カテゴリー: 子どもの本で言いたい放題

空からきたひつじ

『空からきたひつじ』
フレート・ロドリアン/著 たかはしふみこ/訳 ヴェルナー・クレムケ/絵
徳間書店
2010.03

プルメリア:ストーリー全体がほのぼのとした感じ。登場人物や、子どもたちが大好きな乗り物(消防自動車など)が出てきたり、帽子をかぶせてもらうところなどは、1、2年生には楽しめる作品だと思います。金魚が物語の場面ごとに出てきて、何気ない表現ですが、ストーリーを動かしているのかなとも思いました。羊のもこもことしたやわらかい感じが、癒しになります。幼年文学として、お薦めの作品ではないでしょうか。

ダンテス:ごめんなさい。あまりピンときませんでした。ほんわかはしてますけれど。絵の色彩はきれいだと思います。

三酉:私もピンとこなかったけど、いろいろ考えました。1958年の東ドイツ。ベルリン封鎖の1960年。東西関係が緊張している中で書かれた本なので、いろいろ読み方があるのではないかと思います。だから金魚やインコは何かを意味しているのではないでしょうか。羊が突然降りてきて、生きるの死ぬのというのは、東ベルリンから西ベルリンへの救出劇を表しているのか? クリスチアーヌと主人公の名前は、ソ連を意識しつつ、キリスト教国の西側を暗示しているのか? わからないですけど。

ゆーご:対象年齢は何歳なんでしょう。読んでいる途中で意味がわからないところがあって、小学生の中学年でもむずかしいと思います。犬とザワークラウトとの関係、鳥の役割などは現在進行形で気になっています。挿絵の羊の表情が実にさびしそうですね。それもあってか、全体的にしっとりとした物語という印象です。最近の絵は細めの女の子が多いですが、主人公の女の子のふくよかさが好きです。羊のような繊細な心への理解が、この話を読むことで深まるといいと思います。

優李:さっと読んでしまいましたが、途中出てきた金魚と小鳥が活躍せず、その背景が語られないまま最後までわかりませんでした。羊は、羊雲の連想でしょうが、いいと思います。挿絵もとてもいいと思います。繊細な物語ですね。元は絵本で出ていたということですが、それをこの幼年童話の形にして、読者層に受け入れてもらえるように読んであげたり紹介したりするのは、私には大変かもしれないです。

ジラフ:純粋に、いいお話だと思いました。色や手ざわりなど、細部の“質感”がていねいに描かれていて、物語が生き生きとしています。この本がなぜ、いま出たのかと考えると(原書は1958年刊)、やっぱり、絵の魅力が大きいと思います。ヴェルナー・クレムケのリトグラフは、いま見ても非常にモダンです。ヨーロッパの言葉から日本語への翻訳は、読み物の場合、横のものを縦にすることが多いですが、挿し絵のふんだんな子どもの本では、その処理に工夫が必要です。この翻訳書は、縦書きの幼年童話のかたちになっていますが、絵の配置や、ズームと引きの緩急のつけ方なんか、絵の入れ方もとてもいいです。羊雲がモチーフということから、いつだったか、夕暮れどきに、西日を背にした雲が、クマのプーさんそっくりのかたちをしていて、金色にふちどられていて、道ゆく人がいっせいに携帯をかまえて、写真を撮っていた光景を思い出しました。雲というのは、何か連想が広がるんですよね。

メリーさん:羊を何とか助けようと、男の子たちをさっさと手配して、自分も走り回る……主人公のクリスチーネが何ともたのもしい物語でした。(対照的に、歯医者さんで歯をみがこうねと言われ、消防士の帽子をかぶってご機嫌な男の子たちは、あまり役に立っていませんが……)ヨーロッパでは、警察より消防士を信頼できる職業だと思っている人が多い、という話を聞いたことがあります。いろいろな人に出会いながらも、最後に頼りになるのは消防士さん。消防車のはしごで羊を空に返すというアイデアが、素朴だけれど味があっていいなと思いました。

すあま:幼年童話を評価するのは、むずかしくて、読み手である子どもがどう読むかを考えながら読むことが必要だと思います。私が子ども時代に好きだった幼年童話を、他の大人の人が読んで、おもしろさがわからなかったと言われたことがあり、小さい人向けの本の評価はむずかしいと実感しました。この本は、絵本だと文章が多すぎて読みにくい。だからこの形にするのはとてもいいのかなと思いました。羊を空に返すという問題を、主人公の女の子がどう解決するのか、わくわくしながら読めました。助けを求めに行った男の子が失敗したり、頼りになるかと思った羊飼いが毛を刈ることしか考えていなかったり、最後ははしご車が出てきたりと、次はどうなるのかを期待させる展開が、とてもよくできていると思います。

たんぽぽ:絵がとてもきれいだと思いました。幼稚園で男の子の一番人気の職業は消防士らしいです。安心して渡せる本かなと思いました。前は絵本の形で出ていました。これは復刊ではなく、あくまで新刊だと聞きました。最近、昔の作品を形を変えて出していることがとても多いですね。

シア:さらっと読めましたが、中身はあまり印象に残りませんでした。他の本にくらべて値段が高いですね。水の循環の話が載っており、理科的なおさえはされているので、最後には羊は消えちゃうのかと思っていたのですが、結局はしご車で解決してしまう、というファンタジーに面食らいました。それに、絵本のせいか、不自然なシーンも多く、少し落ち着きませんでした。例えば、主人公の家のインコなのだから、犬とザワークラウトの関係は知らないはずなのに「ザワークラウト!」と鳴いたり、動物と話すのが夢である主人公なのに、羊がしゃべってもとくに驚かなかったりなど。学校に通うクリスチーネですが、出てくる男の子たちは幼稚園で、年が違うんですね。とはいえ、外国の文化や風土にふれることができました。夏休みには学校に先生がいないことや、町はずれに羊飼いがいるというところ、結婚式に馬車に乗るということ(道路に馬車が走っています!)、おやつ代わりに草の茎をかじる子どもたち、消防士の服も違う、そんなところですね。それから、サーカスの車が文章には出てくるんですが、それが挿絵として出てこないなど、細かいところばかりが気になってしまいました。

オカリナ:たんぽぽさんに読んでいただければ、ゆったりとした味わいがおもしろいと思えるでしょうが、自分でさっと読んでもあまりおもしろいとは思いませんでした。絵はとてもいいのですが、物語世界の中でのリアリティが気になりました。チリは、羊は「雨になっておちてくる」と言っているのに、チリ自身は羊のまま。子どもは変だと思わないでしょうか? また消防車のはしごで空に帰るという設定は、牧歌的すぎて今の子どもには無理なのでは? 今の子どもの絵本には、たとえば「月をとりたいけどはしごでは届かない」なんていうシチュエーションが、たくさん出てきますからね。最後の、クリスチーネに対して羊がお礼を言うのではなく、金魚が「お礼をいった(かもしれない)」というのは逆に大人っぽい書き方で、この本の年齢対象の子どもたちにはわかりにくいと思います。

タビラコ:昔は、日本の絵本でも、女の子はぽちゃっとしていたんじゃないかしら。男の子も女の子も、まるまるぽちゃっとしている子どもがかわいいと思われていたのが、今ではずいぶん変わってしまいましたね。絵はとても明るくて、のんびりしていていいし、物語も「好ましい」物語なんだと思います。でも、幼年童話にしては、文章の分量が多いのでは? なんだか、内容と文章の分量のバランスが悪いなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年9月の記録)


2010年09月 テーマ:夏休みに読みたい低学年向けファンタジー

no image
『2010年09月 テーマ:夏休みに読みたい低学年向けファンタジー』
日付 2010年9月16日
参加者 オカリナ、ダンテス、すあま、タビラコ、三酉、優李、プルメリア、シア、たんぽぽ、ゆーご、メリーさん、ジラフ
テーマ 夏休みに読みたい低学年向けファンタジー

読んだ本:

『れいぞうこのなつやすみ』
村上しいこ/著 長谷川義史/絵
PHP研究所
2006.06

版元語録:まいにちまいにちせっせとはたらいているのに、れいぞうこにはどうしてなつやすみがないんやろうか?
『なんでももってる(?)男の子』
原題:THE BOY WHO HAD (NEARLY) EVERYTHING by Ian Whybrow, 2000
イアン・ホワイブラウ/著 石垣賀子/訳 すぎはらともこ/絵
徳間書店
2010.04

版元語録:これ以上、何がほしいか、わかんないよ! ナンデモモッテル家のひとりむこフライが、おたんじょう日にであった、「ほしいもの」は…?
『空からきたひつじ』
原題:DAS WOLKENSCHAF by Fred Rodrian & Werner Klemke
フレート・ロドリアン/著 たかはしふみこ/訳 ヴェルナー・クレムケ/絵
徳間書店
2010.03

版元語録:羊雲から落っこちた羊を空に帰してあげようと女の子が頑張ります! 旧東独を代表する児童文学者と画家の名作童話。カラー挿絵。

(さらに…)

Read More

建具職人の千太郎

岩崎京子『建具職人の千太郎』
『建具職人の千太郎』
岩崎京子/著 田代三善/絵
くもん出版
2009.06

ジラフ:課題図書を読んだのは久しぶりだったので、自分の子どものころに比べて、ちゃんとおもしろそうな作品が選ばれているんだな、という印象を、まず3冊に共通して持ちました。『建具職人の千太郎』は、江戸後期という時代設定で、「惣領」とか「燠火」といった、すたれつつある日本語や、「仁義」の由来など、言葉がおもしろいと思いました。語り口調が藤沢周平の朗読でも聴いているようで、江戸情緒にひたりながら、気分よく読みました。テーマということでいうと、『ビーバー族のしるし』とも共通しますが、男の子のイニシエーションということになるかと思います。そのなかで、昔の日本人が持っていただろう、分をわきまえるという感覚、自分なりの居場所で、自分の生き方を貫いていく、すがすがしさが描かれている気がして、全体として肯定的に読みました。

酉三:そうか、言葉をおもしろいと。私にとってはそんなに、肯定的に読めませんでした。60過ぎの者が、50歳以上はなれた子どもに与えられたものをどんな目線で読んでいいのか。細部でつまずいたのは、建具職人の棟梁の息子が最初に出てきたときは、出てっちゃったと仕事に真摯じゃないように読める。でも、帰ってきたところは、修行から帰ってきたみたい。このへんは誤読をまねくかな? 子どもに手わたすものとして、これでいいんでしょうか。編集者が見落としたのかな? ほかの2冊と比べると、作品として弱い。なぜ課題図書に選ばれたのか、よくわかりません。じゃあ、この秋次って人の葛藤はなんなんだろうって。

ハマグリ:棟梁の息子はちょっとアクセントになる人物ですからね。もっと掘り下げてほしいなと思いました。よく調べて書いていらっしゃるというのはわかるけど、なんかあんまりおもしろくなかったですね。千太郎の造形がいまいちで共感できず、むしろ姉のおこうのほうが生き生きとしていたと思います。建具屋という狭い世界のなかでも上下関係があり、それぞれの居場所がはっきりと決められているというのはよく書かれていたけれど、建具職人の仕事をもっと詳しく書いてほしかった。こういった手作業は読者の子どもも興味をもつと思うし、ノンフィクションではないけど、職業に対する関心も深まると思うので。

プルメリア:小学校高学年の課題図書で、時代物の作品ですね。読むのが楽しみでした。職人言葉に時代が表れているので、その時代に入っていけます。手に職を持つ職人、農民から専門家が出てきた時代(p13)がよくわかりました。職人が新しい家を建てるとき、古い家を解体しないで水平に引っ張って移築する専門的な技術が書かれているし、また建具職人の道具が挿絵に出ているのもよかった。知らない子どもが多いので、組子についても文だけでなく挿絵があったほうがもっとわかりやすいんじゃないかな。のこぎりは小学校の図工で使いますが、かんなは使わないので、削り方の難しさが読みとれるか、ちょっと心配です。おこうは10(9)歳、建太郎は7歳、手に職をつけさせようと子どもを置き去りにするおこうや千太郎の父親に対して、棟梁の喜右衛門、亀吉の父親留太郎、生麦の名主の関口藤右衛門たちはおだやかで温かい人柄に描かれています。手に職をつけ生きていく時代に奉公する子どもたちの生活や徒弟制度(上下関係)、江戸の食文化や生活様式がわかりやすく書かれていました。しかし、きびしい身分社会の中で生活に苦しんでいただろう農民の暮らしや時代背景が、ややわかりにくいかな、とも思いました。

うさこ:子どもが多く、大人は日々を生きるのに精一杯だった時代に、幼い年齢の子どもが「口べらし」という形で奉公に出されます。今の若い読者は、それだけでもショックを感じるのではないかと思いました。建具や建喜の人々、当時の職人さんの仕事ぶりや子どもたちの境遇などはよく書いてあったと思うし、おもしろかったけど、タイトルに千太郎とつけられているので、この子が主人公の成長物語だろうと思って読んでいくと、なかなか千太郎の姿が見えず、読み始めてから少し悶々としました。よく調べて書いているので感心するところもありますが、この時代のことをあれこれ解説しなければいけない場面も多く、ところどころ文が説明に追われている印象も受けました。この時代の雰囲気、空気感みたいなことはすごくよく伝わってきたし、後半の子どもたちの動きやセリフも生き生きとしてきたのですが、全体的にエピソードが一つ一つ並べられているだけのような印象もぬぐえなくて、そのあたりが残念でした。p154の「弱音をあげる」は「弱音をはく」か「音を上げる」の間違いでしょう。
エーデルワイス:おもしろく読みました。落語が好きなので、「芝浜」や「薮入り」を思い出させるような江戸情緒に溢れる話でした。筆者は、かなり細かく取材なさったようで、まじめに書いていらっしゃると思います。ただ、千太郎が主人公でいいんでしょうか。おねえちゃんもかなり大事ですし。千太郎が話の中心になるのは後の方ですよね。

メリーさん:なぜ、今これを読ませるのかなと思いました。かなり昔の課題図書のような感じがして。ただ、子どもたちの人気の職業に大工があがっているということもあって、選ばれたのかなとも思いました。あとがきを読むと、著者も実際に調べて書かれているようですが、よくある設定で類型的な感じがしてしまいました。建具という特徴がもっと出るといいなと思います。主人公も千太郎か、おこうか、それとも秋次なのか……物語がどれも中途半端な気がしてしまいました。

レン:何カ月か前に、朝のニュース番組で岩崎京子さんがとりあげられて、そこで鶴見に取材に行くようすが映ったり、ご自身の家庭文庫に来る子どもたちを見ていると元気がないのが気になるとおっしゃっていたりしたので、この本が出たとき「これか」と思って読みました。学校に行かず小さな頃から奉公に出ているけれども、とても元気なこの時代の子どもたちを描きたかったのかなと。材木屋の知人の話では、木というのは、木取り一つでもわかるのに何十年もかかるらしいので、建具職人の仕事一つ一つに説明したいことはいくらでもあるのでしょうけれど、この本はあまりごちゃごちゃさせず、小学校中学年・高学年の読者にもわかるようにうまく説明していると思います。どの人物もどこかいいところがあって、悪いところは、みな承知でつきあっている、清濁併せ呑むような懐の広さを感じました。おこうが仁義を切るシーンが私もとても好きでした。確かに千太郎が出てくるまで時間がかかるので、これは千太郎の物語というより、建具や建喜の物語なのかなと思います。

すあま:最初、千太郎が出てこなくて姉のおこうさんから始まったので戸惑いました。主人公が後から出てくるというのは変わってるなと思いました。あの時代はこんな感じだったのかと興味深くは読めるけれど、登場人物一人一人のインパクトが弱い。共感しながら読むことができるほどには、登場人物の心情が深く描かれていないので、物足りない感じ。語り手が少し離れたところからながめているようで、千太郎の成長も実感できず、ちょっと残念でした。

げた:私は子ども向けの歴史物語ってあんまり読まないんですけどね、それなりにおもしろく読めました。作者の岩崎さんはお年なのにすごいな、ってことがいちばん印象に残ったことですね。この作品のために作品の舞台となった地元へも取材に行かれ、十分調べた上で書かれたんですよね。確かに筋だけがさらっと流れていて、人物描写に物足りなさがあるといえばそうですが、登場人物それぞれの成長物語としては十分楽しめると思いますよ。この時代の子どもたちは知識を詰め込むのではないけれど、知恵を蓄えて大人になっていく、いろんな人たちに揉まれながら成長していく、っていうことが当たり前に行われていたんですね。それは今の子どもたちには味わえないところですよね。子どもたちに読んでほしいと思う一冊ですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年7月の記録)


ビーバー族のしるし

エリザベス・ジョージ・スピア『ビーバー族のしるし』
『ビーバー族のしるし』
エリザベス・ジョージ・スピア/著 こだまともこ/訳
あすなろ書房
2009.02

ハマグリ:旧版は地味な本で特におもしろいと思わなかったけれど、今度は読みやすくおもしろい作品になっています。この著者や描写が具体的で、例えば木の上にリスがいた、というのでも、「木の枝に、しっぽが耳の後ろまで巻きあがったアカリスがいるのを」と、はっきり目に浮かぶように書いています。だから物語の世界に自然に入っていける。時代が古いし、ネイティブ・アメリカンとの交流という設定は日本の読者には遠いかもしれないけれど、「異文化を受け入れる」という点で、今の時代にも共通することがあるし、たくさん学ぶべきところがあると思います。特におもしろかったのは、マットがエイティアンに『ロビンソン・クルーソー』を読んであげるところ。マットはストーリーを暗記しているから、次にどんな場面がくるかよくわかっていて、エイティアンの反応をさぐりつつ読んでいく。そこがおもしろかった。原作は1983年刊ですが、当時と今とではアメリカでのネイティブ・アメリカンに対する考え方が違ってきていると思う。今、新訳になって新しい本として日本の読者に差し出されて、微妙な問題がないのかどうか、ちょっと気になりました。

酉三:開拓時代のせっぱつまった状況とはいえ、男の子が開拓地で一人で数か月も留守番をする、という設定に驚きました。作品には好感を持てました。70年代に、先住民が連邦政府に対していろんな異議申し立ての運動を始めますが、80年代に書かれたこの本は、それに対する白人作家の一つの答えなのでしょう。両親を白人に殺された孫に、部族の長として英語を学ぶように要求するじいさんというのもすごい。今は先住民の作家が書いた、『はみだしインディアンのホントにホントの物語』(シャーマン・アレクシー著 さくまゆみこ訳 小学館)なんていうのがあって、部族の状況は今も悲劇的だけれど、新しい息吹も感じます。

ジラフ:異文化との出会いについてなど、ハマグリさんが、とてもうまく言ってくださいましたが、私も『ロビンソン・クルーソー』というモチーフが、すごくうまく使われていると思いました。エイティアンとの出会いによって、「……けっきょく、ロビンソン・クルーソーは、離れ小島で王さまみたいな暮しをしていたということじゃないか!」といった気づきが、マットの側にあったり。アメリカの醍醐味は、やはり大自然にあるということも、この本を読んであらためて感じました。エイティアンが去ったあと、マットが家族の帰りを待ちながら、黙々と自分の仕事をするところは、静かな場面ながら、感情的に非常に高まりがあって、物語のクライマックスのように感じました。エイティアンとの別れや、家族との再会のようにドラマチックではありませんが、大切な場面だと思います。

レン:とてもおもしろく読みました。特に、異文化に対するマットの態度の変化が興味深かったです。最初は大人たちが言うとおりの目でインディアンを見ていたマットが、思いがけない出来事で相手の価値に気づいて、やがてわかろうとしていく。そして最後は、わかるところもあればわからないところもある、全面的にすべてで意見があうわけじゃないけれど、それでも友だちでいる、と変わっていきます。異文化交流の本質を教えてくれていると思います。『ロビンソン・クルーソー』の使い方がうまいですね。マットがすごいと思っているところで、エイティアンが、こんなのたいしたことないみたいに言うところなんか、とてもおもしろいと思いました。ぜひ子どもたちに手渡したい本です。

メリーさん:先住民の暮らしと白人の開拓民の生活が交差する場所で、ふたりの男の子が心を通わせるのはやはり人間としてなのだなと、読み終えて思いました。彼らが、食べ物や道具を自分たちの手で作り出していくところはおもしろかったです。マットがエイティアンに読んで聞かせる『ロビンソン・クルーソー』と、ようやく家族が戻ってきたときにマットが父親に語るエイティアンたちの物語が、パラレルになっている気がしました。物語中のリアリティに関して、なぜ先住民の長老が子どもに英語を学ばせようとするのかということ、最初にエイティアンが片言の英語でマットと会話するということ、『ロビンソン・クルーソー』を英語で読んでわかるところなど、本当に英語を使ってのコミュニケーションが成り立ったのか、少し疑問に思いました。

エーデルワイス:お父さんが息子一人残して戻っちゃうというのがすごい設定で、悪いやつがライフルをかっぱらっちゃって、小麦をクマに取られちゃう。次から次へと、父親に残された男の子が試練に会う、そして命が危ない所でインディアンに助けられる、ある種パターン化されているって言っちゃ悪いですかね。きっと調べた話、背景のある話だろうと思いますけど、男の子の冒険ってことでは、インディアンに助けられて、さらには嫌われていたおばあちゃんにも好かれてよかったね、となります。公民権運動の次の時代、黒人だけではない、やはり虐げられていたインディアンの人たちもいたんだよと伝える話でしょうか。もう一つはすごい初歩的な話で申し訳ないんですけど、インディアンが白人に追われていったのは、西へ西へと思っていたんですけど、北へも行ったというのを今回はじめて知りました。ニューイングランドは、かなり早い段階で白人の世界になったと思いこんでいましたが、こんなことがあったんですね。話を戻して、実はインディアンの文化が優れていたんだよと伝える点、例えば旧約聖書のノアの箱舟の話をして、インディアンにも同じような話があるというのがありましたが、キリスト教世界がベストではないという文化の相対化も含めてそんな話を入れたのでしょう。英語の原文ですが、日本語だと例えば、「インディアン、うそつかない」のようなパターン化された表現があります。最初の頃はまだ拙い英語であったのが、だんだんとうまくなっていっているんでしょうか。訳になるとその辺は分からなくなってしまいますね。

シア:私はとてもおもしろく読みました。以前出版されたのは知らないので、今回初めて読みました。中高の課題図書たくさん読まなきゃならなくて、その中でさわやかで、昔懐かしい定番感に安心しました。子どもも読めるし、読者をひきつける魅力があります。最後もハッピーエンドで楽しめました。『トム・ソーヤーの冒険』とか『ハックルベリー・フィンの冒険』とか好きなので、生きる知恵というのも楽しく感じることができました。ただ、「ビーバー族」という題なので、ビーバーがからんでくるのかと思ったら、あくまで外から来た少年の成長物語に終始していましたね。生き物についてはさらりと書かれているだけでした。出てくるインディアンは親切ではないけれど、主人公を見守ってくれていましたし、自然と生きていくことの大切さや大変さが温かく描かれていました。アメリカ人の持っている黒い歴史にも触れることができます。でも、子どもなのに銃を撃ってみたり、昔の子ってたくましいなあと。それからモカシンというのは、インディアンの靴のことだったんですね。なるほど、そういえばそんな形をしていました。モカシンなんてオシャレ靴だという感覚しかなくて。また、『ロビンソン・クルーソー』という名作を作品の中で出してもらえたので、一面的に本を読むのではなく、いい面、悪い面を読んでいけたと思います。ぜひ子ども達にすすめたい本です。でも、「インディアン」という言葉がそのまま帯にまで出てきていて、びっくりしました。最近は使わないので、いいのかなとずっとハラハラしながら読んでいました。あとがきで使用についてわかってよかったのですが、最初に書いておいてもらえればずっと安心して読めたと思うんですが。

うさこ:私もおもしろく読みました。自分の世界を広げてくれる1冊でした。18世紀半ばの先住民族の暮らしとか、自然のなかで生きるルールとか、生活の知恵とか、ああなるほどなるほどと思いながらとても興味深く読みました。マットとエイティアンは典型的な異文化交流って感じで、最初はマットもいいとこを見せようとするけれど、関わるうちにだんだんお互いを認め合い、自然体で心を通わせていく姿は、読んでいてすがすがしかった。「共生」というのもこの物語の一つのテーマだったように思いますが、最後、ビーバー族は、白人との接触をさけるために奥地へ行く。最初は、白い人にだまされないように英語を教えてほしい、とマットに近づき頼んだサクニスじいさんでしたが、長老として選んだのは「共生」のために奥地へ。マットとエイティアンの成長の物語としても読めたし、人間と自然との共生の物語としても読めました。

プルメリア:きびしい自然界のようすがよく書かれていてとてもわかりやすかったです。家族がいないきびしい自然の中で一人で生活する主人公マットがインディアンと出会い、最初は相手を受け入れない受け入れたくない民族的な壁をもち、ぎこちない態度で交流しているうちに二人の間に友情が生まれてきます。インディアンの少年エイティアンがかわいがっていた犬を助けたことからインディアン社会にうけいれられて、インディアンに支えられながらいろいろな自然界の知恵を教えてもらいたくましく成長するマット。読み終わった後、課題図書にはとってもいい作品だと思いました。小学生の頃『ロビンソン・クルーソー』を読み、無人島でたくましく生きていく主人公が大好きでしたが、この本を読んで忘れていたことがたくさんあり、もう一度内容を知りました。おじいさんがときどき話す「よろしい」という言葉に人柄があらわれており、その言葉を聞いて少年が心を開いていく過程が読み取れました。少年のリラックスする感じが出ていておもしろいなと思いました。エイティアンが大切にしている犬を残していく、マットはさりげない言葉でとっても大事にしている時計を渡す、二人の相手を思いやる心情が素敵でした。表紙を見ると、インディアンの少年が不細工に見えますが、もっとイケテル感じだとよかったのではとも思います。

げた:本にずっとカバーをかけていたんで、表紙のエイティアンが不細工に描かれていたかどうかは気がつきませんでした。エーデルワイスさんが、インディアンを持ち上げるみたいに書かれていると言ってましたけど、そこまで言わなくてもいいんじゃないかと思いますよ。白人である自分たちにも家族がいるように、インディアンのエイティアンにも、おじいちゃんがいて、お父さんがいて、同じように家族がいるんだということを表現しているにすぎないんですよ。インディアンの方が優れているとか、どっちがいいとか悪いとか書いているわけではないと思います。おたがいの生き方、文化を尊重するということの大切さを読んでほしいんじゃないのかな。私は基本的に楽しく読みました。ハマグリさんが言うように、目に見えるように具体的に書かれていますよね。読んでいると、マットやエイティアンに会ってみたくなりますよ。『とむらう女』(ロレッタ・エルスワース著 金原瑞人訳 作品社)と同じように、開拓時代の人々には、今回も生きる知恵を身につけていく力強さが感じられて、憧れちゃうなとも思いました。インディアンって、最近テレビとか子どもたちが接する場面ってあんまりないんじゃないかな。私の子どものころは西部劇やアメリカのテレビ映画で、ある意味類型的なインディアンを見せられていたけれど、類型的なインディアンのイメージすら、今の子にはあんまり浮かばないんじゃないかな。

シア:ディズニーの『ポカホンタス』とかで、知っているかも。生徒には、あれもちょっとゆがめられてるよ、って話もしましたけれど。

げた:今回のテーマは「課題図書」なんで、今の時期は図書館で借りられないんですよね。この本は買いましたけど、ちょっと時期をずらしてもらうとよかったですね。

すあま:『からすが池の魔女』(掛川恭子訳 岩波書店)の作者ということで、おもしろいのかなと思って読みました。1983年にぬぷんから出版されたときの本は読んでいなかったです。

ハマグリ:ぬぷんのは地味で、手にとりにくい本だったからね。

すあま:男の子二人が出会い、子ども同士だからといってすぐに仲良くなるわけではなく、反発しあって、簡単に仲良くならないところがおもしろかった。それから、主人子は現代の子ではなく、開拓時代の子なので今の子よりもなんでもできるのに、インディアンの子に比べるといろんなことがうまくできない。そんなところが、今の子でも共感して読めるかなと思いました。とにかくおもしろく読めました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年7月の記録)


ハサウェイ・ジョウンズの恋

カティア・ベーレンス『ハサウェイ・ジョウンズの恋』
『ハサウェイ・ジョウンズの恋』
カティア・ベーレンス/著 鈴木仁子/訳
白水社
2009.01

シア:『ビーバー族のしるし』と似たような時代ということで、時代背景としては、ディズニーランドで子どもたちも知ってるかな。なんて思って読み始めたら、びっくりの読みにくさ。文体のせいなのか、詩的すぎて読めません。ぶつ切りと言ってもいい文章。登場人物もだれがだれだかさっぱりわからなくて。読みながら、最初の登場人物一覧を何度も見ました。栞を挟んで読んでたくらいです。途中から見ちゃった昔の海外ドラマって感じ。訳のせいかなとも思うんですが、何がなんだかわからない。これで読書感想文を書くってどう書けっていうのでしょう? 高校生でもきびしいと思います。それに、中身はぜんぜん印象に残らないんですけど、殺人事件とか恋愛とかだけ妙になまなましくて。その辺が課題図書なのに嫌だなと。この作品を「ツァイト紙が絶賛」したって書いてあるんですけど、ドイツ人の感覚がわからなくなりました。頑張って読んで、何も残らない。表紙や題名は美しいけれど、これに騙されて高校生はみんな読むんじゃないかと思うと、心が痛みます。

エーデルワイス:そうか。最初のところに登場人物の一覧があったんですね。見ないで読んでたもんだから、名前が頭に入ってこなくて。だれかがだれかを殺したなっていうのが、4件くらいありましたか? 社会的には裁かれない。そういうこの場所での事件と、ハサウェイと彼女との恋愛がからんで進んでるんだなっていうのがわかるけれど、正直あんまりおもしろくなかったです。

メリーさん:高校生対象ということなので、ほとんど大人向け小説と同じだろうなと思いながら読み始めました。最後、メイシェを守るためにダッチ・ヘンリーを殺す場面はあざやかでした。ただそれにしても、文章が散漫で読みにくい。よくいえば短く区切ったハードボイルドなのですが、改ページ改ページで物語がつながらない感じがしました。子どもたちはこれを読んで、何を感じるのか? 追体験をするのか、全く違った時代と世界の物語として読むのか……? 課題図書になる前に、どの層をターゲットにして作ったのか疑問に思いました。文体がドライな一方で、中で擬音がたくさん使われていたり、装丁がヤングアダルトのようだったりと、ターゲットがはっきりしないところが難しい原因かなと思いました。

レン:私も途中で投げそうになりました。名前がいろいろ出てきて、だれのことをいっているのかわからなくなって。ハサウェイは、「歳は十四。いや十三か、もしかしたら十五」と8ページにあるのに、せりふがどことなくおやじくさくて、なかなかイメージできませんでした。『とむらう女』や『ササフラススプリングスの七不思議』(ベティ・G・バーニィ著 清水奈緒子訳 評論社)など、このところアメリカが舞台の作品が多いですね。アメリカが舞台だと、読者はずいぶん許容範囲が広いんだなと思いました。金鉱掘りの話なら、子どもの本で他に『金鉱町のルーシー』(カレン・クシュマン著 柳井薫訳 あすなろ書房)などがあるし、この本をわざわざ読ませなくてもと思いました。わからなさが残る作品でした。

ジラフ:『ビーバー族のしるし』を読んだすぐ後に、これを読みました。『ビーバー族〜』がしっかりとした、手ごたえのある作品だったせいもあって、散文詩のような『ハサウェイ・ジョウンズの恋』には、私もなかなか入りこめませんでした。この世界にどうしたらシンクロできるんだろう、何かアプローチできる手がかりはないか、自分の読み方が下手なんじゃないか、とすら思ったくらいで(笑)。ハサウェイの気持ちにうまく乗れれば、この美しい詩的な世界を感じることができるのかもしれない、と思いながら、結局乗れないまま、最後までいってしまいました。会話の文体にも違和感がありました。原語で読んだら、印象もまた変わるのかもしれませんけど。英語圏の作品とはちがう、ヨーロッパ特有の文体の問題もあるのな、と思いました。

酉三:私はめちゃくちゃおもしろく読みました。ハサウェイが不器用で、恋をしているということでばっちりはまった。カタカナでわけのわからない言葉(登場人物など)が続出することにも違和感はありませんでした。設定などは適当に流しながら読める。とにかく不器用な主人公と女の子の恋ということで楽しく読めたんです。作者は当時の記録を読んだのかもしれませんね。そこから想像を膨らませながら、ウェスタンを描いたのではないか。大自然の中で、むき出しの人間を書くのは、ここはとてもいい舞台。もっとおもろい言葉でくどかんか!と思いながら、主人公の不器用さにひかれて読みました。たしかに訳文は、やりすぎの感があるが、この3作の中で、私としては一番おすすめ。ただ、この恋愛を高校生に読ませて、どう思うか。年配の不器用な人が青春を思い出して読むにはいいけど。

レン:やはり大人の本なのでは?

ハマグリ:原題は「ハサウェイ・ジョウンズ」なのに、邦題には「恋」がつき、しかも「恋」を赤字で書いて目立たせています。装丁は初刷と2刷では全く違いますね。最初は大人向けの感じだったけど、課題図書になってから、タイトルを大きくしたのね。このタイトルや、きれいな表紙の絵から想像した物語とは全く違っていました。私も登場人物が多くて誰が誰やらわからなくなり、とても読みにくかった。途中で投げ出してしまいました。

ハリネズミ:私はけっこうおもしろく読みました。人殺しがしょっちゅうおこるような荒くれた舞台で、この若い主人公が一途に思いをよせていることは伝わってきます。文体も読みにくいとは思いませんでした。ただし、同じような名前の登場人物がたくさん出てきて、それぞれの人物がつかめるような描写はされていませんね。ハサウェイが生活必需品と同時に、物語を届けるということも、おもしろい。でも、これを課題図書にして作文を書くのは難しいのではないでしょうか。今の高校生がうぶな恋に心惹かれるとは思わないし、それ以外に何があるのかというと、ない。これがなぜ課題図書になったんでしょう? 大人の本として、文芸書として出して、何人か読む人がいるというのでいいんじゃないのかな。28ページの文字、前のページに送った方がいいのでは。

げた:19世紀半ばのゴールドラッシュ時代の一攫千金を夢見るアメリカの人々の人間模様や時代背景を読みとるにはいい本かな、と思いました。ハサウェイとフロラの恋を語る中で、「天使が心臓にしょんべんをかけた」という表現はおもしろいなと思いましたね。こういう時代だから、郵便事業もあるわけではないので、こういう仕事が歴史的事実としてあったということを高校生が読み取れればいいのかなと思います。この本はハサウェイとフロラの単なる恋物語ではないので、確かに、インターネットに出ている読後評を読んでも、どうやってこれで感想文を書けばいいのかわからないとか、読みにくいという感想が多かったようですね。何がなんでも今の高校生に読ませたいとい本ではないと思います。

プルメリア:表紙も素敵で、恋や友情があっていいなと思って読み始めましたが、文章が詩的で読みにくかった。ピアノを運ぶのに木箱に載せ、それをラバにのせて運んだというところがわかりづらく、小さいラバに乗せても大丈夫なのか、また父と子でピューマを簡単に射止めているが、実体験に基づいていないのではないかとも思いました。ハサウェイの父は字が書けるのに、少年になぜ字を教えなかったんでしょう? ハサウェイとフロラが簡単に結婚できるのも、ピンときません。『ビーバー族〜』とくらべると、次から次へと物事が解決していきますが、リアリティがないように感じました。最初に想像した物語とは違って、物足りなさが残りました。

シア:大半の高校生は、課題図書3冊のうちタイトルと装丁でこれを選ぶだろうと思います。とくに女の子は。だから本嫌いにしてしまうかもしれない本ともいえますね。恐ろしい罠とも言えます。

うさこ:タイトルに「恋」と入っているので、SLA推薦の「恋」なのかあ、と斜めな気持ちで読み始めました。厳しい自然のなかの出来事なのに、なんだかきれすぎる訳文がかみあっていない。そんななか、「天使が心臓に〜」などという表現は妙に際立って響いてきます。原題が「ハサウェイ・ジョーンズ」、でもこれをそのまま日本語のタイトルにしても内容がわからないので、日本語タイトルには「恋」を入れたのかな? そのために恋に関連する場面の表現は他のところより際立っていたのかなと、あれこれ想像しました。登場人物はたくさん出てくるけど、一人一人をあまり掘り下げて書いていないせいか、全体的に散漫な感じがしました。ハサウェイが郵便だけでなく、お話を届けるというのは、いいなと思ったけど。本や物語にふれることがそう多くない時代に、人間のなかにストーリーが生まれる、その原風景のようなものを感じました。ストーリーそのものをもっと読みたかったけど。どういうふうに感想文を書くのかな? きっと迷うと思う。自分の感じたままを書くと少し変になるのでは?

