょうだい』
『鉄道きょうだい』
原題:THE RAILWAY CHILDREN by E. Nesbit, 1906
E. ネズビット/著 中村妙子/訳
教文館
2011.12

版元語録:ある夜、見知らぬ人たちがお父さんを連れ去って、ロバータたち3人兄弟は、ロンドンから、とつぜん田舎ぐらしを始めることに。見知らぬ土地で3人が友だちになったのは…。
久美沙織『ブルー』
『ブルー』
久美沙織/著 
理論社
2010.01

版元語録:真っ青な空が広がる夏のある日。13歳の今里杏は、生まれて初めて学校をさぼった。図書館で読書ざんまいのはずか、ひょんなことから、会ったばかりの女性の話を聞くはめに…。

(さらに…)

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盆まねき

富安陽子『盆まねき』
『盆まねき』
富安陽子/著 高橋和枝/挿絵
偕成社
2011.07

ajian:おもしろく読みました。いつも自分の話をしてしまいますが、まだずっと子どもの頃、眠れなくてぐずぐずいっていたら、祖母が「いい子で寝ないと山の向こうから連れにくるよ」といったんですね。「何が」連れにくるのかはいわなかったんだけれども、とても怖かったので、よく覚えています。それで、お盆のときに「先祖が帰ってくる」と言いますが、あれは「山の向こうから」帰ってくるんだという考え方があるらしい。それを大人になって知ったときに、祖母が言っていた、連れにくるというのは、そういうことだったのかと思いました。柳田国男の本に「先祖の話」というものがあります。昭和20年に書かれたもので、この『盆まねき』に出てくる戦争の時代とも重なりますが、日本人の死生観について、柳田なりに捉えたものです。どういうことが書いてあるかというと、二つ特徴があって、一つは、個人の霊というのは、やがて忘れられていくけれど、個性を捨てて、融合して一つの霊になるというもの。もう一つは、死者の世界と、生者の世界が、すごく近くにあって、互いに行き来しているというもの。どちらもこの『盆まねき』の内容に重なると思いました。
 いわゆる「あの世」という言葉があります。これは、地獄とも天国とも違うけど、何となく知っているようで、実はよく知らない。ひょっとしたら、自分たちのことがいちばん理解するのが難しいのかもと思います。『盆まねき』は、この日本語の世界の、この狭い島国の、我々が知っているようでよく知らない、土着の死生観を、やさしい物語のなかに溶かし込んで描いて、ある程度成功していると思いました。最後戦争とつながりますよね。祖母の実家には戦争で亡くなった方の写真などがあって、僕ぐらいは、ぎりぎり身内でそういうことがあったのかと思うけど、僕の子どもの世代になるともうわからないだろうなと思う。伝えるには新しい物語が必要で、そういう意味で、富安さんがこの作品で試みられたことを評価したい。真正面から戦争について書かなくても、不思議なお話を読んでいくうちに、いつしか自然に、そういうことがあったんだと読めるところも良いです。

ルパン:すごくいいなと思いました。どのエピソードも、とてもおもしろかったです。お盆の時に親戚が集まるのは、自分が夏休みに田舎で過ごした思い出と重なりました。なっちゃんが置いてけぼりを食う場面がありましたが、こういうの、すごく覚えがある。私はやったほうなんだけど(笑)。当時は小さい子たちがうっとうしくって。いま大人になってしまうと、年が近くなって、あまり変わらなくなって。今回読んでいたら、やられた子の悲しみというのもよくわかって、申し訳ないなあと思いながら読みました。おおばあちゃんの声は、トトロに出てくる隣のおばあちゃんの声かな、なんて想像しながらね。亡くなったしゅんすけさんの思い出をとどめておくために書いたというあとがきも、すてきだなと思います。ちょっとひっかかるのは、戦争に行って20歳ぐらいで亡くなったはずなのに、現れる時は子どもの姿なんだなっていう。あとは、子どもが読んだらどう思うかはわかりませんが、このあとがきがすごくよかった。

