日付 2023年4月18日
参加者 ネズミ、ヨシキリ、ルパン、花散里、すあま、アカシア、アンヌ、西山、サークルK、ニャニャンガ、ヒダマリ、雪割草、まめじか
テーマ 人生はひみつに満ちている

読んだ本:

『春のウサギ』表紙
『春のウサギ 』
ケヴィン・ヘンクス/著 大澤聡子・原田勝/訳   小学館   2021.04
SWEEPING UP THE HEART by Kevin Henkes, 2019
〈版元語録〉陶芸工房に通うアミーリアは、ウサギの置物作りに熱中していた。春休みになり、いろんなポーズのウサギを毎日作って並べて楽しんでいた。そこで出会ったケイシーと意気投合。誰にも話したことのない悩みを話すようになる。アミ―リアは、小さいころに死に別れたお母さんと会いたいとケイシーに打ち明けた。すると、ケイシーはある提案をする。「あそこにいる女性がお母さんだと仮定してみようよ」と。物語は、思わぬ方向に展開していくのだが…。


『ひみつの犬』表紙
『ひみつの犬 』
岩瀬成子/著   岩崎書店   2022.10

〈版元語録〉小学5年生の羽美は、黒が好きで、服も持ち物も黒。同じマンションに引っ越してきた細田くんの相談にのるうちに、まわりで起きた事件が気になり、その真相をつきとめるべく、犯人さがしにのめりこんでゆく。パトカー、誘拐、空き巣、カエンビン、へんな手紙……複雑に謎がからみあう。とりまく大人たちの間でさまざまな問題にぶつかる、羽美、細田くんとトミオ。ゆれる心境をこまやかに描く。


『春のウサギ』

ケヴィン・ヘンクス/著 大澤聡子・原田勝/訳
小学館
2021.04

雪割草:おもしろく読みました。「エピファニー」という言葉とその描写には、懐かしい児童文学のにおいを感じました。たとえばp72には、「一瞬」のなかに、アミーリアが自分という存在や世界との出会いを見出すさまが描かれています。それから、父の恋人のハナを通じて、アミーリアは、記憶にも残っていない母と向き合うことができます。ケイシーと恋愛もして、父を一人の人間としてみることができるようになります。オブライアンさんのような、寄り添ってくれる大人がいてよかったです。ときどき、ケイシーの発言は無神経に感じることはありました。原題は”sweeping up the heart”のところ、邦題はいいなと思いました。

ルパン:オブライエンさんは何歳なんだろう、というのが気になりました。70代のお友達をぞろぞろ連れてくるのでおばあさんなんだろうなと思って読んでいたのですが、p128に「結婚してすぐだんなさんが亡くなり、そのことがきっかけでオブライエンさんとアミーリアのお父さんとのきずなが強くなった」とあります。アミーリアのお母さんが亡くなったのはアミーリアが2歳のときで、アミーリアは今12歳か13歳。オブライエンさんの夫が「結婚してすぐ亡くなった」のが10年前ならオブライエンさんもお父さんと同年代ということになります。ところが、そうかと思うと最後のほうでアミーリアはオブライエンさんが死んでしまうことを心配している。いったい、この人は何歳でどういう人なんだろう、というのが引っかかります。それから、アミーリアは友だちから「変人」と呼ばれているけれど、どういうところがどのくらい変人なのかがわからず、ちょっとストレスでした。以上2点が気になりましたが、お話はおもしろかったです。

ネズミ:繊細なお話だなと思いました。お父さんが外に出かけるのが好きではなくて、どこにも行けない春休み。母親が亡くなってから立ち直れない父親が描かれていて、こういう父親像って日本の作品ではあまり見かけないけれど、前にこの読書会で読んだ作品にもあったので、海外では一定数あるのかなと思いました。陶芸教室の場面がよかったです。ただ、ときどきちょっとぴんとこない文章がありました。たとえば、p40からp41で、名前をつけて、どんな人物か考えて遊ぶところ。「なんて楽しいんだろう」とあるのですが、会話を読むと、そんなにおもしろいと思えなくて。状況はわかるのですが。

