『カイト〜パレスチナの風に希望をのせて』
マイケル・モーパーゴ/著 ローラ・カーリン/絵 杉田七重/訳
あかね書房
2011.06
原題:THE KITES ARE FLYING by MichaelMorpurgo, 2010

版元語録:2年前の事件で言葉を失った少年。自分で作った凧をあげる少年サイードの夢とは? パレスチナの悲劇と希望をえがいた物語。

シア:パレスチナと聞いて最初は重いなと思ったのですが、サイードがすごくかわいがられている描写があったり、「部屋いっぱいに悲しみが広がる」という変わった表現などが、すごく好きでした。ちょうど海外旅行に行った後に読んだので、ホテルのいやな感じとか、共有しやすかったですね。言葉が通じないということは、不要な苦労を強いられたり、国と国との間に溝ができやすかったりするものですよね。私も言葉が通じないところで苦労したので。それから、p69に「夢を信じきっている人間がいた」とありますが、サイードのことを子どもではなく一人の人間として扱っていて、作者の訴えたいことが詰まっている感じがしました。こういう問題は本当に難しいなと思います。平和に関する本というのはたくさん出ていますが、紛争が起きていなければ平和を意識することは難しいものです。長く平和が続いている国の子どもたちにとっては、全く環境の違うところと意識されてしまうかもしれません。この間の東日本大震災でも、関東圏で被害がなくて親戚もいないと、そういう人の言葉の端端から、ショックを受けるようなことがありました。「なんで自粛しなきゃいけないのか」とか、子どもたちの中からも冷たい言葉も出ました。今後どうすればいいのかという思いがあります。この物語では、お兄さんが誤射で死んでしまいますが、撃った方も泣いていたという、お互いの立場で悲しみが描いてあっていいですね。私は東北に親戚がいるので、今回の震災はそういう意味でも大変でした。無神経な人が身近にいたりするので、そういうすれ違いがだんだん戦争に発展するのかなとか、そんなことまで考えてしまいました。p79の兄が死ぬ場面で、「カイトをなおすんだ」という最後の言葉がありました。これがサイードのその後の行動につながっていて印象深かったです。これが憎しみにみちた言葉だったらそうはいかなかっただろうと思います。それにしても、モーパーゴさんの本は薄いのが多くて助かります。昨今の中高生は分厚いと読みたがらないので。

ajian:マックスが青い車椅子の子に会いに行く、と言っていたのは、どうなったのかなというのは感じますね。ただ、この問題は、この分量で書くのは難しすぎる気がします。パレスチナとわざわざ舞台設定をしているのだったら、もっと突っ込んだことも知りたいと思うけど、そうすると分量が増えてしまう。壁があって対立する二つのグループがあって、という象徴的な物語だったら、パレスチナじゃなくてもいい。嫌いな本ではないんですが……。あと、この絵もいい絵だけど、舞台設定とリンクしてないですね。おしゃれな感じはするけど。最後の和解の場面は、こんなに簡単なことではないよなと思いました。

ルパン:ストーリーがすごく好きです。この装丁だと子どもが手にとるでしょうか。横書きで字がぎっしりだし、ちょっともったいない。もっと子どもが手にとれるように工夫してもよかったんじゃないでしょうか。ひょっとしたら本当にあったことなのかと、誤解してしまいましたが、フィクションだと知ってちょっとがっかりしています。それから子どもが読むものとして、カイトというのはすぐわかるんでしょうか。凧って漢字にカイトってふりがなが振ってありましたが、凧を読めなければ、それもわからないだろうし。先にカイトって凧のことだと言っておくか、ぜんぶ凧で統一するかしたほうがいいような気もしました。