うさこ:どこかなつかしい匂いを感じる物語でした。自分の小さいころの体験と重なります。やわらかい感じで運ぶ物語。おじいちゃんだったり、おおばあちゃんだったり、親戚の中にこんなにほら話ができる人がいて、いいなあと思って読みました。夜の虹など情景がすごくきれいです。個人的な話ですが、去年の夏に実家の犬がなくなって、とても悲しかったんですけど、前後に虹を見ました。それで、犬が亡くなって虹をわたっていったのかと、すとんと胸に落ちるものがあったので、この物語も、それに重ねて味わうことができました。一つ一つのお話も本当にうまいし、エピソードもおもしろい。ただ、最後の「もう一つのものがたり」にはちょっと違和感がありました。お話がすごくよかっただけに、現実に引き戻されたような印象で、物語の余韻がさーっと消えてしまった。あとがきでなくて、あくまで「もう一つのものがたり」にこだわった理由には、なにか作家さんの主張があるのでしょうね。例えば、講演会やインタビューなどで裏話的に語るということも、出来たと思うんですけど。結末は野間賞の選考委員のなかでも議論になったらしいですね。

プルメリア:この作品は夏休みに一度読んで、今回また読みました。最初に読んだときは、前半の楽しい話よりも最後の話「もう一つのものがたり」が印象的に残りました。「うそと、ホラは、すこしちがう。人をだますのが、うそ。人をたのしませるのが、ホラ」。おもしろく楽しく読みました。中学年も楽しめる作品と思いましたが、カッパの玉話あたりからだんだん怖くなり、盆踊りあたりは完全に怖い世界に入っています。高学年向きかも。男の子が、なっちゃんに言う「人間は、二回死ぬ」というフレーズが心に残りました。中学年ぐらいだと理解しにくいかも。最後に「もう一つのものがたり」があることで、作品全体が最初のほのぼのとした笑いがでる内容とは異なり現実的な話に二分化されたように感じました。子どもたちにとって、戦争の物語は手に取りにくいですが、この作品のように最後に書かれていると、すっと入っていけるのではないかとも思います。

ハリネズミ:お盆の時の田舎という舞台に、ほんとうにいろいろ盛り込んでいますね。ほら話も出てくれば、死ぬこと生きることについての考察も。それを読みやすい物語に落とし込んで、違和感を感じさせないのは、この作家のうまさだと思います。月の田んぼのイメージがすごく鮮烈で印象に残りました。月は兎がいるとかお姫様がいるなんて言われることはありますが、田圃があるという話も伝承の中にあるんでしょうか。表紙や挿絵も、はっきりリアルに描いてしまわないのがいいと思いました。ただ、最後はちょっとずるいかな、と。戦争って今の子どもは身近に体験したことがないので、作家がさまざまに工夫して子どもに届けようとするわけですよね。例えばロバート・ウェストールは『弟の戦争』(原田勝訳 徳間書店)で、ジャッキー・フレンチは『ヒットラーのむすめ』(さくまゆみこ訳 鈴木出版)で、切り口をさんざんに考えたうえで今の時代の子どもたちになんとか戦争を身近に感じてもらおうとしているわけですね。でも、この作品ではフィクションにリアルな話をくっつけてしまうという比較的安易な方法でそれをやってしまっています。富安さんはとても力のある作家なので、フィクションの中でなんとか子どもに引きつける工夫をしてもらったら、さらによかったのかなと思いました。現状ではフィクションの本編より、本来おまけであるはずの「もうひとつの物語」のほうが強烈な印象を残してしまう。戦争を伝えたい大人たちはきっと飛びつくでしょうけど、文学的に見るとそこがもったいないなと思いました。

ルパン:私は、最後のは、てっきりあとがきだと思っていて、物語の一部だというのを、ここにきて初めて知りました。

ハリネズミ:文字の大きさがちがうので後書き風ではありますが、本文に入れたかったんだと思います。

シア:昔の日本の風景を描いていて、古い家の中のことやお盆の風景など、細かいことまでわかりやすかったです。親戚縁者で集まってお盆なんて最近はやらないから、スタンダードなお盆という見方からしても、非常に参考になる本でした。子どもたちもこういうことは知らないんじゃないかと思うので、そこをピックアップして読んであげても、おもしろいんじゃないでしょうか。表紙の絵もいいですね。読み終わってみると、すごく意味のある場面を描いているんだなということがわかりました。「そうめん」を「おそうめん」といったり、こういうていねいなところが、かわいらしいです。細かいところまでいきとどいた一冊ですね。知覧の話などは学校の授業でもやっているので、そういうことを教えるのにもいいと思います。戦争というものを教えるのに、導入としても使える本です。最後の「もう一つのものがたり」は、実体験に基づいてこの本を書いていったのだと思いますが、物語の一部かどうかというのは?