まめじか:子どもの頭の中で想像がどんどん広がっていき、それが現実と混ざってしまったり、茫漠とした不安やよるべなさを感じていて、これから続く人生の大きさに圧倒されていたりする感じは、よく伝わってきました。ただ、好みの作品かどうかというと、全体としてなんかぼんやりした雰囲気で、あまり印象に残らず…。

アンヌ:最後はすべてうまくいく、とてもほっとする物語だとは思うのですが、どうも私はこのお父さんが受け入れがたくて、納得がいきませんでした。「かわいそうにとみんながいう」ような家庭状況におかれていて、母が死んでから10年以上、旅行にも連れて行ってもらったことのいない小学生である主人公。そうなったのは、お父さんがずっと辛い思いをして動き出すこともできないからなんだと思っていたら、とっくに、自分自身は新しい恋をしていたという話になっていくので、あれれと思いました。オブライエンさんについても、実の祖母のように賢く主人公を愛し保護してくれているようだけれど、先ほどルパンさんがおっしゃったように、子供が欲しかったという記述から見ると、何か年齢的なずれがあるようで、ここら辺の関係も奇妙に思えて、主人公自身の物語に入り込めませんでした。

ニャニャンガ:ケヴィン・ヘンクスの読み物が大好きで、本作は翻訳された4冊目だと思います。刊行後すぐに読んだものの内容が思いだせず、今回読み直したところ、ヘンクスらしいナイーブな作品で新鮮に楽しめました。口数の少ないお父さんは存在感が薄いですが、お向かいに住むオブライエンさん、陶芸工房のルイーズさん、親が離婚間近のケイシーたちの、包み込まれるような愛に囲まれているアミーリアは幸せだと思いました。それでも、2歳で母親を失ったことはアミーリアにとっては欠けたピースのようにいつまでも埋まらない穴であり、埋めたいのだなと感じます。ケイシーの突飛な発想には少しハラハラしましたが、ふたりの距離が縮まり恋に発展するようすをほほえましく読みました。エピファニーと名付けた人が父親の交際相手でハナだったことは偶然の幸運といえるし、ちょっと出来過ぎとも思いました。読み始めではオブライエンさんの年齢がわからず、もしかして父親のことが好きなのかもと想像しましたが、詩のサークル仲間が70代ということからそれはないとわかりました。それでもアミーリアに無償の愛をささげ続けてきたオブライエンさんが、父親の再婚を機に疎遠になったとしたら、少しかわいそうな気もします。

アカシア:出てすぐに読んだのですが、タイトルのせいもあってか、どんな話だかぱっと思い出せませんでした。どんなウサギの話だったけと思ったりして。で、もう一度読んだのですが、いつもの原田さん訳の作品と違って、すっと入ってこないもどかしさがありました。もしかしたら、それは共訳のせいかもしれないですね。若い翻訳者を育てるという意味では共訳も必要なのかもしれませんが、私はもっとなんというか言霊みたいなものがあると思っていて、その作品のエッセンスをどうとらえるかは人によって微妙に違っているので、ばらばらの言霊が聞こえてきてしまうのかもしれません。子どもの言語感覚が分かる人に下訳をしてもらうという人もいますが、共訳の場合たいていは波長の違うちぐはぐなうねりを感じて、とまどいます。p66に「わたし、名字なしで名前だけの人が好き」とありますが、そういう人はめったにいないので、「名前だけのほうが好き」くらいでしょうかね。それと、冒頭で、オブライエンさんがアミーリアのことをしょっちゅう「かわいそうに」と言う、とありますが、本文では言ってないみたいだし、それですますような人にも思えないので、ちょっとひっかかりました。まあ、私が「かわいそう」って上から目線だと思っていて好きではないからかもしれませんが。でも、アミーリアの心情に沿って読めるところはたくさんあって、たとえば父親からこれまで声に出してほめられたことのなかったアミーリアが、ハナも呼んでの食事のとき、二人からほめられてうれしくなったり、そのあと自分の意見が否定されたと思って怒る気持ちなどは、寄り添って読めますね。