シア:SLAには選定図書や課題図書と色々あって、それぞれ選び方が違うので、何でこれが選ばれたんだかわかりません。

レン:「物語を運ぶ」主人公の「恋」と言っているけれど、でも語った物語そのものはほとんど出てこないんですね。だから、主人公がおもしろい話をしたというのが伝わってこない気がしました。

うさこ:たしかにそう。語ると、「つまらない」なんて言われたりして。『ササフラス・スプリングの七不思議』と違うのは、『ササフラス〜』の7つの物語がそれぞれおもしろかったこと。今回は3冊とも、現代と遠く離れた時代で、3人とも男の子が主人公で、学校にも行ってなくて…という共通点がありますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年7月の記録)


2010年07月 テーマ:課題図書を読む

no image
『2010年07月 テーマ:課題図書を読む』
日付 2010年7月22日
参加者 プルメリア、シア、すあま、エーデルワイス、うさこ、酉三、ハマグリ、げた、ジラフ、メリーさん、ハリネズミ、レン
テーマ 課題図書を読む

読んだ本:

岩崎京子『建具職人の千太郎』
『建具職人の千太郎』
岩崎京子/著 田代三善/絵
くもん出版
2009.06

版元語録:建具職人のむすこ、千太郎。ちょっと、不器用だが、不器用なりに丹精こめりゃあ…姉にはげまされ、目標を定める。江戸時代の庶民の生活と心根を描く。
エリザベス・ジョージ・スピア『ビーバー族のしるし』
『ビーバー族のしるし』
原題:THE SIGN OF THE BEAVER by Elizabeth George Speare
エリザベス・ジョージ・スピア/著 こだまともこ/訳
あすなろ書房
2009.02

オビ語録:文字の読み方を教えるかわりに、マットがインディアンの少年から学んだのは、森で生きるための知恵だった…そして、かけがえのない友情も。
カティア・ベーレンス『ハサウェイ・ジョウンズの恋』
『ハサウェイ・ジョウンズの恋』
原題:HATHAWAY JONES by Katja Behrens, 2002
カティア・ベーレンス/著 鈴木仁子/訳
白水社
2009.01

版元語録:時代はゴールドラッシュ、アメリカ西部の荒々しい自然を背景に、愛と憎しみ、希望と絶望、怒りと悲しみ…そして、殺人が起きた。素朴なハサウェイ少年の初恋の行方は?

(さらに…)

Read More

風の靴

『風の靴』
朽木祥/著
講談社
2009.03

げた:アーサー・ランサムのシリーズみたいにおもしろいと聞いていたので、いつおもしろくなるかなと思って読み進んでいったんですが……。わくわく、どきどき感なしで終わっちゃったってところです。おじいちゃんもかっこよすぎるし、子どもたちも表面的にしか描かれていなくて、期待はずれでしたね。ヨットの専門用語がわかりにくいところなどあったのですが、それはそれとして、もう少し読者をひきつける書き方があったのではと思いました。登場する子どもたちの気持ちが伝わってこないんです。

たんぽぽ:受験に失敗した暗い話ではなく、さわやかに描かれていたと思いますが、航海記の部分など、子どもが楽しめるかどうかなと思いました。朽木さんの作品だと『かはたれ』(福音館書店)はおもしろかったです。去年出た『とびらをあければ魔法の時間』(ポプラ社)もおもしろかったのですが、これはもうひとつ、物足りなかったです。

酉三:賞をとったり、評判がよかったりというので期待して読みましたが、ちょっと……。いろんなことが気になりましたが、たとえば風間ジョーとの出会いなど、子どもたち、こんなに無防備でいいのか? と驚きました。設定がおもしろければ、「リアリティ」とかにこだわらない、という傾向を、最近の大人の本も含めて感じていますが、これもそういう読後感でした。「リアリティ? どうして必要なんですか? 物語って、要は作り物じゃないですか。おもしろければいいんですよ」という反論が聞こえてきそうですが、私はリアリティにこだわります。ゆえにこの本は評価できませんでした。どうしてこれが賞をとったのか、それが今日のテーマである「秘密」なのだ、などと。

プルメリア:私も期待して読んだのですが、甘いなと思いました。主人公が大変恵まれた環境にいて、私が目にしている受験に失敗した少年たちとはまったく違う。現実の子どもたちのなかで、この主人公のようにヨットをあやつれる子どもがどれだけいるんでしょう? 子どもの立場に立ってみると、手に取りにくい作品だと思います。おじいさんが息子に伝えたかったことは、ひしひしと伝わってきました。ネコジャラシが食べられることを初めて知り、やってみようと思いました。(笑)

ひいらぎ:同じようなシチュエーションであっても、アーサー・ランサムの作品とは違う?

プルメリア:ランサムとは、人間関係の書き方がちがいます。挿絵は、きれいでしたが。

ダンテス:たまたま子どもがヨットに乗っている姿を見て、作品のイメージがわいたとどこかに書いてありましたね。作者はヨットを動かすということ自体を書きたかったのかなと思いました。鎌倉は詳しいので、あの辺の描写だな、などと思いながら読めました。ヨット関係の横文字が多いですね。正直言って、ていねいに読む気はあまり起きませんでした。おじいちゃんがちょっとかっこよすぎますよね。風間という青年との出会いの設定が不自然です。挿絵や装丁はきれいに出来ていると思いました。

うさこ:本のタイトル、ちょっとおかしみを含んだ章タイトル、二人の絵描きさんに描いてもらった絵、装丁、登場人物の名前、船の名前など、隅々まで、この作家さんのこだわりが感じられる作りの本だなと思いました。でも、子どもの本としてはちょっと重厚ですね。私は、船やヨットなどの経験がないので、そういう点では興味深く読めたし、おもしろかった。海の描写などもきれいだなと思ったけど、海のべたべたした塩っぽい感じは伝わってこなかったですね。物語の核となるものをきちんとすえて書き込んであるので、ある意味わかりやすい文学作品だなとも思いました。ただ、神宮先生の原稿のあとに、作者のあとがきがありますが、なにかの授賞式で語られるならいざ知らず、ここまで本を書いた背景を書いてあったら、読者はどんな感想を持つのかなと思いました。かっこいいけど、かっこよすぎる物語ですね。

タビラコ:みなさんがおっしゃったように、私もなかなか話の中に入っていけませんでした。ひとつには、主人公の少年が抱える「悩み」なるものが、少しも切実に迫ってこないので、どんどん読みたいという気持ちになれないのだと思います。それでも我慢して読んでいるうちに、キャンプファイアでネコジャラシなどを焼いて食べる場面が出てきて、ああ、こういうところは子どもが魅かれるだろうなと思いました。おじいちゃんが遺してくれたヨットをあやつることで、自分は自分なりに道を見つけて生きればいいんだと主人公が気づくというお話だと思うのですが、これって、なんだかありきたりだなあと。それに、おじいちゃんの遺言らしきものが、ビンの中から出てくるのですが、ほとんどがほかの人の詩の翻訳だったのにはがっかり。1行くらいの引用ならまだしも、こういうのは作家としてちょっとどうなの? おじいちゃん、どんなことを言い残しているのかなと、読者は期待して読むところなのに。それから、みなさんのおっしゃるように、風間の登場は「ちょっと怖い」と思いました。大人の私だって怖いのだから、子どもたちの恐怖はいかばかりか……と思うのだけれど。その辺の緊迫感がないので、絵空事だなあという感じがしてしまうのだと思います。凝った文章できれいに書かれている点(時には、子どもには難解だと思う言葉も使っているけれど)、大人の眉をひそめさせるような箇所がない点が評価されて、受賞したのかも。マイナス点がないというところで。p259の訳注で誤植があるのは、マイナスですけどね。

ひいらぎ:注目している作家ですけど、個人的には『かはたれ』(福音館書店)や『彼岸花はきつねのかんざし』(学習研究社)といった、ほかの作品のほうが好きだし、おもしろいと思います。この作品は描写はていねいなんだけど、ていねい過ぎてちょっともたつく感が。場面転換にスピード感がなくて。ご本人は、ヨットに乗った時の爽快感を書きたかったとおっしゃっているようで、それは書かれていると思いますが、おじいさんがかっこよすぎ。湘南だし、子どももいいとこの子で成績も悪くはないし、親に問題があるわけじゃない。ランサムなら、ある意味「外国」だからと了解することもできますけど、これは舞台が日本なので、普通の子どもが読んでどうなんでしょう? へたすると、異世界ファンタジーになっちゃうのでは? それと、私も風間の出し方には疑問を感じました。話の本筋に関係ないし、リアリティがない。大島の方に行くのに大人が必要なので出してきたんでしょうか? それから、後ろ見返しに地図がありますが、どうせ出すなら本文に登場する地名も書いてあるとよかったんじゃないかな。朽木さんは台詞もうまい作者だと思いますが、たとえばp258の風間のセリフはちょっとくさい気がするし、ジェンダー的にもこれでいいんでしょうか?

タビラコ:『かはたれ』なんかは、文章に叙情的な湿度があって、それが好きだったんですけど、この作品はなんだか乾いているわよね。

すあま:さわやかすぎます。悩みがあるようでまったくないし、主人公がどこで成長したのかわからない。困難なこともあまりなくて、せいぜい動揺したくらいでしょうか。家出の後にもかかわらず、親も温かく迎えてくれています。実際の家出だったらもっと大ごとになると思うので、ちょっとうまくいきすぎなのではないでしょうか。主人公たちは中学生ですが、小学生の冒険物語のような感じがします。安心して楽しく読めるということで、受賞したのかな?

タビラコ:「白いTシャツに、洗いざらしのリーバイスをはいた長い足を組み、“色つき水”を片手にデッキチェアでくつろいでいる」ヨットをあやつり、『オデュッセイア』やら『ガリア戦記』やらを読むおじいちゃんなんて、ちょっとかっこつけすぎじゃない? なんだか、リカちゃん人形の家族みたいで……。関節痛とかリューマチとかなかったのかしら? 頭がちょっと禿げてたりしなかったの? おばあちゃんと時にはすごい夫婦喧嘩をしたり、どこかに隠し子がいたりしなかったのかしら?

酉三:読んで安心、というのがこの本の受賞理由かもしれない。いや、真面目に言っているんです。登場してくる子ども、大人、みんな「よい人」ばかり。安心して子どもに薦められる本。そう考えるとちょっと納得できる。

タビラコ:本当におもしろい作品は、書いているうちに作者のコントロールがきかなくなってくるんですよね。

ひいらぎ:これは隅々までコントロールされている感じがしますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年6月の記録)


縞模様のパジャマの少年

『縞模様のパジャマの少年』
ジョン・ボイン著 千葉茂樹訳
岩波書店
2008

ダンテス:伏線がたくさんありました。マリア、お父さんの発言、おばあちゃんなど、引っ越した先で父親の仕事がいかなるものか、読む人にはわかります。あやしいな、という風にしておいて、フェンスの向こうとこっち側で、同じ誕生日の男の子との出会う。この辺でこれは作り話だなということがわかりました。お話としては、ちょっと鼻につきました。9歳の子が物事をわからなさすぎる。わからないままにフェンスの向こう側にパジャマを着て入っちゃった。ユダヤ人を殺す立場のお父さんと息子が反対の立場になってしまったんですね。後半、フィクションであるということがわかりつつも、読むのはつらかったです。アウシュヴィッツ関連の作品は読んでいてつらいです。作品として受け入れていく自分自身もつらい。そういうことも含めてこの作品だといえば、そうですが。ユダヤ人虐殺関連の作品は書き続けられていますね。これはちょっと新しいタイプのホロコースト文学と言っていいのでしょうか。

げた:あとがきから読んでしまったので、子どもが塀の外と中を出入りできるなんて、実際はありえないことだと、フィクションなんだ、ということを承知しながら読みました。それにしても、あまりにもブルーノが何も知らなくて、嘘っぽいんだけど、そこに逆にわかりやすさがあると思うんですね。今の子どもたちに読んでもらう意味では、こんな書き方もあるのかなと思います。現実にたくさんの子どもたちが収容所へ送られて、殺されたんですものね。子どもたちも現実を承知しながら、フィクションはフィクションとして読んでくれるに違いないと思います。

プルメリア:嘘っぽいけど、本の世界に入りこんで読みました。戦争に対して反対している祖父母と戦争賛成派の父、家族のなかでも賛成、反対があり、それぞれの生き方が描かれているところは、真実味がありリアリティを感じよかったです。戦争に対して悲惨な立場で書かれている作品が多い中、逆の立場で書かれている作品を読んだのは初めてかも。住んでいる家の中の様子がわかりやすく書かれていました。表紙は服と同じ縞模様でわかりやすいですが、シュムエルがグラスを磨いているのが、医師なのになんでお手伝いさん?と不思議に思いました。小学校は無理だけど、中学生だったらいろんな感想が出てきそう。

ひいらぎ:医師に医師の仕事をさせないのは、人格をおとしめるっていうのも、ナチスの意図だったからじゃないかな。それに、収容所では医者はいらないんじゃないですか。みんなガス室に送ろうとしてるんですから。

プルメリア:悲惨ですね。

ダンテス:何の作品だったか、音楽家なんかは、収容所からドイツ人の家に呼ばれていって演奏し、オレンジをもらって収容所に帰ってから仲間に分けるなんていう話もありました。

ひいらぎ:「ライフ・イズ・ビューティフル」の映画にも、収容所で音楽を演奏する場面がありましたね。現実をおおい隠すために音楽が使われていたみたいですね。

たんぽぽ:高校生の読書感想文課題図書で、感想文にしたら、とても書きやすい作品ですよね。読んでいて、つらい作品でした。

ジラフ:児童文学作品を読んだのは久しぶりで、入りこみました。先に「訳者あとがき」を読んだので、フェンス越しの友情なんて、本当はありえないシチュエーションだ、ということはわかっていましたが、そのうえで、男の子の大人を見る目や、感情がすごくリアルに立ち上がってくるのを感じました。親友と離ればなれになって、友だちのいない毎日がどんなにつまらないか、そのことが9歳の少年の人生のなかで、どれほど大きな比重を占めているかとか、お姉さんにムカつく気持ちなんかが、よく描かれていると思います。きつい結末ですが、終始、少年の目線にシンクロして、フィクションとして楽しみました。読みながら、アイルランド出身で、アイルランドで教育を受けた1971年生まれの作者が、どうして、アウシュヴィッツに題材を取ったこういう作品を書こうと思ったのか、そのことはずっと気になっていました。主人公のお祖母さんがアイルランド系だ、というくだりがありますが、アイルランドにかかわる部分はそこだけですよね。あと、「待遇のよすぎるメイド」とか「点が染みになり、染みがかたまりになり、かたまりは人影になり、人影は少年になった」とか、各章のタイトルのつけ方がうまいな、と思いました。

ひいらぎ:BBCのポッドキャストで作家の声が聞けたんですけど、この人は友情が書きたかったって言ってました。自分はユダヤ人ではないんですね。

酉三:ホロコーストというまことに大きくかつ重い史実をどう語り継いで行くか、というのは大きなテーマでしょう。そのなかで、どれほど史実を離れることができるか。それが気になりました。アウシュヴィッツの鉄条網に、くぐり抜けることが可能な場所があったことなど考えられないし、監視塔の盲点があったという設定もありえないことでしょう。そういうありえないことを組み立てて、お話を作っていいのか? もっとも、読んでるときは、完全にもってかれてましたけれど。

すあま:これは、以前ブックトークで紹介されたんですが、内容を知ってしまったためにかえって読めなくなった本です。でも課題の本だったので仕方なくこわごわ読みました。今回のテーマの「ひみつ」が生んだ悲劇の物語ですね。大人も子どももお互いに秘密にしていたために、起きてしまった出来事が描かれています。他の方と同じで、この主人公の年齢で知らないということがあり得るのか不思議に思いました。本当の話のようで現実にはあり得ないことが書かれているので、これを戦争の本として手渡すのはちょっと怖いですね。説明が必要かもしれない。書かれていないために恐ろしい場面がたくさんある。パジャマは縦縞なのに表紙のデザインはなぜ横縞なんでしょう? タイトルを入れるには横縞の方がいいのかもしれませんね。

タビラコ:この作品は、ずいぶん前に読んで、後味が悪い話だなあと思ったのですが、何週間たっても忘れられない。それだけ強い力を持っているのだと思います。たしか、作者自身が「これは寓話だ」と言っていたように思いますが、寓話として考えれば訳者が後書きで書いている、必ずしも歴史的な事実と同じではないという点や、ブルーノがピュアすぎて不自然だという点もクリアになるのでは? いろいろな見方、感じ方ができる、おもしろい作品だと思います。

ひいらぎ:著者が語っているのを聞くと、小さな子どもでも、すぐには殺されなかったというケースはあったようです。使い走りをさせられたり、ペットがわりになったりと。それから、著者は、ユダヤ人からは批判は受けていない、むしろそれ以外の人たちからの批判があるというふうに言ってました。

うさこ:フェンスの向こう側とこちら側、フェンスというのを大きなキーにしてかかれた物語だなと解釈しました。フェンスの向こう側は想像もつかない世界。こちら側はあまりにも平和で幸せボケしていて、向こう側のシュムエルに思いをいたらすことができない。ブルーノは、今の私たちの現実にも重ねあわせる要素が多い。胸がつまる思いで読みました。9歳のブルーノがあまりにも無知でシュムエルと交流が深まっていっても、フェンスの向こう側に対しての想像力が弱い人物として書かれています。この人物描写については、読み進めていくにつれ自分のなかに違和感が広がっていったんですが、作者はあえて、ブルーノに気づきや成長や変化する姿を与えず、ブルーノという「個人」を描いたようにして、実は「マス(大衆)」の姿をそこに描いていたのではないかと思えてきたとき、この物語がストンと自分のなかに落ちてきました。この作者は、この物語を一つのきっかけとして、読者が自分の力で学んだり考えたりしてほしいと望んだのかもしれないとも思いました。

ひいらぎ:入り込んで読みました。訳もいいですね。ホロコーストをめぐる、いろいろな立場が描かれています。ブルーノの祖母は、「あなたたち軍人なんてそんなものなのよ。…新しい軍服が『すてき』に見えるかどうかしか頭にないんだから。そして、きれいに着飾った姿で、世にもおぞましいことに手を染めるのよ…」と、軍に反感をもっています。ブルーノの父親は、冷血漢ではないけれど、りっぱに出世することに心を砕いています。ブルーノの母親は、最初は夫の出世を喜んでいたのが、やがて家族がおかしくなっていくことに気づきベルリンに戻ろうとします。姉のグレーテルは、ナチスの教育に洗脳されていきます。一つの家族なのに、あえてさまざまな立場に立たせているんでしょうね。ブルーノが子どもらしい無邪気さで周囲の状況に好奇心をもって迫っていくのも、私はリアルなんじゃないかと思いました。ただ最後だけひっかかりました。これでは、イスラエルがパレスチナに対してやっていることを隠蔽したり、今現在あちこちで同じような暴力的な行為が行われていることから目をそらさせる結果になると思って。BBCのWorld Book Clubでは、著者は皮肉をこめたと言ってましたが、日本語で読むと、それが十分に伝わってきませんね。


ある秘密

『ある秘密』
フィリップ・グランベール著 野崎歓訳
新潮社
2005

プルメリア:話の展開が意外でした。次が知りたくて一気に読みました。話がおもしろいというより、内面的に書かれている筋がおもしろかったです。戦争の時代に生きている人間のもろさと強さがわかりやすく書かれていました。戦争中で大変な状況でも体を鍛えているのは国民性の違いなのかなと思いました。自然描写や人物の様子がよくわかりました。短い話でしたが、人間の葛藤も描かれており3作の中で一番重みがありました。

ジラフ:この作品は、フランスの「高校生の選ぶゴンクール賞」に選ばれたものだそうですが、その賞のしくみについて、フランス語翻訳家の辻由美さんが、『読書教育 フランスの活気ある現場から』(みすず書房)という本のなかで、くわしくドキュメントしているのを読んだことがあります。選考過程がすごくエキサイティングで、おもしろかったのをおぼえています。この『ある秘密』にしてもそうですが、高校生がこういう作品を推してくるところに、フランスの十代の子どもたちの、歴史や社会とのコミットメントの深さを感じました。わたしの身近にはこの年代の子どもがいないので、フランスの高校生は、日本の高校生は、とあまりステレオタイプのイメージで語ってはいけないんですが、実際、日本の高校生だったらどうだろう、と思いました。

酉三:今回の課題の3冊のなかで、一番よかったと思います。お話の骨の部分は「事実」で、それを著者が想像力で肉付けしていった、ということでしょうが、「事実」と言われると、重いですね。お話のあまりに劇的な展開に「ひょっとすると、これは事実に基づいているのか?」と、思わず途中で「あとがき」を読んでしまいました。

すあま:最初読み始めたときに、どんな秘密なのか予想がつきませんでした。主人公が実は両親の子どもじゃないのか、などといろいろ考えたんです。主人公は、秘密を知ってしまってから、荒れたりしないで、逆にそこから成長して大人になっていく。そして秘密について話すことで親の心を開放してあげる。そこが、高校生に支持されたところではないでしょうか。元の奥さんが自殺行為をして連れて行かれるという秘密の物語よりも、主人公の成長物語として読んでおもしろかったです。上質な文学作品だと思いました。

タビラコ:読みはじめてしばらくしたら、登場人物の名前がごちゃごちゃになってわからなくなり、また最初から読み直しました。一口に言って、おもしろかった。少年が成長していく過程も念入りに書かれていますが、なによりこういう体制下にいた人々のさまざまなエピソードを知り、感じるものがありました。アンナのエピソードは、夫に対する復讐、仕返しではなく、絶望として読みました。フランスやフランス文学をよく知っているわけではありませんが、愛や恋をなにより高いところに置いているのが、フランス的だと思いました。最後の、主人公が父親を許すところも、感動的でした。ただ、どこまでがフィクションで、どこからがノンフィクションなのか曖昧で、すっきりしないところもありました。「高校生が選ぶゴンクール賞」に選ばれた作品ということで、フランスのYAの読者たちはこういう作品を読んでいるのかと、その点も興味深かったです。

ひいらぎ:フランスではYAで出てるんでしょうけど、日本では明らかに一般書として出版されているし、日本の中・高生にはわかりにくいですよね。フラッシュバックが多用されている点や、どこまでが想像で、どこまでが事実なのか、境目がはっきりしない点など、読み慣れていない読者にとってはきびしい。主人公は、秘密を知る前に家族のことを想像している、一部知ってまた別の想像をする、秘密がわかってまた新たな家族像を構築する、という風に話が進んでいきますが、日本語だとどこからどこまでが何なんだか、よくわからない。原著は時制などからわかるようになっているんでしょうか? 日本語の時制はフランス語ほどはっきりしていないので、訳は難しいですよね。日本語だと過去の話に現在形が出てきたり、現在の話に過去形が出てきたりするわけですから。それから、児童文学なら、主人公が屋根裏でぬいぐるみの熊を見つけてシムと呼ぶところから、親の奇妙な顔を察して秘密がふくらんでいく、という形にすると思うんですけど、この本では、最初から主人公は兄がいる気持ちになっています。そこも、フランス的と言えばフランス的ですが、ストーリーラインがくっきりしない感じが残ります。アンナがナチの将校につかまる場面ですけど、私は自殺しようとしたわけじゃなくて、まだホロコーストの実態がわかっていなかったんだと思うんです。じゃないと、息子は連れていかない。
私は訳はそううまいとは思わなかった。たとえば、p52には「ぼくが15歳になるまではルイーズも秘密を守りぬいた」とありますが、p53には「小学校を卒業し、地元の中学校に通った」とあって、3,4年戻った感じになる。そしてp55はまた15歳。真ん中の部分の訳をもう少し工夫すれば、流れが途切れた感じにならなかったのにな、なんて思いました。それから最後の部分がこの訳ではよくわからなかった。本がお墓になるのか、お墓に本を置くのか、どっちなんでしょう? 原文どおりに訳されているんでしょうけど、それだけではよくわからない。

ダンテス:ホロコースト文学として見事だな、と思いました。ユダヤ人が連れ去られた事実が、大人の恋愛とからめてよく書かれている、と思いました。日本語訳で、不自然なところがありましたが、おそらくフランス語の接続法で、時制がフランス語でよくかき分けているんだろうと推測しました。文体的に工夫があるのでしょう。自然な日本語にならないのはしょうがないですね。フランス文学にある、人間の赤裸々な心情がよく書かれていて怖いような印象があります。「高校生が選ぶゴンクール賞」に入るという話もすごいです。フランスの高校生はこんなに違う。

タビラコ:日本にも高校生が選ぶ賞があったらいいのに。

すあま:「高校生が選ぶ直木賞」みたいな?

ひいらぎ:『ジャック・デロシュの日記?隠されたホロコースト』(ジャン・モラ/著 横川晶子/訳 岩崎書店)も同じ賞を取ったんだじゃなったですか? あれもホロコーストものですが、日本の高校生には難しいですよね。

タビラコ:日本の高校生が選ぶと、『武士道シックスティーン』(誉田哲也/著 文藝春秋)みたいなものになるんじゃないかな。

ひいらぎ:この作品、ダンテスさんのところの生徒さんだと、どうですか?

ダンテス:人間の情念の部分などがわかるのは、もう少し年齢が上じゃないですか。中学生くらいでは「あ、不倫だ」という程度の興味で終わってしまうかも。ホロコースト文学をベースにして読むのと、それがなく読むのとではまた違いますしね。戦争や歴史関連ですと、『あのころはフリードリヒがいた』(ハンス・ペーター・リヒター/著 上田真而子/訳 岩波少年文庫)を読ませています。

げた:文章が短くて、淡々とノンフィクション的に書いてあり、読みやすいですよね。ただ、名前がいろいろでてくるので、ごちゃごちゃになっちゃうところがありますね。でも、自分の家族にあてはめて読んでみたんですよ。そうすると妙に生々しい。一つの家族の悲劇と民族としての悲劇が、それぞれ互いに作用しながら展開していく様子が比較的淡々と語られている感じがよかったですね。アンナがナチの将校につかまる場面ですけど、緊迫感があり、そういう意味ではおもしろかったな。

酉三:母親は、今の夫との結びつきに強い罪悪感を感じていて、それが虚弱な息子を生むことにつながり、卒中で美しい肉体とことばを失う結果にもなったように思います。でも親父の方は、ひたすらボディービルで、やがて己の肉体が衰え、病故に妻の肉体が衰えると、心中しちゃう。なんかアホなやつですね。そういう父をもつ息子はたいへんだと思いますが、でも、どなたかが言っておられたように、秘密が語られることが、彼をたくましくしてゆく。息子が不要にためこんでいた罪悪感が昇華されたんでしょう。ただ、両親がひたすら肉体にこだわる人たちだった、というのは、「事実」ではなく、フィクションなのかもしれないですね。この作品は、精神分析家である著者が、自分のクライアントに向けて書いた「癒しのメッセージ」という側面もあると思うのです。そういうことからすれば、「ナルシスムという迷路」への警告ということが、この両親のありようを通じて語られているようにも思えます。

ひいらぎ:私は現代のフランス文学は、あんまり好きじゃないんです。一筋縄でいかないのがいい、ストレートなのはおしゃれじゃない、みたいなスノビズムが感じられて。

タビラコ:フランスにいい児童文学が生まれないっていうのも、その辺に問題があるかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年6月の記録)


2010年06月 テーマ:ひみつ

no image
『2010年06月 テーマ:ひみつ』
日付 2010年6月24日
参加者 げた、たんぽぽ、酉三、プルメリア、ひいらぎ、ダンテス、うさこ、タビラコ、すあま、ジラフ
テーマ ひみつ

読んだ本:

『風の靴』
朽木祥/著
講談社
2009.03

版元語録:僕らの船は、風の靴になって、どこまでもどこまでも駆けていく。海が空にふれてひとつになり、空が天にとどくはるかな高みまで…仲間と一緒に大海原を駆けた、あの夏の日。少年たちの物語。 *産経児童出版文化賞大賞
『縞模様のパジャマの少年』
原題:THE BOY IN THE STRIPED PYJAMAS by John Boyne, 2006
ジョン・ボイン著 千葉茂樹訳
岩波書店
2008

版元語録:大都会ベルリンから引っ越してきた見知らぬ土地で、軍人の息子ブルーノは、遊び相手もなく退屈な毎日を送っていた。ある日、ブルーノは探検にでかけ、巨大 なフェンス越しに、縞模様のパジャマを着た少年と出会う。ふたりの間には奇妙な友情が芽生えるが、やがて別れの日がやってきて…。
『ある秘密』
原題:UN SECRET by Philippe Grimbert, 2004
フィリップ・グランベール著 野崎歓訳
新潮社
2005

版元語録:一人っ子で病弱なぼくは想像上の兄を作って遊んでいたが、ある日、かつて本当の兄が存在していた形跡を見つける。禁断の恋。懊悩。そしてホロコースト…。1950年代のパリを舞台にした自伝的長篇。

(さらに…)

Read More

ササフラス・スプリングスの七不思議

『ササフラス・スプリングスの七不思議』
ベティ・G・バーニィ/著 清水奈緒子/訳
評論社
2009

げた:表紙はわりとシンプルで、強くひきつけられるという感じはなかったんですけど、中身は読み進むにつれておもしろくなってくる。アメリカの田舎の何もないところで暮らしている男の子が、世界の七不思議を求めて旅立とうと決心して、お父さんにそのことを打ち明ける。でも、お父さんに、もっと足元を見なさいと言われ、ササフラス・スプリングスで七不思議を探し始めるんです。男の子が聞き集めた、ササフラス・スプリングスの七不思議のお話集ってわけですが、一つ一つが結構おもしろくって、楽しめましたね。特に町長さんのお話かな、オチもあって織機が犯人の名前をあてるなんてドキドキする話。お父さんの妹プリティおばさんが最後アルフおじさんと結婚することになるっていうのも、あったかい感じがしてよかったな。すごい冒険でもないんだけれど、地元の七不思議を一つ一つ探しもとめて歩いていく男の子に共感できるお話でしたね。挿絵はかわいらしくてシンプルだけど、お話を想像する手助けになっていいかな。

メリーさん:おもしろく読みました。最近、自分の友人がまた別の知人の知り合いということが続いたので、世界は意外と狭くて皆どこかでつながっているのだなと感じたことを思い出しました。主人公は身のまわりの七不思議を探しますが、きっとどこかで世界につながっているのだろうなと。日本で「七不思議」というと、学校の怪談が真っ先に思い出されるだろうけれど、ここではいわゆる世界の大事件というのがおもしろいと思いました。七つの中ではアルフおじさんのくだりが好きです。彫像は、過去を表すとともに、現在や未来も表している。結局人間はずっと同じことを繰り返しているのかなと感じさせて。「ササフラス」がルートビアの原料ということがちょっと出てきましたが、アメリカらしくていいなと思いました。

レン:私もおもしろく読みました。冒険というとどこか遠く危険なところにのりだしていかなきゃいけないみたいだけど、何でもない日常に七つも不思議があるところがよかったです。そして不思議の発見が、さまざまな人の隠れた一面、隠れた人生を見せてくれる。自分のまわりの人たちにも、いろんな人生があることを示唆してくれるのでは? また書き方にユーモアがあるところもよかった。ユーモアの感覚がいろんなところで救いになりクッションになっていますね。ただ、装丁はちょっと残念。年齢層を考えると背の文字もおとなしすぎるし、色も地味な気がします。

たんぽぽ:私も、表紙が地味かなって思いました。もう少し違う感じだと、もっと子どもが手に取るかな。七不思議の一つ一つが、あとから振り返ってみても、おもしろかったです。トイレが飛んでいくおまけ話?も、よかった。読んだおとなも子どもも、身近なところにある七不思議を探してみたい、振り返ってみたいと思うのではないでしょうか。

ハマグリ:主人公が七不思議を探していく、という枠の中にいろいろな話が出てくるというつくりの本で、一つ一つの話がおもしろいから、それぞれ話の中にすっと入っていって楽しめました。一見ごく普通のおばさんやおじさんにも、いろんな人生、ドラマがあるんだということが、だんだん見えてくるっていうのもおもしろかったです。ただ、どんな子にも読みやすい、というのではなく、それぞれの会話の中からいろいろ読みとっていける、ある程度読書力のある子に薦めたいですね。

ひいらぎ:私も、派手ではないけれど、味わいがあっておもしろいなって思いました。ほんとになんにもない、一見つまらなそうに見える地域なんだけど、そんな場所でもよくみるといろいろなお話が存在している。そこがいいですね。ただ最初忙しいときに読んだら、人の名前がごっちゃになって混乱してしまいました。挿絵は、以前とりあげた『ラッキー・トリンブルのサバイバルな毎日』(スーザン・パトロン/著 片岡しのぶ/訳 あすなろ書房)と同じ人ですよね。もっと小さい子でも手にとりやすい雰囲気が表紙にあるといいのにね。

うさこ:おもしろく読みました。小さい頃って、根拠もなしに知らない土地や時間に憧れて、そこにワクワクやドキドキがあると思いがち。このお話は、お父さんとおばさんの上手な導きによって主人公エベンが自分の住んでいる身近なところで七不思議を探すっていう設定がとてもいいですね。案外、知ったつもりでも、自分の住んでいるところって知らないことが多い。そのくせ、よくないところばっかり目についたり。でも、エベンは遠くへは行かずに、地元で小さな目覚めの旅をする。エベンは近視眼的なものの見方や自分の狭い考えを少しだけ乗り越えたのかもしれない。乗り越えるっていうと大きなショッキングな出来事があってというのが多いけど、そうじゃないところで構成しているのがこの物語のすばらしいところ。七不思議もありきたりな話じゃなくて、一つ一つ語ってくれる人の人生が垣間見えて、しかもそれぞれにロマンがあっていいな。日本だと何か解決しようというときタテ社会、とりわけ家族間や家庭の中が多いですけど、このお話はヨコ社会のつながりのなかで解決に向かっていく展開もいい。装丁がちょっともったいないですよね。わりと地味目。読者がスムーズに手にとってくれるでしょうか? タイトルもササフラス・スプリングスというのが場所の名前だと気づきにくいし、しかも長くて覚えにくくて、ドキドキもなくて残念。

ダンテス:この本は、まあまあおもしろく読んだって感じです。描写がていねいですね。そういう意味では、ひと時代前の作品という印象です。少年の目を通して七不思議を探すというのをきっかけに、自分の町をよく知っていく。七つのそれぞれが短編というか、短いけどストーリーもあります。七つに出会うまでの困難も書いてあって、作品としてはよく書けているかなと思います。

すあま:『シカゴよりこわい町』(リチャード・ペック/著 斎藤倫子/訳 東京創元社)のような、ちょっと昔のアメリカの話が好きなので、おもしろかった。短編集のようで、最後にちゃんとオチがついていて。でも装丁が地味なので、大丈夫なのかと心配になります。題名もおぼえにくいので、本屋で店員に聞こうにもぱっと言えないですよね。

ダンテス:アメリカだと、ここの土地、我がコミュニティっていうのがあるんでしょうね。だから具体的な地名を作品の題に入れる。

ハマグリ:そういう地方色を売りにしているようなものってありますよね。『ラッキー・トリンブルのサバイバルな毎日』にも、アメリカの、その土地独特の感じがありましたよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年5月の記録)


ひとりたりない

『ひとりたりない』
今村葦子/著
理論社
2009

たんぽぽ:とてもせつなくて、読むのがつらかったです。主人公は5年生なんですけど、この状況は子どもにとって重すぎないかと思いました。この物語の対象はだれなのか、子どもにこの物語を読ませる意味は何なのかを、考えてしまいました。子どもはそうでなくても、つらいことを抱えているのにな、と。

メリーさん:今の意見に共感です。ほかの2冊も、家族の誰かを亡くしているのだけれど、この本はとくに悲しい。主人公が、これまでお姉さんに頼りっぱなしだったということを、お姉さんが亡くなってから気づくところなどは特に。家族と話をしなくなってしまった弟に何か食べさせるためにわざと冷蔵庫にご飯を作って入れておく場面では、おばあちゃんがいい役割をしているなと思いました。だからなおさら、この家族の構造がとてももろく感じられました。今はおばあちゃんが来て何とかまとまっているけど、子どもも大人もバラバラで、ちょっとつつくと壊れてしまいそう。全体的にトーンは明るくはないですね。タイトルも喪失感が出てしまう「ひとりたりない」ではなくて、その先に何か見えてくるものだったらよかったなと思いました。

げた:5年生の女の子につきつけられた現実の重さっていうのに、すごく救いようがないような、奈落の底に落とされていくような感じを受けました。そこから彼女はSOSを出しておばあちゃんを呼ぶわけなんですね。おばあちゃんがキーマンになって家族の崩壊をくいとめ、元に戻していく。そんな役割をおばあちゃんに持たせてるわけです。なんとか家族はまとまるけど、でも現実はひとりたりない。どうしようもない現実を小学生につきつけることが必要なんですかね。そこは難しい問題ですよね。これを読んで小学生が救われるのかな? 我々大人が読むのはいいかもしれないけど、子どもが読んでどういうふうに受け止めるのかな。でもこういうことは現実にあるんでしょうし、それも児童文学の役割なのかな? どうなんだろうなって、考えてしまいました。この話の父親と母親はあまりに頼りないですよね。極端に書いてはいるんでしょうけどね。その分おばあちゃんがしっかりして際立ってくるんだけど。

