『ジェンナ〜奇跡を生きる少女』 SUPER!YA

メアリ・E・ピアソン/作 三辺律子/訳 
小学館
2012.02
原題:THE ADORATION JENNNA FOX by Mary Peason, 2008

版元語録:記憶をすべて失っているだけでなく、歩き方や話し方も…何もわからない状態で目覚めた少女ジェンナの不思議な物語。

すあま:おもしろかったです。事故のせいで記憶がないというところから始まり、次第にこれは近未来の話なんだとわかってくる。ジェンナはもしかしてアンドロイドではないかと少しずつわかっていくところ、そしてなぜ事故にあったのかということが明らかになっていくところに、どんどん引っ張られて読みました。実はこわい話なんですけれど、ジェンナの家族との関係や、自分って何者なんだろうという悩みが中心に書かれているので、おもしろく読み進めることができました。ただ、10%だけ残したといわれても、理解しきれなかったので、そのへんは考えるのはやめて、どちらかというとミステリーを読むように読んでいきました。ラストについては、あえて260年後でなくてもよかったんじゃないかと。ジェンナは、ずっと生き延びたけれど孤独にはならなかった、異端の存在だったのが他にも同じような人が増えて普通の存在になったという世界を示して終わるのは、読み手を安心させるけれども、子どもが生まれていたりと逆に最後の3ページのせいで新たな疑問が生まれて考え込んでしまいました。

トム:デザインも色もきれいな表紙で、この蝶が気になりながらページを開きましたが……、美しいけれど、どこかぞっとする蝶。読みおわってもう一度表紙をみれば、10パーセントの脳を象徴するのがこのジェンナの髪にとまる蝶なのですね。見るほど、美しくて不気味。物語を読みながら、ジェンナのような状態になった時、生を選ぶか自然な死を選ぶか? 選ぶ主体は誰なのか? そして、自分だけが生かされた時、人はその後どう生きるか? 悩み無く生きられるとは思えないし。究極、命に人間がどこまでかかわっていいのか? いろいろ頭に浮かびました。ジェンナの両親は、知的レベルも高く、経済力もある人なわけで、命の再生に経済力が見え隠れするところもアメリカ的な物語だと感じます。  最終章の260年後の世界までこちらの気持ちがついていけませんでした。

レンゲ:とても読み応えがありました。なんで私は生きているのだろうという実存の疑問だとか、生きるとはどういうことだろうとか、読みながら考えさせられました。こんなこと、いつも考えていたらおかしくなっちゃいますけど。意志だとか知りたい気持ちだとかは、どこで生まれてくるのかとか。宗教的なことも途中で出てきますよね。この子がなぜ家族の愛情や信頼を感じられないのか、読むうちにわかってくるのですが、人生の中のそういった愛や信頼などの要素、何が私たちを人間にしているのか、人間らしくしているのか、そういうことを考えさせてくれる本でした。短い章で切っていくのは、今風ですね。網がけの部分は原書にもあるんですか?

フルフル:網はかかっていないけれど、詩のようなデザインとして、本文と別の扱いになっています。

レンゲ:260年も生きてしまうというのは、長く生きることへの肯定というより、それになんの意味があるのかを考えさせようということかと私は読みました。p330の「クレアは決してわたしを逝かせてくれない。あれだけの強さを持っているのに、わたしを逝かせるだけの強さはない」という、死なせないことへの問いへのこたえ。主人公は友だちを生かして、自分も生き延びていって、子どもが生まれて、人間らしいものが引き継がれていく。けれど、長生きすればいいのか、それで人間が人間として生きていくことになっているのか、考えさせられました。

紙魚:この本は、10%の自分を頼りに自分は何なのかを「定義」していく物語だと感じました。時折、「見失う」や「人間」などの語句の定義がはさみこまれています。ページ全体が網がけになっている部分は、まさに主人公ジェンナが自分を「定義」するために自問自答するつぶやきの部分。ふつうに生きていると、自分をわざわざ定義する必要には迫られませんが、こうしたありえない状況に追いこむことによって、作者は読者に、自分というものの定義を考えさせる仕組みを作ったのだと思います。10%しか自分でないとしたら、あとの90%は定義し続けなければならない。ただ、そのせいなのか、この物語にはなかなか入り込むことができませんでした。「そのつもり」にはさせてもらえず、つねに客観的でいなければならない感じなのです。でもそれって、もしかしたら、ジェンナの自分の体への違和感をも表しているのかなとも思います。