ヒダマリ: うーん、読んでいるときは先が気になるし、読後感もさわやかなのですが、あまり残らない作品でした。実は、1年半前に1度読んでいるんだけれど、今回、内容をすっかり忘れてしまっていました。印象が弱い理由を考えて、2つあるのではないかと思いました。1つは、主人公が恵まれていること。2歳のときにお母さんが亡くなって、お父さんは理解がない、ということが冒頭で強調されていますが、オブライエンさんは、おそらく実の母以上に優しく、常に理解してくれるし、途中から現れる父の交際相手のハナ・バーンズさんも理想的ないい人です。友人のケイシーは、元気づけてくれて、工房の先生も優しいんですよね。もう1つの理由は、主人公が常に受け身であること。内向きな性格でさびしい思いをしている、というのはわかるんですけど、自分から行動せず、常に与えられるものによって、少しずつ変わっています。特に気になったのは、ハナ・バーンズとの件が佳境にあるとき、一度たりともケイシーのことを思い出さないんですよね。この子の視野の狭さが浮き彫りになっているストーリーならいいのですが、頑張ってるいい子として描かれているので…物足りなさを感じました。

花散里:2021年に刊行されたときに最初に読みました。その時、評価が高い本だったと記憶していますが、今回、タイトルを聞いたときに物語がすぐに思い出せませんでした。読み直して、1章「かわいそうなわたし」から、お母さんが亡くなっていることなどを思い出しました。お父さんが前半ではオブライエンさん任せきりで、子育てに関心がないように描かれていますが、p165、後ろから5行目の文章「あなたが小さいころ、お父さんは、あなたをねかしつけるために毎晩抱っこして歩いていたこと。(中略)すぐに泣いてしまうから」が印象的でした。お父さんがうまく愛情表現できないのを、上手にオブライエンさんがカバーしてくれているということが全般的に良く伝わってきて、お父さんにとってもオブライエンさんが欠かせない存在であることも良く描かれていると思いました。アミーリア自身、友だちの作り方がうまくいっていないなかでケイシーと出会ったことなどが、子どもたちにも好感を持って読まれるのではないかと感じました。『春のウサギ』、このタイトルと表紙がそぐわないように感じました。子どもたちが読んでみようかなと本を手にするとき、タイトル、そして表紙の画は大事だと思います。どうして「春のウサギ」なのかなと。この物語を子どもたちに手渡すときの印象からすると、違ったほうが良かったのではないかと思っています。

西山:今回、岩瀬さんの作品と抱き合わせにして続けて読んだせいもあるでしょうが、すごく岩瀬成子的と思いながら読みました。大きな事件が起きるわけではなくて、筋は忘れてしまう気がしますが,読み返したら随所がおもしろくて、何度でも味わえそうです。人間観がやわらかくて好き。子どもの身体性を伴った、包まれている安心感というのが描かれていて、その温かさを新鮮に感じました。『春のウサギ』というタイトルは、全体を覆う温かなものに包まれた安心感にあっているのかもしれません。私も、最初はオブライエンさんと「教授」の関係が気になっていましたが、「教授」との恋愛感情があるとかないとか、そうじゃないんだなと思うに至りました。愛し合う男女がペアになって子どもを育てるという定型ではなく、お向かいのおばさんがこんなにアミーリアを無条件に受け止めてくれる、こういうあり方は新鮮でした。「教授」の不器用さはひどいとも思いましたが、p175の6行目ではっきり自覚されているように、アミーリア自身お父さんに似ています。おもしろい人間像を見せてもらったという感じです。「教授」の「あの子がおまえと遊ばなくなって、よかったと思っている。意地の悪い子だと思ってたんだ」(p177)というひとことなど、普通言うかそんなこと、とびっくりしましたが、そういう、馴染んだ人間観をこえてくるところがおもしろかったですね。

ヨシキリ:主人公の心の動きを繊細に描いた、温かくて、感じのいい物語だと思いました。ふと見かけただけ女の人を、実のお母さんであってほしいと思うアミーリアの心情は、両親が離婚寸前というケイシーに影響を受けているんでしょうね。お父さんはアミーリアを虐待しているわけではなく、鬱状態にあるだけだと思います。不器用な人なんですね。また、オブライエンさんも、アミーリアたちに無償で尽くしているのではなく、きちんとした雇用関係に基づいて働いていて、そのうえで春のようにアミーリアを包みこむ愛情は本物だと思いました。タイトルも表紙も、私は好きですね。こういう名前のカフェがあったら、入っちゃうかも。後漢の歴史家がのこした「養之如春(これを養うこと春の如し)」という言葉を思いだしました。春のように子どもをふんわりと見守るというのと、ウサギのように一歩前へ跳びだすという意味を兼ねているような感じがして…。原書のタイトルに使われているエミリー・ディキンスンの詩は、物語の結末とは違うような気がして、なかなかトリッキーなタイトルだと思いますので、そのまま訳しても読者に届くかどうか。まあ、私は子どものときに読んだ本でわからないことがあっても、大人になって「ああ、そうだったのか?」と思うことがよくあり、それはそれで読書の楽しみのひとつだと思いますが。訳書のタイトルのつけ方は、本当に難しい!いくら子どもが手に取りやすいからといって、「謎」とか「秘密」とかいう言葉をやたらにつけるのもどうかと思いますし…。