ダンテス:一見感動的な話なのかなって思うんですけど、何か足りない。実は人物設定がきわめて類型的で、ただのお涙頂戴になってる。例えばお葬式の次の日におねえちゃんの名前でお母さんの誕生日の花を送ってくるんですが、確かに悲しいけど、作られたありがちは話なのでは? お母さんだってシュート君だって類型的。人間ってそんなものなんですかねえ。おばあちゃんも立派すぎます。文学は人間を描くものである、という定義で考えれば、人間が描けていない。私はこの作品は評価しません。

プルメリア:サンシャインさんの感想をお聞ききして、パチパチって火花が飛んだような気がしました。私はそんなふうに読まなかったので。今村さんはとても好きな作家さんです。『ひとりたりない』って題も、私はいいなって思いました。事故で姉を亡くした少女のやるせない心情、そのことが原因で不登校になった弟、過去の出来事から今へとストーリーが構成され家族がばらばらになりつつある苦悩な毎日…。家族全員の心情がよくわかる作品として読みました。
小学校で子ども達が身近な人の死をテーマに書いた作文を読むと、文章表現や構成が上手とかに関係なく、書いた本人の心情がひしひしと伝わり、涙が出てきます。そういう作文を書いた子に「がんばっているんだね」とか「いつも笑顔でえらい」と声をかけると、はずかしそうに微笑みます。そういう子どもたちの日常生活を考えると、これは手渡しにくい作品かもしれません。いいなと思う作品は自分で読んでから手渡しているんですけど、この作品は気軽に渡すことができないです。内容が重いから渡しにくいのかな? おすすめリストに入れて、こういう作品もあるよって知らせる作品かなとも思います。悲しいですが、子どもたちにもこういう体験や心情をわかってほしいので、読んでもらいたいとは思います。

うさこ:作品として疑問が残る点が多かったですね。身近な人の死、しかも突然の事故死っていうのは大人にもすごく衝撃的。短時間で乗り越えるなんてできない。ましてや幼い子が自分の兄弟の死を目の当たりにしたときの衝撃は計り知れない。この話は、読み進めるのが本当につらかったけど、最後どういう形で救いがあるのかと思いながら頁を繰っていきました。だけど、救いや次への希望みたいなものはなかったように思います。だから、今も悶々とした気持ちが残っています。
病死と事故死は違うし、自分の目の前で、自分の過失で姉を事故死させたというのは、中学年の読者層には設定が困難すぎる。小学校2年生と5年生では、死の受け入れ方とか、立ち直り方や乗り越え方もぜんぜん違うと思います。5年生の女の子自身が立ち直ってないのに、弟のことを救うことなんてできるんでしょうか。作家さんは、時にこういうハードルの高いテーマを設定して書くけど、作家の力量がすごく問われるのではないでしょうか。書こうとする志は強かったのでしょうが、作家さん自身が、この作品を書くことに自分で行き詰ってしまったような印象を受けます。字が大きいから3、4年生の読者向けだと思いますが、この年齢の子には、とてもとても消化できない内容です。現実のなかで、同じような状況の子に薦められるほど作品が熟成してない。ただ、何もかも家族の中で解決しようとしているところなど、現代の日本社会も映し出しているかもしれませんね。

すあま:私はまだこの作品は読んでないんですが、最近地域の小学校の先生が急に亡くなったことを思い出しました。担任していたクラスの子どもたちはどんな風に喪失感をおぼえ、乗り越えていくのかなと思い、この本が子どもたちが少し落ち着いたときに手渡せるような本だといいなと思いました。

ひいらぎ:たしかに小学校中学年だと設定はつらすぎるんですけど、実際にこういう状況になる子もいるだろうし、作者はそういう子に寄り添って書いているんじゃないかな、と私は思いました。中学生くらいを主人公にしたほうが、書きやすいのかもしれませんけどね。主人公の琴乃がその時点時点で感じていることも、うまく表現されていると思います。50pの「お坊さんがお経を読む、おどかすような声がひびきわたって」とか、「火葬場の庭のすみに、大きなサルスベリの木があって、重たいほどピンク色の花をつけていました。サルスベリの花は、クレープみたいにちぢれた、ぜんぜんふつうの花らしくない、へんな花です。それが枝々にびっしりと咲いているのは、なんだかふしぎな感じでした。私のぼんやりした頭のなかでは、なぜだか、その花とおねえちゃんが死んだこととは、なにか関係があるみたいに思われるのに、それがどんな関係なのか、いくら考えても、私にはわかりませんでした」なんていうところとか、96pの「かあさんも、私が肩をもんであげると、ときどき、べつな人のような声をだすことがあります」なんていうところは、この年齢の子どもらしい鋭い感じ方が表現されていると思いました。
今村さんの文章がいいので、私はダンテスさんのように類型的だとは思わなかったんです。英米の現代の児童文学だと、子どもが極限状態に置かれていても手をさしのべる大人が出てこなかったりするんですけど、この作品では、かなり理想的なおばあちゃんがちゃんと救い手として現れる。しかも昔風ではなくて現代風のおばあちゃんだってところがいいですね。永久に(あるいは長いあいだ)この「足りない」感じを抱いて生きていかなくてはいけないというリアリティも表現されているし、作者は子どもと一緒に考えてくれていると思うんだけど。

ハマグリ:突然娘を亡くした父母は、自分の悲しみにいっぱいいっぱいで、下の子たちの気持ちを救うことができないでいるし、弟は学校に行けなくなってしまう。自分だってどうしようもなくつらいのに、まわりがこんなふうでは本当に行き場がないですよね。そういう設定の物語を読むのは、大人でもつらい。そこへ明るいおばあちゃんがやってきて、すべてをありのままに受け入れ、日々の暮らしを大切にして、せいいっぱい前を向いて生きていくことを示してくれる。その姿勢には救われるんだけれど、あまりにもおばあちゃん一人が救世主のように現れるので、ちょっと違和感を覚えました。死っていうのは子どもにとっても身近にあるものだと思うけれど、日本では子どもには知らせないっていう文化があると思う。あえて子どもに話さない親は多いと思うんですけど、この物語のようなことが起こったり、こういう体験をした友だちがいるっていうことはあると思うから、子どもからむやみに死を遠ざけるというのではなく、本の中でそういうものを知っていくことができれば、それは本の一つの大切な役割なんじゃないかと思います。
でも、同じような体験をした子どもには、この物語はちょっとリアリティに欠ける部分があるし、体験をしていない子にはやたら不安感やこわさが増すんじゃないかと思います。じゃあこういう本の役割は何かっていうと、子どもなりに人間の複雑さを感じとるっていう点にあると思います。でもこの本にそれができるかというと、できていない。最後に家族が、やっぱりひとりたりないって思うところは、どうなのかな、と思いました。私のまわりにも子どもを亡くした人が何人かいるけれど、亡くなった子はいつも家族と共にいる。3人きょうだいが2人きょうだいになるのではなく、常に意識の中にある。他人はなるべくその子の話をしないように気を遣うけれど、家族はその子の存在を忘れてほしくない。その子のことを語って、いつまでもおぼえていてほしいと思っている。そこまで至らないと、救いにならないんじゃないかな。

メリーさん:いわゆるお涙頂戴の類型的な本がよく手にとられるという面もありますね。でもそれは、著者も読者も大切な人を失うということについて、本当に考えるところまではいっていない。登場人物に深く共感するというよりは、そのシチュエーションを楽しんでしまうという面があると思います。

たんぽぽ:これ、おばあちゃんの気持ちはよくわかります。孫を、どんなことをしても何とかしてあげたいという。でも、最後に乗り越えられるような、何かがあったらいいのになと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年5月の記録)


とむらう女

『とむらう女』
ロレッタ・エルスワース/作 代田亜香子/訳
作品社
2009

プルメリア:『ササフラス〜』のあとに読んで長編に慣れていたせいか、もうちょっと長くてもよかったかなと思いました。淡々と書かれている感じがして、もっと深くてもいいのかなと。亡くなったお母さんへの思いとお母さんの死後にやってきたおばさんを受け入れられない少女の心情は、伝わってきます。お母さんが思いを込めて作っていた庭が変化していく様子、荒れていく様子は、少女の心理状態を象徴的に表しているのかなと思いました。妹メイはまだ5歳なんですが、そんなに早くお母さんのことを忘れちゃうんでしょうか? お母さんの思いがまったく消えちゃうかな、と疑問でした。アメリカの古い時代におこなわれていた弔いのしきたりがわかったのも、よかった。なぜ木箱はベッドの下に入れないといけないのかな?

うさこ:母の死後、おばさんがやってきていっしょに生活し、送り人の仕事を手伝ううちに、だんだんと心をほどいていくイーヴィーの姿が、よく描かれていました。母の死をしっかり受け入れて再生していく姿は、こちらも自然な気持ちで読めました。身近な人の死の描き方って難しいですね。母親と一緒にしていた庭の手入れを黙々とし、日常生活を大事に過ごしていくことが、死のいたみから徐々に解放されていくことにつながるというところも、うまく描かれていました。弔い師の仕事をしているとき聖書の一節をイーヴィーが読むシーンも印象的です。現代のお葬式や法要などのお坊さんのお経は、その意味が具体的にわかるわけではないけど、終わったあと言ってくださることばなども含め、残された者にはとても安らかに響くもの。最後の文書149から150ページ、ママは命は土から生まれると言った、おばさんは命は土にかえると言ったという一節は、説得力のあることばですね。

すあま:私がおもしろいなと思ったのは、ローラ・インガルス・ワイルダーの大草原シリーズのような生活が描かれていたところです。主人公の女の子の気持ちがよく伝わってくるし、だんだんとそれが変わっていくところがていねいに書いてあるのもいい。お母さんの死から立ち直る話としてよりも、おばさんの仕事に興味を持って、自分もやりがいのある仕事を見つけていく成長物語として読みました。周りの人にも薦めたんですけれど、不満があるとすれば題名と作りですね。見た目は大人向けの小説ですが、中学生くらいに読んでほしい。題名も表紙のイラストも、主人公の女の子がメインになっていた方が、読んでほしい人に読んでもらえたかなと思います。この本を読んだころに「おくりびと」の映画を見たのですが、この本の帯の宣伝文句も「アメリカにもおくりびとがいた」といった感じにすれば話題になって売れたかも?

ひいらぎ:出版社は、YAから大人向きにしたほうが売れると思って、こういうつくりにしたんじゃないのかな。でも、「とむらう女」よりは「おくる女」くらいのほうが、映画との関連も出たのかもしれません。主人公の女の子は、最初はおばさんを全面的に拒否しているんですが、だんだんに近づいていく。その様子はリアルで、うまく描かれていますね。私は『のっぽのサラ』(パトリシア・マクラクラン著 金原瑞人訳 徳間書店)を思い出しました。あっちの方が、心の交流はもう少し複雑で細かく描かれているように思いますけど。私は小学生のとき祖母が亡くなったんですが、その時、死んだ人って怖かったんですね。だから、おばさんの仕事の重要性を認識してイーヴィーが後を継ごうと思うのは、頭ではわかるけど、自分だったら怖くて無理だな、と個人的には思ってしまいました。日本とアメリカの死生観の違いもあるのかもしれませんが。

ハマグリ:私も『のっぽのサラ』を思い出しました。この本は、主人公がお母さんの死を乗り越える話ではあるけれど、私は11歳の女の子が一つの職業に目覚める話、という観点からも読めるんじゃないかと思うんですね。カレン・クシュマンの『アリスの見習い物語』や『金鉱町のルーシー』(どちらも柳井薫訳 あすなろ書房)みたいなおもしろさもあると思いました。お母さんが亡くなったというのは少し前のことなので、『ひとりたりない』より衝撃度が少ないですね。家族や親しい人を亡くしたあと、その喪失感を埋めていくのには長い時間がかかりますが、それをとてもていねいに描いているところに好感をもちました。無口なお父さんは、子どもには悲しむ様子を見せないけれど、夜ひとりでお母さんのブランコに乗っている姿を見て、イーヴィーにはお父さんもやはり苦しんでいることがわかるわけですね。イーヴィーはお母さんの菜園を毎日無心に手入れすることで、母の存在を忘れまいとする。たぶんそういうふうにするしかないと思うんですね。毎日毎日、目の前のことをやっていきながら、一人一人が時間をかけていかないといけない、そういったことがうまく書けているなと思います。イーヴィーは、初めて身近に見た死をまだ受け入れられないでいるのに、おばさんの仕事はおとむらい師。最初はそのことに嫌悪感を持つわけですが、その気持ちがよくわかるように書いてある。
後半になると子どもを亡くしたり、親を亡くした家族がこれでもか、これでもかって出てくるでしょう。それが、ああ自分だけじゃないんだ、そういうものなんだってこの子が受け入れていく段階として説得力があるなと思いました。亡くなった人に対して、敬意をもって、きちんと接していると、家族もそれに対してこたえてくれる。それを主人公の体験として書いているところがうまいと思います。私もこれは大人のものにしないで、11歳の少女が死とは何かを受けとめていく、そしてまた、一つの仕事に目覚めていく物語として、子どもたちに読んでもらいたい。ほかにはないタイプの本だと思うので、大人向きにしたのは残念でした。

たんぽぽ:私も『のっぽのサラ』に似ていると思いました。死を扱っていても、『ひとりたりない』と違い、最後までおもしろく読めました。中学生くらいの子がこれを読みどう感じるのか知りたいです。表紙は、大人向きなので、もっと違う感じがよかったと思います。

メリーさん:私は、ちょうどこの本が出たときに読みました。お母さんとの思い出を他人に踏みにじられたくないという、主人公の気持ち。おばさんに早くなつく妹とくらべて、少々行き過ぎではないかとも感じられる、この感情が、随所に表れていました。おばさんがお母さんの席を「のっとった」とか、「お母さんの」ロッキングチェアなのに…とか、庭を手入れしたのはお母さんなんだ、というところです。それは悲しみというよりは、いらだちのようなものかもしれません。以前ここで取り上げた『天井に星の輝く』(ヨハンナ・ティデル著 佐伯愛子訳 白水社)を思い出しました。結局主人公の気持ちは、時間が解決するしかないのだと思います。長い時間をかけてその気持ちとつきあっていく、その気持ちといっしょに生きていくしかないんだなと。ただ、それをそのまま物語にすると、読むほうは退屈だと思うので、物語ではどうやって伝えたらいいのかなということを考えました。この物語は、そういう意味ではよくも悪くも、短くコンパクトにまとめているなと思います。最後の「命は土から生まれ、土に帰っていく」という言葉はとてもいいなと思いました。

げた:私もみなさんとおんなじようなこと感じましたね。この本で一番印象に残ったのは、19世紀アメリカ開拓民の貧しいんだけど豊かな日常や、厳しい自然と戦いながら人生を神とともにまっとうしていく、そんな姿ですね。虚飾に満ちた世界で生きている私なんかには、自然に立ち返れと言われているような感じもして、憧れちゃうな。すべて手づくりの暮らしで、死も手づくりで迎えようとしている。おとむらい師はお金をとらないし、コマーシャリズムが一切関与していない。そういうのがいいなって思いました。母を失った子どもの不安な気持ちや、無邪気な妹を見ながらどう対処していいかわからない戸惑いの気持ちとかも、よく描かれていますよね。

ダンテス:文学は人間を描くものであるっていうことで言えば、いい作品だなと思いました。19世紀の終わりまで歴史的な事実としてそういう女性がいたことを作者が知って、それが作品を書く動機になっているのでしょう。だから子ども向け限定ではなく大人向けに書いたのではないかという印象です。しかもただ単に歴史的な事実を伝えようとしただけではなく、おねえちゃんの気持ちを中心に、ていねいに書かれています。おばさんも死と多く向き合ってきただけに、人間としての土台、骨格がしっかりしていて、母親を亡くした少女の気持ちに出来るだけ寄り添おうとしています。もちろんすれ違いもあるから作品になっているわけですが。下の子は母親を亡くしたあとおばさんにすぐに慣れていっちゃうけど、これもおねえちゃんから見た視点できちんと書けている。もし難点を言うとすると、後半多少急いでいますかね。次々と死者の埋葬の話になるのは、映画の「おくりびと」の後半を連想しました。最後にこの子がおばあさん不在の時に、自分なりに3歳の子の埋葬を手伝う話で、この子の未来像が暗示されています。やはり全体としては大人向けの本として私は読みました。日本ですと、字の大きさ、漢字の多さ少なさ、ルビありかなしかなどで対象年齢が決まってきますが、英語の本の場合も、やはりこれは子どもの本、大人の本ってあるんですか。語彙の選択と字の大きさでしょうかね。日本語の方が、読者対象が決まる要素が多いですね。

ひいらぎ:アメリカは、読者対象をはっきり示す場合が多いですね。アマゾンも、アメリカのサイトは対象年齢をはっきり書いています。でも、イギリスのアマゾンは、書いてないんですね。

ダンテス:今の葬式はビジネスになっていて、そういうのも必要なのかもしれませんが、やたらにお金がかかることなどを思うと、このお話の時代は素敵だなと思いました。印象に残る作品です。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年5月の記録)


2010年05月 テーマ:子どもが立ちなおるとき〜まわりの大人と地域の存在

no image
『2010年05月 テーマ:子どもが立ちなおるとき〜まわりの大人と地域の存在』
日付 2010年5月27日
参加者 げた、メリーさん、レン、たんぽぽ、ハマグリ、ひいらぎ、プルメリア、うさこ、ダンテス、すあま
テーマ 子どもが立ちなおるとき〜まわりの大人と地域の存在

読んだ本:

『ササフラス・スプリングスの七不思議』
原題:THE SEVEN WONDERS OF SASSAFRAS SPRINGS by Betty G. Birey, 2005
ベティ・G・バーニィ/著 清水奈緒子/訳
評論社
2009

版元語録:世界の七不思議に憧れ、海外探検を夢みる少年エベンは、父親の発案で、自分が住むちっぽけな町ササフラス・スプリングスの七不思議を探すことになった。「ばかばかしい」と思いつつも、いざ、捜索を開始してみると…。 *産経児童出版文化賞翻訳作品賞受賞
『ひとりたりない』
今村葦子/著
理論社
2009

版元語録:あの夏、私はおばあちゃんにS・O・Sをだした。とうさんにもかあさんにもいわないで。生きるために家族の意味を問い直す。
『とむらう女』
原題:THE SHROUDING WOMAN by Loretta Ellsworth, 2002
ロレッタ・エルスワース/作 代田亜香子/訳
作品社
2009

版元語録:ママを亡くしたあたしたち家族の世話をしにやってきたフローおばさんは、死んだ人を清めて埋葬の準備をする「おとむらい師」だった…。19世紀半ばの大草 原地方を舞台に、母の死の悲しみを乗りこえ、死者をおくる仕事の大切な意味を見いだしていく少女の姿をこまやかに描く感動の物語。

(さらに…)

Read More

愛の旅だち〜フランバーズ屋敷の人びと1

『愛の旅だち〜フランバーズ屋敷の人びと1』 (フランバーズ屋敷の人びと1)

K.M.ペイトン/著 掛川恭子/訳 *改訳で再版
岩波少年文庫
2009

タビラコ:40年近く前に読んだのですが、今でも生き生きとおぼえています。主人公がそれぞれ個性的で、特にラッセルさんが怖い夢に出てきそうなくらい強烈でした。今回、読みなおしてみても、いかにも英国文学らしい、くっきりした個性を持った登場人物たちが印象的でした。クリスチナ自身の内面の成長と、周囲の社会の変容がからみあって、ぐいぐいと読者をひっぱっていく。力強い作品だと思います。イギリスの読者が読むと、1つの「時代」を感じさせて、より感動的なのではと思いますが、日本の子どもたちも「ある家族の歴史」として、おもしろく読めるのでは?

げた:物語は1908年から始まっています。20世紀なんだけど中世の領主が支配しているようなフランバーズ家に関わる人々の人間模様が描かれているんですね。時代の境目に生きている、古い人たちと新しい人の葛藤がクリスチナの成長物語と合わせて展開していきます。ウィリアムの飛行機や自動車とラッセルの馬が象徴的なものとしてとりあげられているんだと思います。クリスチナは両親を亡くしておばさんのところを渡り歩いて、とんでもないおじさんのところに行かされちゃったんですが、それでも健気に生き抜いていくんですね。今回とりあげたのが第1巻で、新訳では5巻まで、これからどういう生き方をしていくか楽しみだなと思いますし、最後まで読んでいきたいと思わせる。屋敷で働いているディックがクリスチナに馬術を教えるんですけど、ディックは主人であるラッセルにあまりにもひどい扱いを受ける。こんなことが20世紀にもあったんですね。イギリスっていうのは、個人の力では乗り越えられない階級社会の伝統があるところなんだなと改めて感じました。

レン:私は今回はじめて読みました。昔ながらのオーソドックスな児童文学だなと。人物描写や情景描写がていねいなので、読んでいるうちにこの世界に入っているような気持ちになりました。香りや手触りまで伝わってくるような感じ。今の日本の児童文学には、こういう書き方の作品はほとんどないのではないかしら。ラッセルさんの言動や、ディックがマークをぼこぼこにするのをまわりの人々がただ見守っているような極端な場面も、今の作品だとあまり出てきそうにない部分。フィクションのおもしろさを味わわせてくれる作品だと思いますが、今の子どもたちが手にとるかどうか。

ハマグリ:この本を読んだのは、最初に出版された1973年でした。今回は読み返す時間がなかったんですけど、当時の読書メモを見ると、まず主人公が強く生きる姿勢に共感をおぼえる、ウィリアムへの気持ち、マークへの気持ち、ディックへの気持ちが細かく描かれている、馬と飛行機という対照的なものを描いているけれどどちらもスピード感が実にみごとに描かれている、映画的な手法が用いられている、と書いてありました。当時はこういう作品はとても新しい感じがしたのを覚えています。70年代は、YAという言葉が日本で使われはじめた頃なんですね。そのころ読んでいた児童文学は、動物や小さい子どもたちが主人公の話や、ファンタジーが中心でしたから、思春期から大人になっていく年代を等身大に描いた物語はあまりなかったんです。そういう意味で新鮮だったし、印象に残っているんだと思います。YA文学というのはこういうものだということを知った作品といってもいいですね。最初は3部作として出て、しばらくして4冊目が出ました。ペイトンの作品は『バラの構図』(掛川恭子訳 岩波書店)も『卒業の夏』(久保田輝男訳 学研/福武文庫)もおもしろく読み、印象に残っています。この作品も、文庫になったから今の子どもたちにも手にとってもらえるといいですね。今のYAというのは主人公のある状況を切り取ったようなのが多いので、こういう長編を読む楽しみも味わってほしいなと思います。主人公とともに一歩一歩人生を歩んでいくという長編の醍醐味を味わってもらえる作品ですよね。

プルメリア:主人公のクリスチナを囲む人間関係がとてもおもしろいなと思いました。馬に人生の喜びをかけている叔父ラッセル、相反するマークとウィリアムの兄弟関係、ディックとの関係が物語の中で動いていくのがわかりました。クリスチナと叔父ラッセル、マークの馬に対する愛情のかけかたの違い、馬と自動車、飛行機に夢をかける先駆者たちの姿、古いものから新しい時代へと歴史が動き出し急激に生活スタイルが変わって行くイギリス社会が描かれていて、私も映画の場面を思い描きながら読みました。これからディックがどんなふうに物語にかかわってくるかも次の作品を読む楽しみの1つです。今から約30年ほど前に出版されていますが、今読んでもいい作品だなと思いました。名作はいつまでたっても心に残る感動させる作品なんだなと、あらためて思いました。階級社会の構図が変わっていく時代の境目が描かれていて躍動感がありますね。

シア:はじめて読んで、1しかまだ読んでません。後の巻で、ディックと何かあるのかなんて空想してしまいます。20世紀初頭のイギリスっていうことで、身分社会とか上層の生活とかそういうものが見えるような雰囲気がいいし、情景描写がとっても生き生きとしていたと思います。古風な家族と新しい若者との対比もあるし。ただ、最近のものを読みすぎてしまっているせいか、古典的な少女マンガみたいな(いがらしゆみこさんとか)展開に少し辟易しました。ウィリアムの大事な本をよりにもよってラッセル叔父に渡してしまうような短慮な部分や、やたら惚れやすいところ、そういう主人公に呆れて。でも半分以降くらいからぐっとおもしろくなり、続きを読みたくなりました。読み終わったときいい作品だなと思ったんですけど、これを今の中学生にどうやって読ませていけばいいかというのが問題で。小学校気分が抜けない中学生くらいのほうが、逆に読むのかな。手当たり次第に読む子がまだ多いですからね。薦めるときは、半分くらいまでがまんして読めって言えばいいかしら。高校生はジャケ買い(ジャケ借り)とかになるんですよね。

レン:ちなみに女子校では、今日の3冊ではどれが好まれそうですか?

シア:表紙だと『バターサンドの夜』ですかね。パステルカラーでおしゃれ小物みたいなのが好きですね。

ひいらぎ:小学生はどうですか?

プルメリア:図書室で子どもたちを見ていると、まず本を開いてみて、字が小さいと書架に戻します。「この本は無理って感じ」ですね。『大海の光』は絵がわかりやすいので高学年の女子は手に取ると思います。『バターサンドの夜』は、手にとらないでしょうね。表紙の絵で手に取る作品とらない作品に大きく別れます。

げた:これはラジオの書評番組の中で一般向けとして薦められていたんです。大人が読んでもおもしろいですよって。

ひいらぎ:私はイギリス社会のいろいろな面がわかる本だなと思いましたね。馬とか犬を上流階級の人がどんなに大事にしているかとか、階級が違うと暮らしがぜんぜん違うとか、ダーモットさんみたいにそれからはずれている人もいるとか。最初はクリスチナがどうなるかなと思って読んだんですけど。これだけ情景描写や心理描写をていねいに描きこんだ本は、今は少ないですよね。でも、今や大学生でもよほど本好きでないかぎり、全巻続けて読んでいくのは難しいんじゃないでしょうか。「ゲド戦記」(アーシュラ・K・ル=グィン著 清水眞砂子訳 岩波書店)だってなかなか読み通せないですよ。

ハマグリ:「ゲド戦記」よりこっちのほうが読みやすいんじゃないかな。

げた:クリスチナがどんなふうに成長していくかと思って読んでいけますからね。

ひいらぎ:それにしても、ヴァイオレットの書き方はひどいですね。兄妹でもディックは馬っていう自分の専門分野を持っているけど、教育もない貧しい女性は小間使いしかなれないから、世界が広がっていかないんでしょうか。狭いところに閉じこもったきりですよね。それと、普通の上流階級の子だと、施しをすればいいという考えですけど、クリスチナは施しをするのにも良心の呵責を感じるところがあって、そういうところはペイトンがよく見てるんだなって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年4月の記録)


大海の光〜ステフィとネッリの物語4

『大海の光〜ステフィとネッリの物語4』 (ステフィとネッリの物語4)

アニカ・トール/著 菱木晃子/訳
新宿書房
2009.08

ハマグリ:今回の課題本は4巻目だったんですけど、どうしても4巻だけを読むっていう気にならなくて、1巻から読んだら、読むほどにこれはやっぱり4巻だけを読んだんじゃだめでしょうという気になりました。徐々にいろいろなことが変わっていくんですよ。やっぱり1巻から読むことによって4巻につながっていく。だからぜひ1巻から読んでほしいなと思います。まず戦争中のスウェーデンの状況をスウェーデンの人の側から書いたものは読んだことがなかったので、知らなかったことが多く、とても勉強になりました。スウェーデン人、オーストリア人、ユダヤ人それぞれの立場がよくわかりました。
4巻では、章ごとにステフィとネッリを交互に描いているんですけど、1巻から3巻はステフィ中心で描かれています。大人も子どもも、いろいろな登場人物が出てくるんですけど、それぞれの立場があり、人物の造形がくっきりとよくわかるように書かれているところがとてもおもしろかったですね。人間の中には、揺らいでしまう人と揺らがない人がいるっていうのが、よくわかりました。弱さと強さって言ってしまってもいいのかもしれないけど、子どもでも置かれた状況によって自分が思っていたことと違うことをしなきゃいけない場合もあって、そのあたりの生身の人間の描写がとてもリアルだと思いました。ネッリはまだ幼くて養女になったので、疑似家族の中に自然に溶け込み、かわいがってもらうすべを知っていたんですね。でもステフィはそうでないところがあって、なじめないものはなじめない。養い親のおばさんですけど、最初はほんとに合わなかったんですね。でも厳しさとか冷たさと感じていたものが、日々の暮らしを一緒にすることによって次第にこの人は絶対信頼が置ける、と思えるようになるというところに感動しました。養父のエヴェルトが朴訥ながらも大きな愛情で包んでくれることや、若い担任の先生が力になってくれるところや、マイという親友が揺るがない気持ちでステフィと接してくれるっていうところに安心感があって、ステフィが自分では気づかないけれど、そういう人たちの信頼に支えられて強くなっていくところがとてもよかったと思います。島の様子とか、船で本土へ行ったりきたりする情景や、イェーテボリの町の描写がリアルで、行ったことのない場所が身近に感じられたというのもよかったです。

レン:私は前の3巻を読まず、この巻から読んでしまったのですが、引き込まれました。先日トールさんが来日なさったときの講演で、このシリーズを書いたきっかけや背景をうかがったので、すっと入れました。18歳のお姉さんと小学校を卒業する妹が、終戦という分岐点でそれぞれの人生の選択をせまられる。友人や、恋人、養父母など、まわりの登場人物が多面的にていねいに描かれていて、人生の複雑さがみごとに表現されていました。この作品を書くにあたって公文書館などで多くの資料を読んだとおっしゃっていましたが、記録で接した多くの人々の生き様が、さまざまな形で作品に盛り込まれているんでしょうね。今の日本では、学校図書館でも、子どもたちが自分から手にとる本に流れがちで、このようなまじめな大きなテーマの作品はますます出版がむずかしくなってきていると思うので、この4部作が刊行されたのはとても貴重ですね。

タビラコ:私もこの4巻目だけ読んだのですが、ぜひ1から3も読みたいと思いました。内容もさることながら、登場人物がどの人も奥行きがあって、生き生きと描かれていますね。主人公の姉妹にしても、いかにもお姉ちゃんらしい、しっかり者で頭の良いステフィと、あまり頭は良くないけれど、生きていく知恵にはたけていて、かわいらしいネッリの対比など、みごとだと思いました。ナチスによって悲惨な目にあわされた子どもたちのなかで、どうにか生き延びて大人になった人たちの証言を綴った本を以前に読んだのですが、誘拐されて、むりやりドイツ人にされ、養子縁組をさせられた子など、強制収容所だけでなく様々な迫害を受けた子どもたちがいたことを知りました。日本ではよくわからないけれど、ヨーロッパ全土にナチスはいまだに黒い影を落としているんですね。ステフィの友だちが精神病院に入ってしまうところなど、本当にこういう子どもたちがいたに違いないと思い、胸をつかれました。すばらしい作品ですね。子どもたちにぜひ手渡してほしい本です。

げた:いつも利用している図書館の新刊棚にあったので手にとってみました。スウェーデンにもユダヤ人の子どもたちが疎開していたというのを初めて知りました。本の中に書かれているのは世の中に翻弄されている少女2人なんですけど、時代が違ってもステフィとスヴェンとのやりとりなど、時代を超えて今の子どもたちに共感できる部分があるんだろうなと思いました。作者はいろいろよく調べて物語を作ったんだろうな。書かれていることがリアルに浮かんでくるんですよね。スウェーデンの高校ってすごくレベルの高いことをやってるんですね。大学みたいですね。ユディスがあまりにも悲惨なので、もうちょっとなんとかならないのかと思いましたけど、史実として、こんなことがあったんでしょうね。お父さんとの再会のくだりは、ちょっとあっけなく終わっちゃったかな。

プルメリア:スウェーデンにユダヤ人が送られたことを私も初めて知りました。地図や登場人物紹介があって、内容もよくわかり読みやすかったです。ステフィがスヴェンに出会うことから恋が始まり、ステフィの青春から大人に成長していく姿がわかりました。友だちと父親を探しに行く自転車での旅で出会う人々のあたたかさ、いつもステフィを見守る育て親メルタ・エヴェルトとアルマの愛情も、ちゃんと伝わってきます。文章全体に、ユダヤ人としての誇り(こそこそしない)や主張がにじみ出ているように思いました。この作品を読んだあとに、1巻目の『海の島』を読んだところ、ステフィがスウェーデンに行き学校生活でいじめをうけ葛藤しながら一生懸命島で生きていく様子、妹が養ってもらっている家で陶器の犬をポケットに入れてしまい、その陶器が見つかってしまうあたりのステフィの心情描写などが、痛々しいくらいによく描けていました。1巻には登場人物の説明も地図もありませんが、1巻から読むと4巻の読みも深まっていいと思います。読んでいて古い感じがしなくて、ぜひ紹介したい作品です。

シア:全国学校図書館協議会のイチオシだったんですけど、いまいち手がのびなかった作品です。今回初めて読みました。第2次世界大戦のユダヤ人というイメージが強くて、『アンネの日記』のような重いイメージがあったんですけど、普通の生活を送れているっていうところで、幸運な人たちだなと思いました。ユディスの考え方に、ユダヤ人の誇り高さを感じました。ユダヤ人と結婚してユダヤ人の子どもを産むべきだっていうあたりですね。途中のユディスの事件でぐっときました。アウシュビッツに送られてしまった人のことではなく、こういうところだけでも子どもたちに読んでほしいと思います。そして、移民として最後アメリカにたどりつくっていうのが、うまいラストだなと。養い親、血のつながりのない親にネッリは抵抗なくなじんでいくようなところがあって、ユダヤ人としての誇りや芯というのは、環境が育てていくものなんですね。関係ないですが、スウェーデンの移民について思い出したことがあります。数年前に私がスウェーデンに行ったとき、イラクの人たちを受け入れていたんですね。そのせいで治安の問題も出てきていたし、下層のスウェーデン人たちより保護を受けているイラクの人たちがいい生活をしているなど、軋轢があると聞きました。移民を受け入れるのも、移民になるのも大変ですね。

ひいらぎ:私はまだ3分の2くらいしか読めてないんですけど、最初すごく苦労しました。ステフィがまず男か女かわからなかったんですね、どんな人なのかなと思っていると、次にマイが出てきて、すぐにイリヤが出てきて、どれも男か女かわからない。1巻から読めば、すでに頭の中に登場人物が頭に入っているからもっとすらすら読めるんでしょうね。ロイス・ローリーの『ふたりの星』(掛川恭子・津尾美智子訳 講談社)も、デンマークからスウェーデンにユダヤ人を逃がすという話でしたね。でも、ニューベリー賞を取った作品なのにこっちは絶版ですよね。ユダヤ人狩りとか強制収容所の悲劇だけでなく、こういう作品も歴史のリアリティを感じるには大事だと思うんですけどね。

タビラコ:教科書には今でも、戦争がテーマの作品が載ってるの?

プルメリア:文学教材は、小学校3年生に『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ著 あかね書房)、4年生には『一つの花』(今西祐行著 ポプラ社)が載ってます。ただ、子どもたちには今と比較して説明しておかないと、作品からはその時代の様子が理解できないし、子どもにはわからないです。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年4月の記録)


バターサンドの夜

『バターサンドの夜』
河合二湖/著
講談社
2009

シア:「フランバーズ屋敷の人びと」を先に読んでいたので、こっちはあっという間に読めてしまいましたけど、子どもは感情移入できるんじゃないでしょうか。身近なことを扱っているので。日本のサブカルチャーを、こういう形の児童文学で扱っているのが新しいのかな。アニメ系の絵のライトノベルだと、こういう話を扱っているのはあるんだけど。でも登場人物は中1ですよね。キャラがものすごく大人っぽい。考え方も行動も、まわりの子もそうなので、最近の子と比べるとギャップを感じましたね。中3から高1にかけてだったら納得する内容です。でも、主人公は中学受験をして私学に入るんだけど、私学の女子校を受験させるようなお母さんだったら、これほど子どもに関心がないはずはない。この作家の子どもの頃の話なのかな。

タビラコ:この作品は一人称で書いてあるから、「主人公の目から見ると、お母さんが子どもに関心がないように見える/感じる」ということじゃないかしら?

