原題:LETTERS FROM NOWHERE by Tami Shem-Tov
タミ・シェム=トヴ/作 母袋夏生/訳
岩波書店
2011.10
版元語録:ユダヤ人一家の末っ子リーネケは、家族と離れ、遠い村の医者の家にあずけられた。心の支えは、ひそかに届く父さんからの手紙。奇蹟的に保管されていた手紙とともに、リーネケの記憶がよみがえる。
ajian:しっかり取材に基づいて書かれている本で、10歳の子どもが細かいことまでよく覚えている。成績の場面など、この経験をした当事者じゃないとなかなか言えない気持ちだなと感じましたし、そういうところはほかにもたくさんあります。あとは何といっても、手紙がすごくいいですね。有名な学者さんらしいけど、日本では知られていないので、市井にこういう人がいたのかというような気持ちで読みました。最後に写真がたくさん載っていますが、ここもいい。
ルパン:最初はアンネの日記みたいな本かな、重いのかなと思ったけど、読みはじめるとおもしろくて、どんどん読みました。タイトルがいいですね。暗い時代にこういうユーモアがあふれる手紙を書いて、いいお父さんだなと思います。個人的に残念だったのが、タイトルから、この子が手紙をぜんぶ覚えるシーンがあるのかなと思ったんですけど、そういう場面はありませんでした。
ハリネズミ:タイトルは、でも日本でつけているものだから。
三酉:イディッシュ語はわからないけど、英語タイトルはLetters From Nowhereで、そのままでは日本語のタイトルにならないし、そこは難しかったと思います。
すあま:とてもよかったです。ただ、読んでほしい年齢の人に読んでもらうには字がちょっと小さいかなと思いました。字を大きくするとページが増えるので、苦渋の決断だとは思いますが…。そして、リーネケのおねえさん、ラヘルがとてもよかったです。ラヘルにもお父さんから手紙が来ていたのでしょうか。たまに登場すると料理がうまくなっていたり、発言が面白かったりするので、ラヘルの視点で書いた物語があったら読みたいと思いました。以前読んだ『木槿の咲く庭』(リンダ・スー・パーク著、新潮社)にもありましたが、名前を変えるというのは、とても大きなことだとあらためて思いました。
うさこ:とても重厚でまじめな物語ではありますが、心に残してくれるものが多い本だと思いました。名前を変えて自分の人格を否定して生きるというのは、どういうことかとか、リーネケに気持ちを寄せながら読んでいきました。お父さんの手紙の内容一つ一つに愛情があふれていていい。
プルメリア:表紙の手紙をみて、何だろうと思ったのですが、タイトルをみて、ああ、これはお父さんからの手紙なんだと思いました。作品の中に出てくるお父さんの手紙の題がおしゃれでとてもすてきです。「絵といっしょにおしゃべり」「5月24日 リーネケはたまごから飛びだした」など。現実と過去が交互に書かれている構成もおもしろいです。ドクターの家族がリーネケを家族の1員として愛情をもって見守るやさしさもいいですね。ドイツ兵が来たときには、ちょっと危ないのかなとドキドキしましたが、そのドイツ兵からタバコをもらっておじいちゃんにプレゼントし、おじいちゃんはタバコをケチケチと大事に1週間かけて吸い、その間じゅうクリスマス・ソングを歌い続ける場面はユーモラスです。怖い怖いとおびえる中にもこういう交流もあったのかな。戦争後、ドクターがリンゴごの木の下に隠しておいた手紙を出す場面が感動的でした。手紙に込められたお父さんのあつい思い、手紙を手元におけないリーネケの切ない思いを知っているから捨てることができなかったのでしょうね。ところどころに手紙が入っているので一息つけるし、次はどうなるのか展開が気になります。字は細かいけど読ませる作品でした。