ハリネズミ:やっぱり、後書きじゃなくて、ここまでちゃんと読んでほしいという意識があるんじゃないでしょうか。後書きにすると、読まない子もいますからね。

シア:月のところのシーンで、「丸の中をのぞきこむ」というのが、イメージとしてちょっとわかりにくかったり、そういうところもほかにないわけではないですけど、全体としてはいい本だと思いました。

すあま:子供時代を思い出しながら読みました。今もこんなふうに田舎でお盆を過ごすんでしょうか。子どもが共感を持って読むのかどうかわからない。最後の「もう一つのものがたり」はなくてもいいのに、と思いました。あとがきでよかったのでは。私はこの部分に違和感があったために、読後感がよくなかったです。ここまでずっと物語の世界にいたのが、急に現実に連れ戻される感じがありました。対象年齢も雰囲気も変わるため、読み手がとまどうのではないでしょうか。ノンフィクションのようでフィクション、という本もありますが、この本の場合はノンフィクションでいいんでしょうか。

ハリネズミ:「もうひとつの物語」は、作者自身が「ほんとうのお話」と書いているの
で、ノンフィクションじゃないですか。

すあま:「もう一つのものがたり」が「あとがき」ではないなら、別に「あとがき」をつけて説明してほしかったなと思いました。

ルパン:私は「あとがき」に「もう一つのものがたり」というタイトルをつけるなんておしゃれだなと思って読んじゃったんです。

一同:ああー。

ajian:野間賞って、これが「あとがき」だったら、この部分は評価の対象には含めないですよね。でも、このエピソード込みの評価だったんじゃないですか。あるのとないのとでは全然ちがう。

ハリネズミ:これがあるから受賞したのかもしれませんよ。反戦思想がはっきりしてて
いいってことで。

すあま:そのままなっちゃんのその後の話として書いてもよかったような気もします。急に作者が出てくるから、あれ?主人公誰?という感じになりました。

ルパン:私という一人称が急に出てくるから、やっぱりあとがきなんじゃないですかね。

すあま:例えば、なっちゃんのお母さんやおばあさんの視点からのお話として書いてあったら、違和感なく読めたと思います。

ルパン:いいアイディアですね。

シア:この部分、冒頭で「さいごにほんとうのお話を一つ」という一文があるのが、やや興ざめです。これまでは、じゃあウソだったの?という。

すあま:たしかに…物語の中でなっちゃんが、何度も「本当の話なの?」って聞いているから、なおさらそう思いますよね。

ハリネズミ:「さいごにもう一つほんとうの話を」だったらよかったかもね。

プルメリア:たしかに子どもが読んだときどうかなというのは、ありますね。

すあま:やはり、あとがきにしたほうがすっきりするかも。そうすれば読む子は読むし、読まない子は読まないと思います。

ハリネズミ:ここだけ扉のデザインをがらっと変えるなんて手もあったでしょうね。ただ富安さんか編集の人か、それはわからないけれど、やっぱりここまで読んでもらいたかったんでしょう。

三酉:これはあとがきまで読まないといかん本だろうと思いました。富安さんはそこまで読んでほしくて書いたんだと思うし。フィクションとしてはルール違反だけど、確信犯でしょう。賞をとったのも、当然これが込みだと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)


カイト〜パレスチナの風に希望をのせて

マイケル・モーパーゴ『カイト:パレスチナの風に希望をのせて』
『カイト〜パレスチナの風に希望をのせて』
マイケル・モーパーゴ/著 ローラ・カーリン/絵 杉田七重/訳
あかね書房
2011.06

