メリーさん:「裏庭」や「西の魔女が死んだ」など、梨木さんの作品は大好きでよく読んでいるのですが、今回はちょっと残念でした。著者の世界である植物や、個性的な登場人物が出てはくるのですが、それが生きておらず、むやみに理屈っぽくなっている印象を受けました。戦争についての記述も何だか鼻につく。本文中に、ある児童書と出版社について書いてあるのですが、説得力のある議論になっていないように感じました。自分の頭で考える、というテーマを書くにしても、同じ素材で、いつものように物語を書いたらもっといいものになったのでは?と思いました。

ajian:いつになったらおもしろくなるのかなと思っていたけど、最後まで面白くなくて……。もし何か世間に対して言いたいことがあるなら、レポート用紙一枚ぐらいの文章にまとめて来てくれませんかという感じです。色々なことが詰め込まれたまま未消化になっていて、言い方は失礼なんですけど、できのよくない持込原稿を読んでいるみたいで、読み通すのに苦労しました。
作品中で、理論社の<よりみちパンセ>のなかの、バクシーシ山下の本が、名前は伏せたまま、わかる人にはわかる形で批判されていますが、参考文献にもあがっていないですね。こういうことを、相手にとどかないところで吠えていても、あまり意味がないんじゃないでしょうか。鳥を食べる先生の話にしても、批判の仕方が短絡的というか、批判の対象として取り上げるものの取り上げ方が、フェアじゃないと思います。作家の気に入らないものを、あえてゆがめて書いているようで……。
 コペル君の言葉遣いも、作品中で「子どもにしては生意気だとよくいわれる」と一応言い訳はされていますが、それにしても難しい。作家の作品ではあるけれど、少なくとも、子どもに向かって書かれた児童書ではないですね。巻頭に掲げられた言葉から、個人と群れというのが一つのテーマなのだと推察されます。流れに流される弱いところは、だれにでもありますが、そんなことは大前提なのであって、そこを見詰めて傷ついていたってしょうがないでしょう。その上でどうするか、ということが大事なんであって。もとは連載だそうですね。あるいは、連載中に気に入らなかったことを色々いれてみたということなのかも? まとまりがあんまり感じられず……。

ダンテス:この本は、割合楽しんで読めました。3点、話したいと思います。一つ目。この本には様々な要素が織り込まれています。まず自然、植物の知識など、博識というべきものです。自然とともに生きるという梨木さんの姿勢の表れでしょう。とても私は追いつきませんが。登場人物の少年も土壌生物についての興味がある。確かに変わっている少年でしょうが、その手の中学生もいますよ。で、それなりに私から見るとリアリティがあると感じられます。屋根裏にある戦争前の書物を読みこんでいるという話。インジャの話ですが、だまされて身体も精神も傷つくという話。それから良心的兵役拒否のこと。命の授業については、一時はやりました。たまたま研究会でそれをやっている人の発表を聞いたことがありますが、非常にいやだった。子どもがどうして生まれたかを赤裸々に説明し、「お父さん、お母さん、セックスしてくれてありがとう」と言わせる。それはおかしいでしょう。デリカシーがなさすぎます。鶏を食べる というところについては、先生が生徒の家から鶏をもらえると誤解していたという設定でしょうか。この作品に出てくる先生は、二番煎じで最初に本気で実践した人のまねをしただけ。こういう先生もいそうです。そして、オーストラリアのアボリジニについても。色々な要素を盛り込みすぎかもしれませんが、そこをプラスと見るかマイナスと見るかで本への評価が変ってくるのでしょう。私 にとっては、それなりにおもしろかったです。
 二つ目は、この本の題名を見て、吉野源三郎の『きみたちはどう生きるか』がベースになっているのは間違いないと思って、本当に久しぶりに読み返してみました。戦前に書かれた本で、検閲とか厳しい時代に軍部から文句を言われない範囲で、自分の考えを持つように、人としてあるべき姿ということがきちんと書かれている。梨木さんの、吉野さんの本への評価、褒めていること・・・オマージュとでも言うべきでしょうか。あるいは、吉野さんの本を受けて、では現代の若者はどう生きるべきか、それを伝えたかったの でしょうか。
 三つ目は、インジャの話。よりみちパンセの中の一冊の本についての話を、数日前にある司書さんから聞きました。読書界では結構話題になったんですか。梨木さんが理論社に喧嘩をふっかけた、なんていう話も聞きました。よくわかりません。一方インジャが自然の中で癒されようとしている、という設定もわかる。ゆるいつながりの仲間としてこれ から生きていけるのかなあという希望を持たせた終わり方になっていると思います。

