ルパン:時代設定がよくわからず、なかなか話に入れませんでした。お城の中に住んでいて、伯爵もいるようなので昔なのかなあ、と思うとスクールバスが出てきたり。

アカシア:現代のものか一昔前のものかは、携帯電話が出てくるかどうかで判断できますね。これは、出てきませんよ。

ルパン:たまたまなんですけど、直前に『庭師が語るヴェルサイユ』(アラン・バラトン著 鳥取絹子訳 原書房)っていう本を読んだんです。ちょうどヴェルサイユ宮殿のなかに住んでいる庭師が書いた作品で。そのイメージがあったので、「お城に住んでいる子どもたち」の特別なおもしろさを期待してしまったら、ちょっとはずれました。ただ、お城の敷地のなかだけの生活で、男の子としか遊べない主人公が、「女の子の友だちがほしい」と思うあたりはよく描けているなあ、と思いました。ただ、この子のお父さんはとてもいい父親のようなのに、離婚後はまったく会いに来ないのはどうしてだろうという疑問は残りました。

アンヌ:私にとっては、残虐な場面が多い物語という感じで、読み返せませんでした。孔雀の足はとれてしまうし、川かますは無意味に殺される。川かますの神様とか言っているので、アイヌの神のように何かその命を送りだす儀式とか意味とかあるのかと思ったのだけれど、そんなこともない。まともな大人が、現実の中に出てこない。離婚して今はいないお父さんの思い出と、病気のゲゼルおばさんだけで。がんの描き方も、あとがきを読まない限り30年前の話だとは分からないので、ショックを感じる読者もいるのではないかと思いました。これが映画だと美しい景色を外から眺めて楽しめたかもしれないけれど、本だとその中を生きるような気がするので、気が滅入った物語でした。それから、ラッドとは何か、どんな魚なのか、すぐにわかるように、注を入れてほしかった。

ルパン:アンナは不治の病のおばさんに最後までお礼が言えないままで終わるんですよね。そこがほんとうに残念でした。アンナも残念だったはずなので、感情移入したということかもしれませんが。

パピルス:7年前に読んだのですが、内容を全く覚えていません。読んだ当時、よく理解できていなかったのだと思います。

レジーナ:先ほど残酷だという意見がありましたが、私はそうは思いませんでした。子どもには残酷な面があり、虫の脚をちぎることもあるし、取り返しのつかない瞬間を繰り返し、後悔を重ねながら生き物との距離感を学んでいくのだと思います。巨大な川かますは、母親の死、死の不可解さや不気味さを象徴しているのでしょうか。ダニエルが川かますと向き合う様子は、幼なじみの少女の目を通して描かれます。当事者にしかわからないことがある一方、当事者じゃないからこそ見えるものがあり、アンナの視点をとることで、それが見事に捉えられています。ダニエルやギゼラおばさんに対して何もできず、アンナは無力感を感じます。また女の子である自分は、母親には望まれていないのではないかと感じたり、離れて暮らす父親を恋しく思ったり、友人関係に悩んだりしながら、父親のお話に出てくる「バカルート人」のように振舞うのではなく、自分の頭で考えることを学びます。この本のテーマは、失われた子ども時代への追憶です。目をこらし、川底の川かますを見つめるかのように、2度と戻らない瞬間を切り取っています。「読者はこうした本も理解できる」と信じて書く作者には、子どもの持つ力への信頼があるのでしょうね。

プルメリア:渋谷区の図書館には残念ながら蔵書がありませんでした。
 
アカシア:いつも児童書を出している出版社ではないので、図書館の方がじっくり読んでから判断しようと思っているうちに、品切れになってしまったのかもしれませんね。内容ですが、私も残酷な話だとは思いませんでした。もっと残酷なシチュエーションにおかれている子どももいっぱいいるし、子どもそのものも残酷な面を持っていますからね。全体としては、私は子どもの心理がとてもうまく書けているし、この年齢ならではの、つらいけれどもきらきらと輝くような子どもたちのありようが描写されていて、すばらしい作品だと思いました。ただ、最初のほうは、登場人物の関係性がわからなくて、とまどいました。この子どもたちはきょうだいなのか、と思って読んでいたら、途中でどうも違うらしいとわかったり。子どもにすり寄らない、つまりお子様ランチ的ではないこういう作品は、訳すのが難しいですね。フランス在住の方のせいなのでしょうか、p60には乱暴な言葉使いのお母さんが「〜かしらん」と言ったりしています。まあ、その辺は編集がフォローしなくてはいけない部分だと思いますが。いい本を読んだという満足感がありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年11月の記録)