:戦争の時代を扱ったいい作品はたくさんあるけれど、ゾウとは意外でした。こんなこともあったかもしれないと思わせることに成功しています。介護施設での思い出話という枠がしっかりしていて、その中でペーターとの出会いの話があるので納得できます。ただ、軍国主義のおじさん夫婦よりリベラルな両親の方が正しかったことも、戦争の結末も、後世の私たちにあらかじめ分かっているところからスタートしているずるさはあります。この作品の問題だけではないですが。

レジーナ:ゾウと旅をする設定に、ジリアン・クロスの『象と二人の大脱走』(中村妙子訳 評論社)を思い出しました。リジーが恋に落ちる敵兵は、カナダ人です。カナダは、民族的にはアメリカに近いけれど、ドイツ人にとっては、爆撃してきたイギリスやアメリカに比べると、敵対心が少なかったのでしょうか。また彼は、母親がスイス人で、ドイツ語も話せます。心を通わせる上で、同じ言葉が話せるというのは、大きいのでしょうね。舞台はドイツですが、英国側から描かれた作品なので、いい人はみんな、ドイツ人でも反ナチなんですよね。リジーの家族もそうですし、助けてくれる伯爵夫人の夫も、ナチに抵抗して、軍のクーデターを起こした人物です。翻訳で、10ページに「うれしそうにさわぐ」とありますが、「はしゃぐ」の方が自然ではないでしょうか。またp84に「喪に服す」とありますが、至る所で泣き叫んでいる声が聞こえている状況なので、世界中がうめき声を上げているかのように感じられたということでしょうか。p60の「ヴンダバー」は、ドイツ語です。英語とドイツ語はつづりが似ているので、英語圏の子どもにはこのままでいいのかもしれませんが、名前なのか、何のことなのか、日本の読者は分からないでしょうから、ふりがなが必要では。

:ムティはいい味を出しているのに、あくまで「お母さん」なので残念。ゾウには名前があるのに。

ヨメナ:戦争と動物……どちらもモーパーゴの得意なテーマですね。ゾウは、だれにでも愛されている動物ですし、うまいテーマを選んだなと思いました。介護施設に入っているおばあさんと女の子の話から戦争中の物語に入っていくわけですが、とても自然で、いま生きているお年寄りもこういう経験をしていたのだと子どもたちにあらためて感じさせる上手な持っていきかただなと思いました。大人が本当に伝えたいことを、上から目線でも押しつけがましくもなく、かといって懐古的でもなく物語っていける優れた作家のひとりだと、あらためて思いました。『モーツァルトはおことわり』(さくまゆみこ訳 岩崎書店)や『発電所のねむる町』(杉田七重訳 あかね書房)もよかったし。

アカシア:今、ノンフィクションの一般書ですが、『象にささやく男』(ローレンス・アンソニー著 中嶋寛訳 築地書館)というのを読んでいるんですけど、そこに登場するリアルなゾウと比較すると、4歳のゾウの鼻だけ持って一緒に長旅をするというのは、ほんとうはあり得ないんじゃないかと思います。ただし、それ以前の暮らしの様子がとてもていねいにリアルに書かれているので、あり得るかもしれないと思わせる。この作品には、とてもリアルな部分と、話としてうまくできている部分の両方が出てきますね。たとえばリベラルな考えを持っていたリジーのお母さんが英国軍の兵士に会ったとたん、憎しみをむき出しにする部分はリアルですが、カーリの命を救ってもらったことで変わるという部分は、出来過ぎかと。構成はとてもじょうずにできています。ほかの作品でもモーパーゴは枠をうまく使いますが、この作品でも、老人ホームにいるリジーが語るという外枠がとても効果的ですね。
それから、リアリティに関して気づいたんですけど、最後に見せてもらうリジーのアルバムにはマレーネの写真は一枚だけしかないんですね。でも、前のほうではリジーの写真はたくさんあるけど、のばしてくる鼻がじゃまでちゃんとは写っていないと言っています。ということは、リジーの話全体がファンタジーだとも考えられるという仕掛けになっているんじゃないかしら。そう考えるとすごいですね。

:戦争のほかに、老人と子どもという児童文学独特のテーマも入っていますね。

プルメリア:さらりと読んだので、私はそれほどおもしろいとは思いませんでしたが、クラスの子どもたち(小学校5年生)に紹介したところ読み終えた女子は、「お母さんがマレーネを守るとすることに対してリジーが持つ嫉妬の気持ちが共感でき、戦争が昔あったことは知っているがどんな様子だったかはまったく知らなかったのでこの作品からドレスデンへの空爆のことがよくわかりました。おばあちゃんはユーモアのセンスがあるおばあちゃんみたいな気がしました。」と感想を言っていました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年2月の記録)