シア:泊まってきたり、遅くに外出したり、公立校の子だとそんな自由もあるのかなと思いますけどね。うちは私立の学校だから、こんなの親が許すかな、と気になって。

プルメリア:私は今年の3月まで6年生を担任していたので、主人公の心理はわかりやすかったです。大人っぽい会話をする子がいたり、「ボク」って言う女子がいたり、アニメの続きをアレンジして物語を作るアニメ好きがいたり、友だちと関わることを好まない子どもがいたりしましたからね。また、別のカラーとしてコスプレはしないけど、流行のショートパンツや網タイツをはく子がいたり、すごい髪型の子もいますから。主人公のように、こういう人物になりたいっていう心理もよくわかります。最初の1行が「モデルやらない?」。子どもにとってモデルは興味あるので、この言葉からも子どもは本に入ってこられるかも。少女明音とおじいさんと智美さんの生き方の違いや、マネキンが出てくるシーンの表現がおもしろかったです。太っている子が着られない服を着たいと思う欲望もおもしろく書かれていました。読み聞かせのお母さんが出てくる場面は、身近に感じて読みました。

げた:この頃の女の子って、変わりたくないって気持ちがあるんですね。大人の女になりたくないって。13、14ぐらいの女の子の気持ちって、さすがに私にはわからないんですけどね。お母さんは図書館でお話ボランティアをやっていて、とってもいいお母さんのはずなんだけど、彼女にとってはあまり好ましくないおばさんっていう大人なんですね。偶然出会った智美との出会いがとっかかりになって、新しい世界が開けていく13歳の女の子の物語ですね。ただ、「ブランバーズ屋敷の人びと」や『大海の光』みたいな、大きな時代の流れや運命との葛藤みたいな背景が感じられないので、物語全体の底が浅いというのは否めないんですよね。軽さがいい面でもあるけれど、軽いだけで終わっているんじゃないかなという感じもしますね。「バターサンドの夜」ってタイトルなんですけど、あんまりピンとこないですね。バターサンドに対する作者の思いが読者にうまく伝わっていないんじゃないかな。

タビラコ:読み終えてから、この作品は風俗小説だなと思いました。少なくとも、私にとっては。実際に、今はこういう子どもがいるのかもしれないけれど、それ以上のものではない。結局、風俗以上の何を書きたかったのか、よくわからないんです。「バターサンド」で象徴されている(のかもしれない)家族関係の修復を書きたかったのか、それとも変身願望を書きたかったのか。どちらにせよ、もう少し掘り下げて書いてもらいたかった。変身願望にしても、十月革命をテーマにしたマンガの主人公と同じ服を着たいというのだけれど、どうしてそのマンガの主人公に魅かれたのかわからない。結局、かっこうだけ真似たいということですよね。私の読み方が浅いのかなあ? それでも、この本の主人公が、かわいいなあとか、なんかこの子好きだなあと思えれば、もっとおもしろく読めたんでしょうけど、なんだかこの子だけじゃなくて、洋裁店の女の人も、おじいちゃんも、神経にさわって、あまり好きになれませんでした。でも、子どもたちは夢中になって読むのかしら?

シア:今の子は、お弁当のところとか、すごく共感すると思いますね。その陰惨さを知っているので、読んでいると暗ーい気持ちになりますね。

タビラコ:なんかね、ユーモアっていうか、体温というか、あったかさが感じられないんですよね。このあいだ取り上げた『園芸少年』(魚住直子著 講談社)にはそれがあって、扱いようによっては暗くなるテーマがそうはならずに、おもしろく読ませていたんだけれど。

シア:この頃の子どもって、鬱とかリストカットとかに向かっちゃいそうな怖さもあるので、中学生にはあんまり読ませたくない。ピンポイントでヒットしてしまいそうで怖いです。生徒に薦める気にはならないですね。

ハマグリ:私はもともと読むのが遅いので、ステフィとネッリの物語を1巻から読んでいる途中に、これも読まなくては間に合わない、と思って読んだんですね。そのせいか、ステフィとネッリの物語は、時代も舞台も遠いけれど、本当にこんな人たちがいたんだなって身近に感じられたのに、こっちはよく知っている身近なものばかりが出てくるにもかかわらず、そこに息をしている人としての体温があまり感じられませんでした。人物造形の薄さなのでしょうか、伝わってくるものがないんですね。智美さんっていう人は、キーになる人物なのに、どういう人かなかなかイメージできなかったです。この人をもっと魅力的に描かない限り、説得力がないと思います。それから、158ページのおじいちゃんとの会話のところで、「わたしたちはお互いにとって、大事な大事な・・・お客さんだ」という文がありますが、これ、どういう意味かよくわかりませんでした。作者にとっては結構思い入れの深い一文なんでしょうけど、ストンと落ちる言葉ではありませんでしたね。確かに今のサブカルチャーをあれこれ書いていることには目を奪われるけど、「新しい!」と感じるインパクトはなかったし、肝心の人物の描き方が物足りないと思いました。才能のある人だと思うので、今後に期待したいです。

ひいらぎ:こういう子がいるかっていうと、いるだろうと思うんですけど。智美さんの厚みも魅力もないんですね。この本は、智美さんが書けてないから、ほかも紙でつくったキャラが舞台を行ったり来たり動いてるって感じになっちゃうんじゃないかな。もうちょっと智美さんをきっちり書いてもらったら、おもしろい話になったかもしれない。今のままだと、物語のはじめから終わりまで、この子が何かを体験したって感じがないんですよね。

ハマグリ:智美さんに出会ったことで、主人公が何か変わったというのが出てれば、もっとおもしろかったのにね。

タビラコ:本当は、それが書きたかったんじゃないの? 児童文学っていうのは大人が子どもに書くものだと思うのね。でも、この作品は、子どものまま書いている感じがするんですよね。

シア:当時を思い出して書いてるんだって思うんですけどね。大人っていっても智美さんは子どもみたいな人だし。

ハマグリ:題材としてはおもしろいものを集めてきてるし、設定も興味深いのよ。それがうまく使ってあればいいんだけど。

ひいらぎ:意欲は感じられるかな。

シア:でも、こういうのって、ケータイ小説にもいくらでもありますよね。

げた:ケータイ小説って、中学校や高校では今でもよく読まれてますか?

シア:うちの学校では、ちょっと落ち目ですね。

タビラコ:最後に「バターサンド」が出てくるんですけど、これはなにを表しているのでしょう? お父さんとまた仲良くしたいってことでしょうか?

げた:それもわからないですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年4月の記録)


2010年04月 テーマ:運命を変えたい女の子のお話

no image
『2010年04月 テーマ:運命を変えたい女の子のお話』
日付 2010年4月22日
参加者 プルメリア、タビラコ、ひいらぎ、シア、ハマグリ、げた、レン
テーマ 運命を変えたい女の子のお話

読んだ本:

『愛の旅だち〜フランバーズ屋敷の人びと1』 (フランバーズ屋敷の人びと1)

原題:FLAMBARDS 1 by K.M.Peyton
K.M.ペイトン/著 掛川恭子/訳 *改訳で再版
岩波少年文庫
2009

版元語録:フランバーズ屋敷にひきとられた少女クリスチナと、彼女をとりまく男たちとが、第1次世界大戦下のイギリスを舞台に織りなす愛と憎しみを、ドラマチックに描く。シリーズ第1作。
『大海の光〜ステフィとネッリの物語4』 (ステフィとネッリの物語4)

原題:OPPET HAV by Annika Thor
アニカ・トール/著 菱木晃子/訳
新宿書房
2009.08

版元語録:ナチスの迫害を逃れ、スウェーデンの小島にたどりついたウィーンのユダヤ人姉妹。戦争は終わり、成長した姉妹の未来はどこにあるのか…シリーズ完結編。
『バターサンドの夜』
河合二湖/著
講談社
2009

版元語録:コスプレ衣装に憧れ、懸命に自分の居場所をみつけようとする中学生の明音。たくさんの出会いを通じて、心の揺らぎを活写した小説。 *講談社児童文学新人賞受賞

(さらに…)

Read More

マルベリーボーイズ

ドナ・ジョー・ナポリ『マルベリーボーイズ』
『マルベリーボーイズ』
ドナ・ジョー・ナポリ/著 相山夏奏/訳
偕成社
2009.11

シア:とてもおもしろく読めました。読書感想文が書きやすそうな本ですね。正統派。最初のうちは『黒い兄弟』(リザ・テツナー著/あすなろ書房)なんかと似たような感じだと思って読んでたんですけど、登場人物一人一人が濃いですね。読んでいて辛いところもありました。事実に即して、というところに興味をもちました。創作でありながらも、歴史の重要なところはおさえているので、すごく迫力のある情景になったのかなと。男の子にも女の子にもいい本ですね。文章力もあるので、あきずに一気に読めました。

セシ:読み始めると、どんどん読まずにはいられず一気に読みました。おもしろかった。革靴というのが、母親の思いや家族の教えを象徴していたり、隣家におすそわけするだとか、きちんとオレンジをつむだとか、人前で服を脱がないだとか、そういうさまざまな習慣も故郷とのつながりを表していて、とてもうまいなと思いました。脇役の使い方もうまく、それぞれの人物とドムがどんなふうに関係を結んでいったかが、心に残りました。最初は1セント渡してお使いを頼むところから、具体的な行為で順々にあらわされていくんですね。匂いも伝わってきそうな町の描き方にもひきつけられました。ただ、時々ちょっとわかりにくく感じるところがありました。船でニューヨークに着くところも、どんなふうにして船を降りたのか、混乱してしまいました。まあ筋がおもしろいので、そっちにつられて先を読んでしまうんですけど。

アカシア:私もとてもおもしろかった。お話の作り方がうまいです。次から次にむずかしい問題が起こっても主人公が誠実に向き合っていくところが、嫌らしくなくさわやかに描かれているのがいいなと。子どもの読者も、主人公に自分を重ね合わせてドキドキできますよね。別の観点からおもしろいなと思ったのは、ユダヤ人がもつ生活信条や価値観です。ドムが小さいときにアウレリオおじさんは「頭をつかって一生懸命働けば、できないことなどない。どんな逆境がまちうけていようと、おれたちはユダヤ人、ナポリ生まれのユダヤ人だ。けっしてくじけることはない」って教えるんですね。それでドムも、最初25セントで買ったサンドイッチを4つに切って、金持ちのいそうな場所に行ってその1つずつを25セントで売って儲ける。次はそのお金を元手にしてもっと儲けるというやりかたで、暮らしを立てていく。そのあたりも、おもしろかったですね。
最初読んだときは、母親はなぜドムを1人でアメリカに行かせたのかなと思ったんですけど、子どもを捨てるというよりも、2人でいても共倒れになるのでせめて息子だけは希望の地に送り出そうとしたんでしょうね。ドムが母親に買ってもらった靴が、1つのシンボルになっていますね。ドムは何度か危機を救ってくれた靴を大事に大事にしていたのですが、最後の場面ではもうきつくなったその靴を小さな子にあげてしまう。そこにドムの成長が象徴的にあらわれていると思いました。

ダンテス:非常に楽しく読みました。マルベリーストリートは、リトルイタリーやチャイナタウンのあたりにあって、住んでいた頃よく行きました。お話としては靴がポイントなんだなと思いました。当時一般的な子どもは裸足で歩いていて、靴をはいているのはいいうちの子なんですね。まわりからある意味良い誤解をしてもらって筋が展開していきます。ユダヤ人の教えが随所に出てきて、ある種プライドの高さ、矜持といったものがあったからこそ生き抜くことが出来たんですね。商売の原則「安く仕入れて高く売る」を地で行って儲けて成長していくというのが、わかりやすくていいです。友だちのティン・パン・アレイでしたっけ、救い出したのに結局パドローネにつかまって殴られて殺されてしまうという展開には驚きました。国を脱出したい人のため、という名目で儲けている悪いやつが今も世界中にいるような気がします。

バリケン:おもしろかったです。『ロジーナの明日』(カレン・クシュマン/著 徳間書店)と同じように、アメリカの子が読んだら、昔この場所でこういうことがあったんだなと、いっそう胸に迫るものがあるのでは……と思いましたが、日本の読者にもじゅうぶんわかるようにていねいに描かれているので、ぜひ薦めたい。死体が捨てられている下水道に修道女に頼まれて物をとりにいく場面のように、腐りかけの果物みたいに爛熟しきったナポリと、一見腐りきっているようでも新しい息吹が感じられるニューヨークの街とを対比しているところも、おもしろかった。最後に登場人物の1人が死んでしまうところはショッキングでしたが、実際にこういうこともあったんでしょうね。たとえば232ページですが、実際の場面(ガエターノとぼくが話している)のなかに、ちょっと前の出来事(ティン・パン・アレイのところに行って、オレンジをいっしょに食べたこと)が挿入されていますよね。そういう箇所は、あれ?と思って前に戻って読み返したりしましたが、こっちの読み方が悪いのかも……。

メリーさん:とてもおもしろく読みました。大きな事件は起こらないのだけれど、骨太な物語だなと思いました。日本だったら、1つのパンを4つに切って商売しようだなんて考えないだろうけれど、そこはアメリカらしいなあと。そしてユダヤというアイデンティティーも出てくる。主人公が、サンドイッチからサラミを取り出すところなどは、根本のところでは譲れない気持ちが伝わってきました。それでも最初は帰りたくてしょうがないのに、主人公はだんだん新しい土地になじんでいきます。そんな中で、靴だけは1セントかけて預けておく。これも、この靴だけは譲れないという、彼の存在証明みたいなものだと思いました。主人公やガエターノ、ティン・パン・アレイも、とにかくみんな生きよう、生きようとしていて、たくましい。だれに教わったわけではないのに、雑草のような前向きのパワーがすごいなと思いました。
とてもいい本なのだけれど、やはり今の子どもには分量があるかなと感じました。そのせいかどうか、束を出さないために紙がすごく薄いのが少し気になりました。

バリケン:日本の今の子どもたちには、こんな風に生き延びるための知恵を働かせる場面はないでしょうけれど、戦後すぐ、戦災孤児がいた時代には、こういう子どもも大勢いたんでしょうね。

プルメリア:すごく勇気づけられる本だなと思いました。まわりの人に支えられながら成長するサクセスストーリー。9歳の少年が生き伸びるのはたいへんです。移民の人々の暮らしだとか、パドローネだとか、アメリカの身分制度や人種の社会性なども出ていて、その時代の様子がよくわかりました。物の値段が、その人の言った値段になるのがアメリカ的だなと思いました。文章にのところどころにことわざが入っていて、それもおもしろかったです。性格がまったく違う3人の少年が寄り添いながら生きて友だちをふやしていく過程には、若い世代が社会を築いていくたくましさを感じました。ドムは、自分の居場所を見つけ、お母さんの気持ちを冷静に考えられるようになっていくんですが、そこからは、新しい世界・アメリカ社会で生きていく知恵を持ち力強く成長した姿が伝わってきます。

アカシア:交渉して値段を決めるのは、アメリカでなくても100年前ならどこでもそうだったんじゃないかしら。今だって、大阪のおばちゃんはデパートに行っても値切るらしいし。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年3月の記録)


オックスフォード物語〜マリアの夏の日

ジリアン・エイブリー『オックスフォード物語:マリアの夏の日』
『オックスフォード物語〜マリアの夏の日』
ジリアン・エイブリー/著 神宮輝夫/訳 杉田比呂美/挿絵
偕成社
2009-06

シア:『マルベリーボーイズ』のほうを先に読んでしまったので、派手な展開もなく、少し眠くなってしまいました。主人公には知的好奇心もあるし、当時の子がやらないことをやったような子なんでしょうけれど、時代をはるか隔てて読むとなると、大きな謎とか山がないと。ちょっと『秘密の花園』っぽくて、盛り上がりを期待してしまったんですが。外国の児童文学ってよく子どもの行動がだいぶ制限されていますよね。この作品はミステリー仕立てだし、コプルストン先生という大人を出してくることで、それを破っているのかなと思いました。女性に専門的な教育をほどこすことをあまりよしとしない時代に、大学の教授になりたいという主人公をもってきたことには、女性作家の意気込みを感じました。表紙がかわいいですけれど、ペーパーバック版原書の表紙もかわいいですね。

セシ:私は、これは苦手でした。寮を抜けだしてオックスフォードに行ってしまったり、少年の謎を追って屋敷に行ってしまったりするマリアの大胆さは、シアさんもおっしゃっていたように、この本が出た当時の子どもたちにはとても魅力があったと思うのですが、今読むと、しょっちゅう出てくる歴史的知識や難しい言葉にさえぎられて、なかなかストーリーにのっていけない気がします。マリアやスミス兄弟、家庭教師のコプルストン先生の型破りな様子は、当時のオックスフォードの様子がわからないと浮かび上がってこないし、物語のおもしろさもわかりにくいのでは? 最後の「あんなやりかたは二度とできません。そして、コプルストン先生にいろいろみつけていただくくらいなら、なにもわからないままでいます、わたし」というマリアのセリフも、ピンときませんでした。

プリメリア:出版されてすぐに読んで、すごくおもしろいと思ったんですけど、2度目に読むとそれほどでもなかったですね。最初は、マリアののびのびとした行動と利発さ、性格がそれぞれ個性的に描かれた3兄弟、コプルストン先生の型にはまらない性格などがおもしろいと思ったんです。大学に牛があらわれるようなオックスフォードのとてものどかで牧歌的な感じや風景描写もていねいで、時代背景がよくわかりました。謎の少年の絵と家にあった銅版画をキーワードとしてストーリーを組み立て、マリアが謎を解いていく展開はおもしろかったですが、子どもはどういうふうに読むのかなと思うと、なかなか難しいですね。とりまく人々はやさしくて、両親のいないマリアに寂しさを感じさせない。マリアが明るく楽しく生きていく姿は、読む子どもたちの共感を得るかもしれません。

アカシア:この時代のオックスフォードはどうだったのか、とか、先生たちはどんな暮らしをしていたのか、などに興味がある人ならおもしろいですが、今の子どもがお話として読むには難しいんじゃないかな。時代を先んじていたマリアを出してくるのは、当時のイギリスの子どもにとってはおもしろいとも思うんですが。訳者がわざとそうしていらっしゃるんでしょうが、翻訳がちょっと昔の文体ですね。それに、いちばん下の弟がお兄さんに対して、「きみたち」なんて言うんですね。名前が似ているだけに、この子はいったいだれだったかなと、とまどってしまいました。彼とか彼女という指示代名詞もたくさん出てきますが、今の子どもたちにはどうなんでしょうか?

ダンテス:訳がおかしいなと思うところが何カ所かあったんです。日本語として読みにくいです。兄弟の間のやりとりも不自然だし、敢えてそういうふうに訳したんだなと思えばいいんでしょうか。生硬な文体って感じがします。

セシ:わからない言葉、ありますよね。たとえば、182ページのパーラーメイドとか。

ダンテス:この本は、きっと調べ物の過程がおもしろいんでしょうね。この子は、相当な発見をしたんでしょう。マリアの知的好奇心の高さへの賛歌なんですね。そして最後に、講演をやっておくれという話も出てきますから、立派な学問的探求の成果として評価されるべきということなんでしょう。訳語ですが、英語の本文に出てきた単語をそのままに訳してるんでしょうか。

セシ:確かに、たとえば32ページですが、「ウォーデンは」、「大おじさんは」、「ハドン大おじさんは」と出てきて、全部同じ人なのに、迷ってしまいますよね。

ダンテス:ウォーデンは、学寮長じゃだめなんでしょうかね。

バリケン:フィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』では、学寮長になっていますね。私は、この本の原書を持っているのですが、「ウォーデンの姪」というタイトルがなんとも地味で読む気がしなかったので、今回読むことができてうれしかったです。とても厚い本ですし、読者を選ぶと思いますが、お話についていける子どもなら、主人公が研究成果を発表する喜びというのを、じゅうぶんに感じとって感動するのではないかと思いました。というのも、私自身子ども時代に『サーカスの少女』(アボット/著)というアメリカの本を読んで、その中に出てくる作家の女の人の生き方に憧れをいだいて、「ああ、こういう未来もあるんだなあ!」と子ども心に思った経験があるので。マリアのような女の子たちの願いや思いが積もり積もって、やがてオックスフォードに女子だけのカレッジができたりしていったのでしょうね。イギリスの読者が読めば、そういう感慨もあるのかと……。日本版のタイトルにも、そんな思いが感じられました。

メリーさん:原書の出版が1957年で、けっこう古いなと思いました。読んでいて、以前とりあげた『時の旅人』(アリソン・アトリー著 評論社・岩波少年文庫)を思い出しました。あの時も、外国の歴史がからんでいるような本は、今あまり読まれないという意見があったのですが、100人のうち1人くらいは、こういうものも好きなのではないかな。自分が歴史の一部分に触れていると感じる、知的好奇心をもつ子もいるでしょう。分量も多いし、物語が動き出すのは後半なのですが、その後半までくれば、あとは400年の時代を越えた謎解きにひきこまれます。題材がすごくいいし、イギリスの雰囲気が出ていて好きな本ですが、今、子どもに向けて出すということに関しては、読む子を選ぶなと思いました。

バリケン:児童書の歴史の本にはよく出てくる本なので、これまで邦訳が出なかったのは、日本の読者には難しいと思われたのかも。

アカシア:編集者はだいぶ躊躇したでしょうね。主人公が11歳でしょ。その年齢だと、こんなに小さい活字の本はむずかしいし、かといって、高校生はつまらないと思うでしょうし。

シア:中学生や高校生で世界史をやっていれば、わかるんでしょうけれど、9ページですでに注が出てきちゃうんですね。それが衝撃でした。子どもに手渡したら、フォローしていかないといけない本ですね。

プルメリア::青い鳥文庫で出ている『ご隠居さまは名探偵!』などタイムスリップ探偵団のシリーズは、聖徳太子や卑弥呼なども出てきて、歴史が苦手な子どもでも作品を読んで歴史に近づきますね。

シア:今の子はゲームが好きなので、戦国時代のことはゲームをやることでかなり詳しくなっていますね。「週刊少年ジャンプ」に載っている『銀魂』(空知英秋作)とか、『恋する新撰組』(越水利江子著 角川つばさ文庫)とか、斉藤洋さんの『白狐魔記』(偕成社)とかはよく読んでます。部分的に入って横に広がっていくんでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年3月の記録)


ひげがあろうがなかろうが

今江祥智『ひげがあろうがなかろうが』
『ひげがあろうがなかろうが』
今江祥智/著 田島征三/挿絵
解放出版社
2008.01

プルメリア::とても厚い作品だし、ちょっとわかりにくい言葉で書かれていたので、解読しながら読んでいくみたいで疲れました。主人公が男の子か女の子かわからなかったのですが、ひげが生えてきたとあったので、後で男の子だとわかりました。主人公と父親は山の中で暮らしていて、訪れる人もわずかです。登場人物がやたらと変身し、忍者なのかな、空想なのかな、とも思ったりしました。お父さんが、いきなり小さくなったり、元にもどったりするのも、ついていけないところの1つでした。また、お父さんが、子どもにお酒を勧める場面が出てくるのが不思議でした。地震が起きたことで、山の様子や海の様子が変わりストーリーも変わるスケールの大きな展開ですが、タイトルと内容の意味が今ひとつわからなくて、絵の感じはよかったけれど、登場人物像は最後までつかめませんでした。

アカシア:この本の後ろには、絶版になった『ひげのあるおやじたち』もそのまま入っていますし、どこが問題になったかの説明もありますね。その後に書かれた『ひげがあろうがなかろうが』は、前の作品あってのタイトルなんでしょうね。毎日新聞では斎藤美奈子さんがこの作品を絶賛していました。作品に登場するのは、サンカと呼ばれていた人たちでしょうか。サンカは、マイペディアでは「少数集団で山間を漂泊して暮らした」とか「川魚をとったり、箕や箒・籠つくりなどを生業とし、人里に出て売ったり米などと交換した」とあります。肉体的に異能の持ち主だという説もあるし、原日本人だという説もある。竹細工に秀でた人たち、遊芸に秀でた人たち、占いのできる人たちもいたようですし、忍者の源流だという説もあるようです。犯罪者集団として排斥された歴史もあるらしい。そのあたりを少し知ってから読むと、この作品はとてもおもしろい。
その部分を除いてもおもしろいと思うのは、たけの育て方です。どんどん危険なこともやらされて育っていく。生きていくのが楽ではないと親も知っていて、過保護とはほど遠い育て方でたくましく生きぬく力をつけさせようとしているんでしょうね。でも突き放すというわけではなくて、p54には「お父はいろんなことをたけの前で自分がやってみせるだけで、/(こうやるんだ)/と、教えてくれている。たけは見よう見まねでやってみる。お父は見て見ぬふりの顔でいて、たけがそれなりにできるようになると、「ん」とうなずいてくれる。目が小さく笑っているのを、たけは見のがさなかった」と書かれています。本当に命が危ないような時は、大人があらわれて助けてもくれる。逆になんでもできる大人は、たけにとって尊敬の対象です。それだけの存在感を大人たちが持っているのがいいなあ、と思いました。ただ長いですよね、これ。地の文が語りの口調になっているところと、そうでないところがあって、それが意図的なのかどうかはわからないんだけど、読者を混乱させるように思いました。あと本づくりに関してですが、厚い紙を使っての無線綴なんで、壊れやすいんじゃないでしょうか。

ダンテス:本の厚さに圧倒されて、結局ぱぱっと読みとばしてしまいました。なんか、お母ちゃんが消えちゃったり、鳥になったり、ついていけない感じでした。一方、手取り足取りはしないけれど、父親から息子へ生きるすべを伝授している話と読めばおもしろいと思いました。

バリケン:なんか、よくわからなかったというご意見を聞いて、正直いってとてもショックでした。子どもが読んだらわからないのでは……とは思いましたが、ストーリーの運びや、場面の描き方に力があるので、わからないままにどんどん読んでいくのでは? 大人になって、ああ、そうだったのかと思ってもいいと思うのね。大人の読者の私としては、「どうしても書かなくては、いま書いておかなくては」という作者の思いがひしひしと伝わってきて、言葉では言い表せないほど感動しました。前作の『ひげのあるおやじたち』では書けなかった、歴史の表面にあらわれてこない人々の豊かな暮らしを書こうとしたのだと思います。『ひげのあるおやじたち』のどこが問題になって絶版になったのかは、実は今ひとつわからないのですが。『ひげのあるおやじたち』も確かにおもしろく巧みに書けていると思いますが、作者の伝えたいという思いは、こっちの作品のほうが格段に強く、深いと思います。大学で教えている人から、部落差別のことを知らない学生がいると聞いて、これもまたショックを受けたのですが(まあ、その学生自身の問題もあると思うんですけどね)、数年前に『被差別の食卓』(上原善広/著 新潮新書)という本を読んで、とても感激したんですね。自分自身が被差別部落に育った作者が、世界中の被差別の人々が食べていた、食べているものをルポしてまわった本なのです。最近では、サルまわしの村崎太郎さんの本(『ボロを着た王子様』『橋はかかる』ポプラ社)もありますよね。いつまでも『夜明け前』(島崎藤村/著)や『橋のない川』(住井すゑ/著)だけでなく、これからだんだん変わっていくと思います。それにしても、今江さんとか上野瞭さんとか、この時代の児童文学作家はすごいなと思いました。上野瞭さんの『ちょんまげ手まり歌』(理論社)などは、今でも手に入るのでしょうか。この間の読書会でも言ったように、身の回り3メートルの作品ではなく、こういう作品を書く人がもっと出てほしいなと思いますね。

アカシア:私はでもね、こういう本は、大人が読んでどうかっていうのと、子どもが読んでどうかっていうのを、両方考えないといけないと思うんですね。子どもが読むと、この書き方ではわからなくて辛いな、って。それに、中上健二が描く人物像はもっと立体的に浮かび上がってくるんですけど、今江さんが書くと、みんなヒーローみたいになってしまう。差別される側や抑圧されている側のことは、当人じゃないと書くのがむずかしい部分もあるんじゃないのかな。

バリケン:『谷間の底から』を書いた柴田道子さんは、狭山事件をはじめとして、被差別の問題をずっと考えてきた児童文学作家なのですが、自分自身がそうではないという立場から書く難しさや辛さが、いつもつきまとっていたのではないかしら。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年3月の記録)


2010年03月 テーマ:ちょっと昔の子どもたち

no image
『2010年03月 テーマ:ちょっと昔の子どもたち』
日付 2010年3月16日
参加者 シア、セシ、アカシア、ダンテス、バリケン、メリーさん、プルメリア
テーマ ちょっと昔の子どもたち

読んだ本:

ドナ・ジョー・ナポリ『マルベリーボーイズ』
『マルベリーボーイズ』
原題:THE KING OF MULBERRY STREET by Donna Jo Napoli, 2005
ドナ・ジョー・ナポリ/著 相山夏奏/訳
偕成社
2009.11

版元語録:19世紀末のアメリカ、ニューヨーク最大のスラム街を舞台に、知恵と勇気で未来をきりひらく、ユダヤ人少年の物語。
ジリアン・エイブリー『オックスフォード物語:マリアの夏の日』
『オックスフォード物語〜マリアの夏の日』
原題:THE WARDEN’S NIECE by Gillian Avery, 1957
ジリアン・エイブリー/著 神宮輝夫/訳 杉田比呂美/挿絵
偕成社
2009-06

版元語録:女子校を逃げだしたマリアは、おじのもとへ身をよせます。19世紀末の大学街を子どもたちがかけまわる、とっておきの英国児童文学!
今江祥智『ひげがあろうがなかろうが』
『ひげがあろうがなかろうが』
今江祥智/著 田島征三/挿絵
解放出版社
2008.01

版元語録:山が切りたつ大竹林のはずれに、たけはお父と暮らしていた。そこには「技」をもった者がきては去っていく。やがて皆が集結し…。絶版『ひげのあるおやじたち』を前身とする新作。旧作・解説一挙収録。なにが問題だったのか必見。

(さらに…)

Read More

ジェミーと走る夏

エイドリアン フォゲリン『ジェミーと走る夏』
『ジェミーと走る夏』
エイドリアン・フォゲリン/著 千葉茂樹/訳
ポプラ社
2009.07

ハマグリ:出た時から書評で見て、読みたいと思っていました。大人が持っている偏見を、高いフェンスという目に見える形で描いている。大人は、今まで生きてきた経験から、どうしてもすぐには受け入れられないけれど、子どもはそういうことを抜きにして、自分と気の合う相手を、肌の色とは関係なくすっと見分けて受け入れられる。大人と違う子どもの自由な感性が、この本のテーマだと思います。主人公のキャスが素直な子どもで、ジェミーとすぐに仲良くなるところや、ジェミーが万引きをしたのではないかとつい疑ってしまう正直な気持ちにも、好感がもてますね。同じ1冊の本を二人で読むところは、とてもおもしろかった。それが『ジェーン・エア』という今の子どもには古くさい本なのにもかかわらず、主人公になりきって、喜怒哀楽を表すところがとても興味深いですね。また、二人のおばあさんの存在が印象的でした。ミス・リズは、亡くなっているので実際には顔を出しませんが、キャスの思い出のなかでは、たとえば人形のティーパーティーなど印象的な場面が多く、おもしろい人物でした。ジェミーのおばあさんは、今までに一番人種差別に傷ついてきただろうに、その過去を乗り越えてきた強さを持っています。子どもたちの一番の理解者になってくれて、隣に住むキャスの父や、自分の娘の偏見に満ちたかたくなな心を、うまい具合にときほぐす役割で、とてもいい味を出している。主人公はそんな二人のおばあちゃんがすごく好き。その気持ちがよく伝わってきました。

トントンミー:私、本を手にしたときどこを最初に見るかというと、まず目次なんですよ。目次に並んでいる章タイトルをじーっと見つめて、どんなことが書いてあるのかを、読む前に想像してみる。で、実際に読みすすめて、想像どおりの本なのか、想像を裏切るのか、わかれていくんだけど、想像を裏切ってくれる本がやっぱりおもしろい。目次は、ワクワク感をつのらせる演出だと思うから、書籍には欠かせないと思ってるんです。ああ、それなのに! この本ね、せっかく章タイトルがついているのに、目次のページ、ないんですよ。ちぇっ。けちだなあと思って、第一印象あんまりよくなかったです。そのせいかな。最初にフェンスが出てきて、白人と黒人が登場する、というシーン。あまりにも、あからさまな象徴をつかうので、「差別もの」の教訓の匂いがして、入りにくかった。物語の仕掛けも展開も、フェンス挟んで進むわけねっ、はいはいって感じで、冷めちゃうんです。
ただ、後半の「ジェーン・エア」が登場するあたりから、意外な展開してくんですよね。ふたりの間にあったフェンスが、こんどは1冊の本になる。フェンスじゃなくて、本を介して、ふたりが成長していく。へー、そうくるか、と思いました。
 タイトルに「走る」とあるので、「競技」ランナーの話かと思ったら、そういうわけじゃないんですね。まあ、最後はマラソンのレースの話になりますけど、二人の成長を促すのは、スポーツじゃなくて、文学ですね。全体的に「ジェーン・エア」の描写の方が多い。「走る夏」というより、「駆け抜ける夏」のほうが、ニュアンスが近いかな。
 興味深いのは、物語の背景です。黒人のジェミーが母子家庭、白人のキャスは両親そろっているけど、中流以下の家庭。黒人の母子家庭のほうが、教育も受けていて、やや裕福。キャスの家庭は白人だけど、「貧困」という差別をうけている。二人が、自分たちの不遇な環境について言い合いをするシーンがありますけど、現代のアメリカ社会の、格差の複雑さが透けて見えてくる(p115)。この本は著者のデビュー作ということですが、ちょっと気になったのは、饒舌な文体のわりに、説明不足の箇所が多いということ。主人公が12歳の女の子という設定で、全体が「おしゃべり」っぽく進むのは読みやすいんだけど、場面と場面のつなぎがだらだらしていて、わかりにくい。たまには俯瞰の描写もあると、つなぎがきれいになると思うんだけど、その辺は好みの問題かも。

タンポポ:壁の向こうとこっちで、キャスのお父さんに見つかるんじゃないかと、どきどきしているところ、こっちもどきどきしてしまいました。主人公も脇役もしっかり描かれていますね。出てすぐに私が勤めている学校にも置きました。6年生に、登場人物の中で誰が好きかと聞くと、キャスのお姉さんという声が多かったんです。いろいろ面倒を引き起こしてしまうけれど、最後には自分が悪いことをしたと認めるというところがいいらしんですね。「ジェーン・エア」を読むところも、あまりむずかしいとは感じなかったようです。

メリーさん:タイトルになっている「走る」というところ、キャスとジェミーが最初に会って、お互いの限度を探るように走る場面はとてもいいなと思いました。それが、「ジェーン・エア」の読み合いをするようになって、だんだん文学少女のようになっていく。その変化もおもしろいと思います。中でも、物語の登場人物に自分たちを重ね、本の中の難しい言葉をふたりにしかわからない合言葉のように使うところ。海辺で、ジェーンがもしいっしょに来ていたら、きっとこうするだろう、とキャスが想像するところなど。二人の周辺を見てみると、キャスの父親は、白人で労働者階級。一方、ジェミーの母は、アフリカンアメリカンで、高い教育を受けている。お互いに人種や階級について心の中で偏見があるのですが、その子どもたちはそんなこと関係なしに付き合っています。子どもは相手に対してもとても残酷になると同時に、相手を認めるきっかけさえあれば、互いの違いなんて簡単に乗り越える、その両面をよく描いていると思いました。

バリケン:作者のデビュー作とのことですが、とてもよく書けた本だと思いました。一面的でないキャラクター設定、「ジェーン・エア」とからませて、主人公の少女二人の心情を語っていく手法、二人が走る場面で大団円に持っていく構成……新人の作品とは思えないほどです。個人的には、「ジェーン・エア」は、私が生まれて初めて読んだ文庫本でもあり、懐かしかったけれど、いまの日本の子どもには縁遠い本なのかしら? 「嵐が丘」などは新訳がでているけれど、「ジェーン・エア」は出てないのでしょうか? この本を主人公にくれたおばあさんは亡くなっているので出てこないけれど、こういう本をくれたということ、そのほかいろいろなエピソードで、物語の背景にくっきりと姿が浮かびあがってくる……その辺も、この作品をより奥深いものにしていると思います。大人たちが歩みよろうとしないなか、少女たちが仲良くなっていくわけですが、あらためてそのすんなりとした、やわらかい近づき方がいいなあと思いました。大人になってからこういう作品を読んでも感動するけれど、子ども時代に読んだときの感動とは、まったく違うと思うんですね。ですから、「差別」とか「偏見」とか、自分の身のまわりのことだけでなく社会に目を開かせるような作品をぜひ子ども時代に読ませてあげたいと切に思いました。
 訳もとてもいいと思いましたが、一点だけ、キャスのお父さんが「わたしの目の黒いうちは……」といっているんですが、白人だったら目は黒くないだろ!と思ってしまったんだけど、そう思う私のほうがおかしいのかしら?