ハリネズミ:今はカイトっていう名前でも売ってますよね。逆にカイトのほうがわかりやすいってこともあるんじゃないでしょうか。

ルパン:それから、言葉のことですが、失語症のサイードが最後にやっとしゃべるときに英語でいいんでしょうか。

ajian:ラストサムライみたいですよね。

ルパン:最後の終わり方はすごく好きなんだけど。塀の向こう側でサイードが一生懸命つくって送り続けていたカイトをあげるというところですね。感動的なシーンでした。

すあま:私は低学年向けの話だとは思わなかった。高学年から中学生以上。ヤングアダルト向けなのではないでしょうか。横書きだとノンフィクションという感じを受けると思います。最初の方はわからないことだらけで、読み進めていくとだんだんとわかってくる。先を読まないとわからないことが多いというのは、それが気になって続きを読みたくなるのか、あるいはわからないから読むのをやめてしまうのか、難しいところだと思います。最近パレスチナやアフガニスタンなどを舞台にした話が多いのですが、この本も2008年という設定で、数年前のことかと思うとドキッとします。例えば第二次世界大戦の話だったら、昔の話だと思って読めますが、これはついこの間のことで、まだ終わっていない。子供たちに、同時代に他の国ではこういうことが起きているというのを知ってもらうのはいいことだと思います。ただ、自分から手に取る子はあまりいないと思うので、手渡し方には工夫がいると思います。
 それから、訳者のあとがきはあるけれど、作者あとがきもほしかったと思います。この本を書くきっかけとか、こういう子供にあってヒントを得ましたとか。何か作者自身の言葉もほしかったです。

うさこ:モーパーゴさんは現代の問題を子どもに分かりやすく伝えるのが、すごくうまい作家ですね。これも、きれいにまとめてあるなと思いました。子どもの力を信じるのはいいとしても、未来を子どもに託しすぎているような、理想を乗っけすぎているような気もします。

シア:お兄さんの死の場面の語りについては、サイードがいつも怖い夢を見ているようなので、その夢の説明か何かにしてもよかったかなとも思いますね。どんな夢を見るのか、具体的にはあまり書かれていないので。

プルメリア:私は、この作品を手に取って、横書きなんだということと、とても細かい字だなと思いました。地図があったので、位置がわかりやすく助かります。「カイト」が最初わからなくて、名前なのかなとも思いましたが、内容から凧のことだとわかりました。4日間の短い時間の中で、イギリス人マックスの目からと、サイードのお兄さんへの語りかけから、話が進んでいきますが、マックスの語りかけが読者を読ませていくのかなと思いました。青いスカーフの女の子は、最初に登場した時から印象的で覚えていましたが、こういう風につながるのかと納得しました。最後のページ、挿絵は白黒ですが、明るい凧のイメージで私は読みました。難しい話や、現実に殺されるリアルな場面があったりして、この作品を読んでいる子どもがどう感じるかなと思いましたが、現実にこういうことが起きているのだからしっかり受け止めてほしいです。日本にはあまりありませんが、外国にはこういう題材のノンフィクション、フィクションがたくさんあります。考えなければならない現実や思いがあるから、こういう作品が書かれるのでしょうね。

ハリネズミ:ジョン・レノンのイマジンを物語にするとこういう感じかなと思いました。ありえないことかもしれないけど、こうあるといいなという願い。最後に会わないのが気になる人もいるかもしれないけど、会うことにすると非現実的なありえない話になってしまう。だから凧をあげるというだけにとどめて、あり得るかもしれないというニュアンスを出してるんじゃないかな。舞台はどこでもよかったのかも知れないけど、いま起きていることという意味を持たせるためにパレスチナを選んだのではないでしょうか。ただパレスチナの問題をどうこうしたいというより、象徴的な舞台として使っている。横書きについていうと、原文は横書きでも、本にするときには日本の子どもに読みやすいという意味で縦書きの本として編集し直すことはありますよね。
 「わたしはおろかにも、この奇跡的な瞬間をカメラにおさめるのをすっかりわすれていたのだった」ということになってますが、胸がいっぱいになってカメラで撮れたか撮れなかったかは二の次だというのが一点。もう一点は、カメラで撮ったというと願望ではなくリアルになりすぎるというのがもう一点だと思います。そんなことを考えると、やっぱり小さい子ども向けの物語ではなくて、ジャンルとしてはYAなんでしょうね。

三酉:成功か失敗かのきわきわの作品だと思います。夢物語としてもここまで書いていいのか。最初は誤解しましたが、途中からノンフィクションじゃないんだと思いました。謎があとからあとから出てくるのは、こういう仕掛けなんですね。青いスカーフなんていうのはうまいです。イマジンというと、ほんとうにそうかもしれない。映像がとれなかったのは、これはお話ですという意味でしょう。率直にいうと、サイードの子どもの語りがべたついていて、読みづらかった。いかにもお涙ちょうだいというか。日本語というのは、難しいなと思います。銃撃の場面を子どもに語らせるというのは、お話の構造上仕方ないですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)