シア:パレスチナと聞いて最初は重いなと思ったのですが、サイードがすごくかわいがられている描写があったり、「部屋いっぱいに悲しみが広がる」という変わった表現などが、すごく好きでした。ちょうど海外旅行に行った後に読んだので、ホテルのいやな感じとか、共有しやすかったですね。言葉が通じないということは、不要な苦労を強いられたり、国と国との間に溝ができやすかったりするものですよね。私も言葉が通じないところで苦労したので。それから、p69に「夢を信じきっている人間がいた」とありますが、サイードのことを子どもではなく一人の人間として扱っていて、作者の訴えたいことが詰まっている感じがしました。こういう問題は本当に難しいなと思います。平和に関する本というのはたくさん出ていますが、紛争が起きていなければ平和を意識することは難しいものです。長く平和が続いている国の子どもたちにとっては、全く環境の違うところと意識されてしまうかもしれません。この間の東日本大震災でも、関東圏で被害がなくて親戚もいないと、そういう人の言葉の端端から、ショックを受けるようなことがありました。「なんで自粛しなきゃいけないのか」とか、子どもたちの中からも冷たい言葉も出ました。今後どうすればいいのかという思いがあります。この物語では、お兄さんが誤射で死んでしまいますが、撃った方も泣いていたという、お互いの立場で悲しみが描いてあっていいですね。私は東北に親戚がいるので、今回の震災はそういう意味でも大変でした。無神経な人が身近にいたりするので、そういうすれ違いがだんだん戦争に発展するのかなとか、そんなことまで考えてしまいました。p79の兄が死ぬ場面で、「カイトをなおすんだ」という最後の言葉がありました。これがサイードのその後の行動につながっていて印象深かったです。これが憎しみにみちた言葉だったらそうはいかなかっただろうと思います。それにしても、モーパーゴさんの本は薄いのが多くて助かります。昨今の中高生は分厚いと読みたがらないので。

ajian:マックスが青い車椅子の子に会いに行く、と言っていたのは、どうなったのかなというのは感じますね。ただ、この問題は、この分量で書くのは難しすぎる気がします。パレスチナとわざわざ舞台設定をしているのだったら、もっと突っ込んだことも知りたいと思うけど、そうすると分量が増えてしまう。壁があって対立する二つのグループがあって、という象徴的な物語だったら、パレスチナじゃなくてもいい。嫌いな本ではないんですが……。あと、この絵もいい絵だけど、舞台設定とリンクしてないですね。おしゃれな感じはするけど。最後の和解の場面は、こんなに簡単なことではないよなと思いました。

ルパン:ストーリーがすごく好きです。この装丁だと子どもが手にとるでしょうか。横書きで字がぎっしりだし、ちょっともったいない。もっと子どもが手にとれるように工夫してもよかったんじゃないでしょうか。ひょっとしたら本当にあったことなのかと、誤解してしまいましたが、フィクションだと知ってちょっとがっかりしています。それから子どもが読むものとして、カイトというのはすぐわかるんでしょうか。凧って漢字にカイトってふりがなが振ってありましたが、凧を読めなければ、それもわからないだろうし。先にカイトって凧のことだと言っておくか、ぜんぶ凧で統一するかしたほうがいいような気もしました。

ハリネズミ:今はカイトっていう名前でも売ってますよね。逆にカイトのほうがわかりやすいってこともあるんじゃないでしょうか。

ルパン:それから、言葉のことですが、失語症のサイードが最後にやっとしゃべるときに英語でいいんでしょうか。

ajian:ラストサムライみたいですよね。

ルパン:最後の終わり方はすごく好きなんだけど。塀の向こう側でサイードが一生懸命つくって送り続けていたカイトをあげるというところですね。感動的なシーンでした。

すあま:私は低学年向けの話だとは思わなかった。高学年から中学生以上。ヤングアダルト向けなのではないでしょうか。横書きだとノンフィクションという感じを受けると思います。最初の方はわからないことだらけで、読み進めていくとだんだんとわかってくる。先を読まないとわからないことが多いというのは、それが気になって続きを読みたくなるのか、あるいはわからないから読むのをやめてしまうのか、難しいところだと思います。最近パレスチナやアフガニスタンなどを舞台にした話が多いのですが、この本も2008年という設定で、数年前のことかと思うとドキッとします。例えば第二次世界大戦の話だったら、昔の話だと思って読めますが、これはついこの間のことで、まだ終わっていない。子供たちに、同時代に他の国ではこういうことが起きているというのを知ってもらうのはいいことだと思います。ただ、自分から手に取る子はあまりいないと思うので、手渡し方には工夫がいると思います。
 それから、訳者のあとがきはあるけれど、作者あとがきもほしかったと思います。この本を書くきっかけとか、こういう子供にあってヒントを得ましたとか。何か作者自身の言葉もほしかったです。