くもっち:現代のアメリカの黒人差別についての状況がわからなかったので、いつの時代の話かな?と思いながら読みました。現在でも、隣人が黒人だと知ってフェンスを立てるなんてことをあからさまにやっているんだろうか、と思ったからです。こんなにあからさまな差別があるのかなと。(あるよ〜という声あり)もし、少し前の話なら、それがわかるように書いてくれるといいなと思いました。
挿入されている話としての「ジェーン・エア」は、昔の話なので、読者には場面がわかりづらいだろうなと思いました。ただ、物語中のむずかしい言葉を友だちどうしの符丁にするというのはおもしろいと思うし、とてもいいシーンだと思いました。こういうシーンのおかげで、人種差別がテーマの話でも、それだけに終始するのではない、深みが出るんですよね。名作の借り方がうまいですね。
 今回「部活」というテーマでの選書ですが、「走る」シーンがあまりないということは、読んでいるときは、それほど気にならなかったです。これはそれが中心というわけではないということですね。

ハマグリ:物語の舞台がいつかってことですけど、パソコンを使うところが出てくるので、それほど昔ではないですよね。

くもっち:それでも2000年と2010年ではけっこう差があるでしょう。

ハマグリ:年代を推理する手がかりとしては、「1939年にミス・リズが世界旅行をした〜」とあるけど、はっきり特定はできないですね。

アカシア:この作品に出てくるのは、純粋には部活じゃないんですけど、「チーム」を作って、その中で全然違うタイプの人と出会うという意味でほかの2冊と共通しています。でも、この本の本来のテーマは原題が"Crossing Jordan"とあるように、人種差別をどう乗り超えるかっていうことなので、走るシーンが中心になってないのはしょうがない。
 この作品が著者にとっての最初の作品だそうですが、人種差別を抽象的に述べるのではなく、一人一人の状況がきちんと描写されているので、読者に伝わる力がありますね。偏見に満ちたキャスの父については、寮の管理人の仕事を得ようとしても優遇政策のためか黒人に取られてしまうなど、日常的に黒人を敵視せざるを得ない立場にあることが描かれています。ジェミーの母のレオナも、学校で白人たちにいじめられた体験を持っています。黒人と白人がお互いにわだかまりをもっている背景が、具体的にきちんと書かれているんですね。そしてその一方にいるのが、"Crossing Jordan"をいつも歌っているグレースばあちゃん。この人は、さまざまな差別を体験しながらも、「あたしぐらいの年になったらね、できるのは許すことぐらいなのさ。肌の色が黒い人間も白いのも赤いのも、黄色いのもスカイブルー・ピンクのも、みんな神の子だからね」なんて言って子どもたちの応援をしてるんですね。
 確かに目次がないですね。そういえば、あとがきもない。経費を節約したんでしょうか。読んでいてちょっとわかりにくいな、と思うところがいくつかありました。たとえばp.14 に 「年に何度か、コルテスさんは動物管理局の収容所に犬をとりもどしにいく。とりもどすには大金をはらわなくちゃいけないので、コルテスさんはかんかんにおこるけど、犬たちは車のドアがあくとすぐにまた逃げだしてしまう」とありますけど、「車のドアがあくとすぐに」は、アメリカでは当然車で犬を引き取りに行くってことがわかってないと、とまどいます。それからp19にはフェンスが「ヒョウタンを植えるときの支え」になるってありますけど、だとすれば、つるをからませることができるようなものなんでしょうか? どんなフェンスなのかよくわからない。そこまでは板塀のようなものだと思っていたので。このフェンスは象徴としてとても大事な要素だと思うので、はっきりわかるように伝えてほしいな、と思いました。それからp71ーp72にはハティーという黒い肌の人形が出てくるんですけど、ジェミーが「ハティーはいまでも召使なんだね」というのがなぜなのか、日本の子どもにはわからない。ハティーの衣装が典型的な黒人メイドの衣装だってこと、日本の子どもは知らないものね。それと、全編を通じてシャーロット・ブロンテがシャーロッ「テ」になっているのは、なぜ?

ハマグリ:大人には偏見があるのに子どもはやすやすと乗り越える、というテーマの本、と単純に言ってしまうのではなく、もっと細部のおもしろさや、人間の描き方を味わってほしい作品だと思います。

トントンミー:帯のコピーがねえ、「偏見をのりこえて」ですからね。いかにもねえ、って感じで。

アカシア:最初は黒人に反感を持っていたキャスのお父さんが、やがてそれが偏見だったことを知り隣の家に招かれて行くんですけど、まだ戸惑っていて振る舞いがとてもぎこちないなんていくところ、とてもリアルによく描かれていますよね。

タンポポ:最後はフェンスを取り外すんでしょうか?

複数の人:取り払うことを示唆して、物語が終わっているのでは。

プルメリア:白人社会と黒人社会が別々だというアメリカの現実社会がよくわかりました。黒人の堂々とした生き方が力強く描かれていると思いました。小説「ジェーン・エア」の主人公に二人の少女が感情を寄り添わせながら、和気あいあいと読んでいくところがいいですね。また、本の中から出てきたむずしい言葉を日常生活にいかして使っていくところもいい。走ることに対する楽しさも書かれているし、二人で一緒にゴールしたことを伝える新聞記事はあたたかい。両家の間にあるフェンスは、大人(特にキャスの父)の心の壁を象徴しているのではないかと思いました。

アカシア:ジャクリーン・ウッドソンの『あなたはそっとやってくる』(さくまゆみこ訳 あすなろ書房)も、アフリカ系の少年とユダヤ系の少女が周囲の偏見を乗り越えようとする物語でしたね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年2月の記録)


園芸少年

魚住直子『園芸少年』
『園芸少年』
魚住直子/著
講談社
2009

くもっち:とてもおもしろく読みました。特に秀逸だったのは、ダンボールをかぶった庄司くんが、動揺して去るシーンで、いつもするりと通っていく道で頭をぶつけてダンボールが傾いてしまう。とてもよく書けていて思わず笑ってしまいました。高校一年生なのに女子が出てきても主人公たちとあまりからまないところなど、まったくリアリティがないように思えますが、それがまたとてもおもしろい。「こうあってほしい」的な、高校男子のピュアな感じというのでしょうか。庄司くんから、大和田くん、それからまた主人公と変化が連動していくあたりも、説得力があると思いました。

バリケン:私もとてもおもしろかった。ひきこもりの子どもをそのまま描写すると、話が暗くて、読むのもつらくなりますが、ダンボールをかぶせたことでユーモラスになっていて、楽な気持ちで読み進めます。とてもうまいと思いました。どこかにモデルになった少年でもいるのかしら? それに、いつ、どういうきっかけでダンボールをぬぐかという興味もわいてきます。高校の男子と園芸なんて、いちばんかけ離れている感じのものを結びつけたところが、この物語の成功のカギだと思いました。出てくる大人たちも、付かず離れずの位置にいて、過剰に善人でもなく、かといって少年たちの敵でもない点が、とてもいいと思いました。

メリーさん:冒頭から、いつ庄司がダンボールを取るのかとずっと思いながら読んでいきました。とにかく大和田の気持ちのいい性格にひっぱられて進んでいったという感じです。外見と反して、不良から花を守ろうとするところや、細かいことはあまり気にせずに、率直に相手のことを口にするところなどは、胸がすっとしました。庄司に「お前はのろまだけど、頭がいい」とまじめにいえるのは、やはり大和田ならではで、思わず笑ってしまいました。『武士道シックスティーン』と同様、キャラクターで読ませる小説だなと思いました。ただ後半、文化祭のところ、主人公がけんかする場面などはもっと描きこんでほしいなと思いました。女の子が入部してくるところも、もう少し彼らの生活に変化が出そうな気がします(まあ、こんな男子たちだから変わらないのかもしれませんが)。そして、最後の庄司がダンボールを取るきっかけ。かぶっていたものをはずす理由が、火というのは、もう少し他になかったのかな……と。個人的には大和田たちの言葉の力ではずすのかなと思っていたので。とはいえ、とてもさわやかでおもしろかったです。

タンポポ:読みやすくて、あっという間に読みました。ダンボールをかぶっている子がとても切ないですね。女の子の話が出てきませんが、逆にそれだから小学生にも手渡せます。読んだ6年生の中では、大和田が好きという声が多かったです。読み終わったあと、もう少しストーリーがあってもいいかなと思いました。同じ作者の「Two Trains とぅーとれいんず」(学習研究社)はとても心に残っています。

プルメリア:魚住さんの作品は好きで、読むといつも何か残るのですが、これはさらっと読めて、こういう作品もあるのだなと思いました。花の名前が出くくる場面では花を想像して読みました。バスケをやっていた主人公の篠崎君、不良っぽい大和田君、ダンボール箱をかぶった庄司君、性格が違う3人の関わり方がおもしろかったです。ダンボール箱をかぶることで登校できるなら幸せかも、と思いました。小学校には、相談室通いの子どもたちがたくさんいます。こだわりがあってマスクを二重にかけている子どももいます。マスクを二重にすることによって、他の人と違うキャラクターになって落ち着き、ほっとするようです。庄司君も、ダンボールをかぶることで自分にとって落ち着く世界をつくっているんでしょうね。大和田君は外見に似合わずやさしい子どもなんですね。2週間休んで、退学するのかなとひやひやしましたが、眉を太くして登校して来る。魚住さんは書き方が上手だなと思いました。

トントンミー:この本は、手にとった感じが好きです。薄さといい、こじんまりした感じといい、装丁からして「園芸少年」っぽい。本は内容だけじゃないです。見た目も大事。魚住さんの本を読んだのは初めてです。読者が頭の中で映像化しやすいように書いてくれていますね。必要なシーンに、必要なだけの会話。無駄がないんですけど、セリフとセリフの行間が豊かで、たまんないですね。キャラクターの書き分けがしっかりしていて、うまい。主役ではない庄司くんが、ちょっと目立ちすぎですけどね。
大人たちが脇にひかえているのがいいですね。それぞれの家庭事情が全面に出てこないところも。最近の小説って、問題が家庭環境にあるっていう展開、多すぎるから。主人公は父子家庭で育っただけあって、処世術にたけていて、面倒なことに巻き込まれないようにいつも立ち回って、空気読んでる少年なんです。自分の感情は隠す。それが、植物という、しち面倒くさいものを相手しているうちに、だんだん変わっていく。最後、感情を爆発させて、植物を守ろうとする場面では思わず泣いてしまいました。大和田くんの行動もわかるな。進学校に受かって、昔つきあっていた不良たちとは縁が切れたように見えたけど、気持ちが弱くて優しくて、ふんぎりがつかない。自分がもといた場所から、つぎの場所へ向かうとき、ジャンプするのって大変なんですよ。ちょっと助走がいるっていうか、構えが必要っていうか。人間の弱さ、微妙さ、危うさ。思春期の三大特徴が凝縮されていて、ぐっときました。
 女の子の存在がないことは、そんなに不自然には感じなかったですね。何かに熱中するとき、異性のことを放っておいて打ち込むことはありえるから。ペチュニアに水をやるところ(p.132)はメッセージ性がありました。時期がくれば自然に花は咲く。大人が手を貸さず、その時期がくれば子どもも自然に草のように育っていく。いい作品だと思いました。

ハマグリ:私はまず『園芸少年』という題にとてもひかれました。高1の男の子とは最も遠いところにあるような園芸を題名で結びつけているから。最初に植物に興味をもつきっかけが、何気なくコップの水を鉢に捨てたら次の日に葉っぱが上を向いている、そのわかりやすさに感動してしまう、というのがおもしろいなと思いました。出てくるのは3人3様の個性がある少年たちですけど、その関係がまたおもしろくて、ふふっと笑えるところがたくさんありました。いちばんおかしかったのは、最後のほうで園芸しりとりをするところ。はじめはバラとチューリップぐらいしか知らなかったくせに、「おれたちは園芸しりとりをすることにした」ってあたりまえのように言うところが何ともおかしかった。それから、最初はこの主人公が今どきの冷めてる男の子なのかなと思ったら、意外と素直に友だちのいいところを見つけていくので、それも気持ちがよかった。欲をいえば、それぞれもうちょっと掘り下げてくれたらというところがあって、大和田がどうして中学の友だちと離れようとしたのか、庄司がどうして箱を脱げないのかなとかね。でも、そういったさらっとしたところがむしろこの本の持ち味なのかなとも思います。深くしていくと、重苦しくなるのかも。さらっとした感じなのは、女性が書いた男の子だからかな、とも思いました。

メリーさん:そうですね。すごく上手だと思います。幼いけれどもピュアな部分っていうのを もうちょっとドロドロした部分ってあるけど、男のいい部分をすくいあげているのか。男だとここまでコミカルにならないんですよね。

ハマグリ:誤植が2つありました。 p116 メコノシプス→メコノプシス、p142 すごくてショック→すごくショック。

レン:これくらいの子どもがまわりにたくさんいるので、重ね合わせながら読みました。主人公の男の子は今風ですね。表立って自分を出さずに、波風を立てずにまわりと合わせていくタイプ。草食系男子って感じです。でも、個性の強い大和田や、わけありげな庄司とつきあううちに、あっさりとすませられなくなるんですね。女子からすると、「男子ってバカだよね」という部分が出ていて、おもしろく読めました。庄司ダンボールをとるところは、ちょっとあっさりしすぎているかなと感じましたが。あと、登場人物の語りの書き分けがうまいですね。

アカシア:みなさんが全部言ってくださったので、それ以上あまり言うことがありません。文章はすごくうまいなと思いました。翻訳もこんなふうにできるといいんですけど。22pのバスケ部の子の台詞だけ気になったんですけど。「どこに一年がいるんだよ。今年はサッカーとテニスが体験入部帰還の前から動いて、運動部に入ってもいいという貴重な男子を全員とっていったんだ。どこを探しても、もういないよ」。ここだけ説明調なんですよね。それから、私は庄司くんがあっさり段ボールをぬいだとは思いませんでした。もうやめちまえって言われて、相談室に戻って考えるところが伏線としてあるんだろうし、だんだん脱ごうかと思いだしているうちに、ここできっかけをつかんだんだなと思いました。段ボールだったら逆にとても目立つので、実際にこんなことする子はいるのかと疑問だったんですけど、そんなことは気にならないくらいお話の中のリアリティがしっかりあって、ユーモアもあちこちにちりばめられていて、しっかり入り込めました。
 あと、主人公の達也は、すごい調子いい子だったんですけど、変わっていきますよね。それを象徴的にあらわすのに、最初のほうには達也が倒した自転車を大和田が手伝って起こすシーン、最後のほうには達也のせいでかつてはいじめられていたツンパカが倒した自転車を達也が手伝って起こし「そんなキャラだったっけ」と言われるシーンを置いています。同じ場所の同じようなシーンを、立場を逆転させて使うところなんかも、うまいなって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年2月の記録)


武士道シックスティーン

誉田哲也『武士道シックスティーン』
『武士道シックスティーン』
誉田哲也/著
文藝春秋
2007

メリーさん:すごく好きなシリーズで、シックスティーンからエイティーンまで全部読んでます。とにかくキャラクターが魅力的。1回目に読んだときは、西荻のあのちょっとふわふわしているけれど芯が強いところにひかれたけれど、2回目に読んで、やっぱり磯山の不器用だけれど健気なところがいいなあと思ってしまいました。とにかく勝つことにこだわる磯山。お昼を食べるときには片手には五輪の書、もう片方には鉄アレイ……。一方の西荻は「お気楽不動心」の持ち主で、まったく無防備。そして自分のことが大好きな人間……。この鮮やかな対比が笑いを誘うし、感情移入をしやすくしている理由だと思います。皆どこかにそんな一部分を持っていると思うので。ただ、そんなふたりも、実は西荻が父との関係から勝ち負けにこだわるのを嫌だと思っていたのだとか、磯山も、剣道をする理由を見つけられずにもがいたりする。そういう描写が物語を深くしているなと思いました。著者の警察小説も好きですが、「疾風ガール」の系譜に連なる青春小説がこれからも楽しみです。

プルメリア:剣道の技や用具、衣装が詳しく書かれているのでよくわかり、剣道の試合では、糸を張ったようなすきのない緊張感を感じながら読みました。電車の中でこの作品を読んでいた時、磯山の行動や考え方がとてもおかしくて声を出して笑ってしまいました。男の子っぽいんだけど複雑な磯山、女の子の微妙に動く心情がわかりやすく伝わります。磯山と西荻、二人の少女が交互に登場しますが、よく考えないとどっちがどっちかわからないところがあって、読むのがむずかしかったです。最後に名前が変わった早苗に試合であう場面、とってもおもしろかったです。是非続きを読んでみたいです。

トントンミー:これもね、やっぱり装丁がいい。赤ですからね、本屋に並んだら目立ちます。イラストもかわいいです。いかにも手書きっぽいテイストで、防具とか竹刀の説明をはさんであります。目次もね、凝ってくださって、いやあ、つかみはOKですね。奇数は磯山。偶数は西荻。章タイトルの文体も書体もちゃんと書き分けてあって、二人の個性をすでに示唆してあるでしょ? ワクワクして、一気に読んじゃいました。二人の人物が同じ出来事を二つの視点で交互に語るっていう手法。川島誠さんの『800』(角川文庫)を思い出しました。最初から映像化を意識してるんだなって思うほど、キャラクターの個性が成立してましたね。西荻のお姉さんが、『ジェミーと走る夏』の主人公のお姉さんに似てました。世俗的なことを引き受ける役割ですね。あまりにもありえないキャラクターたちが主役ですから、読者との間をつなぐ役割が必要なんですよね。続編を読みたいという気持ちになりました。主役の二人がどう変化していくのか、気になります。

アカシア:エンターテイメントだと思うけれど、文章のテンポがよくて、中高生が考えるきっかけも含んでいます。おもしろかった。章タイトルが、太字で書いてあるのと、細字で書いてあるのと、交互に出てきますけど、細字で書いてあるのは語り手が西荻で、太い字の章は香織。最初は気付かなかったのですが、読んでるうちに「ああ」と気づきました。しおりが赤と白の2本ついているのも、剣道の試合のたすきを象徴してるんですね。いろいろ工夫された本づくり。「好きなことなら続ければいい。何か好きだと思えるモノを持っていることは、幸せなこと」というメッセージはあたりまえだけど、ほんとに読ませる力がある。だから、長くても飽きないで読めるんですね。

くもっち:とっても大好きな本の1冊で、このシリーズは『武士道エイティーン』まで全部読みました。この極端さがいいですね。磯山の。磯山香織ちゃんは、すごく強いし迷いが全然ないのだけれど、ある試合で負けてしまう。その相手が、日舞出身という設定。なんか、剣道やったことのない私のようなヒトでも、「あ〜、あるかもね〜」と思ってしまうなぜだかの説得力がおもしろいですね。自分にないものを相手が持っていることに気づき、盗もうとする。でも、そういうもんじゃない、ということも含めて、だんだんにお互いがわかってくる。香織ちゃんのゆるぎない精神がぐらぐらしちゃって、何のために剣道をやってるのか、ってとこまできちゃう。この流れがとてもおもしろく描かれていると思いました。実は、私は保土ヶ谷に住んでいるんですが、この作家がその辺にいるんじゃないかと、最近きょろきょろしてしまいます。(笑)

バリケン:私も、ときどき飛ばしながらでしたけど、おもしろく読みました。最初は、まったくこの作品のことを知らないで読んだので、二人が交互に話しているというのに気がつかず、とちゅうで「あれっ!」と思って、また最初から読みなおしました。キャラクターはみんなデフォルメされていてマンガ的だし、なかでも西荻のお姉さんと巧がリアリティに欠けていて物足りないと思ったのですが、続編で活躍するということをいま聞いて、それならこれでいいのかな……と。

レン:読み始めたら、どんどん読まずにいられない力がありますね。語り手が交互になるところは、私は読んでいるうちに、「ああ、そういうことか」と気づいて、そんなにひっかかりませんでした。そういう仕掛けの本なんだろうなと思って。これって、磯山だけじゃなくて、西荻のほうもありえないキャラクターなんですよね。今の中高校生は、みんなもっとまわりを気にかけながら暮らしていると思うんです。ところが西荻は、天然ボケというのか、そういうところがなく自分のことに集中しています。それに、高校生の女子がこれだけ集まったら、実際は人間関係で毎日いろいろありそうだけれど、そういうドロドロしたところには触れていない。フィクションというのか、現代のおとぎ話として楽しむ作品だと思いました。

アカシア:香織と早苗のキャラや家庭環境は、ある程度戯画化されてるし、だれもが持っている気持ちを肥大化させてキャラクターをつくっていますよね。

トントンミー:だから、磯山は登場からしてもう、異様なんですよね。言葉づかいも「戯れ言を」なんて。そんな高校生いないですよ。

くもっち:最近こういうデフォルメしたようなの、多いかもしれないですね。

アカシア:わかりやすすぎるとも言えるのかも。生身の人間ってわかりにくいじゃない? もう少し生身の人間を描いて、これくらいおもしろいのがあるといいんだけどな。

バリケン:そういうものをこういう作品に求めるのは、ないものねだりなのかもね。自分の半径何メートルのことを丁寧に、感受性豊かに書くだけじゃなくて、「ジェミー……」みたいに、社会とか世界につながるなにかを書いてもらいたいって気がするけど……。

アカシア:そういうの、日本の作家は弱いところかもしれないな。

バリケン:何十年も前には、もっぱら天下国家を論じるような作品がけっこう書かれたことがあったけれど、そういうものへの反発が強いのかな?

アカシア:そういう大上段にかまえた作品がつまんなかったから、逆におもしろさだけを追求する作品が多くなったのかな?

バリケン:日本の児童文学作家で、社会的なことをおもしろく書ける人ってだれかな?

一同:沈黙

(「子どもの本で言いたい放題」2010年2月の記録)


2010年02月 テーマ:部活を通して異種の友だちをつくる

no image
『2010年02月 テーマ:部活を通して異種の友だちをつくる』
日付 2010年2月18日
参加者 ハマグリ、トントンミー、タンポポ、メリーさん、バリケン、アカシア、くもっち、プルメリア、レン
テーマ 部活を通して異種の友だちをつくる

読んだ本:

エイドリアン フォゲリン『ジェミーと走る夏』
『ジェミーと走る夏』
原題:CROSSING JORDAN by Adrian Fogelin, 2000
エイドリアン・フォゲリン/著 千葉茂樹/訳
ポプラ社
2009.07

版元語録:黒い肌のジェミーと白い肌のキャス。マラソン大会で優勝することを夢見て、ひそかに練習する日々がはじまった…人種の偏見をのりこえて少女たちがはぐくむ友情の物語。
魚住直子『園芸少年』
『園芸少年』
原題:THE NIGHT TOURIST by Katherine Marsh, 2007
魚住直子/著
講談社
2009

版元語録:「なにしろ、おれら園芸部だからな」高校生活をそつなく過ごそうとする、篠崎。態度ばかりでかい、大和田。段ボール箱をかぶって登校する、庄司。空に凛と芽を伸ばす植物の生長と不器用な少年たちの姿が重なり合う、高1男子・春から秋の物語。
誉田哲也『武士道シックスティーン』
『武士道シックスティーン』
誉田哲也/著
文藝春秋
2007

版元語録:さあ始めよう。わたしたちの戦いを、わたしたちの時代を。柔の早苗と剛の香織はまたとない好敵手。勝負の行方は? 真の強さとは? 青春時代を剣道にかける女子二人の傑作エンターテインメント

(さらに…)

Read More

ロジーナのあした〜孤児列車に乗って

カレン・クシュマン『ロジーナのあした:孤児列車に乗って』
『ロジーナのあした〜孤児列車に乗って』
カレン・クシュマン/著 野沢佳織/訳
徳間書店
2009.04

バリケン:おもしろい物語でした。孤児列車という存在そのものも知らなかったし、孤児を養子にしたいという人々のなかに、単に重労働をさせる働き手がほしいとか、重体の奥さんに代わる、次の女性を求めているとかいう人々もいて(もちろん、子どもとして、かわいがって育てたいという人たちもいるのですが)、当時のアメリカの様子が垣間見えるような気がしました。特に、物語のなかで汽車が通った地図も出ているので、アメリカの子どもは、ここでこんなことがあったのかと、より深く読めるでしょうね。訳はとてもていねいで、訳注がこれでもか、これでもかとばかり出ていて……これくらい訳注を載せるべきなのかと、ちょっと反省しました。
 ただ、主人公が職業訓練学校に行くのがどうしてもいやで、ドクターキャットといっしょに住むことにするという結末、職業訓練学校に行って、技術を身につけて独り立ちしたほうがいいのではないかと思ったのですが、どうなんでしょう? 家族を無くしてしまった子が、人との触れあいのぬくもりを求めて……という気持ちは分かるのですが、ひとりの人間の生き方として、誰かによりかかって暮らすよりいいのでは、とも思うんだけど。

アカシア:職業訓練校っていっても、私たちが持つイメージとは違って、孤児が行く場所だって書いてありましたよね? 孤児列車ではみんな新しい家庭に引き取られていったのに、自分だけだれからもほしがられなかったのは辛いと思うな。この子はまだ12歳だから、自分を愛して世話をしてくれる人が必要なんじゃないかしら? それに、女性が職業をもつことについては、女先生を通して著者は励ましのメッセージを送っていますよ。

メリーさん:とてもおもしろく読みました。こういう列車があることはまったく知らなかったです。孤児というので『あしながおじさん』のようなストーリーを想像しながら読みはじめたのですが、列車で旅する、ロードムービーのような物語でした。みんなより少し年が上で、お話をつくるのが上手な主人公、かわいいけれどちょっと間がぬけている女の子、さわがしい男の子など……列車の中が、一種の疑似家族で、旅が進むにつれて、お互いのきずなが深まっていくのがとてもいいなと思いました。自分が誰からもほしがられていないという現実は、主人公を深く傷つけます。そういう意味で、丘をくりぬいて家にしている家族との出会いは印象的でした。あの家の母親が、父親をいさめたとき、ロジーナは母の力強さとともに、自分を大切にするということを感じたのではないかと思いました。

プルメリア:私もおもしろく読みました。1880年代のことが、この作品からよくわかりました。新しい家族との出会いでは、期待より不安のほうが伝わってきます。少女ロジーナの家族構成が少しずつ明らかになっていく中で、いろいろな場面に出てくるお父さんの言葉が作品全体を明るくしているような気がしました。孤児たちは一人一人個性があって、性格がよくわかりました。大草原の穴倉で暮らす貧しい子だくさんの家族は、住まいも生活も大変なんでしょうが、実の母親に対する子どもたちの対応が希薄すぎ悲しく思いました。作品を読んでアメリカの土地感、気候、温度の違いがよくわかり、この物語といっしょに旅をし、いろいろな人に出会う体験をしました。

アカシア:私もとてもおもしろく読みました。普通この時代だったら、子どもがいろんな暮らし方の人に出会うことはあまりないでしょうけど、列車に乗っていろいろな場所に立ち寄っていくので、様々な暮らしぶりを垣間見ることができる。まず、その設定がおもしろいなと思いました。『のっぽのサラ』(パトリシア・マクラクラン著 金原瑞人訳 徳間書店)に出てくるような花嫁募集の広告が張り出してあるなど、その頃の情景も描かれているし。それから、どの子もとても子どもらしく描かれていますね。大人については、ロジーナを妻がわりにしようとする男や、孤児列車に自分の子を乗せておいてやっぱりやめようと思う親など、ずいぶんと身勝手な大人も出てくるけど、孤児に付き添うシュプロットさんとか女先生は、多面的・立体的に造型してあります。シュプロットさんが、子どもを奴隷代わりにしようとする男を殴るところがあったり、女先生も最初はむっつりして子ども嫌いに思えるけど、実際はやさしい心も持っている。そういうところが、物語に陰影をつけています。この時代の女性については、いろいろなタイプを出してきてますね。医者の資格を取ったけど仕事にあぶれる女先生、結婚して夢を失った穴倉暮らしの奥さん、花嫁募集広告に応じて見知らぬ土地へ向かうマーリーンさんなど、人生観もそれぞれ違う。最初はとっても嫌な子に思えるロジーナが、だんだん変っていく姿もきちんと描かれていて、ほんとにおもしろい作品だなと思いました。

セシ:うまい作家だなと思いました。『アリスの見習い物語』(あすなろ書房)など、前の作品もひきこまれましたがこれもぐいぐい。ロジーナは本能的に、自分自身の人権を守る方向に動いていくんですね。子どもたちがいっぱい出てきて、ときどきどの子がどの子かわからなくなってしまうんですけど、子どもらしさがあってよかったです。翻訳はとってもていねいな感じですが、ときどきひっかかりました。たとえば冒頭の11ページの5行目。「なぜ知ってるかというと…」というところは、目的語が何か、とっさにわからず読み返しました。

バリケン:穴ぐらの家の「ダグアウト」は、ローラ・インガルス・ワイルダーの「大草原の小さな家」シリーズにも出てくるし、花嫁募集の広告は『のっぽのサラ』にも出てきますね。でも、「大草原」のダグアウトは、なんだかとっても楽しそうだったし、のっぽのサラも、幸せな結婚をした。けれども、この本のダグアウトは悲惨だし、花嫁募集の広告で知らない土地におりたった女の人も、これからどうなるかと不安な感じがしますよね。いままで他の本で知っていたつもりのそういう事柄が、新しい側面でとらえられていて、おもしろかった。

アカシア:ダグアウトって、大草原シリーズのを復元したところに実際に見に行ってみると、すごくじめじめして暗い所なんですって。ローラ・インガルス・ワイルダーは、60歳過ぎて何の心配もなくなってから書いてるわけですから、すべてが楽しい思い出になっているんじゃないかな?

ダンテス:地図が載っているので、新しい土地名が出てくるとこの辺かなと確かめて楽しみながら読みました。時代のこともよく調べて書いていると思います。先住民が列車の連結部に乗らされて車両に入れないことなんかも、知りませんでした。アメリカの子どもたちはきっと喜んで読むかなと思います。作者の意図はどこにあったのかと気になりました。きっと孤児列車というものがあったことを伝えたかったんだろうな。そでに「感動の物語」と書いてあるので、最後はどうなるのかなと思いながら読みました。結局女先生と一対一になって、結末の予想がついてしまいました。ただ意外だったのは、少女の方から先生に言い出したことです。逆だろうと予想していましたから。「感動の物語」なんて書かない方がよかったのかなと思いますが、本を出す方はつい書きたくなるんでしょうね。行方不明になってしまって、牛のあいだで見つかったレイシーとか、もらわれてもすぐ出てきてしまう男の子とか、一人一人の書き分けも出来ていると思いました。

げた:この本は、12歳の少女ロジーナの目線、ロジーナの言葉で語っている本なんですよね。ロジーナの女先生への見方が、旅を続けるうちに変わっていくのがおもしろかったですね。最初は、ドクターが冷たくって自分たちのことはほうりだして自分の考え事ばかりしてるって思ってたんですよね。むずかる小さな子をどこかにほうりだしたんだとロジーナは思ってたんだけど、実はちゃんと病院に連れていっていたということを後で知って、女先生の見方も変わっていくんですね。ひどい大人ばかりじゃなくて、ちゃんと子どものことを守ってくれる大人もいるんだということがわかってよかったなと思いました。東から西にずっと鉄道の旅をしていくんだけど、本を読みながら読者も景色が変わっていくのを楽しめると思います。19世紀末のアメリカの歴史や事情にふれることができるのもいいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年1月の記録)


天井に星の輝く

ヨハンナ・ティデル『天井に星の輝く』
『天井に星の輝く』
ヨハンナ・ティデル/著 佐伯愛子/訳
白水社
2009.02

アカシア:いいなと思ったのはスウェーデンの若い人たちの気持ちがとてもリアルに書かれているところですね。主人公のイェンナは中学1年生なんですけど、思春期特有の偏狭な気持ちが片一方にありながら、殻を破って行きたいというのがもう片一方にあるっていうところが、うまく伝わってくる。ただ最初の方では、主人公のイェンナがウッリスのことをねたんで悪くばかり言うし、理由もなく乗馬スクールを辞めちゃうし、親友と言いながらスサンナのことはあまり考えていないみたいだしで、嫌な人物に思えてしまったんですね。まあ思春期のことなんかあんまり思い出したくないので、自分も持っていた嫌な面をつきつけられたような気がしたのかもしれませんけど。それから母親の癌をイェンナは隠すんですけど、母親は松葉杖をついて買い物に行ったりしてるわけだから、隠したってしょうがないのになんて思って、ちょっと物語の中のリアリティに入っていけない箇所がありました。冒頭で、イェンナは「母親が死んだら自分も命を絶つ」という内容の詩を天井の星の裏に隠し、最後はその詩を「母さんが死んでも あたしは生きていくよ。母さんのために」と書き換えて、また同じように星の裏に隠すんですね。その二つの詩の間でイェンナが成長したことをちゃんと書いている。そこはいいですね。あと、この本はきれいだな、と思いました。黄色と青と、この星が。

プルメリア:母が乳癌で死ぬという重い作品だったので、読むのが苦しかったです。なにかと控えめなスサンナと、とても自信満々のウッリスが関わり合う場面からストーリーの流れが自然とおもしろくなってきました。異性に対する思春期の揺れ動く少女の心情が伝わりました。ウッリスの行動も、スサンナやあこがれの男の子との関係も、リアルによく書けているなと思いました。13歳なのに、ワインを飲んだりタバコを吸ったり……国が違うとずいぶん子どもたちの生活や遊びも違うんですね。ガンと戦っている娘や母親をなくし一人になる孫娘を心配する祖父母の心情もよくわかり、母親の死をのりこえる子どもの心情が痛々しかったです。泣きながら読みました。

メリーさん:この物語は登場人物の心情や、シチュエーションがとてもリアルでおもしろかったです。ストーリーそのものには目新しさはないのですが、とにかく描写がすごいと感じました。特に、悲しみの表現といたたまれない気持ちの部分。母親とふたりの生活に、祖父母がずかずか入ってきてしまうことに主人公がいらだつセリフ「栓抜きは四番目の引き出しに入れることになっているんだけど!」。電話越しに母親と笑いながら話すのだけれど、それがかえってふたりの距離を遠くしている感じなどは主人公の悲しみをとてもよく描いていると思いました。また、祖父母が母親の使う歩行器をあからさまにほめるところや、お見舞いにいきたくない主人公の気持ちをわからないまま、冗談をいってはげますところなどは、気まずい雰囲気が細かく描写されていて、こちらがいたたまれない気分になりました。

バリケン:ウッリスがイェンナのお母さんを助けたところは、その場面でははっきり書いてないけれど、お母さんが亡くなったあとで、実はお母さんもそのときにウッリスにとてもいいアドバイスをしてあげていたということを、主人公が知るわけですよね。それで、主人公も悲しみにくれるだけではなくて、一歩踏みだしてみようという気持ちになる。生きていこうと思う。亡くなったお母さんが、ここのところで娘の背中を押してあげているわけで、とってもうまい書き方だと思って感動しました。
ストーリーはとても単純なんだけど、細かいところが実によく書けている。特に余命あとわずかの母を持つ娘の怒りやいらだち。実際に家族が癌になったりすると、まず最初にぶつけどころのない怒りを感じると思うのね。主人公も、自分の怒りやいらだちをウッリスに向けたり、おばあちゃんに向けたりしている。それから、スウェーデンの十代の子の暮らしの様子……男の子との交際や、お酒やタバコのことなどが分かって、おもしろく読みました。周囲の大人たちも、日本と同じように、そういうことに対して眉をひそめるけれど、だからといって教師がすぐに停学だの退学だのとは言い出さないのよね。主人公の友だちの、奔放なウッリスと、優等生のスサンナも、うまく書きわけられていて、おもしろかった。

セシ:言いたいことはもうほとんど出尽くした感じですが。「天井に星の輝く」というタイトル、最初は意味がわからなかったのですが、天井にはった星が出てきたところできれいなイメージだなと思いました。物語が進むにつれて、ウッリスへの見方、関係がどんどん変わっていくところがよかったです。ただ、ここに出てくる中学生の行動や言葉づかいは、私の周囲にいる日本の中学生のそれとはかけはなれていて、日本の読者がすんなりと物語に入っていけるのかなと思いました。スウェーデンだからこんなふうだと、すぐに頭を切りかえて、違いをおもしろがって読めるんでしょうか。

げた:確かに表現的には13歳にしてはちょっとというところもありますもんね。訳者あとがきにも日本の読者の目には少し早熟に映るかもしれないとあったけれど、日常生活は日本の子どもたちに比べると随分早熟に見えますね。でも、体と心のバランスがとれていないところがあって、中身そのものは中学生かなって思いました。天井にはった星の下に隠している国語の時間に書いた詩が、「命をたつよ」から「母さんが死んでもあたしは生きていく」って成長していくところって、そんなに日本の中学生と変わらないなと。行動自体は、お酒やたばこが頻繁に出てきたりして、かなり過激だけど、友だちとの関係は日本の子どもたちとそんなに変わらないかなと思います。私は祖父母との関係が気になったんです。祖父母は一生懸命孫になんとかしようとしているのに、イェンナは受け入れられないんですね。匂いがいやだとか何とか言って。マリッサっておばさんには、違和感なくなじんでいるんだけど、彼女には母を感じられるからかな。文章は、全体的にちょっと読みにくい感じはありました。

こだま:聞き慣れない名前がいろいろ出てくるんで、男か女かわかんなくなっちゃうんですね。

ダンテス:おばあちゃんと孫の間の人間関係が、うまくいっていない。両者とも娘・母親のことが心配なのに、気持ちがつながらなくてすれ違っていることが、この作品のベースにありますね。この作品の中では、おばあちゃんとの関係がうまくいかないことからも、母親が死んだら自分も死ぬという思いを強くしていたのかも。ウッリスがおかあさんにカードを贈っていた、というのは、ウッリスと主人公の関係性の改善につながるよくできた伏線だと思いました。スウェーデンのカルチャーや、若者の現実をそのままうつした作品なんんでしょうね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年1月の記録)


虎と月

柳広司『虎と月』
『虎と月』
柳広司/著
理論社
2009.02

セシ:おもしろいと思ったのは、作者自身が長年愛読してきた好きな作品を、こんなふうに翻案して今の読者に近づけたこと。それから、このちょっととぼけた軽妙な語り口。中島敦の『山月記』と比べてみてはいないのですが、お父さんさがしというストーリーで、冒険小説のように読めました。

バリケン:この本も、とてもおもしろくて、最後まで一気に読んでしまいました。若い人たちは、みんな『山月記』を教科書で読んでるんですってね。私も昔読んだっきりで忘れていたので、筑摩書房の「現代日本文学大系」をひっぱりだして、読みなおしました。『山月記』は変身物語だけれど、『虎と月』は最後は本当に虎になったわけじゃないんですよね?

