レジーナ:今回課題となった3作品は心に残るものが多かったです。この作品は、はじめて知りました。最初は、「悪魔の二枚貝」と呼ばれていた貝が、後になって正式な名前が明かされるのがおもしろく、挿し絵もわかりやすかったです。福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』(講談社)に、「石には生物の痕跡がないけれど、貝には命の名残りが感じられる」とあったのを思いだしました。この作品でも、主人公は父親の死を経験するので、大切な人の死を経た主人公が、大昔に命を宿していた貝を集めるということの意味まで含めて書いてほしかったです。そこまで描ききれていないのは、作者が科学者だからでしょうか。割ってみたら、隠れていた美しい模様が外に現れたり、何度も同じアンモナイトを見つけたり、人生そのものに重なるようなエピソードはたくさん埋まっているので、もっと掘り下げていれば、さらによかったのですが…。ジェーン・オースティンも、同じ場所を舞台にしているので、学生時代に英文学の授業で『エマ』を読んだときのことが、心に浮かびました。「かわいいメアリー」という訳には違和感をおぼえました。

プルメリア:今回の選書担当は私です。以前読んだ『メアリー・アニング: 物語化石を見つけた少女』(キャサリン・ブライトン著 評論社)がおもしろくて、恐竜の化石を見つけたことが主だったのですが、この作品は別で、佐竹さんの絵、表紙を見て、手に取りました。いろいろな化石の挿絵があり、各章のタイトルもすてき。挿絵から生活様式がよくわかるので、子どもにもわかりやすい本。主人公メアリーは、同年齢の友だちがいなくても平気な子で、大好きなお父さんの仕事を手伝う。石集めのその楽しさが伝わってくると同時に、お父さんから海のことを教えてもらい、海の怖さがいろんな場面から伝わってくる。化石を見つけたことだけではなく、周りの大人たちに助けられたり、同年齢の子と仲良くなったりすることもほほえましい。1965年に書かれた作品なのに、今読んでも読ませるのは、作品がいいからでしょうね。

ハリネズミ:物語としてはなかなかおもしろかったし、人々の生活感や思いは生き生きと伝わってくるし、海辺で見つかるものにも興味がわくと思ったんですけど、大きくひっかかったところがあります。それは、主人公のメアリーが、「宝物」だけで満足していて、自分は科学者になろうとは考えないこと。そのあたり、たとえば『ダーウィンと出会った夏』(ジャクリーン・ケリー著 斎藤倫子訳 ほるぷ出版)の主人公キャルパーニアの方がずっと魅力的だし、新しい。たぶんイギリスが階級社会であることが災いして、当時の労働者階級のメアリーは科学者にはなれなかったんだと思うんです。原文は見てないのでわかりませんが、実生活ではメアリーやその家族が使っている言葉と、学者やヘンリー・デ・ラ・ビーチやお得意さんの紳士淑女が使っている言葉は明らかに違うはずです。でも、そのあたりは訳文からはうかがえません。そうなると、日本の読者たちは、なぜメアリーはヘンリーと結ばれないんだろうなんて、不思議に思うかもしれませんね。

サンシャイン:興味深く読みました。作者は、メアリー・アニングという人物を知ってもらおうと思って、創作という形で書いたんだと思います。家族それぞれの化石への興味の持ち方が違うあたりとか、それぞれ書き分けられています。少し一般論になりますが、タイトルの原題は“Mary Anning’s Treasures”で、原題には固有名詞が出ているのに、日本語訳すると、固有名詞をはずして邦題をつけることが多い。もともとの原作は、個人というものを前面に出そうとしているのに、日本では個々人というようには見ていないのではないか。人間観が違うからでしょうか。例えば、邦題は忘れましたが、“Nathan’s Run”というのがありました。ネイサンは単なる主人公の固有名詞なんだけど、この本については、歴史上の人物なのだから、伝記に近いわけで、例えば副題に「メアリー・アニングの生涯」と入れるべきだと思いました。作者が、メアリーの存在を読者に知らせようと思って書いたわけだから。

ハリネズミ:東京ではそれほどカタカナ名前に抵抗はないのかもしれませんが、地方に行くとカタカナの名前が書名にあるだけで読まれないと聞いたことがあります。たとえば滋賀県の図書館のある館長さんは、とても工夫がじょうずで、転勤先の図書館をどんどん改革していくのですが、この間お話を聞いたときには、外国の作品、日本の作品と書架を分けると、子どもは日本の作品しか読まないので、童話や児童文学は日本のも外国のもいっしょにして著者の五十音順に並べたっておっしゃってました。それくらい、外国のもの敬遠されちゃうんですね。だから、なるべく多くの子どもに読んでほしいなら、書名や表紙のデザインは日本の子どもたちが手に取りやすいように工夫する必要があると思います。  ハリネズミ:鈴木先生は、欧米では個人にこだわるっておっしゃいましたけど、そうとばかりは言えません。たとえば、日本の絵本を翻訳出版するとき、欧米では主人公の名前を平気で自分の国の子どもの名前に変えちゃったりしますからね。アジアでもそういうケースがあります。

タビラコ:名前の持っているイメージまで翻訳で伝えるのは、とても難しいわよね。翻訳で越えられない壁のひとつというか……。たとえば、ハリポタの「ハーマイオニー(Hermione)」だって、とても古風な名前なのでイギリスの子どもたちのなかにも読めなかった子がいたとか。「ハーミ・ワン」と読んでいたそうです。

プルメリア:読めない子どもたちには、「毎日少しずつでも読むと、楽しく読めるよ」とすすめています。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年9月の記録)