アカシア:ある中学校の先生が「この本はとてもいい本ですね」と言っているのを聞きました。ダンテス先生も評価しておいでです。どうも学校の先生たちはこういう本がお好きなようですね。私はあまりおもしろくありませんでした。というのは、作家が自分を感受性の強い若者と同じところに置いて、感受性の鈍くなった者たちに向かって説教しているような気がしたからです。それに、どこにもユーモアがない。ユージーンの担任がかわいがっていた鶏を学校で殺して食べるという設定は疑問でした。こんな先生が本当にいるとは思えなかったんです。それに、そこでユージーンの気持ちを推し量れなかったとコペルが自責の念に駆られる場面も、なんだかなあ。出てくる子どもたちに勢いがなくてどの子も老成してる。嫌な気分になりました。

ajian:結局この子たちって、梨木さんの言いたいことを言ってるだけなんですよね。

プルメリア:名前がコペルくん、ということで、吉野源三郎さんの作品を思い出しました。視点がすごくおもしろく世界が広がっていったので、今も心に残っています。梨木さんは、すごく好きなんですが、よもぎだんごが出てくるのは、無理っぽいかな。鶏のことについては、今はありませんが何年か前、テレビニュースで「命をいただく」というテーマで小学校の学級で育てた鶏を子どもたちが食べる放送がありました。数年前に学級で豚を育て子どもたちの意見で内容が展開していく映画『ブタがいた教室』を見たことがあります。これは、『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日』(黒田恭史著 ミネルヴァ書房)『豚のPちゃんと32人の小学生〜命の授業900日』(ミネルヴァ書房 2003年)を原案とした日本映画です。鶏とは設定がちがいますが、梨木さんは育てた鶏を食べることはおかしいと思って作品に入れていったのかな。学校は最近、食育に植物を育てて食べる内容も含むようになっています。また人間であれば、おじいちゃんおばあちゃんからつながっている命の授業も取り入れています。教育界も波がありますからね。p273〜274は子どもたちに向けたメッセージとして読みました。

うさこ:『りかさん』『蟹塚縁起』など、梨木さんの作品は結構好きなほうです。これはタイトルが哲学っぽくて、どんな内容なのか興味を持って読み進めました。でも、読み終わった後で、感想が出てこない自分がいたんです。コペルくん、ユージンは中学生で一人暮らしだし、隠れているインジャの設定はありえないと思い、ここらあたりとても違和感がありました。主張と批判が繰り返し出てくる本でもあるな、と。よりみちパンセの引用の部分もかなり異質な感じがありました。理論社から出ている本を批判できたのは、理論社から出す自分の本の中だからできたことなのでしょうか。いいなと思ったのは、「自分の頭で考えろ」というところかな。鶏のところは、あまりにも作りすぎている気がしていましたが、今、現実にもありえると聞いて、それを練りこんだのかなと思いました。

宇野:「鶏を連れていくところまでしか読めていなくて、すみません。ここまで読んで思ったのは、こんなのありえるのかなあということ。こういう生き方もありと思えばいいんだと、ずっと自分に言い聞かせようとしたんですけど、違和感が消えませんでした。私の知っている中学生とはあまりにかけはなれているから。主人公もユージンも。その一方で、好きではないのに、このあとこの子たちがどうなるかを知りたいという気持ちが強くなって、最後までつきあって読みたいと思うのは、作者のうまさでしょう。テーマは、どんなふうにぶれないで自分を保っていけるか、ということでしょうか。戦争の時に洞穴に隠れていた人のこと、おばあさんが山の植生を守るところ、いろいろな話題が出てきて、これがどうおさまるか、最後まで読んで確かめたいです。

ajian:著者には批判したいことがおありなのでしょうが、それにしても短絡的で浅いと、みなさんの意見を聞いていて改めて思いました。バクシーシ山下の件なんて、ポルノなんてやっているいかがわしい連中で、いやだというぐらいの浅さ。鶏の件も、生徒の家で飼っていたペットを勝手に食べるなんて、そんなの悪いに決まってるじゃないですか。だから? っていう。

アカシア:子どもって、意外と先生の裏表を見てるから、コペル君だってよほどのぼんやり君じゃないかぎり、こんな担任の先生好きにならないと思うけどなあ。

ダンテス:生徒のうちからからもらってきた、くらいの認識だったんじゃないですか。もちろん誤解していたんでしょうけど。

プルメリア:学級で鶏をひよこから飼ってみんなで世話をし、ひよこが具合悪いと心配し、そして最後に食べるということです。テレビで見ましたが小学校で行っていたようです。今は行っていないと思いますが。

メリーさん:たぶん、そこまで深く考えていないですよね。話題がころころ変わるのも、元が連載だったからではないかと思います。それでは議論は深まらない。やっぱり小説を書けばよかったのではないかと思いました。

ダンテス:この作品の底流に常に流れているのは、無意識的全体主義に対する警鐘でしょうか。それに気をつけろということはずっと貫かれていると思います。

ajian:無意識的全体主義に気をつけろという、それ自体は、わかるし、共感もするんですけどね。でも、そういうことなら、2行でまとまりますよ。

三酉:私も、登場人物のだれにもシンパシーを感じなかった。ヒトラー・ユーゲントまで登場していろいろ盛りだくさんで、何しろ主人公はコペルくん。しかしどうしてコペルくんなのか、最後まで分からなかったです(吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』は、たしか中学校の校内放送で流していたと記憶しています)。タイトルが「僕は、僕たちは…」と、「僕」だけじゃないところはいいなあと思ったんですけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年12月の記録)