きゃべつ:今日みんなで読む本の中では、私は、これが一番おもしろかったです。十代が抱えがちな心の揺らぎをていねいに追っていたので、そこに共感できました。普通に生きていても、いろんなことの限界がわかってきてしまって、自我との折り合いに悩む年齢なのだけど、この子の場合は、元の自分が10%しか残されておらず、その揺れ幅が大きいですよね。その葛藤がうまく描かれていたと思います。今、ips細胞とかもあるので、ここに書かれている話は近未来に起こりえることなのかしれません。10%は、人か否か。突きつけられると、ぞわりとする問いですが、いずれ答えを出さなくてはいけなくなるかもしれませんね。これを読んでいて、子どもを守ろうとする母親は、鬼子母神ではないけれど、怖い存在だと思いました。子どもも産めない体にして無理に生かすなんて、とジェンナが詰め寄るシーンで、卵巣は残したのよと、ホッとしたように伝える箇所では、狂気を感じました。私も260年後まで生かす必要があったのか、疑問に思います。事故にあった人だけが、長生きする世界というのは、ずいぶんいびつだなと思いました。英語のタイトルは、「ジェンナ・フォックスの崇拝」ですか。読みにくいのは訳のせいなのでしょうかね? とくに網掛けのページは。

サンシャイン:やっぱり現実の姿は思い浮かべることができませんでした。お話として読むという感じ。あとがきを読むと、もう1回読むと伏線に気づくと書いてあって再度読もうかと思いつつ時間がありませんでした。作品としてはよく計算されて書かれていると思います。おばあちゃんが自分を嫌っているという認識だったのが、おばあちゃんが無理な形で生かすことに反対していた、ということがわかるとか。現代的なお話になっています。結局、ニューロンチップなるものが組み合わされると、人間らしく生き残れるんですか? 手を怪我する場面で実は人間でないことがわかるんですね。

フルフル:なかから青いのが見える。

サンシャイン:手塚治虫さんの『ブラックジャック』で、活かせる臓器だけを組み合わせて人間にするピノコのイメージでしょうか。すごくよくできた作品だけど、1回読んだときには、ジェンナがどう生きているのかわからなかった。友達が死にそうになっていて、その子も同じ技術によって生かしたというのは衝撃の事実なんでしょうね。子どもを産めるというのもあまりありえないなと思う。そんなに長生きさせる必要はなかったのでは。死にかけた友達も再生させて、人間の寿命をこえて存在できるという設定にしているところは、筆者にとっては必然であったのかどうなのかと思います。

プルメリア:主人公と母そして祖母の3人の謎めいた関係が不思議で読み進めました。グレーの部分は、心情が伝わりわかりやすかったです。この作品がほかの作品とは異なるところは、会話文が多くいろいろな画面にあるのでその場にいるような気持ちになりました。こんなに会話文が出てくる作品は今まで読んだことがありません。読み進めていくうちに、いろんなことがわかってきました。話題になっている260年後について私が不思議に思ったのは、子どもは何歳なのか? 小さい子のようだけど、う〜ん。理解しにくい部分があるのでなくてもよかったかな。

ハリネズミ:物語世界の中に入り込めませんでした。設定はおもしろかったし、本のつくりも素敵だったのですが、どうして入り込めなかったのか考えると、SFならばもう少し世界をつくってほしいと感じたのだと思います。たとえば、10%以外はアンドロイドで、アンドロイドが心を持てるかどうかがSF的には懐疑的なのだけれど、ここではすでに心をもった存在として書かれています。また、デーンについては心を持っていないと書いてしまってよいのでしょうか。10%あれば、技術がシンポするとホールの人間が作れるという設定なんだろうけど、だったらアリーズはもう少しちがった存在になるのでは。

フルフル:点数化されている規則のなかで、アリーズは最大限つかっているという状態なんです。確かに、デーンの何が悪いのかは書かれていないですよね。攻撃的であるとか、学校での一場面にあらわれたり、ちょっとずつは出ているんだけど、それだけしか出てきていない。だからちょっと伝わりにくいところはあるかもしれません。あと、冒頭が入りにくいというところなんですけれど、ストーリーの最初の違和感というのは、原書でも「ジェンナが自分をわかっていない、しっくりしていないちぐはぐ感」というものが、文体のなかに表現されていて、それを訳すときに生かしたいということなので、そういった意味では成功しているのではないでしょうか? 途中からそれがだんだんとしっくりしていって、ジェンナがジェナとして生き始めるということです。

ハリネズミ:そこは私もそう読めたんですけど。たとえば、p17の「両親」の部分は?

フルフル:親を親として認めるかっていうところですよね。母親がこの人、父親はこの人と、前に言っているんですね。彼女にはインプットされている設定なんです。

レンゲ:ここは「両親」というよりも、「あの人たち」という感じですよね。

フルフル:混在していると思うんですよね。

ハリネズミ:訳は読みやすかったのですが、ところどころ気になるところがありました。たとえば、p91「すぐさま外へ出て、クレアの車をひき止めたい衝動にかられ。」ですが、もう車は出ちゃったあとだから、呼び戻したいとすべきでは?