ハリネズミ:この本にかぎらずユダヤ人の作家がホロコーストについて書くのはとても多いし、それは片方では必要なことなんだけど、もう片方では現在イスラエルがパレスチナに対してやっていることを隠蔽することにもつながってしまうと思うんです。しかもパレスチナの側から書いたものは数が少なくて、ホロコーストものは次々に出版される。そうなると、またか、という気になるのも確かです。この本の主人公へのインタビューが巻末にあるんですけど、その最後は「見て下さい——のびのびと自分たちの地で暮らすユダヤのうるわしい大家族を」となっていて、パレスチナ人は視界にまったく入っていないんですね。ちょっとどうかと思いました。ユダヤ人だけを責めるわけではないんですが。日本の戦争物も加害者の視点なしに書かれているものは多いですからね。
ただ、この本はお父さんの手紙がすごくいいですね。この手紙のおかげで、この子は戦時下の不安定な状況の中にあっても、守られているという感覚を持てたはずです。私は細切れの時間の中で読んだので、登場人物についてはちょっと混乱しました。登場人物リストがあってもよかったかも。翻訳はところどころ引っかかりました。p22の台詞の中は「粉剤」じゃなくて「粉ぐすり」でもいいのかな、とか、p28の「シンタクラースのプレゼントもいいかもしれない」は、どういうニュアンスで言っているのか、ちょっとつかめませんでした。p34の「もしかして、大きい動物を、家畜もペットも好きになるのをやめちゃったのかもね」というリーネケの台詞ですが、その前に「牛やヒツジ…をどんなに、知ってるだろ?」というお父さんの台詞があるので、つながらないような気がしました。またp66には『もじゃもじゃペーター』が出てきますが、ハインリッヒ・ホフマンの本のことを言ってるんだとすると、一冊の本の中にいくつかの話が入っているわけですから「シリーズの一冊」はおかしいのでは? などなどです。日本語版の書名や表紙はとてもすてきです。
三酉:父親たる身としては、すごいと思った。この人は、ユダヤの貴族階級がほれてしまうぐらいに魅力的な男だったのではないでしょうか。直接関係はないんですが、最近、ユングの『赤の書』という本が出ました。ずっと非公開だったんだけど、ユング財団が最近OKして。これがすごい。200ページの書き文字なんです。それで、そういう伝統ってあるんじゃないかと思いました。今世紀までは継承されていないかもしれませんが、こういう書き文字ができるという男がかつては結構いたんじゃないかと。
ハリネズミ:修道院の文化にかぎらず、子どもに絵手紙をおくるという文化はあるんじゃないですか。ビアトリクス・ポターの本も、そもそもは子どもに宛てた絵手紙だったし。
ajian:オランダも相当いろいろあったみたいなので、やっぱり相当幸運な家族じゃないかとは思います。
三酉:たしかに幸運もあったでしょう。だってほとんど全員生き延びて、死んだのは病気で死んだ母親だけだっていうんだから。それから、手紙についてだけど、子どもは画像的な記憶がすごい。我々が覚えるよりはるかに覚えられたんだと思います。特にすごいことだとも思わずに、ごく当たり前に覚えてしまってたんじゃないかな。
すあま:この手紙は何十年も経ってからじゃなくて、戦争が終わってすぐに出てきたわけですから。
ハリネズミ:手紙に使っていた名前が、本名じゃなかったから、見つかってもそれほど危険じゃなかったのかも知れませんね。それにしても、この本の主人公は戦後、戦時中の偽名を自分の名前として選び取るんですね。戦時下の体験がとてもつらいものだったら、普通は自分の本来の名前に戻るはずだと思うんですけど。たぶんお父さんの手紙や何かのおかげで、この子はそれほどつらい思いはしなかったんでしょうね。アンネ・フランクなどと比べてラッキーな面もあったのでしょう。
三酉:あと、この名前は、強制的に変えられたのではなくて、生き延びるために自分でつかんだ名前だということもあるよね。
ルパン:お母さんの名前なんですよね。
ハリネズミ:恵まれて、守られていたから、かえってこう、無反省になっちゃったという面もあるのかもしれませんね。
三酉:美しい話になっているので、本当だとわざわざ謳う必要があったのかなとは思う。
すあま:これまでにここで取り上げた本の中にも、本当の話だと思って読んだら、実は寓話だったというものもありましたから…。
(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)