アカシア:なったかもしれないし、ならなかったのかもしれないという、オープンエンティングなんじゃない?

バリケン:『山月記』を下敷きにして、まったく違うストーリーにしているところがおもしろいですね。ミステリー仕立てで、読者をぐいぐいひっぱっていくし、語り口も軽妙で、とてもうまいなあと思いました。漢詩で謎解きをしているわけですが、私はまったく詳しくないので、感心するばかりでした。中島敦は代々儒者の家柄で、伯父さんたちも漢学者だったということですが、この作者もたいしたものだと思いました。柳広司さんの作品は、十代の子どもたちによく読まれているようですね。すらすらと読めるし、子どもたちにぜひ薦めたい一冊だと思います。

メリーさん:『山月記』は教科書に載っていました。その時の中島敦の説明もとてもよく覚えています。それから、名作の続きを自分で創作する、という国語の授業も思い出しました。漢詩の素養はまったくないのですが、一文字変わると、詩全体の意味がこれほどまでに変わるのか!と驚きました。今の高校生は『山月記』をよく知っているので、この本をおもしろく読むのではないかと思いました。一つだけ、本文の書体がゴシックなのには、ちょっと目が疲れました。

プルメリア:表紙を見て現代の話かと思って読み出したら、昔の話でした。個性豊かな人物が登場し、キャラクターがおもしろかったです。漢詩の文字のトリックは、さすがでした。お父さんはどうなっちゃたのかな? 父親の存在がはっきりしないとことがかえっておもしろいのでしょうか。文章が、まとまって書かれているところと、一行ずつの文体になってわけて書かれているところが気になりました。

アカシア:私も『山月記』をひっぱりだしてもう一度読んでみたら、あっちは結構難しい話なんですね。詩で認められたいと思う男が、「尊大な羞恥心」(自意識ってことかな)のせいで果たせず、その思いが肥大化して虎になってしまう。中学生くらいで、そんなことわかるのかな? それと比べて、こっちは子どもにもわかるおもしろい話になっている。最後の2行は、『山月記』とまったく同じ。うまくおさめていますよね。虎になるというのも重層的なイメージで描かれていて、怒りが爆発して暴れるのも虎、瘧にかかるのも虎、義賊も虎、そして本物の虎も登場するんですね。お父さんはどうなったんだろうという興味で読んでいくと、いろいろな「虎」が出てきて、次々に謎がふくらむ。ちょっと気になったのは、14pでお母さんが袁參をめかしこんで訪ねていき、帰ってから「少しも気のきかない男だ」となじる場面があるんですけど、妾にでもしてもらおうと思ってたんですかね? こんなに軽い女に書かなくたっていいじゃないかと私は思ったんですけど。でも、お父さんが家族のもとへ帰らなかったことの伏線なのかな? お父さんが義賊になっただけなら、この子が訪ねていったときに、村人たちはもっとストレートな反応をするんじゃないかと思うので、やっぱり本当の虎になったという可能性を残しているんでしょうね。

げた:この本の元は中島敦の『山月記』なんですけど、『山月記』も中国の「人虎伝」を種本に書かれたものなんですね。戦前「人虎伝」ブームというようなものがあって、佐藤春夫や今東光が翻訳したりしているようですよ。このことについては中島敦生誕100年っていうのでいろいろ本が出ています。才能はあるのに、認められず不遇であった李徴が、同僚官僚であったところの袁參に妻子の援助を頼むという話なんだけど、『山月記』が国語の教科書に載っているのは、李徴イコール中島敦を哀れんだ、袁參イコール文部官僚氏によるものらしいですよ。私は『山月記』よりも、この本のほうが、今の中高生にとってはずっとおもしろく、楽しめるんじゃないかと思いました。

ダンテス:作者のこと、詳しいことは書かれていませんが、高校の国語の先生でもやっていた方かなと推測しました。私もおもしろく読ませてもらいました。軽いのりの文章ですが、中身は教養が溢れていておもしろいなと思います。不思議な老人は李白のイメージ、伏線もよく計算されています。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年1月の記録)


2010年01月 テーマ:家族不在でも力強く生きる子どもたち

no image
『2010年01月 テーマ:家族不在でも力強く生きる子どもたち』
日付 2010年1月14日
参加者 バリケン、アカシア、メリーさん、ダンテス、プルメリア、げた、セシ
テーマ 家族不在でも力強く生きる子どもたち

読んだ本:

カレン・クシュマン『ロジーナのあした:孤児列車に乗って』
『ロジーナのあした〜孤児列車に乗って』
カレン・クシュマン/著 野沢佳織/訳
徳間書店
2009.04

版元語録:1881年アメリカ中部のシカゴ。あたしたち22人の孤児は、養い親になる人を探しに、西部行きの列車に乗った。本当の家族は見つかるのか…。
ヨハンナ・ティデル『天井に星の輝く』
『天井に星の輝く』
原題:I TAKET LYSER STJARNORNA by Johannna Thydell, 2003
ヨハンナ・ティデル/著 佐伯愛子/訳
白水社
2009.02

版元語録:13歳のイェンナは母とふたり暮らし。彼女にはだれにも言えない秘密があった。それは、母親が数年前から、乳がんをわずらっていることだった…北欧からの心揺さぶられる物語。
柳広司『虎と月』
『虎と月』
柳広司/著
理論社
2009.02

版元語録:虎になったという父が残した漢詩に秘められた驚愕の真実とは?大注目を集める著者が「山月記」を基に描く傑作青春ミステリー

(さらに…)

Read More

走れ UMI

篠原勝之『走れUMI』
『走れ UMI』
篠原勝之/著
講談社
2008.1

プルメリア:子どもが持ちやすい、手に取りやすいサイズの本。マウンテンバイクが大好きな少年が、離婚したお母さんの実家に行き、夏休みに自転車屋を営んでいるお父さんの家に戻ってくる。少年の葛藤が描かれている成長物語かなと思いました。お父さんと少年が、足の悪い犬を船に乗せて海にタイをとりにいく場面は大変ていねいにかかれていると思いました。両親が離婚をした家庭に育った子どもには、少年の生き方に共感する部分があるのではないのかな。お父さんのもとに戻ってきた少年に接する大人たちに、あたたかさを感じました。

カワセミ:決して悪い感じではないんですが、全体にいじましい感じがして、読んでいてあまり楽しくなかったですね。主人公も出てくる大人たちも、みなそれぞれの境遇で一生懸命に生きている姿がよく描かれているけれど、現状維持に精一杯で、正直に生きていてもなかなか殻をやぶれない、先へ進まないもどかしさがありました。「旅をする少年少女」というのが今回のテーマだったけれど、元の家に戻るだけだし、主人公があんまりジャンプしないし、お話も同じところにとどまっているので、物足りなかった。せっかく自転車なのだから、もっと爽快でも良かったと思います。

ぷう:すごくいやな感じがするわけではなく、わりと感じよく読めたのは事実です。ただ、ゲージツカのクマさんの作品だというのがまず頭にあったので、その印象が強くて。アングラの小劇場系の男性で、幼少期には、昔街角にあった黒い木製のゴミ箱にひとりで入って、板の隙間から見える外の世界を飽かず眺めていた、というようなエピソードがこちらの知識としてあるものだから、どうしてもそういう人が作った作品という感じで読んでしまいました。一言で言えば、一昔前の不器用な男の子のひと夏の物語で、そういうものとしては、なるほどなあ、と思って読めました。いいなあと思ったのは、大人が少年を主人公に書いたものにありがちなノスタルジーになっていないところ。子どもの成長が著者にとっての現在形として書かれているところかな。嘘がないなあと思った。それと、作者がかなりの釣り好きなので、海の怖さや獲物を釣り上げる快感といったものがよく書かれていると思いました。とにかく、男の世界、という感じで、正直だし嫌だとは思わなかったけれど、全体に世界としては古い。今の子にどう受け取られるのかなあ、というのは疑問として残りました。

セシ:私はおもしろく読みました。閉塞感のある田舎町で、出ていくわけにいかずに、淡々と生きていく父親、祖父というのがよく書けていると思いました。もう少し年長の子が主人公になった日本の作品は、大人の影がとても薄いけれど、これはまだ主人公が6年生で、大人のもとにいるしかない年齢だからか、大人の存在感がありました。意味のよくわからない、なぞなぞのような話をするジイチャンというのもいいですね。自転車修理や、タイを釣りにいったときにウロコがはりつくところとか、細部がきちんと書かれているので信頼できる感じがしました。ただ、タコヤキ屋のミサキちゃんのお父さんがコロをはねたと謝りにくるというのは、作り話っぽくなるので、なくてもよかったのではないかな。

バリケン:私も、気流しで坊主頭のあの人が、こういうものを書くんだなあと、まず、その点がおもしろかったです。文章も達者で、するすると違和感なく読めました。ただ、男の人は念入りに生き生きと書けていると思いますが、お母さんとか、みさきちゃんといった女の人の書き方が、イージー。みさきちゃんが登場する場面も、どっかで前に何度も読んだような……。作者は北海道出身ということなので、子ども時代の思い出をそのまま書いたわけではないと思いますが、思い出がベースにはなっているんでしょうね。時代背景のようなものがどこにも出てこないけれど、その時代につながるなにかがあれば、もっと奥深い作品になったのではと思いました。釣りの場面など、知らないことが出てくるのでおもしろかったけど。

ハリネズミ:これは、朽木祥さんの『風の靴』と争って、小学館児童出版文化賞を取った作品なんですね。よかったのは、細部の描写。たとえば、P63「茶の間の黒光りした太い柱。大きな古時計が、偉そうに一秒一秒、大げさな音を響かせている。時報を打つ前のわずかな時間、グズッとジイチャンが洟をかんでる音に聞こえた。ゼンマイがほどける音らしい」とか、釣りの場面など、観察が行き届いていて臨場感が出ています。洋が自転車で鯨の浜へ行くことを、単なる逃げではなく自分への『宿題』としているところも、いいですね。だけど、女の人や女の子の書き方には、物足りなさを感じました。お母さんは、なんで急に別居するんでしょう? 子どもの視点で進むのでくだくだ書く必要はないけど、なんか一言で背景をうかがわせるような言葉でもあれば、と思いましたね。みさきちゃんのイメージも、よくあるタイプ。うーん、悪くないけど、大傑作とは思いませんでした。コロにたこ焼きを食べさせるところは、どうなんでしょう? 犬にはイカやタコを食べさせるなって、よく言いますけどね。

げた:わりにシンプルな感じで、ストーリーはまあおもしろく読めました。気になったのは、お母さんのことがよくわからないところ。なんで、急に具合が悪くなったのか、お父さんとの関係もよくわからない。もう少し、お母さんについて書いてくれるとすっきりするのになあと、私も思いました。このお父さんの自転車屋さんもそうだと思うんだけど、町の自転車屋ってきっと経営が厳しいんだろうなと。だから、別居することになっちゃったんじゃないかなあなんて思いました。主人公の友だちのことも、ていねいに書かれていないんじゃないかな。みかん山の子どもたちが、いじめっ子なだけで終わっていて、一人一人があんまりわからない。みさきちゃんも、こういうのにはよく出てきそうなポニーテールできりっとした感じの女の子で、ステレオタイプというか、ありがちな設定だな。ただ、お父さんが漁で足をなくしたということについては、私の漁師の友だちが、魚を採っている時に腕をリールにはさまれて大怪我をしたという事故を体験しているので、現実感のある、身につまされる話だなと思いました。

カワセミ:186ページの、「液晶画面に点滅するちっぽけな一粒が、どこまでも広がる真っ暗な海に漂う、僕と父さんとコロに見えた」というところが、意味がよくわからなかった。操舵室からとびだしているのに、どうして液晶が出てくるのかな?

ぷう:魚群を探知するレーダーのことじゃないかしらん。179ページの5行目に出てきますけど。

カワセミ:「見えた」だと、その場で見ているみたいじゃない? 「思えた」だったらまだわかるけど。

ハリネズミ:あと、ちょっと盛り込みすぎの感も。お父さんは片足を失って、犬は下半身部髄。お母さんはウツで家を出て行き、僕はいじめられる。釣りもあれば、お祭りもある。船に乗れば遭難しかかる。いっぱいありすぎて、心理描写がうすくなっちゃったのかな。ドラマチックではあるんですけどね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年12月の記録)


トゥルビンとメルクリンの不思議な旅

ウルフ・スタルク『トゥルビンとメルクリンの不思議な旅』
『トゥルビンとメルクリンの不思議な旅』
ウルフ・スタルク/作・絵 菱木晃子/訳
小峰書店
2009.08

げた:よくわからないというのが、正直な感想です。言葉の裏のしかけや謎がいまいちわからないんですよね。私の頭が固いのかもしれないけど。旅に出て、不思議な体験をして、無事戻ってこれてよかったね、それだけ。全体がうまくつながらないんですよね。スタルクが書いて菱木さんが訳してるので、きっといい作品に違いないと思って読んだんだけど。よくわからないまま終わってしまいました。小さい子どもが素直に読んだほうがこの本のよさがわかるのかもしれないですね。

ハリネズミ:私もスタルクと菱木さんのコンビだからおもしろいに違いないと思って読んだんですが、よくわかりませんでした。寓話なんでしょうけど、骨格をつくっているものが伝わってこないので、もどかしい。家族っていう視点で見ると、お父さんを捜して旅をするんだけど、最後は「青い鳥」みたいに戻ってきたらそこに家族がいたっていう話ですよね。血のつながらないウルバーンと新たな家族をつくるんですもんね。欧米の児童文学には、血のつながらない人たちが新たな家族をつくる話がたくさんあって、これもその系統なのかもしれません。それにしても、サーカスの犬や女の人は、その後どうなっちゃったんでしょうね? 子どもの本ではないのかもしれませんね。

バリケン:私もスタルクと菱木さんのコンビなので、とても期待して読みました。兄弟で父親探しの旅に出て、おしまいに幻の家族ではない、血のつながっていない家族を作るという話なのかも……とも思いましたが、こういう作品は何を書いてあるかなんて考えながら読むべきではないのかも。作品の雰囲気や、いなくなったお父さんが飛行士のかっこうをしているというところから、『星の王子さま』へのオマージュなのでは?という気もしました。それでも、なにか手がかりがほしくて、「訳者あとがき」を読もうと思ったのですが、ないんですね! 訳者の菱木さんも、先入観なしで作品の世界にひたってほしいと思っているのでしょう。原書のタイトルは『トゥルビンとメルクリン』なのに、翻訳では「不思議な」がついているところを見ると、訳者にとっても不思議な作品だったのかも。でも、いやなものを読んだ感じはしないし、「ダチョウを飼っている、時計屋のおじいさん」のようなイメージは、のんきで好きです。明るさのなかに、ちょっと寂しさがある、美しい音楽を聞いたような……。

セシ:登場人物二人の世界がわかりませんでした。どう解釈すべきか、そのうちわかるようになってくるかと思って読み進めるのだけれど、最後まで読んでもやっぱりダメで。イエス様の人形をポケットに入れて旅に出て、157ページで飼い葉桶に寝かせるから、ある種のクリスマスストーリーなのかな。二人の会話がかみあわなさかげんがおもしろいのかもしれないけれど、フィクションの楽しみ方を知っている子どもでないと楽しめないのではないかなと思いました。見た目は3、4年生から読めそうだけれど、きびしそうですね。やっぱりYAでしょうか。だれに手渡したらいいのか、わかりにくい本だと思います。

ぷう:よくわからない本ではありましたが、味としてはかなり好きでした。相当好きかもしれない。年が離れたこの兄弟が、ふつうの仲良しでなく、お兄さんがかなり威張っているのに、弟がそれに不満を持つわけでもなく、なんとなく関節の外れたようなかくかくっとした関係で、それでいて結局はずっと一緒に過ごしていくという、この二人の関係の不思議さが妙に後に残りました。片方がもう片方を完全に支配しているわけでもなく、お兄さんが「本を読んであげよう」というと弟が「読まなくていいよ。考え事をしたいから」とすっと返すあたりは自由だし。かと思うと、二人でごっこ遊びのようにして砂を食べたつもりになってみたり。不思議で訳がわからなくて、でもなんだかおかしい。かえって低年齢の子のほうがいいのかな?と思ってみたり。わりと淡々とした感じなのだけれど、へんてこな二人のへんてこな関係を、変なやつ!とならずに書いてあるのが、この作者の力なのかな。最後に待っている人がいるっていうところも、なんとなく安心できますしね。

カワセミ:スタルクは、子どもの心理を絶妙に描いて、読者が一つ一つ納得できる描写をする人なので、この作品は意外でした。作者名を見ないで読んだらスタルクとは思わなかったかも。今まで書いたことのない雰囲気のものにチャレンジして、読者をあえて裏切ろうとしたのかしら。私もすぐに『星の王子さま』に雰囲気が似ているな、と思いました。34ページのミミズの出てくる場面、2人の問いと答えがちっともかみ合わないので、何を言いたいのかさっぱりわからない。わからないまま先に進んでしまう。おしゃれな雰囲気というのでもなく、ナンセンスというのでもなく、わけがわからないお話でした。

ぷう:このお兄さんって、ほんとうに変ですよね。だって、出かけるときだって荷物はほとんどお兄さんのもので、ひょっとすると弟のことなんかほんとうは考えていないのかも、と思わせるけれど、でも、いやなやつ!と言い切れないところがこの作品の特徴みたいな気がしました。

プルメリア:登場人物が少ない。二人のやりとりや行動はかみあわないけど、たくさんある挿絵にささえられています。兄をお父さんかなと思って読んでいましたが、ちがっていました。時計屋さんのガチョウの行動がおもしろい。砂漠の場面は「星の王子さま」風に見えました。「あとがき」がないのが残念。

カワセミ:スタルクの邦訳書は、はたこうしろうの挿絵が付いているのが多いけど、ちょっと絵の感じが似てますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年12月の記録)


靴を売るシンデレラ

ジョーン・バウアー『靴を売るシンデレラ』
『靴を売るシンデレラ』
ジョアン・バウアー/著 灰島かり/訳
小学館
2009.07

プルメリア:この作品、すごくおもしろかったです。タイトルも表紙もいいなって思いました。プロローグからひきつけられて一気に読みました。おばあさんはアルツハイマーだし、離婚したお父さんが酔っ払ってアルバイト先にたずねてきます。家族の悩みがあっても、主人公ジェナの前向きに生きる明るい行動がすてきです。ジェナの靴に関する意気込み、専門的な知識、熱意をもって仕事をする姿勢に、最後までひきつけられました。

カワセミ:最近のYAのリアリズムのお話は、主人公が冷めた感じで、まわりの大人を簡単には受け入れないといったものが多いと思うんですけど、この子はいろいろなことを素直に受け入れる。まわりのどこかしら欠陥のある大人たちへの接し方を見ても、根本的な性格として人が好きっていうのがわかり、好感が持てました。悩みをかかえ、失敗もするんだけど、何とか良くしていこうっていう前向きなところ、まだまだ大人じゃないけれど、しっかりと自分の頭で考え、行動するところがよかった。ユーモアのある描写もあり、おばあさんの社長を乗せて慣れない運転をしてアメリカの道路を突っ走っていくっていうのも、その場面が見えてくるみたい。映画を見ているような感じでした。うまく起承転結がつけられていて、最後は主人公なりの成長がわかって満足感がある。ものを売るということの哲学もおもしろかったです。

ぷう:私は、このタイトルに引っかかりました。シンデレラ、といわれたとたんにこちらに、「ふうん、女の子が王子様に見いだされるとか、誰かに見いだされてハッピーエンドになるとか、そういう話なんだ」という構えができちゃって、それが邪魔になる気がしました。作品としては、自分が打ち込める仕事を見つけた子のはつらつとした感じが描かれていて、サクサクと読めました。途中で社長に引き抜かれるあたりは、いかにもアメリカという感じ。ある種のアメリカン・ドリームなんですね。それに、この子がすさまじくタフな社長に負けずに運転手を務めていく、そして時には社長に口答えするなんていうのも、なかなかスカッとしていて気持ちいいですね。結末も、この子にとっては外の世界である店のこともお父さんのこともうまく終わって、読後感がいい。一つだけ、途中でハリーさんという店長が急に死んでしまうのだけは、あれ????と思いましたけれど。とにかく、どんどん読み進められる本でした。

セシ:まだ途中までしか読めなかったのですが、ぐいぐい読まされました。職業倫理というのかな、安かろう悪かろうじゃなくて、本当に大事なのはこういうことだよというメッセージが根本にあって、大人の世界も捨てたもんじゃない、生きるっていいな、と思わせてくれます。

ぷう:この子にとっては外の世界である店のこと、あるいは社長との関係でこの子自身が成長して、それが最後に身近な父親との関係で現れる、というのはうまい造りだなと思いました。それに妹のことも、書き込んではいなくても、それなりにきちんと決着をつけようとしているみたいですし。主人公は妹にずっとコンプレックスを持っていて、でもその一方で妹を父親から守っていたのだけれど、最後には妹もその事実を知る、という話を入れたのは、作者が妹がらみの筋を決着させるためですよね。

ハリネズミ:さっとおもしろく読んだし、いいところについてはみなさんと同じ感想なんですけど、ちょっとひっかかるところがあってね。女社長さんの言葉なんですけど、「運転はていねいかね」とか、「……かね」というのがしょっちゅう出てくるの。「……かね」なんて、70代の女性で使う人いるのかしら?

セシ:男っぽくしたかったのかも。

ぷう:威圧感のある人にしたかったんですかね。

ハリネズミ:その口調のせいで、マンガっぽくなってしまってる気がしました。それから、最後のページの子ガモがいるというところで、「ここにも戦って勝った子がいる」っていう言葉が出てくるんですが、そこは物語の本質がすりかわっちゃうんじゃないかなと不安になりました。この物語は、競争社会で戦う話ではなくて、自分自身とたたかって一歩前へ進むという話だと思ったのに、この言葉があるせいで、妙に安っぽくなってませんか? リアリティという面では、アメリカの株式会社がいまどき世襲、っていうのもマンガっぽいのかな。軽いノリだから、逆に本を読まない子でも読めるというところにつながってるのかもしれませんけど。

カワセミ:リアリティという点からいえば、誇張されているところがあるわよね。

げた:コミックを思わせるような感じ。だから、リアリティってことについては、16歳にしては何十年も人生体験や職業体験がありすぎる感じがしたけど、話としてはそのほうがおもしろいのかな。拝金主義で、利益さえ上げればその過程はどうでもいいという今の風潮の中で中・高校生に警鐘を鳴らすという意味では、現実にはありえない話だろうけど、こんな本があってもいいかなと思いました。こういう題材をここまで扱っている本はあまりないですよね。単により多くの金を稼ぐことを目的にするのじゃなくて、仕事や商品に心をこめて、お客さんに喜んでもらえることを第一に考えることそんなメッセージがあふれている本です。だから、大人にもおすすめの本かな。

ハリネズミ:そういう職業倫理のようなものは、『幸子の庭』(本多明/著 小峰書店)でも取り上げられてましたね。

バリケン:『こちらランドリー新聞』(アンドリュー・クレメンツ著 講談社)も、職業を扱っていましたね。

ぷう:この作品は、利益第一のウォール・ストリートとはまた別のアメリカの伝統的で健全な職業倫理を描いた作品でもあって、だから好感が持てるのかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年12月の記録)


2009年12月 テーマ:少年少女が旅で見つけたもの

no image
『2009年12月 テーマ:少年少女が旅で見つけたもの』
日付 2009年12月10日
参加者 プルメリア、バリケン、ハリネズミ、ぷう、カワセミ、げた、セシ
テーマ 少年少女が旅で見つけたもの

読んだ本:

篠原勝之『走れUMI』
『走れ UMI』
篠原勝之/著
講談社
2008.1

版元語録:父さんがくれたマウンテンバイクの「UMI」に乗って、ミカン山から生まれ育った鯨の町へーー。それは、僕が大人になるために、自分に課した「宿題」だった。 *第58回小学館児童出版文化賞受賞
ウルフ・スタルク『トゥルビンとメルクリンの不思議な旅』
『トゥルビンとメルクリンの不思議な旅』
原題:MARKLIN OCH TURBIN by Ulf Stark, 2005
ウルフ・スタルク/作・絵 菱木晃子/訳
小峰書店
2009.08

版元語録:トゥルビンとメルクリンは、父をさがして旅にでます。でも、この兄弟は、隣の家よりむこうのひろい世界には行ったことがないのです。砂漠をめざし、ヘンテコ冒険旅行。ウルフのイラストもナンセンスで楽しい!!
ジョーン・バウアー『靴を売るシンデレラ』
『靴を売るシンデレラ』
原題:RULES OF THE ROAD by Joan Bauer, 1998
ジョアン・バウアー/著 灰島かり/訳
小学館
2009.07

版元語録:全国有名靴チェーン店でアルバイトをしている女の子は、天才的センスで靴を売るスーパー店員だ。ある日、オーナーの運転手となり全国を回ることになる。オーナーとのドライブで、彼女がつかんだものは……。

(さらに…)

Read More

特急おべんとう号

岡田よしたか『特急おべんとう号』
『特急おべんとう号』
岡田よしたか/作・絵
福音館書店
2009.03

バリケン:私は、自分でうまく書けないせいか幼年童話にはすごく甘いので、幼い子どもたちが笑ったり、幸せな気持ちになったりする本は、無条件で「いいな!」と思ってしまうんです。翻訳物だと、子どもにわからない言葉はあまり使わないようにするんだと思いますが、創作だと作者の勢いで結構むずかしい言葉も出てきますね。『特急おべんとう号』も『パンダのポンポン』も文章に勢いがあってすらすら読ませます。『特急おべんとう号』は、特に語り口が巧みだと思いました。ただ、メザシが汽車の中で寝ているところ、顔が妙にリアルなので(p102、103)、なんだか生々しい感じがしました。メザシって、お弁当に入れるのかな?

プルメリア:小学校1年生の図書の時間に、この本の読み聞かせをしました。遠目では絵が見えにくいと思ったんですが、読み聞かせをしたらすごく喜んで「きゃあきゃあ」いって、納豆が出てくる場面ではたいへんはしゃいでいました。読み聞かせ後、お笑いでも耳にしている関西弁がおもしろいと言っていました。会話が緑の字で書いてあるので、読み聞かせするときに読みやすかったです。子どもたちは、イワシは知っているけれど、メザシは知らなかったので説明を加えました。最近の子どもたちは、魚をあまり食べないんですね。「誰が1位になると思う?」と聞くと「納豆、納豆!」と言って、本当に1位になると喜んで拍手していました。金魚がでっかくなるところ、特に男の子が気に入って喜んでいました。絵はダイナミック、文は現代風でおもしろかったです。あまり推薦リストなどには出てこない本だけど、今回出会えてよかったと思いました。次がどうなるかわからないワクワク感がありました。

ハリネズミ:私は、文章はおもしろいけど、絵が気持ち悪くて、食べ物がおいしそうに見えませんでした。中途半端に漫画風な絵ですけど、これでいいんでしょうか? 文章にしても、p24に「観戦中だったのりせんべい、かしわもち、おはぎ……」とありますが、絵を見ると人間しか観戦していない。もっとちゃんとつくってほしいな、と思いました。

カワセミ:おもしろく読みました。このどぎつい絵には好き好きがあると思うけど、ギャハハッと笑ってどんどんページをめくれるおもしろさがあると思います。かまぼこが転倒してゆでたまごを直撃し、ゆでたまごがダウンなんて、おかしかったし、雨が降ってくるところは、まさかの展開で、雨のおかげで納豆がすべるように速く走ったなんておもしろいと思いました。

げた:もうちょっと大きな絵本のほうがいいのかなという気がしました。お弁当のおかずたちが走ったり旅行したりするというのも荒唐無稽なんだけど。絵も第一印象ではちょっとどぎついかなあと思いました。でも思ったより、おもしろく読めることは読めました。ただやっぱり食べ物が道路を走っているのに、なんとなく違和感がありますね。あまりそんなことを考えちゃいけないのかな、とも思いますけどね。絵そのものは、子どもたちの心をひきつけるのかなあ。だからこそ、大判の絵本にした方がいいと思います。

ハリネズミ:この絵は、おいしそうなんですかね?

バリケン:実をいうと、いろんな食べ物がごちゃごちゃしているので、生ゴミのような感じがしないでも……。

げた:やっぱり食べ物は器にはいってないとね。

カワセミ:でも、ふつうは器にはいってる食べ物が、はいずりまわっているところがおかしいんじゃないの?

ハリネズミ:私は、中途半端にリアルな感じがしました。リアルじゃないところとリアルなところがごちゃまぜになっているので、頭の中で収集がつかなくなる。

カワセミ:あんまり深く考える本じゃないのよ。

ハリネズミ:文章の調子はおもしろいと思ったんだけどね。

カワセミ:普段読み物を読まない子が、これならアハハと笑って読めて、次に何かほかの本を読んでみようと思う、呼び水的な本じゃないのかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年11月の記録)


パンダのポンポン クリスマスあったかスープ

野中柊『パンダのポンポン クリスマスあったかスープ』
『パンダのポンポン クリスマスあったかスープ』
野中柊/作 長崎訓子/絵
理論社
2005.12

プルメリア:幼年童話っぽい作品で、ほのぼのしていておもしろいと思いました。コアラの元気な雰囲気が出ているし、キリンの特徴も出ているし、動物1匹1匹の役目があるのかな。p148で、「真っ白な雪」「がちらり、ちらり。」というのは改行が間違っていると思います。子どもは、「がちらり」と読んでしまうので、配慮してほしいな。トナカイのサンタはあまりかわいくなかったです。

ハリネズミ:私はおもしろいと思えませんでした。C・S・ルイスが児童文学論で、子どもの本だからといって食べ物を出せばいいということではない、と言ってますけど、これはその例じゃないのかな。かわいい動物と食べ物が出てくればいいってもんじゃないでしょう。内容も、消費マインドにのっとって書かれているような気がして、新鮮味もないし、私は入っていけませんでした。

カワセミ:私もシリーズの1冊目が出たとき、低学年向きのとてもおもしろそうな本が出たと思って期待して読んだんですけど、裏切られたんです。この3冊目も同じでした。絵は楽しいんですけどね。p107の「あれあれ? どこへ行くのかな?」のような文を入れるのって、幼年童話だからと思って入れるのかもしれないけれど、小さい子は主人公になりきって読むので、誰が言っているのかわからないような言葉はかえって混乱を招くと思います。それにこの本は、1冊に3つのエピソードが入っていますが、幼年童話にしては文章が多いし総ルビとはいえ漢字も多い。それに「笑みがひろがりました」とか「念じていました」とか、子どもの言葉ではないですよね。だからといって3、4年生向きだと話が幼稚すぎる。本のつくり方がどっちつかずだと思います。それから、肝心のポンポンのキャラクターがはっきりしてないし、おもしろくなかったですね。キツネのツネ吉なんてネーミングもどこにでもあるし。

げた:この本は、子どもたちには人気があるようです。ですからこの本の良さは何なんだろうな、と考えたんです。そんなに筋に起伏があるものではないので、筋を楽しむということじゃないんですよね。それよりもとにかく、順番にいろいろな動物が集まってきて、パーティーが始まって、楽しく過ごすんですよね。たくさんの友だちが集まってあたたかい場所がつくられ、友達っていいなあというやさしい気持ちになれる、そんなところがいいのかな。出てくる動物の名前はちょっとだじゃれっぽいけれど、すごくぴったりだと思いました。

ハリネズミ:名前の付け方は、カワセミさんがおもしろくないと言ってたけど?

カワセミ:ほかはおもしろいけど、ツネ吉だけが陳腐だと思ったの。

げた:コブラのラブコとか、おもしろいですね。

プルメリア:それって、言葉の並べ替えでしょ?

ハリネズミ:スーパーでいっぱい物があるといって大喜びしてますけど、ずいぶんとモノ志向ですよね。作者は子どものころそういう感動をもったのかもしれないけれど、今の子は感動しないんじゃないかな。

バリケン:なぜ子どもがこういう本をこんなにも喜ぶのか、それから、喜ぶからという理由だけで書いていいのか……うーん、さっき私が言ったことと矛盾するかもしれないけれど、幼年ものの永遠の課題よね。p88で、「ララコがたいせつにしている花たちが、このパーティーをいっそうはなやかなものにするのだと思うと、うれしくてなりません。」というのは、小さい子にはわかりにくい文章ですね

ハリネズミ:ポンポンのキャラクターづけがはっきりしていないという意見があったけど?

バリケン:だいたいパンダ自体、他の動物ほどキャラクターがはっきりしていないんじゃない?