うさこ:モーパーゴさんは現代の問題を子どもに分かりやすく伝えるのが、すごくうまい作家ですね。これも、きれいにまとめてあるなと思いました。子どもの力を信じるのはいいとしても、未来を子どもに託しすぎているような、理想を乗っけすぎているような気もします。

シア:お兄さんの死の場面の語りについては、サイードがいつも怖い夢を見ているようなので、その夢の説明か何かにしてもよかったかなとも思いますね。どんな夢を見るのか、具体的にはあまり書かれていないので。

プルメリア:私は、この作品を手に取って、横書きなんだということと、とても細かい字だなと思いました。地図があったので、位置がわかりやすく助かります。「カイト」が最初わからなくて、名前なのかなとも思いましたが、内容から凧のことだとわかりました。4日間の短い時間の中で、イギリス人マックスの目からと、サイードのお兄さんへの語りかけから、話が進んでいきますが、マックスの語りかけが読者を読ませていくのかなと思いました。青いスカーフの女の子は、最初に登場した時から印象的で覚えていましたが、こういう風につながるのかと納得しました。最後のページ、挿絵は白黒ですが、明るい凧のイメージで私は読みました。難しい話や、現実に殺されるリアルな場面があったりして、この作品を読んでいる子どもがどう感じるかなと思いましたが、現実にこういうことが起きているのだからしっかり受け止めてほしいです。日本にはあまりありませんが、外国にはこういう題材のノンフィクション、フィクションがたくさんあります。考えなければならない現実や思いがあるから、こういう作品が書かれるのでしょうね。

ハリネズミ:ジョン・レノンのイマジンを物語にするとこういう感じかなと思いました。ありえないことかもしれないけど、こうあるといいなという願い。最後に会わないのが気になる人もいるかもしれないけど、会うことにすると非現実的なありえない話になってしまう。だから凧をあげるというだけにとどめて、あり得るかもしれないというニュアンスを出してるんじゃないかな。舞台はどこでもよかったのかも知れないけど、いま起きていることという意味を持たせるためにパレスチナを選んだのではないでしょうか。ただパレスチナの問題をどうこうしたいというより、象徴的な舞台として使っている。横書きについていうと、原文は横書きでも、本にするときには日本の子どもに読みやすいという意味で縦書きの本として編集し直すことはありますよね。
 「わたしはおろかにも、この奇跡的な瞬間をカメラにおさめるのをすっかりわすれていたのだった」ということになってますが、胸がいっぱいになってカメラで撮れたか撮れなかったかは二の次だというのが一点。もう一点は、カメラで撮ったというと願望ではなくリアルになりすぎるというのがもう一点だと思います。そんなことを考えると、やっぱり小さい子ども向けの物語ではなくて、ジャンルとしてはYAなんでしょうね。

三酉:成功か失敗かのきわきわの作品だと思います。夢物語としてもここまで書いていいのか。最初は誤解しましたが、途中からノンフィクションじゃないんだと思いました。謎があとからあとから出てくるのは、こういう仕掛けなんですね。青いスカーフなんていうのはうまいです。イマジンというと、ほんとうにそうかもしれない。映像がとれなかったのは、これはお話ですという意味でしょう。率直にいうと、サイードの子どもの語りがべたついていて、読みづらかった。いかにもお涙ちょうだいというか。日本語というのは、難しいなと思います。銃撃の場面を子どもに語らせるというのは、お話の構造上仕方ないですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)


父さんの手紙はぜんぶおぼえた

タミ・シェム=トヴ『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』
『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』
タミ・シェム=トヴ/作 母袋夏生/訳 
岩波書店
2011.10

ajian:しっかり取材に基づいて書かれている本で、10歳の子どもが細かいことまでよく覚えている。成績の場面など、この経験をした当事者じゃないとなかなか言えない気持ちだなと感じましたし、そういうところはほかにもたくさんあります。あとは何といっても、手紙がすごくいいですね。有名な学者さんらしいけど、日本では知られていないので、市井にこういう人がいたのかというような気持ちで読みました。最後に写真がたくさん載っていますが、ここもいい。

ルパン:最初はアンネの日記みたいな本かな、重いのかなと思ったけど、読みはじめるとおもしろくて、どんどん読みました。タイトルがいいですね。暗い時代にこういうユーモアがあふれる手紙を書いて、いいお父さんだなと思います。個人的に残念だったのが、タイトルから、この子が手紙をぜんぶ覚えるシーンがあるのかなと思ったんですけど、そういう場面はありませんでした。