花散里:子どもたちが本を選ぶとき、タイトルは大きいと思います。

サークルK: 4月の課題本として3月半ばから読み始めたので、イースターの季節にぴったりのタイトルと表紙の緑色やウサギの絵に手に取った時から心が和みました。様々な表情のウサギたちは、アミーリアの作る粘土のウサギのことだったのだと読み始めてわかり、あらためて眺めることになりました。作中の表現で特に心に残ったのは、登場人物たちの「ふれあい」です。p28で友達になったケイシーが「2度ほど、自分の腕をアミーリアの腕を軽くかすらせた」とかp162-3ページでは「ハナの腕がアミーリアの肩に触れたが、やわらかな感触がびっくりするくらい心地よかった。」とか、p165「知ってる?あなたが小さいころ、お父さんは、あなたをねかしつけるために毎晩抱っこして歩いてたこと」など、さびしい心持をしているアミーリアに温かい人の手が何度も差し伸べられ、実際に「手当されている」ということがよくわかります。彼女は決して放っておかれているわけではなく、皆さんの感想にもあったように実はとても恵まれているのだと思えます。p112でオブライエンさんの手が「急にあわただしく動きはじめ」、「アミーリアの髪をなで、両肩をぎゅっとつかんだかと思うと、シャツについていたごみをはらいおとし、ほほにふれた」とあります。髪にふれるという行為は、p167にはハナが「なにも言わずにポケットに手を入れ、小さな青い玉のついたヘアゴムを取り出して(中略)ベッドの上ですわりなおすと、アミーリアの髪の毛をていねいにたばね、おだんごにまとめた」という形で再現されています。大人の小説だと、官能的な愛情表現につながるような行為ですが、親しいものがこのようにして子どもの髪をなでるという表現には独特の親密さや言葉にはしにくいながらも優しさや温かさが表現されていると感じました。続く最後の行、「きつすぎず、ゆるすぎず。ちょうどいい感じに」という表現は特に素敵でした。大人がべたべたと、あるいはずかずかと子どもの心に入ろうとしているのではないことがよくわかったからです。

すあま:このタイトルだとどんな話かわからないので、ブックトークなどで紹介しないと手に取りにくいかな、と思いました。夏休みの物語は多いけれど、春休みの話はあまりないかも。日本とは学校の学期の始まりや休みが違うからかもしれません。春であり、1999年という年であることに意味がありそう。アミーリアとケイシー、一人はお母さんが亡くなっていてお父さんしかいない、もう一人は両親が離婚しそうな状態で、どちらも家族についての悩みや痛みを抱えています。そこに家族ではないけれども、支えてくれる大人がいるというのをきちんと書かれているのがとてもよかったです。家ではない居場所があり、そこでは家族ではない人が自分を見守ってくれている。物語の最後、何もかも解決したわけではないけれど、アミーリアの成長が感じられて、この先いろんなことがうまくいきそうな予感を残していたので、読後感がよかったです。

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エーデルワイス(メール参加):時代設定は1999年。確かに携帯(ガラケー)もまだまだこれからでした。主人公のアミーリアは寡黙なお父さんとあまり意思に疎通がないようだけれど面倒をみてくれるオブライエンさんいて平和な日常をおくることができています、オブライエンさんの手作りマフィン、クッキー、ケーキ、アミーリアの通う陶芸教室などゆったり感満載ですね。両親の離婚問題で悩むケイシーとカフェに行くなんて。12歳なのにオシャレです。通りかかる人に勝手に名前をつけてその物語をつくる遊びは高度。二人とも成熟していると感じました。アミーリアのお母さんは亡くなっているはずなのに、見かけた女性をお母さんかもしれないと想像を膨らませるところはいじらしいです。その女性はお父さんの恋人でしたが、この本の続編が書かれるのかもと思ったりしました。アミーリアの心の軌跡が丁寧に書かれていると思ったし、装丁と挿絵はいかにも日本らしいと思いました。