げた:みんなを楽しませる役というところでしょうね。

バリケン:MCみたいな役割ね。

げた:でも幼年童話とはいえないですね。中学年向きですね。

プルメリア:最初の2ページは絵があって字が少なくて読みやすいと思いましたが、そのあとは急に字が多くて低学年には無理。最近の子は、本が厚いと手に取らない傾向があります。読まないんです。字を大きくして、字と字との間隔があいていれば読めると思いますが。

ハリネズミ:中学年が読むには内容が幼稚すぎるという意見も出たわね。1話ずつ1冊にして、1、2年生が読みやすいつくりにしたほうがよかったのかもね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年11月の記録)


トレッリおばあちゃんのスペシャルメニュー

シャロン・クリーチ『トレッリおばあちゃんのスペシャルメニュー』
『トレッリおばあちゃんのスペシャルメニュー』
シャロン・クリーチ/作 せなあいこ/訳
評論社
2009.08

バリケン:私は、おもしろくなかったです。文章がぶつぶつ切れていて読みにくいし、「きっと善意の人が大勢出てくる、いいお話なんだろうな」感が強くて。わたしが、ひねくれているんでしょうか? 他の作品を読んでも、私はシャロン・クリーチとは相性がよくないのです。トレッリおばあちゃんの話の中でイタリアの少年の犬がひかれちゃうのが妙に印象が強くて、何も殺さなくてもいいんじゃないかな、と思ったりして。

プルメリア:この作家はとても好きなんですが、最初は何なのこの作品は、と思いながら読みました。最後に赤ちゃんが出てくるところまで呼んで、すごくいい作品だなと思いとほっとしました。今、子どもたちの間では告白ブームがあるんです。思春期の子どもたちは、好きとか嫌いとか相手に自分の気持ちを伝える傾向があります。思春期の心情を描いた作品なので、ぜひ子どもたちに手にとってほしいな。

ハリネズミ:今回の3冊の中では、私がおもしろいと思ったのは、これだけです。親友との関係が恋に変わりそうな年代の子どもの心情をすごくうまく書いている。クリーチの作品のなかでも、これは『あの犬がすき』と同じ系列で、わざとこういう書き方をしているんでしょうね。説明をするのではなく、場面場面を切り取っていって、そこからいろいろなことがわかってくるような描き方。ベイリーとロージーの気持ちのすれちがいもうまく書かれているし、おばあちゃんが要所要所で豊かな人生経験から来るいいアドバイスをしてくれる。トイレに行ってから、間をおいてまたひとこと言ってくれたり、食べ物を作りながら言ってくれたり、子どもが次の段階に進んで行けるように言っているのが、ほんとうにうまく書かれています

カワセミ:この独特のモノローグの文体のせいで、ロージーが心に思うことが直接的に伝わってきました。いちばんいいなと思ったのは、ベイリーの目が見えないことが最初は読者にわからなくて、途中でわかるんだけど、目が見えないからどうということではなく、どんな子で、自分がどんなに好きかということが中心になっているところ。それから、おばあちゃんが、料理をしながら自分の小さい頃の話をしてくれて、ロージーがそれに自分を重ね合わせていろいろと考えていくところ。子どもって、お母さんはどうだったのとか、おばあちゃんはどうだったの、とか興味をもつから、気持がよくわかった。おばあちゃんは、イタリア語まじりの英語を話し、それがまたいい味を出しているんだけど、翻訳ではそこはあまり伝わりませんね。仕方ないけれど残念。

ハリネズミ:ベイリーが目が見えないというのは、ロージーの顔をさわってみるとか、ミートボールを作るときの描写とか、細かい場面場面で読者が察することができるよう、とてもうまく書いてあると思います。

げた:文章が短くて、ポツポツ感はあるけど、私は読みやすかったですね。それに文章のまとまりごとに行間を空けているんだけど、空いてる部分で読者がイメージを作ることができるように思いました。考えさせる間合いというかね。十代の女の子が氷の女王になったり、オオカミになったりして、ゆれる少女の気持ちの変化がよく伝わってきました。おばあちゃんとパルドの関係とロージーとベイリーの関係はできすぎといえばできすぎだけれど、おばあちゃんから語られるお話にはひきつけられるものがありましたね。子どもたちは共感を持って読むんじゃないかと思いますよ。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年11月の記録)


2009年11月 テーマ:おなかのすく本

no image
『2009年11月 テーマ:おなかのすく本』
日付 2009年11月5日
参加者 バリケン、ハリネズミ、プルメリア、げた、カワセミ
テーマ おなかのすく本

読んだ本:

岡田よしたか『特急おべんとう号』
『特急おべんとう号』
岡田よしたか/作・絵
福音館書店
2009.03

版元語録:三つのお話からなる創作童話で、全頁にカラーの絵がついています。日本の独特な食文化のひとつ、おべんとうを題材にした作品です。おかずさんたちの活躍に抱腹絶倒します。
野中柊『パンダのポンポン クリスマスあったかスープ』
『パンダのポンポン クリスマスあったかスープ』
野中柊/作 長崎訓子/絵
理論社
2005.12

版元語録:クリスマス。今年こそサンタがきてくれるかな。ポンポンのレストランではパーティーがひらかれました。そして、そのあとステキなできごとが……。スーッと気持ちがよくなって、パーッと気分が明るくなるスーパーマーケットの店長、キリンのリンも活躍する、あったかい気持ちになるおいしい童話。
シャロン・クリーチ『トレッリおばあちゃんのスペシャルメニュー』
『トレッリおばあちゃんのスペシャルメニュー』
原題:GRANNY TORRELLI MAKES SOUP by Sharon Creech, 2003
シャロン・クリーチ/作 せなあいこ/訳
評論社
2009.08

版元語録:おばあちゃんが,おいしいパスタやスープを作りながら教えてくれる,とびっきりの"人生のレシピ"。ほっと心あったまる物語。

(さらに…)

Read More

2009年10月 テーマ:学校

no image
『2009年10月 テーマ:学校』
日付 2009年10月1日
参加者 サンシャイン、プルメリア、ハリネズミ、カワセミ、セシ
テーマ 学校

読んだ本:

クラウディア・ミルズ『わすれんぼライリー、大統領になる!』
『わすれんぼライリー、大統領になる!』
原題:BEING TEDDY ROOSEVELT by Claudia Mills, 2007
クラウディア・ミルズ/著 三辺律子/訳
あすなろ書房
2008.12

版元語録:いろいろなタイプの子どもたちが、ひとつの教室で共に学ぶことのすばらしさを描いたユニークな学校讃歌の物語!
ドロシー・キャンフィールド・フィッシャー『リンゴの丘のベッツィー』
『リンゴの丘のベッツィー』
原題:UNDERSTOOD BETSY by Dorothy Canfield Fisher, 1917
ドロシー・キャンフィールド/著 多賀京子/訳 佐竹美保/絵
徳間書店
2008.11

版元語録:1917年にアメリカで刊行され、百年近く読みつがれてきた名作古典児童文学。孤児の少女ベッツィーが田舎の農場にひきとられ、たくましく温かい家族を得て、すこやかに成長していく姿を描いた物語。『赤毛のアン』や『大草原の小さな家』が大好きな読者へ贈ります!
笹生陽子『世界がぼくを笑っても』
『世界がぼくを笑っても』
笹生陽子/著
講談社
2009.05

版元語録:主人公・北村ハルトは浦沢中学の2年生。母親はハルトが3歳のときに家を出ていき、父親と二人暮らしの生活を送っている。そのかわり、父の友人で、ニューハーフのアキさんが家の手伝いに来てくれている。ハルトが1年生のとき、学校は”破壊神”を気取る山辺たちのグループが学級崩壊を起こしていた。そんななか、新学年になって、転任してきた小津ケイイチロウという教師が、ハルトたちの2年D組の担任となって現れる。この小津先生がとんでもないダメ教師。新任の挨拶で緊張のあまり倒れたり、社会科見学の引率をして道に迷ったり……。

(さらに…)

Read More

国境まで10マイル〜コーラとアボカドの味がする九つの物語

デイヴィッド・ライス『国境まで10マイル』
『国境まで10マイル〜コーラとアボカドの味がする九つの物語』
デイヴィッド・ライス/著 ゆうきよしこ/訳 山口マオ/画
福音館書店
2009.03

サンシャイン:国境近くに住んでいるメキシコ系アメリカ人の話。日本語の題名はつけにくかったんでしょうね。工夫していますね。ヒスパニックの物語というのとは違うんでしょうか? アメリカに住んでいる人なら違いが分かるんでしょうね。いい話だなと思ったのは、「パパ・ラロ」。最後、おじいちゃんが死んじゃって、しゃれたタキシードを着せてあげるっていう話です。教会の侍者をする少年の話「最後のミサ」もよかった。不良の侍者の1人が死んじゃって、その子のためにミサをするという話ね。アメリカ社会一般の話と読むか、テキサス州のメキシコとの国境地帯でのローカルな話と取るか、よくはわからないけど、印象に残りました。

プルメリア:今月の3冊の中でこれが一番おもしろかったです。地図を見ながら読みました。2つめの話は、アメリカ人なのかメキシコ人なのかわかりませんでしたが、人々の気質や料理が詳しく書かれていて、暗いことでもユーモラスに描かれていることに好感をもちました。「最後のミサ」に出てくる侍者をした少年と、バチカン市国でクリスマスのミサを見たとき侍者をしていた少年が重なりました。本人よりも家族が誇らしげにしていたのを思い出しました。「さあ、飛びなさい!」は、インコを全部放してしまうダイナミックさ、日本人とはまったく違う発想の違いがおもしろかったです。

セシ:私は出たばかりのころに読んで気にいりました。すごくおもしろいなと思ったのは、いろんな人生が出てくるところです。日本の中学生を見ていると、似たような大人に囲まれていて、こんな大人になりたいという理想像も、小さくかたまりがち。でも、この本に出てくる人たちは、とてもさまざま。いろんな人生があって、喜びや悲しみがある。いろんな価値観が出てきて、こんなふうにも生きられるのか、と考えさせられました。国境を行ったり来たりするメキシコ人をとおして、国境があること、国が分かれてしまうことのむずかしさや、そのはざまで生きていく人の様子もよく伝わってきました。お手伝いさんの話や、その家に行ったら主人公が自分の家に行ったみたいだったという「もうひとりの息子」や「カリフォルニアのいとこたち」が印象に残りました。ユーモアのスケールが大きい。あっけらかんとして爽快でした。

カワセミ:子ども向きの短編集はむずかしいなと思うんですよね。この本は、日本の子どもが想像もつかないような環境だし、大人が読めばテックス・メックスの文化が興味深いところもあるんだけど、一つ一つのオチが微妙なものが多くて、子どもはストレートにおもしろいと思えないじゃないかなと思います。児童文学としてどうなのかな? 伝わりにくい部分があるんじゃないかなと思いました。その中では「ぶっとんだロコ」がおもしろかった。犬がいなくなっちゃうので本当は悲しい話なんだけど、犬が車を運転してったって考えると、なんだかおかしい。どうしようもないやりきれなさみたいな感じが、どの話にも漂っているものの、決して暗くはない、そういう気分は、あまりほかの本では味わったことがないですね。

ハリネズミ:冒頭の短編に、「まさかのときにスペイン宗教裁判!」とか「しゃれ者の遅刻」なんていうジョークが出てくるんだけど、日本ではそう言われてもちっともおもしろくないので、すべってしまうんですね。それで、最初は白けながら読んでたんですが、読んでいくうちに、おもしろい短編もあることがわかってきました。カワセミさんがあげた「ぶっとんだロコ」なんか挿絵もやたらおかしくって、犬ごと車が盗まれてしまったという悲劇を別の視点から見ることができる。悲しかったり、つらかったり、嘆かわしかったりすることもきっと多い人たちの話ですが、それを笑い飛ばす勢いがあるんですね。「パパ・ラロ」のおじいちゃんも、バリバリ存在感があっていいですね。「さあ、飛びなさい」の、鳥をぱあっと放すイメージと女の子の未来が重なるところもいい。味わいのある話が並んでいますが、読書好きの子どもじゃないとそれを十分に味わうのは難しいかもしれませんね。本に読者対象は書いてないんですが、対象は読書好きの中学生といったところかな。この場所で暮らした人でないと書けないことを書いているので、貴重な本だなと思いました。

みっけ:うん、私もかなりおもしろかった、読んでよかった、という感想です。最初の作品の、あっけらかんと色恋を取り上げているあたりは、自分の中でのラテンのイメージにぴったりはまって、やっぱりメキシカンだなあ、と一人納得。でもそれ以外にも、ちょっとシュールな作品があったり、とても信仰心の厚い人が出てきたり、家族の絆が強かったりするところは、ラテンの世界だなあと思ったし、おもしろかった。カリフォルニアにはヒスパニックが多くて、ソトをはじめとする書き手もいるけれど、この本は、そういうのとは明らかに違う気がしました。もっと、自分たちのルーツに近いところで生きている感じですよね。それに、トイレの話だの犬の話だの、独特のほら話的な感じがとても愉快でした。「もうひとりの息子」では、長い国境線の両側にまったく違う生活をする人が住んでいるという現状に対する想像力を刺激されました。いろいろとたいへんなことがあっても、その中でタフに生きていく、荒っぽさはないんだけれど笑いにくるみながら強じんに生きていくのがすごい。「パパ・ラロ」の話も、年齢の差を越えて男同士どこか通じてるところがあって、おもしろい。爆弾を打ち上げ花火の代わりに使おうなんて、結構危なっかしいんだけれど、勢いのある感じが伝わってきますね。「最後のミサ」で従者をする男の子の話はかなり微妙で、読みなれてない子だと、なんだかよくわからないまま終わってしまうかもしれません。ちょっと高級というか、大人っぽい気がしました。日本で出すことの意味はさておき、アメリカはとっても広いから、自分たちの国にこういう人たちも住んでいるんだよ、ということを知らせる意味でも、出版は意味があることなんだろうなあ、と思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年8月の記録)


荷抜け

岡崎ひでたか『荷抜け』
『荷抜け』
岡崎ひでたか/著
新日本出版社
2007.05

ハリネズミ:一昔前の雪国の暮らしぶりとか、牛方とかぼっかの様子がわかるのはいいなと思ったんですけど、テーマが先にあって、そのテーマに沿ってこしらえた物語だという気がしました。役人や問屋たちは悪くて牛方たちは正義という視点がはっきりしていて、そのせいで人間の掘り下げ方が足りなくなってしまったんじゃないでしょうか。主人公の大吉も模範少年だし。ひとりひとりの心理がもう少していねいに描かれていれば、もっとおもしろい作品になったと思いますね。大吉のお父さんの仙造が、陰で大きな役割を果たしているんですね。殺されそうになったけれども逃げて、旅をしながら牛方のために画策している。でも実際に仙造がどういう役割をしているか書かれていないので、今ひとつ人物像が結べない。そのへんがもっと書かれているといいのにな。表紙の絵の人は荷物も持っていないし、のんびりとした雪国のたたずまいって感じですが、シリアスな内容とはずいぶんかけ離れていますね。

カワセミ:翻訳ものではなく日本のものだから、読みやすいのかなと思いながら、しっかり読んでいったつもりなんだけれど、なんか頭に入ってこなくて、読みづらい本でした。いろんな登場人物がでてくるんだけど、立場とか、性格とか、あまり区別がつかない。せりふが多いんだけど、方言のせいか、どの人のせりふも同じようで。果たすべき目的のある話なんだから、筋は通っているはずなんけど、どうにもまどろっこしいというか、おもしろくなかったですね。この地域特有の自然描写はよく書けていると思うんですけど、人間の心理描写となると、あまり書きこまれてない。大吉っていう主人公も、今ひとつ魅力が感じられず、サバイバルできるかどうかの状況なのに、「頑張れ!」という気持ちより、「早く行動すれば」みたいな気持ちになっちゃって、途中で飽きてしまいました。設定からすると、もっとドラマチックなことが起こって、はらはらドキドキの展開にできそうに思うけど、物足りなかったです。

セシ:この作者は、民衆が協力して成し遂げたこの事件のことや、当時の山里の厳しく苦しい暮らしを生きぬいていく人々のことを伝えたかったんだと思うんですね。嵐が来れば収穫もないし、やっと得た収穫も年貢でとられてしまう、ただ必死で生きていく生活。ていねいな描き方にその心意気を感じて、この会で読んでみたいと思ったのですが、でもやっぱり整理しきれていないのかもしれませんね。焦点がしぼりきれていない感じ。描きたいことがいっぱいありすぎたのかもしれないけれど。お行儀のよい優等生という感じがしてしまうのが惜しいですね。作家ならあたりまえなのかもしれないけれど、何度も現地を訪れ、40何キロの荷物を実際にしょってみたり、雪の中をかんじきで歩いたりして書いたと聞いています。冒険的な部分で子どもをひきこんでいく時代小説はあるけれども、これはノンフィクションに近くて、昔のことを伝えていこうという作品。こういう姿勢の書き手は今少ないと思うので、がんばってほしいと思います。

プルメリア:日本の作品で、冬の様子が描かれていたので、この暑さの中で読んだら涼しくなるだろうと期待して読みました。が、場面を考えながら読んだら、寒さ以上にしんどいものを感じました。牛方の仕事のたいへんさ、登場人物たちの利害関係などはよく書かれていました。みんなで力を合わせる打ちこわしのようなエネルギーがいろいろな場所であったということもわかりました。殴られる場面は、読むのが苦しかったですが、悪い人だと思った人たちが、本当はいい人でほっとする部分もありました。冬で始まり最後がまた銀世界で終わるというのも、よかったです。牛飼いたちが塩を運んでいることもまったく知らなかったので、この本で歴史を学ぶこともできました。

サンシャイン:作者は江戸時代にこういう事件があったよということを伝えたかったんでしょうね。荷抜けのところがよくわからなかった。預かったものをお客まで運ばずに自分たちでキープして、借りたことにしていずれ返すからということにして自分の資本にするということなんでしょうか? お上というか武士たちが気づかなかったのかな、とか、ばれなかったのかな、などと考えると、現実感が今ひとつありませんでした。

セシ:一揆のときの血判が、首謀者がわからないように巧妙につくられていたことなど、その辺の詳しいことは本の中には出てきませんよね。

サンシャイン:先ほど言いましたように、私は荷抜けということが今ひとつうまく読みとれませんでしたが、貧しい人たちが権力に対抗して成功した例として書きたかったのでしょう。父親が雪道から谷にすべって落ちてすぐに見に行くところがありますが、地図で見るとずいぶん離れていて家からすぐに行けるような距離ではないように思います。人物像も統一感がないように思います。例えばサヨは、最初かなり悪い女に描かれていたのに、後で仲良くなるのも、そんなにうまくいくのかなと思いました。サヨの父親も後半唐突に出てきます。人物描写にあまり神経が行っていないのかな。隣の家のハツは、売られていった先で大吉の一大事を立ち聞きして、遊女小屋から飛び出してマムシにかまれた若者を助け、結局うまくつかまらずに大吉を助けるのですが、そんなに簡単に抜けられるかなあなんて考えるのはいじわるですかね? 江戸時代のしいたげられた人々が反抗した姿を描きたいというのはよーくわかって共感もしますが、その場その場でご都合主義的に描かれているのではないでしょうか。歴史的な事実があり、そのことを小説の形で伝えたいという気持ちは理解できますが、やっぱり人物描写のゆれ、人間関係の不自然さ、無理がめだつというのが正直なところです。だいたい死んだといわれた仙造が大吉に会わないままというのも、息子にまで隠しておく必要があるのか、そこまで身を隠す根拠が見えてこない。周辺では活動しているわけですからね。

カワセミ:小さな腑に落ちないことがたくさんありますよね。

みっけ:私はこの本、途中で挫折しました。信州には親近感があるので、へえ、塩の道の話なんだ、と思って読み始めて、当時の庶民の暮らしが書かれているあたりはおもしろいなあと思ったんですが、いかんせん、主人公をはじめとする登場人物が立ち上がってこない。おもしろい素材なんだけれど、素材に気持ちがいきすぎているのかな。

サンシャイン:この人の作品はほかのものも読んでいますが、伊能忠敬の伝記『天と地を測った男』(くもん出版)はよかったですよ。「鬼が瀬物語」シリーズ(くもん出版)は千葉の漁民の話で、こういう人たちががんばっているよというのは伝わってきました。でも、もしかすると思い余って表現足らずかな。

みっけ:子どもに広く事実を提示して、こういうことについて考えてみてほしいと思うのだったら、事実大好き少年少女だけでなく、ほかの子どもにもアピールする必要があると思うんです。そこの橋渡しをするのが、物語りとしての魅力なのではないかなあ。読者が感情移入できる人間を登場させて物語の魅力で事実へと迫っていくというアプローチが必要な気がするんですが、この本はいささか力不足のような気がします。

ハリネズミ:それができないと、いい文学とはいえませんよね。こういうテーマだと課題図書の感想文はいくらでもうまく書けると思うけど、読者が作品の中にどっぷり浸かって生きてみて、そこから得た感想を書くということには、なかなかならないですよね。そういう作品を安易に課題図書にしてはいけないんじゃないかな。この作者はとってもいい人だと思うし、こういうテーマに目を向ける作家は日本には少ないので、がんばってほしい。もう少し深く入り込めるように書いてほしいな。

セシ:作者は子ども向けのつもりで書いたけど、出版社側が、大人も読めるから大人向きにと判断して、こういう形で出したそうですよ。

みっけ:大人向けの時代物だと、たとえば藤沢周平みたいに、もっと書きこんで場面を立ち上げていくんだろうけれど、子ども向きということで、あまり書き込みすぎてもまずいと思ったのかしらん。それで、物語の力が弱くなったのかもしれない。少ない書き込みで、どう立ち上がらせるかとか、どれを省いてどの視点をとれば読者に強く訴えられるか、というのは、たぶん作家の修業によって体得するものなんだろうけど、そのあたりが弱いんでしょうね。

ハリネズミ:子どもの文学だからキャラクターはいい加減でいいということはないですよ。いっぱい人が出てきてわかりにくいなら、もっと整理して書けばいい。

サンシャイン:隣の女の子が遊女になるところは、子ども向きの本だからと考えてかあまり書いてない。

ハリネズミ:だったら、中途半端に書くよりは、いっそ書かなくてもよかったんでは? そてとも、ここはわかる読者にだけわかればいい、というスタンスでしょうか。

サンシャイン:最初にあまり出てこないのに、後半ちょっと出てくるなんていうところが、ご都合主義だと思ったんですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年8月の記録)


ラッキー・トリンブルのサバイバルな毎日

スーザン・パトロン『ラッキー・トリンブルのサバイバルな毎日』
『ラッキー・トリンブルのサバイバルな毎日』
スーザン・パトロン/著 マット・フェラン/画 片岡しのぶ/訳
あすなろ書房
2008.01

カワセミ:主人公ラッキーは、非常に子どもらしい子ども。1つの疑問が頭に浮かぶと、次から次へと想像が膨らんでしまう。いろいろなことが気にかかり、頭の中がいっぱいになってしまう。でも自分の論理で納得できる答えがみつかれば安心する。子どもにはこういうところがあるので、共感する子どもはいると思います。あるアメリカの書評に、ラモーナと似ていると書いてあったけど、独自の論理の中で生きている、ちょっと変わった子という見方をすると、確かによく似ていると思います。そういう意味で、ラッキーの言動は興味深いのですが、物語の筋がはっきりしていないので、読みにくい本でした。ストーリーよりも、ラッキーをはじめとする登場人物たちの一風変わった言動を詳しく見ていくというタイプの本なので、人間観察に興味がなければ、読みづらい。小学校高学年では無理かな、中学生以上なら読めるかな。ニューベリー賞受賞作で、アメリカでは高く評価されているわけですが、カリフォルニアの砂漠の町という設定は、アメリカでは地方色が感じられてそれだけでもおもしろいのでしょう。でも日本では、この設定はピンとこないですね。

ハリネズミ:最初は細切れの時間の中で読んだので、何が書きたいのかわからなくなってしまい、もう一度読み直したんですね。そうしたら、文学作品としてよくできてるな、って感心しました。生みのお母さんの骨壷が小道具として出てきますが、マイルズっていう男の子がいて持っている絵本が「あなたがぼくのおかあさん」。あちこちに、それなりの伏線が引かれているんですね。登場人物も、それぞれ特徴をもってかき分けられています。ひも結びオタクのリンカンも、貯水タンクに住んでいるショート・サミーも、存在感があります。ブリジットが「オー・ラ・バシュ!」「オー・ララ」なんてフランス語を交えて会話するのも人物像をリアルにするのに効果的。カワセミさんが言ったように、ストーリーで引っぱっていく要素は弱いので、やっぱり本好きな子どもにお勧めする本でしょうか。メモのところは、邦訳があるものは翻訳書名も出してほうが親切ですね。

みっけ:表紙の感じそのままの印象です。わりとうすい感じ。つまらないというわけではないし、納得もできる。でも、こちらの体調など外部要因もあったのかもしれないけれど、淡々とした感じでした。絵は好きだったし、妙にリンカンが好きになっちゃったりで、決して嫌いな本ではないんですが。それに、主人公が妙に意地悪になったりする気持ちの動き方なんか、結構リアルだったりもするし。でも、全体として、うわあ、とってもいい作品だなあ、大好き!というふうにまではなれませんでした。

サンシャイン:砂漠の中の人口が43人、働いている人は3人しかいない貧乏な村。でも人々の気持ちはいいんですね。親を失ったラッキーにフランス人の後見人が来て、そのブリジットにずっといてほしいっていう思いが貫かれた作品。『荷抜け』と比べると、人物の姿が立っている。それぞれ特色を持っていて、癖もあって変わっているけど、小説としてはある種計算されていてうまく書かれているのでしょう。母親の骨壷が出てきて、最後に灰をまくとか、お話としての筋は通っています。アメリカ人から見たフランス人というのも、おもしろく読めました。日本の子がおもしろく読めるかどうかはわからないけど。

プルメリア:私は表紙がすごくかわいいなと思いました。赤いドレスが大きすぎてミスマッチですが、そのわけが本を読んでわかりました。主人公ラッキーは女の子ですがダーウィンが好き、虫が好き。最近の子って男の子でも虫は苦手な子が多いので、好感をもちました。登場人物は少ないですが、細々と生きている人たちの様子や生活がわかりやすく、一人一人がていねいに書かれています。ブリジットが赤いドレスを着てくるところが印象的でした。お母さんの遺骨をまくところやその時まわりの人々に話す言葉は、上手な書き方をしていると思いました。賞をとったものはよく読むんですけど、蛇が乾燥機に入り込んだり乾燥機から出ていったりするところはとってもリアルでした。私は蛇が嫌いなのでブリジットの心情や行動には共感します。

セシ:2度読んだのですが、最初に読んだときから好きな作品でした。お母さんが死んじゃって一人になったこの子は、お父さんの元妻という血のつながりのないフランス人がずっと自分の面倒をみてくれるのかを、ずっと気にかけているわけですよね。そして最後は丸くおさまる。子どもってやっぱり親に見捨てられたくないという気持ちがどんなときにもあるものでしょう。それが結局最後、後見人のままでいてくれる形におさまるのは、子どもにしてみればすごくうれしい、希望のある終わり方だなと思いました。「あんたのことなんか知らないわ」と言われつけている子どもも、安心できますよね。30ページ「リンカンが七歳のころ、リンカンの脳は、ヒモむすびをしたくなる分泌液をどんどん毛細血管に送りはじめた」とか、ひとつひとつの表現がおもしろくてひきつけられました。サミーの人物像も、すごくおかしくて好きでした。くっきりした脇役がストーリーを支えているんですね。舞台は超ローカルだけれど、超ローカルなことでも普遍的になりうると思います。文学はいろんな方向性があるから。砂漠の町の、普段思いもつかないような人々の暮らしぶりを、小説を通して想像してみるのも楽しいと思います。

ハリネズミ:さっきも言いましたが、文学としてとてもよくできてる。配給のチーズのところもおもしろいし。パセリきざみの道具も、ちゃんと理由があって持っている。最初はぬすみ聞きしていろんなことがわかっちゃうわけだけど、最後にその穴をパテで埋めて、耳をすましたが中からは何の音も聞こえてこない。自分で盗み聞きの穴を埋めて成長するという描き方もうまい。現代のリアリスティックフィクションに登場する家族は、血のつながらない家族が多くて、他人だった者同士がどうかかわりをもっていくかを書いていくわけですが、この本もそうですね。まったくほつれがないひもを見てラッキーがこんなふうに人間もいけたらいいな、と思うところがありますけど、この本も、いろいろな糸がほつれないでちゃんとまとまるようにうまくつくられています。この作品に登場するさまざまな人たちが一つの共同体をつくっているのと同様に。ラッキーの不安は、ブリジットだけじゃなくて、コミュニティの人間同士の支え合いのなかでうまく解消されていくんですね。ほかの作品をおさえてこれがニューベリー賞を取ったのも、なるほどと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年8月の記録)


2009年08月 テーマ:それぞれのサバイバル

no image
『2009年08月 テーマ:それぞれのサバイバル』
日付 2009年8月20日
参加者 サンシャイン、プルメリア、セシ、カワセミ、ハリネズミ、みっけ
テーマ それぞれのサバイバル

読んだ本:

デイヴィッド・ライス『国境まで10マイル』
『国境まで10マイル〜コーラとアボカドの味がする九つの物語』
原題:CRAZY LOCO by David Talbot Rice, 2001
デイヴィッド・ライス/著 ゆうきよしこ/訳 山口マオ/画
福音館書店
2009.03

版元語録:テキサス最南部に暮らすメキシコ系ティーンエイジャーの日々を、リアルに彩り豊かに、起伏に富む情感とユーモアを交えて描く。マイノリティの持つ光と影が織りなす短編集。
岡崎ひでたか『荷抜け』
『荷抜け』
岡崎ひでたか/著
新日本出版社
2007.05

版元語録:自由民権運動に遡ること半世紀。信州は、塩の道・千国街道。北アルプスの美しい自然を背景に、牛方たちのたたかいを、謎解きありスリルありで描き切った、大人から子どもまで読める物語。 *2008年度青少年読書感想文全国コンクール課題図書(高校)
スーザン・パトロン『ラッキー・トリンブルのサバイバルな毎日』
『ラッキー・トリンブルのサバイバルな毎日』
原題:THE HIGHER POWER OF LUCKY by Susan Patron, 2006
スーザン・パトロン/著 マット・フェラン/画 片岡しのぶ/訳
あすなろ書房
2008.01

版元語録:母を亡くし、砂漠の町ハードパンで暮らす10歳の少女ラッキー。悩める少女のハチャメチャな毎日! *ニューベリー賞受賞作

(さらに…)

Read More

そいつの名前はエメラルド

竹下文子『そいつの名前はエメラルド』
『そいつの名前はエメラルド』
竹下文子/作 鈴木まもる/画
金の星社
2008.01

カワセミ:中学年向きで読みやすい本なんですけど、設定はめずらしくないですね。子どもがペットを飼ったら、それがとんでもないペットだったという話は、外国のものでも日本でもよくありますから。描写はていねいで、主人公が不思議なペットショップにたどりつくまではドキドキ感があり、このいかにも怪しい店でいったいどんなペットを買うことになるんだろうと期待が高まるけれど、この本の致命傷はこの表紙。ハムスターじゃないペットを飼うことになるんだな、という予測がつくので、いったいどんなものを飼うのか、どうなっちゃうんだろうって思うところが楽しいのに、表紙で最初から種明かしをしてしまっている。本当にがっかりです。ペットを飼うというのは、子どもにとても身近な題材なので、興味をもって読めると思います。それだけに、もっとおもしろくできるんじゃないかな。最後におとうさんのペットだったカメまで花火になっちゃって、すべて花火で終わりっていうのも、なんだか無理がありましたね。

セシ:読みやすくてすらすらとは読めたけれど、いまいち全体に納得がいかない感じでした。おかしなペットショップに入って妙なものを買ってきちゃうというところまではついていけるけれど、お父さんが飼ってたカメを逃がしちゃったと言うところで、「えっそんなことでいいの?」と思って、そのあとがだんだんついていけなくなりました。中南米には人間ほどもあるトカゲがいると聞くので、このトカゲも大きくなるのかなと思っていたら、脱皮した後、羽がはえて飛んでいってしまうところで追い打ちをかけられ、さらに花火になってしまうというので、納得しきれない感じで終わりました。

たんぽぽ:子どもは、「ハムスターのかわりにトカゲを飼うんだって」と、とびついて読みますが、最後花火で終わって、これで終わりかって。もう少し、何かあったらよかったなと思いました。

メリーさん:さっと読めて、おもしろいんですが、全体の流れはどこかで見たような感じがしてしまいました。感想文を書くなら、自分のペットのことを書くんでしょうか。個人的には、ごちゃごちゃしたペットショップのところが、不思議でおもしろいところだと思うので、そこにもっと仕掛けがあったらいいのになと感じました。ただ、本文の記述で、トカゲが「笑っている」ではなくて、いつもぼくにとっては「笑っているように見えた」、というところ、気を使っているなと思いました。子どものすぐとなりに、ファンタジーはいつでもころがっていると思わせるには効果的だなと。

ハリネズミ:私はおもしろく読みました。話の持っていきかたに独創性はないけれど、おもしろい。ペットの愛らしさも意外性も、うまく出てるんじゃないかな。最後のところは、エメラルドが死んじゃうのを、こんなふうに比喩的にあらわしているんでしょうか? 鈴木さんの絵は、鳥の巣の本だととってもていねいなのに、こういうのはサッサと描くんですね。ペットショップのおばあさんは、『千と千尋の神かくし』のゆばーばみたい。感想文を子どもに書かせると、「元気なときもそうでないときも、ちゃんと世話しろ」っていうメッセージにばっかり偏るんじゃないかな。

カワセミ:子どもたちは、題材には興味を持ちますよね。ペットっていうはとても身近だし。

ショコラ:昨年、学級の子どもたち(5年生)紹介したところ、「だんだん大きくなるのがおもしろい」って言ってました。私も、絵も好みだしおもしろい話だと思い、一気に読みました。不思議なお店で買い物をする話も、飼っているものがだんだん大きくなっていく話も、ほかにもあります。おもしろかったけれど、ずっと心に残るところまではいかないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年7月の記録)


ヨハネスブルクへの旅

ビヴァリー・ナイドゥー『ヨハネスブルクへの旅』
『ヨハネスブルクへの旅』
ビヴァリー・ナイドゥー/作 もりうちすみこ/訳 橋本礼奈/画
さ・え・ら書房
2008.04

ショコラ:今までの高学年課題図書に比べて字が大きくなって読みやすいなと思いました。また、そんなに厚くもなく手に取りやすい気がします。人種差別についてあまり知識がない子どもたちには、南アフリカの歴史について話してから紹介したほうがいいかなと思っています。村の生活の様子、2人でお母さんに会いに行く途中でのいろいろな出来事、社会の壁、社会問題など考えさせる内容がたくさん書かれているので、なかなか感想文が書けない子どもにとっては、書きやすい作品だと思います。

ハリネズミ:原著は、まだアパルトヘイト体制が存在したころに出ていて、なかなか力強い、いい作品だと思っていました。でも、今出すというところに、私は疑問を感じています。大人が読めばアパルトヘイトのときの話なんだって思えるんですけど、たいていの子どもは、歴史も何も知らないでこの話を最初から読んでいくんですよね、今の話だと思って、読んでしまうんじゃないでしょうか。帯の言葉もそうだし。あと、実際の南アフリカのアパルトヘイト下の状況と照らし合わせても、翻訳で気になるところがたくさんあって。20ページの「おねがいだから、主人をよばないで」は、「だんなさんをよばないで」じゃないとおかしい。84ページに「ムバタ家の長男は逮捕されてしまった」とあるけど、ムバタという名字は43ページに1回出てきたきりだから、「グレースのお兄さん」ってしないと子どもには伝わらないだろうな。106ページから107ページで、「母親」と「母さん」が混在しているけれど、何を基準に使いわけているのかわからない。あとがきの115ページに「南アフリカには、もともと、サン人やコイコイ人などのアフリカ人が住んでいました」とあって、そのあとアフリカ人(黒人)とあるけど、この二者の関係がわかるようになっていません。118ページの「二冊の児童文学」は、この続編なのでそう書かないと。それは翻訳者の問題というよりも、編集者がもっと気配りをしたほうがよかったですね。

メリーさん:アパルトヘイトのことは聞いたことがあったけれど、こんなことがあったのか…と思いながら読みました。ただ、みなさんおっしゃっているように、どうして今、これを読ませるのかな、とは思いました。創作だから、内容が現在進行形ということはないですが、この物語は時代的には少し前の話ですよね。アメリカで、オバマ大統領が誕生した影響からかとは思いますが、人種の問題を扱うなら、時代背景の説明も含めて、現代の子どもたちへの手渡し方を考えなければならないのでは?

たんぽぽ:本が大好きな6年生が一晩で読んできてくれて、とても嬉しかったんですが、手渡し方を考えればよかったと思いました。

セシ:前に1回読んだときにわかりにくいと思ったので、今回本当にそうなのかなと思って読み返したんですけど、やっぱりわかりにくいと思いました。まず、主人公が黒人であるということが最初に書かれていないんですね。挿絵を見ると想像はつくんですけど。読書力のある子なら、この姉弟が黒人らしいとか、白人と会うと困ることが起こるようだとか、わかるのかもしれないけど、すぐには想像できません。現地の子どもが読めばわかるように書かれているのかな。ナレディがヨハネスブルクに行ったことで、いろいろなことに気付いて、自分のまわりの現実を再認識し、新しい目で見ていくというのはおもしろいんですが。また、赤ん坊が病気だからお母さんをつれてこなきゃという、旅の動機の部分にも疑問が残りました。おばあちゃんがいるのに、なぜ300キロ以上離れたところにいるお母さんを呼びに行かなければいけないと思うのか? お母さんが来ても、どっちみち病院に連れていくだけなのに。そのへんのところが、もっと納得のいくように書きこんであるとよかったと思います。そんなふうに、物語を読み解く鍵になるところでつまずくような気がします。

ハリネズミ:続編を読むと、おばあちゃんっていうのは現状に対してあきらめムードになっていて、おかあさんはがんばろうとするタイプの人だというのがわかるけれど、この本だけでは伝わってこないかも。

カワセミ:病気の妹を助けるために母親を呼びに350キロの道を子どもだけで旅する。その設定だけでも過酷なのに、道中いろいろな差別の現実を目の当たりにしていくわけですね。主人公ナレディのけなげさや、まっすぐなものの考え方に、読者は共感し、早く母親に会えたらいい、早く妹が助かればいい、と願いながら読んでくけれど、現実はなかなか厳しい。読み終わって日本の読者の心に残るのは、なぜこんなことになってしまうのだろう、という疑問だろうと思います。南アフリカも知らないし、白人と黒人のことも日本の読者にはピンとこないわけですよね。それにこたえるものを与えてくれていないのが、すごくもどかしいっていうのか、わからないままに終わってしまう感じがありました。訳者あとがきを読めば多少はわかると思うけど、あとがきは読まない子もいるだろうし、できれば物語の中で、もう少し状況がわかったほうがいいと思う。続編『炎の鎖をつないで』(さくまゆみこ訳 偕成社)と一緒に読むといいけど、こちらは別の出版社で出ているから、この2冊を続きものとして読むってことはよっぽどお膳立てしないとできない。こういう出版状況は読者にとって不幸でしたね。原書も、なんとかの1とか2とか、続きってわかるようになっているのかしら。

ハリネズミ:1巻目と2巻目は、アパルトヘイトをなんとかしないとという時代に書かれたものです。今の南アフリカは、いろいろな人種の人たちが協力し合う虹の国をつくろうとして、がんばってるんですね。人口で大多数を占める黒人の人たちは、一握りの白人にひどい目にあわされて、命を落としたり家族がばらばらになったり、いろいろな悲劇が生まれたんですけど、マンデラが牢獄から出されて大統領になってからは真実和解委員会というのをつくって、様々な罪を明らかにしたうえで黒人の人たちが「許す」という努力をしているんです。あれだけひどいことをされて、「許す」ことができるのかどうか。今の南アの問題、というか、ある意味先進的なところは、そこなんですね。でも、この本のオビを見ると、アパルトヘイトが今でもあるみたいに思ってしまいます。だから、時代遅れというか、アパルトヘイト後の新たな国づくりの努力には目を全然向けていないというか、私はちょっと残念だな、と思って読みました。

カワセミ:南アは、サッカーのワールドカップ開催で注目している子もいると思うから、南ア関連の本がいくつもある中の1冊としてこれがあるならいいかもしれないけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年7月の記録)


しあわせの子犬たち

メアリー・ラバット『しあわせの子犬たち』
『しあわせの子犬たち』
メアリー・ラバット/作 若林千鶴/訳 むかいながまさ/絵
文研出版
2008-11

たんぽぽ:子どもは犬の話が大好きなので、随分読まれています。『こいぬがうまれるよ』(ジョアンナ・コール文 ウェクスラー写真 つぼいいくみ訳 福音館書店)みたいで、生まれてくるところは、いいなぁと思ったのですが、もらわれていく先が、もう少し変化に富んでいたほうがおもしろかったかな。

セシ:私もちょっと物足りない感じ。とっつきはいいし、犬が生まれるところは興味深くて、出産を通して命のことを考えさせられますし、それと並行して、おばあちゃんが町に住みたがらないという二つめのストーリーがあるのはおもしろいんだけど、最後の終わり方がいまひとつ納得できませんでした。「おばあちゃんに必要なものは、愛するものなんだってことが。(中略)子犬は、なにより愛しいものだもの」で終わってしまうのはどうなのかなって。このおばあちゃんは、愛するものがいれば元気に暮らしていけるのかしら? 安心して読めることは読めますが、あまりにもありきたりというか、意外性のない終わり方だと思いました。もうひとひねりあったらいいのにな。

ハリネズミ:中学年向けの物語だから、あとひとひねりはなくても、ワンテーマでもいいんじゃないかな? 表紙がかわいらしくて、犬ブームに便乗して出したのかと懐疑的に読んでいったんですが、意外におもしろかったんです。作者がブリーダーをしているせいか、犬をもらってもらう苦労も描かれ、実際の体験に裏打ちされた作品なんだな、と好感が持てました。おばあちゃんとエルシーとの関係もうまく伝わってきます。最後は、6匹みんながもらわれてしまうと、読者も寂しさを感じると思うので、1匹残る設定にしたのはよかったな、と思いました。おばあちゃんもこの家に住みたいわけですから、この終わり方でいいんじゃないの?