ハリネズミ:タイトルは、でも日本でつけているものだから。

三酉:イディッシュ語はわからないけど、英語タイトルはLetters From Nowhereで、そのままでは日本語のタイトルにならないし、そこは難しかったと思います。

すあま:とてもよかったです。ただ、読んでほしい年齢の人に読んでもらうには字がちょっと小さいかなと思いました。字を大きくするとページが増えるので、苦渋の決断だとは思いますが…。そして、リーネケのおねえさん、ラヘルがとてもよかったです。ラヘルにもお父さんから手紙が来ていたのでしょうか。たまに登場すると料理がうまくなっていたり、発言が面白かったりするので、ラヘルの視点で書いた物語があったら読みたいと思いました。以前読んだ『木槿の咲く庭』(リンダ・スー・パーク著、新潮社)にもありましたが、名前を変えるというのは、とても大きなことだとあらためて思いました。

うさこ:とても重厚でまじめな物語ではありますが、心に残してくれるものが多い本だと思いました。名前を変えて自分の人格を否定して生きるというのは、どういうことかとか、リーネケに気持ちを寄せながら読んでいきました。お父さんの手紙の内容一つ一つに愛情があふれていていい。

プルメリア:表紙の手紙をみて、何だろうと思ったのですが、タイトルをみて、ああ、これはお父さんからの手紙なんだと思いました。作品の中に出てくるお父さんの手紙の題がおしゃれでとてもすてきです。「絵といっしょにおしゃべり」「5月24日 リーネケはたまごから飛びだした」など。現実と過去が交互に書かれている構成もおもしろいです。ドクターの家族がリーネケを家族の1員として愛情をもって見守るやさしさもいいですね。ドイツ兵が来たときには、ちょっと危ないのかなとドキドキしましたが、そのドイツ兵からタバコをもらっておじいちゃんにプレゼントし、おじいちゃんはタバコをケチケチと大事に1週間かけて吸い、その間じゅうクリスマス・ソングを歌い続ける場面はユーモラスです。怖い怖いとおびえる中にもこういう交流もあったのかな。戦争後、ドクターがリンゴごの木の下に隠しておいた手紙を出す場面が感動的でした。手紙に込められたお父さんのあつい思い、手紙を手元におけないリーネケの切ない思いを知っているから捨てることができなかったのでしょうね。ところどころに手紙が入っているので一息つけるし、次はどうなるのか展開が気になります。字は細かいけど読ませる作品でした。

ハリネズミ:この本にかぎらずユダヤ人の作家がホロコーストについて書くのはとても多いし、それは片方では必要なことなんだけど、もう片方では現在イスラエルがパレスチナに対してやっていることを隠蔽することにもつながってしまうと思うんです。しかもパレスチナの側から書いたものは数が少なくて、ホロコーストものは次々に出版される。そうなると、またか、という気になるのも確かです。この本の主人公へのインタビューが巻末にあるんですけど、その最後は「見て下さい——のびのびと自分たちの地で暮らすユダヤのうるわしい大家族を」となっていて、パレスチナ人は視界にまったく入っていないんですね。ちょっとどうかと思いました。ユダヤ人だけを責めるわけではないんですが。日本の戦争物も加害者の視点なしに書かれているものは多いですからね。
 ただ、この本はお父さんの手紙がすごくいいですね。この手紙のおかげで、この子は戦時下の不安定な状況の中にあっても、守られているという感覚を持てたはずです。私は細切れの時間の中で読んだので、登場人物についてはちょっと混乱しました。登場人物リストがあってもよかったかも。翻訳はところどころ引っかかりました。p22の台詞の中は「粉剤」じゃなくて「粉ぐすり」でもいいのかな、とか、p28の「シンタクラースのプレゼントもいいかもしれない」は、どういうニュアンスで言っているのか、ちょっとつかめませんでした。p34の「もしかして、大きい動物を、家畜もペットも好きになるのをやめちゃったのかもね」というリーネケの台詞ですが、その前に「牛やヒツジ…をどんなに、知ってるだろ?」というお父さんの台詞があるので、つながらないような気がしました。またp66には『もじゃもじゃペーター』が出てきますが、ハインリッヒ・ホフマンの本のことを言ってるんだとすると、一冊の本の中にいくつかの話が入っているわけですから「シリーズの一冊」はおかしいのでは? などなどです。日本語版の書名や表紙はとてもすてきです。