(2023年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『ひみつの犬』

岩瀬成子/著
岩崎書店
2022.10

ヨシキリ:岩瀬さんの作品は、どれも人間がしっかり描けていますよね。それも、形容詞で表現するのではなく、黒い色にこだわる羽美、狭いところにはまる細田くん、時間割が好きなお姉ちゃん、子どもにビラ配りを頼む整体医の佐々村さん等々、具体的なことで人物をあらわしている。良いところも悪いところもあり、一風変わったところもあるという、一面的でない人間像が魅力的です。同じ作家の短編集『ジャングルジム』(ゴブリン書房)も、人間がしっかり描けているという点では同じですが、この作品は犬のトミオがどうなってしまうのかというサスペンスと、いったい佐々村さんとは何者なのかというミステリーで、最後まで読者をひっぱっていく。かなりページ数はありますが、小さい読者もしっかりついていけると思いました。また、トミオを守りたい一心の細田くんと、佐々村さんの正体を探りたい羽美の気持ちのすれちがいが描かれているところもおもしろかった。それにしても、人間の気持ちをしっかり分かって我慢しているトミオの姿が切ないですね。ラブラドール・レトリバー好きの私はじーんときました。

西山:すごい作品だと思いました。岩瀬さんは次々と新作を発表されるけれど、そのたびに新しい人間が出てきて、本当にすごいと思います。ちょっと常識からずれたような不思議な行動をとる大人と子ども。コミュニティって、こんなふうに不可解で、気に食わない人たちもいっぱいいるものだというのが、図式的でなく、人間のおもしろさとしてすくい取られていて本当に興味深かったです。「子どもの権利」という観点でも、「先生が怒ると生徒があやまる」(p3)とか、「もしかしたら大人に利用されているんじゃないか、と、子どもはいつも注意を払ってなきゃいけない」(p62)とか、随所ではっとさせられて、徹底して子どもの側に立っている作品だと思いました。

花散里:一つ一つの文章が読ませる内容ではある、というのが全体的な印象でした。登場人物、一人一人を実にうまく描いていると思います。細田君の犬など、はらはらさせられるところや、カイロプラクティックの箇所など。ほっとするところと、そうではないところのつなげ方も上手だと思いました。図書館員のお父さんがスマホを片手に川柳を作っているというところは、そういう見方をされているのかとも思いましたが…。読後感としては、大人は共感するけど、子どもはどんなふうに読むのかという点で、手渡し方が難しい本のようにも感じました。

ヒダマリ:とても魅力的な本でした。今まで読んだ岩瀬成子さんの作品のなかで、一番好きかもしれません。ものごとの善悪をシンプルに考える時期、自分もあったなぁ、と子ども時代を思い出させる本でした。それぞれの登場人物の心理がていねいに描かれています。主人公は思い込みが激しく、プライド高く、大人に対して疑いを持っています。強いキャラだけれど、揺れ動く。そのブレがとてもよく掴めました。また、細田くん、お姉さん、そしてお母さんも、さらに犬のトミオまで、それぞれの生きづらさが伝わってきました。犬がどうなっちゃうのか、脇山さんに見つかっちゃうのか、佐々村さんは、本当はどんな人なのか、椿カイロプラクティックを攻撃しているのはだれなのか、なぞが重なって、一気に読ませる工夫もありました。そういう引っ張る力が、他の岩瀬さんの作品よりも強かった気がします。1つだけ気になったのはp154「煮詰まる」という言葉が誤用されているところ。「二人とも煮詰まってるぞ。煮詰まっちゃいかん。ろくなことにならんよ、煮詰まると」。煮詰まるは、話し合いなどでじゅうぶん意見が出尽くして、そろそろ結論が出る、という意味合いが本当ですよね。お父さんが間違った意味合いで使っているにしても、フォローがないので、作者が誤用しているというふうにしか読めません。編集者、校閲が気づくべきだと思いました。