レンゲ:小さなことですが、p98に「イースター島にラパヌイ族が移住したのが、紀元前三〇〇年。十世紀ごろには、モアイ建設のため……」って書いてあるでしょ。モアイって像だから、「建設」はちょっとおかしい気がしました。

ハリネズミ:p301には「原産、土着、純血――」とあるけど、それ以前に、自然か人造かというところが問題だと思うから、えっ? と思っちゃった。

フルフル:「在来」という言葉を使った方が良かったでしょうか……。

ハリネズミ:本当に設定はおもしろくて、書こうとしているところもおもしろいんだけど、主人公の心の中に入り込むのが難しかった。アンドロイドだから難しいのではなくて、この書き方がつっぱなしているのかもね。

紙魚:この本って、類書がないと思うんです。だからこそ、こうした本を出すことの意義はあると思います。

すあま:10%でも人間でいられるのかというところに戻っちゃうんですけれど、命令についてインプットされていてもそれに従ってしまうのか、逆らうことができるのか、その境界線などを考えているとまたわからなくなってしまう。途中からは考えるのをやめたんですが、こういうところにひっかかって読み進められなくなる人もいるかもしれない。ただ、本の内容を全部覚えてしまっていても、本を手にとって読むという体験はまた違う、というようなところは、電子書籍と本の違いにも通じるようでおもしろいと思いました。もともと10代って自分が何者か考える時期だけれど、それをせざるを得ない究極の設定を考えると、こういう物語になるのかも。

フルフル:科学的に読もうとするのではなく、思春期の女の子たちは、自分とは何なのか、自分のアイデンティティってなんだろうって悩んだりしますよね? また、全然思いもつかない子でも、この本を読むことで、気が付いたりするのではないでしょうか?

ハリネズミ:アイデンティティを見つけたいときに、はたしてこの本は役に立つのかな。

フルフル:悩んでいること自体は間違っていないし、少しずつ獲得していかなくてはいけないことは、わかるんじゃないかなと思います。260年後については賛否両論あるだろうなと思いました。翻訳者さんとも「この物語に果たして260年後はいるのかどうか」は、議論しながら作業を進めました。でも、翻訳とは、もともとあるものを勝手に改編してはいけないことになっていますし、260年後も作者の意図があって書かれたわけですから削除するわけにはいきません。どなたかがおっしゃっていたように、「長く生きることの意味」も改めて考えさせられる終わり方なのだと思います。

すあま:260年後にはいわゆる定年制のような「期限」が決められ、ジェンナは自分の終わりが近づいてきたことから子どもを産んだのかなと思いました。イーサンが死んでからかなり経っているようだし、体外受精にしてもなぜこんなに時間が経ってからなのか不思議だけれど、特に説明はないので想像するだけですが。

フルフル:これ、続編があるんですよ。アメリカではすでにすごく反響があって、第3弾も来年の3月に出る予定です。トリロジーになります。2巻目は、ジェンナの話ではなくて、260年後の話らしいです。現題『The Adoration of Jenna Fox』の意味ですが、Adoration は、「崇拝」という意味です。直訳すると「ジェンナ・フォックスへの崇拝」ということになります。どういう思いが込められタイトルなのか、翻訳者に確認したところ、「本文に、両親がジェンナを高い位置にまつりあげ、つねに世話を焼き、ビデオを撮り……、そんな“崇拝”された状態から“転落”したかった、というくだりが出てきますが、そこから派生して、『自分という存在は特別なのか』というジェンナの“葛藤”、また最後、葛藤を(ある程度)克服して、“自分から自分への敬愛・愛情”を獲得して、ジェンナがアイデンティティを確立することまで、すべてをひっくるめたタイトルなのではないか」ということでした。このofを“への”と訳すのは、難しいのですが、フランドルのエイクの絵にも、Adoration of the Lambというのがあり、日本語では子羊の礼拝、つまりキリスト「への」崇拝を描いています。ですので、ジェンナの場合も、「ジェンナへの崇拝」という意味で、間違いないのではないかと思います。

レンゲ:とりかえればいいのか、という問題もありますよね。この記憶は大事だからととっておこう、こっちは捨ててしまおうと、だれかが選ぶこともどうなのかと。自分が唯一無二の存在ではなくなってしまう危うさがありますね。たとえば、イーサンが、かっとなって人を殺しかけたというように、人間であれば負の一面もあるけれど、ジェンナはそういう面は回避して作られている。生命工学への疑問の投げかけだと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年6月の記録)