三酉:父親たる身としては、すごいと思った。この人は、ユダヤの貴族階級がほれてしまうぐらいに魅力的な男だったのではないでしょうか。直接関係はないんですが、最近、ユングの『赤の書』という本が出ました。ずっと非公開だったんだけど、ユング財団が最近OKして。これがすごい。200ページの書き文字なんです。それで、そういう伝統ってあるんじゃないかと思いました。今世紀までは継承されていないかもしれませんが、こういう書き文字ができるという男がかつては結構いたんじゃないかと。

ハリネズミ:修道院の文化にかぎらず、子どもに絵手紙をおくるという文化はあるんじゃないですか。ビアトリクス・ポターの本も、そもそもは子どもに宛てた絵手紙だったし。

ajian:オランダも相当いろいろあったみたいなので、やっぱり相当幸運な家族じゃないかとは思います。

三酉:たしかに幸運もあったでしょう。だってほとんど全員生き延びて、死んだのは病気で死んだ母親だけだっていうんだから。それから、手紙についてだけど、子どもは画像的な記憶がすごい。我々が覚えるよりはるかに覚えられたんだと思います。特にすごいことだとも思わずに、ごく当たり前に覚えてしまってたんじゃないかな。

すあま:この手紙は何十年も経ってからじゃなくて、戦争が終わってすぐに出てきたわけですから。

ハリネズミ:手紙に使っていた名前が、本名じゃなかったから、見つかってもそれほど危険じゃなかったのかも知れませんね。それにしても、この本の主人公は戦後、戦時中の偽名を自分の名前として選び取るんですね。戦時下の体験がとてもつらいものだったら、普通は自分の本来の名前に戻るはずだと思うんですけど。たぶんお父さんの手紙や何かのおかげで、この子はそれほどつらい思いはしなかったんでしょうね。アンネ・フランクなどと比べてラッキーな面もあったのでしょう。

三酉:あと、この名前は、強制的に変えられたのではなくて、生き延びるために自分でつかんだ名前だということもあるよね。

ルパン:お母さんの名前なんですよね。

ハリネズミ:恵まれて、守られていたから、かえってこう、無反省になっちゃったという面もあるのかもしれませんね。

三酉:美しい話になっているので、本当だとわざわざ謳う必要があったのかなとは思う。

すあま:これまでにここで取り上げた本の中にも、本当の話だと思って読んだら、実は寓話だったというものもありましたから…。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)


2012年01月 テーマ:それぞれの大切なもの

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『2012年01月 テーマ:それぞれの大切なもの』

 

日付 2012年01月19日
参加者 プルメリア、 シア、すあま、ハリネズミ、ajian、ルパン、うさこ、三酉
テーマ それぞれの大切なもの

読んだ本:

富安陽子『盆まねき』
『盆まねき』
富安陽子/著 高橋和枝/挿絵
偕成社
2011.07

版元語録:おじいちゃんの家でなっちゃんが聞いた、3つのお話と盆踊りの夜に体験したふしぎな出会いを描く。戦没者への鎮魂歌。 *第49回野間児童文芸賞受賞
マイケル・モーパーゴ『カイト:パレスチナの風に希望をのせて』
『カイト〜パレスチナの風に希望をのせて』
原題:THE KITES ARE FLYING by MichaelMorpurgo, 2010
マイケル・モーパーゴ/著 ローラ・カーリン/絵 杉田七重/訳
あかね書房
2011.06

版元語録:2年前の事件で言葉を失った少年。自分で作った凧をあげる少年サイードの夢とは? パレスチナの悲劇と希望をえがいた物語。
タミ・シェム=トヴ『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』
『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』
原題:LETTERS FROM NOWHERE by Tami Shem-Tov
タミ・シェム=トヴ/作 母袋夏生/訳 
岩波書店
2011.10

版元語録:ユダヤ人一家の末っ子リーネケは、家族と離れ、遠い村の医者の家にあずけられた。心の支えは、ひそかに届く父さんからの手紙。奇蹟的に保管されていた手紙とともに、リーネケの記憶がよみがえる。

(さらに…)

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