アカシア:子どものときに、こんなふうに子どもの感受性を子どもの視点で書ける人の作品を読みたかったなあ、と思います。羽美は黒いものばかりにこだわり、細田くんは狭い隙間にはさまるのが好き。どちらもちょっと変わっていますが、羽美については、担任がきっちりした人で小言ばかり言う描写があったりしますね。細田くんのほうは犬のトミオを飼っていることを秘密にしなくては、なんとかトミオの居場所を確保しなければ、といつも緊張している。子どもは、ちょっとしたことで他と同じ規格品にはなれないんですよね。羽美が、ササムラさんを疑ったり、証拠をつかまないとと焦ったり、探偵ごっこまがいのことをしたりするのは、この年齢ならではの正義感をもつ子どもらしいし、それよりトミオが心配な細野くんとの距離があいていくのもよくわかります。ただ、怪しい人物についての謎が、前にこの会でも取り上げたシヴォーン・ダウドの『ロンドン・アイの謎』のように解明されていくわけではなく、羽美の勘違いという結末になるので、そこを多くの子どもが読んでおもしろいかというと、そうでもないように思います。いろいろな人が出てきて、物語の本質からしてどの人も善悪では割り切れないので、くっきりしたイメージを持ちにくいですね。ただ、好きな子どもはとても好きだと思います。さっき、『春のウサギ』が岩瀬成子的とおっしゃった方がありましたが、私はそんなふうには思いませんでした。岩瀬さんの言葉には、ひとことで10か20の背景を思い起こさせるふくらみがあり、そこが『春のウサギ』とはかなり違うんじゃないかな。

ニャニャンガ:これまで読んだ岩瀬成子さんの作品の中で、いちばんおもしろく読んだのは大人目線だからでしょうか。犬を飼ってはいけないマンションで犬を飼っている状況にドキドキしながら読みました。細田くんのトミオを思う一途さがかわいかったです。この作品には大人のずるさや利己的な面が書かれている一方で、狭い世界で生きる羽美が、自分のものさしの短さに気づいてゴムのようにのばすことができたのがよかったなと思います。人にはさまざまな面がある(羽美の姉、羽美のお母さん、佐々村さんなど)のを学んだのではと思います。羽美が犯人探しに夢中になるあまり、細田君の犬のトミオの引き取り手探しがおろそかになるあたりは子どもらしく感じました。大道仏具店のおばあさんがトミオを引き取ってくれそうだなというのは薄々わかったものの、そこから椿マンションに引っ越せるとわかるまでは想像できませんでした。学校の先生の指導に違和感を覚えたり、正義感を通そうとしたりする羽美に共感しつつ、こだわりの強い子だなと思うのは自分にも似た面があるからかもしれません。

まめじか:大人の欺瞞にだまされまいと気をつけていたのに、それでも自分は見抜けなかったと、羽美がくやしさをおぼえる場面があります。そうやっていろんな経験を重ねる中で、羽美は自分をふりかえり、また周囲のことも少しずつ理解していきます。正義感から突っ走ってしまう羽美に対し、親は事なかれ主義の対応をしますが、子ども対大人の単純な構図にしていないのが、すばらしいなあと思いました。子どもにも大人にも、見えているものと見えていないものがあるんですよね。それがとてもよく描かれていますね。時間割をつくることで何かと戦っているようなお姉ちゃんは、子ども時代と自分を切り離そうとしているようで、羽美をとりまく人たちもそんなふうに、厚みのある人物として感じられました。

ネズミ:岩瀬さんの物語は、登場人物を一方的に決めつけないというのが徹底していると思いました。黒い服を着ている主人公とか、狭いところに入る細田君とか、奇妙に見えるけれど、だからといって特別視しないし、何かの型にはめたりもしない。分断しないから、読んでいると、こういう見方もあるなと、目をひらかされていきます。物語としても、犬がどうなるかというのと、左々村さんの謎があって、先にひっぱられていきますね。主人公の論理は、やや独善的にもなるのですが、それがまわりにも本人にも自然に伝わり、ゆるやかに本人が変わっていく書き方がみごとだと思いました。冒頭の先生との掃除の場面と、仏具屋のおばあさんのネコの場面に、呼応する場面が最後にあるのもいいですね。