メリーさん:個人的には、プリンセスが最後までもらわれずに残るのかな…と思って読んでいました。犬の引き取り手をさがす本は、フィクション、ノンフィクションを問わずたくさん出ています。命の大切さを伝えるという点では、子どもにこういう本は受け入れられやすいのかなと思いました。それから、ノンフィクションは残酷なところも含めて、現実を見つめるのに最適だと思いますが、安心して読めるという点では、フィクションを手渡すのもひとつの手かなと思いました。

ショコラ:学級の子ども(6年生)に紹介しました。「どこがいちばん心に残ったの?」と聞いたところ「犬の生まれるところがわかった。」と言っていました。子どもたちは知っているようで案外知らないんだなと思います。国語科「本は友だち 読書発表会」では「出産の場面が心に残りました。人を結ぶのに動物が必要なんだとわかりました。」と話していました。犬は家庭のペットとしてだけではなく、社会で活躍する・仕事をする犬がたくさんいます。また「コンパニオン・ア二マル」(伴侶動物)として生活している犬もいます。子どもたちはこの作品を通して「コンパニオン・ア二マル」を知り、人と人とのつながり・人と動物とのつながりを考えるのかなと思いました。6匹の犬の性格や特徴がていねいに書かれており、かわいい犬の表紙のおかげで、子どもたちは手に取りやすいと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年7月の記録)


時間をまきもどせ

ナンシー・エチメンディ『時間をまきもどせ!』
『時間をまきもどせ』
ナンシ・エチメンディ/作 吉上恭太/訳 杉田比呂美/挿絵
徳間書店
2008.01

ショコラ:最後はハッピーエンドになるんだろうなと思って読んでいました。ハラハラドキドキしながら読みましたが、タイムマシンってこんなに簡単につくれるのかな、というのが疑問。課題図書は、字が細かいしあんまりおもしろくなくて「うん?」っていうのが多かったけど、中学生も手に取りやすいおもしろい内容の作品が今年は課題図書になってよかったなって思いました。

たんぽぽ:これを読んだ子が、今度は『テレビのむこうの謎の国』(エミリー・ロッダ著 さくまゆみこ訳 あすなろ書房)を読みたいと言います。どちらも表紙が黄色で、同じ画家が絵をつけているからでしょうか。両方とも子どもたちにはとても人気です。違う場所に行くというのが、子どもを強くひきつけるようです。私は最後、足に障害が残らなければよかったのになぁと思いました。

メリーさん:読みごたえがあって、とてもおもしろかったです。タイムマシンものは、それこそ数え切れないほどあって、過去のどこかをいじってしまうと、それが現実の何かに影響を与えてしまう、というのは永遠のテーマです。今回は、最後にその運命を自分の身に引き受ける主人公が、とてもよかったです。失ってみて、はじめてわかること。過去に戻るたびに、自分ではないだれかが不幸にあってしまうこと。単純に正義のヒーローではなくて、試行錯誤をしながら、何とか未来を変えようとするうちに、自分も変化していく。SFはタイムスリップの仕掛けに目がいきがちですが、この物語では、主人公の成長の過程がおもしろかったです。一点、「パワーオブアン」の「アン」は最初、人の名前かと思って読んでいたので、訳語は要検討かなと思います。

ハリネズミ:私はおもしろくて、ぐいぐい引き込まれて読みました。ただ、大人のSFものって、過去をいじれないっていうのが法則としてあるじゃないですか。これは、その辺が甘いんですね。それに、おじいさんが機械を渡しにきたっていうのが、何のためだったのか、考えてもわからなくて、そのあたりをちゃんと書いてくれないと、子どもの読者に失礼なんじゃないかと思いました。この作家は、大人向けを書くときと子ども向けを書くときで、心構えが違うのかしら。私も「パワー・オブ・アン」は、やっぱりちゃんとした日本語にしてほしかったなって思いましたね。

たんぽぽ:おじいさんが渡しにくるところは、なんだろうって、考えちゃいますよね。小学生だと、そこまで考えないかも。中学生だと考えるのかな。

ハリネズミ:小学生でも、すごく読んでる子なら考えるんじゃないかしら。それに、小さい子向けだから、そこはあいまいでもいいや、と作者が万一思っているとしたら、悲しいな。

カワセミ:起こってしまったことをリセットできたらいいっていのは、だれでも1度は考えることでしょう。どこにでもいるような男の子のありきたりな日常生活のなかに起こった不思議なできごととしておもしろく読めるんだけど、結構シビアな内容も含まれている。私はこの本って、本来はもっとホラー的なおもしろさのある本なんじゃないかって思うんですよね。杉田さんの挿絵は明るくて好きだけど、この作品に本当に合っているのかな? 明るく楽しい話にしてしまってよかったのかな? もっと大人っぽい、しゃれたつくりにしたほうが、合っていたんじゃないかな。

メリーさん:97ページに機械の絵があるんだけど、モードに対応してなんかあるって言っているから、ちょっと違うんじゃないかって思いました。絵はぱっと見、イメージ違いますよね。

ハリネズミ:こわいところは、ありませんね。

カワセミ:エンデの『モモ』みたいに、ちょっとこわいところ、不気味な感じがあるじゃないですか。それを出したほうがいいのにね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年7月の記録)


2009年07月 テーマ:課題図書を読む

no image
『2009年07月 テーマ:課題図書を読む』
日付 2009年7月16日
参加者 カワセミ、セシ、たんぽぽ、メリーさん、ハリネズミ、ショコラ
テーマ 課題図書を読む

読んだ本:

竹下文子『そいつの名前はエメラルド』
『そいつの名前はエメラルド』
竹下文子/作 鈴木まもる/画
金の星社
2008.01

版元語録:そいつがぼくの家にやってきたのは、ふうちゃんの誕生日。ぼくはハムスターを買いに行ったのに、思わずトカゲを買ってしまう。母さんはかんかん。でも、かわいいので、家族みんなで大事に育てることになるのだけど……。
ビヴァリー・ナイドゥー『ヨハネスブルクへの旅』
『ヨハネスブルクへの旅』
原題:JOURNEY TO JO'BURG by Beverly Naidoo, 1995
ビヴァリー・ナイドゥー/作 もりうちすみこ/訳 橋本礼奈/画
さ・え・ら書房
2008.04

版元語録:差別を法と力で正当化しようとした,南アフリカのアパルトヘイト──これは,その時代を背景にした,ひとりの黒人少女の物語です。
メアリー・ラバット『しあわせの子犬たち』
『しあわせの子犬たち』
原題:A PUPPY IS FOR LOVING by Mary Labatt, 2007
メアリー・ラバット/作 若林千鶴/訳 むかいながまさ/絵
文研出版
2008-11

版元語録:エリザベスは、おばあちゃんの農場でコリー犬のエルシーの出産に立ち会う。ふたりは、6匹の子犬たちを愛してくれる人を探して、慎重にもらわれ先を選ぶことにした…。
ナンシー・エチメンディ『時間をまきもどせ!』
『時間をまきもどせ』
原題:POWER OF UN by Nancy Etchemendy, 2000
ナンシ・エチメンディ/作 吉上恭太/訳 杉田比呂美/挿絵
徳間書店
2008.01

版元語録:森で出会った不思議な老人に手渡された機械〈パワー・オブ・アン〉。老人は、失敗を取り消すことができる機械だというが…。時間の不思議を巧みに描く。

(さらに…)

Read More

戸村飯店青春100連発

瀬尾まいこ『戸村飯店青春100連発』
『戸村飯店青春100連発』
瀬尾まいこ/著
理論社
2008-03

サンシャイン:関西弁で、調子よく読めました。兄と弟の書き分けはよくできているという印象です。兄は父の商売と家の置かれた環境がいやで東京に出たのに、結局は戻ってきて、反対に家を継ぐのが決まっていると思われていた弟は出て行くという意外なオチで終わるのがおもしろい。ああこういうふうに終わるのか、うまいなと思いました。

メリーさん:瀬尾まいこさんはけっこう好きで『卵の緒』(新潮社)から読んでいますが、この本は、これまでのやわらかい感じの物語とは違って、新鮮な印象を受けました。最初は要領のよさからヘイスケが勉強の道、弟が料理の道に進むのかと思ったら、最後はまったく逆の展開になっていたのがおもしろかったです。サブのキャラクターでは、古嶋君がいい味を出していました。ちょっととぼけているけれど、根はいいやつ。ヘイスケが自分の気持ちを自然と言えたのも、このキャラクターだったからこそだと思います。ひとつ感じたのは、全体的に人物が幼いかなというところ。登場人物は高校2年と3年なので、描写はもっと大人っぽくてもいいのかと思いました。それから、アリサや岡野など女性陣がもう少し魅力的だったらよかったなと思いました。

げた:結末で流れが変わって、兄弟の行く末が入れ替わったのがおもしろかったし、青春小説としてうまくまとまっているなと思いました。兄弟の将来の可能性や将来への広がりが感じられたのはよかった。関西弁での展開にもかかわらず、登場人物のキャラクターはどの人もわりとあっさりしていて、さらっとした感じですね。ぐっと深く読ませるという本ではないけど、こういうのもあっていいかな。

うさこ:おもしろく読みました。ヘイスケの自分が今いるところに対する居心地の悪さ、自分への違和感がよく描かれていました。ヘイスケ像が、コウスケの目や両親、戸村飯店へ集まる人々、東京で出会った人々の目を通して、多面的に描かれていておもしく、人物描写が細かくてうまいなと思った。お父さんが二人の兄弟を見分けながら、例えば、ユウスケの高3の進路相談へやってきた場面、ヘイスケが上京するときに渡した封筒に入っていた手紙の内容から、この兄弟のそれぞれの性格に合わせて父性を発揮しているところもおもしろかった。たしかに17歳、18歳の男性としては幼い感じはしなくもなかったけど、わりと男の子は単純な面もあるので、これでもいいのかなと思いました。私は大阪弁のものは大阪弁のノリのよさに飲み込まれ、本質をごまかされたような気持ちになってしまうんですけど、この作品に関しては、いい意味での大阪人の関係の濃さ、かかわりの重さがその軽妙な会話や行動などからもよくわかってよかった。大阪という土地やそこに集う人々、戸村家の家族、その中で育てられたこの兄弟……とても「おもろい」作品でした。

カワセミ:兄の側から書いた章と弟の側から書いた章が交互に出てくる構成がうまくできてました。最初に、弟が兄ヘイスケはこういう奴だ、と描写するんですけど、兄のほうの章を読み進むうちに、実は弟の考えていたような人ではなかったことがわかってくるところがおもしろいですね。弟のほうも、兄と離れてみて初めて見えてきたことがある。同じ家に育った兄弟なのに全く違う2人の兄弟関係がおもしろいと思いました。また兄弟それぞれを取り巻く人々の描写が的確で、リアリティがありました。短い言葉で人となりをちゃんとつかんだ表現がとてもうまい。文章のノリがよく、端々にユーモアのあるつっこみが含まれており、いちいちおかしくて笑ってしまいました。大阪弁のせいもあるでしょうが、読んでいてとても楽しい気分になる小説で、おもしろいよ、と気軽に薦められる感じ。

クモッチ:この作品は、坪田譲治文学賞を受賞していて、その選評欄に「タイトルが内容と合っていない、おそらく編集者が考えたのでは」というようなことが書いてあったんです。確かに「100連発」というのは、勢いはあるけど、内容としてはどうなのかな? でも、とても楽しく読める作品。そつなくこなすけどあまり理解されていない兄のヘイスケと、自分の立場とか家族のことをわかっているつもりでいて、じつは自分が何をしたいのかつかめていなかったコウスケ。ふたりがどのように、自分の道をつかんでいくのかが、とてもよく描かれていました。文章のちょっとした表現の巧みさに、この作家さんのすごさがわかる。たとえば、110pでピアノを弾く友達の家に行くところ。「おふくろはなぜかうれしそうだった」という一文があり、ん?と立ち止まらせる。家の手伝いをするばかりだった息子が、世界を広げていくのがお母さんにはうれしかったからなのかな。ここはコウスケが結局は大学に行くことになる伏線か、とも思います。また、兄が「コウスケには向かう場所がある。帰る場所がある」というのも、兄の気持ちがあらわれたいい文章だなあと思いました。

ハリネズミ:とってもおもしろかった。大阪弁がうまくきいてますよね。弟が兄を見る目がだんだん変わっていくところにしても、読者も一緒にだんだんにわかってくるのがいいなと思いました。あえて疑問を言えば、岸川先生はちょっとよくわからなかった。ほかの人はみんなリアリティがあったのに。それから、ヘイスケが料理の道に目覚めていくところなんですけど、最初にカフェレストランにつれていかれて不満に思うところが、ちょっとありえないかなあ、と思ってしまいました。ただ、味に深みがないとか、イマイチおいしくないと言うなら自然なんですけど、家ではまったく手伝ってないのに、「鶏の照り焼きは…焼く時にみりんとしょうゆで味をつけてるだけで、下ごしらえができていない」だとか、「レタスは調理する少し前にまとめて洗ったせいだ。苦みが出てる」なんてことまで言えるなんて。細かい編集上のことでは、5pのうしろから7行目、「岡野にふてくされて」は、その後に「俺は岡野の機嫌を取り戻そうと」とあるんで、「岡野にふてくされられて」じゃないかな? 59pの「古嶋たちは驚いてたけど、瀕してるから仕方ない」は「貧してる」の誤植? だけど、そんなところもあんまり気にならないくらい、とにかくおもしろかったです。

ショコラ:楽しくおもしろく読みました。お笑い系がブームなので、今にマッチしているなと思いました。どこにでもいる兄弟だけど違っていて、かかわっている周り人達との関係がおもしろかったです。兄に対する岸川先生のかかわりは、ちょっとわかりにくかったけど。アンチ巨人が巨人ファンだったり、ディズニーランドを「アメリカからやってきた遊園地」といい、ミッキーマウスを「こまっしゃくれたねずみ」なんていうのも、おもしろい。水兵さんの格好をしたあひるのいる遊園地なんていう表現もね。私のクラスで特に本をよく読んでいる女の子(6年生)にこの本を勧めました。読書後、兄弟についての感想を聞くと「まじめな人はエイプリルフールにうそをついても信じてもらえる、お兄さんはそういう人」と言っていました。小説家はどこでも小説を書くことができるから、兄は落ち着けるところに落ち着いたのかしらね。

うさこ:鶏の照り焼きのところ、すごく大切なシーンだ、と私は捉えました。というのは、ヘイスケは戸村飯店の厨房を避けていたが、実は調理のことが気になって、ちらちらと盗み見したりしてこういう知識があったのではないんでしょうか。

クモッチ:2回くらい怪我をして料理をやらなくなったと弟は思っていたのに、兄は実はそうではなかったわけね。

ハリネズミ:天才的に味がわかっちゃう人だったという描写ならわかるんですが、鶏肉の臭みをとる方法などは、実際にやったことがなければわからないから、私はリアリティがないと思っちゃったのね。

カワセミ:実は興味があってお父さんの話をこっそり聞いていた、というような場面がちょっとでもあればよかったのよね。

サンシャイン:アリサ先生は年上で専門学校の生徒に手を出すという設定ですか……お兄ちゃんはもてるんでしょうね。年上にももてる子だということなんでしょうね。でもアリサさんがお兄ちゃんに突然からんだりするから、私も人物像がよくわかりませんでした。

ハリネズミ:この先生みたいな人はいるかもしれないけど、ほかはみんないいキャラなのにこの人だけちょっと嫌な人。メインなキャラじゃないんだけど、もう少し書いてもらえると、人となりもわかって、さらに奥行きが出たんじゃないかな。

ササキ:3冊の中では、これが一番おもしろかったです。先月の『となりのウチナーンチュ』と比べると、大阪にはファンタジーがいらないな、と思いました。お兄ちゃんが最後にウルフルズを聞いて大阪に帰るというのも、大阪だからなのかな。キャラクターはふたりとも変に突出したところがなく、フラットなのがよかったと思います。

サンシャイン:「大阪」とひとまとめで言うな、と怒られることがあります。北と南でだいぶ違うようです。この本の舞台は通天閣の近辺の相当狭い世界のことを書いているのかと思います。こてこての関西、と言うんでしょうか。

ハリネズミ:さっき書名の話が出ましたけど、『戸村飯店青春物語』だったら、つまらなかったね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年6月の記録)


永遠に生きるために

サリー・ニコルズ『永遠に生きるために』
『永遠に生きるために』
サリー・ニコルズ著 野の水生訳
偕成社  
2009-02

サンシャイン:いい本だと思いました。内容は重たいし、結末も見えているけど、誰にも答えてもらえない質問をはっきりと書いてあります。大人も含めて誰でも持つ質問だし、そこが丁寧に列挙されていると思いました。それまでは、息子の死という現実に向き合うの避けていたお父さんが、息子と心から話し合い、息子の望みだった飛行船に乗せてあげるよう取り計らう。息子の心に寄り添っていくところが、感動的でした。ただ、主人公のキャラクターとして納得できる作品になっているのかどうか、人物描写については疑問の所もあります。死を扱った内容としてはいいという評価です。原題からいうと、どうやったら生きられるか、永遠に生きるための方法、という意味なのでは?と思うと、永遠に生きるために、という日本語訳に違和感を覚えました。

ショコラ:すごくきれいな感じ。おもい内容なのにさらりと書かれ読ませるところがすごいと思いました。目次がとても細かくわかれていたり、興味をひくリストがあったりなど工夫がありました。「死後どうなるんだろう?」など、子どもたちが読むと、受け止められる部分がいっぱいあるのではないかと思いました。外国の作品だからさらりと読めるのでしょうか。死を迎える部分では涙が出ました。この作品のように人は亡くなるんだという現実味のある作品として読みました。

メリーさん:病気と闘う子どもの物語は、フィクションでもノンフィクションでもこれまでたくさん出版されてきています。この本は他の作品とどう違いを出しているのか、というところに注目しながら読みました。書き文字が随所にあって、主人公がノートに書きつづったものを読者も読んでいる、という形にしたところは新しい点なのかなと思いましたが、内容的には、あまり目新しさはありませんでした。物語の最後で、家の外に出て星を見ることで、宇宙に行ったつもりになる、そういう、子どもの発想の転換で世界が変わって見えるというようなことを、もっと描いてほしかったです。

げた:子どもが先に死んでいかなければならない不条理な出来事を、深刻で重たくならないようにするため、子どもの書いた物語風の日記というスタイルによって、つづっていくという試みがうまくいっていると思います。感傷的になり過ぎず、科学的に突き止めようとしている少年を通して、死というものに正面から取り組んでいる作品ですよね。中学生くらいが主な読者だと思うんだけど、生や死を考えるきっかけになるんじゃないかな。

うさこ:この作品、フィクションですよね。本当にあった話をもとに書いたわけではないですよね? 最初7ページの6行で、もうこの話の内容と結末は明示されている。読者としてはこの6行の行間というか中身を読むんだと思って読み始め、結末はどう処理するのかな、と思っていたら、最後…304ページを開いたときのインパクトは強かった。でも、読み終えて、作者はどうしてこれを書きたかったのかな?と、よくわからなかった。未成年の死を見つめることで、生と死、生命、生きていくことの理不尽さを作家が哲学的に、または科学的にあるいは精神世界観として自分で自分に問いかけ、たどりついたのが、この作品を書くことにつながったのかな、と私なりに解釈したんですが…。
小タイトルの日付があるところとないところの区別がはっきりしていないのも気になりました。日付があるところは、明らかにその日のできごとを綴った日記として読めるのだが、日付がなくても日記的なところがあるし、回顧風につづったもの、おばあちゃんから聞いたおじいちゃんの死後の話という非科学的なもの、ぼくの願望、魂の重さを計った医者の話しという科学的なもの、「死ぬってなあに」など哲学的なものなど、この日付のない章がどういうもの位置づけなのか、私としてはすっきりしなかった。

カワセミ:読んでいて、とてもつらかった。うまく作られているとは思うけど、これはドキュメンタリーではなくてフィクションですよね。こういう境遇の子どもがここまできちんと頭の中を整理できるものなんでしょうか? まっこうから死に向かっていくことができるんでしょうか? フィクションとしては、どうなんでしょう? 訳者あとがきに「これは『サムの書いた』本。でも、お気づきですね? ほんとうは『サムの書いた本を書いた』人がいるのです。」と書いてありますが、これは言っちゃいけないでしょう。フィクションのいいところは、たとえ作り物であったとしてもそう感じさせずに、読者が本当にその登場人物がいるように思って心を寄せて、体験を共有できるところにあると思うので、あとがきでこんな言葉は不必要。つらい物語ですが、救いとしては、おばあちゃん、ウィリス先生、看護師のアニーの3人が、変に病人扱いしないで、対等に扱ってくれる頼もしい大人だったこと。子どもにとっては安心感になると思う。父母は、弱い面を見せてしまい、主人公のほうが逆に気をつかってしまうところがあったので、この3人の存在には救われました。

クモッチ:こういう分野の本は、自分の趣味では選ばない類の本なので、免疫がなく、よって、読むのがつらく、また衝撃的でした。特に、おばあちゃんが先に死んだ友達の遺体を一緒に見に行こうというところはとても重要だし、インパクトがありました。また、お父さんが主人公とともに生きようとしはじめるところは、よく描かれています。家族が同じベッドに寝るシーンは涙が出ました。病院で死を迎えることが多い中で、つらいけれどもいい場面だと思ったんです。以前に哲学の本を読んだときに、「死を考えることは生を考えることである」と書いてあって、あまりの飛躍によくわからなかった経験があるんだけど、この本を読んでみると、それがどうしてなのかよくわかる気がしました。

ハリネズミ:私たしはひねくれた人間なので、みなさんほど感動しませんでした。4月12日の日記(p303)の最後で「眠りに引き込まれていった」とあって、その後「サムは永眠しました。4月14日の午前5時30分ごろ」と、親が書いている体裁になっているので、サムはこん睡状態のまま死んでしまうんじゃないのかな。でもね、もう一度よく見ると、冒頭に「これは、ぼくの書いた本だ。月7日に始まって、4月12日で終わる」って書いてある。サムは最後の日記を書いたあと、意識を取り戻して、冒頭のこの文章をつけたってこと? 後書きを見たら、著者が大学院の創作文学科で書いた作品だと書いてあったんですけど、内面的な必然性もあまりないままに、「読ませてやろう」というあざとさ前面に出てしまっているように思って、私は気分よくなかったですね。訳もいまいち。たとえばp257に「リスト その9 ぼくのベストテン」というのが、現在形で書いてあるんですね。だけど、ここはサムが今までやってきたことの中でいちばん楽しかったこと、っていう意味なんでしょうから、過去形にしたほうがよかった。それに、同じリストのことがp255には「〈気分は最高〉」となっているんだけど、同じ名前にしないとまずいわよね。p280の「エラは、よい子のブラウニーの、いつもの仕事にとりかかる」も、これだけではよくわからない。

ササキ:私は、純粋に11歳くらいで死んだらどうなるんだろうと思って、とてもおもしろく読みました。死を扱う作品はたくさんあると思いますが、同世代の子たちはどう読むんでしょう。

げた:リストと質問が、本当に親としては身につまされましたね。特に、「ぼくのやりたい8つのこと」の中に「高校生になること」ってあるのにはぐっときましたね。

メリーさん:主人公がインターネットで調べてというくだりがありますが、作者自身も案外そんなところから入ったのではないか、ということが透けて見えました。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年6月の記録)

このやりとりに対して、訳者の野の水生さんから抗議のメールをいただきました。ここにご本人のご希望に沿って全文を掲載させていただきます。
——————————————–
こんにちは。『永遠に生きるために』の訳者です。
迷いましたが、みなさまのご批判に対し、訳者として、思うところをお伝えすることにいたしました。さくまゆみこさんのホームページ、しかも、子どもの本におくわしいプロのかたがたの座談会の記録とあれば、読まれたかた(子どもたちも読むでしょう)への影響力は小さくないと存じます。とくに、ハリネズミさんの例に見る、具体例を挙げての批判の言葉は、それがじつは的はずれなものであっても、読者に対し、奇妙なほどに説得力を持ちますので。

*サンシャインさん。ご承知と思いますが、どんなジャンルの本であれ、邦訳版のタイトルは、原題の<日本語訳>とはかぎりません。原題からかけ離れた邦題になることだって、めずらしくはないのです。<原題からいうと〜という意味なのでは? と思うと、永遠に生きるために、という日本語訳に違和感を覚えました>とのお言葉に、わたくしは違和感を覚えました。また、邦題は、訳者の一存で決められるものではなく、出版社側(編集以上に営業)の意向が非常に強く働きます。もし、「この邦題は、このものがたりを言い得ていない」とのご批判なら、少なくとも言葉の矛盾はありません。でも、「永遠に生きるために」は、サンシャインさんのおっしゃる「どうやったら生きられるか」「永遠に生きるための方法」いずれの意味をも含んではおりませんか? わたくしは、この邦題にしてもらってよかった、と思っています。

*ショコラさん、メリーさん、げたさん、ご感想、ありがとうございます。

*うさこさん。<作者はどうしてこれを書きたかったのかな?と、よくわからなかった> わたくしも、うさこさんと同じです。原書を手にしたときから、とまどいがありました。訳しながらも、作者への釈然としない思いがつねに心にありました。「フィクション」と「病を得て死にゆく子どもの日記帳」の取り合わせを、作者のその選択を、なぜ? と問わずにはいられなかった。でも、登場人物ひとりひとりを愛しく思い、その体温までも身近に感じ、わたしのなかで、サムやみんなは、たしかに存在しています。だからそれでよいのだ、と思えるようになりました。
日付のあるところとないところの区別については、サムが最後に、一冊の本になるよう、一生けんめい編集をほどこした、とだけ申し上げておきますね。p279「ぼく、ウィリス先生と、この本のことでちょっといそがしかったんだ。リストや日記やものがたりをどういう順にならべるかを、相談しながらきめていた。」

*カワセミさん。<ドキュメンタリーではなくてフィクション><フィクションとしては、どうなんでしょうか?>というお言葉と、<フィクションのいいところは>に続くお言葉が齟齬をきたす、とわたくしには思えてしまうのですけれど、おそらくは、訳者あとがきの件とはべつに、カワセミさんは、このお話に、<本当にその登場人物がいるように思って心を寄せて、体験を共有>することはできなかった、ということでしょう。
訳者あとがきの件について。「これは『サムの書いた』本。でも、お気づきですね? ほんとうは『サムの書いた本を書いた』人がいるのです。」この部分だけ取り出して提示されたら、たしかに、なんだそれ? ことさらになにを言うか、とわたくしだって思います。カワセミさんの感想を読まれたかたも、みなさん、びっくりされたでしょう。が、文脈というものがあります。全体というものがあります。この直後に来る文章は、「その女性、サリー・ニコルズさんのことを、少し述べておきましょう。」訳者あとがき後半の、作者紹介への導入です。著者紹介を避けるわけにはいきません。デビュー作であり、新人ですから、なおのこと。また、本文と訳者あとがきのあいだには、著者による「謝辞」があります。このものがたりが生まれる過程でお世話になった人々への感謝の言葉がならんでいます。謝辞原文の最後には(邦訳版では省きましたが)、サムの手書き文字を書いてくれた人、その他の手書き文字を書いてくれた人、サムの描いた絵、エラの描いた絵、父さんの描いた絵を実際に描いてくれた人々への感謝の言葉すらあります。これはつくりものです、作者は私です、と言っているようなものですね。お話がお話だけに、この謝辞は余韻を損なう、邦訳版では不要では? との判断のもと、出版社が割愛の申し入れをしましたが、著者の了解を得られませんでした。でも、フィクションであり、作者がいるということは、本を手にしたそのときに、読者は了解しております。そのうえで、作品世界にどっぷりつかって、登場人物と泣いたり笑ったりするのです。ですから、<これは言っちゃいけないでしょう。フィクションのいいところは、たとえ作り物であったとしてもそう感じさせずに>云々のお言葉は、訳者あとがきの「部分」だけを取り出したうえに、無関係の二つのことを理不尽に関連づけておられる、とわたくしには思えます。

*クモッチさん。わたくしも、<自分の趣味では選ばない類の本>かもしれません。その本を、こんなふうにまっすぐ読んでくださって、ありがとうございました。

*ハリネズミさん。<サムは最後の日記を書いたあと、意識を取り戻して、冒頭のこの文章をつけたってこと?> 当然です。そうでなければ、このものがたりは成立しません。読者がそこを見逃さないよう、訳者あとがき冒頭に、巻頭のサムの言葉を持ってきました。「巻頭に置かれたこの言葉が、いつ、どのような覚悟のもとに書かれたものか、おしまいまで読まれたかたはお気づきでしょう。ひとつの命が、旅立ちの時を悟って、最後の最後に記した思い……。」と書きました。それでもなお、こういう疑問をいだかれてしまうのか、と愕然とする思いです。しかも、子どもの本のプロの読み手(書き手?)であるかたが。 さらに申し上げるなら、かりに巻頭の言葉がなくっても、4月12日の日記は、実際に「眠りにひきこまれていった」あと、ふたたび目覚めて、そして書かれたものなのです。そのまま昏睡状態に陥ったなら、両親とベッドにいる様子も、最後の一文「ぼくはふたたび目を閉じて、眠りにひきこまれていった。」も、書けるわけがないですから。巻頭の言葉は、4月12日の日記を書いたあとで(すぐに書いたか、また少し眠ったあとで書いたのか、はわかりませんが)、最後の力をふりしぼって、サムが記したものなのです。
p257の「リスト その9 ぼくのベストテン」の件。<ここはサムが今までやってきたことの中でいちばん楽しかったこと、っていう意味なんでしょうから、過去形にしたほうがよかった>とありますが、サムはまだ生きています。また自転車にも乗れる、飛行船も操縦できる、そうした思いが現在形にこめられていることが、おわかりになりませんか? リストの最後、「どんなことでもぼくならできる、と感じること。月へだって行けるんだ、と」 これも、「感じたこと」と過去形にすべきである、と、本気でお思いになるのでしょうか。(ちなみに、10のリストのうち、原文が過去形のものは過去形、現在形のものは現在形で訳してあります。)
<同じリストのことがp255には「<気分は最高>」となっているんだけれど、同じ名前にしないとまずいわよね。> いま一度、ご確認ください。p257とはまったくちがうリストです。p255の本文では、ぼくの飛行船体験<気分は最高>第一位〜三位が挙げてあるのです。
<p280の「エラは、よい子のブラウニーの、いつもの仕事にとりかかる」も、これだけではよくわからない。>の件。この文章だけ取り出されたら、たしかにわかりにくいですね。が、「いつもの仕事」がどんなものかは、すぐに描写が始まりますし、ブラウニーについてなら、p50に、「エラは、ブラウニー−−ガールスカウト年少組−−の精神で、かいがいしくお手伝い。母さんにティッシュをわたす。」との説明が、すでにあります。読み飛ばされたのでしょうか。
ご自分の読み方にこそ問題があるというのに、具体例を挙げて的はずれな批判をしたうえ、「訳もいまいち」と切り捨てる。たとえ内輪のおしゃべりでも聞き苦しいかぎりですが、不特定多数にむけて発信されるネット上でこれほどまでの無責任な物言いをなさることに、ただただ恐怖を覚えます。チェックもせずに掲載されたさくまゆみこさんの責任をも問いたい。

*ササキさん。わたくしも、同世代の子どもたちはどう読むのかしら、と、そこがいちばん気になります。ご感想、ありがとうございました。
不特定多数にむけたネットの世界。批判の対象とされる者のみ名前を出され、批判する側は匿名というのは、アマゾンのたぐいなら致し方なくても、このような場では、明らかにアンフェアであると存じます。しかも、公開されるのは、ときに悪意やおごりを感じる内輪のおしゃべり。いやしくも言葉をなりわいとしておられるのなら、いずまい正し、本名を明かし、緊張と覚悟をもって他者の作品に向き合われ、言葉を発信されますように。
さびしい、と感じます。
2010年1月8日  幸田敦子(野の水生)

———————————————

◆これに関してですが、掲載責任者のさくまから一言申し上げます。私は、この読書会は「言いたい放題」と敢えて名づけているように、その場では何でも言えるようにしたいと思っています。とくに、今の児童書界では内輪ぼめも多く、言いたいことも言えないでいる雰囲気もあり、その中では「内輪のおしゃべり」が果たす役割もあるかと思っています。また自分がいいと思う本でも他の人は否定的だったり、その逆だったりすることはしょっちゅうあります。おかげで本の読み方は人それぞれだという当たり前のことに気づいたり、自分の読み取り方が不十分だったことに気づいたりするいい機会にもなっています。
◆参加者は、書評をする時と違い、1回しか読んでいない場合も、あるいは途中までしか読んでいない場合もありますが、その場合でも、その時点での感想を述べております。また、たとえば肯定的な意見が続いた場合は、次の発言者が、敢えて引っかかる点について述べる場合もあります。ただし、どんな場合でも悪意やおごりから発言している人は、私が知るかぎり一人もいません。
◆また「言いたい放題」の一方では、どんな本でもかかわる人たちは一所懸命につくっているのだろう、という思いもあり、掲載時には客観的ではない意見とか事実と違う点などは気をつけてチェックしてきたつもりでした。ただ、今回そのチェックが十分でなく、不適切な表現のままで出てしまったことに関しては野の水生さんにおわびをいたします。不適切な部分は削除あるいは訂正したほうがよいかとも思いましたが、野の水生さんは「一字一句そのままに」掲載しておくよう言っておられますので、敢えてそのままにしておきます。
◆野の水生さんは、このページの影響力を過大評価してくださっているようですが、力のある本は、どんなところで何を言われようと多くの読者を獲得していきます。私個人のささやかな経験で言うと、日本最大の購読者をもつ大新聞の書評で、私の訳した絵本の訳がよくないと批判をされたことがあります。その時は、その理不尽な書かれ方に大きなショックを受け、しばらく寝込みました。でも、その後この絵本は翻訳絵本賞をいただき、今でも多くの方に読んでいただいています。『永遠に生きるために』も多くの読者をこれからも獲得していく本ではないでしょうか。
◆匿名性についてですが、メンバーの中には、たとえば出版社勤務の編集者、あるいは著作権者や出版社とかかわりを持つ者のように、名前を出したら参加できない(自分の社で出した本、あるいは知人の出した本については褒めるしかなくなりますから)者もいます。なので、今後も匿名にはこだわりたいと思います。ただし、このページを読まれる方が「悪意やおごり」から発言していると思われることのないよう、今後もさらに充分注意したいと思います。
◆読書会記録を掲載することにしたのは、いろいろな方たちとの意見の交換ができればいいな、と思ったからでした。なので、「もっと緊張と覚悟をもって他者の作品と向き合いなさい」との野の水生さんからのご意見は、とてもありがたいご指摘です。そう思ってやってきたつもりですが、ちょっとチェックが甘くなっていました。今後はさらに気持ちを引き締めて、よりよいかたちで掲載できるようにいたします。また野の水生さんからのメールで、この作品についての理解がさらに深まったことについても感謝いたします。
(さくまゆみこ)