ルパン:岩瀬成子は好きなんですけど、この作品はちょっとすっきりしませんでした。私の理解力が足りないのかもしれませんけど。まず、最後のほうでお姉ちゃんが突然饒舌になるところに違和感があったのと、あと、この子の「黒」へのこだわりや、細田君が狭いところにはさまりたがるところなども、おもしろいんだけど、それが何につながっているのかなあ、という不完全燃焼感がありました。佐々村さんはちょっといやな大人で、疑われたってしょうがないじゃない、と思ってしまいました。

雪割草:次が気になってどんどん読めました。羽美とお姉ちゃんとの会話など、この年代の子の心もようの描写が上手で、いつもすごいなと思います。佐々村さんは理解できなかったし、子どもの権利的にも批判されるべきだけれど、こういう大人はいると思うので、リアルに感じました。それから良い、悪いについても、役に立ちたいと思って相手を傷つけてしまったお姉ちゃんの話があって、それに対して羽美は、最初は自分のことばかり考えてやっていたことが、結果的に感謝されるなど、良い、悪いは見方によって変わるのだということが体験を通じて理解できました。岩瀬さんの動物へのまなざしも好きです。

アカシア:細田君は、犬のトミオのことがものすごく心配で、それが棘のように心に刺さっているんですね。それが、はさまるという行為につながっている部分もあるんだと私は思いました。羽美が黒い服を来ているのも、感受性が鋭くて、何かを棘として感じてるからじゃないかと思います。わけのわからない変わってる子を出してきてるというより、どの子にもありうることなんじゃないかな。細田君は、羽美が同じような棘を抱えていることを感じたから、ひみつの犬のことを話したんでしょうね。私は、『春のウサギ』よりこの作品のほうが、ずっと印象に強く残りました。

ヨシキリ:『春のうさぎ』には棘のようなものは書かれていないので、あまり印象に残らないのでは? ヘンクスは、子どもの本なので、そこまでは書かないと決めているのかも。

アカシア:ヘンクスには引っかかりが少ないっていうことですか。

ヨシキリ:子どもの読者には、ゴミを捨てるおばあさんや、佐々村さんのことを、「いやな人だな!」と思ってほしくないな。岩瀬さんも、そう思っているんじゃないかしら。まだ文学を読む力が育ってない子は、そういう感想になるのかもしれませんが。

西山:細田君がすきまにはさまる理由は、p75に出てきますよね。「ぼくは成長しているでしょ。(略)大きくなると入れなくなるんだよね。そして一度入れなくなったら二度と入れないの」って、子どもは子どものままでいられないという、成長とは何かを失っていくことでもあるという、深遠で切ないような真実がふいに突きつけられた気がしたところです。

ヨシキリ:「成長をたしかめる」というのは、細田くんがついたウソですね。細田くん自身も、うまく説明できないのでは? 自分の部屋や戸棚に閉じこもって、うずくまっているのではなく、真昼間に街なかではさまっている。実は私、この作品の中で一番気に入っているところです!

西山:はさまるとか、黒い服をいつも着てるなんていくところがおもしろいので、子どもはそういうところに惹かれて読めるかと思います。

アカシア:岩瀬さんは日本からのアンデルセン賞作家部門の候補ですが、翻訳が難しい作家かもしれません。余白とか行間を読み取るという部分がかなりあると思うので。

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エーデルワイス(メール参加):これまた主人公の石上羽美ちゃんの心の声がずっと聞こえる本でした。冒頭で担任の先生から注意される羽美ちゃん。p62「大人に利用される・・・・」もうこれだけ読んでいて心がめげそうになりました。5年生の羽美ちゃんは黒にこだわり、4年生の細田君は狭いところにはさまろうとする。二人とも相当のものです。飼ってはいけない家でなんとか犬と一緒にいたいと思う子どもの物語は、岩瀬さんにかかるとこのような独特な物語になるのですね。正しさを振りかざす脇山さん、綺麗好きで孤独な今井さん、時間割にこだわるお姉ちゃん、いつも疲れているお母さんなどなど大人がたくさんでて、善悪をひとくくりにできないことを伝えていますが、ちょっと教訓っぽい感じです。最後、犬のトミオと細田君が離れることなく、が幸せになれてとにかくよかった。

(2023年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)